■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第六章 希望、攻防、絶望

 プリシスの麻痺は、船に積まれていた薬『キュアパラライズ』によって治療することができた。しかし、ホフマン遺跡脱出までに時間を要したため、全快までには時間がかかるだろうというのが船医の診断だった。意識は戻ったものの、まだ全身に力が入らないのだ。寝ていることしかできないわけだが、やや衰弱もしており、プリシスは無人くんを抱いてぐっすりと眠った。その間、ベッドの傍らにずっと付き添っていたのはアシュトンだった。レオンは、夜に星を観測する以外はずっと船室に閉じこもって何かしているらしかったが、誰にも詳細を明かさなかった。
 目的は達したものの、笑顔の者は一人もいなかった。

 ラクール王に謁見し、エナジーストーン入手の報告をすると、レオンは両親と共に研究室へ去っていった。それを見送って、ラクール王に向き直る。約束では、レオンを手伝った後、エル大陸へ船を出してもらえることになっていた。
「さて、そなたたちの処分じゃが……」
 王が口を開くと、クロードたち全員の目つきが険しくなった。プリシスはまだ病室で寝ている。生命の危険を冒してまで約束を果たしたのに、処分など加えられてはたまったものではない。
「処分ってどういうことですか!」
「もちろん、わが国の軍事機密に対するスパイ行為についての処分だ」
 そこまで言うと、王は急に口元を緩めて玉座に掛けなおした。
「というのは名目だ。罰を与えようというのではない。ただし、先の約束を今すぐには果たせないのも事実」
「……」
 どうも、このラクール王という人物は好きになれない、とクロードは思った。ホフマン遺跡出立前もそうだったが、表面上平等な約束をしているようで、実は自分の都合を押し付けてくる。
「……それで、王様は僕たちになにをお望みなのですか?」
 クロードの言葉に、王は灰色の眉をぴくりと動かした。
「ほう、察しがいいな。実はそなたたちの実力を見込んで、現在前線基地で交戦中のわがラクール軍に是非とも助力を願いたいのだ」
「前線基地……ですか?」
 クロードたちは互いに顔を見合わせた。
「もともとはエル大陸との交易拠点の一つだった。だが、エル王国は壊滅し、今は対魔物軍の最前線となっておる。わが国の兵士たちも多数送り込まれてはいるが、ラクール城周辺に出没する魔物と、いわば奴らの本拠地であるエル大陸から来襲する魔物とではレベルが違う。これまでに多くの兵が死傷し、軍隊としての機能が低下してきているのだ。そこで、そなたたちのような強力な戦士たちの助力が必要なのだ」
「事情はわかります。でも、僕たちの約束はどうなるんですか? 今すぐには果たせない、と仰いましたが、いつまでも待ってはいられません」
 王は少し困った顔をして長い顎鬚を指で梳き、一つ息を吐いてから言った。
「……わかっておる。だが、実際のところ、今エル大陸に行くのは危険だ。海上で空中部隊に囲まれたら手の打ちようがない。違うかね」
「でも、それではいつまで経っても同じことじゃありませんの?」
 王は首を振った。
「いや、もうすぐ形勢は我々に大きく有利になる」
 セリーヌは訝しげな目つきで王を見上げたが、クロードには王の真意が掴めた。
「ラクールホープですね」
「その通りだ。ラクールホープが完成すれば、魔物軍など容易に蹴散らせる。そうすれば、エル大陸へ渡ることもできるようになる」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいな」
 セリーヌが裏返りそうな声をあげた。
「ということは、つまり、わたくしたちにラクールホープが完成するまでの時間稼ぎをしろっていうことなのかしら?」
「そういうことだ」
 ラクール王は笑ったが、セリーヌは喜ばなかった。どうも面白くない。勝てない勝負をさせられているみたいだ。何もかもラクール王の思うがまま。
「分かりました。僕たちには他に方法もありません。それにラクールが魔物に侵攻されるのを黙って見ていられるほど、無神経な人間でもありませんしね」
「うむ。交渉成立としようか」
 王は満足気に言ったが、お世辞にも交渉と呼べるものではなかった。クロードたちの要求を満たすには王の協力が必要だが、王が協力するためにはまず第一にクロードたちの行動が必要となる。結局は王の手の内で踊っているに過ぎないのだが、踊るのをやめるわけにもいかない。まったく食えない人物だった。

 ラクール前線基地は、ラクール大陸北東部の丘の上にある。丘は西側から緩やかな斜面を築き、二百メートルほど登ったところで急に断崖絶壁に変わる。その後は三百メートルほど低いところにしばらく何もない平地が続き、海になる。その海を渡れば、エル大陸である。断崖のすぐ横手に入り江があり、数ヶ月前まではここにエル大陸からの船が入ってきていたらしいが、今はラクールの戦艦や輸送船で埋められている。崖の中は一部くり貫かれて、その中に総司令官室、会議室、救護室などの部屋が設けられている。かつては商人や旅行者が休んだ場所だ。
 基地に到着すると、待機していた案内役の士官に連れられ、クロードたちは総司令官室へと向かった。施設の外では兵士たちが剣を振るったり槍を突いたりする訓練を行い、魔物軍に対する戦意の高さを窺わせたが、内部にはまったく正反対の光景が広がっていた。
「う……うう……」
 廊下の壁に、男が寄り掛かってうめいていた。金髪のほとんどは赤く滲んだ包帯で覆われ、右目にも眼帯が着けられている。白い頬には乾いた血の跡が拭き取られもせずに残っており、蒼くに輝いていたはずの鎧も所々赤く着色されていた。頭部以外に外傷は無いようだが、男の左目はどこともつかぬ所を見つめ、体は震えていた。
「大変!」
 レナは駆け寄り、包帯の上から負傷箇所を確認すると、手をかざして呪紋を唱えた。
「キュアライト!」
 手の平から淡く緑色に光る玉が螺旋状に降りて男の頭部を囲み、一つ一つの玉は一気に傷口に集まってより強く輝いた。
「さあ、これで大丈夫よ」
 何が起きたか分からず戸惑う男にやさしく微笑みかけて、レナは包帯を外し始めた。
「な、何をするんです!」
 案内の士官がレナを止めようと近づいたが、それをセリーヌが制止した。
「まあ、見ていなさいな」
 頭部の包帯に続いて眼帯も外されると、男は恐る恐る頭の傷跡を触ってみた。髪にこびり付いた血痕に触れて一瞬驚いたが、さらに進んで完全に塞がった傷跡に触れると、目を大きく見開いた。
「治ってる……」
 男は、笑顔でその場に崩れた。案内の士官は、男に近寄って傷跡を確かめると、驚愕の表情でレナを見た。
「これは、一体?」
「紋章術さ」
 廊下の奥のほうから声が聞こえ、その場の全員が振り向くと、声の主は白衣をなびかせて歩いてきた。
「ボ、ボーマンさん?」
 白のワイシャツ、茶色いネクタイ、緑色のベスト、だらしなく着た白衣、紛れも無くボーマン・ジーンその人だった。
「よっ、また会ったな」
 クロードたちの驚きを無視して平然と言い、ボーマンは倒れた男の顔を覗いた。
「おやおや、ぐっすり眠っているようだな。まあ、少し寝かしておいてやろう」
 案内の士官に男を救護室まで運んでやるように言う。
「ボーマンさん、どうしてここに?」
 クロードが尋ねると、ボーマンは呆れ顔になった。
「おいおい、俺の職業を忘れたのか? ラクール王直々の要請でな、ここでせっせと薬を作らされているのさ。まったく、下手に紹介状なんか書いて俺のことを思い出させちまったのが運のつきだ」
 後半はただの愚痴だったが、セリーヌは完璧に無視した。
「わざわざここに来て作るなんて、何か特別な薬なんですの?」
「ああ。まあ、詳しい話は後だ。患者が待っているんでね。レナ、悪いが手伝ってくれるか」
「ええ、もちろんです」
 既に歩き始めたボーマンのもとへレナが駆け出すと、リンガの薬剤師は顔だけ振り向いて手招きした。
「お前らも来な、総司令官室へ行くんだろ」
 皆が皆、不思議な男ボーマンのペースに乗せられてしまった。

 総司令官室には、クロード、セリーヌ、アシュトンの三名だけが入った。
「ようこそ、わが前線基地本部へ。新たな心強い味方が一人でも増える事は嬉しいことだ」
 総司令官グレーが、その巨体に負けない声量で言い放った。グレーは、張り裂けないまでも緑色の軍服を十分に膨らませており、頭は磨いたようにつるつるだった。背後の大きな窓から入る光をよく反射して、てかてかと光る。副司令官ラチョットは逆に大きな紫色の軍服に飲みこまれそうなほど細く、一歩踏み出したら服の重みで倒れてしまうのではないかとも思われた。
「明日以降もラクール王が新たな戦士を送ってこられることと思う。あなた方は特に選ばれた強者だ。ぜひ魔物軍を蹴散らしてもらいたい」
 総司令官の声は、五人だけの部屋に空しく響き渡った。もっと大勢が集まるときならば格好がついただろうが、たかだか三人を前に言ってみても虚しいだけだった。沈黙が、生じる。
「一つ聞いていいかしら?」
 大袈裟な演説をまったく無視するかのように、セリーヌは言った。無視されたほうは、明らかに動揺していた。
「な、何かね」
「戦況はよくないんですの?」
「ど、どうしてかね?」
 総司令官はさらに動揺した。光る頭に汗が滲んで、輝きを増す。
「今までラクールが戦士を雇うなんて話、聞いたことありませんもの」
「そ、そんなことはない。ただ魔物軍を叩くには徹底的に、というだけのことだ」
「では、そういうことにしておきましょうか」
 総司令官は言葉に詰まり、軍服から取り出したハンカチで額を、次いで頭部全体を拭いた。
「き、今日はこの位にしておこうか。明日は朝が早い。各自体調を整えておくように。副司令、彼らを部屋に案内してくれたまえ」
 言い終えると、グレー総司令官は自らの動揺を隠すかのように後ろを向いて黙ってしまった。腰の後ろで組まれた手が、早く出ていかないか、とうずうずしているのをセリーヌは見逃さなかった。

 何の変哲も無い部屋に通されて一息つくと、自由行動とすることにした。別段、やることがあるわけでもない。セリーヌは、基地内の総合ショップ『ラクール・ストア』に行くと言い、アシュトンは戦いに備えて剣を磨くと言ってどこかへ出ていった。一人でいるのも寂しいので、クロードも部屋を出た。
「そういえば、レナは救護室だったな……」
 クロードは救護室へ向かった。先刻までは廊下のあちこちに負傷した兵が横たわっていたのに、今はもういない。レナが治療したのだろう。誰もいない廊下を歩いていくと、かすかにアルコールの匂いがしてきた。匂いを追っていくと、救護室の隣、薬方室に辿りついた。
「ボーマンさん」
「よう」 
 部屋の中では、ボーマンが大きな釜で何かを煮込んでいた。窓は開いているものの、立ち上る蒸気を全て吐き出すことはかなわないようだった。曇っていてよく見えない。
「何をしているんです?」
「もちろん薬を作っているに決まっているだろう」
 言いながら杓子を釜に突っ込み、味見をする。
「うん、まあまあだな」
「薬って……お酒みたいな匂いですけど?」
「何を言ってんだ。アルコールは古来から伝わる代表的な医薬品の一つなんだぞ。消毒したり、発熱部分を冷やしたり、使い道はイロイロさ。ま、こいつはちょっと違うけどな」
「どう違うんですか?」
 クロードの質問に、ボーマンは声ではなく指差しで答えた。その方向を見る。
「薬草?」
 部屋の隅には、二種類の薬草が山のように積まれていた。その内の一方から一枚の葉を取り出して、ボーマンは説明した。
「この三日月型をしたやつがアルテミスリーフ、あっちの細くて真っ直ぐなやつがアセラスだ。どっちもそれだけである程度の効果を持つんだが、醗酵させてからこうやって煮込んでやると、薬の成分が溶け出してくるのさ。ま、紅茶みたいなものだな」
「何に効くんです?」
「主な効能は、麻痺、石化、その他いくつかの毒だ」
「ちょ、ちょっと待ってください。石化、ですか?」
 クロードは耳を疑った。
「ああ、そうだ。傷口から徐々に肉体が結晶化するんだ。すぐに治さないと、患部を切除せにゃならん。手当てが遅れれば重要な器官まで結晶化して、死んでしまうからな」
「……よくあることなんですか?」
 クロードは怖くなった。かつて、彼の両親は住民の多くが石化してしまった惑星を救ったが、それが自分の身近でも起こるとなっては戦慄を禁じえない。
「普通はまずないな。ただし、ここを攻撃してくる魔物の中にストーンスタチューというやつがいるんだが、そいつに傷つけられると百パーセント石化する。気をつけろよ」
「は、はあ……」
「そんな怯えた顔するなって。そのために俺がここにいるんだからな」
「そ、そうですね。じゃあ、僕はそろそろ行きますね……」
「なんだ、もう行くのか?」
 咎めるような口調だったが、別に止める気があるようではなさそうだった。
「ええ、まあ、その、邪魔しちゃ悪いですから」
「そうか」
 クロードは、アルコールの充満した部屋から解放された。その割に、とくに酔った感じもしなかった。匂いほどに濃度は高くないのかもしれない。が、服に鼻を当ててみると、強烈な匂いが染み付いていた。レナは隣の救護室にいるはずだが、会う前に匂いを落とした方がよさそうだった。
 救護室の前を通りすぎ、総司令官室の前を曲がって、外に出る。
 こちら側は、絶壁を利用した城塞になっている。幅はそれほどでもないが、なんとか戦闘も可能だろう。ただし、階段状になっているので足元に注意が必要だ。
「レナ?」
 幾人かの見張りの兵に混じって、レナが立っていた。青黝い髪を風になびかせて遠くを見つめている。クロードは、レナのもとに駆け寄った。
「こんなところで何をしているんだい?」
「休憩よ。もう怪我をした人たちは治したわ。だから、休憩」
「そっか。それはよかった」
 クロードは笑って見せたが、レナは芳しくない表情で視線を遥か彼方へと戻した。
「どうしたの?」
「うん……」
 それだけで、レナは黙ってしまった。クロードはどうしてよいか分からず、じっとレナの横顔を見つめていた。風が音を立てて吹き流れる。
「あのね、私、これでいいのかなって」
「何が?」
「兵士さんたちは戦って怪我をしたでしょ。中にはかなり酷い怪我の人もいたわ。それを私が治すでしょ、そうしたら、あの人たちはまた戦って怪我をするかもしれないわ」
 レナの口調はゆっくりで、一つ一つ自分で言葉を確認しているようだった。
「それで?」
「……また、同じ苦しみを味わうことになるのよ。もしかしたら、次の戦いでは死んでしまうかもしれないわ」
 クロードは、黙って耳を傾けている。
「私、前にクロードに言われてから、自分の力をずっと誇りに思ってきたわ。大勢の人を助けてあげられる力なんだって。だから、今日ボーマンさんに手伝えって言われたときも喜んでそうしようと思ったの。助けてあげられるって。でもね、ここの兵士さんたちは『戦う』ためにここにいるわけでしょう? 私が治療するってことは、あの人たちを『生かす』んじゃなくて、もう一度『戦わせる』ってことなんじゃないかって」
 言葉を発する度にレナの首は徐々に折れていき、今はもう完全に下を向いていた。目は細く開けられ、城壁の上に置かれた自分の手を見つめている。自分がしていることに疑問が生じて自信がなくなり、活力も半減しているように見えた。
「……レナ、それは違うよ」
 ゆっくりと顔を上げ、レナはクロードを見つめた。瞳の底に迷いがあるのを、クロードは感じた。
「ここにいる人たちは、みんな、『誰かを守る』ためにいるんだ。それは自分の意思だよ。誰かにやらされているわけじゃない。それを忘れちゃダメだよ。レナは彼らを『戦える』ようにしてあげているんだ。『誰かを守れる』ようにね。確かに、次の戦いではもっと酷い怪我をするかもしれないし、死んでしまうかもしれない。でも、それは彼らの意思の結果だから。もしも、その意思を無視して一方的に可哀想だと思うようなら、それは彼らを侮辱することになってしまうと思う」
 それは、クロード自身の想いでもあった。もし、この先レナを守って倒れるようなことがあっても、可哀想だなどと思われたくなかった。そのことでレナに責任など感じて欲しくはなかった。死を悼むのと同情は別のものであるはずだ。
 それを知ってか知らずしてか、レナはゆっくりと笑顔を取り戻した。クロードの心も、晴れ渡る。それは、何よりも喜ばしいことだった。
「そうね、そうよね。私ったら、ちょっと気弱になっていたみたい」
「無理もないよ。大勢の傷ついた人たちを見てきたんだから。医者を目指していても、十歳の患者を前にして断念する人が多いらしいしね。その点、レナはよく頑張ったと思うよ」
「うん。ありがとう」
 レナは今日一番の笑顔を閃かせた。クロードは頬を紅潮させ、右手を後頭部に回して視線を別の方向へ移しながら指先を動かした。

 見つけた。多分、この中で一番大きいやつだ。白絹で覆われた細い腕を伸ばし、それを掴んでじっくりと観察する。色はいいが、気泡が多すぎる。ダメだ。
「ふう……」
 セリーヌはため息をついた。彼女は、かれこれ一時間近く、総合ショップ『ラクール・ストア』に並ぶ宝石を漁っている。宝石とは言っても、研磨もカットもされていない原石だ。石によっては特定の属性の呪紋に対して耐性を持つものがあるので、これを加工して防具につけたり、アクセサリーにしたりする。だが、セリーヌが探しているのは『石』ではなく、『宝石』だった。つまり、磨けば輝く素質がある原石を探しているのだ。大抵、こういった店に並んでいる原石は一級の石が取り除かれた後の物ばかりだが、たまに見逃されて残っている場合がある。
「お客さん、そろそろ勘弁してもらえませんかねえ」
 店主グローバル氏が、半分諦めた口調で言った。彼は、この一時間で同じセリフを五回は言っている。三十分ぐらい経ったときにはまだ強気で、営業妨害だと責め立てたが、『どうせ誰も来やしないじゃありませんの』と言われては返す言葉がなかった。事実、セリーヌは今日最初の客だったし、悔しいことに、嬉しさのあまりそのことを最初に告げてしまったのである。セリーヌの鑑定する様子をぼうっと眺めているところへ、今日二人目の客人が来た。
「ペットの餌ください」
 グローバル氏は嬉々として品物を用意したが、いざそれを渡す相手を見ると、絶句した。その様子に不審を抱き、セリーヌも客人を見る。
「あら、アシュトン」
 今日二人目の客人は、魔物龍を背負うアシュトンだった。グローバル氏が絶句したのも無理はない。
「ペットの餌なんて……まさか、ギョロとウルルンに食べさせるんですの?」
「実は、そうなんだ」
 ギョロとウルルンは、不満そうだが仕方ないという体でペットの餌を見下ろしていた。
「お腹が空いたって言うから厨房に行ってみたんだけど、余計な食材は無いって言われちゃってさ。だけど、ペットの餌ならここにあるって言うから、試しに買ってみようと思って」
 言いながらアシュトンはお金を払って餌を手に入れた。鳥の絵が大きく描かれた立派な箱に入っているのだが、グローバル氏はそれを更に紙袋で包んでよこした。
「ふうん」
「セリーヌは何してたの? 買い物?」
 笑顔で尋ねられて、セリーヌは急に顔を赤らめた。持っていたルビーの原石を慌てて手放す。
「えっ? あ、そ、その、ちょっと見ていただけ……」
「そう。じゃ、僕は行くから。また後でね」
 振り向いて出ていこうとするアシュトンを、セリーヌは意を決して呼び止めた。
「ついていっていい?」
 不思議そうに首を傾げながら、アシュトンは承諾した。

 そこは、入り江を見下ろせるいい場所だった。狭い谷の底に流れる一本の川と言ったほうがいいかもしれない。水面が日光を反射して谷の影になった部分をゆらゆらと照らす様子が美しい。この辺りは狭すぎるので、船は入ってきていない。
「ねえ、一つ聞いても言いかしら?」
 谷の底を見つめながら、セリーヌは言った。アシュトンはペットの餌を抱えて、空を見ていた。ギョロとウルルンの空腹は一時収まったらしく、餌の箱は開けられていない。
「なに?」
 聞くには勇気が必要だった。はっきりさせたくない気持ちと確かめておきたい気持ちがせめぎ合う。聞かないでおけるならそのままでいたいが、聞くのなら今しかない。明日には彼女が戻ってくるかもしれないから。
「プリシスのこと、どう思ってるの?」
「早くよくなるといいよね」
 即答だった。彼の本心だったが、セリーヌははぐらかされたとしか思わなかった。
「そうじゃなくて!」
「そうじゃなくてって……あ、いや、その……」
 セリーヌの言いたいことに気付いて、アシュトンは頬を赤く染めた。セリーヌは大きな不安に駆られる。心がかき乱されて、予期せぬ言葉が口をつく。
「好き、なの……?」
「好きっていうか、その、なんていうか……」
 アシュトンは恥ずかしげに笑った。実際、ちょっと恥ずかしかった。隠さなければならないこともないが、公にするのは少々照れくさい。それに、プリシス本人に対しても告げる気はなかった。
 そんなアシュトンのおめでたい気持ちとは裏腹に、セリーヌの心は急速に締め付けられていた。どうしてか、出会って間もなく初めて命を助けられたとき、あのときにこうなると分かっていれば、こんなにも強い想いを寄せることはなかったのに。自分が呪わしかった。初めは一時の気の迷いだと思ってほとんど忘れかけていたのに、それが、プリシスの登場で一気に心の奥底から湧き出してきた。
「はっきり言って!」
 セリーヌはアシュトンの両腕を掴み、すがるように彼の顔を見上げた。目が潤んでいるのを、アシュトンは見た。
「セリーヌ?」
「……」
 下唇を噛んだまま、セリーヌは動こうとも喋ろうともしなかった。理解に苦しむ行動だったが、とにかく彼女が切実に答えを望んでいるからには、それに応じなければならない。アシュトンはそう思った。左手で餌を抱えたまま右手を使ってセリーヌの腕を丁寧に離し、じっと彼女の目を見据える。
「プリシスは、僕にとって、その……妹みたいなものかな」
 言うや否や、アシュトンは顔を真っ赤にして、下を向いてしまった。全身が火照るように熱くなる。やっぱり恥ずかしい。
「はあ……?」
 セリーヌは口を大きく開くと、そのまま地面に足元から崩れた。
「セ、セリーヌ!」
 倒れる寸前の所で抱き上げてやると、セリーヌはくすくすと笑い出した。まったく、自分がおかしかった。勝手に勘違いして、一人で苦しんでいたとは。トレジャーハンター・セリーヌの鑑定眼にも曇りが生じていたらしい。でも、このお宝だけはいつか絶対に手に入れてみせる。
「何がおかしいの? 大丈夫?」
 セリーヌの不可解な行動に、アシュンは戸惑っていた。同じ鈍感でも、クロードなら涙を見せたときに気付いただろう。だが、この男ときたら。
「アシュトン、あなた、女心を勉強したほうがいいですわよ」
 アシュトンは更に困惑し、セリーヌはくすくすと笑い続けた。

 ──そういえば、あれは何だろう?
 クロードは思った。階段状になっている城塞の一番高いところに、巨大な何かがどっしりと居座っている。銀色に輝くそれは大砲のようにも見えるが、高さは三~四メートル、全長も七~八メートル程度はあり、いささか大きすぎるような気がした。
「あれは何かな?」
 指差して尋ねると、明快な答えが返ってきた。
「大砲でしょ?」
「う~ん、やっぱりそうなのかなあ……」 悩むクロードの姿に、レナは首を傾げた。
「どうしたの?」
「ちょっと大きすぎる気がするんだけど……」
「ふうん。私、そういうことよく分からないから……」
 クロードは、腕を組んで大砲らしきものをじっと見つめる。上下と左右に角度が変えられるようにできている、ただのでかい大砲だ。だが、その傍に奇妙な装置が付属していた。何かはよく分からないのだが……。
「あれ?」
 ふと、その近くで何かが動いた気がした。レナもそれに気付いたのか、大砲のほうを注意深く見つめている。また、何かが動いた。
「ディアス……?」
 気付いたのはレナだった。クロードも、もう一度目を凝らしてみる。深い青色の長い髪。確かに、ディアスだった。
「そうか、あいつも呼ばれてたんだ……」
 少し不満げなクロードの声を聞いて、レナは首をひねった。
「どうしたの? あんまり嬉しそうじゃないわ」
「いや、嬉しいけど、何か腹立たしい気持ちもある。複雑な気分だ……」
 なぜだろうか。彼と共に戦えるのは素直に嬉しい。ただ、何かそれ以外の負の感情も同時に発生してしまう。最初に会った頃の単純な反発とは別なものだが……。
「そうね。そうなのかもね……」
 ニ、三度瞬きして、レナは頷いた。
「いや、ごめん。変なこと言って」
「ううん。私もそうかもしれない。二年前、村を飛び出していったまま村のみんなを今も心配させているディアスは少し腹立たしいけど、会うとやっぱり嬉しいものね」
 一つ、大事なことを思い出した。
「レナ、一つだけ聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「ディアスはなぜ、村を出て行ったんだ?」
「それは……」
 レナは口篭もった。しかし、クロードは何が何でも聞き出したい気持ちだった。これからしばらく共に戦うとなれば、なおさらだ。聞けば、自分の中にある形の見えない思いもはっきりするかもしれない。
 言いにくそうに下を向いてしまったレナに代わって、別の声が聞こえた。
「聞きたいか?」
 いつのまにか、ディアスが降りてきていた。相変わらずの他人を見下すような態度。しかし、何か違うものがその奥にあるように、クロードは感じた。
「久しぶり……でもないかな。武具大会で会ったばかりだからな」
「よく会うな」
「俺たち自身が引き合っているのか、それとも誰かさんが引き合わせているのか……」
 そう言って、ディアスはレナを見た。
「え、私?」
「まあ、どちらにしろ、俺は戦いの中に身を置こうとしている内に自然とこうなっていただけのことだ。お前もそうじゃないのか?」
「僕は……」
「ソーサリーグローブの調査か。それもいいだろう。しかしそれは、常に戦いの渦の中心にあるとも言えるんじゃないか?」
 クロードは言葉を詰まらせた。確かに、ディアスの言う通りだ。だが、何か気に入らない。
「そんなことをしていながら、『本来は戦いを好まない』などと言うのはやめてほしいからな」
 言い捨てて、ディアスは基地の中へ消えていった。
 クロードは黙って立ちつくしていた。そうして、ディアスに会ったときに負の感情が生じる原因は、ディアスの歯に衣着せない物言いにあるのではないかと思った。それに言い返すことのできない自分に対する不満もあるかもしれない。
「クロード?」
 レナが顔を覗きこんでいた。
「あの、ごめんなさい。ちょっとディアスに話すことがあるの。ディアスがあんな風に話すの、初めて見たから」
「どういうことだい?」
「クロード、あなたはディアスに何かを気付かせているわ。それが私には分かるの」
「気付かせているって……」
 困惑するクロードに、レナは片目を瞑って言った。
「私はディアスの『妹』ですもの! 任せて!」

 その夜はなかなか寝つけなかった。どうしてもディアスのことを考えてしまう。初めのうちは、自分の強さを盾に相手を見下しているのだと思っていたが、今日の印象は少し違った。表面上はいつも通りだが、それが本当の心を覆い隠すためのヴェールなのではないかと感じられたのだ。これまでなら、自分の過去を『聞きたいか?』などとは言わなかったろうし、『俺は戦いの中に身を置こうとしている』と自分の気持ちを語ったり、『お前もそうじゃないのか?』と自分と相手を同列に置くようなことを言ったりはしなかった。レナは、クロードがディアスに何かを気付かせていると言ったが、そのことに関係しているのかもしれない。ただ、自分が何を気付かせているのか、それは分からなかった。
 ──ダメだ、外に出よう。
 ベッドから置きあがり、クロードは部屋を出た。薬方室、救護室を通りすぎ、総司令官室を曲がって外に出る。高所特有の強い風が吹き付けて、クロードの繊細な金髪を巻き上げた。反射的に頭を抑え、屈みこむ。地面に人影が映っているのが見えた。見上げると、月明かりを背にした長身の男がこちらを見ていた。
「クロードか……」
 顔を引き締めて、クロードは向かい合ったが、なんと言えばいいのか分からない。ディアスのことから離れようと思ってここに来たのに、よりにもよって本人に出くわしてしまうとは。
「お前なら安心だ。レナを、頼む」
 思いがけないことを言われ、クロードは驚いた。その様子を見て微妙に口元を緩めると、ディアスは基地に入っていこうとした。
「ディアス!」
 クロードに背を見せたまま、ディアスは立ち止まった。
「僕にはあなたのような強さはない。それはあなたも知っているはずだ。それでも、僕にレナを守れと言うのか?」
「俺が本当に強いとでも、思っているのか?」
 ディアスは半身を振り向かせた。
「えっ?」
「何のための強さだ? 俺の持っている強さは、俺自身を守るための強さだ。誰かを守るための強さじゃない。お前を見ていて不意に気付いた」
「誰かを守るための、強さ……?」
 クロードは、咄嗟には意味を把握しかねた。それを意に介するでもなく、ディアスは語を継いだ。
「レナは俺の大切な『妹』だ。守ってやってくれ」
 薄暗い基地の中に、ディアスは消えていった。もう一度呼び止めても、振り向くことはなかった。

 目が覚めたとき、部屋にはレナしかいなかった。上半身を起こすと、それに気付いて声がかかる。
「おはよう、クロード」
「あ、うん、おはよう」
「もう二人とも食堂に行っちゃったわよ」
 レナは三人分のベッドを整えながら言った。クロードはベッドの隅に腰掛けて、靴を履いた。それからしばらく、レナの様子を見ながらじっと座っていた。
「どうしたの?」
「レナ……、ディアスが村を出た理由を、僕はまだ聞いていない」
 クロードは、今度こそ聞くつもりだった。だが、レナはまたうつむいて黙ってしまった。今日はそのままにはさせない。ディアスに『レナを頼む』と言わしめたその理由を、知っておきたかった。クロードは立ちあがってレナの前まで行き、青黝あおぐろい髪に浮かんで輝く三日月を見下ろした。
「教えてくれないか」
 レナは両の指を胸の前で組んでから、そこに顎を当てるようにして声を押し出した。
「ディアスの家族が、山賊に襲われて殺されたからなの……」

 二年前のある日、アーリア村のフラック一家は村近くの森にピクニックに出かけた。長男ディアスが兵役から帰って来た、その記念だった。久しぶりに家族が揃い、妹のセシルははしゃぎまわって喜んだ。笑顔と笑い声が溢れる、楽しいピクニックに終わるはずだった。
 ところが、もうそろそろ帰ろうかというところで、目の前に目のぎらついた男たちが現れた。ナイフをちらつかせてじりじりと寄って来る。ディアスは、剣を持っていなかった。当時はソーサリーグローブなどなかったから、一般人が剣を持ち歩く必要などなかったのだ。だが、彼は家族を守るために立ち向かった。一人は殴り倒したが多勢に無勢で、ディアスの体はあっという間に斬り刻まれ、服のあちこちに血が滲んだ。ディアスが倒れたのを確認すると、セシルを守ろうとした両親もナイフの餌食になった。そして、セシルも……。
 帰りが遅いのを心配した村の人たちが複数の惨殺体を発見したのは、それから数時間後のことだった。

「奇跡的に助かったのはディアスだけだったわ」
 レナはぎゅっと手を握り締めた。
「ディアスはそれからずっと、助けられなかった両親のこと、妹のセシルのことで自分を責め続けている……」
 クロードは、昨晩ディアスが言ったことの意味を少し理解した。家族を守れなかった自分に怒りを感じ、村を出て剣の修行に没頭したが、結局得たものは『自分を守る』力だった。『誰かを守る』力ではなかったということだろう。だが、本当に知りたいのはもっと別のことだった。
「レナを『妹』って言っているのは?」
 そう言うと、レナは少し笑って見せた。
「セシルとはずっと仲良しだったわ。本当の姉妹みたいに仲良しだった。ディアスも本当のお兄さんみたいだった。……あんなことになるまでは」
「そっか……。ごめん、つらいことを思い出させちゃったみたいだね」
 レナは首を振った。
「ううん。いいの。クロードには聞いて欲しかった。ディアスも、きっとそう思っているわ。あなたになら……」
 クロードは、ディアスを受け容れた。もう会っても反発を感じることはないだろう。彼がどんな想いで今まで生きてきたかを知った今、彼に言われたとおり、レナを守ろう。
「レナ、僕は『光の勇者』の言葉から始まってここまで来てしまったけど……」
「……?」
 レナはクロードを見上げた。青い瞳の奥に、強い意思が宿っていた。
「僕は君を守るよ。きっとそのためにここにいるんだ」
「クロード……」
 二人はじっと見つめ合った。互いの心の中にあるものを確認したような気がした。そして、それをより確かなものにしようとどちらからともなく相手の背中に腕を回しかけたとき。
「敵襲!」
「敵襲!」
「東南東に敵空中部隊多数認む!」
「総員戦闘配置!」
「急げ!」
「敵襲!」

 クロードが急いで身支度を整えて城塞に出たとき、既に敵は到着していた。大部分は『悪魔』と呼ぶに相応しい翼と触覚を備えた鈍い金色の肌を持つ魔物。昨日ボーマンが教えてくれたストーンスタチューというやつだ。そして、最も近い所にひときわ大きな魔物が翼をはためかせて浮いていた。形相は人間に近く、頭部はやや縦長で奇妙な形をし、肌は紫色。
「ほほう! まあまあの歓迎だな!! まだ歯向かうつもりか!!! まあ、ほんの少しの間このシン様が遊んでやろう!!!! 愚か者諸君! 死ね!!!!」
 シンと名乗った魔物が右手を振り下ろすと、数え切れないほどのストーンスタチューたちが舞い降り、兵士たちに襲いかかった。鋭い爪で兵士たちを石化しようとし、兵士たちは必死の思いで剣や槍を振るう。クロードもそれに参加しようとしたが、不意に上空から何かが飛んで来た。
「うわっ」
 反射的にかわしたが、それが命中した床は深くえぐれていた。見上げると、シンがこちらを見ている。どうやら、敵の目に留まってしまったらしい。
「行くぞ! 小僧!!!」
 シンは翼を立てると急降下し、右腕を振り上げてクロードを八つ裂きにしようと襲いかかった。それをシャープエッジで受けとめつつ、体をひねって受け流す。勢いで地面に突っ込んだシンをすかさず突こうとするが、シンは大きな翼で空気を扇ぎ、砂埃を立てて再び上空へと戻った。
「うっ……目が……」
 不覚にも、砂が入って目が開けられない。
「死ね!!!!」
 シンは両の手の中に空気の渦を作ると、それをクロードに向かって投げつけた。
「ウィンドブレイド!」
 兵士たちの間からセリーヌが現れ、風の呪紋を唱える。間一髪でシンの攻撃は相殺された。だが、敵の攻撃は間断なく続く。
「無駄!!! 無駄!!! 無駄!!! 無駄!!!」
 攻撃はセリーヌが呪紋を唱える間を与えない。そこへ別の助っ人が現れる。 
「鳳吼破!」
 ディアスが剣を振るうと、その先から青白く輝く光の鳳凰が飛び出し、投げつけられる風の渦を飲みこみながらシン目掛けて直進した。
「しっかりしろ! 自分の命も守れないようでどうする!」
 クロードは無理やりに砂を取り除き、剣を構えた。シンは鳳吼破をかわすことに夢中だ。剣を思いきり高く上げて、両手で勢いよく振り下ろす。
「衝裂破!」
 ちょうどシンが鳳吼破をよけた場所へ衝裂破の波動が飛んでいき、シンはそれをまともに食らった。翼の動きが止まり、十メートルほど落下する。だがすぐに体勢を立て直すと、猛スピードで直進してきた。
「ギャフー!」
「ギャフー!」
「うおぉぉぉぉぉ!!?」
 アシュトンがようやく駆け付けて、その頭上から炎と吹雪が一本の線となって吐き出された。そこへ突っ込む形になったシンは性質の異なる攻撃を真正面から受けて狼狽し、方向を変えて上方へ舞い上がった。半身は焼け爛れ、半身は凍傷で傷だらけだった。
「くっ……、今日のところはこれで引き上げてやるが、次回は容赦しないぞ……」
 シンが東の方へ飛び去っていくと、他の兵士たちと戦っていたストーンスタチューも引き上げていった。
「とりあえずは終わったか……」
 剣を収めて負傷者を救出に行こうとすると、突然、背後の出口からストーンスタチューが飛び出した。慌てて仲間を追って逃げていく。
「くそっ、いつの間に基地の中に!?」
 クロードとディアスは収めかけた剣を抜きなおして、基地の中に入っていった。まだ何かがいるのを感じる。総司令官室の前を曲がると、何者かがいた。
「くそっ、お前ら、自分の仕事はきっちりやってくれよ」
 立っていたのは白衣を脱いだボーマンだった。あちこちに血がついているが、どうやらそれは魔物のものであるらしい。鈍い金色の死体がいくつか転がっている。ボーマンは両腕に手甲をつけており、ボーマン自身が倒したようだ。またもこの人物の意外な面を見せつけられた。
「ボーマンさん……」
「基地の内部に敵を入れるなんて油断どころの騒ぎじゃないぜ?」
「すみません」
「だが、それに気付かぬほどに敵の数は多かったからな」
 背後から声がした。図体のでかい総司令官だ。右手にはサーベルを持っており、磨いたような頭からは血が滲んでいた。この人も自ら戦ったらしい。
「敵の部隊は日に日に数を増している。次の攻撃は防ぎきれんかもしれん。そうなったらラクールはおしまいだ。一刻も早いラクールホープの完成が必要だ……」
「たしかにな。だが、今は怪我の治療のほうが先決ですぜ、総司令官。その頭、早くしないと首ごと切り落とす羽目になる」
 総司令官は神妙な顔で頷くと、サーベルをしまって救護室へ向かった。
 クロードたちは、再び城塞部分に出た。傷付いた兵士たちのうめき声が、血の色の景色の中から聞こえてくる。すでにレナが治療を始めていたが、戦闘中に息絶えたものも少なくなく、また傷口からの結晶化がかなり進んでいる者もいた。ある者はあまりの痛みに正気を失って駆けまわり、ある者は結晶化する腕を見て不気味に笑いつづけた。無傷の者は少なく、魔物軍に対する劣勢を認めないわけにはいかなかった。
 このまま戦いが長引けば、確実に、全滅する。

 ──どうしてかな? なんでだろ?
 薔薇の彫刻がつややかに輝く天井を見つめながら、プリシスは考えた。あのとき、ホフマン遺跡の最奥部で自分がとった行動について。

 そのとき、彼女は、熱心にエナジーストーンを探す彼を見ていた。褐色の砂利の上にしゃがみこんで、白衣が汚れるのも気にせず、懸命に邪魔な石を除けている。その姿を、どこかで見たことがあるような気がした。夢中になって何かに取り組む姿。それまでは自分の地位と力を盾にするかのように他人を見下していたのに、そんなことはすっかり忘れて、今は純粋に、ただ自らの知的好奇心を満足させようとしている。
 最初は、イヤなコドモだと思っていた。偉そうな態度。ただ単にそういう態度をとっているだけではなく、本当にそれだけの地位にあって、咎めることもできない。生意気だと思う。周りは大人だらけなんだから、少しくらい遠慮すればいいのに。なんでもかんでも自分の思い通りにしようとして自分勝手だ。他人に愛想よくされても冷たい視線でしか応じないし、ついでに憎まれ口までたたく。可愛くない。子供らしくない。どう見たって子供なのに、変に大人ぶっている。子供は子供らしくすればいいのに。
『子供らしくみんなと遊べばいいのにねぇ』
『変わった子ね』
 それは、自分に向けられていた言葉。いつも機械いじりばかりしていた自分が言われていたこと。それらは、目の前で探究心のエンジンを回している彼にも当てはまる。ということは、彼も自分と同じなんだろうか。はたから見れば子供らしくない彼も、今は邪念のない真っ直ぐな心で生きている。自分もそうだった。周りから何を言われても、機械に対する情熱を捨てる気にはなれなかった。自分の本当の気持ちをつらぬくこと。馴れ合いながら生きていくよりも、わざと子供らしく振舞うよりも、ずっと大切で素晴らしいこと。

 気付いたときにはベッドの中だった。周りをみんなが心配そうに囲んでいて、笑って見せると落ち着いてくれた。クロードとレナは、お互いに顔を見合わせて喜びを分かち合っていた。アシュトンは、目を真っ赤にして、笑いながら泣いていた。セリーヌも喜んではくれたけど、少し哀しそうにも見えた。レオンは、いなかった。ちょっと、がっかりした。

 結局、どうしてあんなことをしたのか、身を挺して彼を庇ったのか、うまい理由は浮かんでこなかった。頭の中がごちゃごちゃになってきたので、考えるのはやめにした。
「無人くん?」
 抱いて眠っていたはずなのにいないことに気づいて、プリシスは辺りを見回した。少し離れた窓のところに立っていて、こちらを見ているのが分かった。プリシスの声に気づいて、軽快に走り出した。が、途中で転んだ。頭から絨毯につんのめって、半回転する。自力で起き上がれるように作ったのに、なぜかそうしようとしない。仰向けになったまま、ぴくりとも動かない。
「あっちゃ~、ま~た壊れちゃった」
 プリシスはごく自然にベッドから起き上がると、まず無人くんを回収した。それから、工具箱を探す。
「あれ?」
 部屋の中を捜しても、見つからない。そもそも彼女ために作られた部屋ではないし、しばらく寝たきりで回りのことはみんなや城の人たちがやってくれていた。誰かがどこか別のところへしまったのかもしれない。そういえば、ターボザックもない。船で目が覚めたときからないような気もする。魔物にやられてポンコツになってしまったのか? ささやかな不安に駆られながら、プリシスは無人くんを抱えて部屋を出た。

 朝起きて研究室に行き、装置の開発にとりかかる。研究員は大勢いるが、実際に装置を作るための技術と能力を持ち合わせているのはレオンとその両親だけだった。しばらくしてからボリュームのあるブランチを摂り、再び研究室に籠る。予めレオンが立てていた計画通りに事は進んだが、やることが多く、一夕一朝のうちに完成できるものではない。
 夕刻を過ぎてその日の作業を終えると、レオンは夕食もそこそこに自室に入った。そこには、つい先日まではなかった様々な物が、無秩序に転がっていた。ハンマー、レンチ、ドライバー、はんだごて、壊れたアーム……。そして、工具箱に入っていた彼女のメモ。複雑な計算や設計図が、丸っこい文字で書き込まれている。研究室にも簡単な機械はいくつかあるが、無人くんや、このターボザックのように複雑な機械を作る知識はレオンにはなかった。だが、だからといって放棄はできない。彼の命を救うために彼女が犠牲にしたものを、なんとか返さなければいけない。傷を治したり体力を回復させたりすることは彼にはできない。ならば、自分にしかできないことで補うしかない。
 ときどき、自分は何でこんなことをしているんだろう、と思うことがある。自分の言うことにいちいち突っかかってくるし、口調も生意気だし、とてもイヤなヤツだと思っていた。でも、今まで自分にあんな口を聞いたヤツはいなかった。誰もが『レオン博士』として彼を扱い、表面上ではあっても敬語で接してきた。クロードお兄ちゃんたちは少し違ったけど、薄い壁は存在していた。そういった壁を初めて打ち破り、レオンの領域に土足で殴りこんできたのが、彼女だった。それまではずっと一人だった。壁に囲まれて孤独だった。考えてみると、不思議な人だった。
 はっと気づくと、作業の手が止まっていた。
「この赤い線を、ここに接続……っと」
 メモをよくよく確認しながら、レオンは最後の配線を終えた。コントローラーを操作して、取り付けたパンチ部分を収納する。それからターボザックを背負う。とてつもなく重たい。彼女はこれを背負って軽やかに走り回っていたが、レオンには立っているのが精一杯だ。R1ボタンを押すと、しまったばかりのパンチが勢いよく飛び出た。R3ボタンをぐりぐり回してみる。新しいアームがぐるんぐるんと動いた。
「できた……!」
 レオンはパンチをしまうと、嬉しさのあまりターボザックの重さも忘れてそのまま部屋を飛び出した。早く彼女に見せたい。それで元気になってもらいたい。
「ああああっ!」
 聞き覚えのある甲高い声が王宮の廊下に響いた。振り返ると、次の角の所に彼女が立っていた。口を大きく開けて、こちらを指差している。
「プリシスお姉ちゃんっ!」
 レオンは弾んだ声で彼女の名を呼んだ。できすぎているくらいに丁度いいタイミングだ。歩けるようになった彼女に、これを渡してあげたい。レオンはこれ以上ないくらいの喜びを顔に浮かべて、彼女のいるところへ駆け出した。

10

 それと同時に、プリシスも駆け出した。眉を吊り上げ、拳を握り締めて。二人が目と鼻の先に互いの位置を認めたとき、最初に行動を起こしたのはプリシスだった。持っていた無人くんを手放して、レオンに掴みかかろうと手を伸ばす。
「あたしのターボザック! 返せ!」
 『お姉ちゃん、見て見て! 僕が直したんだよ!』と言うつもりだったレオンは、驚いて足元が狂い、プリシスの足元につんのめった。プリシスの手元から離れた無人くんに、顔面から突っ込む。それを機として、プリシスはうつ伏せになったレオンにのしかかると、ターボザックを取り上げようとした。本体部分を掴んでぐいっと引っ張る。
「痛い、痛いよ!」
 レオンは叫んだ。転んで腹は打つし、背中では重たいターボザックが激しく上下するし、それにつられて肩も引っ張られる。喜んでもらおうと思ったのに、とんだことになった。
「返せ! 返せってば!」
 プリシスは両腕でターボザックを抱きかかえると、大きく反り返って力ずくで取り返そうとした。しかし、彼女自身がレオンの大腿の上に跨っているので、レオンもまた海老反りになるだけで何の意味もない。
「は、放して! 放してよ! 痛いよぅ!」
 レオンの言うことは聞かず、プリシスは何としても自分の持ち物を取り返そうと必死になっていた。取り外せない部品を無理に引き離すかのように。レオンはもう彼女に放してもらうことを諦めて、自分から腕を引き抜いた。
「うひゃ!」
「うわあっ!」
 両端から引っ張っていたゴムが切れたかのように、プリシスはターボザックごと勢いよく後ろへひっくり返った。レオンは、顎を床に打ち付ける。
 もういやだ。せっかく直して喜んでもらうはずだったのに、わけが分からない。考えが甘かった。期待していた自分が馬鹿みたいだ。顎も背中も足もお腹も痛くて、気がついたら涙が出ていた。
「なに、あんた、泣いてんの?」
 顔を上げると、ターボザックを背負ったプリシスが、軽く曲げた膝に手を当てて見下ろしていた。さっきあれほどまでにレオンを痛めつけたことなど気にもかけていない風だ。
「な、泣いてなんかいないよ!」
 白衣の袖で涙を拭き、口を尖らせながら立ち上がる。
「あんたが悪いんだかんね。あんたが盗んだんだから」
「盗んでなんかいないよ!」
「あたしのターボザックを背負ってたくせに!」
「だって! だって、それは……」
 レオンは口籠もった。この状況で素直に白状したものかどうか。
「なに? なんかせーとーな理由があるっての?」
 レオンは迷った。本当のことを話しても彼女は聞いてくれないかもしれない。完全に自分を犯罪者扱いしている。どうしたらいいんだろう。
 結局何も言えず、レオンは視線を落とした。
「ふん。ま、いいけどさ。どこか壊れたりしてないだろうな~」
 とりあえずレオンをとっちめた、とプリシスは満足し、コントローラーをいじった。左から赤いハンマーが飛び出る。ボタンをぐりぐり回すと、ハンマーがぐるんぐるん動いた。間接も滑らかな挙動を見せる。
「おっけ、おっけ♪」
 次に、右からパンチを繰り出す。パンチとは言っても、実際には人間の腕と同じように指もあり、物を掴んだりもできる。ぐるぐる回して肩と肘の動きを確認すると、プリシスは首を傾げた。
「ほえ?」
 レオンは心の中で冷や汗をかいた。
「この絵、あんたが描いたの?」
 プリシスは手の甲に描かれた不可思議な図柄をレオンに見せた。
「うん……」
 うなずいた瞬間、レオンは白衣の襟首を金属の手で掴まれた。
「うわわわわわっ、やめてよ!」
「やめて欲しかったら、全部言う!」
「わ、わかったよ! だから放して!」
 プリシスは手足をじたばたさせるレオンを、睨み付けながらも放してやった。レオンは胸元を抑えて、肩を上下させる。
「ほら、早く!」
「う、うん……。……僕を助けるために右の腕が壊れちゃったから、なんとか直してあげたくて……。でもただ直すだけだったら……その、プリシスお姉ちゃんにもできちゃうでしょ? だから、手の甲にその紋章を彫って……」
「ちょっと待った!」
 レオンの目と鼻の先で大きな手がストップをかける。
「壊れちゃったの?」
「うん……。僕のせいで。だから、どうしても僕が直してあげたくて……」
「……」
「それで、その紋章を彫って雷の力が使えるようにしたんだよ!」
「紋章術が使えるってコト?」
「ちょっと違うけど、まあ、そんなとこ。さしずめサンダーパンチってとこだね」
 レオンは、ちょっと自分に驚いていた。なんだ、こんなに簡単に話せるんじゃないか。少し嬉しくなった。
 プリシスのほうは、なんとも微妙な表情でレオンを見つめていた。無表情とも違うが、喜怒哀楽のどれにも当てはまらない。レオンは一歩近づいて、プリシスを見上げた。ところが、彼女の視線はまったく動く気配がない。何か考えごとをしているのだろうか。
「どうかしたの?」
 そこで初めてレオンに気づいて、プリシスはそのままの表情で首を振った。そして、何も言わないまま、無人くんを抱えて部屋に戻っていった。

11

 シンという魔物が率いる軍団が退却したあと、ここ数日、戦況に変化はない。戦闘そのものが生じなかったからである。これまでも毎日侵攻してきたわけではなかったが、これほどの期間を空けるのも珍しいという。ただ、兵士たちを喜ばせたことに、エナジーストーンを使った装置が完成したという知らせが入った。紋章武器ラクールホープに必要な装置だ。ラクールホープが完成すれば、魔物軍など取るに足りない。兵士たちの士気は格段に高まった。装置の到着まで持ちこたえればよいのだ。ところが、いつになっても装置は到着せず、一時はエル大陸へ進攻しようかというほどにまで活気付いていた前線基地も、今は逆に苛立ちと焦りの混合色に支配されはじめていた。
「まだエナジーストーンは到着せんのか!」
 クロードたちが食堂で遅い昼食後のお茶と会話を楽しんでいると、別のテーブルが少しく飛び跳ねた。食器のかち合う音が響く。見ると、一人の中級指揮官が伝令の兵士を怒鳴りつけていた。この場では彼が最上級士官なので、誰も咎める者がいない。
「まったく、仕方ないですわね」
 藤色の眉をひそめながら、セリーヌはコーヒーカップを置いた。
「これまで立て続けに攻められていて、逆にそれに慣れちゃっていたから、こう長いことなにもないとかえって不安になるんだろうね」
「次に攻めてくるときはこれまでにない大軍団だっていう噂が飛び交っているみたいだし」
「早くあの子が装置を持ってきてくれれば、問題はないはずですのに。一体、何をしているのかしら?」
 『あの子』というのは、もちろんレオンのことだ。完成しているのに届かないという状況は、兵士たちの不安をさらに駆り立てていた。一部では運搬中に魔物に襲われたという話も出ている。
「……」
 両手でカップを押さえながらうつむいているアシュトンを、セリーヌは認めた。クロードとレナも、セリーヌの視線につられた。
「もしかすると、……プリシスに何か」
 そこでみなの視線に気づいて、アシュトンは顔を上げた。
「あ、いや……ごめん」
「ううん、いいのよ。でも、大丈夫。きっと元気で戻ってくるわ」
 レナが優しく微笑むと、アシュトンも明るい顔を取り戻した。セリーヌは、彼の表情には喜んだが、その原因についてはいささか微妙な気持ちだった。レナのような自然な態度がとれたら、どんなにいいだろうか。
「第十六から第三十二部隊は屋外へ集合! ただいまより訓練を開始する!」
 食堂の入り口で、痩身のラチョット副司令官が叫んだ。体の割に大きな声が出るものだ。その声に奮い立たせられるかのように、兵士たちが次々と席を立っていった。代わりに、訓練を終えたばかりの別の部隊が、司令官とともに入ってくる。クロードたちも立ち上がり、食堂の新しい客たちに席を譲った。

「早く! 早く!」
「博士、急がないと! 東面偵察隊の報告では敵の到着まであと二、三時間ですよ!」
 荷馬車の騎手が叫んだ。
「分かってる! でも、置いていけないんだ!」
 少年の真摯な目を、騎手は認めた。

「敵襲! 敵襲!」
「東北東に敵空中部隊および地上部隊を確認!」
「敵襲! 総員戦闘配置!」
「急げ!」
 間が悪い、とはこのことだ。全部隊の半分は訓練の直後でくたくただし、もう半分は食べたばかりで動きが鈍い。
「まずいですわね」
 城塞部へ走りながら、セリーヌは兵士たちの顔を見て言った。どれも戦闘意欲に欠けている。戦闘を待ち望んでいた者たちの中にも、やはり士気は感じられなかった。
「その分、僕たちが頑張らないといけないね」
「ギャフ」
「ギャフ」
 クロードたちは互いに顔を見合わせ、それぞれの意思を確認しあった。総司令官室の前を曲がり、外へ出る。強い横風が吹きつけた。
「ディアス!」
 走り回る兵士たちの中に、クロードはその長身の男を発見した。ディアスは、クロードを見て、ゆっくりとうなずいた。来い、と言っている。クロードはそう感じた。
「魔物の群れは?」
「すぐには来ないな。だが、十分はかからないだろう」
 ディアスは空を見上げた。空中部隊の鈍い輝きがいくつも見えた。その直下には、地上部隊が巻き起こす砂埃。
「今日は間が悪い」
「わかってる」
 クロードが答える顔を見て、ディアスは少し驚いたような顔をしてから、静かに笑った。
「そうか。そいつは悪いことをしたな」
 背後を、やる気のない兵士たちが走り抜けていく。さすがに緊張はしているが、問題は実力を出せるかどうか、である。
 クロードは、最悪の事態を覚悟した。前回は空中部隊だけだったにもかかわらず、兵士たちのほとんど全員が傷を負った。それに地上部隊が加わったとなれば、もはや傷だけでは済まされないかもしれない。
「来たぞー!」
 見張りの兵士が、崖の上から声を響かせた。兵士たちが武器を構えなおす音が聞こえてくる。
「いよいよだな」
 ディアスはゆっくりと剣を引き抜いた。沈み始めた太陽に照らされ、その刀身が橙色に輝いた。クロードとアシュトンもそれぞれの剣を抜いた。
 そのとき。
「無駄な戦いは、必要ないよ!」
 命の緊張をはらんだこの場にはおよそ不釣合いな声が上がった。何事か、と全員の視線が集まる。それを気にするでもなく、白衣を着たくすんだ空色の髪の少年は、大砲への階段を上っていった。直径五十センチほどの紫色透明の筒を鋼のアームで抱えたポニーテールの少女が続く。その不思議な光景に圧倒されて、兵士たちは次々と道を開けていった。それが誰なのかとか、何をしているのかは問題にならなかった。まったく予想しなかった状況に、誰もが受動の立場だった。
 大砲のもとへ着くと、少年はそれをいじり始め、少女は持ってきた筒状の装置を然るべき場所へ差し込んだ。大砲に取り付けられた透明な配管に、緑色の輝きが走る。ホフマン遺跡最奥部で見たのと同じ光だ。少女は大砲の後ろへ下がり、少年は天に向かって手をかざした。
「ラクール……ホープ?」
 レナがぽつりと言った。それにはっと気づいて、クロードたちはその巨大な装置を注視した。
 ──あれが、ラクールホープ……?
 空に向かって上げられた両手の間に、緑色の光の玉が現れ、それが次第に大きくなっていく。レオンは目を瞑ったまま、自ら考案した呪紋を唱えた。かつて、自分が全精力を注ぎこんでいたもの。それが、いま、完成を見ようとしていた。彼の全てだったものが、いま、新たな希望への第一歩を開く。
「行っけぇぇぇぇぇ!」
 かっと目を開き、腕を振り下ろして、ひときわ強く輝いた光球を腰の高さの入力装置に叩き込む。瞬間、ラクールホープの周囲が緑色の光に包まれた。沈み行く太陽にとって代わろうとするかのように。そこから、その数百倍の輝きを放つ巨大な光球が目にも留まらぬ速さで飛び出した。褐色の大地を緑色に照らしながら、魔物軍めがけて、一気に突き進む。
 人々が正気に戻ったときには、魔物の姿はなかった。代わりに砂と埃の巨大なドームが形成され、遅れて届いた爆音が体を芯から揺さぶった。
「……勝利だ!!」
「われわれの、勝利だ!」
「ラクールホープがあれば、勝てるぞ!」
 ときの声にも似た歓声が上がり、兵士たちは武器を投げ捨てて喜んだ。世界滅亡の危機がこれで救われる、と。

12

「さて、そなたたちを今ここに召集したのは他でもない、いよいよエル大陸侵攻のときが目前に迫ったからだ」
 ラクール城謁見の間で、王は立ち上がって宣言した。それまで、クロードは計算高く食えない老人だと思っていたのだが、今日は違った。軍神をイメージしたという、黄金色に輝くオリハルコンの防具。ミスリル銀による緻密な装飾が施され、胸には拳の大きさほどもあるレインボーダイヤが埋め込まれている。顔には精気が、瞳には光が溢れ、以前の印象からは全く想像できなかったことに、豪奢な鎧に負けることなく見事に調和し、全軍の指揮官たるに相応しい威厳を放っていた。クロードも、レナも、セリーヌも、アシュトンも、プリシスも、ただ圧倒されて、声も出なかった。衛兵や側近、前線基地から出てきた総司令官と副司令官たちは、神を見るような目で自分たちの王を見ていた。ディアス一人だけが場の雰囲気に飲み込まれていなかった。
「ラクールホープも研究員たちの必死の努力により完成し、魔物の殲滅に対して絶大な効果を発揮しました。攻め込むなら今でしょう」
 痩身の副司令官が、期待に満ちた声で言う。レオンは誇らしげな顔でそれを聞いた。
「魔物軍はラクールホープの力を知って、恐怖に打ち震えているはず。対応する隙を与えず、混乱に乗じて一気に攻め込むのです」
「ヒルトンからエルリア沖に向けて艦隊を出港する手筈は整えてあります。命令一つで、いつでも出発可能です」
 禿頭の総司令官が胸を張って王に報告した。
「よろしい。現時点で敵の本拠地はエルリアと推定されている。我々が目指す地点もエルリアだ。ラクールホープを積み込んだ戦艦でエルリア北西沖まで行き、エルリアそのものをラクールホープで一瞬にして焼き払う」
 王は黄金の篭手で包まれた右手を、胸の前で握り締めた。その気高く勇ましい姿に将兵たちは意気湧いたが、クロードは恐ろしい策略を聞いてしまったように感じた。エルリアそのものを焼き払うとは。
「エル大陸にいる人たちはどうなってしまうんですか?」
 王や兵士たちの気分を害さないかと思いながら、恐る恐る尋ねた。だが、王は優しく微笑んだ。
「もちろん、我々の敵は魔物軍だ。ラクールホープを発射する前に先遣隊を送り、人々の安全を確保する」
「その先遣隊というのは、どういうものなんですの?」
「わが軍の精鋭および厳選した戦士たちです」
 副司令官は言い、王を仰ぎ見た。
「そなたたちには是非、その先遣隊に加わってもらいたいのだ」

 ヒルトンの港には、十隻の戦艦が待機していた。沖合いにも無数の船が浮かんでいる。入港している船の一つでは、ラクールホープを積み込む作業が行われていた。巨大なクレーンを、何人もの屈強な男たちが操作している。その様子を、プリシスが見上げていた。
「あたしのターボザックなら、あんなものひょいひょいって運んじゃうのに」
「そりゃそうだろうね、なんたってこのボクが直したんだから」
「じゃあ、なんであたしにやらせてくんないのさ」
 プリシスが口を尖らせると、レオンは呆れた顔で手を腰に当てた。
「これだから一般人てのは困るんだよね。たとえターボザックに力があったって、自分が潰れちゃうじゃないか」
 その後はケンカになった。見ていたクロードは首を傾げる。
「ラクールホープを撃ったときには仲がよくなったと思ってたのに」
 あのとき、二人は一緒にラクールホープを起動した。レオンもプリシスも進んで力を合わせているように見えたのだが。
「でも、よく言うでしょ。『ケンカするほど仲がいい』って」
 レナは微笑んだ。
「まあね。でも、あんなところでケンカしてたら、ほら、みんなの邪魔になっているじゃないか。プリシスも子供じゃないんだから、もうちょっとなあ……」
「大人になればいいのに?」
 クロードは頷いた。プリシスはレナより一つ歳下なだけだし、誕生日から言えば一年も違わない。それなのに、レオンと同い年と言われたほうが納得してしまう。悪いとは言わないが、年相応に振舞うべき時もある。もっとも、そうやって無理に大人びたりしないところが彼女のいいところなのかもしれない。
 ようやく、プリシスをアシュトンが、レオンをセリーヌが引き離した。だが、大人二人の腕の中で、レオンもプリシスも歯を剥き出しにして獣のように相手を威嚇していた。こうなると、もう天才レオン博士もただの子供である。
「先が思いやられるな。あんなのを連れていて本当に大丈夫なのか?」
 独特の声調が聞こえて、クロードとレナは振り向いた。深い海の色の長髪とマント、細い目の長身の男。
「ディアス、どうしてここに?」
 前線基地のラクールホープがなくなってしまうため、ディアスは残ってラクール本土を守る部隊に入った。ラクール城で別れて、そのまま基地へ向かうと思っていたのに。
「大切な妹を見送りに来たのさ」
 そう言って、レナの頭に手を乗せた。
「ディアス……」
 レナはクロードを見ながら、恥ずかしそうに手を下ろさせた。それをクロードが微笑ましい顔で見ていたので、レナは少しがっかりした。
「どう思う? この戦い」
 積み込み中のラクールホープを見ながら、ディアスは言った。クロードも、それに視線を合わせる。
「ラクールホープでエル大陸に侵攻する作戦か?」
「武器の威力という点では、勝算は俺たちにある。だが、敵がおとなしく降参すると思うか?」
 クロードは沈黙した。王をはじめ、ラクールの人々はみんなラクールホープの威力に魅了されて、既に勝った気でいる。今、ディアスに問われなければ、危うく自分もその空気に染まってしまうところだった。
「魔物の本当の実力が分からない。今までに遭遇した魔物は確かに全て倒してきた。だけど、魔物の真のボスがどれだけ強いのかも分からないし……」
「慎重な意見だな。だが、俺もほぼ同意見だ。今まで俺たちの前に現れてきた魔物が全てザコもいい所のやつらだったら? ……そう考えると、手放しでは喜べん」
 クロードはディアスの目を見た。落ち着いて分析しているように見えるが、瞳の奥には不安が内在していた。初めて見る目だったが、驚きはしなかった。剣豪ディアスとて超人ではない。それを、クロードは知っていた。その不安はディアス自身ではなく、レナに対するものだということも分かった。そして、心配でありながら共に行動しない理由も。
「じゃあ、僕たちが勝利するにはどうしたらいい?」
「決まっているだろう。敵のボスをぶったたき、二度と立ち上がれないようにしてやるのさ」
 クロードは笑った。ディアスも口元を緩める。クロードは右手を差し出した。
「お互い、勝利の知らせを持って再会できるといいな」
 ディアスはクロードの手に目を落としたが、それを握ろうとはせず、横を向いて目を伏せた。
「期待しないで待ってるさ」
「なんだよっ! カッコつけて言ってるときにっ!」
 クロードは真っ赤になって口を尖らせた。せっかく分かり合えてきたのに、いざとなるとこうだ。少しくらい自分に素直になってもいいじゃないか。
 ディアスはもう一度口元を緩めた。クロードの目を見て、言う。
「それだけの元気があれば大丈夫だ。俺は前線基地で頑張ってみるさ」
 ディアスはレナに視線を移し青黝い髪を撫でてやると、何も言わずに馬車に乗り込み、ヒルトンを去っていった。馬車は地平線の向こうへと消え、ひづめの音も聞こえなくなる。
「ディアスが……行っちゃった」
 レナはぽつりと言った。
「また会えるさ」
 クロードは確信していた。彼は死なない。そして、自分もレナも、きっと帰ってくる。だが、レナはいつまでも不安そうな顔で地平を見つめていた。
「レナ?」
「分からないの。でも、もう会えないような気がして、ディアスに、もう、二度と……」
「まさか、ディアスに限ってそんなことはないよ。大丈夫さ」
 それでも、レナはずっと立ち尽くしていた。クロードには、彼女の気持ちがよく理解できなかった。口調から察するに、レナは自分にではなくて、ディアスに何かが起こると感じているようだったが、彼の強さは彼女が一番よく知っているはずだ。今までも、ことあるごとにそう言ってきたのに、今になって急に信じられなくなったわけでもあるまい。自分がエル大陸から戻ってこられないかもしれないという不安なら、不本意ながらクロードにも理解できるのだが……。
「戦艦の出航準備をいたします! 乗艦者はすみやかに集合してください!」
 兵士の声が、港に響いた。

13

 あの向こうは、どうなっているんだろう。真っ暗なのに明るくて、明るいのに真っ暗。大きいのとか小さいのとか、青いのとか黄色いのとか。赤いのもあるけど、少し暗め。点だけじゃなくて、雲みたいな、ぼやけたものもある。どれにしても、みんな、決まった速さで決まった方向へ動いていく。毎日少しずつずれていくけど、一年経つとまた同じ時間の同じ場所に同じ物が見える。昔から、星の動きを見て、人々は生活してきた。みんな、そこは神様の場所、聖域だと言う。あの星とあの星を繋いだ形が、人々に幸福を与える祝福の女神。あの竪琴を奏でているのが、音楽と詩の神。あの剣を高くかざして横を向いているのが、魂を天へ導く戦乙女。大地を平定する神、森を護る神、海を満たす神……。星座には、数十に及ぶ創造神トライアたちの名前が付けられている。
 少年は、その位置と名前、神話的背景の全てを記憶していたが、記憶しているだけだった。くだらない。どうして、あの星とあの星を結ぶ必要があるのか。別の星ではダメだったのか。どうして隣の明るい星ではなくて、暗いほうを結ぶのか。望遠鏡で見えるようになった暗い星々の存在はどう説明するのか。非論理的だ。第一、星同士を結んでみても、数本の直線からなる多角形ができるだけなのに。あれが人や動物の形に見えるというのはどうかしている。調べてみると、三つの明るい星を結んで、『さんかく座』とかいうのがあるらしい。どうせなら、みんな、『まる座』とか『しかく座』とか『ひしがた座』とかにすればいいのに。変な話だ。
 たぶん、星の位置は神様とは関係ないのだ。だとすれば、聖域の本当の姿は? 好奇心と想像力がもつれ合い、天へと駆け上る。
「レオン」
 声がかかって、少年は現実の世界に引き戻された。手にしたファイルを一瞥してから、振り返る。
「クロードお兄ちゃん」
「また、星の観察か?」
 クロードは、望遠鏡を指差した。
「うん、まあね」
 頷いて、レオンは作業に戻った。
「一七八、〇四四。一七八、〇四五。一七九、〇四五……」
 数字をファイルに書き留めていく。クロードは腕を組んで、望遠鏡と星空を見比べた。
「それって、星の位置を調べてるんだ?」
「そうだよ。よく分かったね」
「まあ、僕も勉強させられたからね……」
 レオンは首を傾げた。
「お兄ちゃんって、アカデミーに行ってたの?」
「ああ、うん、まあ、そんなところかな……」
 クロードは頭をかいた。レオンの言うアカデミーは、むろん、リンガにある『ラクール・アカデミー』のことだが、クロードが行っていたのは『地球連邦艦隊士官アカデミー』というところだ。
「へぇ、若いのにホントはスゴイんだ」
 レオンは心から感心しているようだったが、天才とはいえ十二歳の子供に『若いのに』と誉められても、あまり嬉しくはない。
「何を勉強してたの?」
「ああ……、天文学とか物理学、かな?」
 一番近いものといえば、それになるだろうか? さすがのレオン博士でも、恒星力学や亜空間物理学などを話しても分かるはずがない。
「ふうん。だから星のことも分かるんだね」
「まあ、ある程度ね」
 それからしばらく会話は途切れた。レオンは作業を進め、クロードは暗闇を突き抜けてくる光の群れを眺めていた。
 こうしていると、少し安心する。エクスペルでの生活にも慣れ、仲間も出来た。ソーサリーグローブのことを解決したら、ずっとここで過ごすのもいいかもしれない。地球では、外れられないレールの上をつまらなく走っているだけだった。でも、ここには心から信じあい、助け合える仲間がいる。束縛から解き放たれ、自分で自分の未来を切り開くことができる。地球で過ごした日々よりもずっと充実している。
 だが……、レナやアシュトンたちがどれだけ自分を信用してくれていても、クロードはずっと彼らに隠しごとをしながら生きていかなければならない。自分は、エクスペルの人間じゃないということを。
「終わり……っと」
 レオンはファイルを甲板の上に開いたまま置いた。それから、丸めてあった大きな紙を広げる。丁度、レオンが五人くらい横に並んで寝られる広さだ。覗いてみると、縦と横に均一な間隔で直線が引かれて、その間に大小の点が散りばめられていた。
「何してるんだい?」
「これでね、星の位置が分かるんだ」
「星図か……」
 レオンは頷くと紙の上に寝転がり、数字を書き込んだファイルを見ながら星図に新しい点を追加していった。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだい?」
「あの向こうには何があると思う?」
 クロードは首を傾げた。
「あの向こうって?」
「聖域だよ」
 レオンは手を休めず、作業と会話を並行して進めている。クロードは返答に詰まった。聖域というのが宇宙のことを指すのだということは知っていたが、なんと返事をしたらいいものか。
「……レオンはどう思うんだい?」
 レオンは一瞬手を止めたが、すぐに動かし始めた。次々に新しい点が描き込まれていく。
「分かんない。みんなは神様がいるって言うんだけど……」
「そうは思わないのかい?」
「だって、星と星を繋いで、それが神様だって言うんだよ。しかも、繋ぐのは明るい星ばっかり。もっと暗い星だっていっぱいあるのにさ。絶対変だよ」
 クロードは、心の中で笑った。自分もレオンぐらいの歳の頃は、現実と神話やおとぎ話を比べて、よく母親を質問攻めにしたものだ。自分の親の骨で一夜にして世界を作った神の話とか、最初の人間をたぶらかした悪魔の話とか、どうしてそんな話が横行しているんだろう、と。本当は世界はビッグバンで生まれて億年単位の時間をかけて出来上がったのに、それが確かに分かっているのに、神様がいるなんて馬鹿げていると。
 ただ、今になって思うのは、その年頃というのは、おとぎ話を聞かされてきた幼少時代と、本格的な科学を勉強し始める少年時代との境目の時期になる。宇宙の成り立ちとか磁力などの見えない力の話とか、そういうことを説明されると、いままで神話やおとぎ話に心を弾ませていた自分が、急に恥ずかしくなってしまうのである。だから、昔の人間の空想話を徹底的に非難することで、自分が科学的な人間だ、ということを周りに証明したくなるのだ。レオンも、同じ気持ちなのに違いない。
「そうだな、たしかに変かもしれない」
「そう思うでしょ?」
 レオンは星図から顔を上げた。仲間が見つかって嬉しそうだ。
「でもな、だからといって、全部を否定することはないさ。星座っていうのは、要するに象徴なんだ。結び方に理由なんて必要ない。自分たちが信じるものを、ずっと先まで伝えていくための、永久に消えないカンバスなんだよ」
 突然、レオンは吹き出した。お腹を抱えて、苦しそうな顔で笑い転げている。
「な、なんだよ!」
 クロードは顔中を真っ赤にした。レオンは笑いをこらえようと必死だ。だが、こらえようとするほどに笑いがこみ上げてきて、止められない。
「だ……だって、お兄ちゃんの、セリフ、……クサすぎだよ」
 終いには涙まで出てきた。クロードは腹が立ったが、自分の言葉を思い返すと、笑わずにはいられなくなった。腹を抱え、涙が出る。
 今のセリフは、実は自分が母親に言われた言葉だったのだが、母親が子供に話すのと、自分がレオンに話すのとでは勝手が違うらしい。まるで、自分がレオンの母親になったような感じがしてきて、余計におかしかった。
 腹筋が痛くなるほどに笑い続けて、ようやく笑いが収まってきた。涙を拭き、胸に手を当てて呼吸を整える。
「……あー、おかしかった」
「……はは」
 二人は、望遠鏡の前に寝そべった。レオンは単に仰向けになっただけだったが、クロードが両手を頭の下にやったのを見て、自分も自分で枕を作ってみた。
 死にゆく星が放った、巨大なガス雲。辺りしい星の光に照らされて、赤く輝いている。惑星ごと飲み込まれてしまいそうなほどに大きく、じっと見つめていると、突然巨大化して襲ってくるような錯覚を覚える。だが、恐怖よりも美しさで、心は満たされていた。海の音と、星の光。
「きれいだね」
「そうだな……」
 星々を巡る旅も魅力的だが、ただ眺めるのもいい。辺り一面を星に囲まれ、自分が宇宙の真ん中にいるような気分になる。星だけの世界。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
 クロードは顔をレオンのほうに向けた。レオンはずっと空を見ている。
「さっきさ、永遠だって言ったよね、星は」
「それが?」
 レオンは答えなかった。目を伏せて、下唇を噛んでいる。
「どうしたんだ?」
「うん……」
「言ってみろよ」
 大きく息を吐いてから、レオンは起き上がった。クロードもそれに倣い、星図を見る。大小多数の星々の地図。
「この、黒い点が、一年前の今日の星の位置。正確に言うと、一年前でも十年前でも、今日はこの位置にあるはずなんだ」
 そこで、レオンは詰まった。言うのに勇気を必要としているようだ。くすんだ空色の髪からのぞく耳が、ぴくぴくと震えている。
「……で、この赤い点が今年の今日の位置」
「なんだって?」
 声量が少しばかり大きかったことに気付いた。
「星の位置は毎年変わらないはずだよね、何年経っても」
「ああ、でも、これは……」
 黒い点と赤い点の位置は、大きく離れていた。一日や二日のずれではない。少なくとも二週間分はずれている。ずれの向きもおかしい。地球で言う北極星に当たる星までも動いてしまっている。天が動くことなどありえない。ずれの原因は、エクスペル自身にある……?
 気付くと、レオンの小さな手が、クロードの上着を握っていた。下を向いて、震えている。
「レオン?」
「……怖いんだ」
 クロードは星図を置き、レオンの右手を両手で包んだ。それと同時に、レオンが抱きついてくる。
「ボク、ずっと前から知ってたんだ、このこと。最初は、大発見だと思って解明するまで秘密にしようと思ってたのに、どんどんずれていって、だんだん怖くなってきて……。それで、誰にも言えなくなっちゃって……」
 レオンは鼻をすすった。天才少年が、やはり少年であるための苦悩。嗚咽と涙。クロードは、力いっぱい抱きしめてやった。そして、自分も、エクスペルに起きている異変に打ち震えた。

14

 風がやや強い。大陸に近づいたため、気流が変わったのだ。天候はおおよそ晴れ。朝からの霧も晴れ、視界は良好。
「もうすぐエル大陸北西沖だ。上陸の時は近いぞ」
 黄金のラクール王は言った。魔物軍との決戦に際して、自ら指揮を執ろうというつもりなのだ。
「陛下。ラクールホープの準備は万端。いつでも敵を迎え撃つことができます」
 ラクールホープの状態を調べていたマードックが報告し、王は大きく頷いた。
 ラクール王、総司令官、副司令官、クロード、レナ、セリーヌ、アシュトン、プリシス、レオン、マードック、フロリス、そしてラクール軍の精鋭たち。全員の視線が、水平線上に浮かぶエル大陸に注がれている。
「まだ敵の姿は影も見えていませんが、どうしたのでしょうか?」
 グレー総司令官が頭を光らせながら言う。王は、コンパスと地図を見た。
「そろそろ絶対防衛線を越えるはず。油断は禁物だろう」
「はっ」
 総司令官は敬礼すると、見張りの兵士を見上げた。
「まだ、何も見えんのか?」
「異常ありません!」
 見張りの兵士は双眼鏡を目に当て、首をゆっくりと左右に振っている。十回ほど往復した後、首の動きが止まった。双眼鏡を外して、思いっきり叫ぶ。
「艦首前方に敵影発見! 空中部隊と思われます!」
 甲板上の兵士たちに動揺が走った。
「慌てるな! こちらにはラクールホープがあるのだ!」
 ラクール王は一喝し、マードックに向かって頷いた。合図だ。
「フロリス、ラクールホープ砲撃準備開始!」
「はい! レオン、準備はいい?」
「もちろんだよ、ママ!」
 ラクールホープは、艦首甲板の中央に取り付けられている。反動で倒れないように、重たい鉄の鎖で固定されている。レオンが紋章力注入装置の前に立ち、マードックとフロリスが側面の計器を操作する。注入装置の上に手をかざすと、装置を取り巻く配管に緑色の光が走る。レオンの右手と左手の間には、紋章力そのものを集めた球体が出来上がっている。球の底から、少しずつ注入装置に紋章力が入り込んでいく。
 敵が、目視領域に到達した。空中部隊の先頭にいるのは、翼を持つ紫色の魔物。前線基地で撃退した、シンだ。
「目標を確認、方向設定完了!」
「エナジーストーンは安定、充填エネルギー九九・八五パーセント。発射準備完了!」
「発射ぁっ!」
 レオンが両手を注入装置に叩きつける。同時にラクールホープ全体が光の球に包まれ、そこから轟音と共に光の束が一直線に飛び出す。
 攻撃は、確実にシンを狙っていた。ラクールホープのスピードでは、かわすことができないはずだ。誰もが、シンを仕留めたと思った。だが、その瞬間、シンは両腕を胸の前で交差させた。その直後に光の円柱は命中したが、障害物に当たった水流のように、全て弾き飛ばされてしまった。シンと攻撃の間に、見えない何かが存在した。
「まさか……。そんな……」
 レオンは足から崩れて、甲板にへたりこんだ。自信に溢れていた顔からは全ての感情が拭い去られてしまっている。半分気絶しているも同然だった。
「ラクールホープが……。利かない!」
 ラクール王を含め、その場の全員が言葉を失った。とくに、前線基地でその威力を見たことのある者たちは、恐れおののいた。
 クロードも戦慄した。
 ──あれは……、宇宙船に使われる防御シールド……? まさか……?
 あのような効果を持つ物を、クロードは一つしか知らなかった。セリーヌの反応を見ても紋章術ではないようだし、だいいち、呪紋を唱えている様子が全くなかった。
 クロードは、ディアスの言葉を思い出した。『今まで俺たちの前に現れてきた魔物が全てザコもいい所のやつらだったら?』
 十五隻の艦隊が一様に怯えるさまを見ながら、シンは右手を振り下ろした。鈍い金色の、ストーンスタチューの群れが襲い掛かる。以前、前線基地で戦ったのよりもはるかに多い。味方の人数も多いが、船の上だし、今は士気が完全に削がれてしまっている。形勢は、不利だった。
「う、うわあぁぁぁぁぁ~!」
 ストーンスターチューが降りてくるのを見た一人の兵士が、恐怖のあまり、艦尾に逃げ出した。それにつられるようにして他の兵士たちも一斉に逃げ出す。
「臆するな! 剣を抜いて戦わんかぁ!」
 ラクール王は自らの剣を引き抜きながら叫び、自分を襲ってきたストーンスタチューを、一刀の許に切り捨てた。だが、敵の数は多い。次々と襲い掛かって来、逃げることに気をとられていた兵士たちは、易々と石化されていった。
 クロードたちもそれぞれに武器をとって応戦したが、ストーンスタチューは、まるでコウモリの群れのように飛んできて、目前の敵を処理するので精一杯だった。
 正面の敵を剣で一突きして、引き抜いた勢いで左側面の敵を真っ二つにする。すぐにしゃがんで攻撃を避け、立ち上がる勢いでそいつを叩き斬る。だが、敵の数は減っていかない。戦っているうちに離れ離れになり、仲間が無事なのかも分からなかった。辺り一面、鈍い金色の世界。時折、石化した兵士たちが目に入るが、何の感情を持つ余裕もない。
「弱い! 弱すぎるぞ、貴様ら! さあ、海の藻屑となるがいい!!」
 ストーンスタチューの羽の音に混じって、シンの低く響く声が聞こえた。それと同時に、ストーンスタチューたちは上空へと舞い上がる。戦闘開始後、初めて視界が開けた。仲間の安否を確認しようとする。兵士たちの石像に見え隠れして、プリシス、アシュトン、セリーヌは無事。レオンは初めから半気絶状態で、相手にもされなかったらしい。そして、レナ。
「フェーン!!!!」
 振り返ったときには、シンの姿は見えなかった。視界一杯を熱せられた空気が支配し、それがクロードの体にぶち当たった。右腕に灼熱感が走り、反射的に剣を手放した。そして、強烈な熱風に身体ごと吹き飛ばされる。
「うわああぁぁぁぁぁ!」
「きゃあぁぁぁっ!」
 熱竜巻に巻き込まれ、クロードたちは天へと舞い上がって、戦場からはるか離れた地へと飛ばされていった。
 何が起きたのか、誰も理解しえないままに、ラクール艦隊は完璧に敗北した。