■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第五章 表出する危機

 馬車は武具大会の興奮冷めやらぬ城下を後にして、草原へと走り出た。見渡す限り、緑の大地。遥か遠方に、頭を白く塗られた山々がようやく見える。左手には陽の光を反射してきらめく、穏やかな海。
 心地よい振動に揺られながら、クロード、レナ、セリーヌ、アシュトン、プリシスの5人(と2匹と1台?)は、ラクール城から南にある、リンガの町へ向かっていた。クロス洞穴で手に入れた古文書の解読を依頼するのが目的だが、先日訪れたときは、言語学者キース・クラスナが不在のため、やむなくラクール城へ戻った。しかし、代わりにプリシスという新しい仲間を得て、現在、馬車の中には笑いが満ちている。一口に馬車といってもピンからキリまであり、この馬車は王宮専用やサルバ町長自家用などには足元にも及ばないものの、とりあえず屋根も壁も窓もドアもついた、それなりの体裁のものだった。もちろん、幌馬車やそれ以下のレベルの馬車よりも値が張るのだが、多人数なので一人当たりの料金が安いこと、そして何よりクロードが武具大会で準優勝して賞金をたっぷりと貰ったことが、日ごろ金銭に細かいセリーヌの贅沢欲を呼び覚ました。とはいえ、彼女が吝嗇けちなのではない。彼女自身、およそ戦闘には不向きな、高価な衣服や装飾品で着飾っているし、実家も裕福である。ただ、「旅をすること」については、別人のように金銭管理が厳しいのだ。
「そういえば」
 他愛の無い談笑の中、クロードは突然思い出したように言った。
「その、言語学者の人って、武具大会を見ていたんじゃなかったっけ?」
「そ、……そういえば、あの家の学生さんが言ってたよね、たしか」
 すっかり忘れていた、という顔でアシュトンが口元に手を当てた。レナも、セリーヌも同様に忘れていたらしい。確かに、キース・クラスナの家にいた学生は、「休暇をとって武具大会を見に行った」と言っていた。であれば、武具大会の時に会えたかもしれない。
「全然気付かなかったわ……」
 現に今、彼に会いに行こうとしているのだから問題は無いのだが、なんだか時間を無駄にしたようで、少し残念だった。
「まあ、無理もありませんわ。イロイロとありましたし……ね」
 意味深な視線でクロードとレナを交互に見つめると、セリーヌはくすりと笑った。クロードとレナは互いに顔を見合わせると、赤面して下を向いてしまった。
「あっ、赤くなってる~! ズルイ!」
 何がどんな風にズルイのか、二人の様子を見たプリシスは他人の物を欲しがる子供のような仕草と口調で言い、無人くんが床の上で両手を上げながら小刻みに飛び跳ねた。

 馬車がリンガに着いて、ドアが開けられると、無人くんが勢いよく飛び出していった。
「ああっ! コラ! まてえ~!」
 続けてプリシスも飛び出したが、慌てたのでつまづき、固い地面の上に突っ伏した。
「だ、大丈夫か?」
 車内からクロードが声をかけるのと同時に、砂まみれのプリシスは起きあがった。
「った~」
 痛みをこらえながら、服についた埃を小さな手で払う。
「怪我はしてない?」
 レナが降りてきてプリシスの顔を覗きこむと、プリシスは一通り自分の様子を確認してから、
「だいじょぶ、だいじょぶ。心配してくれて、あんがと」
 よく整った白い歯を見せて笑うと、クロードとアシュトンも降りてきた。
「まったく、急に飛び出すんだもんなあ」
「でも、無人くんはどこに行ったんだろうね」
 アシュトンが言うと、4人は辺りを見まわした。すぐそこに宿屋があり、その先にはキース・クラスナの家、大学の購買部、そして、
「……ねえ、あそこでひっくり返ってるのって……」
 レナが指差した先では、青い球体が先ほどのプリシスと同じ格好でつんのめっていた。
「もう! 人騒がせなんだから~!」
 口を尖らせながら、プリシスは無人くんのほうへ走っていった。
「では、参りましょうか」
 反対のドアから降りて料金を払っていたセリーヌが、ようやく現れた。いやに時間がかかったが、おそらく、この期に及んで値切りでもしていたのだろう。それを暗に示すかのように、馬車は力無く去っていった。
「そうですね」
 4人は、先日訪れたばかりの言語学者キース・クラスナの家に向かった。プリシスは、購買部の前で壊れた無人くんと格闘している。
 白い壁の家の前までやって来、ドアをノックする。しばらく待ってみたが、何の反応もないので、もう一度ノックする。
「留守なのかな?」
 念の為にもう一度ノックしようとしてドアに手を伸ばすと、突然勢いよくドアが開いて、白衣姿の学生が出てきた。
「うわっ」
 驚いたクロードは反射的に一歩下がったが、石に躓いて、後ろに立っていたアシュトンもろとも仰向けに倒れた。
「クロード!」
 レナとセリーヌが声を揃えて叫び、何が起こったのか飲み込めないでいる学生は、もともと神経質そうな顔をさらにしかめた。
「なんですか、あなたがたは?」
 家の前でふざけているとでも思われたのか、学生の口調は妙に神経を刺激する。それにどことなく威圧感を感じて、レナは倒れた二人をそのままに、自分たちの用件を述べた。
「あ、あの、すみません、私たちは言語学者を探してリンガに来た者ですが……」
 それを聞くと、学生はますます顔を険しくして、
「先生にお会いになりたいんですか? ちゃんとアポイントは取ってあるんでしょうね?」
「はあ……アポイント?」
 起き上がったクロードが頭をかきながら尋ねると、学生はため息をついた。
「知らないんですか? 先生はご多忙の身の上につき、アポイントを取ったお客様としかお会いなさらないんですよ」
「じゃあ、今からアポイント取りますから、会わせてもらえませんか?」
 そう言うと、学生は露骨に嫌そうな顔をしながら、ポケットから手帳を取り出した。
「今アポイントを取ると、お会いになれるのは一ヶ月後ですね」
「い、一ヶ月後……」
 すぐに会えると思っていた自分たちの予想を覆す返答に、誰もが一瞬時が止まるのを感じた。
 学生は相手の反応など意に介さず、手帳をしまうと、ようやく片付いた、と言わんばかりのおざなりな口調で、
「はい。じゃ、一ヶ月後にまた来て下さい」
 そう言ってドアを閉めてしまった。

 立ち尽くす四人のもとに、修理を終えたプリシスが駆けて来た。無人くんは、逃げ出さないように抱きかかえられている。
「どったの?」
 プリシスは屈んで全員の顔を覗きこんだ。みな難しそうな顔をしている。
「う~ん……」
 クロードは腕を組んだまま黙って、何も答えなかった。
「ねえ、何があったのさ」
 自分の存在を主張しようとして、二、三度飛び跳ねてみると、気付いたレナが浮かない顔で答えてくれた。
「……キースさんは忙しくて一ヶ月しないと会えないんですって」
「一ヶ月ぅ~?」
 驚きとともに頬を膨らませて言うと、怒気を抑制していたセリーヌもつられてしまった。形の眉を吊り上げている。
「まったく、人を馬鹿にしていますわ!」
「いくらなんでもそんなに長くは待っていられないわ」
「ふざけんなって感じだよね~」
 みな立て続けに不満を並べ立てたが、それで何がどうなるわけでもない。そこへ、少し控えめな発言が出た。
「何か別の方法で連絡が取れないかな?」
 アシュトンが少しばかり建設的な意見を述べると、考え込んでいたクロードが初めて顔を上げ、他の面々も注目した。それを受けて、ギョロとウルルンが姿勢を正す。
「別の方法? 例えば?」
「え、いや、僕も思いつかないんだけど……」
 みな期待していただけに、大きく落胆し、アシュトンの株は奈落の底へ転がり落ちた。カッコよく飾り立ててやろうとしたギョロとウルルンは、容赦無く宿主を攻撃した。
 もう見慣れた光景には目もくれず、クロードたちは更に考えを進めたが、アポイントをとっても一ヶ月後にしか会えない人に、どうやって会えばいいのか、まったく見当がつかなかった。セリーヌなどは、時折キースの家の窓を覗きこんではブツブツと文句を垂れていたが、さすがに乗り込むような真似はしなかった。
「ねえ、この町で、言語学者の人と仲がいい人はいないのかしら?」
 不意にレナが言い、クロードたちは新しい光に注目した。
「というと?」
「友達でもいいし、近所のよく行くお店の人でもいいし、そういう人に頼んで、キースさんに会わせてもらえるようにできないかしら」
 この提案は全員を暗闇から救い出した。セリーヌは百八十度態度を変えて、その提案に同調を示した。クロードも賛成だったが、一体誰が友達なのか、いちいち聞いて回るのは面倒だし、怪しまれかねない。
「プリシス、誰か知らないかい?」
 こういうとき、地元民が仲間にいるのは心強い。プリシスは、よもや自分に尋ねられるとは思ってもいなかったので、聞かれた拍子に無人くんを落としてしまった。落下する無人くんは、子猫のように身を翻して見事に着地したが、誰も見ていなかった。
「え、うーん。あたしはキースとは特別仲良しってワケじゃないんだよねぇ~。……あ、そだ! 困ったときは薬屋さんに行こう!」
 突拍子も無い発言に、みな自分の耳を疑った。それを代弁して、レナが聞き返す。
「薬屋さん?」
 プリシスはにこやかに頷いて説明した。
「そそ。この町じゃ、困ったときはみんな薬屋のボーマンって人に相談しているよ」
 プリシスは自信満々だったが、よそ者であるクロードたちには納得しがたいことで、互いに顔を見合わせたが、他に策もなさそうである。
「よし、じゃ、その薬屋に行ってみよう」
 クロードの言葉を聞くや否や、プリシスは笑顔で駆け出していった。

 『Jean Medicine Home』という看板がかかった店は、ラクール・アカデミーのすぐそばにあった。白い木造建築で、二階建て。二階には外からも上がれるように階段がついている。一階が店舗、二階が住居、といったところか。
 プリシスは上機嫌でドアを開けて、中に入っていった。クロードたちもそれに続く。
 中は、棚が一杯並んでいて、不快ではないが、何か特有の匂いが立ち込めていた。棚に並んでいるビンには、いろいろなラベルが張られている。頭痛薬、胃腸薬、傷薬、そのほか大抵のものは並んでおり、さらに、薬草コーナーもあって、学者の町らしさを感じさせた。
 中に進むと、奥のほうから男性の声が上がった。
「よう、いらっしゃい。腹でもくだしたのかい?」
 薬屋らしいセリフといえばそう言えなくもないが、大勢で来ているのにそんなことを大声で叫ぶこともないだろう、とクロードは思った。案の定、プリシスは口を尖らせている。
「ちがうよっ! アンタに用があって来たの!」
 そう言うと、男はようやくクロードたちに気付いて、少し驚いたようだった。
 どうやら、この男が町の相談役らしい。男は、二十代後半くらいで、茶色の短髪、白いワイシャツに緑のベストを着て、これまた茶色っぽい変わった柄のネクタイを緩めに締めていた。その上に、白衣を羽織っている。服装的にはだらしない印象があるが、目には活力が満ちていて、町の人々が頼りにしている理由が、漠然とながら分かる気がした。とは言え、みんなの相談に乗ってくれる人といえば、もっと歳のいった人だと誰もが思っていたので、驚いたのはクロードたちも同様だった。
「珍しいじゃないか、お前がこんなに人を連れてくるなんて。なんだ、ピクニックにでも行くのか? そうだったら悪いが、ウチには菓子なんか置いてないぞ」
「いえ、そういうわけではないんですけ……ど」
 怒って後ろを向いてしまったプリシスに代わって、クロードが話し始めた。
「あなたが、ボーマンさんですか?」
「ああ、そうだが?」
 ボーマンは、少し警戒しているようだった。いきなり大人数で押しかけてきて、一体何の用があるというのか。
「僕は、クロード・C・ケニーと言います。実はお願いがあって来たのですが……」
「購買部の隣に住んでいる言語学者のかた、ご存じですか?」
 レナが一歩進み出て尋ねると、ボーマンは眉をぴくりと動かした。
「ああ、キースのことかい?」
「わたくしたち、どうしてもあのかたに会わなくてはなりませんの。アポイントなんて取らずに会える方法を知りませんこと?」
 ボーマンは、話の筋が読めて安心したが、答えはノーだった。首を横に振って言う。
「あいつは最近古代書物の解読に埋もれているらしいからな。よっぽどの理由がないと会ってもらえないだろう」
「クロス洞穴に眠っていた古文書の解読を依頼したいんですけど、それでもダメでしょうか?」
 再びクロードが言うと、ボーマンは少し興味を惹かれたようだった。
「クロス洞穴! へえ、そうなると少しは話が変わってくるかもしれないが……」
 ボーマンは、顎に手をやって、少し考える素振りを見せた。レナは、ここで一気に攻勢に出る。
「一ヶ月も待っていられないんです。もし知り合いでしたら、何とかしてもらえませんか?」
 しかし、町の相談役は抜け目なかった。
「だが、本当にクロス洞穴の最深部に入りこんだのか? あそこは結構、危険な場所ってウワサだぞ」
「証拠の古文書ならありますわよ」
 セリーヌは古文書を取り出そうとしたが、その前にボーマンは首を振った。
「そんなものいくらでも用意できるよ。証拠にはならん」
「この私が嘘をついているって言うんですの?」
 プライドを傷つけられて、セリーヌは怒気を露にした。怒ったときのセリーヌの迫力は結構なもので、それはクロードもレナもよく知るところだったが、目の前の薬剤師は全く動じる気配を見せなかった。むしろ、感情に押し流され易いセリーヌを蔑んでいるようにも見えた。
「別にそうは言っとらんさ。あんたらをよく知る人なら、その話を信じるかもしれん。だが、あんたらは初対面で、しかも多忙な男にアポなしで会おうとしているんだ。それなりに公の証拠が必要なのは当然だろう?」
 正論だった。セリーヌも、正しい意見に反発することは美しくないので、なんとか感情をコントロールする。
「具体的に、どんな証拠があればいいんですか?」
 諦め気味にクロードが尋ねると、ボーマンは少し考えて、
「そうだな、クロス洞穴の奥地に行けるだけの腕を証明するものがあれば、まあ、いいだろう」
「はあ……」
 そうは言われても、漠然としていて、クロードたちは悩んだ。『クロス洞穴最奥地到達証明書』などというものはないし、クロス王の通行証では意味が異なる。
 クロードたちが考えていると、つんと後ろを向いていたプリシスがボーマンのほうに歩いて行き、背中に背負ったターボザックから何やら取り出して、ボーマンに突きつけた。自分の手ではなくて、ターボザックの機械の手で突きつけたことが、プリシスの心境を表していた。
「……はい」
「ん……? なんだ?」
 それは一枚の紙で、昨日、「私が持ってるぅ~」と言ってプリシスが自ら預かったものだった。
「『ラクール武具大会準優勝』……だって?」
 ボーマンは声を裏返して叫ぶと、次いで大声で笑い始めた。
「こいつはいい。これなら、たとえその話が大嘘でもキースは喜んで会ってくれるぞ。なんせ、あいつは武具大会マニアだからな」
「じゃあ、会わせてくれるんですか?」
 信じて貰えているのか違うのかよくわからない反応にクロードが尋ねると、ボーマンは大きく頷いて白衣を脱いだ。
「ああ、いいとも。先に外で待っていな。店番を頼んですぐに行く」
 ボーマンはそう言うや否や店の奥に入っていった。
「やったわね!」
「やりましたわ!」
「やったね!」
 全員が顔を合わせて口々に言い、クロードは大功を立てたプリシスの頭を撫でてやった。
「よくやったぞ、プリシス」
「うん♪」
 プリシスは思いきり嬉しそうに笑いながら至福の時を堪能し、無人くんが主人の周りをスキップした。

「先日は、キースさんが忙しくて追い出されたのですが」
 言語学者キース・クラスナの家の前で、クロードはボーマンに説明した。
「ちょっと待っていな」
 ボーマンは、そう言って玄関の前に行くと、無造作にドアを叩き始めた。
「おいっ、キース、キース」
 大声で叫ぶ薬剤師を見て、本当に大丈夫だろうか、とクロードたちは心配になった。迷惑そうな顔をした助手が出てきて追い返されそうだ。
「おるのか、キース、キース」
 何も反応がないので、ボーマンは声量と腕の力をどんどん増していった。ドアのそばの窓ガラスが震えている。
「キーーーーーース」
 最後に小刻みに、しかし一番強く叩いてみて、やはり反応がないのを確かめると、ボーマンは肩をすくめてクロードたちのほうを振り返った。
「ったく、誰もおらんのか?」
 そう言ってクロードたちの元に戻ろうとすると、ようやくドアが開いた。例の助手が迷惑そうな顔で、クロードたちを見ている。
「なんですか、うるさいなあ?」
「うるさくて悪かったな、俺だよ」
 ボーマンが言うと、助手は自分の真横にいた人物を初めて発見し、目を見開いた。
「あっ、ボーマン先生っ」
 助手の言葉に、ボーマンは少しばかり眉をしかめた。
「先生は余計だ。キースはいるか?」
「はいっ、少々お待ちくださいっ」
 助手が慌てて家の中に戻ると、階段を駆け上がる音と駆け下りる音が相次いで聞こえて来、汗をかいた助手が出てきた。
「お待たせいたしましたっ、どうぞお入りくださいっ」
 助手は玄関を大きく開いて、迎え入れる態度を示した。ボーマンは助手の態度には関心を示さず、クロードたちを手招きして、何の遠慮もなく中に入っていった。それに続いて中に入ると、玄関のすぐ隣に階段があって、ボーマンはそれを昇っていた。
「ボーマンさん」
 階段の途中で、クロードは声をかけた。
「なんだ?」
「その、先生って、どういうことですか?」
「あん?」
 ボーマンは少しイヤそうな顔をした。
「さっき、助手の人が……」
 ボーマンは答えなかった。
「まあ、いいじゃねえか。それより、ここがキースの部屋だぞ」
 階段を昇ったところにあるドアを示して言い、ノブに手をかけてそれを開けると、何の断りもなく入っていった。こんなに無作法な人は見たことがなく、クロードたちは唖然としつつも、すがるようにボーマンに続いた。
 部屋の中には、机や椅子や本や紙が散らばっていて、その中に二人の男がいた。一人はボーマンだから、もう一人がキース・クラスナだ。年齢は二十代半ばくらい。黒い髪を中央で分けて左右に垂らしている。はじめ、言語学者というからには気難しそうな人だろうな、と想像していたのだが、まだまだ学生と言われても納得してしまうような風貌だった。
「失礼します」
 クロードに続き、レナたちも入ってくる。言語学者は、来訪者が多いことを知って驚いているようだった。
「どうしたんだ? こんなに大勢で」
「キース、最近は人のいい言語学者さんはやめちまったのかい?」
「なんだよそりゃ?」
 状況がつかめず、キース・クラスナは混乱した。手で抑えていた本のページがパラパラとめくれる。
「いやね、こいつらがお前さんとコンタクトを取りたかったらしいんだが、玄関先で追い返されたというんだ」
 腕を組み、顎で「こいつら」を指してボーマンが言うと、キース・クラスナは得心顔で言った。
「ああ、今ソーサリーグローブ関係で、イミのない古文書の解読を国から頼まれていてな。助手にジャマなやつらを追っ払ってもらってるのさ」
「ジャマって、わたくしたちのことですの?」
 セリーヌが腰に手を当てて怒りを露にしたが、言語学者は動じなかった。先刻、同じようなセリフを吐かれたボーマンが、呆れ顔で言った。
「そんな所で怒っていてもしょうがないだろう。ほれ、早く用件を言えよ」
 セリーヌは無理矢理に怒気を抑えながら、古文書を取り出した。
「この古文書を解読していただきたいのですけど」
 依頼に来たというのに、セリーヌは突き放すように言って、古文書を言語学者に見せた。
「これは?」
 セリーヌは意地を張って答えないので、代わりににレナが答えた。
「クロス洞窟の奥で見つけたんです」
「なに、クロス洞穴?」
 キース・クラスナは真面目な顔で問い返すと、古文書をひったくって読み始めた。
「はい。マーズ村の村長様にもお見せしたんですが、古すぎて読めないそうなんです」
 レナの言うことを聞いているのかいないのか、キース・クラスナは夢中になって巻物を開いていき、手元の本を片っ端から当たり始めた。
「こうなると、キースは何を言っても聞かないからなあ……」
 ボーマンが苦笑しながら言った。十冊ほどの本を物凄い勢いでめくり終えると、言語学者は顔を上げ、何とも言えない、緊張を含んだ顔でゆっくりと口を開いた。
「こりゃお前ら……、」
 いよいよ判決が下る。クロードは息を呑んだ。
「歴史的発見かもしれないぜ」
 キース・クラスナはそう言ってにやりと笑うと、古文書を机の上に置き、相手の反応を待った。
「本当ですの?」
 ちょっと嬉しそうな顔になって、セリーヌは言語学者の顔を覗き込んだ。さっきまでツンとしていたのに急に態度を変えるのは少々気がひけたが、身体は正直だ。
「ああ。こんな文字は見たことないね。まあ、強いて言えば古代ラバヌ紋字に似ていなくもないが、配置もそれとは異なるぞ」
「それで、解読できそうですの?」
 見たことない、というのは少々気にかかる。キース・クラスナは古文書を見ながら顎に手を当ててしばらく考え、答えた。
「こいつぁちょっと時間がかかりそうだな。預からせてくれるか? じっくり取りかかりたいんでな」
 要するに、解読できるということだ。セリーヌの顔がぱあっと明るくなる。
「もちろん、お願いしますわ」
「こっちこそ礼を言わせてくれ。いいもんに出会えた……」
 改めて訪問者たちを見まわしてみて、キース・クラスナは一人の少年に目を留めた。
「あの、なにか……」
 クロードは見つめられて、不安になった。
「もしかして、君、武具大会で準優勝した人?」
「あ、はい。そうですけど……」
 クロードが答えると、キース・クラスナは勢い良く立ち上がり、クロードの手を握り締め、激しく振った。
「いや~、やっぱり! うんうん、ちゃんと試合は見ていたよ。うん。凄かった。あの優勝者も凄かったけど、君はもっと凄かった。なにしろ……」
 その後、言語学者は握り締めた手を振りつづけながら、およそ三十分に渡って武具大会でのクロードの戦いぶりについて語り始めた……。

 その晩は、ボーマンの家に泊まることになった。本当は夜になるまでに充分な時間があったのだが、ボーマンがどうしても泊まっていけ、といって聞かなかったのだ。それに、昨日武具大会に出たクロードの疲れも完全に癒えてはいない。エル大陸に渡る前に、ゆっくりと休むことも必要だろう。
「自分の家だと思ってくつろいでくださいね」
 ボーマンの妻、ニーネが沢山の料理を用意してくれ、夕食は華やかな雰囲気で装飾された。
「うん、このお肉もおいしい♪」
 レナは、先程からしきりに料理を褒めている。あれこれとつまんでは、「おいしい♪」を連発するのだ。
「ニーネさんは本当にお料理が上手ですね」
 レナがにこにこと言うと、ニーネは手を口元に当てて笑った。
「ありがとう」
「本当に。高級レストランにも負けないほどの味わいがありますわ」
 セリーヌも、よい料理を食べられて、とても満足しているようだった。プリシスは、もう自分だけの世界に入って、次々と皿を平らげている。
「クロードは?」
「はい?」
 突然ボーマンが尋ね、クロードは慌てた。
「ニーネの料理はどうかと聞いてるんだよ」
「えっと……、それは、もちろん、おいしいですよ」
 クロードは冷や汗をかきながら、にっこりと笑って見せた。
「本当かあ? なんか無理してるように見えるぞ」
「そ、そんなことありません。本当に、おいしいです」
 なんとか信じてもらおうと、クロードは大量の肉を口に含んで見せたが、よりにもよってスパイスたっぷりの料理だったので、顔から火を吹いた。鼻が痛くなり、涙がにじみ、視界がぼやける。
「み……、水! 水!」
 もう、何が何だか分からない。クロードは夢中で手をジタバタさせた。
「もう、しょうがないわねえ……」
 全員が大笑いでクロードを見る中、レナは右手でコップを取り、左手でクロードの手を捕まえると、その上にコップを置いた。
「はい。お水」
 クロードは一気にそれを飲み干すと、少しは落ち着いて、辺りを見まわした。そして、コップを渡してくれたのがレナだと確認する。
「ありがとう。助かった」
 口元を拭い、コップを置くと、レナが腕を組んで言った。
「もう。ムチャしないでよね」
「ごめん……でも、もう一杯貰えるかな」
「はいはい……」
 レナは水差しをとり、コップになみなみと注いでやった。
「ありがとう」
 もう一度、一気に飲み干し、ふと気付くと、全員が自分たちに注目していることに気付いた。
「ここは俺たち夫婦の家なんだがなあ……」
 ボーマンが言うと、再び笑いが起こり、クロードとレナは顔を真っ赤にした。

「ふう~、おいしかった」
 用意された寝室に入るなり、プリシスは手近なベッドに倒れこんだ。彼女は、ずっと食べることに夢中で、クロードとレナの間に何があったのかを知らない。クロードは、少しほっとしていた。
「あら? この部屋、ベッドが4つしかないわ」
「本当ですわ」
「いや、むしろベッドが4つもある家はあまりないと思うけど……」
 クロードか言うと、レナとセリーヌが奇妙な顔で見つめられた。
「それも……そうですわね」
「そうね」
 何か言われるのではないかと思っていただけに、クロードは胸をなでおろした。
「でも、どうしよう?」
 アシュトンが言うと、ボーマンが毛布を何枚か抱えて部屋に入ってきた。
「悪いが、一人はこの毛布を使ってくれ。ま、基本的に野郎が床だろうなぁ」
「えっ?」
 クロードとアシュトンは互いに顔を見合わせた。
「まあ、今日のところはアシュトンかしらね……」
「ええっ!」
「だって、クロードはまだ疲れていますもの。ねえ?」
 思いやるように聞かれたので、クロードは頷いてしまった。
「え……うん、まあ、疲れてなくはないかな……」
「よし、じゃあアシュトンに決まりだな。ほれ、これ使え」
 ボーマンは戸惑うアシュトンに毛布の山をつきつけた。
「そんなあ……」
 アシュトンは泣く泣く寝床を作り始めた。

 翌朝は、ニーネのおいしい朝食を頂いた。昨晩のことを聞いたニーネは、アシュトンにだけ特製フルーツサラダを用意してくれたのだが、結局、ギョロとウルルンに食べられてしまった。
 その後、支度を整えて外へ出ると、店の前でボーマンとニーネが待っていた。
「いいかお前ら、危ないことに首を突っ込んでも、帰ってこられる範囲にしろよ」
「だいじょうぶです、仲間の命もかかっていますからね」
 クロードは頷いて答えた。
「うむ。クロス王の通行証があるなら、ラクール王にお願いすれば、エル大陸行きの船も出してもらえるだろうが、今はお忙しいからな……」
 言いながら、ボーマンは白衣の内ポケットから封筒を取り出した。
「俺が紹介状を書いてやった。大切にしろよ」
「紹介状?」
 クロードは封筒を受け取ったが、きっちりと封がしてあって、中は見られない。
「あなたの紹介状で王様に会えるんですの?」
 セリーヌがもっともな疑問を提示すると、ボーマンはにやりと笑った。
「そういうことだ。まあ、そんなに心配そうな顔するなって。絶対に大丈夫だ」
「はあ……」
 クロードは紹介状を自分のポケットにしまったが、不安なことに違いはない。そういえば、昨日は「ボーマン先生」と呼ばれていたし、この人の素性については分からないことが多い。
「みやげは元気な姿を見せてくれリゃいいぞ。安全第一で行って来いよ」
「はい。いろいろとありがとうございました」
「気をつけてね」
「はい」
 ボーマン・ジーンは、不思議な人だった。会ったばかりなのに、何から何まで世話をしてくれた。「先生」のこととか「紹介状」のことなど、いまいち不審な点があるものの、それも彼の不思議な人格の一部を表しているように思えた。ソーサリーグローブの調査が終わったら絶対に会いに来よう、クロードは固く決心しながら、ラクール城行きの馬車に乗り込んだ。

 二日前。
「レディィス、エンド、ジェントルメンッ、皆さんお待ちかねのラクール武具大会が、今年もいよいよやってまいりました」
 大げさな声で司会者が叫び、続いて歓声が響く。少年は、耳を塞ぎたくなった。客席の中にいなくてよかった、と思う。この王室専用席は特別に造られた部屋で、他の客席とは隔離されている。室内の絨毯も装飾品も最高級のもので、城にいるのとまったく変わりない。優雅な曲線が、本来無機的な金属に温かみを持たせている。機能性を重視するこの少年には無駄以外の何物でもなかったが、幸いなことに、この部屋は彼のために作られたのではなかった。
「一回戦・第一試合の勝者は、アモン・ラウ選手でしたああぁっ! 熱い拍手をどうぞっ!」
 この分厚い壁とガラスがなかったら、鼓膜が破れてしまいそうなほどに無駄に大きな声だ。そんなに力をこめて叫ばなくても、拡声器というものはちゃんと聞こえるようにできているのに。
「今のすごかったわね。ほとんど一瞬だったわ」
 頭上で母親が言うと、警護の兵士らも賛同して、頷いた。部屋の中にいるのは、五人。彼と、彼の母親と、警護の兵士が三人だ。前面に巨大なガラスがはめ込まれてコロシアムを一望できるようにしてあるこの部屋は、本来より広く感じられ、五人というのは寂しかった。しかも、その半数以上が彼に媚びへつらう、つまらない大人たちとあっては。
「ねえ、パパは?」
 母親の白衣を引っ張り、少年は尋ねた。
「パパは王様たちと会議だって言ったでしょ。もうすぐ終わるから、待っていなさい」
「……ボクも会議に出ていたほうがよかったな」
 息子の答えに、母親は不思議そうな顔で言った。
「年に一度の武具大会なのよ。面白くないの?」
 ため息をついてから、少年は、ガラス越しにコロシアムを見下ろした。筋肉ばかりの男たちが、力任せに剣や拳を振るっている。筋肉男というのは、身体に対して頭が小さく見えていけない。
 ──まったく、頭も使わずに、こんな武具大会なんかやってて楽しいのかな?
 一向に面白くなさそうな我が子を見ると、母親は兵士のほうを向いて言った。
「誰か、この子にキャロットジュースを」
「はっ、ただいま」
 兵士の一人がきびきびとした声で言い、用意してあった冷えたポットをとって、オレンジ色の液体を注いだ。
「どうぞ、レオン博士」
 兵士は少年の背に合うように膝をつき、コップを差し出した。レオンは左手でそれを受け取ると、何も言わずに、差してあるストローで飲み始めた。普通の母親なら、ここで礼を言うように促すだろうが、レオンの母フロリスは、とうの昔に息子をしつけることを諦めていた。

 エクスペルに住む人々の九割は、典型的なエクスペル人である。残りの一割は身体のどこかに典型的エクスペル人とはやや異なる特徴を持っている。猫のような耳や尻尾を持つ人々をとくにフェルプールと言い、レオンも生まれながらにして猫のようにふさふさした耳を持っていた。こういった人々の大半は、外観の特徴とともに特異な才能を持って生まれ出てくることが多く、レオンの場合には卓越した記憶力と理解力がそれだった。とにかく目に触れるもの耳に入るものの全てを記憶し、教えたことは全て理解した。その能力を一番初めに発見したのは彼の両親で、彼らが自分たちの研究室にレオンを連れていったときに明らかになった。父マードック、母フロリスは、ともにラクールの若い希望として紋章武器研究の最前線にいたが、息子レオンが彼らを追いぬくのに、さほどの歳月はかからなかった。とはいえ、あくまでも学問においての話で、それ以外のことについては、普通の子供と変わらない。たまの休暇に家族で海や山へ出かければ、はしゃぎまわって喜ぶレオンの姿を見ることができる。しかし、ここ数年、レオンは家族以外にそういった面を見せなくなっていた。
 人は私的な上下関係を年齢で決めるらしい、とレオンが知ったとき、彼がそれまでの優位を保つには、ひたすらに他人を拒絶するしかなかった。研究資材を運ぶときなど、よく城の兵士に手伝ってもらったものだが、レオンは、彼らが自分の能力に敬意を表して、あるいは好意でやってくれているものだと思っていた。だから、素直に礼も言った。しかし、心の中では『命令だから』と仕方なく従い、『年下のくせに』と思われていたとなれば、話は変わってくる。相手に快く思われていないものを、こちらから好きになれるはずがなかった。下手に礼など言えば、つけあがるかもしれない。もちろん、全ての大人が彼に悪意を抱いていたわけではないが、精神的にはまだ未熟な彼にとって、一事は万事だった。
 それからというもの、レオンは他人に礼を言うことがなくなり、笑顔も返さなくなった。幼い彼の愛らしさに心寄せていた人々も、次第に離れていった。

「さあ、ここで天使からの救いの声、戦士への贈り物、敗者復活戦のプレゼントだっ!」
 司会者の声が聞こえたとき、後ろでドアの開く音がした。
「陛下!」
 入室者を見た兵士たちが、背筋を伸ばして敬礼し、フロリスとレオンも姿勢を正した。ラクール王が会議を終えて、観戦しに来たのである。
「ご苦労。盛り上がっているようだな」
「はっ。今年は例年になく強者揃いでして、まだまだ十分お楽しみ頂けます!」
 兵士の一人が解説すると、王は満足そうに頷き、用意された椅子に腰を下ろした。
「王様、今年はこのような王室専用席にお招き頂きまして、本当にありがとうございます」
 フロリスが進み出て頭を垂れると、王はにっこりと頷いて、
「よい。今年はロザリアがいなくなってしまったからな。少しでも大勢で見たほうが楽しさも増すというもの。レオンよ、楽しんでいるか?」
「……いえ、あんまり」
 空になったコップをテーブルに置きながらレオンが答えると、フロリスは呆れ、王は大声で笑った。
「相変わらず、ハッキリと言うやつだ。だが、いつもいつも研究ばかりでは身体にも悪い。たまにはこういうのも良いであろう」
 レオンは、この初老の男性が嫌いではなかった。この人だけは、自分に媚びたりしないからだ。この人がどんなに親切にしてくれても、レオンは素直に受け容れられた。もちろん、今回のような自分にとって面白くないものは別だが。だいたい、もともと自分より立場が上の人なのだから、自分に親切にしたところで王に何の得があるわけでもない。無償の優しさが、彼を素直にしていた。優しさ、という点では、彼が好きな人がいる。ラクール王女ロザリア姫だ。美しく気品にあふれ、清らかで優しい心を持つ女性だ。彼女は、レオンを弟のように可愛がり、レオンも彼女を姉のように慕っていた。休みの日にはよく彼女の部屋へ遊びに行って、両親を恐縮させていたものだ。しかし、そんな彼女も、先日クロスへ嫁いでしまい、レオンは好んで休みを取ることをしなくなった。研究にしか楽しさを見出せなくなったからである。
「今年のラクール武具大会の優勝者が決定いたしましたあっ! 今年の優勝者は、ディアス・フラック選手です! みなさん、熱い拍手をお送りくださいっ!」
 場内に一段と大きな歓声が響き渡り、室内にもどよめきが走った。
「今の勝負は凄かったぞ」
「だが、やはりディアスは強いな。剣豪と呼ばれるだけのことはある」
「しかし、もう片方の少年も惜しかった。初参加でディアスとあれだけの戦いをして見せるとは」
 やれやれ、やっと終わったか、と思ったとき、王室専用席の扉が勢いよく開いた。賊の侵入か、と兵士たちが慌てて構えたが、入ってきたのも兵士だった。
「王様! 前線基地から火急の報せが!司令官が直々にお見えになり、至急、お話ししたいとのこと!」
 室内は戦慄した空気に包まれた。王はゆっくりと立ち上がると、室内を見まわした。
「そういえば、マードックがいないな。会議はとうに終わったというに。……まあ、よい。マードックを探して謁見の間に呼んでおけ」
「はっ」 
 王が険しい顔で立ち去ると、兵士たちも部屋を後にした。

 翌朝、ラクール城会議室で、御前会議が開かれた。ラクール前線基地司令官をはじめ、軍の高官、そしてマードック、フロリス、レオンも参加している。
「最後の斥候が今日未明に報告したところによりますと、魔物軍の侵攻は間近。数日以内に、第一波がかつてない規模で来襲します」
「前線基地で食い止められるか?」
 王が尋ねると、基地司令官は禿げた頭ににじむ汗を拭きながら答えた。
「第一波ならなんとか。しかし、それ以降は無理です」
 王は眉をひそめながら、視線を別の人物に移した。
「マードック、あれの完成はまだか」
「最後の詰めの作業がまだ残っておりますが……、近日中には必ず」
「なるべく急いでくれ。明日には多くの兵を各地の警備に回さねばならん。前線基地へ送れる人数は多くはないだろう……。あれが頼みの綱だ」
 王の真剣な面持ちを受けて、マードックはゆっくりと頷いた。
「予備役を含めて全ての兵を召集せよ。ただちに部隊を編成し、今日一杯は訓練、明日には各地へ配備できるよう、準備を整えておくように」
 将軍たちの頷きを確認して、王は立ち上がった。
「解散」

 ラクール城下町の門前には、臨時のテントがいくつも張られていて、兵士たちが緊張した顔で周囲を巡回し、ものものしい雰囲気に包まれていた。クロードたちの馬車が門に近づくと、兵士たちがそれを止め、馬車から出てくるように言った。
「一体なんなのかしら?」
「さあね……」
 全員が降りて馬車の前に並ぶと、兵士の一人が尋ねた。
「君らは今、ラクールへ避難してきた者かね?」
「はあ?」
「避難ってどういうことですの?」
 セリーヌが訝しげに尋ねると、兵士は怒声ともとれるような大声を放った。
「知らないのか! エル王国が魔物に壊滅させられ、魔物の群れが現在ラクール王国に向かって進軍中なんだぞ?」
「ええっ?」
 つい先日までは、武具大会など開いて華やかな様相を呈していたラクール城が、いま、魔物軍の来襲を受けて恐怖に震えているとは。武具大会での準優勝や、ボーマンの家での楽しい晩餐などが、夢のようだ。
 相手がようやくことの重大さを確認したのを確かめると、兵士は自分を落ち着かせながら、避難の説明にかかった。
「もちろん前線基地で魔物の群れなど食い止めてしまうが、ラクール以北は戦場になる恐れがあるので、国民は一時ラクール城に避難してもらってるんだよ。君たちにも、このままラクール城に留まってもらう」
「どうしよう?」
 クロードは、仲間たちの顔を見た。城に閉じ込められては調査ができなくなる。緊急自体に陥った今だからこそ、調査は急がれるべきなのだが。
「とにかく、僕たちの第一の目的はラクール王にお会いすることなんだから、中に入るより仕方ないと思うよ」
「そうね。王様にお話しすれば、また出してもらえるかもしれないし」
 クロードは仲間の意見を容れ、避難者名簿に名前を書きこむと、ラクール城下へと踏み込んだ。
「これが、ラクール城下……?」
 数々の店が建ち並び、エクスペルで最も栄えていた都だが、それも人間あればこそで、誰もいない通りは、寂しさとともに、緊張と恐怖を煽った。時折見かける歩哨の顔も、険しく近寄りがたい。家や店の扉も全て閉ざされ、窓にもカーテンがかけられている。どこか別の国に占領されてしまったかのようだ。

 重苦しい雰囲気の通りを抜けて城に入ると、にわかに人々の声が聞こえてきた。しかし、どれも低く籠りがちで、お世辞にも明るいとは言えない。
 先日、武具大会登録受付だったところが、今日は避難者登録受付に変わっていた。
「代表者のかたのお名前をお聞かせ願えますか?」
「クロード・C・ケニーです」
 受付の兵士は、名簿に名前を書きこみながら、ふと何かに気付いて顔を上げた。
「あれ、もしかして武具大会で準優勝したかたですか?」
「ええ、まあ……」
 これまでの緊張感が一瞬にして解け、クロードは戸惑った。
「会えて光栄だなあ。あの、握手してもらえます?」
「はあ……」
 言われるがままに手を差し出して握手すると、兵士は満足そうに礼を言った。
「全部で五名ですね……。分かりました。では、城内にお入りください」
「あの」
 クロードは切り出した。
「王様に謁見させていただきたいんですが」
 受付の兵士は、明らかに驚いていた。
「こんなときにですか?」
「こんなときだからこそ、ですのよ」
「しかし、現在、陛下は緊急公務のためにお時間がとれず……」
 兵士は申し訳なさそうに言ったが、魔物軍が攻めてきたからと言って調査を中止にはできない。クロードは、ポケットからボーマンの紹介状を取り出した。絶対の自信があって見せたのではない。はやる気持ちがそうさせただけだったのだが、効果は絶大だった。
「ボ、ボーマン先生のお知り合いなんですか……!」
 兵士の驚きようも凄かったが、その反応を見たクロードたちの驚きのほうがはるかに大きかった。『ボーマン』という名前を見せただけで、これほど驚かれるとは思ってもみなかったのだ。一体、彼がなんだというのだろうか。ますます不思議になってきたが、今はその説明を聞いている場合ではない。
「わかりました。現在、王陛下は……」
 そこまで言うと、兵士は周りの様子をうかがいながら、クロードに耳を寄せるように合図した。
「王陛下は、紋章武器研究所にいらっしやいます」
「紋章……武器?」
「しっ。他人に聞かれないようにしてください。研究所は、ホールに入って右側の通路を行き、突き当たりの階段を降りたところにあります。今は警備の兵がいますが……、この札を持って行けば通してくれるはずです」
 兵士はそう言ってクロードに小さな金属の板を渡すと、何食わぬ顔で通常の仕事に戻った。
「では、城内はお静かに願います」

「これでほとんど完成なのだな?」
 ラクール王が、装置を見ながら確認した。紋章武器研究所は、王宮の中にありながら、最新の技術を結集した機器で埋め尽くされ、異世界のようだった。他の人々は研究者らしく白衣をまとっていたが、王冠を戴き、豪奢なマントを床に滑らせているこの人物は、本来の存在感がより引き出されているように見えた。
 マードックは、自信のなさそうな顔で答えた。
「ええ。ただ一つ問題なのが、エネルギーそのものの放出に耐えうる素材がないということで……」
「それでは使えないではないか!」
 ラクール王の怒声は天にも響くと恐れられていたが、これに天使のような声が続いた。
「だから、耐えうる素材がホフマン遺跡にあるんだってば」
「それは本当なのか、レオン?」
「そうですよ、王様。ボクなら、二日もあればパッと行って採ってきちゃいますよ」
 レオンは自信満々で発言した。魔物軍の侵攻が確認されてから、レオンははりきっていた。いよいよ、自分たちの研究の成果が確かめられる時なのだ。
 レオンの力は王も認めていたが、返答は濁った。採りに行かせるにしても、色々な問題があるのだ。
「ううむ……。しかし……」
 王が首を傾げたとき、研究室の入り口のほうから、何かの音がした。
「誰だ!」
 すぐさま警備の兵が槍を構えたが、ドアの前に立っていたのは軟弱そうな男女五人組みだった。
「何だキサマら!」
 兵士の高圧的な質問に、クロードは頭をかきながら答えた。
「いえ、僕たちは全然怪しい者ではないんですが……」
「十分怪しいっ!」
 兵士は怒って、槍を持つ手に力を込めた。
「だから、全然そんなことないんですよ」
 はて、どうやって証明したものか、クロードは悩んだ。受付の兵士に貰った金属の札は部屋の外にいた兵士に渡してしまったから、あとは、なぜか効力のあるボーマンの紹介状を見せるしかないが……。
「あらあの子、武具大会で準優勝した子じゃないかしら?」
 最初に気付いたのは、フロリスだった。
「へっ?」
 兵士は驚いてクロードの顔を覗きこみ、「あっ」と声を出して黙ってしまった。
「ほらレオン、あなたも一緒に武具大会見てたじゃない?」
「僕は興味なかったからね。覚えてないよ」
 本当に覚えていないわけではないが、怪しげに侵入してきた者に迂闊に手を差し伸べないほうがいいと思った。
 いつもながらの息子の返事にフロリスはため息をついたが、すぐにもう一人の同席者を思い出す。
「王様は覚えていらっしゃるでしょう?」
「優勝したディアスにもう一歩で勝てなかった少年じゃな? 見覚えがあるぞ」
「はい。クロード・C・ケニーと言います」
 クロードは、名乗ると同時に、王たちの前に進み出た。レナたちも、当然のごとくぞろぞろとついて行く。プリシスは、機械で一杯の部屋を見て目を輝かせながら、とことこ追いかけた。
「しかしなぜこんな所に?」
「実は、受付の人に頼んで、王様に至急の謁見をお願いしたいと言ったところ、こちらにいらっしゃると聞き……」
 クロードが紳士的に上奏しているところへ、甲高い子供の声が割り込んだ。
「そんなのウソに決まってる! こいつはラクールホープの秘密を盗みに来たスパイだ!」
 クロードは、首を傾げてレオンを見下ろした。どこかで見たような気がしないでもない、小さな男の子だ。十歳くらいだろうか。くすんだ空色の髪の中から猫のような耳がのぞいており、幼い顔立ちとあいまって可愛らしい印象を受けるが、今はその細い眉をVの字にして、クロードを糾弾している。
「ラクールホープ?」
「知らないとは言わせないぞ! 現在僕たちが開発している紋章武器の最強バージョンだ! 小さな島くらいわけもなく吹き飛ばせるんだぞ!」
「……?」
 クロードたちは、互いに顔を見合わせ、もう一度首を傾げた。
 先刻から、部屋の雰囲気にうずうずしていたプリシスは、『開発』とか『最強バージョン』などという言葉を聞いて、居ても立ってもいられなくなった。
「それ、な~に?」
 レオンは、わざとらしい、と思ってプリシスを睨み付けていたが、だんだん不安になってきた。
「……本当に知らなかったの?」
「そ~だよ。あたしたちが知るわけないじゃん。で、それってな~に? どんなモノ?」
「えっ、え~と、それは……」
 レオンは急に立場が悪くなって、視線を逸らしながら対処法を考えていたが、ふと別のことに気付いた。
「ほっ、ほら! やっぱりそうやって聞き出そうとしているじゃないか! スパイだ!」
「なっ……ひっど~い! 人を二度もスパイ呼ばわりした!」
 二人は互いに頬を膨らませ口を尖らせて、にらめっこ状態に突入した。
「ほらほら、プリシス、その辺でやめておきなよ……」
 アシュトンは、ターボザックを引っ張ってプリシスを引き戻そうとしたが、彼一人ではとても動かせないほどに、それは重かった。
「王様、僕たちはエル大陸に渡る船を探しているだけです。ソーサリーグローブの調査をクロス王公認のもとに行っていまして……」
 クロードは、隣で起こっていることを無視することにした。レオンが話したのは重要な事柄らしいので、聞かなかったことにしたほうが無難だと思ったのだ。
「なんと、そうであったか」
「はい。これが、クロス王から頂いた通行証。それと……、ボーマンさんから紹介状を貰いました」
 クロードは、二つの書類を取り出してラクール王に手渡した。
「なんと、ボーマンの。そういえば、あやつにも久しくあっておらんのう」
 紹介状を開きながら、ラクール王はマードックとフロリスに目を向けた。
「そうですね。もう、何年にもなりますね。そういえば、武具大会のときにはキースに会いました。あいつ、国から急ぎの仕事を任されているのに呑気に観戦なんかしていて……」
「あの……、みなさん、ボーマンさんをご存知なんですか」
 クロードは、積もり積もった疑問をここで解消することにした。
「ああ、そうだよ。彼は以前、ここの薬学部門にいたんだ。アカデミーでは薬学部の最優秀生でね、研究所ここに薬学部門が作られたのは、半分は彼のためだ。ただ、半年も在籍せずにリンガに戻り、薬学部門も消滅してしまった。その後しばらくはアカデミーで教鞭も執っていたが、今は町の薬屋さんに落ち着いている」
 クロードたちは、ボーマンの意外な素顔に驚かされた。ふらふらとどこかへ行ってしまいそうなあの男に、そんな過去があったとは思いもよらなかった。
「でも、どうして半年で辞めてしまったんですの?」
 セリーヌの質問を聞いて、マードックとフロリスは顔を見合わせて笑った。
「それはね、ニーネさんのためよ」
「奥さんの?」
「そう。二人は学生時代からつき合っていたんだが、ニーネさんの家も薬屋でね。ボーマンがこっちにいる間に、立て続けにご両親を亡くされたんだ。それで、彼女を助け、薬屋を継ぐためにリンガに戻ったのさ。それから間もなく結婚。めでたしめでたし、というわけだ」
「へえ、なかなかやりますわね。あの人も」
 クロードたちが感心していると、紹介状を読んでいたラクール王が顔を上げた。
「ふうむ。よく分かった。エル大陸へ渡りたいようだが……、あいにくと、今すぐというわけにはいかん」
「どうしてですか!」
 クロードは、王が自分たちを信用していないのでは、と思った。
「まあ、そう焦るな。一つには、今、ほとんどの船が前線基地方面に配備されていて、出せるのは一隻しかないということ。もう一つには、その一隻は今からレオンがホフマン遺跡に行くのに使うということ」
 自分のことが話題に上って、今までにらめっこをしていたレオンは、急に態度を変えた。
「王様! ありがとうございます!」
「待て待て。話はこれからだ。ホフマン遺跡には行ってもらうが、あそこは危険なところだ。未だ詳しい調査はされておらんしな。だが、兵士たちは既に各地で任務についており、余分な兵力がない。ホフマン遺跡にまで兵士たちを回せないのだよ」
「ボク一人だって行けます!」
「無茶を言うでない。お前が紋章術に長けていることは城の誰もが知っているが、実戦の経験はほとんどないだろう。それに、紋章術が通じる相手ばかりとも限らん」
 レオンも、聞き分けのない子供とは違う。正論に反抗するのは無益な行いだ。レオンはがっくりと肩を落としたが、ラクール王は逆に明るい声で言った。
「だが、ここにレオンの護衛としてうってつけの戦士たちがいる!」
 王は、そう言ってクロードたちに手を向けた。
「へっ? ……僕たちが?」
 クロードが間抜けな顔で言うと、ラクール王はにやりと笑って頷いた。
「そういうことだ。そなたたちのことは、このボーマンの紹介状で読んだ。武具大会で準優勝しただけでなく、それまでにも数々の冒険をしてきたそうだな。腕もチームワークも申し分ないだろう。ソーサリーグローブの調査、ということだが、実はレオンが採りに行く物も、ソーサリーグローブ落下直後に発見されたものなのだ。一緒に行って損はないと思うが……、どうだね?」
「はあ……」
「どちらにせよ、レオンが戻ってくるまではエル大陸にも渡れない。船が無いからな。それまで、城内でヒマを潰すか、鍛錬を兼ねて遺跡に行くか。どちらかだ」
 ラクール王は、表面上、行くか行かないかの選択を迫っているが、結局、『行け』と命令しているのと同じだった。レオンという少年についてはまったく知識がないが、子供一人で危険な地へ行って帰ってこられるとは思えなかった。もし、帰ってこられなければ、船も無くなり、エル大陸には渡れないことになる。
「分かりました。彼と行って、少しでも早く戻ってきます。そうしたら、エル大陸へ行かせてもらえますね」
「よし、いいだろう。レオンも、いいな」
 一人では無理だと頭では分かっていても、他人に頼るというのはいい気持ちのするものではなかった。レオンは、下を向いたまま黙って小さく頷いた。
「船はヒルトンに用意する。しばらく時間がかかるから、それまでは城の中にいるといいだろう」
「わかりました」
 クロードは頷くと、レオンに手を差し出した。
「よろしくな、レオン」
 にこやかに笑って見せても、結局は自分の目的のために仕方なくついて来るだけじゃないか。レオンは、視線を合わさないよう、冷ややかな口調で言ってやった。
「くれぐれも足手まといにはならないようにしてよね」
「えっ?」
「それじゃ、ボクは準備をしてきますから」
 クロードを無視して言うと、レオンは研究室を出て行ってしまった。
「なに、あの子。可愛くな~い。べ~~っだ!」
 プリシスはどうしても気に食わず、両親の目の前だというのに舌を出して言い放った。

 初めてやって来たとき、ここ港街ヒルトンは、武具大会目当ての人々で溢れかえっていたものだが、今は人の姿はまばらである。その大半は鎧兜を身に着けた兵士たちで、緊張の文字を顔に張りつけて、それぞれの任務に没頭している。
 港には何隻かの客船が停泊していたが、桟橋はかかっておらず、出航の予定はなさそうだった。停泊しているのも、港の一番奥のほうだ。
 代わりに一番手前に留まっていて、なおかつ多くの人々がせわしなく作業をしているのが、これから乗る輸送船だろう。客船と違って無駄がなく機能重視で、鈍く輝く金属板に包まれ頑丈そうだが、悪く言えば可愛げのない船である。セリーヌなどは、露骨にいやな顔をして見せた。
「レオン博士のお供のかたですね」
 作業の指揮を執っていた人物がやって来て、尋ねた。他の兵士たちと違って妙に愛想がよい。そのわりには、よく汗をかいて、顔も汚れている。作業を楽しんでいるのかもしれない。もっとも、こういう状況では、そういう図太い神経を持った人物が指揮を執ったほうがよいだろう。
「……ええ。そうですが」
 博士とはいえ、子供であり、顔のわりに憎たらしい性格の人物の『お供』と言われるのは、頭で承知はしていても愉快なものではなかった。ただし、顔には出さないようにしておく。クロードは、辺りを見まわした。
 そろそろ日が暮れ始める頃で、ときおり涼しい風が吹くが、船上の兵士たちは汗を拭く間もなく働いていた。それほど大人数でもないのに、なにをしているのだろうか?
「あれは、レオン博士の実験装置ですよ」
 指揮官が説明した。
「実験装置?」
「ええ。詳しいことは知りませんが、本当はかなり大きな物を、分解して持ち運べるようにしたらしいんです。でも、組み立てるのが一苦労でしてね……」
 ホフマン遺跡に行って帰ってくるまで、最短で二日だと聞いている。わざわざ巨大な装置を船に持ちこんでまで、何の実験をするのだろうか。
「私たちにはよく分からんので、博士が直接指示を出されています」
「はあ……」
 指揮官はにこにこと説明していたが、レオンのあの可愛げのない口調で命令されるのはいやな気分だろうな、とクロードは思った。

 レオンの作業も終わり、クロードたちが乗りこむと、船は最低限の人員だけを乗せてヒルトンを出航した。

 出航して間もなくミーティングが行われた。船長の説明によると、ホフマン遺跡のあるホフマン島まではおよそ十時間。到着は午前五時。それからすぐに島に降りて、森林地帯にある遺跡を目指す。そのほか、船の航行に関するいくつかの指示が出て、ミーティングは終了した。そのまま、夕食に移り、あとは自由行動となる。
 クロードは、船室を出て星を眺めることにした。陸から見上げるのもいいが、何であれ『ふね』というものから見る星は、陸からとは違う趣があるような気がした。
 以前は、星空を見るたびに地球のことを思い出していたが、最近では純粋に美しさに見とれることが多くなった。帰ることを諦めたわけではないが、帰れないところで別段困ることもないような気がしてきている。これまでの旅を通して、信頼できる仲間にも出会えたし、エクスペルという星にも慣れてきた。ソーサリーグローブを調べて、魔物の発生を止められたら、この星でゆっくり暮らすのもいいかもしれない。とくにやりたいことがあったわけでもないのだから。アシュトンと剣の腕を磨くか、セリーヌと宝捜しをするか、プリシスと機械いじりでもするか、レナとのんびりり暮らすか……。
「一三二、〇八七……と」
 どこかから、声が聞こえてきた。
「一三五、〇七五」
 数字を読み上げている。まるで、宇宙船のコース設定みたいだ。
「一三六、〇七七」
 声は、船首甲板の方から聞こえてきた。レオンが、何かを組み立てさせていた場所だ。
「一三六、〇六五……」
 近づくたび、少しずつ、声は大きくなっていく。そっと覗いてみようか、と近くの樽に身を隠そうとしたとき、足もとの板が音を立てた。
「誰?」
 とくに警戒している風でもなかったが、クロードは正直に姿を現した。
「なんだ、お兄ちゃんか」
 声の主はレオンだった。しかし、驚くべきことに、レオンはクロードを『お兄ちゃん』と呼んだのだ。とくに言い直そうともせず、レオンは作業を続けた。やや年上の男性を『お兄ちゃん』と呼ぶのは、普通の子供なら普通のことだ。クロードは、レオンが普通の子供だとは思っていなかったので、少し戸惑った。この少年博士にも、子供らしい部分はまだ十分にあるということだろうか。
 レオンは、組み立てられた装置を覗きこんで、声を出しながら、ノートに数値を入れていく。
「一三七、〇九八」
 その装置がなんなのか、クロードには一目で分かった。本体は、人が一人入りそうな四角い筒で、口の方に中を覗くための別の小さな筒がついている。大きい筒からは、横に二本の棒が出ていて、それが、金属製の輪に取りつけられている。輪からは四本の足が出ていて、それが下のほうの輪についている。下のほうの輪は、それが入るように作られた容器に入っている。それには、油が入っていて、輪はくるくると回る。そうすると、筒も回る。
 要するに、天体望遠鏡だ。読み上げていた数字は、星の位置ということだろう。
「星を観察してるのか」
「そうだよ。忙しいんだから、ジャマしないでよね」
 やはり、普通の子供らしくない。普通の子供なら、『そうだよ、お兄ちゃんも見る?』とでも言いそうなものだ。
「わかったよ。でも、ここにいてもいいだろ?」
「好きにすれば?」
 レオンは、クロードにまったく無関心なようだった。クロードは、樽に寄り掛かって腰を下ろし、レオンの読み上げる数値を聞きながら、二つの月を見上げた。

10

 遺跡の周りには、何もなかった。森があるだけだ。明け方の森は湿気を含んではいたが、朝の光りが葉の上の露を輝かせている。紋章の森とは違う雰囲気だ。
 ホフマン遺跡と呼ばれるこの建築物は、クロードに地球のピラミッドを連想させた。それも、アフリカのものではなくて、南米に見られる階段のついたタイプだ。石造りで、階段を上ったところにはドームがあり、そこから中に入れるようになっている。ドームの屋根が茶色っぽく塗られている以外、これといって特徴がない。
「さあ、中に入るよ」
 先頭を歩くレオンが言った。護衛はクロードのパーティだけで、他の人間は船を管理している。ほとんどが非戦闘要員なので、来ても役に立たない。
 階段を上がって中に入ると、ひんやりとした空気が漂っていた。それよりも、驚くべきことは、中と外ではまるで感じが違う、ということだ。外観はざらざらとした石で作られていて、崩れているところも多い。ところが、中は床も壁もつるつるに磨き上げられている。入り口からわずかな光が入ってくるだけなのに、それをよく反射している。が、何メートルも行かないところで通路は終わってしまった。
「なんだ、行き止まりじゃないか」
 クロードが言うと、レオンは肩をすくめて、
「これだから一般人は困るんだよね。これはドアだよ。ここから入るんだ」
 そう言って、部屋の奥にあるものを指した。確かに、他の壁とは少し違う感じがする。
「どうやって開けるの?」
 レナが聞くと、レオンは得意げに言った。
「これを押すんだよ」
 言うなり、目の前の突起を力任せに押しこんだ。しかし、押し込めはしたものの、何も起こらず、手を離すと突起は元に戻ってしまった。
「あれ?」
 レオンは、初めて動揺しているように見えた。
「開かないじゃん。あんた、ホントに知ってんの?」
 プリシスが言ったが、レオンは無視して、もう一つの突起を見つけた。それに駆け寄って、ぎゅっと押しこむ。
「こっちだ!」
 やはり何も起きない。
「おいおい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ!」
 レオンは、冷や汗をかきながら、二つの突起を交互に見比べた。こっちもダメ、あっちもダメ、となると……。
「わかった!」
「両方一緒に押すんでしょ?」
 意地悪く言ったのは、プリシスだった。レオンは、更に動揺の色を深めた。
「な、なんで分かったんだよ!」
「べっつにー。てきとーに言っただけだけど。もしかして当たり?」
 そう言いながらも、プリシスは『分かっていた』ふうな顔を見せる。
「ふん! 当てずっぽうなんてよしてよね! 何かあったらどうするのさ!」
「そっちこそ、適当に押してたくせに!」
「適当なんかじゃない! 一つ一つ仮説を試してたんだ!」
 二人は、通算二度目のにらめっこ状態に突入した。アシュトンが、プリシスを引き離そうとしたが、やはりターボザックは重くて動かせなかった。
「こんなところで喧嘩してどうするんだよ。まだ先は長いんだぞ」
 クロードが割って入ったが、にらみ合いは続いた。クロードは、首を振った。
「しょうがない。アシュトン、そっちを押してみて。僕はこっちを押すから」
 すると、たちまち甲高い声が二つ上がった。
「ダメだよ! ボクが隊長なんだからね!」
「アタシが言ったんだから、アタシがやる~!」
 やれやれ、また喧嘩になるのか、とクロードは頭を痛めたが、レオンとプリシスは素早く突起の前に駆け寄り、合図もなしで同時に押し込んだ。
 突起が赤く光り、ドアは上下に割れると、音もなく床と天井の中にしまわれた。
「やっぱり! 僕が考えたとおりだ!」
「アタシが先に言ったの!」

 三度目のにらめっこを、なんとか終わらせて、クロードたちは中に入っていった。地図によれば、この先に地下に降りる場所があるらしい。壁や床は相変わらずつるつるだ。
 レオンを先頭に歩いていくと、そこもまた行き止まりだった。
「今度はどうすれば開きますの?」
 セリーヌは、関門を突破するたびに争われてはたまらない、とでも言いたげだった。
「違うよ。今度は初めから開いているんだ。あれに乗るんだよ」
 レオンが示したのは、六人が入ったらぎゅうぎゅうになってしまいそうな、部屋とも呼べぬ小さな空間だった。
「そっか」
 プリシスだけが、妙に納得した顔で、その空間に入った。すると、突然扉が閉まって、またすぐに開いたが、プリシスはいなかった。
「プリシスッ!」
 アシュトンが裏返った声で叫ぶと、レオンは落ち着き払った声で説明した。
「これで下に行けるんだよ。早く乗って」
 クロードはそれが何物であるのか理解したが、未だに半信半疑のクロス大陸出身者三名は、自分が消えてしまうかも知れないという恐怖に怯えながら乗りこんだ。

 エレベーターポットらしきものに乗って地下に下りると、そこはまるで別世界だった。上のほうは、輝くほどに磨かれた石材でできていたのに、ここはただの坑道だ。ところどころ、壁が木で補強されている。それだけならばサルバ坑道と変わりははなかったが、ここにはトロッコがあった。旧式な線路も敷かれている。ただし、途中で切れていたりして使えそうにはなかったが。ただ、クロスにもラクールにも鉄道などと言うものは走っていなかったのに、ここには縦横無尽に線路の跡が見られるというのは、不思議なことだった。もっとも、線路があるからといって必ず鉄道があるものと考えるのは、クロードが地球人だからなのかもしれない。
「ここは、なに?」
 レナが独語した。
「さあね、よくわからないんだ。発見されたのはソーサリーグローブが落ちた頃。そのとき、このホフマン島にも何かが落ちるのを見たっていう人がいて、調査チームが派遣されたんだ」
「じゃあ、この遺跡自体が最近見つかったっていうのかい?」
「そうだよ」
 レオンは頷いて、地図を広げると、一人で歩き出した。『護衛』たちも、ついて行く。
「それで、ソーサリーグローブと一緒に落ちてきたというのは何だったんですの?」
「エナジーストーンって呼んでる。今から採りにいくのがそれなんだ」
「ソーサリーグローブと一緒に落ちてきたの……」
 レナの顔は、暗くなった。『魔の石』と同じ時に落ちてきた物、ということではアレンの石も同じだった。
「だから、みんな近づきたがらなくて、調査チームのヤツらも調べただけで帰って来ちゃったのさ。まったく情けないよね」
 坑道内には、ランプが灯されていた。レオンによると、初めから点いていた物で、油でもなく、紋章術とも違う、全く新しい明かりなのだという。クロードは、『電気』なのではないかと思ったが、今調べるのは控えた。
「そういえば、ここには魔物がいないんだね。助かるけど」
 アシュトンが言った。普段、魔物探知に力を発揮するギョロとウルルンも、今日は一度も鳴かない。
「中に入るには、さっきのドアを開けなきゃいけないからね。でも、エナジーストーンが落ちてきたときに地面に穴があいて、そこから入ってくるのもいるみたい」
 レオンが、こうもぺらぺらと喋るのは、少し意外だった。どことなく『お高くとまっている』という感じがあって、知っていても何も答えないタイプだとクロードは思っていたのだ。別の見方をすれば、『知識をひけらかしている』のだと言えなくもないが。

 調査隊が記した地図に従って進むこと約一時間、幾度かの小戦闘はあったものの、ほぼ大過なく、一行は目的地に着いた。
「さあ、ここだよ」
 別段、これといって特別な場所というわけではなかった。他の場所と同じように、捻じ曲がった線路が敷かれていて、ひっくり返ったトロッコがいくつも転がっていた。明かりも灯っている。一つだけ違うのは、ランプとは異なる、別の強い光が存在することだった。
 淡い緑色。クロードには見覚えがあった。
 エナジーストーンが落ちてきたときの衝撃なのか、奥のほうには大きな岩が無秩序に転がっていて、その辺りの岩や壁や地面が光っている。いや、岩や壁そのものではなくて、表面に付着した何かが光っているようだった。まるで蛍光塗料か何かのように。
「見て見て! 見つけたよ! これだよ、ボクが見つけたんだ!」
 レオンは、これ以上ないほど嬉しそうな声をあげて、光の方に駆け寄った。
「みんなで協力してここまで来たんじゃないか」
 クロードがたしなめるように言うと、レオンは立ち止まり、『護衛』たちを見上げながら、ゆっくりと言った。
「まあ、君たちには及第点をあげてもいいな……」
 レオンは、そこで初めて口元をほころばせた。そして、すぐに顔を赤らめると、身を翻して鉱物の採取にかかった。生意気なセリフにまたも頭に血を上らせ、言い返してやろうとしたプリシスも、なんとなくその気を削がれてしまった。
「ホントに、ナマイキな奴だなあ……」
 クロードが、やれやれ、という体で頭をかきながら言うと、
「あら、ちょっとくらいナマイキのほうがカワイイのよ」
 レナが無邪気笑顔で言った。
──そんなもんかな?
 プリシスは何度も瞬きしたり、首を捻ったりしてみたが、よくわからなかった。
「そんなもんかなあ」
 クロードは声に出して言ったが、プリシスとはその意味が異なった。
「レオン、あんまりそっちに行くなよ」
 そう警告する自分が、ミロキニアでの父ロニキスと重なって、少しおかしかった。
「大丈夫だよ!」
 レオンは、夢中で作業をしていた。光っている岩とか壁とかにはあまり意味はないようで、少年博士はもっぱら地面を探していた。
「ほらね。本当は、素直で……」
 レナの言葉が途中で寸断されたことに気付くと、クロードは振り向いた。
「どうしたの?」
 レナの視線は、自分の胸元に注がれていた。それに合わせて、クロードも目を動かす。
「ペンダントが……」
 うっすらと光っていた。レナが、神護の森で拾われたときから着けていたもの。アレンの持っていた不思議な石にも反応したもの。それが、いま、ここで三度みたび光っている。
 レナは、光っている部分を手繰り寄せて服の中から取り出した。
 淡い緑色。
 そういえば、アレンの石も、ヴァーミリオンの石も、これと同じ色に光っていた。そして、このホフマン遺跡の光も。
 その光をもう一度確認しようとレオンのほうを向いたのと、プリシスが叫んだのが同時だった。
「あぶない!」
 何が危ないのかは、クロードたちにもすぐに知れた。天井に空いた穴から魔物が今にも降って来そうにぶら下がっている。丁度、レオンの真上に、ニ体。体格は大型のサルのようにも見えるが、顔は牛のようで、目つきは鋭く、大きな角が二本生えていた。
 当の本人は、「だまされないよ」という顔を見せたが、彼が生意気と見なしたプリシス以外の面々も尋常ならざる表情で天井を見上げていたので、レオンは不審に思って上を見た。
「うわあぁぁぁぁ!」
 レオンの、素が出ていた。これまでの戦闘で、弱気なセリフ一つ吐いたことはなかったのに、今は、まるで普通の子供のよう。
 その声に興奮したのか、魔物たちは手を離して降って来た。事態を一番初めに察知していたプリシスが、飛び出した。
 魔物は、レオンの左右にそれぞれ着地すると、太い腕を振り上げ、鋭い爪でレオンを引き裂こうとした。獲物を見据えながら、ニ体は同時に手を振り下ろした。
「う……うわあぁぁぁ!」
 レオンはとっさに両腕で顔を覆った。しかし、子供の細腕で防げるはずがない。レオンは、最悪の事態を想像して、身を強張らせた。次の瞬間、何かが身体に当たって、レオンは仰向けに倒れた。
 ところが、不思議なことに、痛みはやってこなかった。レオンは目を開けて、腕と腕の間からそっと覗いてみた。
「プリシス!」
 他のみんなが叫んだ。レオンの目の前には、プリシスの顔があった。あの憎たらしい奴だ。だが、普段と違うことに、プリシスの表情は、痛みに歪んでいた。
 ──なんで?
 レオンには分からなかった。プリシスが自分を庇ったことは分かったが、その理由が分からなかった。
「キュアライト!」
 淡く白い治癒の光が、左の方から漏れて見えた。
「レオンは大丈夫?」
 プリシスの向こう側から、レナの声が聞こえてくる。もっと別の所からは、クロードたちが魔物と戦う声。
「う、うん……」
 答えながら、レオンはプリシスの顔を見ていた。ものすごく痛そうだ。『痛い』というのは生易しい表現かもしれない。なんで、ボクを守ったんだろう。こんなに痛い思いをして。自分でもこうなるって分かってたくせに。ボクの『護衛』だから?
 レオンには、他人に守ってもらうという経験がなかった。もちろん、両親は親として精一杯に彼を守ってきたし、博士として厳重な護衛のもとで研究をしてきたが、身を挺して彼を守ってくれた者はいなかった。大抵の魔物は彼自身でも充分に対処できるから、そういう必要がなかったのだが、とはいえ、いざというとき、城の兵士たちがその身を犠牲にしてまで自分を守ってくれるとは思えなかった。
「プリシスお姉ちゃん?」
 レオンは、口を開いた。だが、返事は返ってこない。回復呪紋を受けているのに、苦しむ表情はさっきと同じだ。
「プリシスお姉ちゃん!」
 もう一度呼びかけて返事がないのを確認すると、今度は呼ぶ相手を変えた。
「レナお姉ちゃん! おかしいよ! 全然治らないよ!」
 レオンは、プリシスに刺激を与えないように、慎重に、しかし素早く彼女の下から抜け出た。
 プリシスは、うつ伏せに倒れていた。ターボザックからはハンマーが飛び出ていた。右に付いているはずのパンチは、根元から折れている。そして、レナが治療する右肩の服は、大きく裂けて、ピンクの布地が血で変色していた。
 レオンは、言うべき言葉を失った。
「傷は治ったわ。でも……、強い毒か何かを受けたみたい。アンチドートをかけているけど治らない……」
 レナは、汗をかいていた。呪紋をかけているからではなく、呪紋の効果が現れないことに、焦りを感じているのだ。
「そんな……。プリシスお姉ちゃん!」
 レオンは、プリシスの身体をゆすった。すると、これまでに聞いたことのない鋭い怒声が耳元で響いた。
「ダメ! そんなことしたら、毒が身体に回ってしまうわ!」
「で、でも……」
「プリシスは、私が診るわ。それが、私の役目。私にしかできないことよ。あなたは、あなたがするべきことをしなさい」
 レナの目はプリシスの傷口に注がれていて、レオンには向けられなかったが、それでも気持ちは十分に伝わったようだ。
「うん、わかった」
 レオンは頷いた。何故かとてつもない力が湧いてくるような気がした。
「しまった! 危ない!」
 クロードの叫ぶ声が聞こえた。振り向くと、魔物のうちの一体が、こちら目掛けて突進してきた。魔物は宙に浮いていて、滑るようにしてやって来る。アシュトンとセリーヌは全く別の場所でもう一体を相手にしており、こちらには手が回らない。
 レオンは、詠唱をはじめた。
「危ない!」
 クロードが必死に追いかけながらも、もうダメだ、と思ったとき、レオンが、かっと目を見開いた。
「ブラックセイバー!」
 前方にかざした手から、紫色の光の刃が水平に飛び出し、魔物を真っ二つにした。上半身は上方に飛びあがって遠くに落ち、下半身は呪紋の衝撃で軌道が逸れて、別の方向に飛んでいった。
 それを確認すると、あっけにとられるクロードを横目に、もう一体にもブラックセイバーを放つ。もう一体も、二つに割れた。
「プリシスは?」
 誰も、レオンの功績には触れなかった。いつもなら、自分を認めさせないと気が済まなかったのに、今は不快ではなかった。レオンも、プリシスが心配だった。
 クロードたちが、急いで駆け寄ってくる。
「プリシス!」
 アシュトンは、膝をついてプリシスの手を握った。
「傷は治ってるけど、アンチドートでも解けない毒が回っているみたいなの……」
 レナの声は、震えていた。どうしていいのか分からず、ひたすらにキュアライトをかけ続けていた。
 セリーヌは、プリシスの苦しげな顔を除きこむと、すぐに判断を下した。
「これは毒ではありませんわ。麻痺してるんですのよ」
「麻痺?」
「ええ……。でも、マズイですわね。レナの呪紋でダメとなると、あとは薬しかありませんけど……、今は何も持っていませんわよ。それに……」
 セリーヌの顔は、一層深刻になった。
「早く治さないと、呼吸や脈も止まってしまいますわ」
「ええっ?」
「でも、ラクール大陸に戻るのには時間が……」
「それなら、大丈夫」
 レオンは言った。
「船にも薬は積んであるから」
「本当か!」
 レオンは頷いた。
「早く戻らないと!」
 アシュトンは、プリシスを抱えあげて、おぶった。そのまま、出口へ向かって駆け出そうとする。
「待って! エナジーストーンを採っていかなくちゃ」
 レナが呼びとめた。アシュトンは立ち止まったが、レオンは従わなかった。声を張り上げて言う。
「そんなのどうでもいいよ! 早く戻らなきゃプリシスお姉……」
「ばかやろう!」
 怒鳴ったのはクロードだった。
「プリシスが怪我をしたのは、何のためだと思ってるんだ! みんなを心配させるためなんかじゃない! おまえに、エナジーストーンを採らせるためなんだぞ!」
 レオンは、急に目許が熱くなるのを感じた。そして、振りかえって、エナジーストーンを探し始めた。はやる気持ちを抑え、冷静に、落ち着いて、効率的に。