■ 少年探偵レオン

note 1.出題編 / 解決編note 2.出題編 / 解決編note 3.出題編 / 解決編note 4.出題編 / 解決編
note 5.出題編 / 解決編note 6.出題編 / 解決編note 7.出題編 / 解決編note 8.出題編 / 解決編
note 9.出題編 / 解決編特別篇出題編 / 解決編

note 8. 空を飛ぶ鍵 [出題編]

 運の悪いことに、その日は雲ひとつない晴天だった。
 雨でも降ってくれれば、もしかしたら延期になったかもしれないのに。この日ほどレオンは澄みわたった青空を恨めしく思ったことはなかった。
 はあ、とひとつため息をつくと、レナがそれに気づいて顔を覗きこんだ。
「なに落ち込んでるのよ。だーいじょうぶだって。きっと上手くいくわ」
「そういう問題じゃないよ……」
 拗ねたように言ってから、彼女の隣で吹きだすのを必死で堪えているクロードを睨んだ。
「そこ、いつまで笑ってんだよ」
「あ? いや、決してそんな愉快に笑ったりなんてことは……ぷっ」
 喋った拍子に思わず表情を崩してしまったので、慌てて背中を向けて肩を震わせる。以前のようにその背中をどついてやりたいところだが、この恰好ではろくに動くことすらままならない。
 この恰好では。
 はてさて、彼は今、どんな恰好をしているのだろうか。
 そのことに触れる前に、話を事の発端である三日前に戻すことにする。

「僕と、結婚式を挙げてくれませんか?」
「はあぁ!?」
 その若者は、突然研究所を訪ねてきて、だしぬけにそう言った。
「お願いします。君しかいないんです。一生の頼みです」
「ち、ちょっと待った。待って。なに言ってんだかさっぱり……」
 詰め寄る若者に、レオンは後退りしながら首をぶんぶんと振った。
「あのー。つかぬ事お伺いしますけど」
 クロードが間に入ると、ようやく若者も落ち着いて彼を見た。
「なんですか、あなたはそのテの筋の方なんでしょうか? それだったら、申し訳ないけど丁重にお断りさせていただきたいんですが。この子の将来のためにも」
「はい?」
 若者は心外、というよりクロードの言ったことが理解できないというような顔をした。
「なんだか、そういうことじゃないみたいよ」
 レナが横からクロードに囁いた。
「んじゃ、どういうことなんです?」
 クロードが若者に振ると、彼はああ、とようやくレオンたちの視線に気づいて、事情を話した。
「実は僕は来月、結婚するんです。……あ、いや、相手はれっきとした女性ですよ」
 まだ疑いの眼差しを向ける面々を見て、慌てて付け加えた。
「彼女とは一年前からそのつもりだったんですが、彼女の父親に猛反対されてしまって……典型的な箱入り娘なので、彼女も父親には逆らえないし、僕もあのひとに許してもらえないことには、この街で暮らすことすらできなくなってしまう」
「ほうほう」
「ふんふん」
 クロードとレナが興味津々というふうに聞き入り始めた。レオンはむっつりした表情のまま椅子に座りこみ、横目で窺う。
「それで、僕も一度決めたことだから諦めるわけにもいかないので、何度も説得に行ったら、どうにか条件つきで許してくれることになったんですが……」
「よかったじゃないですか」
「いや、それが、その条件というのでまた別の問題が起こってしまって……」
 繊細そうに嘆息してから、続ける。
「彼が言うには、半年以内に結納金として五万フォルを持ってくれば、結婚を認めてやる、と」
「五万フォル」
 クロードが呆れたように言った。
「そりゃまた、ご大層な結納金だな。ちょっとした家だって買えてしまう」
「それで、どうにかこの五ヶ月で四万フォルまでかき集めたんですが、あと一万フォルどうしても足りないんです」
「そりゃ困った」
「困ったわね」
 レオンは無言でクロードたちを睨んだが、ふたりは気づいていない。
「約束の期日までもう一ヶ月を切ってるというのに……もう、どこにも金は残ってないんです。ちょっと働いたぐらいで稼げる額ではないし……こうなったら、もう最後の手段しか」
「最後の手段って……」
 クロードが眉をひそめた。
「まさか、強盗とか詐欺とか密売とか人には言えない悪事に手を染めてウハウハだぜこの野郎とか計画してんじゃ」
「違いますって」
「それじゃ、ギャンブルで一攫千金を夢見て大穴狙いだそれゆけピンクバーニィとか」
「だから、そうじゃなく……」
「それともそれとも、よもや禁断の世界に踏み入って春を売ったり花を売ったりあんアタシ結婚前なのにお婿に行けないわんとか」
「えーかげんにせんかいッ!」
 レナが拳で思いきり彼の後頭部を殴りつけた。
「れ、レナ……いま、『えーかげん』って……」
「気のせいよ」
 頭を抱えて涙目で言うクロードに、レナはそっぽを向いて、それでなんでしたっけ、と若者に話を振る。
「先に結婚式を挙げてしまおうと思ってるんです」
 気を取り直すように指で眼鏡を押し上げてから、若者は続けた。
「そうすればみんなから祝い金をもらえる。その金を加えれば、どうにか五万フォル耳を揃えて納めることができるんじゃないかと」
「ち、ちょっと待った」
 まだ頭をさすりながら、クロードが口を挟んだ。
「結婚を許してもらってないのに、式なんて挙げられるわけないじゃないですか」
「もちろん向こうの家には内緒ですよ。式は僕の家でやります」
「それでも、そう上手くいくのかしら……いくら内緒っていっても同じ街でやるのだから、もしばれたりしたら……」
「ええ。だから彼女に、その日は家族を街の外に出すよう誘導してもらうことにしてます。ピクニックに行くと言ってたかな」
「へ?」
 クロードが不可解そうに首をひねった。
「彼女に誘導、って、それじゃ式のほうには出られないんじゃ」
「だから、代役が必要なんです。そこで……」
 彼はレオンの方を向いた。凄まじく嫌な予感がしたので、レオンは睨み返したまま身構えていたが。
「君に、この偽装結婚式の新婦役をお願いしたいんです」
「はあぁ!?」
 なんとなく予想はしていたものの、結局は最初と同じ反応になってしまった。無理もないが。
「なんでっ、ボクがそんなことしなくちゃなんないんだよっ!」
「落ち着いて、とにかく話を聞いてください」
 甲高い声でがなり立てるレオンを、若者は懸命になだめようとする。
「実は……僕の結婚相手というのが、フェルプールの女の子なんです。そのことは既に親戚一同に話してしまっているものだから……」
「ははぁ……なるほどね」
 クロードはレオンの頭から突き出る一対の耳を見た。レオンそのものというより、この耳が必要なわけだ。
「でも、こいつはフェルプールの『男の子』なんだけど、それでバレたりはしないかな?」
「顔はヴェールで隠れてしまいますから。親戚や知り合い連中も実際に彼女を知っている奴はいないし、そういう人は呼ばないようにしますんで。大丈夫ですよ、きっと」
「……ひとつ聞いていいかな」
 うんざりしたように、レオンが言った。
「ヴェールって……まさか、そのときの格好は……」
 若者は、なんでもないように答えた。
「当然、ウェディングドレスです」

 という訳で、純白の花嫁衣装にすっかり身を包んだレオンは、屋敷の一室でぶつぶつ文句を言いながらふて腐れているのであった。
「ほらほら、文句ばかり言ってないで、式の手順は覚えた?」
「わかってるよ」
 レオンは机に頬杖をつきながら、これから行われる式のプログラムに目を落とした。が、こんな格好ではろくに集中もできない。
 だいたい、このコルセットというものが腹を締めつけて、息苦しいぐらいに窮屈なのだ。おまけに胸には詰め物までさせられている。剥きだしの肩は寒いし、無駄に長いとしか思えない裾はただただ邪魔くさい。
 たとえ一生に一度の想い出だとしても、こんな面倒な衣装を着たいと思う女のひとの気が知れない。レオンは心の中で呟いたが、キリがないのでもうそのことは考えないようにした。
 横を見ると、クロードは相変わらずイタズラ実行中の子供のようなはしゃぎっぷりだし、レナも妙に嬉しそうにレオンの花嫁変身を手伝ったりしていた。
 毎度毎度のことなのだけれど、どうも自分がこのふたりのオモチャにされているような気がして、レオンはすこぶる不愉快だった。
 肘をつくのも億劫になって、机に突っ伏しながら目の前に広げられたプログラムを見るともなく見ていると、ドアがノックされた。
「準備はできましたか?」
 部屋に入ってきたのは、こちらも黒のタキシードを着込んだ新郎。眼鏡も新調したのか、少し気障っぽいものに変わっていた。偽装とはいえ大舞台を前にしていくぶん緊張しているようで、花嫁姿のレオンを見ても顔を強張らせたままだった。
「そろそろ時間なので、みなさんは表で待っていてください。僕と新婦は別室で最後の打ち合わせを行いますんで」
「わかりました。んじゃ、頑張れよ、レオン」
 机と仲良くなったままピクリとも反応しないレオンと新郎を残して、クロードとレナは部屋を後にした。
「けど、これってよく考えたら、結婚詐欺なんじゃないの?」
 廊下を歩きながら、レナが言った。
「別のひとと結婚してお金だけふんだくろうなんて、そのものじゃない」
「まぁ、実際に彼がレオンと結婚するわけじゃないからね。あくまで身代わりってことで」
 そこまで言って、クロードは思い出したようににやりと笑った。
「いや、ホントにレオンが嫁入りなんてしてしまったら、どっかの誰かが黙っちゃいないだろうけど」
「……ああ、あのひとね。この場に来たりしないかしら」
「話を嗅ぎつけていたら、まず間違いなく潜入してるんじゃないかな」
「用心しないとね」

 式は、若者の屋敷の中庭で執り行われた。
 彼の家は代々、この付近を治める地主であったらしい。だがそれも過去の話。祖父は商売に失敗して土地を手放す憂き目に遭い、残ったのはこの大きな屋敷と、借金を清算した後に残ったはした金ばかり。それだけに今回の富豪の娘との結婚は一族にとっても願ってもない話だった。
「これで、家をあの子の代で終わらせることもなくなったと思うとねぇ……もう、嬉しくて嬉しくて……」
 中庭では、彼の母親が涙ながらに親戚に話していた。
「ねぇ……あのお母さんって、これが偽装だって知ってるのよね……」
 レナが小声で言うと、クロードも困ったような笑い顔をして。
「……まあ、本気なのか演技なのかわからないけど、どっちにしても大した肝っ玉だよな」
 結婚が決まるかどうかは、すべてこの結婚式が成功するか否かにかかっているというのに。
 ある意味、これは家の存続を賭けた式だともいえる。
 やがて周囲がざわつきだした。本日の主役が屋敷から出てきたのだ。
 出席者の拍手の中、新郎は新婦の手を取り、しずしずと中庭へと入ってきた。新婦はうつむき加減のまま、相変わらず不機嫌そうな表情をしているようだったが、うまい具合にヴェールが顔を隠してよく見えない。頭飾りの隙間からはフェルプールの耳が強調するように突き出ている。いい感じだ。
「では、これより婚礼の儀を始めます」
 中庭の中央に設えた壇に上がると、老神父が聖書を手に、式の開始を告げた。周囲の出席者は水を打ったように静まりかえる。
「両人とも、前へ」
 ふたりは神父の前へと歩み寄る……が、新婦のほうは裾に足を引っかけて転びそうになり、周囲を一瞬ひやっとさせたが、どうにか片方の足で踏ん張って転倒は免れた。
「ねえ……レナ」
 クロードが息を詰めるように口許を歪めながら、言った。
「ちょっと向こうまで行って、心ゆくまで笑い転げてきてもいいかな?」
「ダメ。我慢しなさい」
 そんなこんなで、偽装結婚式は(予想外に?)大した波乱もなく、順調に事は運んでいった。
 かと思われたが。
 神父の長い説教が終わり、式も終わりに近づいたとき。
「……今ここに一組の夫婦が誕生しました。では最後に、偉大なる我らが創造神トライアが、そなたらを祝福します。愛の証をここに示しなさい。さすれば神が二人の絆を、とこしえのものとすることでしょう」
 新郎が新婦のほうを向く。レオンも同じようにして新郎と向き合った……が、そこでようやく、これから何をするのかに気づいて、ぎくりとした。
 どうやらレオンは式次第をよく見ていなかったらしい。おそらくは自分の動く部分だけをチェックしていたので、この、式において最も重要なイベントのことまで気が回らなかったのだ。
 クロードが堪えきれずに吹きだしたが、慌てて咳払いでごまかす。レオンは驚いたような困ったような、どうにかしたいけどどうにもできないという表情でまごまごしていた。新郎はお構いなしに彼(女)の顔にかかったヴェールをめくり上げる。彼のほうは最初から腹を決めていたのか、それともレオンとなら構わないと思っているのか、淡々と事を進めている。
 レナが息を呑む。クロードが両手で口を塞ぎながら(もちろんこれは笑わないように)見守る。レオンはやけっぱち気味に目をギュッと瞑る。そして――。
 なにかが空を切った。それは鋭い音を立てながら、新婦に近づこうとする新郎の鼻先を掠め、ついでにヴェールを裂き、地面に突き刺さった。
 一枚のカード……いや、トランプだ。マークはハートのエース。
「その口づけに、愛はあるか――否」
 屋敷の屋根の上に、その男は立っていた。
「たとえ人助けといえども、偽りの証にまみれる子猫を見過ごすわけにはいかぬ。……ふっ、まさにこの葛藤こそが真の愛と言えるのではないのか。そうだろう、諸君」
 周囲は沈黙する。というより引いている。
「出たな、変態仮面」
 クロードが叫んだ。周囲の出席者からどよめきがわき起こったが、それは男の登場そのものよりも、むしろクロードの台詞に対してだった。
「君はまた、そうしてつまらぬ讒言で私を陥れようとするつもりかね」
 変態仮面……もとい、633Bは屋根から飛び降り、ふわりと中庭に降り立った。
「怪盗633B、ここに参上」
「帰れ」
 クロードが一言で切り返すと、633Bは余裕のある笑みを浮かべて。
「ふっ。登場した矢先にそんな風にあしらわれるとはな……私も舐められたものだ」
「なにもこんなときに来なくてもいいのに、つってんだよ」
 頭が痛い、というふうにクロードは額に手を当てた。
「問答無用! 今日こそは子猫くんを我が花嫁に迎え入れさせてもらうぞ!」
 いきなり633Bがカードを投げつけてきた。クロードは咄嗟に跳躍して躱す。カードは背後にいた中年小太りの奥様のドレスを切り裂いてから、弧を描いて主の手元に戻ってゆく。奥様はぱっくりと口を開けた自分のドレスと、その隙間から露わになった肉付きのよい太股を見ると、腰が抜けたようにその場に座り込む。
 誰かが悲鳴を上げた。それを皮切りに中庭は騒然となった。睨み合うクロードと怪盗を残して、出席者は屋敷の門へとなだれ込む。
 クロードが剣を抜いて斬りかかった。避けようとしない633Bを的確に斬りつけたつもりだったが、手応えがない。訝しげに見つめていると、その姿がふっと霧散して消滅した。
 背後に殺気を感じて振り返ると、今まさに本物の633Bがカードを投げつけようとしていた。彼の指から放たれたカードは生き物のように伸び上がってクロードに向かってゆく。クロードはぎりぎりのところで身体を横に振ってそれを避けた。耳のすぐ傍を鎌鼬のような音が駆け抜け、金髪が数本舞い上がった。
 と、突如空から光線が降りそそいで633Bを襲った。不意をつかれて避ける間はなかったが、どうにかマントで光線を防いでやり過ごすと、おもむろに振り向いた。
「私のことを忘れてもらっちゃ困るわね」
 そこにはレナが立っていた。
「……ふむ、なるほど。二人がかりで本気で来られては、私もいささか分が悪い。至極残念だが、今日はこの辺りで退散することにしよう」
 そう言うと、黒マントを翻して高々と跳躍して、中庭の隅に生えていた樹の上へと飛び移った。
「今日はやけにあっさりと諦めるんだな」
 クロードが挑発するように言うと、633Bはカードを挟んだ指を突き立てて不敵に笑う。
「子猫くんのキュートな艶姿を見られただけでも、私にとっては収穫だよ。惜しむらくは、以前に贈呈したドレスを着てくれなかったことだが……ん?」
 ふと見ると、気障に決めようとしていた633Bの周りを、一羽のカラスが飛び回っている。
「なんだ?」
 カラスは、があがあやかましく鳴きながら、翼をはばたかせてしきりに牽制している。
「くそ。なんだねこの鬱陶しいカラスは……あ」
 ふと633Bが自分の足元に視線を落として、固まった。
 そこには木の枝を集めて作った巣があった。それを彼が右足で思いきり踏みつけていたりするわけで……。
 ぎゃーっ! カラスが嘴を大きく開けて、黒ずくめの怪盗に襲いかかった。驚いた633Bは焦って逃げようとした拍子に足を滑らせた。なんとか枝にしがみついて落下は免れたが、カラスはそんな彼に容赦なく攻撃を加える。
「あたっ、たっ、わかった、すまなかったから、出ていくからもうやめっ……でっ!」
 背中といわず頭といわず突っつくカラスを手で振り払いながら、どうにか枝によじ登って体勢を立て直し、こちらを気にする余裕もなく、塀の向こうへと飛び降りて逃げていった。カラスはしつこくその後を追っていく。
 クロードたちはその様子を茫然と眺めていた。
「……歴代の怪盗が、背中を向けて泣きだしそうな退散の仕方だったな」
「……なによ、歴代って……」
 ただ、彼のおかげで式の進行がうやむやになってしまい、そのままお開きとなってしまったのは、レオンにとってはもっけの幸いだった。

 その日の夜は、屋敷にてささやかなパーティが開かれた。レオンはドレス姿のまましぶしぶ参加していたが、昼間の疲れもあったのか、メインの料理が運ばれる頃にはすでにその姿はなかった。
 そして、出席者もあらかた家路につき、料理もすっかり片づけられると、新郎と彼の親しい友人たち、それにちゃっかりクロードたちも加わって、先程の粛々としたパーティよりも盛大な――というより単に酒が入ってテンションが上がっただけなのかもしれないが――飲み会が始まった。
「へぇ、それじゃあ皆さん学校の同級生だったんですか」
 レナが言うと、黒髪の男が何度も頷いて答える。
「そ、そ、そ。いわゆる幼馴染みってやつ? 先生には悪ガキ四人組って言われてたけど」
 見た目はとりたてて特徴のない、むしろ地味とも思える風貌だが、酒精のせいなのか顔を赤らめて陽気に話をする。改まった場にも関わらず旅着のような軽装をしていたので、式でもパーティでもひとり浮いていた。
「旅をしてるんですか?」
 クロードがその格好を見て聞いた。
「ん。風の向くまま気の向くままってヤツでさ。最近は魔物もほとんど出なくなったんで、旅もずいぶん楽になったよね。いや、僕にしてみればちょっと物寂しいかなーって思えるくらいで」
「ふん。腰抜け風来坊がよく言えた口だな」
 向かいに座っていた男がグラスを手に、言った。この近辺では珍しい、褐色の肌をしている。いかつい坊主頭に、地味なスーツが不似合いに思えるほど立派な体格をしている。
「なんだと、そういうお前は何やってんだ? タチの悪い取り立て屋みたいな格好して」
「これは礼服だ。お前と違って礼節はわきまえてるんだ。それに、私は取り立て屋じゃない。ラクール王家に仕えるれっきとした秘書だ」
 声を荒げて言う坊主頭に、彼は肩をすくめて。
「はいはい。わかりましたよ。クソ真面目くんが」
 面倒そうに言い捨てると、隣に座っているもうひとりの級友に目をやる。
「お前も相変わらず陰気だなぁ。こういう場なんだからもう少し盛り上がれよ」
「大きなお世話だ」
 読んでいた紋章術の本からわずかに視線をこちらに向けて、無愛想に呟いた。顔も体つきも細身だが、顎にはボサボサの髭を蓄えており、そのせいで実際よりも年嵩に見えてしまう。フードつきのローブのポケットには、他にも数冊の本が詰め込まれている。
「こいつは昔っからこんな調子だからなぁ。先生にも言われただろ? 協調性が欠けてるって」
「エセ剣士に言われる筋合いはないな」
 術師風の男が言うと、珍しく彼が黙り込んだ。
「エセ、って、剣士じゃないんですか?」
 彼の腰に据えつけられた長剣を見て、クロードが聞いた。
「その剣は飾りだよ。ろくに使えもしないくせに」
「うるさいっ」
 もともと赤い顔をさらに紅潮させて、坊主頭に食ってかかる。
「はいはい。それじゃあ落ち着こうか」
 新郎がカップを載せた盆を抱えて、間に割って入った。湯気の立つ紅茶をテーブルに置いて、それから訊ねる。
「今夜はみんなここに泊まっていくの?」
「ん。せっかく久々に集まったんだからね」
 そう言って、同意を求めるように他のふたりに目をやる。
「……まあ、こいつひとり残しておくと、何があるかわからんからな。つき合ってやるよ」
「僕はできれば早いところ帰りたかったんだけどな」
 乗り気でない術師の男に、彼はうしろから羽交い締めにしてふざけながら。
「そんなこと言うなよ。ほら、そんな本なんか仕舞って、語り明かそうぜぃ」
「わかったから離れろ、バカ」
 本をポケットに突っ込むと、身体をひねって彼の腕を振り解いた。エセ剣士はけらけらと笑っている。
「彼も普段はもっと大人しい性格なんですけどね。むしろ気が弱いくらいで」
 クロードの隣の席に落ち着いた新郎が、困ったように言った。
「酒が入ると途端に明るくなるタイプですか」
 クロードが得心顔で頷いた。
「そういえば、レオンはもう寝ちゃったのかな?」
 紅茶を一口飲みながら、レナが言った。
「なんだかずっと拗ねてたな。今頃はふて寝してるんじゃないかな」
「僕が見てきますよ」
 新郎が盆を持って立ち上がった。
「大事な花嫁だから、ご機嫌を損ねないようにしないと」
「あははー。真面目な顔して言うと冗談に聞こえませんよ」
「本気ですから」
「そうなんですかぁ………………え?」

 真っ暗な部屋のベッドで、レオンは掛け布を頭まで被って横になっていた。床には先程まで着ていたドレスが無雑作に脱ぎ捨てられ、窓からの月明かりを浴びて青白く輝いている。
 向こうの部屋から騒々しい笑い声が、いくつもの壁を隔ててここまで届く。寝付けないのは、そのせいだろうか。
 実際、レオンはひどく疲れていた。けれど、それは肉体的な疲労というよりも、むしろ、心の疲れなのではないだろうか。
 こころが、疲れている。
 馴れ合うのは嫌だ。つまらない。ひとりでいるほうが気楽でいい。そう突っぱねてはみるものの、こうしてみんながひとつの輪の中で楽しそうに騒ぐのを遠くから聞いていると、そこに加われない自分がひどく哀しくなる。心の中にふわふわと浮かぶ疎外感を、どうにかして振り払おうと格闘するけれど、結局どうにもならずに、無駄に疲れるばかり。
 慣れない部屋とベッド。そして遠い喧噪の波。そんなもの気にせずに眠ってしまえばいいとわかってはいるけれど、掛け布を被っても、枕に顔を埋めても、とうてい眠れる気がしない。知らないうちに枕はじわりと湿っていた。
「入るよ」
 かちゃりとドアの開く音がして、新郎が部屋に入ってきた。片手にはティーカップを持って。
「……もう寝たのかな?」
「……なんか用?」
 レオンは少しだけ掛け布から頭を出して、言った。
「ああよかった。お茶を持ってきたんだけど、飲む?」
 レオンが返事もせずにじっと見つめていると、彼はベッドの手前まで歩み寄って、サイドテーブルにカップを置いた。
「…………」
 レオンは無言のまま起き上がって、ベッドの脇に座り直すと、カップを手に取った。湯気に乗った香りがほんのりと鼻をくすぐる。
「今日は本当にご苦労様。おかげで助かったよ」
 上目遣いでそっと見ると、彼は微笑んだ。慌てて視線をカップに戻して口をつけた。
「あつっ!」
 ろくに冷ましもしないでいきなり飲んだものだから、上唇を火傷してしまった。
「大丈夫? 火傷したなら冷やした方がいいよ。氷水持ってこようか?」
「……いいっ」
 おろおろする新郎をとりあえずは制したけれども、やはりひりひりする唇を気にして指でさする。
 新郎はしばらくその様子を見つめていたが。
「そんなに強がらなくてもいいんだよ」
「え?」
 レオンが聞き返しても、彼はそれ以上は語らずに、ほんのりと笑っている。
「それじゃ。飲んだカップはそこに置いてくれればいいから。おやすみ」
 茫然とするレオンを残して、彼は部屋を出ていった。
「……なんなんだよ」
 再び寂しくなった部屋で、レオンはひとりごちた。
 今度は息を吹きかけて念入りに冷ましてから、紅茶をすする。熱いものが喉の奥に落ちると、じんわりと胸のあたりが暖かくなった。

 朝のうちに、新郎の友人たちは帰っていった。
 目を覚ましたレオンが、何やら外が騒がしいので窓から覗くと、門の前で新郎と友人たちが別れの挨拶をしていた。旅着の男がふざけながら喋っているところを、ローブの男が手に持っていた本で頭を叩く。
「レオン、起きてるか?」
 他愛もないやりとりを窓越しに眺めていると、クロードが部屋に入ってきた。
「僕らもそろそろ帰るから、着替えが終わったら下に降りてきてくれ」
「ん。わかった」
 レオンがちゃんと返事をすると、クロードは意外そうな顔をする。
「今日はやけに素直だな」
「ずっと拗ねててもしょうがないし」
 淡々と答えるレオンに、クロードは笑顔で返して部屋を後にする。
 それから程なくして、にわかに廊下が騒がしくなる。
「坊ちゃんは、坊ちゃんはどこですか!?」
 バタバタと足音がこちらに近づくと、年老いた男の声が廊下に響いた。
「彼なら外にいますけど……何かあったんですか?」
「いや、それが……」
 レオンは扉から顔を出して廊下を覗いた。声の主はこの屋敷の執事だ。式の前に一度だけ見かけたことがある。
「祝い金が、なくなってしまったんです!」
 
「それじゃあ、祝い金はこの部屋に保管してあったんですね?」
 クロードが訊ねると、執事は眉をハの字に曲げながら何度も頷いた。
「ええ。この机の上に……」
 その部屋は普段は応接室として使っているらしく、座り心地の良さそうなソファとテーブルが置いてある。老人はテーブルを指さした。
「ああ。いくら鍵のかかった部屋とはいえ、こんな所に放置しておいたわたくしが迂闊でした。この失態はわたくしの身をもって償うしかございません。どうか坊ちゃん、旦那様に長い間お世話になったと……」
「落ち着いてよ。そのことは後でゆっくり話し合うから、まずは祝い金を盗んだ犯人を捕まえよう」
 執事を諫めると、新郎は部屋を見回した。
「窓やドアにはちゃんと鍵がかかっていたんだね?」
「いえ……それが、今しがた部屋の前を通りかかったら、なぜかドアが開いていたんです。今朝確かめたときは間違いなく鍵はかかっていたはずなのですが……」
「この部屋の鍵は?」
「それならわたくしの部屋に……ここの隣です」
 執事は早足で部屋を出ていく。そして。
「あ、あれ?」
 間の抜けた声がしたので、クロードたちも執事の部屋になだれ込んだ。
「どうしたんですか?」
「……鍵がない」
 窓際の壁を茫然と見つめながら、執事が言った。
「ない?」
「屋敷の鍵はすべてこの鍵掛けにまとめてあるんです。……ああ、隣の部屋だけじゃない、他の部屋のもなくなってる!」
 執事はまた動転しておろおろする。
「落ち着いて。とにかく、今朝起きてから何があったのか、順に話してよ」
 新郎の言葉に、どうにか平静を保って朝のことを思い出そうとする。
「今朝は……五時に起きて、そのときには確かに隣の部屋は閉まっていました」
「それからは?」
「それから……ずっとこの部屋にいました。式の参加者への礼状を認めておりましたので」
「その間、なにか変わったことはなかったですか?」
「変わったことと言っても……坊ちゃんのお友達が通りかかったくらいで」
「友達って、さっき帰っていった三人組?」
 レオンが聞くと、新郎は神妙な顔をして頷く。
「この部屋の先にはトイレがあるんですよ」
「ああ、なるほど」
 クロードが納得する。その脇をすり抜けて、レオンが部屋を出て廊下の間取りを確認し始めた。
「通りかかったのはいつ頃ですか?」
「ええと……お三方とも七時から八時の間だったと。順番までは覚えておりませんが、ちょうど入れ替わるように」
「通ったときは、三人別々だったんだね?」
 廊下から戻ってきたレオンが訊ねる。さっきよりも目つきが心なし鋭いような気がする。
「は、はい。今朝はいくぶん暑かったものですから、わたくしは部屋のドアを開けて仕事をしておりました。ですので、お三方がひとりずつここを通ったところは、はっきりと見ております」
 執務室のデスクは、椅子に座ると机を挟んだ向こう側にドアが見えるような配置になっているので、そのドアが開いていれば、確かに廊下が一目瞭然だ。そこを通りかかる人間がいればすぐに気づくだろう。
「三人別々だってのが、なにか重要なのか?」
 クロードがレオンに聞いた。
「そりゃ重要だよ。みんな一緒にここを通ったんなら、三人がつるんでいたってことになるけど、別々なら単独犯ってことだろ」
「え?」
「ち、ちょっと待ってよ」
 新郎が慌てて口を挟んだ。
「その口振りだと、まるで三人のうち誰かが犯人だって言ってるみたいじゃないか」
「『みたい』じゃなくて、そうなんだよ」
 きっぱりと、レオンは言った。
「どういうこと?」
「朝の五時には鍵のかかっていたドアが、八時に確認したら開いていた。そして中のお金が盗まれたと。ここまではいいね?」
 一同、頷く。
「そうすると、この事件の犯人は、この部屋で管理していた部屋の鍵を持ち出した人間ってことになる。で、誰がどうやって持ち出したのかっていうと……」
 一同、レオンに注目する。
「それはボクにもわからない」
 一同、うなだれる。
「ただ、さっき廊下でヒントになりそうなものを見つけたんだ。確証はないけど、ボクの推理が合ってるなら、誰かが鍵を持ち出すことは可能だったと思う」
「その『誰か』ってのは?」
「この段階では、まだ誰なのか限定することはできないよ。だけど、その鍵を使って例の部屋を開けることができたのは、あの三人しかいない」
「外部から侵入した泥棒という可能性はないのかい?」
 新郎が食い下がる。友人が犯人だということを認めたくないのだろう。
「部屋の窓には鍵がかかっていたし、侵入された形跡もない。他の部屋から入りこんだとしても、どのみち隣の部屋へ行くためには、そこの廊下を通らなくちゃいけないんだ。さっき見てきたけど、廊下を真っ直ぐ進んだ先はすぐに突き当たりで、あったのはトイレだけだった。つまり五時から八時までの間にそこの廊下を通った人間にしか、隣の部屋のドアを開けることはできないんだよ」
「で、それに該当するのがあの三人ってことか……」
 クロードが唸る。
「さて」
 とレオン。
「ここからは三人のうち誰が犯人なのかを絞りこまないといけないんだけど……祝い金は、ぜんぶ盗まれたんだよね?」
「は、はい。このくらいの紙袋にまとめて入れておいたのですが」
 執事が袋の大きさを手で示す。
「お金だけにしては、大きな袋ですね」
「参加者に記帳していただいたノートも一緒に入っていたんです。……ああ、あれがないと礼状の宛名が書けないじゃないですか!」
 また冷静さを失う執事を気にもとめずに、レオンはうつむいてしばし考えこむ。
「……そうか、それならあの人しかいないじゃないか」
 そして、顔を上げて言い放った。
「わかったのか?」
「もっちろん。事件解決だいっ」

----- ここからヒント -----

「さて。今回はろくに事件の全貌もわからずに出題に入ってしまったわけだが」
「いきなりそんな身も蓋もない言いかたしなくてもいいじゃないか」
「だいたい、鍵をどうやって持ち出したのかわからなくても、犯人が絞りこめるものなのか?」
「今回はとっても単純なことだよ。部屋に入りこめたのは三人だけど、実際に祝い金を盗めたのはひとりしかいない」
「どうして?」
「ポイントは、この犯人が紙袋ごと持ち出したってとこだろうね。もしお金だけ抜き出して盗んでいれば、三人とも可能性があったのだけど」
「どうせわからないから、もうひとつヒントを」
「少しは考えなよ……ええとね、帰り際の三人の様子をよく見ておくといいかも」
「僕はそのとき朝飯を食ってたんだけど」
「そんなこと誰も聞いてないよ。それじゃ、みんなは頑張ってね」


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