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小説 WILD ARMS 2nd IGNITION
第一章
Episode 1 西風の吹く街で

 ココロに穴が空いている。
 そのことに気がついたのは、いつのことだったろうか。
 
 水のようなナニカに充たされた、不思議な空間。その中を意識だけが漂っている。
 ソコはどこまでも広く、どこまでも静かで、どこまでも澄んでいた。動くことも声を出すこともできないけれど、ただふわふわと浮いているだけで心地よかった。
 
 ──その“穴”を見つけるまでは。
 
 ソレは、自分と同じように空間の中を漂っていた。
 色も形も大きさも、よくわからない。近くにあるのか、それともずっと遠くなのか。見ようと思うほど見えなくなり、感じようと思うほど感じられなくなってしまう。
 わかっているのは、ソレがこの空間から欠けた存在である、ということ。欠けているのに存在している。それはココではちっとも矛盾ではなくて、むしろ必然のようだった。
 
 ソレを見つけたことで、ココは心地いい場所ではなくなった。
 不快ではない。恐くも不安にもならない。ただ、ココロがひどくかき乱された。
 ソレを──“穴”を埋めなければ、と思うようになった。
 
 ソレはココロに浮かんでいる。
 ふわふわと。プカプカと。
 ただの“穴”ではあるけれど、確かに存在していた。
 もしかしたら“意識”よりも昔から。
 
 ココロの中の、ふたつの存在。
 ひとつは“意識”で、もうひとつは。
 
 ──“プーカ”
 
 いつしかソレをプーカと呼ぶようになった。
 自分で名づけたわけじゃない。ただ、気がついたらそう呼んでいた。
 
 プーカは意識を刺激する。
 プーカはココロをかき乱す。
 ああ、早く、見つけなければ。
 プーカを見つけて、ココロの穴を埋めなければ。
 
 そうすることで、やっと、ボクは。
 
 ──世界の“柱”となれるだろう。
 木洩れ日に瞼を擽られて、少年はゆるやかに目を覚ました。
「ん……」
 下を向き、指の腹で瞼を擦って、頭の中を徐々に覚醒させていく。じんわり汗ばんだ首筋に風が通って、少しばかり肌寒さを感じた。
 丘の頂にある一本の楡の木。その幹に寄りかかって読書をしていたが、途中で寝てしまったらしい。
 膝の上に伏せてあった本を取り、押し花の栞を挟んで閉じる。それから横に置いてあった上着を羽織った。
 身支度はしたものの、まだ眠気が勝って動けなかった。しばらく足を投げ出したまま、ぼんやりと丘の下の景色を眺める。
 青い屋根の教会と、隣接する平屋の建物。少年が世話になっている孤児院だ。手前の庭に見慣れた洗濯物が所狭しと翻っている。
 教会の向こうには海が広がり、空との境目まで続いている。日射しを受けて煌めく波の合間に漁船の姿も見えた。
 いつもと変わらない、平穏な風景。それなのに。
 ──どうしてこんなにココロがざわついているんだろう。
 さっき見た夢をまだ引きずっているんだ、と思った。少年はよく夢を見る。それも不思議な──他の人がどういう夢を見るのかは知らないけれど──とても奇妙な、夢を。
「……プーカ、か」
 ソレを見つければ、このざわめきも治まるのだろうか。
 だったら、早く見つけないと。
 プーカを見つけて、それから、ボクは──。
「おーい、ティム」
 振り向くと、丘の麓で友人たちが彼を呼んでいた。
「昼から街に行くって言ったろ。早く来いよ」
「ああ……うん。ごめん」
 もう正午を過ぎていたのか。そういえば太陽が高い。起こされたのもその日射しのせいだった。
 少年は本を抱えて立ち上がった。──が。
「う……」
 天地が回る。その場で少し蹌踉めいて、木の幹に手をつく。
 数秒ほどで立ち眩みは治まった。急いで身体を起こしただけで、この有様だ。情けない──と彼は溜息をつく。
「……強くなりたいな」
 少年はそう呟いてから、丘を降りていった。
 いきなり日射しを全身に浴びせられて、アシュレーはベッドの上で呻いた。
「うう……眩しいよ、マリナ」
「なに言ってるのよ」
 掛け布に包まったまま壁側に寝返りを打つと、背後から容赦ない彼女の声が飛んできた。
「お日様を浴びたら灰になるとでも言うの? こんなに明るいのに寝てる方がおかしいのよ」
「わかったよ、もう……」
 掛け布を剥いで、ベッドの縁に座り直す。マリナは彼の着替えをベッドの上に置いた。
「お友達が来てるのよ。早く着替えて行ってらっしゃい」
「友達?」
 怪訝な顔をすると、彼女はなぜか含み笑いを浮かべる。
「店の前で待ってもらっているから、早く行ってあげて。でも顔くらいは洗ってね」
 そう言うと、赤毛を揺らして部屋を出ていった。
「友達……ねぇ」
 全く思い当たる節はないが、とにかく会ってみれば判ることだろう。
 寝間着を脱ぎ捨て、几帳面に畳んである着替えを取った。石鹸の香りのするシャツに袖を通し、ズボンを穿いてベルトで留める。
 着替えを終えると、窓の横に立ててある姿見の前に立った。お城に勤めるんだから身だしなみくらいちゃんとしなさい──とマリナが先月そこに置いていったものだ。城勤めと言っても出入りするのは銃士隊の詰所くらいのもので、会うのも無骨な同僚や上司ばかりではあるのだけれど。
 しかも今は無期限謹慎中の身だ。身だしなみに気を配る必要などない。それでも人と会うときくらいは見ておこうと、自分の姿を鏡に映してみた。
 入隊前に短く刈った青い髪はこの二週間で少し伸び、癖毛のせいで前髪の一部がツンと尖ったようになっている。多少寝起きで乱れてはいたが、まあ不作法というほどではないだろう。
 顔はあまり具に観察したくなかった。面長で起伏の少ない顔立ちは女性っぽくて、昔から嫌いだった。髭でも生やせば貫禄がつくだろうかと、薄く生えてきている無精髭を眺めながら思案する。
 そして身体は──やけに貧弱に見えた。昔から太れない体質ではあったが、謹慎中にさらに痩せてしまったかもしれない。
「もっと鍛えないとなぁ……」
 自発的にトレーニングは行っていたが──足りなかったか。今日からルーチンの量を増やそう。
 そう心に決めてから姿見を離れた。部屋を出て階段を降り、一階の洗い場で顔を洗う。
「あら、起きたんだね。おはよう」
 タオルで顔を拭いてから振り返ると、恰幅のいい女性が入口に立っていた。
「おはようございます、セレナおばさん。こんな時間にすみません」
「いいのよぉ。休暇中くらいゆっくり休まないとねぇ」
 彼女はふくよかな頬を緩ませて笑う。両手は小麦粉で真っ白で、花柄のエプロンも既に花が見えないくらいに白くなっていた。
「あの……休暇じゃなくて謹慎なんです」
「あら、そうだったかしら。ま、どっちだっていいじゃない」
 アシュレーの言葉を豪快に笑い飛ばして、セレナは洗い場に入る。
「お昼のピークが過ぎたから、やぁっと一息つけるよ。……よっこらしょっと」
 重そうな身体を折り曲げて、手を洗い始める。
「そういや、誰か訪ねてきてるんだって? 早く行ってあげた方がいいんじゃない」
「あ、はい。それじゃあ」
 軽く頭を下げてから、店の方へと向かう。
 ドアを開けると香ばしいパンの匂いが鼻を擽った。その途端、忘れていた空腹が堪えられなくなる。
「マリナ、これ食べてもいいかな」
 棚に残っていたサンドイッチを指さして、店番をしていたマリナに尋ねる。
「いいわよ。お金払ってくれるなら」
「いや、その……」
 情けない顔をすると、彼女はくすくすと笑った。
「出世払いにしといてあげるから、どうぞ」
「……精進します」
 ひそかに溜息をついてから、サンドイッチに手を伸ばした。
 棚の横でつまみ食いしながら、店内を眺める。客は今は誰もいなかった。棚のパンも昼のピークに売り切ったようで、隅の方の食パンやバゲットなどを除いては、ほとんど残っていない。
 棚の向こうはショーウインドウになっており、ガラス越しに人々の行き交う通りが見えた。店の軒下に吊した木製の看板が風に吹かれて揺れている。彼は看板に彫られた文字を辿った。
Bakery Portoベーカリー ポルト
 マリナの叔母であるセレナが営んでいるパン屋だ。ポルトは港という意味で、街の人々には「おかの港」と呼ばれて親しまれている。
 アシュレーは物心つく前にセレナに引き取られ、今もこの店の二階に下宿している。血縁のない自分をどうして引き取って育ててくれたのか疑問に思うこともあるが、彼女はそのことはあまり話したがらず、今もって不明のままだ。それでも彼女に対する感謝の気持ちは変わりないけれども。
「ん?」
 腹ごしらえを済ませて店の外を眺めていたら、視界の端に人影が現れた。小さな頭がガラスの向こうから店内を覗いている。アシュレーと目が合うと引っ込んで、それからすぐに店の扉が開く。
「なんだよ。あんちゃん、起きてるんなら出てきてくれよッ」
 騒々しく入ってきたのは、窓から覗いていた小柄な少年。その顔と声にアシュレーは憶えがあった。
「君は確か『枯れた遺跡』で……」
「そ。トニー・スターク。あんちゃんに助けてもらった人質だよ」
 アシュレーが謹慎処分を食らう羽目になった、出稼ぎ労働者による誘拐事件。その際に誘拐された人質こそ、このトニー少年だった。
 どうしてここに、と言いかけて、ふとカウンターのマリナの方を見た。彼女は特に驚いた様子もなく、むしろ面白そうに眺めている。
「もしかして、僕を訪ねてきた友達って……」
「オレだよ」
 トニーは当然のように言い切る。
「なんだよ、あんちゃんは友達だと思ってないっての?」
「いや、だってあのとき一度会っただけで……」
「戦場で行動を共にしたんだ。これはもう戦友じゃん。戦いによって結ばれた絆は何よりも強いんだぜッ」
 はたして一緒に逃げただけで戦友と言えるのだろうか……と思ったが、何を言っても聞きそうにないので黙って頭を掻いた。
「申し訳ありません。トニー君は一度思い込んだら聞かないところがございまして」
 別の声がして振り向くと、入口にはもう二人、少年が立っていた。どちらもトニーより背は高いが、歳は同じくらいだろうか。
「ご挨拶が遅れました。わたくしはスコット・サマーズと申す者です。この度はトニー君を助けて頂き誠にありがとうございました。彼の友人として深く御礼申し上げます」
「あ、はい、どういたしまして……」
 長い髪と緩めの吊りズボン、そして常に据わっている目つきという外見からは想像もつかない慇懃な口調に、アシュレーは困惑しつつ頭を下げる。
「つきましては、こちらのティム君が御礼を差し上げたいと申しておりますので、差し支えなければご笑納ください」
「お礼?」
 聞き返すと、ずっと二人の背後に隠れていた少年がおずおずと前に出てきた。
「あの……ティム・ライムレス、です。トニーくんを助けてくれて、ありがとう……ございます」
 消え入りそうな声で、最後はほとんど聞き取れなかった。斜め下を向いたまま強張っている顔は陶器の人形のように白く端正で、幼さとも相俟って女の子のようだった。シャツとズボンは少年用だが、ケープのような上着を羽織り、麦穂の色をした髪は耳を隠すほどに伸ばし、さらに項には赤いリボンまでつけているので、余計に女性めいて見えてしまう。
「その……よかったら、これ、どうぞ……」
 ティムは躊躇いつつも、持っていたものをアシュレーに手渡した。
 それは、掌大ほどの石板だった。複雑な模様が刻まれ、中心には何かの生物の足型のようなものがついている。
「これは?」
「ミーディアム、って、いいます。ボクが生まれた村の、お守り……らしいです」
「ティムはさ、古い神様を祀ってる村の出身なんだ」
 言葉少ないティムに代わって、トニーが説明する。
「なんて言ったっけ。えっと、バ、バ……」
「バスカーですね。ガーディアンを信仰する一族ということです」
 さらにスコットが補足した。
 ガーディアンというのは、このファルガイアを守っているとされる幻獣のことだ。数十体存在し、かつては信仰も盛んであったらしいが、今では神話として断片的な伝承を聞くくらいしかその名を知ることはない。
「それは、グルジエフのミーディアム、です……」
「ああ、聞いたことあるな。確か龍の神様だっけ」
 アシュレーが言うと、少年は上目遣いでこちらを見て、少しだけ顔を綻ばせた。
「大地の守護獣ガーディアンです。鉱石の鱗と鋼の爪を持った、とても力強い龍です」
 心なし嬉しそうに、ティムが説明する。
「持ち主を危ないことから守ってくれると伝えられています。アシュレーさんは危険な仕事をしているみたいだから……」
「そうか、ありがとう。大事にするよ」
 そう言って笑顔を返すと、ティムは顔を真っ赤にして、そのままトニーの後ろに引っ込んだ。
「なんだよ、ティム。もっと話すことあったんじゃないのか?」
 トニーが聞くと、ティムはふるふると首を振って否定した。
「わたくしなりの結論といたしましては、ティム君は憧れのアシュレーさんを前にして緊張しているようです」
「憧れ? 僕に?」
 スコットの言葉に、アシュレーは怪訝な顔をした。
「誘拐事件におけるアシュレーさんのご活躍は、トニー君を通して我々も存じております。たった一人で巨大なモンスターを倒したエピソードに、ティム君はいたく感銘しておりました」
「そうそう。『アシュレーさんすごいッ。ボクも見たかった』って、えらく興奮しちゃってさ」
「や、やめてよ、二人とも……」
 ティムはますます小さくなり、完全に下を向いてしまった。
「だいたい、こうしてあんちゃんのところに来たのだって、半分はティムのためだったんだぜ。お礼と話がしたいって言うからさ」
「も、もういいって。話はできたから……」
 不満そうなトニーに、ティムは涙目になって言う。どうやらかなり内気な少年であるようだ。
 ──憧れ……か。
 自分がそういう対象になるなんて、思ってもみなかった。
 嬉しい反面──少し重い気もした。
「また来ればいいさ。いつでも話はできるから」
 心なし背筋を伸ばしてそう言うと、はい……と蚊の鳴くような返事が聞こえた。仕方ないなぁ、とトニーが腕を組んで呆れた顔をする。
「あ、そうそう」
 何かを思い出したようにトニーが声を上げた。そしてアシュレーに尋ねる。
「あんちゃん、これから時間ある?」
「時間? 別に用事はないけど」
 何しろ謹慎中だ。トレーニングか店の手伝いくらいしかすることがない。
「紹介したい人がいるんだ。きっと、あんちゃんの役に立つと思うよ」
「役に、立つ?」
 首を傾げるアシュレーに、トニーはニカッと並びのいい歯を見せて笑った。
 いつの間にか薄暗い路地に入り込んでいた。
 道幅は狭く、大人ふたりがぎりぎり並んで歩ける程度しかない。頭上を仰ぐと、青空を隠すように洗濯物がひしめいていた。両脇の家の二階から物干しロープが渡されているようだ。
 いったい街のどの辺りを歩いているのか、アシュレーは途中から把握できなくなっていた。先導するトニーに従うまま広場を通り抜け、城に続く道を途中で折れて、それからいくつか角を曲がって……。
「ここだよ」
 辿り着いたのは、今にも崩れそうな木造の平屋だった。下の方が腐りかけている扉には看板が乱雑に打ちつけてある。看板の文字は擦れてほとんど読み取れなかったが、辛うじて「ARM」の単語だけは視認できた。
「ARMの……店?」
 アシュレーは眉根を寄せた。
 彼が知る限り、民間でARMを扱う店はタウンメリアには存在しないはずだ。そのためARMは原則としてメリアブール王国が管理し、整備も国が雇用している専属のマイスターによって行われている。
 それが……こんなところに?
「師匠ー。入るよ」
 トニーはノックもせず扉を開けて中に入る。アシュレーと、なぜかついてきたスコットとティムも後に続く。
 中は外観ほどには荒れていなかった。机と椅子があり、調度品があり、簡素なベッドも置いてある。だが、おおよそARMの店には見えない。
「ありゃ、留守か。それとも下にいるのかな」
 トニーは床に屈み込んで足許の床板を持ち上げた。そして床下に頭を突っ込むと。
「しーしょーおー! いるんですかー!?」
 床が震えるほどの大声で呼んだ。
 すると。
「でけぇ声出すンじゃねぇ! 糞坊主ッ!!」
 今度は家全体が震えた。アシュレーは肝を潰して思わず身を屈める。後ろではティムが尻餅をついている。
「ッたく、耳が潰れるかと思ったぜ」
 見ると、床下から黒い頭が出ていた。白髪混じりの縮れた黒髪は伸び放題で、髭もたっぷり蓄えているため、顔は目鼻を除いてほとんど埋没している。
「それはこっちが言いたいよ、師匠……」
 トニーが耳を押さえて顔を顰めている。一番近くにいたためダメージも大きかったらしい。
「師匠と呼ぶな糞餓鬼。弟子なンぞ取ってねぇ」
 がなり声で言いながら床に上がってきた。背丈はトニーと同じくらいだが、横幅は倍以上ある。突き出た腹はシャツから肉がはみ出し、ズボンは今にもはち切れそうなほど膨らんでいた。
「ほら、師匠……じゃなくて、ボフールさん。この人が前に話した、銃士隊のあんちゃん」
 トニーがアシュレーを紹介する。ボフールと呼ばれた髭もじゃは、血走った眼でぎろりと睨んできた。
「随分と生っ白い若造だな。今の銃士隊はこんなのも入れてんのか」
「まだ新入りでして、すみません。……それより」
 愛想笑いを浮かべつつ、尋ねる。
「あなたは、ARMマイスター……なんですか?」
「けッ。そんな小洒落たモンじゃねぇよ」
 ボフールはそっぽを向く。
「この人はARMの技師だよ」
 横のトニーが慌てて取り繕った。
「あのギルドグラードでARMの開発をやっていた、その筋では超有名な人だったんだぜ」
 ギルドグラードというのは北西の大陸を統べる大国だ。古くからARMとそれに関連する技術が発達し、ファルガイアでも随一の工業国となっている。
「わたくしなりの疑問といたしましては、そのような御方がなぜタウンメリアにおられるのでしょうか」
 異様な風体の男に物怖じする様子もなく、スコットが言う。一方で背後に隠れているティムは青い顔をして怯えきっていた。
「まぁ、色々あった……らしいんだよ。ほら、この人ってこんな感じでしょ。型にハマらないというか、ハマれないから、マイスター制度ができてからはどうもソリが合わなくなって爪弾きにされちゃったらしいんだ」
 トニーがまるで事情通の婦人のような説明をする。『枯れた遺跡』でも感じたが、この少年は見た目に反して妙にませたところがある。
「何がマイスターだ、糞忌々しい」
 ボフールは背凭れのない腰掛けに座って、煙草に火をつけながら悪態をつく。
「あんなモンがあるからボンクラ共がでかい顔しやがるんだ。おかげでARMの質は落ちる一方だ」
「質……落ちてるんですか?」
 アシュレーが聞くと、ボフールは一服燻らせてから、再び大きな眼で睨んでくる。
「そのARM、見せてみろ」
「あ、はい」
 アシュレーは肩に提げていた銃剣バイアネットを下ろした。ここに向かう前、トニーに持ってくるよう言われていたのだった。
 ボフールは銜え煙草のまま銃剣を両手で抱え、鑑定でもするように隅々まで眺め回した。
「M92の改良型か。旧式だけあってモノは悪かねぇな。だが調整が甘い。この分じゃ中も劣化が進んでいるだろう。……最近、撃ったときに重心のブレが大きくなってねぇか?」
「そういえば……確かに」
 連射をすると徐々に重心がブレていくのはこの銃の特性であるのだが、そのブレが最近は大きい気がしていた。
「この型は部品の劣化が早いんだ。劣化をなるだけ遅らせるには質の高いドラゴンの化石を使う必要があるが……最近のマイスターじゃ、それを見極める眼力はねぇだろうなぁ」
「だったらさ、師匠が直してあげなよ」
 トニーが言うと、ボフールは毛虫のような眉毛を動かして、顔を歪めた。
「師匠じゃねぇと言ってンだろ糞坊主。直すのは構わんが……手前ェはいいのか? 俺はマイスターの資格なンぞ持ってねぇぞ」
 アシュレーは考える。
 どう贔屓目に見ても、この男は怪しい。普通の神経ならば、こんな人物に大事なARMを託すことはしないだろう。
 ──だが。
「ひとつ聞いていいですか」
「なンだ」
「このARMの……火力を上げることはできますか?」
 彼の脳裏にあったのは──あの巨大な魔物の姿。モンスターの強固な外殻を前にして、このARMは全く歯が立たなかった。
 自分を──人々を──世界を守るためには、もっと強い力が必要だ。それがあの戦いを通して、アシュレーが実感したことだった。
「火力を上げるンなら、本体より弾だな」
 銃剣を机に置き、煙草を空き缶に放り込んでから、ボフールは振り向いた。
「金さえ貰えるンなら作ってもいいが。特注だから値は張るぜ」
「できる……んですか」
 アシュレーは目を見開く。銃士隊のマイスターにも依頼したが無理だと断られていただけに、驚きは大きかった。
「俺を誰だと思ってやがる。そのM92の原型のM73を作ったンは、この俺だぞ」
 そう凄む言葉とは裏腹に、表情は幾分緩んでいた。気が乗ってきたらしい。
「師匠の腕は確かだよ。この下も見せてもらったけど、すっげぇもん!」
「勝手に入り込んだンじゃねぇか糞坊主。ッたく、誰も入れたくなかったのに」
 はしゃぐトニーの頭を軽く叩いてから、苦々しげな顔をする。どうやら床下には地下室があり、そこがARMの工房になっているようだ。
「わたくしなりの結論といたしましては」
 と、背後のスコットが明朗な口調で進言する。
「トニー君の人を見る目は、それなりに信頼が置けると我が友人ながら思っております。その御方も外見はいかにも危険人物であり胡散臭い空気を醸しておりますが、ここはトニー君を信用して託してみても良いかと」
「はっきり言うじゃねぇか。正直なのは嫌いじゃねぇぜ」
 ボフールは満更でもなさそうに、髭に隠れた口許をつり上げた。
 アシュレーはその様子を見て──決断した。
「お願いします。ARMのメンテと……新しい弾を」
 意志を伝えるように、その充血した眼を見据えて、言った。
「任せとけ。信頼には信頼で応える。それが『本物』の流儀だ」
 ボフールはそう言うと、ニヤリと不敵に笑った。
「トニーはあの人と、どうして知り合ったんだ?」
 帰りの道すがら、アシュレーは聞いてみた。
「教会によく来てたんだ」
 先を歩いていたトニーが得意気に答える。
「礼拝のときによく見かけて、気になっててさ。あんな変わった見た目だから目立つんだよね」
「それは……意外だな」
 あれで結構信心深いようだ。見かけによらない……と思うのはさすがに失礼だろうか。
「寄付なんかもしてくれてるらしくてさ、シスターとも顔なじみだったんだ。気になってたからシスターに聞いてみたら、名前を教えてくれて。それでピンときたんだ」
「ピンと?」
 聞き返すと、トニーは身体をこちらに向けて、後ろ歩きをしながら言う。
「さっきも言ったじゃん。その筋では超有名な人だ、って」
 まだ釈然とせずに微妙な顔をしていると、小柄な少年は前に向き直って。
「オレ、ARMの技師になりたいんだ」
 空に向かって宣言するように、言った。
「そのうちギルドグラードに行って、すんげーARMを作ってやる! だから、今からちょっとずつ勉強してんだ。小遣いはたいてたっかい専門書買ったりしてさ」
「その専門書にあの御方の名前が載っていた、ということですね」
 スコットが察して後ろから言う。それでアシュレーも納得できた。
「一生懸命読んでるもんね、最近」
 隣を歩くティムも言う。ボフールの家では家主が恐くて一度も発言しなかったが、ようやくいつもの調子に戻ったようだ。
「でもさ、やっぱり本の知識だけじゃつまんない……じゃなくて、限度があるじゃん。だから、あの人に色々教えてもらおうとアプローチしてるんだけど」
「それで『師匠』と呼んでいたのか」
 ボフールにしてみればいい迷惑なのだろうが……それでも先程のやり取りを見る限りでは、完全に拒絶されているわけでもなさそうだ。この少年の人懐こい性格が幸いしているのかもしれない。
「大したもんだな。その歳でもうやりたいことを見つけているなんて」
 感心していると、トニーはまたこちらを向いて得意満面に言い放つ。
「孤児院っ子をナメんなよッ。そこらの甘ちゃんな子供と一緒にしてもらっちゃ困るぜ」
「へえ……。じゃあ、スコットやティムも将来の目標は決まっていたりするのかい?」
 三人とも孤児院にいると聞いていたので、試しに尋ねてみた。
「わたくしは、日々平穏に過ごすことのできる環境であれば特に高望みはいたしません」
「ボクも……そんなに考えては……」
 アシュレーはトニーを見る。
「……と、他の孤児院っ子は言ってるけど」
「……わかったよ。言い過ぎました」
 未来のARM技師は口を尖らせて拗ねた。
 話をしているうちに、街の中央広場まで戻ってきていた。西陽の射し込む広場は人影もまばらで、噴水ばかりが物寂しげに飛沫を上げている。
「あれ?」
 噴水の向こうに、見慣れた姿があった。エプロンのついたドレスに、薄手のケープ。肩に触れるあたりで切り揃えた赤毛が西風に吹かれて揺れている。
「どうしたんだ、マリナ」
 声をかけると、マリナは小走りに駆け寄ってくる。
「捜していたのよ、アシュレー」
「捜してた? どうして?」
 聞き返すと、マリナは持っていたものを差し出した。何かの封書のようだった。
「お城の人が来て、これをアシュレーに……って」
 妙に不安そうなマリナから封書を受け取り、蝋を剥がして広げる。
 それは、辞令だった。内容は──。
「謹慎の解除と……特殊部隊への、転属?」
「特殊部隊ってなに?」
「さあ、僕も……いや」
 言いながら、アシュレーは思い出した。
 あれは『枯れた遺跡』に向かう車両の中だったか。隣のマルコが口にしていた──。
「……国家規模の任務を遂行する……部隊。近々新設されるという噂は聞いていたけど」
 まさか、本当に新設されるのか。
 そして、そんな部隊に──。
「僕が、選ばれた──?」
 ベッドに入って横になっても、なかなか寝つけなかった。
 幾度も寝返りを打ち、それに疲れると仰向けになり、手の甲を額に置きながら暗い天井を眺めた。
 軽い高揚感と、不安、そしていくつかの疑問。それらが綯い交ぜになって、青年の頭の中を駆け巡る。
 特殊部隊に選ばれた。その事実は、彼に様々な感慨をもたらした。
 当然、嬉しいはずだった。その辞令を受け取るまで、彼はただの冴えない新兵に過ぎなかったのだ。初めての任務で命令に叛き、謹慎処分まで食らっていた。それを考えれば信じられない大出世だ。
 ──そう、信じられない。
 どうして自分が選ばれたのか、さっぱり判らない。むしろ重大な規律違反を犯した身だ。予備隊への出戻りすら覚悟していたというのに。
 そして、もうひとつの疑問。
「……マリナは、どうして怒ったんだろう……」
 あの噴水の前で。
 渡された封書の内容に彼は驚き、そして……思わず喜んで、軽く燥いでしまったのだ。
 そんな彼に、彼女は冷や水のような言葉を浴びせてきた。
 
 ──それは、そんなに喜ぶようなことなの?
 ──今よりもっと危ない仕事をすることが、そんなに嬉しいの?
 ──人の気も知らないで。
 
「人の気も知らない、か」
 天井に向けて、アシュレーは呟く。
 マリナとは、一応は幼馴染みということになっているが──ほとんど家族同然に過ごしてきた。彼女も幼い頃に両親を喪い、叔母のセレナに引き取られていた。二人はこれまで兄妹のように育てられ、二人もそうした関係に何の疑問も持たず育ってきた。
 だが、いつしかその関係にも微妙な変化が生じ始めた。少年が青年となり、少女が女性となったことで訪れた「変化」は、二人の間に小さな逕庭けいていをもたらした。通じていたことが通じなくなり、当たり前と思っていたことが当たり前でなくなった。
 そうして、いつしか──わからなくなっていた。
 彼女の気持ちが。言葉の真意が。
「マリナのことは何でも知っている、はずだったのになぁ……」
 溜息をつきながら、身体を横に向ける。闇が張りついた自分の部屋は、どこか余所余所しく感じた。
 ようやく眠気が訪れたので、目を閉じた。眠りに落ちる間際に思い出すのは、昔の光景。
 まだ気持ちが通じ合っていた頃の、少女の姿。
 そう。あの頃はとても単純だった。僕らは家族で、幼馴染みで、それから──。
 
 ──それから?
 ブーツの紐を結び、お気に入りの赤いスカーフを巻いてから、姿見の前に立った。
「……こんなもんかな」
 髪を手櫛で整え、背中まで鏡に映していつもより念入りにチェックする。何しろ特殊部隊としての初出勤だ。怠りのないようにしなければ。
 納得いくまで確認してから、銃剣と荷物を担ぐ。戦地に赴く訳ではないので荷物は大して多くない。
 部屋を出て下に降りると、セレナとマリナが待っていた。
「それじゃあ、行ってきます」
 二人に向けて言うと、セレナが前に来て、そっと肩を抱き寄せた。
「いい顔してるじゃない。銃士隊のときより凜々しいよ」
「銃士隊のときより、って、まだ一ヶ月も経ってないですよ」
 アシュレーは苦笑して、それからマリナを見た。
「行ってらっしゃい。……気をつけて」
 少し気まずそうに、マリナが言う。一昨日のことがまだ尾を引いているのか。
「今日は式典だけだから、何も心配ないよ」
 敢えて明るい声で、アシュレーは言った。それでようやくマリナの表情も緩んだ。
「ごちそう作って、待ってるね」
「ああ。楽しみにしているよ」
 向き合って笑顔を交わしたところで、店の扉が勢いよく開いた。
 入ってきたのはトニーだった。
「あんちゃん! ……って、おっとと」
 何を勘違いしたのか、トニーは回れ右をして扉に戻っていく。
「ごめん、出直す」
「いや、出直さなくていいから」
 慌ててアシュレーが呼び止める。
「今日が式典だって聞いたからさ……へへ」
 赤毛の少年は訳知り顔で近づいてくる。入口にはスコットとティムの姿もあった。
「見送りに来てくれたのか」
「当然じゃん。『憧れのアシュレーさん』の晴れ姿だし、なぁ?」
 トニーが意地悪くティムの方を見ると、ティムは顔を真っ赤にして俯いた。
「あと、これを渡しに来たんだ」
 と、アシュレーに二つ折りの革ケースを手渡す。広げると、中には弾頭つきのカートリッジが五本、収まっていた。
 ボフールに依頼していた……新しい弾か。数日かかると聞いていたので、明日あたり受け取りに行こうと思っていたのだが。
「さすがに仕事が早いな、ボフールさん」
「早いだけじゃねぇぜ。威力も半端ねぇから気ィつけて使え──って、師匠が言ってた」
 代金は後できっちり払えよ、若造──と、ボフールの真似をしてトニーが言う。アシュレーは笑った。
 外に出ると、早朝の街は静けさの中にあった。石畳の上に立ちこめる霧を乱すようにして、アシュレーたちは歩いていく。
「それじゃあ、みんなありがとう。行ってくるよ」
 街の正門のところで立ち止まると、アシュレーは言った。結成式典の行われる『剣の大聖堂』は、タウンメリアから街道を一時間ほど歩いた先にある。
 皆と最後の挨拶を交わしてから、踵を返す。そして一歩進んだところで──。
「アシュレー」
 マリナが声をかけた。アシュレーは振り返る。
「ちゃんと、無事に……帰ってきてね」
「帰ってくるよ。約束する」
 ──やくそくだよ。
 不意に、彼は昔のことを思い出した。
 そう──彼女は小さな頃から、彼に色んなことを「約束」させていた。
 何気ない言葉ではあるけれど……それでも言葉として聞くことで、安心できるのだろう。
 そして、今の彼女も。
「約束だよ」
 記憶の中の少女と同じ声で。同じ仕種で──そう言った。
 なんだ。ちっとも変わっていないじゃないか。
 アシュレーは眼を細め、手を挙げてそれに応えた。そして再び背を向ける。
 彼女の小さな「約束」を胸に刻みながら。
 青年はひとり、街道を歩き始めた──。