■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Side L-1 "STREAM OF WIND"

 その惑星ほしは、錆色の大地に覆われていた。
 隆起した岩場。窪んだ砂地。小型のふねほどある巨岩から爪に入り込む砂粒に至るまで、一様に同じ色をしていた。
 大地を包み込む雲もまた、赤い。雲というより霞か霧のようで、ただ漠々と地表とそらの合間に漂っている。
 ここは──。
「世界の果て、か」
 足許の土塊を軽く蹴飛ばしてから、少年は呟いた。
 あどけなさの残る瞳と頬の膨らみ。負けん気の強そうな口許。眉根に皺を寄せて仏頂面を装っているが、やはり幼さは否めない。
 風が薙いで、冷気が首をくすぐった。少年は羽織っていた白衣のボタンを留める。大人用の白衣は小さな身体にはぶかぶかで、裾は軽く引きずり、袖は内側に折り込んである。
 レオン、と誰かが少年の名を呼んだ。水色の髪から突き出た耳がピクリと反応する。
 彼の耳は──頭の上についていた。
 少年は、フェルプールと呼ばれる亜人種であった。
 彼の故郷であるエクスペルでもフェルプールは珍しい。それ故に奇異の目で見られることも少なくなかったが、少年はそんなものを気にする器ではなかった。
 少年は天才だった。
 言葉を憶えるより早く紋章術を操り、弱冠十二歳にしてエクスペルの紋章学の第一人者となった。そして様々な邂逅を経て、幾多の危機を乗り越えて──。
 ──ボクは、ここにいる。
「レオン、どうした?」
 歩いてきたのは、クロードだった。
 銀河連邦軍の少尉……いや、今は中尉だったか。大仰な肩書きとは裏腹に、外見も恰好も歳相応の若者にしか見えないけれども。
 レオンは横を向いて、巨人の机のような岩場を見上げた。
「ここ、何となくフィーナルに似てるね」
 クロードも同じ岩場を見た。ふわりと金髪が揺れる。
「そう……だな」
 目を細めて、彼は言った。
「『終わり』の風景ってのは、どんな世界でも同じなのかもしれないな」
 無機的で、殺風景で──寂しい。
 でも。
「調査始めるんでしょ。行こうか」
 踵を返して、レオンは錆色の大地を歩き出す。

『終わり』の世界には、いつだって。
『始まり』もあるものだよ。

 惑星の名は、ストリームと言った。
 発見されたのは数十年前。銀河連邦がまだ地球連邦と呼ばれていた時代である。調査により大気の存在は確認できたが、期待された生命体の姿はなかった。
 ただし、遺跡はあった。
 正確には遺跡らしきもの、であるが。少なくとも知的生物の手による建造物には違いないようだった。調査隊によって綿密な調査が行われ、その結果導き出されたのは──。
 この建造物は、時空間移動を可能にする『タイムゲート』である。
 調査の報告を受けた連邦政府は、ただちにこの惑星とタイムゲートの存在を軍上層部と政府中枢のみの極秘事項とした。
 それは当然のことではあった。時間を遡るという行為は本質的に禁忌タブーである。使用者の行動ひとつで歴史が塗り変えられる。世界が変わる。そのようなものを易々と公表してしまう訳にはいかなかった。
 政府はタイムゲートの使用を固く禁じ、惑星ストリーム周辺域への航行にも制限を設けた。謎の惑星と遺構は、このまま深宇宙の片隅に放置される──はずだった。
 しかし。
 今から二十一年前、その禁を破った者たちがいた。
 地球連邦軍大佐ロニキス・J・ケニーと、その副官イリア・シルベストリ。
 彼らはローク人の若者らを引き連れ、独断でタイムゲートを使い三百年前の惑星ロークへ飛んだ。当然その責を問われたが、ロークに蔓延したウィルスの宿主ホストを確保するという目的が正当なものであり、また実際に宿主の確保に成功してロークを救った経緯などを鑑みて、処分は結局見送りとなった。
 さらに、同時期に連邦への侵攻を始めた惑星ファーゲットに対する潜入作戦においてもタイムゲートは使用されたという。どのように用いられたかはつまびらかになっていないが、作戦は成功し、首魁しゅかいジエ・リヴォースは討伐された。
 超法規的な判断ではあったものの、結果的に連邦はタイムゲートによって救われたのである。これ以降、政府はこの未知なる装置に対する考え方を改めるようになった。
 依然として危険なものには違いないが──今回のように、使い方次第では有効に活用できるのではないか──。
 そうして活用のための前段階として、より詳細な調査が始められた。まずは科学的分析。次に考古学的見地からの調査。さらには──。
 紋章学からのアプローチ。
 かくしてレオンの出番となった。

 遺跡の前には、見慣れた少女が立っていた。
「よっ。久しぶり~」
 そう言って、ニカッと歯を見せて笑う。レオンは怪訝な顔をする。
「なんでお姉ちゃんがいるんだよ」
「見学。ちゃあんと中尉サマの許可はもらってるよん」
 レオンは横のクロードを睨んだ。クロードはそっぽを向いて頬を掻いている。
「んな恐い顔すんなよ~。邪魔はしないから」
 ね、と首を傾けて愛想を振りまく。栗色のポニーテールが頭の後ろで揺れた。
 レオンは深々と嘆息した。
 昔から、この少女は苦手だった。
 昔といっても精々一年程度のつき合いではあるのだが。隣にいるクロードと、この少女と、他の仲間たちと共に、あの数奇にして熾烈な闘いを潜り抜けてきた。そういう意味では戦友ともいうべき存在ではある。
 あの闘いの後、彼女はしばしば故郷であるエクスペルを離れ、こうして連邦の活動に加わっているらしい。何をしているのかは知らないし、興味もない。どうせまた、役に立つんだか立たないんだか判らないような発明品の材料でも集めているのだろう。
「プリシスお姉ちゃん」
 レオンが不機嫌な声で呼んだ。ポニーテールの少女はほいほい、と返事する。
「来たからには、ちゃんと調査に参加してもらうからね」
「わかってるよ~。あたしも興味あるし、コレ」
 小柄な身体を捻って、プリシスは振り返った。
 背後に、その建造物は鎮座していた。

 ゲートというより、巨大なオブジェのようだった。
 円形の台座の上に白い矩形さしがたの枠が載っている。
 枠の内側は空洞。砂埃に霞んだ岩場が白枠に切り取られて、何やら陰気な抽象画のようにも見えた。
 レオンは台座を上がり、素手で白枠を撫でてみた。金属とも石材とも判別つかない、不思議な感触だった。
「これ……って、あれ?」
 質問しようと振り返ったが、クロードがいない。
「お兄ちゃんは?」
ふねに戻ってったよ。なんかレナに連絡入れるんだってさ」
 プリシスが答える。
「また? さっき連絡したばかりじゃないか」
 そのせいでレオンはこの星に着くなり待ちぼうけを食って、仕方なく周囲を見物していたのだった。
 数分してからクロードは戻ってきた。
「はぁ……大丈夫かなぁ。心配だなぁ」
 浮かない顔をして、しきりにぶつぶつ呟いている。
「レナから連絡来てないの?」
「うん。昨日は来たんだけど」
「昨日来てるならいいじゃん」
「でも今日はまだなんだよ。お腹の子供のことだってあるし、何かあったら……あぁ大丈夫かなぁ」
 レオンは閉口した。プリシスも肩を竦めている。
 レナはクロードやプリシスと同様、あの闘いにおける仲間であった。数奇と表するのが陳腐に思えるほど稀有な運命を辿った彼女は、闘いの後にクロードと結ばれ、めでたく子も授かったらしい。今は地球で夫の帰りを待っていることだろう。
「もう二ヶ月も会ってないんだよ。レナぁ……早く帰って会いたいよぅ……」
 切なげに曇り空を見つめながら吐息を洩らすクロード。本人にとっては深刻なのだろうが、傍目はためにはただ鬱陶しいだけである。
「あ、そうそう。ねえクロード」
 横のプリシスが声を上げた。そしていきなり背負っていたリュックをどさりと下ろす。
「こんなの作ったんだけど、どうかな。……んしょっと」
 上部の留め具を外し、中から重そうなものを出して地面に置いた。
「じゃ~ん。1/4スケール・レナちゃんmkⅢマークスリー~」
 なぜか濁声だみごえだった。
「……何だよ、これ……」
 金属でできた人形のようだった。彼女が以前愛用していた自作ロボットに似ているが、胴体にはレナと同じ服が着せられ、頭にはレナと同じ色の髪が生えている。顔はつるつるの球体で、申し訳程度に目と鼻がついているのみ。
 似ても似つかないが、一応レナを模した人形──なのだろう。
「ほら、これあげるから元気出しなよ~」
 プリシスは『レナちゃんmkⅢ』を強引にクロードに押しつける。
 クロードは戸惑いつつも、そっと人形の無機質な顔を覗き込んだ。
 すると。
〈頑張ってね、クロード〉
「へ?」
〈あなたはやればできるんだから。負けちゃダメよ〉
 人形が口を開けて喋り出した。聞き覚えのある声色と台詞。紛れもなくレナの声だった。
〈クロードは、私の勇者様なんだから〉
「あ、ああ……レナ、レナだ……!」
 クロードは涙目になって機械人形を見つめている。
「スゴいでしょ。ちゃんとその人に合った受け答えしてくれるよ。しかも学習機能つき~」
 得意気にプリシスが説明する。
「まぁ……すごい……かな」
 高度な技術ではあるのだろうが、何故かあまり凄いと感じられない。彼女の発明品は昔からこんなものばかりだった。
「あぁ、レナ、僕頑張るよぉ……!」
 一方クロードはレナの人形を抱きしめ、金属の顔に頬ずりまで始めた。妻を想うあまり特殊な性癖にでも目覚めてしまったか。
「あ、ちょっとクロード」
 そんな彼をプリシスが見咎めた。
「ダメだよ、そんな強く圧迫したら」
「え?」
 クロードが顔を上げるのと同時に、人形の両眼がギラリと光った。
 そして。
〈レイ!〉
 爆発が起きた。
 もうもうと舞う砂埃の中で、クロードは──。
「れ……レナ……?」
 車に轢かれた蛙のように、地面に倒れていた。
 服はすすがついた程度だが、金髪は見事に焦げて縮れて普段の八割増しくらいになっていた。発動元と思しき人形は傍らに無傷で落ちている。
「危害を加えようとするとセンサーが作動して、呪紋で反撃してくるよ。自己防衛機能もばっちり☆」
 そう言ってピースサインを作るプリシス。
「なんで人形が呪紋使えるんだよ……」
 レオンは頭を抱える。
 ──そう。この少女の発明品は、あらゆる意味で出鱈目なのだ。彼女の作るものはことごとくレオンの常識の範疇から逸脱している。だから苦手ということもあるのだが……。
「で、お兄ちゃん生きてるの?」
「ん~。人死にが出ない程度には調節してあるから、大丈夫だと思うけど」
 爆発現場を見ると、人形だけが起き上がっていた。
〈クロード大丈夫? 今治療してあげるね〉
 そして横たわるクロードの前に立つと、短い両腕を上げて唱えた。
〈ヒール!〉
 光が降り注ぎ、クロードはすっかり回復した。
「ああ、レナだ! レナのヒールだ!」
 クロードはすぐさま起き上がる。縮れた髪もすっかり元通りになっていた。
「ありがとうレナ。やっぱり君は僕の天使様だよッ」
 性懲りなく人形を抱擁するクロード。彼の目には本物の妻に見えているのかもしれない。
「う~ん。元気は出たみたいだけど、症状は悪化しちゃったかな……」
 失敗だったかな、とプリシスは渋い顔をする。
「つき合ってらんないよ、もう」
 相手にするのも馬鹿らしくなったレオンは、さっさとタイムゲートへと戻っていく。
「あぁ、レナ、僕の天使様、愛して……」
〈ライトクロス!〉
 再び爆発が起きたが、今度は誰も振り向かなかった。

「ざっと見てみたけど」
 ゲートの前で、レオンが言った。
「紋章術が使われてる形跡は確認できなかったよ。紋章らしきものは、どこにも刻まれてなかった」
 隅々まで調べてみたが、台座にも白枠にも紋章はなかった。
「それじゃあ、紋章術の可能性はゼロか」
「ゼロ、じゃあないけどね。可能性があるとすれば」
 と、少年博士はゲートの枠を掌で叩いて。
「この中、だね」
「中?」
 クロードが聞き返す。
「内側ってこと。台座の底の部分とか、この枠の内部に紋章を閉じ込めているかもしれない。そのくらいの技術はありそうだし」
「内部か……。確か科学班の調査では」
 クロードが片手で端末を操作する。もう片方の腕は例の人形で塞がっている。
「ああ、内部スキャン不能、となってるな。特殊な材質だからスキャナが通らなかったみたいだ」
「それじゃ確かめようがないね~。壊すのもダメなんでしょ?」
「直せるんだったら壊してもいいけど。直せるの?」
 レオンが皮肉を込めて言うと、プリシスはイヤミな言い方だな~、とむくれた。
「紋章術の線でも駄目か。これじゃ八方塞がりだなぁ」
 端末を仕舞ってから、調査責任者は嘆息した。
「そーいや、このゲートって喋るんじゃなかったっけ? そのヒトに聞いてみたら?」
「ん? ああ、『番人』のことか。確かに父さんたちは声を聞いたらしいけど」
 クロードは少し躊躇いつつも、続ける。
「父さんたちが使用したあの二回を最後に、完全に沈黙してしまったらしいんだ。今では呼びかけても全く反応しない」
 クロードの両親は、タイムゲートを潜って過去へと遡った唯一の地球人である。
 ロークの危機を救い、ファーゲットの野望を阻止した英雄、ロニキス・J・ケニーと副官イリア・シルベストリ。彼らこそ、青年クロード・C・ケニーの父と母であった。
 英雄の息子は、今は人形を抱えてゲートの前に立っている。
「喋らないの? つっまんないな~。もしも~し、ゲートさん、聞こえてんなら返事しろ~! しらばっくれてるとバラバラにして改造しちゃうぞ~!」
 横で拳骨を振り上げて喚いているプリシスを無視して、レオンは白枠の底辺の部分に跳び乗った。
 腰をかがめて、その不可思議な材質の枠を撫でる。
 分析不能の物質。
 解析不能の内部。
 意思を持つという『番人』の存在。
 そして、時空間の跳躍。
 これは──。
「本当に、この世のモノ……なのかな」
 ほとんど無意識に、呟いた。
「どういう意味だ?」
 耳聡く聞きつけたクロードが歩み寄る。レオンは少し頬を赤くして顔を背けた。
「なんでもないよ。ちょっと思っただけ」
 首を捻るクロード。そして何か思い出したように言う。
「そういや、エルネストさんも妙なこと言ってたっけなぁ」
「エルネストぉ?」
 懐かしい名前を聞いて、プリシスが大きな目を瞬かせた。
 エルネスト・レヴィード。連邦に属する惑星テトラジェネスの考古学者だ。彼もまた、あの闘いにおける仲間であった。
「あの人にもここの調査をしてもらったんだ。考古学の方面からの意見が聞きたくて。それで、エルネストさんが言うには」
 ──これは遺跡ではない。
 ──遺跡のフリをした『何か』だ──。
「どゆこと?」
 プリシスが首を傾げる。
「調べたらすぐに色々判明したらしいんだけどね」
 クロードが説明する。
「遙か昔に超高度文明を持った人々がいて、この惑星は彼らの実験施設のような場所だった。様々な実験が行われ、遂に時空間転移を果たすタイムゲートまで完成させたけど、程なくして彼らは何らかの原因によって自壊し、このゲートのみが残った──と」
「ふ~ん。そーゆうコトなんだ」
「ところが、そういうコトじゃないらしいんだ」
 と、クロード。
「あまりにも綺麗すぎる、とエルネストさんは言ってた。まるであらかじめ用意されたシナリオみたいだ、って。ほら、ネーデでのこと覚えてるか?」
「ネーデのこと?」
 レオンは顔を上げた。
「それって……十賢者の?」
 クロードが頷く。
 ──ネーデ。
 ──三十七億年もの前に高度な文明を誇っていた惑星。
 そこで生み出された巨悪──十賢者と、レオンやクロードたちは文字通りの死闘を繰り広げた。
 しかし、その巨悪とて、純然たる悪ではなかった。
 ネーデは十賢者にまつわる哀しき物語を隠蔽していた。そして歴史を改竄し、彼らを諸悪の根源に仕立てた。
 真相を隠すために、架空の歴史をでっち上げたのだ。
「このタイムゲートも、そうだっていうの?」
「残念ながら証拠は見つからなかったけどね。でもエルネストさんは、そう踏んでる」
 タイムゲートを見据えて、クロードが言う。
「僕は門外漢だけど、それでもエルネストさんの言っていることはわかる気がするんだ。もしかしたら、僕らが想像もできないような秘密が隠されているのかもしれない」
 何かあるよ、これは──と真顔で言ったものの、脇に抱えた人形のおかげで今ひとつ締まらない。
「そんで、調査は終わりなの? あたしお腹へったんだけど」
 プリシスは台座の縁に腰を掛けて足をぶらぶらさせていた。こちらは最初から緊張感など微塵もない。
「まだだよ。地面を掘って台座の下の部分も見てみないと。ゲートの周辺も調べてみたいし」
 レオンのつれない返答にプリシスは、えぇ~と不平の声を上げる。
「まぁ、まだ時間はあるから、ふねに戻ってちょっとだけ休憩しようか」
 クロードの提案にプリシスが賛成~と手を挙げる。そして台座から跳び下りると、ポニーテールを揺らして艦へと歩いていった。
 レオンはまたクロードを睨んだ。クロードは視線を避けるように手許の人形に目を落とし、わざとらしく会話を始める。
 文句を言う気力も失せて、レオンは白枠から降りた。
 そのとき。
〈……へ……〉
 不意に、声が聞こえた。
〈……ひぇ……へぇ……〉
 レオンはクロードを見た。クロードも周囲を見回している。
 人形の声ではない。出所が違うし、声色も……。
〈……ひ……ひぇっ……〉
 ──まさか。
 レオンは気づいた。
 この声は後ろの──。
 少年が振り返った、その瞬間。
〈いぃえっくしょん!!〉
 轟音のようなくしゃみが、惑星じゅうに響き渡った。
 それと同時に。
 レオンの眼前が。
 白枠に囲われた錆色の景色が。
 ぐにゃりと歪み、混ざり合い。

 視界が──遮断された。

 完全なる闇の中に、ひと筋の道が延びている。
 まっすぐ、どこまでも続く、白い道。
 その道を、ひとりの少年が歩いていた。
 同じ速度で、足音も立てず、ただ黙々と歩みを進めている。
 どこへ行くのか。
 どうしてここにいるのか。
 疑問は瞬時にして溶解し、蒸散して、闇の中へと消えていく。
 少年は歩いている。
 歩いている。
 歩いて──何かに気づいて──止まった。
 おもむろに、横を向く。
 闇の中に、ぼんやりと扉が浮かんでいた。
 ひとつではない。
 いくつもの──たくさんの──無数の扉が、並んでいた。
 扉は全部同じ大きさで、同じ形をして、同じように小窓がついていた。
 少年は、気になった。
 道を外れて、近くにあった扉の前に立った。
 そして小窓をそっと覗き込んだ。
 窓の向こうは──。

 明るかった。
 どこかの海の上だった。大きな船が浮かんでいる。
 甲板の上に、少年がいた。
 闘っている。
 翼をつけた、異形いぎょうの魔物と。
 ひとりきりで、闘っている。
 鋭い一撃を躱し、呪紋をぶつけ、油断なく身構える。
 それは、自分だった。
 知らない自分を、知らない光景を、少年は見ていた。
 その船には憶えがあった。
 闘っている魔物のことも、よく知っていた。
 けれど、こんな光景は──知らない。
 少年は、こんな船の上で、ひとりきりで闘ったりしていない。
 あいつと闘ったのは、あの塔の上で──。

 魔物が襲いかかる。
 突き飛ばされ、甲板の瓦礫の中に倒れる。
 腕も脚も負傷した。逃げられない。呪紋も唱えられない。
 命運を悟った少年は、手に取った本を片手で広げて。
 高々と、掲げた。

 ああ、そうだね。
 ボクなら、きっとそうする。

 海も、空も、船も、魔物も。
 自分さえも。
 総てが光に吸い込まれ──。

 ──そう。
『終わり』の後には、いつだって。
『始まり』が──。

 海鳥の声を、レオンは聞いた。
 潮の香りが鼻をくすぐる。
 目の前には茫洋とした海。鮮やかなあおがいささか眩しい。
 空は澄み渡り、頭の上から日射しが容赦なく照りつけている。

 小さな港。
 波止場の桟橋の手前。
 そこに、レオンは立っていた。

 疑問が疑問として形を成す前に。
 少年はゆっくりと、振り返ってみた。

 子供が、ふたり。

 遠巻きに、こちらを見ていた。