■ 少年探偵レオン

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note 1. 幸福な悲劇 [解決編]

「犯人は、レナお姉ちゃんだ!」
「ええっ!?」
 いちばん驚いたのは、クロードだった。
「ど、どうしてそんなことが」
「その前に、ちょっと聞きたいんだけど」
 と、レオンは身をすくめるレナのほうを向く。
「回復呪紋って、溺れたひとには効果あるの?」
「え? ……それは無理よ。呪文で癒せるのは外傷だけだもの」
「じゃ、酒酔いには?」
 レナは首を振る。
「それじゃあ、さっきお姉ちゃんは、呪紋でなにを治そうとしてたの?」
「そ、それは、だって、アシュトンが頭を殴られたから……」
「ほら、言った」
 レオンは得意げに、ひとさし指を前に突きだした。それから、その場にいた者たちを順繰りに見回して。
「みんなに聞いてみようか。ボーマンさんはあのとき、樽につっこんだアシュトンを見て、どう思った?」
「んー? ああ、あんときゃ、ついに樽と心中でもしたのかと思ったぜ」
「プリシスお姉ちゃんは?」
「あたしは、そのへんでつまずいて、転んだんかと。ドジだし、運悪いから」
「僕は……樽をのぞきこんでいて、足を滑らせたのかな、と。それにしても、なんで樽に浸かったままなのかは不思議だったけど」
「そういうことだよ」
 三人にひととおり尋ね終えると、レオンはもういちどレナを見た。
「あのときは誰も、アシュトンが殴られたことを知っていたひとはいなかったんだよ。樽から引き揚げたあとも外傷はほとんど見あたらなかった。みんな、溺れて気を失っているんだと思っていた。なのに、お姉ちゃんはまっさきにアシュトンの頭に手をあてて、呪紋を唱えたよね。アシュトンが頭を殴られたってことを、あの時点でどうやってわかったんだい?」
「それは……」
 レナは言葉を詰まらせて、うつむいた。クロードが、そっと横に歩みよる。
「レナ、ほんとうのことを……言って」
 怒るわけでも悲しむわけでもない彼の、静かな視線。レナはほんの少し顔を上げて、上目遣いにクロードを見る。そして。
「ごめんなさい……」
 か細い声で、言った。
「いったい、どうして?」
 クロードが聞くと、レナはゆっくりと歩きだし、樽のすぐ横にある食器棚の前に立つと、足下の戸棚を開けてなにかを取りだした。包装紙とリボンできれいにラッピングされた小箱と、その上に載った、一枚の封筒。
「それは?」
「クロードへの、誕生日プレゼント。……2ヶ月前に渡すつもりだったんだけど」
 小箱を両手で抱えながら、レナは打ち明けた。
「渡しそびれちゃって、食器棚に、ずっと隠してあったの。……ええ、さっきまでは、そこの瓶の奥にあったわ。でも、アシュトンが偶然、それを見つけてしまったの……」

「あら、アシュトン?」
「やあ、レナ」
 たくさんの食器と空になったクロードのグラスを盆に載せて、レナが台所に入ったとき、アシュトンは蓋の開いた樽をのぞきこんでいた。
「お酒がほしいなら、新しいグラスを持ってくるけど?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」
 一度は首を振ったアシュトンだったが、ふと考え直して。
「……でも、こんな年季ものの樽に入ったお酒なら、さぞかしおいしいんだろうなぁ……。うん、やっぱり飲んでみたくなった。グラスもらえる?」
 樽に年季もなにもあるのかしら、と疑問を感じつつも、レナは盆を流し台に置いてから、棚からグラスをひとつ取り出して、彼に手渡した。アシュトンはグラス半分ほど酒を汲みあげると、一口だけ口に含み、舌の先で転がすようにしてテイスティングしている。
「うん、やっぱり味に深みがある。さすが年季ものの樽だ」
 酒を飲んで樽を褒めるアシュトンに辟易しながら、レナは台所に立ってクロードのグラスにジュースを注ぎ始めた。
「お、なんだかおいしそうなものが入ってるね。すこしもらってもいい?」
「ええ、いいわよ」
 手が放せないレナはアシュトンのほうを向けなかったが、棚に並んだ瓶のことを言っていることはわかったので、そう返事した。
「ありがとう。やっぱり酒にはつまみがないとね」
 オヤジくさいことを言いながら、アシュトンは戸を開けて瓶を取りだした。
 そのとき、彼がなにかに気づいて、棚の奥をのぞきこんでいるのを、背中を向けていたレナが知るはずもなかった。
「あれ、これもお菓子なのかな?」
 ひとりごとのように言った彼の言葉も、食器の山をがしゃがしゃと水の張った桶に入れていたレナの耳には届かなかった。
 食器をぜんぶ盆から降ろし終えて、ふと背後を振り返ったレナは、アッと息を呑みこんだ。アシュトンが、棚の奥に隠していた小箱を手にしていたのだ。蓋の上に載っていた封筒を不思議そうにつまみ上げてまじまじと眺め、そして、あろうことか、封を切って中の手紙を取りだしてしまった。じぶんの想いのたけを綴った、クロードへの手紙。それが今、読まれようとしている。
 無意識に、レナは、盆をつかんでいた。とにかく彼を止めようと、無我夢中で、それを振り上げた。アシュトンが気づき、驚愕のあまり顔をひきつらせる。身を守る、暇もなかった。
「だめえぇっ!!」
 力いっぱい振り下ろされた木製の盆は、アシュトンの頭にぶちあたると粉々に砕けた。白目を剥き、樽に寄りかかるようにして倒れるアシュトン。がくりとうなだれた頭が樽のなかに突っ込み、飛沫が上がった。レナは割れた盆のかけらを手に、立ちつくしたまま、怯えたように表情を固くしていたが、しばらくして、ずぶぬれの犬のように大きく首を振った。あわてて床に落ちた小箱と封筒、それに手紙を拾い上げると、手紙を封筒に入れて、盆の破片とまとめて下の戸棚に放りこむ。そして、ジュースの入ったグラスを持って、小走りに部屋を出ていった。

「その手紙には、なにが書いてあるんだ?」
 話し終わったレナに、ボーマンがからかい半分に聞いた。
「そっ、そんなこと……なんだっていいじゃないですか!」
 レナは火をふきそうなほど真っ赤になる。
「僕の誕生日、覚えていてくれたんだ……」
 クロードが言うと、レナはうなずいて。
「プレゼントといっしょなら、手紙も渡しやすいと思って……でも、けっきょく渡しそびれて、ここに置きっぱなしになっていたの。こんなの、さっさと捨てればよかったのに……」
 小箱を抱えたまま肩を震わせるレナ。と、クロードが前に立って、小箱を持つ手に手を重ねる。
「僕へのプレゼントなんだろう? ありがとう」
 にっこりと微笑むクロードに、レナの気持ちもすこしだけほぐれた。
「……お誕生日、おめでとう……」
 クロードは小箱を受け取る。そして包みを開けようとすると、突然、レナがそれを止めた。
「あ、だめ! 開けないで」
「どうして? 開けないと、中が見られないじゃないか」
 クロードは困ったような顔をするレナをしり目に、蓋を外した。
「……え?」
「だから、言ったのに……」
 二ヶ月前に作ったチーズケーキは、箱の中で、恰好の青カビの培地となっていたのだった。


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