■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第四章 ラクールの晴れた空

 何度見ても美しい、それは夜空だった。クロードは、この惑星にやって来るまで、これほどの星空を見たことはなかった。単に星の数で言うなら、宇宙船から見た方がよほど多いが、「星の瞬き」はない。ただ、光の点が転がっているだけである。もちろん、地球でなら「星の瞬き」を観測できるが、石油エネルギー全盛期に比べれば大気の汚染度は格段に低いものの、銀河全体に対する太陽系の位置なども関係して、数は少ない。他の惑星でも、このエクスペルより心を揺さぶるような星々を見た経験はなかった。
 いわゆる「天の川」が、東から西へ、白く輝く大河となって流れている。その周囲にも、何色もの明るい星が無数に散らばり、大河を飾り立てていた。そして巨大な三日月が、より強い光を放ちながら、その大河をゆっくりと渡ってゆく。
 クロードは船のへりに頬杖をつき、ただ、この芸術的な星空を見上げていた。彼はアシュトンと同室になったのだが、アシュトンは疲れたのか、今日は大きないびきを発てて眠っている。しかも、ギョロとウルルンが彼を見習って、温かいいびきと冷たいいびきで伴奏をつけるので、クロードは閉口して部屋を出てきたのである。
「ふう……」
 何度目かの、感嘆のため息をつく。その時、背後で勢いよくドアを開く、物凄い音がした。クロードは驚き、頬が杖から外れて、顎を縁に打ち付けた。痛みに顔をしかめ、顎を撫でながら、クロードは後ろを向いた。
「なんだ、レナか。驚いたな……」
 船内の明かりを背後にして、レナがドアのところに立っていた。うつむいて、どこか元気がないように見えた。
 声を掛けていいものかどうか、迷っているうちに、レナはクロードの隣に並んだ。掌だけを縁に乗せて、視線は海面を漂っている。
「その……、どうかしたの?」
 隣に並んでいるのに何も口を聞かないのも変な感じがして、クロードは恐る恐る尋ねた。レナはしばらく黙っていたが、軽く深呼吸をしてから口だけを動かして言った。
「さっき……、セリーヌさんに、攻撃呪紋を教えてもらっていたの……」
 そこで、もう一度深呼吸をしてから、レナは続けた。視線は相変わらず海上にあった。
「途中で、私の回復呪紋の話になって……。セリーヌさん、私の力のこと、長老様ともお話ししたみたいだけど、やっぱり回復呪紋は紋章術にはないんですって」
 そこから、急にまくし立てるような口調になった。
「私、ただでさえ紋章を刻まなくても呪紋が使えるでしょう? 何だか、自分が化け物のように思えてきちゃって、私……私って、一体……何者なの? って……」
 星々と月の明かりのせいで、一語一語吐くたびに一層深刻な顔になってゆくのが看てとれた。縁に乗せられた手も握られており、かすかに震えている。
『ぼくはその力に幾度となく助けられている。レナのその力は悪いものじゃないんだ。気にすることはないよ』
 そう慰めようとして、クロードは思いとどまった。陳腐で月並みなセリフだ。それに、そんな言葉は何度も聞かされているのに違いなかった。これまで、レナはアーリア村を生活の場としてきた。村を出たことはそれほど多くはなく、クロス大陸を出るのは今回が初めてである。アーリアでは、ほとんど家族のような村人たちに囲まれていた。彼らは、レナを幼い頃から知っており、彼女の能力についても偏見なく接している。しかし、これから本格的に外の世界へ出ることになれば、レナが自分の力に疑問を持つ頻度は確実に増してくる。そして、それは、ありふれた慰めでは表面的にしか癒すことができない。このまま同じことを繰り返していても、彼女にとってプラスにはならないだろう。
 クロードは、心の中で重く決心して、レナの治療に取り掛かった。
「たしかに一般的な力ではないと思うけど……」
 一気に患部を切り開く。
 レナは少し驚いたように顔を上げた。はずみでこぼれた涙を指でふき取る。
「ずいぶんはっきりと言うのね」
「……うん。でも、けなしてるわけじゃないんだ。僕の剣みたいな一般的な力では破壊しかできないけど、レナの力は再生ができるんだよ」
 レナは、珍しい物を見るかのような目つきでクロードを見つめた。その視線と、自分のセリフに恥ずかしさを覚えて、クロードは視線を逸らし、頭をかいた。
「これはべつに……だから……破壊を繰り広げてもかまわないと言ってるワケじゃなくて……」
 僕は何を言っているんだ、とクロードは自分でもよく分からなくなってきた。これでは逆効果になってしまうんじゃないのか……?
 しかし、それは杞憂だった。混乱しているクロードの姿を見て、レナはくすくすと笑った。
「分かってる」
 船の縁に肘を突いて、レナは満天の夜空を見上げた。月光が白い顔を照らし、輝く。
「……そうよね。なにもこの力でひとが迷惑してるわけじゃないもの。ちょっと人と違うのではなくて、ちょっと人よりすごいって考えればいいのよね」
 そう言ってレナはクロードを見、微笑んだ。何だかよく分からないうちに、治療は成功したらしい。
「そうそう、その意気!」
 自分が予想していたのとは違う、むしろ、より良い結果が得られた。その功績の大半はレナの強い心にあるような気がしたので、クロードは自分の非力さを補うため、いささか不自然な励ましをすることになった。その行動の原因はともかく、レナはもう一度微笑むと、まったく予測できなかったことに、両の手でクロードの右手を握った。
「ありがとう、クロード。なんかすっきりしたわ」
 最後にもう一度微笑むと、レナは軽く走って船室へと戻っていった。クロードは、何も答えることができなかった。

 しばらく右手を見つめた後、軽く口元をほころばせると、クロードはその視線の先に、何か光る物を見つけた。金属の球のような物だ。月明かりを反射している。
「なんだろう?」
 そこへ行って拾い上げてみると、それはペンダントだった。付いている物は、球ではなくて、もっと平たい物だった。この形には見覚えがある。クロードは、推測に基づいて、小さな突起の部分に触れた。カチッと音がして、金属は二つに割れた。開いてみると、予想した通り、写真が収められていた。一方は男性、もう一方は女性で、いずれも三十歳前後と思われた。夫婦だろうか。
 後で乗員に渡そうと思い、とりあえずそのロケットペンダントをポケットにしまうと、クロードは元の姿勢に戻った。船縁に頬杖をつき、銀河一の星空を見上げる。
 しばらく、ぼうっと星々を眺めていたが、そのうちにあることを思い出した。懐へ手をやり、通信機を取り出す。慣れた手つきでそれを操作し、耳元に当てる。数秒間、ノイズ音が聞こえた後、コンピューターの音声に切り替わった。
「緊急通信範囲を越えています。電波を発信、及び受信できません」
 消費電力を抑えるため、それ以上の余計な音声は流れなかった。聞こえてくるのは、船がきしむ音と、静かな波の音だけ。
「やっぱり、ダメか」
 分かってはいても、気持ちの落ち込みかたは激しい。太陽フレアや黒点による電波障害の可能性もあるが、こう何回も通信ができないというのは、本当に誰も知らないところへ来てしまったということになる。
 クロードは通信機をしまい、念のため、辺りを確認した。
「あれ?」
 人が一人いた。しかし、クロードのほうを向いているのではない。船尾から星か海を眺めているようだった。それだけならクロードも気に留めなかったろうが、その人物の背丈は自分よりもはるかに低かった。子供だ。樽の上に乗って、何かを眺めている。服装からして、男の子の可能性が高い。
 船が揺れれば、その子は樽もろとも倒れるか、運が悪ければ冷たい海の中へ落ちてしまう。周りに保護者らしき者もいないようだし、第一、もう夜も遅い。クロードは気になって、その子のもとへと歩いて行った。脅かすことのないように、故意に足音を立てながら。しかし、子供は振り返りもしなかった。
 クロードは、一旦その子供の顔を覗きこんでから、声をかけた。
「何してるの?」
「……海を見てる」
 男の子は寂しそうな声で言った。
「もう遅いから、部屋に戻ったほうがいいよ。お父さんかお母さんは?」
 クロードか言うと、男の子は少しだけ表情を変えたが、すぐに戻した。しばらく黙っていたが、やがてゆっくりと答えた。
「父さんも母さんも死んじゃったんだ」 
「そう……。ごめんな。聞いちゃいけなかったかな」
 男の子は首を振った。
「ううん、そんなことないよ。もう結構前の話だし」
「そう……」
 クロードは何と言ってよいか分からず、それだけを言った。
「二人そろってエル大陸の親戚の家に行ったんだ。でも、船に乗ってる途中で嵐に会って、行方不明になっちゃったんだって。だから、こうやって海を見て、父さんや母さんのことを思い出しているんだ」
 男の子の表情は、どちらかと言えば明るかった。両親の話をするのが好きなようだ。クロードは、もっとその話をさせてあげようとして、話題を提起した。
「お父さんとお母さんはどんな人だったんだい?」
「うん。ちょっと待ってね」
 男の子はそう言うと、ポケットの中に手を突っ込んだ。初めは楽しそうだった顔が、みるみる青ざめて行く。
「あれ? ない、ないよ!? どこにおとしちゃったんだろ!」
 そう言って、別のポケットを漁り始めたが、目的の物は見つからないらしい。男の子の表情から察するに、よほど大事な物なのだろう。
 ふと、クロードは、さっき拾ったロケットのことを思い出した。夫婦らしい男女の写真が入っていたから、もしかしたら男の子の物なのかもしれない。
「あっ、僕のペンダント! どうしたの、それ?」
 目の前に差し出された銀色のペンダントを見て、男の子は飛び上がらんばかりに喜んだ。大事そうに握り締め、それを受け取り、写真を確認する。
「さっき、向こうで拾ったんだ」
「父さんたちの写真って、もう、これだけなんだ。良かった……。ありがとう、お兄ちゃん」
 樽の上から降り、男の子は礼を言ってペンダントをポケットにしまった。
「お父さんたちのこと、好きだったのかい?」
「うん。今でも大好きだよ」
 男の子はにっこり微笑んだ。やはり、親の話をするのが好きなようだ。
「そっか……」
「父さんは、クロス軍の士官だったんだ。若いけど、みんなに尊敬されていたんだ」
 とても嬉しそうに、男の子は言った。父親の事を誇りに思っているのだろう。クロードは、自分と同じ境遇だな、ということに気付いた。そして、この男の子と同じ位の歳の時の自分を思い出し、あることを聞かずにはいられなくなった。
「……キミも、お父さんのようになりたいのかい?」
「うん! そして、悪いモンスターからみんなを守るんだ」
 間髪入れずにに男の子は答えた。
 クロード自身は、父親と同じ道を選んだことを、今は後悔している部分が多い。幼い頃は、華やかさの面ばかりを見ていたが、いざ入ってみると、厳しい場面も多々あることに気付いた。その多くをクロードは乗り越えてきたが、一つだけ、どうしても乗り越えられない壁が、「父親」であった。ロニキス・J・ケニーは、クロードの実父であり、直接の上官であり、地球連邦の偉大な英雄でもあった。かつては素直に尊敬していたが、最近は、英雄の息子、ということに重荷を感じてもいた。この男の子の場合は、どうなるだろうか。先代を越える立派な士官になるのか、それとも、自分のように、思い悩むことになるのだろうか?
 だが、そのようなことを心配してもどうにもならない。今はただ、この子が、願いを叶え、偉業を達成することを祈ってやりたいと思った。
「なれるといいな」
 優しい表情を作ってやると、男の子も白い歯を覗かせて微笑んだ。
「うん。絶対になってみせるよ!」
 そのとき、ドアの開く音が聞こえた。大人が一人、きょろきょろと辺りを見まわしている。
「あ、伯父さんだ。ぼく、もう行かなきゃ。ありがとう。お兄ちゃん」
 男の子は笑顔でそう言うと、足早に伯父さんのほうへ駆けて行った。一度だけ振り向いて手を振ると、また走り出し、伯父さんと船室へ戻って行った。
 辺りは再び、華麗な星空と船のきしむ音、そして船とぶつかる波の音だけになった。
 クロードは、空を見上げた。大小、明暗、様々な色の星々が輝いている。
「この空の星のどれか一つが、地球なのかな……。どれか分かっても、届かないんじゃ、しょうがないか……」
 小さな笑いに自嘲の成分がこもる。同時に、いくつかの水滴が滴り落ち、木の床に染みを作った。
「……おかしいな。なんで、涙なんか出るんだろう……」
 その問いに答えるものはなく、船は、ラクール大陸の港街ヒルトンへ向かって、静かな航海を続けていた。

 惑星エクスペルには、3つの王国がある。一つは、アーリア村、サルバ、ハーリーなどを統治するクロス王国。一つは、現在、ほとんど壊滅状態にあるエル王国。そして、残る一つが、科学力、軍事力、経済力の三点において、世界最強を誇るラクール王国である。
 ラクール王国は、ラクール大陸全土を支配するが、国土の大半は未開発であり、城下町や港街などの特定の場所に人口が集中している。そのせいもあって、それぞれの街は大変賑やかである。
 一晩をかけてラクール大陸の玄関、港町ヒルトンに到着したクロードたちは、さっそく、その喧騒に包囲されることになった。住人たちの数もさることながら、今日はどういうわけか、戦士風の人間があちこちに見うけられる。
「すごく賑やかなのね」
 レナがきょろきょろとあたりを見まわしながら言った。クロードは、あまりの騒々しさに少し戸惑い、セリーヌは無秩序なありさまに少しだけ眉をひそめた。アシュトンは、いろいろと旅をしているだけあって平然としていたが、ギョロとウルルンのほうは黙ってはいなかった。
「ギャフギャフッ」
「フギャッ」
「どうしたの?」
 レナが不思議そうにアシュトンの顔を覗き込むと、双刀剣士は沈んだ調子で説明した。
「ギョロがあっちへ行きたいって言ったら、ウルルンは向こうのほうがいいって……」
「……そ、そう」
 いつも通りのどうでもいい理由の喧嘩で、心配するようなことではないが、頭上で争いを繰り広げられるアシュトンには同情せざるをえない。
「これからどうするんですの? 今から馬車に乗れば、お昼にはラクール城に着きますけれど」
「それとも、ここでお買い物でもする?」
「いや、買い物ならラクール城下町のほうがいいものがあるし、数も多いよ。……うわっ、二人とも、いい加減にしてくれ!」
 仲間たちの会話を聞きながら、クロードはいつのまにか全員が自分に注目していることに気づいた。二、三度、瞬きしてから口を開く。
「えっと……僕は……、……どっちでもいいや」
 頭をかきながら言うと、セリーヌはあからさまに怒り出した。
「どっちでもいい、じゃ困るんですのよ! みんなあなたの判断を待っているんですから!」
「……えっ?僕?」
 まったく予想できなかったことを言われ、それだけを問い返すまでに数秒ほどの時を要した。
「だって、クロードがリーダーじゃない。ね?」
 レナが他の二人に同意を求めると、セリーヌはもちろん、アシュトンも、ギョロとウルルンでさえも喧嘩を止めて、頷いた。
「ええ~っ!? いつそんなことに!?」
 まったく、なぜそんなことになったのか?立候補した覚えもないし、第一、リーダーを決めた記憶すらない。クロードは狼狽した。
「いつって、初めからそうじゃありませんの」
「そんな……リーダーなんて、僕……」
 クロードは一歩退いた。
「大丈夫よ。今までだって立派にこなしてきたじゃない」
「そ、そうかな……」
 レナとしては心からの賞賛の念をこめた発言だったのだが、はたから見れば、おだてにのった、と思われても仕方のないほどに、クロードの態度は一変した。
「う~ん……。うん、じゃあ、そういうことで、ひとつ、よろしく」
 レナは手をたたいて喜び、アシュトンは何度も頷き、セリーヌは態度の変わり様に呆れた。
「……ま、とにかく、どっちにするか決めてくださいな」
 それまで後頭部に手をやりながら照れ笑いをしていたクロードは、セリーヌの要請を聞いて固まってしまった。
「どうしたんだい? クロード」
「……何を決めるんだっけ?」
 仲間のしらける顔を見て、クロードはリーダー失脚を覚悟した。

「ああ、都会の香り、エネルギッシュな喧騒、これぞラクール王国ですわ」
 ラクール城下町に入るなり、セリーヌははしゃぎ出した。結局、港町ヒルトンから一直線で王都ラクールにやってきたのだが、やはり人が多く、一見、ヒルトンの騒々しさと変わらないように見える。だが、ヒルトンではあまりよい顔をしなかったセリーヌの豹変振りからも分かるように、賑やかさの質の点で、この町は他の町と一線を画していることが、クロードにもみてとれた。
「やっぱり最大の王国ってちがうわね、クロスより全然垢抜けてるもん、ね、クロード」
「そんな感じするね」
 レナの嬉しそうな言葉に、クロードも心から頷いた。
「それに丁度いい時期に来ましたわよ、武具大会の直前ですもの。上手くすると見られるかもしれませんわよ」
 セリーヌの指差す先には、『ラクール王国武具大会』の看板がでかでかと掲げられ、頑強そうな戦士が描かれていた。
「武具大会……?」
 この星の常識を知らないクロードは、ひとり首を傾げた。その様子を見て、他の三人は驚き、次いで口々に説明し始めた。
 ラクール王国武具大会は、年に一度、ラクール城内のコロシアムで行われる。出場者は、ラクール城下の武具店に登録し、その武具店の装備を身に付けて戦う。優勝すれば、賞金と武具店からの賞品がもらえるが、それには、選手一人一人の技量もさることながら、武具店ごとに違う装備の善し悪しも大いに関係してくる。世界一の品質を誇るラクールの武具たちの優劣と、使い手の技量とを争う大会なのだ。これは世界中でもっとも大きなイベントの一つで、それだけに多くの人が集まってくる。ヒルトンやこの城下町に異常なまでに人がいるのは、そのためなのだ。無論、全員を収容できるほどにコロシアムは広くなく、チケットを手に入れられなかった人が大会前にやって来て、せめてコロシアムの中だけでも覗いておこうとする場合もあるらしい。
「そうなんだ……。すごいんだな」
 エクスペルは未開惑星ではあるが、古代の地球とは違い、住民の生活が華やかであることに、クロードは驚いた。
「でも、もうチケットはないんじゃないかな?」
 アシュトンが疑問を提示すると、セリーヌははっとした顔になり、続いて残念そうにうなだれた。
「そうですわね……。大会まで一週間もないですし……。今回はあきらめましょうか……」
「残念ね……」
 レナも肩を落としたが、今、その存在を知ったばかりのクロードには、嬉しくも悲しくもないことであった。しかし、がっかりとしている二人を励ますのがリーダーの役目であろう。
「まあまあ、武具大会を見に来るのが目的じゃないんだし。初めの目的をきちんとやり遂げてから、思う存分見ればいいさ。……ね?」
 二人の様子に変化がないので、クロードはアシュトンに同意を求めた。
「う~ん、そうだよね。武具大会の結果がどうなっても僕たちには関係ないけど、ソーサリーグローブの調査はエクスペル中の人に関係することだもんね」
 彼自身はまじめな意見を述べているのだが、その後ろにくっ付いているものがキョロキョロと首を振りまくるので、説得力は無いように見えた。だが、レナもセリーヌも揃って下を向いていたので、その姿を見ることはなかった。
「分かりましたわ……次の大会は来年になってしまいますけれど……」
「仕方ないわね」
 二人はようやく顔を上げ、アシュトンの頭上の光景を見てしばし笑声を立てることとなった。
「それじゃあ、この先どうしよっか?」
 クローとが首を傾げると、レナが言った。
「まずは、ラクール国王に謁見しましょう。クロス王のお話では、ラクールは魔物との戦いが激しいけど、その分、情報もあるってことだったわ」
「そうなんだ。じゃあ、まずは謁見からだね」
 クロードは頷き、四人は人ごみの中を縫って、ラクール城に向かった。途中、ギョロとウルルンは小さな子供に「ママー、僕もあの風船欲しい!」と指差されたが、当人たちは何のことなのか気づかず、クロード、レナ、セリーヌはくすくすと笑い、アシュトンは一人落ち込んだ。

 ラクール城は、クロス城のように五十年毎に改装する習慣はないので、華やかさでは幾分劣るが、だだっ広いクロス城とは違い、実用的な感じがして、クロードは気に入った。謁見受付は城に入ってすぐのところにあったが、カウンターには『ラクール武具大会期間中につき、謁見は中止させていただきます』との札が立っていた。
「あの、謁見は出来ないんですか?」
 クロードが受付の兵士に尋ねる。
「ええ、武具大会期間中は他国からも大勢の人がやってきて、興味本位で謁見を希望なさるかたが多いんです。それに、保安の面からも、大会前後数日間はお断りしているんです。申し訳ありません」
 受付の兵士は頭を下げた。
「そうなんですか……。困ったな」
 クロードは仲間たちのほうに振り返った。
「どうしよう?」
 次に声を発したのはセリーヌだったが、それはクロードに対してのものではなかった。
「わたくし達、ソーサリーグローブについて調べているんですの。ちゃんとクロス王の通行許可証も持っているんですのよ。それでも謁見はさせていただけないのかしら」
 受付の兵士は困った顔をしたが、やがて口を開いた。
「すみませんが、実際のところ大会期間中は王のスケジュールもびっしりと詰まっておりまして。ただ、ソーサリーグローブについて調べたいということでしたら、右手の通路から大書庫に行けますので、そちらで文献をあたってみてはいかがでしょう。関係者でないと貸出はできませんが」
 妙に丁寧に答えられてしまったので、セリーヌは反撃の意欲をそがれ、クロードに判断を求めた。
「仕方がない。そうしてみよう」
 クロードたちは受付の兵士に礼を言うと、言われた通り、中央ホール右側の通路から大書庫に入った。そこは、まさに大書庫と呼ぶに相応しく、数メートルもの高さの書架がずらずらと並び、それぞれの書架には蟻の入る隙間もないほどに、本が詰まっていた。入りきらずに床に横積みにされているものもある。書庫の中の人々は、ほとんどが白衣を着用しており、おそらくは研究者と思われた。
 あまりにも本が多いので、クロードたちは、まず、司書に尋ねてみることにした。
「すみません、ソーサリーグローブについて調べたいんですが……」
「ソーサリーグローブですか。調べたいっていう研究者や学生さんは多いんですけど、ソーサリーグローブそのものについて記した本はないんですよ。大抵のかたは古い神話なんかから謎解きを初めているみたいですね」
「そうなんですか?」
 司書の女性は頷くと、補足して言った。
「ただ、どの本に書いてあるのかは研究してみないと分かりませんから、かなり地道な作業になりますよ。それに、古文書はそれなりの知識がないと読めませんし。一般の方は、研究報告が出てから、それを読むのが一番いいですよ」
 クロードたちは黙ってしまった。これだけの本の中から目的の一冊を見つけるだけでも大変そうなのに、その一冊がどれなのか分からないとは。四人は肩を落としたまま、大書庫を後にした。そのまま、とぼとぼと城の出口の方へ歩いて行き、受付の前を通り過ぎようとしたとき、クロードの脳裏にとある単語が思い浮かんだ。
「思ったんだけど」
 リーダーの声に、二人は足を止めた。
「さっき、司書の人が古文書がなんとかって言ってたけど、僕たちの持ってる古文書を解読してもらいに行ったらどうかな」
 その瞬間、セリーヌとレナの顔が、ぱあっと明るくなった。
「そうすると、リンガですわね」
 クロードは頷いた。マーズ村で、リンガのことは多少聞いている。何でも学問の町だという。
「じゃあ、さっそく行きましょう」
 レナの声に、クロードとセリーヌは頷いた。が、何かおかしいと思う。あたりをキョロキョロと見まわしてから、顔を見合わせる。
「アシュトンは?」
「どうしていないんですの!?」
「迷子か?」
 なんということか、そろって下を向いて歩いていたので、誰も仲間の一人がはぐれたことに気がつかなかったのである。
「仕方ない、大書庫まで戻ってみよう」
 やれやれ、という顔で三人は来た道を引き返したが、書庫に仲間の姿はなかった。書庫を出て、右に曲がれば中央ホールだが、アシュトンが左に曲がった可能性を考え、クロードたちはそちらへ向かった。通路をしばらく行くと、やがて階段が現れた。下りしかないので、下へと降りていく。なぜか明かりがついていないので、階段の下の部屋から漏れる光を頼りに一段ずつ下っていった。
「うわあっ」
 先頭を歩いていたクロードは、突然、何かにつまづいて転びそうになり、とっさに手すりにしがみついた。何かがばさばさと落ちる音がし、続いて声が響く。
「いててててて……」
 アシュトンではなかった。二十歳にしては高すぎる声だが、性別は男であろう。
「もうっ、一体誰だよ!」
 よく見てみると、階段の一番下、明かりの漏れている部屋の前に、十歳くらいの男の子がうつぶせに倒れていた。おそらく、クロードの先を歩いていたのだろうが、背が低いのと暗いのとで分からなかったのだ。辺りには先刻大書庫で見たような分厚くて古そうな本が散乱している。ぶつかった拍子に散らばってしまったのだろう。
 クロードは慌てて駆け寄り、男の子に声をかけた。
「ごめん、ごめん、大丈夫かい?」
 男の子は黙っていたが、少し驚いた顔で、目をぱちくりさせた。やがて立ち上がって埃を払うと、
「お兄ちゃんたち、どこから来たの?」
「えっ? ……ああ、アーリアだよ」
 怪我はなかったようだが、なにか話に食い違いがあるように気がした。
「そういうイミじゃなくってさ。お城の人じゃないでしょ? 見学者なら、こんなところまで入ってこないでよ」
 そう言いながら、男の子は高慢な態度で部屋の扉を指差した。
『関係者以外立入禁止 ラクール王国紋章武器研究所』
「えっ……、あっ」
 クロードの反応には目もくれずに、男の子は本を集めると、立入禁止の扉を開けて中に入っていった。
「まったく、最近の観光客は、レイギってものを知らないよね。いやになっちゃうな……」
 重々しい音を立てて扉がしまると、あとには、恥じる人と当惑する人と憤慨する人が残り、迷える人が現れた。
「おーい、みんな、そんなところで何してるの?」

 リンガの町はラクール大陸の南端に位置するため、昼食を摂ってから出発したクロードたちが着いたのは、馬車に乗ったのにもかかわらず、夕方であった。肉体的な疲労もさることながら、精神的疲労が溜まってしまった幾人かの人々は、その日の活動を終了することを主張した。リーダーもその意見に賛成だったので、彼らは『リンガリンガ』という単純なネーミングの宿に泊まることになった。ところが、どういうわけか、その宿にはベッドが三つしかなく、仲間のストレスの原因となった人物は、多数決によって床で寝ることになってしまった。
「当然ですわ」
 と、一番頭にきているらしい女性メンバーは述べた。

 その夜、クロードは一つ気にかかっていたことについて考えていた。「ラクール武具大会」を一つの知識として意識したのは今日が最初だが、その前に、どこかで一度聞いているような気がするのだ。武具大会とは直接関係のない会話の断片。それには重要な意味が含まれているように、クロードには感じられた。だが、結局、はっきり思い出せないままに、思考は睡魔に飲み込まれていった。

 すがすがしい朝を迎えると、クロードたちは、早速宿を後にした。あらかじめ確かめておいた大学のほうへ向かおうとする。すると、遠くのほうから奇妙な音と甲高い声が聞こえてきた。
「まっ、まて~~!」
 辺りを見まわすが、何もない。
「何だ?」
「泥棒かしら?」
 やがて、声の主が家の影から走り出てきた。一直線にこちらへ走ってくる。女の子だ。年齢は十三歳ぐらいだろうか。しかし、出てきたのはそれだけではなかった。女の子の前方を、丸くて青い玉が走っているのだ。
「あれは!」
 クロードは驚いた。それには、手と足のようなものが生えていて、人間が走るのと同じように関節も曲がるし、きちんとバランスもとれている。
「わっ、わっ、うわ~!」
 青い玉はクロードたちの目の前まで来ると急にUターンしたが、女の子のほうはすぐには止まれず、すべりながらも何とかアシュトンの目の前で方向転換した。
「まてっ、まてったら!」
 女の子は、今度は民家のほうに向かって猛スピードで走っていった。青い玉は家の直前で左折したが、女の子のほうはやはり止まれない。さっきの要領で止まろうとしたが、今度は前のめりに転んでしまった。
「うっひゃ~」
 青い玉は女の子のほうに振り返ると、二、三度飛びあがって女の子をバカにしたようなふりを見せてから、別の方向へ走っていってしまった。
「何ですの? あれは」
 セリーヌが眉をひそめながら言った。レナも首を傾げたが、クロードは頭が混乱していた。
「何で、こんなところに機械が……」
「キカイ?」
 レナが問い返したが、クロードは答えずに女の子のほうへ走っていってしまった。
「クロード、一体どうしたんだい?」
 仲間の声など気にも留めずに走っていくリーダーに、一同は首を傾げながらついて行った。
 クロードが駆け付けると、女の子は起き上がって埃を払い始めた。
「あっちゃ~、しっぱいしっぱい。ま~た、おやじにバカにされちゃうよぉ」
 そしてしばらく辺りを見まわしていたが、クロードたちには気づかないらしい。おそらく、あの青い玉を探しているのだろう。
「大丈夫かい、君?」
 クロードが声をかけると、女の子はようやく気がつき、少しびっくりした表情になった。続いて、アシュトンも声をかける。
「ケガはないかい?」
 女の子はさらに驚いた顔になり、なぜか急に後ろを向いた。他の三人は気づかなかったが、セリーヌは女の子の耳が真っ赤になるのを見逃さなかった。
「えっ、あ……」
 女の子は言葉に詰まったようになったが、そこで息を呑むと、クロードたちのほうに向き直った。
「あ、あははははは。だいじょぶ、だいじょぶ。あたしにとっちゃ、こんなの日常チャメシゴトだからさ」
「それを言うなら、『日常茶飯事さはんじ』なんだけど……、でもまあ、無事でよかった」
 クロードはほっと息をついた。これから、重要な質問をしなければならないので、もういちど軽い深呼吸をする。が、クロードが口を開く前に、女の子がキョロキョロしながら言った。
「あっ、そだ。あのさ、無人くんどこいったか知らない?」
「ムジン……くん……?」
 レナが不思議そうに言うと、女の子は熱心に頷いた。
「そ。あたしのちょっと前を走ってったじゃん」
「たしか、あっちに行ったハズだよ」
 アシュトンが指差して教えると、女の子は眉をぴくっと動かしてから、
「やっば~。急いで追わないと」
 そして、アシュトンとセリーヌの間を駆け抜けた。
「ちょ、ちょっと待って」
 急展開に出鼻をくじかれたクロードは、質問をするため、引きとめようとした。が、女の子は勘違いしたらしい。
「心配してくれてあんがと。ほんじゃ、ば~いば~い」
 小刻みに手を振ると、女の子は走っていってしまった。
「……嵐みたいな子でしたわね」
 セリーヌが言うと、レナも軽く頷いた。そして、最後まで女の子の姿を見届けていたアシュトンが、致命的な発言をした。
「でも、けっこう可愛かったよね」
 その瞬間、三人と二匹の視線が彼一人に集中し、アシュトンは何事かと驚いた。すると、次第に全員の顔が緩んでいき、レナが頷きながら言った。
「へ~え。アシュトンって、ああいう子が好きなんだ」
 アシュトンは、仲間たちの行動の原因を悟り、顔を朱に染めた。十個の目が意味ありげに彼を見つめ、彼は一層顔面を充血させた。
「べ、別にそんなつもりで言ったんじゃ……」
「……図星だったのか」
 仲間の意外な性質を知り、今度はクロードたちが驚く番になった。

 リンガは、世界一の学問の町である。エクスペル唯一の大学『ラクール・アカデミー』があり、店の看板には『薬』の文字が多い。住人の多くは、大学の学生や関係者で、薬学部を出た者の幾人かは、卒業後、この町で薬局を営んでいる。現在は強暴な魔物がいるので危険だが、かつては、よい薬を求めて他の大陸からやってくる人も多かった。自給物が薬しかないため、そのほかの品物は交易によって得なければならないが、リンガの薬は高く売れるので、生活には困らない。他の学部の卒業生が地元や他の町へ出ていくのに比べて薬学部の生徒に残留者が多いのは、町のすぐ近くに『リンガの聖地』と呼ばれる洞窟があるからである。『聖地』とは言っても、宗教的な意味合いがあるのではない。中に入った者は、むしろ『墓場』という印象を受けるであろう、薄気味悪い場所である。しかし、貴重な薬草が数多く取れるため、『薬剤師にとっての聖地』なのである。ただし、古来から魔物の棲みかで、より貴重な薬草を求めて洞窟深くへ足を伸ばした幾多の薬剤師たちが、命を落としている。ましてや、現在は魔物が狂暴化しているため、既知の領域でも進入するのは危険である。
 アシュトンの顔が通常の色に戻ると、クロードたちは大学へと向かった。案内板を見て、古文書に関係のありそうな学科を探す。それほど大きな建物ではないのに、実に様々な研究を行っていることに、クロードは驚いた。さすがにエクスペル唯一の大学と言うだけのことはある。しばらく見ていくと、『文学部古代言語学科』という、それらしいものを見つけた。担当教員の名前を記憶して、受付に行く。
『すみません、文学部のキース・クラスナ先生はいらっしゃいますか』
 まだ若い受付の女性は、一旦頷きかけたが、すぐに首を振って訂正した。
「いえ、現在は休暇をとっておられます。どこにいらっしゃるかはわかりません。申し訳ありません」
「本当ですの?」
 一度は頷こうとしたことに疑問を感じたセリーヌは少し強い調子でたずねたが、受付の対応は変わらなかった。しかし、そこに助っ人が現れた。
「キース先生の家なら知ってますよ、俺」
 通りかかった学生が、声をかけてきたのだ。
「本当ですか?」
 レナが尋ねると、学生は彼女を見て目を見張った。そして、次の瞬間には何らかの原因によって大変気分をよくしたらしい。これから授業に出なければならないが、家までなら案内してくれるという。
 キース博士の家は、『リンガリンガ』と通りを挟んで隣同士で、先程、女の子と話をした場所であった。
「じゃ、俺は行くから」
 と学生はレナに言い、クロードに妙な視線を突き付けてから大学のほうへ足早に去っていった。
「いい人だったわね」
 レナが嬉しそうに言うと、クロードも笑顔で頷いた。
「そうだね」
 この鈍い男はどうにかならないか、とセリーヌは思ったが、口にも表情にも出さなかった。
 クロードがノックすると、中から学生らしい男性が現れた。分厚い眼鏡をかけている。
「なんですか、あなたがたは?」
 明らかに面倒くさそうな口調だったが、クロードは気にしないことにした。
「すみません、僕たちは言語学者を探してリンガに来た者ですが……」
「キース先生にお会いになりたいと?」
「はい」
 学生は細かい瞬きを繰り返すと、首を横に振った。
「あーあー、ダメですダメです、先生は休暇を取られて、武具大会をご見学に行ってらっしゃいますからね」
「武具大会?」
「そうですよ。それが終わるまで、こちらに戻っては来ませんね。またその時にでも、いらしてください」
「じゃあ、今からラクール城に行けば会えるでしょうか」
 クロードが言うと、学生は首を傾げた。
「さあ……。結構、あちこちに行かれるかたですから。大会前日にはいるでしょうけど」
「そうですか……」
 クロードは肩を落とした。今でさえあれだけの人々であふれかえっていた
「そういうことですので」
 学生は大きな音を立ててドアを閉めた。
「八方ふさがりですわね」
 セリーヌがドアを睨みつけながら言った。とりあえずその場を離れ、広場のベンチに腰掛ける。
「どうしようか、これから」
 アシュトンが議題を掲げた。
「どうしようって言ってもね……」
「なんだか、やる気がなくなってしまいましたわ……」
 一同は沈黙し、空を見上げたり足で土を巻き上げたりした。そこへ、レナが自分の要望を提出する。
「あの……、私、もう一度大学に行ってみたいんだけど」
 全員が注目すると、すこし恥ずかしそうに、レナは説明した。
「私、学校に憧れてたの。さっき入ってみて、こんなところで勉強できたらなって……」
 エクスペルには初等教育機関がない。家庭か教会で、神や自然の摂理について学ぶのである。大学へは入りたい者が入り、好きな研究ができる。地球で言えば、古代ギリシアのような、あるいは中世ヨーロッパのような教育制度なのである。ただ、このほうが自然だ、とクロードは思う。学校の勉強はよく出来たが、べつに好きだったわけではないし、それでも学校に通い続けたのは、嫌いじゃなかったから、である。もっとも、現在は嫌いであるが。
「うん、じゃあ行っておいでよ。僕はちょっとここにいたいから」
 リーダーが許可したので、他の面々も自分のしたいことを告げた。
「わたくしはその辺をぶらぶらとしてきますわ。薬屋さんばかりですけど」
「じゃ、僕もちょっと……」
 アシュトンはなぜか怪しげな歩調で去っていったが、クロードは気にしないことにした。目をつむって、昨晩の考えごとを続ける。
「ラクール武具大会か…。どこで聞いたのかなあ……」
 クロス大陸だったことは確かである。ラクールへ渡る前は、ギョロとウルルンを払い落とすために、遺跡探検や山登りをした。仲間以外とは口を利く機会がないが、仲間との会話ではない。その前は、龍退治のためにサルバにいた。サルバでの情報源はアレンだが、彼とそんな話をした覚えはない。その前は港街ハーリーだ。だが、滞在期間はごく短い。「すると、その前か……。その前はマーズで、ディアスが……」
 瞬間、クロードの頭の中に電撃がほとばしった。
「そうだ!」
 ぱっと目を開けると、目の前に、さっきの女の子が歩いていた。青い玉を連れている。
「いいことは続いて起こるみたいだな」
 クロードは急に上機嫌になった。やさしい口調で女の子を呼ぶ。
「あれっ、たしかさっき会ったよね? あたしに何か用?」
 クロードは大きく頷いた。
「ああ、うん。ちょっと聞きたいことがあってね」
 そう言うと、女の子はなぜか、にやついた。
「もしかして、ナンパ? そんなら、あたしは大歓迎だよっ」
「違う、違う。そんなんじゃないから」
 クロードは思いっきり首を横に振った。
「そんな、ちからいっぱい否定しなくても別にい~じゃん。あたしに失礼だよ」
「ご、ごめん」
「まっ、い~や。そんで、あたしに何の用なの?」
 女の子はかわいらしく首を傾げた。クロードはちょっと考えてから、青い玉のほうを指差す。
「正確には、君じゃなくて、君の持ってる物に興味があったんだ」
 その言葉を聞いて、女の子は青い玉とクロードの顔を、瞬きしながら交互に見比べた。
「……これ?」
「うん。それって、ラジコンカーだよね?」
 クロードが言うと、女の子はいやそうな顔をした。
「え~? そんなダサダサな名前じゃないよ~。『無人くん』って~の。あ~、でも無人くんてのもダサダサかな?」
「いや、そんなことないと思うけど……」
「ホント? よかった。ちょ~っと気になってたんだよね。何かラララ…♪て感じじゃん」
 どこか別の世界の話に、クロードはついていけなかった。だが、女の子は特に気にする風でもなく、話を続けた。
「あのさあ、これ……面白かったの?」
 ちょっとまじめな表情になったので、クロードは少し驚いた。
「えっ?」
 女の子は『無人くん』の手を握り、頭とも胴体ともつかぬ部分を撫でてやった。すると、それに反応して『無人くん』は嬉しそうにステップを踏んだ。
「あたしの持ってる物、面白いって思ったの?」
「そりゃあね。だって、どう見てもラジコンそのものだったからね」
 女の子は首傾げた。
「そのラジコンて~のはよくわかんないけどさ。無人くんのことを面白いって思ったんなら、きっと気があうんだよ、ね。よかったらさ、あたしん家に来てお茶しない?もっと面白いものを見せてあげられるからさ」
 クロードは軽く目を見張った。
「いいのかい?」
「言っとくけど、逆ナンじゃないよ」
 女の子はまじめな顔で言い、クロードは苦笑しながら後頭部に手をやった。
「別に構わないけど……」
「そんじゃ、全然いいよ。あたしプリシス、『プリシス・F・ノイマン』って~の」
 そこまで言うと、女の子は腕を広げて片足で一回転し、ぴたっと止まってVサインを作った。
「よろしくね」
「あ、うん。僕はクロード、クロード・C・ケニー」
 なんとなくポーズをつけなければならないような感覚に襲われたが、辛うじて踏みとどまった。
「ふ~ん。よろしく、クロード」
「よろしく」
「じゃ、ついて来て」
 プリシスは、無人くんを先に歩かせて、とことこと歩いていった。クロードがついていくと、後ろ歩きになりながら、
「ねえねえ。そ~いえばさぁ、クロードって今いくつなの?」
「今年で十九歳だけど」
 クロードは首を傾げた。
「そんじゃあ、あたしと3つ差かぁ。じゃあ、ぜんぜんオッケーじゃん」
「何が?」
 クロードは首を反対側に傾けた。
「何だと思う?」
 プリシスはにっと笑ってからまた前を向いた。クロードは何のことだか分からなかったが、そんなことよりも、一見十三歳程度に見えたこの子が実は十六歳であり、レナよりも一つ年下でしかないことに、驚かずにはいられなかった。
 その衝撃が収まらないうちに、プリシスはもう一つ尋ねてきた。
「そういえば、クロードと一緒にいた青い髪の女の子ってさ~。あれってクロードの彼女?」
「ち、違うよっ!」
 結局、クロードも思いっきり否定し、王国ホテルでのレナの態度を非難できないということが、ここで判明した。
「ふ~ん、そうなんだ」
 プリシスが妙に感心したように頷くと、無人くんが跳ねた。目の前の建物を指差している。
「ここが君の家かい?」
「そ~だよ」
 プリシスは、どこか誇らしげな表情で言った。
「さっ、あがりなよ」
 ちょいちょい、と手招きして、プリシスは家の中に入り、無人くんは隣の倉庫のような建物のほうに入っていった。
「おじゃまします」
 玄関を入ると、なぜか目の前に、衝立があった。『神羅万象』と意味不明な言葉が書いてある。さらに奥に進むと、そこには畳があって、背の低いテーブル……ではなく、コタツがあった。そこまで来ると、クロードは『ニッポン』という言葉を容易に思い出すことが出来た。なぜか母親が『ニッポン』の文化にハマっていて、家には屏風やら掛け軸やら着物やらが飾ってあり、改築して和室まで造った。また妙なところで懐かしいものに巡り合ったものである。
 コタツには、先客がいた。
「あれ、レナ? どうしてここに?」
「クロードこそ、どうして」
 なんと、レナが、誰か知らない中年男性とコタツで緑茶をすすっていたのだ。クロードとレナは互いに理由を説明しようとしたが、その前に別の話が始まった。
「何だよ~、親父! デートするならデートするで、先に言っといてよ」
 プリシスが言うと、コタツの中の男性はあからさまに怒り出した。
「何を言っとるか! お前こそ、男を連れ込むなら連れ込むで、ワシに見つからんようにせんか!」
 クロードもレナも、言うべき言葉を失い、ただ唖然としながら、風変わりな親子喧嘩をしばし見物することになった。

「それじゃあ、レナもこれに興味があった~ってわけ?」
 ようやく喧嘩が収まり、全員がコタツに入ってそれぞれの話をした後、プリシスが大声で言った。
「え、ええ」
「そういうことだ。まあ、真の天才もいつかは人に理解して貰えるときが来るということだ」
 プリシスの父、グラフト・ノイマンは、娘に向かって自慢げに語った。だが、プリシスはそれを素直には受け取らなかった。
「たいてい、死んじゃったずっと後にだけどね」
「一言多いぞ!」
 そのやり取りを見て、クロードは苦笑しながら言った。
「まあまあ。……だけど、どうしてここにあるような物を作ろうと思ったんですか?」
 すると、なぜかグラフトは急に顔色が変わった。
「え!? あ……いや。その……自分で言うのも何だが、天性の閃きってやつだろうな。わっ、わははははは……」
「はあ、そうですか」
 なにか釈然としないものを感じたが、新たな疑問をぶつける前に、反撃が来た。
「そんなことよりも、だ。ワシはさっきから、君の服装のことが気になっとったんじゃがな。他の人とは違うじゃろう」
 今度はクロードが表情を一転させる番になった。
「そ、そうですか? そこいらで売っている普通の服ですよぉ。は、ははははは」
「そ、そうかも知れんな、あはははははは……」
「そうですよ、あはははははは」
 二人はわざとらしい笑い声を立てながら、見詰め合っていたが、この後どうすればよいのか分からなくなった。
「ねえ、クロード……」
 小声でレナが言い、柱時計のほうを見た。その意図を察したクロードは、妙な笑いを止めて、表情を改めた。
「えーと、みんなも待っているし、そろそろおいとまさせて貰います」
 そう言って立ち上がり、身の回りを確認する。
「お、そうか。たいしたもてなしもできずにすまんな」
 会話が危ういところで途切れることに安心したのか、グラフトは引き止めようとはしなかった。
「いえ。お茶、美味しかったです」
 レナが礼を述べると、グラフトはニコニコと頷き、お土産にお茶っ葉をたくさんくれた。

 二人は外に出ると、まず第一に、ほっと息をついた。なんだか別次元の空間へ行ってきたみたいで、面白かったが、そこから出てくると安心しないわけにはいかない。しかし、そこへ奇妙な空間を形成していた一人が追ってきた。
「プリシス?」
 プリシスは少し息を整えてから口を開いた。
「さっきさ、親父が天性の閃きとか何とか言ってたけど、あれ嘘だかんね……」
「嘘?」
 クロードはぼそっと言ったが、半ば分かっていたことではある。
「昔ね……。ウチの親父が、ぴかぴか光る変な鉄の塊を拾ってきたんだ。すごくおっきいの。なんか、空から落ちてきたって言ってた……」
 そこまで聞くと、レナは首を傾げた。
「落ちてきたっ……て。ソーサリーグローブみたいに空から?」
「うん、たぶんね」
 プリシスは頷くと、クロードに一歩近づこうとした。
「それでね……」
 しかし、なぜかレナがその間に立った。妙に固い笑顔を作っている。
「それで……?」
 レナの奇妙な行動に、プリシスは二、三度瞬きし、
「ねえ、レナ。もしかして、やきもち妬いてプンプンなの? だったら、素直にそう言いなよ。あたしは別に、ライバル全然オッケ~なんだからさ」
 プリシスはあくまでも明るい口調だが、レナのほうはそういうわけにはいかない。
「ちょっ……私は、……そんな」
「そんならい~じゃん、別に! それとも、やっぱクロードのことが気になるの?」
 レナは頬を赤らめて、横を向いた。
「そ、そんな訳ないでしょ」
 プリシスはレナの顔の方向に移動して、覗き込んだ。
「じゃあ、問題ないじゃん」
 すると、レナは反対の方向を向いて、大声で叫んだ。
「問題あるの! 大有りよ!」
 プリシスもすかさずレナの真正面に立つ。
「なんで~?」
 レナは右に九十度回転した。耳のほうまで赤くなりかけている。
「な、なんでって……」
 レナの回転にあわせ、プリシスは移動した。
「なぜ、なに、ど~して? なんでなの~?」
「そ、それは……ね……」
 何か素晴らしい理由を探そうと当てもなく視線を泳がせると、丁度、地面の上に丸い石が落ちていた。
 レナは天啓を受けた。
「そう! ソーサリーグローブ! ソーサリーグローブのせいなのよ!」
 そこから急にまじめになって、レナはきょとんとしているプリシスに説教をはじめた。
「いい、プリシス。私たちはこれから、ソーサリーグローブの探索に行かなければならないのよ。悪いけど、あなたに構っている暇はないの」
 レナが言うと、プリシスは細かい瞬きをしてから首を傾げた。
「ちょっと待ってよ、二人とも。もしかしてクロードたちってさあ、ソーサリーグローブを見に行こうとしてんの?」
「ああ、そうだけど……」
 それを聞いて、プリシスは飛びあがった。
「あ、あたしも行く!」
 さらにぴょんびょん跳びはね、プリシスはおねだりした。
「ねえ、お願い。あたしも一緒に連れていってよ」
「そ、そんなこと言われても……」
 レナは回答を避け、プリシスは悲しげな表情を作った。
「え~っ、ダメなの~? あたしだって仲間じゃん」
「おいおい、いつの間に仲間になったんだよ」
「あたしはずっとそのつもりだったよ? な~に? あたしは仲間外れ?」
 そう言われると、ダメとは言えないのが人情である。
「別に、そういう訳じゃないけど……」
「じゃあ、問題ないじゃん。だってさ、ソーサリーグローブも、空から落ちてきたんでしょ? だったら、それ持って帰ってくれば、今よりもっとすごいものが作れるよ。それにさ、……」
 そこまで上機嫌だったプリシスは、とつぜん落ち着いた調子になった。むしろ逆転したとも言える。声量も幾分低い。
「それにさ。あたしのことをフツ~の女の子として扱ってくれたのって、クロードだけだったしさ……」
 その言葉に、レナははっとした。
「プリシス……」
 今の言葉で、この一見明るい少女の心中が垣間見えた気がした。多分、プリシスはキカイにのめりこんでいる変わった子、として見られてきたのだろう。それは、不思議な能力のある子、レナとどことなく似通っているように、レナは感じたのである。
「わかった。一緒に行こう」
 クロードは決断した。プリシスの表情が元に戻る。
「ホント。クロード」
 クロードはレナを見たが、
「まあ、しょうがないでしょ」
 駄々をこねる子供を許してやる母親のような口調で、レナは言った。もちろん、プリシスは跳びあがって喜んだ。
「やった~。ほんじゃさ、あたしイロイロと準備してくる。ちょっと待ってて」
 言うなり、プリシスは猛スピードで家に戻って行った。
「これからは賑やかになりそうね」
 クロードは頷き、レナが、プリシスの参加をむしろ喜んでいるように感じた。
「でも、これからどうしようか」
 レナが、少し心配そうに尋ねた。クロードは、少し考えてから、思いきって自分の考えを打ち明けた。
「レナ、ラクール武具大会に参加したいと言ったら、君は驚くかい?」
「……えっ?」
 突然のことに、レナは呆気にとられた。
「さっき思い出したんだけど、マーズで、ディアスは『ラクール武具大会の腕慣らし』のために山賊退治を引き受けたんだよな?ということは、ディアスは武具大会に出るってことじゃないのかな」
「多分、そうだと思うけど……」
 レナは、よくわからない、という感じてゆっくりと答えた。
「もしこの大会に出場してディアスと戦える可能性があるのなら、僕は参加してみたいんだ」
 そこで、レナは大きく目を見開いた。
「ディアスと剣を交えてみたいの?」
 それに答える前に、クロードは目を瞑り、深呼吸した。
「彼の剣の強さは相当なものだと思う。分かるからこそ、試してみたいんだ。自分がどの程度の力を持っているのかを。そして、彼自身についてもね」
「クロード……」
 レナは両手を握り締めた。あの日からクロードなりに考えてきたことを聞き、その強い思いに美しさを感じるとともに、信頼する二人が試合とは言え争うこと、ディアスの剣の腕がクロードよりも遥かにに上であることを考えると、不安な気持ちは拭い去れない。
「どうかな」
 クロードは、まっすぐにレナを見つめた。イエスを欲してはいるが、自分への思いやりも伝わってくるだけに、レナは悩まずにはいられない。おそらく、これまでの冒険で、人生で、最大の決断になるだろう。だが、目を閉じてから二人の顔を思い浮かべたとき、答えは簡単に導き出された。
「わかったわ」
 それを聞いて、クロードは少し驚いたが、笑顔を作って礼を述べた。
「ありがとう」
「でも、無理はしちゃだめよ」
「うん、わかってる」
 クロードか言うと、レナは気持ちのよい笑顔を浮かべ、クロードも笑った。これまでで、一番心が通じ合った、と思える一瞬だった。
「お待たせ~っ」
 丁度よいタイミングで、元気娘が戻ってきた。無人くんを連れ、大きなリュックサックをしょっている。
「ごめんね~。なんせ初めての冒険だからさ、なにを持っていくか、すっごい悩んじゃったよ」
「もう準備はいいのか?」
「も~ばっちり」
 言いながら、プリシスはVサインをつくった。クロードが、そうか、と頷きかけた瞬間、突然、背中のリュックサックから巨大な何かが飛び出した。
「うわあぁぁっ」
「きゃっ」
 それは、大きな手で、ちゃんとVサインを作っていた。
「あ~、ゴメンゴメン」
 プリシスがそう言って頭を書くと、その巨大な手も全く同じ動きをした。
「な、なんだ、それは!」
 やっとのことでクロードは言った。
「これ? これはね、ターボザックって言うんだ。あたしの手とおんなじに動くんだけど、力はものすごく強いんだよ♪」
「す、すごいのね……」
 レナが怯えながら誉めると、プリシスは喜んで一回転した。すると、なぜか無人くんも真似して一回転したが、失敗してひっくり返ってしまった。
「と、ところで、お父さんにお別れの挨拶はしてきた?」
「へへっ。ちょっと照れくさかったケドね」
 プリシスはぺろっと舌を出して頷いた。
「よし、じゃあ広場へ行こう」
「うん」

 広場へ戻り、プリシスをセリーヌたちに紹介すると、クロードはレナに言ったことを全員に話した。しばらく黙っていたが、セリーヌが慎重に口を開いた。
「彼と対戦できるかなんて分かりませんわよ?」
 クロードは頷いた。
「彼は必ず決勝に出てくる。それなら、僕も決勝に残るまでさ」
「それなら、存分におやりなさい」
 セリーヌは言い、他の一同も頷いた。
「みんな、ありがとう」
「その代わり、」
 セリーヌは付け加えた。
「その代わり、優勝賞金と賞品は、確実にゲットしてきてくださいね」
「それは、もちろん」
 セリーヌはにやっと笑って頷き、他の一同も同じように頷いた。
「よし、じゃあさっそく受付をしに城に戻ろう」

「クロードが武具大会に参加することになったから、数日はラクール大陸にとどまるというわけね」
 ラクール城で受付を済ませた後、ホテルのレストランに寄ったとき、レナが言った。
「ごめん、勝手なこと言い出して」
 クロードは謝ったが、アシュトンは首を振った。
「全然問題ないと思うよ。クロードが今の実力を知るいい機会だと思うし、優勝できたらもっと自分に自信を付けることができると思うもん!」
「ありがとう、そう言ってくれるみんなのためにも、武具大会では必ず優勝しないとな……」
 クロードは拳を握り締めた。
「でもその前に、武具店を探さなければならないんじゃないですの?」
「そうか、ただお城で登録しただけじゃダメなんだっけ」
「武具店でも登録が必要だからね」
 クロードは頷いた。武具の優劣を争うのも目的の一つなので、登録した武具店の出品したい武具を装備して出場するのが、決まりである。
「ラクールにはたくさん武具店があるから、その中から選べばいいのよ」
「よし、食事が済んだら、とにかく一軒ずつ、見て回ってみようか」

 たしかに武具店はたくさんあるのだが、すでに大会まで日がなくなっているため、よい武器は出払っており、小さい店では予約一杯のところもあった。そんな中でクロードが選んだのは、攻守ともにバランスのとれた武具を用意している、『ストレート』という店だった。
「これならよっぽど殴られない限り倒れないって。安心して戦っていいぜ」
 店主は妙な表現で保証したが、クロードはあまり気にしないことにした。
「僕は後は何かすることはありますか?」
「大会当日に受付から、俺の店の武具をもらって装備してくれればいいよ。それまでは特にすることはないな。当日は応援に行くからな。その時までは持ちこたえてくれよ」
 言いながら、店主は『武具大会参加バッジ』を手渡した。
「これがあれば、選手だけじゃなく関係者もタダで泊まれるからな、なくすんじゃないぞ」
「あ、はい、どうも」
 タダで泊まれなくても結構だが、バッジをなくして出場できなくなるほうがよほど困るのではないか、とクロードは思った。

 『ラクールホテル』のルーム・ゲイツには、全員が集まっていた。なんとなく全員が緊張してしまって、室内は静かであった。
「あとは大会当日を待つばかりですわね……」
 ようやくセリーヌが口を開くと、むしろ場の雰囲気で黙っていたと思われるプリシスがそれに続いた。
「大会でさ、スカウトマンに声かけられて、アイドルになっちゃったらどうしよっ♪」
 そんなことを聞かれても困るので、誰も答えなかったが、それぞれ微笑して見せ、プリシスは満足した。
「僕もギョロとウルルンがくっついていなければ出場できたのになあ……」
 ふうっ、とため息をつこうとした瞬間、アシュトンは左右から攻撃を受けた。
「ギャフギャフッ!」
「ギャフギャフッ!」
「うわああっ、ごめんごめんっ」
 アシュトンは髪の毛を何本か毟り取られ、プリシスは声を立てて笑った。しかし、それも束の間のことで、再び沈黙が訪れた。クロードは緊張しないようにしているつもりなのだが、どうしても声が口を突いて出ないのである。明日が試合だから、というわけではないのだが。
「ディアスは本当に出場するのかしら……。どの街でも見かけなかったけど……」
 レナはそう言うと、うろうろと歩き始めた。時々立ち止まっては、また歩き始める。
「時間って、待つ身になると、長く感じられるものなのね」
「あら、レナのほうがソワソワしていてどうするんですの? 参加するのはクロードですのよ」
 レナは首を傾げた。
「そうね、私が落ち着かないのもおかしいわよね」
 そう言うと、レナは部屋を出ていこうとした。その行動に驚いて、クロードは声をかけた。
「レナ?」
「私がいるとクロードもみんなも落ち着かないでしょ? ちょっと町を散歩してくるだけだから」
 レナは落ち着いた調子で言い、部屋を後にした。
「そんな、気を遣わなくていいのに……」
 その瞬間、全員の視線がクロードに集中した。
「ほんとーに、それだけかなー」
 プリシスが意味ありげに言い、アシュトンがそれに応じた。
「僕が言うのもおかしいけど、他の理由がありそうだよね。
「えっ?」
 クロードは驚いた。自分は全く気づかなかったのに。
「ディアスと出会えるってことを、ヒソカに意識してるんじゃないかしら?」
「……レナ……が?」
 クロードはどきっとした。
「最初は会うつもりはなかったかも知れないけど、クロードが出場するんじゃ、いやでも会うことになるでしょう? そうしたら気にならないほうがおかしいんじゃないですこと?」
「トツゼン出会っちゃったら、ちょっとドラマちっくにドキドキしちゃうかもだよねえ。ケッコーいい男なんでしょ? あたしだったらドーヨーしちゃうな!」
 プリシスが胸の前で手を合わせながら言い、クロードのドーヨーを誘った。
「だとしても、僕が気にすることじゃないさ」
 その答えに三人と二匹は顔を見合わせ、
「ふーん……」
 三人揃って、いかにもつまらなそうに言う。
「なんだよっ」
「べっつにー」
 関係ないことを装うと、クロードの顔は赤みを帯びてきた。
「言いたいことがあるなら言えよなっ」
「ないけどねー」
「ありませんわー」
 言葉とは反対の意味を持たせると、クロードは顔を真っ赤にした。
「もーう!」
 しかし、心の中はそれほど不安定ではない。ディアスのことについては、マーズでレナと話して誤解だということが分かった。だからどうなる、ということではないが、レナにとってディアスは、家族の一員のようなものなのだ。会ったからといって何が起きるでもないはずだ。
 このときは、そう信じているつもりだった。

 しばらくの雑談の後、セリーヌとプリシスは退室し、後にはクロードとアシュトンが残った。一度、深呼吸して、急に静かになった部屋を無意味に眺めてみる。
「僕、シャワーを浴びてくるね」
 アシュトンが言い、クロードは頷いた。ギョロとウルルンは嬉しそうに首をくねらせた。派手ではないが高級そうな黒い上着を脱ぐと、アシュトンは浴室へと入っていった。天然の油脂で防水加工された木製のドアが、静かに閉められる。
 自分を気遣ってくれたのかな、とクロードは思ったが、彼の行動はいまいち理解できないところがある。だが、気遣ったにしろ気まぐれだったにしろ、一人になれたのはありがたいことだった。
 軽く身体をほぐして、突然ベッドに倒れこむ。特に精神的に疲れたため、そのまま眠ってしまいたい気持ちになったが、その前に一つだけ確認すべきことがあった。
「レナ……帰ってきたのかな……?」
 先刻、落ち着かない様子で出ていったレナだが、一時間経過した今になっても、戻ってきた様子がない。みんなでこの部屋にいたのだから、帰ってきたのなら顔を出してもよいはずだった。そうなると、やはりまだ外出しているということなのか。
「どこに行ったんだろう……」
 ふと、脳裏に空色の髪をした剣士の姿が浮かんだ。反射的に首を横に振る。
「まさか。どこにいるかも分からないのに」
 自嘲気味に呟くと、クロードは立ち上がった。浴室の前まで行き、ノックする。
「アシュトン、僕、ちょっと外の空気を吸ってくるから」
「あ、うん。分かった。気をつけてね」
 マイペースな返事を聞くと、クロードは部屋を出た。すでに夕方という時間が終わろうとしており、廊下には美しい形をしたランプが灯されていた。隣室にはセリーヌとプリシスがいるはずだ。レナも同室だから、ちょっと訊いてみればよいのだが、帰ってきていたとして、どうすればいいのやら分からない。クロードは、そのまま素通りしてロビーのほうへ歩いて行った。
「みなさーん、いらっしゃいますかぁー?」
 廊下が広間に変わろうとしたとき、突然、甲高い女性の声が響いた。他にも、いろいろな声が聞こえてくる。
「まず、お荷物はこちらへ置いてくださーい」
 クロードがロビーへ着くと、そこは団体客で埋め尽くされていた。明日の武具大会の見学ツアーでも企画されたのだろう。とにかく人、人、人の海で、入り口までビッシリと詰まっている。これでは外へ出ることが出来ない。
「次に、こちらでお部屋の鍵をお受け取りくださーい」
 一番目立つこの声は、おそらくはガイドのものだろうが、声はすれども姿は見えず、自分の客たちの中に埋もれているらしい。
「まいったな……」
 後頭部に手をやりながら、クロードは辺りを見まわした。すると、人と人との隙間の先に、見知った顔があった。
「レナ……?」
 青黝あおぐろい髪、尖った耳、三日月型の髪飾り、その他どこをとっても、見誤りのしようがない。確かにレナだった。無意識のうちにクロードは歩き出したが、レナのところまで行くには、この人間大河を越えなければならない。クロードは渡航を断念したものの、そのまま少女の様子を観察していた。
 レナは、うつむいて、元気がないように見えた。時折、入り口のほうを見ては、少し心配そうな顔を作る。明らかに誰かを待っているのだ。
 ──誰を?
 その答えは、一つしか見つからなかった。しかし、クロードには結論を下すことができなかった。
 ──何故?
 あの二人には何もないと分かっているのに。さっき、ちゃんと納得したはずなのに。みんなの言葉に動揺してるのか? それとも……。
 存在を知っていながらも触れたくない答えの周りをぐるぐると巡っているうちに、レナの顔が一転した。勢いよく立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。視線は、入り口のほう。
 慌ててそちらに目をやるが、人ごみに隠れて、レナの見ているものが何かは分からなかった。やむを得ずレナに視線を戻す。
 ──なんで、あんなに嬉しそうなんだろう。
 レナは、その人物と何か言葉を交わしていた。表情が豊かに変化する。それは、これまでクロードが見たことのないものであるような気がした。
 ──なんで……?
 クロードは、切羽詰ったように息苦しくなっている自分に気づいた。それこそ、なんで自分はこんなにも冷や汗をかいているんだろうか?
「わっ、ちょっと、ど、どいてぇ!!」
 突然大声がして、気づくと、目の前に大きなトランクを抱えた女性がいた。バランスを崩して、こちら側に倒れてくる。
「うっ、うわあっ」
 クロードは素早くかわしたが、女性のほうは見事に倒れてしまった。トランクがゴトンゴトンと回転し、壁にぶち当たる。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
 女性は埃を払いながらゆっくりと起き上がり、手を差し伸べるクロードの顔を見ると、突然驚いた顔になった。
「ク……クロウザー王子!?」 
「え?」
 クロードには何のことだか分からなかったが、その一言で、周囲の人々が集まり始めた。
「本当だ……」
「まさか……」
「王子だ……」
 団体客らは、クロードを見て口々に言った。
「クロウザー王子、どうしてこのようなところへ……?」
 女性が頬を染めながらクロードの手を握るに及んで、クロードは反射的に逃げ出した。が、既に背後にも人だかりができていて、それは無理なことであった。
「ああ、王子……」
 今度は、逃げようとした方向にいた女性が寄ってきて、またもやクロードの手を握り締めた。
「うわわわあぁぁっ!」
 クロードが大混乱に陥ったそのとき、救いの女神は現れた。
「なんなんですの、この騒ぎは? 少しばかり騒々しくってよ」
「なになに、な~に~?」
 セリーヌとプリシスが、部屋から出てきたのだ。
「あら、クロード、そんなことをしていると、レナに嫌われちゃいますわよ?」
「あ~っ! ズルい!」
 言われて、クロードは急いで女性の手を振り解いた。その様子を見ていた若い男性が、セリーヌに言った。
「なんなんです、あなたは。この方はクロス王国王太子クロウザー・T・クロス殿下なんですよ!」
「はあ?」
 クロードたち三名は、きょとんとして、次に大笑いを始めた。
「そんな、馬鹿なこと、おっしゃらないで……ククッ……クロードが王子様なんて……」
 しかし、対照的に、男性は怒りはじめた。
「馬鹿なこととはなんだ。ここにご本人がいらっしゃるんだぞ!」
 もちろん、セリーヌは真に受けて謝ったりはしない。
「だって……、本物の王子様は、先日ラクールのお姫様と結婚なさったばかり。それなのにこんなところにいるはずないでしょう?」
 しまいには涙を流しながら、セリーヌは笑いつづけた。
「そ、そう言われれば……」
 男性は笑う女に誤りを正され、なんだか複雑な気持ちになった。
「そう言えばそうよね……」
「しかし、よく似ている……」
 周囲の人も納得したらしく、すでに興味を失って離れていく人もいた。おおかた、王子に会えた、という感激で、結婚したとかいう細かいことは一時的に忘れてしまったのだろう。
「みなさーん、これからお部屋に移動しまーす。ちゃんとついて来て下さいねー!」
 ガイドの声が響くと、そっくりさんを観察していた人々も、いなくなっていった。
「まったく……、とんでもないことになったゃったな」
「でもさー、クロードってホントに王子様に似てるのー?」
 プリシスが尋ねたが、クロードはもちろん知らないし、唯一答えられるであろうセリーヌはお腹を抱えて笑っている最中だった。
 やれやれ、とロビーのほうを振り返ると、すでに誰もいなくなっていた。誰かと話していたはずのレナの姿も消えている。こちら側の通路に入ってきたはずはないから、外へ出ていったか、あるいは反対側の通路、つまり団体客と同じ方の通路へ入っていったか、である。
 急に不安そうな顔つきになったクロードを、プリシスは不思議そうに見上げた。

 後でセリーヌが話したところでは、確かにクロードは王子に似ているらしい。しかし、それならクロス大陸にいたときにもっと騒がれてよいはずだ、とクロードは言った。ところが、クロス王子クロウザーは、滅多に人前に出ないのだという。ごく稀に王に代わって王子が謁見することがあり、そのとき以外に一般人が王子の顔を見ることは無いらしい。先ほどの女性や野次馬は、偶然そういう機会にめぐり合った人々なのだろう、ということだった。自分も王子に謁見したことがあるのか、と訊かれ、セリーヌは言った。「わたくしはトレジャーハンターなんですのよ?」

 その晩、クロードは寝付けないでいた。明日の試合のため、ではない。今日の出来事のためである。不思議なことに、武具大会に出場することには全く緊張がなかった。もちろん、優勝できればそれに超したことはないが、途中で負けてしまっても、自分が力を出し切っての結果ならそれでいいと思う。
 それよりも問題なのが、今日のレナの様子である。ホテルに着いて以来、彼女が落ち着いていたのは、団体客の向こうで誰かと話しているときだけだった。しかも、とても嬉しそうにしていた。相手は、多分、ディアスだろう。彼が出場することは何ら意外ではなかった。彼を超越するのが目的ではないから、とくにプレッシャーは感じていなかった。とにかく、彼と戦いたいのだ。
 だが、なぜ戦うのか、ということになると、クロード自身にもはっきりとした理由はわからないのだった。ただ、ディアス(と思われる人物)と話していたときのレナの顔を思い浮かべると、途端に彼に対して針を向けたくなるのは事実だった。

 翌朝、ほとんど普段通りの時刻に目覚めると、まだ眠たい体を起こして身支度を始めた。アシュトンは、すでに全ての支度を整え、部屋を掃除している。
「おはよう、クロード」
 全く緊張感を感じさせない口調は、昨晩からクロードの胸中にあるもやもやを幾分晴らした。
「おはよう」
「ギャフギャフ」
「ギャフフーン」
 こうしていつもの朝を迎えると、昨日うじうじしていたことが嘘のように思えた。
 運ばれてきた朝食をたいらげ、荷物の最終チェックを済ませると、二人は廊下に出た。
「おっはよー、クロード!」
 元気のいい声が響く。もちろん、プリシスだ。無人くんを従えて、勢い良く手を振っている。
「おはよう、プリシス」
 笑顔を返してやると、彼女の部屋から続いてセリーヌが出てきた。そして、最後にレナが、やや眠たそうに出てきた。その様子を気遣うようにセリーヌが言う。
「ほら、大丈夫ですの?」
「はい……でも……」
 言っているそばからあくびが出てきて、思わず口に手をやったとき、レナはクロードに気づいた。
「あ……」
 なぜか、クロードは顔がこわばり、声が出なくなった。
「……おはよう」
「あ、うん、おはよう……」
 ぎこちない空気が流れ、クロードは、一瞬、時が止まったかのように感じた。その顔を覗き込んでいたプリシスが、からかうように言った。
「クロード、リラックスしてこーよ、まだお城にも着いてないんだからさ」
「え? あ、うん、そうだね……」
 釈然としない雰囲気のまま、クロードたちはホテルを後にした。
「うっひゃ~、人がいっぱいいっぱいだねえ」
 確かに、昨日よりもさらに多くの人々で城下町は埋め尽くされていた。戦士たちもいるが、それをはるかに超える数の観客たちが一斉にラクール城へ向かって歩いている。
「それじゃ、行きましょうか?」
 人々の群れに呆然とする一行に、セリーヌが声をかけた。

 ラクール武具大会は、ラクール城敷地内のコロシアムで行われる。毎年、この時期しか使われることのない場所だ。
「すみません、大会参加者なんですけど……」
 ごつい戦士たちの間を潜り抜け、クロードたちはようやく選手受付に到着した。すこし息が荒くなっている。
「はい。お名前は?」
 受付の兵士は名簿を取り上げ、クロードはすこし自分を落ち着けてから名乗った。
「クロード……クロード……、あ、ありました。武具店ストレートからのご参加ですね?」
「はい」
 クロードは頷いた。
「では、しばらくお待ちください」
 兵士はそう言って奥のほうに下がり、なにやら棚を探し始めた。その間に周囲に目を走らせると、誰も彼も強そうな者ばかりだということに気づいた。さすがに彼らを目の前にすると緊張せずにはいられなくなってきた。
「お待たせしました」
 兵士が、大きな皮袋を抱えて戻ってきた。
「こちらが、武具店よりお預かりしている武具一式です。あちらの更衣室で着替えたあと、今装備している武具をこちらでお預かりします」
「わかりました」
 そう言ってクロードは重たい袋を受け取り、仲間に「じゃ、着替えてくるから」と言って更衣室に入っていった。
 袋を開けると、中から新しい皮の香りが漂ってきた。クロードが装備するものは、剣『グースグィネ』、鎧『バンデッドメイル』、兜『バンデッドヘルム』、盾『ナイツシールド』、靴『プレートグリーブ』であった。このうち、鎧、兜、盾は皮製のものを鉄板で補強したもので、見た目ほど重くはない。プレートグリーブは、何枚もの鉄板を組み合わせてあり若干重たい。そして、剣『グースグィネ』。これは、斬りつけることよりも突き刺すことに重点を置いた作りになっている。この大会では、相手の武具を破壊するか気絶させるかギブアップさせるかのいずれかの方法で勝てば良い。それを考えると、この剣は武具を破壊するのにはもってこいのような気がした。
 慣れない手つきで武具を身に着けているとき、外で声がした。
「すまないが、俺の武具はまだ届いていないのか?」
 聞いたことのある声だ。
「ああ、ディアス・フラックさんですね? すみません、武具店のほうから来ていないもので……」
 その名前を聞いたとき、クロードは一瞬手が止まった。
「まだ受付は間に合うのか?」
「ディアスさんの場合は、特例ということで、試合直前までしめきりを延ばしてあります。よろしければ、こちらで武具店のほうに確認に行きますが……」
「いや、その必要はない。俺が頼んだものだ。自分で確かめに行く」
 出ていく気配がして、クロードは手を動かし始めたが、再び止める羽目になった。
「ディアス!」
「……、レナか。何の用だ?」
「おじいさんの武器が……。ギャムジーさんの武器が届いてないの?」
 クロードは首を傾げた。いかにもギャムジーという人と知り合いのような話しかたである。
「今のお前には関係のないことだ」
「関係なくはないわ! あなたにおじいさんの武器を紹介したのは私じゃない!」
 その言葉を聞いたとき、考えるより先に体が動いた。カーテンを開けて、一気にレナのもとへ詰め寄る。レナは驚いてクロードを見つめた。
「レナ、ディアスに武器を紹介したって、一体……」
 レナははっとして、口を結んだまま黙ってしまった。
「大したことじゃない。偶然紹介する形になっただけだ。変なヤキモチは妬くな」
 背中を見せたまま、ディアスが無感動に言った。
「なっ!」
「必要以上に心配するな。これは俺の問題だ」
 それだけ言って、ディアスはその場を去っていった。クロードは視線をレナに戻した。レナは、下を向いて黙っている。
「レナ……」
 声をかけると、それを遮るようにレナは言った。
「ごめんなさい、私ちょっとディアスの所に行って来るわ」
「レナ?」
 いままで何とか信じてきたものが、音を立てて崩れ始めた。レナは顔を挙げて、必死な表情になる。
「だってこのままじゃ、ディアスは大会に参加できなくなっちゃうのよ? クロードとだって戦えないじゃない!」
 確かに、その通りだ。でも、レナ、君は僕の望みが叶えられなくなるからっていうことを理由にディアスのところへ行くのか? 本当に僕のことを思うのなら、僕の傍にいればいいじゃないか。
 クロードは背を向けた。
「ディアスのほうが大切なら、行っちゃえばいいさ」
「クロード、なによ、その言いかた……」
 レナの声はわずかに震えていた。それに苛立ちを覚えて、クロードは正面切って言ってやった。
「ディアスには武器だって紹介したんだろう? 優勝してほしいのはどっちなんだよ!」
 レナの表情が段々と悪い方向へ向かっているのが分かった。胸に若干の痛みを感じつつも、険しい表情は崩さない。
 レナは顔をそむけた。
「どうして……、どうしてそんなこと、言うの?」
「レナのせいだろ」
 今度は自分に腹が立って、クロードも顔をそむけた。すると、レナは突然走って闘技場を出ていってしまった。
「……」
 面白くない。さっさと忘れようとして更衣室のほうに振り返ると、仲間たちがじっと自分を見ていた。何を言いたいのか分かっているが、聞きたくないので、反射的に目線をそらす。
「どうしてああいう正反対のことしか言えないんですの? まったく、コドモなんですから」
 ため息をつき、首を振りながらセリーヌは言った。プリシスも口を尖らせる。
「あたしがあんな風に言われたら、好きだった人でもゲンメツしちゃうかも、だよ」
「なんだよ、みんなして僕をいじめて」
 クロードはすねる素振りを見せた。
「最初にレナをいじめたのはクロードだろ?」
 わかっていることを改めて指摘されることほどいやなことはない。クロードは黙って更衣室に戻っていった。

 着替えを済ませると、仲間と別れ、クロードは選手控室へと入っていった。

「レディィス、エンド、ジェントルメンッ、皆さんお待ちかねのラクール武具大会が、今年もいよいよやってまいりました」
 金属管を使った拡声器で、アナウンサーの声が会場に響いた。それに続いて、客席一杯の観客たちから歓声が上がる。
「今年は例年以上に強者ぞろいのこの大会、果たしていかなる大技が飛び出すのでしょうか? みなさんお見逃しのないよう、しっかり目を開けてみていてくださいよっっ!」
 クロードは、頑丈な鉄の門の前に立っていた。その奥は、戦いの舞台、コロシアムだ。さらにその奥には同じような鉄の門があって、対戦相手の姿が見えた。金色の甲冑に身を包んでいる。
「さあてまずは一回戦・第一試合、アモン・ラウ選手とクロード・C・ケニー選手の対戦だぁ。はたしてどんな熱い戦いになるのか? 乞うご期待!」
 ひときわ大きな歓声が上がると共に、重厚な門が開かれ、クロードは一歩を踏み出した。さすがに緊張しながら中央へと足を運ぶ。ふと右手に目をやると、一番前の席に仲間たちがいることが分かった。レナはまだ戻ってきていないようだ。仲間たちが何か叫んでいるが、他の声にかき消されて聞こえない。彼らの気持ちに応えるために軽く手を上げたが、どことなく上の空だった。なぜか集中できないまま、相手の様子をうかがう。全身を覆う黄金の甲冑からは闘志こそ感じられるが、表情は読み取れない。
「では、本大会最初の試合、レディィィィッゴーッッ!」
 アナウンサーの叫びと共に、アモン・ラウは剣を抜いて突進してきた。頑強な甲冑を着ているとは思えないほどのスピードだ。クロードはとにかく剣を抜こうとして腰に手を回したが、そのとき、すでにアモン・ラウは彼の目の前に到達していた。
「!?」
 ごく短時間の出来事に、理解する余裕を与えられず、クロードは混乱に陥った。そして次の瞬間、クロードの首、否、兜は宙に待っていた。金髪が数本、あとに続く。
「勝者っ、アモン・ラウ選手!! 熱い拍手をどうぞっ!」
 アナウンサーの声と、歓声が響き渡った。
「えっ……?」
 一回戦・第一試合、クロード・C・ケニー選手はわずか五秒で敗退した。

「ダメだ……。恥ずかしくて人前に出られないよぉ……」
 控室の片隅で、クロードは落ち込んでいた。
「レナが見ていたらどうしよう……」
 仲間のところにはいなかったが、もしかしたら他の場所で見ていたかもしれない。先刻、あれだけはね付けておいて一回戦を一瞬で敗退したとあっては、合わせる顔がないというものだ。だが、控室には強そうな戦士がいっぱいで肩身が狭い。短時間だったから誰も覚えてないだろう、と思って、思いきって観客席に行ってみることにした。レナも戻っているかもしれない。会って、話さなければ。
 コロシアムは円形で、観客席は、中央に向かって階段状になっている。
 クロードは、試合前の記憶を引き出して、仲間のいる場所へ向かった。
「恥ずかしながら、負けてしまいました……」
 クロードが申し訳なさそうに言うと、プリシスは首を振った。
「クロードはぜーんぜん悪くない! 相手のやつ、ずるっこしたんじゃないの?」
 あの状況で、どんなズルが可能だったのか、クロードはもとよりセリーヌにもアシュトンにも想像がつかなかったが、自分を慰めようとしてくれる彼女の心意気は嬉しかった。
「まあ、敗者復活もあるみたいだしね。そっちで頑張るよ」
 クロードは軽く頷くと、敗戦報告よりもはるかに言いづらそうに口を開いた。
「あのさあ……。レナ、いなかった?」
「さあ、どうかしら?わたくしは見ていませんけど……」
 腕を組みつつ、セリーヌは答えた。他の二名も知らなそうである。
「そっか」
 残念でもあるが、それでほっとした面もあった。結局、会ったとしても何をどう話せばいいのか分からないのだ。
「一回戦・第七試合の勝者は、エミール・ブレゴヴィッチ選手でしたああぁっ! 熱い拍手をどうぞっ!」
 歓声と拍手が同時に起こり、クロードたちは選手達のほうに注目した。
「ちょっと、マズイんじゃないですの? ディアスの出番が回ってきてしまうのでは?」
「ヤバイよー。ディアスさんはこのままじゃ負け確定だよー」
 控室に貼り出されていた対戦表では、ディアスは第八試合になっていた。つまり、この後である。もう控室にいなければ間に合わない。
「クロード!」
 突然、後ろから声が上がった。振り向くと、レナがスタンドの上のほうで手を振っている。
「レナ……」
 反射的に手を上げると、レナは階段を駆け下りてきた。
「兵士の人から聞いたの。一回戦残念だったわね」
 何の変わりもない、いつものレナだった。その様子に、クロードは逆に戸惑いを覚えた。
「いや……、僕は」
 頭に手をやりながら、曖昧なことを言う。
「本当は見たかったんだけど、一試合目だなんて知らなかったの。知っていたら、見てから行ったのにね。でも、無事で良かった」
 レナはそう言うと、微笑んだ。ふと、何処かで同じ顔を見たような気がした。それは、確か、昨日のホテルのロビー。
 それに気づくと、今まで悶々としていた自分が馬鹿らしくなってしまった。心を締め付けていたものが一気に消え去って、気分が晴れやかになった。
「あ、いや、いいんだよ。僕だって知らなかったんだし。気にしないで」
「ありがと」
 レナは頷いた。その光景を見て、セリーヌとアシュトンは安堵し、プリシスもうらやましそうに見ていた。
「あっ、ディアスが出てきたわ!」
 レナが指差して言うと同時に、歓声があがった。
「一回戦・第八試合は、トーマス・ネルソン選手とディアス・フラック選手の対戦だあぁっ! 出場が危ぶまれたディアス選手も間にあったようです。さあ、思う存分戦ってください!」
 久しぶりに見るディアスは、依然とほとんど変わりないように見えた。相変わらず落ち着いている。だが、クロードが鎧や兜を装備したのに対して、ディアスは防具といえる防具を着けていなかった。それに比べて対戦相手のトーマス・ネルソンは、銀色の甲冑に身を包み、長い槍を携えている。
「では、一回戦・第八試合、レディィィィッゴーッ!」
 合図と共に、トーマス・ネルソンは駆け出し、棒立ち状態のディアスを一突きにしようとした。クロードの時と同じ展開である。しかし、ネルソンが攻撃をしかけた瞬間、ディアスはネルソンの右側面に回り、誰もいない方向に突き出された槍を切断した。ネルソンは、その余りの素早さに呆気にとられ、しばらく動けないでいた。
「勝者っ、ディアス・フラック選手! 熱い拍手をどうぞ!」
 誰もが賞賛の拍手を贈る中、ディアスは一人、つまらなそうに控室に戻っていった。
「やったわ!」
「ほえ~、ホントに強いんだねえ。あたし、ホレちゃいそー」
「すごいなあ~、強いな~」
 レナはわがことのように喜び、ディアスを初めて見たプリシスとアシュトンは、ただその強さに驚いた。セリーヌは何も言わず、クロードの固まった顔を眺めていた。
 ディアスは、強い。単に力が強いとか、動作が速いとか、そういうことではない。相手の弱点──この場合は木製だった槍の柄──を、瞬時に判断し、しかも効率的に破壊した。クロードは冷静に見ていたつもりだったが、いかにして相手を弱らせるか、ということしか考えなかった。目の付け所からして違うのだ。
 さらに思考を進めようとしたところ、背後から声がかかった。
「すみません、クロード選手ですか?」
「はっ、はい」
 名前を呼ばれて、慌てて振り向く。相手は兵士だった。
「敗者復活戦の組合せを決めたいので、控室にお戻りください」
「はっ……はいっ」
 クロードが駆け出そうとすると、レナが引き止めた。
「あの……今度は負けないでね。見てるから」
「ああ」
 爽やかで可愛らしい笑顔に、クロードは誓った。もう、迷いはない。

 敗者復活戦は、準々決勝までに敗北した選手たちが、準決勝進出をかけて争う。準決勝進出四名のうち、三名は本戦で決まるから、復活できるのはたった一名である。しかし、とくに一回戦で負けた者が、負けたとはいえ準々決勝まで進んだ者に勝つのは難しく、挑戦権を放棄する者も少なくなかった。また、失神してまだ意識のない者は当然参加できない。武器を破壊された者の中にも棄権者は多かった。クロードは、一回戦敗退者で唯一の挑戦者となった。
 破壊された武具は補充されないので、クロードは兜が無いままだったが、逆にその方が身軽で動きやすく、敗者復活トーナメントを順調に勝ち進んだ。試合前のレナの笑顔が、試合中の彼女の声が、試合後の彼女の喜びが、彼を力づけていた。
 そして、見事準決勝進出が決定したのだ。

 敗者復活トーナメントが終了し、休憩時間になると、クロードは客席へと向かった。
「クロード!」
 レナが呼び、クロードは照れ臭そうに頭をかきながら、仲間のもとに歩いて行った。
「へへ……。勝っちゃった……」
「すごかったじゃないですの。さすがクロードですわね!」
「もう、ビックリしちゃったよー。すっごいかっこいーんだもん、クロード。ホレ直しちゃったよー」
「ギャフギャフッ」
 仲間達が次々に賞賛し、クロードは一層照れてしまった。地球にいたときは、成績が良くても、誉められたことは余りなかった。とくに同世代からは。
「次も、頑張ってね。クロード」
 レナが言うと、クロードは頷いた。
「ああ。絶対に決勝まで行ってみせるよ」
「うわー、クロードかっこいー!」
 プリシスがからかうと、クロードとレナは耳まで真っ赤になった。

 控室に戻って対戦表を見ると、次の相手はウォーゼ・デュラハンという名前だった。ディアスは、グロンド・ラウロスという選手と戦う。つまり、次で勝たない限り、ディアスとは戦えないのだ。しかし、今のクロードは自信に満ち溢れていた。相手がディアスでなければ、優勝すら夢ではないように思うのだ。
 ウォーゼ・デュラハンは、熟達の格闘家で、圧倒的なパワーで勝ち進んできたという。だが、大会参加選手の中では高齢な方で、クロードと戦うときはやや疲れていたようにも感じられた。しかし、そこは戦いのプロらしく、体力を消耗しないように受けの体勢に入った。クロードが何度攻撃しても、その大きな身体にはかすりもせず、逆にクロードのほうが精神的にも疲れ始めていた。
 しばらくして、クロードが疲れきったように剣を落としてしまうと、デュラハンはこれを好機とみて一気に攻撃に転じた。剣を拾おうとするクロードに一直線に突っ込んでくる。レナも、アシュトンも、観客の誰もがクロードの敗北を確信したとき、状況は一転した。剣を拾う素振りを見せていたクロードは、そのまま地面の上を一回転し、デュラハンの背後をとった。そのとき、デュラハンはまさに会心の一撃を繰り出した瞬間で、すぐに振り返るなど不可能だった。クロードは両手を握り合わせて、デュラハンの首筋に叩きつけた。
「がっ……!」
 次の瞬間、ウォーゼ・デュラハンの巨体は音を立てて崩れ落ちた。観客たちは何が起きたか、すぐには理解できず、奇妙な沈黙が生じた。審判が駆け寄ってデュラハンの意識の有無を確認し、アナウンサーに合図を送る。
「クロード・C・ケニー選手の勝利です!」
 その言葉が引き金になって、会場はこれまでに無いほどの歓声と拍手に溢れかえった。しかし、クロードは客席のある一点だけを探した。プリシスが、セリーヌが、アシュトンが、それぞれ視界に映り、最後に、涙ぐんでいるレナの姿があった。照れ臭そうに手を上げると、レナも笑って手を振った。

 控室に入ると、クロードは顔を引き締めた。次は、決勝戦である。おそらく、ディアスは出てくるだろう。そして、自分は彼と戦う。その意義を、今は明確に自覚できていた。大会直前は、彼を打ち負かすことでレナに自分の存在を印象付けようとしていた。ディアスなんかとるにならないんだ、と。もちろん、勝てると思っていたわけではない。だが、彼に対するレナの言動を見るにつけ、どうしてもディアスに反感を抱き、同時にレナが自分から離れていくような気がしてならなかった。
 だが、それは単なる思い込みだった。レナは、いつも自分の傍にいて、微笑みかけてくれる。その笑顔は、アシュトンに対しても、セリーヌに対しても、プリシスに対しても、アレンにも、ケティルにも、そしてディアスにも、同じように向けられるものだったのだ。誰か一人のものだと思った時点で、レナとその相手に対して同時に反感が生まれるのである。
 いつかレナが誰か一人のものになるとしても、その笑顔だけは、生きとし生けるものの全てに与えられ、その心を癒すだろう。それが、レナ・ランフォードという少女の、紋章力にも勝る力なのだ。

 控室には、クロードしかいなかった。ここは戦いを控えた者が待機する場所である。ディアスとその相手はすでに試合を始めており、他に戦いを残すものはいない。そこへ、一人の兵士が入ってきて、壁に貼られた対戦表に書き加えた。ディアスの名前が、クロードの名前と並ぶ。クロードは改めて気を引き締めた。
 書き終えると、兵士は振り返って言った。
「クロードさん、すごい人気ですよ。一回戦で負けて敗者復活で決勝だなんて、今まで誰もいませんでしたからね。観客は既にディアス派とクロード派に二分されてますよ。次も、頑張ってくださいね」
 思ってもみなかったことを知らされ、クロードは「はあ、どうも」と、力の抜けるような声で応じた。
 兵士がにこにこしながら退室し、しばらくすると、ここに入る資格を持つもう一人の男、ディアス・フラックが現れた。反射的に、立ち上がる。ディアスはそれに気づき、もともと細い目を更に細めてから言った。
「約束通り、決勝まで勝ち残ってきたようだな」
「約束?」
 クロードが首を傾げると、ディアスもわずかながら頭を傾けた。空色の長髪が揺れる。
「なんだ、レナはお前に伝えていなかったのか」
「何だよ、約束って……」
 自分で言って、少し慌てているな、と感じた。それを見て、ディアスは口元を緩めた。クロードには初めての光景だった。
「面白いな、お前は。レナのことになると、すぐムキになる」
 言われて、クロードは赤面した。これまでほんの数語しか交わしたことが無かったのに、自分の全てを知られてしまったような気がした。
「しかし戦いは真剣勝負だ。闘技場に入ったら一歩も譲らんからな」
 力強い、というのではない。表情も口元を揺るためままだ。だが、その言葉に彼の見逃されやすい一面が隠されているように、クロードは感じた。これに、「当たり前だ!」と大声で叫んだり、「馬鹿にしているのか?」などと返答すれば、彼は自分を軽蔑するだろう。言うべきことは、一つだった。
「のぞむところだ」

「さあっ、いよいよ今年のラクール武具大会っ、大詰めの決勝戦だあぁっ!!」
 やや枯れ気味の声に、異常な熱気のこもった歓声が続く。
「クロード・C・ケニー選手とディアス・フラック選手の真剣勝負! 果たして栄冠は、どちらの頭上に輝くのでしょうかあっ!」
 重い門が開かれ、クロードとディアスは前に進み出た。右手を見ると、レナが少し不安そうにディアスのほうを見ていた。その眼差しに何かを感じたのか、ディアスはゆっくりと頷いた。すると、レナは笑顔で返し、続いてクロードに手を振り始めた。ほんの少し前までなら、今のレナの行動を許すことはできなかったろうが、今はレナが何をディアスに伝えたのかさえ分かった。それを許したディアスに、クロードは心の内で感謝し、仲間たちに向けて手を振った。
「クロード選手は、一回戦で敗退するも、その後の敗者復活トーナメントを順調にクリア。準決勝をも勝ち進み、ついに決勝進出となった、異例の強者です! 対するディアス選手は、ここまで、ほとんど一撃で勝ち抜いてきました! 無敵に等しいディアス選手に、若きクロード選手がどう挑むのか! 本大会史上最も注目すべき一戦ですっ! どうか、両選手に最後まで熱い声援をっっ!」
 更に大きな歓声が沸き、続いて両者の名前のコールが始まった。兵士がクロード派とディアス派に分かれている、と言ったのは本当だったようだ。両陣営とも、鼓膜がひきちぎれんばかりの声量を出して、名前を連呼した。
「では、本大会最後の試合っ、レディィィィィィィィィィッゴーッッ!!!!」
 クロードは、剣を引き抜き、一目散にディアスめがけて突っ込んだ。勝ち目が低い以上、先手をかけるのは当然のことだった。むろん、突進するだけではない。
 ディアスも剣を抜き、片手で構えた。
 ディアスまであと少し、というところで、クロードは突然地面を剣で叩きつけた。そして、間髪を置かずに剣を振り上げる。
「空波斬!」
 地面から衝撃波が噴き上がり、目の前のディアスに向かって猛進し始めた。ディアスはクロードを過小評価していたわけでは決して無いが、この攻撃だけは予測していなかった。しかし、だからと言って怯んだりはしない。次の瞬間、ディアスも剣を地面に叩きつけた。
「ケイオスソード!」
 クロードのものと似たような衝撃波が地面を這い、クロードのものと衝突すると、双方の衝撃波は爆音を立ててかき消えた。激しい展開に観客はコールを忘れて見入っていたが、戦っている者たちには驚愕する余裕は与えられない。
 クロードは、既に次の手に出ていた。ディアスが自分の技に対処しているわずかの時間に、剣を左手に持ち替えながら彼の背後へ回り込み、右の拳を構える。ディアスがそれに気づいたのは、クロードが攻撃を開始する直前だった。
「流星掌!」
 母から教わった格闘術で、ディアスの背中を連撃する。ほんの少し対応が遅れたディアスは、それをもろに食らったが、それでも倒れたりなどせず、逆に剣を強く握り、反撃を試みる。右手に持った剣を左の腰の辺り、つまりは鞘のあたりに構え、攻撃を受けてよろめいたように、しかし大きく左足を踏み出す。そして、一気に体の向きを反転させ、その勢いで剣を下から振り上げる。
おぼろ!」
 次の瞬間、クロードの目の前は真っ白になった。

10

「では、今日のクラスは終了よ。各自、復習しといてね」 
 クラスの面々は、疲れきった身体を動かして、汗を拭き拭き、部屋を後にした。
「クロード候補生」
 呼ばれて、クロードは振り返った。
「何? 母さん」
 同じ金髪の母親に、クロードは言った。
「あなた、最近上達が早いわねえ。なにかあったのかしら?」
 連邦本部で格闘と護身術のクラスを開いているクロードの母は、にやにやしながら言った。
「別に、何もないけど……」
 クロードはそっけなく正直に答えたが、母は納得しなかった。
「本当に?」
「本当だよ」
 またもやそっけなく答えると、母はため息をついた。
「はあ……。まったくつまらない子に育ったものねえ。何か気の利いたセリフの一つや二つ、言えるようにならないのかしら。ホント、そういうところはお父さんそっくりね」
「なんだよっ、じゃあ、なんて言えばいいんだよっ」
 ムキになって言うと、母は「そうねえ」と言って少し考えてから、新しい理論を発見したときのように指を鳴らした。
「『母さん、……実は、彼女が出来たんだ。……でもその子は追われていて、それで彼女を守るために僕は、僕は……っ!』……っていうのはどう?」
「はあ?」
 熱のこもった演技だったが、クロードには一グラムの感銘も与えなかった。むしろ恥ずかしいくらいである。
「じゃ、聞くけど、あなた、何のためにこのクラスを受けているの?」
 急にまじめな表情になって、クロードは驚いた。
「え?」
「強くなりたいから? 体を鍛えたいから?それとも、私がやっているからなんとなく?」
 誰かを問いただすときの母の目は、鋭く、曖昧な返事を許さない。
「それは……」
 クロードは返答に詰まった。どれか選べと言われれば、三番目が最も適当である、というのが本当のところだ。だが、そう答えた瞬間、彼はクラスを追い出されるだろう。
「次のクラスまでに、返事を用意しておきなさい。もし私が納得しなかったら、そのときは出て行ってもらうわ」
 そう言うと、母は部屋を後にした。
 結局、返事をする機会は与えられなかった。その二日後にクロードは少尉の辞令を受け、戦艦カルナスに配属、連邦本部からは離れたので、母のクラスに出ることも無くなったのだ。もちろん、家族だから、話そうと思えばいつでも話せたが、答えは見つかっていなかったし、母のほうもプライベートな時間で聞くつもりはないようだった。

 だが、今、クロードには強くなりたいという気持ちと、その理由とが明確にあった。
『今なら、はっきりと答えられるよ、母さん……』

「クロード?」
 声がする。
「うごいてるよ」
「よかったですわ」
 聞き慣れた声。
「クロード?」
 守るべき者の声。
「う~ん……?」
 目を開くと、正面に青黝あおぐろい髪の少女の顔があった。
「あれ……?」
 頭に手をやりながら起きあがり、辺りを見まわす。選手控室だ。アシュトン、セリーヌ、プリシス、無人くんがいて、レナがいる。
「決勝戦は、大会はどうなったんだ?」
 クロードが尋ねると、仲間たちは揃って目を伏せた。
「終わっちゃったわ……」
 レナがゆっくりと告げると、クロードは首を傾げた。
「終わっちゃったって……、僕は?」
「残念でしたわね。もう少しの所で、負けてしまったんですのよ」
 セリーヌが思いやる口調で教えた。それを聞いて、クロードは二、三度、瞬きした。
「そうだったんだ……、自分が負けた記憶もないのか」
 ぽんぽんと頭を叩いてみたが、そんなことで記憶は出てこなかった。
「まあ、いいや。記憶喪失になった訳じゃないみたいだし」
 負けたことをほとんど気にしていない様子に、レナたちは驚いた。
 その時、入り口のほうから足音が聞こえてきた。やがて、その持ち主の姿が現れる。
「ディアス!」
「お前に名前を呼び捨てにされる覚えもないが、まあいいだろう」
 レナのことに関して、クロードはディアスに心を許したが、こういう態度はまだまだ反感を覚える。もっとも、何の抵抗もない、というほうがおかしいのかもしれない。
「なんの用だよ」
「一応礼を言っておこうと思ってな」
 普通の人なら恥ずかしくて言えないようなセリフを、ディアスは堂々と言ってのけた。
「礼?」
 クロードは首を傾げた。ディアスは頷き、
「お前は期待以上だった。本気を出したのは久しぶりだ」
「……僕が?」
 すぐには信じられないセリフに、クロードはまだ夢を見ているのではないかと疑った。すると、ディアスは背を向けて、
「だからと言って図に乗るな。褒めたわけじゃない」
「なっ!」
 全く、この男はこういう話し方しか出来ないのか。
「レナも甘やかすな。こいつは突き放すくらいで丁度いいからな」
「どういうことよ、ディアス!」
 レナもさすがにむっときたのか、珍しくディアスに怒気をぶつけた。
「俺はもう行くぞ。話はそれだけだからな」
 相手の反応などまったく気にも留めずに、ディアスは部屋を出ていこうとした。
「ディアス!」
 引き止めたのはクロードだった。
「……なんだ?」
「また、会えるか?」
 しばらくの沈黙の後、ディアスは背を向けたまま答えた。
「共に戦いの中に身を置いている。時が来れば会うこともあるだろう」
 ディアスは、控室を去っていった。
「まったく、いつもいつも失礼な男ですわね!」
 セリーヌが言うと、ギョロとウルルンも同意したが、失礼に扱われたクロードは賛同しなかった。
「あれが、ディアスなんだよ。素直には言わないけれど、ちゃんと気を遣ってくれている。今日、やっと分かった」
「クロード……」
 レナがクロードの目を見つめた。
「ごめん、レナ。ディアスのことでいろいろイヤな思いをさせてしまって」
「ううん。いいの。私もちょっと感情的になりすぎちゃったわ。わかってくれて、よかった」
 クロードが頷くと、レナは溢れてきた涙をふき取った。

「そういえば、」
 準優勝の賞金と賞品を受け取って、ホテルに向かっているとき、アシュトンが言った。
「一体今日のディアスには何が起こったんだい? よかったら話してくれないかな」
 全員がレナに注目する。
「そんな大したことじゃないのよ。ディアスを出場させないようにって、武器をワザとかくしていた人たちがいたってだけで……」
「十分大したことじゃないか。どういうことだよ」
 クロードは思わず大声になった。
「あ、ごめん」
 頭に手をやる。
「いいのよ。え~と、どこから話そうかし等……」
 レナの話は、以下のようなものだった。
 まず、昨日。部屋を出ていったレナは、町で小さな女の子が困っているのを見つけた。スフィアというその女の子の祖父は剣を作っているが、その剣を武具大会で使ってくれる人を探しているのだと言う。だが、小さな女の子の話を聞いてくれるような戦士はなかなかいない。そこで、レナが一緒に探してあげることになった。しかし、酒場で男たちに絡まれ、危ないところをディアスに助けられたのだという。話を聞いたディアスは、その剣を見てみることにした。スフィアの家に行き、その祖父ギャムジーが作った剣を見たディアスは、その剣で武具大会に出場することを約束した。
「ギャムジーさんはね、かつて名匠とまで言われた人なのよ」
 そして大会当日、ギャムジーはディアスの大会出場を妨害しようとする戦士たちによって剣を奪われる。剣が届かないのはそのためだったのだが、痺れを切らしたディアスがギャムジーに事情を聞き、後から追いかけたレナと共に戦士たちを倒して剣をとり返した、ということだった。
「で、ここが、ギャムジーさんとスフィアの家よ」
 話しながら歩いたその先には、家というよりは小さな工房のような建物があった。
「こんにちは~」
 レナが戸を叩くと、小さな女の子が顔を出した。
「あ、レナお姉ちゃん!」
「こんにちは、スフィア」
 レナが身体をかがめて言うと、スフィアは嬉しそうに頷いた。
「うん。あ、入って」
「ありがとう。今日は友達も一緒なんだけど、いいかな?」
 レナが指差す先を見て、スフィアは目を丸くした。
「あっ、ふ~せんだ!」
 スフィアは駆け出し、アシュトンの足元で飛び跳ねた。
「えっ?」
「うわ~、すごーい」
 どうやら、ギョロとウルルンの事らしい。これまでも度々あったので、二匹は風船らしく振舞ってやることにした。
「ねえねえ、お兄ちゃん、それ、一つちょーだい!」
「ええっ?」
 さすがにギョロとウルルンも一瞬動きを止めた。
「くれないの?」
 スフィアは悲しそうな目で訴えた。
「え……あ、いや……これは……」
 その様子を見て、プリシスは代わりに無人くんを見せてあげよう、と思ったが、「ちょーだい」と言われると困るので、遠くに隠れているように指示した。
「スフィア、それはね、お兄ちゃんの大切なものなのよ。スフィアにも大切なもの、あるでしょ?」
「うん」
 元気良く頷く。
「じゃあ、それを誰かに頂戴って言われたら、あげる?」
「ううん」
 勢い良く首を振る。
「じゃあ、お兄ちゃんの大切なものを欲しいって言っちゃだめよ」
「……うん」
 スフィアは残念そうに頷いた。
「代わりに、これをあげるわ」
 そう言って、レナが取り出したものは、若葉色の宝石のついたペンダントだった。それを、スフィアの首にかけてやる。
「きれい……」
「これはね、不思議な力であなたを守ってくれるのよ」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
 レナがにっこりと頷くと、建物の中から誰かが出てきた。
「おお、誰かと思えばレナ嬢ちゃんじゃないか」
「ギャムジーさん!」
 ギャムジーは、人のよさそうな白髪の老人だった。一通り仲間達を眺め、クロードの所で目を留める。
「おや、あんた、武具大会に出ていた人だね?」
「はい」
「ギャムジーさん、クロードはディアスと決勝戦を戦っていたんですよ」
 レナが嬉しそうに紹介すると、ギャムジーは頷いた。
「ああ、見とったよ。もう一歩じゃった。惜しかったのう」
「そんな、僕は……」
 どうも褒められるのは苦手だ。嬉しいには嬉しいのだが。
「ディアスもお前さんの腕を褒めとったぞ。これから楽しみじゃと」
「え……僕を?」
 先刻、本人から突き放すように同じようなことを言われたが、他人に話していたとは意外だった。
「そうだとも。……おお、そうじゃ。もしお前さんに会うようじゃったら、これを渡してくれと言われておってな」
 クロードたちが首を傾げると、ギャムジーは家の中に戻り、一振りの細身の剣を持って戻ってきた。その剣を、クロードに手渡す。
「これは……?」
 引き抜いてみると、武具大会で使ったグースグィネよりも細く、しかし鋭利な刃がついた、とても軽い剣だった。ちょっと触れば壊れてしまいそうだ。
「わしが作っておったもう一本の剣、シャープネスじゃ。お前さんに似合うだろうと言っておった」
「ディアスが……」
 クロードは刀身に目を落とした。
「直接言うのが照れ臭いやつなんじゃよ、あやつは」
 ギャムジーは笑いながら言い、クロードも頷いた。

 ホテルへと戻る最中、クロードはディアスのことを考えていた。彼は、自分を認めてくれた。わざわざ控室に礼を言いに来たり、自分に剣を用意してくれたりするのは、その証拠といってもいいだろう。ただ、彼の性格上、素直に褒めたりできないだけなのだ。だが、クロードはディアスがもう一つ伝えたいことがあったのではないかと思う。「レナを頼む」と。控室での会話の中でそれを感じだか、これは思いあがりだろうか。しかし、たとえ思いあがりだろうとも、自分はレナを守る。ディアスがそうであるように、自分もまた、彼女を大切に思っているから。そして、彼女がディアスではなく自分の傍にいることを選んだ以上、その想いに応えるため、そしてディアスのため、
「僕はレナを守る」
「えっ? なにか言った?」
 レナが問うた。どうやら声にしてしまったらしい。
「ええっ! い、いややや、な、何でもないよっ!」
 珍奇な回答を得て、レナはくすっと笑った。
「変なクロード! ほら、早くしないと団体さんに部屋をとられちゃうわよ!」
 気づくともうホテルの目の前に来ていて、アシュトンたちは中に入ろうとしているところだった。レナが駆け出して、こちらを見ながら笑って手を振った。

 今日も、君の笑顔が僕を癒す。