■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第七章 愛と勇気の行方

「提督、艦隊司令部のマクナイト提督から通信です」
 オペレーターは重い気分で報告した。あの事故があってからというもの、ロニキスに何を報告するのも気が進まない。銀河に名だたる英雄ロニキス・J・ケニーが、魂を吸い取られたかのようになってしまった。毎朝無気力に艦橋ブリッジへ来て、一言も発しないまま一日中艦長席に座り、適当な時間に帰っていく。クロードのことでロニキスに反感を抱いていた者たちでも、さすがに同情を禁じ得なかった。第一、指揮官たるロニキスがずっとぼうっとしたままでは、万が一の事態に陥ったとき、自分たちの命が危ない。だが、なだめてもすかしても、ロニキスの様子は全く変わることがなかった。
「……わかった。艦長室で受ける」
「了解……」
 ロニキスはゆっくり立ち上がり、ブリッジに隣接する艦長室へ入っていった。執務卓の深い椅子に腰掛け、通信機のスイッチを入れる。馴染み深い顔が映し出された。浅黒い黒髪の男性。かつての上官である。
「ロニキス、報告は読んだ。クロードのことは残念だったが……、彼も艦隊士官だ。任務中の殉職とあれば、不本意ではあるまい」
「ああ……」
 ロニキスの声は頼りなく、聞いているのか聞いていないのかもはっきりしなかった。マクナイトは彼の気持ちを察して、目を伏せた。だが、同情ばかりもしていられない。意を決して顔を上げる。
「カルナスに新しい任務が与えられた。新しい星域の調査だ。セクターθのL四一二星域。まだ遠距離からの観測しかされていない星域で……」
 そこで、マクナイトは言葉を切った。ロニキスが聞いていないことが分かったからである。
「詳しいことはそちらのコンピューターに送っておく。君はゆっくり休め」
 画面が真っ黒になった後も、ロニキスは席を離れようとしなかった。意思の無い、人形のように。

 朝食を平らげると、クロードは荷物を取って席を立った。奥の寝室をのぞく。
「いってきます」
「はあい、おやすみ~」
 そのまま、金髪の母はベッドに倒れこんだ。白衣を着たまま、気持ちよさそうな顔で寝息を立て始める。長期間に渡った研究がようやく終わり、これからしばらくは休暇になるという。
 クロードは、呆れ顔で家を出た。いつものことだが、母は研究となると寝食を忘れるタイプだ。悪いことではないが、もう少し健康に気を遣ってもバチは当たらないだろうとクロードは思う。これまで一度も病気になったことがないとはいえ、だ。
 家を出ると、辺りは一面の芝生。その中を、白く舗装された道路が緩やかな曲線を描きながら走っている。土地が広く取れるので、大抵の家は一階建て。直方体や球体を組み合わせた、白い建物。
 緑の大地と白い人工物の快い調和が、クロードの気分をよくした。制服の裾を軽く引っ張って、背筋を伸ばす。大きく息を吸って、思いっきり吐く。所々に植えられた木々の間から、小鳥のさえずりが聞こえた。
 今日もいい空気だ。
 春休みが終わって、今日から寮での生活に戻る。寮からだろうが家からだろうが、士官アカデミーまではきっかり十分。寮と家の間も十分。週に一度は家に帰るのだが、両親共に留守のことが多く、帰るのはもっぱら家の掃除をするためだった。休暇以外のときは家はただの寝室に等しいため、散らかることはあまりないのだが、埃は溜まる。子供の頃から家の手伝いはよくしていたので、別段不愉快なことではなかった。
 アカデミーは、十二の主要施設からなり、最も高い建物は十八階建て。連邦本部周辺の建物は、すべて二十階以下である。
 白い壁を見ながら、第二講義棟に入る。早い時間でありながら、ホールは既にたくさんの生徒たちで溢れている。長い休暇を終えて、久しぶりの再会を喜びあう者たち。そんな彼らを見て、クロードは少し複雑な気分になった。彼の周囲にいるのは、彼を忌避する者と親友の二種類だけだった。しかも、前者のほうがはるかに多い。入学したばかりの頃は苦痛にも感じたが、最近は慣れてきている。だが、やはりもっと多くの仲間が欲しいとも思うのだった。
 階段を一つ昇って、二二四三教室に入る。講義室としては中程度の広さだ。平坦な床に椅子と机が並び、数人の生徒が腰掛けて話を弾ませていた。クロードの入室には気付かないようだった。クロードは、窓側の、やや後ろの席に座った。今日の一時限目は、『初接触ファースト・コンタクト手順法』。未知の異星人と初めて接触したときの対応のしかたについて、話が展開される。子供の頃から父親の仕事に憧れていたクロードは既にその大部分を暗記していたが、必修科目なので出席しないわけにはいかない。開始時刻までにはまだ時間があるので、クロードは春の陽射しを浴びながら、机の上に伏せって昼寝を始めた。開いた窓から心地よい風が流れ、母親譲りの繊細な金髪が揺れる。
 周りが騒がしくなって目が覚めると、教室を埋めるほどの人が集まってきていた。時計を見ると、九時十分前。もうすぐ始まる。だが、クロードの隣には誰も座っていなかった。数少ない友人の一人アムシェル・ミラーはいつも遅刻ぎりぎりのやつだから、まだ来ていない。ヒマだ。
「クロード」
 窓のほうから、聞き覚えのある声がかかった。振り向くと、脳裏にひらめいた通りの人物が、こちらを見て立っていた。青黝あおぐろい髪に、金色に輝く三日月型の髪飾り。そんな、夜空を凝縮したような頭からのぞく耳は、先が尖っている……?
「レ、レナ!」
 たしかに、レナだった。レナ・ランフォード。いるはずのない人物がいることに驚いて、クロードは椅子から滑り落ちそうになった。レナは、不思議そうに首を傾げてから、くすっと笑う。
「どうしたの?」
「なんで、君が、ここに?」
「なんでって、私だってこの講義をとっているのよ。久しぶりだから忘れちゃったの?」
 レナは笑いながらクロードの隣に座った。持っていたコンピューターパッドを、机の上に置く。クロードは信じられない思いで、その様子を見ていた。着ているのは、クロードと同じ、士官候補生の制服。透き通るような青を基調として、アカデミーの記章が縫い付けられている。その一方で、本当の母親の手掛かりであるペンダントもしていた。
「今日は……、どこからだったかしら?」
 パッドを操作しながら、レナは尋ねた。まるで、ずっと前からアカデミーに通っていたかのよう。だが、
「そんな……、そんなはずは……」
 クロードは呂律ろれつが回らない。
「なによ、どうしたの? 今日はなんだかヘンよ?」
 レナは眉をひそめて、心配そうに言った。クロードは、慌てて首を振る。
「い、いや、なんでもないよ。ゴメン」
 そうして、自分のパッドを操作する。
「今日は、たしか、第四章からだね」
「第四章……、『発展途上惑星との接触』ね」
 レナは慣れた手つきでパッドを操作し、該当する項目を表示させて読み始めた。クロードは、レナの横顔を見た。やっぱり、レナだ。どう見てもレナだ。でも、どうして?
 不意に、レナは顔を上げた。
「あ、先生だわ」
 頭がつるつるの、太って制服がはちきれそうな男性が入ってきた。かつて、数十回もの初接触の全てに成功したという、奇跡の人である。提督に昇進した後、二年前からアカデミーで教鞭をとっている。
 室内が静まり、教壇から低い声が響いてきた。
「さて、春休みも明けたが、本当の士官になったら決まった休みなんてものはないからな。自分で状況を見極めて、いつ休むべきか、きちんと判断しろよ。だが、気兼ねして短い休みばかりをちまちまと取ることはない。年に一度、どかん、と長~い休みを取ってやればいい。そのときは、緊急召集通知が届かないように、通信機を切っておくことを忘れるなよ」
 軽い笑いの渦が起こった。優秀な士官ほどジョークが通じないと言う人もあるが、真に優秀な士官ならば全てを受け容れられるはずだ、とも言う人もある。この教授の場合は後者のほうだろう。とすると、自分の父親はどうなんだろう、とクロードは思った。が、最近はろくに話もしていないので、父に冗談が通じるのか通じないのか、忘れてしまった。
「では、今日は第四章『発展途上惑星との接触』からだ」
 先生が教壇の上のパネルを操作すると、正面の巨大なディスプレイに、文章とどこかの惑星の映像が表示された。
「まず、発展途上惑星についてだが……、要するに、もうすぐワープ航法が開発されそうな星ってことだな。場合によっては未開惑星に分類する場合もあるので注意しよう。つまり、原則的には我々が干渉することはできない。今日話すのは、原則からは外れることだが、極めて重要だ。彼らがワープ航法を発明して実際に外宇宙へ飛び出し、なんの予備知識もなく異星人と遭遇したとき……」
 レナは、先生の話に耳を傾けていた。すごく楽しそうだ。クロードは嬉しかった。ずっとこのまま見ていたいと思う。風が吹いて、青黝い髪がなびく。不意に視線が合って、レナは微笑んだ。心が、満たされる。
 九十分間、クロードはずっとレナの横顔を見つめていた。
 二時限目は亜空間物理学。今度はきちんと講義を聴かなければならない。ときおり、レナがひそひそと質問をしてきた。どうやら計算は苦手なようだが、概念は理解しているらしく、説明するとすぐに頷いて、そのたびに、ありがとう、と微笑んでくれた。
 昼食はカフェテリアで、パスタを軽く。レナがフォークに巻き取り、口に運び、噛んで、味わい、飲み込む、その全ての過程をクロードは胸一杯の気持ちで見ていた。レナが目の前にいるだけで、食事の味まで変わってくるようだった。デザートにショートケーキを食べて、話をする。
 三時限目と四時限目は、戦闘訓練。今日は、ホロデッキを利用しての対レゾニア戦のシミュレーションである。クロードがパイロット、レナが砲撃手。その他数人の同級生とチームを組む。艦長などの上官はホログラムである。
 クロードたちの艦は敵艦四隻を撃破し、損傷率三八パーセントで、まずまずの成績だった。
「ちょっと失敗しちゃったわ」
 訓練終了後、校門へ向かう途中でレナは言った。フェイズキャノンを発射しようとしたのだが、ロックオンした直後に艦長が右舷旋回命令を出したので、発射を予定していた右舷の発射口からは打つことができなかったのだ。
「次のときは、実際に発射命令が下るまでロック系システムは浮かせておいたほうがいいね。どうせロックオンなんてコンピューターが一瞬でやっちゃうんだから」
「そうね。そうするわ」
 クロードは、もうレナがいることに何の違和感も感じていなかった。これが、いつもの感覚。これが日常だ。レナと二人でいること。
 雑談を交わしながら歩いていると、第四演習棟の付近に人が集まっているのが見えた。
「なんだろう?」
「行ってみようよ、クロード」
 クロードは頷き、二人は駆け出した。
「では、次は水の呪紋で~す!」
 中からは、マイクを通して聞き覚えのある声が響いてきた。生徒たちの歓声と拍手が上がる。建物の脇には立て看板があり、『士官候補生のための呪紋ショー』と書かれていた。間違いない。母だ。ヒマになるとこういうことをやりだす人なのだ。ゆっくり休んでいればいいものを。
「クロード、呪紋だって!」
 レナは、目を輝かせた。
「う、うん、そうだね……」
「ブリザード!」
 奥から男性の声が聞こえてくると同時に、凍えるような冷気が吹いてきた。
「きゃっ」
 びっくりして、レナはクロードに抱きついた。別の悲鳴や驚きの声があがる。
「あら、ごめんなさ~い♪ ちょっと強すぎちゃったかしら」
 呑気な声が聞こえてくる。だが、さすがに気分を害した幾人かの生徒たちが、前のほうから出てきた。レナは、その分、できるだけ前に進もうとする。ほとんど割り込みのような形でレナは前進し、前から三列目くらいになってしまった。クロードとしては一秒でも早く退散したいのだが。
「さ~て、次は回復の呪紋です。ちょっとお手伝いさんを募集しま~す。誰かいませんか?」
「はい!」
 レナは真っ先に手を上げた。クロードは慌てて止めようとしたが、もう遅かった。
「は~い、では、そちらの可愛いお嬢さん」
「はいっ」
 レナは元気な声で返事をすると、ずんずんと前に出て行った。なぜかクロードは腕を掴まれて、一緒に最前列に出てしまった。それを、母は見逃さない。ことさらに大きな声を出す。
「あらやだ、クロード、彼女ができたんならちゃんと報告しなきゃダメでしょ?」
 一斉に大爆笑が起こり、クロードは否定する余裕もなく耳まで真っ赤にした。クロードをロニキス提督の息子、と見る者たちは彼を敵視するが、このユニークな金髪の博士の息子、として見る者たちにとっては羨望の的だ。だが、そういう学生たちは大抵が科学士官志望なので、戦略士官コースのクロードと友人になる機会はあまりない。
 レナは頬を紅く染めながら、壇上に上がった。
「じゃあ、ちょっとだけ傷を付けさせてもらうわね。すぐに治るから大丈夫よ」
「はい」
 母は、レーザーメスでレナの手の甲を切った。その様子が、巨大モニターに映し出される。レナは少し痛そうにしたが、それよりもこれから起こることに興味津々のようだった。
「では、この傷を紋章術で治しちゃいます。みなさん、よ~く見ていてくださいね♪」
 そう言うと、草色の長髪の男性が、レナの傷口に手をかざした。何度か会ったことがある、母の助手だ。母は連邦の紋章科学研究の第一人者だが、彼女自身は紋章術が使えない。
「ヒール!」
 助手が口を開くと同時に、傷口を緑色の光が包んだ。傷口が、見る見る塞がっていく。モニターに映し出されたその様子を見て、その場の全員が驚きと感心の声を上げた。レナも、青い目を輝かせながらそれを見た。
「はい、この通り。見事に治りました~!」
 母はレナの手をとって、生徒たちに見せた。最初は拍手喝采だったが、それが、徐々にやんで、場は異様な雰囲気に包まれた。レナの傷跡が、まだ光っている。緑色の光。
「ちょっと……どういうこと?」
 母は心底驚いた顔で、レナの腕を放した。少し怯えているようにも見える。レナは、光りつづける傷跡を不思議そうな顔で見ていた。段々と表情に不安が表れてくる。
「レナ……?」
 どうしたらいいのか、クロードには分からなかった。光は強くなり、傷口だけでなく手全体を包んでいた。母も、助手も、怯えるばかりで何もしようとしない。
 そして、光は二つに増えた。レナのペンダント。同じように緑色に光り輝き、傷口の光と共鳴するように強弱を繰り返した。空気が振動し、機械の駆動音のような音がする。レナも怯えて、ただその二つの光を見つめていた。少しずつ、光は強く、大きくなっていく。もう、ここからではレナの顔が見えない。クロードは駆け出した。
 すると、光は急激に成長し、あっという間にレナの上半身を包み、光度を増し、さらに大きくなった。振動音も雷鳴のように鼓膜を刺激する。壇上まで、あと少し。だが、そこにたどり着いたと同時に、光はレナを飲み込み、消えてしまった。
 音も消え、周りの人々も消え、ただ、持ち主を失った髪飾りが落ちる音だけが響いた。焦げ付いて、錆びれ、衝撃で、割れた。
「レナーーーーー!!!!」

 目が覚めて、クロードは飛び起きた。
「レナ!」
 辺りを見回す。岩と砂と海の世界。空は暗く、風が冷たかった。誰もいない。
「夢……か。そりゃ、そうだよな」
 クロードは苦笑する。レナがアカデミーにいるなんて馬鹿げている。だいたい、今の自分は士官候補生ではなく、本物の士官だ。未知の星にいるとはいえ。
 打ち寄せる波が大きな音を立てた。記憶をたどる。ラクールホープを積んだ戦艦に乗って、シンという魔物と戦い、吹き飛ばされて……。
 海を見た。水平線が見える。波は穏やか。陸地は見えない。
「海に落ちたのか……」
 運良く浜に打ち揚げられたらしい。服はほとんど乾いていた。かなりの時間が経っているのだろう。その間、魔物に襲われなかったことも幸運だった。ただし、剣はなくなっていた。
 誰もいない。立ち上がって砂を払う。まだ少しべとべとしていて、気持ちが悪い。
「みんなを探そう……」
 クロードは歩き出した。しっかりと歩くことはできるが、砂が柔らかくて一歩ごとにぎゅっぎゅっと音がする。
「おーーーーい」
 自分の声が空しく響いた。
「レナー! セリーヌさあぁぁん!」
 歩いても歩いても、砂と岩ばかり。聞こえてくるのは、自分の声と波の音。
「アシュトン! プリシス!」
 段々と、不安になってきた。打ち揚げられたのは自分だけかもしれない。あるいは、自分だけがはぐれてしまったのかも。だいいち、ここがどこなのかも分からない。どこかの大陸か、それとも無人島か……?
 ──また一人ぼっちなのかな……。
 急に襲ってきた寂しさを紛らわそうと、クロードは声を張り上げた。
「レーオーン!」
「う……」
 声がした。弱々しい声。目の前の岩の向こうから。クロードは、期待を込めて岩の向こうに回りこんだ。
 青い髪。だが、レナではなかった。頭からは猫のような耳が生えている。レオンだ。普段はくすんだ空色に見えた彼の髪も、暗がりの中では黒っぽく見えた。ぐったりと浜に横たわり、身動きひとつしない。周りに他の人間はいないから、声を出したのはレオンのはず。クロードは駆け寄ってレオンの横にしゃがみこみ、体を揺すった。
「レオン! ……レオン!」
 クロードよりも後に打ち揚げられたからなのか、岩の陰になっていたからなのか、レオンの白衣も服もまだ濡れていた。それが、レオンの体温を下げている。起こさなければ危険だ。
 頬を軽くたたく。
「おい、レオン! しっかりしろ!」
 まぶたが動いた。
「う……ん」
「レオン!」
 ゆっくりと目を開き、二、三度瞬きすると、レオンはクロードの顔を見た。疲れている。
「お……お兄ちゃん」
 クロードはほっと息を吐いて、手を差し伸べた。その腕をぎゅっと掴んで、レオンは立ち上がろうとする。足が砂で滑ってバランスを崩し、クロードはもう一方の手でそれを支えた。
「大丈夫か?」
 クロードは立ち上がって、レオンを見下ろした。目を険しくして辺りを見回している。暗い、岩と砂と海の世界。そして、おもむろにクロードを見上げた。不安に満ちた顔。
「お兄ちゃん……。ここ、どこ……?」
「僕にも、分からないんだ……」
「ママはどこ? パパや、お兄ちゃんの仲間は……?」
 クロードは、答えられない。伝えなければならないことが、レオンにも、自分自身にも重いことだったから。レオンの頼りなげな声が、クロードをも心細くさせた。表情が暗く、哀しげになる。それを見て、レオンは鼻の奥が熱くなるのを感じた。
「ウソ、ウソでしょ? みんないなくなっちゃったの? ボクたちだけなの?」
「レオン……」
 声をかけてはみても、後が続かない。
「ウソって言ってよ! ボクたちしかいないの? ボクたちしか助からなかったの?」
 唇をかんで、瞳を潤ませていた。ピンと立っていたはずの耳も、力なく垂れ下がる。
「レオン、まだそうと決まったわけじゃ……」
「ママも? パパも? やだ、やだよ、そんなの!」
 透き通った空色の瞳から、涙が零れる。クロードはレオンを抱きしめようと頭の後ろに手を回したが、レオンはそれを振りほどいて泣き叫んだ。
「いやだー! いやだいやだいやだ、いやだー!! うわあああああぁぁん!!!」
「レオン、捜しに行こう。お前の両親だってきっとどこかにいるはずだよ」
「気休めはよしてよ! もう誰も生き残ってなんかいないよ!!」
 クロードは、垂れ下がるレオンの腕をぐいと掴んだ。
「何てこと言うんだ!」
「だって誰もいないじゃないか! ボクたちしかいないんだよ? 助かったってイミないじゃないか!」
 レオンは顔中を濡らしながらわめいた。悲しくて、辛くて、寂しくて。クロードは戸惑った。あの常に理性的だったレオンが。もちろん、時には感情を露にすることはあったが、これほどまでに内から湧き出る衝動に身を任せることがあろうとは。
「レオン、落ち着け……」
 クロードが同情と困惑の顔で肩に手をかけようとすると、レオンは一段と大きな声を張り上げた。
「ボクなんか死んじゃえばよかったんだ!」
 次の瞬間、レオンを慰めようとしていた手は、別の目的のために動いた。レオンは胸倉を掴まれ、勢いよく吊り上げられて、大きな手で幼く濡れた頬をはたかれた。
 レオンの顔から表情が消え、急に自分が怖くなって、クロードは手を離した。小さな身体が、どさりと砂の上に落ちる。
 無防備に仰向けになり、下顎を震わせながら、紅く痕のついた頬を両手でさするレオンを見下ろして、クロードは自分の息が荒くなっていることに気付いた。右手を見る。レオンをはたいた手。だが、本当に殴りたかったのは、レオン本人じゃない。レオンの言葉に動揺してしまった、自分の……?
「そんなことを言って、お前のことを大切に思っている人がどれだけ悲しむと思っているんだ?」
 クロードは、視線を逸らしていた。自分のしたことが正しいとは思えなかったから。
「パパもママも、お兄ちゃんの仲間だって、もういないじゃないか」
 レオンの声は落ち着きを通り越して、活力を欠いていた。
「ここにいないだけだろ?」
「魔物だらけだよ。すぐ殺されちゃうよ」
「僕が倒すさ」
「でも……」
 レオンはクロードに背を向けて転がった。砂の上に意味の無い絵を描く。
 クロードは腕を組んで口元をほころばせた。少し茶化すように言う。
「お前、ちゃんと頭使っているか? 冷静になれば次にどうすればいいかが見えてくるはずだろ?」
 レオンは耳をぴくりと動かすと、しばらく考えて、慌てて立ち上がった。下を向いたまま、上目づかいでクロードを見る。頬だけでなく、顔全体を赤くしていた。クロードは片膝をついて、レオンの頭の上に手を置いた。
「ようやく理解したらしいな。とにかく僕たちは助かったんだ。他のみんなだってきっと助かってる。だとしたらこの近くに流されたっておかしくないはずだ。ここで落ち込んでいるより、みんなを捜しに行ったほうがいいと思わないか?」
 レオンは頷いた。
「決まりだな」
 クロードは笑って手を差し出し、レオンは目を赤く腫らしたままの笑顔でそれを握った。

 レオンと二人で散々探したが、海岸には誰もいなかった。海の上に誰か漂っていないかと目を凝らしてもみたが、陽は落ちかけていて何も見えなかった。ただし、浜が相当に広いことから、おそらくは大きな島か大陸だろうと思われた。
「そろそろ寒くなってきたね……」
 自分を抱きしめながら、レオンは言った。
「ああ、そうだな……」
 クロードは、浜辺に流れ着いている板切れを手にとって見ていた。天を仰いで咆吼を上げる獅子の紋章。ラクール王家の紋章だ。他にも艦の残骸と思われる木片が大量に流れ着いてきているから、人間だって同じ方向へ流れてくるはずだ。それなのに誰もいないということは、海深く沈んだか、既に内陸部に進入しているか……。
「ん……?」
 寄せる波に押されてひしめく木片の中に、見覚えのあるものを見つけた。わずかに残る太陽光を反射してきらめく。頭の奥でその正体を察知して、クロードはそれに飛び付いた。片手に収まる、三日月。レナの髪飾りだった。
「レナ……」
 クロードはそれを抱きしめた。レナは生きている。そう感じた。希望ではない。髪飾りを自分の手に握ったとき、分かったのだ。
 クロードは振り返って後ろを見た。五十メートルほど砂浜があって、そこからはすぐ森になっている。これから暗くなるというのに森に入るのは危険だ。だが、隠れる場所も無いこの砂浜にいるのも危険だった。
 悩んでいてもしかたがない。レナは、きっと、向こうにいる。
「よし、レオン。森に入るぞ。吉と出るか凶と出るかは分からないけど、とにかく前に進もう」
「うん、お兄ちゃん」
「じゃ、森まで競争だ!」
 クロードは髪飾りをポケットにしまい、板切れを脇に抱えて駆け出した。
「あっ、待ってよ、ずるいよ!」
 長すぎる白衣を引きずりながら、レオンは懸命にクロードを追いかけた。

 ──星。色々な色の星。光り輝く星々の大海の中に、戦艦カルナスは浮かんでいた。
 ブリッジの、左舷前方が艦長室。ロニキスの執務室だ。右舷前方は、会議室である。オフホワイトの壁に、曲線を多用した木目調の机と椅子。いまそこに、ロニキスをはじめ、各部署の責任者が終結していた。本来の議事進行役は艦長たるロニキスの務めだが、ここ数週間はカーツマンが代行している。星図を映した壁面のディスプレイの脇に立ちながら、カーツマンは話し始めた。
「艦隊司令部からの命令で、我々はセクターθのL四一二星域に行くことになった。まだ遠距離からしか観測されておらず、詳細な調査は今回が初めてとなる。この星域には全部で二十七の恒星があり、十四の星系がある」
 ディスプレイの隣に埋め込まれたパネルを操作すると、L四一二星域の拡大図が表示された。
「最初に向かうのは、ニベライト星系。中心となる恒星は連星で、いずれも原始の太陽に似ている。惑星もいくつか観測されており、これから生命が誕生する可能性は十分にある。そのあと、イベリア、ローリア、アルクラ、エシルの順で調査していく。とくにアルクラ星系には正体不明の高エネルギー体が存在しており、これを詳しく調査するのが今回の最重要任務だ。ライテン少佐」
 と、機関部長を指名する。
「この星域には、いたるところに、ある種の重力子フィールドが観測されている。エンジンやセンサー類が影響を受けないよう、なにか対策をとってくれ」
「了解」
「他に質問がなければ、解散とする」
 士官たちは立ち上がって、持ち場に戻っていった。ロニキスが退室したのは、それから三十分後のことだった。

 問題は火だった。灯りと暖をとる必要はあるが、煙が出れば魔物に見つかってしまう。クロードたちは徹底的に乾いた枯れ枝を集めて、小さな火を起こした。暖まりもしないが、冷えもしない程度の火。レオンは寒そうに膝を抱えていたが、口には出さずにじっと耐えていた。耳をたたんで、小さな手のひらを火に向ける。あいにくと食べ物は持ち合わせていなかったので、疲れた身体を癒すには眠るしかない。レオンは膝を抱えたまま、眠りについた。クロードは火を絶やさないようにしながら、見張りのために起き続けてなければならなかった。
 見張りの間、レナのことを考えた。自分はレオンを見つけることができたけれど、レナは誰かと一緒だろうか。独りぼっちになってはいないだろうか。無事に打ち揚げられているだろうか。怪我をしていないだろうか。寒さに打ち震えてはいないだろうか。……君を守る、と約束したのに。それが自分の存在意義だと最近気づき始めたのに。この星で生きる希望を見つけたと思っていたのに。
 夢の中のレナが思い出された。光と共に消えてしまったレナ。クロードにはなすすべもなく、彼女は消えた。あのときの、言葉では表せないほどの喪失感。自分の中で、レナがいかに大切な存在であったか。
 彼女の髪飾り。内ポケットから取り出して、右手の上に乗せる。僅かの傷もなく、火に照らされて輝いた。これが無事である限り、レナも無事であるはずだ。きっと、どこかで。
 ──レナ……。

「ニベライト星系に到着しました」
 パイロットの報告を聞き、カーツマンは頷いた。ロニキスは相変わらず何も反応しない。任務の支障にならないようにと思って、カーツマンは自ら艦長代行を司令部に申し出たのだが、そうしないほうが良かったかもしれないとも思う。ロニキスに仕事を与えて、普段どおりの生活に早く戻すようにしたほうが良いのかもしれない。今、ロニキスは息子を失い、任務をも失おうとしているのではないだろうか。それに気づくのが少しばかり遅かったかもしれない。
「よし、天文調査チームに連絡。調査を開始しろ」
「了解」

 小鳥が鳴き、飛び立って、枝が揺れた。
 はっと気づいたときには既に辺りが明るくなりはじめていて、火も消えていた。そして、レオンの姿はない。背筋に嫌なものが走った。
「レオ……!」
 声を出した瞬間に、何者かに後ろから口を塞がれた。クロードは最悪の事態を予想したが、犯人はすぐに知れた。耳元で、ささやく。
「ボクだよ。大丈夫。……あの岩の向こうに、魔物がいるんだ」
 背後から手が伸びて、数メートル先にある高さ二メートルほどの岩を指した。口を塞いでいた手が解かれ、クロードはラクールの紋章が入った板切れを持って、ゆっくりと立ち上がる。音を立てないよう、二人は慎重に近づいた。だが、焚き火の跡にレオンが足を踏み入れてしまった。焼け残った枝が折れて音を立てる。
 瞬間、低くて大きな鳴き声と共に、狼のような細身の魔物が岩の上に現れた。クロードが身構えたのと魔物が飛び出したのが同時だった。まっすぐ跳びかかってくる魔物を打ち返すように、板切れを振る。鈍い音がして、魔物が倒れた。
 二人は顔を見合わせて、ほっと息をついた。
「ごめんなさい、お兄ちゃん……」
「気にするな。助かったんだからな。それより、ここを離れたほうがいい。魔物の仲間にやってこられたら次はどうなるか分からないからな」
 レオンは頷き、二人は森の奥へと進んでいった。

「天文調査チームから報告です。ニベライト星系の調査は全て終了しました」
 オペレーターは報告した。ちゃんとロニキスも艦長の席に座ってはいるのだが、もう誰も彼の指示を仰ごうとはしなかった。無視しているのではないが、実際問題として返事をしてくれない上官に指示を求めても無意味なのだ。全ては、ロニキスの右後方に立つカーツマンに任されている。
「よし、次の目的地へ向かうぞ。パイロット、イベリア星系へコースセット。ワープ八だ」
「了解」

 森は意外と短かった。だが、半分壊れかけた橋の架かかる川を渡ると、また森に入った。しかし、先ほどの森とは様子が違うことに、道ができていた。獣道ではない。人間が通る道だ。よくよく地面を見ると、布の切れ端や壊れた籠など、人間の存在を示すものが確かに落ちていた。
 クロードとレオンは互いの手をしっかりと握り締めて、足を速めた。期待を込めて。そして、再び森が開けたとき、希望の光が差し込んだ。

 木でできた、地味で小さな家が数棟建っていた。それらの前が少し開けていて、何人かの人が立っていた。そして、その中の一人がこちらを振り向いた。青黝あおぐろい髪の少女。
「クロード!」
 懐かしい声。そんなに昔のはずはないのに、どうしてだろう。ずっと聞きたかった声。
「レナ!」
 瞬間、お互いに駆け出して相手を求め、深く抱きしめあった。レナは彼の胸に顔をうずめ、クロードは彼女の頭をしっかりと抱いた。
 会いたかった。
「クロード……」
 鼻をすすりながら、自分を呼ぶ声。目の奥が熱くなった。
「レナ……」
 離したくない。二度と離れたくない。ずっと一緒にいて欲しい。
 クロードは、レナをさらに引き寄せた。温かい。夢とは違う、自分の腕の中に彼女が確かにいるんだという感触。このままレナを感じていたい。
「……そろそろ、二人とも、離れたらどうかなぁ?」
 声がかかった。頬を撫でる髪の感触に未練を残しつつ、クロードは顔を上げた。茶色の髪に若草色の目、紺色のローブのような服。腰には双刀の剣、背中からは双頭の龍。
「ア……、アシュトン?」
 顔を真っ赤にしてクロードを見ていた。その両脇に、セリーヌとプリシスもいる。みな、無事だ。
「そんな驚いた顔をするなんて、全っ然、気付かなかったんですのね。まったくあてつけてくれちゃって」
 セリーヌの意地悪そうな視線を追うと、自分の胸元に突き当たった。レナが、自分の腕に抱かれている。そこで初めて、クロードは自分のしていることが少しばかり恥ずかしくなった。でも、やっぱり離したくない。レナのほうも、離れる気は微塵もないようだった。目じりから頬にかけて流れた涙が、クロードの服に染みていた。幸せそうに、クロードに身を委ねている。今は、今だけは、自分の気持ちに正直になろうと思った。きっと、みんなも許してくれる。
「みんな無事でよかった」
「それは、こっちのセリフでしてよ。わたくしたち、クロードだけがいない状態で流されたんですから」
「そう、だったんだ……」
「昨日からずっと心配していたんだよ」
 アシュトンは、目を逸らしていた。どうしてもこちらを見るのが恥ずかしいらしい。その点、セリーヌは平然としている。プリシスは……、さっきの場所にはいなかった。
「アンタも無事でよかったじゃん」
 声は背後から聞こえた。レナをゆっくりと身体から離して、後ろを振り返る。プリシスはターボザックの腕を使って、レオンに何かを差し出した。
「コレ、アンタのでしょ。拾ったうえに修理までしてあげたんだからね」
 それは、望遠鏡だった。レンズと鏡が入っている、最低限の本体。レオンは不思議そうな顔でプリシスを見上げたが、なぜか受け取ろうとはしなかった。プリシスは望遠鏡をぐいぐいと押し付ける。それを見て、クロードは大事なことを思い出した。ポケットから、それを取り出す。
「レナ、これを……」
 金色に輝く三日月型の髪飾り。レナは驚いて、クロードの顔とそれを交互に見た。
「これ、私の……。海に落としちゃったんだと思ってたのに」
「僕が打ち揚げられた砂浜に、一緒に揚がってたんだ」
「……ありがとう」
 レナは微笑んで、髪飾りを受け取った。夢の中と、同じ顔。そして、それを頭に付けると、もう一度微笑んだ。会いたかった。声が聞きたかった。この笑顔が見たかった。
「人がせっかく直したのに、いらないって~の?」
 プリシスの怒声が聞こえて、クロードたちは視線を戻した。レオンは、まだ望遠鏡を受け取る気がないらしい。鉄のアームにぐいぐいと押し付けられてゆらゆらと身体を揺らしながら、どこか遠くを見ていた。クロードもレナも、さすがに不安になる。どうしたのか、と声をかけようとしたとき、ようやくレオンの口が開いた。
「……パパと、ママは、いないの?」
 弱々しいが、はっきりとした声。
「えっ……?」
 レオンは顔を上げて、クロードを見つめた。
「お兄ちゃんの仲間はいるのに、パパとママはいないの?」
「あっ……」
 レナは口を塞いで、視線を逸らした。今までうかれていた自分にうしろめたさを感じた。
「やっぱり、パパとママは、もう……」
 レオンは肩を落として、下を向いてしまった。握り締めた拳が震えているのが分かった。クロードは片膝をついて、レオンの両肩に手を置いた。
「そんなのまだ分からないじゃないか。こんなにすぐ諦めちゃうのか?」
 レオンは黙っていた。
「レオン、お父さんとお母さんはきっと大丈夫よ」
「……うん」
 レオンは頭をこくんと動かした。 
「よし、じゃあ顔を上げて、望遠鏡を受け取れ」
 クロードがそう言って立ち上がると、レオンは望遠鏡を両手で受け取った。プリシスの顔を見上げる。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「え……う、うん」
 プリシスは何故か半分戸惑った顔で応じると、アームをしまってレナを見た。少し、早口になる。
「ささ、これでクロードも見つかったんだから、早くオサのところに行こーよ」
「オサ……?」
 クロードは首を傾げた。レナが説明する。
「ええ、ここの集落の長のことよ。私たちに話があるみたいなんだけど、昨日は疲れていたし、今日はまだ朝起きたときに顔を合わせたきりで……」
「昨日もここにいたの?」
 クロードは驚いた。
「ええ。夕方過ぎにここにたどり着いたの」
「それまでずっとクロードを探していたんですのよ」
「そっか……ゴメン。それで、どんな話なんだい?」
 レナは首を振った。
「分からないわ。ただ話をしたいって言われただけなの」
「……分かった。とにかく会ってみよう。レオンの両親や他のみんなのことも何か分かるかもしれない」
 レナたち全員が、一斉に頷いた。

『イベリア星系第一惑星の調査を開始します』
 天文調査チームからの報告が、ブリッジに響く。それとほぼ同時に、調査結果がオペレーターのディスプレイに送られ、読み上げられる。
「Pクラスの地球型惑星です。平均気温は摂氏四三〇度。海は無く、全てが岩石質の陸地になっています。生物の痕跡はありません」
「こんなに暑くては当然だな。上陸するのもご免こうむりたい」
「まったくですね」
 士官の一人が同調した。カーツマンは、ロニキスを見る。ぼうっと目の前のディスプレイを見つめているだけだった。

 長の家は木造で、別段ほかの家と区別がつくようには出来ていなかった。よく見ると、新しい木と古い木が混じっていて、つい最近作られたもののようだった。
「おや、あなたがたは……」
 奥の椅子に座っていた初老の男性が声を発した。他には、若い男性と女性がそれぞれ一人ずつ彼の脇に腰掛けてテーブルを囲んでいた。
 レナが進み出た。
「はい。探していた仲間が見つかったので、昨日のお話というのを伺おうと……」
「そうですか、それはよかった」
 男性たちは立ち上がって、クロードたちの前に並んだ。クロードとレオンをちらりと見る。
「では、改めて自己紹介させていただきましょう。私はこの集落の長、トメクです。こちらは補佐役のコリナス、そしてエリーン」
「はじめまして」
 クロードたちは会釈して、自分たちも名乗った。
「みなさんがここに来たいきさつは聞きました。ラクール艦隊が総力を挙げて我々を救いに来てはくれたが、途中で全滅。……まあ、仕方のないことではありましょう。ソーサリーグローブの落下以降、魔物の力はどんどん増して……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 クロードは頭の中を整理しようとした。
「ラクールが我々を助ける……っていうことは、ここはエル大陸なんですか?」
 長たちは少し驚いた顔をしてクロードを見た後、レナのほうを向いた。レナは申し訳なさそうにクロードを見る。
「……ごめんなさい、ついうっかり言い忘れてて。クロード、あなたの言う通り、ここはエル大陸よ」
「しかも、ソーサリーグローブに最も近い場所にある集落だ」
 コリナス青年が付け加えた。もう一度、頭を整理する。驚くことばかりだ。
「ソーサリーグローブが落下した場所は、今どうなっているんですか?」
 クロードの質問に、長たちは表情を曇らせた。クロードは少しばかり罪悪感を感じた。この大陸は彼らの故郷だ。いまの発言は思いやりがなかったかもしれない。
 長は後ろ手に腕を組んで、後ろを向いた。それだけで、どれだけ言いにくいことかがよく分かった。エリーンも黙って下を向いてしまい、その様子を見たコリナス青年がゆっくりと口を開いた。
「最初はただの落下地点でした。しかし周辺に魔物が出現するようになってから、ソーサリーグローブ自体が魔物を生み出す母体そのものなのではないかとささやかれ始めたんだ」
「母体そのもの……?」
「ソーサリーグローブが落下したエルリアの街には、巨大なクレーターができたんだ。全くもって酷いありさまだったよ。街が半分以上吹き飛んでしまったんだからね。しかしそれでも今よりはマシだった。今じゃエルリアは魔物が徘徊する魔窟と化してしまったんだ。私の家は落下時には無事だったが、今は影も形もありはしない」
 クロードはぞっとした。やはり、ソーサリーグローブはただの隕石などではないらしい。
 長は振り返って、話を継いだ。
「エルリアはあっという間に魔物に侵攻されて、やつらの本拠地にされてしまった。街はもはや原型をとどめていない」
 クロードたちは顔を見合わせる。にわかには信じがたい、現実味を帯びていない顔だった。長は、言った。
「ついてきなさい」
 家を出て行く三人を、クロードたちは不思議そうな顔で追った。
 長たちは広場の中央に立って、北の空を見上げていた。クロードたちも、それに倣う。よく晴れた青い空。森の向こうには、何か巨大な物が見えた。遠く霞んでよく見えない。山だろうか? だがそれにしては斜面というものがほとんど無い。あれでは斜面というよりは、崖だ。頂上から麓まで一直線の崖……?
「あれは、何なんですか?」
 クロードが問うと、長はゆっくりと右腕を上げ、謎の物体を指した。
「あれが、我々がエルリアタワーと呼んでいるものです」
「エルリア、タワー?」
 クロードたちの間にどよめきが走った。長たちは振り返り、説明を始めた。
「ソーサリーグローブが落下してから一ヵ月後のある日、あれは突然現れました。何の前触れもなしに。ふと空を見上げたら、あったのです。当時はまだエル王国軍が健在でしたから、早速調査が始まりました。だが、中に入ることすら出来ないまま、全軍の九割が生還しなかったのです」
「私はその時に逃げ帰ってきた兵士の中の一人なんですよ。魔物との戦闘で傷つき、倒れていたところをここのみんなに助けられた」
 コリナス青年に、視線が集まる。
「じゃあ、エルリアタワーというのを実際に見てきたんですね?」
 コリナス青年は頷き、淡々と話し始めた。
「エルリアの街の姿はそこにはありませんでした。あったのは、深い堀と天高くそびえる塔と、堀を渡るための橋が一つ」
「ソーサリーグローブは無かったんですの?」
 元兵士は首を振った。
「いいえ。それらしいものは全く見当たりませんでした。ソーサリーグローブの落下直後とは明らかに様子が違ったのです。まるで、まったく違う場所に来たかのように。たとえば、ソーサリーグローブの落下であそこには深さ数十メートルのクレーターが出来ていたのに、その穴も、飛び散って周囲に積もっていた土も無かった。逆に、幅数十メートルの堀が塔を囲むように出来ていたんです。そんなものはどこにも無かったはずなのに」
「その、塔自体はどんなものなんですか」
 コリナスは深く深呼吸してから言った。
「悪魔の塔ですよ……」
「どういうことです?」
「橋を渡り入り口らしきところにはたどり着きましたが、押しても引いても開きませんでした。大砲を撃ってみたり、爆薬を仕掛けてみたりもしましたが、何をやってもびくともしないんです。全部で二十三の作戦を実行し、ことごとく失敗してみんなが疲れているところへ、魔物が襲撃してきたんです。塔の中からね。もちろん、みな兵士ですから戦いましたよ。魔物はかなり力もあって炎を吐くようなやつもいましたが、初めのうちはわが軍の優勢でした。ところが、魔物は次から次へと出てくる。そして、きりが無いと思って退却しようとしたときには、無数の魔物たちに周りを囲まれていたのです。それからは、ただ一方的な殺戮だけが行われました。部隊ごと炎に焼かれたり、逃げ惑いながら足を踏み外して堀に落ちたり、頭からバリバリと喰われたり……。なす術がありませんでした。勇者と称えられていた人々まで、周囲のおぞましい状況に恐れをなして逃げ出した。あの光景は、今でも目に焼き付いています。自分でも信じられませんよ。あそこから逃げてきたなんてね」
 全員が言葉を失った。凶暴な魔物を生み出すエルリアタワーとは何なのか? どうして、そんなことになったのか?
「何もかもソーサリーグローブのせいなのよ!」
 突然、エリーンは叫んだ。今まで沈黙していた分を取り返すかのように。握り締め、震える左手の薬指に、指輪がはまっているのをレナは見つけた。
「あんなものが落ちてこなければ、こんな、こんなことには……」
 耐え切れず下を向いた拍子に、溜まっていたものが目から落ちて地面に染みを作った。クロードたちは互いに顔を見合わせ、意思を確認しあった。やることは、ただ一つ。
「エルリアに、敵の本拠地があるんですね」
「そうだが?」
 長は頷いてからクロードたちの意図を悟り、息を飲んだ。
「まさか……」
「僕たちは、そのためにここまで来たんです。魔物がどんなに強力でも、諦めたりなんかしません」
 一番驚いていたのは、コリナスだったかもしれない。あれだけの話を聞いたうえで、それでも魔の地に行こうとしているのだから。
「君は、自分の言ってることの意味が分かってるのか?」
「もちろんです。僕たちはエルリアに行き、諸悪の根源となったなにかを調べます。それがソーサリーグローブであれば、……破壊します」
「ムチャだわ! そんなこと無理に決まってるじゃないの!」
「いや、他の方法はないのかもしれん」
 長は言った。驚きは消え去り、冷静に状況を見る目になっている。
「我々人間側が対抗する術は、もはやそれしか残っていない。ここで怯えながら暮らしていても、何の解決にもならん」
「ですが……」
「そのためにわれわれも武器を残したのではなかったか?」
 長の言葉に、エリーンは引き下がった。長はクロードたち一人一人の顔を見回し、言葉を放った。
「あなたがたがわずかな可能性であれ、それに賭けるというのであれば、我々も協力します。外の武器倉庫に備えがあります。必要なだけ持って行ってください」
「ありがとうございます!」
 クロードたちは目を輝かせ、長も彼らに希望を見ていた。彼らならきっと成功する。どういう理由かはわからないが、そう思えたのだった。

 武器倉庫には、片手剣、両手剣、槍、斧など、どれも質の良い武器が集められていた。その多くはラクール製。対魔物軍用にエル王国が買い集めたものだろう。クロードもアシュトンも、プリシス以外は全員武器を失ってしまったので、ここで調達しなければならなかった。武器は用意された引出しや樽の中に入るだけ入れられているが、入らない分は隅のほうに無造作に置かれていた。その中に、クロードは奇妙なものを見つけた。
「これは……」
 手にとってみる。白い棒だ。金属のようだが、異様に滑らかだ。片手で握るのには丁度よい太さだが、ほとんどが手の中に収まってしまって武器にはなりそうにない。先端を見ると、少しばかり中がくり貫かれていた。そして、握りの部分に数個の突起。どことなく見覚えがあった。
「なになに、な~に、ソレ?」
 プリシスが覗き込んできた。クロードにはその正体の予想がついていたが、まさか、という気持ちがある。試してみる勇気が無い。
「いや、なんでもないよ」
 それよりも、確実に武器だといえるものを持っていたほうがいい。クロードは棒をポケットにしまって倉庫内を色々と探してみたが、数がある割には気に入るようなものが無かった。名匠ギャムジーの剣に勝るものはないのだろうか。あの剣シャープネスを失ったことが大変に悔やまれた。
「クロード、これなんかいかが?」
 セリーヌが、いやに飾りのついた剣を持ってきて見せた。鞘も握りも宝石だらけ。王族だってここまでくどい物は身に着けないだろうと思う。だが、抜いてみると意外に軽くて扱いやすそうだった。しかし、いまいちしっくりこない。
「すみません、他に剣はありませんか」
 武器庫の管理をしている眼鏡の青年に、クロードは尋ねた。
「ここにあるだけだス」
「そうですか……」
 しかたがない。クロードはセリーヌが持ってきた剣を受け取り、腰にくくり付けた。アシュトンのほうを見ると、既に気に入ったものを手に入れたらしく素早く抜く練習をしていた。両の手で両の剣を抜き、目の前に迫った敵を十字に切り刻む。
「わ~、アシュトン、かっこいいじゃん♪」
「え、そうかな?」
「本当に、決まってますわよ」
 誉め言葉に拍手まで加えられて、双刀紋章剣士は図に乗り、色々なポーズを編み出し始めた。
 武器の選定に難航しているクロードには、うらやましい身分に見えた。

「クロード、武器は決まったの?」
 倉庫にレナが入ってきた。
「ああ、いまいち気に入らないんだけど、これにしたよ」
 そう言ってギラギラと光る腰の剣を見せると、レナは嫌そうな顔をした。
「なんか、悪趣味……」
「ぼ、僕だって見た目で決めたわけじゃないよ! あくまでも重さとか使いやすさとかに重点を置いて……」
 むきになって説明しようとするクロードを見て、レナはくすっと笑った。
「分かってるわ」
「……もう。それより、レオンは?」
「屋根に登って望遠鏡を覗いてるわ。エルリアタワーを見るんですって」
「そっか。なかなかやる気だな、あいつ」
 今度はクロードが笑った。だが、レナは急に不安そうな顔になった。
「クロード、本当にレオンを連れて行くつもりなの?」
「え? どうしてだい?」
 理由が全然分からない。
「だって、フロリスさんもマードックさんも見つかっていないのよ? 今は気にしてないように見えても、きっと心配していると思うの。そういう迷いがあるうちは連れて行かないほうがいいのかもしれないと思って……」
 レナは視線を逸らして下を向いた。
 確かに、レナの言うことも分かる。だが、ラクール王を含め、ラクールの人々は誰一人として見つかっていない。仮にレオンがここに残ったとしても、レオンの両親が見つからなければ、彼は一人置き去りになる。連れて行けば、一人ぼっちではない。が、危険は増す。しかし、レオンも幼いながら強力な紋章術師であることに違いはない。同行してくれれば強力な戦力となりうる。もし、エルリアタワー攻略に失敗したら? そのときは、世界の終わるときだ。両親が生きていようがいまいがそんなことは無意味になってしまう。最終的に判断を下すのはレオン自身ではあるが……。
「分かった。後で聞いてみよう」
 レナは神妙に頷いた。
「やあ、お二人さん。何の話?」
 女性二人を連れたアシュトンが現れた。軽く汗をかいている。全員、妙に上機嫌だ。
「ううん、なんでもないの」
「そう。クロードは剣を決めたの?」
「うん。一応ね」
「じゃ、そろそろ出ようか」
 倉庫番の青年に礼を言って、クロードたちは倉庫を出た。陽が傾き始めている。

 クロードたちは空家を一軒貸し与えられ、質素だが十分な量の夕食の後、そこに移動した。ここで今晩を過ごし、明朝、出発する。この星の命運をかけた挑戦になるだろう。ラクール艦隊はおそらく全滅。となれば、もう自分たちしかいない。だが、誰一人として気負っているものはいなかった。みんな、自分にできるだけのことをするつもりでいる。ただそれだけのことだ。うまくいって成功したら? ……そのことは後で考えよう。
 たっての希望により、プリシスとセリーヌはアシュトンの両サイドに寝ることになった。ベッドなどは無く、床に毛布を敷いて、その上に転がるだけだ。今ひとつ理由が飲み込めないアシュトンは、どぎまぎしながら、プリシスと並べることを喜んだ。一方、レオンはクロードと寝たがり、レナとの間に挟まれて寝ることになった。
 日は沈み、星が昇って月明かりが射す。
「なあ、レオン」
「なに?」
 声だけが聞こえる。
「本当に、僕たちと一緒に来るか?」
「……なんでそんなこと聞くの?」
「だって、あなたのご両親のことがあるじゃない」
 レナも加わる。
「もし、ここで待っていたければ、そうしてもいいんだぞ」
「……ボク、ジャマなの?」
 至極不安そうな声。一人置いていかれることを恐れている声。
「そうじゃない。ただ、お前の気持ちを……」
「じゃあ、連れてってよ」
 クロードの言葉を遮って、レオンは言った。
「ボク、お兄ちゃんたちと一緒に行きたい」
 クロードは暗闇の中で苦笑した。考えてみると馬鹿なことを聞いたかもしれない。月明かりの中に浮かぶレオンの頭を軽く叩く。
「よし、じゃあ一緒に行こう」
「うん」
 かすかな光に照らされて、レナが微笑んでいるのが見えた。

『イベリア星系第二惑星の調査を開始します』
 天文調査チームからの報告が、ブリッジに響く。それとほぼ同時に、調査結果がオペレーターのディスプレイに送られて来、読み上げられる。
「Lクラスの地球型惑星です。平均気温は摂氏四度。表面の五八パーセントを海洋が占め、大陸のほとんどは岩石質ですが、僅かの植物が見られます。現在のところ動物の存在は確認されていません。……大気の分析が終わりました。呼吸は可能です」
「ダメだ、寒すぎる。この星系には知的生命体はいそうにないな」
 カーツマンはため息を漏らした。第一惑星が暑すぎ、第二惑星が寒すぎでは、他の惑星が生命の進化に適しているとは思えない。だが、調査はまだ始まったばかり。他の星系に期待することにしよう。

 朝早く、クロードたちは集合した。霧がかかり、少し肌寒い。長たち三人が見送りに来てくれていた。昨日とは少し、違う顔。
「気を付けて行って来てください。ご武運を祈っています」
 長の言葉に、クロードたちは頷く。
「必ず勝利の報せを持って、帰ってきます」
 長は微笑んだ。コリナス青年が、懐から何かを取り出して見せた。
「これを持っていってください」
「これは……」
 クロードは、それを凝視した。片手に収まる大きさの、薄い板。表面は不思議な光沢を放つ。幾何学的な紋様が描かれ、端のほうに小さな矢印がついていた。
「私がエルリアから逃げるときに拾ったものです。一種のお守りですね。あなたたちが無事に戻ってこられるように、是非持っていてください」
 クロードはそれを受け取った。紙でも金属でもない。硬いけれど柔軟に曲がる。こんなものを手にするのは久しぶりだった。だが……、この星に落ちているようなものではないはずだ。
「どうかしましたか?」
 クロードが訝しげな目でお守りを見つめていたので、みな不思議そうな顔をしていた。慌てて、現実の世界に戻る。
「いえ、なんでも。ありがとうございます。きっと帰ってきますよ」
 クロードたちは、静かに出発した。明け方は魔物の動きが一番少ない時間だ。今日のうちにエルリアタワーにたどり着くだろう。その後は、未知の塔。中に入れないというが、クロードには見当がついていた。いや、たった今それが分かった。だが、やはり信じ難い。これが本当だとしたら、今エクスペルを脅かしている存在に自分たちが太刀打ちできるだろうか。それに、武器庫にあったあの白い棒。まさかとは思ったが、この『お守り』が本当に役に立つのならば、棒のほうも役に立つだろう。
 クロードは『お守り』を胸のポケットにしまい、ズボンのポケットに入っている白い棒を確認した。これを使ったときの仲間たちの反応を戦慄をもって想像しながら。
 森は開け、草原が広がった。

 イベリア星系最後の惑星の調査が終わりかけていた。半径五三〇キロメートルの砂粒みたいな惑星だ。大気も水も無く、ただの石の塊と言ってもいい。誰も生命体の存在など期待しておらず、予想通り何も無かった。
 ロニキスの背後から、カーツマンは指示を出す。
「よし、この星系を離れよう。パイロット、ローリア星系に向けてコースセット。ワープ八で……」
「お待ちください」
 オペレーターが命令を遮った。
「救難信号を受信しました」
「どこからだ?」
 カーツマンは首を捻った。こんな辺境の星域に先客がいたのだろうか。オペレーターはパネルを操作して位置を特定する。
「同じ星域内の、ここから十七光年離れた……アルクラ星系、第四惑星からです」
「その惑星の情報は?」
「連邦科学本部の事前調査では、Mクラスの地球型惑星で、最近公転軌道に異常が観測されているそうです」
 カーツマンは再び首を傾げた。ロニキスは、席に座ったままぴくりとも動かない。
「どういうことだ?」
「星系内に存在する未知の高エネルギー体の影響によるものと推察されています。詳しいことは分かりません」
 カーツマンは思い出す。それを調査、観測するのが今回の最重要任務だった。
「その救難信号は誰から発信されている? 所属は?」
「これは……、連邦の信号ですね」
「連邦のだと?」
 声が裏返る。この辺りは連邦にとってまったくの未探査領域のはずなのに、一体、誰がいるというのか。連邦の領域から何十光年も離れたところに不時着するような船があるとも思えないが……。
「はい。現在、干渉を除去しているところです……。終わりました。確かに連邦の救難信号です。識別番号一四四九-二三五六-八七三三-一二九二G。詳細、出ます」
 オペレーターの声と同時に、スクリーンに発信者の情報が表示された。繊細な金髪と青い瞳を持つ若き士官の顔とともに。
 ブリッジにいる全員が自分の目と耳を疑った。ロニキスでさえ表情を変えた。
「クロード……!」
 そんなことがあるはずがなかった。クロードは、惑星ミロキニアで消滅したはずなのに。クルーたちが事態を冷静に理解しようと懸命に努めているところへ、怒声にも似た命令が下った。
「パイロット、最大ワープだ! 今すぐアルクラ星系に向かえ!」
 つい今まで人形のようだったロニキス・J・ケニー提督が、今は英雄の名に相応しい生気に溢れていた。鋭い目を真っ直ぐ宇宙に向けて、その先にあるものを見ている。彼のただ一人の息子、クロードを。

 太陽が昇って降り、塔は不気味な橙色の空を背負っていた。目の前の橋を渡ると、エルリアタワーである。
 エクスペルの建造物は、クロードが知る限り全て木造または石造であるはずだった。しかし、この塔は木や石では出来ていなかった。夕陽に照らされて、鈍い金属光沢を放つ。明らかに金属質だが、表面が濡れているようにも感じられた。暗い色であることは分かるが、入り口と思われるこちら側は影になっているので、青っぽいのか緑っぽいのか今ひとつ判然としなかった。
 天を支えるかのように太く高くそびえ、下に立つ者を圧倒するが、存在感だけで、触れ難いもの。扉は閉まっているし客観的には異常無しと見えるが、またしてもこの惑星に存在するはずのないものを目の前にして、クロードは恐怖を禁じえない。自分は、なにか触れてはいけないものに触れようとしているのではないか? そう感じるのは彼だけではなかった。冒険経験豊富なセリーヌやアシュトン、好奇心旺盛なプリシスやレオンでも、この異様な建造物に近寄る勇気を持てずにいた。誰一人、橋を渡ろうとしない。
 不意に、何かが光った。
「きゃっ」
 レナの声だ。
「また、ペンダントが光りだしたわ……!」
 慌ててペンダントを取り出す。まだ光を失わずにいた。よく見ると、ゆっくりと明滅を繰り返しているようだ。まるで心臓の鼓動のように。
「まさか、ソーサリーグローブに反応しているのか……?」
 クロードは塔を見上げた。やはり、答えはこの中にある。クロードは思い切って一歩を踏み出した。両手を握り締め、一歩一歩確かめるように歩いていく。レナたちは一旦顔を見合わせると、お互いの意思を確認してクロードに続いた。
 橋の幅は五メートルほど。塔から、やはり金属製のワイヤーで吊られている。その下は堀になっていて、深さの見当はつかないが、強い風が吹き付けてワイヤーを鳴かせる。吹き飛ばされないように足を進めながら、クロードたちは入り口の前に来た。
「どうやって入るのかしら?」
 確かにドアだ。高さは三メートルくらいだろうか。両側に滑るように開く仕組みになっているようだが、手をかけるところがない。もっとも、たとえ手をかけられたとしても動かせるような重さではないだろう。レナたちが取っ手を探している間、クロードは別のものを求めて視線を動かしていた。ドアの横の壁についた、こぶし大のパネル。その前に立つと、声が聞こえた。
『IDカードを入れてください』
 レナたちは一斉にビクッとなって、クロードのほうを見た。
「何か、言った?」
「今のは、何?」
 目を丸くしながら自分を見つめる仲間たちに、クロードは不自然な微笑みを見せながら、ポケットに手を入れた。エルリア集落のコリナスに貰った『お守り』。壁に開いた幅の狭い穴に、『お守り』を矢印の方向に差し込む。それは途中から自動的に飲み込まれ、やがてパネルの各部が光った。最後にピッと音がして、『お守り』が排出される。それと同時に、入り口のドアが左右に開いた。その大きさからは想像できないほどの速さと小さな音で。
「あ、開いた……?」
 レナたちは呆然として、クロードとドアを見比べた。クロードは当然なされるであろう質問には答えず、『お守り』改め『IDカード』をポケットにしまった。
「さあ、入ろう」

「提督、アルクラ星系に到着しました」
 パイロットは報告する。ロニキスは、その隣に立ってスクリーンを見つめていた。オレンジ色に輝く太陽。
「第四惑星へ向かえ」
「了解!」
 パイロットの声は、少し弾んでいた。やはり、ロニキス提督はこうでなくては。
「オペレーター、センサー範囲内に入り次第、第四惑星の情報を収集してクロードの正確な位置を突き止めろ」
「了解!」
 カルナスのブリッジに、四ヶ月ぶりに活気が戻って来た。カーツマンはそれを心から喜ばしく思った。

 エルリアタワーの内部は、外見とは全く異なっていた。外は無骨な金属質だったのに、中は一見王城のようである。赤い絨毯が敷かれ、階段にも精巧な彫刻が施されている。ただ、壁にはひびが入り、全体的に暗い。それに人の気配の代わりに魔物の気配が漂っていた。見た目と、感じる空気のギャップが、不安をかき立てる。そして、幾多ものガラス像。明らかに人間の像だ。逃げ惑う人、恐怖に震える人、泣き叫ぶ人、憎しみに表情を歪める人……。暗黒の感情の群像。おそらくは、エルリアの住人たちだろう。
「どうして、こんな……」
 じっと見つめていると、自分に助けを求められているような、自分が責められているような気がして、胸が締め付けられた。彼らを救う手段はないかもしれないが、せめてこれ以上犠牲者を出さないようにしなければならない。
 それにしても、これは全てソーサリーグローブのせいなのだろうか?
 考える間もなく、魔物が襲ってきた。咆吼が響き、剣が走って紋章術が飛ぶ。ソーサリーグローブに近いせいだろうか、エルリアタワー内部の魔物は今までとは比べ物にならないほどに頑強だった。エルリア集落で手に入れた新しい武器は、なんとか戦闘での激しい衝撃に耐え、魔物の皮膚を斬り裂いた。
「クロード!」
 レナに呼ばれて振り向くと、トカゲのような恐竜のような四足の魔物がまさに自分に襲いかかろうとしているところだった。素早く振り向き、大きく開かれた口に剣を突き刺す。魔物は苦しげに吼え、同時に碧色の炎を吐き出した。瞬間的に手が熱くなり、クロードは炎を避けようとして剣を離した。
「うわあっ!」
 クロードと魔物は同時に倒れた。
「クロード!」
 顔を強張らせ腕を抱えて倒れるクロードに、仲間たちが駆けつける。レナはすかさず回復呪紋を唱えた。
「フェアリーヒール!」
 ただれた皮膚を淡い緑色の光が覆い、火傷は完治した。クロードの表情が落ち着く。
「ありがとう……」
 レナに礼を言って腕をさすりながら立ち上がると、クロードは魔物の頭に刺さったままの剣を引き抜いた。纏わりついたどす黒い血を振り払い、刀身を見てクロードは首を傾げた。輝きが失われていた。最初に抜いたときは眩いほどに磨かれていたのに、いまは鈍刀なまくらのように光が失われている。
「おかしいな」
「どうしたんだい?」
 アシュトンが覗いてくる。
「これを見てくれよ。刃が……」
 言いながら指先で刃を撫でると、刀身に写っていた自分の顔が、欠けた。
「これは……」
「多分、こいつの血のせいで溶けてしまったんだ」
 倒れた魔物の頭からは墨のような血が流れ、床に敷かれた赤い絨毯が煙を立てて焦げていた。
「マズいですわね。このままだと長くはもたないかも知れませんわ。アシュトンのほうは大丈夫ですの?」
「うん……。ほとんど影響はないみたいだけど」
 アシュトンは自分の二本の剣を眺めた。彼の剣術は速さを特徴としており、かつ紋章剣という特別な剣技である。それゆえに剣へのダメージが少ないのかもしれなかった。
「とにかく先へ進もう。ソーサリーグローブさえ破壊すれば、剣なんて必要なくなるさ」
 仲間たちは頷き、次のフロアへ向かって駆け出した。

「第四惑星の調査を開始しました。Mクラスの惑星で、すでにヒューマノイド型の知的生命体がいます。ある程度のレベルの文明が栄えているようですね。人口は十億人程度。全惑星上に分布しています……」
 オペレーターの報告を聞きながら、ロニキスはスクリーンに映る惑星に見入っていた。太陽の光に照らされて、緑色に輝く。優しい色だ。我が青き地球に勝るものはないと思っていたが、この緑色の惑星は何か不思議な魅力を放っていた。
「自転周期は二十三時間と四十九分。公転周期は約三五三日です」
「ふむ……。地球に似ているな」
「ええ、ですが」
 オペレーターの声は不明瞭になり、みなの注目を集めた。
「公転軌道が異常です。おそらくは高エネルギー体の影響かと思われます」
「高エネルギー体か……」
 ロニキスは、視線をずらす。第四惑星の背後に存在する白い光体。恒星アルクラの半分くらいの大きさで、一見伴星にも見えるが、これは星ではない。正体は、目下調査中である。
「クロードの居場所は分かったか?」
「はい……あと数分で特定できると思いますが、どうやら北の大陸にいるようです」
 高エネルギー体が救難信号を撹乱していて、すぐには正確な位置がつかめなかった。だが、もうすぐ、クロードがいると思われる北の大陸が、エネルギー体の影響を受けない場所に自転してくる。そうしたら……。
「ブリッジより第三転送室。クロード少尉の居場所が分かり次第カルナスに転送する。準備しておいてくれ」
『了解』
「バク中佐、あとは頼む。私は転送室に行っている」
「了解」
 ロニキスはカーツマンに目配せして、二人で転送室に向かった。
 もうすぐ、息子が帰ってくる。

 奇怪な場所に出た。
「ここは、なんだ……?」
 クロードは、息を呑んだ。
 先ほどまでの王宮然とした場所とは違い、全体が宝石のようなガラスのような透き通った石でできていた。水色の床、草色の壁。そして、さらに不可解なことにその外側には何もない。建物の中のはずなのに、延々と真っ暗な空間が続いているだけだ。
「まあ……、きらきらしていてキレイではありますわね」
「でも、なんか変な像があるよう」
 プリシスが指差した壁には、人の身長ほどもある顔の像が埋まっていた。周りを見ると、どの壁にも同じ像がある。
「何かしら」
「周りから見られているようですわね」
 セリーヌは眉をひそめながら像を見返した。
「レナ、ペンダントは光っているかい?」
 ペンダントを取り出し、レナは首を振った。
「ううん、全然光ってないけど……」
「ただの飾りか……」
 そう納得して進もうとしたとき、どこからともなく声が聞こえた。
『……オ……ウ……願い……ます』
 人の声のように思えたが、弱々しくて聞き取れない。みんな、辺りを見回して声の主を探した。
「確か今何か聞こえたような……?」
『こち……ら……カル……ナス……。認識番号……。クロード……ニー少尉……』
 はっとして、クロードは上着の中を覗き、次いで仲間の顔を見た。まだ、気付いてない。
「クロード?」
 レナが覗いてくる。今はごまかすしかない。だが、通信機から漏れ出す声は止めようがなかった。まさか、今ごろになって救難信号が受信されるとは。しかも、カルナスに。クロードは全身で冷や汗をかいた。
『座標確認……。転送十秒前……九……八……』
「なんだって!?」
 驚いて声を張り上げ、仲間の不審をかってしまった。レオンが心配そうに見上げてくる。
「どうしたの?」
「いや……」
 答える声が、震えていた。
『四……三……』
「くそ、まずい! このままじゃ!」
 クロードは、レナたちから離れた。
「クロード?」
 仲間たちの顔がさらに不安げになる。しかし、今はとにかくこうするしかないのだ。
「来ちゃだめだ! みんなも巻き込まれる!」
「何を言ってるの?」
「すぐに、すぐに戻ってくるから!」
 そう言い終えられたかどうか。クロードにとって四ヶ月ぶりの転送が始まった。

 無数の青白い粒子が目の前を飛び交い、次第に数が減って、視界が開けてくる。青く鍍金めっきされた金属でできた部屋。壁には文字が流れ、赤や黄色に光っていた。そして、目の前には古くから知っている顔。
「父……さん、カーツマンさん……」
「クロード、よく帰ったな」
 懐かしい顔。だが、その顔をよく確かめる前に別の顔がいくつも迫ってきた。小型センサーでクロードの身体を調べはじめる。
「大脳皮質は正常に機能、知覚機能も正常、認識機能も正常です」
「骨格に異常は見られません」
「新陳代謝は正常です」
「呼吸器系、消化器系、共に異常なし」
 クロードが戸惑っている間に、医療士官たちが次々と検査をしていく。その様子を父たちが嬉しそうに見ているものだから、自分の要求を言う機会をつかめずにいた。だが、この検査が終わったらすぐに言わなくては。
「予備検査は終了、艦内を歩き回っても他の乗員に影響はありません。あとは医療室で神経組織スキャンを行います」
 ドクターがロニキスに報告し、ロニキスは頷いた。冗談ではない、とクロードは焦った。早く戻ってエクスペルの異変を鎮めなければ。
「ちょっと待って……」
 抗議しようとするクロードを、妙に体格のいい医療士官が捕まえた。
「少尉、下の惑星の様子はまだ詳しく分かっていないのです。精密検査をしてきちんと調べないといけません」
「エクスペルのことなら分かってるさ! 検査なんて必要ない! 今すぐ僕を戻してくれ!」
 クロードの切羽詰った声は、転送室中の人間の注目を集めた。
「エクスペル……?」
「僕が今までいた惑星のことだよ!」
「馬鹿な。そこへ降りていこうというのか? あそこは未開惑星だぞ!」
 ロニキスの顔は先ほどとは全く異なっていた。恐ろしいものを見る目。上官の目。異様な状態に、周りの士官たちがざわつき始める。
「そんなことは関係ない! 僕の友だちが困っているんだ! 早く戻ら……」
「クロード少尉!」
 ロニキスの声がひときわ大きく部屋に響いた。士官たちの私語が止み、クロードは自分を見る父の目を見返した。威圧する目。失望の目。
「貴官の部屋は元のままになっている。医療室での検査が済んだら、部屋に戻っているように」
 ロニキスはそう言い捨てて、転送室を出て行った。重い空気が流れ、クロードは肩を落とした。レナたちを置いて、もう少しで全てが明らかになるというときに、自分は何もできないのか。エクスペルにいるときは、事態を解決できるのは自分たちしかいない、自分たちならできると思っていたのに、今の自分のなんと無力なことか。規則と階級と命令に支配された世界。誰も自分を受け容れてはくれない。
 悔しかった。

 自分の部屋。とくに違和感はなかった。机の上も、壁にかけた絵も、何もかもミロキニアへ降りた四ヶ月前のまま。でも、やはり自分の居場所じゃない。一言発すれば人口の灯りがともることは分かっているが、そんな気分にはなれなかった。惑星エクスペルが反射する仄かな光が、窓から入ってくる。
 クロードはベッドに腰をおろし、枕元の写真立てを取った。連邦の提督服を着た青い髪と髭の男性、連邦の記章がついた白衣を着て微笑む金髪の女性、そして二人の間に士官アカデミーの正装を着た金髪の少年が立っている。アカデミーを卒業したときの写真だ。丁度、古いカルナスが最後の任務を終えて地球に帰還したときだった。一家三人が久しぶりにそろった日。その後、ロニキスは新旧のカルナスの色々な手続きのために地球や軌道上のステーションに滞在していたが、ゆっくり話をするような時間はなかった。たとえ時間があったとしても、積極的に話したいとは思わなかっただろうけど。
 そういえば、母は自分が消えてしまったことを知っているんだろうか? 医療室では聞きそびれたが、もし自分が死亡扱いになっているのならば、母の許に連絡が行っているはずである。既に誰かが連絡したかもしれないが、自分自身で自分が生きていることを伝えたい。
 クロードは、通信パネルに手を触れようとした。それと同時にドアチャイムが鳴る。クロードは深呼吸して、姿勢と服装を正した。
「どうぞ」
 声に反応して、ドアが開く。通路からの光を背景に立っていたのは、父だった。
「父さん……」
「……入っていいか」
 感情を抑えた声でロニキスは言い、クロードは浅く頷いた。ロニキスが入室し、ドアが閉まる。クロードは、どうしていいか分からなかった。
「さっきの……ことだが、下の惑星に友だちがいるとか言ってたな」
 父の顔はほとんど無表情だった。
「そうだけど……、条約違反で捕まえるっていうの?」
「いや、そうではない。ただ聞いてみただけだ。通信機の電波も届かなかったようだし、助けの待ちようがなかったのだから、そこで暮らそうとするのは当然だ。誰もそのことで責めたりはしない」
 話しながら、ロニキスは窓のほうへ歩いていった。緑色の惑星が間近に見える。
「だが、もうお前は連邦士官に戻ったのだ。ここへ戻る前なら下で何をしようが構わなかったが、今はそういうわけにはいかん」
「それはつまり、僕をエクスペルに戻す気はないってこと?」
「そうだ。だが当然だろう?」
 ロニキスは振り向いた。逆光になっていて、表情は読み取れない。
「……もし、僕がエクスペルに永住したいと言っても?」
「なんだと?」
 初めて、ロニキスは感情を声に含ませた。
「僕はエクスペルに戻る。そして、二度と帰ってこない」
 声が震えているのが自分でも分かった。なぜだろう。情けない。
「なにを言っているんだ!」
 ロニキスが大またで迫ってきて、両肩を掴んだ。
「下の惑星は未開惑星だぞ! そんなところへ、お前は全てを捨てて出て行くというのか? 両親も、未来も捨てて!」
 クロードは内側から腕を回して、ロニキスの手を振り解いた。目を、真っ直ぐに見詰める。
「捨てるんじゃない! 未来を掴むために行くんだ!」
 ロニキスは、息子を止めるのが非常に困難であることを悟った。未開惑星保護条約を持ち出しても、家族や、士官としての未来の話をしても、クロードの気持ちは変わらない。
 ロニキスはクロードから離れて、ドアの前に立った。自動的に開いたドアから、光が入る。
「一時間後に上級士官のミーティングがある。お前も私の副官として出席しろ。これからどうするかは、その後で決めてくれ」
 クロードの返事を待たずに、ロニキスは消えていった。ドアが閉まって通路からの灯りも遮られ、また薄暗い部屋に戻った。
 何を言われようとも、ここには残らない。だが、今は何を言おうとも下には降ろしてもらえない。
 こうしている間にも、レナたちは魔物に襲われているかもしれない。そう考えると、クロードは焦りを感じずにはいられなかった。みんなと同じ世界にいられないことが、こんなにも自分を不安にさせようとは。海に落ちて彼らとはぐれたときよりも、なぜか今のほうが心を締め付けられているように感じた。
 しかし、父はこれからどうするかを自分で決めることを許してくれた。きっと、言うことを聞いてもらえるだろう。納得はしてもらえなくても、今はそれで充分だ。

 両親への手紙、親しい友人たちへの手紙を書いてから、クロードは荷物をまとめようとした。だが、それほど持っていくような物もない。大抵は地球の実家に置いてあったから。ただ、写真立てから写真を取り出して、それだけをポケットにしまった。連邦での生活は捨てられても、家族は捨てられなかった。たとえどんな家族だろうとも。
 それから時間が余ったので、クロードはズボンのポケットにしまってあった物を取り出した。握るのに丁度よい太さの白い棒。転送や身体検査のときに引っかからなかったので望みは薄いと感じていたが、念のために調べてみることにした。引出しから小型センサーを取り出して、机の上に置いた白い棒を調べる。表示された数値は、全てある一つの事実を示していた。それはクロードの予想とも一致した。
 クロードは、このことを父に知らせたほうがよいのではないかと考えた。IDカードやシンの使ったシールドのことも。三つのうち二つの証拠は持っているから、説得は簡単だ。あとはカルナスのセンサーで徹底的に調査して、エクスペルを脅かしているものを突き止める。そして、それが他の悪意を持った異星人によるものであれば、破壊してもらえばよい。
「いや、ダメだ」
 それでは、レナたちを裏切ることになる。ここまで一緒に戦ってきたのに、今さら他人の手を借りるわけにはいかないのだ。少なくともクロードの仮説を証明できるまでは、父やカルナスには頼れない。
 クロードは棒を手に取り、操作法をマスターしようと考えた。だが、その時間は与えられなかった。
『緊急事態! 全艦第七緊急体制!』
 上擦った声の通信とともに、赤い警報灯が点滅しはじめた。クロードは棒をポケットにしまい、ブリッジに向かった。

 ブリッジは落ち着いていたが、張りつめた緊張感で満たされていた。全員が、真剣な表情で各々のモニターに視線を落としている。
「重力による異常は調整できました。観測を続行できます」
 オペレーターの報告が飛ぶと、人道主義の科学士官が叫んだ。
「観測なんか後回しですよ! 下の惑星には十億もの人が住んでるんですよ! なんとかして助けなければ!」
「だが、未開惑星には違いない。どんなことがあっても干渉はできないんだぞ」
「しかし……」
 聞いているクロードには、わけが分からなかった。自席の前に立ってスクリーンを見つめる父に、クロードは尋ねた。
「一体、何が?」
 答えたのはパイロットだった。
「第四惑星と高エネルギー体が衝突するんですよ!」
「ど、どういうことです!?」
 ロニキスの顔はスクリーンを凝視したまま黙っていた。しかし、それがクロードを無視しているからではないことは分かった。指揮官としてどうするかを考えているのだ。代わりにカーツマンが説明してくれた。
「急に第四惑星の軌道が変わったんだ。理由は分からんが、衝突すれば惑星のほうは木っ端微塵だ。まず打つ手はない」
「そんな! そんな話聞いてませんよ!」
 騙されたのかと思った。衝突のことを知っていたのに、エクスペルで暮らしていた自分には故意に隠していたのだと。
「軌道は急に変わったんだ。確かに最近軌道がずれてはいたが、衝突するはずではなかったんだ」
 カーツマンは、クロードを落ち着けようと必死になっていた。それは、急な異変に動揺するブリッジの士官たちをも落ち着かせる効果を持っていた。だが、完全に冷静にはなれない。下には、かけがえのない仲間たちがいる。しかも、彼らはこのことを知らない。
「父さん、今すぐ、僕をエクスペルに戻して。友たちを助けないと」
 クロードの言葉にロニキスは眉をぴくりと動かし、カーツマンは大声をあげた。
「正気か? 聞いていただろう。第四惑星はもうすぐこの宇宙から消滅してしまうんだぞ!」
「衝突まで、あと七十五分です」
 ロニキスは目を伏せて、首を横に振った。
「ダメだ、クロード。お前を転送することはできない……」
「それじゃあ、なんとかエクスペルの軌道を元に戻すことは……」
「もはや衝突を避けることは不可能だ。諦めろ」
 ロニキスは、もう一度首を横に振った。そして、スクリーンに視線を戻す。クロードは愕然と肩を落とし、ブリッジは静まり返った。これまでクロードを悪く言ってきた連中も、本当のところはクロード本人が憎かったわけではない。一緒に働いていたから分かるが、クロードに関する悪い噂はやはりただの噂だった。しかし、今まで散々に言ってきた自分の過ちを認めたくなくて、若い彼に実力で追い越される可能性を否定したくて、同僚から疎外されるのを恐れて、真実から目を逸らしてきていただけだった。いま、目の前で友人を失おうとしている少年を見て、同情は必然だった。今さらどうして陰口を言う必要があるだろう。それこそ大人気ないというものだ。
「……せめて別れの言葉くらいは言わせてよ。ずっと一緒に戦ってきた仲間なんだ。それくらいなら……」
 握り締めた手を震わせながら、クロードは言った。ロニキスは、諦めが悪い奴だとでも言わんばかりの顔でクロードを睨みつけたが、次の言葉が提督の心を動かした。
「父さんだって昔、大切な仲間たちと戦ったって言ってたじゃないか! 分かるだろう?」
 ロニキスは目を閉じ、眉間にしわを寄せて考えた末、一つため息をついてから言った。
「それでお前が納得できるというのなら……」
「接近スピードに変化。衝突まであと七十分です」
「よし、転送室へ急ぐぞ」
 クロードは頷いた。

「五分後の再転送でここに戻すから、そのときは必ず一人になっているんだぞ」
「分かったよ……」
 頷きながら、転送台に乗る。姿勢を正して、転送を待つ。それを見て、ロニキスは微笑んだ。
「しばらく見ないうちに、逞しくなったな……」
「そうかな……」
 少しだけ、心に傷ができてしまった。でも、聞けてよかったのかもしれない。できれば今謝りたいけれど、できなかった。言いたいことは手紙に託したのだから、今はそれでいい。この先会うことは決してないだろうけど。
 照れながら頭をかく息子を見て、ロニキスは笑った。そして、すぐに顔を引き締める。
「時間がない、転送するぞ」
 転送担当士官に目で合図し、ロニキスは転送台から離れた。
 クロードは、ふと気づいた。
 ──そうだ、謝る以外にも言うことはあるじゃないか。
「父さん、ありがとう……」
 精一杯の気持ちを込めて言い、クロードはエクスペルへと転送された。
 彼の居場所は、そこにあるのだ。

10

 無数の青白い粒子が目の前を飛び交い、次第に数が減って、視界が開けてくる。最初に目に入ったのは、走ってくるレナの姿だった。青黝あおぐろい髪に三日月型の髪飾り。飛び込んでくる彼女を、しっかりと受け止めた。
「どうして一人で勝手に行っちゃうのよ! いつもいつも、人の気持ちも知らないで!」
「ごめん、本当に……」
 クロードは自分の胸に引き寄せて、レナの存在を確かめた。自分の居場所。視線を上げると、レナの後ろで、仲間たちがそれぞれの表現で帰還を歓迎してくれていた。だが、ここに長居はできない。
 レナの耳元で、ささやいた。
「……早くここを離れよう」
「え?」
 レナが濡れた顔で見上げる。
「説明している暇はないんだ。とにかくここを離れよう」
「……分かったわ」
 レナはクロードから離れ、アシュトンたちのほうに駆け出した。その姿を見ながら、クロードは彼らに背を向けて、通信機を取り出した。転送装置は通信機からの信号をたどって位置を特定する。だから、これを手放せばクロード自身の転送はできなくなる。艦からクロードの生命反応を探査する方法もあるが、それには時間がかかるだろう。それまでに、ことを終わらせたい。
 クロードは通信機を床において、レナの後を追った。ふと見ると、レナがこちらを向いて待っていた。通信機と、クロードを見比べている。
「クロード、あれは……」
 心配そうに言うレナに、クロードは微笑んだ。
「ああ、あれね。あれはもう必要ないものなんだ」
 すると、レナも微笑んで、手を差し出した。
「おかえり、クロード」
 その手を握る。温かい。
「ただいま、レナ」
 二人は、そのまま駆け出した。

「五分経ったな……」
 カーツマンが時計を見て言った。
「よし、再転送開始!」
 ロニキスは命令し、転送台に駆け寄った。天井から床に向かって三角形の黄色い光の輪が無数に落ち、最後に強い光を放って転送は終了した。
 だが、転送台には誰もいなかった。ただ、小さな箱が転がっているだけ。
「なぜだ!」
 ロニキスは転送台に上がって通信機を手に取った。転送担当士官がうわずった声で告げる。
「提督、転送目標地点には誰もいません!」
「なにっ……?」
 そう言った途端、ロニキスは一瞬で理解した。クロードは、初めからこうするつもりだったのだ、と。
「今すぐ保安部員を降下させろ! 無理矢理にでも連れ戻せ!」
「ですが、エネルギー体との衝突まであと六十分しかありませんが……」
 無茶な命令に、士官は戸惑った。
「ギリギリまで探すんだ! 衝突するまで、まだ時間はあるだろう!」
 士官はほとんど怯えてしまい、カーツマンに助けを求めた。カーツマンは、ロニキスの腕を掴んだ。
「落ち着くんだ。たしかに、衝突するまでの時間は六十分もあるかもしれん。だが、それよりも早く、高エネルギー体の重力に引かれて惑星が崩壊する。まして、あそこまでエネルギー体に近づいているんだ。宇宙線の量は相当なものになる。お前一人のわがままのために、部下の命まで危険にさらすつもりか?」
 ロニキスははじめ、困惑した顔でカーツマンを見つめ、次第に冷静さを取り戻した──ようにカーツマンには見えた。
「見苦しいところを見せて、すまなかったな……」
 表情を隠しながら、ロニキスは転送室を出て行った。

 魔物を倒し、先を急ぎながら、クロードは父親のことを考えた。多分、怒ってはいないだろう。息子の行動を見抜けなかった自分を恥じているに違いない。息子に見限られた自分に絶望しているかもしれない。
 でも、父さん、そんな風に思わないで。これは僕が選んだ道だから。どっちがいいとか、どっちが悪いとかじゃなくて、ここが自分の居場所だと思うから。

11

 夢中だった。
 トカゲの化け物のようなコールドリザードの左前足を斬り、横っ腹に剣を突き刺す。毒々しい色の血が溢れ、うめき声が上がる。刺さったままの剣を両手で力一杯ひねると、拡大した傷口からさらに体液が噴き出した。化け物の身体の反対側ではアシュトンが二本の剣で全く同じことをしており、巨体は苦しげな細い声を残して倒れた。動いていないものに用はない。すかさず次の敵を求めて視線を走らせると、柱の陰に隠れて呪紋を詠唱しているエルダーマギウスを見つけた。だが、今から近づいても間に合わない。クロードは狙いを定め、剣を頭上から一気に振り下ろした。
「空破斬!」
 透明な水色の床から衝撃波が噴き出し、エルダーマギウスに向かって一直線に進む。敵が気付いて逃げようとしたときには、すでに衝撃波が到達していた。小さな紋章使いは吹き飛ばされて壁に叩きつけられると、背中から血を流して動かなくなった。しかし、その様子をクロードは見ていなかった。背後に気配を感じ、剣を盾にして振り返る。それと同時に鋭い爪が振り下ろされて、剣との間に高い音を立てた。牛の顔をしたゴリラのような魔物ゴウトヘッドは、クロードを力で押しまくった。先手を取られたクロードは不覚にも膝を崩してしまった。そこへゴウトヘッドのもう一方の腕が振りオロされようとした。
「ブラックセイバー!」
 レオンの声とともに黒い衝撃波が飛んできて、振り上げられた腕の肘から先をどこかへ吹き飛ばした。突然のことに我を失ったゴウトヘッドの心臓に、クロードは剣を突き立てた。二重の驚きに顔を歪ませて、ゴウトヘッドは命を失った。その背後でレオンはVサインをしてにこりと笑い、すぐにプリシスの援護のために駆けていった。
「クロード、伏せて!」
 左手からアシュトンの声が上がり、振り向くとギョロとウルルンが口を開いていた。クロードは一瞬で判断して、身を伏せた。次の瞬間、背中の上を灼熱の炎と凍てつく吹雪が通り過ぎ、クロードの右手にいた何かが灰と氷の粒になって消え去った。
「あ~ん! 誰かっ! へるぷみ~だよ~!」
 起き上がって声のするほうを見ると、プリシスとレオンが魔物の大群を相手にしていた。通路の奥から、甲冑と分厚い盾で身を守るディフェンダーがやってきていたのだ。プリシスのどんな攻撃にも、敵は堪えない。盾の真ん中に空いた穴からランスを突き出して攻撃してくるばかり。一方でレオンの紋章術は利いていたが、すぐに次の敵が湧き出てくるので簡単な呪紋しか唱えられない。
「セリーヌお姉ちゃんっ、レナお姉ちゃんっ!」
 詠唱の合間にそれだけを叫んで、レオンは救援を求めた。
「レナ、例のアレ、やりますわよ!」
 目の前の雑魚ザコを倒しながら言うセリーヌに、レナは頷いた。目を瞑り、顔の前で指を立てて呪紋を唱える。セリーヌの内股の紋章が、レナの身体が淡く輝き、二人は同時に呪紋を唱えた。
「ライトクロス!」
「ルナライト!」
 ディフェンダーたちの頭上に無数の小さな光球が発生して太陽のように強い光を発し、そのさらに上には黄金に輝く月が現れて凝縮され固形化した光が降り注いだ。その二つの光が合わさったとき、辺りが何も見えなくなるほどに戦場は強烈な光に支配された。そしてクロードがようやく目を開けると、数え切れないほどいたはずのディフェンダーたちは一体の屍骸も残さずに消え去っていた。
 レナとセリーヌは手と手を合わせて打ち鳴らし、成功を祝った。
「ふぅ~、助かったあ」
 プリシスは床にペタンと座り込み、額の汗を拭いた。
「ここは片付いたな」
 クロードは辺りを見回した。倒れた魔物と、血の池と、透明な床と壁と真っ暗な空間。何もないからには次のフロアへ進むだけ。クロードは、ディフェンダーで溢れていた通路を剣で指し示した。剣の輝きがさらに鈍くなっていることに気付き、一瞬声が詰まる。
「……よし、行こう!」
 仲間たちは頷き、通路に向かって駆け出した。

 夢中だった。
 敵意剥き出しで向かってくるものを突破し、執拗に追いすがるものを根絶する。敵を斬って血がほとばしり、傷つけられて痛みが走る。閃光と電撃と炎と氷。
 様々なエネルギーが飛び交う中で、クロードは必死に戦っていた。今までにないくらいに、調子が良かった。以前なら当たらなかったような攻撃が、確実に命中する。以前なら避けられなかった攻撃が、難なくかわせる。自分と剣が一体になったような感覚。戦いの中にいることが嬉しかった。仲間たちと一緒に、共通の目的のために命を賭けていること。
 振り返りはしない。僕は、僕の選んだ道を行く。
 塔を上へ上へと昇っていく度に、魔物の数は増していった。きっと、ソーサリーグローブに近いせいだろう。
 レオンがシャドウフレアで暗黒の炎を呼ぶ。プリシスがターボザックのハンマーとパンチを振り回す。アシュトンの双刀の剣は疾風のごとく。セリーヌのサンダーストームは嵐のごとく。レナは回復呪紋で仲間を助け、合間に光の呪紋を放つ。そして、クロードが最後の一体を斬り捨てたとき、その先の通路に悠然と身を置く者があった。
 妖しげに光る紫色の皮膚、黒い縦長の頭、耳は長く伸び、自分の身長ほどもある翼を広げて宙に浮いていた。
 シンだ。ラクール前線基地を襲い、ラクール艦隊を襲って多くの人を死に至らしめた魔物軍の首領。
「お前は……!」
 クロードたちが緊張のうちに武器を構えると、シンは口の端を吊り上げて翼を一振りし、通路から出てきた。
「ふ……、まさか海に落ちて生きているとはな。運のいい奴らだ」
「ラクールのみんなの仇だ! 覚悟しろ!」
「それはどうかな? ここから先には行かせぬぞ! この塔が貴様たちの墓標となるのだ!」
 シンは長い腕を広げ、勢いよく閉じて胸の前でクロスさせた。一瞬、シンの周囲が球状に光ったような気がしたが、確認するまでもなく、攻撃が開始された。
 シンは天井すれすれのところまで舞い上がると、右手を振り下ろした。空気の塊が落下して床の上でぜた。それを難なくかわして、ギョロとウルルンが炎と吹雪を吐く。同時にセリーヌたちが呪紋の詠唱を始めた。熱くて冷たい息の攻撃を、シンは翼で風を起こして跳ね返す。ギョロとウルルンは互いの首を交差させて、戻って来た冷気に炎を、戻って来た炎に冷気を吹き付けて相殺した。
「衝裂破!」
 振り下ろしたクロードの剣から半月形の衝撃波が発生し、シンに飛んでいく。
「えーいっ!」
 プリシスは無人くんをアームで掴み、思い切り投げつけた。
「グラビティプレス!」
 詠唱を終えたレナの呪紋で、天井から無数の巨大な分銅が落下する。
 アシュトンは剣を持った両手を広げ、体を回転させながらジャンプした。
「ハリケーンスラッシュ!」
 回転する身体から空気の渦が生まれ、竜巻を作ってシンに突進していく。
「イラプション!」
「シャドウフレア!」
 セリーヌ得意の炎の呪紋がシンの周りを覆うように発生し、レオンの闇の炎が降り注いだ。
 爆煙で姿は見えないものの、確実にシンのいた空間で技が炸裂していった。これだけの攻撃を喰らって無傷ではいられまい。ダメージを受けて、床に落ちてくるはず。クロードは、そう確信した。
 だが、シンには何の動きもなかった。そしてようやく姿が見えかけてきたとき、笑い声が響いた。
「ふはははははっ!!! それでおしまいか!!? 突っ立ているだけならこちらから行くぞ!!!!」
 煙の中から急降下してきたシンは、全く傷を負っていなかった。その様子に目を丸くするプリシスに、体当たりを喰らわせる。
「……!」
 プリシスは何が起こったのか分からないまま、壁に突き飛ばされた。
「プリシス!」
「ほうれっ、さっきの礼だ!」
 再び舞い上がったシンは、無人くんを勢いよく投げつけた。腹部に命中したそれを反射的に抱きかかえると、プリシスは悶絶して床に倒れた。
「貴様ぁ!」
 いち早くアシュトンが剣を構えなおした。
「ふははははっ!!!! 悔しいか!! だったらどうする!!!!」
 アシュトンは鋭い眼差しで両の剣を顔の前でクロスさせた。交わった部分にかすかな紋章力が起きる。
「リーフスラッシュ!!」
 足元から木の葉の舞うような風が発してアシュトンを包み込むと、彼は瞬時にして宙に浮くシンの背後に現れた。だが、その刹那、アシュトンは頭を鷲掴みにされたのだ。アシュトンは身の毛がよだつのを感じた。
「なっ……!」
「アシュトン!」
 目の前には、シンの背中ではなく、妖しげな紫色の顔があった。
「こんな小細工が見抜けぬ俺だとでも思ったか!!」
 シンはアシュトンを掴んだ腕を振り上げ、思いきり振り下ろした。十メートル以上の高さを高速で落下したアシュトンは、そのまま動かなくなった。アシュトンの持っていた剣が床の上で跳ね、セリーヌの足をかすめた。
「セリーヌさん!!」
 すぐそばにいたレナが、苦痛に顔を歪ませるセリーヌに呪紋をかけようとする。
「他人の心配なぞしてるヒマはないぞ!!!! フェーン!!」
 シンがいた通路から突然激しい熱風が押し寄せた。アシュトンとプリシスは舞い上げられ、クロードとレオン、レナとセリーヌは互いに支えあって堪えた。だが、荒れ狂う熱が身体を焼き、力を失わせた。風は止むことなく続き、次第に強さを増していった。レナは回復呪紋をかけながらセリーヌを庇った。クロードは、レオンを風下にする。アシュトンとプリシスがどこへ行ったのかは、もう分からない。身動きも出来ない状態で、必死に頭を回転させ、レオンは作戦を思いついた。クロードを見上げる。
(お……お兄ちゃん。ボクが、……呪紋であいつを落とすから……そのスキに)
(まさか……、こんな状況で……できるのか……?)
 口の中が乾いてしまったので、レオンはにっこりと笑うことで答えた。そして白衣の内ポケットから羽根ペンを取り出すと、それで左の手の甲を引っかいた。痛みに一瞬顔が歪み、手が止まる。下唇を噛んで堪えながら、レオンは手の甲に紋様を掘り込んでいった。
「ふははははは!!!! どうした、もうかかってこないのか!!? それとも、もうあの世へ逝って、聞いてはいないか!!!」
 嵐の中から聞こえてくる声を意識の外へ追いやって、レオンは口の中で詠唱を始めた。そして、詠唱が終わると同時に左手を天にかざした。
「ディープフリーズ!!!!」
 手の甲に刻まれた紋章が緑色に光ると、突然シンの吼えるような叫び声が聞こえた。
「グワアァァァァァ!?」
 熱風が止み、続いてズシャンと重い音がした。クロードが振り返ると、巨大な氷塊の中にシンが埋まっていた。だが、息絶えたわけではない。すでに内部から徐々に解けはじめている。
「早く!」
 レオンの声に押されて、クロードはシンに向かって走り出した。氷は、みるみる解けていく。再び宙に舞い上がられる前に、一撃を浴びせなければ。
 シンとの距離が縮まり、クロードは剣を振り上げた。それを振り下ろすのと、氷が解けきるのが同時だった。
「グワアァッ!?」
 中空に飛び出そうとしたシンは、その勢いが災いして、右の翼を切断された。紫色の血が噴き出し、前に突っ伏す。クロードは素早く振り返って、もう一度剣を振る。シンは横に転がってそれをかわし、立ち上がった。顔は怒りに満ち、先ほどまでの余裕は消えていた。
「さあっ、来いっ!!! 小僧っ!!!!」
 両手を広げ、シンは叫んだ。クロードは、その異様な様子に違和感を感じながらも、剣を振り上げて襲い掛かった。シンは妖しげな笑いを浮かべ、両腕を胸の前でクロスさせて防御の姿勢に入る。その瞬間、クロードの剣は振り下ろされた。
 鈍い音がして、気付くと剣は握りの部分しか残っていなかった。背後で刀身がカランカランと音を立てて転がった。頬に痛みを感じる。
「なっ……!」
 視線をシンに移す。
「うわあぁっ!」
 顔面を殴られ、クロードは後ろに吹き飛んだ。顔を抑えながら立ち上がる。鼻の中で血の匂いがした。指の間からシンを見る。淡い光の球体がシンを包んでいた。ときおり部分的にきらめくのは、おそらく翼を切り取られたせいだ。
 あれはやはり……?
 クロードは、手に残った剣の握りに視線を落とした。
「クロード! 下がって!」
 セリーヌが叫ぶ。杖の先には、稲妻が湧いていた。
「だめだ、セリーヌさん! 無茶だ!」
「サンダーストーム!」
 振り下ろされた杖の先から電撃が走り、シンの周りを包み込んだ。だが、シン自身にはダメージを与えていなかった。光の壁の中でシンの口元が妖しく歪むのを、クロードは見た。
「セリーヌさん! 危ない!」
 言うか言わないかのうちに、シンは床を蹴って高速でセリーヌの元へ飛び、右の拳を繰り出した。
「きゃあぁぁっ!」
「セリーヌお姉ちゃん!」
 駆け寄ろうとしたレオンは、裏拳で弾き飛ばされた。
「うわあぁっ!」
 顔中に怒りをみなぎらせたシンはゆらりとレナのほうを向いた。レナは怯えて後ずさりしたが、足が震えてうまく動かない。
 シンが一歩踏み出した。
「待て!」
 クロードの制止など聞かず、シンはじわじわとレナににじり寄った。一歩ごとに光の壁がちらつく。
 もう、迷っている時間はなかった。クロードは、ポケットからそれを取り出す。
 レナはついに足をもつれさせ、しりもちをついた。それでも、身体を引きずって逃げようとする。
 シンの足が床を蹴った。右拳を握りしめ、レナに向かって一直線に跳躍した。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」

 次にレナが目にしたのは、白目をむいてうつ伏せに横たわるシンと、その背中の上で剣を突き立てているクロードの姿だった。折れた剣が甦った……のではない。それは、光り輝く剣。光の剣だった。ヴゥゥゥゥンと低い音を発している。
「ク……クロード?」
 おそるおそる、口を開く。なぜなら、クロードの時間が止まっているように感じたから。魔物の首領に最後の一撃を与えて力尽きる勇者の絵。アーリアの村長の家で何度も見た絵と、全く同じ光景だったのだ。
「……クロード」
 立ち上がって、顔を覗き込む。疲れきったような表情で、シンの背中に視線を落としていた。
「クロード!」
 肩を持って揺する。クロードの身体がぴくっと動いた。ゆっくりと、顔が上がる。
「……レナ」
「大丈夫?」
 クロードの見たレナは、心配そうに眉をひそめていた。自分が何をしていたのか、思い出すのに時間がかかった。
「……ああ、うん。それより、みんなを助けないと」
「え……、ええ、そうね」
 クロードはシンから剣を抜くと、握りの突起を操作した。光が消えて、ただの白い棒になる。それをポケットにしまうと、クロードは柱の下に倒れているプリシスを見つけ、駆け出そうとした。
「クロード、それ……」
 指を指しながらレナが言う。
「うん……、後で説明するよ」
 頭をかくと、クロードはプリシスのほうに走っていった。

 仲間たちが並んで治療を受けている間に、クロードは手の中にある白い棒を見た。
 『フォースソード』……。フェイズガンの応用で、強力な磁場を刃の形に張ることで光の剣を作る。敵味方入り混じっての白兵戦などで主に使われるものだ。これは連邦仕様のものとは違うが、原理は同じだろう。こんなものが転がっているということは、ソーサリーグローブにはやはり何らかの高度な知的生命体が関与しているに違いない。シンの張っていたシールドも、ラクールホープを防いだときに感じたとおり、宇宙船に使われている防御シールドと同じ性質のものだった。片翼を失ったために不安定になり、フォースソードで貫くことが出来た。しかし、生命体があのようなシールドを張るというのは一体どういうことなのだろうか……。
「それで……、光の剣であの魔物を倒したということですけれど……」
 セリーヌが、話を切り出した。クロードは頷いて、フォースソードを動作させる。ヴンという音とともに光の刀身が現れた。
「これが……光の剣? レナが言ってた?」
 まじまじと見つめるプリシスに、クロードは苦笑した。あれはソードじゃない。ガンだ。
「いや、それとはまた別物だよ」
「でも……こんなもの初めて見ましたわ。紋章術とは違うようですけども……?」
 そう言って、クロードの顔を覗き込む。
「うん、なんていうか……。僕のいた世界にもあるんだ」
「クロードの世界?」
 アシュトンが首を傾げる。
「うん……うまく言えないけど、その……」
 ちゃんと言おうと思ったのに、やっぱり言えなかった。なぜだろう。
「今はこれだけじゃダメかな……。この戦いが終わったら、全部話す。だから……」
 困って頭をかくクロードを見て、レナは言った。
「私は、クロードを信じてる」
 その言葉に、セリーヌたちは顔を見合わせた。
「ま、いいですわ。その代わり、今の約束はちゃんと守っていただきますわよ」
 クロードは、頷いた。

12

 その部屋に入った瞬間、クロードは全身から冷や汗が出るのを感じた。
 冷たい空気。その中に生暖かい気流が交じって、肌に気味の悪い感触を与える。床は巨大な岩で敷き詰められていた。よく磨かれているとはいえない。滑らかだが、軽石のように小さな穴が無数に空いている。天井からは、木の根のような物体が降りてきていて、不気味な雰囲気を醸し出していた。奥に比較的大きな明かりが見えるが、周囲は暗かった。聴力の限界を試すかのような低い振動音だけが聞こえてくる。足元を確かめながら、一歩一歩奥へと進む。
 クロードは、レオンを見下ろした。耳をぴんと立てて、両手を握り締めている。プリシスは、よろめきながらも半分変形した無人くんを抱きしめていた。アシュトンは剣を抜いて二匹の龍とともに辺りを警戒している。セリーヌは杖を強く握って、目を光らせている。レナは、胸の前で両手を握り合わせていた。
 ぼうっと緑色の光を放つ丸いものに近づいてく。どこかで見た光だ。床が、それに向かって少しだけ傾斜しているようだった。
「ここは……」
「ねえ……、もしかしてあれって、ソーサリー……」
 レナが指差したとき、彼女の胸元が眩い光を放った。それと同時に、目の前の球体も強く輝く。
「きゃっ……!」
「レナっ!」
 クロードが彼女に手を伸ばそうとしたとき、奥の光のほうから声が聞こえた。
「動クナ……ソコデ、止マレ」
 やや人間離れした声質。ようやく慣れてきた目を凝らすと、長身の人間のような形の者が立っていた。ソーサリーグローブらしき物体の光でシルエットしか見えないが、他にも何人かいるようだ。
「なぜこの女がクォドラティック・キーを持っているのだ? 我々が核を作り結晶化させたキーは、一つだけのはずだが?」
 威厳のある男の声。その正体を知ろうとして、レナは一歩踏み出した。
「誰!」
 その瞬間、最初の長身の男の額に光が走るのを、クロードは見た。
「危ない!」
 床を蹴って、レナに飛びかかる。そのまま二人は床に倒れたが、その途中、クロードは左肩に灼熱感が走るのを感じた。
「クロード!」
「レナ!」
 アシュトンたちが駆け寄ろうとすると、その足元に光の線が飛んで床が炸裂した。クロードがやられたのと同じ光だ。
「くっ……」
 クロードは肩を押さえた。血は出ていないが、肩を貫通している。間違いなく、何らかのビーム兵器だ。紋章術なら血が噴き出す。あるいは、紋章科学……? ありえなくはない。シンの張っていたシールド、この塔、IDカード、公転軌道のずれ、そして光の剣。
「動クナ、ト言ッタハズダ。我々ノ言葉ガ理解デキナイワケデハアルマイ」
 クロードは立ち上がった。めまいがする。何もないはずなのに、肩に何か太いものが突き刺さっているような感じがする。筋肉が強張って体を締め付けるようだ。クロードの下になっていたレナも起き上がって、すかさず回復呪紋をかけた。両手から淡い緑色の光が生じて、クロードの肩へと注がれる。
 傷口は塞がっていき、痛みもひいてきた。今ではもう、すっかりお馴染みの力。だが、それに驚く者たちがいた。
「治癒の力だと? ……テメエ、ネーデ人か!」
 がさつな男の声。クロードは、その言葉で何かに気付いた。だが、何なのかはよく分からない。
 レナは、不審そうに首を傾げる。
「……ネーデ、ジン?」
「お前たちは何者だ!」
 レナを庇うように、立ちはだかる。
「やれやれ。本当に、野蛮ですねえ、未開惑星の人間は。すぐにそうやって声を張り上げる」
 馬鹿にしたような笑いは、子供の声だった。対照的な老人の声が続く。
「いや……わしが見たところ、この少年はエクスペルの人間ではないぞ。おそらくは、地球人とかいうやつじゃろう」
「ああ、あの連邦とか言う? それは失礼を……。ですが、なぜ地球人がこんなところに?」
「そんなことは知らん」
「なにを言ってるの?」
 理解できないことが不安を駆り立て、レオンは声を張り上げた。
「チキュウジン……? レンポウ……? ……クロード?」
 不安げな表情で自分を見上げるレナに、クロードは答えることが出来ない。腕が震えていた。目の前の連中が恐るべき相手だということを、彼は感じていた。
「ふむ……分かるはずもないか。ならば教えてやろう」
 老人の声は、前方に移動してきた。ぼんやりと姿が見える。他のものよりは背が低く、服は緑色を基調としたローブのようなもの。他は、よく見えない。右手が上がり、クロードを指す。
「その少年はエクスペル人ではない。別の星の人間だということじゃ」
「別の……星の人間?」
 背後から、セリーヌたちの視線が集まるのを感じる。クロードは、身体の中が熱くなるのを感じた。全身の汗腺から冷や汗がにじみ出る。老人は、両手を後ろ手に組んだ。
「そうじゃ。お前たちがただの光と思っている星々には、様々な生物が住んでおる。それは地球しかりエクスペルしかりじゃ。しかし、大したことではあるまい? お主とて、我々と同じ……ネーデ人なのだからな」
 今度は、レナに視線が集まった。
「ワタシ……、あなたたちと同じ、ネーデ……ジン?」
 レナの口調は感情を欠いていた。精神が混乱しているのだ。目の焦点は合っていなかった。
「レナ、こいつらの言うことは聞くな!」
 連中を背にしてレナを抱き、彼女の視界を遮る。だが、レナは棒のように突っ立ったままだった。おかしい、と思う。理解できないことを聞かされたはずなのに、完全に奴らの言うことに惑わされている。クロードはセリーヌに目配せしてレナを任せると、謎の連中に体を向けた。もう動いても文句は言わないらしい。
「……お前たちの目的は何だ! エルリアを滅ぼしたのもお前たちか?」
「我々の目的など、お前が知る必要はない」
 また別の声がする。
「なにっ?」
「それに、もうオセエんだよ。既にこの星は、ネーデとの衝突コースに入っちまってる。目的を知ったところで、オメエらにはどうにもできねぇ」
「なんだって!」
 エクスペルの軌道をずらしていたのはこの連中なのか。
「衝……突?」
「なんの話ですの!」
 話からすると、ネーデとかいうのはおそらくカルナスで見た高エネルギー体のことだろうが、衝突すればエクスペルは消滅してしまうはず。一体……、
「どうしてそんなことを! この星の破滅が目的なのか?」
 奴らの間に、低い笑い声が響いた。その中から、一際高い声が聞こえてくる。
「クク……ハハ……ハーッハッハッ!」
 若い男の声だ。美しいと言わざるを得ない音楽的な声。だが、氷のように冷たい。
「何がおかしい!」
「クククッ……下等生物らしい、浅はかな考えだと思ってな。こんな未開の星一つ破滅させてなんになる。これは、我等がネーデに戻るための手段の一つにすぎん。全ては我々が力を取り戻し、銀河宇宙を我が物にするための布石でしかないのだ」
「銀河征服だって?」
「そうだ。貴様らのような虫けらには分からんだろうがな」
 高らかな声が響き終えたとき、突然、辺りが揺れ始めた。レナが、セリーヌの腕の中でようやく我に返る。
「なっ……?」
「地震……?」
 疑問に答えたのは、新たな声だった。
「そろそろ時間だ。間もなくこの星は、ネーデと衝突する」
 無感情な声。
「なぜだ? なぜ、お前たちはこの星を選んだ!」
「この星が最もネーデの周回軌道に接近する惑星だった。それだけだ」
「クォドラティック・スフィア……、お主たちの世界でソーサリーグローブと呼ばれておるものじゃが。これを使って、惑星の軌道をずらしたのじゃよ。ネーデと衝突させるためにのう」
 老人が背後の球体を指していった。やはり、あれがソーサリーグローブなのか。それは、澄んだ青色をしていながら淡い緑色の光を放ち、ゆっくりと回転していた。
「しかし、まさかここにクォドラティック・キーがもう一つあるとは思わなかった」
「あなたたちがさっきから言っているクォドラティック・キーって一体何なの!」
「君たちが『エナジーストーン』って呼んでいる紋章石を結晶化した物だよ。君も首から下げてるじゃないか」
 子供のような声に、レナははっとしてペンダントを手に取った。
「これが、このペンダントが? でも、どうして……」
 ペンダントは仄かに緑色の光を帯びていた。
「ネーデ人である貴様が持っていても不思議ではあるまい。クォドラティック・キーを作ることができるのは、我々ネーデ人だけなのだからな」
「もういいだろう。どうせお前たちは、ここで死んじまうんだ」
「そうはさせない! お前たちを倒して、この馬鹿げた行いを止めてみせる!」
 仲間たちの意気が高まるのを感じた。
「残念だが、我々を倒しても、もはやエクスペルの軌道は変わらない」
「そんなの、やってみなければ分からないさ!」
「バカなやつだ……おい、少し相手をしてやれ」
 奥のほうで音楽的な声の主があごをしゃくるのが見え、前のほうに並んでいた三人が進み出てきた。
「ドウシテモ、死ニタイヨウダナ」
「苦しまないように殺してやるのが、せめてもの情けか……」
「ここは私に任せてもらおうか。このような輩は、私一人で充分だ」
 銀色の鎧を身にまとった男が言うと、他の二人は後ろへ下がった。鎧の男が、さらに進み出る。鉄仮面をつけ、右手には巨大な盾。左手に赤い筋の入った剣を持ち、腕全体を鋼色の板で覆っていた。
「我が名は十賢者が一人メタトロン。我と相見えることを誇りに思うがいい!」
 そう名乗ると、男は重厚そうな装いにもかかわらず、猛スピードで駆け寄ってきた。手にした厚みのある剣を、勢いよく振り下ろす。その先にいた者のうち、クロードとレナ、アシュトンは何とか跳躍してかわしたが、レオンは逃げ遅れた。後ろにいたために直撃は喰らわなかったものの、斬撃に伴って発生した衝撃波に吹き飛ばされた。宙を高く舞い、はるか後方へ落下する。
「レナッ、頼む!」
 レオンを託し、クロードはフォースソードを取り出した。スイッチを押し、光の刀身を出す。
「ほう……そんなものを持っていたのか。ならばシンが敗れたのも頷ける。だが、私には通じぬぞ!」
 クロードは構わず剣を叩きつけた。メタトロンは、それを左腕に固定された巨大な盾で防御する。盾には傷一つつかず、クロードは盾に押し返された。
 クロードの代わりにアシュトンが立ち向かい、プリシスが後ろから襲い掛かる。だが、メタトロンは今度は防御するでもなく、ただ棒立ちになっていた。
「ばかにしないでよねっ!」
 プリシスがパンチを繰り出すと、メタトロンより手前のところで何かにぶつかり、弾かれた。
「ほえっ?」
 見ると、淡く光る青い壁がメタトロンを筒状に取り囲んでいた。シンのときと同じようにシールドを張っているのだ。これでは、いくら剣で攻撃しても歯が立たない。そのことに気付いたアシュトンは一瞬戸惑ってしまい、その隙にメタトロンに肩を斬りつけられた。鋭い刃が通り、割れた傷口から鮮血が迸る。
「アシュトン!」
 レナが駆け寄ろうとすると、メタトロンは再び衝撃波を放つべく左腕を振り上げた。だが、それをプリシスのアームが掴む。メタトロンは構わず剣を振ろうとするが、動かない。意外な抵抗に遭ったメタトロンはレナを攻撃するのを諦め、体を捻って右手の重い盾でプリシスを跳ね飛ばした。そうして、再び剣をレナに向けた。
「サンダーボルト!」
 攻撃が一瞬でも遅れるようにとセリーヌは呪紋を放つ。ほとんど金属の塊であるメタトロンは、まともに電撃を喰らった。しかし、堪えた様子はまるでない。鉄仮面の下でじろりとセリーヌを見ると、メタトロンは攻撃の対象を変更した。
「ふんっ……!」
 床に向かって弧状に剣を振ると、衝撃波が巨大な壁となって突き進んだ。セリーヌはすぐに唱えられるウィンドブレイドやファイヤーボルトを放って威力を弱めようとしたが、まるで意味をなさなかった。恐怖のうちに、セリーヌは吹き飛ばされた。
「このっ……!」
 クロードはメタトロンの背後から襲い掛かった。光の剣が背中に当たって火花が飛んだ。シールドは張られていないのに、ダメージは与えられていなかった。
「通じぬと言ったはず!」
 メタトロンは振り返り、剣を突き出した。
「クロード!」
 その間にレナが割って入った。クロードは自分を庇おうとするレナを、さらに庇った。わき腹に背中から剣が食い込み、レナにまで貫通した。景色が歪み、脂汗が出る。
「うっ……が……」
 二人は苦悶の表情で、抱き合ったまま床に倒れた。メタトロンは、それを見下ろして剣を振り上げる。
 そのとき、塔が一段と激しく揺れ、メタトロンの手が止まった。
「時間だ」
 無感情な声が奥から響いて、メタトロンは剣を下ろし、唯一露出している口で笑った。
「まあまあだな。ただの人間にしてはよくやった。しかし、お遊びはこれまでだ」
 そう言うと、メタトロンは床に転がったフォースソードを踏み潰した。
「ここまで来れば、後は我々の力でネーデまでテレポートできる。さらばだ、愚かな勇者たちよ……」
 無感情な声が言うと、男たちは塔から忽然と姿を消した……。

 クロス大陸南端の村、アーリア──。
「今日もいいお天気ね」
 ウェスタは、家の前に洗濯物を干し始めた。レナが旅立ってからは自分の分しか干す物もなく自分の食事しか作らなくなったが、一週間ほどするとケティルという少年が若い女性と訪ねてきた。レナの手紙を携えて。
 ウェスタは事情を知ると、彼らを預かることにした。それからおよそ四ヶ月、明るく楽しい生活が続いていた。ケティルもすっかりこの村に馴染んだようだし、お手伝いの女性も家事を手伝ってくれる。あとはケティルの母親が見つかるとよいのだが、どこかへ商売に出かけたまま行方不明だという。
 ウェスタはケティルのシャツを取り出し、両手でパンパンと広げた。それを太陽の光にかざして……。
「あら?」
 太陽が、二つあった。

 クロス大陸南部の町、サルバ──。
「みんな、落ち着いて!」
 家の前に置いてある壇の上で、アレンは叫んだ。空の異常に気付いた町の人々が、町長の家に集まってきたのである。みな、口々に不安を訴える。
「大丈夫! きっと、勇者とその一行が異変から救ってくれます!」
 だが、人々の心は晴れない。何をどうしたらいいのか分からないままに、アレンは空を見上げた。二つの光り輝くもの。
 ──レナ、クロード……、君たちは一体……。

 クロス大陸の中心、クロス城──。
「天文学者を集めろ!」
「文献を当たって、過去に同じようなことがなかったか調べるんだ!」
「王様! 国民たちが城の前に集まってきています!」
 地面が、揺れた。
「また地震だ!」
「今度は激しいぞ!」
 轟音の中で壁から漆喰が剥がれ落ち、中のレンガが音を立てて崩れ、砕けた。
 ──一体、どうなっているのだ……?
 レナたちの乗り込んだラクール艦隊は帰還しないというし、もう、エクスペルはおしまいなのか。
 王は、内心で頭を抱え、揺れる玉座に一人座っていた。

 クロス大陸東部の村、マーズ──。
「もっとじゃっ! もっと紋章力を!」
 村の広場で、長老をはじめ村人全員が輪になって、地面に描かれた一つの大きな紋章を囲んでいた。古来より伝わる全ての災厄を取り除く結界呪紋。だが莫大な紋章力を必要とするため、使い手はいなかった。いま、村人の力を合わせることで、それを実現しようとしている。紋章の中心には、村一番の使い手であるエグラスが立ち、村人たちから送られてくる紋章力を身にまとって長い長い詠唱を続けている。
 ──セリーヌよ、聞こえているか? エクスペルを守るために、我々は命を賭ける。おそらくはマーズごとこの世から消えてしまうだろう。だが、悲しむことはない。我々はいつでもここにいる。幸せになれ。そして時々はここへ戻り、我々のことを思い出してくれ……。

 ラクール大陸南端の町、リンガ──。
「よし、できた」
 グラフトは、額の汗を拭いた。だが、逆に、手についた機械油が塗られてしまう。さっきから同じことばかりしているので、もう顔中が油だらけだ。
 立ち上がって、出来上がったものを見上げた。高さ四メートルの人間型機械人形……。
「名前は……『巨人くん』だな」
 にんまりと笑う。帰ったらあいつにみせてやろう。きっと驚くに違いない。先を越されたと恨まれもするだろうが……。いまごろ、どこでどうしているだろう。
 ラボの天窓を見上げる。
「変だな。もう夕方を過ぎてるはずだが……。徹夜して昼夜を間違えたか?」
 窓からは昼間のように明るい光が差し込んでいた。

 薬局のカウンターで、ボーマンはキースの中間報告書を読み終えた。例の古文書の解読に関するものだ。
「楽園ネーデ……か。ホントにそんなところがあるかねぇ……」
 鼻で笑いながら読み終えた紙の束をまとめ、壁の時計に目をやる。
「なんだ、もう六時を過ぎてるじゃねぇか……。なんでこんなに明るいんだ? それとも、時計が壊れちまったかな」
 外へ出て、ボーマンは絶句した。空がなかった。天空が白い光で満たされていたのだ。 
「こりゃあ……どういう……」
 背筋がぞっとした。あいつら、失敗したのか、それとも間に合わなかったのか……。 考える間もなく、地面が揺れ始めた。


「……第四惑星は、消滅……しました」
 カルナスのブリッジに、オペレーターの震える声が響いた。