■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Side L-6 "CALM DISRUPTED"

 身体を捻ってうつぶせになるのが精一杯だった。
 口には猿轡。手首と足首には縄。
 レオンは縛られて、床に転がされていた。
「昨日はガキンチョと思って油断したけど」
 顎を浮かせて前を見上げる。赤毛の女がこちらを見下ろしていた。紅を差した唇がにんまりと吊り上がる。
「まさか、あんなおっかない呪紋を使うとはねぇ。でも、これじゃあ何もできないだろ。ざまあ見ろだ」
 爪先で額を小突かれる。睨み返すと女は哄笑した。
「やっと捕まえたぜ」
 隣の部屋から男が現れた。黒ローブは纏っていたものの、あの三白眼の男とは違う。背後にも同じような黒ずくめが二人、それぞれクレスとアリシアを抱え込んでいる。
「くそっ、放せ、放せよ、こんちくしょう!」
 クレスが藻掻いているが、抵抗空しく男に腕を締め上げられる。
「鬼ごっこは楽しかったかい、坊や?」
 女が厚塗りの顔をクレスに近づける。クレスは女に唾を吐きかけたが、唾は顔まで届かず床に落ちた。
 女はさらに笑った。甲高い笑い声に混じってアリシアのしゃくり上げる声も聞こえた。
 レオンは歯を食い縛り、腕に渾身の力を込めた。だが手首の縄は少しも緩まない。
 いくら強力な呪紋が使えたところで、腕力は歳相応の子供と変わりない。詠唱する口を塞がれ、呪紋書を取る腕を封じられてしまえば、彼はただの無力な少年に過ぎないのだ。
「連れていきな。暴れるんなら脚の一本くらい折って構わないよ」
 命じられて、男たちは兄妹を抱えたまま玄関へと向かう。
「お母さん! おかっ、さ……!」
 アリシアが男の腕の中で泣き叫ぶ。
「アリシア! クレス!」
 椅子に縛りつけられた母親が、子供の名を絶叫する。
「母さ……っ!」
 母親の方を振り返ったクレスは、男に後頭部を殴られて昏倒する。
「お願い、子供を連れていかないで! 代わりに私が、わたしが……っ!」
「うっせぇ!」
 女は母親ごと椅子を蹴飛ばした。横倒しになった椅子がレオンの目の前を転がる。
「あんたはもう用済みなんだ。何ならここで始末してやってもいいんだよ」
 男たちが家を出た。乱暴に扉が閉められ、後には母親の嗚咽ばかりが残った。
「さて、と。それじゃアタシも退散するけど、その前に」
 女は倒れた椅子と母親を跳び越えて、レオンの前に屈み込む。
「レッサーフェルプールって高価たかく売れんだよねぇ。小遣い稼ぎにこっちも貰っていこうかな」
 抱き上げようとする女に、レオンは身を捩って抵抗した。だが手も足も縛られたままでは逃れられる筈もなく、バランスを崩して逆に女の豊かな胸に顔面から飛び込む具合になってしまった。
「おや、案外積極的なんだねぇ。そういう年頃なのかな。いいわよ、たっぷり堪能しなさい」
 と、女は少年の頭を掴んで谷間に押しつける。香水の匂いと薄い布地越しのふくよかな感触に、レオンはたちまちのぼせ上がる。
「遠慮することないわよ。ほらぁ、こっちもそろそろ元気になってきたんじゃない?」
 陸に揚げられた魚のようにじたばたするレオンを押さえつけ、女は少年の下腹部へと手を忍ばせていく。
「なにさ、まだフニャフニャでやんの。我慢してんの? それとも……まだだったりするのかな?」
 くすくす笑われ、レオンは涙目になって打ち震えた。年頃の少年にとってこの上ない屈辱だったが、文字通り急所を握られていては、ろくに動きも取れない。
「恥ずかしがらなくていいのよぉ。知らないならお姉さんが教えて……ん?」
 いよいよ女がズボンを脱がせにかかったとき、玄関の扉が開いた。
「邪魔するぜ」
 野太い声がして、ドアの隙間からのそりと巨体が入ってくる。
「あぁ?」
 女が手を止める。レオンも首を動かしてそちらを見た。
 褐色の肌に縞模様。逆立つ短髪に毛皮の腰巻き。そして背中の──大剣。
 レオンは目をみはる。
 昨日タトローイの入口で対峙した、あの男だった。
 男は女とレオンの様子を一瞥いちべつすると、歯を見せてニヤリとする。
「もしかして取り込み中だったか? それなら出直すかな」
「手ェ、何を……!」
 女は男の足許を見ている。レオンもようやくそれに気づいた。
 黒ローブの男が蹲っていた。大剣の男に襟首を掴まれたまま、ぐったりしている。
「他の二人も外で仲良く昼寝してるぜ」
 男はそう言うと掴んでいた襟を放した。ローブの男は女の前に倒れ込み、身体を丸めて呻く。
「暴れたから脚を折っておいた。お前の命令だったよな」
「てんめェ……っ!」
 女が腰から短剣を抜いた。
 が、次の瞬間それは女の手から消えた。
 短剣は虚空を切って壁に突き刺さる。
 男は大剣を振り抜いた体勢で立っていた。
 その刹那に、大剣を抜き放って女の剣を弾き飛ばしたのだ。
 ──速い。
「何者だ……手前ェ」
 忌まわしげに睨みつけながら、女が問う。
 男は徐に剣を女に突きつける。
「シウス・ウォーレン」
 そして、言った。
「その名を聞けば、充分だろ」
 女は歯軋りした。
「暁の……勇士か……!」
 ──暁の勇士。
 この世界に蔓延りし魔王を退治した者たち。
 ──この、男が──。
 レオンは身体を起こして、男の方を向いた。
「よう。お前も災難だったな」
 シウス・ウォーレンはそう言うと、レオンの足許めがけて剣を振り下ろす。刃は正確に足首の縄だけを切り裂いた。
「おっと」
 続いて横たわる母親の縄も切ってやろうしたが、女が動きかけたのを察してすかさず切っ先を戻す。
「お前には聞きたいことがあるんだ。大人しくしてろ」
「大人しく答えたら、見逃してくれるんかい?」
 観念したのか、投げやりな調子で女が聞く。
「まあ、考えてやるよ」
「なら答えてやるよ。もうこんな目に遭うのはまっぴらだ。教主も仲間も知ったこっちゃないね」
 言いながら無雑作にローブを脱ぎ捨て、その場に胡座をかいた。ローブの下は下着のような薄い布しか身につけていなかった。
 レオンは自由になった足で立ち上がり、シウスの横についた。男の無骨な腕が伸びて、少年の口を塞いでいた猿轡が外される。
「あ、ありが……とう」
 気後れしたように礼を言うと、剣士は口許だけで笑った。
「腕の縄は後でな。今はこいつで手が離せねぇ」
 そう言って、再び女に目を向ける。
「もう何もしねェよ」
 女は腕を組んで開き直っている。それでもシウスは眼光鋭く牽制する。
 虎のようだ、とレオンは思った。
 猛獣を思わせる目つき。見るからに強靱そうな体躯。そして身体に刻まれた縞模様──。
「さあ聞こうか」
 獲物を油断なく見据えて、虎が尋ねた。
「お前ら一体何者だ」
「魔王を崇拝する教団……らしいよ」
 視線を逸らしながら、女が答える。
「らしい、ってのは何だよ。お前もその一味なんだろ」
「アタシはね、ただのしがない娼婦だったんだよ。ちょっと前までは」
 乱れた赤い髪を煩わしそうに掻き上げてから、女は語り始めた。
「路地で過ごして泥水啜り、男を見れば色目を使う。奈落の底のそのまた底辺、光も射さない闇夜の鷹さ。夢も希望もありゃしない。死にたくないから生きただけ。そんな捨て鉢なアタシに──あの男が声をかけてきた。客かと思ったけど違った」

 ──世界に絶望しているか。
 ──生きていくのが辛いか。
 ──負の意識は凝り固まり、闇へと誘う道標となる。
 ──お前は選ばれたのだ。我らが偉大なる魔王に。
 ──人という業を捨てよ。そして我らと共に往こう。
 ──お前が見限った、この世界を壊そう。

「面白ェ、と思ったよ」
 女のひとみが、にわかに狂気の色を帯びてくる。
「世界を救うとほざく馬鹿どもは山ほどいたけど、世界を壊すなんてのは初めて聞いた。魔王なんて正直どうでもよかった。ただ──壊れた後の世界を見てみたくなった」
 散々アタシを見下してきた世界。
 それを壊して、逆に見下して嘲笑ってやるのさ。ざまあ見ろってな。
 女はそう独白して、乾いた笑い声を上げた。
「けど、いくら経ってもちっとも世界は壊れねぇ。やらされるのはコソ泥みたいな仕事ばかり。おまけに鐚一文びたいちもん貰えやしない。これじゃ道端で花売ってた方がまだマシってもんだ。挙げ句にガキンチョ二匹をにえとして捧げよ、だ。アタシも大概だけど、連中はもっと狂ってるよ」
「贄として捧げる? それであのチビたちを狙っていたのか?」
 シウスが聞くと、女はぞんざいな口調で。
「ああ。あの二人じゃないと駄目だそうだよ。『ファーレンスの子を贄として捧げたとき、我らが魔王は甦る』だそうだ」
 そんなことで甦るワケないだろうに──と女は呆れて首を振る。
 だが、シウスは。
「……なぜ、そのことを……」
 顔を強張らせて、そう呟いた。
 女は怪訝な顔をする。
「まさか、本当に……?」
 言いかけて、こちらも固まった。
 そして、にんまりと笑う。口許に不吉な紅い三日月が浮かんだ。
「そういや、アンタも暁の勇士だったね」
 シウスが息を呑む。
「お前らの……ボスは……」
「アンタの知ってる奴かもね」
 その言葉にシウスが狼狽を見せる。
 ほんの僅かな、その間隙を突いて──。
 女が動いた。
「──っ!」
 床に落とした自分のローブを掴んで、シウスに投げつけた。
 シウスは顔に張りつく黒い布を払い退ける。
 女は既に部屋の隅に移動していた。壁に刺さった短剣を抜いて──。
 こちらに、投げつけた。
 レオンは思わず尻餅をついて目を瞑る。
 肩口を風が抜けた。そして、すぐ背後から呻き声。
 はっとして振り返る。
 背後には椅子に縛られたままの母親。その脇腹に──。
 短剣が突き立っていた。
「おば、さ……っ!」
 レオンは叫びかけたが、衝撃が勝って息が詰まった。
 立て続けに背後から甲高い音がした。
 振り向くと女の姿がない。代わりに硝子の填め込まれた格子窓が破られていた。
 窓の向こうは──日射しの降り注ぐ庭。
「しまった! 外にはチビどもが!」
 シウスが玄関から飛び出す。レオンも後を追おうと駆け出して──転んだ。腕がまだ縛られたままだということを忘れていた。
 膝をついて起き上がったとき、窓の向こうから少女の悲鳴が上がった。
「アリシア?」
 レオンは慌てて破れた窓に駆け寄る。
 小さな花壇の先に赤毛の女の背中が見えた。その奥に広がる森へと逃げ込もうとしている。
 女は──少女を脇に抱えていた。
 泣いている。
 青い髪を振り乱し、こちらに手を伸ばしている。
 助けたい。助けなければ。
 けれど、今の自分には──。
「あ、アリシアぁっ!」
 横からクレスの声が聞こえる。姿は見えない。
 女は森の手前でいったん止まり、こちらを向く。
「パージ神殿に来い!」
 そして、叫んだ。
「そっちのガキを連れて明朝までに来るんだ。日が昇るまでに来ないとメスガキは殺す!」
 シウスが怒号を上げて走ってきた。女はすぐさま背を向けて森に入る。
 女の姿は木立の陰に消えた。後を追ったシウスも見失ったらしく、茂みに数歩分け入ったところで足を止めた。
 レオンは茫然と立ちつくす。
 頭が眩々くらくらする。景色はやけに白んでいて、目を開けていられないほど眩しかった。
 それでも聴覚だけは明瞭で。
 ざわざわと、さざなみのような葉擦れの音ばかりが、耳についた。

「俺は、チビたちをずっと見張っていた」
 机に置いた自分の拳を眺めながら、シウスは言う。
 レオンは向かいに座って話を聞いている。
 黒ローブの男たちを自警団に引き渡し、連中によって乱された家もできる限り元通りにした。あまり落ち着いてもいられないが、今後のことを考える時間が彼らには必要だった。
 クレスは妹を攫われた直後はひどく取り乱していたが、今はどうにか落ち着いて、隣の寝室で寝込む母親に添っている。母親の傷は幸い致命傷には至っておらず、シウスの応急処置の甲斐もあって血もそれほど流れずに済んだ。
 最初にレオンが素性を明かした。彼が暁の勇士であるなら隠しておいても意味はないと判断したのだ。案の定、シウスはさほど驚くことなく事情を呑み込んだ。
 そして今度は、シウスが目的を明かす。
 仲間と別れた後、彼はずっとファーレンスの先祖を捜していたのだという。
「やっとのことでこの家を捜し当てたのが十五年ほど前。数年後にクレスが生まれて、それからはほとんど付きっきりで張り込んだ。子供ガキの方が狙われる危険は高いだろうからな」
「『暁の勇士』の先祖を守るため?」
 レオンが聞くと、シウスは頷く。
「それがロニキスとの約束だった」
 瞳を細めて、かつての勇士は語った。

 クロードの父──ロニキスは、惑星ロークに蔓延したウィルスの宿主ホストを求めて三百年前のロークへと渡った。
 同行者はロニキスの副官イリア。それと──ローク人の若者二人。
 ラティクス・ファーレンスと、ミリー・キリート。
 彼らは宿主が魔王アスモデウスであることを突き止め、現地で出会った仲間と共にこれを討伐した。
 シウス・ウォーレンも彼らに協力した一人であった。時代も住む星も違っていたが、彼らとは固い絆で結ばれていた──とシウスは述懐する。
 その気持ちはレオンにもよく判った。
「魔王を倒した後、俺たちはロニキスに頼まれて三百年後に行った。何とか言う悪の親玉を倒すのに俺たちの力が必要だって言われてな。あいつらの頼みなら断るわけにはいかないからな。目一杯暴れてやったぜ」
 惑星ファーゲットにおけるジエ・リヴォース討伐作戦は、要するに少数精鋭による攻略だったようだ。結局はそんなものかとレオンは思う。
「親玉を倒して三百年前に戻ろうというとき、俺はロニキスに呼ばれた。他の奴らには内緒だと釘を差してから、ロニキスは言った」

 君達の時代において、我々は多大な影響を与えてしまった。
 いずれ我々の存在は伝説となり、単なる御伽話として語られることになるだろうが──それには時間を要する。少なくとも君達が存命の間は、我々の存在も『事実』のままだ。
 もし、その間に誰かが我々の正体を知ってしまったら──。
 良からぬ企みを抱く者が、それを利用して『事実』を覆そうとするやもしれん。
 君達の時代には、ラティやミリーの先祖がいる。彼らが狙われ、殺されるようなことがあれば、ラティ達は存在しなかったことになってしまう。
 そして我々と出会うこともなく──魔王も倒されることもなく──。
 重大なパラドックスがそこに生じてしまうのだ。
 だから、どうか──守ってほしい。
 我々が『伝説』となる、その時まで。
 ラティ達の──先祖を──。

「ロニキスが危惧した通りになっちまったわけだ」
 机上の拳を固めて、壮年の戦士は言う。
「一体どこから、あの事実が洩れたのか……知ってるのは仲間だけのはずなんだが」
「それなら、やっぱり……」
「そんなはずはねぇ!」
 シウスは机を叩いた。振動が床に伝わり、足裏をくすぐる。
「あいつらが、そんなことするはずねぇ……」
 こめかみに血管を浮かせながら、虎のような男は怒っている。
 それは仲間に向けたものというより──仲間を疑ってしまった自分に対する怒りなのだろう。
 あるいは、あの女に揺さぶりをかけられ、まんまと隙を作ってしまったことを悔いているのかもしれない。
「とにかく、アリシアを助けないと」
 レオンは席を立った。
「パージ神殿まではどのくらいかかるの?」
「家の脇に黒ローブどもが使ってたバーニィが残ってる。それに乗って行けば──五、六時間と言ったところか」
 シウスも席を立った。
 そこへクレスがやって来た。腫れぼったい眼で、真っ直ぐ見つめてくる。
「オレも行くよ。準備はできてる」
 腰には木製の剣が下がっていた。
「だが、お前は……」
「オレを連れていくのが条件なんだろ。だったら行くさ。オレだって」
 アリシアを助けたいんだ──と下を向いて言う。
 床に滴がぽたりと落ちた。
 妹を守れなかったことを、また悔いているのだろう。
「みんなで行こう」
 レオンは言った。
「パラドックスとか、世界の危機とか、そんなのどうでもいい。みんなでアリシアを──助けに行こう」
 破れた窓から、外を見る。
 黄金色に輝く世界が、そこにあった。
 まもなく──日が沈む。

 長い夜が始まろうとしていた。