■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Side C-8 "The incarnation of devil"

「ビーム発射ぁっ!」
 プリシスが威勢よく腕を振り上げた。
 隣の球体ロボ──無人くんが大口を開け、部屋の中央めがけて光の束を吐き出す。
 ビームは瞬時に巨大なかめを粉砕した。土器かわらけの破片や燃えさしの木材が周囲に飛散する。
「レオン!」
 部屋の隅で倒れている白衣の少年を見つけて、クロードは駆け寄った。
「大丈夫か」
「大丈夫……に、見える?」
 レオンは顔を上げて恨めしげにクロードを睨んだ。白衣は所々焦げ、右腕は氷漬けにされ、頭の上の耳からは血が垂れて髪を汚している。
「ちょ、あんた……!」
 後から来たプリシスがその姿を見て驚く。
「ホントに……遅いよ、二人とも。どこで油売ってたんだよ」
 憎まれ口を叩く程度には大丈夫なようだ。プリシスもクロードの陰でそっと胸を撫で下ろしている。
「レナ、怪我の手当てを」
 抱えていた『レナちゃんmkⅢマークスリー』をレオンの横に立たせる。人形は再び動き出して呪紋を唱えた。
〈フェアリーヒール!〉
 光の粒が降り注ぎ、レオンの傷を癒やしていく。
 治療が終わった頃に背後で爆発が起きた。
 振り返ると、部屋の中央でシウスが有翼の青年と対峙している。
「あいつが……ハビエルか」
 最初に放ったビームはあの男に狙いを定めたのだが、どうやら躱されていたらしい。ただ、服の裾や翼の端には焦げたような痕も窺えた。多少は掠ったのかもしれない。
 クロードはライトを拡散モードにして壁際に置いた。篝火かがりびの焚かれた大甕おおがめは壊してしまったが、部屋はさほど広くないからこの光源だけでも充分だろう。
「レオン、まだ闘えそうか?」
 立ち上がって耳の出血具合を確認しているレオンに、クロードが尋ねる。
「うん……。ていうか、お兄ちゃんたち状況わかってるの?」
「大まかな事情はイレーネさんから聞いてるよ。あの占い師のお婆さん」
 彼女に会ったことを告げると、レオンは渋い顔をした。
「大活躍だったそうじゃないか」
「茶化さないでよ。巻き込まれただけだって」
 勘弁してほしいよ、と口を尖らせたが、頬が仄かに赤くなっているのをクロードは見逃さない。
「ま、乗りかかったナントカだからさ。魔王の復活とか世界の崩壊とか無駄にスケールでかい話になってるし。だったらボクが何とかするしかないじゃない」
「世界を救った実績もあるしな」
 クロードが請け合うと、まあね、とレオンはそっぽを向く。膨れっ面なのは照れ隠しだろう。
「でも、あんただけじゃ、むーり」
 一方、プリシスは腰に手を当てて怒っていた。
「ガキのくせして一人で突っ走ってんじゃないよ。心配……はしてなかったけど、仲間としてちょっとは気になってたっていうか」
「要するに心配していたよ。プリシスも僕も」
 だから心配してないっ、とプリシスが抗議したがクロードは受け流した。
 そして、踵を返す。
 部屋の中央では、シウスとハビエルが刃を交えていた。
「それじゃあ、また世界を救うとしますか」
 冗談めかして言うと、ジャケットの隠しからビームサーベルを取り出す。
「レオンは僕とシウスさんのサポートを。プリシスは祭壇の子供を助けて、こっちに連れてきて。……ああ、向こうにいる男の子もね」
 青い髪の少年──クレスは反対側の壁際で立往生していた。
「それじゃあレナ、行ってくるよ」
〈気をつけてね〉
 人形レナはちゃっかり入口近くの壁際に避難していた。当然のように挨拶を交わす青年を、プリシスは憐れみの目で眺める。
「えっと……お兄ちゃん」
 呼ばれてクロードは振り向く。
 レオンは俯き加減のまま、気恥ずかしそうに言った。
「……来てくれてありがとう。……お姉ちゃんも」
「あーもう。ガキのくせして礼なんて言うなっ。聞~き~た~く~な~い!」
 喚き散らしながらプリシスは走り去っていった。
「……どっちがガキなんだか」
 レオンが口を尖らせる。
「どっちも子供だよ」
 クロードは肩を竦めた。
「さて、行くか!」
 ビームサーベルのスイッチを入れる。
 空気を裂くような音を立てて、光の刃が伸びた。
 剣を握るのは久々だった。だが。
 試しに素振りをする。
 ──悪くない。
 既に体に染みついているのだ。
「昔取った何とやら……っていうほど昔でもないか」
 独りごちてから、駆け出した。
 再び──戦場へと。
「シウスさん」
 声を掛けるとシウスは身構えたまま、ぎょろりと目玉だけ動かしてこちらを見た。
 こうして見ると、やはりこの男も生粋の戦士だと感じる。
「チビは無事だったか」
「ええ。そちらは」
「どうにもやりにくいぜ。見た目が昔のヨシュアそっくりだからな。仲間と刃を交えてるみたいで気ぃ悪いったらありゃしねぇ」
 クロードは顔を上げた。
 ハビエルは空中に浮いていた。翼はただの飾りというわけではなかったようだ。
 片手には、稲妻を象ったようないびつな形のロッドを携えている。
「武器……持っていたんですね」
「何にもないところから出してきやがったぜ。まるで魔法だな」
 シウスが言う。
「なに。これも魔王の『意志』の賜物ですよ」
 美貌の青年は、上空で厳かに両腕を広げている。
 それは優美であり──妖艶でもあった。女性が見れば魂までも奪われかねないほどに。
「内に宿りし『意志』から、わたしは無尽蔵に魔力を引き出すことができる。素晴らしい力ですよ」
「魔力……か」
 相変わらず、クロードの理解できない話ばかりだった。
 もしかして、ここは本当に別次元の幻想世界ファンタジーなのではないか──そんな他愛ない錯覚すら実感を帯びてくる。
 ──でも。
 それならそれで、構わないか。
「何だっていいさ」
 光の剣を突き出して、見得を切る。
「そっちが魔王なら、こっちは『光の勇者様』だッ」
 こういうのも、たまには悪くない。
「ゆ、勇者ぁ?」
 隣でシウスが唖然としていたが、気にせずクロードは台詞を吐く。
「世界に仇なす魔王め、この勇者クロードが成敗してくれるッ」
 学芸会並みの大根演技なのはやむを得ないか。隣のシウスは完全に白けている。
「わたしは……魔王ではないのですが」
 ハビエルも最初は困惑していたが、途中でフッと笑って。
「まあ良いでしょう。どこの勇者か存じませんが、魔王に成り代わりお相手して差し上げますよ」
 両手を上げ、高らかに応じてみせた。
「なんであっちまで乗ってくるんだよっ」
 乗り損ねたシウスはひとり頭を抱える。
「シウスさん、行きますよ」
「ああもう、勝手にやってろ馬鹿っ」
 投げ遣りに応じる剣士を後目に、勇者は真顔で剣を構えた。
 微妙な空気を醸しつつも──闘いは始まった。
 クロードが跳躍して上空のハビエルに斬りかかる。ハビエルはロッドを振り下ろしてそれを弾き返した。細腕からは信じられないほどの力だった。
 壁まで吹き飛ばされたが、その壁を足場にして再び敵の許に飛び込む。
 迎え打つハビエルは火球を放った。クロードは左拳を固めて気功で火球を弾き飛ばす。そしてそのまま突っ込んだ。
 細身の身体めがけて剣を一閃したが、寸前で降下して躱された。
 そこを狙ってレオンがブラックセイバーを放つ。だがこれも再び宙に舞って避けられた。
「もらったぁ!」
 間隙を縫ってシウスが仕掛けた。跳躍して大剣を豪快に降り抜くが、ハビエルはそれを嘲笑うかのように空中で転回した。
 虚空を切る刃の僅か上で、魔王の使いは逆様さかさまのまま指を突き出した。
「うぉっ!」
 指先から電撃が放たれ、シウスが撃たれる。
「シウスさん!」
 辛うじて地面に着地する剣士のところへクロードが駆け寄る。
「心配要らねぇ。ちっとばかし痺れただけだ」
 褐色の皮膚には焦げ痕が斑点のように浮いていた。
「あの詠唱なしの術は厄介だな。空も飛べるし、まるで隙が見当たらねぇ」
「そうですね……」
 それでも、どこかで隙を突かなくては。
 思案していると、シウスの視線に気づいた。笑みを浮かべたままこちらを見ている。
「何か?」
「ああ。思ったよりもやるな、と思ってな。確かに勇者を名乗るだけのことはある」
「いや、その……もういいですよ、それ」
 クロードは鼻の頭を掻いて目を逸らす。
「だけど、まだ本気じゃねぇな」
 再び彼を見ると、シウスは真顔になっていた。
「俺の見込み違いなら悪いが……もしそうなら躊躇している場合じゃねぇぜ。手加減して勝てる相手じゃない」
「それは……」
 確かに、力を抜いている。
 いや……抜けてしまっている。無意識に。
 原因は──判っていた。
「魔王の傀儡でも……中身は人間ですよね」
 そう。相手は生身の人間だ。
 手強くはあるが、怪物に変身する訳でも常人離れした力を持っている訳でもない。そこの部分で、どうしても──割り切れずにいるのだ。
「どうにかして『魔王』の部分だけ退治することは……できないんでしょうか」
「……気持ちはわかるが」
 低い声でシウスが答える。
「無理だと思うぜ。見たところ、奴の精神は魔王そのものだ。憑依とか同調とか、そういうのでもなさそうだ。あいつを構成している一部分に、『魔王』はすっかり填っちまってる。内臓を抉られて生きている人間は……いないだろう」
 彼の中の『魔王』を消すという行為は、内臓を抉り取るのと同義──ということか。
「まぁ、あんまり気にすんな。つっても言い出したのは俺か」
 シウスは明け透けに笑い飛ばす。クロードも形だけ笑って同意した。
 そこへ再び電撃が飛んできた。二人は左右に散って躱す。
 たとえ気が乗らなくても、戦場では闘わなくてはならない。
 生き残るために。そして──守るために。
 祭壇の方に目を遣る。
 プリシスが、石の台に寝かせられていた少女を抱き起こしていた。横には青い髪の少年の姿もある。
 背中に幼い少女を担いでから、プリシスはこちらに向けて「マル」のサインを送った。
 無事だということだろう。
「あっちも大丈夫みたいだな」
 シウスもそれを見ていたようだ。安堵した表情を浮かべている。
「そんじゃ、もうひと頑張りするか」
「ええ」
 相槌を打つクロードの腕と脚に、力が漲る。
 レオンが補助呪紋──グロースとヘイストを掛けたのだ。
 気合いを発して、クロードたちは再び攻勢に出た。
 数段速く動けるようになったが、それでものらりくらりと躱されてしまう。そして矢継ぎ早に放たれる魔術。こちらもまともに食らうことはなかったものの、体力はじわじわと削られていく。
 粘り強く攻撃を仕掛けて相手の疲弊を待った。しかしハビエルの動きは鈍らない。魔力は無尽蔵なのだ。そうしているうちにこちらの動きが鈍ってくる。
 ──三対一で、これか。
 渾身の力で繰り出した吼竜破が簡単に避けられる。
 クロードは息を切らせながら周囲を見回した。
 シウスは傷ついている。火傷と凍傷と切り傷が身体中に刻まれていた。
 レオンは額を手で押さえてふらついている。かなりの精神力を消耗しているはずだ。
 プリシスは未だ目覚めない少女を担いだまま少年を守っている。この兄妹は常に狙われているから油断はできない。
 とりあえず、子供たちだけでも避難させて──。
 そう思いついてプリシスに声を掛けようとしたとき、突如部屋の門扉がひとりでに閉じた。
「逃がしませんよ」
 空中のハビエルが手を突き出したまま冷笑する。彼の仕業か。
「戯れはこのあたりにしておきましょうか。この世界もたっぷりたのしんだことですし、そろそろ……終わらせることにしましょう」
 祭壇へと移動して、棍を高々と翳した。
 ──まずい。
 それを邪魔しようとクロードは駆けた。しかし間に合わなかった。
 棍の先端から冷気が真上に放たれた。
 天井の一部がたちまち凍りつき、巨大な氷塊が張りついた。そして氷塊の表面に無数の氷柱つららが生じる。
 氷柱は針のように鋭く尖っていた。それは巨大な針鼠を思わせた。
 その針が、いっせいに。
 落ちてきた。──いや。
 ──こちらに向けて飛んできた。
 幾千もの氷の矢となって降り注いだ。
「うわあぁっ!」
 頭を抱えて、飛んできた氷柱を躱す。背後のレオンは防護呪文プロテクションで防いでいる。
「そっちは……!」
 振り返ってから、絶句した。
 プリシスと子供たちがいた辺りに、大量の氷の矢が降り注いでいる。
 ──しまった。
 こちらへの攻撃は牽制に過ぎない。標的は──向こうだ。
 なおも降り続く氷の驟雨しゅううに、クロードは為す術もなく立ちつくす。床に落ちて砕かれた氷の欠片が飛散して、氷霧のように視界を遮っている。
 プリシスは。
 子供たちは──!

 ようやく攻撃が止んだ。
 クロードは刮目する。
 立ちこめた氷霧が徐々に薄れ、人影が──覗く。
 大きな──影が。
「シウス……さん」
 壮年の剣士が、身体を屈めていた。
 プリシスと子供たちに覆い被さるようにして。
 広い背中には、夥しい数の氷が突き刺さっていた。
「おっちゃん……」
 プリシスが一歩引いた。少年も慌てて離れる。
「誰がおっちゃん、だ……こら……」
 シウスが膝を折る。そしてプリシスたちを順繰りに見て。
「無事、の……ようだ、な」
 笑みを浮かべると、横ざまに倒れた。
「シウスさん!」
 クロードが駆けつけた。
 剣士の背中は──血塗れだった。
 プリシスが壁際から『レナちゃんmkⅢマークスリー』を持ってきた。すぐに回復呪紋を掛けさせる。
 刺さっていた氷は溶けたが、傷はなかなか癒えなかった。
「呪紋では追いつかない……出血も酷いし、このままじゃ」
 命に関わる。
 一刻も早く街に運ばなければ──。
「……おじさん」
 振り返ると、レオンも来ていた。地面に伏した痛々しい背中をじっと眺めている。
 放心しているようにも見えたが、不意に。
「お兄ちゃん」
 こちらを向いた。
 クロードははっとする。
 レオンは──怒っていた。
 肩を震わせ、表情を殺しながらも、静かに──熾烈に怒っていた。
「時間稼ぎをお願い。できるだけあいつを引きつけておいて」
 感情を抑えているせいか、声色は微かに震えている。
「呪紋……だな」
 応えはなかったが、そういうことだろう。
 少年から漲る気魄きはくに気圧されながらも、続けて尋ねる。
「どのくらい稼げばいい?」
「五分」
「五分?」
 長い。
 それほど時間のかかる詠唱ということは──。
「のんびり闘ってる時間はないんだろ。一気にカタをつけるよ」
 焦れるように言うと、レオンはもう一度シウスに視線を向けた。
 ──彼の命を、助けるために。
「……わかった」
 その決意を、クロードは受け止めた。
 そして振り返りざま叫んだ。
「空破斬ッ!」
 正面のハビエルめがけて衝撃破を飛ばした。ハビエルは空中に飛び上がって逃れる。
 その隙にクロードはプリシスに言った。
「無人くんで扉を破ってくれ。脱出口を確保したら、シウスさんと子供たちを部屋の外に」
「あ……うん、りょーかい」
 レオンの様子に気を取られていたプリシスは慌てて返事をして、行動を開始した。
「レオン、いいな?」
 最後に確認すると、少年術師は神妙に頷いた。
 そして詠唱を始める。
 クロードは部屋の中央に浮遊するハビエルを見遣った。
 ──迷いは、捨てる。
 元から闘いに大義などないのだ。あるのは。
 生き残るか──滅びるか。
「中々にしぶといですね。悪足掻きも大概に……っ!」
 ハビエルの言葉を待たずして、クロードは敵の懐に潜り込んだ。
「双破斬!」
 振り上げた剣は躱されたが、返し刀がローブの裾を裂いた。
 初めて攻撃が当たった。
 ハビエルの反撃は棍の一振り。クロードはそれを左腕一本で防いだ。真下に突き飛ばされたが、歯を食い縛り強引に両足で着地する。
 続けざまに放たれた電撃を横っ飛びで回避する。そしてハビエルの後方に回り込む。
 ──今だ。
 相手の死角から、クロードは振りかぶってビームサーベルを投げつけた。
 唸りを上げて飛び込んできた光の剣に、さしものハビエルも動揺を見せた。間一髪、天井近くまで上昇して躱したが、クロードがさらに追い打ちをかける。
 高々と跳躍して背後を取った。拳を固め、そこに闘気を集約させる。
「バーストナックル!」
 背中めがけて拳を繰り出した。
 ハビエルは身を捩って回避しようとしたが、背中から突き出た大きな翼が仇となった。灼熱の闘気が背後を掠め、右の翼を灼き焦がした。
「ぐあぁ!」
 片翼を傷めた青年はバランスを崩し落下していく。そして大甕おおがめの破片の中に墜落した。
 クロードは着地してからハビエルを見る。
 彼は瓦礫の上で蹲ったまま呻いていた。翼が痛むのか、それとも落ちた際にどこかを傷めたのか。いずれにしてもしばらくは時間が稼げそうだ。
 投げた剣を取りに行こうと振り向いたとき、入口近くで轟音が鳴り響いた。
 プリシスが無人くんを使って扉を壊したのだ。
 これでシウスと子供たちを避難させれば──。
 一息ついて、ふと横を見た。
 そしてすぐに息を呑む。
 横たわるシウスの傍らに座り込む少年。その背後から。
 黒いローブを羽織った女が忍び寄っている。
 その手には、光の剣──ビームサーベルが。
「プリシス!」
 叫びながらクロードは駆け出した。
 女は少年の目前まで来ている。間に合わない。プリシスもようやくそれに気づいた。
 少年は振り返り、慌てて逃げ出そうとしたが足が縺れて転んだ。尻餅をついて、青ざめた顔で女を見上げる。
「はーい。チェックメイトぉ」
 女が嗤い、剣を振り上げた。そしてさらに一歩踏み出して──。
 がたっ。
「……ん?」
 女の足許で、鈍い音がした。
 何か硬いものを踏んだらしい。
「なによ、この丸っこいのは」
 鬱陶しそうに女が靴先で小突いたとき──それは作動した。
〈レイ!〉
 地面から光線が放たれ、女の鼻先でどかんと爆ぜる。
「は……へ?」
 何が起こったのか理解することなく、黒焦げになった彼女は煙を吐いて倒れた。
〈思ったより弱かったわね〉
 その傍らで、人形レナは得意気(?)にポーズを決めてみせた。
「……ああ、やっぱりレナだ……」
 往年の彼女そのままの姿(?)に、クロードは涙を滲ませる。
「くっ。どうにも邪魔が多くて、かないませんね……」
 ハビエルの声がした。
 振り返ると、棍を支えにして立ち上がろうとしている。
「あと少し、その子供さえ殺せば……」
 少年に向けて腕を突き出したが、その前にクロードが立ち塞がる。
「殺させないよ。魔王も復活しない」
「退きなさい。わたしは、わたしは『意志』の……」
「そんなもの、意志なんかじゃない」
 静かに見据えながら、クロードは言った。
「滅んだモノに意志などない。もし魔王の何かがあんたに宿っているのだとすれば、それは意志なんかじゃなくて……ただの『妄執』だ」
「妄執……だと?」
 ハビエルが困惑した表情を見せた。
 片翼は熱によって折れ曲がり、長い金髪も豪奢なローブも、煤と埃に塗れている。
 さながら──堕天使のように。
「ならば、わたしは……わたしという存在は……」
 喘ぐように譫言を洩らすハビエル。
 その姿に、クロードは少しだけ憐れみを覚える。
 この青年は──この世に生を受けたその時から、別の意志によって突き動かされていた。
 それはひとつの不幸であったのだろう。けれども、見方を変えれば。
 ──これ以上ない幸福であったのかもしれない──。
「醒めない方がいい夢というのも……あるのかもしれないな」
 クロードは呟いた。
 そして、振り向く。
かえる……時間だ」
 水色の髪の少年が──詠唱を終えた。
 瞑目していた両眼をきっと見開く。
 爛々と輝く双眸そうぼうに宿るは、沸々とした怒りと。
 ──意志。
 そう。これこそが。
 本物の『意志』だ──。

「エクスティンクション!」

 部屋が白熱した。
 その場の総てが光に包まれる。
 クロードは倒れかけたレオンを抱きさらって、入口へと駆ける。
 プリシスたちの避難は完了している。そのまま一気に破れた扉を潜った。
 地面が激しく揺れる。それから背中に熱を感じた。太陽に照らされているような熱さだった。
「脱出するぞ!」
 通路の脇にいたプリシスに向かって叫んだとき、激しい地鳴りが起きた。腹の底に響く重々しい音は──天井の崩落か。部屋の様子が気になったが、振り返る余裕はなかった。
 レオンを抱えたまま、クロードは廊下を走る。
 遠ざかる轟音。その合間に聞こえた男の叫声は、空耳か。
 それとも。
 ──断末魔──だったのだろうか──。

 神殿を出ると、夜が明けていた。
 建物自体の崩壊を予感して一気に外まで逃げてきたが、どうやら一部屋潰れただけで済んだらしい。
 曙光しょこうを浴びて、巨大な神殿は輝いている。暗闇の中では禍々しくも感じたものだが、今はその名に相応しい清浄さを放っている。
 ──神殿とは、そういうものなのだろう。
 闇があるから光が輝ける。忌まわしいものを内包しているからこそ、神聖さが引き立つのだ。
「……ん……」
 日の光に擽られたか、少女が目を覚ました。
「ここ……?」
「もうだいじょぶ、だよ」
 プリシスが屈んで少女を降ろす。少女は目を擦りつつ辺りを見回し、兄の姿を見つけると笑顔になった。
 そして、クロードの背中のレオンに気づく。
「レオン、どうしたの?」
 心配そうに覗き込む少女の頭を撫でて、クロードは言う。
「眠っているだけだよ。大きな呪紋を使ったからしばらくは目覚めないだろうけど」
 それよりも、今は。
 クロードはシウスに視線を向ける。
 プリシスが持っていた布切れ(タイムゲートの管理者を脅したとき使ったものだ)で即席の担架を作り、どうにかここまで運んできたが──。
 担架の上の剣士の息は浅い。顔からも血の気が引いている。
 ここから街までは、どれほど急いでも数時間はかかる。
 ──間に合わないか──。
「……降ろしてくれ」
 シウスが言った。弱々しくはあったが、よく透る声だった。
「しかし……」
「チビ共に言いたいことがあるんだ。今のうちに言わねぇと……後悔しそうだからな」
 クロードは逡巡したが、結局担架を降ろすことにした。もう片方の端を持っていた無人くんにも命じて降ろさせる。
「よう。こうしてちゃんと話をするのは……初めてか」
 担架の脇に並んで座る兄妹に、シウスは声を掛ける。
「お前らを守るのが俺の役目だったが……どうやら、これ以上は無理みたいだ……」
 そう言ってから、すまねぇなロニキス──と、天に向かって呟いた。
 クロードは唇を噛みしめる。
「いいか、よく聞け。これからは……自分で自分の身を守るんだ。強くなれ。お前らを狙う馬鹿どもを蹴散らせるくらい……強くなるんだ。そして必ず……生き残れ。それがお前らの役目だ」
 少年は真剣に話を聞いている。
 シウスは手を伸ばして、青い髪に触れる。
「……ラティ」
 そうして、その名を呼んだ。
 少年の子孫の名を。
 彼にとって、唯一無二の親友の名を。
「二十一年前で……待ってる……ぜ」
 指が髪から離れる。
 それきり、彼は──動かなくなった。
「シウスさん……!」
 クロードがギュッと目を瞑り、涙の粒が零れ落ちた。
 ──そのとき。

〈レイズデッド!〉

「えっ」
「え?」
「え」
 彼らの視線が、少女の手許に注がれる。
 少女は人形を──『レナちゃんmkⅢマークスリー』を抱えていた。
 突き上げた金属の腕から柔らかな光が放たれて。
 剣士の身体を包み込む──。
「あ……れ?」
 シウスが目を醒ました。
 身体を起こし、茫然と彼らを見渡す。
 クロードたちも彼を見た。

 ……沈黙。

「さ、さすがあたしの作ったロボットだよ。あはは……」
 慌てて取り繕ったプリシスだったが、笑顔は引きつっていた。
「と、とにかく生き返って……よかった、ですね……」
 クロードは言いながら、そっと目を逸らす。
「お、おう……」
 シウスもばつの悪そうに横を向く。

 そんな気まずい空気が漂っていることも露知らず。

 レオンは、澄ました顔で寝息を立てていた──。