■リニモ藤が丘駅が更地に(2005-11-10 00:50:44)
 なんとまぁ、ものの見事に綺麗さっぱり。



いや、別に駅がなくなったわけではなく、
切符販売の窓口と並ぶスペースをなくしただけなんですけどね。
更地の向こうに見える長方形の建物が、現在の藤が丘駅です。

同じアングルの写真がこっちにあるので、見比べてみるとわかりやすいです。
■発送準備完了(2005-11-06 16:21:44)
印刷所に預けた紙の束が、本になって帰ってきました。



こうやってみると大した量でもないように見えるけど、実際はえらい大変だったんだから。
「どうせ作るなら60部ぐらい作れ」とか言われていたけど、自力印刷で一度に作れるのはこれが限度です……。

とりあえず、印刷後に紙が反り返らないレーザープリンタを熱望。もしくは反り返ったまんま裏面印刷してもトラブルの起きないプリンタ。なんだかんだ言って一番面倒だったのが、この「反り返った紙」への対処だったので。


ちなみに、この企画の本部はこちら。しつこいけど。
■怖いCM四天王(2005-10-29 08:29:07)
以前書いたJUNGLEの一件以来、2chのCM板に出入りするようになりまして。昔のCMなんかを色々見て懐かしんだりしてます。
こないだのJUNGLEよろしく「怖いCM」に関するスレも結構あります。最近は怖いCMって呼べるようなものがあんまり無い(ホラー映画のCMは個人的には全く怖くない)ので、話題に上がるのはもっぱら昔のCMですな。
今回はその中でも、よく名前の挙がるものを紹介してみます。


・ACのワクチン募金キャンペーン(1994年)
通称「あよね」。映像に使われているBGMの子守唄(?)が「あ〜よ〜ねんね〜」と聴こえることが由来。
痩せ細ったアフリカの子供と、「HELP」の赤文字が強烈な印象を与える。
このCM、リアルで観ていた記憶があります。当時は別にそんな怖いとは思わなかったんだけどなァ。

・政府公報の覚醒剤追放キャンペーン(1982年)
通称「キッチンマザー」。
泣き叫ぶ子供、明らかに薬物中毒とわかる母親。破滅的な表情でおもむろに注射器を手に取り、自分の腕にぶすりと針を突き立てる……。
あまりのリアリティにクレームが殺到して、放映開始からほどなくして打ち切られたという曰く付き。薬物追放系のCMはどれも生々しくて怖いけど、ここまで露骨な表現をしたものはそうないでしょうな。

・クリネックスティッシュー(1977年,1985年)
もっぱら話題に上がるのは「天使編」と「赤鬼編」の2種類。
「天使編」は、天使の格好をした外人の女の子がティッシュと戯れるという内容。BGMの途中で「ヒャッ!」という叫び声みたいな音が入るので、大抵の人はそこでびっくりする。何なんだあのBGMは。変な余韻まで残して。驚かせようとして作ってるとしか思えない。
「赤鬼編」は当時「呪われたCM」として、ちょっとした話題になりました。赤鬼役の子供が亡くなったとかBGM(It's a fine day)が呪い殺すという内容の歌だとか噂になったものの、実際にはどれもガセネタとのこと。「天使編」もそうだけど、何だかよくわからない奇妙さを感じる映像なんですよね。「JUNGLE」よりも「GARDEN」に近い寒々しさがある。都市伝説化してしまったのも、そのへんが原因だったのかもしれんですな。

・JUNGLE(1992年)
フジの深夜アイキャッチ。
以前にさんざん取り上げたので、詳しくはこのへんを参照のこと。


それぞれの映像が観たいかたは、適当に検索かければ見つかるかと思います。どれも有名な映像ですから。
携帯用のサイトがこちらとかこちらにあります。PCで観るにはQuickTime等を入れる必要があるけど、ちっこいサイズの動画のほうが怖さも和らぐと思うので、怖がりさんはこちらをおすすめします。

とりあえず一通り見てみたけど、個人的な「怖さ」度は、
JUNGLE>>>(越えられない壁)>>>キッチンマザー>クリネックス>あよね
という感じでした。
やっぱりJUNGLEは別格ですわ。コレには他の3つにはない「悪意」が垣間見えてしまうので。あよねやキッチンマザーは視覚的な怖さはあるものの、明確な意図をもって作られていますからね。クリネックスは……まァこれも確かに意味不明なところがあるけど、少なくとも悪意は感じられない。というかこれは「呪いのCM」という噂が立ったところに怖さがあるのだと思うし。
そんなわけで、わたしの結論としては「JUNGLE最強」ということで、ひとつ。


最近のCMで怖いのといったら、やっぱりAC系かなァ。栗山千明の「いのちは大切だ」とか「カレシの元カノの……」とか。AC系は上の携帯サイトで色々見られるので、興味あるかたはついでにどうぞ。個人的には軍艦島がおすすめ。あよねよりもこっちのほうが怖いと思うんだけど。

ついでにこっちで書いた「GARDEN」のえんどう豆編ですが、画像が手に入ったのでこちらも載せておきます。そんなに怖い画像ではないので大丈夫だとは思いますが、自信ないひとは控えたほうが良いかも。やっぱり絵的に奇妙だなァ。
■一時休戦(2005-10-13 14:09:36)
ひとつめのトナーが切れたところで、一旦休憩。続きは来週やります。流石にこればっかりやっているわけにもいかないので。

トナーカートリッジ一個あたりの印刷可能枚数は、A4用紙で2500枚とのことでした。それならB5であれば4000枚ぐらいはいけるんじゃないかと、当初は考えていたんですな。イベント時の値段もこの「皮算用」に基づいて弾き出されたものでした。
ところがどっこい、実際に印刷を始めてると、予想していたよりもずっと早くにトナーが切れてしまった。ちょっと待て、A4で2500枚じゃなかったのか。再度マニュアルで確認。そして愕然とする。
カートリッジの説明の項目には、確かに「A4原稿で2500枚」と書いてありました。しかし、その横にカッコ書きで付け加えてある。すなわち、「印字比率5%」と。
……印字比率5%って、紙に5%ぶんだけ印刷した場合、というコトですか? 5%ってホントにちびっと印刷した程度じゃないか。そんなん一体なんの参考になるんだッ。
要するに、
[A4で印字比率5% < B5で小説を三段組みで印字]
だったわけですな。すっかり騙されちまったぜベイベー。てやんでばーろいちくしょう(古)

んで急遽、先週から1週間かけて、小説印刷におけるトナーの消費量を計測してみたわけですが、その結果、約2400枚までは印刷できることが判明しました。まァ、予想の範囲内かな。今回は三段組みだし挿絵もあったので、通常のレイアウトで挿絵なしならもっと印刷できるかと。これから小説を印刷してみようというかたの参考になれば、わたしも浮かばれます。じゃなくて報われます。


まァ、そんなわけで、注文お待ちしております
■NScripter(2005-10-09 02:42:24)
元々はシナリオを担当していた某企画にて、プログラマの人が蒸発したんで仕方なく引き継いだだけでした。解説サイトやサンプルを見ながらおっかなびっくり打ち込みを始めたわけですが、なんか知らないうちにすっかり慣れてしまい、今や普通に一からゲームを作れるぐらいまでに。まァ、NScripter自体がわかりやすいってのもあるんだろうけど。

そうしてまた、無駄にスキルが増えていく。
自分でシナリオ書いて、曲作って、プログラムして……。これであと、絵さえ描ければひとりでゲームを作れたんだけどなァ。まァ無理か。

せっかく覚えたんだから、なんか有効に活かせることができないものか。某企画もぼちぼち潮時だし。ううむ。


※NScripter…ADV形式のゲーム制作ツール。同人利用はフリー。アニメにまでなった某同人ゲーが使用していたことでも有名。
■B5用紙に囲まれる生活(2005-10-07 04:01:05)
見回せば
   前後左右が
      紙だらけ

なんかB5用紙がトラウマになりそうです('A`)
わかっていたことではあるけど、やっぱりこの作業はいろんなものを激しく消耗する。紙詰まりなんて起こした日には、もう発狂しそうです。

時間的にも体力・精神的にも、一日2,3部が限度ですかね。来週には単価が決定しているかと思います。発行は更にその先……。
■はじめてのいべんと(後編)(2005-09-29 05:16:33)
[AM 11:00]
イベント開始。1分も経たないうちに1部ずつ売れる。少しして、しーるさん登場。このときはまだそんなに売れてなかったので普通に売ってしまったけど、その後の状況を考えたら、しーるさんにも保留してもらうべきでしたな……。
それ以降も1部、2部と続けざまに売れていく。つうか「昔読んでました」っていうひとが結構いてびっくし。とっくに忘れ去られた存在だと思っていただけに。覚えていてくれてありがとう。昔のひとといえば、PY-VEGAさんにもお会いしました。今でも普通にSOに関わってるんですな。凄いなァ。
そうこうしているうちに残りが2,3部になる。やばい、こんなに早いペースで売れるとは思わなかった。どうしようか途方に暮れているところに彼方さん登場。すんません売るのは後回しにさせてください( ̄× ̄; それでも引き続き売れていまい、ついにはクロード編一冊のみに。いや、クロード編だけ1部多かったので。やっぱりみんなセットで買っていくんですな。つうか隣り合わせで2冊並んでいたから、この2冊で「上・下巻」だと勘違いして買っていったひとがいるんじゃないかと、少し心配になる。注意書きしとけばよかったかな。
[AM 11:30]
最後の1冊もほどなく売れて、めでたく(?)完売。30分ももたなかったよ orz ルーズリーフに「売り切れました」とやはり汚い字で書いて机に置く。ますますイエメン館っぽくなった。一方、CDのほうはいまいち売れ行きがよろしくない。まァいいか、どうせ数合わせだし。それにしても、音楽系のサークルがひとつもないというのは、どういうことだ。かつて桜庭魂に魅せられてネットで所狭しと活動していた、あの人達はどこへ行った。時は流れて世は移ろう。諸行無常の響きあり。なんか違うな。
[AM 12:00]
売るもの売って余裕も出てきたので、周囲を観察する。イベントの規模としては、こんなものなのかな。彼方さんによれば前回よりも多少減ってるみたいだけど。ラジアータだけではそれほど大きな起爆剤にならなかったわけか。とはいっても、人もそれなりに入ってるし、コスプレしてるひとも結構いる。考えてみたらトライア関係のコスプレって、ほとんど見たことなかったな。これだけまとめて見られるというのは、オンリーイベントならではなんだろうな。
その後は適当にしーるさんや彼方さんと話し込む。つうか彼方さん、MP3プレイヤーにレオンの画像大量に詰め込んで持ち歩くのはやめてください( ̄× ̄; わたしの知らない画像も結構あったなァ。昔はよく集めてたけど、最近はあんまりサイトも見てなかったし。
[PM 3:00]
何やかやだべっているうちに即売会終了。そのままお茶会に移行。というか2人と一緒にいたら、当然のように参加となってしまったんですけど。昔からこういう催しは苦手だったので、ノリにはついていけないだろうなァと思っていたら、案の定ついていけなかった。なんかPCとプロジェクターの接続でトラブってたし。みなさん色々とご苦労様です、ホントに。こういうイベントを主催できるバイタリティというのは、手放しに凄いと思います。そんなこんなで本筋と関係ないところに思いを馳せているうちに、お開きになる。
[PM 5:30]
しーるさん、彼方さんとともに、蒲田駅前の居酒屋で軽く打ち上げ。つうかふたりともあんまり酒飲まんのですな。わたしもあんまり飲み過ぎると口数少なくなるので、程々にする。なんかここでは万博の話ばかりしていた記憶があるけど。
[PM 7:30]
店を出ると、彼方さんが歌いたいらしいのでカラオケ店へ。カラオケなんて年単位で久しぶりである。とりあえず知ってる曲を歌う。わたしが知ってる歌なんて一昔前のアニメやドラマの主題歌か、プレイしたことのあるゲームのテーマ曲ぐらいだけど。「名古屋はええよ! やっとかめ」では、歌詞丸暗記が災いして、セリフの部分を画面表示よりも先に言い終えてしまう。気合い入り杉。それにしても3人ともジャンル偏ってるなァ(;´Д`)
[PM 9:00]
JR蒲田駅から品川へ。話に聞いていた「蒲田行進曲」の発車メロディが聴けて、少し得した気分になる。品川で新幹線の切符を買い、2人に別れを告げて、名古屋へ戻る。車内ではやっぱり寝る。名古屋から藤が丘までの地下鉄の車内では、何がきっかけだったのかは忘れたけど、今回の収支計算を頭の中で始める。そう、ここでようやく「原価割れ」していることに気づいたのですよ('A`) せめてあのとき値段を1200円にしとけばと、激しく後悔。
[AM 0:15]
ショックを引きずったまま帰宅。おかげで朝まで寝られませんでしたがな。


まァなんにせよ、良い経験になりました。これで終わりじゃないのがアレですが……。
■はじめてのいべんと(前編)(2005-09-28 23:14:42)
というわけで、小説を売りに東京まで行って参りました。
この手のイベントはろくに行ったことがないってのに、いきなりサークル参加。しかも東京。こうなりゃもうヤケクソです。開き直るしかない。

そんなわけで、ヤケクソ気味のレポ開始。彼方さんしーるさんのレポと併せて読むと、なにか素敵な発見があるかもしれません。知らないけど。

[AM 7:47]
名古屋から新幹線で一路、東京へ。前日はMIDIのCD焼き作業が長引いてあんまり寝てなかったので、車内でしばし寝る。枕が変わると眠れない性分だけど、新幹線ではわりと寝られるようになったみたいです。要は慣れか。
[AM 9:22]
品川に到着。新幹線の駅は最近できただけあって、かなり広くて綺麗。それに案内表示の文字がやたらとデカい。これでホームを間違ったりしたら、よほどの方向音痴でしかないな。
駅を出て、京急に乗り換える。つうかJRでも蒲田へは行けたんですな。会場までの距離はちょっと遠いみたいだけど。まァ190円ぐらい別にいいか。京急乗ったことなかったし。
[AM 9:50]
京急蒲田の駅から会場に向かって歩く。なんかリアル電車男がたくさん歩いてる。会場の前まで来ると、入口に行列が。どうやら同じ建物の中でフィギュア関係のイベント(よく知らん)をやるらしい。きんもー☆
エタフェス会場は2階とのことなので、階段を上がる。既に10数人が会場が開くのを待っていた。それにしても、ホントに10時ぴったしに着いてしまった。
[AM 10:05]
サークル入場。受付でチケット出せと言われて焦る。すっかりそんなものがあったことを忘れていた。鞄の中に入っていたけど。いや危ない危ない。
会場に入って、さっそく自分のスペースを探……すまでもなかった。机の上にでんと置かれた電気湯沸かしポットの箱は、他の段ボール箱よりもひときわ目立っていた。いや、業者に原稿を送る際、ちょうど甥っ子の粉ミルクのために買ってあった湯沸かしポットの箱が目について、入れてみたらぴったしジャストフィットだったので、そのまま利用したんですな。箱を空けて、中身を確認。あの紙の束が、ちゃんと本になっている。すげー。ちょっと感動。
[AM 10:15]
ディスプレイ開始。つっても本を箱から出して並べて、鞄から焼いたCDを出してその横に並べるだけ。5分もしたら、やることがなくなってしまった。
一服してから他のサークルの作業を眺める。みんな綺麗に飾りつけしてんなァ。あー、テーブルクロスか。そういうの一切持ってこなかったからなァ。ん? 値札? なるほど、さすがにこれはないとマズいな。慌てて鞄からルーズリーフとボールペンを取り出す。当然値札なんて用意してなかったので、ルーズリーフをびりびりと破ってそれらしい大きさにする。さて、値段はどうしようか。実はまだ決めていなかったのですよ(;´Д`) 1000円か1200円かで散々迷った挙げ句、釣り銭が発生するのが面倒っちいという理由で1000円にする。このとき1200円にしとけば、のちのちの問題も発生しなかったんだけどね……。ちなみにCDのほうは100円。正直無料配布も考えたけど、とりあえずメディア代ぐらいは回収したいかなと。
紙にボールペンで値段を書く。相変わらず汚い字だ。惚れ惚れする。並べた本の前に手書きの値札を置くと、なんだか万博のイエメン館みたいになった。今頃はイエメン館のひとたちも、商品の在庫処分に躍起になっているんだろうなァ。ありがとうイエメン館のみなさん。君たちのことは忘れないよ。たぶん。
■夏休みの宿題は早めに終わらせておきましょう(2005-09-21 03:34:30)
そんなこと言ったって、終わらせられないものはしょうがない。
最終日になって泣きながら膨大に溜まった宿題をこなしていく。それがわたしのスタイルです。

というわけで、久々に夏休みの宿題気分を堪能いたしました。
ええ、例の印刷作業のことです。
正直、こんなに大変だとは思わなかった。完全に見込み違いでした。
この3日間の睡眠時間は5時間程度。平均じゃないですよ、合計です。ほとんどうたた寝だったし。最終日に至っては不眠不休で、15時間以上飲まず食わずのぶっ続けでひたすらプリンタと格闘。モノを摂取するという思考すら起きなかったんですな。トイレも行った記憶がない。水分取ってないですからね。歩けばふらつく。顔には吹き出物が出る。もう酷い状態でした。

今回の反省点。

・本文の修正と最終チェック(テストプリント)に時間をかけすぎた
印刷作業を甘く見ていた裏返しでもありますな。9月頭ぐらいには終わらせておくべきだった。
・印刷作業の手際の悪さ
まとめてがーっと印刷すりゃ楽でいいかと思って始めはそうしていたのだけど、考えてみたら、まとめて印刷したら後でページ順に振り分けないといけないんですな。20ページかそこらなら振り分けるのもたかが知れてるけど、なんせ200ページ(100枚)以上ですからねぇ。けっきょく1部ずつページ順に印刷したほうが効率いいことに気づいて、途中で変更。
・トナーの不足
プリンタ買った当初、調子に乗って色々しょーもないモノを印刷しまくってたんですよね。そのツケが今になって回ってきたという感じです。余裕を持って買っておけば良かった。まァ、たとえトナーがあったとしても、時間的にも体力的にもこれ以上は印刷できなかった感じですが。

結論としては、一人でこの作業をやるのはかなり無理があります。ページ順に振り分けたり一部ずつまとめたりする「紙」の作業を担ってくれるひとがもう一人いれば、進行具合もかなり違ったと思います。今更ですが。


そんなわけで、けっきょく予定部数の半分にも到達できなかったことを、ここに報告します。
……惨敗です orz

このままだと寂しいので、急遽別のモノも作って出します。わたしが物書き以外でできることって言ったら、アレしかないわけですが。
■万博に行ってきました(ファイナル)(2005-09-02 15:00:38)
今回は某数学狂氏を引き連れて、夜間入場。
目的はもちろん、日立館。2時間でも3時間でも並んでやるぜ!

……と、意気込んで5時に行ってみたら、なんと日立館は既に入場者締め切り。並ぶことすらできなかった。orz
なんなんだよこの混雑ぶりは。お前ら一体どこから沸いてきた。長久手町民か、瀬戸市民か、尾張旭市民か。田舎者風情が万博来て楽しんでんじゃねーよ。おめでてーな。「もう50回来てます」とか言ってんの。もう見てらんない。お前らな、名古屋市に編入してやるからその席空けろと。

まァそんなわけで、のっけから予定が狂ってしまいまして、けっきょく適当に外国館を回って終わることに。いや、大地の塔も一応入ったけど、ほとんどコメントするようなものでもなかったし。

たぶん万博はこれで最後です。いや最後なんです。誰がなんと言おうと。
■またまたまた万博に行ってきました(2005-08-21 01:56:33)
今回は人混みを避ける方向で。
まァ、この入場者数ではどこ行っても混んでるんですけどね。

今回は瀬戸会場から入りました。
さすがに空いている。なんか地元のぬるい施設に遠足で来たみたいだ。いや地元には違いないんですけど。山の中という雰囲気も相俟って、長閑な気分で散策できます。でもこれ、万博という感じが全然しないという、諸刃の剣だったり。
瀬戸日本館にも入りましたが、まァそこそこ面白い。ただ、最初に見せられた映像はこんなエントリを書いた後だったので、微妙に気味が悪かった。いきなり能面が出てきたときは本気でびびりましたがな。「群読」とかいう集団劇は、出典のわからないものが結構あったのがちと悔しい。なんだかひたすら日本文化をアピールすることに終始したパビリオンでした。

そのあと長久手会場に移動して、予約していたグローバル・ハウスへ。4回目にしてようやくマンモスを見ることができたわけですが、実際のところほとんど印象に残らなかった(;´Д`) それよりもソニーの大画面映像のほうがインパクトありましたな。あの画面でゲームやってみたい。一度でいいから。

そこからは適当に外国館を見て回る……はずだったのだけど、どこもかしこも行列だらけ。なんでリトアニア館にまで人が並んでるんだッ。結局いくつか入っただけで、そのあとはドイツ館の2階でビールを飲むことに。ええ、また酔っぱらってしまいましたよ、案の定。


これでたぶん最後かなァ。日立館に入ってないのが心残りなので、閉幕間際にでも夜間入場で並んでみようか。そんな余裕があればだけど……。
■JUNGLEをめぐる考察(2005-08-19 01:52:55)
 正直これ以上触れたくない話題ではあるんですが、色々考えてしまったので、ついでにまとめて書いてしまいます。怖さもみんなで共有すれば和らぐかもしれないということで。知らないけど。

 まずはこの映像が流された背景について。
 当時のフジテレビは深夜枠を「JOCX-TV2(のちにJOCX-TV PLUS、JOCX MIDNIGHT等に変更)」と銘打って、数々の名番組を手がけました。わたしと関連の深いところでは、三谷幸喜脚本・小林聡美はじめ3人の女優が主演した『やっぱり猫が好き』もこの時間帯に放映されていたりします。
 で、その深夜枠には独自の「アイキャッチ」(16日のエントリ参照)が存在しました。アイキャッチは大体1年おきぐらいに変更され、そのフレーズにあった映像が毎年作られていた、というわけです。
 こっちにアイキャッチ映像の一覧があるので、ご参考までに。webarchiveからですが、動画もまだ生きてます。
 これを見ると、88年〜91年前半までのアイキャッチは、わりかし普通の、ポップな感じの映像なんですな。ところが91年後半〜92年前半の間に流された「GARDEN」は、今までとはガラッと雰囲気が変わって、綺麗だけど不思議な、アーティスティックな作品になっています。全体としては別に怖い印象は受けないんですが、BGMのヨーデルみたいなコーラスがなんとなく耳に残って、薄ら寒いような感じはします。上のリンクにある映像は「方舟編」ですが、これとは別に「えんどう豆編」もあったらしいです。このへんの説明を見ると、こっちはさらに奇妙な映像っぽい。
 そして、92年後半から93年前半にかけて流されたのが、あの「JUNGLE」。好意的に解釈すれば、「GARDEN」の流れを汲んでアーティスティックに表現した作品だと言えるのかもしれませんが……それにしても、やっぱりこれだけ異質すぎる。だいたい、他のアイキャッチに必ず入っている「JOCX」のテロップが、なんでこれだけ入っていないのか。ぱっと見では、ただ気味が悪いだけで、これがアイキャッチだなんて誰もわからないと思うんですが。
 93年後半から94年前半に放映された「音楽美学」も、「JUNGLE」ほどではないにせよ、やや奇妙な印象を受ける映像です。それにしても「音楽美学」ってどういう意味なんだろか。「GARDEN」にしても「JUNGLE」にしても、この時期のそれはキャッチフレーズとして成り立っていないような気がします。
「STRAY SHEEP」については説明不要だと思うので省略します。今でもお台場に行けばグッズ買えるでしょう。どうせならJUNGLEのグッズも(略)

 さて、話を「JUNGLE」の内容に戻します。
 前回のエントリに書いたように、あの映像には隠されたメッセージが存在すると言われています。ハート編が「反エイズ」、人形編が「反反核」ということですが、一方で人形編も「反エイズ」なんじゃないかという説もあるんですね。言われてみれば、確かにそう思える節もなくはない。フラッシュは受精を表し、それによって人形(人間)がどんどん増えて、最後に……「ざまあみろ」
 ……書いてるうちに映像思い出してしまった('A`) 実は最後の「ざまあみろ」は聞き取れてないんですけどね。映像一回しか見てないので。あんなもん何度も見られるかッ。
 閑話休題。
 前述の「両方とも反エイズ説」を踏まえた上で、実はこういう話があります。
 アメリカにキース・ヘリングというアーティストがいました。主に80年代に活躍した、落書き風味の絵柄と鮮やかな色彩が特徴のポップ・アーティストです。名前は知らないひとでも、彼の絵がプリントされたグッズはどこかで見たことあるんじゃないかと思います。彼の作品はこのへんを参照。
 リンク先を見ればわかると思いますが、人形編に出てくる人形って、キース・ヘリングの描く抽象化された人間とよく似ているんですね。それにハートも、ヘリングの作品にしばしば登場します。これらの事から、あの映像はヘリングを意識して作ったんじゃないかと言われたりもします。
 そして、もうひとつ重要な要素があります。彼は90年に31歳で亡くなっているんですが、その死因が、実はエイズなんです。
 もしかしたら、あの映像は「反エイズ」でも「反反核」でもなくて、「反キース・ヘリング」だったんじゃなかろうか。ヘリングを毛嫌いするアーティストが、彼がよく描く人形やハートをモチーフにして、そこに彼の死因を絡ませた作品にした。それがあの「JUNGLE」だったのではないかと、わたしは思うわけです。
 これも所詮は仮説です。真偽のほどはわからないし、たぶん今後も解明されることはないでしょう。でも、もしそうだとしたら、個人に向けられた残酷ともいえる悪意の表明を、フジは公共の電波に乗せて1年もの間流していたということになります。「面白くなければテレビじゃない」なんて謳っていたけど、これもフジなりの「面白さ」だったということなんでしょうか。
■JUNGLE(2005-08-16 15:39:08)
このときに見てトラウマになった映像を紹介します。

90年代の初めにフジテレビの深夜で流れていた「アイキャッチ」。今で言うと「きっかけはフジテレビ」みたいなやつですな。ちなみに名古屋では東海テレビなので「やっぱイチバン東海テレビ」です(どうでもいい)。
で、そのアイキャッチの中に「JUNGLE」というのがあって、その映像が異様に気味が悪い。怖い、というよりは嫌悪感に近い気味の悪さというべきか。さらにこの映像に関する噂を辿っていくと、どうもこれには「反エイズ」「反反核」というメッセージが含まれているという。
解説サイトと動画がこっちこっちにあるので、見たいかたはどうぞ。ついでに2chのスレはこのへん
くれぐれも自己責任でお願いします。見てしまった後で何らかの悪影響があっても、わたしは関知しませんので。

何が怖いかというと、この映像が流れていたのってそう遠くない昔なんですよね。それも当時全盛期だったフジテレビで。わたしもフジのバラエティはよく見ていたけど、その同じ時代の深夜にこんなものが流れていたという事実に、愕然とさせられます。映像に含まれたメッセージというのは結構こじつけのところもあって、実際にそんな意図をもって作られたのかは疑問の残るところですが、それを抜きにしても、あの映像には何らかの悪意が感じられる。ハートを腐らせることで一体なにを表現したかったのか、制作者を問い詰めたい気分です。
■万博メモ(外国館編)(2005-07-28 00:08:56)
・サウジアラビア館
環境万博なんてどこ吹く風で、ひたすらオイルパワーを強調。その潔さに惚れた。中ではなんかスーツを着込んだ偉い人っぽいのが客にサインしてたけど、結局あれは誰だったんだろうか。出口の近くにある360°スクリーンの映像は、もはや外国館の域を超えている。恐るべしオイルパワー。

・イエメン館
キングオブ外国館。詳しくはこっちに。

・中国館
なんかどこぞのホールみたいな内装で、あんまり中国っぽくなかった。観光案内、というか次の上海万博に向けたアピールがメインらしい。そのジャイアニズムな姿勢に感服。

・ドイツ館
朝から行ったにも関わらず、物凄い行列が。パビリオンというより、テーマパークのアトラクションみたいでしたな。それにしてもちと中途半端だったような。どうせなら本格的にアトラクションにしてしまえば良かったのに。

・ブルガリア館
ヨーグルト食えます。予想通りに。わたしはアイス(フローズンヨーグルト)にしてしまったけど、普通のヨーグルトもそれなりに美味しかったそうです。

・ヨルダン館
死海体験はけっこう早めに締め切られしまうみたいなので、入りたいかたはお早めに。瓶に詰めた砂で絵を描くサンドアートはまさに職人技。土産でも売ってるけど、ちょっと値が張るのと瓶なので持ち運びに不便なのが難点です。

・リトアニア館
表のランプがやたらとチカチカしてます。中も先鋭的な造りで、どんな国なのかいまいちイメージが掴めない。中で売っているビールは、あんまり飲めないわたしでも飲みやすかった。つうか何も食わずに一気に飲んだから、思いっきり酔っぱらってしまいましたがな。その後に行ったチェコ館とかベルギー館とか、ほとんど何も覚えてない('A`)


まァ、とりあえず印象に残ったものだけ、適当に。
今後行く機会は……あるかなァ。
■万博メモ(パビリオン編)(2005-07-27 04:23:17)
これまでのまとめ。
これから行くひとの参考になるかは……知りません。

・トヨタ館
我らがトヨタ様の偉大なる技術が披露されている。それだけで充分に見る価値はあるのだ。決して演出が面白くないとかそういうことは口にしてはいけない。そんな発言をしたら即座に緑のオバケ二匹に捕まって愛知県から追い出されるから、よい子のみんなは気をつけよう。

・三井・東芝館
自分の顔をスキャンして映画に出すというのは面白いけど、それ以上でもそれ以下でもないのが何ともかんとも。どちらかというと中高生向きかもしれない。映画の内容自体は、正直いまいち。もちっとシナリオ練ってください。

・めざめの方舟(夢みる山)
企業パビリオンの中では比較的入りやすい。内容は……うーん、押井守の世界観が好きなひとは良いかもしれんけど。「考えるな、感じろ」と燃えよドラゴンのブルース・リーになった気分で鑑賞すると、楽しめます。たぶん、きっと、おそらくは。

・三菱未来館
ロボットの事前説明を前の方で見ていたら、やたらとロボットと目が合ってしまって困った。何だお前、なんか文句あるのかこの野郎と睨み返してみたが、虚しかった。シアターの映像はなかなかの迫力。実はちょっと感動してました。帰りの土産物屋は色々ネタになりそうなものが売ってるので、要チェックです。

・長久手日本館
なんだかんだで2回入ったけど、やっぱり面白い。万博行くならとりあえず押さえておきたいパビリオンです。球体スクリーンの映像は奇数日と偶数日で内容が違います。たまたま両方見られて得した気分。まァどっちも似たような感じではあったけど。
■またまた万博に行ってきました(2005-07-21 02:48:47)
 こちらの旅行好きのお兄さんに同行しまして。

 今回はお兄さんの希望もあって、外国館を中心に回りました。パビリオンも少しは入れたけど。つうか朝から夜まで強行軍だったので、結構しんどかったです……。

 さて、今回のイチ押しは何といってもイエメン館。もう最強。キングオブ外国館の称号を与えたいぐらいです。隣のサウジアラビア館と併せてご覧になると、そのコントラストにメロメロになること請け合いです。
 何が素晴らしいかと言いますと、

・イエメンの人たちが手作業で丹念に造りあげた高校の文化祭風味の外観と内装。2階は上半分の鉄骨がむき出しになっており、その絶妙なバランスには日本の「匠」たちも舌を巻くに違いない。
・入口上方には手書きで「イエメン館」と書かれており、ここがイエメン館であることをさりげなく表現。
・内部にも手書きの文字があちらこちらに散見され、そのひたむきな日本語に感銘を受ける。誤字があっても新しい紙で書き直したりせず、マジックで誤字を塗り潰して何事もなかったように続きを書くあたり、地球に優しくて素晴らしい。
・スペースの8割は小物やアクセサリなどの物販スペース。カウンタにはイエメンの人たちがズラリと並んで、買い物客に対して万全のサポート体制。ビバ商人魂。
・2階にはレストランがあり、ナンのサンドイッチやカレーなどが堪能できる。その味は日本人の好みに合うように作られており、努力の跡が覗える。一口食べた瞬間、「これ、どっか日本のスーパーとかで調達してないか?」「素朴で懐かしい味がする」と落涙すること間違いなし。

 イエメン館の魅力はまだまだこんなものではありません。是非とも一度来館して、その目で確かめてください。これで貴方も「イエメン・マニア」です。
■海辺のカフカ(2005-07-09 03:49:39)
 とりあえず、お約束ということで。

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 相も変わらずというかいつも通りというか、期待を裏切らせない面白さでした。『ねじまき鳥〜』みたいな混沌めいたものはあまりなかったけど、やっぱり推し量ることのできない深さと吸引力を有している。
 正直、これ以上のことは「自分で読んで確かめてください」としか書けないですな。つうか、この作品をきちんと論ずることのできる評者なんているんだろうか。100人評者がいたら、100人とも全然違ったことを書いてそうな気がする。
 というのは、この作品は物凄く「自己の内面」が投影されやすいものだと思うんですな。それは、主人公が15歳の少年であり、誰もが経験したであろう煩悶や葛藤が描かれているからだろうけど。そういう意味では、春樹さんの作品としてはわりかしストレートなテーマだったのかもしれない。まァ『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』も、書かれた当時にしてみれば同じような感じだったのかな。その時代に生きてないから知らないけど。
 この小説は、作品っていうよりも、触媒としての意味合いが強いんじゃないかと思うですよ。読んだひとは、自己という鏡を、フィルタを通して、そこにひとつの「何か」を見出す。その「何か」が何なのかは本人にしかわからない。価値観かもしれないし、今後の生き方かもしれない。過去に想いを馳せるひともいれば、未来について考えるひともいる。あるいはそれは「ひとつ」ではないのかもしれない。それこそ千差万別です。
 文学作品というのは、往々にしてそういう性質を孕んでいます。いわゆる「自己の内面を抉る」ってやつ。春樹さんの場合はその抉り方が尋常でないというか、特殊というか。それが作品であることを忘れてしまうような抉られ方をするんですな。そもそも何でこんなのが作品として成立してるんだろうと、毎度のことながら不思議でならない。でも、ちゃんと作品になっている。それこそが春樹さんの春樹さんたる所以なんでしょう。
 春樹さんの作品が国外でも受けているってのは、作品性以上に、そういう「内面の投影」みたいなものが感じ取れるからなのかもしれんですな。そこにあるのは鏡に映った自分の姿。だから文化もなにも関係なく受け入れられる。内面を投影する装置としての作品。あるいはそうかもしれない(無理やり春樹調でシメた)


 わたしも「個人的に」思うところは色々あったけど、それを書くのは自分のヌード写真を晒すのと同義なぐらい恥ずかしいことなので、死んでも書きません。ヌード写真が欲しいかたは個別にご相談ください。一肌脱ぎます。美少年限定で>犯罪です
■コンフェデ決勝を見る(2005-06-30 22:57:59)
にわかファンは決勝だけしっかり見る……と言いたいところだけど、今回はけっこう見てしまった。日本戦はもちろん全部見たし、決勝トーナメントもアルヘン×メヒコとか3位決定戦とかも気がついたら見ていた。
まァそんなわけで、この大会で気になった選手を何人か紹介。

・加地さん
日本代表の素敵な右サイド。1対1の場面でも勝負せずに後ろにパス、クロスを上げるタイミングでも上げずに後ろにパス。そんな慎重派なプレイが一部のファンに大人気だった彼が、今大会では驚くべき変貌を遂げる。サイドへの鋭い切り込み、鋭いクロス、そして右からの強烈なミドル。加地さんが、あの加地さんがピッチ上で輝いている。世界の目を釘付けにした彼はいつしか、カフーならぬ「加フー・亮」と呼ばれ、敵から恐れられる存在となった。彼らは口々に言う、「あの右サイドは危険だ」。世界一デンジャラスな日本の右サイドに、今後も目が離せない。

・アドリアーノ
ブラジルのリアル・ハルク。つうか何なんだこいつは。あの左足のシュートはシャレにならん。日本戦は腹の具合でも悪かったとしか思えない。もしくは日本相手ということで余裕こいて徹夜でPS2やってたとか。もしそうだとしたら、引き分けに持ちこめたのはソニーのおかげということになるな。さすがは日本が誇る世界のソニー。ナイスアシストだ。

・コロッチーニ
アルゼンチンの殺し屋。ターゲットを定めたら、ボールそっちのけで体当たり、足引っかけ、スライディング。そのあまりのダーティっぷりに、気がつけば彼がボールに触れる度にドイツの観客全員がブーイングするようになってしまった。世界を敵に回した彼は、ますますダーティなプレイに磨きをかけて、今日もどこかでブーイングを浴び続ける。
■NHKの「視点・論点」(2005-06-28 04:29:37)
「早起き・早寝・朝ごはん」というテーマを夜中の3時に流すセンスに惚れた。
番組のシメに「やっぱり早寝早起きは大切ですね」と言い切った解説者のあの笑顔を、僕たちは永遠に忘れない。そう、彼こそが深夜番組から子どもを救う救世主だったんだ。ありがとう、東京北保険病院副院長、神山潤先生。これからは「視点・論点」なんて観ないで早く寝ることにするよ。嘘だけど。
■自分より若いサイトが閉鎖すると決まって鬱になる件について(2005-06-23 03:27:43)
とりあえず、お疲れさんでした。

昔は懇意にしていたサイトが閉鎖すると「なんでやめちゃうかなァ」と常々思ったものでした。けど、今は逆に、閉鎖するのが自然な流れなんだろうなと思うようになりまして。趣味で始めた個人のサイトなんざ、そんな長いこと続くはずがない。自分の身の回りの状況は刻一刻と変わっていくわけで、その結果「サイトを始めた頃」と「現在」では明らかなギャップが生じることになる。で、そのギャップに対処しきれなくなれば、サイトを閉じるしかない。当然、というか、ヒトがヒトとして活動している限り、これは必然の流れなんでしょう。
ところが、その「自然な流れ」に反している人間がいる。そう、何を隠そうワタクシのことでございます。
「個人のサイトなんて10年も20年も続けるようなものじゃない」と以前どこかで発言した覚えがありますが、その「10年」に我がFlying Squirrelは近づきつつあります。ここまで来ると、続いているということ自体に嫌気がさしてくるんですな。運営には特に支障はない。わたし自身もこういうのが好きだし。でも、まァ、なんというか、荒野のただ中にひとり取り残されているような感覚が、しばしば去来することがあるわけで。曖昧な物言いですんません。

もうこうなったら10年でも20年でも続けて、「世界で最も古い個人サイト」を目指してやろうかと、半ばヤケクソ気味にそう思っている今日この頃でございます。
■遙かネットの昔話 「『裏伝言板』事件」(2)(2005-06-19 00:56:24)
 どうにかこうにか受験が終わって、早速ネットに繋いで裏伝言板に行ってみる。するとなにやら不穏な空気が。投稿を遡って見てみると、発端はまったく知らない人間からの書き込みからでした。投稿者名は「す〜ぎ〜」。本文の細かい内容は忘れてしまったけど、名前だけは今でもはっきり覚えています。
「あなたは軽い気持ちで書いているのかもしれないが、その行為によって多くの人に誤解を与え、また迷惑を被っている人もいるということを、どのように認識しておられるのか」
 彼の発言に対し、N先生も一通りの反論を見せます。ここはコア読者のための場所で、こうした発言もある程度なら許可されているのだと。しかし、その書き込みの直後、まるで何かを察したかのように、発言を翻してこう書き込んだのでした。
「誰に見られているか分からない場所でこういう発言をすることを咎めているわけですね。
 じゃ、ここのカキコやめます。
 見てる人にあらぬ誤解を受けさせてはいけませんからね」
 その発言を最後に、N先生は裏伝言板から姿を消しました。わたしが見たときには、その書き込みは既に2週間以上前のものになっていました。完全に、手遅れでした。
 N先生がいなくなった裏伝言板に、わたしは居座り続けました。それはある種での意地でもあったし、もしかしたらN先生が戻ってくるんじゃないかという淡い期待も僅かながら包含していました。毎日書き込むことはなくなったけど、暇さえあれば人気のない伝言板を訪れ、独り言ともつかない発言を残していきました(たまにはJ氏もつき合ってくれましたが)。その結果、この場所には「誰かが棲んでいる」というミステリースポットのような噂が広まってしまったわけですが(笑) わたしの裏伝言板通いは、J氏がサイトを閉鎖するまで続きました。

 とまァ、これだけならよくある掲示板上でのトラブルに過ぎないんですが、ひとつ、気にかかる点がありまして。というのは、それから数年後に、某所でとある「噂」を耳にしたんですね。
 それは、今はなきエニックス系サイトの管理人と、エニックスの編集者との「関係」。その編集者というのが、今は既にエニックスを去り、別の……いや、これ以上言うと特定されそうなのでやめときます。とりあえずコードネームとして「工兵」と仮称しておこうか。ちなみにサイト管理人のほうは、当時エニ系サイトの中心的存在だった、あの方です。
 まァ、普通に聞いただけでは突拍子ない話です。どうせガセネタだろうと思います。でも、わたしはそう思えなかった。なぜなら「工兵」と、裏伝言板でN先生を追い出したあの投稿者との間に、ひとつの「関連性」を見出したからです。あの時期にそうやってエニ系のサイトを見ていたのであれば、あの書き込みも――。
 いや、所詮は邪推に過ぎないんですけどね。大体もしホントにあの書き込みが彼だったとしても、それがどうしたという話だし。編集者がネットやってちゃ駄目なのかというわけでもない。そもそもわたしにしたって、ギャグ王の編集者とメールしてたのだから。でも、関係者がそれとは知らせずに自分(の会社)に不利な発言をやめさせて、それにこちらがまったく気づきもしなかったというのが、なんだか気持ち悪いし、悔しい。実際のところは当人以外には判らないだろうし、おそらく今後も解明されることはないでしょう。けど、たとえ遠い昔にあった些細な出来事だとしても、その当時のわたしにしてみれば大きな「事件」であったのだということを、「す〜ぎ〜」さんには知っておいてもらいたいと思います。


※この昔話はフィクションです。登場する人物に心当たりがあっても、決して本人に問い合わせたりしないように。
■遙かネットの昔話 「『裏伝言板』事件」(1)(2005-06-18 18:40:57)
 わたしがJ氏のサイトの存在を知ったのは、ネットを始めてちょうど1年といった時期でした。
 きっかけは何てことはない、「エニックス」で検索をかけたらたまたま引っかかったんですな。こんなサイトがあったのかと感心しつつ見回っていたら、なんと伝言板に、「あの」N先生が普通に書き込んでいるではありませんか。ネットってすごいなァとつくづく思いつつ、わたしも下心ミエミエで書き込んでみる。即座に反応してくれたN先生に、すっかり舞い上がるむささび。調子に乗ったわたしは、しばらくサイトの話題そっちのけでN先生との会話に興じてました。ちゃんとサイトの趣旨に添った話をしたいひとたちにしてみれば、ウザいことこの上ない。いわゆる「板違い野郎」ってやつですな。はっはっは。
 で、さすがにN先生もそのことを気にしたのか、「我々だけでここを占拠しているのもアレだから、別に隔離場所を作ってもらえませんか」と管理人のJ氏に申し出て、J氏も了承する。そうして設置されたのが、「裏伝言板」でした。表の伝言板にはサイトの内容に関する話をしたいひとが書き込む。その一方で、「裏」にはそれ以外、つまり日々の雑談やらディープな話題やら、表に書けないようなことも書き込むことができた。当然わたしは「裏」の人間になりました。
 裏伝言板で、わたしは何の気兼ねもなく毎日のように下らんことを書きまくってました。折しも自分でサイトを開設した時期でもあり、なんか色々と舞い上がっていたんでしょうな。N先生も負けじ(?)と、当時連載中だったマンガの話とか、他の作家さんの裏話とか、他では聞けない話題を提供してくれました。そして、その際によく名前が出てきたのが、4コマ作家のYでした。数年後にはネット上にその名があまねく知れ渡ることになるわけですが、この時期すでにYの悪行はN先生の口から語られていたんですね。エニックスの作家が集まるパーティに一般ピープルを紛れ込ませて他の作家さんに迷惑をかけたとか、大して親しくもない女性の作家さんに「エロ絵を描いてくれ」と書いたファックスを送ったとか、その内容はどれも衝撃的なものばかりでした。マンガを読んでいるだけでは、とてもそんなコトするようなイメージは無かったですからね。
 ちなみに、その1年ぐらい後に、N先生が開いたサイトにYが乗り込んで大喧嘩した挙げ句、サイトを追放されたという出来事もありました。まァ、それは当時あのサイトを見ていた者なら覚えていると思います。
 年が明けて、1月から2月の上旬まで、受験態勢に入るためにわたしはネットを離れました。ええ、実は当時受験生だったのですよ。ネットに繋がないからといって、それで勉強に集中できたのかというと実際はそうでもなかったりするんですが(苦笑) きっちり断たないとホントにズルズルとネットやってそうな感じだったので、泣く泣くモジュラケーブルを引っこ抜きました。そして、最悪なことに、事件はその留守の間に起きました。
■CL決勝を見る(2005-05-26 15:10:20)
予選とか他の試合は全く見ない、予備知識もほとんどないという中で、決勝だけはしっかり見る。これぞ、にわかファンの正しいあり方。

前半はミランの華麗なプレーを華麗にスルーしつつ、ガットゥーゾの濃い顔をひたすら鑑賞。なんかいいぞお前。キャラ的に非常に気に入った。『ロードオブザリング』でいうと、ギムリみたいな奴だ。
後半、中盤を厚くしたリバプールが反撃に転じる。開始15分で一気に3点取って同点。どんな試合だよおい。それにしてもリバプールのGKはいいのか悪いのかわからんな。ボールをこぼして大ピンチにしたかと思えば、強烈なシュートを止めたりもするし。何かこいつにはオーラを感じる。要注意だ。
延長は一進一退が続いて、微妙に眠くなる。いや、やってるほうは必死なんだろうけど、見てるほうとしては、ね。リバプールがどうにかこうにかミランの攻撃に耐えきって、試合はPK戦に。
ここで奇跡が起きた。リバプールのGKデュデクがやってくれました。ゴール前で右に左に小刻みに動いて、リアル・インベーダーゲーム。さらにはクネクネ踊りを披露してキッカーの笑いを誘う。つうか蹴る前に前に出てるって。いいのかよおい。すっかり調子の狂ったミランは3人が外してジ・エンド。リバプールの優勝と相成りました。

にわかファンでも楽しめるいい試合でしたな。やっぱりサッカーは面白い。





え、野球?
あァ、そういえばやってましたね、オープン戦。
開幕が待ち遠しいです。
■SM首脳会談(2005-05-16 14:45:58)
去る14日、未来の首都名古屋において、Shira・むささび両者によるトップ会談が行われました。
当日は天気にも恵まれ、穏やかな日射しが照りつける地上ではなく暗くじめじめした地下街で再会を果たした両者は、そのまま昼食をとりに喫茶マウンテンあんかけスパの店へと向かいました。そこで「第2次ショタブーム」等の諸問題に関し和やかな議論が交わされた後、ショタキャラ「義直きゅん」が初代城主を務めた名古屋城へ。シャチホコを触ったり背中にまたがって天下を取ったりして、奥ゆかしい名古屋の文化を満喫しました。

しゃちほこ
※写真はイメージです。

両者はその後、「名古屋のスタバ」と呼ばれるコメダ珈琲店へと場所を移し、珈琲店なのにふたりともコーヒーを注文しない中、本題である「SO同人化」問題に関して話し合いが行われました。

むささび:「表紙どうするよ」
Shira:「キャラ全員出せばいいんじゃね?」
むささび:「それなら配分を決めないとな」
Shira:「クロード編はアシュトン、プリシス、レオンで、レナ編はディアス、ボーマン、オペラ、エルネスト……」
むささび:「セリーヌはどうする?」
Shira:「それぞれの本の右端、左端に半分ずつ描けばいいんじゃね」
むささび:「二冊を繋げると一人のキャラになるんだな。さすがセリーヌだ。ビクともしないぜ」
ジーコさん:「カンペキダ!」

約2時間の会談を終えた両者は、そのまま夕食を共にし、さらにShira氏の仮公邸にも招待され、朝まで晩餐会が繰り広げられました。ところがその席で、Shira氏がSO3を未クリアであったことが発覚。SOサイト管理人にあるまじき失態にShira氏は陳謝し、今後はしっかりクリアしておくことを確約して、その場を収めました。
会談を終えてむささび氏は「実に有意義な会談だった。今後も話し合いを継続して、平和的に解決したい」と語りました。また、ショタキャラ参拝問題に関しては「他人に干渉される性質のものではない」と、こちらは強気の姿勢を崩していません。
■久しぶりにニュースグループに行ってみた(2005-05-12 13:50:10)
何年ぶりだろうか。ADSLになってからは間違いなく行ってない。

ざっと見て回ったけど、全力全霊寂れまくってる。最近の記事の日付が1年以上前。ここは1ch.tvですか? 日本のNGなのにやたらと横文字の宣伝記事が目立ってるし。
他の国の事情はわからないけど、とりあえず日本ではすでにNGは死に体のようです。まァ、日本には2chがありますからねぇ。あの、全てを呑み込むブラックホールみたいな巨大掲示板群を前にしては、かつてのUGの権化であったNGも為す術なく呑まれるしかなかったか。

とはいえ、わたしも別段NGに思い入れがあるわけではないのだけど。ネット始めてすぐにWWWのほうに行ってしまった人間なので、実はそれほど利用していなかったりします。
■また万博に行ってきました(2005-05-05 04:15:08)
今回は夜間割引(午後5時以降)で入場。
GWだけあって夜でも人多杉。

つうか、グローバルハウス(マンモス)って、事前予約と整理券でしか入場できんのですな。
整理券の配布は大体いつも昼間のうちに終了してしまうので、夜から入場組は実質観覧不可能ということに。むぅ、これはどうなのかなァ。

こないだ行ってないパビリオンにも、ちょっとだけど入れました。
長久手日本館はそこそこ面白かった。
下手に企業パビリオンゾーンに駆け込むよりも、こっちを優先してみてもいいかもしれませんな。
■万博に行ってきました(2005-04-20 18:45:53)
ほとんどつき合いで同行しただけですが。しかも予約をまったく取ってなかったので、色々と大変でした。
つうか、平日なのに人多杉。しかも団体客だらけ。小中学生の遠足シーズンなのか知らんが、やたらと黄色い帽子や学生服の集団が目立っていた。あまりにも多すぎて目の保養どころではなかった。
企業パビリオンは案の定、長蛇の列。わたしも並んでいくつか見てきましたが、正直、そんな長時間待って入るようなものでもないような。あくまで「パビリオン」であって「アトラクション」ではないですからね。予約をきっちり取って余裕を持って入ることをおすすめします。「あんなに並んだのにつまらなかった」とぶーたれることのないように。

むしろ、外国館めぐりのほうが個人的には楽しかったですな。それほど待たずに入れるし(というか、何で外国館にまで行列ができてるんだ)。予約が取れなかったひとは、ゴンドラか無人バスに乗って会場の南まで一気に行って、そこからぶらぶらと散策してみるのも良いかもしれません。
■サイト運営と「ネット人格」(2005-04-13 19:30:29)
 かつてはきりまるさんの「エニックスのお部屋」、ジェンドさんの「夜麻みゆき同好会」、そしてわたしの「Flying Squirrel」がエニックス系サイトの三本柱と言われたとか言われなかったとか。 いや、うちがエニ系サイトの代表格になるのは無理があるか。実際に三番目に入るべきなのは胡桃林タットさんだろうな。

 まァとにかく、うちのサイトは古いです。埃まみれです。カビも所々生えてきてしまってお手入れが大変です。でも続いてる。なんでだろう。自分でもわからん。多分こういうのが好きなんでしょうなァ。
 きりまるさんやジェンドさんのサイトは、当時にしてはかなりのアクセスを誇っていました。この二つは間違いなく、あの時代のエニ系サイトの中心にあった。けど、今はない。ピーク状態のまま、突如として閉鎖されてしまった。
 サイトを始めたもののろくに更新せず、すぐにやめてしまうってのは、よくあるパターンだし、そっちのほうはまだわかる。けど、圧倒的な人気と知名度を確立していたひとが、突然サイトを閉じてしまう心理というのが、あの頃はまったく理解できなかった。けど、今になって、なんとなくだけど、わかったような気がします。
 なんか、長い間同じ名前でサイトやってると、だんだん窮屈になってくるんですね。自分のサイトなのに自分の居場所がなくなるというか。言いたいことが言えなくなってしまう。
 ネット上の「人格」とリアルのそれとは、やっぱり別にして考える必要があると思います。普段は無口な奴でもネットではベラベラ喋っていたりしますから。わたしのことかい。しかも、その「人格」は往々にして周囲の環境によって形成されていく傾向があるみたいで。
 たとえば、わたしがショタコンであることは周知の事実ですが、これも元はといえばわたしの「男の子も好き」という何気ない一言からでした。それが周囲の有象無象(失礼)に誤解を受け、曲解され、いつしか「むささびはショタコンである」という非常に遺憾な烙印を押されてしまったのです。悲しい話です。実際のわたしはそんな趣味は持ち合わせておりません。むしろロリです。14歳未満の女の子にしか興味ありません。
 ……と言ってみたところで、ここにはリアルのわたしを知っているひともいるので、通用しないと思いますが(笑)
 閑話休題。
 ネット人格ってのは本人の意識とは無関係に形成されていきます。たくさん人の集まる人気サイトであればあるほど、その傾向は顕著になる。本人も最初のうちはその人格を「演じる」のが楽しかったりもする。けど、時間が経つにつれて、だんだん「演じる」のがウザったくなってくるんですね。成長したり環境が変わったりして考え方や心境に変化があっても、ネット上の人格はずっと変わらない。もともと自分が意図して作った人格ではないから、自分でどうこうできるものではない。そこにある種の「乖離」が生じてしまうわけで。で、そのネット人格を演じることに限界を感じたら、それをひといきに放棄する。つまり、サイトの閉鎖です。
 きりまるさんにしてもジェンドさんにしても、今はネットの別の場所・違うHN(あるいは匿名)で普通に活動していることでしょう。サイトそのものを放棄したというより、そこに付随する人格から解放されたかったのかもしれないなァと、ひとり勝手に物思いに耽っている今日この頃でございます。

 ちなみに、わたしはとっくにやめる時期を逸してしまったので、ずっとこのままやっていくことになるかと思います。今後ともよろしくです。
■夜麻みゆき完全引退(2005-03-22 16:05:54)
なんか知らないうちに刻の大地の終了宣言が出ていたようで。

わたしが「むささび」としてネットで活動するきっかけになったのが、夜麻先生のファンサイトでした。それだけに、色々と思い入れもあるわけで。
レヴァリアースは掛け値なしの名作でした。幻想大陸も不思議な魅力を醸していた。そして、それらを繋げる物語として始まった、刻の大地。いかんせん話が広がりすぎましたかね。じっくり、きっちり描こうとする意識が、むしろ重圧になってしまったのかもしれません。

それにしても、わたしがエニックス系の雑誌に深く入り込んでいた時代の作家さんたちが、どんどんいなくなっていくなァ。今ではもう、柴田亜美と浅野りんぐらいか。


(追記 3/23 14:10)
上のリンクが切れた場合はこっちに
■「南セントレア市」幻に(2005-02-28 00:09:07)
合併そのものが成立しないなら、どうしようもない。
名前以前の話だったわけですか。

むう。なんだか消化不良だな。せっかく面白いネタ全国区で話題になってたのに。
「南セントレア市」こんなに素敵で無敵なネーミングはないと思うんだけどなァ。勿体ない。


よかったら、これからも時々思い出してくださいね、「南セントレア市」のこと。
わたしも決して忘れないよ、「南セントレア市」。
ヤンキー的な「遷都麗空市」も素敵だったね。
楽しい夢のひとときをありがとう。
さようなら、「南セントレア市」。


FOREVER
南 セ ン ト レ ア 市
■エニックス刊の単行本に挟まっている新刊広告(2005-02-25 00:10:08)
元々はエニックス系の機関誌(オフラインで勝手に作ってた)を作る際の資料としてとっておいたのが始まりだったんですが、そのうちに集めるのが習慣になってしまって、気がついたらこんな数に。画像サイズ大きいので注意。

いちばん古いのが8年半ほど前のこれ。

ちょーこがまだ連載されてる。懐かしい。

これってそのうちレアなお宝になったりするんですかねぇ。集めてるひとは普通にいそうだけど。
■今いちばん納得いかないこと(2005-02-24 00:05:16)
それは、

1=0.99999999...

ということ。9は無限に続くのね。

数学狂の某氏にいろいろ解説されて、その場ではなんとなく納得したけど、後で考えると物凄い詭弁のような気がしてきた。「1と0.9999...の間に隙間がないからイコールだ」って、どんな理屈だよおい。隙間って何だよ隙間って。数字の話で隙間なんて言われてもイメージできんっての。
そもそも0.9999...と無限に続くっていうのがまず腹立つ。無限と一口に言われてもどんな状態なのかが判らん。それは強いのか? 食えるのか? せめて年齢と種族と性別とHPとMPと各種ステータスはきちっと設定してくれないと困る。何の話だっけ。まァいいや。
いちおう「無限の定義」ってのも教えてもらったけどね。えーと、なんだったかな。自然数の集合|N|があるとすると、

|N|>x の場合、xは有限、
|N|<x の場合、xは無限

だったかな。間違ってたら訂正よろしく。
まァ、机上でさらさらっと書くのは簡単だけど。実際にイメージできる話ではないというのが文系には辛い。確かに存在はしている、けど実感はできない。そういう意味では「数字の地縛霊」なんて言い方もできるかもしれない。


(18:05 追記)
当の数学狂氏から「無限の定義が違う」とメールで激しいツッコミがあったので、訂正しときます。
有限と無限の定義を端的にいうと、

集合Xに対し自然数nと全単射F:n → Xが存在するとき,Xは有限集合という.
そして有限でない集合を無限集合という.

ということだそうです(棒読み)
ええ、わたしは1ミリも理解できてません。
後日また小一時間ほど説教食らう羽目になりそうです('A`)
■「南セントレア市」住民アンケート(2005-02-13 12:44:12)
ローカルのニュースでは委員が開き直ってました。
その姿勢や良しッ。

良識ある住民の皆さんなら、きっと「南セントレア」に一票を投じてくれるものだと期待してます。
惜しむらくは「遷都麗空」が候補にないことか。
■本棚をあさっていたら(2005-02-11 12:36:17)

懐かしいものを発見。

今は亡きギャグ王の知る人ぞ知る名作『ミョンミョン博物記』の自費出版本です。
後半部分が乗っていないのが残念。
その節は郵便為替の送り方も知らず、先生方に色々ご迷惑おかけしました(照)

この本って結局いくつ刷ったのだろうか。
けっこう早い段階で完売していたような気がしたけど。
■「南セントレア市」再検討(2005-02-10 13:38:47)
ちぇっ。

別にいいじゃん、セントレア市で。世界に誇る愛知の空港の隣の市に相応しい先鋭的で前衛的なネーミングだと思うのに。セントレアだよ、セントレア。centerにairをくっつけたんだぞ。素晴らしいと思わないかね。何なら「遷都麗空市」でもいいよ。市民全員DQNっぽい。おまけに住所書くとき凄く恥ずかしい。これだね。

というわけで、委員の皆さんは批判に負けずに頑張っていただきたい。
■サイトと宣伝(2005-02-08 16:19:36)
現時点で、Evolution Rのアクセス数は27万程度。元祖サイトのFlying Squirrelでさえ、29万弱しかない。やってきた年数を考えると、決して多い数字ではないですな。
別に今さらアクセス数を気にするわけではないですが、客観的にデータとして分析してみると、やっぱり何らかの問題があったと思わざるを得ない。

例のSO小説を本にしようという企画に関連して、あの小説がネット上のSOファンの中でどれだけ認知されているのかを調べてみたら、もうホントに清々しいぐらい、知られていなかったんですね。内容はともかく、あれだけの分量なのだから多少は認知されているのかと思っていただけに、見事にハートブレイクです。
どうもわたしは宣伝というものが苦手で、「サイトは宣伝なんざしなくても、内容が良ければ勝手にひとは集まる」と思っていた節がありまして。けど、それはよほど優れた作り手でないと無理な話で、普通のサイトは地道にサーチエンジンなりリンクなりでアクセスを稼いでいくしかないんですな。2chのひろゆきでさえ、開設当初はあめぞうに宣伝カキコしまくって住人にウザがれていた。
結局のところ、ちっとも宣伝しなかったことが、認知度の低さというツケになって今頃回ってきたということかもしれない。別に知られなくてもいいやと思ってましたしね。けど、こういう肝心なときにはそれがネックになってくるわけで。

ということで、今頃になって慌てて宣伝活動に勤しんでいるわけです。本作りの件、何卒よろしくお願いします。
■ある程度は覚えているけど(2005-02-01 02:28:38)
PCを使うようになってから10年近くになるというのに、未だにブラインドタッチができません。
カナ入力というハンデがあるとはいえ、いい加減にキーを見ないで打ちたいものだけど。

というわけで、このエントリを試しに下を見ないで打ってみる。
うーむ。キーの位置を漠然としか覚えてないので、「あ」が「う」になったり、「を」と「ほ」を同時に押してしまったりして、余計に手間がかかってしまった。

しかし、カナ入力派って今どのぐらいいるんだろうか。
今のPCは大抵、初期状態がローマ字入力になってるから、みんな何の疑問も持たずにローマ字で打つようになるんだろうな。そうしてカナ入力はどんどん淘汰されていく。哀しい話だ。
わたしだって、最初に買ったPCに入っていたATOKが「カナ入力」になっていなかったら、普通にローマ字で打つようになってましたよ。なんであのときのATOKは「カナ入力」になってたんだ。空気読めよ。気に入らない。

というわけで、ATOKはその責任をとって、次のバージョン以降はデフォルトを「カナ入力」にするように。少しぐらいは普及に協力しなさいッ。
■好きしょ4(2005-01-30 02:28:24)
やっとのことでクリア。
そう、実は今までクリアしてなかったんです。
発売して手元に届いてからちょっとだけやったけど、それから色々あってプレイする時間がなくなり放置。で、そのうちにPCの故障やら再インストールやらでゲーム自体をHDDから消してしまい、もう一度入れ直す気も起きず、現在に至っていたわけです。

しかし、今回は妙に難しかったなァ。けっきょく自力でクリアできなかったし。
ちなみになんで今になって再び始めたのかというと、要するにアニメがきっかけだったんだけど。
そのアニメ自体は、なんか話の内容が原作と全然違って軽い感じになってるので、既に観る気がしなくなってます。
やっぱり薬とか多重人格とかで何やかや規制があるから、原作通りにはできないのかな。まほらばも「多重人格」が「変身」と言い換えられてるし。こういう話の根本に関わる要素を規制されると、ものすごく興醒めなんですけど。お子様は観ない時間帯のアニメなんだから、別にいいやん。
つうか、そういう要素はNGなのに、男同士が裸で抱き合ってるシーンはOKなのか。どういう基準なんだ一体。

まァ、ずっとクリアしてなかったことが心残りだったので、これでようやくすっきりしました。
■「南セントレア市」誕生(2005-01-29 00:45:02)
なんだかとってもトレビアン。

しかし、他の案を見てみると。

「遷都麗空(セントレア)市」

なんてのも。
なんだかとってもヤンキー的。
これを考えた委員のひと、大丈夫ですか? いろんな意味で。
■「ぬる〜い」自販機(2005-01-25 00:20:15)
実在した。
しかも豊橋かい。

思わず更新終了していたハズの三笠山委員会を更新してしまったではないか。
いつから置いてあったんだろうなァ。
豊橋というそう遠くない場所だけに、なんだか妙に悔しいです。
■BLOGを検索結果から除外するGoogle(2005-01-21 00:09:18)
その名もBlogless Google。
検索結果にどーでもいいBLOGがやたらと引っかかって煩わしいかたは、どうぞ。

って、BLOGで紹介するのも変な感じだけど。
そもそも、BLOGが検索結果上位に来てしまうGoogleのシステムをどうにかしたほうがいいのかもしれない。
■レーザープリンタ買った(2005-01-18 01:55:39)
こっちの企画の関係で。

家に届いた荷物を見て驚く。
箱でかッ! A4サイズのプリンタなのになんでこんな大きいのかと思ったら、中身はそれほどでもなかった。精密機器だけに、厳重に梱包されてるんやねぇ。本体の設置場所よりも、段ボール箱の置き場に困ってしまいました。

印刷の具合は充分満足。
これなら本文の印刷にも使える。
■萌えだのロリだの一般メディアで使うな(2005-01-07 00:01:10)
なんか例の小林薫について、ネット上での議論が喧しいようなので、わたしも少しだけ。

大谷氏に関しては、単に彼の不快感を表明しただけのものだろうので、これ以上触れる必要もないかなと思います。ただ、あんまり一般メディアでこういう論調をやられると、鵜呑みにしてしまう視聴者が出てきてしまうのが厄介ですが。まァそれも一時的なものかと。
それよりも、下手に市民権を得ようとしてメディアに反論したりするほうが、藪蛇になりかねない。二次元萌えにせよロリにせよ、畢竟大手を振って歩けるような嗜好ではないですから。むしろ大手を振って歩いてはいけないんだと思います。この手の嗜好は、他のマイナーな趣味よりも「興味のない方々を不快にさせてしまう」率が圧倒的に高い。理解を得ようと思ったって、そりゃ無理な話でしょう。

今回の事件は、「特殊な環境下(家族や他人との関係、及びそれによって形成された人格)に置かれた人間」が、「特定の嗜好を持つこと」によって、「自らの裡にあったものを昇華させ」て、引き起こされたもの。「 」でくくった要素すべてが組み合わさらないと、事件は起きない。
「特定の嗜好」は、いわば触媒のようなものです。それ単独では化学反応は起きない。だのに大谷氏が触媒ばかりが問題だとつっつくものだから、触媒の中の人たちも何だこの野郎と反応した。ほとんど場外乱闘ですな。論点ズレまくってる。まァ、そっちの土俵に引きずり込んだという意味では「特定の人たち」の勝ちなのかも。

犯罪を引き起こす「特定の嗜好」ってのは、何もその手のモノばかりとは限らない。チャンバラ時代劇大好きな奴が100人斬りとかやっても、「時代劇はけしからん」という論調にはならんでしょう。時代劇だってバッサバッサと人を斬りまくってんだから、充分刺激的だと思いますけど。事件のきっかけが「文化に根づいた嗜好」なら「異常な精神状態の人間が……」となり、「文化として認められてない嗜好」なら「そういった嗜好が……」となる。ある意味仕方のないこととはいえ、確かに不公平ですわな。

わたしの身近にもいましてね……って、この話はやめとくか。長くなりそうだし、思いっきり身内だし。
彼は今、病院にいます。病名で言えば「統合失調」なのだけど、まァ似たようなものでしょう。
彼の場合「特定の嗜好」は、アクション映画であり、ドラゴンボールだった。でも、それらを糾弾しようという気には、なれんですな。


どうにも上手くまとまらない。
まァ一言で言えば「放置推奨」ということです。わたしの見解は。
■これからは禿を「松竹梅」で表そう(2005-01-01 02:12:39)
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中に、かつらメーカーのアルバイトをする話がある。
当該著書から引用すると、

 彼女の説明によれば、僕らは街角に立って、通りを歩く禿げた(あるいは髪の薄い)人たちの数を数えるのだ。そして彼らを、その禿げの進行の度合いに従って三段階に分類する。(梅)いささか髪が薄くなってきたと思える人、(竹)相当に薄くなっている人、(松)完全に禿げている人、の三段階だった。彼女は紙ばさみを開けて調査用のパンフレットを取り出し、そこにある様々な禿げ方の実例を見せてくれた。それぞれの禿げ具合が、進行の度合いによって松竹梅の三段階にわけてあった。

という感じである。
この後主人公たちは実際に地下鉄の入り口に立って、禿の方々の数をカウントしていくことになる。
片方が出入りする人たちの頭髪を見て「松」とか「竹」とか言い、もう片方がそれを記録していく。
時にはたくさんの薄毛の人が通ることもあるが、その場合は「うめうめたけまつたけうめ」と早口で言わなくてはいけない。
存外、髪の薄い人は多いものなのだな。

そこで、わたしは考えた。
このシステムを一般に普及させることはできないか。

禿というのは非常にタブー視されている。
どんなに相手の頭髪が気になっていても、「あなた禿げてますねー」とは口が裂けても言えない。
何故か。
それはつまり、「禿」という言葉自体にネガティブな印象が内在しているからである。
ならば、言葉を換えることによってその印象は払拭できるのではないか。

たとえば、以下のような例文がある。

 切込隊長は、禿である。

これは非常に失礼だ。たとえ事実であったとしても、そのまま正直に口に出してしまうと、対人関係に決定的な支障が生じる。また、隊長のケースは「禿」であるかどうか微妙なポジションにあるため、本人に否定される危険性も伴う。

そこで、次のように言い換えてみる。

 切込隊長は、(梅)である。

これは良い。そこはかとなくマイルドだ。この一文を見て誰が失礼だと思うだろうか。しかも「梅」という単語によってなんだかめでたい気にさえなる。そう、禿はめでたいのだ。そういうイメージを植えつけるには絶好の表現方法ではないか。

これを利用すれば、禿げていても決して言えなかったあの人やこの人に対しても、的確に表現することができる。

 和田会長は、(松)である。
 ケンシンは、(竹)である。


素晴らしい。ポジティブな印象が満載な上、その進行具合までもがこの一文のみで読み取れてしまう。風雅な趣と現代社会が求める実用性を兼ね備えた、まさに今世紀最高の表現技法なのだ。

さあ、皆もこれから、禿げている人を見たら「松」とか「竹」とか面と向かって言ってみよう。
臆することはない。
だって、もはや禿は恥ずべきことではないのだから。



というわけで、ハゲ増しておめでとうございます。
■「小説を書きたがる人々」へ(2004-12-31 01:48:08)
久美沙織インタビュー「小説を書くということ」

『新人賞の獲り方おしえます』や『小説を書きたがる人々』で書いていた内容とかぶってますが、それらを読んだことないひとは、一読の価値アリです。


まァ、普通のひとがネット上に載せる小説なんて、要するに本人が楽しけりゃいいんですけど。
でも、いちおう曲がりなりにも他のひとの目に触れるところに置いてあるんだから、並み一通りの作法ぐらいはわきまえていてほしいものです。
■唸った(2004-12-26 14:55:38)
これはもはやエッセイを通り越して、文学になってます。
コメント欄も含めて、ただただ圧巻。

わたしにはどう足掻いても書けんなァ、こういうのは。
書く必要もないんだろうけど。
■はじめてのヤフオク(完)(2004-12-23 13:45:37)
ダメだ、指定金額ではどうしても競り負ける。
狙ったチケットは全て17500円で落札。こうもきっちり相場が決まっているものなのか。ダメじゃん。
やはり参加者の多いオークションは苦手だ。入札者0の締め切りギリギリの出品物に救世主のようにババーンと入札をかける。そういうのが乙なんじゃねぇか。今までどこのオークションにいたのかって? んなこと聞くな。

そんなこんなで悪戦苦闘しているうちに、指令部から連絡。

指令:コンサート諦めたらしいから、もういい

終わりかよ!
まァ登録料は払ってくれるということなので、素直に入札取りやめ。
結局この3日間はなんだったんだ。無駄にヤフーのバカチンを儲けさせただけじゃないか。気に入らない。


もう二度とヤフオクなんざ利用してやるもんかー(エコー)
■はじめてのヤフオク(2004-12-21 12:18:50)
指令:某コンサートのチケットをゲットせよ
わたし:額面割れしたチケットしか買わないぜ!
指令:少し高くてもいいから良い席を取れ

ちぇっ。
まァ、ヤフオクの利用料(300円)も払ってくれるというから、とりあえず登録。
落としたら即退会してやる。


しかぁし、指定された金額ではとてもじゃないが落とせないことが判明。
そのあと協議の末、指定金額は上がったけど、それでも落札には若干足りない。
何だよ17500円(二枚)で落札って。定価一枚6000円のチケットだぞ。
そりゃ転売屋も蔓延るわな。

どうするむささび。このままひとつも落札できずに終わると、利用料(300円)も貰えない。
残り時間は5日足らず(コンサートは27日)。
果たして登録し損で終わってしまうのか!
次回、「疾風怒濤の年末進行」乞うご期待ッ。
■新選組(2004-12-15 13:53:40)
けっきょく1年通して観てしまったわけですが、まァ良くも悪くも三谷幸喜ライクの大河ドラマだったかな、と。

三谷さんはどちらかというと、物語を壮大に展開させていくよりも、その物語の枠の中にあるミクロな物事を緻密に描いていくというタイプです。
なので、大河ドラマとしては、些かこぢんまりとした内容になってしまったかもしれませんな。
「三谷幸喜の歴史ドラマ」として観れば、充分面白かったと思います。
キャラの立たせ方は相変わらず絶妙だった。
「歴史上の人物たち」ではなく「幕末を生きた人間たち」を描こうとする姿勢は、好きです。
■遙かネットの昔話 「三笠山委員会」編(3)(2004-12-11 15:53:02)
■其の三「復活」
さて、「エニックスから返事が来たらやめる」ということでしたが、待てども返事は一向に返ってきません。
どうしたものかと思い悩んでいたとき、わたしの与り知らぬところで大きな動きがありました。
「うめじゅく」の半閉鎖です。

もちろんショックも少なからずありましたが、それ以上に困ってしまいました。
委員会をやめようと思ったのは、うめじゅくというファンの集まる場所が他にあったからこそ。
けれど、その「場所」がなくなってしまった。
これではこちらもやめるわけにはいきません。
やむなく、わたしは委員会を継続させました。

そして、この一件で考えました。
いつから「やむなく」になってしまったのか。
何のために委員会を始めたのか。
せっかくこれだけのコンテンツを作ったのに、これだけの会員が集まっているのに、ろくに行動もしてない。
もう一度、原点に返ってみてはどうだろうか。
もはや昔のようなテンションは戻ってこないだろうけど、それでも、せめて登録してくれた会員の期待に背かないだけのことをしてみよう。

ここから委員会の立て直しが始まりました。

まずは、ほとんどゲストブック状態だった会員を整理するところから始めました。
会員全員にメールを送って、継続の意思確認を求めました。
その結果、会員の数は半数以下になってしまいましたが、まだ動ける会員もこれだけいるんだと知ることができました。

次に、会員に「会報らしきもの」をメールにて送って、委員会で活動していること、活動しようと思っていることを随時報告することにしました。
これはわたし自身においても、委員会での活動をサボらないための戒めという意味がありました。

それから、活動内容についても見直す必要がありました。
その頃の目標は「愛蔵版発売」にはなっていましたが、唯一の方策だった署名は見事にスルーされてしまいました。
これから何をすればいいのか。
活動する手だてをいろいろ模索していたところ、とある会員からひとつのサイトを紹介されました。
それが、「たのみこむ」でした。
作ってほしいと思うものを発案し、得票の多いものから順にスタッフが実現に向けて交渉してくれるというサイト。
うめ謎の発案は「3巻発売」という形で既にありました。
けれど、しばらくしてサイトがリニューアルされると、その発案はクリアされてしまいました。
そこで、わたしが改めて「愛蔵版発売」と発案をし直して、これを委員会での活動の軸にすることにしました。

発案の票は順調に伸び、同じジャンルの中で3位前後を占めるまでになりました。
一方、「復刊ドットコム」というサイトでも別のひとがうめ謎の復刊を提案して、こちらもかなりの票を獲得していました。
どちらもサイト内での実現はならなかったけど、のちの「完全版」発売に大きな影響を与えた(らしいです。)

2002年の2月には、委員会として初めてオフ会を開催しました。
参加してくださったみなさんはホントにありがとうございました。
個人的にはいろいろ後悔したんですが、全体としては悪くなかったんじゃないかと思います。
そもそも、てんでんばらばらだった以前の委員会を考えれば、オフを開けるまでにコミュニケーションが取れるようになったということ自体が、大きな進歩だったと思います。

さて、この後の展開はあえてわたしから言わなくても、みなさんよくご存知でしょう。
長らく半閉鎖していたうめじゅくに「完全版」発売の告知が流れ、懸案だった原稿も無事にエニックスから帰ってきて、そして12月20日。その日を迎えたわけです。

わたしの気まぐれと周りのひとたちの後押しによって始めた、この「三笠山委員会」ですが、その活動が完全版という形で実を結んだことは、本当によかったと思います。
拙い舵取りでしたが、それをサポートしてくだすった会員の皆様には、ひたすら感謝です。
画像やアイコンなどの素材を提供してくださったかた、スクープを報告してくださったかた、わたしのよくわからん企画につき合ってくださったかた、「たのみこむ」に票を投じてくださったかた。
今いる会員はもちろんのこと、リストから外れたかたも、参加された全ての会員に、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
■遙かネットの昔話 「三笠山委員会」編(2)(2004-12-10 14:16:32)
■其の二「迷走」
委員会発足後、エニックス関係で懇意にしていた方たちを中心に、少しずつ会員も集まりだしました。
当初は「20人集まればいいほうかな」と思っていたんですが、あれよあれよという間に20人を超えて、さらに増え続けました。
連載が終わってから1年以上も経っていたのに、忘れ去られることなく、いまだ多くのひとに支持されているこのマンガの底力を、つくづく感じたものでした。

1998年から99年にかけての時期は、わたしのネットでの活動のピークでした。
とにかく更新しまくって、書きまくって、曲を作りまくってました。
ネットで何かやってるのが楽しくてしょうがない。そんな感じでした。
まァ、そういう時期だったからこそ、夏センセの「うめ謎を復活させたいなら、その復活の舞台(ギャグ王)も盛り上げていかなければ」という言葉にもすぐ反応して、新サイトを立ち上げることができたんでしょうな。
そんなわけで、今度はネット初のギャグ王専門サイト「ギャグ王振興事業事務局」の誕生となったわけです。

けれども、そうした更新ラッシュの一方、三笠山委員会に関してはほとんど大きな更新を行っていませんでした。
他の更新に熱中するあまり、そっちの活動を忘れていた、というのが実際のところです。
折しもSO2ndが発売して、そのせいで「Evolotion R」の更新が主流になっていましたからね。
会員は順調に増えていたんですが……申し訳なかったです。
わたし個人は楽しかった時期なのだけど、委員会にとっては不遇の時代でしたな。

そんなこんなで停滞気味だったあるとき、サイトに思わぬ来客がありました。
三笠山先生本人です。
これにはさすがに度肝を抜かれました。
そもそも三笠山先生が見ることを想定して作ったコンテンツではないから、勝手にこんなことやって怒られるんじゃないかとヒヤヒヤしてまして。
幸い(?)にも、先生の反応はまずまずだったようで、有難い言葉もいくらか頂戴しました。
一方で、先生の弟さんが委員会に登録して、それを知った先生が解除を申し入れるといった出来事もありましたが、それはまた、別の話。

99年に入ってすぐに、ショッキングな出来事がありました。
ギャグ王の休刊です。
委員会の目標は、再び三笠山先生がギャグ王に戻ってくることだったのですが、その戻るべきギャグ王が、なくなってしまったのです。
ギャグ王事務局は閉鎖して、サイトにかける比重はより一層ERのほうに向けられることになりました。
このまま進展がないなら、委員会もじき止めてしまってもいいかな、と、ぼんやり考えるようになりました。

そんな折に、三笠山先生がサイトを立ち上げました。
言わずと知れた「うめじゅく」です。
たちまちファンが押し寄せて、掲示板も大いに賑わいました。
わたしはその頃には、他のサイトで書き込みをする習慣がなくなっていた(というか、自分のサイトの掲示板を巡回するので手いっぱいだった)ので、うめじゅくにもほとんど書き込みはしませんでした。
そのせいもあったんでしょうな、先生のサイトを訪れるひとたちとわたしとの間に、なんとなく「距離」のようなものを感じてしまったのは。
ネット上の別の場所――三笠山先生自身が動かしているサイトで、「うめ謎の好きなひとたち」のコミュニティができている。
わたしの入り込む余地は、既にそこにはないと感じました。

コミュニケーションの場としての「三笠山委員会」は、もはや存在意義を失っていた。
それなら、最後に委員会でしかできないことをやって、それできっぱり終わらせよう。
わたしはそう決心しました。

委員会でしかできないこと。
それが、愛蔵版発行の嘆願署名でした。
自分のサイトやうめじゅくでも呼びかけて、会員内外を問わず署名を募りました。
そうして集まった79人のリストを添付して、エニックスの飯田氏(ガンガン編集長・当時)宛に「上申書」を送りました。
そのときに書いた内容がこちら
なんつうか、改めて読むとかなり痛い内容なのがアレですが。
自分の普段書いている文章と、かしこまった場合の文体とが中途半端に入り混じった結果、こんな変な文章になってしまった気がします……。

なんにせよ、やることはやって、後は返事を待つばかりでした。
たとえそれが「YES」でも「NO」でも、回答があった時点で三笠山委員会は終わらせるつもりでした。
しかし、いつまで待っても答えは返ってきませんでした。
■遙かネットの昔話 「三笠山委員会」編(1)(2004-12-09 15:48:04)
これは昨年の夏頃、三笠山出月復活推進委員会の「委員会だより」において、会員の方々に向けて書いたものです。
せっかくなので、ここに公開してみます。

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■其の一「きっかけ」
わたしがネットを始めたのは96年の春でした。
Windows95が発売されて、インターネットというのがにわかに注目されだした頃ですね。
そのころは特にサイトを開いたりすることもなくて、掲示板でゲームの話題をあさったりしていただけでした。
そんな折、ギャグ王の編集後記で編集の萩原さんがメールアドレスを載せたことがありました。
ネット人口が少なかったその時代だからこそ、できたことですな。
ちょうどうめ謎最終回の直前だったので、わたしは打ち切りの理由をメールで問い合わせてみました。
その回答は……まァ、今更なので省略します。
それから萩原さんとは何度かやりとりがあって、ほんの少しの間だけど、編集部と繋がっていた時期がありました。
これが第一の「きっかけ」です。

ネットを始めて1年ほど経ったある日のこと。
適当に検索をかけていたら、とあるサイトが目につきました。
「夜麻みゆき先生とその仲間っ!」
黎明期のエニックス系サイトを支えた、ジェンドさんのHPです。
当時エニックスに関するサイトは数えるほどしかなかったんですね。
そんなわけで物珍しさから中を覗いていたら、伝言板にあのお方が。
「投稿者:夏緑」
びびりました。
今じゃちっとも珍しいことじゃないけど、当時のわたしにしてみれば、雑誌で連載中の作家さんがネット上でフツーの会話をしてるのって、ものすごい衝撃的なことだったんですよ。
なんにせよ、こんなチャンスは滅多にないのだから、わたしも記念カキコすることにしました。
そのときの投稿者名が「むささび」。
初めてこのHNを使った瞬間でした。
しょーもない内容だったと思うけど、夏センセはすぐにレスしてくれました。
以来、すっかり調子に乗ったわたしは「むささび」として、こまめに書き込むようになったわけです。
これが第二の「きっかけ」です。

きりまるさんの「エニックスのお部屋」にも触発されて、わたしもその年の7月に「Flying Squirrel」を立ち上げます。
開設当初、うめ謎のコンテンツはありませんでしたが、水面下では制作していました。
ネット界初の「うめぼしの謎」専門ページを作る。それがサイトを始める最大の動機でしたから。

ジェンドさんの伝言板で話をしていると、うめ謎が好きだっていうひとが結構いることがわかったんですね。
それまでは周囲の友人とだけ盛り上がっていて、こんなに多くのひとに支持されていたマンガだとは、知りもしなかったんですが。
まだ連載が終わって間もない頃だったので、「再開してくれないか」「ギャグ王に戻ってきて」という声も寄せられました。

それなら、みんなで三笠山先生の復活を応援しようじゃないか。
そういう場を作ろうじゃないか。
思いは膨らみ、実現に向けて動きだしました。

こうして「三笠山出月復活推進委員会」は、まだまだひとの少なかったネットの片隅で、細々と始まります。
97年の10月のことでした。


続きます。
つうか続くんかい。
■1ch.tvがネットにもたらしたもの(2004-12-05 14:43:29)
つうか、まだあったのか
こっちの板では冒頭から相変わらず電波飛ばしてるし。

2chってのは、現在のネットの象徴的存在なんですな。日本のネットは黎明期から「匿名性」に重きを置いて、発展してきた。で、その総決算というか、帰結点が2chであると。
そうしたネットの匿名性を全否定するということは、ネットの根本を覆すということになる。そう容易くできるものではない。でも1chはそれをやろうとして、見事にコケた。しかもその過程があまりにもお粗末すぎて、逆に「名無しさん」たちを増長させる餌になってしまった。
ただ、唯一1chの功績があるとすれば、あの騒動を通して、多くの人間がネットと2chについて考えるようになったということじゃないかと。1ch自体に意義はなくとも、ああして2chを引っ掻き回したということに関しては、ある程度の意義を認めてあげてもいいんじゃないかなと思います。
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