■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Side L-5 "TRUE FIGURE"

「かつて、この地は魔の脅威に曝されておった」
 蕩々と老婆は語り始める。
「太古より封印されし魔王アスモデウスが永き眠りから醒め、魔界よりこの地に侵攻を始めたのだ」
「魔王……アスモデウス」
 レオンは呟く。
 その名はクレスからも聞いていた。だが──。
「ただのおとぎ話だと思ってたけど……」
「事実だよ。確かに魔王も魔界も存在していた。つい二十年前までは、ね」
 老婆イレーネは中央広場に設えられたベンチに腰掛け、杖の柄に両手を載せながら物語りをする。
 レオンはその横に座って話を聞く。隣のベンチではクレスとアリシアが並んで座り、クレープを頬張っている。
「各国の精鋭によって一度は魔王の封印に成功したものの、それは充分ではなかった。僅か十数年後に封印は解かれ、魔王は再び地上に害を及ぼし始めた。先の大戦で疲弊した各国は策に窮した。もはやどの国にも魔界へ乗り込むほどの力はなかったのだ。そこで──時のヴァン国王は、触れを出して傭兵や冒険者を広く募り、これをもって魔王討伐を図ろうと試みた。そこに名乗りを上げたのが」
 ──後に、暁の勇士と呼ばれる者たちだった。
「勇士たちは各国の協力を得て魔界に乗り込み、見事に魔王アスモデウスを討ち取って帰還した。英雄として祭り上げられた彼らであったが、後に数人は忽然と姿を眩ましてしまったという。その者たちこそ──」
 ──時を遡りし者たち──。
「なんで、そんなこと知っているんだよ」
「神は総てを御存知なんだよ。私は神の言葉を聞いているだけ」
 そう嘯く老婆に、レオンは憮然とした。
 だが、もし仮に彼女の言うことが真実ならば。
 これまでタイムゲートが使用されたのは、今回の事故を除いて二度。いずれも転送先は。
 ──三百年前の惑星ローク。
「……ここは、ロークなの?」
「おや、懐かしい言葉だね。確かにあの者たちも、この地をそう呼んでいたよ」
 レオンは首を傾げる。
「あの者たちって……その、時間を遡ってきた人のこと?」
「いや、もっと昔の話だよ。魔王を倒した者たちとは会っていない。会うことは神に禁じられていてね」
「神、に……」
 どうしても、その部分で引っかかってしまう。
 レオンは神など信じていない。そんなものの言葉を聞いているというこの老婆のことも、果たして信用に値するのか計りかねている。
 だが、彼女は初対面にも関わらずレオンの素性を言い当てた。時間を遡ってきたなどという到底知り得ない情報を、この老婆は知っていたのだ。
 レオンの心中を察したのか、イレーネはこちらに流し目をくれて。
「神、という言葉が気に食わないのなら、こう言い換えてもいいよ。『上位存在』とね」
「なっ……!」
 レオンは絶句した。
 そういうことを考えたことは、確かにあった。だがそれは……。
「この世が誰かの創作物だとしたって、不思議ではないだろう」
「そ、そんなの、そうだとしたって、わかるわけないじゃないか」
「そうだね。判らない。だから判らなくていいんだよ」
 全部が不思議、それでいいじゃないか──と、イレーネは顎をしゃくって空を眺める。
 天から降り注ぐ光を浴びた老婆の顔は、平生よりも若々しく見えた。
 ──少しだけ、神々しくも。
「……とにかく、ここはロークなんだね」
 納得はしていないが、今は話を進めるのが先だった。
「そうだよ」
 イレーネは素っ気なく返す。
 本当にロークであるなら、元の時間に帰る方法もこの地に残されていないだろうか。
 少しだけ希望が見えてきた──かもしれない。
「その……神様だっけ? そいつはボクが帰る方法を知っていたりしないの?」
 老婆はレオンを見て、それから吹き出すように笑った。
「神はあんたの保護者じゃないんだよ。そんなのは自分で何とかしな」
「何とかしろって言ったって……!」
 顔を赤くして文句を言いかけたが、老婆の言葉に遮られた。
「いいかい。この世は総て偶然でできている。蓋然がいぜんも必然も、畢竟ひっきょうは偶然から生じているのさ。裏を返せば、偶然と思っていたことが実はただの偶然ではなかった──なんてこともあり得るということだよ」
「どういう……意味だよ」
「さあてね」
 困惑するレオンを煙に巻くように、イレーネは隣のベンチに目を向けた。レオンも追及を諦めて同じようにベンチを見る。
 クレスとアリシアは、クレープの端を千切って足許の鳩にやっている。
 偶然がただの偶然ではない、と老婆は言う。
 ならば、この兄妹と出会ったことにも、何か意味が──?
 ──そうだ。この二人は。
「……狙われていた」
「なんだい?」
「昨日ここに来るとき、攫われそうになったんだ。黒いローブの二人組に」
 レオンが説明すると、老婆の表情が険しくなった。
「黒いローブかい。そりゃまた古風な連中だね。大昔にはそんな恰好した馬鹿どもがいたもんだが」
 とっくに滅んだはずなんだがねぇ、と彼女は口許を曲げた。
「あの子たちを狙って……か。何やら良くない感じだね。もし連中がシュドネイ教だとすれば、目的は……」
 と、いきなりイレーネが立ち上がった。クレスとアリシアが気づいてこちらを向く。
「どうしたの、っちゃ?」
「長旅ですっかり草臥くたびれてしまったよ。悪いけどそろそろ宿に戻らせてもらうよ」
 アリシアの頭を撫でながら、老婆は言う。
「オレたち今からオタニムに帰るんだけど、婆っちゃは一緒に行かないの?」
「まだここに用事があってね。悪いけど遠慮させてもらうよ」
 クレスにそう言ってから、レオンの方を振り返る。
「孫たちをよろしく頼むよ。守ってやってくれ」
「……わかってるよ」
 わざと無愛想に返事すると、老婆はニヤリと笑った。
 そして、こちらに歩み寄る。
「私がどうして『暁の勇士』に会えなかったかというとね」
「え?」
 すれ違いざまに、彼女は小声で告げる。
「彼らの中に私の子孫がいたんだよ。血縁者との時を隔てた邂逅を、神は望まなかった」
 レオンは息を呑んだ。
 ──時間遡行そこう者が最も留意すべきこと。
 それは、自らに関係が深い存在との接触。
 安易に接触すれば重大なパラドックスを引き起こし、自身の存在すら否定されかねない──。
「なんで……そんなことまで知って……」
 老婆は小さな背中をすぼめて去っていく。
 時を遡ってきた少年の問いは、白昼の砂煙に紛れて消えていった。

 オタニムまでの乗合馬車が出ていたので、それに乗った。
「なー、婆っちゃとなんの話してたんだよ」
 車内でクレスが聞いてくる。
「別に……大した話じゃないよ」
 上の空で返事をして、窓の外に目をやる。
 流れる景色を見るともなく眺めながら、レオンは老婆の言葉を反芻する。
 魔王を倒したという時間遡行者たち。彼らの中に、老婆の子孫が──。
 レオンは視線を車内に戻す。
 クレスは落ち着きなく他の客を見回している。アリシアはレオンの肩に寄りかかって船を漕いでいた。
 ──老婆の子孫ということは、この二人の子孫ということでもあるのだ。
 それが、狙われている理由なのか?
 だが、そんなことを知っている者が果たして他にいるのだろうか。
 考えられるのは……レオンと同様に時間を遡ってきた者。あるいは──。
 暁の勇士。
 ──いや。
 その考えを、レオンは自ら打ち消す。
 彼らに戦友の先祖を狙う理由などあるはずがない。
 闘いを通じて培われる友情。それがどれほど強固で失いがたいものなのかは、レオンはよく知っていた。
 ならば、やはり他の──。
「…………っ」
 レオンは胸のあたりを押さえる。
 じわり、と嫌な予感が心の底から滲み出てきた。
 もしかしたら、これは。
 ──自分が思っている以上に大事おおごとなのではないか──。

 身体が横に振られた。車が停止して、出入口が開けられる。
 オタニムに着いたらしい。
「やっと外に出られたーっ」
 クレスは車を降りるなり大きく伸びをした。まだ眠そうに目を擦っているアリシアの手を引きながら、レオンも馬車を降りた。
 二人の家に向かっている間も、不吉な予感は頭から離れなかった。
 ──そして、それが。
「たっだいまー」
 ただの杞憂でなかったことを、レオンは知る。
「……って、あれ?」
 先に家へ入ったクレスの声が聞こえなくなった。
 レオンもアリシアを連れて玄関を潜る。
 部屋の入口で立ちつくすクレスの背中が見えた。
 その向こうに──。
「お、か……っ!」
 アリシアが悲鳴を上げた。
 部屋の中央で、母親が椅子に座っていた。
 いや。
 椅子ごと縄で縛られていた。
 背後には黒い人影が数人。そして、椅子の榻背とうはいに手を置いて悠然とこちらを見据えているのは──。
「お帰りなさい、ガキンチョども」
 巫山戯ふざけたように言いながら、無雑作にフードを下ろす。
 赤毛の髪が燃え立つように靡いた。ローブの内側からは豊かな胸が覗いている。
「昨日は楽しかったよ。だから今日は、そのお返し」
 腰の短剣を抜き放って、その女は言った。