■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [レナ編]


終章 還りの森

 深奥とした森。果てなき草原。緑溢れる大地を、陽の光が明るく照らす。
 川は清澄に流れ、畔には小さな花が絨毯のように一面に咲き乱れている。

 二匹の黄色い蝶が、草花の合間から飛び出した。
 花畑を離れ、川を越えて、もつれ合いながら森の入口へと飛んでいく。

 そこで、何かを見つけた。銀色に輝く、鋼鉄の乗り物。

 蝶たちは、注意深く観察するように辺りを飛び回る。すると乗り物の入口が開いて、中から金髪を振り乱した女が出てきた。
 女は、木造りの素朴な橋の手前に集まった一団に加わり、話を始める。

 二匹の蝶はその場を離れて、誰に知れるともなく森の奥へと消えていった。

「準備は完了したわ。いつでも出発できるけど」
 ふねから降りてやってきたオペラが言った。レナは下を向く。ついに、そのときがやってきたのだ。
「わかりました」
 クロードは、そっとレナのほうに目配せしている。だが、彼女は顔を上げることができなかった。クロードの姿を見ることができなかった。
 もう、これでお別れなのに。
「クロード。本当にいいのか?」
 エルネストが念を押す。ボーマンやセリーヌも無言のまま問いかけている。本当に、これでいいのか?
「僕は地球人です。いつかは帰らなきゃいけないんです」
 きっぱりと、クロードが言った。セリーヌが溜息をつき、ディアスは首を曲げて空を眺める。
「それより、ノエルさんは一緒に行かないんですか?」
「ええ。連邦の世話になるつもりはないですから。それに、僕はこの星が気に入りました」
「動物には事欠かないものね、ここは」
 オペラが言うと、その場に笑いが洩れた。
 レナは拳を握りしめ、どうにかして顔を上げようとする。早くクロードに言葉をかけなくては。「元気でね。お母さんを大切にしてね」って。
 ──いやだ。
「まあ、ノエルさんはこの星にいたほうがいいかもしれませんね」
 ──離れたくない。
「なんなら俺が代わりに行ってやろうか? マブいねーちゃんがたくさん拝めそうだからな」
「あんた、誰見て言ってんのよ」
 ──お願い。ここに残るって言って。
「ニーネさんもこの男を野放しにしてるのはどうかと思いますわね」
「首輪でもつけておかないとね」
「バカ言え。女への探求は男の義務だ。男の永遠のテーマなんだよ」
「……誰か、こいつにぶちかましてやって」
「では遠慮なく」
「痛ぇなっ! 女のくせしてグーで殴るなっ!」
 ──お願い……クロード。
「それじゃあ。僕らはこのへんで……」
「……やだ……」
 クロードが振り向く。うつむく少女の顔から、雫がぽとりと落ちた。
「行っちゃ、いやぁっ!!」
 レナは子供のように座りこんで泣き崩れた。地面に手をつき、項垂れて、しゃくり上げながら何度も首を横に振る。誰も声をかけることはできなかった。ある者は瞑目し、ある者は唇を噛んで顔を背けた。
「レナ」
 と、クロードが彼女の前に歩み寄った。片膝をついて、彼女と目線を合わせる。レナは濡れた顔を上げる。そこにはクロードの顔があった。優しく力強い瞳。一心に、自分を見つめている。
 クロードはそっと顔を近づけ、彼女の額に唇を押しあてた。

 ──また……よ。
 ──だから、……って……。
 ──……ね。

 彼が何か囁いた気がして、レナは顔を見る。しかしクロードはすぐさま立ち上がり、仲間たちに別れを告げると、オペラとエルネストの後について、そそくさと艦へと乗り込んでしまった。
 旋風を巻き起こして艦が浮き上がる。
 クロードは窓からこちらを眺めている。その口がなにがしかの言葉を紡ぎかけた刹那、しゅんと大気を切り裂く音を立てて、艦は雲の向こうへと飛び去っていった。
 レナは草原の真ん中で、秋の澄んだ空を見上げていた。いつまでも、ずっといつまでも。


「……ねえ、これでよかったの?」
 操縦席のオペラが、画面に目を向けながらクロードに訊いた。
「あの子と別れて、本当にそれで……ねぇ、聞いてる? クロ……」
 振り返って、オペラは言葉を呑みこんだ。
 クロードはひとり、涙をこぼしていた。固めた拳を窓に押しつけ、壁にくずおれるようにして。

 いつかきっと。その想いを、そっと胸に秘めながら──。

 森の上を風が撫でる。ノエルは振り仰いだ。枝葉が大きくたわみ、心地よい音を奏でる。
 マーズの紋章の森。彼はこの地に落ち着いていた。もちろんセリーヌのつてによるものではあるが、以前の山賊に侵入を許した教訓から、マーズ側も森を守り管理してくれる人間を求めていたのだった。かつては守護結界が破られ、瘴気渦巻く森となっていたこともあったが、今はノエルの尽力もあり、すっかり穏やかな森へと変貌を遂げていた。
「よしよし、今日も来たね。そら、ご飯だよ」
 管理人の小屋の前には、バーニィが沢山の子バーニィを引き連れやって来ていた。ノエルは手に持っていたバケツをひっくり返して餌を地面に撒く。バーニィたちは餌に群がって我先にとついばむ(?)。ノエルは細い目をさらに細めて、その様子を眺めている。
 風が再び森を撫でた。ノエルは上を向く。
「みんなは、どうしていますかねぇ……」
 揺れる葉と葉の隙間からちらちら見える空を見つめながら、彼は呟いた。
「ノエルさん」
 そこへ、ローブを纏った男が歩いてきた。村の人間だ。
「お客様がお見えです」
「客?」
「はい。長老様の屋敷でお待ちになっていますが」
「わかりました。すぐに行きます」
 村人が立ち去ってから、ノエルは首を傾げた。
「はて、僕に客とは……」
 バケツをその場に置き、餌に夢中のバーニィたちを後にして、ノエルは村へと歩いていった。

 南十字星座サザンクロスの旗が風に揺らめく白亜の城。その一角から、女の声が響き渡った。
「あーっ! もう、やってられませんわ!」
 薄紫色の髪を振り乱して、女が部屋から飛び出した。そのまま廊下をのし歩くが、同じく部屋から出てきた金髪の青年に腕を掴まれる。
「待ってくれよ、セリーヌ。これからエルの大使と会食が……」
「会食! もう、うんざりですわ! 何が楽しくて、狸親父どもの汚いつらを見ながら食事しなければならないんですの!?」
「そ、そんな下品な言葉を……あっ」
 彼女は青年の手を振り払うと、紅色のドレスのひらひらした裾を両手でつまみ上げながら、再び廊下を闊歩かっぽする。
「ち、ちょっと、どこへ行くんだよ」
「気晴らしに、トレジャーハントしてきますわ」
「え、えええっ!」
 青年は猛然と駆け出して、セリーヌの腕にしがみつく。
「お願いだ。後生だからやめてくれ。この前だってそう言ったきり三ヶ月も帰らなかったじゃないか」
「放してクリス! わたくしはもう……ん?」
 不意に、窓の外が目についた。何かに気づいて慌てて身を乗り出し、高みから城下を見る。彼女の瞳が輝いた。
「あれは……!」

「おじいちゃん、ディアスお兄ちゃんが来たよ」
 スフィアが扉を開ける。中の老人は振り返って、皺深い顔を綻ばせた。
「おお、よく来たの」
 工匠ギャムジーはディアスに席を勧める。ディアスは無言のまま腰を下ろした。
「いつラクールに来たんじゃ?」
「昨日だ」
 ディアスはそう答えてから、部屋を見回す。鉄の塊や作りかけの剣が其処此処そこここに転がっていた。
「また剣を作り始めたのか?」
「ああ。国軍に請われてな。おそらく多くは、一度も抜かれずに錆びついてしまうんじゃろうな。儂にとっても、それは本望じゃ」
 ギャムジーはディアスの前にうつわを置き、沸かした茶を注いだ。
「それにしても、お前さん、まだぶらぶらと旅なんぞ続けておるのか? いい加減に落ち着いたらどうじゃ」
「そうだよ。ディアスお兄ちゃん、うちにおいでよ。スフィアと一緒に暮らそ」
 ディアスは訝しげにスフィアを見た。ギャムジーはほっほっ、と笑う。
「いやいや、真面目な話、儂らと暮らさぬか? 今のこの家は狭いが、近々工房と住む家を分けて建て直す予定じゃ。仕事が忙しくなれば人手も要るし、スフィアも遊び相手が増えて嬉しかろう。どうじゃ、考えてみてはくれんか?」
 ディアスは茶の入った器に目を落とす。何かを一心に考えているようだった。
「……少し、時間が欲しい」
「ああ、そうじゃな。何も急ぐことはない。良い返事を期待しているよ」
 そう言って、ギャムジーはまた朗らかに笑った。
「はーい」
 そのとき、扉をノックするものがあった。スフィアが返事をして扉を開ける。ディアスは何気なくそちらに顔を向けて──目をみはった。

 ボーマン薬局は、いつもの通り閑散としていた。
「ふわぁぁぁぁぁ……」
 店のカウンターに顎をついたまま、ボーマンは欠伸あくびをする。今日もまた午睡をむさぼろうかと目を閉じかけたとき、扉を開けて入ってくる者があった。言語学者のキース・クラスナ。彼の旧友である。
「よう、ぼったくり薬局」
「よう、いんちき学者」
 キースが目の前まで来ても、ボーマンは顔を上げようとはしない。目玉だけを動かして、彼を見る。
「何の用だ。薬を買いに来たんじゃないんだろ。バカは病気しねぇもんな」
 悪態をつくボーマンの脳天に、キースは何かを投げつけた。あまりの重さに首がぐきりと悲鳴を上げる。
「痛ぇな! 俺を殺す気か……って、これは」
 それは古い本だった。見覚えがある。確かあいつらがここに来たときに持ってきた……。
「依頼するのはいいが、取りに来いよ。もうとっくに解読は終わってんだぞ」
「ああ、そうか……すっかり忘れてたな」
 ボーマンは頭を掻いた。そして苦笑する。たぶん、あいつらもすっかり忘れちまってるんだろうな。
「で、何が書いてあったんだ?」
「ああ。こいつは古の一族が記したものだな。それもかなり初期のものだ。内容は主に彼らの故郷に関すること」
「故郷?」
「ああ。彼らは『悠久の楽園』からこの世界にやってきたのだと書いてある。『悠久の楽園』は美しく、完全無欠で、素晴らしい世界だった、それにひきかえこの世界は云々……と、要するに故郷の自慢話と現況への恨み辛みが延々と綴られているんだな。資料的価値はあるのだろうが、内容は……正直なところ、読むだけ時間の無駄だった」
「……そうか……」
 ボーマンは珍しく神妙に、ため息をついた。そして再びカウンターに顎を載せる。
「『悠久の楽園』か……。そんなにいい世界なら、一度行ってみたいものだがな」
「俺は行ったよ」
 ボーマンが言った。キースは眉根を寄せる。
「……大丈夫かお前? いくら薬屋だからって、ヤバい薬に手出したりするなよ?」
「あのな……そういうこと言うなっての。シャレになんねぇから」
 キースにしかめ面を返すボーマン。そのとき、また店の扉が開いた。
「いらっしゃー……っ!」
 その姿に、ボーマンは椅子を倒して立ち上がった。

 教室の出口で、オペラは彼を待っていた。
「お疲れさま、エル」
「お前……」
 ひらひらと手を振って出迎える彼女に、エルネストは嘆息した。
「講義が終わった後くらい、のんびりしたいのだがな」
「なによ、あたしがいるとのんびりできないっていうの」
 ふたりで廊下を並んで歩く。エルネストは周囲の視線が気になって仕方がなかった。どうやら学内では「教え子をたぶらかした女好きの先生」ということになっているらしい。
「ねえ、知ってる? あの子のこと」
「あの子? ……ああ」
 思い当たって、エルネストはフッと微笑を浮かべる。
「まあ、落ち着くべきところに落ち着いたということだな」
「でも、なかなかやるわねぇ、あの子。やっぱり男はそのぐらいの勢いがなくちゃ」
 にこにこと見つめるオペラに、彼はあえて目を合わせないようにした。
「おい、どこへ行くんだ。そっちはポートだぞ?」
 大学を出たところで、エルネストは先を歩くオペラを呼び止めた。彼女は振り返り、悪戯っぽく片目を瞑る。
「ねえ、今から行かない?」
「どこへ?」
「エクスペル」
 オペラは駆け寄り、唖然とする彼の腕を引く。
「だって、気になるじゃない、あの子のこと。久しぶりにみんなと会ってみたいし」
「だが俺は予定が……」
「嘘ばっかり。予定なんて何も入ってないわよ。三日後の午後の講義までずっとフリーなんでしょ」
「おい……どうしてお前が俺の予定を知っているんだ」
「あなたのことは何でもお見通しよ」
「……勘弁してくれ」
 がくりと肩を落とすエルネストを、オペラは嬉々として引きずっていった。

 長い冬が終わり、アーリアにも遅い春がやってきた。
 凍りついた大地は暖かな日射しによって肥沃な土壌へと変わる。雪解け水が川を潤し、草木の緑がいっせいに芽を吹く。陽気に誘われた蛙が地面からひょっこり顔を出し、鳥は屋根の上で高らかに喜びの唄を口ずさむ。草木も獣もそして人間たちも、待ち侘びた春の恵みをこよなく愛しんだ。
 川での洗濯を終えると、ウェスタは洗いたての服を入れた籠を抱えて物干し場に向かった。絶好の洗濯日和とあっては、彼女の仕事にも精が出ないわけはない。籠にぎっしり詰まった洗濯物の山を地面に置くと、腕をまくり直してそれを一枚ずつ、竿に掛けていく。
「こんにちは」
 誰かが背後から声を掛けた。振り返ると、見慣れない姿をした男が立っていた。
「はあ……どちらさまで?」
「いえ。ここらをのんびりと旅している者ですが。この村はいいですね。静かで、明るくて、とっても落ち着ける」
 男は笑った。薄汚れた外套を纏い、フードを深々と被っているので、顔はあまり見えなかった。
「娘さんは家にいるのですか?」
「いえ。あの子なら森に出かけていますが」
 ウェスタはつい答えてしまった。見知らぬ人間なのに。けれど、どうして自分に娘がいることを知っているのだろう。
「そうですか」
 男は礼を述べて、彼女に背を向けると、やってきた道を歩いてゆく。
「あの、ちょっと……」
 ウェスタが引き止めようと声をかけたが、そのまま立ち去ってしまった。
 遠ざかる背中を茫然と眺めるウェスタ。完全に姿が見えなくなると、大きく息をついて、気にすまいと物干し台に向き直る。だが、そこで何か思い出したようにまた振り返った。
「いまの人……」

 森の樹木は鮮やかな緑の葉を繁らせて、脈々と息づいていた。緑の天蓋を透して射し込む光も今日はいちだんと明るく、まるで森そのものが翡翠色に輝いているようだった。まさしく神護の森の名に相応しい、神秘的な光がそこに充満していた。
 レナは森の中でいちばん大きな樹の前に立っていた。力強く地面に根を張り、天に向かってまっすぐ伸びた幹を下から上へと振り仰ぐ。そして瑞々しいいのちの匂いのする空気を胸いっぱいに吸いこみ、そして吐き出す。心地よい風が頬を撫で、青い髪を揺らしていく。
 母を知り、すべてを知ってからも、彼女はこの森に度々足を運んでいた。ここは唯一、故郷ふるさとを感じられる場所だから。
 いや、それ以上に、ここはいろんな思い出が詰まった場所だから。この森が、私の始まりなんだ。
「そう。すべてはここから始まったんだったね」
 彼女の後ろで、誰かが言った。木々の枝葉がざわめき始める。少女の胸のうちも、同様に。
「ウェスタお母さんが君を拾ったのは、この森だった。場所を越え、時間を超えて、君はここにやってきた」
 鷹揚おうようとした声を、レナは背を向けたまま聞いた。唇が震え、鼓動が早くなる。
「そして、僕らが出会ったのもここだったね。今から思えば、長い長い冒険の始まりだった」
 胸の底からこみ上げてくるものをこらえきれずに、ぼろぼろと涙をこぼす。忘れるはずもない、大好きなあのひとの声を。
 一陣の風が森を駆け抜けた。彼のフードがふわりと外れ、日射しを受けて黄金色に輝く髪が露わになる。彼は微笑んだ。

 ──また、会えるよ。
 ──だから、そのときは笑って迎えてよ。
 ──約束だからね。

「……ただいま、レナ」
 レナが振り返り、夢中で駆け出す。大好きな、彼の許へと。

 おかえり、クロード。

―完―