■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [レナ編]


第十章 悠久の地へ

1 越えられない壁 ~フィーナル~

 市長室の扉を潜ると、ナール市長は事務机の前にいた。向かいには見慣れない緑色の髪をした女性が立っている。
「おや、みなさん」
 ナールがこちらに気づいて、声を上げた。緑の髪の女性は少しだけ振り返ると、すぐに机に向き直った。
「それでは私はこれで」
「あいや、しばしそこで待っておれ。彼らにも紹介しておきたい」
「は……」
 女性はすっと机の脇に退いた。ナールは何事もなかったように八人を出迎える。
「どうぞみなさん、こちらへ」
「あの、そちらの方は?」
 クロードが女性を見ながら言った。
「ああ、彼女については後でお話します。まずは四つの場の報告を」
「あ……はい」
 クロードは小首を傾げながら、視線をナールに戻す。
「知の場・力の場・勇気の場・愛の場。四つの場の試練、確かに済ませてきました」
「そうですか、それは何よりです。さぞ大変だったでしょう」
「ああ、本当にな」
 ボーマンが悪態をついて、横のセリーヌに尻をつねられる。
「でも、それで強くなったっていう感じは、あんまりしませんけど……」
 レナは自信なげに言った。実際に四つの場を踏破した後での、素直な感想だった。
 試練はどれも厳しかったし、十賢者の妨害もあった。けれど、はたしてそれが本当に自分の力になったのかというと、いまいち実感に乏しい。ネーデの根源とよばれるパワースポットを訪れて、自分たちはいったい何を得たというのだろうか。
 その疑問の答えは、次の市長の言葉にあった。
「それでは、宝珠をこちらに」
 ナールは当然のように手を差し出した。
「え?」
「試練を終えた証として、赤い宝珠をもらっているはずでしょう。それをお渡しください」
「あ、はい」
 クロードはセリーヌに目配せする。彼女はいつもの合切袋がっさいぶくろから宝珠をひとつずつ取り出して、ナールに渡した。ナールは順番に机に置いていき、最後には四つ、灼熱を閉じこめたようにかがやく珠が並べられた。
「あの、その宝珠には何か意味があったんですか?」
 クロードが訊くと、ナールは、ああ、と忘れていたような返事をして。
「そういえば、みなさんにはまだ、お話ししておりませんでしたか」
 机の上の宝珠をひとつ手に取り、目の前に差し出してから、言った。
「これは、クォドラティック・スフィアなんですよ」
「えっ?」
 クロードは眉をつり上げた。
「クォドラティック・スフィアって、エルリアの塔にあった、あの?」
「はい。通常クォドラティック・スフィアは、その質量──つまり大きさと内在する紋章力は比例しています。しかし、これは極めて特殊なタイプで、十賢者がエクスペルに落としたものをも遙かにしのぐエネルギーを、この大きさにまで凝縮してあります。実は十賢者がネーデに戻ってきた際、対策のため古い文献をひもといていましたら、偶然にもこの宝珠の存在を知りまして。十賢者も宝珠については何も知らなかったようですが、もし知ってしまって悪用されてはかなわないということで、早いうちに回収してこちらの手元に置いておきたかったのです」
「それなら、どうして最初からそう言ってくれなかったんですか? 試練だなんて……」
「……そうですな。そうすべきでした。申し訳ありません……」
 ナールは背を向けて、緋色の珠を机に置く。その背中に、なぜか不穏を感じた。
「ナールさん。なにか隠しているんじゃないですか?」
 レナの静かな、けれども強い言葉に、ナールは振り返った。真摯な眼差しが彼に向けられる。
「私たちにその宝珠のことを教えなかったのは、なにか別に、知られたくないようなことがあるからじゃないんですか?」
「………」
 ナールは口を閉ざしたまま、顔を背ける。
「教えてください。私たちもあなたといっしょに戦ってるんです。私たちにも知る権利はあります」
「そうですわ」
 と、セリーヌ。
「隠しごとなんてされては、わたくしたちも協力する気にはなれませんわ」
「……わかりました」
 しばらく彼らの顔を見渡していたナールが、口を開いた。
「変に勘繰られて疑心暗鬼になられるのは、私としても本意ではありません。話してさしあげましょう」
 そうして、彼はついに事実を明かした。
「これは、あなたがたの星……エクスペルのことです」
「エクスペルの?」
「ええ」
 レナがふと隣を見ると、クロードの表情が険しくなっていた。ナールのそこまでの言いぶりで何かを察したのだろうか。
「ご承知の通り、十賢者たちはエクスペルにクォドラティック・スフィアを落としました。その目的はエクスペルの公転軌道をずらし、このエナジーネーデと衝突させるため。星ひとつがぶつかれば、この星を覆う高エネルギー体にも一時的にほころびが生じます。彼らはその綻びからネーデに侵入しようと試みたのです。そして、その目論見もくろみは成功しました。エクスペルは消滅し、十賢者はネーデに戻ってきました」
「え……?」
 誰かに頭を殴られたような衝撃が、レナを襲った。セリーヌもボーマンも、ナールの最後の言葉に凍りつく。
「今、なんて……」
「……高エネルギー体との衝突。それがもたらすものは、消滅です。いかな惑星といえども、これは避けられません」
「つまり、それは……」
 レナはまだ上手く呑み込めないでいた。そんな彼女に、ナールはあくまで淡々と、残酷なまでに告げた。
「エクスペルは、もう、この世に存在していないということです」
 セリーヌが腰を抜かす。ディアスまでもが放心していた。レナはクロードを見る。彼は唇を噛んでうつむいていた。
「クロード……知ってたの?」
 彼は厳しい表情のまま、頷いた。
「ごめん。言い出せなかった……」
「それじゃあ、お父さまたちは? エクスペルのひとたちは……」
 セリーヌは愕然としたまま、すがるようにナールの顔を見る。
「残念ですが……」
「冗談じゃねぇ!」
 突如として叫んだのは、ボーマン。
「俺たちは自分の星に帰るため、エクスペルの人間を救うために、ここまで戦ってきたんだ。それが、もう、ないだと? きれいさっぱり消えちまってるって? ふざけんな。やってらんねぇぜ……」
 顔を手で覆って座り込むボーマン。ディアスもセリーヌも、魂を失ったぬけがらのように、茫然としている。冷酷につきつけられた事実が全身を貫く。様々な思いが頭の中を巡り、錯綜する。
 レナはウェスタの姿を思い浮かべた。そこに、ウェスタはいる。けれど、もう、いない? レジスの姿も、アレンのこともはっきり思い描くことができる。クロス王の優しい顔が、無邪気に走り回るケティルの姿が、ユールのはにかんだ顔が、レオンの澄ました笑顔が、次々と浮かび上がっては消えていく。
 もう、みんなみんな、いなくなってしまったの?
 背筋に悪寒が走る。哀しみにならない哀しみ。ことの大きさに、自分という器ははあまりにも小さすぎた。受け入れられない事実に、少女はただ、冷たい雨に打たれた仔犬のように震えるしかなかった。
「……それで」
 クロードが重い口を開いた。この沈黙に堪えきれなかったように。
「そのエクスペルの消滅と、宝珠はどう関わっているんですか?」
「はい。言ってみれば、この宝珠はエクスペルを救う、唯一の『希望』なのです」
「救う?」
 その場に緊張が走る。セリーヌもボーマンも顔を上げて、ナールに注目する。
「エクスペルは消滅したのでしょう? 消えたものを救うなんて、そんなことが……」
「それが、可能なのです」
 ナールは言った。
「この宝珠が特殊なのは、単にその内に秘める莫大な紋章力によるものだけではありません。知・力・勇気・愛。それぞれの場に安置されている全ての宝珠が揃ったときにこそ、真の力が発揮されるのです」
「宝珠の、真の力……」
 レナが呟いた。
「四つの宝珠を同時に作動させると、その膨大な質量とエネルギーが互いに影響しあい、ある空間上の一点に重力場を発生させることができるのです。重力場は空間を呑み込み、時間軸をも揺るがすほどにまで巨大化します。それはつまり、一定空間内の時空間移動をも可能にするということです。時空転移シールド……我々は、この作用をそう呼んでいます」
「まさか……そんなことが」
 オペラが唸った。
「連邦の最先端技術をもってしても不可能なタイムスリップを、ここでやってのけようというの?」
「なあ、どういうことなんだ?」
 いまいち理解できないボーマンが、エルネストに訊いた。
「簡単に言えば、過去の消滅する以前のエクスペルを、この現在に引っ張ってこようということだな」
「そんな! 信じられませんわ」
 エルネストの説明に、セリーヌが目を丸くする。
「錬金術における賢者の石と同じように、時間操作は紋章術の窮極の目的ですわ。けれどそれは、けっして到達することのできない、夢物語だと思ってましたのに……」
「しかも、対象はエクスペルという星ひとつだ。これほどまでに大規模な時空間移動は聞いたことがない」
 エルネストの言葉に、ナールは神妙に頷く。
「むろん、これまでに成功したのはせいぜい島ひとつほどの大きさが限度です。けれども、この四つの宝珠は惑星を転移させるだけのエネルギーを持っているのです。前例はありませんが、理論的には可能なのです」
「うーん……なんか不自然な話ねぇ」
 オペラが腕を組んで首を捻る。
「だいたい、どうしてそんな膨大なエネルギーを秘めたアイテムを残しておいたのよ。それも、わざわざあんな変な仕掛けまで作って隠すなんて。昔のネーデ人は、いったい何のために宝珠を作ったのかしら。まさか未来にエクスペルがなくなることを予言していたわけでもあるまいし」
「言われてみれば……そうですな。文献によれば、この宝珠はエナジーネーデが生まれたと同時に作られたとありますから、三十七億年前……。当時は既に時空転移シールドの理論は証明されていたので、これが時空間転移のために生み出されたことはほぼ間違いないでしょう。しかし、目的や理由については文献も一切触れていないので、それ以上のことは……」
「『理論は証明されていた』って、その当時は理論だけだったんですか?」
「ええ。研究は進められていましたが、実用化はなかなか難しかったようです。初めて時空間転移の実験が成功したのは、つい七億年ほど前のことです」
「つい、ね……」
 オペラがぼやいた。
「……なるほど。つまり、こういうことかな」
 クロードが話を整理する。
「三十七億年前のネーデ人は、何か星ほどのサイズのものを時空転移したかった。けれど、まだ実用化はされてなかったから、遠い未来に実現されることを期待して、それに必要なエネルギーだけを残しておいた、と」
「問題は、その転移したかったものが何であったか、よね」
「そんなこたぁ、どうだっていいさ。とにかく俺たちにとっちゃ、まさに渡りに船だったってわけだ」
 さっきまでの落ち込みようが嘘のように、ボーマンが揚々ようようと声を弾ませる。
「それで、今からさっそくエクスペルを蘇らせてくれるんだよな」
「いいえ。それはまだ無理です」
 ナールに直截ちょくせつに断られ、再度表情を曇らせるボーマン。
「なんでだ? こいつが全部そろえば、その時空なんたらで時間を動かせるんだろ?」
「この宝珠は、あくまで重力場を発生させるだけのものです。これだけでは、とてつもないブラックホールを生み出すことしかできません。それをコントロールして時空間の操作をするには、エナジーネーデの全都市のエネルギーが必要なのです」
「都市の、エネルギー?」
「ええ。ネーデに点在する各都市の地下にはクォドラティック・スフィアが設置されており、都市生活に必要なエネルギーは全てそこから供給しているのです。星ひとつを時空転移させるには全てのクォドラティック・スフィアがなくてはなりません。しかし、我々は現在、フィーナルを十賢者に奪われています」
「奴らを倒して、フィーナルを取り返す必要があるってことか」
「結局、そういうことになるのね」
「よっしゃ。俄然がぜんやる気がでてきたぜ!」
 肩でため息をつくオペラとは対照的に、ボーマンは拳を打ち合わせて気魄きはくをみなぎらせている。
「それで、ようやく本題ですが」
 と、ナール。
「明日の正午、いよいよ我々はフィーナルへの侵攻作戦を開始します。この作戦にはあなたがたも加わっていただきたい」
「明日ですか?」
 レナは驚いた。
「はい。急な話ですが、時間が経つにつれて我々は不利になります。向こうの準備が整わないうちに攻め込まなければ、勝機を逸することにもなりかねません」
「……わかりました」
 仲間たちの表情を確認してから、クロードが返事をした。
「今回の作戦には、秘密裏に結成しておいたネーデ防衛軍も参加します。……こちらへ」
 ナールに促されて、傍らに控えていた女性が彼らの前に進み出る。長話の間も、彼女は身じろぎひとつせず直立していた。
「ネーデ防衛軍を指揮する、マリアナ隊長です」
 紹介を受けて、彼女は一礼した。首筋で切り揃えられた緑色の髪が、しなやかに揺れる。肌は健康的に日焼けしており、右の頬から口許にかけて、よぎり傷の跡がくっきりと残っていた。油断なく前を見据える双眸そうぼうは凛々しく、よぎり傷と相俟あいまって、女性というよりはむしろ、十五、六の少年のようにも見えた。
「女のひとなのに、隊長なんですか」
 レナが感嘆していると、マリアナは肩をそびやかして。
「性別なんて関係ないさ」
 少しかすれたような、落ち着いた感じの声だった。
「防衛軍の準備は、整っているのだな?」
 確認するナールに、彼女はさっと向き直って答える。
「精鋭部隊は既にラクアに集結。ヘラッシュの手配も完了しております」
「よし。明日の手はずは先程話した通りだ。今日のところは防衛軍も身体を休めて、明日に備えるように」
「はっ。失礼いたします」
 彼女はマントを翻して颯爽さっそうと八人の横を通り抜け、市長室を出ていった。
「かっこいいひとね」
「そ、そう?」
 見蕩れたように囁きかけるレナに、クロードは肩をすくめた。
「さて、みなさんも今日のところはゆっくりお休みください。明日の正午、ラクアにて侵攻作戦を開始します」
「あの、ラクアって……」
「ああ、まだお教えしておりませんでしたな。ラクアはここから北東、愛の場の浮遊島をさらに越えたところの島にあります。元々は水族館だったのですが、現在は防衛軍の拠点としています。セントラルシティからはトランスポートで行けるので、ご心配なく」
 ナールはそこまで言うと、崩していた表情をもう一度引き締めて、続けた。
「我々は、明日で十賢者との決着をつける覚悟でいます。この戦いには、エクスペルを含めた全宇宙の命運がかかっているのです。……みなさんの健闘を祈ります」
 そんなこと言われても、とレナは思った。いきなり大それた話にされても困ってしまう。自分ではちっとも実感が湧かないというのに。いや、むしろ実感してはいけないのかもしれない。
 ちっぽけな自分だけど、できることを精一杯やる。ただ、それだけのことなんだろう。


 明るい砂浜に、白い波が寄せては返す。視野いっぱいに広がる海は鮮やかなみどり色をしており、陽の光を受けてエメラルドのように輝いていた。心地よい潮風が、浜辺に生えている椰子やしの葉を揺らす。
 水族館であったラクアの建物は、島の入り江のような場所にあった。中央にドーム状のホールと、両脇の展示場であるふたつの棟とは、洒落た窓枠のガラス窓が填めこまれた通路で結ばれている。壁の色は海を意識した濃い青色。空と海の境界を監視する番人のように、そこにどっかりと鎮座していた。
 かつては人波でごった返していたのだろう。しかし今は内部もがらんとして、広さばかりが目立った。水槽は残らず撤去され、部屋の片隅には排水のためのポンプや掃除用のデッキブラシが、もの寂しくそこに転がっていた。
 事務室は、そのまま防衛軍の会議室となっていた。狭い部屋の中央を大きな卓と椅子が占めている。そのさらに奥には医務室があり、白いカーテンで仕切られたベッドの横で、軍医が怪我人を診ていた。
 ロビーから階段を下ると、薄暗い地下の通路がずっと続いていた。空気がこもっているためか、ここでは潮の香りよりも、なまぐさいような臭いが鼻をついた。
 トランスポートでラクアに到着した八人は、ナールの案内でこの通路を歩いていた。
「十賢者の根城となっているフィーナルの周囲には、強力なエネルギーフィールドが張ってあり、通常の手段では侵入することができないようになっています」
 歩きながら、ナールが説明する。
「しかし、我々が調査したところ、海域のエネルギーフィールドは水深百メートルほどの深さまでしか張られていません。あの辺りにはそれよりも深い場所が存在するので、そこから侵入することができるのです」
「だけど、どうやって? 水深百メートルっていっても、結構な深さよ」
「そこで登場するのが、この、ヘラッシュです」
 ナールはそう言ってから、通路の先の広大な敷地へと彼らを招き入れる。促されるままクロードたちは敷地に足を踏み入れ、目を見張った。
 そこは室内ながら、半ば海水が入りこんでおり、港のようになっていた。突堤の手前のあたりでは、隊長のマリアナをはじめとするネーデ防衛軍の精鋭部隊が、ずらりと整列していた。
 彼らが何よりも度肝を抜かれたのは、港に停泊している巨大な生物。立派な帆船ほどの大きさはあろうか、頭と背中の一部だけを水面から出して、そこに佇んでいる。一見すると鯨のような体格をしているが、全身には角か棘のようなものが無数に突きでている。灰色の外殻はかなり堅そうだ。ごつごつした外見とは不釣り合いなほどのつぶらな瞳が、頭の両端についていた。
「あれが紋章生物ヘラッシュです。人を乗せて深海潜航も可能です」
「乗るって、あ、あれに?」
 港の生物を指さしながら、オペラは顔を引きつらせる。
 一行は精鋭部隊の並ぶ突堤までやって来た。マリアナがこちらに気づき、振り向く。
 精鋭部隊はわずか十人程度だった。奇襲作戦だけに大部隊での移動は困難と考えたためか。ナールが彼らの整列する前に立つと、いっせいに寸分違わぬ動作で敬礼する。
「今回の相手は十賢者だ。その実力のほどは、諸君も充分承知していることと思う。だが、奴らとて決して無敵ではないはずだ。臆することなく戦ってもらいたい」
 ナールの激励の言葉が終わると、精鋭部隊はマリアナの指示のもと、桟橋へと向かっていく。これからヘラッシュに乗り込むようだ。クロードたちは、じっとその様子を刮目かつもくする。
 先頭を歩いていた隊員が桟橋の端に立って、生物の横腹あたりに突き出ていた角に触れる。するとその角を中心にして、殻の一部がぱかりと割れた。楕円形の扉のように切り取られた殻は、ゆっくりと背中側に持ち上がっていく。そうしてヘラッシュの横腹には、人ひとりが屈んで通れるくらいの穴が生じた。その穴を潜って、生物の中へと入っていく隊員たち。
「さあ、我々も乗り込みましょう」
「え、ええ?」
「大丈夫ですよ。悪いのは外見だけですから」
 ナールに促され、仕方なく桟橋へと向かった。
「さて……」
 クロードは、ヘラッシュの入口らしき穴からそっと中を覗いてみた。そこは意外に広く、明るかった。もっとも、明るいのは先に入った隊員が灯りを点しただけのことだが。少しは安心して、クロードたちもおっかなびっくり、乗り込んでいった。
 内部の床や壁は淡黄色で、想像していたよりもしっかりしていた。そこが生物の中だとは思えないほど。天井は低く、ディアスほどの長身となると首を折り曲げないと立っていられないが、それを除けばさほど窮屈でもない。
「これ、ほんとに生き物の中なんだよなぁ……」
「ちょっと信じられませんわね」
「厳密に言えば、ここは外殻の内側ですからね。ヘラッシュは背中の殻が二重構造になっていて、その殻と殻の間に、このような空洞があるのです」
 最後に入ってきたナールが説明した。隊員が出入り口を閉めて、別の隊員がマリアナに報告する。
「乗船完了しました。ヘラッシュの準備も万全です」
「よし、すぐに出航するよ」
 マリアナの合図で隊員が壁の操作盤を叩くと、足元が大きく揺らいだ。ヘラッシュが潜航を開始したのだ。


「変われば変わってしまうものだね」
 足許の土塊つちくれを拾い上げて、マリアナは呟いた。握りしめると土は簡単に崩れ、指先から砂がこぼれ落ちる。
 十賢者が張った防御フィールドを問題なく潜り抜けた一行は、ついにフィーナルの地へと足を踏み入れた。海岸でヘラッシュを降りて少し歩けば、枯れた大地が地平の果てまで延々と続く。地面はひからびて網の目のようなひび割れが広がり、乾いた風が砂埃を舞い上げる。ここには動物や虫たちはおろか、草木の一本として存在を許されていない。ただ、太い幹の木が一本きり、かつての名残とばかりに枯れた姿で地面に立っていた。白骨のような枝をいくつも伸ばした姿は、いずれ崩れ去り消滅する命運を呪う亡者のようでもあった。
 そして、彼らの向かう先には、細長い建物の影があった。砂埃に紛れつつも浮かび上がるあの塔こそが、十賢者の拠点に違いない。遠く離れたこの場所からでも、得体の知れない禍々しさを感じる。
「ここらはもともと、そんなに肥沃な土地じゃなかったけど……それにしても、ひどいもんだね」
「街が跡形もなく消滅しているとは……建物も、住民たちも」
 でも、そのほうがよかったのかもしれないな。ナールの横で、レナは密かに思った。無惨に破壊された街並みを、地面に散らばる、ひとであったものたちの何かを目の当たりにしてしまうよりは、いっそのこと、なにもかもなくなっていたほうがいい。
 ──なにもかも、なくなっていたほうが。
 そう思ったとき、なぜか胸がズキリと痛んだ。ちょうど、あの漆黒の塔を眺めていたときのことだった。痛みはすぐに鎮まったが、そのかわり、鉛の玉を飲み込んでしまったかのように、冷たく重い何かが胸の燠に残っていた。
 なぜ?
 赤茶けた地面を黙々と歩く人間たち。その中で、レナはこの不思議な感覚のことを、ずっと考えていた。前方の建物の影は、確実に、近づいていた。

 凝結された闇を煉瓦として積み上げれば、このようになるのだろうか。人間のありとあらゆる負の感情をかたちにすれば、このようになるのだろうか。それは、どろどろのタールを壁に塗りこめたような、おぞましい瘴気しょうきに満ちた塔だった。
「これは……何と禍々しい……」
「人間が踏み込む場所じゃないね、ここは」
 ナールの額には脂汗が浮き、マリアナも歯を食い縛った。
「だけど、ここまで来たんだ。今さら引き返すわけにはいかない。みんな、覚悟はできてるね?」
 隊員たちは神妙に頷いた。クロード、レナ、それに仲間たちも一様に表情を引き締める。もはや躊躇ためらう者などいるはずもなかった。
 ナールとマリアナが塔の入口に向かう。彼らも続く。レナは胸許のペンダントを握りしめて、強く祈った。
(お父さん……エクスペルのみんな、私たちをお守りください)

 うつろに開いた入口を潜ると、正面にくすんだ銀色に鈍く光る階段が、上へ上へとひたすら続いていた。最下層のはずなのに、その両脇は底の見えない奈落になっている。他に迷うべき道もないので、彼らは階段を慎重に登っていく。
 長い階段だった。随分歩いたはずなのに、ちっとも先が見えない。しかも階段は、螺旋らせんになっているならまだしも、ひたすらまっすぐ続いているのだ。外から見た塔の大きさを考えれば、とっくに壁にぶつかっているはず。クロードたちの脳裏に、勇気の場での出来事がよぎった。また、堂々巡りなのか? その疑念が湧き起こったそのとき、唐突に階段は途切れた。
 登りきった先は、半ば大広間、半ばテラスといった趣の部屋だった。血のように赤黒い床。不可解な模様が光の筋で描かれている壁。吹き抜けになっている正面からは、どんより曇った空と山並みが見渡せた。
「あれは……」
 部屋の一角、垂れこめる黒雲を背景に、巨大な球体が浮かんでいた。エルリアの塔で見たものと似ているが、微妙に違う。球体の周囲には、矩形さしがたのパネルのようなものがいくつも漂い、翡翠色に輝きながら不規則に動き回っている。
「あれが、フィーナルのクォドラティック・スフィアなんですか?」
 クロードが訊ねても、ナールは返事をしなかった。ひとりでにパズルを展開しているように、球体のまわりを縦横無尽に動き続けるパネルを、信じられないものでも見たかのように凝視している。
「まさか……そんなはずが」
「ナールさん?」
 譫言うわごとのように呟くナールに、クロードが怪訝な顔をした、そのときだった。
 ごおぉぉぉっ!
 いきなり部屋の中を突風が吹き荒れた。不意をつかれた精鋭部隊の何人かが舞い上げられ、天井に叩きつけられる。他の者たちは吹き飛ばされないよう、必死に身を固くする。風は長くは続かず、数秒ほどでピタリと止んだ。
「!」
 クロードが気配を感じて振り向く。翡翠色の球体の前に、三人の男が出現していた。中央に立つは白銀の髪をなびかせた優男やさおとこ。頑強そうな大男を両脇に従えている。いずれもエルリアの塔で見かけた男たちだった。
「ようこそ諸君。待ちかねたぞ」
 銀髪の男が、よく通る声で彼らに言った。
「我が名はルシフェル。完璧な知能と肉体を兼ね備えた、宇宙の真の支配者である」
「ルシフェル……十賢者のひとり、参謀のルシフェル」
 クロードが呟く。すぐに精鋭部隊が武器を手に身構えた。ルシフェルと名乗った男は、冷ややかな微笑を浮かべたまま、人間たちを睥睨へいげいしている。
「光栄に思うがいいぞ。神聖なるこの場は、本来ならば下賤な貴様らごときが足を踏み入れることすら適わぬ。だが、我らの計画もいよいよ最終段階に近づいたのでな。貴様らにも新兵器を披露してやろうと考え、私が招き入れた」
「新兵器だと?」
 クロードはルシフェルを睨む。彼は少しも意に介さず、右目を隠していた前髪を掻きあげた。その動作で露わになった彼の容貌は、少しでも美に通じているものが見たならば、まさに完璧な美しさに魂さえも凍りついたことだろう。
「我々はすでにエナジーネーデの移動システムと対航宙艦兵器を完成させた」
 鶏冠とさかのような髪型をした男が、野太い声で言う。
「さらに惑星破壊兵器の完成もそう遠くない。近いうちに全宇宙は我々の手に落ちる」
「ふざけるな」
 クロードは負けじと食ってかかる。
「そんな悪行がそう簡単にうまくいくものか。連邦が黙っちゃいないぞ」
「残念だが、頼みの連邦も、我らの前では無力に等しい」
 ルシフェルが涼しげな口調で言う。
「奴らの陽電子砲など、ネーデを包むフィールドに阻まれ、ここまで届きもしない。対して我らの反陽子砲は、奴らの船を埃のごとく吹き飛ばし、宇宙の塵としてみせよう」
「反陽子砲だと?」
 エルネストが声を上げた。
「そんなものが、本当に可能だというのか?」
「ふむ。言葉だけでは信じられないようだな。ならば、いよいよお披露目といくか」
 ルシフェルが指を鳴らすと、彼らの真上の天井から大きな磨硝子すりガラスのような板が降りてきた。板は外の景色を上半分だけ隠したところで、止まった。
「おい、スクリーンに出せ」
 鶏冠頭が、手首につけた何かの装置に向かって話しかけている。
「茶番はよしな。時間を稼いで隙を狙おうってんなら、無駄だよ」
 マリアナが腰の剣に手をかけ、焦れたように言った。
「ふふ。そう急くな。前座がなければよい芝居も際立たぬというものだ。……そら、来た」
 彼らは目を見張った。半透明の板いっぱいに、ひとつの映像が映し出されたのだ。
 そこは、どこかの宇宙だった。数多の星が、星雲が、暗黒の空間のそこここで輝きを放つ。その画面の中央に、金属で作られた不可思議な物体が浮かんでいる。
「何か知らないが、ネーデの周囲をウロウロしていたのでな。標的になってもらうことにした」
 ルシフェルが言う。鳥とも魚ともつかない形をした、その鉛色の物体は、暗闇の中を不安げに漂っている。
「そん、な……」
 画面を見ながら、クロードがあえいだ。
「あれは……カル、ナス……」
「カルナス? カルナスって、あの?」
 オペラが問いただした。クロードは画面に大写しになる物体に目を奪われたまま、呟く。
「……父さんが乗っているふねだ」
 レナは驚いてクロードを見た。乗っている? あれに、おとうさんが?
「ほう、そうか。これは面白いことになった。余興にまた花を添えてくれる」
 ルシフェルは心底楽しんでいるようだった。氷のごとき微笑がクロードを縛りつける。
「お前たち、何を……まさか!」
 クロードは悟った。彼らの前座とは、余興とは何であるかを。
「まずは十パーセントで試してみろ」
 ルシフェルが命じ、鶏冠頭が手首の装置に伝える。
「おい、ミカエル。準備はいいか」
〈おうよ。いつでもいけるぜ、相棒。一気にぶっ放しちまおうぜ〉
 部屋全体に、野卑やひな男の声だけが響き渡った。見回しても、それらしき姿は見えない。どこか別の場所にいるのか。
「期待を裏切るようで悪いが、ルシフェル殿はなぶり殺しがお好きのようだ。十パーセントに抑えて撃て」
〈ちっ。つまんねぇな。りょーかい〉
「やめろ!」
 クロードが剣を抜いて鶏冠頭の方に駆け出そうとしたが、その前にいた別の男に大剣を突きつけられ、慌てて制止をかける。
「大人しく見ているんだ。妙な真似をしたら、次にはその首が飛ぶと思え」
 クロードの背丈の倍ほどもあろう大剣を片手一本で支えるその男の腕は太く、むきだしの上半身も、肩から首筋のあたりが異常なほど筋肉で盛り上がっている。堅固な筋肉は、そのまま自らを護る鋼の鎧ともなり得る。
 一分の隙もみせない男と睨み合っているうちに、天井よりもさらに上のほうから、きぃぃぃぃんと、耳をくすぐるような音が聞こえ、程なくして塔全体が震動した。
「発射した!?」
 その場にいた全員が、画面に注目する。鉛色のふねの下方から、光の砲撃が彗星さながらに尾を曳いて突進していく。艦を防護するように張られた光の膜が、一歩手前で衝突を防いだ。くすぶる光。飛び散る火花。砲撃を必死に食い止める光の膜も、ばちばちと電気を飛ばして悲鳴を上げている。執拗に続いた砲撃だが、それも次第に弱まり、ついには獲物を射抜くことなく消滅した。ホッと胸を撫で下ろすクロード。
「ほう……なかなかやるものだな」
「ふっ。そうでなくては面白くない」
 ルシフェルはすぐに次の指示を告げる。クロードの顔がふたたび青ざめた。
「出力を上げろ。次は三十パーセントだ」
「ミカエル、三十パーセントだ」
〈りょーかい〉
「くそっ!」
 クロードの剣から霊気が噴きあがった。それを振りかぶっていきなり目の前の敵に斬りかかるが、見透かしていた男の大剣はそれより速く、彼の首を狙って振り抜かれた。間一髪、クロードは剣で防いだが、大剣の一撃による凄まじい衝撃までは受け止められず、突き飛ばされ、床を滑って壁に背中をしたたかぶつけた。クロードはすぐに起き上がると、背中の痛みなど忘れてもう一度斬りかかる。男は剣を素振りした。剣先から放たれた衝撃波をまともに食らい、クロードはまた地面に伏した。
「クロード!」
 レナが駆け寄ると、クロードは既に膝をついて立ち上がろうとしていた。衝撃波で服はあちこち綻び、破れ、顔や腕にはいくつものあざや切り傷ができていた。
「待って、今治すから……」
「いらない!」
 レナの手を振りはらって、クロードはまた男に向かって駆け出した。今度の衝撃波は跳躍して躱し、ようやく剣を交えるところまでは行ったが、冷静さを欠いた今の彼に本来の力が出せるはずもなかった。あっさりと打ち据えられ、やはり突き飛ばされる。
「おい、クロード、ちと落ち着け。自分を抑えるんだ」
 この状況を見かねたボーマンが呼びかけても、クロードはまるで聞こえていないように、立ち上がり、男に向かっていく。
「クロード!」
「クロード!!」
 もはや誰の呼びかけにも応じない。起き上がっては斬りかかり、倒れてはまた起き上がる。がむしゃらに剣を振り回す彼の目には、大剣の男の姿しか映っていなかった。苛立ちと焦燥が、彼の判断を大きく狂わせていたのだ。
 何度目かに立ち上がり、剣を握り直したそのとき、再び塔が揺れた。先程よりも大きな震動だ。
「くっ!」
 クロードは画面を見る。放たれた砲撃は、もはや彗星などと呼べるものではなくなっていた。──光の奔流ほんりゅう。それは鉛色の艦を呑みこむようにして襲いかかる。艦を護る膜が波打ち、徐々に薄れていく。これ以上は耐えきれないというところで間一髪、奔流は過ぎ去った。
「反撃するわ!」
 辛くも生き残った艦に動きが見られた。胴体の腹の一部が開いて、そこに青白い光が収束する。光が一定量まで溜まると、そこからひといきに光線が放たれた。こちらに向けて撃ったのであろうが、虚しくも、いつまで待ってもここには、その光の一粒とて届きはしなかった。
「はっはっは。あの程度の武器でこちらに攻撃を仕掛けるとは、おめでたい連中だ」
 ルシフェルは哄笑こうしょうした。それからクロードを見て。
「そちらの元気のいい小僧も、もうおネムの時間か?」
「なっ、なにを……っ!」
「それでは、いよいよフィナーレといくか。派手に散ってくれよ」
 一度は拳を握りしめたクロードだが、その言葉で色を失う。
「出力を上げろ」
「これで最後だ。出力を上げろ」
〈りょーかいっ〉
 剣から霊気が抜け、地面にからんと落ちた。「最後」を前にして、抗う気力さえも失った彼は、膝を折り、両手を地面につき、赤黒い床に向かって呻いた。
「お願いだ……もう、やめてくれ……」
「やれ」
 非情の声が、なぜかひどく遠くから聞こえたような気がした。天井を見上げ、自らの鼓膜を破らんほどの凄まじい声で、彼は、吼えた。
「やめろぉぉぉぉっ!!」
 塔が、震撼した。
 レナが息を呑み、ボーマンが歯を食い縛る。クロード以外の全員が画面を注視した。
 画面は、前よりも一層大きくなった光の砲撃が放たれたところだった。物凄まじい奔流が艦に押し寄せ、ついに光の膜に穴を穿ち、綿に火を灯したごとく一瞬で消滅させた。丸裸になった鉛色の鳥は、翼を折られ、胴体を裂かれ、ついには奔流の中で爆発した。黄色の火花が飛散し、粉砕されたかけらも同じように弾けて四方八方に散っていく。砲撃が止むと、そこには胴体の一部が、翼の片割れが、もはやどの部分であったかも判らないほど粉砕された破片が、惨たらしく暗黒の宇宙を漂っていた。
 そこで、画面は消えた。半透明の板が、何ひとつ変わることなく、その場所にあった。
 クロードは両手をついたまま、地面を凝視していた。薄く開いた唇が小刻みに震える。全身に氷水を浴びせられたような寒気が走り、鳥肌が立った。ほんのわずかなその間だけ、彼のありとあらゆる思考は停止した。歯車が、がたりと音を立てて外れていく。
「ふふ。なんと見事な、素晴らしい花火ではないか。まるで私の君臨を宇宙が祝福しているようだ」
 ルシフェルのその言葉に、彼の背中がピクリと反応した。床に落ちた剣をつかみ、うなだれたまま、ゆらりと立ち上がる。
「……ろ、す…………ま、えら……」
 頬を伝った滴が顎の先で、ぽとりと落ちた。顔を上げて十賢者たちを睨む。その形相には、確かに、鬼が宿っていた。
「……殺す……殺してやる……お前ら、全員まとめて殺してやる!!」
 そう叫ぶクロードに、レナは震えが止まらなかった。彼が初めて見せた純粋な怒り、そして憎悪。それが、ひどく恐かった。
「ふん。威勢だけは上等だ」
「よほど父親の後を追いたいようだな。同じように宇宙の塵にしてやるか」
「黙れえぇっ!!」
 刃に霊気が炸裂した。クロードを中心として闘気の渦が巻き起こり、周囲に烈風が吹き荒れる。剣の霊気はクロードの背丈ほどにまで伸び上がった。
「見苦しいな、全く……。下らん。莫迦莫迦ばかばかしい」
 幻滅したというふうに、ルシフェルの貌から微笑が消えた。冷たくクロードを一瞥いちべつすると、マントを翻す。
「ザフィケルよ。後の始末はお前に任せる」
「承知しました」
 大剣の男──ザフィケルの言葉も待たずに、ルシフェルは旋風を巻き起こし、その渦に紛れるように消えていった。鶏冠頭のほうも同時に、霧散するように姿を眩ました。
「さて……次は貴様らの番だ。せいぜい楽しませてくれよ」
 残ったザフィケルが大剣を振り上げると、天井が歪み、布のようにぱっくりと破れた口から奇妙な物体がいくつも降ってきた。がしゃんと金属の打ち合わさる音をたてて地面に降りたったそれは、冷たい鋼の怪物だった。金属の塊に骨格めいた両手両足のついたもの。甲虫のように六本の足で地面を這うもの。いずれも五、六体ほど、広間のあちこちで始動する。
「しまった、待ち伏せしてあったのか!」
「上等だよ。すべて叩きつぶすまでさ」
 マリアナは剣を抜いて敢然と怪物と斬り結ぶ。しかし他の隊員たちはまさしく降ってわいた敵に激しく動揺し、たちまちわらわらと散開して陣形が大きく崩れてしまった。怪物は腕から銃弾を無差別に放ち、口から砲弾を吐きだした。背を向けて逃げる隊員は背中を撃ち抜かれ、剣を抜いて戦う意志をみせた隊員は敵の標的とされて八方から弾を浴びる。紅の華が周囲に飛散し、次々と倒れる隊員たち。銃声と、爆発と、叫喚きょうかんが錯綜し、おびただしい血が流された。
「市長を守るんだ!」
 マリアナと戦士たちはナールを中心に固まって、円状に陣形をつくった。だが、そこにクロードは加わろうとはしなかった。彼はひとり、鋼鉄の集団を相手に、まるで狂戦士バーサーカーのように暴れ回っている。
 連続して放たれる銃弾を右に左に跳んで躱すと、クロードは容赦なく剣を振り下ろした。霊剣は強固な金属をものともせず、薄紙を裂くように怪物を一刀両断する。背中を狙った砲弾は振り返りざまに打ち払い、すかさず跳躍して空中で闘気の炎を敵に叩きつけた。地面に降りてすぐに近くにいた六つ足の怪物を薙ぎ払い、次に二本足の怪物に斬りかかる。ところが怪物は軽い身のこなしで跳躍して攻撃を避け、クロードの背後に着地した。振り返る彼の頭に、重厚な金属の腕が振り下ろされ──。
 がくん。怪物のからだが大きく揺らいだ。金属の拳はクロードの金髪に触れたところで止まっている。やがて怪物は横ざまに崩れるようにして倒れ、その背後に長身の男が現れた。
「頭を冷やせ。のぼせたままでは倒せる敵も倒せなくなる」
「ディアス……」
 クロードは息をついて、目の前に横たわる怪物を見た。金属の背中は大きくえぐられ、そこから濁った液体が床に流れ出ている。ディアスの一撃によるものだろう。
「前に言ったことがあったな」
「え?」
 クロードは顔を上げた。ディアスは微笑を浮かべながら。
「エル大陸に乗り込む直前、お前は俺に聞いてきたな。『勝つにはどうしたらいい』と。あのとき俺が言ったこと、覚えているか?」
「あ……」
 クロードは思い出した。そして、ニッと笑い返す。彼の言わんとしていることが、理解できたのだ。
「『敵のボスを叩きのめし、二度と立ち上がれないようにすることだ』」
 ふたりは駆け出した。ザフィケルの許へと。
「ん? なんだ貴様ら? 俺とやろうってのか?」
「覚悟しろ。父さんの仇だ」
 クロードは剣をザフィケルに突きつけた。
「ふん。粋がるなよ、小僧」
 ザフィケルは景気づけに大剣を振り、それから前に構えた。
「よかろう。この俺が仇だというなら、遠慮なくかかってくるがいい。貴様の怒り、いかほどか試してやろう」
 まずはディアスが斬りかかった。ザフィケルが横に大剣を振るうとディアスは身軽に跳躍し、反対側に降り立つともう一度背中を狙って駆けだす。正面からはクロードが時を同じくして斬りかかった。それでもザフィケルは動じることなく、クロードの霊剣は片手の大剣で、ディアスの剣はもう片方の腕そのもので受け止めた。ザフィケルが両者を力ずくで撥ねつけると、ふたりはそれぞれ背後に退いた。
 今度はザフィケルから攻撃を仕掛けた。まずはディアスと剣を交える。ザフィケルはその無駄と思えるほど大きな剣を軽々と振り回し、ディアスを翻弄する。しかしディアスも速さでは負けない。身軽さを利用して横へ後方へ退きつつ、自分に有利な間合いをつくろうとする。空破斬を放ち、空中からクロスウェイブをぶつける。だが、ザフィケルの鋼の肉体は微動だにしない。
(なぜだ。なぜ攻撃が全く通用しない?)
 ディアスは次第に苛立ってきた。
 執拗に斬り結ぼうとするディアスをザフィケルが大きく剣を振って撥ねのけたとき、クロードがその隙を狙って突進してきた。ザフィケルはすかさず剣を繰り出す。クロードは跳躍してその一撃を躱すと、そのままザフィケルの頭めがけて降下する。振りおろされた霊剣は寸前に差し出したザフィケルの大剣に阻まれた。弾かれて地面に着地した刹那、大剣が彼の喉元めがけて突き出される。クロードは上半身をけ反らせてそれを避ける。ザフィケルはなおもクロードを集中的に狙う。しかしその隙をついて、ディアスが背後から鳳吼破を放った。その背にほのおの鳳凰が炸裂し、ザフィケルは衝撃で足元がぐらついた。この絶好の機会を見逃す手はない。クロードが剣を左手に持ちかえ、右拳を握りしめて一気に懐まで潜りこんだ。拳に闘気を注ぎ込む。
「バーストナックル!」
 灼熱する拳を渾身の力で相手の腹に繰り出した。次の瞬間には、その拳が相手を貫いている──はずだった。
 しかし、鈍い衝撃とともに、拳は止まった。鋼の肉体の表面で、くすぶるような黒い煙を立ちのぼらせて。命中した敵は必ず仕留めてきたこの技が、初めて破られたのだ。
「……所詮は人間か。この程度では俺は倒せぬ!」
 唖然とするクロードを、ザフィケルはお返しとばかりに殴りつけた。クロードは壁際まで吹き飛ばされるが、途中で反転して着地するとそのまま剣を振りかざしてザフィケルに向かっていく。
 ──これが、最後だ。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 クロードの気魄きはくをザフィケルも感じ取ったのか、表情を引き締め、大剣を構え直してクロードと切り結ぶ。ディアスが、レナが、全ての者がその一瞬に注目した。霊剣と大剣が交錯した刹那、激しい光がほとばしった。
「──────っ!」
 眩い光の中で彼らは見た。
 粉砕された霊剣。そして、肩から血を噴いて倒れていく、黄金色の髪の青年の姿。
「く……クロードーーーっ!!」
 レナが絶叫する。そして駆け寄ろうとするが、ボーマンに腕をつかまれる。
「まだ向こうには敵がいる。危ない」
「クロード! クロード!」
 レナは何度も彼を呼んだ。クロードは地に伏したまま、動かない。切り裂かれた肩口からは、赤いものが止めどなく流れ出ている。
「何ということだ……まさか、これほどまでに実力の差があろうとは……」
 ナールは茫然と呟いた。クロードが倒れ、精鋭部隊も立っているのは数人のみ。もはや敗北は必至だ。
「市長。撤退しましょう。このままでは全滅です」
 マリアナの進言にナールも同意はしたが。
「だが、奴もそう簡単には逃がしてくれないだろう。どうするつもりだ?」
「私があいつを引きつけます。その隙に市長はみんなを誘導してください」
 マリアナはそう言って、ナールが止める間もなくザフィケルのところへ行ってしまった。
 ザフィケルは残るディアスを追いつめていた。剣も技も、ディアスの攻撃はことごとく弾かれてしまい、ザフィケルの重い一撃をどうにかやり過ごすのがやっと。しかも相手はまるで疲れを知らない。ディアスの動きが緩慢になってきたところを、ザフィケルは大剣でディアスの剣を打ち払った。手から柄がすっぽ抜け、剣が宙に舞った。返し刀は横っ跳びでかろうじて避けるものの、最後に残った腕が大剣の切っ先を掠めた。腕を抱えてうずくまるディアス。その彼を真っ二つにせんと、ザフィケルは大剣を掲げた。
 と、両者の間に突如、緑の髪の若者が飛び込んできた。いや、違う。女性だ。振り下ろされた大剣を剣の腹で受け止める。
「あんたたちは逃げな」
 マリアナはディアスに目配せした。ディアスは怪訝そうに眉をひそめる。
「あんただってわかるだろう。このままじゃ勝ち目はない。私が食い止めてる間に、早く!」
「食い止める、だと?」
 ザフィケルが嫌らしい笑顔を作る。殺気を感じたマリアナは横に退いて間合いをとった。
「窮地に立たされ気でも違ったか。貴様ごときがこの俺を食い止める? はっ。とんだ妄言だ」
「言ったね。後悔するかもしれないよ」
 マリアナは挑発的に相手を睨みつける。そして、背後のディアスに叫んだ。
「さあ、行くんだ!」
 彼女の声に背中を押されるようにして、ディアスはその場を離れる。まだ納得はしていないが、今の自分には何もできないことも事実なのだ。
「おい、クロード……駄目か」
 ディアスは倒れているクロードに声をかけたが、反応はない。仕方なく、負傷していない方の腕で抱き起こすと、そのまま仲間たちのところへ引きずっていく。行く手にはまだ鉄の怪物が数体残っていたが、ボーマンやエルネストが敵を牽制して道を切り開いてくれていた。
「クロード……」
 ディアスがレナたちの前でクロードを降ろす。右肩から胸のあたりまでが深々と裂かれ、服は血液に浸されて、袖口そでぐちや裾からさかんに紅い滴が落ちている。瞑目する顔は不自然なほど白く、まるで生気が感じられない。レナは傍らに座り込んで、ぼろぼろと涙をこぼす。
 呪紋を唱えられる状態でないレナの代わりに、ノエルがひとまず治療を施した。
「傷口は心臓までには達していない。まだ助かるよ。けれど、僕の力では完全に傷を癒すことができない。なんとか血を止めないと……」
 彼らはレナを見た。けれど、今の平静を失った彼女では、おそらく呪紋は使えない。呪紋は精神と肉体の均衡が保たれて初めて、扱うことができるのだ。
「とにかく、いったん戻りましょう。街に戻ってクロードさんの治療をしなければ」
 ディアスの外套を傷口にあてがい、脇に通し、肩から背中に回したもう片方の端と結んで包帯とする。そうして人間たちは撤退を始めた。クロードはボーマンが担いで、全員で出口へと向かっていく。扉に立ちふさがる怪物はセリーヌの呪紋で破壊された。
 扉を潜って階段へ降りようとしたとき、オペラが部屋をかえりみる。そこではまだマリアナが、ザフィケルを相手に戦っていた。
「ねえ、ちょっと、あの隊長さんは?」
「マリアナは後から来ます。さあ。急いで」
 ナールに急き立てられ、オペラも少し気になりつつも、階段を降りていった。
 マリアナがザフィケルの剣を打ち払って間合いをとる。そして、階段の下へ消えていく彼らの姿をチラッと見ると、口許をつり上げた。これでいい。後はもう少しだけ、時間を稼げば。
「ちっ。雑魚相手にいささか時間をかけすぎたか。お遊びは終わりだ。消えてもらうぞ」
「上等だね。私も、命がけで食い止めさせてもらうよ」
 そう言ってから、マリアナは不意に微笑を洩らした。戦いの場にまったく似つかわしくない、安らぎの笑顔だった。
「どうせ私たちが進むのは、破滅の道だ。死ぬことに恐れなんか、微塵も感じちゃいないさ」
「なんだと? それはどういう……」
 ザフィケルの言葉を待たずして、マリアナが斬りかかった。剣戟けんげきが、部屋に響いた。

2 今、このときだけ。 ~紋章兵器研究所~

 彼は、暗く深い闇の淵にいた。

 なにも見えない。なにも聞こえない。絶対的な虚無が支配する世界の中で、彼は膝を抱え、瞳を伏せて、うずくまっていた。周囲の闇が浸食し、自分も闇に呑みこまれるのを必死にこらえ、またそれに怯えるように。しかし、彼が怯えているのは、闇ではなかった。
 やがて、空間の一点にひとつぶの光が現れた。光はみるみるうちに膨張し、彼に迫ってくる。
 ──眩しい。
 膝を抱える手を固く握りしめる。(いやだ)光は彼を目覚めへと誘う。だが、彼は目覚めるのが怖かった。(もういやだ)光の向こうには、完膚なきまでに打ちのめされ、打ちひしがれた「現実」の世界がある。(もう、戦えない)
 しかし、その光の先には、彼が予期していたものとは違う世界があった。それは目覚めではなかったのだ。
 そこは、戦場だった。見知らぬ世界、見知らぬ場所の。見たこともないばけものを相手に、彼らは戦っていた。若者と、少女と、仲間たち。そして。(──母さん?)
 牙を剥くばけものに、澄んだ瞳の若者が剣を手に立ち向かう。下手したてに構え、跳躍しつつ斬り上げ、すぐに斬り下ろす。戦場の音はすべてかき消され、声も聞こえなかったが、その剣技はよく知っていた。(双破斬)
 迫り来る別のばけものの群れに、彼は手をかざして呪紋を唱えた。(呪紋?)ばけものの頭上で爆発が起こり、粉々に吹き飛ばす。(僕が呪紋を?)
 そこで一旦、世界は閉ざされ、また完全なる闇が彼を覆いつくした。光は短いトンネルであり、そこを一気に駆け抜けたような感覚だった。そして、すぐに二度目のトンネルがやってきた。
 そこは、また別の戦場だった。さっきよりは彼に近い世界に属する場所のような感じがした。冷たい床と壁に仕切られた部屋で、彼らは巨大な鋼の怪物を相手にしていた。堅く重い腕が床を砕き、驟雨しゅううのごとく砲弾が降り注がれる。彼らは傷つきながら、それでも決して怯むことなく、果敢に剣を閃かせ、呪紋をぶつける。
 怪物がわずかに動きを緩めた。その一瞬の隙を、若者は見逃さなかった。両手で光の剣を掲げ、全身に気合いをみなぎらせる。背後に影が立ちのぼった。影はぐんぐん伸び上がり、天井にも届こうかというほど膨れ上がる。そして、まるで生きているかのように、ひとつの姿を形成する。(──竜)それは、漆黒に輝く鱗に身を包んだ、竜の化身だった。
 若者が剣を振り下ろすと、竜は電撃をほとばしらせ、咆哮ほうこうを上げて──声は聞こえないが、からだ全体に伝わってくるびりびりとした震動でそれを感じることができた──怪物に襲いかかった。強固な鋼が砕け、融解し、黒き稲妻の名のもとに弾け飛んだ。黒が、戦場を覆いつくす。
 気がつくと、彼はふたたび闇の中に引き戻されていた。たった今、目にしたふたつの光景。だが、それは途方もなく遠い過去の出来事のように思えた。
 ──戦いの記憶は、血によって受け継がれる。
 懐かしい声がした。その声を、彼は迷うことなく受け入れることができた。その記憶が誰のものであったかを、彼は理解したのだ。
 ──これが、私がお前にできる、最期の贈り物だ。
(待って。行かないで。僕はあなたに──)
 ──その力を、大切なひとのために、使いなさい。
 光がやってくる。今度こそ間違いなく、目覚めの光だ。彼はもう、怯えてはいなかった。けれど、僕は。
(僕は、あなたに──謝りたかった)


 クロードが目を覚ましたのは、レナが水を張った器に手拭いを浸して、丁寧にすすいでいるときだった。固く絞った手拭いを持ってベッドを振り返ると、彼はうっすらと目を開けていた。
「あっ、よかった、気がついたのね」
 レナが笑顔で呼びかける。彼は青い瞳をゆっくりとこちらに向けた。
「僕は……」
 そう呟いたあと、急に目を見開き、掛け布を剥がして起きあがろうとした。
「痛ッ……!」
 苦痛に顔を歪め、右肩に手をやる。何重にもぐるぐる巻きにされた包帯のごわごわした感触があった。
「だめよ。まだ治りきってないんだから」
 レナに寝かしつけられ、仕方なく、再び枕に頭を埋める。レナは手拭いで彼の額と頬と目許を順番に、優しく拭う。
「あなた、フィーナルから戻ってから、まる二日も寝てたのよ」
「二日……」
 クロードは天井を向いたまま、呟いた。
「みんなは無事だったの?」
「ええ。みんな無事よ。ナールさんも。けど防衛軍のひとたちは……」
「……そうか」
 クロードは、手拭いを持って傍らに立つレナを見つめる。憔悴した彼の容貌が、かえっていつもより艶めかしく感じられて、レナはどきっとした。
「ずっと看病してくれたの?」
「え? あ、うん。私も、なんだか眠れなかったから……」
 レナはばつの悪そうに笑って、指で目をこすった。そういえば、自分もひどい顔だったかもしれない。
「僕はもう大丈夫だから、君も休んだほうがいいよ」
「でも……」
「……ひとりに、してほしいんだ。少しだけ……」
 クロードはそう言って、また天井を向いたきり、押し黙ってしまった。レナはどうしていいかわからず、しばらくその場に立ちつくしていたが、やがて手拭いと器を抱えて、静かに部屋を出ていった。
「ごめん」
 ぱたりと閉まったあとの扉に向かって、彼は呟いた。それから、ゆっくりと身体を起こす。包帯の巻かれた傷跡をまじまじと眺め、指先で丹念に撫でる。
 そこまでだった。彼が感情を抑えきれたのは。目を覚ましたときからずっと、はじけ飛びそうだった感情を、どうにかここまで堪えてきたのだった。レナには見せたくなかった、自分の姿。今だけは。このときだけは。
 傷を撫でていた手を握りしめ、膝の上に置く。その拳を見つめながら、彼は泣いた。
 父を、想って──。


 クロードの傷が完全に癒えるまでには、それからさらに三日を要した。それまでは仲間たちも動くことができず、セントラルシティの中で鬱然うつぜんと過ごした。ナールはひとり、市長室にこもって何やら考え事をしていたようだった。
 そして、三日後。完治したクロードを加えた八人は、ナールに連れられて、あるトランスポートへと向かった。行き先は、アームロック。
「ここは、ネーデで唯一、武器の製作が許可されている街です」
 雑多な家並みをくぐり抜けるような道を通りながら、先頭を歩くナールが説明した。日当たりの悪い路地に建ち並ぶ住居はいずれも古びており、壁の表面が崩れ落ちていたり、屋根の瓦が欠けていたりもした。開け放たれた両開きの窓が、塵と埃で透けて見えないくらい曇っている。見上げると、空は煙突からの煙で灰色に染まっていた。
「ネーデに出回っている武器はすべて、ここで作られているのです。もっとも、一般のネーデ人には武器の使用は固く禁じられているので、購入するのは警察組織か結成されたばかりの防衛軍、それにみなさんくらいのものですが。需要のない武器を作るのは、よほどの物好きか、あるいは家筋を絶やすまいと親からの技術を受け継いでいる職人ばかりで、ご覧の通り、街はすっかり寂れてしまっています」
「それで、僕たちは、ここに武器の調達をしに来たんですね」
「平たく言えば、そういうことです。しかし、あなたがたの武器はこの街にはありません」
 彼らは怪訝な顔をする。ナールはそれ以上は語らずに、背を向けて淡々と石畳の道を歩いていった。
 うらぶれた路地を通り抜けた先は、大きな扉のついた壁が立ちふさがり、一見すると行き止まりのようにも思えた。頑丈そうな石扉は、壁と同じ褐色がかった白で、中央の縦一直線に溝が走っている。取っ手らしきものも見当たらず、ひとの手では開けられそうもなかった。
 ナールは扉の前で立ち止まり、クロードたちを振り返った。
「この先にある、いや、あると思われる武器は、本来ならば使用されることのないものです。しかし、崩壊紋章まで持ち出した十賢者に対抗するためには、もはや手段を選んでいる猶予はありません」
「崩壊、紋章?」
 クロードが訊き返すと、ナールは思い出したように口を開けて、クロードを見た。
「そういえば、クロードさんにはお話ししておりませんでしたな」
「なんのことですか?」
「フィーナルで、十賢者の背後に浮かんでいた物体のことです」
 翡翠色に輝く球体に、その周囲を動き回る無数のパネル。あの奇妙な動きは今でも脳裏に焼きついている。
「あれが、崩壊紋章?」
「母体となっているのはクォドラティック・スフィアです。ただし、周囲のパネル……あれには紋章が刻み込まれているのですが……あれが然るべき位置に固定されたとき、ひとつの紋章として発動するようになっているのです。その意味は、全宇宙の崩壊」
「なんだって?」
 クロードは信じられないというふうに眉をひそめる。誰だって信じられるはずもない。宇宙が消えてなくなってしまうなどと。
「本当にそんな紋章が存在するんですか?」
「あれは我々ネーデ人の間でも、ごく一部の人間にしか知られていないものです。崩壊紋章は長い間、禁断の紋章としてその方法は封印されてきました。いったいどのようにして十賢者に洩れたのかはわかりません。しかし、実際問題として、彼らはその力を手にしてしまったのです」
「けれど、宇宙の崩壊だなんて……。奴らの目的は宇宙征服じゃなかったんですか?」
「強大な力は、抑止力になります。彼らの場合も、おそらく我々を威嚇するために持ち出したのではないかと推測しています。それ以外に、あの恐ろしい紋章を用いる理由は、思いつきません」
 ナールはそこで言葉を切り、扉に向き直った。掌を前にかざすと、たちこめていた霧を突風が吹き払うようにして、扉がさあっと消失した。ナールが先に入り、クロードたちがあとに続いた。
 建物の内部は薄暗く、両脇に手すりのついた通路がずっと続いていた。その先、足元からの光にぼんやりと照らしだされているのは、トランスポートのようだった。この街に武器はない、とナールは言った。つまり、ここからどこかに移動するということだろう。
「崩壊紋章については我々のほうで対応策を考えます。威嚇に使うのであれば、彼らもやすやすと発動させることはないはずですから。ともかく、今の我々に必要なのは、彼らを圧倒するだけの『力』なのです」
「それが、この先にあると?」
「ええ、おそらく」
「いったいどこへ行こうってんだ?」
 ボーマンが焦れたように訊ねる。その問いに、初老の市長は、押し殺した声で答えた。
「……紋章兵器研究所」
「研究所……?」
 ナールが立ち止まった。目の前には、円筒の硝子張りの装置──トランスポートがぽっかりと口を開けて、彼らを誘っていた。


 その地に降り立ったときから、レナは不思議な気持ちが胸の奥でいっぱいになっていくのを感じていた。燻っていた種火がどんどん広がり、強くなって、胸の中で熱く燃えさかっているような。
 静かに、けれど確実に、彼女の中で何かが起こり、動き始めていた。

 トランスポートで転送された先は、森に囲まれた小さな草原だった。
 膝丈ほどの草が一面を埋めつくし、ところどころには、主張するように色鮮やかな花が咲き誇っている。森の樹木はいずれも高く、幹も大のおとなが三人がかりでやっと抱えきれるほど太かった。空に雲はなく、眩い太陽ばかりが澄んだ青の中に収まっていた。日射しは暖かく、心地よい風が服を揺らし、肌をかすめる。
「ねえ。あれ……」
 オペラが皆に示したのは、半ば壊れている何かの建物。草原の向こうに、忘れ去られた遺物のように佇んでいる。
「あれが研究所ですか?」
「ええ。正確には、研究所跡、ですが」
「跡?」
「今はもう使われてない、ということか。……この様子だと、かなり昔から」
 研究所を遠目で眺めやりながら、エルネストが言った。ナールは頷く。
「はい。遠い過去に大きな事故が起こってから、この研究所はずっと閉鎖されたままでした。アームロックのトランスポートがこことを結ぶ唯一の連絡口だったのですが、それも封印が施されていました」
「その封印を解いてまで、やって来たということは」
 と、セリーヌ。
「よっぽど凄い武器が、ここにはあるということですわね」
「何度も申し上げているように、ここに武器があるという確証はありません。ただ、ここで行われていた研究は当時でも、そして現在においても最先端の技術レベルであることは、間違いないのです」
 ナールは順繰りに彼らを見回し、最後にレナのほうを向いた。だが、レナは研究所とは反対の森を向いたきりで、その視線には気づかなかった。
「いろいろ準備することがあるので、私は先に研究所に行っております。みなさんもしばらくしたら、お越しください」
「え、と……あの、ナールさん?」
 クロードの言葉を待たずして、ナールは建物の方へと立ち去ってしまった。
「なんだ……? ここまで来たなら、研究所の中まで案内してくれればいいのに」
 憮然とするクロード。そして横を向くと、彼女の異変に気づいた。
「レナ?」
 呼びかけても、レナはまるで前からそこにあった彫像のように、身じろぎひとつしなかった。感情を伴わない(あるいは押しこめている?)瞳で、森の奥をひたすら見つめるばかり。クロードが顔を近づけると、彼女はか細い声で、ひとつの感慨を口にした。
「なつか、しい……」
「え?」
 レナはそこで初めてクロードの存在に気づき、怯えるようにビクッとして、彼を見た。
「ううん。なんでもない。そんなこと、ないよね。そんなこと……」
 自分に言い聞かせるように言いながら、おもむろに研究所に向かって歩いていく。
「ねえ、ちょっと、レナ……」
 慌てて呼び止めるクロードに、レナは振り返る。
「ここにいたってしょうがないでしょう? 向こうに行ってみようよ」
 そう言うと、すぐに背を向けて、再び歩き出す。クロードは怪訝そうにその後ろ姿を眺め、それから仲間たちを見た。彼らも困ったように、肩をすくめたり首を傾げたりしている。
 少女のなかで、何かが動き始めていた。何かが、少しずつ、確実に。

 建物の内部は、外観から想像していた以上に惨憺さんたんとした有様だった。分厚い壁はあちこち崩れて、壁材の大きな塊が道を塞いでいる。天井はあらかた吹き飛び、ひしげた骨組みの隙間からは澄みきった青空が見えた。ロビーのカウンターは歪み、どこかから飛んできた鉄骨が横の壁に突き刺さっている。廊下の床はあちこち剥がれて、そこからこぢんまりとした草が生えているのが、唯一と言っていいほどの慰みだった。そこは見渡す限り、あらゆる色彩が抜け落ちた「灰色」の支配する場所だった。
「いったい、何があったってんだよ……」
 ボーマンがぽかんと口を開けて、穴のあいた天井を仰ぐ。
「地震や火事ぐらいじゃ、いくらなんでもここまでひどいことにはならねぇぜ」
「クリエイションエネルギー発生装置の実験のときに起こった事故だと聞いてます」
 ノエルが説明した。
「クリエイションエネルギーがどんなものかは、僕も詳しくは知りません。けれど、クォドラティック・スフィアに代わるエネルギー源として開発されていたものだから、相応の威力はあったんだろうと思います」
「絶大な力は、上手く扱えば我々に大いなる利をもたらす。だが──」
「いったん制御を誤ってしまえば……この通りね」
 エルネストの横で、オペラがやりきれないというふうに首を振った。
「人の手に余るような力は、持たん方がいい。力に溺れ、振り回されるのがオチだ」
 ディアスは、いくらか自戒をこめて言っているようだった。
「……レナ?」
 クロードが呼びかけると、レナは少し間を置いてから、こちらを向いた。
「なに?」
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
「ううん。平気よ。ありがとう」
 そう強がっておいてから、心配かけまいと廊下をしっかりとした足取りで歩こうとする……が、少しふらついた。異変は、自分が一番よくわかっていた。
 建物に足を踏み入れた瞬間から、急に胸の鼓動が激しくなった。息を吸おうとしても空気が喉の奥でつっかえて、うまく呼吸ができない。目の前がちかちかして、灰色の建物がやけに輝いて見えた。まるで過去に見た光景のように。──過去。
 けれども、自分の中で起こっている異変を、彼女はなぜか不思議とは思わなかった。あたかもその異変は、ここに来る前から予定されていたことであったかのように。それは、夢を見ている感覚と似ていた。夢で起こった出来事は、全て起こる前からわかっていたように感じることがある。既視感デジャビュは、夢の中では必然なのだ。これも夢なのかと、レナはつと疑ってみた。でも、苦しい。この苦しさは、明らかに現実のものだ。これから何が起こるかもわからない。ただ、胸の奥底で、ざわざわと得体の知れないものがうごめいていることは感じられた。何かが起こる。それだけは、間違いない。
「あら、この部屋……」
 長い廊下を歩いていたとき、セリーヌが、とある扉の前で立ち止まった。開かれた扉から覗き込んで危険のないことを確認してから、さっと入っていく。
「なんだなんだ」
「どうしたんですか?」
 ボーマンが、そしてクロードがそれに続く。
 そこは、実験室のような場所だった。真ん中を四角い台が占め、壁際の机には壊れてばらばらになった機材が無残に散らばっていた。半分くらい残った天井からは、コード一本で宙ぶらりんになった照明灯が危なっかしく吊り下がっている。机のある側と反対の壁には立方体の装置が置かれていて、その横に透明な硝子板で仕切られた、小さな部屋のようなものがこしらえてあった。装置からは青白い電気がさかんに迸っている。この光がセリーヌの目についたようだ。
「漏電してるのか……。セリーヌさん、危ないからそのあたり、近づかないほうがいいですよ」
「わかってますわよ、そのくらい」
 うるさそうに手を振るも、興味津々、少しずつにじり寄りながら、装置を眺める。
「なにして……あ……っ!」
 レナが遅れて部屋に入った、そのときだった。どくんとひときわ大きな鼓動がからだを揺り動かした。部屋の光景が、彼女の中にあったなにかと重なり、結びつく。部屋が怖ろしい赤に染まった。錯覚じゃない。これは、錯覚じゃない。
「レナ!」
 レナは膝をついて倒れた。すぐに起き上がろうとするが、腕に力が入らず、うまくいかない。クロードが駆け寄る。彼女は土埃で汚れた床に向かって、ごほごほとせ返った。いっそのこと、胸の中にある不快なものをすべて、吐き出したかった。けれど、喉の奥から何度噎せてみても、吐くことはできなかった。
 しばらくじっとしていると、その奇妙な発作も治まった。ただし、胸の奥のしこりのような不快感は残ったまま。その間ずっと背中を撫でてくれたクロードの手を借りて立ち上がり、服についた埃を払う。まだ膝が震えている。大きく二度、深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、クロードに向き直る。
「ごめんなさい。もうだいじょうぶよ」
 まだ心配そうなクロードに笑顔を返して、レナは部屋を出ていった。そのとき、扉の前でいちど、部屋を振り返ってみた。部屋は、灰色のままだった。

 廊下の突きあたりの大きな部屋に入ると、ナールが背を向けて立っていた。
 その部屋は他と比べて損傷が少なく、天井もしっかり残っていた。無数の太いケーブルが、蛇の群れのように壁や床を這いずり回っている。それらはすべて中央の巨大な装置に繋がっているようだ。床から天井まで、柱のようにそそり立つその装置の下で、ナールは何かの操作をしていた。
 クロードたちに気づくと、ナールは操作の手を止めて、こちらを振り向いた。
「ここが研究所のデータベースです。うまい具合にシステムも生きていました。準備はできていますので、こちらにお集まりください」
 促されて、八人はナールの前にあった画面を囲むようにして集まる。青く輝く画面にはいくつかの項目が表示されていた。
「研究データベースへのアクセスにはパスコードが必要なようです。その手がかりは、これからご覧になる記録映像の中にあります」
「記録映像?」
「ええ。この研究所が創設されてから、崩壊するまでの全記録です」
 ナールが画面の項目に指で触れると、画面が切り替わり、下から上へ文字が流れていく。
「この研究所を築き上げたのは、ひとりの天才でした。名は、マリエル・ユリオット・リーマ」
 どくん。また心臓が大きく跳ねあがった。あまりの衝撃に、レナは後ろによろめきそうになった。
「彼女はこの研究所でめざましい成果を上げました。時空転移シールドの実用化。レアメタルによる反物質の固定。……そして、クリエイションエネルギーの開発を進めていたときに、悲劇は起こりました」
 どくん。鼓動は、ナールの言葉にいちいち反応しているようだ。もはや、自分ではどうにもできない。
「最初からご覧になる必要はありません。最後の部分だけ、見てみることにします」
 ナールが画面に触れる。文字が消え、映像が再生される。レナは画面から目が離せなくなった。その映像の中に、吸い込まれてしまいそうな気がした。視覚と聴覚だけの光景なのに、その画面に映っている状況を、はっきりと感じ取ることができた。他の人間にとって、それはただの映像に過ぎない。だが、彼女だけは、映像以上の感覚を伴わずして見ることができなかったのだ。
 彼女自身に自覚はなかったが、鼓動はいつの間にか鎮まっていた。胸の中の、ざわつきも。


〈紋章兵器研究所は今から五分後に崩壊します。所員はすみやかにシェルターに避難してください。繰り返します……〉
 避難を勧告する声と、緊急事態を示すブザーがけたたましく鳴り響く。赤々と明滅する光に照らされて、実験の台が、机の機材が、立方体の装置と硝子張りの小部屋が燃え立つように浮かび上がる。
 その部屋に、誰かが入ってきた。ひとりは青い髪の女性。もうひとりは緑の髪の男性。いずれも白衣に身を包んでいる。
「リーマ所長、早くシェルターに避難してください。もうすぐここは、木っ端微塵ですよ」
 男性が身振りをまじえて訴えた。かなり慌てている。
「無駄ね」
 リーマと呼ばれた女性は対照的に、落ち着き払った口調で彼をなだめる。
「クリエイションエネルギー発生装置の暴走は、シェルターごときでは防げない。どこにいたって同じことよ」
「そんな……」
「でも、外は大丈夫。時空転移シールドとエタニティーフィールドの二重防御によって守られている。暴発時のエネルギーはシールドに吸収されて別の空間に相転移するわ」
「しかし、我々はもう、外に逃げている時間はありませんよ」
「ええ、そうね。だから、私たちはもう終わり。あなただってわかってるでしょう」
 リーマが言うと、男は急に大人しくなって、肩を落とした。彼もまた、自らの命運を悟ったのだろう。
「それより試したいことがあるの。レナを連れてきて」
「お嬢さんを?」
 男は怪訝そうな顔をしたが、彼女に真剣に見つめられ、わかりましたと返事してすぐに部屋を出ていった。
 彼が出ていくのを見送ると、リーマは大きく息をつき、それから立方体の装置の前に立って、操作盤を叩き始めた。ブザーは相変わらず、耳をつんざくほどに鳴り続ける。
 やがて、幼い少女を連れた男が戻ってきた。
「ママ、ママ」
 少女は母親の姿を見つけると、おぼつかない足取りで歩いていった。リーマが膝を折り腰を屈めて、少女を抱き寄せた。
「どうしたの、レナ? ほら、もう泣かない。怖くないよ。ママが助けてあげるからね」
「まさか、所長……」
 男は、リーマが装置の前で操作していたことに気づいて、目をみはった。
「お願い。転送の準備をして。もう時間がないの」
「しかし、実験中のやつは、生物を入れるようには作られていません」
 リーマは少女を抱いたまま、困惑する男をきっぱりと見返した。
「このままじゃ、どのみちこの子は死んでしまう。ならば、可能性に賭けてみたいの。大人は入れないから、せめてこの子だけでも」
「可能性といったって……たとえ上手くいっても、どこに飛ばされるかもわからないんですよ。時空の狭間を永遠に漂うことになるかもしれない。そんな危険を、お嬢さんに……」
「大丈夫。この子にはあの能力ちからがある。生き延びることさえできれば、きっとあれが護ってくれるわ。……お願い。この子を、死なせたくないの」
 部屋が赤く染まり、暗くなり、また赤くなる。男はしばらくその場に立ちつくしていたが、やがて無言のまま装置の前に立った。
「……ありがとう」
 リーマは男に礼を言って、それから抱いていた少女を前に立たせる。涙でぐしゃぐしゃになった愛おしい顔を、白衣の裾で拭ってやりながら、優しい声色で語りかける。
「ずっと一緒にいてあげたかったけど……ごめんね。ここで、お別れなの」
 そして、自分の首からペンダントを外し、少女の首にかけた。小さな少女には鎖が長すぎたらしく、翡翠色の飾り石はへそのあたりまで垂れ下がった。
「少し早いけど、ママからの誕生日プレゼントよ。本当なら、もっときれいな宝石をあげたかった……そう、あなたが、もう少し大きくなってから……」
 瞳から涙が落ちて、頬を伝う。堪えきれずにもう一度、ひしと少女をその腕に抱いた。
「ごめんね……。ママを、許してね……」
「所長。時間が……」
 男が呼びかけると、リーマはゆっくりと少女を放し、小さな肩に手を置いたまま、顔をこちらへと──画面の方へ──向けた。
「研究データベースへのアクセスは、H─1526にあるプログラム『ファルコン』を使用してください。アクセスコードは、3248─9976─2168─9934─BZQF。……記録終了レコード・オフ


 画面が一瞬にして中心に凝縮され、最後に一筋の線となって、ふっと消えた。あとには黒い画面に再生完了を示す文字が表示されているのみ。
「……これが、崩壊時の記録です。アクセスコードもわかりました」
 ナールの声が、なぜか非情に聞こえた。クロードは彼女を見ることができなかった。代わりに、ナールに訊ねる。
「あの、所長のお子さんの『レナ』って……」
 ナールは画面を見つめたまま、動かない。光の加減で陰影を投げかけるその横顔は、刻み込まれた皺をいっそう際立たせていた。
「研究所所長、リーマの娘、レナは……」
「私、なんですね」
 仲間たちがレナを見た。思いのほか、はっきりとした声だった。ナールは神妙にレナの顔を刮目かつもくして、頷く。彼女はいつもと変わらないくらい、いや、むしろそれ以上に落ち着いているように見えた。
「記憶にあるというわけじゃありません。でも、なんとなく、感じるんです。私は、ここにいたんだなってことが」
「……そうですか」
 ナールは肩を落とす。健気に笑みまで浮かべるレナよりも、彼の方が落ち込んでいるようにすら思われた。
「この事故は、いつ起こったものなんですか?」
 レナが訊くと、ナールは操作盤に目を落として、答えた。
「申し上げにくいのですが、七億年前の出来事です」
「七億、年……?」
 途方もない数字に、クロードは瞬間的に現実感を失った。仲間たちもぽかんと口を開けて、ただ茫然とするばかり。
「レナさんが入れられた装置は、おそらくあのサイズで時空間移動を行えるものだったのでしょう。暴走したクリエイションエネルギーが防御壁として張ってあった時空転移シールドに吸収され、その際、奇跡的に時空間転移を果たしたのだと思われます」
「そして、エクスペルに辿り着いた」
 レナはゆっくりと、天井を見上げた。その表情には、感情が伴っていなかった。
「私のお母さんは、もう、いないんですね」
「はい……亡くなりました。七億年前に」
 クロードは膝の横に置いた拳を震わせた。
 レナがずっと、本当の母親を捜し求めていたことを、彼はよく知っていた。アーリアの夜空の下で母親への想いを打ち明けた少女の姿が、今の彼女と重なる。彼女にとってこの旅は、母親の消息を追う旅でもあったはずだ。それが、こんな形で結論が出てしまうなんて。
 レナと母親の間には、七億年という残酷なまでに永く遠い隔たりが立ちはだかっている。失われた時間は、あまりにも大きすぎた。どんなに頑張っても、埋め合わせはきかない。どれほど願っても、取り戻せない。
「なんか、実感わかないし……だいじょうぶ。私は」
 そう言って、彼女はクロードに向かってにっこりと笑ってみせた。その笑顔が、クロードにはひどく切なく感じられた。
「ともかく、データベースへのアクセスの方法はわかりましたので、早速試してみることにしましょう」
 ナールは再び画面の操作に取りかかった。クロードたちも操作を見守る。その場の空気がわずかに緩んだ、そのときだった。
 何の前触れもなく、レナが、部屋を飛び出したのだ。
「レナ!」
 クロードはほとんど反射的に駆け出し、彼女を追っていった。


 どうして、急に走り出したりなんかしたんだろう?
 自分でも訳がわからなかった。告げられた事実を、しっかりと受け入れたつもりだった。納得したつもりだったのに。
 私はいったい何をしているの?
 逃げ出したってどうにもならないことは、わかってる。ただ、じっとしていられなかった。みんなといっしょにいるのが辛くなった。そうして、気がついたら走り出していた。
 レナは力いっぱい走った。廊下を駆け抜け、ロビーを通り研究所を出て、トランスポートのある草原まで来たところで、何かにつまずいて転んだ。走ったままの勢いで前のめりに倒れて、顔も身体もぜんぶ草に埋もれた。顎を地面につけ、草と土の匂いを感じながら激しく息をきらす。視線の端に光るものがあった。ペンダントだ。転んだ拍子に服の下から飛び出した飾り石が、草の合間に転がっている。レナは腕を伸ばして翡翠色の石をつかみ、掌に載せて鼻先まで近づけた。光を浴びた石は、これまで見たこともないくらい鮮やかに透き通っていた。
 少し落ち着くと、レナは両手をついて立ち上がった。草の葉で切ったのか、左膝に鋭い切り傷ができていた。そこから赤いものがうっすらと滲んでいたが、治療はしなかった。ペンダントは服に仕舞わず、胸許に提げたままにしておいた。
 初めてここに立ったとき、ひどく懐かしいと感じた。それは決して思い違いなどではなかった。私はずっと昔──自分の時間では十数年前。実際の時間では七億年も前に──ここに立っていたんだ。あるいは、誰かに抱かれていたのかもしれない。
 そう、私は覚えていた。胸のぬくもりを。森の匂いを。ゆらゆらと心地よく揺すられ、微睡みかけたその瞳に映っていたのは、聖母のごとき微笑を浮かべた、母の顔。
 知らずと、レナの口からひとつの旋律が洩れた。初めはかすれたような声だった。そのうちに小さな声ではあるが、よく透った、きれいな声色で歌いだした。夢で聞いた、そして、かつてここで歌ってくれた、子守唄を。

  鳥の歌を聞きなさい、
  この世が悲しみに覆われる前に。
  大地の息吹を聞きなさい、
  この世が闇に包まれる前に。
  主に護られしこの森よ、
  たとえ世界が滅ぶとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。

 風が草原をめぐり、少女の赤いケープと青い髪を揺らして、森へ抜けていった。レナは歌いながら、草原を横切って森に向かっていく。一歩ずつ、踏みしめるように。

  獣の叫びを聞きなさい、
  この世から希望が失われる前に。
  木々の嘆きを聞きなさい、
  この世がこの世でなくなる前に。
  主に護られしこの森よ、
  どれほど罪が重くとも。
  永劫を生きるこの森よ、
  私はあなたとともにいます。

 何かに導かれるように、レナは森の中を進んでいった。緑の天蓋てんがいは、雲に届きそうなほど高いところで陽の光を遮っている。薄暗い、道なき道を、湿った土の地面にくるぶしまで埋めながらも、歩みは止めることなく。
 やがて、にわかに明るい場所に出た。森を抜けたわけではなかった。正面に、ひときわ大きな樹が生えている。それはどの樹よりも太く、どの樹よりも高かった。岩のように大きな根があちこちに張りだし、まわりの地面を独り占めしている。だからここだけ不自然な隙間ができて、根元まで陽の当たる空間になっているのだ。
 レナは大樹の前に立った。そこから上を仰いでみたが、てっぺんは霞んでよく見えなかった。斜めに射しこむ光が、苔のびっしりと生えた幹を照らす。溢れる緑に、目を細めた。
 同じような樹が、神護の森にもあったな。レナは思った。
 この森は神護の森によく似ていた。いや、たぶんそうじゃない。神護の森が、この森に似ていたんだ。遠くから聞こえる木々のざわめき。肌を優しく包みこむような暖かな日射し。覚えている。ずっと、変わってない。
 軟らかい土を踏みしだく足音が、こちらに近づいてきた。背中を向けたままだったが、その主が誰であるのかは、わかっていた。
「レナ……」
 クロードが声をかけた。反応を示さない彼女に少し戸惑いながら、続ける。
「歌を辿ってきたら、ここに来られて……その、ごめん」
「どうしてクロードが謝るの?」
 レナは振り返った。
「おかしなひと」
「あ……いや、その、なんとなく……」
 頭をかいて口ごもるクロードに、くすくすと笑うレナ。
「ごめんね、急に飛びだしたりして」
 クロードは痛いような笑顔を返して、首を横に振った。レナはまた大樹の幹に身体を向ける。
「ここね、なんとなく覚えてるの。風の匂いとか、陽の明るさとか、森の音なんかも……ここにあるいろんなものが、とっても懐かしく感じられるの」
 クロードは何も言わなかった。立ちつくして、その華奢な背中を見つめるばかり。
「この木、とっても大きいよね。こんなに立派になるまでに、どれぐらいの時間が流れていったのかな。千年、それとも二千年……」
 レナは大樹を見上げていた視線を、不意に落とした。
「私は、この木が生まれるよりずっとずっと前の人間なんだって。そんなの、信じられる? 信じられるわけ、ないよね。だって、私はずっとレナ・ランフォードとして、アーリアの村でみんなと同じように育ったのよ。お父さんやお母さん、村長さまやディアスやアレン、村のみんなに囲まれて暮らしていたのよ。なのに、私だけが、違う時間の違う世界の人間だったなんてね。……ホントに、変な話」
 レナは空元気を出してそこまで話したが、その先はうつむいて、消え入りそうなほど弱々しい声になった。
「ここにいるとね、お母さんのことが感じられる。でも、感じられるだけなの。ちょっと手を伸ばしてしっかりつかまえようとすると、するりと逃げて、なんにも感じられなくなっちゃう。お母さんは私のそばに来てくれてる。でも、私のほうがお母さんを捜せないでいるの。永い長い年月がじゃまをして、お母さんを見えなくしちゃうの。……こんな気持ち、いやだよ。私はもう、自分からお母さんを感じることは、できないのかな……」
「──そんなことない」
 クロードが口を開いた。レナは驚いて彼を見る。優しい笑顔が、そこにあった。
「想ってごらん、お母さんのことを。探すんじゃなくて、想うんだ。お母さんがレナのことを想うのと同じように、レナもお母さんのことを想ってみるんだよ。今までは、レナだってそうしてきたじゃないか。想いの糸をたぐり寄せて、こうしてお母さんを感じられる場所まで来られた。年月なんて関係ない。想いは場所を超え、時間だって超えられる。一度結びついた繋がりは、どんなことがあっても引き裂かれはしないよ。絶対に」
 こちらをじっと見つめるレナに、彼は少し頬を赤らめる。
「うん、だからさ、なんて言うか……そういう繋がりがある限り、決してひとりぼっちなんかじゃないってことだよ。君はアーリアで過ごし、エクスペルで生きた。それだってひとつの繋がりだ。どこから来たなんて関係ない。みんなレナのことを想って、レナもみんなのことを想った。そうやってみんな、結びついていくんだよ。ウェスタお母さんだって言ったろ? 『何があってもあなたは自分の子供だ』って。繋がりは、想いの数だけある。もちろん僕やみんなとだって。セリーヌさんやボーマンさん、オペラさん、エルネストさん、ノエルさん、そしてディアス。みんなの想いを、絆を、感じてごらんよ」
 レナは何かを堪えるように下を向いて、唇を噛んだ。クロードはそっと歩み寄ると、手を握り、耳許で囁いた。
「大丈夫。君はひとりじゃない。みんながいる。僕がいる。辛いことも悲しいことも、一緒に受け止めてあげる。だから、もう我慢しなくていいよ」
 彼の言葉が、ぬくもりが、胸の奥に沁みこんでいく。無意識のうちに閉ざされたこころ。それが春の雪解けのように融けていき、隠していた感情が露わになる。もう、抑えきれない。一枚の布が端からほつれ、どんどんほころびて無数の糸となっていくように、張りつめていたものが緩んでいく。自分の中の何かが外れ、バラバラになっていくのを、少女は感じた。このままじゃ、私はちりぢりになって、霧のように消えてしまう。受けとめてほしい。だれか。
 ──受け止めてあげる──。
 露をたたえた瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。いったんせきを切ると、止められなくなる。
 もう、こらえることはないんだ。だから。
 ──クロード。
 クロード。
 クロード──!!
 少女は、彼の胸に顔を埋めた。たくましい身体にすがりつき、涙をぼろぼろとこぼして泣き崩れた。クロードは背中に手を回し、優しく少女を抱いた。嗚咽おえつまじりに声をあげて泣きじゃくる彼女の姿は、あの映像の中で母親にすがりついて泣いていた、幼き少女のものと何一つ変わらなかった。
 純朴そうに目を細め、しゃくり上げるたびに揺れ動く青い頭を見つめる少年。
 ときおり鼻を啜り、呻くような声を洩らして泣き続ける少女。
 枝の隙間からヴェールのように射し込む光がふたりを照らし、大樹は天を支えるようにして、泰然とそこに鎮座している。

 悠久の時が流れるこの場所で、時を超え、世界を超えて、少女は少年と想いを通わせた。
 それは運命ではない。宿命などという軽佻けいちょうなものでもない。

 それは、ひとつの奇蹟だった。



 私はだいじょうぶだよ。いつもそうやって、強がってきた。
 みんなのことを、誰よりもわかってるつもりだった。だから、私がみんなを支えてあげなきゃと、思ってきた。
 でもね、よく考えてごらん。
 いちばん私がわかってなかったのは、わたし自身じゃなかったの?
 こんなに弱い自分が私の中にあったなんて、ああ、恥ずかしい。
 みんなを支えてきたと思っていたのが、実は自分がいちばんみんなに支えられてたなんて、笑っちゃうよね。
 でもね、うれしいよ。私はひとりぼっちじゃなかったんだね。
 みんな、ありがとう。

 クロードは、私のことどう想ってるのかな?
 いつもはガミガミうるさいくせに、なにかあるとすぐ調子よく泣きついてくる、なんて思ってたりして。
 でもね、それだったらおあいこなんだよ。あなただって寂しがりのくせに、すぐ強情ぶっちゃって。私やみんなのために無茶ばかりして、いつも傷だらけ。治療する身にもなりなさいよ。ってのは冗談だけど、そんなあなたを見てる私のことも、少しは考えてほしいな。
 本気で心配してるんだよ。だってクロード、いつも無理してるようにしか見えないんだもの。
 たまには私のほうを振り返って、こころの底から笑ったすてきな顔を見せてね。
 そんなあなたが、私は好きなんだから。
 ……うん、好きだよ。とっても好き。
 この気持ち、いつかちゃんと、あなたに言えたらいいな──。

 ──────────────────。


 森を出ると、トランスポートの前にナールと仲間たちが集まっていた。
 そんな近くに彼らがいるなんて思ってもみなかったものだから、レナは赤く腫れた目を見られまいと、クロードの背後に慌てて隠れる。
「武器のデータは見つかったんですか?」
 クロードが訊くと、ナールは頷く。
「ええ。一応の収穫はありました」
「一応?」
「ま、いろいろあってよ」
 ボーマンはニヤニヤしながら片目を瞑る。
「そっちも色々あったかもしれんがな……あだだだッ」
 セリーヌとオペラの両方から腕をつねられて、もがくボーマン。
「もう大丈夫なのですか?」
 ナールはレナに訊いた。
「はい。心配かけてすみませんでした」
「いや、私のほうこそ、辛いものをお見せしてしまいましたね」
「いいんです」
 レナは瞳を細める。
「ショックじゃないといえば嘘になりますけど、私が知りたかったことだから」
「……そうですか」
 ナールは少し安心したように、表情を緩めた。そして全員に言う。
「では、そろそろアームロックに戻ることにしましょう」
 ナールが、仲間たちが、クロードが次々にトランスポートに乗り込む。
 レナはポートの手前で、ふと研究所を振り返った。七億年前に破壊され、それきり時の歯車が止まったままの建物は、周囲の風景とほとんど同化しているように見えた。それは森の一部であり、草原の一部であり、空の一部でもあるのだ。
 さようなら、私の故郷ふるさと。さようなら、お母さん。
 こころの中でそう呟くと、向き直ってトランスポートに乗りこんだ。光に包まれ、少女の姿がさあっと消滅する。
 ──ありがとう。

3 静かな選択 ~ミーネ洞窟~

 カーテンの隙間から洩れるやわらかな日射しが、閉ざされたまぶたに突き刺さる。瞼を通して橙色の光が目の前いっぱいに広がる。安らかな眠りを邪魔されて、このときばかりは太陽を憎らしく思いながら、彼女はタオルケットに絡みついていた左手を引っこ抜いて、掌で顔を覆った。
 だが、いちど目覚めてしまうと、再び眠りに就くことはなかなかできなかった。仕方なく、右手を伸ばして枕のすぐ横に垂れ下がっていた紐を引っ張る。カーテンがさっと両側に開かれ、太陽の光が彼女の体に容赦なく降りそそいだ。こうでもしないと彼女は一生ベッドにかじりついていそうなのだ。
 そうして、彼女はようやく起きた。そのへんの空気を吸いつくしてしまいそうなほど大きな欠伸あくびをし、首の後ろからシャツの下に腕を突っこみ、背中をぼりぼり掻きながら台所へと向かう。艶のない青い髪はぼさぼさに膨れ上がり、顔色も少しやつれたような土気色をしていた。もしこの場に、作法というものを多少はわきまえた男がいたならば、思わず目を覆いたくなるほどの有様だった。
 床に散らばっていたがらくたを蹴飛ばしながら台所に辿り着くと、蛇口をひねりコップに水を注いで、一気に飲み干した。空のコップを置くと続けて顔を洗い、壁に掛けてあったタオルで拭う。それが終わると寝室に戻り、椅子の背もたれにかかっていた上着を頭からかぶった。彼女はそれまで、薄い袖なしのシャツと下着しか身につけていなかったのだ。
 ベルトを締め、着替えが終わると、髪をうなじのあたりで束ねて、机に置いてあった銀の髪留めで留めた。するとどうだろう。それまでしどけない女性の身なりだったのが、端正な顔立ちの青年へと変貌したのだ。眉は凛々しくつり上がり、瞳には刃物のような鋭さと力強さがこもっている。胸のふくらみはベージュのスカーフで隠され、小柄ながらがっしりとした体格はおとぎ話のドワーフを連想させた。
 彼、いや彼女は、机の上にあった煙草の箱から一本取りだして口にくわえると、金のライターで火をつけた。窓の外の景色を眺めながら、煙草の煙をめいっぱい吸いこみ、肺の隅々まで染みこませてから、吐き出した。体に悪かろうが早死にしようが、この一服のひとときだけはなにがあっても根絶されるべきではないのだ、と彼女は思った。外は朗らかで明るく、道を挟んで向かいの建物の屋根では、猫が丸まって気持ちよさそうにうたた寝をしていた。かぁん、かぁんと金属のつちの音が遠くから小波さざなみのように響いてくる。裏路地の職工が気まぐれに武器の製作でも始めたのだろう。
 短くなった煙草を灰皿の底に押しつけてもみ消すと、彼女は部屋を出て玄関に向かった。朝食は隣の喫茶店で済ますのが日課なのだ。セットの軽食をAセットにしようかBセットにしようか考えながら、玄関のドアを開けた。
 太陽の光をじかに浴びてみると、外は汗ばむほどに暖かかった。目を細めて青い空を振り仰ぎ、その澄みきった鮮やかな色を目に焼きつけておいてから、彼女は目と鼻の先の店へと歩いていく。そのとき、道のずっと先で、見覚えのある赤いコートに禿げ上がった額の男が、妙な恰好をした集団をぞろぞろ引き連れて裏路地のほうへと通りがかっていたのだが、それらが彼女の視線に入ることはなかった。
 彼女の朝の、なんでもない日常だった。


 アームロックに戻ってきた一行は、再びナールの先導のもと、狭苦しい路地を抜けた通りを歩いていた。その道は街の中でもわりと明るく、ぽかぽかと春のような陽気に満ちていた。
「これからどこへ行くんですか?」
 クロードが訊くと、ナールは懐にしまってあるデータの記録されたカードに、服の上から触れる。
「このデータの解析を、専門家に依頼するのですよ」
「この街にいるんですか?」
「ええ。多少偏屈で頑迷のきらいはありますが、腕は確かです」
 この口ぶりだと、ナールはその人間のことをよく知っているようだ。
「それで、そのひとに頼めば、十賢者を倒せる武器ができるんですね」
「いえ。それが、このデータが本当に『武器』なのかは、まだ確認が取れていないのです。何かの設計図であることは確かなのですが、詳しいことは博士に解析してもらうまではわかりません」
 ナールは言いながら日溜まりの石畳を歩いていく。呑気な顔をした三毛猫が道の脇で、花に群がる蝶を相手にじゃれあっている。ふと裏路地のほうを振り向くと、そこだけ雨雲がかかったように、もうもうと灰色の煙が舞い上がっていた。
 やがて、ナールは一軒の家の前で立ち止まった。
「ここです」
 それは、この街の中でも宿屋に次いで大きな建物だった。ちょっとした工場くらいの規模はあるかもしれない。立派な煉瓦の煙突。洒落た柑子こうじ色の屋根。分厚い石造りのせいだろうか、見た目以上に重々しい感じがする。
 入り口は壁に沿って続く石段を登った先にあった。なんとなく気になったので目を逸らして隣を見ると、そこには真っ白に塗りたくられた木造の家が建っていた。入り口に縞模様のひさしがつけられ、『やまとや』という看板が手前に立ててある。どうやら喫茶店らしい。窓にはフリルのついたカーテンが飾られ、店のまわりにはよくもこれだけ育てたものだと感心するくらいのパンジーが色とりどりに咲き乱れている。こうも趣味の違う建物が隣同士に並ばれると、なんだか自分の中にあった協調性という概念が、音をたてて崩れていくような気がした。
 ナールは石段を登り、扉についていたベルを鳴らした。そして、返事を待つことなく中へ入っていく。クロードたちも慌てて入り口を潜る。
 中は外観から想像していたよりもずっと狭く、雑然としていた。ナールは玄関と続きになっている部屋へと入っていくところだった。
 そこは居間のようだったが、混沌をかき混ぜてぶちまけたように散らかっていた。埃のかぶった机。煤けて黒くなったまま放置されている暖炉。壁には何に使うのかよくわからない金属の棒やら刃物が並べられ、床にはがらくたとしか言いようのない塊が、足の踏み場もないほど転がっている。そのがらくたの中心、革張りのソファに、この家の主は横になっていた。
 ナールはそのへんのがらくたをお構いなしに蹴飛ばしつつソファの前まで行き、扉の前で立ちつくすクロードたちを振り返った。
「紹介します。こちらがミラージュ博士」
「紹介なんていいよ」
 寝ころんだまま言ってから、ミラージュは身体を起こしてナールを気怠そうな表情で見た。
「市長。あんたさァ、ちっとは礼儀ってものをわきまえなさいよ。いきなり人の家に押しかけてきて、しかもこんなにゾロゾロと金魚のフンみたいなのを連れて」
「金魚のフン……」
「事前に連絡は入れておいたはずだが」
 ナールがおぼつかなさそうに言うと、ミラージュはわかってる、と何度も頷いた。
「そんなこたァ、わかってる。俺だってちゃんと了解したさ。けど、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、こっちが返事もしないのに勝手に入ってきて、遠慮のかけらもなく押し寄せてきた、あんたの了簡を疑ってるんだ」
「わかった。急いでいたんだ。すまなかった」
 ナールは息巻くミラージュを押しとどめて、うるさそうに言った。どうやらこのふたり、あまり仲がいいというわけではなさそうだ。
「……それで、解析してほしいっていうデータは?」
 こちらにチラリと視線を向けてから、またナールに向き直った。市長は懐からカードを取り出して、ミラージュに手渡した。
「ふーん……」
 ミラージュはそのつるつるに磨かれたカードをつまみ上げて、疑り深く骨董品を鑑定するようにじろじろと眺めた。
「まァいいや。ついて来な」
 不意にそう言って立ち上がると、奥の扉へさっさと歩いていってしまった。飛び石づたいに川でも横断するように、足許のがらくたを身軽に飛び越えて。
「さあ。我々も奥の部屋に」
 ナールは相変わらず無遠慮にがらくたを蹴散らしながら、扉へと向かった。彼が作ってくれた道のおかげで、後に続くクロードたちが足の踏み場に困ることはなかったが。
 奥は研究室になっていた。さっきまでいた居間に比べると、ざっと四倍くらいの広さはある。敷地の半分は巨大な装置群で埋めつくされていた。中央に大きな画面と操作盤。向かって左側には透明な壁で仕切られたケージのような小部屋があり、右側には光沢を放つ金属で造られた炉のようなものも設置されていた。
 ミラージュは操作盤の前に立っていた。カードを手前の差込口スロットに挿入し、操作盤を叩く。すると画面に何かの形が浮かび上がった。細身の剣と、黒い玉。
「ほう。こりゃすごい。かなり高度な反物質兵器だな」
「反物質兵器?」
 クロードが怪訝そうに繰り返した。
「どれがですか?」
「画面に映ってるだろ。それだよ」
 黒い画面に浮かび上がる剣を見て、クロードは笑っていいのかどうしようかと複雑に頬をひきつらせた。
「剣、ですよね。これ……」
「剣だね」
 ミラージュはまるで相手にせず、一心不乱に操作盤を叩いている。
「あの、これが、反物質兵器なんですか?」
「あ~あ~。ちょっと待ってな。説明は後でまとめてするから」
 そうやって軽くあしらわれてしまったので、クロードも仕方なく黙って操作を見守るしかなかった。
 画面が猫の目のように次々と切り替わる。剣が横から、下から、さまざまな角度で映し出される。それの説明らしき文字も画面いっぱいにびっしり表示されていたが、文字が細かいのと内容がまるで理解できないのとで、文字というより何かの模様のように見えた。
「さて、何が聞きたい?」
 一通り操作が終わり、ミラージュはこちらに向き直って、肩をすくめた。
「反物質をあんな剣の形にできるものなんですか? 空間上に安定させることでさえ難しいというのに」
「確かにね。陽電子や反陽子などの反粒子は実空間上での存在は非常に短い時間に限られている。けれど、ここではそれを可能にしている。どうやるかわかるかい?」
 首を横に振ると、ミラージュはなぜか嬉しそうにニッと笑った。
「磁場を入れ子にして、それぞれ反粒子、反原子、反物質をくるむんだ。こうすることで、物質とほとんど変わることのない状態で空間に存在することができる」
「ち、ちょっと待って。待ってくださいな」
 と、慌ててセリーヌが口を挟んだ。
「もう少し、わたくしたちにもわかるように説明できないんですの?」
「そうだなァ。じゃ、長くなるけどはじめから説明してやるか」
 ミラージュはひとつ息をついてから、話を始めた。
「この世界に存在する全てのものは、『原子』っていうごくごく小さな粒でできている。この装置もこの家も、俺もあんたたちも花や木や動物や金魚のフンでさえも、どんなものだって突き詰めていけば、最後は原子になるんだ。『物質』ってのは、言ってしまえば『原子の集合体』ってことだね。
 んで、原子がこの世界を構成する最小単位かっていうと、そういうわけでもない。原子もやっぱり、もっとちっこい粒によって構成されてるんだ。それを一般に『粒子』と呼んでいる。電子や陽子、中性子って呼ばれてるものが主な粒子だ。ただ、陽子と中性子はさらに三つのクォークから成り立ってるんだが、そこまで話をするとややこしくなるからやめておく。とにかく、物質─原子─粒子の順で構成単位が小さくなっていくということだけわかればいい。ここまではいいな?」
 レナとセリーヌが同時に頷いた。
「さて、面白いことに、この宇宙が始まったときには、粒子の他に『反粒子』というものが生まれたとされてる。反粒子はそれに対応する粒子と基本的性質は同じで、電気的な性質……これを『電荷』っていうんだが……これだけが反対なんだ。たとえば、『電子』っていう粒子がある。これに対応するのが『陽電子』だ。電子と陽電子は電荷が逆である以外は全く同じ性質を持つ。同様にして陽子と反陽子、中間子と反中間子なんてのもある。すべての粒子には対応する反粒子があるんだ。ところが、この世界は何もかもが粒子で構成され、反粒子は存在しない。なぜだかわかるかい?」
 今度はふたりとも首を横に振った。
「粒子と反粒子は、互いにぶつかると対消滅という現象が起こる。光エネルギーとなって無くなってしまうんだ。こいつのおかげで、反粒子はこの世界から完全に姿を消してしまった。同じように消滅したのに粒子だけが残った理由については、粒子の数が反粒子より多かったからだとかCP対称性の破れが原因だとか言われてるが、ここでは関係ないから省略していいな。ともかく、反粒子はこの世界から消えた。だが、粒子と反粒子が衝突するときに生じるエネルギーは莫大なものだ。核兵器に飽き足らなくなった傲慢な人間は次に、反粒子を人工的に作り、粒子と衝突させて取り出したエネルギーを兵器に活用することを考えだした。これがいわゆる『反物質兵器』の原理だ」
「そんなに凄いエネルギーですの? 紋章術よりも?」
「紋章術では原則として自然現象を前提としたエネルギーしか生み出せない。炎とか雷とか、そういうやつだな。まァ崩壊紋章みたく、紋章力の媒体であるクォドラティック・スフィアと連動して無尽蔵にエネルギーを増幅させるようなモノも時として生まれたりするが、それはあくまで例外中の例外。異種と考えてもいい。そういうのを除けば、粒子と反粒子の対消滅がもたらすエネルギーは、紋章力の比じゃない。……そうだな。たとえば」
 と、ミラージュは足許に転がっていた、小指の先ほどの小さなねじをふたつ拾い上げ、それぞれ右手と左手につまんで、皆に示した。
「こっちが物質。こっちが反物質だとしよう。……ああ、『反物質』ってのはもちろん、反粒子で構成された反原子の集合体のことだ。で、こんなちっこいもの同士でも、こうやって(と、ねじ山の部分をかち合わせて)ぶつかりあっただけで、二億リットルもの水を一瞬にして沸騰させることができるぐらいのエネルギーを取り出すことができるんだ。これが、もっと大きいもの同士の反応だとどうなるか、考えたくもないだろ?」
 レナは神妙に頷いた。そういえばフィーナルの十賢者たちも、陽電子とか反陽子とか言っていた。画面いっぱいに吹き荒れた光の奔流。あれが反物質兵器の威力なのだと考えると、その恐ろしさはよく実感できた。
 フィーナルでのことを回顧しているうちに、ふと、光に呑まれて粉々になってゆく乗り物とクロードの父親のことを思い出してしまった。横目でそっとクロードの顔を盗み見する。彼は今、いったいどういう気持ちでこの話を聞いているのだろう。
「反物質兵器の大まかな原理については理解できたね。これでやっと、最初の話に戻すことができるんだが……要するに、この剣の刃は反物質でできている。反物質を空間に安定させるのは非常に難しいんだが、さっき言ったように、ここでは磁場という特殊な力でもってそれを解決している。反物質である刃が物質に触れたとき、そこに生じるエネルギーが相手を砕く力となる。いくら十賢者の防御が強固だとしても、これには耐えきれないだろう」
「でも、反物質は物質に触れたら消えるんだろう? そんなんだったら、一回敵を斬っただけで刃がなくなっちまうんじゃないのか?」
「それに、そんな凄いエネルギーだったら、剣を持っているほうもただで済むとは思えませんけど」
「いーい質問だねェ、あんたたち。でも順番にしてな」
 ボーマンとセリーヌの問いかけに、ミラージュはますます嬉しそうに口許を綻ばせる。まさに生徒の質問に答える教師といった感じだ。
「まず対消滅についてだが、実はこれにはからくりがある。物質と反物質が反応して光エネルギーとなった後、今度は『消滅の逆反応』という現象が起きる。つまり、できたばかりの光エネルギーはすぐにまた物質と反物質の対に変換されるんだ。この剣はその反物質だけを吸収して元の形状に修復する仕組みが施されている。それは本当に短い時間だから、刃が壊れて元に戻る推移を肉眼で観察するのは不可能だけどね。
 それから剣から生じるエネルギーだけど、これも磁場によって、持ち主に危険がない程度に抑制されている。ついでに言うなら、ふだんは磁場によってコーティングされてるから、刃の腹に触るぐらいはまったく問題ない。ただし物打(刃の両端の鋭い部分)は駄目だ。そこに物質が触れるとそれがスイッチとなって、ごく少量の反粒子が放出されるようになってるからね。さっきも言ったけど、この反応では少量でも膨大なエネルギーが発生する。刃の先のほんのちょっとの粒子でも、敵を砕くには充分なのさ」
 ミラージュの長々とした解説が終わると、部屋の中は急に静かになった。唸るような装置の音ばかりが足許から響いてくる。
「それで、今からすぐ製作に取りかかってくれるんだな?」
 ナールが言うと、ミラージュはあっさりと首を横に振った。
「いや、無理だね」
「なんだと?」
 と、眉根を寄せるナール。
「話が違うじゃないか」
「材料が足りないんだよ」
 そう言って、ミラージュは画面を振り返る。
「これにはレアメタルが必要だね。反物質を空間に安定させる磁場を持っているのは、あの金属だけだ」
「レアメタルといえば……バーク人の構成物質か」
「そう。しかもこれは高純度のレアメタルを必要としている。最深部にいる『長老』でも倒さないことには、手に入らないね」
「なんだかよくわかんないけど」
 と、オペラ。
「材料が足んないのなら、あたしたちが採ってくるわよ。こういうのは何度も経験してるから」
「いえ。それが、そう簡単なことではないのです」
 ナールが複雑な表情をみせる。
「この街から西の小島に、ミーネ洞窟という場所があります。そこには惑星バークから移植された鉱床があり、バーク人という鉱物人種が棲んでいます」
「鉱物人種?」
「早い話が、バーク人自体がレアメタルだってことさ。より強力なバーク人ほど、純度の高いレアメタルなんだ。……つまり」
「そのバーク人ってのを倒さないことには、レアメタルも手に入らないということか」
 エルネストが総括した。同時にレナの表情が険しくなる。
「その通り。ただし、奴らも命がかかってるとあらば、必死に抵抗してくるだろう。しかもここで必要としているのは『長老』クラスのバーク人レアメタルだ。下手すりゃ十賢者より強いかもよ」
「でも、それがないと武器は作れないんでしょう。だったら……」
「私たちの都合でそのひとたちを殺す権利なんて、あるんですか」
 クロードの言葉を押しとどめて、レナが語気強く言った。その場が、急にしんと静まりかえった。
 ミラージュはしばらく無表情でレナの顔を眺めた。そして、ゆっくりと口を開く。
「お嬢さん、若いね。まァ当然か」
 揶揄するような言葉にレナはますます視線を厳しくする。ほとんど怒っているようだった。
「確かにね、あんたの言うことは正しいよ。バーク人には権利というものが与えられてない。彼らはただ、採掘されるだけなんだ。そんなのは不公平だね。でも、だったらあんたはどうするつもりなんだい? 武器がなけりゃ、十賢者とだってまともに戦えないんだろう。バーク人が可哀相だからって、あんたの故郷も全宇宙も、すべて捨ててしまうのかい? バーク人をとるのか、故郷をとるのか、あんたはどっちを選ぶんだい?」
「そんな、残酷な選択……できません」
「するんだよ。しなきゃなんないんだ。ヒトってのはね、選択をすることによって前に進んでいく生き物なんだよ。ときには静かに。ときには残酷にね。それができないんなら、人間なんてやめちまいな」
「ミラージュ!」
 ナールが怒鳴った。クロードたちは目を丸くして彼を見た。ナールの怒った姿を見るのは、これが初めてのことだった。
「あ……ん? 言いすぎたのか。……悪かったね」
 ミラージュは眉間に皺をつくり、首を傾げて頭を掻いた。レナは下を向いたまま、肩を震わせている。
「気にすることはありませんよ、レナさん。あなたの優しさは我々にはない、大きな力です。それに従って行動することは、決して間違いではありません。……しかし、どうかここは堪えてほしいのです。人間には、誤った行為とわかっていても、それを為さずには乗り越えられない場合もあります。あなたのエクスペルのためにも、今だけはその優しさを抑えていてほしいのです」
「……はい」
 レナは蚊の鳴くような声で、返事をした。
「ミーネ洞窟にはトランスポートがない。一度セントラルシティに戻って、サイナードで行くことだね。方角は、ちょうど真東だ」
 ミラージュは視線をそらすように画面に目を向けながら、言った。
「それじゃあ、行こうか」
 と、クロードが仲間を促して部屋を出ていこうとした、そのとき。
「あ、忘れてた」
 背後でミラージュが声を上げた。
「ちょっと聞くけど、この中で剣を扱えるのは、どいつだい?」
「え? それは、僕と……」
 言いながら、クロードはディアスに目を向ける。ミラージュはそれで諒解したようだ。
「ふたりか。それじゃ、あんたたちは別行動だ」
「どういうことですか?」
 クロードが訊くと、ミラージュは画面に映っている剣を指さして。
「この『剣』を、どちらが使うかを決めなきゃならない。時間的にも技術的にも、作れるのは一本が限度だからね。これから俺の前でふたりに戦ってもらって、その結果をもとに俺が判断する。この『剣』に相応しい人間を、ね」
 クロードとディアスは複雑そうに顔を見合わせた。レナもふたりを交互に見て、胸の前で左手をギュッと握りしめた。
「でも、僕らが抜けたら、ミーネ洞窟のほうが……」
「心配いらねぇよ」
 ボーマンが言った。
「鉱石を採ってくるくらい、俺たちだけで充分さ」
「バーク人ってのがいくら強いって言っても、十賢者とやり合うわけじゃないんだからね。大丈夫よ」
「わたくしの呪紋があれば、どんな敵だってイチコロですわ」
 オペラが、セリーヌが言い募る。ノエルとエルネストも無言のまま、心配ないと目配せした。
「みんな……約束してくれるかい」
 クロードが、仲間たちを見渡してから、言った。
「必ず、戻ってきてくれるって」
「当ったり前よ。俺はこんな場所でくたばるわけにはいかねぇんだ。ニーネの顔をもう一度見るまでは、死んでたまるか」
 涼しい顔で、ボーマンが言う。クロードの表情から微笑が洩れた。
「それじゃ」
 と、ミラージュ。
「俺たちはどこか広い場所に移動しよう。こんな街中でチャンバラやられても迷惑だからな。……市長。どこかいい場所ない?」
「ファンシティの闘技場を使えばいい。今日は休園日のはずだから、誰も使ってはいまい」
「いいね。上等だよ」
 ミラージュはひゅうっ、と掠れるような口笛を鳴らした。
「あの」
 そのとき、レナがナールに申し出た。
「私もクロードたちのほうにいて、いいですか?」
 クロードとディアスが再び剣を交えるのだ。この場には自分がいなくてはいけない。レナの中の漠然とした気持ちは、決意へと変わっていた。
 それに、彼女の中ではまだバーク人のことが割り切れないでいた。洞窟に同行したら、またみんなの邪魔をしてしまうかもしれない。ノースシティでのサイナードのときのように。
 ナールは少しの間考えていたが、やがて静かに頷く。
「そうですね。彼らが怪我でもしたときに、治療のできるあなたがいてくれると助かります」
「ありがとうございます」
 レナはナールに礼を言ってから、仲間たちには謝った。彼らも快く承諾した。
「いいってことよ。色々あった後だしな。ゆっくり休んでくれや」
「サイナードのことは心配ありませんよ。僕にもずいぶん慣れてきていますから」
「あいつらには監視役も必要だろうからな。レナが適任だろう」
「剣を持つと見境なくなっちゃうからねぇ、ふたりとも。レナ、危ないと思ったらあなたが止めるのよ」
 それぞれに言葉を残して、五人はミラージュの家を出ていった。
「さて、俺たちも行くとするか」
 ミラージュが、やけに楽しそうに言った。まるで剣技の試合でも観に行くみたいに。ナールがひそかに、けれど深々と、嘆息した。


 スタンドは、音という音を吸いつくしてしまったかのように、静まりかえっていた。観衆のいない闘技場。その中央のフィールドに、ふたりの剣士が対峙している。
「準備はいいね?」
 ミラージュの声が余韻を残しながら闘技場の隅々まで響き渡る。ナールとレナも、スタンドの最前列でふたりを見守っている。
 過去むかしに逆戻りしてしまったようだった。ほんの数ヶ月前、ふたりは今と同じように、闘技場の中央で向きあっていた。圧倒するディアスに、クロードは傷つきながらも何度も立ち上がる。腹を裂かれ、服が血で染まっても、彼は歯を食いしばって剣を構えた。あのときの表情を、レナは今でもはっきりと思い描くことができる。
 まさか、またふたりが剣を交えることになろうとは。
 レナは不安だった。けれど、あのときに比べれば、ずいぶん落ち着いているのだろうと思う。その証拠に、ふとしたことから彼女の脳裏には、これまでの旅のことが次々と浮かび上がってきた。クロードと出会ったこと。大切な仲間と出会ったこと。みんなで喜んだり、ときに怒ったり、悲しんだりもした。楽しいことも、危険な目に遭ったことも数知れず。いろいろな想い出が、まるで子供の頃に遊んだおもちゃの箱をひっくり返したように、彼女のこころに流れこんでくる。
「それじゃ、始めてくれ」
 ミラージュが言うと、クロードは剣を抜いた。ディアスはいつものように無防備に立ちつくしたまま。そして、同時に斬りかかった。


「そうですわね。最初に会ったときは、間の抜けたというか、やけに間延びした子だと思いましたわ。田舎育ちだったせいかしらね」
 青黒い光を放つ洞窟の中は、数えきれないほどの鉱石人間で埋めつくされていた。セリーヌはサンダーストームを放って群れを分断する。
「頼りないクロードと一緒で、それはそれは危なっかしい二人組でしたわね。とてもじゃないけど、あの子たちだけで旅なんて続けさせられないから、わたくしも同行することになったんですけど……でも、そのうちに、だんだんとわかってきましたわ。あの子は、ほんとうに優しくて、それでいて芯の強い子だってことが。クリスとわたくしを引き逢わせてくれたり、諦めかけたわたくしを励ましてくれたり……ああ、そう、あのときのことは本気で感謝してますわ。最高のひとときを、ありがとうね」
 イラプションが鉱石男たちを吹き上げ、焼きつくした。空中で砕けて炭となった鉱物の塊が不吉なひょうのように降り注ぐ。

「初対面は山岳宮殿、だったわね。あのときはエルを探すのに必死だったし、地球人のクロードがいたことにびっくりしてたから、あんまりあの子のことは気にしてなかったけど」
 オペラは立て続けにランチャーから光弾を放つ。動きの鈍い鉱石男は光の銃弾に腕を砕かれ、腹を貫かれ、瓦礫のように床に崩れ落ちる。
「でも、なんか視線が痛いのよね。クロードと話してると、鋭い目つきでこっちを睨んでるのよ。まあ、そのへんは女の勘ってやつで、すぐにこの子がクロードのことを好きなんだなってわかったけど。なのに、旅に加わってそれとなく観察してみたら、クロードはクロードでニブちんだし、レナも自分がクロードを好きだってことに気づいてなかったみたいで、見てるこっちがイライラするぐらいだったけどね。……ま、今はたぶん、ふたりともわかりあってるんだと思う。クロードも大事にしてあげなきゃダメね。あんないい子、滅多にいないんだから」
 集団で押し寄せてきた鉱石男たちを見ると、素早くカートリッジを取り替え、銃口をそちらに向けた。すさまじい冷気が噴き出し、鉱石男をあっという間に氷の彫像へと変えていく。

「俺が最初に会ったのは、図書館の中だったか。大学を案内して、講義を受けて……。どこか他の女の子と違って、一歩か二歩ぐらいズレてるような子だったが、一途に大学に憧れる姿は、この俺から見ても可愛かったな」
 ボーマンは襲いかかってくる鉱石男を、闘気を込めた拳で殴りつけた。腹をえぐられた鉱石男は前のめりに倒れる。
「ああ、そうだな。あのときは冗談のつもりだったけど、今思うと本気で惚れたんだろうな。なんつうか……あいつ、昔のニーネにそっくりだったんだよ。青い髪も、仕草や笑い方も、少しズレたような性格も、俺の記憶にあった、かつてのニーネそのものだったんだ。だから、どうにもほっとけなくてね。あのクロードの若造ごときに任せてらんねぇから、あいつらの旅につき合うことになっちまったんだが……。はは。ニーネにこんなこと言ったら、妬かれるかな。……いや。たぶん『あなたらしい』って、笑うだけだろうな」
 ひっきりなしにやって来る鉱石男に、得意の丸薬を手当たり次第に投げつける。頭が吹き飛び、脚がもげて頽れる。

「特殊な能力というのは、ある種の『業』のようなものなのかもしれないな」
 エルネストが鞭を振り回し、勢いをつけて地面に叩きつけると、砂塵を巻き上げて竜巻が発生した。竜巻はみるみるうちに膨れ上がり、進路にいた鉱石男たちをことごとく吹き飛ばす。
「俺も彼女の回復呪紋に助けられたわけだが……あの治癒の能力は、時として自らを危険に晒す恐れもある。俺はラクールの前線基地でそのことを教えた。あの子は一応はわかってくれたみたいだが、どこか納得しきれていないようでもあった。理屈だけでは自分の気持ちを割り切ることができなかったのかもしれないな。恐らく、あの能力に目覚めてから彼女は、ずっと自分の特殊な力と向き合い、戦ってきたんだろう。誰かを救う力。それは同時に、誰かを捨てる力でもある。救うことのできなかった者を目の当たりにするたびに、あの子は自分の能力を呪ったことだろう。この『業』は、まだ若い女性の身にはいささか荷が重すぎる。俺たちが支えてやる必要がある」
 鞭が生き物のように鋭く伸びる。先端から電撃が迸り、いくつかに分岐しながら相手に向かっていく。電撃に触れた鉱石男は躯の中心から爆発するように砕け散った。

「初めて顔をよく見たときに、不思議な感じのする子だと思ったんです」
 ノエルは腕をつきだしてソニックセイバーを放つ。真空の刃が鉱石男の腹を突き抜ける。まっぷたつに分断された鉱石の塊が音をたてて床に落ちた。
「どこか僕たちと違う雰囲気があったんです。僕たちネーデ人にはない、それとも、ネーデ人が失った何かを持っているような……その答えは、紅水晶の洞窟で見つかりましたけど。戦うことでしか従わせる術のないサイナードを、包みこむような優しさで従わせてしまった。いや、この場合『従わせる』って言葉は適当じゃないかもしれないね。彼女には、他の人間や動物たちの痛みや悲しみや苦しみを共有して、分かちあう力がある。もともとこれは誰にだってある力なんです。ネーデ人は永い進化の果てにその力を永遠に失ってしまった。でも、彼女はエクスペルで過ごすことによって、その力をより強いかたちで呼び覚ますことができたんだと思います。それが、市長の言っていた『我々にない優しさ』です。市長も気づいたんでしょう。ネーデ人の進化における最大の過ちは、この『優しさ』の欠落だということが」
 狭い通路にひしめく鉱石男に向かって、ノエルはフェーンを唱えた。高熱の突風が岩石の肌を灼き、ひび割れ、無数の砂粒となって通路の奥に吹き飛んでいった。

 通路を塞いでいた鉱石男を全て片付けると、奥の部屋がよく見えるようになった。天井の岩盤の隙間から光が降り注ぎ、鉱物の混じった岩を神秘的に輝かせる。
「ここが最深部のようだな」
 エルネストが部屋に踏み入る。と、奥の壁際の岩が、突如としてうつろな両眼を開いた。ぎろりと侵入者を睨みつけ、威嚇する。
「なっ……!」
「まさか……こいつが?」


 剣と剣が交わると閃光が迸った。突き飛ばされたクロードは膝をつき、ディアスは背後によろめいた。両者ともに激しく息をきらせ、身体には無数の切り傷が生じていた。剣はもはやろくに人など斬ることができないほど刃毀はこぼれしている。しかも、それはただの剣ではなかった。ミラージュが自分の傑作だといって手渡した、ネーデにおいて最強の名を冠せられた剣なのだ。それが、この激しい戦いのうちにみるみる破損し、壊れていく。だがミラージュはむしろ、そのことにひどく興奮しているようだった。拳を握りしめ、額に汗を浮かべてふたりの立ち回りに魅入っている。
 クロードは立ち上がり、肩で息をついて、なまくらと化した剣を構えた。ディアスももはや剣を収めることを忘れるほど疲弊していた。どちらも限界が近づいている。
 ディアスが空破斬を放った。クロードも空破斬を返す。ぶつかりあう衝撃波に紛れてディアスがクロードに斬りかかる。クロードは剣を交えるのを避けて、後退しながら気功掌を飛ばした。ディアスは瘴気を込めた剣でそれを真っ直ぐ弾き返す。闘気の塊がそのままクロードに向かっていく。跳躍してそれを躱すクロード。ディアスも高々と跳躍し、クロードのさらに上空から急襲する。振り下ろされる剣にクロードは剣を突き出して受け止めた。閃光。弾き飛ばされたクロードは背中から落下していったが、寸前で身を翻して地面に着地した。そして上空のディアスを仰ぐ。
「これで終いだ、クロード。この俺の最大の奥義、その身にしっかりと焼きつけておけ」
 ディアスが剣を掲げた。剣から炎が噴き上がり、刃を包み込む。まるで剣そのものが変化したかのように、真紅の炎が鳥の姿を成した。それを見たクロードもすかさず掌を天にかざした。右腕に闘気が集中する。
「朱雀衝撃破!」
「吼竜破ッ!」
 あけの鳥と闘気の竜が正面からぶつかり合う。クロードの竜は、前に見たときよりも格段に大きくなっていた。──成長している?
 炎と闘気がふたりの中心で炸裂した。その余波を食らったのは、空中にいたディアス。烈風に巻き上げられ、地面には辛うじて着地したものの、体勢が崩れて片膝をつく。そして前を向き──目を見開いた。
 クロードが猛然と斬りかかってきていたのだ。
 立ち上がって剣を構え直す余裕はない。膝をついたまま右手の剣に瘴気を込め、目の前まで来たクロードに向かって、振るった。クロードの剣がディアスの肩を裂き、ディアスの剣がクロードの腹をえぐった。そうして、ふたりは折り重なるようにして倒れた。
「クロード! ディアス!」
 レナはすぐさまフィールドの入り口へと駆けていく。
「あーあ、相討ちか。まァいいや。ずいぶん楽しめたからね」
「ミラージュ」
 隣にいたナールが咎めるように言っても、ミラージュは飄々ひょうひょうとしたもので、懐から煙草を取り出して金のライターで火をつけた。
「そういや市長。崩壊紋章のことだけど」
「打開策が見つかったのか?」
 ナールが身を乗り出した。ミラージュは煙草を吹かして、フィールドのふたりに目を向けながら。
「あァ。いったん発動した紋章を止めることは不可能だ。できるのはその発動対象をずらすことだけ。なら、方法はひとつしかないだろう」
「どういうことだ?」
 ナールが訊くと、ミラージュは煙草をくわえたまま、ニッと笑った。
 フィールドでは、クロードとディアスが並んで仰向けになっていた。クロードは腹から、ディアスは肩口から止めどなく血が流れ出ている。にもかかわらず、ふたりの表情には笑顔すらこぼれていた。まるで遊び疲れて草原に寝そべった少年たちのように。
「おい。ディアス」
 クロードが空を向いたまま、呼びかけた。闘技場の屋根が円状の額縁となって、空はひとつの巨大な絵画のようだった。
「お前、腕がなまったんじゃないのか? 僕ごときにこんな手こずるなんてさ」
「ふん。手加減してやっただけだ。病み上がりを相手に真剣にやったら、後でレナにどやされるからな」
 ふたりは声を上げて笑った。白い綿雲の流れる青空に向かって。
「こら、そこのバカチンども!」
 そこへ、ようやくフィールドに降りることのできたレナが、つかつかと歩いてきた。
「血だらだら流してるくせに、なに大笑いしてるのよ! そのマヌケ面のまんま死んでも知らないからね!」
 どやされて、クロードとディアスは顔を見合わせる。そして、また笑った。


 バークの『長老』は、紫の光線を撒き散らして反撃に転じた。壁を貫き、天井を砕いて岩塊が崩れ落ちる。かすっただけで服が焦げ、肌を灼かれる光線に、彼らはたまらず背後の通路へと避難した。『長老』はしばらく狂ったように光線を吐き出していたが、唐突にそれも止み、また、誰かが戯れに彫り込んだような両眼でこちらを睨んできた。
 彼らはふたたび部屋に入った。『長老』はこちらを睨むだけで、攻撃する気配はない。そもそも、かれは奥の岩壁とほとんど同一化しているのだ。光線を撒き散らす以外に攻撃の手段もなかろう。
「また光線を撃たれると厄介だわ。ここで一気に決めちゃいましょう」
 オペラは他の四人にそう言ってから、ランチャーのカートリッジを取り替えた。セリーヌとノエルが詠唱を始める。ボーマンは両手に破砕弾の丸薬を抱え、エルネストは鞭を持つ手を握りしめた。
 少しの間の張りつめた緊張のあと、一斉に攻撃が始まった。
「ハイパーランチャー!」
 銃口から、その口径の数倍はある光線が放たれ、『長老』の顔面に炸裂した。ボーマンがありったけの破砕弾を投げつけ、エルネストが電撃で加勢する。ノエルのマグナムトルネードの渦が渠を包み込む。そして。
「エクスプロード!」
 セリーヌが杖を振り上げて唱えた。『長老』の眼前、空間上の一点に元素が集約し、一気に膨張しだした。仲間たちはすぐに通路へと逃げ込む。熱を帯び、膨張した空気は『長老』を巻きこんであちこちで爆発を始めた。まるで火薬の山に火をつけたような熱風と、轟音。爆発の嵐の向こうで、渠の頭が砕け、目が取れ、鉱石の塊となって四散していくのが見えた。
 爆発が止むと、あたりはしんと静まりかえった。……いや、地底深くからわき上がってくるような唸りが、どこからともなく聞こえてくる。
「やな感じだ。とっとと鉱物を採取して帰ろうぜ」
 バークの『長老』は、もはや跡形もなく粉砕されていた。彼らはわりと大きめの鉱石の塊を拾い集め、ミラージュから借りてきた麻袋に入れた。唸りはそのうちにどんどん大きくなり、やがて震動を伴った。壁に亀裂が走る。
「やばい。崩れるぞ!」
 麻袋の紐を締めて、彼らは急いで退散を始めた。出ていってすぐに部屋はガラガラと落盤した。五人は狭い通路をひた走る。彼らが通った後から瓦礫が降り注ぎ、通路を潰していく。
「ちくしょう。こんな場所で生き埋めは御免だぜ」
 そのボーマンの呟きに呼応したようだった。やっと出口が見えてきたと安堵したそのとき、前方の天井が崩れて出口へと続く道が塞がれてしまった。彼らは瓦礫の山を目の前に、立ち止まる。背後からは岩の崩れるけたたましい音が近づいている。
 彼らのすぐ横の壁に亀裂が走った。誰もがそこで、死を覚悟した。