■ 時を進める者 (『レオンアンソロジー3 D・S Orbis』より )

 どこかで見た夢を見た。
 夢の中では夢だと認識できないはずなのに、そのときは夢だとわかっていて。
 そして、それがかつて見た夢の続きなんだと気がついて。
 それでも夢だと気がついていないふりをして。
 夢の中で、夢の自分を演じていたら。
 実はそれが現実なんだという──悪夢だった。


 鈍い頭痛と吐き気の中で、レオンは目を覚ました。
 乾いた砂の感触と、匂い。軽くき込みながら、ざらざらした地面に手をついて身体を起こす。
 広々とした、古い倉庫のような場所だった。幾本いくほんもの無骨ぶこつな鉄柱とはりが高い屋根を支え、壁の小窓からは明かりが射し込んでいた。
 ここは……どこ?
 まだぼうっとする頭を掌底しょうていで叩きながら、記憶をさかのぼる。
 ──そう。自分は。
 地球で開催される、銀河紋章術フォーラムというのに招かれ、登壇した。
 それが終わってホテルに帰ろうとしたとき、いきなり後ろから押し倒され、布きれを口に押し当てられて。
 えた臭いがしたと同時に意識が遠のいて──。
「お加減はいかがですか?」
 死角から声がした。
 振り向くと、少し離れた場所に声の主がいた。
「誓約により原始的な手法を採ってしまいましたが……やはりスマートではありませんでしたね。お互い負担が大きい」
 細身の……男か。薄く笑みを浮かべながらこちらを見ている。
「あんたは……」
 喉に絡んだ声で、レオンは尋ねた。それから男をつぶさに見る。
 面長おもながの顔に涼しげな目元。短く切り揃えた黒髪は光の加減で濃緑にも見える。綿地めんじのシャツに黒いコートを羽織り、木箱に腰掛けながらこちらを見据えている。
AHMアームのリーダー……と言えば、お判りいただけますか」
「アーム? ……ああ」
 AHM──反紋章術運動。紋章術を悪魔の技術であると非難し、その研究を妨害している団体が地球にあるという。
 フォーラムでレオンが登壇したときも、客席の後方で何やら騒いで強制退席となった一団がいたが……たぶんあれがAHMだったのだろう。
 その団体のリーダーが、目の前にいるということは。
「ボクなんて誘拐しても、何にもならないって」
 レオンは地面に座り直し、深々と溜息ためいきをつく。
 そして、ようやくくびに違和感があるのに気づいた。
 指で触れてみる。硬い金属の感触。首許くびもとからは鎖が伸びて、数歩先の鉄柱に繋がれている。
 ──首輪。
「……何だよ、これ」
「気紛れな子猫を逃がさないための措置ですよ」
「どっかの変態みたいなこと言うなっ!」
 叫んでから脱力して、もう一度嘆息たんそくする。
「それに、その首輪にはサイレンスの紋章が刻んであります。身につけている限り紋章術は使用できませんよ」
 男の忠告にレオンは鼻を鳴らし、腕を組む。どうやら簡単には逃げられそうもない。
「反紋章術のくせに、自分では紋章術を利用するんだね」
 牽制けんせいの意味も込めて、レオンは言葉を返した。
「こうした自然発生的な紋章ならば、我々も認めているし利用もします。我々が危険視しているのは、人工的に作られた紋章です」
「人工的って……紋章は最初から人間が作ったものじゃないか」
「そうですね。正確な言い方をするなら、紋章を科学するという行為を我々はとがめているのです」
 紋章を──科学する?
「今日はそのあたりの見解をレオン博士に伺いたい。回答によっては」
 コートの隠しから何かを取り出して、こちらに向ける。
 破裂音。同時に、頬の横の空気が切り裂かれた。
 男が掲げていたのは──鉄の拳銃。銃口から煙が上っている。
「ここは大昔、テロリストのアジトだったようですね。この武器や拘束こうそく具も、恐らく彼らが当時使っていたものでしょうか」
 銃を手許てもとに戻して眺めながら、男は言う。
「フェイズガンも持っていますが、こうした原始的な武器の方が私は好きですね。人を殺すという実感が持てる」
 実感は大事です、と呟いてから銃を仕舞う。
 それから再びレオンに目を向ける。
 銃でおどされてもなお、少年は不機嫌そうに男を見返している。
「動じていませんね。流石さすがだ」
「ダテにさんざん死にかけてないよ」
 そう言うと、男は快活に笑った。
「面白い。やはり貴方は特別な人間のようだ」
「特別……?」
 怪訝けげんな視線に、AHMのリーダーは笑みを残したまま応じる。
「時計の針を動かすのは、いつの時代も一握ひとにぎりの天才である──ということですよ」
 涼しい目元に、やや力がもった。
「そして、貴方は今まさに針を動かそうとしている」
 ──ああ。
 少しずつだが、自分を誘拐した理由が呑み込めてきた。
 レオンがエクスペルで培った紋章技術は、銀河連邦においてもかなり高度な、先進的なものであったらしい。そのため彼はあの戦い以降、紋章術を研究する組織や団体に引っ張りだことなっている。
 まだ十三にも満たない、幼さの残る少年ではあるが、既にして紋章術の権威として一目置かれる存在となりつつある。来月には上梓じょうしした論文が学術誌に掲載され、それによって連邦の紋章術研究は新たな段階フェーズに移行するであろう──と言われている。
 確かに自分は、時計の針を動かそうとしている。
 けれど。
「ボクは研究しているだけだ」
「その研究が、危険なのですよ」
 男は即座に反論する。
「紋章術は禁忌きんきである……などとオカルト的な主張をするつもりはありません。ただ、貴方のしている研究は人類には危険すぎるのです」
 言いたいことはあったが、レオンは黙って次の言葉を待つ。
「人類は根源的に愚かです。長期的なスパンで物事を考えられない。紋章は数千年、数万年、数億年の単位で影響を考慮できない者たちが扱うべきではないのです」
 貴方は見てきたはずだ──と男はレオンに言った。
いたずらに紋章を利用したことで全宇宙を危機にさらした、愚かな者たちを。ぎょしきれぬ技術によって滅びの道を辿たどった、あの星の悲劇を」
 レオンは目を見開いた。
「なんで……知ってる」
 超高度の紋章技術によって生み出された、十体の人間。
 そして、宇宙の崩壊というおぞましい命令が刻まれた、紋章。
 故郷と全宇宙をして戦った、あの戦いのことを。
 この男は──どうして。
「何者なんだ、あんた」
 睨み返したが、男は頬を吊り上げて肩をすくめる。それに関しては答える気はないらしい。
「紋章の危険性を身をもって実感したにもかかわらず、その深部に踏み入るというのは……大いなる欺瞞ぎまんとは思いませんか、レオン博士?」
 淡々と述べつつも、確実に圧をかけてくる。さしものレオンもやや狼狽ろうばいしたが。
「思わないね」
「ほう」
 殺されるかもしれない、ということが頭をぎったが、構わず続けた。
「そこに新しい可能性があるのなら、やっぱりそれは踏み入るべきなんだ。人類はそうやって進歩してきた」
「踏み入ったことで悲劇が起きても、貴方に責任はないと?」
「責任はあるよ。当たり前じゃないか。でもね」
 腹を決めて、レオンはまくし立てた。
「悲劇の原因はそれだけじゃないんだ。技術を見つけたことが原因だというなら、それを利用した人にも、利用することを認めた人にも、認めたことをそのまま受け容れた人にも原因はある。起きたことの責任は、人類全体でうべきなんだ。それを研究者だけに負わせることの方が欺瞞じゃないか」
 男に反応はない。脚を組んだまま、無表情でレオンを見ている。
「もしボクが時計を動かしたことで人類が滅びるのだとしたら、それが人類の限界であり、寿命なんだ。それならそれでしょうがない。残念だけどね。人類の一員として一緒に滅びるよ」
 ──そう。
 あの星の人たちみたいに──。
「ネーデの人たちだって、わかっていたんだ。自分たちの限界と寿命を。だからみんな納得して、ボクたちを送り出して……滅びを受け容れたんだ」
 ナールが、ミラージュが。
 あの星に住まう全ての民が──。
「笑って、滅んでいったんだ」
 拳を握りしめ、奥歯を食い縛る。
「ネーデは間違えたのかもしれない。でも──それでもあの人たちは、覚悟と責任を負って技術を利用していた。だから間違いを認めて滅ぶことを選んだんだ。その選択は、決して愚かなんかじゃない」
「ネーデと同じ道を……辿たどるつもりですか」
「ボクは別の道を行くよ。その道でネーデを超えてみせる。でも」
 それも結局滅びの道だったときは──。
「同じように、笑って──滅んでやるよ」
 そう言って、レオンはすごんだ。
 そこに十二の少年のあどけなさはいささかもなく。
 ある種の畏怖いふを覚えるほどの──悪魔的な微笑であった。
「……なるほど」
 長い沈黙の後で、男が口を開いた。
「貴方への干渉は無駄、ということですか」
 言いながら、再びコートの隠しから鉄の銃を取り出す。
 ──殺される。
 まあ、仕方ないか。あれだけあおったんだ。
 レオンは静かに目を閉じた。
 だが。
「強引な介入は極力きょくりょく避けたいところですが……ムーアの件でりましたからねぇ」
 目を開けて前を見る。男は手許の銃を見つめ、何やら逡巡しゅんじゅんしている。
「……そうですね。ここはひとつ──可能性にゆだねてみますか」
 不審げに見つめていると、男はフッと相好そうごうを崩して、やおら問うた。
「運命というものを、貴方は──信じますか?」
 ──運命?
 ──そんなもの。
愚問ぐもんだね」
「愚問ですか」
「そんなのは幽霊みたいなものじゃないか。あると思えばある。ないと思えばない。運命なんて結局は……自分次第だよ」
 少年は明けけに言い放った。
 男は大いに笑った。
「その意気ならば、この窮地も切り抜けることができそうだ」
「窮地?」
 さっきから──何を言っている?
 困惑する彼を後目しりめに、男は背後の小窓をあおいだ。
「ここがテロリストの拠点となっていたのは遠い昔のこと。今は通りかかる人もなく、四方しほう数十キロに渡って荒野が広がる、陸の孤島です」
 そう言いながらおもむろに腰を上げ、レオンに歩み寄る。
 レオンは座ったまま男を見上げた。
 眼前で立ち止まった男は、手にした銃を持ち上げて──。
 自身に、差し向けた。
「素晴らしい回答でした、レオン博士」
 唖然あぜんとするレオンを見下ろし、まぶしいように目を細め。
「願わくば、貴方のく道が正しき道であることを」
 そう言うと、自ら銃身を口にくわえ。
 微塵みじん躊躇ちゅうちょも見せずに。
 引金ひきがねを──引いた。
 銃声とともに、頭蓋ずがいが破裂した。
 脳漿のうしょうが飛散し周囲の地面に降り注ぐ。レオンの髪にも、耳にも、顔にも赤黒い飛沫しぶきが付着する。
 脳髄のうずいを失った男の身体は直立したまま背後に傾き──そのまま倒れた。
「……なんなんだよ」
 動かなくなった男に向けて、レオンは吐き捨てた。
「言うだけ言って、御託ごたく並べて……あげくにこれかよ。大迷惑だ」
 血のついた頬を白衣のそでで拭い、それから立ち上がった。
 首許が引かれて、軽く前につんのめる。首輪と鎖のことを忘れていた。
 胸の前に延びる鎖をつかんで、引いてみる。張り詰めた鎖は鉄柱に溶接された金具に繋がれてある。生身の人間の力で引き千切るのは無理だろう。
 ──そうか。
「これが、あんたの用意した『窮地』か」
 無人の建物にひとり閉じ込められ、呪紋も使えず、助けも見込めない。
 このまま鎖を外せなければ──死んでしまう。
 レオンは再び座り込み、胡座あぐらをかいた。
 どう切り抜けるか──。
 周囲を見回して、使えそうなものを探す。
 そして、横たわる男のかたわらに、それを見つけた。
 拳銃。
 レオンは手を伸ばそうとしたが、思い止まる。
 ──ダメだ。
 こんな武器は使いこなせない。訓練もなしに細い鎖を狙うなんてことは……ほぼ不可能だ。
「くそっ」
 伸ばしかけた手を戻して、頭をき回す。
 せめて自分でも扱える武器があれば──。
 そう考えたとき、思い出した。
 ──フェイズガンも持っていますが──。
 確かに、そう言っていた。
 レオンは膝と手を地面について、むくろと化した男ににじり寄った。
 血溜まりを避けるようにしながら、仰向あおむけの男のふところを探ると。
「……あった」
 コートの内側に、硬い膨らみ。迷わずそれを引き出した。
 白銀に輝く銃──フェイズガン。
 だが。
「え……」
 銃身に表示されているエネルギー残量は──EMPTYだった。
「ああもう、充電しとけよ、この役立たずっ」
 腹いせに死体に向けて文句をつけたが、虚しいだけだった。
 エネルギーを充填じゅうてんしなければ、この銃は使えない。だがこんな場所にそんな設備がある訳もなく。
「くそ、くそっ」
 地面を殴って苛立いらだちをあらわにする。それから首輪を乱暴に掴んだ。
「呪紋さえ使えれば……」
 呪紋封じサイレンスの紋章が刻まれた首輪を握りしめながら、考える。
 ──紋章。
 ──そうだ。
 自分で呪紋は使えなくても、モノに刻んだ紋章を発動させることは……できるはずだ。
 レオンは半目はんめになり、猛烈に思考を巡らせた。
 何か、使えそうな紋章は──。
 そして、ひらめいた。
 ──やるしかない。
 少年は、覚悟を決めた。
 目の前に横たわる骸に手をかけ、うつぶせにして服を脱がせにかかる。
 躊躇ためらっている時間はない。早くしなければ、この男が。
 この男の細胞が──死んでしまう。
 コートを引きがし、綿地のシャツはわきまでたくし上げた。それから頭部の周囲に広がる血溜まりに、右手の指を差し入れる。
 胃に上ってきた不快感をこらえつつ、レオンは血のついた指で。
 男の背中に──紋章を描き始めた。
 その行為はまさしく、いにしえ禍々まがまがしい魔術の儀式そのものであった。反紋章術の連中に知られれば格好の非難の材料となるに違いない。
 ──構わない。
 悪魔とさげすまれようが、死神とののしられようが。
 ボクはこれで、時計の針を動かすんだ──。
 紋章自体はさほど難しいものではなかった。頭に叩き込んであるパーツを組み合わせ、描き込んでいく。
「……できた」
 死体の背中に描いた、血の紋章。
 描き間違いがないことを確認してから、その上にフェイズガンを置く。
 細胞内のエネルギーを抽出し、任意の媒体ばいたいに転移させる──それがこの紋章の作用だった。元々は単細胞生物に用いて新たなエネルギー源にできないかと考案したものである。
 ただし現時点では紋章合成例としてのデモンストレーションの意味合いの方が強い。来月発表される論文にも一例として取り上げていた。
 当然ながら、この紋章を人間の細胞──しかも死体で実行するのは初めてのこと。果たして死滅しかけの細胞で上手く行くのか──。
 緊張しながら、言葉を──発動のためのコマンドワードを唱える。
 紋章のふちが、鈍く明滅を始めた。同時にフェイズガンから電子音が発せられる。
 充電チャージが始まった。紋章は正しく作用している──ようだ。レオンはひとまず胸をで下ろす。
 五分ほどで紋章の輝きが消え、充電も切れた。
 フェイズガンを取って銃身のディスプレイを確かめる。EMPTYの表示は消え、エネルギー残量を示す目盛めもりが現れていた。
 残量は……わずか2%。やはり死にかけの細胞ではこの程度か。それとも転移の効率が悪かったか。
 それでも、希望の火は灯った。
 レオンは男の骸から離れる。白衣のすそは血溜まりに浸かり、深紅しんくに染まっていた。
 鉄柱の前に立ち、フェイズガンをレベル1──最小出力にセットする。
 レベル1でも鎖をき切るくらいはできるだろう。だが、このエネルギー残量では何発撃てるかわからない。最悪この一発で打ち止めという可能性だってある。
 一番、狙いを定めやすい──金具に繋がれた部分に向けて、レオンはフェイズガンをかざす。
 呼吸を整え、照準を合わせ。
 ひといきに──引金を引いた。


 びた鉄扉が、きしみながら開かれる。
 出てきたのは、ひとりの少年。
 猫のような耳を持ち、水色のふさふさした髪を揺らして──歩いてくる。
 幼い見た目とは裏腹に、血にまみれた白衣をまとい、千切れた鎖を首輪から垂らしたそのさまは、いかにも妖しく──どこか蠱惑こわく的でもあった。
 小さな少年は、小さな死神さながらに、果ての見えない荒野を歩いていく。
 くらさをはらんだ眼差まなざしは真っ直ぐ前を見据みすえ、足取りにも迷いはない。
 風が地面をさらい、砂埃すなぼこりが舞う。少年の背中が砂塵さじんの中へと消えていく。

 彼が往くのは正しき道か。
 それとも、滅びの道か。
 答えは幾星霜いくせいそうの──その先に。

 ──三ヶ月後。

 正式に、学術的分野としての「紋章科学」が認められ、成立を果たした。
 これによって連邦の紋章術研究は次なる段階へと進み。
 新たな時代が幕を開けることになるのである──。

(了)