■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Episode 1 西風の吹く街で

 ココロに穴が空いている。
 そのことに気がついたのは、いつのことだったろうか。

 水のようなナニカに充たされた、不思議な空間。その中を意識だけが漂っている。
 ソコはどこまでも広く、どこまでも静かで、どこまでも澄んでいた。動くことも声を出すこともできないけれど、ただふわふわと浮いているだけで心地よかった。

 ――その〝穴〟を見つけるまでは。

 ソレは、自分と同じように空間の中を漂っていた。
 色も形も大きさも、よくわからない。近くにあるのか、それともずっと遠くなのか。見ようと思うほど見えなくなり、感じようと思うほど感じられなくなってしまう。
 わかっているのは、ソレがこの空間から欠けた存在である、ということ。欠けているのに存在している。それはココではちっとも矛盾ではなくて、むしろ必然のようだった。

 ソレを見つけたことで、ココは心地いい場所ではなくなった。
 不快ではない。恐くも不安にもならない。ただ、ココロがひどくかき乱された。
 ソレを――〝穴〟を埋めなければ、と思うようになった。

 ソレはココロに浮かんでいる。
 ふわふわと。プカプカと。
 ただの〝穴〟ではあるけれど、確かに存在していた。
 もしかしたら〝意識〟よりも昔から。

 ココロの中の、ふたつの存在。
 ひとつは〝意識〟で、もうひとつは。

 ――〝プーカ〟

 いつしかソレをプーカと呼ぶようになった。
 自分で名づけたわけじゃない。ただ、気がついたらそう呼んでいた。

 プーカは意識を刺激する。
 プーカはココロをかき乱す。
 ああ、早く、見つけなければ。
 プーカを見つけて、ココロの穴を埋めなければ。

 そうすることで、やっと、ボクは。

 ――世界の〝柱〟となれるだろう。

 木洩れ日にまぶたくすぐられて、少年はゆるやかに目を覚ました。
「ん……」
 指の腹で瞼を擦って、頭の中を徐々に覚醒させていく。じんわり汗ばんだ首筋に風が通って、いくらか肌寒さを感じた。
 丘の頂にある一本のにれの木。その幹に寄りかかって読書をしていたが、途中で寝てしまったらしい。
 膝の上に伏せてあった本を取り、押し花の栞を挟んで閉じる。それから横に置いてあった上着を羽織った。
 身支度はしたものの、まだ眠気が勝って動けなかった。しばらく足を投げ出したまま、ぼんやりと丘の下の景色を眺める。
 青い屋根の教会と、隣接する平屋の建物。少年が世話になっている孤児院だ。手前の庭に見慣れた洗濯物が所狭しと翻っている。
 屋根の向こうは一面の海。空との境目まで果てしなく続いている。日射しを受けてきらめく波の合間に漁船の姿も見えた。
 いつもと変わらない、平穏な風景。それなのに。
 ――落ち着かない。ココロが、ざわついている。
 さっき見た夢のせいかな、と彼は思った。少年はよく夢を見る。それも不思議な――他の人がどういう夢を見るのかは知らないけれど――とても奇妙な、夢を。
「……プーカ、か」
 ソレを見つければ、このざわめきも治まるのだろうか。
 だったら、早く見つけないと。
 プーカを見つけて、それから、ボクは――。
「おーい、ティム」
 振り向くと、丘の麓で友人たちが彼を呼んでいた。
「昼から出かけるって言ったろ。早く来いよ」
「ああ……うん。ごめん」
 もう正午を過ぎていたのか。そういえば太陽が高い。起こされたのもその日射しのせいだった。
 少年は本を抱えて立ち上がった。――が。
「う……」
 天地が回る。その場で少し蹌踉よろめいて、木の幹に手をつく。
 数秒ほどで立ちくらみは治まった。急いで身体を起こしただけで、この有様だ。貧弱な自分が嫌になり、溜息を洩らす。
「……強くなりたいな」
 そう呟いてから、少年は丘を降りていった。

 いきなり日射しが全身に降り注ぎ、アシュレーはベッドの上でうめいた。
「うう……眩しいよ、マリナ」
「なに言ってるのよ」
 掛け布に包まったまま壁側に寝返りを打つと、背後から容赦ない彼女の声が飛んできた。
「お日様を浴びたら灰になるとでも言うの? こんな明るいのに寝てる方が悪いのよ」
「わかったよ、もう……」
 掛け布を剥ぎ、欠伸あくびを噛み殺しながら床に足を下ろした。マリナは今しがた彼が寝ていたベッドに着替えを置く。
「お友達が来てるのよ。早く着替えて行ってらっしゃい」
「友達?」
 怪訝な顔をすると、彼女はなぜか含み笑いを浮かべた。
「店の前で待ってもらってるから、早く行ってあげて。でも顔くらいは洗ってね」
 そう言うと、赤毛を揺らして部屋を出ていった。
「友達、ねぇ……」
 思い当たる節はないが、待たせているならとにかく会わなくてはいけないだろう。
 寝間着を脱ぎ捨て、几帳面に畳んである自分の服を取った。石鹸の香りのするシャツに袖を通し、ズボンを穿いてベルトで留める。
 着替えを済ませると、窓の横に立ててある姿見の前に立った。お城に勤めるんだから身だしなみくらいちゃんとしなさい――とマリナが先月そこに置いていったものだ。城勤めと言っても出入りするのは銃士隊の詰所くらいのもので、会うのも無骨な同僚や上司ばかりではあるのだけれど。
 しかも今は無期限謹慎中の身だ。身だしなみに気を配る必要などない。それでも一応見ておくかと、自分の姿を鏡に映してみた。
 入隊前に短く刈った青い髪はこの二週間で少し伸び、癖毛くせげのせいで前髪の一部がツンと尖ったようになっている。多少寝起きで乱れてはいたが、まあ不作法というほどではないだろう。
 顔はあまりつぶさに観察したくなかった。面長で起伏の少ない顔立ちは女性っぽくて、昔から嫌いだった。髭でも生やせば貫禄がつくだろうかと、生えかけの無精髭を撫でつつ思案する。
 そして首から下に視線を向けると――さらに気が重くなる。昔から太れない体質ではあったが、謹慎中にまた痩せてしまったかもしれない。
「鍛えないとなぁ……」
 自主トレーニングは行っているが、足りなかったか。今日からルーチンワークの量を増やそう。
 そう心に決めてから姿見を離れた。部屋を出て階段を降り、一階の洗い場で顔を洗う。
「あら、起きたんだね。おはよう」
 タオルで顔を拭いていると、声をかけられた。
「おはようございます、セレナおばさん。こんな時間にすみません」
「いいのよぉ。休暇中くらいゆっくり休まないとねぇ」
 彼女はふくよかな頬を緩ませて笑う。両手は小麦粉で真っ白で、花柄のエプロンも既に花が見えないくらいに白くなっていた。
「あの……休暇じゃなくて謹慎なんです」
「おや、そうだったっけ。まぁどっちだっていいじゃない」
 恐縮するアシュレーを豪快に笑い飛ばしながら、洗い場に入る。
「お昼のピークが過ぎたから、やぁっと一息つけるよ。……よっこらしょっと」
 恰幅かっぷくのいい身体を折り曲げて、パン屋の女主人は手洗いを始めた。
「そういや、誰か訪ねてきてるんだって? 早く行ってあげた方がいいんじゃない」
「あ、はい。それじゃあ」
 首をすくめるように頭を下げてから、店の方へと向かう。
 ドアを開けると香ばしいパンの匂いが鼻をくすぐった。忘れていた空腹がこらえられなくなる。
「マリナ、これ食べてもいいかな」
 棚に残っていたサンドイッチを指さして、店番をしていたマリナに尋ねる。
「いいわよ。お金払ってくれるなら」
「いや、その……」
 情けない顔をすると、彼女はくすくすと笑った。
「出世払いにしといてあげるから、どうぞ」
「……精進します」
 ひそかに溜息をついてから、棚に手を伸ばした。
 サンドイッチを頬張りながら、アシュレーは店内を眺める。今は客の姿はない。陳列棚のパンも昼のピークに売り切ったようで、隅の方の食パンやバゲットを除いては、ほとんど残っていない。
 店の外、ショーウインドウの硝子の向こうでは人々が忙しなく行き交っていた。軒下に吊した木製の看板が風に吹かれて揺れている。彼は看板に彫られた文字を辿った。
Bakery Portoベーカリー ポルト
 マリナの叔母であるセレナが営んでいるパン屋だ。ポルトは港という意味で、街の人々には「おかの港」と呼ばれて親しまれている。
 アシュレーは物心つく前にセレナに引き取られ、今もこの店の二階に下宿している。果たしてどういう縁で血の繋がりのない自分を引き取って育ててくれたのかは――実のところアシュレーは知らない。彼女も昔のことはあまり触れたくないようだが、それでも彼女に対する感謝の念は変わらず強く持っている。
「ん?」
 腹ごしらえを済ませてぼんやり外を眺めていたら、視界の端に人影が現れた。小さな頭が硝子の向こうから店内を覗いている。アシュレーと目が合うと引っ込んで、それからすぐに店の扉が開く。
「なんだよ。あんちゃん、起きてるんなら出てきてくれよッ」
 騒々しく入ってきたのは、窓から覗いていた小柄な少年。その顔と声にアシュレーは憶えがあった。
「君は確か『枯れた遺跡』で……」
「そ。トニー・スターク。あんちゃんに助けてもらった人質だよ」
 アシュレーが謹慎処分を食らう羽目になった、出稼ぎ労働者による誘拐事件。その際に誘拐された人質こそ、このトニー少年だった。
 どうしてここに、と言いかけて、ふとカウンターのマリナの方を見た。彼女は特に驚いた様子もなく、むしろ面白そうに眺めている。
「もしかして、僕を訪ねてきた友達って……」
「オレだよ」
 トニーは当然のように言い切る。
「なんだよ、あんちゃんは友達だと思ってないっての?」
「いや、だってあのとき一度会っただけで……」
「戦場で行動を共にしたんだ。これはもう戦友じゃん。戦いによって結ばれた絆は何よりも強いんだぜッ」
 一緒に逃げただけで絆も何もないだろうと思ったが、指摘したところで聞きそうにないので黙って頭を掻いた。
「申し訳ありません。トニー君は一度思い込んだら聞かないところがございまして」
 別の声がして振り向くと、入口にはもう二人、少年が立っていた。どちらもトニーより背は高いが、同じくらいの年頃だろう。
「ご挨拶が遅れました。わたくしはスコット・サマーズと申します。この度はトニー君を助けて頂き誠にありがとうございました。彼の友人として厚く御礼申し上げます」
「はぁ、どういたしまして……」
 長い髪と緩めの吊りズボン、そして常に据わっている目つきという外見とは裏腹な慇懃いんぎん口調に、アシュレーは戸惑いつつ頭を下げる。
「つきましては、こちらのティム君が御礼を差し上げたいと申しておりますので、差し支えなければご笑納ください」
「お礼?」
 聞き返すと、ずっと二人の背後に隠れていた少年がおずおずと前に出てきた。
「あの……ティム・ライムレス、です。トニーくんを助けてくれて、ありがとう……ございます」
 消え入りそうなか細い声で、語尾はほとんど聞き取れなかった。斜め下を向いたまま強張こわばっている顔は陶器の人形のように白く端正で、幼さとも相俟あいまって女の子のようだった。シャツとズボンは少年用だが、ケープのような上着を羽織り、麦穂の色をした髪は耳を隠すほどに伸ばし、さらにうなじには赤いリボンまでつけているので、なおさら性別が曖昧になっている。
「その……よかったら、これ、どうぞ……」
 ティムはもじもじと躊躇ためらいながら、持っていたものをアシュレーに差し出した。
 受け取ってみると、それは掌大てのひらだいほどの石板だった。ふちを飾るように模様が刻まれ、中心には何かの生物の足型のようなものが刻印されている。
「これは?」
「ミーディアム、って、いいます。ボクが生まれた村の、お守り……らしいです」
「ティムはさ、古い神様を祀ってる村の出身なんだ」
 言葉少ないティムに代わって、トニーが説明する。
「なんて言ったっけ。えっと、バ、バ……」
「バスカーですね。ガーディアンを信仰する一族ということです」
 さらにスコットが補足した。
 ガーディアンは、このファルガイアを守護しているとされる幻獣である。地水火風を始めとする自然現象を表した存在であり、かつては信仰も盛んであったらしいが、今では神話として残っている伝承を聞くくらいでしかその名を知ることはない。
「それは、グルジエフのミーディアム、です……」
「ああ、聞いたことあるな。確か龍の姿の神様だっけ」
 アシュレーが言うと、少年は上目遣いでこちらを見て、少しだけ顔をほころばせた。
「大地の守護獣ガーディアンです。鉱石の鱗と鋼の爪を持った、とても力強い龍です」
 心なし嬉しそうに、ティムが説明する。
「持ち主を危ないことから守ってくれると伝えられています。アシュレーさんは危険な仕事をしているみたいだから……」
「そうか、ありがとう。大事にするよ」
 そう言って笑顔を返すと、ティムは顔を真っ赤にして、そのままトニーの後ろに引っ込んだ。
「なんだよ、ティム。もっと話すことあったんじゃないのか?」
 トニーが聞くと、ティムはふるふると首を振って否定した。
「わたくしなりの結論といたしましては、ティム君は憧れのアシュレーさんを前にして緊張しているようです」
「憧れ? 僕に?」
 アシュレーは少し驚く。
「誘拐事件におけるアシュレーさんのご活躍は、トニー君を通して我々も存じております。巨大なモンスターに単身立ち向かい見事に倒したエピソードに、ティム君はいたく感銘しておりました」
「そうそう。『アシュレーさんすごいッ。ボクも見たかった』って、えらく興奮しちゃってさ」
「や、やめてよ、二人とも……」
 ティムはますます小さくなり、完全に下を向いてしまった。
「だいたい、こうしてあんちゃんのところに来たのだって、半分はティムのためだったんだぜ。お礼と話がしたいって言うからさ」
「も、もういいって。話はできたから……」
 不満そうなトニーに、ティムは涙目になって言う。どうやらかなり内気な子のようだ。
 ――憧れ、か。
 自分がそういう対象になるなんて、思ってもみなかった。
 もちろん嬉しいし、感慨もあったが――一方で重さも感じた。
「また来ればいいさ。いつでも話はできるから」
 心なし背筋を伸ばしてそう言うと、ティムは蚊の鳴くような声で返事をした。仕方ねぇなぁとトニーが腕を組んで呆れる。
「あ、そうそう」
 何かを思い出したトニーが、アシュレーに尋ねる。
「あんちゃん、これから時間ある?」
「時間? 別に用事はないけど」
 何しろ謹慎中だ。トレーニングか店の手伝いくらいしかすることがない。
「紹介したい人がいるんだ。きっと、あんちゃんの役に立つと思うよ」
「役に、立つ?」
 怪訝な顔をするアシュレーに、トニーはニカッと並びのいい歯を見せて笑った。

 気がつけば、薄暗い路地に入り込んでいた。
 道幅は狭く、大人ふたりがぎりぎり並んで歩ける程度しかない。頭上を仰ぐと、青空を隠すように洗濯物がひしめいていた。両脇の家の二階から物干しロープが渡されているようだ。
 いったい街のどの辺りを歩いているのか、アシュレーは途中から把握できなくなっていた。先導するトニーに従うまま広場を通り抜け、城に続く道を途中で折れて、それからいくつか角を曲がり――。
「ここだよ」
 辿り着いたのは、今にも崩れそうな木造の平屋だった。下の方が腐りかけている扉には看板らしきプレートが乱雑に打ちつけてある。文字は擦れてほとんど読み取れなかったが、辛うじて「ARM」の単語だけは確認できた。
「ARMの……店?」
 アシュレーは眉根を寄せた。
 彼が知る限り、民間でARMを扱う店はタウンメリアには存在しないはずだ。そのためARMは原則としてメリアブール王国が一括管理し、整備も国が契約している専属のマイスターによって行われている。
 それが……こんなところに?
「師匠ー。入るよ」
 トニーはノックもせず扉を開けて中に入る。アシュレーと、話の流れでついてきたスコットとティムも後に続く。
 内部は外観ほどには荒れていなかった。机と椅子があり、調度品があり、簡素なベッドも置いてある。だが、どちらにせよARMの店にはとても見えない。
「ありゃ、留守か。それとも下にいるのかな」
 トニーは部屋の真ん中でかがみ込み、ひといきに足許の床板を持ち上げた。そして床下に頭を突っ込むと。
「しーしょーおー! いるんですかー!?」
 床が震えるほどの大声で呼んだ。
 すると。
「でけぇ声出すンじゃねぇ! 糞坊主ッ!!」
 今度は家全体が震えた。アシュレーは思わず身を竦め、後ろではティムが腰を抜かしている。
「ッたく、耳が潰れるかと思ったぜ」
 床下から、黒い毛玉のような頭が出ていた。伸び放題の縮れた黒髪に加え、髭もたっぷり蓄えているため、顔は目鼻を除きほとんど埋没している。
「それはこっちが言いたいよ、師匠……」
 トニーが耳を押さえて悶絶している。一番近くにいたためダメージも大きかったか。
「師匠と呼ぶな糞餓鬼。弟子なンぞ取ってねぇ。勝手に入りやがってこの野郎」
 がなり声でわめきながら上がってきた。背丈はトニーと同じくらいだが、横幅は倍以上ある。突き出た腹がシャツからはみ出し、ズボンは今にもはち切れそうなほど膨れていた。
「ほら、師匠……じゃなくて、ボフールさん。この人が前に話した、銃士隊のあんちゃん」
 トニーがアシュレーを紹介する。ボフールと呼ばれた髭もじゃは、血走った眼でぎろりと睨んできた。
「生っ白い若造だな。今の銃士隊はこんなのも入れてんのか」
「まだ新入りでして、すみません。……それより」
 剣幕に気圧けおされつつも、負けじと声を張る。
「ここはARMの店なんですか? あなたは、ARMマイスター――」
「けッ。そんな小洒落たモンじゃねぇよ」
 ボフールはそっぽを向く。
「この人はARMの技師だよ」
 横のトニーが慌てて取り繕った。
「あのギルドグラードでARMの開発をやっていた、その筋では超有名な人だったんだぜ」
 ギルドグラードは北西の大陸を統べる大国である。古くからARMとそれに関連する技術が発達し、ファルガイアでも随一の工業国となっている。
「わたくしなりの疑問といたしましては、そのような御方がなぜタウンメリアにおられるのでしょうか」
 強面こわもての男に物怖じする様子もなく、スコットが聞く。一方でその背後に隠れるティムは青い顔をしてすっかり怯えきっていた。
「まぁ、色々あった……んだよね」
 答える気のない当人に代わって、トニーが説明する。
「ほら、この人ってこんな感じでしょ。型にハマらないというか、ハマれないからマイスター制度なんかにも反発しちゃって。で、結局ギルドグラードともソリが合わなくなって、追い出されたというか」
 身内でもなさそうな彼がなぜそんな事情を知っているのか不思議だったが、尋ねる前にうるせぇとボフールにどやされてしまったので、結局聞けなかった。
「何がマイスターだ、糞忌々しい」
 ボフールは背凭せもたれのない腰掛けに座って、煙草に火をつけながら悪態をつく。
「あんなモンがあるからボンクラ共がでかい顔しやがるんだ。おかげでARMの質は落ちる一方だ」
「質……落ちてるんですか?」
 意外に思って聞くと、ボフールは一服くゆらせてから、再び大きな眼で睨んでくる。
「そのARM、見せてみろ」
「あ、はい」
 アシュレーは肩に提げていた銃剣バイアネットを下ろした。トニーに持参するよう言われていたのだが、こういう流れを予期してのことだったか。
 ボフールはくわえ煙草のまま、慣れた手つきで銃剣を検めた。
「M92の改良型か。旧式だけあってモノは悪かねぇが――」
 言いながら隅々まで眺め回し、銃口から中を覗き込み、実際に構えて照準も確かめた。
「調整が甘くなってるな。この分じゃ中も劣化が進んでいるだろう。最近、撃ったときに重心がブレているンじゃねぇか?」
「はあ、そういえば……」
 連射をすると徐々に重心がブレて、狙い通りに撃つのが難しくなる。それはこの銃の特性上仕方ないことでもあるのだが、近頃は確かにブレ幅が大きくなっている実感はあった。
「この型は部品の劣化が早いんだ。劣化をなるだけ遅らせるには、こいつに合ったドラゴンの化石で作った部品じゃねぇといけないンだが……これは駄目だな。相性がかち合ってる」
 ドラゴンの化石とはその名の通り、太古の時代ファルガイアに生息したとされるドラゴンの死骸が化石となったものである。現在の人間の技術では生成不可能な素材が含まれており、ARMの製作においても不可欠な材料となっている。
「ARMとドラゴンの化石に、相性があるんですか?」
 質問すると、マイスターの教科書には載ってねぇがなと皮肉で返された。
「相性を見極めるのに必要なのは経験だ。互いの特性から組み合わせを考えて、試行錯誤して見つけていくしかねぇ。どうせ素人にはわからねぇような差だから、最近のマイスターは気にもしねぇがな」
 口をつけばマイスターへの嫌味が出る。恨みは根深いようだ。
「だったらさ」
 と、トニーが唐突に提案した。
「師匠が直してあげなよ。せっかくだから」
 ボフールは毛虫のような眉毛を動かして、顔を歪めた。
「師匠じゃねぇと言ってンだろ糞坊主。直すのは構わんが……手前ェはいいのか? 俺は資格なンぞ持ってねぇぞ」
 アシュレーは考える。
 普通ならば、まぁ断るだろう。どう贔屓目ひいきめに見てもこの男は如何いかがわしい。ARMに対する造詣は深いようだが、それだけで無資格の人間に大事な武器を預けるというのは、まともな判断とは言えない。
 ――だが。
「ひとつ聞いていいですか」
「なンだ」
「このARMの……火力を上げることはできますか?」
 脳裏にあったのは、あの『枯れた遺跡』でのこと。モンスターの堅固な外殻を前にして、この銃は全く歯が立たなかった。
 自分を――人々を――世界を護るためには、もっと強い力が必要だ。それがあの戦いを通してアシュレーが実感したことだった。
「火力を上げるンなら、本体より弾だな」
 銃剣を机に置き、吸い殻を空き缶に投げ捨ててから、ボフールは振り向いた。
「金さえ貰えるンなら作ってもいいが。特注だから値は張るぜ」
「できる……んですか」
 銃士隊のマイスターにも同じ依頼をしたが、無理だと断られていた。アシュレーの気持ちが大きく揺らぐ。
「俺を誰だと思ってやがる。そのM92の原型のM73を作ったンは、この俺だぞ」
 そう凄む言葉とは裏腹に、表情は幾分緩んでいた。こちらも気が乗ってきたらしい。
「師匠の腕は確かだよ。この下も見せてもらったけど、すっげぇもん!」
「勝手に入り込んだンじゃねぇか糞坊主。ッたく、誰も入れたくなかったのに」
 どうやら床下の地下室が彼の工房のようだ。はしゃぐトニーを主が苦々しく見返す。
「わたくしなりの結論といたしましては」
 と、ずっと背後で傍観していたスコットが進言する。
「トニー君の人を見る目は、それなりに信頼が置けると我が友人ながら思っております。その御方も外見はいかにも危険人物であり胡散うさん臭い空気を醸しておりますが、人は見た目によらないというパターンもあるわけでして」
「おいスコット、言い過ぎだって」
 冷や冷やするトニーに対し、言われた当人は満更まんざらでもなさそうだった。髭まみれの口を曲げて笑っている。
「ボクも……悪い人ではないと……思います」
 スコットの陰からティムも言う。相変わらずの小声だが、友人を加勢したい気持ちは伝わってきた。
「そうだな――」
 少年たちの後押しを受けて、アシュレーは。
「ARMのメンテナンスと、新しい弾。僕から――お願いします」
 決断した。
「おう。任せとけ」
 特別に負けておくぜと、ボフールは意気揚々と口の端を吊り上げた。

「トニーはあの人と、どうして知り合ったんだ?」
 帰りの道すがら、アシュレーは聞いてみた。
「教会によく来てたんだ」
 足取り軽く先を歩いていたトニーが答える。
「礼拝のときによく見かけて、気になっててさ。あんな変わった見た目だから目立つんだよね」
「それは……意外だな」
 あれで結構信心深いらしい。スコットの言う通り、見かけによらないものだ。
「寄付なんかもしてくれてるらしくてさ、シスターとも顔なじみだったんだ。気になってたからシスターに聞いてみたら、名前を教えてくれて。それでピンときたんだ」
「ピンと?」
 聞き返すと、トニーは身体をこちらに向けて、後ろ歩きをしながら言う。
「さっきも言ったじゃん。その筋では超有名な人だ、って」
 まだ釈然とせずに微妙な顔をしていると、小柄な少年は前に向き直って。
「オレ、ARMの技師になりたいんだ」
 空に向かって宣言するように、言った。
「そのうちギルドグラードに行って、すんげーARMを作ってやる! だから、今からちょっとずつ勉強してんだ。小遣いはたいてたっかい専門書買ったりしてさ」
「その専門書にあの御方の名前が載っていた、ということですね」
 スコットが察して後ろから言う。それでアシュレーも納得できた。
「一生懸命読んでるもんね、最近」
 並んで歩いていたティムも言う。やはり気を許した友達に対しては、年相応の子供の顔になる。
「でもさ、やっぱり本の知識だけじゃつまんない……じゃなくて、限度があるじゃん。だから、あの人に色々教えてもらおうとアプローチしてるんだけど」
「それで『師匠』と呼んでいたのか」
 ボフールにしてみればいい迷惑なのだろうが……それでも先程のやり取りを見る限りでは、完全に拒絶されているわけでもなさそうだ。この少年の人懐こい性格が幸いしているのかもしれない。
「大したもんだな。その歳でもう将来の目標を見つけているなんて」
 感心していると、トニーはまたこちらを向いて得意げに言い放つ。
「孤児院っ子をナメんなよッ。そこらの甘々なお坊ちゃんと一緒にしてもらっちゃ困るぜ」
「へえ。じゃあ、スコットやティムも既に将来のことを決めていたりするのか?」
 同じ孤児院にいるという二人にも話を向けたが。
「わたくしは平穏に過ごすことのできる環境であれば、特に高望みいたしません」
「ボクも……そ、そんなに考えては……」
 アシュレーは再びトニーを見て、トニーは二人を睨んだ。
 日没までには中央広場まで戻ることができた。西陽の射し込む石畳の広場は人影もまばらで、噴水が物寂しげに飛沫しぶきを上げている。
「あれ?」
 噴水の向こうに、見慣れた姿があった。エプロンのついたドレスに、薄手のケープ。肩に触れるあたりで切り揃えた赤毛が西風に吹かれて揺れている。
「マリナ、どうしたんだ」
 声をかけると、マリナは小走りに駆け寄ってくる。
「捜していたのよ、アシュレー」
「捜してた? どうして?」
 聞き返すと、マリナは持っていたものを差し出した。何かの封書のようだった。
「お城の人が来て……これをアシュレーに、って」
 妙に不安そうなマリナから封書を受け取り、ろうを剥がして広げる。
 それは、軍からの辞令だった。内容は――。
「謹慎の解除と……特殊部隊への、転属?」
「特殊部隊って?」
「さあ、僕も……いや」
 言いながら、アシュレーは思い出した。
 あれは『枯れた遺跡』に向かう車両の中だったか。隣のマルコが口にしていた――。
「……国家規模の任務を遂行する……部隊。近々新設されるという噂は聞いていたけど」
 まさか、本当に新設されるのか。
 そして、そんな部隊に――。
「僕が、選ばれた――?」

 ベッドに入り横になっても、なかなか寝つけなかった。
 幾度も寝返りを打ち、それに疲れると仰向けになり、手の甲を額に置きながら暗い天井を眺めた。
 軽い高揚感と、不安、そしていくつかの疑問。それらがい交ぜになって、青年の頭の中を駆け巡る。
 特殊部隊に選ばれた。その事実は、彼に様々な感慨をもたらした。
 当然、嬉しいはずだった。その辞令を受け取るまで、彼はただの冴えない新兵に過ぎなかったのだ。初めての任務で命令にそむき、謹慎処分まで食らっていた。それを考えれば信じられない大出世だ。
 ――そう、信じられない。
 どうして自分が選ばれたのか、さっぱり判らない。むしろ重大な規律違反を犯した身だ。予備隊への出戻りすら覚悟していたというのに。
 そして、もうひとつの疑問。
「……マリナは、どうして怒ったんだろう……」
 あの噴水の前で。
 渡された封書の内容に彼は驚き、そして……思わず喜んで、軽くはしゃいでしまったのだ。
 そんな彼に、彼女は冷や水のような言葉を浴びせてきた。

 ――それは、そんなに喜ぶようなことなの?
 ――今よりもっと危ない仕事をすることが、そんなに嬉しいの?
 ――人の気も知らないで。

「人の気も知らない、か」
 天井に向けて、アシュレーは呟く。
 マリナとは、物心つく前からずっと家族同然に過ごしてきた。彼女も幼い頃に両親をうしない、叔母のセレナに引き取られている。血の繋がりはないから表面上は幼馴染みという間柄ではあるのだが――二人はこれまで兄妹のように育てられ、二人もそうした関係に何の疑問も持たず育ってきた。
 だが、いつしかその関係にも微妙な変化が生じ始めた。少年が青年となり、少女が女性となったことで訪れた「変化」は、二人の間に小さな逕庭けいていをもたらした。通じていたことが通じなくなり、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなった。
 そうして、いつしか――わからなくなっていた。彼女の気持ちが。言葉の真意が。
 マリナのことは何でも知っている。以前なら自信を持ってそう言えたのに――。
 今は。
 ――わからない。
 肺に溜まった息を吐き出し、身体を横に向ける。闇が張りついた自分の部屋は、どこか余所余所よそよそしく感じた。
 ようやく眠気が訪れたので、目を閉じた。眠りに落ちる間際に思い出したのは、懐かしい光景。
 まだ気持ちが通じ合っていた頃の、少女の姿。
 そう。あの頃はとても単純だった。僕らは家族で、幼馴染みで、それから――。

 ――それから?

 ブーツの紐を結び直し、それから姿見の前に立って全身を映してみた。紺色のズボンに、糊のきいた真新しいシャツ。久しぶりの正装に身が引き締まる。
 首元には真っ赤なスカーフ。いささか浮いている気もするが、大事なときに赤いものを身に着けるのは昔からの験担げんかつぎだった。非礼というほど目立ってはいないので、まあ大丈夫だろう。
 髪を手櫛で整え、隅々まで身形みなりを確認してから、銃剣と荷袋を担ぐ。戦地におもむくわけではないので荷物は大して多くない。
 転属となった特殊部隊。その結成式が今日、行われる。
 部屋を出て下に降りると、セレナとマリナが待っていた。
「それじゃあ、行ってきます」
 二人に向けて言うと、セレナが前に来て、そっと肩を抱き寄せた。
「いい顔してるじゃない。銃士隊のときより凜々りりしいよ」
「銃士隊のときより、って、まだ一月ひとつきも経ってないですよ」
 アシュレーは苦笑して、それからマリナを見た。
「行ってらっしゃい。……気をつけて」
 少し気まずそうに、マリナが言う。一昨日のことがまだ尾を引いているのか。
「今日は式典だけだから、何も心配ないよ」
 敢えて明るい声で、アシュレーは言った。それでようやくマリナの表情も緩んだ。
「ごちそう作って、待ってるね」
「ああ。楽しみにしているよ」
 向き合って笑顔を交わしたところで、店の扉が勢いよく開いた。
 入ってきたのはトニーだった。
「あんちゃん! ……って、おっとと」
 何を勘違いしたのか、トニーは回れ右をして扉に戻っていく。
「ごめん、出直す」
「いや、出直さなくていいから」
 慌ててアシュレーが呼び止める。
「今日が式典だって聞いたからさ……へへ」
 赤毛の少年は訳知り顔で近づいてくる。入口にはスコットとティムの姿もあった。
「見送りに来てくれたのか」
「当然じゃん。『憧れのアシュレーさん』の晴れ姿だし、なぁ?」
 トニーが意地悪くティムの方を見ると、ティムは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「あと、これを渡しに来たんだ」
 と、アシュレーに二つ折りの革ケースを手渡す。広げると、中には弾頭つきのカートリッジが五本収まっていた。
 ボフールに依頼していた――新しい弾か。数日かかると聞いていたので、明日あたり受け取りに行こうと思っていたのだが。
「さすがに仕事が早いな、ボフールさん」
「早いだけじゃねぇぜ。威力も半端ねぇから気ィつけて使え――って、師匠が言ってた」
 出世したんだから代金はきっちり払えよ、若造――と、ボフールの真似をしてトニーが言う。アシュレーは笑った。
 夜明け前の街は、静けさの中にあった。立ちこめる霧を乱すようにして、アシュレーたちは人気のない通りを歩く。
「それじゃあ、みんなありがとう。行ってくるよ」
 正門の手前で立ち止まると、アシュレーは言った。結成式典の行われる『剣の大聖堂』は、タウンメリアから街道を一時間ほど歩いた先にある。
 セレナやトニーたちと挨拶を交わしてから、きびすを返す。そして一歩進みかけたが。
「アシュレー」
 マリナが声をかけた。アシュレーは振り返る。
「ちゃんと、無事に……帰ってきてね」
「帰ってくるよ。約束する」
 ――やくそくだよ。
 ふと、昔のことを思い出した。
 そう――彼女は小さな頃から、彼に色んなことを「約束」させていた。
 何気ない言葉ではあるけれど、それでも言葉として聞くことで、安心できるのかもしれない。
 そして、今も。
「約束だよ」
 記憶の中の少女と同じ声で。同じ仕種で――そう言った。
 なんだ。ちっとも変わっていないじゃないか。
 アシュレーは眼を細め、手を挙げてそれに応えた。そして再び背を向ける。
 彼女の小さな「約束」を胸に刻みながら。
 青年はひとり、新たな道を歩き始めた――。