■ 少年探偵レオン

note 1.出題編 / 解決編note 2.出題編 / 解決編note 3.出題編 / 解決編note 4.出題編 / 解決編
note 5.出題編 / 解決編note 6.出題編 / 解決編note 7.出題編 / 解決編note 8.出題編 / 解決編
note 9.出題編 / 解決編特別篇出題編 / 解決編

note 1. 幸福な悲劇 [出題編]

「忘れ物はない? ハンカチとティッシュは持った?」
「あるよ」
「ほんとうにお弁当はいらないの?」
「かさばるから、いいよ」
「ああ、ほら、寝グセがまだ直ってないじゃないの」
「もう、だいじょうぶだって!」
 はね上がった水色の髪を撫でつける母親の手を振りはらって、少年は不平そうに頬を膨らませた。
「心配しなくても、ひとりでちゃんと行けるよ!」
「でも、船にだって乗るんでしょう? やっぱりお母さんもついていったほうが……」
「やめてよ! 恥ずかしいから」
 気をもむ母親をあくまで突き放す少年。多くのひとが経験あるように、十二歳というのはきわめて難しい年頃なのである。
「じゃ、いってきます」
 少年が言うと、母親は名残惜しそうに子供を見る。
「気をつけてね……道に迷ったら、親切そうなお兄さんに聞くのよ。変なひとには関わり合いになっちゃダメよ」
 親の心知らぬが仏……何か違うような気もするが、少年は半ば無視するように背を向けて歩きだした。
「おぉーい、レオーン!」
 城下町のほうから手を振り少年の名を呼びつつ駆けてきたのは、彼の父親。
「道がわからなくなったら、優しそうなお姉さんに聞くんだぞー!」
 ……そろいもそろって。少年――レオンは父親に見向きもせず、足早に港町へと続く街道を歩いていった。

 レオンの許に一通の手紙が届いたのは、一週間も前のことだった。差出人は、アーリア村のレナ・ランフォード。
『レオン・D・S・ゲーステ様へ
 あの長い長い旅が終わってからはや半年、いかがお過ごしでしょうか。今となっては、あの間に起きたいろんな出来事も、すべて夢の中でのことではなかったかと思うときもあります。
 でも、みんなとの出会いはけっして夢ではありません。それぞれの場所に帰って、ふだんの生活に戻ってからも、私はみんなのことをかたときも忘れたことはありません。もちろん、レオン、あなたのことだって。
 元気にしてる? ちゃんとごはん食べてる? ワガママ言ってみんなに迷惑かけてない? ……なんて、こんなこと言うとお母さんみたいだけど。……でも、心配なんです。あなたが誰よりも優しい子だってことを、私はよく知っているつもりです。そのことを、あなたのまわりにいるひとたちも、ちゃんと受け止めてくれるのでしょうか。お父さんやお母さんや研究所のひとたちと、こころから打ち解けることができているのでしょうか。よけいなおせっかいかもしれませんが、あなたと初めて出会ったときの、あの寂しそうな瞳を思い出すと、どうしても気にしないではいられないのです。
 話は変わりますが……ごめんなさいね、これがあなたに手紙を書いた一番の理由なんです。きたる三月の二十日に、久しぶりにみんなで集まることになりました。ささやかなおもてなしをしたいと思うので、アーリアの私の家に、ぜひともお越しください。
 まずは取り急ぎ、ご連絡まで。当日は元気な顔を見せてくださいね。
 レナ・ランフォードより』

「よく来てくれたわね、レオン! さ、中へ上がって。みんなそろっているんだから」
 玄関で出迎えたレナに手を引かれるまま、レオンは家の居間へと通された。
 そこに集まっている人数のわりに、あまり広いとはいえない部屋だが、料理の並んだ机が中央に置かれ、まわりの椅子も狭さをそれほど感じさせない配置になっていた。フリルのついたレースのカーテンが、開け放した窓から入る風にひらひら揺れる。壁に掛かった巣箱のかたちをした鳩時計がぽっぽう、ぽっぽうと十二時を告げている。
「やあ、ひさしぶりだね、レオン」
 席に着くや否や近づいてきたのは、好青年クロード。最初に会った頃はぜんぜん頼りなくて、自分よりもガキだとさえ思うこともあったが、旅を経て、日を追うごとに、彼はめざましい成長をみせ、いつしか誰もが認めるまとめ役、リーダーとなっていた。
「お兄ちゃんは、今はどうしてるの?」
 机のバスケットからサンドイッチを手にして、レオンが聞いた。
「え……いや、ここのお世話になってるよ」
「この家にずっと居候してるんだってよ。ったく、ぐずぐずしないでとっととくっつきゃいいものを。ふたりそろってオクテなんだから」
 グラスを持って部屋をうろついていたボーマンが下品な物言いをつけると、クロードは赤面して引き下がっていった。
 サンドイッチをぱくついていると、今度はプリシスがやってきて、氷の浮いたグラスをレオンの前に置いた。
「なに?」
「いいから、飲んでみそ」
 彼女の声にどこか不自然さを感じつつも、半信半疑のまま、ストローに口をつけて飲んでみる。すぐに、噎せた。
「きゃはははっ、ひーっかかった!」
 プリシスは手を打って喜んでいる。
「ごほっ、ごほ……なんだよ、これ!」
「レモン・フレッシュ。つまりレモンをまるごとしぼったジュースだよん」
「そこのシロップを入れないと、すっぱくて飲めないよ」
 プリシスの背後から、机の真ん中の透明な瓶を指さして言ったのはアシュトン。背中の双頭龍がそろって馬鹿にするようにけらけら笑っているのが、なんだか腹立たしい。
「プリシスも意地悪しないで、きちんと教えてあげなよ」
「ほーいほい。わっかりましたよー」
 素っ気ない返事をして、プリシスはその場を離れていった。しょうがないな、というふうにため息をつくアシュトン。
「アシュトンお兄ちゃんは、今は何やってるの?」
 双頭龍のほうにしかめっ面をみせておいてから、クロードのときと同じことを聞いてみた。
「僕かい? 僕は今でもずっと旅を続けてるよ」
「『全国樽巡りツアー』とか?」
「そうそう、ラクールの城下町にあった樽が絶妙なフォルムで……って、違ぁうっ!」
「当たらずとも遠からず、ってとこじゃないかしら」
 口を挟んだのはセリーヌ。ちょうどレオンの向かい側に腰かけて、携帯用のヤスリで爪を磨いている。あいかわらず、恥じらいもへったくれもない恰好だ。
「あなた、クロスの酒場の横に積んであった樽をずっと眺めていたら、兵士に不審者と間違われて捕まっていたじゃありませんの。まぁ、そんな怪しげな姿の男が大通りでつっ立っていれば、捕まるのも無理はございませんけど。わたくしが王女でなかったら、あのまま牢に放りこまれていましたわよ」
「う、あれは……こいつらが悪いんだ! こいつらのせいでよけいに目立っちゃうから、いつも……」
「だったら、大道芸人でもやればぁ? きっとウケるよ」
 レオンの天真爛漫な言葉が、アシュトンの胸に深々と突き刺さる。双頭龍のステレオな笑い声を浴びせられ、あわれな彼はよろめきながら立ち去っていった。
「はーい、お待たせ! 自家製クラムチャウダーのパイ包みよ!」
 レナと、彼女の母親のウェスタが、隣の食堂から大きな盆を抱えてやってきた。横目遣いにそっと隣の部屋をのぞきこむと、食堂の奥に台所があるようだ。レナとウェスタが手分けして、盆に載ったパイ包みの皿を机に置いていく。
「はい、熱いから気をつけてね」
 レナはレオンの前に皿を置いたとき、耳許でそう注意した。
「平気だよ」
「あら、そう? てっきり猫舌かと思ったから」
「……それ、バカにしてるの?」
 レオンは片手で自分の耳――猫のように頭の上のほうからピンと突き出た一対のそれ――に触れながら、拗ねたようにレナを睨んだ。その視線に気づいたレナは、哀しいような困ったような微笑を浮かべて。
「ごめんなさい。そんなつもりはなかったの」
 耳を隠すように押さえていた手に、レナの細い手が重ねられる。そっと耳から手をけさせると、彼女は顔を近づけ、柔らかな耳の先に唇で触れた。
「なっ……!」
 レオンはびっくりして椅子ごと後じさりする。目を丸くしてレナを見ると、彼女はいたずらっぽく笑いながら、人差し指を口の前にあてて、『静かに』のような仕草をした。それが何を意味しているかは読みとれなかったが。
 レナが空になった盆を抱えて立ち去ってからも、レオンは茫然とその姿を見送っていた。心臓はまだ、どくんどくんと早鐘を打っている。耳にかすかに残る、せつない感触。そして、鼻の先まで接近した、胸のふくらみ。十二の少年には後者のほうが刺激が強かったらしい。そんなもんである。
 ぽっぽう。時計の鳩がひとつ鳴いた。いつの間にか一時間も過ぎていたのだ。その音で正気に返ったレオンは、ずれた席を戻し、シロップの瓶を取ってレモン・フレッシュに入れる。それから片手でストローをつまんでかき混ぜ、もう片手で頬杖をつきながら、あらためてその部屋にいる者たちを眺めた。
「うん、おいしいよ、このシチュー」
「ありがとう。でも、それ、シチューじゃなくてクラムチャウダーなの」
「ねぇ、レナ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なに、アシュトン?」
「そこの台所にあった樽は……」
「あ、レナ! お母さん、これから夜の買い出しに行ってくるから、しばらくお願いね」
「わかったわ、お母さん」
「あの、それで、あの樽は……」
「買い出しかぁ。夜はいったい、どれくらい作るつもりなんだろうな」
「お客が来ると、いつも奮発しすぎちゃうからね、お母さん」
「宮廷の食事もいいですけど、こういう素朴な家庭料理ってのも、なかなかのもんですわね」
「あの、僕の話……」
「でしょう? セリーヌさんも夜は、どんどん食べてくださいね」
「いいな~、お城の食べ物かぁ。ね、ね、セリーヌぅ、こんど宮廷の食事に誘ってよ」
「テーブルマナーをちゃんと身につけたら、誘ってあげてもいいですわよ」
「ぶー。そんなん、ぜったいムリじゃん」
「身につける気はないんだな」
「よっ、若人諸君、盛り上がってるねぇ」
「やだ、ボーマンさん、お酒くさい」
「台所の樽をのぞいたら、酒が入っていたんでな。ちっとばかしいただいちまったよ」
「それ、夜に出すつもりのお酒だったのに……」
「真っ昼間から飲まないでくださる? うっとうしい」
「けっ、男がちまちまと甘ったるいジュースなんぞ飲んでられるか! なぁクロード」
「あ、ジュースなくなっちゃった。レナ、おかわりある?」
「はーい。ちょっと待っててね」
「クロードぉ……お兄さんは、悲しいッ」
「ど、どうしたんですか、ボーマンさん」
「泣き上戸かえ?」
「いや、ただのからみ酒ですわね」
「ちっ、酔いが醒めちまったぜ。もう一杯汲んでくか」
「ちょっと、ボーマンさん、これ以上飲まないで……まったく」
「そういえば、ディアスは来ていないの?」
「ディアス? ああ、あいつがこんな場に出てくるわけないだろ」
「クロード、そこのコーヒー、誰も飲まないならわたくしにくださる?」
「え……と、これは誰のなのかな?」
「はーい、あたしの。苦いからいらない。あげちゃっていいよ」
「そう。じゃ、セリーヌさん、どうぞ」
「恩に着ますわ。んふふ」
「(あの笑い……また変なことを企んでいるんじゃ……)」
「はい、おまたせ」
「ああ、ありがとう」
「あたしもほかのジュース飲もっかな~」
「あ、私が……」
「いーよいーよ。自分で選びたいから。台所だね?」
「ええ。流し台のところに瓶がいくつか並んでいるから。氷は隣の箱に入っているわ」
「ほーい」
「ボーマン、酔いさましにこんなのいかが?」
「あ~? なんだ、コーヒーかぁ? ……と待て、なんだこの見るからに怪しげな色は!」
「コーヒーと紅茶を半々ずつブレンド。さらにアクセントにレモン・フレッシュを少々」
「気色悪いカクテルを作んな!」
「さ、召し上がれ」
「誰が飲むか」
「逃がしませんわよ。クロード、とっ捕まえなさい」
「おいこら、クロード、てめぇ、いつからヤツの犬になった! 放せ!」
「いや、なんだか楽しそうですから……」
「俺は楽しくないんじゃあ!」
「さあ、覚悟はよろしいかしら」
 セリーヌが陶器のカップを持ってにじりよった、そのときだった。
「みんな~! ちょっとこっち来て!」
 隣の食堂の奥から、プリシスの声が聞こえた。クロードはボーマンを羽交い締めする手を放し、セリーヌは濁った液体の入ったカップを持ったまま振り向き、ボーマンは解放されてホッと胸を撫でおろす。
 彼らは食堂に入っていった。レオンもちょっとは気になったので、あとに続いた。
 プリシスが立っていたのは奥の台所だった。神妙に手招きして、それから流し台の手前のそれを指さした。
「これ、どうしたんだと思う?」
 まるで物でも示すようにして言ったそれは、まぎれもなく、アシュトンだった。ただし、レオンの首丈ほどもある酒樽に頭からつっこんだまま、動かない。背中の双頭龍がうつろな目をしてぐったりと垂れさがっているのを見ると、アシュトン本人も気を失っているのか。周囲の床は樽から飛び散ったしぶきで濡れて、酒の匂いがたちこめている。
「こいつ、なんで酒漬けになってんだ?」
 あまりの滑稽な姿に、ボーマンは思わず吹きだしてしまった。
「愛する樽と心中でもするつもりだったのかしら」
 セリーヌは見苦しそうに眉をひそめている。
「おうい、アシュトン……ダメだ。意識がないみたいだ」
 クロードはアシュトンの背中を揺すってから、首を振った。
「もう、みんな、なんでそんなに呑気なのよ。早く助けてあげなきゃ」
 レナがそう言うので、クロードとボーマンで彼を酒樽から引きずり出して、ひとまず床に仰向かせる。
「だいじょうぶかしら……」
 心配そうに呟きながら、レナは彼の額に手をあてて、回復呪紋を唱え始めた。
「いったい、なんだってんだ。酒を樽ごと飲もうとでもしていたのか?」
「足がすべって樽につっこんじゃったとか?」
「やっぱり心中ですわよ」
「あーあ……こりゃ、かなり酒を飲んでるな。溺れたのかな」
 クロードは、アシュトンの茹で蛸のように真っ赤になった顔を手で仰いでいる。
「『アシュトン、酒に溺れる』シャレにはなりそうだけどな」
「どう、レナ?」
 治療の終わったレナに、クロードが聞いた。
「たぶん、だいじょうぶだと思うけど……でも、窒息してるのだったら、お酒を吐かせて息ができるようにしないと」
「え? それって、つまり」
「人工呼吸、ってことか」
「…………」
 その場に奇妙な沈黙がひとしきり流れた。
「よしッ、クロード、おまえだ! ここはおまえがやるしかない! 女性陣に見せつけてやれ!」
「な、なに言ってるんですか! ボーマンさんこそ、やってくださいよ」
「たった今、トライア神からお告げがあったのだ。おまえは神に背くのか?」
「どんなお告げですか」
「いいからとっととやっちまえ。ほれほれ」
「ボーマンさん、もしかしてさっきのこと、根にもってるんじゃ……」
 クロードとボーマンがもみあっているうちに、突然、アシュトンが息を吹きかえした。ごほごほと、しきりに噎せ返っている。
「ほえ、気がついた?」
 プリシスが彼の顔をのぞきこんで呼びかけると、アシュトンは焦点の合っていない目をそちらに向ける。
「ふぇ? ふりぃしぃすきぇ?」
 なにかしゃべろうとしているが、呂律がまわっていない。
「何をしていたんですの?」
 こんどはセリーヌが聞く。するとアシュトンは、真っ赤な顔をさらに上気させて。
「へ……へ……」
「へ?」
 一同、じっと彼に注目して、次の言葉を待った。
「へ……へにゃらりんにゃりぃてゃふぇ!」
 もがくように腕をばたつかせてそう叫んだあと、また気を失ってしまった。

「殴られたぁ?」
 怪訝そうにクロードが聞きかえすと、アシュトンは小さくうなずいた。
 買い物から戻ってきたウェスタのはからいで、アシュトンは二階のクロードが寝泊まりしている部屋に運ばれ、ベッドに寝かしつけられた。酒に漬かった頭は丹念に拭ったが、それでも匂いは取れそうもなかった。
「頭の……このへんを……よく覚えてないけど、何か固いもので、バコッと……それから、頭が真っ白になって……そこからは……わかんない」
 アシュトンは頭の左側のあたりを撫でながら、ぽつりぽつりと呟くように言う。頬にはまだ赤みがさし、眠たげに半開きになった目はどこに向けられているのかも定かでない。
「わかんない、って……誰に殴られたのかは?」
 クロードが問いただすと、アシュトンは鼻まで布団をかぶって、首を横に振った。これ以上言うことはない、というふうに。
「殴ったやつを、見ていないのか?」
 また、ふるふると首を振る。はっきりしないアシュトンの態度に、クロードは次第にいらついてきた。
「どっちなんだよ。殴ったやつを、見たのか? 見てないのか?」
「なんだよぉ、クロードまで僕をいじめるのかよぉ……」
 アシュトンは涙目になって、鼻をすすりはじめる。
「いや、そうじゃなくって……」
「どうせ僕はグズだよぅ。みんなに無理やりついていった、役立たずのやっかいものなんだ。僕なんか、いなくてもよかったんだろ」
 ぶちぶちとくだを巻くアシュトンに、クロードは深々と吐息を洩らした。
「これ以上は、無理みたいだね」
 部屋の壁にもたれて話を聞いていたレオンが言った。
「そうだな」
 酔っぱらいの相手に疲れたクロードも同意して、ふたりはアシュトンを残して部屋を出ていった。
「結局わかったのは、アシュトンが泣き上戸だったってことくらいか」
 廊下から階段へ降りる最中に、クロードが言った。
「殴られたショックとお酒のせいで、頭の中がぐちゃぐちゃになっているんだろうね。後遺症が残んなきゃいいけど」
 レオンは階段を降りながらそう言ったが、あまり同情しているという口調ではない。
「ま、酒が抜けたら、何か思い出すかもしれないから、それまでこの件に関しては、おあずけだな」
「それじゃ、つまんないよ」
「え?」
 クロードが不思議そうにレオンを見る。階段をジャンプして一気に降りきると、少年は無邪気に笑った。
「犯人を捜そう。まずは、現場検証からだ」
 そのときレオンは、いつか読んだ本に出てくる主人公――豊富な知識と圧倒的な推理力で次々と難事件を解決していく少年探偵――の姿を思い描いていた。ボクだって、探偵になれる、なってみせるさ……!

 台所は、まだ酒の匂いがたちこめていた。床はきれいに拭きとられ、樽も今はしっかりと蓋がしてあるにもかかわらず。
「そういえば、アシュトンがつっこんだとき、樽の蓋は開いていたんだよな」
 食堂から台所に入ったなり、クロードが言った。
「自分で開けたのかな?」
「ボーマンさんが開けっぱなしにしておいたんじゃないの。ほら、あのひと、お酒飲んでいたでしょ」
「あ、そうか」
 レオンは鋭い視線をすみずみまで向けて、注意深く台所を見渡した。
 酒樽は、調理台の手前の壁際に置かれてある。台にはまな板と包丁、それにジュースの入った大瓶が三つほど。その横は流しになっていて、水を張った水槽には洗っていない食器が無雑作に浸かっていた。調理の竈とオーブンは別の壁際に設置されている。窓は竈の上にひとつきり。明かり取りも兼ねているのでじゅうぶんな大きさではあった。窓と同じ壁側の隅には、勝手口の扉もついていた。
 レオンは勝手口の前に立って、扉を開けてみた。外に出て、二、三歩ほど先に小川が流れている。敷地には柵のようなものはいっさい設けられていないので、外からの侵入者が表口を通らずに、いきなり勝手口に入ることもできそうだ。
「あのときも、この扉は鍵がかかってなかったのかな」
 レオンは中に戻って、勝手口を閉めると、扉に鍵がついていることを確認した。
「だとしたら、外部の人間の犯行ということも考えられるな」
「いや、それはないね」
 レオンはすぐに否定した。
「これは、中にいた人間のしわざだよ」
「どうして?」
 クロードが聞くと、レオンは彼に向きなおって、じぶんの頭を指で示した。額の、向かって右上のあたりを。
「アシュトンは、ここを殴られたって言ったよね。ここを殴るってことは、犯人はアシュトンの正面に立ってなきゃいけない。うしろから忍びよって殴られたってんならともかく、見ず知らずの人間と向きあったまま殴られるのを待っていたってのは、おかしな話でしょ」
「つまり、それは……」
「アシュトンは殴られるってことを予想してなかったんだよ。でも犯人の姿は見ている。アシュトンは犯人のことを知っているんだ。危害を加えるような人間じゃないってことも」
「アシュトンがよく知っている人間……この家に集まった仲間、ってことか」
 レオンはクロードにうなずいてから、酒樽の前に歩みよる。
「殴られて、倒れたときに樽につっこんだとすれば、このへんに立っていなきゃならないな」
 と、レオンは樽の隣を占めている、食器棚に目を向けた。木製の棚は両開きのガラス戸がついており、中には皿やグラスなどの食器のほか、乾物やクラッカーやハーブの詰まった瓶もいくつか並んでいた。
「ん?」
 レオンはガラス戸に顔を近づけて、瓶の並んだ棚を注視した。
「なんか不自然だな、このあたり」
 ガラス戸を開けて、ハッカの瓶を取り出してみる。すると、違和感の理由がわかった。
 五つほどある瓶は、横一列にきれいに並んでいる。まるで、店の展示物みたいに。手前の瓶をひとつ取り除いてみれば、棚の奥ががらんどうになっていることがわかる。瓶の列が壁になって、奥の不自然なスペースを隠していたのだ。
「ここって、なにか置いてあったんじゃないかな……」
 棚の前で考えこむレオンをよそに、クロードは調理台の前に立って、探し物をはじめる。
「凶器は、なんだったんだろう。突発的な犯行だとしたら、そこらへんにあったものなんだろうけど……」
「外傷がほとんどわからなかったから、固くてひらべったい……さしずめ、そこのまな板か、食事を運ぶのに使っていたお盆あたりじゃないかな。でも、そんなことは問題じゃないんだ」
「え?」
 クロードが疑問のまなざしを向けても、レオンは気にもとめずに自分の推理にふけっている。
 ぽっぽう。ぽっぽう。ぽっぽう。居間の鳩時計がみっつ鳴くのが聞こえた。それをきっかけに、レオンはひと息ついて、視点を変えて考えてみることにする。
「現場からではこのくらいしかわからないか。だったらこんどは、あのときの状況をから犯人を絞りこんでいくかないね」
「状況、っていうと……事件が起きたときは、全員居間に集まっていたんだよな」
「ちょうど、お兄ちゃんたちがバカ騒ぎしていたときだね」
「バカ騒ぎ……」
 クロードは苦笑した。
「ボクが最後にアシュトンを見たのが、昼の一時だ。それから台所に入ったのだとすれば、犯行が可能なのは、アシュトンがいなくなってから、プリシスお姉ちゃんがみんなを呼んだ三十分ちょっとの間までに、台所に出入りした人間ってことだね」
「えーと、あのとき台所に出入りしたのは……レオンとセリーヌさんはずっと座りっぱなしだったし、僕も台所に行く用事はなかったから……」

「俺たちが容疑者だって!?」
「アシュトンを殴ったなんて、そんな」
「ちょっと待ってよ。なーんであたしまで呼ばれなくちゃいけないのさ!? 最初に発見したのはあたしなんだよ!」
 食堂に集められたのは、ボーマン、レナ、プリシス。
「はいはい、みなさん、落ち着いて」
 いきり立つ三人を、クロードが諫める。
「とにかく、君たちが台所に入ったときの状況を、細かく教えてほしいんだ」
「なんだ、アリバイでも調査する気か?」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「そのとおりだよ」
 クロードの横から、レオンがきっぱりと言った。
(せっかく、ひとが穏便に話を進めようとしているのに……!)
 睨み合うふたりの間で、クロードが頭を抱える。
「犯人じゃないってんなら、それを証明してみせてよ」
「いいだろう」
 そうして、まずはボーマンから、話し始める。
「俺は、二回行ったな、台所へは。最初は、つまみ食いでもしようかと、なんとなしに」
「他に人は?」
「誰もいなかった。んで、樽をのぞいたら酒があったんで、ちょいといただいてから居間に戻った。二度目は……ああ、そのときには、アシュトンがいたな。酒樽の前で、ぼーっと正座してた」
「正座ぁ?」
「ああ。なにしてんのかって聞いたら『樽を見ている』だとよ。つきあいきれんから、酒を汲んだらとっとと居間に戻った……それだけだ」
「私は、クロードにジュースのおかわりを頼まれて……空になったお皿を片付けてから、台所に入ったわ」
 次にそう話したのは、レナ。
「皿を片付けてから、ってことは、台所に行ったのはボーマンさんの二度目よりもあとなのか?」
「そんなことまで覚えてないわ。行きも帰りも、ボーマンさんとはすれ違っていないし」
「そうか……で、それから?」
「やっぱりアシュトンが樽の前に座っていて、私がジュースを注いでいたら、棚のお菓子がほしいっていうから、そこのクラッカーをあげてから、居間に戻ったわ」
「あたしはぁ、べつに言うこともないけど」
 と、最後にプリシスが。
「ジュースをもらいに台所に行ったら、アシュトンが樽に頭からつっこんでいた、って、そいだけ」
「なるほど……どうも、ありがとう」
 クロードは三人にはそう言ってから、レオンのほうを向いた。
「三人とも、アシュトン以外には誰にも会っていないんだな」
「つまり、誰もその行動を実証するとこができない。誰にでも犯行は可能だったってことだね」
「どーして、あたしまで疑われなきゃなんないのさ!」
 憤慨するプリシスに、レオンは目も向けようとしない。
「アシュトンを殴ってから、発見者のようにふるまったかもしんないだろ。いいのがれは見苦しいよ」
「こんの、くそガキ……!」
 プリシスは拳を震わせる。今にも憎たらしいあの頭をポコリとやってしまいそうな雰囲気だ。
 レオンはレオンで、まったくお構いなしに食堂を歩きまわり、考えをめぐらせている。
「ボーマンさんの二度目とレナお姉ちゃんと、どっちが先に入ったのかわからないってのは、誤算だったな……。席を立ったのはお姉ちゃんのほうが先だったと思うけど、皿を片付けてからだから、台所に入ったのはボーマンさんよりも後だったかもしれない……。あのとき、誰が出入りしたのか、もっとよく見ておくんだったな……バカ騒ぎばかりに気をとられていたから……」
 観察眼というものが、探偵をする身においてどれほど大切かということを、レオンは痛感した。
 ぶつぶつと呟きながら、しばらく歩きまわっているうちに、そこにあった椅子の脚に、膝をしたたかぶつけてしまった。
「いっ……!」
 レオンは息をグッと飲みこんで、膝を抱えた。あとからじんじん痺れるように痛んでくる。
「やーい、ざまみろ! 天罰だ!」
 ぶつけた膝をさすりながら、そう言うプリシスをにらみ返したが、こみあげてくる涙で、得意満面のポニーテールの女の子の姿もにじんでいる。
「だいじょうぶ?」
 レナが心配そうにのぞきこんできた。
「へ、へいきだよ。ちょっとアザになっただけだから」
 そう言ったとき、レオンははっとした。膝の痛みもすっかり忘れて、ゆっくりと三人を見渡す。
「そうか……やっぱり、三人の中に、アシュトンを殴ったひとがいたんだ!」
「え? それじゃあ、誰が犯人か、わかったのか?」
 クロードにしっかりとうなずいてみせてから、レオンははしゃぐように言った。
「事件解決だいっ」

----- ここからヒント -----

「三人の証言には、別におかしなところはなかったと思うけど……」
「うん。この証言だけじゃ、犯人を割り出すことは難しいね」
「それじゃあ、どうして犯人がわかったんだ?」
「あの事件が起きたときに、犯人にしかできない行動をしたひとがいたんだ」
「犯人に、しか?」
「そ。思いだしてみて。さりげなくやっているけど、よく考えると、おかしなことをしてるんだ」
「……わからん」
「みんなは、もうわかったかな?」


note 1.出題編 / 解決編note 2.出題編 / 解決編note 3.出題編 / 解決編note 4.出題編 / 解決編
note 5.出題編 / 解決編note 6.出題編 / 解決編note 7.出題編 / 解決編note 8.出題編 / 解決編
note 9.出題編 / 解決編特別篇出題編 / 解決編