■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第十章 惑う心、奮う心

 エネルギー体の光に薄明るく照らされた船室に、ロニキスはいた。整理されてはいるが、取り立てて何もない部屋。唯一、コンピュータ端末を兼ねた机の上だけに、この部屋にかつて所有者がいたことを示すものがあった。
『クロード・C・ケニー。宇宙暦三四七年一月二三日生まれ。三六二年、宇宙艦隊アカデミーに入学。三六五年、主席卒業、少尉に任官。三六六年、戦艦カルナス艦長ロニキス・J・ケニー提督付き副官として、未開惑星探査に出発。セクターβ、惑星ミロキニアの上陸調査中に行方不明。その後、セクターθアルクラ星系第四惑星において発見されるも、崩壊する惑星へ自ら残留し、死亡』
 それが、公式記録。しかし、そんな記録よりも大切なものが、あるはずだった。
ロニキスは机の上に置かれた写真立ての一つを手にとった。九年前の夏、たった一度、一週間だけの家族旅行。家族三人、ペットのラティも連れて高原の保養地に行ったときの写真だ。妻と同じ、繊細な金髪の少年が、こちらを見て微笑んでいる。しかし、その顔はぼやけていた。毎晩のように写真のクロードを撫でながら泣いていたからだ。
 ロニキスは、悔いていた。自分は、父親としてこの子に何をしてやれたのだろうか? 一年のほとんどを宇宙空間で過ごし、家にはたまにしか帰らず、帰ってもまたすぐに出発する。ろくに話すことなかった。もちろん、休暇をとったり仕事の一部を同僚に任せることもできた。だが、しなかった。父親としての振舞い方が分からず、直接育てるのではなくて仕事をし続けることで親としての姿勢を見せてきたつもりだった。そうすることで、クロードも立派な士官になってくれるだろうと思っていた。
 しかし、それはただの逃避に過ぎなかった。いつかクロードが、この、父ともいえぬ父を見放すときが来るのではないかと恐ろしくて。いつか妻が、この、夫ともいえぬ夫を見捨てるときが来るのではないかということに怯えて。
 いったい、自分はいつからこんな人間になってしまったのだろう。子供はなくとも、最初の妻とはこんなではなかったのに。そんな自分が情けなくて、悔しくて、ロニキスは夜毎に涙を流した。
 何度目かの夜、ロニキスはクロードが残した手紙を読んだ。それまでは目を通したことがなかった。なにが書かれているのかを考えたとき、読む勇気が湧かなかったのだ。たが、カーツマンに促されてディスプレイに目をやったとき、ロニキスはそれまでの自分を恥じた。そして、ミロキニア以来後ろ向きだった自分を改めようと決意した。
 写真に微笑んでそれを机に戻すと、ドアチャイムがなった。
「入れ」
 ドアが開き明るい廊下から入ってきたのは、中年の科学士官だった。
「提督、お邪魔してすみません。その……、エネルギー体についての報告書ができたのですが……」
 士官の声は遠慮がちだった。死んだ息子の部屋にいる親に対するには当然だろう。
「そうか。ご苦労」
 普段どおりの口調で言うと、ロニキスは報告書を受け取るために手を伸ばした。士官は少し驚いた様子で、戸惑いつつも持っていたデータパッドを渡した。
「ふむ……、超新星の残骸か」
「は、はい。少なくとも十億年単位の過去のものと思われます。まだ詳しい調査が必要ですが」
「よし、頼むぞ」
 ロニキスがパッドを返すと、士官は半信半疑といった様子で出て行った。
 入れ替わりに、カーツマンが入ってきた。今のところ、彼だけがロニキスの心境の変化を心得ている。
「荷物の整理は済んだか?」
「整理しようとは思ったんだがな。あそこにあるもの以外は特になさそうだ」
 机の上には、写真のほかにいくつかの小物類が置かれている。引出しやクローゼットの中にも何某かあるはずではあるが、何しろクロードは赴任したてだった。せいぜい身の回りの品程度しかないだろう。
「そうか……。それで、地球には連絡したのか?」
 カーツマンは遠まわしに訊ねた。艦隊本部にはエクスペル崩壊時に報告が行っている。彼が言及したかったのは、クロードの母親に連絡をとったかということである。
「ああ」
「彼女はなんと?」
 問われて、ロニキスはもう一度家族旅行の写真を見やった。クロードに甘えている、細長い尻尾の犬。彼もまた事故で死んでしまったが、思い出はロニキスの中で永遠だ。そう、あの旅の記憶とともに。ロニキスは、犬の名前の本来の持ち主の顔を思い浮かべながら、ゆっくりと答えた。
「クロードは仲間のもとに行ったのね、とな」

 四つの場を攻略し、四つの宝珠を手に入れたクロードたちは、さっそくセントラルシティへ向かった。しかしナール市長は不在で、市長室でしばらく待つことになってしまった。
「まもなく戻りますので」
 透き通った若葉色の髪の女性秘書官は礼儀正しく退室した。すぐにも次の使命を受けようと意気込んでいたクロードたちは気を削がれてしまい、各自適当に腰掛けた。プリシスは無人君を抱えて柔らかなソファで仮眠に入った。
「市長のおじさん、どこ行ったんだろ」
 レオンは書架用の梯子に座ってつまらなそうに足をぶらぶらさせる。
「まあ、おじ様もいろいろと忙しいのよ」
 カメラのレンズを磨きながら妙に分かった風にチサトは言い、セリーヌはふと気になって訊ねた。
「そういえばあなた」
「なに?」
 振り返った顔は、これから質問される内容をまったく予想していないようだった。セリーヌは少しためらってから、しかしはっきりとした口調で、
「あなた、市長さんのなんなんですの?」
 チサトは質問の意味をとりかねて聞き返そうとしたが、そこへ市長が現れた。トランスポートの部屋から入ってきたことからみて、どこか別の街か施設にいたようだ。
「どうもすみませんでしたな」
 早口で言いながら、市長は半分禿げ上がった頭を拭った。
「全ての場の力を手に入れたようですな」
 期待に溢れる目に、クロードは頭をかいた。
「ええ、一応は。ほとんど実感はありませんけど」
「そんなことはありませんよ。あなた方は確実に強くなっています。通信パネルを通してお話したときには分かりませんでしたが、今再びお会いして、私は確信しました。もはや我々ネーデ人の中に、あなた方に敵う者はいないでしょう」
 まるで煽動するような口ぶりに、クロードたちは空々しさを感じてしまう。一体どこがどう強くなったというのだろう。自信はない。ネーデ人の誰よりも強いなどというのも下手すぎるお世辞にしか聞こえなかった。
 市長がさらに口を開きかけたとき、トランスポートからもう一人の人物が姿を見せた。
「市長」
 よく通る硬質の声に、全員が注目した。濃い草色の長髪にベージュの長衣を着た、若い女性だ。彼女が秘書や職員などではないことは、腰に下げた剣が示していた。長衣からのぞく手足はサファイヤブルーに輝く甲冑に包まれ、目鼻立ちの整った顔には、若干の厳しさがあった。一目で、ただ者ではないと思わせる。
 女性は規律のよい歩調で市長の傍に歩み寄ると、右手を上げて敬礼した。
「防衛軍の用意は全て整いました」
「そうか。丁度クロード殿たちも、四つの場を攻略し終えたところだ。これで準備は整ったな」
 女性が短く点頭するのを確認すると、ナール市長はクロードたちに向き直った。
「紹介しておきましょう。こちらは、ネーデ防衛軍の隊長を務めます、マリアナです」
「初めまして。以後よろしく」
 クロードは俊敏な敬礼の動作になつかしさを覚えつつ、
「よろしくお願いします」
 と頭を下げた。マリアナ隊長も軽く会釈を返した。毅然としているが、威圧感はない。部隊をまとめる長であるという前に、まず一人の剣士として確固たる自信と誇りを持つ人に違いないとクロードは思った。
「では、事は早いほうがいい。明日の正午、作戦を決行する」
「はっ」
 マリアナ隊長は市長に向き直り、凛々しい声で再度敬礼した。それを見ながら、チサトは呆れたように首を振る。
「まったく、相変わらずお堅いんだから」
 その言に市長は口元を緩ませたが、マリアナ隊長は表情一つ変えずに、
「今は勤務中だ」
「あら、そう」
 チサトはつまらなそうに、しかしどこか温かみのある声で言った。
「あなた、あの隊長さんともお知り合いなんですの?」
 セリーヌが眉をひそめながらひそひそと訊ねたが、返事を聞く前にナール市長の声が発せられた。
「今回の作戦にはみなさんにも参加していただきます。もっとも、みなさんがいなければできない作戦ではありますがね。明日の正午、フィーナルへ突入します」
「フィーナル?」
 市長室はざわめきたった。
「はい。現在十賢者たちが占拠している都市です。すでに原形はとどめていませんが……」
 サイナードから見た高い塔を、クロードは思い出した。
「つまり、十賢者たちと戦う、と?」
「そういうことです。そのためにも、今日はゆっくりお休みください。フィーナルにはラクアから攻め込みますが、ラクアならばトランスポートで行けますから」
「……分かりました」
 不安を残しつつも、クロードは了承した。ここで一戦交えてみるのも悪くはない。充分な成長を果たせたとはとても思えないが、現時点での力量を知るのも大切である。
 とりあえず用は済んだと思って仲間たちを振り返ると、レオンが何か考え込んでいるように見えた。
「どうした、レオン?」
 うつらうつらと眠っていたところを起こされたように身体をびくりとさせると、レオンは急に赤面した。
「あ、うん……」
「言いたいことがあるなら言っていいんだぞ」
 周囲の視線を集めながらレオンはしばらく考えると、意を決したように顔を上げた。
「市長のおじさん?」
 自分に振られたことに市長は驚いたが、優しい表情で応じた。
「なんですかな」
「あのさ……、エクスペルのパパやママに、生きてたら……だけど、連絡ってできないのかな」
 素朴な質問に、ナールとクロードは慄然とした。チサトやノエルも同じだった。それは、答えるのがあまりにも辛い問いであった。
 レオンの発言によって他のエクスペル出身者も故郷を思い出し、期待に目を輝かせた。ナールはその視線に耐えることができなかった。窓の外を見る。平穏な街の風景があった。
「……ダメなの?」
 不安なレオンの声。答えないわけにはいかなかった。
「いえ、実は……」
 クロードは目を瞑った。ナールの答えで仲間たちがどんな顔をするか、見たくなかったのだ。
「エクスペルは……、もう、この世に存在していません」
 同情されている者が、自分が同情される理由を理解しているとは限らない。この場合はまさにそうであった。
「なにを言ってるんですの?」
 半分馬鹿にするようなセリーヌだったが、若干の動揺もみられた。ナールは振り返り、覚悟を決めて躊躇することなく、はっきりと事実を告げた。
「もうどこにもないのです。エクスペルはこのエナジーネーデと衝突し、跡形もなく消滅してしまいました」
「衝突……ですって?」
 セリーヌの顔は青ざめた。そういえば、エルリアタワーで十賢者たちが衝突がどうのと言っていた気もする。それを必死で止めようとしたクロードの姿……。
「そうです。十賢者たちはエクスペルに降り立った後、その軌道を捻じ曲げ、エナジーネーデへと衝突させたのです。自分たちがネーデに戻るために。エクスペルは、跡形もなく崩壊してしまいました……」
「ってコトは、親父は……?」
 プリシスは無人君を抱きしめる力を無意識に強くした。
「残念ですが」
「そんな……そんなのってないよ。十賢者を倒しても、パパやママは……」
 弱々しい声に、クロードは胸が締め付けられる思いだった。またも、他人の口から真実が明らかにされてしまった。仮にもパーティのリーダーである自分こそが、それを伝える責任を負っていたはずなのに。
「しかし、まだ望みはあります」
 ナールの声は、すぐには希望を蘇らせなかった。
「望みですって?」
 セリーヌは声に怒りを含ませた。拳は強く握られている。
「ある手段を用いれば、エクスペルを蘇らせることが可能です」
「手段って……」
 今度はクロードですら理解不能だった。消えてしまった星を蘇らせるなど、できるはずがない。
「時空転移シールドのシステムを応用して、消滅する直前のエクスペルを現在に転移させてくるのです」
「ジクウ……テンイ?」
 エクスペル勢は、騙されているのか夢を見ているのか分からなくなった。
「説明するのは難しいのですが……、エクスペルを時間を超えて召喚するのです」
「そんなことができるの?」
 レオンは期待を寄せ、ナールはしっかりと頷いた。
「あくまでも理論の上の話ですが、実現の可能性はかなり高いでしょう。ただし、それには十賢者たちを倒す必要があります」
「どういうことですか」
 見え始めた光明を掴もうと、士気は急激に向上した。
「エクスペルを包むほどの巨大な時空転移シールドを展開するためには、エナジーネーデ全都市のエネルギーを全て使用しなければなりません。ですが我々は今、十賢者にフィーナルを奪われてしまっております」
「それじゃあ、十賢者を倒してフィーナルの街を取り戻せば……」
 レオンの声は震えていた。クロードも、思いがけない話に胸が高鳴る。
「そうすれば、エクスペルは蘇るんですね」
「はい、そうです」
 このとき、十賢者打倒に向ける各人の意気込みは絶頂に達した。故郷を救うために、家族と再会するために──それは大きな意義と希望を与えたのだった。
「おっけ~! やっちゃうぞ!」
 プリシスはくるりと回って元気よく拳を上げた。

 セントラルシティのホテル『ブランディワイン』に移動した後、クロードたちは束の間の休息を楽しむことにした。今は故郷も家族も無いが、明日には取り戻せるのだから。
 レナはセリーヌと買い物に出かけ、プリシスは無人君1号2号の調整をし、チサトは久々に出勤した。レオンとノエルはサイナードでノースシティの図書館に向かい、アシュトンは、樽を探しに行くと言ってどこかに行ってしまった。
 一人取り残されたクロードは、昼寝でもしようかと思ったが眠れず、なんとはなしに広場へと出て行った。時刻は昼を過ぎたばかり。人通りは多く、店先のテラスで食事をしている人たちも多く見られた。
 どうもよくないな、とクロードは改めて思った。みんなに隠し事をしていたのは事実だし、誰もがそのことに気付いただろう。そのとき、クロードは責められることを覚悟した。むしろ、それを期待していた。そうやって自分を貶めるかのような思考が、嫌だった。本人がどう思っていても変えられないことはあるのだが、嫌なものは嫌なのである。
 ひとまずみんなに笑顔があることに満足し、クロードは空を見上げた。青と白のコントラストが、クロードの心の中にわだかまったものを払底していく。
 一応、今回の戦いには宇宙の命運がかかっているのだが、それを感じさせない街の喧騒が今は心地よく感じられた。話し声、客の呼び込み、子供たちの遊ぶ声。ここしばらく忘れていた雰囲気だった。こういう感じは、ネーデでもエクスペルでも地球でも変わらないものだ。
「魔物撃退に強力スタンガンをどうぞ!」
「おいしいクレープはいかが! イチゴジャム、リンゴジャム、ブルーベリージャムからバナナジャム、ヨーグルトジャム、プリンジャムに唐辛子ジャムまで!」
「ねーねー、雑誌に載ってた行列のできるお店ってあれじゃない?」
 人々が行き交う中をゆっくりと歩いていく。異邦人ということで以前は注目されたが、今はネーデの人々も慣れたのだろうか誰も寄って来ない。一人だから気付かないだけかもしれないが。
 しばらく行くと、広場の隅のほうで人だかりができているのを見つけた。人と人の隙間から覗いてみると、フードつきのローブを着た女性が水晶球占いをしていた。丁度一人の客が占いの結果を聞いて、嬉々として人だかりに戻った。占い師が何か喋ると、次の客が出てきて彼女の前に座った。若い女性で、髪の色は夜空のように深く黝い。金色に輝く三日月型の髪飾りを着けている。
 ──レナ……?
 よく見ると、買い物袋を抱えたセリーヌが付き添っている。残念ながらクロードからは二人の後姿しか見えないし、占い師は二人に隠れてしまっている。何をしているのか、何を占ってもらっているのかは想像するしかない。単なる運勢か、これからの戦いについてか、それとも……。
 クロードはその場を離れた。後ろから覗くような真似はよくない、と言い聞かせて。その振り返り際に、誰かの視線を感じたような気がした。

 街をぶらついて、そろそろ夕方に差しかかろうという頃になってようやく『ブランディワイン』に戻ると、一階の酒場に知った顔を見つけた。カウンターに腰掛けていたのは、鮮烈な赤い髪の女性。エメラルドグリーンの液体で満たされたグラスを片手に、チサトは誰かと話していた。初めは誰か分からなかったのだが、近づいてみて正体が判明した。昼間会った、防衛軍の隊長マリアナである。こんなところでも、サファイアブルーの鎧にベージュのローブを纏っている。
「あら、クロード君じゃな~い」
 チサトは頬を薄紅色に染めながらクロードに隣の席を勧め、クロードはもう一人の人物に視線を固定しながら腰掛けた。
「な~にじろじろ見てんのよぅ。さては一目惚れ~?」
 クロードがはっとして無闇に首を振ると、チサトは笑い転げた。完全に酔っているなと思いつつ、クロードは質問する。
「お二人は知り合いなんですか」
 チサトは濃い草色の髪の連れを見やってから、
「そぉねぇ、もう二十年くらいになるかしら?」
「十七年だ」
 淡白に突っ込まれて、チサトは嫌な顔を作った。マリアナは澄まして自分のグラスを傾ける。
「じゃあ、幼馴染みっていうことですか?」
 クロードは驚いた。
「まあ、ね。私は神宮流体術、この子は神宮流剣術を習っていたの」
「そうなんですか……。神宮流って体術だけじゃないんですね」
「そうなのよ。結構幅広くやってるのよね。体術と剣術と……、なんだったかしら」
 他人事のように訊ねる同門の徒に呆れながら、マリアナは答えた。
「槍術、斧術、弓術、鞭術。惑星ネーデ時代から伝わる由緒ある流派なんだ」
 後半部分はクロードに向けた言葉だった。
「へぇ……。すごいんですね」
「とはいえ、年々人は減ってるんだけどね」
 チサトはグラスの中身を一気に半分ほど体内に流し込んだ。
「どういうことですか?」
「だって、永久に平和な星で武術なんて役に立たないじゃない。唯一使い道があるのは警察官とか警備員ぐらいだし。あとは趣味か体力作りね」
「まあ、確かに……」
「だが十賢者の件で事態は一転した」
 マリアナは空になったグラスを勢いよく置いた。氷とガラスがぶつかって高い音をたてる。
「今のネーデ人の多くは紋章術に傾倒している。我々も剣技を使うときに紋章力を併用するが、純粋に武術だけで十賢者に対抗できる者はいない。あなた方だけだ」
 女剣士の真摯な目を、クロードは重く受け止めた。だが、その顔は急激に和らいだ。
「まあ、そんなことよりも」
 新しいグラスをクロードに差し出す。
「一杯どうかな?」

 丁度陽が落ちた頃、レナとセリーヌは『ブランディワイン』に戻った。一人の女性を連れて。
「こちらです。たぶん部屋にいると思うんですけど……」
 一階のロビーで、レナは女性を案内する。紫色のフードつきのローブを着たその女性は、神妙に頷いた。そのとき、ふと酒場に目をやったセリーヌが立ち止まった。
「レナ、あれって……」
 セリーヌの指差した先にいたのは、顔を真っ赤にして若い女性二人と飲んだくれている、自分たちのリーダーの姿だった。
「ク……、クロード!?」
 レナが素っ頓狂な声をあげると、呼ばれたほうは大きく手を振って怪しげな調子の声で応じた。が、呂律が回っておらず、何を言ったのか聞き取れない。レナは頭を抱えた。その横をすっと通り過ぎて、ローブの女性はクロードの傍へ歩み寄った。
「あなたが、クロード・C・ケニーね」
 見知らぬ女性にフルネームを言われて、クロードは少しだけ現実の世界に戻った。だが、女性を見る眼はまるで焦点が合っていない。そこへ、レナが割って入った。
「すみません、ロネットさん。ちょっと、クロード!」
 レナはクロードの胸倉を引っつかんでカウンター席から引きずり下ろすと、奥のテーブルに連れて行って座らせた。さらに冷水を注文し、がぶがぶと飲ませる。だが、クロードはそのままテーブルに突っ伏して寝てしまった。
「ちょっと! 起きてよ、クロード!」
 体をゆすってみても、まるで反応がない。
「そのままでも構いませんから」
 ロネットと呼ばれたローブの女性は落ち着いた口調で言い、クロードと向き合うように腰掛けると、提げていた荷物から水晶球を取り出してテーブルの上に置いた。
「でも……」
 心配するレナをよそに、ロネットは目を閉じて水晶球に手をかざした。透き通った球体の中心から弱い光が生じ、それは少しずつ強さを増していく。レナもセリーヌも、チサトもマリアナも黙ってその様子を見ていた。
「う……。うん……?」
 目の前の光にクロードは気付いて、ゆっくり起き上がった。すると、水晶球の光は徐々に失われてロネットは一つ大きな息を吐いた。
「あれ……、みんな、どうしたんだい?」
 きょろきょろ見回すクロードにレナもため息をついてから、
「こちらは、占い師のロネットさんよ。最近人気の占い師さんで、私も昼間占ってもらったんだけど、どうしてもあなたのことを占いたいって」
「僕を……?」
 充血した目を凝らしてみると、それは確かに昼間の占い師だった。なぜか少し疲れた様子であるが、目と口を同時に開いた。
「昼間、あなたの視線を感じたのです。レナさんを占っているときに。そして、あなたの心にかかっているもやました。私にとっては初めての体験で、どうしても正体を突き止めないことには気が済まなかったのです。勝手とは思いましたが」
 ロネットの表情は真剣で、単なる興味本位ではなさそうだった。クロードは目をしばたたかせながら尋ねた。
「それで、なにか分かったんですか?」
 占い師は頷き、クロードの目を見据えた。
「あなたは、自分の進むべき道を見つけられないまま、親に言われたとおりに動いてきませんでしたか?」
「えっ!?」
 クロードは絶句した。
「そのため、今のあなたの人生に影響を及ぼしているのは、あなた自身の運ではなくなってしまっています。今は、あなたのために道を引いた、おそらくは父親の運があなたを支配しています。私が見た靄は、あなたの人生に干渉している父親の影だったということでしょう」
「はあ……」
「そうなんですの?」
 セリーヌが興味深げに問う。
「思い当たる節はありますね……」
 クロードは渋々頷いた。
「それから逃れるためには、まず心身ともに自立をしなければなりません。今のままでいますと、近い将来、あなたが父親の運勢を食い尽くしてしまいますよ」
「運勢を、食い尽くす?」
 クロードはいぶかしんだ。どういうことなのか全く意味が分からない。が、占い師のほうは当然だと言わんばかりに、自信たっぷりだった。
「そうです」
「……これはまた、随分と深刻だな」
 必死にメモを取るチサトの横で、マリアナは言った。ロネットは水晶球を荷物袋にしまいながら、
「残念ですが、今の状態ではあなたの人生はあなたのものであってあなたのものでないのです。そのため、あなたの未来全体に霧がかかったようになってしまっています」
 クロードは息を呑んだ。どういうことだろうか。自分は連邦や父親から離れて新しい人生を歩みだしているはずなのに。父親の引いた道からとっくに逸れているはずなのに、なぜこの人は未だにレールに乗っかっているかのような言いかたをするのだろう。それに、自分が父親の運命を食い尽くすとはどういうことなのか。
「それでは、私はこれで」
 ロネットは荷物をまとめると、さっと背を向けた。
「え……、ちょっと」
 クロードは引きとめようとしたが声は弱く、ロネットは振り返りざまに一礼して酒場を出て行った。仲間たちの複雑な視線に囲まれながら、クロードは急に孤独になった気がした。

 ラクア。本来は水族館として、ネーデの様々な海洋生物を飼育、研究しているところである。愛の場を挟んで力の場と正反対の小島に位置している。半透明のドームがついた本館部分に、左右一棟ずつ翼がついている。現在はネーデ防衛軍の拠点となっているので、入り口には防衛軍の隊員が立っているが、クロードたちが入ったのは地下のトランスポートからだった。ナール市長に先導されて、館内の廊下を進んでいく。地下だからなのか、あまり手入れが行き届いているようには見えない。欠けた壁に塗装の剥がれた床。ネーデの建物にしては珍しいように思えた。レオンやプリシスは興味津々で、配管や壁のディスプレイパネルなどを熱心に見ていたが、クロードは少し薬臭いのが気になった。
 しばらく行ってたどり着いた部屋には、大きなプールがあった。水位は規則的に増減し、海と直接繋がっているようだ。ボートを下ろすためか、緩やかな斜面がプールの底に向かって伸びていた。その付近にネーデ防衛軍が整列して、クロードたちを出迎えた。先に戻っていたマリアナが敬礼すると、隊員たちもそれに倣った。その整然とした様子が、クロードたちの気を引き締めた。ただ、防衛軍というからにはもっと大勢いるかと思っていたのに、十人しかいないのは拍子抜けだった。
 市長がマリアナと並び、振り返る。
「さて、十賢者の居城であるフィーナルは、ご存知のとおり現在はエネルギーフィールドに守られていて、サイナードでは進入することはできません。また、フィーナルにあったトランスポートは、十賢者達に使用されることを恐れたフィーナルの住民たちが自ら破壊したために、使用できなくなっています」
 クロードたちは一斉に首を捻った。
「じゃあ、どうやって行くんですか?」
「ネーデ防衛軍の調査の結果、エネルギーフィールドは海面から百メートルほどの深さまでしか張られていないことが分かりました。周辺の海域には、それよりももっと深い部分がありますので、そこからフィーナルに進入することが可能になります」
「でも、どうやって?」
 市長は穏やかな笑顔を作り、
「だからこそ我々はラクアに来たのです」
 まったく理解できないクロードたちを横目に、市長はマリアナに目配せした。濃い草色の髪の隊長は、頷くと右の人差し指と中指を口にくわえ、プールに向かって勢いよく鳴らした。
 すると、轟音とともにプールの中から巨大な何かが現れた。体長は十メートル単位になるだろう、鯨のような生物。肌は明るい青灰色で、瞳は人の頭ほどはあるが、その巨体に比べれば遥かに小さい。呼吸するたびに水面が波打っている。
「これが、海洋探査紋章生物へラッシュです」
 ナールは紹介した。
「ヘ……ヘラッシュ?」
 驚きが収まらないままの顔で、クロードはその名を呼んだ。
「そうです。飼育型サイナードと同じように、人の言うことを聞き、我々を乗せてフィーナルの船着場まで運んでくれます」
「乗せるって……、海の中を通るんでしょ?」
 レオンが手を上げて質問する。
「まあ、正しくは体内に入る、と言うべきでしょうな。もちろん不愉快なことはありませんからご安心ください」
「はあ……」
 そんなことを言われても、動物の体の中に入るなどと聞かされて愉快な気分にはなれない。そんなクロードたちの気持ちとは裏腹に、ネーデ防衛軍は市長を筆頭にして次々とヘラッシュの頭に乗っかり、尻尾のほうへと歩いていった。

 この星系にやってきてから、約一週間になる。例の高エネルギー体の正体は未だ正確に把握できず、天体観測班を悩ませていた。ロニキスはブリッジを含めあらゆる部署の人員を調査に参加させているが、あがってくるどの報告書も、初日の探査結果を超える発見は含んでいなかった。
「どうも妙だな」
 艦長席の背後で、カーツマンはこぼした。
「ああ……」
 これまで数千にのぼる星々や未知の現象を調査してきたが、これほどに不可解なものはなかった。
 部下のシェパード中尉が報告する。
「提督、やはりダメです。どうやらあのエネルギー体は変態を繰り返しているようで、こちらのスキャンを素直に受け付けません」
「変態だと?」
「はい。信じられないんですが、こちらがスキャンビームを当てると、その部分の性質が変わってなにも読み取れなくなってしまうんです」
 センサーを使った調査法には大きく二つの方法がある。一つは、特定の電磁波などを放射し、跳ね返ってきたものを解析することで対象物の性質を知るアクティブ(能動的)スキャン。もう一つは、対象物が自然に発したり反射する電磁波などを捉えるパッシブ(受動的)スキャン。前者は目的に応じて発射する電磁波を変えることで効率のよい調査が行えるが、今はそれが無理なようである。となるとパッシブスキャンに頼るしかないが、これはただじっと見つめているのと同じで、あまり期待はできない。
「まるで自分の正体を明かすまいとしているようだな」
 カーツマンの言に、ロニキスはそうかもしれないと思う。ただのエネルギー体や金属の塊、塵の集まりと思われていたものが実は生命体だったという例は、それほど多くはないにせよ、報告されている。これもその類だろうか。
「センサーに異常はないか? 艦内の他のシステムが影響を与えていないか調べてみろ」
 オペレーターたちが内部の調査を開始する。やれることはすべてやっておくべきである。その上で状況が変わらないのならば、そこで初めて新しい仮説を立てればよい。
「通信システム異常なし」
「ワープエンジン、通常エンジンともに異常なし」
「生命維持システム異常なし」
「防御システム異常なし」
「フェイズキャノン、陽電子砲も異常ありません」
「コンピュータの自己診断結果も問題なし、だ」
 最後にカーツマンが付け加え、艦には問題がないことが分かった。ということは、やはりあれは生命体なのだろうか。それとも、そう見えて実は単なる自然現象に過ぎないのか。生命体だとすれば、あの惑星エクスペルが衝突したように見えたのは捕食か攻撃目的ということだろうか。
 ロニキスは次の指示を下した。
「エネルギー体の裏側にむけて、探査機を発射してみてくれ」
「了解」
 全てが分かるまでには、もう少し時間がかかりそうだった。

「ルシフェル様」
 いつもの声。だが、今回は不快ではない。自分の予測が外れていなければ、であるが。空間映像上の緑のローブ男ラファエルは少しばかり声を潜めているように感じられたが、それは期待による錯覚であろう。
「ルーンコードと宝珠は、現在海中を移動中。まもなくフィーナルに到着します」
「分かった。ハニエルをここへ呼べ」
 映像は消えた。ルシフェルは形のよい唇を歪ませる。即席使い魔ラヴァーは失敗したが、そんなことをせずとも向こうからやって来てくれるようだ。考えてみれば当然のことであるし、少しばかり事を急ぎ、また苛立ちのために判断を誤ったかもしれない。だが、どちらにせよ事態は一気に好転するだろう。
 不意に背後から風が吹いて、ルシフェルの銀髪が揺れた。空間を越えて、部下が現れたのだ。
「お呼びですか」
 民衆統括用素体ハニエル。剛直な軍人のような顔つきで、礼儀正しく跪いている。情報分析用素体ラファエル、情報収集用素体サディケル、カマエルを従える、情報・技術部門の長である。ルシフェルは振り向き、ハニエルを見下ろした。
「例のものは完成しているだろうな」
「無論。攻守いずれも万全です」
 下を向いたままの報告者に、ルシフェルは頷いた。
「さっそく試す機会がおとずれた。期待しているぞ」
「はっ」
 最後まで微動だにせぬまま、ハニエルは消えた。
 一歩ずつ、だが確実に、望みは叶えられていく。

 ヘラッシュの背中には人が入るための穴があって、それは浮き袋の役割も兼ねていた。内部は市長室ほどの広さで、二十人が乗るには若干狭い感じもした。だが、堅く乾いた皮膚は決して不愉快ではなく、臭いもしない。時折揺れるのが難点だが、それを除けばまず快適といえた。ただし、内部には幾つかの機械類が取り付けられており、それらはヘラッシュの神経と接続されているのだという。『深海探査紋章生物』というからには当然なのかもしれないが、やはり気持ちのいいものではなかった。
 ヘラッシュが泳ぐ速度は速くない。以前、力の場に行くためにナール市長が派遣してくれようとしたのは実はヘラッシュだったのだが、あまりの遅さに結局役に立たなかった。ラクアとフィーナルは近いとはいえ、潮の流れに乗っても六時間はかかった。その間、仮眠をとったりヘラッシュの視神経からの映像を観たりする者もいたが、クロードはずっと昨晩のことについて考えていた。占い師ロネットの残した言葉は不吉だった。
『あなたが父親の運勢を食い尽くしてしまいますよ』
 これだけを言われたのなら信じることもないが、他のことで鋭く言い当てられているだけに、どうしても考えないわけにはいかなかった。だが、既に離れたはずの父親とどう関係があるのか、理解はできなかった。エクスペル崩壊とともに息子が死んだと思って、何か常軌を逸した行動に走るのだろうか。以前は考えもしなかったが、今はロニキスにも愛情があり、それが自分に向けられていたことが分かる。四つの場での体験を通して、クロードは少しだけ父親を理解できたような気がしていた。表には出さずとも内心では気にかけていたこと、嫌われまいとして逆に遠ざかってしまったこと、幼いクロードの言葉に傷ついてしまったこと。
 結論は、出ない。

 正午、ネーデ防衛軍とクロードたちは十賢者の居城たるフィーナルを前にしていた。本来はあるはずのない湖の上に立つ不気味な塔。何日か前までは多くの人がそれぞれの暮らしを幸せに営んでいたはずの街のなれの果て。十賢者たちの驚異的な力を再び目の当たりにして、身震いする。だが、怖気づくわけにはいかない。
「みんな、気を引き締めて行くよ!」
 剣を振りかざして叫ぶマリアナの声に防衛軍は手を振り上げて応え、敵の本拠地に向けて駆け出した。

 塔の内部は以外に整然としていた。エルリアタワーでは不合理な部分が多々見られたが、それは十賢者が充分な力を発揮できなかったことによるのだろうか。それとも使い捨ての塔の内装など気にすることもなかったのか。
 一階部分は壁際にいくつもの円柱が立ち並び、そこから円形のフロアを支える支柱が伸びていた。つまり、フロアは宙に浮いている。下のほうからは淡いアクアマリンの光が不規則に揺れながら放出されており、下がどうなっているのかは見ることができない。床や壁の各所に様々な紋章が掘り込まれ、時折それが赤や青に光ったりする。おそらくは、その紋章により塔全体が動かされているのだろう。だが、奥に扉が一つある以外には取り立てて何もなく、魔物や十賢者の姿も見られなかった。
「変ね……」
 一度収めた剣に手を這わせながら、マリアナは慎重に辺りの様子を伺う。それに市長も同意した。
「変じゃな……」
「どういうことですか?」
 クロードが問うと、どこからともなく声が響いてきた。
『こういうことだよ』
「なに!?」
 空中に赤、黄、緑、白の人物像が現れたかと思うと、それらは渦を描きながら一点に集まり、扉の前で実体化した。燃えるような紅い髪を持ち、紅く縁取られた純白のローブを着た男。白い顔立ちは美しいが目に生気がなく、彫像のようだった。
 クロードたちが武器を構えると、同様にしてもう一人の男が現れた。紅く縁取られた漆黒のローブを纏い、不敵に笑う銀髪の男。
「くく……ようこそ、諸君。意外に遅かったな。我々は君たちが来るのを、ずっと待っていたのだぞ」
 クロードは、この声に聞き覚えがあった。美しくも冷たい氷のような声。エルリアタワーの最上階で。すなわち、この男たちが十賢者なのだ!
「どういう意味よ!」
 レナは恐怖めいたものに駆られた。自分たちの緊張と、相手の充分すぎる余裕との落差が不気味だった。
「なに、大したことではない。我々の計画も、最終段階が近づいてきたのでね。それを君たちにも披露して差し上げようかと思ったのだよ」
 銀髪の男は尊大に続けた。
「我々は、エナジーネーデの移動システムと対宇宙艦兵器を完成させた。さらに惑星破壊兵器の完成もそう遠くない。近いうちに銀河系は我々の手に落ちる」
「そんな馬鹿な。地球連邦が黙っているものか!」
 クロードは拳に力を込めて叫んだ。すると、また別の男が現れた。深海色のローブを着た、強面こわおもての堅苦しそうな男。
「残念だが地球連邦の陽電子砲ごときでは、このエナジーネーデを包むシールドには傷をつけることすらできん。それに比べて我々の反陽子砲は、奴らの防御シールドを紙の様に貫くことができる」
「なんだと!?」
 クロードは内心で慌てた。十賢者たちは、クロードが思っていたよりも情報収集力に優れていた。外界と隔絶されているはずのエナジーネーデにおいて、連邦の兵装まで知っているとは。
「さあ、いよいよお披露目だ。存分に楽しむがいい」
 銀髪の男が手をかざすと、空中に映像が現れた。光る物体と、その上を移動する何か。
「あれは……なに?」
 レナたちは当惑したが、クロードには見覚えがあった。鋭く尖った本体は側面から見ると獰猛なシャチのようであり、その洗練された姿は艦隊随一の美しさを誇ると称された、連邦の最新鋭艦。
「カ……カルナス……」
 無意識に口をついて出た言葉は、かすれそうなほどだった。
「カルナス? なに?」
 仲間たちの声は混乱している。
「僕の、父さんが乗っているふねだ……」
 そこではっと気付いて、クロードは全身の血が凍ったように感じた。
「そんな! まさかお前たち……!」
 十賢者たちの視線は、クロードを無視していた。
「まずは、出力十パーセントでいいな」
「了解」

 ディスプレイを見つめていた操舵員パイロットは、何度目かの報告をした。
「提督、エネルギー体の中に変化が見られます」
「どんな様子だ?」
 手の空いた士官が出してくれたコーヒーを啜りながら、ロニキスは問うた。クロードが生きていたときは、短い間だったとはいえ息子のコーヒーが飲めたのだが。基本的には食料合成装置を使うのだが、味の好みの調節は微妙である。たぶん母親から教わったのだろうが、クロードが用意してくれたものはたいへん口に合った。変に意地など張らずに、ちゃんと礼と感想を言っておくべきだったかもしれない。
「そんな……っ!?」
 裏返りそうな操舵員の声は、ブリッジ全員の注目を浴びるのに十分だった。
「どうかしたのか?」
 カーツマンは冷静に問い掛ける。それと同時に、警戒警報が自動的に発令された。赤い警戒灯が点滅し、ブリッジだけでなく艦全体が緊張に包まれる。
「円周加速反応あり! 提督、反物質砲です!」
「なんだとっ!?」
 ロニキスは大声で立ち上がる。
「あれは超新星の残骸だぞ。クラス9ものエネルギー体の中に、なにがあるというんだ!?」
「どうやら相手の機嫌を損ねたようだな」
 カーツマンは未確認生物説を諦めていない。だが、反物質砲というからには単なる生命体では片付けられそうにない。更に新しい仮説の検討が急務になった。
 誰も答えられないまま、思いもかけない危機が急速に迫っていた。
 一般にこの世に存在するものは、全て物質で作られている。反物質とはその名の通り物質と対を成す存在で、物質と反物質が衝突すれば、その全質量は古くから知られている数式が示すだけのエネルギーに転換されて跡形も残らない。
 そんな事態は避けなければならなかった。
「全通信回線開け! 可能な限りの通信言語で友好の意思を伝えてみるんだ。同時に、万が一に備えて防御シールドを全開にしておけ!」
「了解!」
 オペレーターの額に緊張の汗がにじんでいるするのを、ロニキスは見た。ロニキス自身もである。予想だにしない危機に、未だ動揺を抑えられない。
「円周加速反応は増大中! まもなく臨界に達します!」
「通信に反応は!?」
「ありません!」
 躊躇している余裕はない。
「全速で退却!」
「ダメです! 反物質砲が……!」
 瞬間、高エネルギー体から一本の白い筋が延びた。全ての物質を食い尽くす、微小で高速な粒子の奔流は、星間物質と衝突して無数の小爆発を生みながら瞬く間にカルナスにぶち当たった。船体を包むシールドが激しく抵抗し、その振動は艦全体を揺るがせた。
「うわあぁっ!?」
「きゃあっ!」
 全員が、椅子やコンソールにしがみ付いて必死に耐える。だが、脅威は振動だけではない。負荷のかかりすぎた回路は突如火を吹くこともある。艦長席隣のコンピュータで、まさにそれは起きた。コンソールを抱えるようにして耐えていたオペレータが、悲鳴を上げる間もなく吹き飛ぶ。
 その一方で攻撃は収まり、振動も消えていく。
 ブリッジは爆発と振動で粉っぽくなっていた。激しい揺れと音で麻痺した方向感覚のまま、ロニキスはすがるようにして自席にたどり着き、声を張り上げた。
「報告!」
 ブリッジ内でうろたえていた士官たちは、我に返ってそれぞれの持ち場に戻った。
「防御シールド、出力七十二パーセントに低下!」
「右舷のワープドライブが損傷、両舷のスラスターはともにコントロール不能! エンジン自体は依然稼動中です!」
「第二十から第二十三デッキで生命維持システムが停止、乗員を至急避難させます!」
「連邦領域に向けて救難信号を発信するんだ!」
 想像以上の被害になんとか正気を保ちながら、ロニキスは傍らに倒れる女性オペレーターを見た。カーツマンが脈を診て、首を振る。オペレーターの顔は判別不可能なほどに焼けただれており、ロニキスは部下を守れなかった自分自身に怒りを感じた。

 カルナスは、攻撃に耐えた。クロードは自分の息が荒くなっていることに気付いた。全身が熱い。
「ほう……、意外にやるものだな」
 銀髪の男の表情は、言葉とは裏腹にまるで感心などしていない顔だった。明らかに弱者と見下している相手を、自らの強大な力でもてあそんでいる。
「では、次は出力三十パーセントで試してみるとするか」
「なにっ!?」
 背筋に凍えるほどの稲妻のが走るのを、クロードは感じた。

 カルナスのブリッジは、混乱していた。エンジンは稼働しているがブリッジからの捜査を受け付けない。機関室とは連絡が取れず、クルーが全滅したのか通信システムの異常なのか、一部コンピュータの機能停止により判別不能だった。ブリッジの死傷者は三分の一にのぼり、医療班が恐怖に心を支配されかけながら手当をしていた。
 そこへ、再びの報告だ。
「再び円周加速反応を確認! 先程の三倍のエネルギーです!」
 ロニキスは歯ぎしりする思いだった。
「全パワーをシールドへ回せ! ワープドライブとスラスターへの電力供給をカット、生命維持システムも、攻撃をやり過ごすまでは切ってしまえ!」
 もう理由がどうのと考えている余裕はない。航行不可能となった状態では身を守ることしかできないのだ。乗員たちは、ロニキスの命令に従うことで必死に正気を保とうとしている。
「砲撃、来ます!」
「総員、対ショック用意!」
 目も眩むほどの砲撃は、カルナスのシールドを徐々に蝕んでいった。シールドのダメージは、緩和されながらも船体に影響する。過負荷となったシールドジェネレーターは次々と弾け飛び、抵抗力は急激に降下していく。
「シールド出力三十五パーセント!」
 巨大な何者かの手によってじかに揺すぶられているかのような振動の中で、乗員たちは懸命に自分の任務を全うしようとしていた。そうでもしなければ、迫り来る死への恐怖と、眼前で倒れていく同僚の姿に自分が押しつぶされてしまうからだ。ブリッジ後部で爆発が起き、士官候補生が犠牲になると同時に冷却剤の配管から冷たいガスが音を立てて噴き出す。そして、さらに激しい揺れが起きてロニキスは危うく椅子から滑り落ちるところだった。
 まだ無事なシェパード中尉が、声を上げた。
「左舷エンジンナセルのシールドジェネレーターアレイが崩壊! エンジンナセルが吹き飛びました!」
「付近の乗員を退避!」
「ダメです! 通信回線が途切れました!」
「防御シールド出力二十二パーセントに低下! 次は耐えられません!」
 シェパードの声の裏に、「もう無理だ!」という叫びを、ロニキスは聞いたように思った。なんとか、今生きている者たちだけでも、故郷へ連れて帰りたかった。
 退却も防御も無理ならば、攻撃あるのみ。ロニキスは即断した。
「陽電子砲をオンラインに。砲撃元に照準を定めろ!」
「了解! 陽電子砲、起動します」
 陽電子砲はその名の通り、陽電子を放射する。陽電子は反陽子と同じ反物質だが、反陽子よりも質量が小さいために威力が低い。連邦でも最近になって実用化されたもので、莫大なエネルギーを消費するため、頻繁に使用するわけにはいかない。また、諸刃の剣となる可能性があるので発射の手順は複雑になっている。
「陽電子砲の起動を確認、システムは全て正常。艦長、最終ロック解除を」
 ロニキスはうなずく。
「コンピューター、こちら艦長ロニキス・J・ケニー提督。陽電子砲の最終ロックを解除せよ。承認コード、ケニー、Πパイ一一七」
『承認コード、声紋確認。陽電子砲の最終ロックを解除します』
 コンピューターの冷静な声が答えた。ロニキスは、シェパードに命じる。
「ワープエンジンからのパワー供給を開始」
「円周加速反応開始しました」
 冷却剤が噴出する温室の中で、乗員たちの手は震えながらも、コンピュータパネルの上を高速で行き来する。
「目標を補足、ロック完了」
「まもなく臨界に達します。三……、二……、一……」
「撃て!」
 ロニキスの号令は、カルナスの船体中央から微細な粒子の青白い怒濤を発射させた。しかしそれは、巨大な高エネルギー体の中に虚しく吸い込まれていった。

 クロードは、十賢者たちの恐ろしさを知った。力と知略に長けるだけでなく、最新のテクノロジーに精通し、その全てをもって銀河支配を目論んでいる。カルナスは崩壊寸前であり、クロードが知る限りのいかなる戦艦も十賢者たちには敵わないだろう。過去幾度となく銀河征服を企んだ者たちが連邦艦隊の前に敗れ去っているが、既に数は問題ではなかった。より強い力のみが彼らを倒しうる。
「無駄なことを……」
「出力を上げろ」
「お願いだ。もう、やめてくれ……」
 クロードの声は弱々しく震えていた。体全体が震えていて、立ち続けること自体が容易ではない。彼はついに膝を床についた。十賢者たちは、映像に見入っている。
「さらばだ……」
 銀髪の男は、カルナスに向かって笑みを浮かべ、手を振って見せた。
「やめろおおぉぉっっ!」

「どうだ、効いたか!?」
 ロニキスは制帽を脱いで汗を拭った。
「ダメです、まるで効果が認められません!」
「くそっ」
 帽子を握る手に力がこもる。
「提督、防御シールドへのパワー供給が途絶えました! まったく無防備です!」
「なんとかパワーを捻り出せ。補助エンジン起動、武器システムはオフラインに」
 緊張と恐怖と熱で、息がどんどん荒くなる。空気が薄いように感じるのは生命維持システムが故障したからだろうか? 既に脳の活動は限界を超えていた。
「ダメです、コンピュータの反応がありません!」
 悲痛な応答に、次の報告が重なる。
「円周加速反応、次の砲撃が来ます!」
 ロニキスはうめいた。
「なんて……ことだ!」
 もはや、打つ手はない。圧倒的な力を持つ正体不明の相手に、カルナスは消滅させられようとしていた。

 十賢者の見せる映像の中で白い閃光が収まると、残った空間には何もなかった。遠くの星々が輝いているだけで、カルナスの破片すらも漂っていない。
『あなたが父親の運勢を食い尽くしてしまいますよ』
 あの言葉が、クロードの脳裏を駆けめぐった。クロードの目の焦点は、もはや映像の中にはない。
 十賢者たちは自分たちの兵器のもたらした効果に満足そうだった。艦に乗っていた人々や、その家族のことなど一ミクロンも考えていない。
『あなたが父親の運勢を食い尽くしてしまいますよ』
 クロードの心臓は、激しく、ときおり不規則に脈打った。全身から汗が流れ落ち、歯は噛み合わないほどに震えていた。
 彼らは、これからも殺戮を繰り返すだろう。無慈悲に、残忍に。ただ自分たちが銀河を手に入れるためだけに、人々の命を奪っていく。その手は、地球にも伸びるだろう。そして、またもクロードの家族を殺すかもしれない。
『あなたが父親の運勢を食い尽くしてしまいますよ』
 クロードは、剣を握りしめた。
 レナが気付いたとき、クロードは剣を抜いて十賢者に襲いかかろうとしていた。そしてそれを侮蔑するような目で見る銀髪の男に剣を振り下ろそうとした瞬間、新たな十賢者がクロードの眼前に現れた。右手に自分の身長ほどもある大剣をもち、左腕一本でクロードの攻撃を受け止めている。髪も眉も銀色に輝き、上半身の筋肉を剥き出しにした好戦的な顔つきの男だった。怯え戸惑うクロードを払い飛ばすと、男は剣を構えた。
「この場は私にお任せ願いたい」
「いいだろう。だが、手加減してやれよ、ザフィケル」
 銀髪の男は不敵に微笑んで、姿を消した。他の二人も、四つの色に分解されて消えていった。
 十賢者ザフィケルは、周囲を見渡した。
「一対二十か。こちらも少し援護を呼ばせてもらおう」
 ザフィケルが左手を天井に向けてかざすと、十体近くの新手が現れた。それは魔物というよりは警備ロボットのようなもので、クロードたちの周りをぐるりと取り囲んだ。
「くっ、囲まれたか……」
 ナールはうろたえた。
「上等だよ! 全員まとめて叩き潰すだけさ」
 言うや否や、マリアナは剣を振りかざしてロボットに襲い掛かった。金属同士がぶつかり合い、弾かれる。マリアナがふらついた隙を狙って小型のロボットがミサイルを発射したが、それを彼女は剣で払い除けた。ミサイルは軌道を変えて隣の大型ロボットに当たり、それを破壊した。
「やるじゃな~い」
 別の大型ロボットを相手にしながら、チサトは口笛を吹いてみせた。
「もっと真剣にやれ」
「分かってるわよっ!」
 語調を強くしながら、ロボットの足を折る。そこへノエルのマグナムトルネードが炸裂する。小型だが強力な竜巻に巻き上げられて、ロボットは空中分解した。
「負けないぞっ」
 プリシスの無人君スーパードリルが次々とロボットたちの身体をえぐった。弱ったロボットをセリーヌたちが片付けていく。しかしロボットたちは次から次へと空中から現れてくる。マリアナは率先して剣を振るい、防衛軍がそれに続いた。
 仲間たちが囲まれている中、クロードは最初にザフィケルに切りかかって以来、輪の外にいた。しばらく呆然としていて、ザフィケルのほうも相手にする気がないようだった。気が付いたときには一人離れたところにいて、フロアの中央ではみんなが戦っていた。そして、それを見ている十賢者の背中が一つ。
 クロードは今度は冷静に、慎重に、剣を構えた。後ろから心臓を一突き。誉められた手ではないが、父さんの、みんなの仇を打つためだ。額に汗をみなぎらせ、ゆっくりと近づいて、クロードは思い切り剣を突き出した。だが、剣先はザフィケルの皮膚に当たっただけで、それ以上は食い込まなかった。いや、それが皮膚かどうかも疑わしい。まるで岩のように堅く、貫ける気配がまるでなかった。クロードは剣を突き出したまま、顔を青くした。勝てる敵では、なかった。
 ザフィケルはつまらなさそうな顔で振り返ると、支えを失ったクロードは無様に膝をついて倒れた。
「クロード!」
 仲間たちが包囲を潜り抜けて駆けつけようとする。だが、ザフィケルは既に自身の大剣をクロードに振り下ろそうとしていた。
「孤影斬!」
 素早い何かがアシュトンの横を通り過ぎ、クロード目掛けて飛んでいった。それは高い金属音とともに実体化した。ザフィケルの剣の先には、必死の形相で大剣を支えるマリアナの姿があった。
「マリアナさん!?」
「ここは私に任せな。みんなは、今のうちに逃げるんだ」
 ザフィケルは鼻で笑った。
「いい気になるな、小娘。貴様なんぞすぐに殺して仲間も道ずれにしてやる」
 ザフィケルは一層力を入れ、マリアナは耐えきれないと悟ると素早く背後に回って斬りつけた。だが、クロードと同じく一ミリの傷もつけられない。
「マリアナの言うとおりです。今は撤退して体勢を整えなければ」
 冷静に指摘するナールに、チサトは飛びついた。
「ちょっと、冗談でしょ!? なにを言ってるか分かってるの?」
 ナールはチサトの両肩を捕まえ、首を横に振った。マリアナの声が、はっきりと、ザフィケルの背中から聞こえてきた。
「チサト、いいんだ。ここまで力の差があるとは思わなかった。とにかく今は退くしかない」
「だからって、なんであなたが残るのよ! 私が代わるわ、だから……!」
「チサトさん……」
 レナは戸惑った。頼りになるはずのクロードはほとんど放心状態で、レナはどうしていいのか分からなかった。
 マリアナの声が聞こえる。
「悪いけど、このザフィケルさんとやらが邪魔してるからな、そっちには行けない。それに、お前は四つの場を巡ってネーデの力を身につけている。次は必ず勝てるさ」
「だからって、あなたを置いていけるわけないでしょ!?」
 チサトは、喉の奥から叫んだ。マリアナは何も答えなかった。
「みなさん、行きましょう」
 傷ついた防衛隊員の一人を抱きかかえ、ナール市長は促した。ノエルとレナがクロードを支えて抱き起こす。プリシスが後方の敵を抑え、アシュトンが退路を切り開いた。
「なによ、あなたたち、あの子を置いていく気!?」
「チサトさん……」
 レナは継ぐ言葉を見つけられない。顔を真っ赤にして今にも泣きそうなチサトの背中を、セリーヌは杖で一突きした。
「……!?」
 意識を失ったチサトはぐったりと倒れ、セリーヌに抱きとめられた。
「さあ、行きますわよ」
 誰よりも堅い意思のもとで、セリーヌは言った。それが、迷っていた者たちに決意を与える。一人の勇者を残して、ネーデ防衛軍は退却を始めた。自力で脱出する者、負傷者を抱えていく者。
 ナール市長は塔を出るとき、残留者に対して深々と頭を下げた。頬に一本の筋を走らせて。

 娘は、微笑んでいた。どこまでも透き通った瞳で、まっすぐに彼を見つめて。彼がどんなに涙しても、不思議がることはなく、慰めることもなく、永遠に微笑んだままだった。彼の手の中で。

 目が覚めたとき、チサトは仰向けに寝ていた。臙脂色をした薔薇模様の天井には見覚えがある。自分で利用したことがあるわけではないが、そこはセントラルシティのホテル『ブランディワイン』だった。勢いよく起き上がると真横のカーテンの隙間から差し込む光が目に入り、眩しかった。
 ──ここは、どこ……?
 分かっているはずなのに、それを受け入れようとしない自分の一部が疑問を発した。最後の記憶は、無数のガードロボットでできた垣根の向こうで一人敵と対峙する親友の背中。それから何がどうなったのだろう。……夢?
「あら、お目覚めですのね」
 あくび混じりの声はセリーヌのもの。改めて周囲を見回すと、あまり広くないその部屋には自分とセリーヌしかいなかった。彼女は、ベッドの横の椅子でゆっくりと伸びをしている。部屋の中央のテーブルには空の皿とスプーンが置かれ、紅い宝玉のついたセリーヌの杖が立てかけられていた。外からは、街の人々の賑やかな声が聞こえてくる。
 ベッドの上に膝を突いて窓を覗き込むと、そこには普段と変わらない風景があった。人々はのんびりとした歩調で行き交い、楽しげな顔で会話する。強大な敵に恐怖する様子は窺えなかった。これが、現実なのだろうか。
「大丈夫ですの?」
 セリーヌは一旦ベッドに乗りあがったが、チサトが俯きながら足を下ろして腰掛けたのを見て、並んで座った。半日以上眠っていたにもかかわらず、ひどく疲れているように見えた。
「……どうなったの?」
 か細い声で、チサトは尋ねた。
 セリーヌは小さく深呼吸をしてから若干明るさを装って答えた。
「あなたが言うことを聞かないから、少し眠っていてもらったんですの。みんな脱出しましたわ。怪我をしていた方たちもなんとか大丈夫なようですし」
「『みんな』、じゃないでしょ?」
 冷静に指摘されて、セリーヌは言葉を詰まらせた。チサトは顔を上げて、ぎこちなく笑ってみせる。
「いいの、分かってるから……。でも……」
「……でも?」
 チサトは身体を捻って窓の向こうを見た。
「どうして……、こんなに平和なの? 私たちが十賢者に挑んで、死にもの狂いで戦って、手も足も出なくて、クロード君のお父さんが亡くなって、あの子が一人残ったっていうのに!」
 ベッドに突かれた手は震えながらシーツを握り締めて無数のしわを作り、そこに水滴が落ちて染みが広がっていった。

『僕は父さんの操り人形じゃない!!』

『さっすが、ロニキス提督の息子は違うね……』

『お父さんのバカ! ウソつき! ウソつくお父さんなんて、大っきらいだあ~っ!』

『大きくなったな、クロード』

『そりゃそうだよ。あいつの親父の機嫌を損ねるのが恐くて、教官たちが点数を水増ししてるんだぜ』

『恐かったんだよ、私は……。息子に嫌われるのがな……』

『やめろ! 僕を特別扱いするな!』

『クロードは、あんなに勇気のある子ではなかったんだがな』

『そういえば、この頃は父さんが帰ってくる日をこんなに楽しみにしていたんだっけ……』

『私は、いつも怯えていたよ。世間に、妻に、そして息子に嫌われないかとね』

『本当に、そうなの?』

『僕は父さんの引き立て役じゃないんだ! みんな、僕を見てくれ! 本当の僕を!』

『嘘つくお父さんなんて、大嫌い……か……』

 ──なんだよ、これ……。
 暗闇の中で、クロードはうめいた。目の前に、誰かが現れては消え、そのたびに何か言葉を残していく。
 瞬間、少しだけ光が射して、そこから声が漏れた。
『知っているはずよ』
 どこかで聞いたことのある、懐かしい声。でも、誰だろう。
 ──君は、誰?
『私は、私よ』
 ──分からないよ、君は一体……。
『さあ、心を開いて』
 ──心を開く?
『そうよ。周りをよく見て、そして自分をよく見て。真実を、探しなさい』
 ──それは、どういう……。
『分かっているでしょう? あなたは、知っていたのにそれをしなかっただけ。できないことじゃないはずよ。さあ……、クロード』
 不思議なぬくもりを残して、光は消えた。クロードは、ゆっくりと深呼吸をしてから、目を閉じた。すると、どこからともなく声が聞こえてきた。もう一人の自分の声が。

 物心ついた頃から、僕は父さんの話を聞いて育った。遊んでいるとき、食事のとき、ことあるごとに母さんは父さんの話をした。父さんがどんなに勇気があって、頭が良くて、周りから慕われているか。それはおとぎ話の英雄譚を聞くような気分で、いつもいつも父さんに会いたいと思っていた。
 そのうち、僕は友達に父さんのことを話すようになった。宇宙戦艦に乗って悪いやつらをやっつける話だ。みんなは羨ましがり、僕はそんな父さんがいることを誇りに思っていた。だから、たまに会える機会が訪れると、僕は飛び上がって喜んだ。でも、なかなか会うことはできなかった。今思うと、そのことが僕の中で父さんを更に英雄的な存在にしていたんだろう。僕はいつか父さんと一緒に宇宙を翔び回る日を夢見ていた。それが逆に、父さんを僕から遠ざけていたのかもしれない。
 母さんは、なかなか会えない父さんのことを僕に繋ぎとめようとして、いろんな話をしたんだと思う。それは確かに成功した。けれど、そのせいで父さんは失敗することができなくなってしまった。物語の英雄は失敗なんかしない。そして、永遠に成功を続ける。失敗ばかりの物語なんてだれも聞きたがらないだろう。父さんは、僕に嫌われないために成功を続けるしかなかった。
 僕の無知が、父さんを追い詰めてしまったんだ。

 士官アカデミーの頃、周りは僕を提督の息子として見る連中ばかりだった。生徒たちは僕の成績を父さんの力のせいにして、教官たちは僕にあまり関わらないようにしていた。上位を目指す生徒たちにとって、主席の僕は邪魔だっただろう。教官たちにとっても、上官の息子を教育するのはいいことばかりじゃない。失敗すればクビが待っていると信じている人間もいた。
 入学したての頃は友達を作ろうとしてよく話し掛けたけど、僕が英雄提督の息子だと分かるとみんな離れていった。中には向こうから近づいてくるのもいたけど、そういう連中は僕ではなくて父さんのことを見ているだけだったから、好きにはなれなかった。そうやって、僕は少しずつ自信をなくしていったんだ。周りが見ているのは僕じゃなくて父さんなんだと思えばそれも当然だった。でも、僕はそれを全部父さんのせいにしていた。父さんが提督だから、父さんが英雄だから、父さんがいるから、僕がこんな目に遭っているんだと心の中で責め続けていた。そして、僕はいつしか父さんを理由なく拒絶するようになっていた。そんな必要はなかったのに。僕の成績は僕自身の力の結果だったんだから。それを、僕は忘れていたんだ。
 僕が僕であることをもっと見せていたら、僕が自分の力を信じていたら、僕はもっといい生活くらしを送れたんだろうか。

 僕をカルナスに配属したのは父さんじゃなかった。子供の頃は一緒の艦に乗りたいと思っていたけど、士官アカデミーで散々特別視されて嫌気が指していた僕は、希望任地を中規模の戦艦にしていた。いきなり主力艦に乗ればまた『親の力で』と言われるだろうし、かといって小さすぎる艦では嫌味だと思われかねない。思えば、こんな臆病な選び方もなかっただろうな。でも、僕の任地は父さんが指揮する新造艦カルナスだった。配属は卒業時の成績順で決まるから、主席だった僕の希望がかなえられないはずはないのに。たぶん、誰も引き受けたがらなかったんだろう。みんな父さんが怖かったんだ。
 司令部に抗議しようと思えばできたけど、まさか自分の父親の艦が嫌だなんて言えなかった。母さんには『実は初めから希望していたんだ』と言ってしまったけど、本当はいやいや乗っただけだった。そして、父さんの副官に任命されたと知って、僕はなんだかわけが分からなくなった。例え好きじゃなくても、父さんが不正や贔屓をしない人だってことは分かってた。だから、士官になったばかりの僕を副官にするということが信じられなかった。みんなが言うように子供には甘い人だったのかと思った。逆に僕に対する試練なのかとも思った。でも、今考えると、たぶん父さんもどうしていいか分からなかったんだろう。まさか自分の息子を乗せるのが嫌だとも言えずに引き受け、引き受けたはいいものの、どんなポストを与えればいいのか悩んだんだ。
 結局、そばに置いておく道を選んだ。それがどういうつもりだったのかは分からないけど、それまでずっと離れていたから、接し方は不安定だった。ある時は勤務時間外でも厳格に上官と部下の関係を求め、ある時は勤務中でも親子の関係でいようとした。父さんは不器用でもそうやって努力していたのに、僕は全部無視していた。父さんが僕を人形扱いしてるだなんて本当は思ってもいないのに、自分から人形になって父さんを憎んでいた僕は、きっと父さんより不器用だった。
 僕にもっと勇気があれば、もう少しだけいい関係が生まれたのかもしれない。

 ──そうか、そういうことか……。
 クロードは微笑んだ。そして、カルナスからエクスペルに戻るときのロニキスの顔を思い出した。自ら死地に赴こうとする息子を送り出してくれたときの、成長した息子を見て嬉しそうにしたときの、それが、ロニキスの真の姿のはずだった。英雄でもなく、提督でもなく、クロードの父親として。そして、クロードが父親との繋がりを最も強く感じた瞬間の、あの表情。
 もう会うことはできないけれど、その一瞬を忘れないために、僕は戦うんだ。

 最前線に近いラクアは危険であるとの市長の判断により、フィーナルに進攻部隊の面々は撤退後直ちにセントラルシティに入ってトランスポートを封鎖した。怪我はネーデ人お得意の回復呪紋でおおよそ完治したが、撤退によって受けたショックは各人の心に深い傷を残していた。冷静を欠いていたとはいえ、クロードの剣は鎧を着たのでもない十賢者ザフィケルにかすり一つ付けることができなかった。エナジーネーデ一の剣の使い手であるマリアナの攻撃も、弾かれてしまった。全く傷のつかない敵。それは希望や勇気をいとも簡単に破壊したのである。それでも何とか散った欠片を拾い集めて正気を保っていたが、気を抜くと全て零れ落ちてしまいそうな不安を抱えていた。
 撤退の翌朝、レナはホテル『ブラッディワイン』の一室で目を覚ました。鳥の囀りと窓から吹き込む柔らかな風が心地よい。しかし、彼女の目の前で金髪の若者がベッドに横たわっているのを見ると、回復したはずの疲労が押し寄せてきた。クロードは、傷が完治したにもかかわらず目を覚まさないのだ。医師にも見せたが明確な対処法は分からず、レナが一晩中呼びかけてもそれは変わらなかった。
 レナは静かに立ち上がり、窓の外を見た。澄んだ空気、揺れる草木、駆けまわる子供たち。自分は、平穏としたこの世界を守ることができるだろうか。エクスペルの平和を、取り戻すことができるだろうか。
 自身の問いかけに、レナは首を振る。一人では無理。みんながいなければ。そしてなによりも、クロードがいなければ。それなのに彼は……。
 控えめな音でドアがノックされ、レナは返事をした。ドアが開き、白いエプロンを着て銀色のワゴンを押し、その人物は入ってきた。
「おはよう。朝食作ったんだけど……、クロードはどう?」
 レナは、一瞬言葉が出なかった。目を見開いたまま、立ちつくす。
「……レナ?」
 呼びかけられて我に返り、しかしレナは質問に答えなかった。その前に一つ聞いておかなければ。
「……なんでそんな格好してるの? アシュトン」
「えっ?」
 レース付きのエプロンを着たアシュトンは首を傾げた。レナは初めは驚いたが、改めて観察すると何だか似合っていなくもない気がしないでもなかった。
「早く起きちゃったから、ちょっと厨房に行ってみんなの分の朝食を……」
 さも当然のように答えるエプロン剣士に唖然としつつ、レナはそれが今はどうでもいい問題であることに気がついた。
「せっかく作ってくれて悪いんだけど、クロードは……」
 右の拳を左手で包んで、レナはクロードの顔に視線を落とした。死顔とも思えるその顔は、見ている者の心を暗くする。
「大丈夫だよ、レナ」
 心もち背中が丸くなったレナの肩に手を置き、アシュトンは笑顔を見せた。
「クロードは必ず帰ってくる。エルリアの時も、そうだっただろ?」
「……ええ、そうね」
 レナに希望が戻ったことを確認すると、アシュトンはパンと手製のスープを置いて出て行った。

 カニと海藻の入ったスープは、シンプルながらもこのホテルのレストランのものよりおいしく、レナの心を落ち着かせた。しかし、依然として不安と恐怖はあった。もしもクロードが戻らなかったとき、自分たちは十賢者に立ち向かえるだろうか。力ではなく戦う気力の問題において。
 空になった皿の底を見つめながら漠然と考えていると、レナの尖った耳に高い振動するような音が入ってきた。それは初め小さく徐々に大きくなり、数秒と経たないうちにレナは音源の場所を特定した。壁際のソファの上に置かれた荷物袋。目をやると、中から紅い光が漏れ出していた。まさか。
 慌てて四つの宝珠を取り出すと、それは自ら輝きながらレナの手を離れ、空中を泳いでクロードの頭上で各々が正方形の頂点になるように並んだ。そうして宝珠は互いを追いかけるように回転をはじめ、更に輝いて不思議な音を発した。それに伴ってクロードの身体も紅い光に包まれ、レナは急なことに恐ろしくなって身を震わせた。

10

 目を覚ますと、仲間たちが自分の顔を覗き込んでいた。
「……みんな?」
 やや不安そうだった顔が、クロードの声によって一転した。一様に喜びの表情を作り、口々に言葉を発する。
「よかった~」
「もう大丈夫かい?」
「まったく、もう二度と目を覚まさないかと思いましたわよ」
「これで明るい記事が書けるわ」
 プリシス、アシュトン、セリーヌ、チサト、レオン、ノエルはほっと胸を撫で下ろし、活力が生まれたように見えた。
「レナ……」
 目頭に涙を溜めて今にも零れそうになっている青黝あおぐろい髪の少女を、クロードは見上げた。レナはすぐにでも泣きつきたい衝動を抑えてクロードの手を握り、ゆっくりと口を開いた。
「おかえりなさい、クロード……」
 クロードは、レナの瞳を見つめ、微笑んだ。
「……ただいま」

 目覚めたクロードはまるで宝珠から力を得たかのように生き生きとしており、十賢者との再戦に意欲的だった。それによって仲間たちの士気は昂揚し、昼食を済ませてから全員でシティホールの市長室へと乗り込んだ。しかし秘書官の話とは裏腹に、そこに市長の姿はなかった。
「あら?」
「変ですわね」
 不思議に思いながら辺りを探すが、とくに隠れるような場所があるわけでもないしその必要もないはずだった。
「あたし、秘書のおねーさんに聞いてこようか?」
 プリシスが申し出たとき、紫のローブの人物がトランスポートの部屋から現れた。
「ナール市長」
「どこに行ってたんです?」
 名を呼ばれると、市長は顔をクロードたちに向け、少しだけ微笑んだ。しかしその顔には生気が乏しく、やつれているようにさえ見えた。
「ああ……、みなさん」
 不安定な足取りで来客の前を通り過ぎ、市長は執務椅子に倒れこむように座った。そうしてローブのポケットから何かを取り出すと、それを執務卓の上に置いた。それは、写真立てのようだった。写真自体は市長の方を向いているので、クロードには見えなかった。
「大丈夫ですか? なんだか疲れているみたいですけど……」
 不安そうなレナの声に、市長は力なげに首を振った。
「いえ、大丈夫です。それより、なにかご用ですか」
 それは、全員が自分の耳を疑うに十分な発言だった。
「なにかって……、次の作戦を聞きに来たんですけど」
 市長は力なく笑い、椅子を九十度回転させて横顔を見せた。
「作戦などありません。作戦など無意味ですよ」
 クロードは戸惑った。先日までの市長は、十賢者討伐に最も意欲的で、煽動的ですらあったのに。
「お分かりでしょう? 十賢者たちには何も通用しない。絶大な力を持ち、完全な防御力を誇り、そして外の世界に対しても強力な兵器を持っている。誰一人対抗できないのですから、作戦など立てる必要もないでしょう」
 そう言って、市長は置いたばかりの写真立てに目をやった。クロードたちは市長の言葉に対して有効な反論を立てることができず、急速に希望を失いつつあった。
「なにを言ってるのよ!」
 卓を思い切り叩いて怒声を浴びせたのは、チサトだった。クロードたちは驚き、市長は半分のけぞって彼女を見た。
「おじ様がそんなことでどうするのよ! おじ様はエナジーネーデの指導者でしょ!? みんなを導いていくのが使命でしょ!? そんな人が希望を失ってしまって誰が希望を持てるっていうのよ! なんのためにあの子が残ったのか、よく考えてよ!」
 写真の中の娘が、笑っているはずの娘が、涙を流しているようにナールには見えた。執務卓に震える腕を突くチサトを、ナールは大きく開いた目を潤ませて見上げた。チサトはその目を真っ直ぐに見つめる。
「私は泣かない。あの子が、マリアナが、それを望まないから」
 ナール市長は全身を震わせてうめくように息を吐き出し、震える拳を握り締めた。
 クロードは、はっと気づいて尋ねた。
「チサトさん……、ナール市長とマリアナさんって……?」
「実の親子よ」
 チサトの言葉は淡々としていて、逆に意味を理解するのには少しばかり時間が必要だった。レナは、目を見開いた。
「で、でも、ナールさんは撤退のとき率先して……、そんなことは少しも……」
 知らなかったとはいえ、間違いでなかったと分かっていても、クロードたちの心には罪悪感のようなものが生まれていた。父親の前で娘を犠牲にしていたとは。
 クロードは思い出す。初めてこの部屋でマリアナとあったときのチサトとの会話を。ナール市長に規律正しく敬礼するマリアナに対して、チサトは言った。
『まったく、相変わらずお堅いんだから』
『今は勤務中だ』
 ナールとマリアナも、ロニキスとクロードのように、親子でありながら同時に上司と部下の関係にあったのだ。執務卓に伏せて震える市長を見て、エクスペルが崩壊したときの父もああして泣いたのだろうか、とクロードは思った。
 静まり返った市長室で、ナールは立ち上がり、背を向けて言葉を吐き出した。
「みなさん……、すみませんが、一時間ほどしたらまたお越しください。そのときに、今後のお話をします」
「おじ様……」
 市長はそれ以上語らず、クロードたちは複雑な思いを胸に市長室を後にした。

11

 一旦ホテルに戻ると、しばらくしてから市長の秘書官がやって来て、市長はアームロックという街に行ったのでそちらに移動してほしいと伝えに来た。ただし、どんな用で行くのかは知らされず、クロードたちは疑問を抱えながら、サイナードに乗ってアームロックへと向かった。
 アームロックはセントラルシティからほぼ真西の街だ。家々は、どれも鈍いシャンパン色のレンガを組み合わせた壁と、鮮やかな赤レンガ色の屋根で統一されていた。街路にもレンガが敷き詰められていたが歩く人は少なく、代わりにどこからともなく鉄を叩くような音がいくつか聞こえてきた。
 街の中ほどまで歩くと、見覚えのある服装の男性が立っていた。緑色の内着に黄色く縁取られたすみれ色のケープを纏ったその人物は、紛れもなくネーデ防衛軍の一員だった。防衛隊員はクロードたちを見つけると駆け寄ってきて、挨拶をしてから市長の伝言を伝えた。
「市長は『封印の扉』の前でお待ちです」
「封印の扉?」
 レナが首を傾げる。
「はい。この奥の通りを行った先にあります」
 隊員の指した先は、狭くはないが少しばかり薄暗い道だった。
「分かりました」
 クロードたちは歩き出したが、防衛隊員は黙ってその場に立っていた。案内してくれるのではないのだろうか。
「どうしたんですか?」
「いえ。……私は立ち入りを許可されていませんので、その先はみなさんだけで」
「許可? 許可が要るの?」
 レオンが通りの奥を見ながら問う。
「はい。それについても市長から話があると思います。ともかく市長のところへ」

 示された通りは、意外と長かった。何百メートルもあるわけではないが、薄暗く、誰もおらず、周囲は窓もない高い塀に囲われていた。いかにも何かありそうな場所である。突き当たりの部分だけに陽が射しており、そこにナール市長が立っていた。その背後には確かに扉らしきものが見えた。
「ようこそ、『封印の扉』へ」
 市長はにこやかに笑って迎えた。立ち直ったのか虚勢を張っているのか、先刻の様子とはまるで正反対だった。
「先刻はお見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。早速ですが、十賢者についてお話しましょう。彼らは、強い。我々のいかなる攻撃も通用しませんが、しかし不死身であるとは考えにくい。彼らもまた我々と同じネーデ人のはずですから」
 このとき、ナール市長は十賢者たちが過去のネーデ人によって造られた存在であるということをまだ知らなかった。
「フィーナル進攻時に小型スキャナーを持って行ったのですが、分析の結果、彼らはその体に沿ってシールドを張っているらしいのです」
「しーるどぉ?」
 プリシスは首を傾げる。クロードが解説する。
「要するに、体を守るための見えない障壁を作っているんだ。エクスペルでシンがラクールホープの攻撃を防げたのも、そのシールドがあったからなんだ。あの時はまさかと思ったんだけど、やっぱり間違いじゃないみたいだね」
 ナールは頷いて話を続けた。
「我々もその技術を持ってはいますが、彼らのシールドはかなり強力で並大抵の力では破ることができません。そこで、」
 背後の扉を指し、
「我々は紋章兵器研究所へと向かい、シールドを打ち破る方法を見つけるのです」
「紋章兵器研究所? それって、ラクール城の地下にもあったやつじゃあ?」
 アシュトンがレオンを見下ろすと、小さな博士の視線は氷のように冷たかった。
「僕がいたのは紋章武器研究所だよ」
「それが、この扉の向こうに?」
 クロードが本題に戻す。
「ええ、まあ。正確にはこの先にあるのは研究所へのトランスポートなのですが」
「どうして封印されているんですの?」
 セリーヌの質問に、市長は直接答えなかった。
「行けば分かります。続きは向こうでお話しましょう」
 そう言って扉横の操作パネルに触れ、重たい音を立てて開いた扉をくぐっていった。

 転送先は、森の中だった。道が作られてはいるが、舗装もされておらず、トランスポートも外壁楽園にあったような石造りのものだった。しかし外壁楽園とは違って花の数は少なく、苔生こけむした大木が緑色の葉を茂らせていた。涼しい風が穏やかに流れてくる。
「ここは……、どこなんですか?」
 トランスポートを下りながら、クロードは訊ねた。どう見ても研究所には見えない。
「紋章兵器研究所跡、です。」
「……研究所、跡?」
 それは、どことなく不吉な雰囲気をもつ言葉だった。説明を求めるクロードの視線を受け止めながらも、市長は一本だけの道を歩き始めた。
「私は先に行っていましょう。少し散歩をする気分でついて来られるとよろしい」
 一瞬だけレナの顔を見て、ナールはその場を去っていった。そのときの表情が何を意味していたのか、レナには分からなかった。
「それにしても、こんな場所があったなんてね」
 チサトはしきりにシャッターを押し始めた。
「本当ですね」
 やや興奮気味で応じたノエルは、草木や昆虫を調べ始めていた。
 この二人が珍しがるくらいだから、よほど珍しいものなのだろうが、クロードはそれよりもこの場所の雰囲気に心を奪われた。今までにも森と呼ばれる場所に入ったことはある。地球やアカデミー時代の訓練で行ったいくつかの星にも大きな森はあった。だが、ここの森は、どこか、何ともいえない不思議な感じがするのだった。以前にも来たことがあるような……。
「私、前にこの場所に来たことがあるような気がする……」
 突然のレナの声に、クロードはどきっとした。これまでの旅で似たような場所に行っただろうか。そんなことはないはずだが、しかしどこかで……。
 レナは、自分が仲間たちの注目を浴びていることに気付いた。
「ごめんなさい、変なこと言っちゃって。でも、そんなことはないわよね」
「とにかく、ナールさんの後を追って行こう」
 クロードは、なぜか神妙に言った。

12

 トランスポートからしばらく行くと、開けた場所に出た。そこには鉄製の網フェンスが張られていて、その奥に、白い壁の低い建物があった。その後ろは森になっているから、これが紋章兵器研究所というものであろう。しかし、膨れたスポンジケーキのような形をしたそれは、外壁、屋根、窓などあるゆる部分が壊れていた。剥き出しになった金属の一部が錆びていたりはするものの、窓ガラスや壁の壊れ方は明らかに何らかの衝撃によるものだった。市長は『研究所跡』と言ったが、一体何があったのだろう。そして、ここに何の用があるのだろうか。
 中に入ると正面に受付カウンターのようなものがあったが、カウンターの上には崩れた天井の破片が散らばり、草が生い茂り、人が使うことを拒絶しているかのようであった。ひびの入った床からは雑草が生え、壁には動物が引っかいたような傷もついていた。穴のあいた外壁からは太陽光が差し込んでいる。
 半分割れた案内板によると内部は宇宙船の中のように複雑であるようだったが、通路の殆どは崩れた天井や壁で塞がっており、ナール市長が向かった部屋を探すのにさほど苦労はしなかった。
「来ましたか」
 その部屋は広い円形の部屋で、中央には太く円筒形の大きな装置があり、それが柱の役目もなしていようだった。破れた天井から陽が射しこみ、床は切れ目のないピザを二箇所ほど無理矢理引きちぎったような崩れ方をしていた。そこから、無数の機械や配管が顔をのぞかせている。
「この部屋は……」
 クロードたちは、辺りの様子を見回した。
「ここは全ての記録を収めた部屋です」
「記録?」
 レナは首をかしげる。
「この研究所が建てられてから崩壊することになるまでの全記録がデータとなって保存されている、貴重な部屋なのです」
「要するに記録の間ということですか」
 クロードの言葉にナールは頷いた。
「最初から観る必要はありません。最後だけ皆さんにご覧いただきたい」
 市長が装置に触れると、天井から吊るされた大きなディスプレイに記録が再生された。

『警告します。クリエイションエネルギー発生装置に異常。五分後に爆発の危険あり。速やかに避難してください』
 コンピュータの音声とともに映し出されたのは、研究所内の一室だった。破壊されてはいない。数メートル四方の小さな部屋に様々な機器が置かれ、壁や天井の非常警報灯が赤く点滅していた。
 画面の隅に一つだけ半開きのドアがあり、そこから青い髪の人物が早足で入ってきた。耳の尖った、女性。白衣を着ていた。
「所長、早くシェルターに逃げてください!」
 大声と共に、男性が駆け込んできた。濃い草色の髪の、やはりネーデ人である。
「ムダよ。あのクリエイションエネルギー発生装置の暴走によるエネルギーは、シェルター程度では防げない」
 背を向けたまま、男性の声とは対照的に冷静な調子で、所長と呼ばれた女性は言った。おそらく、彼女がこの研究所の責任者なのだろう。ということは、男性のほうは研究所員ということになる。
「そんな……」
 うめく所員に振り返り、女性は少しだけ微笑んだ。
「でも外は大丈夫。実験中の時空転移シールド、エタニティーフィールドの二重防御によって守られる。爆発時の膨大なエネルギーは別の空間と相転移するわ」
「でも我々には時間がありません。外には逃げられませんよ?」
 所員の悲痛な声に爆発音が重なり、室内が振動して棚に並んでいたビンが落ちて割れた。所長は半開きのドアから廊下の奥を見つめた。
「あなたにも分かっているでしょう? 私たちはもう終わりよ。でも、その前に一つだけ試したいことがあるの」
『警告します。クリエイションエネルギー発生装置の爆発まで、あと四分です』
 壁を這っていた配管が破裂し、白い煙のようなものが流れ出す。所員は震えていた腕を止め、所長の目を見つめた。
「何ですか」
「私が研究中のやつよ。レナを連れて来て」
 所員は目を丸くした。
「お嬢さんをですか!?」
「そうよ。早く」
 所長は所員が急ぎ足で退室したのを確認すると、まっすぐにカメラの方向を見た。研究所全体が振動しているのか、徐々に映像が揺れてきていた。所長が手元で何かを操作すると、カメラがズームアップして、上半身だけが画面に映った。青い髪が、整ったかんばせに汗で張り付いていた。やや疲労が見られたが、青い瞳は輝いていた。
「所長日誌、最終記録。我々はクリエイションエネルギー発生装置の実験に失敗。暴走させ手がつけられなくなるという最悪の事態を引き起こしてしまった。すでに外部の空間とは接触を絶っているが、研究所の崩壊は免れ得ないだろう。もちろん、人間も。しかし、私は一つの実験の失敗と引き換えにもう一つの実験を成功させたい。娘のレナを、彼女の幼く尊い命を、時空転移させる。この実験は成功しないかもしれないが、わずかでも可能性があるのならそれに賭けてみたいと思う。もしこの記録を見つけることができたなら、どうか私の娘を、レナを探して欲しい。そして、いつまでも愛してください。ここで罪を償わなければならない私の代わりに」
 よどみのない口調で言い終えると、カメラが引き、再び部屋の様子が映し出された。男性所員が、小さな子供を連れて戻ってきていた。その子供は所長のそれよりも深い、青黝あおぐろい髪をしており、金色に輝く髪飾りをつけていた。ブレが酷くなって顔の特徴は掴みにくいが、話の流れと声から察するに女の子だろう。
「ママ、ママ……」
 女の子は涙声で所員の許を離れて所長に近づき、所長は女の子に目の高さを合わせた。
「どうしたの、レナ? 大丈夫よ、ママが助けてあげるからね」
 優しい調子で話し掛け、所長は女の子の髪を撫でた。
「ですが、所長。現在研究中のものは生物を入れるようには作られていません」
「でも、このままではこの子は確実に死んでしまうわ。だったら可能性に賭けてみたいの。大人は入れないし」
 所長が指した先にはいろいろな器具が置かれていたが、具体的にどれを指したのかは不明だった。
「分かりました」
 所員は覚悟を決めたように頷き、部屋の奥のほうへと消えていった。所長は、女の子の頭を抱きしめる。
「ごめんね、もっと一緒にいてあげたかったのに、ごめんね……」
 その声は震えていた。先刻極めて冷静に記録を報告したときの様子とはまるで違う声だった。鼻をすすってから女の子を離し、自分のペンダントを外して女の子の首にかけた。
「ママからの少し早い誕生日プレゼントよ。本当ならもっときれいな宝石をあげたかったわ、もっと大きくなってから……」
 研究所の振動はますます激しくなり、配管から漏れ出す煙と相まって、もう細かい動作は読み取ることができなかった。
「レナ、レナ……」
『警告します。クリエイションエネルギー発生装置の爆発まで、あと一分です』
「所長! 準備OKです!」
 所員の叫び声と共に所長は立ち上がり、もう一度カメラを見た……ようだ。
「研究データベースへのアクセスコードは三二四八-九九七六-二一六八-九九三四-BZQFです。でも、なるべくなら使用しないでください。お願いします」
 所長が言い終えるのを待っていたかのように巨大な爆発音が起こり、それと同時に映像の視点が急降下してディスプレイは真っ黒になった。

「これが、研究所崩壊時の全記録です……」
 ナール市長の声で、クロードは我に返った。映像を見ながら、彼は十五年ほど前のことを思い出していたのだ。母親と一緒に連邦科学アカデミーに行ったとき、ある部署の実験のせいで大火災が発生し、親子二人で命からがら逃げ出したときのことを。
「あの、今の所長さんのお嬢さんの『レナ』って……もしかして?」
「はい。最後の紋章兵器研究所所長、リーマ女史の娘、レナは……」
 市長は、ゆっくりと視線を動かした。青黝い髪に金色の髪飾りをした少女に。
「私、なんですね……」
 レナは、唇を噛んだ。
「レナ……」
 クロードは手を伸ばそうとしたが、レナは顔を逸らした。
「記憶にあるというわけではありません。でも、体がなんとなく覚えているんです。この場所を」
「そうですか……」
 クロードは何と言ってよいのか分からなかった。あの様子では、リーマ所長は確実に死亡している。直接ではないとはいえ、その映像を見せられた娘に言うべき言葉は、一体どんなものなのだろう。
「この事故はいつ起こったものなんですか?」
 レナは顔を上げたが、訊ねられた市長は逆に視線を落とした。
「この映像が記録されたのは、今から約七億年の昔のことです」
「七億年だって!?」
 クロードは目を丸くして叫んだ。ナールは頷き、装置を操作してディスプレイに先程とは別の映像を出した。
「爆発時のエネルギーが時空転移シールドに吸収されたことは分かりますね。レナさんが入れられたのは小さくはあったものの、時空転移を可能とする装置だったのだと思います」
「それで、時間を超えて……?」
「はい。レナさんの入った装置は時空転移シールドにエネルギーと共に飲み込まれ、破壊される瞬間に時空間移動を奇跡的に果たした、と考えるのが妥当です」
「そして、エクスペルに行き着いた……」
「ええ、おそらくは……」
 クロードの位置からは、レナの後ろ姿しか見えなかった。背中を丸めて、数歩も離れていないのに、そこはまるで別の空間のようだった。
「私の本当のお母さんは、……もういないのね」
 その瞬間、レナの言葉は鋭い刃となってクロードの心を貫いた。レナの旅の目的を、思い出したからだ。それは、本当の母親を探すこと。それなのに、それなのにその母親は……。
「そうです……。七億年前に、亡くなりました」
 レナは、黝い髪を揺らして振り返った。
「なんか……実感湧かないし、大丈夫。別に」
 そう言った顔はとても冷静だったが、それが虚勢であることをクロードは見抜いていた。
 ナール市長はできるだけ事務的な表情を保ったまま、装置から光り輝くディスクを引き抜いた。
「これでアクセスナンバーは分かりました。私は別室でデータベースへのアクセスを試みてみますので」
 それだけを言い残して、市長はすたすたと『記憶の間』を出て行った。ナールの姿を見送ってクロードが振り返ったとき、そこにレナの姿はなかった。駆けていく足音が出口へと走り、それに目が追いついた瞬間、レナは記憶の間から消えていた。そして、クロードも駆け出した。

13

 何か考えてのことではなかった。レナが出て行ったのを知って、無意識に体が動いたのである。研究所内を調べられる限り探して回ったが、レナはいなかった。となれば外だろう。トランスポートまでは数百メートルだが、森の中に入られると探しようがない。冷静に考えれば帰ってくるのを待つという手もあったが、そんなことはできなかった。理屈ではない何かが、クロードをそうさせていた。
 いま、レナの傍にいたい。傍にいてあげたい。そう思った。
「……レナ」
 十分ほど走り回った後、トランスポート近くの森で、クロードはレナを見つけた。一際太く高い樹木の下に、彼女は立っていた。まるで、木に何かを語りかけるように。
「ごめんね、突然飛び出しちゃって」
 振り返らず、レナは言った。右手を、苔の生えた幹に触れる。
「ここね、なんとなく覚えているの。記憶にはないんだけど、風の匂いや、大地の柔らかさが懐かしいの」
 レナは木々の間から零れる光を浴びて、大きく息を吸い込んだ。そしてゆっくりと吐き出すと、両手を幹に突いて片頬を木肌に触れさせた。
「あなたは……、どのくらいここで生きているの? 千年? 二千年?」
 問い掛ける手は優しく木肌を撫でた。
「私は、七億年も前の人間……なのね。あなたよりもずっと昔の……」
「レナ……」
 クロードが言葉を継ぐよりも早く、レナは振り返った。
「クロード、私はお母さんに愛されていたのかしら?」
 あまりにもストレートな質問に、クロードは即答できなかった。レナは目を伏せ、沈んだ調子で言う。
「お母さんはずっとなにかの研究をしていたようだったわ……。お母さんは私よりも研究を選んだんじゃないの?」
 顔を上げたレナの表情は、恐怖に支配されていた。母親の愛を確かめに来たはずのレナにとっては深刻な問題だったが、幸いにもクロードには明確な回答が用意されていた。
 クロードはレナの触れていた木に近寄り、天高く伸びる幹を見上げた。
「僕の母さんも、結婚する前からずっと地球連邦の科学士官だったんだ。母さんは父さんと結婚して僕を産んだ。それからすぐに科学者としての道に戻ったんだ。『紋章科学』の権威としてね」
 視線を戻して、クロードはひびの入った木肌を見つめた。手を突っ込んだジャケットのポケットの中には、カルナスから持ってきた家族の写真がある。
「だけど僕を放っておくことはなかった。どっちも大切で、どっちも一生懸命だった。両方諦めることはできなかったって、一回だけ話してくれたことがある。だから」
 クロードは振り向き、俯くレナの肩に右手を置いた。
「レナのお母さんもそうだったと思うよ。レナも、研究も愛していたんだ。だから両方諦められなかった。それがレナのお母さんの選んだ道だったんだ。レナを傍に置いていたことが、なによりの証拠だと思うよ」
 レナは手を目に当てて、すすり泣いていた。せっかく見つけた本当の母を疑ってしまったことが、悲しかった。クロードは、さらにもう片方の手もレナに伸ばした。
「無理しなくていいよ。僕だって無理はできない。辛い時は我慢しなくていい。みんながいるんだから」
 レナは目頭から大きな川を流れさせると、クロードに飛びついた。両の腕で彼を抱きしめ、両の腕で彼に抱きとめられる。温かい胸板から彼の鼓動を感じ、涙を彼の胸に滴らせる。母親譲りの青黝い髪が指で梳かれ、頭ごと抱かれて彼の中に安寧を求める。耳元で、彼が囁いた。
「ここは、まるで神護の森みたいだね……。レナが神護の森を好きなのも、きっとこの場所の思い出があったからなんだろうな」
 木々の根は太く逞しく自らを支え、より多くの光を求めて背を伸ばして葉を茂らせる。古く大きな木は動物たちの住処となり、苔生して湿った森は涼しい風を運んで人の心を癒す。やがて朽ち倒れ跡形なく消え去ろうとも、その輪廻は永遠に繰り返されて記憶の中へ消えていく。
 ときに、記憶は事実よりも重みを持つ。そして記憶が事実と結びついたとき、両者は巨大な衝撃となって主の心を襲うのである。
「もう大丈夫かい?」
 泣き止んでしばらくしてから、クロードは訊ねた。腕の力を緩めると、レナはゆっくりとクロードの胸を離れた。少し前までなら、二人ともこの後で赤面しただろう。でも、今は、これが自然だった。恥らうことなく互いを支えあえる。
「ごめんなさい、クロードもお父さんのことで辛いのに……」
 クロードは、レナの予想に反して微笑んだ。
「ううん。僕は大丈夫。マリアナさんじゃないけど、きっと父さんも僕が悲しむことを望んでない……そう思うから」
 レナもクロードにあわせて口元をほころばせ、頷いた。その笑顔が、クロードには嬉しかった。
「さあ、みんなが待ってるよ」
「うん」
 研究所まで二人で走りながら、クロードは木々の合間から青い空を見上げた。
 ──そうだよね、父さん。

14

 レナと二人で研究所近くへ戻ると、中からナール市長たちが出てくるところだった。仲間の視線はこぞって最初レナに集まり、彼女が俯き加減に頬を紅く染めながら「ごめんね」と言うと、優しく微笑んでからクロードを凝視した。クロードは頭をかきながら照れ隠しに笑ったが、結局何も言わずじまいだった。
「辛いものをお見せしてしまいましたね」
 一歩進み出た市長はすまなそうな顔をしたが、レナは首を振った。
「いいんです。確かにショックじゃないと言えば嘘になりますけど、私が知りたかったことだから……」
「そうですか……」
 市長は頷きながら姿勢を正すと、全員に向かって言った。
「データは手に入りました。さあ、アームロックに帰りましょう」

 転送を終えて封印の扉を出ると、クロードたちはナール市長を先頭にしてアームロックの中心部へと向かった。薄暗い通りから離れるほど、この街の特徴であるレンガ造りの家々が見え、鉄を叩く音が聞こえてくる。
「それで、そのデータの中には十賢者に勝つ方法があったんですか?」
「おそらくは」
 頼りない返事に怪訝そうな顔をするクロードを見て、ナールは付け加えた。
「直接戦う方法があったわけではありません。研究所あそこは十賢者の研究をしていたわけでもありませんし。ただ、その膨大な研究資料の中には有益な情報が入っているはずです」
「でも、もしなにもなかったら……?」
 クロードの疑問を聞きながらもナールはそれに答えず、街の中ほどにある一際大きな建物を指差した。四角い煙突が三本そびえ、もうもうと煙を吐き出している。先進文明にあるまじき光景ではあったが、総レンガ造りのこの街の中ではごく自然に見えるのだった。
「あそこです」
 市長は幾分顔を引き締めて、自分が指し示した家に足を向けた。クロードたちは首を傾げながら後に続く。その家は玄関が地面よりも高い位置にあって、数段の階段が伸びていた。市長はその階段を上って、木製のドアをノックする。返答は無かったが、市長は構わずドアを押し開いて中に入った。
 最初に入った部屋は、ちょっとした書斎のようだった。天窓から差し込む光が、書棚や机を照らす。二つある机のうち、より大きな机に深い海色の髪を後ろで束ねた人物がおり、訪問者たちに背を向けて何か忙しくしていた。
「ミラージュ」
 ナール市長が声を発するとその人物は振り返り、総勢九名の客をひとしきり見渡して眉の太い目を瞬きさせ、手にしていた分厚い本を机に置いた。
 ナールが、クロードたちに言う。
「紹介します。こちらはミラージュ博士。エナジーネーデ一の……」
「紹介なんてどうでもいいよ」
 市長の言葉を遮ったその声は低く、ややしゃがれてもいたが、どうやら女性であるようだった。精悍な顔立ちと大きくよく動く目が印象的で、一見男性のようにも見えるが、注視すれば薄汚れた服の下に膨らんだ胸の隠されていることが知れる。
「いったいなんの用なの? こんなにぞろぞろ連れてきて……」
 迷惑そうに太い眉を歪ませて、ミラージュ博士はもう一度訪問者の顔を見回した。そうして、少しだけ首を傾げる。
「どこかで見たような顔だね……」
 博士の鈍感さに呆れたように、市長は言う。
「惑星エクスペルから来た人たちだ。研究もいいが、たまには新聞ぐらい読んだほうがいいぞ」
「うるさいよ」
 エナジーネーデの統治者を一瞬だけきっと睨んで、
「……まあ、とにかく、なんの用なの?」
 市長は懐から手の平大の薄い円盤を取り出して、博士に見せた。天窓からの光を反射して、虹色に輝く。
「これは今しがた紋章兵器研究所から持ってきたデータディスクだ。このディスクを解析して、十賢者に有効な武器を開発してもらいたい」
 ディスクを差し出す市長の目を、博士はたっぷり十秒は見つめていた。その間にどんな意味があるのか、この時点でクロードたちは知らなかった。
「あんたが、私に武器を作れって言うのかい?」
 まったく普通の口調だったが、その前の沈黙が博士の驚き様を示していた。クロードたちには何故驚いているのか分からないが、チサトやノエルには若干の緊張が見られ、どうも蚊帳の外にいるような気がした。
「その通り。十賢者たちは崩壊紋章まで用意しているんだ。これ以上の理由は必要あるまい」
 博士は、今度は驚きを隠さなかった。隠せなかった、というのが正しいだろうか。
「なんだって!? そんなもの、どうやったら漏れるんだ!?」
「そんなことを考えている余裕はない。一刻も早く十賢者たちを倒さなければならん。このディスクを解析して、対十賢者用の武器を作ってくれ」
 繰り返された要請にミラージュ博士は差し出されたディスクを受け取り、それに映りこんだ自分の顔を見つめた。
「まあ、市長のあんたが言うんだから違法にはならないだろう……」
 そう呟くと、博士は一人で奥の部屋へ移動した。それを見送って、ナール市長の顔を見る。
「では、私達も奥へ行きましょう」
 先導する市長の顔に、見えない緊張の汗が流れているのをクロードは見た。

「ほえ~っ!?」
「うわぁっ……」
 プリシスとレオンが同時に感嘆の声をあげたその部屋は、家の外見からは予想もつかないほどにコンピュータや機械類で埋め尽くされていた。金属製のロボットアームがついた広い作業台には刀身のようなものや用途不明な道具が散乱し、天井には配管が縦横無尽に走って、どっしりと腰を据えた大型ディスプレイには様々な情報が飛び交う。
 ミラージュ博士はコンピュータ端末にディスクを挿入し、情報を検索し始めた。
「相当な量のデータだね……。ちょっと時間がかかるよ」
「構わん」
 市長はディスプレイに高速で映し出される情報を見つめた。市長が情報を一つ一つ理解しているとはクロードには思えなかったが、おそらくは一瞬でも早く結果を得たい気持ちから来るものだろう。
 プリシスやレオンは辺りのものを珍しそうに観察したり触ったりしていたが、他のメンバーにはすることが無く、暇になってしまった。クロードは、これを機会にナールに質問する。
「ナールさん、あの、もうちょっと詳しく説明してもらえませんか? いろいろと」
 振り返った市長は、少しばかり不思議そうな顔をしていた。
「さっきの博士との会話の意味が全然分からなくて。秘密なら仕方ないですけど……」
 ナールは言われて初めて自分の落ち度に気付いたようだった。不安げな表情のチサトを尻目に、深呼吸をしてからナールは口を開く。
「では、順を追って」
 自分の言ったことを思い出しながら、ナール市長は話し始めた。

 ここアームロックの街は、エナジーネーデで唯一武器の製造を許された街である。十賢者たちを封じて以後、ネーデの民は武器を必要としなくなった。一時は全ての武器を破壊して製造すら完全に禁じられようとしたが、二つの理由から場所を条件付きで生産が認められた。理由の一つは武器が芸術的な価値をも持つからで、一般に鑑賞目的でなければ購入はできず、武器として使用することは禁じられている。もう一つは、警察のような組織が使用するためである。もっとも平和なエナジーネーデの警察官が持つのは警棒程度のものであるが、将来の有事に備えるという意味もある。再び十賢者のような者が現れないとも限らないのだ。

「そういうわけで、一般的に武器として用いるための武器を作ることはアームロックでも禁じられているのです」
「ミラージュさんが気にしてらしたのは、そういうわけだったんですのね」
 セリーヌの納得に市長は頷いて補足した。
「まあ、十賢者が戻ってきて以後、ネーデ防衛軍をはじめ一部の者には武器携行の許可を出しているのですがね」
「とはいえ、こっちは職人としての命がかかってるからね。そうホイホイとは作れないのさ」
 ミラージュ博士はコンピュータを忙しなく動かす。ディスプレイには相変わらず読み取れない速度で文字が走っている。クロードは頭の中で話を整理し、頷きながら次の質問をした。
「崩壊紋章っていのうは、なんですか? なんだかとても恐ろしいものみたいですけど……」
「それは……」
 一転して言い辛そうになったナールの顔は、クロードたちの興味を引いた。
「フィーナルの塔の内部に、紋章が描かれていたのを覚えていますか?」
「ええ、まあ……」
 立ち入ったのは一階部分だけだったが、壁や天井にはいくつもの紋章が描かれ、それが妖しげに明滅していた。
「あれらのうちのいくつか、あるいは全ては、間違いなく崩壊紋章の一部です」
「紋章の、一部……?」
 部屋中を物色していたレオンが手を止めて振り向いた。
「はい。みなさんご存知の通り、一つの紋章は一般的に属性を表すパターンや効果を表すパターンなど、いくつかの基本パターンの組み合わせです。その組み合わせ方によって紋章の意味が変わってきます。フィーナルに描かれていた紋章の中には、崩壊紋章特有のパターンが含まれていました」
「で、その崩壊紋章っていうのはなんなんですの?」
 セリーヌの声は少しばかり苛立っているようだった。まどろっこしいことは嫌いなのだ。ナール市長は一瞬ためらった後、拳を強く握った。
「崩壊紋章の意味、それは、文字通り全宇宙の崩壊」
 まっすぐに見開かれた市長の薄茶色の瞳は、その言が決して偽りでも大仰でもないことを物語っていた。室内の空気は止まったように感じられ、ミラージュ博士が端末を操作する音だけが聞こえた。
「……全宇宙の、崩壊?」
「そんな紋章、聞いたことありませんわっ……!」
 突っぱねるようなセリーヌの言葉は、その裏に崩壊紋章の存在自信を認めたくない気持ちを含ませていた。
「そんな、だって、十賢者たちの目的は宇宙を征服することじゃなかったの……?」
 手が震えて、チサトは持っていたペンを固い床に落とした。
「チサトさんも知らなかったんですか?」
「惑星ネーデから移住する際、崩壊紋章のことは全ての文献から削除されました。それ以前からもごく一部の者にしか伝えられていなかったはずなのですが……」
 市長は足元に転がってきたペンを拾い上げ、娘の親友に手渡した。
「ってことは、十賢者ってのは思っていた以上にタダモノじゃないってコトかぁ……」
 床に胡坐をかいたプリシスが両腕を組んで考え込む素振りを見せる。隠されているはずの紋章を操ろうというのだから、彼女の言うとおり、十賢者がただの反逆者や暴徒でないことは明らかであった。クロードとチサトだけは十賢者が作られた目的、すなわち惑星ネーデが辺境惑星鎮圧のために作ったということを知っていたが、それからも大きく離れた宇宙崩壊という目的は、一体何を意味しているのだろうか。ますます謎の深まる十賢者の真相に、怯えないわけにはいかなかった。
「でも、宇宙を崩壊させるなんて、そんなことをしてどうするのかしら?」
「さあ……、そこまでは。十賢者たちも宇宙崩壊を明言しているわけではありませんし、もしかすると単なる抑止力、威嚇のためなのかもしれませんが、用心するに超したことはないでしょう」
 セリーヌは首を捻る。
「用心って、どうするんですの?」
「危険なのは崩壊紋章を発動させられることですから、発動させる前に十賢者たちを倒すことができればとりあえずは安心ですが、万が一発動させられてしまったら、今のところ成す術がありません」
 クロードたちの顔色は、どんどん曇ってゆく。はっきり言って欲しいときと欲しくないときの別があるというものだ。
「しかし、全くないとは言い切れません。ギヴァウェイ大学は三十七億年に渡って紋章術の研究を続けていますし、膨大なデータと有能な頭脳がありますから、きっと解決策を見つけられるでしょう。みなさんには、十賢者を倒すことを第一に考えていただきたい」
 クロードは仲間たちの顔を見渡した。やれることを、やるしかない。
「分かりました」
 強く頷いたとき、ミラージュ博士のディスプレイに一つの画像が映し出された。
「あったよ、十賢者に対抗できる武器が」
 クロードたちは一斉に注目し、その画像をまじまじと見つめた後、一斉に首を傾げた。
「これ……、ですか?」
「そうだよ」
 自信たっぷりな博士の言いように、クロードはもう一度ディスプレイを見た。細長く、鋭い刃を持った、一本の剣。
「これって、ただの剣じゃないんですか?」
 レナの純粋な疑問に、博士は嬉しそうに頷いた。
「確かに見かけは普通の剣だ。少々の見栄えはするけどね。でも、こいつは全て反物質でできている」
「ハンブッ……シツ?」
 エクスペルではほとんど唯一の機械通だったプリシスも、この手の話にはついて来られるわけもない。他のエクスペル出身者も同様で、その意味を半信半疑ながら理解したのはクロードだけだった。
「反物質って……、そんな武器をどうやって使うんです? 反物質は通常空間には安定させられないはず……」
 この世界には、物質と反物質が存在し、これらはそれぞれ粒子と反粒子から成る。粒子と反粒子は電気的特性が逆であること以外はほぼ性質が同じであり、代表的なものとして陽子と反陽子、電子と陽電子がある。陽子と電子一つずつから水素原子ができるように、反陽子と陽電子一つずつから反水素原子ができる。物質と反物質は衝突すると互いに打ち消しあい、膨大なエネルギーに変わってしまう。これを対消滅反応といい、物質でできたカルナスは反陽子砲の攻撃を受けて消えてしまった。
 この世界のほとんどのものは物質でできているため、反物質の道具を振り回したりすることは基本的にはできない。物質に触れただけで大爆発を起こすからである。もちろん空気とも反応するから、たとえ反物質の剣を作ったとしても使い物にはならないはずなのだが……。
「多少は知識があるようだね。確かに君の言うとおりなんだけど、この武器はそれを可能にしている。正確には、この武器についている小型装置がね。さすがは紋章兵器研究所の記録だよ」
 先程の緊張を全く感じさせないミラージュ博士の声は、彼女が研究記録に魅了されていることを示していた。
「この記録によると、小型装置を取り付けることで武器に限らず様々なものに応用できるらしいね。つまり、あんたたち全員に強力な武器を作ってやれるってわけ」
 得意げなミラージュの言葉に、プリシスは目を輝かせた。床をうろちょろしていた無人君を捕まえて、博士の前に踊り出る。
「ねえ、無人くんもパワーアップできるっ?」
 得体の知れない球体にビビりながら、ミラージュ博士は小刻みに頷いた。
「ああ、うん、まあ……多分、ね」
「やったーっ!」
 プリシスは飛び上がって喜んだ。が、博士の言葉が気分を盛り下げる。
「でも、そのためには最高純度のレアメタルがないとね」
「レアメタルですって?」
 一際大きな声をあげたのは、ノエルだった。日頃穏やかな人の言動に、クロードたちは自然と沈黙した。ノエルの目は真っ直ぐにミラージュを射抜いたが、男勝りの博士は動じなかった。
「あんたの言いたいことは分かってる。どうしてもイヤだというならこっちはそれで構わないんだよ。とりあえずはね」
 ノエルは喉に溜まっていた何かを吐き出し、俯いて首を振った。
「いえ、僕も分かっているんです。ただ、つい癖のようなもので……」
 またもや話からはじき出された気分のクロードは、懸命に会話に戻ろうと試みた。
「どういうことなんです? 希少動物と関係あるんですか?」
 ノエルはゆっくりと頭を上げて、クロードの目を見た。
「希少動物……。確かに希少とは言えるかもしれないけど、彼らはサイナードやヘラッシュのような動物とは違う」
 動物博士はそこで言葉を止めたので、クロードには意味が分からなかったが、ナール市長が補足した。
「レアメタルというのは非常に貴重な金属で、反物質を通常空間に安定させる力を持っているのです。しかし、それはバーク人という知的生命体が生成する、とても珍しいものでもあります」
「ということは、そのバーク人さんに分けていただけばよろしいのかしら?」
 ナール市長は首を振る。
「いいえ。バーク人にとって、レアメタルは必要不可欠な体内物質です。したがって、レアメタルを手に入れる唯一の方法は、バーク人を殺すことなのです」
 クロードは、ノエルの顔を見た。口を硬く引き締めているのがよく分かる。全宇宙のためとはいえ、罪のない生命体を、それも知能を有する生命体を犠牲にすることに、ノエルは生理的な嫌悪感を感じるのだろう。サイナードのときはサイナードが死ぬわけではなかったから、より多くの命を救うことを選ぶのは難しくなったが。
「それに、長生きのバーク人ほど高い純度のレアメタルを持っていてしかも強いと聞くから、あんたたちにはそういうバーク人を探してもらわないといけないね」
「僕たちが……?」
 ミラージュ博士は躊躇いなく頷いた。
「そうだよ。強いやつを倒すには強いやつに行ってもらわないと困るじゃないか。一度は十賢者たちに負けたとはいえ、エナジーネーデで一番強いのはあんたたちなんだから」
「それもそうですね……。分かりました」
 クロードは仲間たちの顔を確認する。セリーヌ、レオン、アシュトン、プリシス、チサト、ノエル。それぞれに思うことはあるだろうが、バーク人からレアメタルを採取することに異論はないように見えた。一人レナだけが浮かない顔でクロードの視線を避けるようにしていたが、クロードはそれを無視した。レナの誰をも思いやる慈愛の心は大切にしたいが、それも時と場合による。それに、レナも理性では理解しているはず。ここで敢えて諭そうとするのは無粋というものである。心の整理がつくまではそっとしておくのがいいに違いないとクロードは思った。
「バーク人は、ここアームロックの西の島にあるミーネ洞窟に棲んでいます。エナジーネーデ移住の際に、レアメタル調達のため惑星バークから移植した鉱床なのですが……」
 ナール市長はコンピュータを操作してディスプレイに地図を表示した。
「バーク人は知的生命体とはいえ、我々が炭素カーボンベースの生命であるのに対して彼らは珪素シリコンベースであるなど、ほとんど全ての面で我々とは異なる生命です。意思疎通もままならず、侵入者は全て敵と見なします。冷酷なようですが、今回だけはみなさんも彼らを敵と思って臨んでください。宇宙を救うことが、彼らのためでもありますから」

15

 ミーネ洞窟は、巨大な岩山の山腹にあった。そこら中が、青黒くギラギラと光る気味の悪い岩の集まりである。入り口には金属製の門があって、硬く閉ざされていた。ナール市長によれば、必要な時に必要な人間だけが入るようにするためなのだそうだ。クロードは市長から預かった細い筒状の鍵を鍵穴に差し込んだ。門の内部に仕組まれたコンピュータが鍵の中のデータにアクセスして許可コードを読み取り、分厚い鉄扉を開いた。生暖かい空気が内側から漏れて、クロードは背筋をぞっとさせる。
「あれは、なに!?」
 レナが裏返った声で指差したのは、壁から生えるナニモノかだった。周りの岩壁と同じ妖しげな光をまとう青い岩で、一見下手な犬の彫刻のようにも見えた。目の部分だけが丸くオレンジ色に光っている。
「あれがバーク人ですよ」
 ノエルが指摘する。クロードは怯えるレナを片腕で抱きかかえながら、もう一度それをよく見た。
「あれが……? でも、壁から生えているみたいですけど……」
「ねー、こっちにもあるよー?」
 プリシスが見つけたのは、床から生えていて、無人くん程度の大きさのものだった。辺りを見回すと、壁といわず天井といわず、あらゆるところからバーク人が生えていた。
「でも、なにも動かないや……」
 レオンは指先でつついたり拳で叩いたりしたが、何の反応もなかった。ただ目の部分だけが無気味に光っている。
「それは死骸なんだ。彼らはほとんど石と同じようなもので、腐ることはない。たぶん、長い年月の間に洞窟と一体化してしまったんだろうね」
「この目はどうして光ってるの?」
 シャッターを切りながら、チサトが尋ねる。
「それは発光性の天然塗料で、たぶん彼らにとってはお墓に捧げる花束のようなものなんじゃないかって言われてるんだ」
「つまり、死者を弔う習慣があるから知的生命体だというわけですね」
 クロードの結論にノエルは頷く。
 多くの場合、知能を有する生物は死に何らかの意味付けをする。墓を作ったり、来世を信じて死者に様々な品物を持たせたりする。その行いはむしろ生者に大きな意味を与え、文化の根底を成す。他文化の葬儀を研究することはその文化を理解する早道であり、たった一つの墓を傷つけただけで大戦争に発展する危険もある。父の書いた教科書にはそう出ていた。
「ということは、この洞窟にはこんなのがウヨウヨしてるってわけだよね……」
 尻込みするアシュトンを、ギョロとウルルンが体を張って叱咤した。
「ノエルさん、この洞窟の構造は分かりますか?」
 クロードが尋ねると、博識の動物学者は頷き、まっすぐ正面の道を指差した。
「この洞窟はバーク人にとっては全体が巣なんだ。ちょうどアリの巣のようにいくつもの分かれ道や部屋があるけど、基本は一直線。その先に彼らのリーダー、つまり一番強いバーク人がいるんだ」
「ノエルさんはその一番強いバーク人に会ったことがあるんですか?」
「一度だけね。定期的な調査のために来たことはあるんだ。そのときはなるべく彼らを刺激しないようにしていたから、全てを調べながら一番奥に進むまでは何日もかかったけど……」
 ノエルは表情を暗くする。
「クロード君、お願いがあるんだ」
「はい」
 クロードは姿勢を正した。
「できるだけ彼らを傷つけないようにしてほしい。結果的に彼ら全体のためになるとはいえ、罪のない命を無闇に奪うことはしたくない」
「分かっています。僕も同じ気持ちですから」
 笑顔を作り、クロードはレナから離れて剣を引き抜いた。そして、仲間に向かって宣言する。
「みんな、僕たちの目的は一番強いバーク人を倒してレアメタルを手に入れることだ。他のバーク人にはなるべく危害を及ぼさないようにしたい。だから、ここから洞窟の一番奥まで全力疾走するよ。バーク人の攻撃にはできるだけ間接的に対応するんだ」
 自分に偽りのない指示を下すその姿は、見ている者に自然と快い承諾をさせた。
「そんじゃ、あたしが先頭だねっ」
 無人くん二号の巨体にまたがったプリシスがずしんずしんと先に進む。
「ノエルさんも無人くんに乗ってください。道案内のために」
「分かった」
 プリシスは二号のアームでノエルを後部席に乗せながら、
「クロードは乗らないの~?」
「いや、僕は無人くんと並んで走るよ。レナも乗るかい?」
 僅かでも躊躇いながら戦うのはよくないと考えたクロードはそう訊ねたが、レナは首を振った。
「ううん。私は大丈夫。ありがとう」
 笑ったその顔には多少無理をしている感もあったが、クロードはレナの意思を尊重することにした。
「じゃあ、レナはチサトさんと一緒に僕のすぐ後ろに、アシュトンとセリーヌさんは最後尾を。レオンはその間で、前後どちらの援護にも回れるように頼む」
 クロードはてきぱきと指示を飛ばし、プリシスに合図すると無人くん二号と一緒に走り出した。
 進み始めるとすぐに、横の通路からクロードと同じくらいの背丈のバーク人が顔を出した。入り口付近で見た死骸と同じく無骨な犬の石像のようなものが、意思を持って襲い掛かってくるのだ。無人くんはさっさと通り過ぎてしまい、クロードは素早く身をかわして先を急ぐ。チサトはレナの腕を引き寄せて二人とも回避し、レオンは避けようとして転んだ。それをアシュトンが拾い上げ、セリーヌがサンダーボルトを地面に放って足止めをする。
 しかし、なかなかしぶといこのバーク人は低く枯れた声をあげて追ってきた。
「まったくクロードったら、ここって、結構嫌なポジションじゃありませんこと?」
 セリーヌは走りながら呪紋を詠唱する。並走するアシュトンは拾ったレオンを自力で走らせて、二本の剣の先に氷塊を作った。
「それだけクロードは君を頼りにしてるってことだよ」
 ありきたりな返答に落胆しつつ、セリーヌは呪紋を放った。
「イラプション!」
 たちまち通路は炎に包まれ、バーク人は急ブレーキをかける。そこへアシュトンのノーザンクロスが加わり、溶けた氷が蒸発して視界を遮った。
「ナイスコンビネーションですわねっ!」
 喜びのあまり走りながら飛び上がったセリーヌは着地の瞬間によろけてしまい、ゴツゴツの地面との接吻まであと一センチというところでアシュトンに抱えあげられた。
「あと半分だ~! みんな頑張れ~っ!」
 前方からのクロードの声を聞きながら、セリーヌはアシュトンの腕の中で丸くなっていた。

「これが、バーク人のボス……?」
 一際高い天井を持つその部屋は、壁も天井も全てが死骸で埋め尽くされていた。それもかなり大きな死骸ばかりで、しかも大量だった。無数の目がオレンジ色に光って、侵入者を迎える。そしてその中央の岩壁にには、どの死骸よりも大きなバーク人が埋まっていた。生きている証拠に体からは淡い緑色の光を放ち、目はきついピンク色に輝いて、浅く開けた大きな口からは低い唸り声を響かせている。だが、まるで動く気配がない。
「動けないのかしら……?」
 レナがゆっくり近づくと、バーク人は唸り声を大きくした。だが、やはり動けないようである。ノエルは無人くんから飛び降りると、バーク人を観察しながらレナに声をかけた。
「気をつけて。体は動かなくても、紋章力を持っていますから」
 レナは頷きながらも、少しずつバーク人に近寄っていった。
「ねぇ、ノエルぅ」
 無人くんの上から、プリシスは動物博士を馴れ馴れしく呼んだ。
「バーク人ってさ、なにを食べてんの?」
「主食は岩石です。彼らの歯はダイヤモンドでできているので、どんな岩でも噛み砕けるんです」
 答えながらも、ノエルはバーク人とレナから目を離さない。
「ふ~ん……。でもさぁ、アイツ、動けないのにどうしてんのかな?」
 そう言われれば、とノエルは気付いた。調査できる時間は短いので、前回来たときにはボスが食事する場面を見られなかったのだが、もともとバーク人は一度食べると小さい者でも数日間は何も食べないことが知られているため、単に運が悪かったのだと思っていたのだが……。動けなければ食べられるはずもない。
 レナは更にバーク人との距離を縮めた。もう目と鼻の先である。クロードは剣を構えながら、レナの後ろを数歩遅れてついて歩いた。セリーヌやレオンも呪紋を唱える準備をしている。状況が、サイナードのときに似ていることを全員が感じていた。もしも再びレナの心で対立が避けられるのなら、それに超したことはない。
 腹に響くような唸り声がこだまするなか、レナはじっとバーク人の目を見つめながら足を進めて、そしてバーク人の肌に触れた。その瞬間、バーク人の両の目が激しく光り、赤紫色の光線を二本放った。それはクロードの足元を直撃し、爆音を立てて付近の岩を粉々に砕いた。セリーヌたちはいよいよ身構えたが、バーク人の心音を聞くかのように岩肌に耳を当てたレナがそれを制止した。
「みんな、武器を下ろして。ただ怯えているだけなの」
 セリーヌたちは互いに顔を見合わせ、不承不承ながら武器を下ろして一歩下がった。爆発でひっくり返ったクロードは、ノエルに助けられながら仲間たちのもとへ戻る。
 レナは労わるようにしてバーク人の肌を撫でた。すると、バーク人はか細い声で鳴いた。レナははっとして顔を上げ、バーク人の顔の前に回って声をあげる。
「それは本当なの!?」
 通じたのか通じないのか、バーク人は悲しげに吼えた。レナはその鼻先にすがり付いて、身を震わせた。バーク人の目の輝きが、徐々に薄れつつあった。
「ごめんね、ごめんね……。あなたの大切なときに……。でも、寂しくはないから。私がついているから」
 レナは鼻をすすりながら体を起こし、消えゆく瞳に手を伸ばした。しかしその指先が触れる前に、バーク人の両眼は輝きを失った。小さな唸りを一つ残して。
 そして、バーク人の体は崩壊した。頭のてっぺんからひびが入り、それが全身へと伝わって、硬いはずの岩はレナの腕の中でぼろぼろと崩れていった。レナが懸命に繋ぎとめようとかき集めても、回復呪紋をかけてみてもそれはもとには戻らず、後には青い砂の山だけが残った。

「……レナ」
 ノエルの治療を受けたクロードは、鼻をすするレナの背中に立った。バーク人との間で何があったのか想像もつかないが、黙って泣き止むのを待とうという気にはならなかった。
 レナは両の手で砂と化したバーク人の亡骸をすくった。
「あのバーク人はね……、もう寿命だったんですって。……動けなくなって、食べられなくなって、この場所でじっと死ぬのを待つの。そうやって死んだバーク人だけが綺麗な砂になって、……幸せになれるの。それなのに、私たちが来て……」
 嗚咽を漏らすレナの肩に、クロードは手を置いた。
「でも、こいつは一人じゃなかった。他のバーク人は誰も来なかったけど、レナがいた。だから、きっとちゃんと幸せになったと思うよ」
 クロードの腕にしがみ付いて、レナは声を押し殺して泣いた。ことあるごとに感じるのは、レナの、命に対する過剰なまでの優しさである。どんな相手であろうとも、一つの命として対等の関係を作り、時には自分と同化してしまう。きっと、何か自分の知らない理由が、レナにはあるのだろうとクロードは思った。単に優しいだけではない優しさがレナの中には確かにあって、それをクロードは何よりもかけがえのないものと感じていた。
「ねーねー、レアメタルってこれじゃない?」
 後ろで、仲間たちの声がする。でも今は二人だけでいよう。それが今一番いいことだから。