■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [レナ編]


第七章 破滅への輪舞曲ロンド

1 闇黒に射す光 ~エルリア集落~

 ……ゆらゆら……ゆらゆら……。

 大きなうねりに呑み込まれたように、揺れている。

 ……ゆらゆら……ゆらゆら……。

 水の中を、あるいは空の上を、為すがままに漂うている。

 この安らぎにも似た温もりは何だろうか。この身を愛撫するように揺すぶるものは。
 歌が聞こえる。柔らかな、女のひとの声だ。
 懐かしい旋律。実際に聞いた覚えはないが、物心ついた頃から気がつくと口ずさんでいた。
 女は切々と謡いあげる。

  鳥の歌を聞きなさい、
  この世が悲しみに覆われる前に。
  大地の息吹を聞きなさい、
  この世が闇に包まれる前に。
  主に護られしこの森よ、
  たとえ世界が滅ぶとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。

 寄せては返す波のように、女の声がからだに伝わり、沁み込んでいく。朦朧とする脳裏には、ひとつの光景が映し出されていた。
 灰色の天井。ゆらゆら揺れる温もり。歌の主は目の前でこちらを見下ろして微笑んでいる。女の顔をよく見ようとしたとき、急に意識が薄らいできた。閉ざされる視界の中で、女の歌声ばかりが鷹揚おうようと流れる。

  獣の叫びを聞きなさい、
  この世から希望が失われる前に。
  木々の嘆きを聞きなさい、
  この世がこの世でなくなる前に。
  主に護られしこの森よ、
  どれほど罪が重くとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。


 安らぎの歌声は、いつしかさざなみの音に変わった。
 誰かに呼ばれたような気がして、レナはゆっくりと目を開ける。薄暗い空と、自分を覗き込む仲間たちの顔。
「気がついたな」
 ボーマンが口許をつり上げて笑いかけた。セリーヌやオペラも安堵の溜息をつき、胸を撫で下ろす。
 レナは冷たく湿った砂地の上に横たわっていた。上半身を起こして辺りを見渡す。左には水平線いっぱいに広がる海。右にはごつごつした黒い岩。その向こうには、闇の帳の降りた大地を垣間見ることができる。空は濃い夕闇に包まれ、赤々と燃えているようだ。
「ここは……どこ?」
 まだ明瞭としない意識の中、レナが仲間たちに訊く。
「エル大陸、でしょうね、たぶん」
 肩を竦めて答えるはオペラ。その言葉が頭の隅まで行き渡ってようやく、レナは自分たちに何が起こったのかを少しずつ理解する。
 エル大陸への侵攻。魔物の襲撃に遭い、そして。
「あのとき、私たちは海に落とされて……大陸ここに流れ着いたのね」
 そう言って立ち上がると、はたと気づいて周囲の仲間たちを順繰りに見ていった。傍らにボーマン、その横にオペラとエルネスト、セリーヌは地図を広げてこの場の地形を確認しており、ディアスは海岸に立って海の向こうを眺めている。いない、どこにも、いるべきひとが、この場にいない。
「クロードは……どこ?」
 仲間たちが表情を曇らせる。レナは不安と焦燥とで押し潰されそうだった。
「ねぇ、クロードは、どこにいるの?」
 すがりつくようにボーマンに問いただした。ボーマンは顔を背け、眉間に皺をつくる。
「……ここに流れ着いたのは俺たちだけだ。クロードは……」
「うそ!」
 言葉を待たずしてレナが声を張り上げた。
「うそよ! どうしてクロードだけ!? どうして私たちが助かったのに、クロードだけ」
「レナ、落ち着け、いいから自分を抑えるんだ」
 ボーマンは取り乱すレナの肩をつかんで懸命に言い聞かせる。
「いいか、ここは敵の本拠地なんだ。下手に行動を起こせば魔物の餌食になりかねん。落ち着いて、冷静になって、これからのことを考えるんだ」
 あのボーマンが真摯しんしにこちらを見つめ返している。そう、事態は逼迫ひっぱくしているのだ。レナは糸が切れた操り人形のようにがくりと肩を落とし、項垂うなだれた。
「場所がわかりましたわ」
 セリーヌがやってきて、砂地の上に地図を広げて置いた。そのうちに他の仲間たちも集まり、地図の周りに輪をつくる。
「今、わたくしたちがいるところは、ここ」
 と、セリーヌは左上の大陸の一端、南西の海岸を指で示した。それから大陸の中心付近、東の海岸と続けて指していく。
「エルリアがここ、テヌーがここですから、どちらにしろ随分と離れた場所に流れ着いてしまいましたわね」
「で、これから俺たちはどこへ行けばいいと思う?」
 ボーマンが訊くと、全員が黙り込んでしまった。
「とりあえず」
 再び切り出したのはエルネスト。
「大陸の住民に会うのが先決だろう。あれこれ考えるのは、やはり話を聞いてここの現状を把握してからでないと」
「でもエルリアは魔物に占拠されているんでしょう? もし街から逃げ出した住民がいたとしても、今はどこにいるかわからないじゃない」
「それに、もうこの大陸に人なんて住んでいないかもしれませんわね」
 オペラとセリーヌがそれぞれ言い募ると、エルネストは苦笑して首を捻った。
「それは、運を天に任せるしかないだろう。ただ、エルリアから落ち延びた住民がいたとすれば、街から離れたこの付近に逃げ込んでいる可能性は大いにある。どのみち長くはここにいられないんだ。……捜すしかないだろう」
「だな」
 ボーマンが神妙に請け合った。
「よし、そうと決まればすぐに出発だ」
 セリーヌが地図をしまい、仲間たちが歩き出そうとしても、レナは水平線を見つめたまま立ちつくしていた。
「レナ」
 ボーマンが諫めるように呼びかけても、彼女は海から目を離そうとしない。
「ねえ……もうちょっと、ここで待っていてはだめ? もしかしたら、クロードが流れてくるかもしれないし」
「気持ちはわかるが」
 と、エルネスト。
「ここは目立ちすぎるんだ。一刻も早く海岸を離れないと、いつ魔物に襲われるやもしれん」
 それでもレナは動かない。仲間たちは困り果てて、互いに目配せをする。
 不意に、ディアスが歩み寄り、レナの前に立った。彼女の前髪を指で掻き上げるようにして頭を撫でる。
「奴なら大丈夫だ」
 いつもの口調で、彼は言った。
「俺が認めた男が、これしきのことでくたばるものか。無事でいるさ、きっとな」
「……うん」
 視線を落としたまま小さく頷き、ようやく歩き出した。鉛のように重い足を、一歩ずつ、引きずるように。

 海岸から離れて少し歩いたところで、前方の森の中から一筋の煙が立ち上っているのを見つけると、彼らは迷わずその方へと向かった。暗澹あんたんとした森の中に踏み入り、慎重に歩を進めていく。
 やがて、樹木の間を縫うようにして、柵に囲まれた家々が見えてきた。柵は杭を乱雑に打ちつけ、その間に二枚の板を渡しただけのもので、家屋も丸太を組み合わせたごく簡素なものだった。中には土台が崩れて一方に傾きかかっている小屋もある。彼らが目印とした煙は奥のひときわ大きな家の煙突から上っていた。
 柵の途切れた入り口の前では男がふたり、背丈よりも長い棒を持って番をしていた。
「そこで止まれ」
 門番は彼らに気づくと棒の先端を突きだして言った。
「見かけん顔だな。どこから来た?」
「わたくしたちは船から落ちて、そこの海岸に流されてきましたの」
 セリーヌがかいつまんで説明すると、男たちは目を丸くして、それから痛いような笑みを作った。
「そうか、そいつは運が悪かったな。ここはエル大陸だ」
「やっぱり、そうなのね」
 オペラが腕を組んで嘆息した。彼女の手に愛用のランチャーはない。今頃は海の底に沈んでいることだろう。
 門番は構えていた棒を解いて道を開ける。
「まぁ、なんにせよそういう事情なら歓迎するよ。ここはエルリアやテヌーから逃げ出した者たちが住まう集落だ。ここまで歩いて、さぞかし疲れたろう。中に入ってゆっくり休むといい」
「助かりますわ」
 礼を言ってセリーヌが、それから他の仲間たちが中へ入った。最後尾のレナは、門番の横を通り抜けるときに立ち止まって。
「あの……私たちの他に、海岸に流れ着いた人が誰か来ませんでしたか?」
 そう訊ねてみると、門番のふたりは顔を見合わせて、すぐに首を横に振った。
「いや、来てないな」
「そう、ですか」
 消え入りそうな声で返事をして歩きかけたとき、門番の片割れが再び呼び止めた。
「そうだ、君たち、あとで長のところへ行って事情を説明してくれないか。その先の……そら、煙突が見えるだろ? あの建物にいらっしゃるから」
「わかりました。……けど、まだ仲間が来るかもしれないんです。もう少し待って、それからでもいいですか?」
「ああ、構わないよ。長には私から話しておくから」
「すみません」
「……なんだか元気ないね。しっかりしなよ」
「……はい」
 誰の目から見ても、レナの沮喪そそうは明らかであった。

 長の家の前の広場で、彼らは待った。
 どのくらいの刻が過ぎていったろうか。空が赤いのは夕闇が故ではなく、魔物の放つ濃い瘴気が大陸全体に立ち籠め、陽の光を遮っているからだった。よって、完全に闇に包まれる夜を除けば、いつまでも空は赤いままである。
 レナは切り株に腰掛け、膝を抱え込むようにしてうずくまっていた。仲間たちは彼女から少し離れた場所で、めいめい思いを馳せながら佇んでいる。長の家の煙突は相変わらず細い煙を吐き出している。クロードが周囲の海岸に流れ着いていれば、この煙を頼りにして来るかもしれない。
 だが、過ぎてゆくのは時間ばかり。のろのろと、もたもたと、彼らを嘲弄ちょうろうするように何もない刻が流れていく。とりわけレナにとって、この時間はもはや堪えがたい苦痛を伴うものだった。
 クロードが、いない。
 つい数ヶ月前に出会ったばかりなのに、そのことがまるで自分の半身が抜け落ちたように彼女をさいなむ。思えばクロードと旅を始めてから、ずっと行動を共にしてきた。気持ちが通じ合わずに離れてしまったこともあったけど、こころの片隅ではいつも彼のことを想っていた。彼と過ごした日々がどれだけかけがえのないものだったということが、皮肉にも、彼がいなくなってみて初めて気づいたのだった。
 さらに無為な刻は流れ、ついにボーマンがレナのそばに歩み寄ってきた。
「レナ、とりあえず先に長のところへ行こう。見張りがいるんだ、クロードがここに来たらすぐに知らせてくれるさ」
「……クロードなんて、知らないわ」
 両腕で抱えた膝を睨みながら精一杯に強がるその声は、震えていた。
「心配なんて、してないもん。……全然、平気なんだから」
 ずっと一緒だよ。そう言ってくれた声が寂寞せきばくの彼方に霞んでいく。
(いやだ、消えないで)
(お願い、戻ってきて。もう一度、あの声を聞かせて)
(どうか神様、お願い──!)
 固く目を瞑ってこいねがった、そのとき。
 足音が。
 誰かが駆けてくる足音が聞こえた。
 落ち葉を踏みしめる音が大きくなり、仲間たちの前で止まる。
 レナの視線は自分の膝に固定したまま。見るのが恐かった。もし違っていたら、立ち直れないかもしれない。胸が高鳴り、指先が細かく震えだした。
「レナ!」
 その者は叫んだ。脳裏で消えかかっていた言葉が、声が沸々ふつふつと湧き上がってきた。レナは顔を上げる。はずみに瞳から弾けた滴が赤い光を受け、紅玉ルビーのように輝いて飛散した。
 息を切らせて立ちつくす金髪の若者と目が合うと、もはやこらえていた感情を抑えることはできなかった。涙がぼろぼろと零れ落ち、立ち上がって一目散に彼の懐に飛び込んだ。あまりの勢いに彼の方がうしろにぐらついたほど。
「ばかぁっ!」
 泣きじゃくりながらいきなり怒鳴りつけられて、さしものクロードも面食らった。
「どうしていなくなっちゃうの! ずっと一緒だって言ったじゃない! 男のくせして約束ひとつ守れないの!?」
 クロードはしばらく茫然とレナの顔を見ていたが、突然に、彼女の身体を引き寄せて、抱きとめた。
「ごめん」
 純朴そうに謝る彼に、レナの頬がたれたように赤く染まる。恥ずかしいのを隠すため彼の胸に額を埋める。そこは、懐かしい匂いと、ぬくもりに満ちていた。
「なによ。ちっとも心配なんてしてなかったんだから……」
 それでも口から出るのは強がりの言葉。そんな自分が少しもどかしかった。
 遠巻きにそれを見守る仲間たちからも、ようやく笑顔が洩れた。
「まったく、素直じゃないわねぇ」
 オペラが髪を掻き上げて苦笑する。
「あいつは昔からそうだからな。変わらんよ」
 ディアスは先程までレナが座っていた切り株に腰を下ろして、面白いように眺めている。
「それにしても、見せつけてくれますわね。わたくしも人のことを言えるクチじゃありませんけど」
 顔を背けつつも、横目でふたりの様子を盗み見するセリーヌ。
「諸手をあげて喜べる状況ではないが、まあ何にせよ無事でよかった。……な?」
 エルネストは隣のボーマンを肘でつついて言った。誰よりも彼女を気遣っていたボーマンは、安堵のあまり言葉も出ないらしく、そのまま脱力して地面に座り込んだ。
 クロードが彼女の背中にあてがった手を降ろしても、レナは離れようとはしなかった。額を胸に押しつけて、彼の息づかいを、鼓動を感じとる。
「あなたがいなきゃ、だめなの」
 ようやく落ち着きを取り戻したレナが、彼にだけ聞こえるようにそっと囁く。
「強くなくたって、勇者じゃなくたっていい。あなたがそばにいてくれれば、私はそれでいいの」
 燃えるような空に、紅の太陽が高く昇った。光を受けて、ふたりの身体も朱に染まる。


「近頃は冷え込んでくると体の節々が痛んでのう、魔物に見つかる危険があると知っていても、なかなか火を消すことができん。いやはや、年には勝てんよ」
 彼らを導いた煙は石を積み重ねて造った暖炉から出ていた。小間使いらしき中年の女が薪を中にくべると、ぱちぱち爆ぜて火の粉を上げる。おかげで家の内部は、軽く握った掌が汗で湿っぽくなるほどに暑い。
 長の家並みは他の家に比べれば幾分はましな方なのだろう。質素な木造の平屋ではあるが、暖炉に加え、奥には枕と毛布が敷かれた寝台もしつらえてあった。
 集落の長は暖炉の前で、丸太を輪切りにしただけの椅子に腰掛けた。杖を持つ右手の腕は木の枝のように細い。皺だらけの顔には茶褐色の肝斑しみが点々と付着し、こちらを目する双眸に宿る光は濁っていた。傍らには凛々しい容貌の青年が腰に剣を差して控えている。さしずめ護衛兼相談役といったところか。
 簡単に紹介を終えて、長はすぐ本題に切り出した。
「さて、いきなりで恐縮だが……そなたらはエルに向かう途中で魔物に襲われ船から落ちて、ここの海岸に流れ着いたということじゃな」
「はい」
「しかし、ここ数ヶ月、他の大陸からの船は全く途絶えていたはずじゃが……どうしてわざわざこの禍々しき地に向かおうなどと考えたのかね?」
「それは……」
 彼らは口ごもった。事実を語れば失望させてしまうことになる。
「待って」
 ところが期せずして、小間使いの女が口を挟んだのだ。
「あなたたち、もしかしてラクールから来たんじゃないの?」
 嘘をついてまで隠し通すことはできなかった。
「……そうです」
「やっぱり! じゃあ、私たちを助けに来てくれたってことよね?」
 その問いに応えるものはなかった。それでも女は期待をあらわにして、浮かれたような口振りで続ける。
「ほんとにもう、やっと来てくれたのね。ずうっと待っていたんだから。それで、迎えの船はどこにあるの?」
「自重したまえ」
 そう諫めたのは長の隣に立つ青年。落ち着き払った態度で淡々と諭す。
「彼らが置かれている状況を考えれば、どういった事態なのかはわかるだろう」
「どういう意味よ」
 女はむっとして青年を見返したが、彼は鼻で溜息をつくばかりで応えようとしない。代わりに長が。
「つまり、ラクールは魔物側に敗北したということじゃな」
「はい……おそらくは」
 クロードが言うと、女は愕然と彼を見た。
「そん、な……」
「仕方あるまい。あまりにも魔物が強すぎるのだ」
 長は杖をついて立ち上がり、彼らに背を向ける。
「ソーサリーグローブが落下して以後の魔物の強さは尋常でない。もはや、我々に対抗する手段は残されてないのかもしれぬ」
「ひとつ、よろしいかしら?」
 セリーヌが口を開くと、長は首だけを動かして彼女の方を向いた。
「何かな」
「ソーサリーグローブが落下した場所は、今はどうなっていますの?」
「……魔物の巣窟じゃよ。まさに」
 長はそれだけ言って、また首を戻してしまった。
「エルリアの落下地点には、巨大なクレーターができたのだ」
 青年が説明する。
「落下の衝撃で街は半壊してしまったが、それでも今よりはましだった。今ではエルリアはおぞましい魔物がうごめく魔窟と化している。街はとっくに消滅し、エル城ももはや原形をとどめていない」
「なにもかも、あのソーサリーグローブのせいなのよ! あの石さえ落ちてこなければ……」
 女が吐き捨てるように言ったところで、会話がしばし途絶えた。外から吹きつける風を受けた戸が、がたがたと鳴っている。
「……わかりました」
 沈黙を破ったのはクロード。
「エルリアに敵の本拠地があるんですね」
「そうじゃが、なぜそんなことを……まさか」
 長は振り向きざまに眼窩がんかを大きく開いて彼を見た。クロードは毅然と前を向いている。
「僕らはエルリアへ行って、厄災の原因となったものを突きとめます。そして、それがソーサリーグローブであるなら……破壊します」
「君は自分の言っていることがわかっているのか」
 青年は冷淡にクロードを見下ろす。
「エルリアは魔物の根城だぞ。そこへたった七人で乗り込むなど。これを無謀と言わずしてなんとする」
「わかっています。でも、僕らはそのためにここまで来たんです。方法がないからといって、何もしないで黙っているほど諦めのいい人間でもない。任せてくださいとしか今は言えませんが」
 長はクロードを見、レナを見て、仲間たちを見渡した。絶望ばかりが支配するこの闇黒の大陸においても、彼らの瞳は爛々と輝いていた。決意は揺るぎそうもない。
「……あいわかった」
「長殿?」
 青年の怪訝な眼差しを遮るように、長は深く瞑目して、言った。
「たとえわずかな希望であれ、そなたらがそれに賭けるというのであれば、我々も協力しよう。……この屋敷の隣に小屋がある。集落に逃げ込んだ者が持ち寄った武器がそこに保管されている。必要なだけ持っていくがよい」
「ありがとうございます」
 クロードは心から礼を言った。
「あの、それからもうひとつ、聞きたいことがあるんですが」
 と、前に進み出たのはレナ。
「私たち以外に、海岸に流れ着いた人が来たという話は……」
「ふむ? 少なくとも儂らは聞いておらぬが」
「そうですか……」
 レナは俯いた。船団に乗り込んだ多くの兵士たち、そしてレオンは。海に沈み、泡とともに消えていく少年の姿がふと思い浮かんだが、慌てて首を振り不吉な想像を掻き消す。
「レオンは、きっと、生きているよね」
 スカートの隠しを探ると、少年から貰った『お守り』があった。銀色の鎖を握りしめて、レナは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


「話は聞いているだス。好きなものを持っていくとよろしいだス」
 武器庫の案内をした男は、語尾に癖のある喋り方をした。
 彼らが中に入って確認すると、そこにある武器や道具は、埃は被っているもののかなりの代物であった。街の人間が持ち寄ったというから、さほど期待をしていなかっただけに、この質の高さには目を見張るばかりだった。
「そりゃ当然だス。命がけで逃げ出すってときに、そこらのナマクラ刀を持っていく奴はいないだス。ここにあるのは、ほとんどが家宝として大事に保管されていた品物なんだスよ」
 彼らの疑問に男がそう説明した。
「僕はこれにするよ」
 クロードが選んだのは、切っ先が鋭く尖った両刃の剣。なめし革の鞘は薄汚れていたが、すらりと抜き放った刀身の輝きは見るものを圧倒した。形ばかりで構えてみると、身体とのバランスも悪くない。
「ふん、剣士が剣をなくしていては失格だな」
 ディアスの嫌味を背中に受けながら、クロードは剣の鞘を腰につけ替えた。ディアスはしっかりと腰にギャムジーの剣シャープネスを差している。
 ボーマンやセリーヌもそれぞれ自分の武器を見つけだした。エルネストは予備の鞭を身につけていたので問題ない。
 オペラは武器には目もくれず、部屋の片隅に積まれたがらくたばかりを探っていた。
「ねぇ、ここにあるものも、持っていっていい?」
「別に構わないだスが……」
 男がそう返事すると、オペラは嬉々として中の鉄屑をいくつか選び出した。
「あ、それから、工具みたいなものはないかしら」
「それならここにあるだスよ」
 男は部屋の奥から一抱えほどもある木箱を引っ張り出してきた。中には金槌、のこぎりやすりのみと、それらしいものはほとんど揃っている。
「かなり古いものだスが、どこかの職人が使っていた工具だとかで、使い勝手はいいと思うだスよ」
「ありがとう、助かるわ、お兄さん」
 オペラが色めかしい笑顔で片目を瞑ると、男は呆気なく鼻血を噴いて卒倒した。
「そんなもの借りて、どうするんですか?」
 不思議に思ったクロードが訊いてみる。
「決まってるじゃない」
 と、オペラは口許をつり上げて。
「ランチャーを作るのよ」
「これだけの材料で作れるんですか?」
「多分ね。エネルギーパックは持っているから、それを装填する装置さえ作れば銃の形はどうだっていいのよ。時間もないから、小型のライフルくらいの大きさにしかならないだろうけど」
 そう言ってから、彼女は隣のエルネストの服をつまんで引っ張ると。
「もちろん、手伝ってくれるわよね」
「む……」
 にこりと笑いかけるオペラに、複雑な表情をして見つめ返すエルネスト。
 その頃、オペラの悩殺ウインクで倒れた男がようやく起きあがってきた。
「ふ、不覚だス……おらとしたことが」
 手で鼻の下を拭って立ち上がったとき、懐から何かが零れて床に落ちた。掌ほどの大きさの、赤い半透明の板だ。
「それは?」
 目ざとくそれを見つけたクロードが男に訊いた。
「ああ、これだスか」
 男は板を拾い上げて彼の前に差し出す。レナも加わり、三人でその板をじっと見つめる。
「なあに、これ?」
「エルリアから逃げるときに拾ったんだスよ。何に使うのかよくわからないけど、きれいだから取っておいたんだス」
「見せてください」
 板を受け取ると、クロードはそれを眼前に近づけてみたり、明かりに透かしたりしてみた。
「間違いない……これはIDカードだ。たぶん、センサーで感知するタイプの」
「愛泥カード?」
 レナの言葉に明らかな解釈の違いに気づいたクロードは、続けて何か言おうとした口を止めて。
「あ、いや、なんでもないよ。気にしないで……」
 首を傾げるレナにそうつけ加えてから、男の方に向き直る。
「このカード、よければ僕にもらえませんか?」
「ああ、どうせおらが持っていてもしょうがないから、必要ならあんたにあげるだス」
「あら、ほんとに親切ねぇ、お兄さん」
 そこへオペラが割り込んできた。急に顔色を変えて後退りする男。
「あんまり親切だから、今日はサービス」
 と、彼女は指で自分の足許を示す。男が何気なく視線を下に向けたとき、服の裾が大きく翻った。男はまた鼻から赤い飛沫を盛大に上げて倒れる。
「がっ!」
 倒れた際、壁際に飾ってあった甲冑の臑当すねあてに後頭部をぶつけてしまった。甲冑はゆっくりと傾いて、頭を抱えてもんどり打っている男に向かって倒れる。
「ぎゃふん!」
 あえなく甲冑の下敷きになった彼は、それきり動かなくなった。
「さて、早速作業に取りかかりましょうか」
 オペラは平然と小屋を出ていこうとする。対処に困ったレナは彼女を呼び止める。
「ち、ちょっとオペラさん、この人どうするんですか。放っておいたら死んじゃいますよ」
「だったら、あなたが呪紋でもかけてあげれば」
 鼻血まみれで甲冑に潰されている男を、レナはチラッと見て。
「そんな。嫌ですよ、こんなの」
「こんなのって……」
 彼の命運や、いかに。

 その日の夜は、長の家に隣接する小屋に泊まることになった。本来は薪や丸太を保管する小屋なのだが、部屋の造りは意外にしっかりしており、全員が横になるのに充分な広さもあった。集落のどこかでは馬も飼っているらしく、小屋には飼葉も多量に積まれており、彼らはそれにくるまって眠った。
 闇の帳が下り、夜が更けてもオペラとエルネストは小屋の外で武器製作の作業を続けていた。彼らに少し話すことがあったクロードも途中まではつきあわされていたが、あまりの眠さに集中力が散漫になり、金槌で自分の指を思いきり打ちつけたところでようやく解放してくれた。
 腫れた左手の親指を庇いながら戸を開けて、小屋の中に入る。部屋のそこここに、飼い葉に埋もれるようにして眠る仲間たちの頭があった。奥の方で青い髪が揺れたのを見つけると──なんとなく周囲を見回して誰も起きていないのを確認してから──そちらへと足を運んだ。
 少女の枕元にそっと腰を下ろすと、その寝顔を見つめる。うつ伏して片頬を下に向け、その横に手を添えて穏やかに寝息をたてる少女の顔を、ただひたすらに見つめる。彼の想うところはやはり、これまでの旅のことか。それとも。
(だいじょうぶ)
 いとしい少女を前にして、少年はこころの中で誓う。
(僕はどこへも行かないよ)
 そうしてすぐに背中を向け、自らも飼い葉をかぶって横になった。

  主に護られしこの森よ、
  たとえ世界が滅ぶとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。

2 カ、ミ、カ、ゼ ~エルリアタワー~

 赤茶けた土塊つちくれが剥きだしの大地を進むと、そこには巨大な塔がそびえていた。
 地図の上では確かにエルリアの街並があった場所である。しかし、今やその痕跡は見てとれない。話には聞いていたものの、ここまで完璧に消滅しているとは想像だにしなかった。目の前にあるのは、燃え上がるように危険な赤色を放つ異質の建物のみ。不自然なほどに大きな一枚岩の扉には、中央の上下に鋭く亀裂がはしっている。真上を仰ぐと、塔の中途からは空に立ちこめる暗雲に突き刺さっており、どの程度の高さなのかは視認できなかった
「なんだ……こりゃ」
 ボーマンがぽかんと大口を開けながら言った。
「ここが敵の本拠地なのか?」
「そのようですわね。けれど……」
 怪訝そうに周囲に目配せしてから、セリーヌが。
「なんだか様子が変ですわ。ここに来るまで一度も魔物に遭遇しないなんて。気配すら感じない」
「中に入ってみればわかることだ」
 ディアスは腕組みをしたまま動じない。
「この中に、ソーサリーグローブがあるのかしら……」
 レナがおもむろに塔に歩み寄った、そのとき。
「きゃっ!」
 レナの胸許から強烈な閃光が迸った。直視できないほどの碧白い光が辺りに充満し、またすぐに消え失せる。
「今のは……ペンダント?」
「レナ!」
 地面に膝と手をついて倒れているレナを見つけると、クロードは真っ先に彼女の許に駆け寄った。
 レナは肩で息をつき、瞳を見開いて灰色の地面を睨んでいた。クロードの呼びかけにこちらを向くと、あえぐような小声で言った。
「いま、私……」
 言葉の途中で急にかぶりを振って、すぐに言い直す。
「ううん、なんでもない。私はだいじょうぶよ。ちょっとびっくりしただけだから」
 心配そうに覗き込むクロードの前で、身軽に立ち上がってみせる。
「どうして急に光りだしたのかしら?」
 その横でオペラが首を捻った。
「それに、今のはこれまでになく強い光だったわね」
「まさか」
 クロードが突然声を張り上げた。
「ソーサリーグローブに反応しているのか?」
 請け合う者はいなかったが、その場に不吉な空気がひとしきり流れた。
「とにかく、中に入ろう」
 全員に確認すると、クロードは塔に近づく。他の仲間も後からついていく。彼らは巨人の住処の入口とも見紛うほどの石扉の前に立った。
〈ID照合完了。ロックを解除します〉
「え?」
 どこからともなく金属音めいた声が響いて、中央の亀裂からすみやかに扉が開かれた。振動も音もなく、大きな一枚岩が左右に割れていくのを目の当たりにして、レナやセリーヌたちは目を丸くした。
 だが、先頭に立っていたクロードは驚いた様子もなく、オペラとエルネストの方を振り返って互いに神妙な表情をするばかり。あたかも三人だけは、こうなることがわかっていたように。
「扉は開いた。……行こうか」
 レナたちにはそう告げて、クロードとオペラ、エルネストは入口を潜っていった。腑に落ちないまま、四人も塔の内部へと足を踏み入れた。


「侵入者だと?」
 闇の中で、男が言った。クッションの入った椅子に腰掛け足を組み、手には赤黒い液体で充たされたグラスを持って。
「はっ。タワー入口のロックが解除され、中に人間が数名入り込んだ模様です」
 男の前で片膝をついて報告するのは、赤紫の翼をつけた人型の魔物。魔物軍首領のシンだ。
「いかが致しましょう」
「タワーに残っている魔物を全てし向けろ。間違ってもクォドラティック・スフィアには近づかせるな」
「御意」
 シンは翼を翻し、闇の彼方へ飛び去っていった。
 男は口許にグラスを持っていき、薫りを愉しむように軽く回した。その五指は金やら銀やら数多の指輪で星をちりばめたように煌めいている。
「さて、タイムリミットは三時間足らず。ここまで辿り着けるかな……」
 グラスを傾けて赤黒い液体をすすると、その口がニッと嗤った。


 内部は不可思議な光で充たされ、角灯がなくても隅々まで見渡すことができた。壁や天井こそ積石が風化し、そこかしこに稲妻のようなひびが入っているが、入り口から奥の壁際までの床には小綺麗な赤い絨毯が延びている。部屋の左右には上へと続く階段もあった。
「この部屋……俺は見覚えがあるぞ」
 辺りを見回して、ボーマンが。
「これはエル城だ」
「まさか」
 すかさず異を唱えたのはセリーヌ。
「城ならここからもっと南ですわ。どうしてこんなところに」
「俺だって信じられんさ。だが、見間違えるはずもない。二年前にエル王の要請を受けて御用達に来たときのまんまだ」
「それじゃあ、城を丸ごと引っこ抜いて、ここに持ってきたとでも言いますの?」
「かもな」
 ふたりのやりとりにエルネストが口を挟んだ。
「ここには、それくらいのことをやってのけてしまうほどの存在があるのかもしれん」
 その曖昧な物言いに、ついにセリーヌは腹底の不満をぶちまけた。
「……どういう意味ですの?」
「それ以上の意味はないさ」
「嘘おっしゃい。クロードも、貴方たちもさっきから何か隠していますわ。もしかしたら知っているんじゃありませんの、ソーサリーグローブの正体を」
「そんなに買いかぶられても困るね」
 物凄い剣幕で食ってかかるセリーヌに、エルネストは苦笑して。
「実際のところ、我々にもわからないんだ。ソーサリーグローブのことも、誰がこんな塔を造ったのかも」
「……先に進もう」
 それでも引き下がらないセリーヌをなだめるように、クロードが言った。
「きっとそこに、答えがあるはずだから」
 セリーヌが再び口を開きかけたとき、いきなり猛獣の咆哮が轟いた。見ると左側の階段の通路から、怪物の首だけが突き出ている。通路が狭くて躯の方は抜け出せないらしい。怒り狂い、もがいているうちに壁が砕け、階段が崩れて、瓦礫とともに巨体は床に降り立った。
 魔物は白い鱗の大蜥蜴、コールドリザードだった。反対側の階段からも山羊頭の怪物ゴウトヘッドやら、上半身は女の姿で下半身は蜘蛛の躯をもったダースウィドウやら、強固な盾と鎧に身を包んだディフェンダーやらが大挙して押し寄せてきた。
「あーあ。やっぱりすんなりとは通してくれねぇか」
 ボーマンが拳に籠手をつけて愚痴をこぼす。クロードとディアスは既にコールドリザードに立ち向かっていた。
 正面から斬りかかるふたりに対しコールドリザードは大口を開けて吹雪を吐いた。ふたりはそれぞれ左右に跳んで躱し、ディアスは着地と同時に空破斬を放つ。巨体は黒い衝撃波にぶつかるとわずかに怯んだ。その間隙をついてクロードが駆け寄り相手の横腹を斜めに斬った。魔物がたけり、切り口から鮮血が飛び散る。クロードはすぐに場を離れようとするが、敵の尻尾が思いがけず速く動いて突き飛ばされてしまった。
「くそっ」
 クロードはすぐに立ち上がり魔物を睨みつけた。彼が斬った横腹の傷も魔物にとっては掠り傷程度だったようだ。
「クロード」
 不意にディアスが呼びかけた。彼は人差し指を突きだし、上の方を示す。指示している事柄を理解したクロードはしっかりと頷き返した。
 今度はディアスが先に斬りかかった。コールドリザードは前脚を振り上げディアスめがけて叩きつける。ディアスは難なく避けるとすれ違うように相手の背後に回り込み、後脚の腱を斬った。四肢のバランスが崩れた魔物の巨体は横に傾く。ディアスは素早く相手との間合いを取る。蹲る魔物の上空では既にクロードが拳を固めていた!
「バーストナックル!」
 落下の勢いに任せて燃え上がる拳を魔物の脊椎に叩きつけた。魔物の躯は薄紙のごとく貫かれ、中心から爆発するように砕け散った。
 どろどろに溶けた肉片に埋もれるようにして、クロードは立っていた。
「……この技、使いやすいんだけど、その後がなぁ……」
 魔物の血を全身に浴びた彼は自分の腕の臭いを嗅いで顔をしかめる。
 反対側の階段付近では他の仲間たちが別の魔物の群を相手にしていた。
「ライトクロス!」
 レナが唱えると、魔物の周囲に光の筋が駆け巡る。光に弱い魔物はそれに触れると呻き苦しんで藻掻きだした。
「よっしゃあぁっ!」
 敵全体の動きが止まったところで、ボーマンが猛々しく群に突っ込んでいった。いち早く気づいたダースウィドウの一匹が鎌鼬を飛ばすがボーマンは闘気をこめた左拳で弾いて、そのまま魔物に突っ込み右拳で殴り飛ばした。その間に背後からゴウトヘッドがにじり寄ってきた。
「しゃらくせぇ!」
 背後に殺気を感じたボーマンはすかさずゴウトヘッドとの間合いを取ると、懐から丸い玉を取り出して相手の足許に投げつけた。褐色の玉は地面に当たると爆ぜて火柱と煙が噴き上がった。煙に冒され、炎に身を焼かれたゴウトヘッドは転がり込むようにして倒れる。
「どうだい、ボーマン様お手製、毒気弾の味は」
 ボーマンは手に持ったもうひとつの丸薬を投げ上げながら不敵に笑った。
 エルネストはディフェンダーと対峙していた。相手は動きこそ鈍いが大きな盾と鎧とに阻まれ、鞭ではまるで歯が立たない。なんとか背後に回り込んでと模索しているうちに他のディフェンダーも加わり、気がつくと彼の周囲を囲んでいた。
「そこをどいて!」
 セリーヌが叫ぶのを聞いたエルネストは、鞭を振るって階段の欄干に引っかけ、それから跳躍して器用に鞭を手繰り寄せ階段に飛び移った。それを確認したのかしないのか、詠唱の終わったセリーヌはすぐに杖をかざして唱える。
「イラプション!」
 ディフェンダーが群れる辺りから凄まじい炎が立ちのぼった。荒れ狂う炎の渦は周辺にいた魔物をあらかた吹き飛ばし焼き尽くす。セリーヌが指を鳴らすと炎は急激に収縮し、やがて消滅した。まだ盛んに炎が立つ絨毯の上には黒焦げの魔物の骸が累々と横たわっていた。
「はぁ……相変わらずすんごい威力ねぇ」
 オペラが呆れたように言った。
「まだまだ序の口ですわ。山岳宮殿で手に入れた呪紋書には今のが可愛く思えるような呪紋がごろごろしてましてよ」
 対してセリーヌは得意げに言い放つ。
「おかげで助かったよ」
 階段の上からエルネストが笑いかけると、セリーヌはわざとらしくしかめっ面をしてみせて。
「まだ納得したわけではございませんからね」
 ぷいと顔を背けて向こうに歩いていく彼女を、エルネストは肩を竦めて見送った。

 二階に上がっても魔物は執拗にクロードたちを襲ったが、百戦錬磨の彼らも無難に退けていった。とりわけクロードとディアスの活躍は他の仲間たちをも寄せつけないほどだった。ディアスの速さについていけるのはクロードだけであったし、クロードの技の威力を活かしきるにはディアスの速さが必要なのだ。ふたりが渾然こんぜん一体となって敵に立ち向かう様はまさしく鳥の両翼のごとく。二枚の翼は雄々しく羽撃はばたき大空を駆け巡るように敵を翻弄し、駆逐していった。互いに息を合わせる必要などない。自分の思うように行動すれば、相手も必然とそれに応じて動いてくれるからだ。
 二階の奥へと進み、頑強な鉄扉を開けた先は、謁見の間とおぼしき場所だった。
 樹木の根のように曲がりくねった柱があちこちの床を貫き、壁を突き抜けてはいたが、床一面にはやはり赤い絨毯が敷き詰められ、奥の一段高くなったところに玉座が設置されていた。その先の壁際には黄色の怪光を発する支柱が真っすぐ上の方へと伸びている。
「これは……」
 玉座には、半ばずり落ちたような恰好で腰掛けている、ひとつの骸があった。肉はとっくに削げ落ち、頭や手は薄茶に変色した骨が剥き出しになっていた。身体を覆う服装と天鵞絨ビロードのマントのみが、生前の栄光と権勢を物語っている。
「エル王、か?」
 そう、それはこの城のかつての主だった。眼窩がんかはただのうつろな穴、整然と歯の並ぶ顎は物言えぬ。ひとではない、変わり果てた姿を晒していても、それはエル王に違いなかった。何かに貫かれたような腹部の痕跡と、血に染まった衣裳を見たとき、彼らはこの王の悲運を悟った。
「この部屋には階段らしきものはありませんわね」
 セリーヌは部屋を丹念に歩き回っている。
「まさか、ここから先は進めないなんて……」
「いや、それは大丈夫だよ」
 と、クロードは玉座の背後に回り込んで、鈍く輝く柱の前に立った。
「みんなも後からついてきて」
 レナたちにはそう告げて柱に向き直ると、クロードの身体は黄色い光に溶け込むようにして消えてしまった。息を呑む間もなかった。
「クロード?」
 困惑するレナの肩に、オペラの手が伸びる。
「さ、あなたもあの中に入って」
 オペラに背中を押されるまま、レナも柱の前に進んだ。
 不審に思い、手を突きだして柱に触れようとすると、すっとその手がすり抜けた。そこで彼女は初めて「中に入る」という意味を理解した。レナは不安そうにオペラを振り返る。
「うん? ……やっぱり恐いか。いいわ、一緒に行きましょう」
 オペラはレナの隣に並んで手を繋いだ。そうして先に彼女が輝く柱に踏み入り、中からレナの手を引く。仕方なしにレナも、こわごわと入っていった。
 身体が黄色い光に包まれた途端、奇妙な感覚が彼女に襲いかかる。空中からまっさかさまに落下するときはこんな感じだろうか。地面に立っているのにそうではなく、かといって宙に浮いているようにも思われない。視界はどこを見ても黄色く輝くばかりで、側にいて手を繋いだオペラの姿すら見えない。耳鳴りのような音が頭の奥にみ込む。気分が悪くなり、もう駄目だと身を屈めようとしたとき、彼女は見知らぬ場所に立っていた。
 建物の屋上なのか、そこは壁も天井もなく、吹き抜けだった。毒々しい黄緑の囲い塀、半透明の床から突き出る不可解な突起物。奥には同じような黄色い柱が二本立ち並び、塀の向こうは巨大な根のようなものがそこいらの暗闇を吸いつくすように這いずりまわっていた。
 正面にはクロードが背中を向けて立っている。柱の中では見えなかったオペラもいつの間にか横にいた。
「驚いたわね。まさかこんなところでこんな建物が拝めるなんて」
 オペラが言うと、クロードも神妙に頷く。
「ええ。僕も……意外でした」
 他の仲間たちも次々に上がってきた。全員がその場に集まったのを確認すると、クロードはレナたちに向かって。
「みんな、ちょっとだけ聞いてほしい」
 改まったふうに言う彼に、レナたち四人は小首を傾げた。
「セリーヌさんの言ったとおり、僕らはひとつの事実を隠していた。それは決してやましいからじゃなくて、たぶん、話しても信じてもらえないだろうと思ったからだ」
 クロードの声色は不思議なほどに落ち着いている。
「この建物は、おそらく僕らが隠している事柄に深く関係しているんだと思う。君たちが想像もつかないような大きな力が、この塔に働いているんだ。だから、この先に進む以上、その事実を隠し通すことはできない。それになにより、ここまで一緒に戦ってきたみんなに隠しごとをするのは、僕自身つらい」
 そこまで言うといったん言葉を切って、照れくさいように首の後ろを掻いた。そうして再び話し始める。
「けれど、今はそんなことをゆっくり説明している場合じゃない。君らにちゃんとわかってもらうには時間が必要なんだ。僕らもうまく説明できるかわからないし……。だから、もう少しだけ待ってほしい。この戦いが終われば必ず話すと約束する。勝手かもしれないけど、それまでは、この先なにが起こっても、僕らのことを信じていてほしい。……一度きりの、僕からのお願いだ」
 言うべきことを終えたクロードは軽く息をついて、それから仲間たちを順繰りに見た。彼らはめいめい微妙な表情をみせていたが、そのうちに。
「……ま、ひとまずはそれで納得することにいたしますわ」
 さばさばしたように、セリーヌが。
「貴方が騙されることはあっても騙すようなひとでないことは、重々承知していますから」
「お前らの素性などに興味はない。俺は目の前の敵を叩きつぶすまでだ」
「水くせぇなぁ。そんなに俺たちに気ぃ遣わなくてもいいよ」
 ディアスが、ボーマンが言い募る。
「レナ……」
 クロードは心許ないように彼女の方を向く。そんな彼に、レナは屈託なく微笑み返した。
「私はいつだって、クロードのことを信じてるわ」
「……ありがとう」
 クロードは下を向いた。こみ上げてくる何かを堪えるように。
「先にあるのは、この地に異変を及ぼした大いなる元凶」
 闇黒の空を振り仰いで、エルネスト。
「それがなんなのかは、あたしたちにもわからないわ」
 右目にかかった金髪を振り払って、オペラ。
「ここまで来て、今さら後込しりごみするような奴なんざいねぇさ」
 籠手をつけた両拳を打ち合わせて、ボーマン。
「もう後には引き返せませんわよ」
 杖の先で肩を叩きながら、セリーヌ。
「望むところだ。この身果てても敵は残らず叩きつぶす」
 腕を組んで横を向いたまま、ディアス。
「エクスペルの、すべてのひとたちのために」
 胸を張り、凛とした声で、レナ。
 彼らの顔を一同に見渡してから、クロードは敢然と言った。
「行こう。この戦いで、全てを終わらせるんだ」


 うるさい魔術師エルダーマギウスを退治して、ダースウィドウと斬り結ぶ。クロードは相手の鎌鼬を避け損なって左腕を負傷するが、構わず突っ込んで右腕一本で剣を振るった。
「双破斬!」
 ふたつの斬撃は敵の肩口を切り裂き、ダースウィドウは背中からくずおれた。一息ついたのも束の間、向こう側の光の柱から新たな魔物が続々と降りてきていた。
「くそっ、キリがない……セリーヌさん!」
 背後のセリーヌに攻撃を促すと、彼女は口許をつり上げて。
「待ちくたびれましたわよ」
 セリーヌが掲げた杖の先は皎々こうこうと輝いている。左手に呪紋書を携えているところを見ると、まだ詠唱は覚えきれていないらしい。
「サンダークラウド!」
 上空の暗雲から無数の稲妻が降り注いだ。柱から降りたばかりの魔物は白い雷に身を灼かれ、衝撃に引き裂かれ瞬時に黒い塊と化して無雑作に床に散らばった。どれほど強力な呪紋を使おうとも建物自体は傷ひとつつかないので、セリーヌにとっては好都合だった。
 魔物がすべて片づいたのを認めて、クロードは剣を鞘に収める。そうして振り向くとレナが駆け寄ってくるのが見えた。
「クロード、腕の治療を」
「ああ、ありがと……」
 言いかけたとき、何か別の声が聞こえてきた。
〈……お、とう、が、ます……〉
「え?」
 クロードは辺りを見回す。まわりにはレナの他には誰もいない。少し離れたところにいる仲間たちの声とも違う。
「どうしたの?」
 急にきょろきょろしだしたクロードを、レナは不思議そうに見つめた。
「今、なにか……」
〈……ちら、カ、ナス……‥‥ロード、ニーしょ、い……〉
 その声はレナの耳にも届いたが、途切れ途切れで言葉としては聴き取れない。しかしクロードは何かに気づいたように急に血相を変え、右手で自分の左胸のあたりを押さえた。
〈……て、そう、びょ、まえ……ご……よ……〉
「なんだって!?」
 いきなりクロードは駆けだした。レナと距離を隔てたところで止まって、振り返る。
「クロード?」
「来ちゃだめだ! 巻き込まれる!」
 近づこうとするレナをクロードは必死に制する。その身体が、光に包まれた。
「戻ってくる! 必ず、戻ってくるから!」
 刹那のうちに光が炸裂した。視界は圧倒的な輝きに遮られ、懸命に叫ぶクロードの姿を追うことはできなかった。眩しさに思わず目を閉じ、そしてゆっくりと開けたとき、彼はそこから忽然こつぜんと消え失せていた。
「く、ろーど……?」
 クロードを呑み込んだ光に自身も精気を吸い取られたかのように、全身から力という力が抜け落ちる。彼が立っていた場所へ二、三歩ふらふらと歩み寄ると、レナは地面に膝をついた。

 闇に浮かぶその建物は空気の流れも滞っているようで、じっとしていると息が詰まりそうだった。遠鳴りに聞こえるは風の吹き抜ける音ばかり。静寂の中で、彼らは待った。
 奥に立つ光の柱の方がにわかに騒がしくなった。魔物がいくらか降りてきているのだ。
「また来たわ」
 オペラが嘆息をつく。ディアスは前に進み出て。
「下がっていろ」
 言うやいなや、剣を抜いて少しの溜めのあと、横一文字に振るって衝撃波を放った。黒い衝撃波は弧状を成したまま敵の群にぶつかり、魔物はその一瞬で吹き飛び絶命した。
 ディアスが剣を収めると、黄緑の塀にもたれて瞑目していたエルネストが眼を開けた。
「かれこれ三十分か。これ以上ここにいるのは得策でないな」
「そうですわね」
 セリーヌはちらとレナを見ながら請け合う。
「こんなところで足止めを食って、雑魚ばかり相手にしているわけにはいきませんわ」
 ボーマンが、オペラが立ち上がる。だが、レナは動かなかった。
「レナ。クロードなら大丈夫だ。後から追ってくるさ」
 そう言うボーマンに、レナは首を横に振った。
「私、待ってる……。戻ってくるって、言ったから……」
 集落のときと同じだった。時間をさかのぼってしまったような光景に、彼らは困憊こんぱいして肩を落とす。
「もう、離ればなれになるのはいや……」
 顔を伏せ、鼻を啜りだすレナ。と、ディアスが彼女の傍らに立って。
「お前らは先へ行け」
 ボーマンたちにそう言った。
「ここで固まっていても意味がない。レナを守るのは俺ひとりで充分だ。お前らは先へ進め」
「でも、大丈夫ですの? パーティが分断されて」
 気乗りしないようにセリーヌが言うと、ディアスは含み笑いを浮かべた。
「俺がいないと敵に勝てる自信がないのか?」
「なっ! そんなこと……いいわ。見てらっしゃい、あんたが来るまでにはぜーんぶ片づいていましてよ」
 頭に血の上ったセリーヌはすっかりその気になって、大股で光の柱へと歩いていく。
「ほら、あなたたちも行きますわよ!」
 どやされて、ボーマンたちもおっかなびっくり彼女の後をついていった。

 表情には出さずとも、ディアスは焦れていた。魔物の本拠地のただ中で何もせずじっとしている自分がもどかしかった。死に対する懼れなどとうの昔に捨てた。この塔を上りつめた先にどんなおぞましい敵がいようとも、そこにある種の享楽を見出しこそすれ恐怖することは有り得ない。だが、こうして敵の本陣で剣も抜けず、木偶でくの坊のように立ちつくしているこの状態はひどく苦痛だった。炎の上でじわじわとあぶられているような、不快な気分だった。いっそのこと炎の中に放り込んでくれた方がどんなに楽であるかと、ディアスは密かに歯軋りした。
 けれど、と彼は相変わらずふさぎ込んでいるレナを見た。彼女がここを離れる気がない以上、自分もここにいるより仕様がない。この『妹』が相手では強引に引きずって行くこともできない。
(あの馬鹿……いつまで待たせるつもりだ)
 結局、矛先の相手をクロードに差し替えることで、どうにか落ち着いてしまった。
「……ん?」
「あ……」
 そのとき、ふたりの目の前で床が輪状に輝きだした。光は下から上へと放たれ、円形の筒のようなかたちを映す。それはしばらくくすぶるように明滅を繰り返すばかりだったが、次の瞬間、ひときわ強い光が四散するように放たれ、周囲の闇へと呑み込まれて消滅した。
 そして、その場にはひとりの少年が立っていた。
「クロード……」
 レナが立ち上がる。クロードはゆっくりと歩み寄った。
「ごめん、遅くなって……」
 レナはうつむいて肩を震わせる。その小さな身体に溢れそうな想いを、懸命に堪えているのがわかった。
「どうして……どうしていつもそうやって、ひとりで勝手に行っちゃうのよ。ひとの気も知らないで……」
「ごめん、本当に……」
 クロードが繰り返し謝ると、レナは愛想をつかしたように背中を向けた。
「もうクロードなんて知らない。どこにでも行っちゃえばいいわ」
「レナ……」
 クロードは瞳を細めて、その背中を眺める。
「痴話喧嘩は済んだか?」
 腕を組んで傍観していたディアスが、口を開いた。
「だっ、誰が痴話喧嘩よ!」
「何でもいいが、あまり時間はないんだ。さっさと行くぞ」
「そういえば、他のみんなは?」
 周囲を見回して、クロードはディアスに訊いた。
「先に行った。三十分ほど前かな」
「そうか。じゃあ、僕らもすぐに追いかけよう」
 言いながら、クロードは懐から鼠色の小箱のようなものを取り出して、床に置いた。
「さあ、急ごう」
「クロード、あれって……」
 疑問に思ったレナが、床の上の箱を示して言った。アーリアやヒルトンで、彼があの箱を大事そうに懐から取り出して、何かしていたのを見たことがあるのだ。
「ああ、通信機ね。それは、もう……僕には必要のないものなんだ」
 笑顔をこぼすクロードに、レナはようやく自分の気持ちがほぐれていくのを感じた。ふと視線を移すと、負傷した彼の左腕からはまだ血が流れ続けていた。レナは手首をつかんでその腕をぐいと引っ張った。
「あたっ」
「ほら、治療するから、動かない」
 レナは傷口に手を翳して呪紋を唱えた。その間際に、そっと、呟く。
「おかえり、クロード」
「……ただいま、レナ」
 回復呪紋ヒールの光が、少年を柔らかに包み込む。
 ふたりの背後で、床に置いてあった小箱が光に包まれ、やがて消え去った。


 セリーヌたち四人は光の柱の前に立っていた。それは今までのものに比べても、かなり大きい。四人同時に入ることもできそうだ。
「なんか、嫌な予感がしますわね……」
 中に入るのを躊躇していたセリーヌに、ボーマンが揶揄やゆするように言う。
「怖じ気づいたのか?」
「だぁれが! とっととボスをぶっ倒して、あの気障きざ男の鼻を明かしてやるんですのよ」
 良家の子女はどこへやら、セリーヌは悪態をつきながらヒールの音を響かせて、柱の中へと踏み入る。仕方なしにボーマンたちも入っていった。
 ここに来るまで何度も経験しているものの、この柱で移動するときの心地ばかりはどうにも慣れることはできなかった。眩暈めまいのような感覚が襲い、口許を押さえて嘔気おうきを我慢しているうちに、次の場所に立っていた。
 目前に気配を感じた彼らはすぐに身構える。吹きさらしの通路の中央。そこに腕を組み、赤紫の大きな翼を窮屈そうに折り畳んだ魔物が、こちらを見据えて立ちふさがっていた。

3 破滅への輪舞曲ロンド ~エルリアタワー(2)~

「まさか海に落ちて生きていようとはな。お前たちの悪運には真に恐れ入る」
 胸の前に組んだ腕を解いて、シンはセリーヌたちを一同に睨みつけた。
「だが、奇跡もこれまでだ。この塔がお前たちの墓標となるのだ」
「それはこっちの科白セリフですわね。あなたの墓にはこんな悪趣味な塔がお似合いでしてよ」
 セリーヌも負けじと指を突きだして睨み返す。
「今度は手加減せんぞ」
「お生憎様。わたくしも全力で参りますわ」
 魔物は赤紫の羽根を羽撃かせて飛び上がり、空中で静止する。そしてセリーヌめがけて突っ込んできた。
 彼女を庇うようにボーマンとエルネストがその前に立ちはだかる。ボーマンは向かってくるシンに毒気弾を投げつけた。丸薬から噴き出る炎に相手がたじろいだところで、すかさずエルネストが鞭を振るった。
「サウザンドウィップ!」
 鞭がまるで生きもののように伸び上がり、シンの腕といわず脚といわず全身を打ちつけ切り刻んだ。鞭の動きのあまりの速さに無数の残像が生じ、傍目からはまさしく千の鞭を振るっているかのように見えた。
 シンが鞭の嵐の中を抜け出し、再び宙に飛び上がる。そこへ間髪容れずにボーマンも跳躍し、シンの背後から渾身の力で殴りつけた。落下して床に叩きつけられる寸前で翼を翻し、体勢を戻してふわりと着地した。
「安心するのはまだ早くてよ」
 そこへセリーヌがスターライトを唱えた。頭上の一点から放たれた一条の光線を、シンは毫ほどの差で躱す。しかし、それに気を取られているうちに、かれの周囲にはいくつもの光弾が取り囲んでいた。
「これでもう、逃げられないわよ」
 オペラのαアルファオンワンだった。光弾は彼女の言葉に呼応するようにいっせいにシンに襲いかかった。炸裂する轟音が腹の底に響き、爆風が髪を靡かせる。しかし一体どういう造りをしているのか、床からは振動ひとつ伝わってこない。
(ふむ。これなら、あれも使えそうですわね)
 ヒールで床をコツコツ叩きながら、セリーヌは口許をつり上げた。
「ぐ……おのれぇ、そんなに死に急ぎたいか」
 並の魔物なら一撃で事足りる光弾をいくつも浴びても、シンはそこに屹立していた。黄色の双眸は憎悪に激しく輝く。だが、しかし。
(…………?)
 四人は身構えながら、それぞれに同様の疑問を抱いた。
 シンの動きが、以前に戦ったときよりも鈍いような気がする。船上で見せた圧倒的な身体能力も強靱さも、今ではあまり感じられない。それまでのかれならば、ボーマンの毒気弾ごときでは怯むはずもなかったはずだ。筋肉の盛り上がった体躯はどことなく疲労に衰弱しているように見え、怪しく光る黄色の眸もいくらか濁っている。
 ──勝てる!
 そう確信すると俄然がぜん力が沸き上がってきた。
「よっしゃあっ!」
 今度は先にボーマンが気合いを発して駆けだし、シンと打ち合う。弾かれるように背後に後退すると、必殺の気合いを込めて両手を横に広げた。掌に紅蓮の炎が灯る。
「朱雀双爪撃!」
 両腕を交差させるように振るって炎を投げつけた。シンは光の膜を張って炎を防ぐが、タイミングが少し遅れて衝撃に蹌踉よろめいた。立ち直って前方に目を向けると、そこでは既にエルネストが空中に飛び上がって攻撃を仕掛けていた。
「アークアタック!」
 何もないはずの宙の一点に鞭が絡みつき、それにぶら下がって反動をつけるとエルネストは空中から猛然と蹴りを繰り出した。不意をつかれたシンは胸板に蹴りを浴びせられ、背中から倒れる。
 その隙をオペラが見逃すはずはなかった。シンに向かって手製のランチャーの引き金を引くと、コールドリザードの吹雪にもまさる冷気が銃口から噴きだした。見る間にシンの躯が白く凍りつき、その動きも完全に止まったかに見えた。
 終わった。その場にいた四人はそう信じて疑わなかった。
 ところが。
「ふざけるなぁっ!」
 霜を振り払い、冷気をはじき飛ばしてシンが飛び上がった。相手に身構える隙も与えずエルネストを殴り飛ばし、ボーマンを蹴りつけ、矢継ぎ早に撃ちだすオペラの銃弾をものともせず頭から突っ込んで突き飛ばした。
「非力な人間どもがどう足掻こうと、この私は倒せん」
 そう言い放つと、シンは残るセリーヌのところへ歩み寄る。三人を一瞬のうちに昏倒させた力と速さを目の当たりにして、セリーヌは金縛りにあったように動けなかった。
「ふっ、先程までの威勢はどこへいった?」
 シンはセリーヌの前に立つと、頭をつかんで持ち上げ、顔を自分の貌に近づけた。恐怖に青ざめる彼女の表情を嘗めるように眺めていたが。
脆弱ぜいじゃくな人間は、蛙のように潰れて死ぬのが相応しいか」
 そう言うと、彼女を高々と放り投げた。しなやかな肢体が吹きさらしの通路を越えて、何もない闇の中へと躍り上がる。絶望の奈落へと。
 そのとき、通路に一陣の疾風が駆け抜けた。誰かが素早く跳び上がり、落下しかけていたセリーヌを両腕でしっかり受け止める。そして近くにあった根のような柱にしがみつくと、それを足場に再び跳躍して通路に戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
 通路にセリーヌを立たせてそう訊いてきたのは、クロード。まだ茫然とする彼女に笑いかけ、それから毅然とシンと睨み合った。
「お前は……」
 憎々しげにシンが言葉を洩らしたとき、渠の背中を黒い衝撃が襲った。振り返ると、通路の手前に長身の男と、瞑目して何やら細かく口を動かしている少女がいた。ディアスとレナだ。
「キュアオール!」
 目を開けてレナが唱えた。床に倒れていた仲間たちに光の粒が降り注ぎ、見る間に傷の癒えた彼らはゆっくりと起き上がる。
「まだ虫けらどもが残っていたのか……まったく忌々しい連中だ」
 シンの双眸の黄色がいよいよ濃くなった。右手を前に出し、鋭く研ぎ澄まされた爪を彼らに見せつける。
「よほど私に八つ裂きにされたいらしいな。よろしい、その望み叶えてやろう」
 いきなり腕を振ってディアスとレナに鎌鼬を投げつけた。ふたりは素早く横に散開して攻撃をしのぐ。シンが低空飛行でディアスに詰め寄る。ディアスは剣を抜いて応戦する。刃が強固な皮膚を斬りつけ、爪が服の裾を掠めた。
「セリーヌさん」
 シンがディアスと打ち合っている間に、クロードは隣のセリーヌに訊ねた。
「まだ呪紋は使えますか?」
「え? ええ、あと二、三回は平気ですわよ」
「僕らが時間を稼ぎますから……お願いします」
「わかりましたわ」
 互いに頷き合い、クロードは振り返ってすぐに駆け出そうとしたが。
「クロード!」
 セリーヌが呼び止めて、言った。
「さっきのあなた、なかなか格好良かったですわよ」
 クロードは鼻を掻いて照れ笑いを浮かべる。そして、シンの許へと走っていった。
「……けど、あの程度のことで射止められるほど、わたくしは軽い女でなくてよ」
 誰に言うでもなく呟くと、セリーヌは本を取りだして詠唱を始めた。
 ディアスとシンの攻防はまだ続いていた。
 迫り来るシンに対しディアスはケイオスソードを放つ。シンは地面を蹴って跳躍し、空中で翼の向きをくいと変えると頭上から突撃してきた。ディアスの頭を狙って繰り出された手刀は間一髪躱した。水色の髪が数本、宙に舞う。ディアスはすかさず剣を下に向けて構える。
「朧」
 攻撃を予期したシンは膜を張って弧状の衝撃波を防ぎ、逆に無防備なディアスの腹を鋭利な爪で引き裂いた。苦し紛れに遅れて打ちだされた剣の一撃をシンは宙に飛び上がって避ける。腹から大量の血が流れ出て、程なくディアスは蹲った。
「とどめだ!」
 シンは空中から鎌鼬を放った。痛みに判断が鈍ったディアスは動けない。白く細長い鎌鼬が回転しながら真っ直ぐ彼のところに向かっていく。シンが口許を歪めてほくそ笑う。
 しかし、ディアスに届く目前で鎌鼬ははじけるように消滅した。彼を守ったのは、盾の形をした光の障壁。
「よかった……間に合って」
 彼の背後で腕を振り下ろした体勢のまま、レナが安堵の息をついた。それは彼女の防御呪紋プロテクションによるものだった。あまり長時間は保たないようで、しばらくすると光の盾はすっとかき消えた。
「また邪魔が入ったか。────っ!?」
 ほんの一瞬生じた隙を、彼は見逃さなかった。シンが気づいたときには既にクロードが背後にいた。空中で渾身の力を込めて剣を振るう。背中を深々と斬り裂かれ、シンは真っ逆さまに落下して床に伏した。
「ぐ……おのれぇ」
 すぐに立ち上がり、荒々しく息をつきながら怒りを顕現けんげんさせる。レナの呪紋で回復したディアスと、ボーマンやエルネストらも加わって、仲間たちは渠を中心として周りを取り囲んだ。クロードの斬撃により右の翼が付け根から折れ、肩からだらりと垂れ下がっている。もはや飛ぶことはできまい。
「あの小僧の呪紋のダメージさえ恢復かいふくしておれば、お前らなどには……」
「小僧?」
 レナが訊き返す。
「まさかレオンのこと? あなたレオンをどうしたの?」
「そんなことを私が知るか。あの呪紋を自ら浴びて無事でいるとも思えないがな」
 ────────!
 レナの瞳に力がこもる。全身から血の気が引いていくのがわかった。戦慄わななく指先は知らずとスカートの隠しに入っている雫の飾り物を辿る。
「ふっ」
 不意にシンは指先を頭上に掲げた。その一点に気圧が急激に凝縮され、一気に爆発する。近くにいた者はことごとく吹き飛ばされ、ボーマンは通路の縁を越えて奈落へと落ちかかったが、咄嗟にエルネストが鞭を振るい彼の腕に巻きつけてどうにか助け上げた。
「空など飛べずとも、お前らを葬り去ることなど造作もない」
 凄いような笑みをつくって、シンは言い放つ。
「さあ、かかってくるがいい」
「残念ですけど、これでジ・エンドですわ」
 振り向くと、そこにはセリーヌが立っていた。突きだした杖の先端の飾り玉は蕩々とうとうと光に充ちている。
「今宵の空の天満月あまみつつきよ、狂おしき光は闇を破りて降り注がん」
 杖を翳して、彼女は唱えた。
「ルナライト!」
 暗雲に覆われた上空に光が射し込み、幾本もの帯を成して流れ落ちてきた。白い光の帯は螺旋状にもつれ合いながら降下する。そうしてシンの周囲に降り注ぐと、帯と帯とが融合して巨大な光の渦が生じた。暴風が吹き荒れ、小さな稲妻が迸る。彼らは吹き飛ばされぬよう身を固くしてそれを見守る。渦の中心から咆哮とも悲鳴ともつかない叫喚きょうかんが轟いた。
 やがて、渦は霧にでも紛れるようにその光が薄まり、消失した。シンは床に膝をつけて項垂れていた。赤紫の皮膚は焼けただれ、だらりと下ろした腕の爪の先から緑色のどろどろした液体が滴っている。今度こそやったかと息を詰めていたが、いきなりその頭が吊り糸に引っ張られたかのように持ち上がり、血走った眼でこちらを睨んだ。
「先へは、進ませぬ……たとえ、この命尽きしとも」
 シンは怨恨の形相で腕を振り上げ、詠唱を始めた。彼らの脳裏に、船上を吹き荒れた熱風が蘇る。この場所であの呪紋を唱えられては、また誰かが吹き上げられ落下してしまうかもしれない。
 クロードは走った。シンに止めを刺すために。だが渠は既にほとんど詠唱を終え、その掌上には深紅の光が集中していた。間に合わない。無我夢中でクロードは右腕に闘気を込めて振りかぶった。
「吼竜破ッ!」
 腕から放たれた闘気が青白い竜のかたちを成してシンに襲いかかった。竜は闘気の尾を曳いて飛翔するごとく駆け抜け、呪紋を唱えようと口を開きかけたシンの首筋に食らいつき、突き飛ばした。背中を床に叩きつけて、ついにシンはたおされた。
「ぐ……ふふ、見事だ、人間どもよ」
 シンは仰向けのまま、息も絶え絶えに言った。
「だが、これも所詮は無駄な悪足掻わるあがきでしかないのだ……結局は、我らの、勝利、だ……」
 黄色の双眸から光が失せ、シンは事切れた。
 勝利の歓びも生き残ったことへの安堵もなく、彼らはただ、無言で眼前の骸を見つめていた。すぐ傍から、誰かの啜り泣きが聞こえてくる。
「レナ……」
 彼女はそこに座り込んで、両手で掬うように持った雫の飾りを一心に見つめていた。少年の健気な想いがこめられた、お守り。そう、これが私たちを守ってくれたんだと。
「行こう、レナ」
 クロードが前に立って、そっと手を差し延べてきた。
「この悲しみを、僕らの手で終わらせよう」
 レナは目頭を拭い、飾りを隠しに仕舞うと、顔を上げて頷いた。そして彼の手に手を乗せて立ち上がる。
 通路の先に突き立つ光の柱へ仲間たちが歩き出しても、ディアスはその場に立ちつくしていた。見開いた眼が向けられた先は、金髪の少年。
「どうしたの?」
 それに気づいたオペラが声をかけると、はっと我に返りすぐにかぶりを振った。
「……何でもない」
 そう答えて、仲間たちの後をついていく。
 ──クロードが咄嗟に繰り出した、吼竜破という技。それが、ディアスの脳裏に焼きついて離れなかった。
 技そのものに何かを感じたのではない。あの瞬間、彼の背後に途方もなく巨きな黒い影を見たような気がしたのだ。
 もしあれが、彼の秘めたる力の一部だとすれば──。
 ディアスは畏怖にも似た念を抱きつつ、クロードの背中を見つめていた。


 その場所は、地上からどれほどの高さなのか、およそ計り知れなかった。この塔を覆う黒雲を取り除くことができたなら、どんなに絶景であっただろうか。空気は薄く、吐く息は煙のように白く霧散する。
 足許の地面すらほとんど見えない暗闇の中を、彼らは慎重に歩いていく。やがて前方が仄かに明るくなる。
 明かりは、その先にあった巨大な球体から発せられていた。表面にぎっしりと不可解な紋様が刻まれ、翡翠色の光に包まれたそれは、台座の上に浮かびつつも鎮座していた。霊気オーラともいわれる波動が辺りに立ちこめ、球体の輪郭は蜃気楼のように揺らめく。
「まさか……これが」
「ソーサリーグローブ……!」
 そのとき、レナのペンダントが再び強い光を放った。慌ててレナが上着の中から取り出すと、翡翠色の石はこれまでにないほど激しく明滅していた。彼らにはそれが危険信号のようにも思えた。
「動クナ」
 突如、鋭い声がして、クロードたちはいっせいに振り向いた。台座の手前にいくつかの人影が見える。ソーサリーグローブにばかり気を取られていて、それまで存在がわからなかった。
「なぜこの女がクォドラティック・キーを持っているのだ?」
「核を作り結晶化させたキーは、ひとつではなかったのですか?」
「ふうむ……確かにそのはずじゃが」
 男の声が、子供の声が、老人の声が方々から聞こえてくる。球体の放つ強い光を背に受けて、大小様々なシルエットが浮かび上がる。
「なに……なんなの、あなたたちは」
 レナが一歩前に進み出たとき、クロードは影の中に光の瞬きを見た。
「危ない!」
 影のうちの誰かが光線を放った。それを察知したクロードはレナを庇って前に立つ。一条の光線は彼の左の腿を貫いた。
「クロード!」
「くっ……」
 クロードはその場に蹲って呻いた。腿の傷口から、とめどなく血が溢れ出てくる。
「動クナ、ト言ッタハズダ。我々ノ言葉ガ理解デキヌワケデハアルマイ」
 人間的な抑揚を殺したような声で、誰かが言う。光線を放った当人であるらしい。
「クロード、しっかり!」
 レナはクロードの前に屈みこむと、紅いものが流れる腿に手を翳して回復呪紋キュアライトを唱える。煌めく光の粒が傷口に触れると出血は止まり、傷も完全に塞がった。
「治癒の力だと。てめぇ、ネーデ人か!?」
 野太い声が響き渡った。その言葉に、レナの心臓は跳ね上がる。
「まさか。なぜこんなところに」
「現在のネーデでは星を離れることは不可能のはずだが」
「ふむ。しかしそれならば、クォドラティック・キーを持っていることも説明がつく。キーを作れるのはネーデ人だけだからな」
「クォ……キー?」
 レナが影に向かって訊ねようとしたが、焦って口がうまく回らなかった。それでも影の誰かがその意を汲みとって、答える。
「あなたたちがエナジーストーンと呼んでいる紋章石を結晶化させたものですよ。あなたも首から下げているじゃないですか」
 言われて、レナは胸許に輝く翡翠色の石を見た。
「これが……?」
「クォドラティック・スフィアを活性化させるにはこのキーが必要だったのでな。貴様らが兵器に使用していたものも拝借させてもらった」
「だが、この星にキーが存在するとは思わなかったな。おかげで計画が百年は早まったよ」
「計画だと? お前たちは何者だ。いったい何を企んでいる!」
 クロードが叫ぶと、影はしばし沈黙した。その間が、やけに不快だった。
「まったく、これだから未開惑星の野蛮人は……すぐにそうやって声を張り上げる」
「いや、見たところこの少年は地球人のようじゃぞ」
「それは失礼……おや、それに後ろのふたりはテトラジェネスではないですか?」
「なんで先進惑星の人間が混じってるんだ?」
「知るか。だが、ここまで登ってこられたのも、その連中の入れ知恵があったのかもしれんな」
 影たちの会話にレナは困惑して、クロードの方を向く。
「クロード……?」
 彼はレナの問いかけるような視線に気づいても、打ちひしがれたように俯くばかり。
「ふむ、わかるはずもないか」
 老人のような声がレナに語り始めた。
「ならば教えてやろう、その者らはこの星の人間ではない。別の星から来た人間ということじゃ」
「別の……星?」
「そうじゃ。お前たちがただの光と思うておる星にはさまざまな人間が住んでおる。それは地球しかりエクスペルしかりじゃ。だが、それとて大したことではあるまい。お前さんだって儂らと同じ、ネーデ人なのじゃから」
 多くの言葉が、事実が洪水のように頭の中に流れ込んでくる。レナは譫言うわごとのように口を動かし、意味なく復唱する。
「私が……ネーデ……」
「レナ、こいつらの言うことは聞くな!」
 クロードは鼻に皺をつくり、歯を食いしばって影を睨めつけた。
「お前たちの目的はなんだ? どうしてこの星を滅ぼそうとする!」
「ク……ククク」
 台座の中央あたりの影から笑い声が洩れた。
「ふははは、ハーーーッハッハッハ!」
「何がおかしい!」
 拳を固く握りしめるクロードに、影は笑いを止めて。
「下等生物らしい、浅薄な考えだと思ってな」
 若い男の声で、小馬鹿にするように言い放つ。
「この星のことなどどうでもよい。すべては我らがネーデに戻り、銀河宇宙を手中に収めるための布石に過ぎんのだ」
「銀河……宇宙を?」
「そりゃまた、たいそうな野望をお持ちね」
 クロードの背後で、オペラが皮肉るように言った。
「どこの人間かは知らないけど、連邦の存在くらいは貴方たちだって知っているでしょう」
「連邦だと? へっ、烏合うごうの衆がいくら集まっても俺たちにはかなうめぇ」
 荒々しい男の声があざける。
「そう……ネーデに戻り、我らが力を取り戻せば、全ての存在は我々の前に屈服するのだ。たとえ連邦であろうともな」
「……宇宙は生と死、希望と絶望、愛と憎との相反するものの結合により平衡を保つ。一方が他方を殲滅せんめつせしめば、そこに混沌カオスは生ず」
 最後の不思議な声だけは、影の中から発せられているように感じなかった。影たちもまるで空耳であるかのごとく言葉に応じない。
「そんなこと……させるもんか、絶対に!」
 クロードは剣を抜きはなって叫んだ。
「お前たちを倒して、この馬鹿げた行いを阻止してやる!」
「ははは、何も知らぬというのは幸せだな」
「こうしている間にも、あなたたちの死は確実に近づいているのですよ」
「知っているさ」
 驚くほど冷静に、クロードが言う。
「この星の軌道を変えたのは、お前たちだろう」
「ほう、さすがだな」
「どういうことだ、クロード?」
 エルネストが訊くと、彼は影を見据えたまま答える。
「……父さんから聞いたんだ。隕石の衝突によって異常な公転軌道が起こって、この星はもうすぐクラス9もの高エネルギー体に衝突する」
「な……」
 オペラが、そしてエルネストが愕然とする。
「クォドラティック・スフィア……そなたらは単にソーサリーグローブと呼んでいるらしいがな……これを使って惑星の軌道を変えさせてもらったんじゃよ」
「どうして、そんなことを……」
 言いかけて、クロードは先程の若い男の言葉を思い出した。すべてはネーデに戻るため。それはつまり。
「まさか……まさか、ネーデとは……」
「そう、ネーデとはすなわちこの星が向かう先、あの高エネルギー体のことだ!」
 中心にいた影が指を天に突き立てた。たちまち上空の黒雲が唸りをあげて渦を巻く。塔を覆っていた闇に巨大な穴が穿うがたれ、空から眩しい光が射し込む。瞳を細めて見上げると、そこには星の海を呑み込んで膨れあがったような、青白い光のかたまりがあった。
「な、なんだ、ありゃあ!?」
「太陽? 月? いえ違うわ。空にあんな大きなものが」
 ボーマンが、セリーヌが、その場にいた全員が、空に広がる光に戦慄した。
「この星はすでにネーデとの衝突コースに入った」
 彼らは再び正面を向く。分厚い黒雲に穴が空き、そこから青白い光が射し込んだおかげで、影たちの姿が露わになった。
 台座の手前、中央で喋っているのは銀髪の若い男。近くには頭のてっぺんだけ髪を剃り残した男や緑のローブに身を包んだ者、そのさらに前には木偶人形のように痩せ細った者や逆にはちきれんばかりの筋肉を剥き出しにした男などがずらりと並んでいた。そして、ソーサリーグローブの上に浮遊している、真紅の髪をした男だけは、ひとり孤立していた。影のままではわからなかったが、彼らは通常の人間に比べてひとまわり以上も大きい。
「もはやいかなる手段をもってしても、この星の崩壊はまぬがれぬ」
「そんなこと、やってみなければわからない!」
 クロードが剣を横に振って衝撃波を放ったが、その者らは涼風がごとく受け止めて微動だにしない。ディアスとボーマンも構えた。
「まったく、往生際の悪い連中だ。見苦しいぞ」
 戦闘に臨むクロードたちに銀髪の男が言い放った。
「ルシフェル様、ここは私にお任せあれ」
 そう言って前に進み出てきたのは、仰々ぎょうぎょうしい甲冑に全身を包んだ男。左手には盾、右手には人の背丈ほどもあろう大剣を携えている。
「さあ、かかってくるがよい」
 クロード、ディアス、ボーマンの三人がいっせいに打ちかかった。しかし彼らの攻撃はいずれも、何か見えない壁に遮られて甲冑にすら届かなかった。
「何をしているのだ?」
 唖然とする三人に男が大剣を振るう。その一撃を受け止めようとしたクロードの剣が、ボーマンの籠手が、ディアスの剣さえもが一瞬にして粉砕される。剣圧が凄まじい衝撃波となって彼らを吹き飛ばした。
「クロード!」
 レナが駆け寄ったときには、クロードは顔を歪ませ膝をついて起きあがろうとしていた。砕けた剣の破片が当たったのか、額から鼻の横にかけて血の筋が流れていたが、それ以外は傷もなく、直接の攻撃は食らっていないようだ。
 地面が大きく揺らいだ。クロードははっとして空を見上げる。青白い光が黒雲の穴いっぱいにまで広がっていた。
「ふっ、いよいよ終焉のようだ。もはや貴様らなどどうでもよいわ」
 甲冑の男が退いた。背後の床に亀裂が奔り、地面が大きく裂ける。砕かれた瓦礫や柱のかけらが青い光に吸い込まれるように空を駆け上っていく。前から後ろから統制をもたぬ風が吹き荒れ、大地の鳴動はいよいよ激しさを増す。
「聞くがよい、天堂よりの鎮魂歌レクイエムを。感じるがよい、地獄よりの狂想曲カプリッチオを。それは地上において永劫に繰り返される、破滅への輪舞曲ロンド
 崩れゆく塔の中で謳いあげるように言ったのは赤い髪の男だろうか。レナにはそれが神の声にも思われた。自分たちが決して侵すことのできない、侵してはならない存在であるような、そんな畏敬心すら抱かせる神聖な声。
「ここまで来れば、あとは我々の力でテレポートできる。さらばだ、蒙昧たる人間どもよ」
 周囲の景色が歪んだ。男たちの姿が消え、ソーサリーグローブが消え、空や地面までもが消えてしまった。
「あっ、ああ、ぁ────……」
 全てが瓦解して、何もない、真っ白な空間にレナは放り出された。鳴り響く大地の唸りばかりが鼓膜を揺さぶる。
 自分の中を流れる血が煮えたぎるように熱くなったと思ったら急激に凍りつく。堪えきれない疼きが全身を駆け巡る。身体が引き裂かれそう。いや、もう引き裂かれている?
 ──クルシイ。
 ──イタイ。
 ──キモチワルイ。
 不安と絶望と混迷とに打ちひしがれたとき、音が聞こえた。
 地面の音じゃない。もっと安らな、声が。

「レナ」

(ああ)
 彼が、こちらを見ている。大好きな、優しい笑顔で。
(ああ)
 懸命に差し伸べた手を、彼はしっかりと握ってくれた。
(ああ!)
 あなたは、言ってくれたよね。いつも、そばにいるよって。
 ──約束、守ってくれた──。
 少女は涙を零して、暖かい胸に頬を寄せた。

 ありがとう、クロード。