■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Mission 8 屋根裏のエイリアン

 カイーナは膝を折り、こうべを垂れながら主の言葉を待っていた。
 無機質な金属に囲まれた広間。張り巡らされた鉄の血脈が壁や天井をつたい、部屋の中心で束となり、巨大な装置に繋がっている。
 装置は、静かに鳴動していた。
 どくどくと。
 ごうごうと。
 ──生きている。いや、動いている。
 いよいよ目醒めるか──。
「ギルドグラードか」
 我があるじ──ヴィンスフェルトが口を開いた。カイーナはおもてを上げる。
 天井から降り注ぐ人工灯が、光背こうはいさながらに銀髪の威丈夫いじょうぶ照射てらしている。
 青年は畏敬いけいの念を抱きつつ、そのようですと応じた。
「あの頭領マスターの性分からして、素直に協調するはずはないと踏んでいたが──矢張やはりな」
 そう独語どくごすると、ヴィンスフェルトはこちらに視線を下ろした。
「よく突き止めてくれた。いい子だ」
 無骨な大きな手が頭の上に載せられる。髪の隙間に入り込む指の感触に、カイーナは密かな安息を覚えた。
「いかが……致しましょうか」
 わずかに染まった頬を悟られまいと、目を伏せてから尋ねる。
「そうだな……」
 主は遠い目をして、しばし思案した。その姿をカイーナは盗み見る。
 精悍せいかんにして知性をにじませる面差おもざし。たくましい体躯たいくを飾るは絢爛けんらんたる軍服。気概と威光に充ち満ちた、真の指導者の姿である。
 ──やっと、見つけた。
 従うべき師を。この身を預けるに相応ふさわしい存在を。
 カイーナは、常に孤独を抱えたまま生きてきた。
 親のことは全く知らない。捨て子同然でシエルジェの魔法学校に預けられた。教室の片隅で魔法道具を玩具おもちゃがわりにして遊んでいたのが、彼の記憶の始まりである。
 やがて生徒に混じって講義を聴くようになると、魔法の世界に没頭するようになった。正式に入学も認められ、寝食しんしょくを惜しんで研究に励んだ。その時間だけが、孤独な彼に充足と安定をもたらした。
 だが、教師たちはそんな彼のことを快く思わなかった。
 原因は、彼の研究内容だった。
 彼は秘術や禁術といった、暗箱ブラックボックスに封じられた魔法にばかり傾倒けいとうしたのである。既に理論が確立され体系化された魔法など、彼にとっては下らない、つまらないものだった。
 教師たちの再三の注意や忠告にも耳を貸さず、彼は研究を続けた。孤立はさらに深まり、味方をしてくれる者は誰もいなくなり。
 遂に彼は──学校を放逐ほうちくされた。
 理解できなかった。
 不明なものを研究することの何が悪いのか。解らない事象を解き明かして人々の役に立てるのが、学究のとしての使命ではないのか。
 危険だおそれ多いと教師たちは口々に言う。危険であるならなおのこと、危険のない扱い方を見出すことが必要なのではないのか。危険なまま放置することの方が危険であろう。
 結局、あの連中は自分に解らないことをしている僕が怖いだけなのだ。自分たちの世界を守りたいだけなのだ。
 何が魔法の権威だ。腐っている。
 鬱屈うっくつした思いを抱えたまま、彼は各地を放浪した。身銭みぜには渡り鳥まがいのことをして稼いだ。
 そして──この人に出会った。
 ヴィンスフェルトと名乗ったその人は、彼の魔法学校での顛末てんまつを聞いた後、こう言った。
 ──間違っているのは学校の方だ──。
 初めて聞いた、自分を理解してくれる言葉。
 世界が一気に開けた、そんな気がした。
 話を聞けば、ヴィンスフェルトも禁術の類に造詣ぞうけいが深いという。あのような強大な力を封印したままにするのは罪である。より良い世界を創るために大いに利用すべきだ──。
 そうだ。その通りだ。
 長い孤独によっててついた彼の心が、その言葉でみるみる融解していく。
 私たちは同志だ──と、ヴィンスフェルトは手を差し伸べた。
 共に手を携え、腐りきった世界を造り替えようではないか──。
 カイーナは迷わず手を取り、同志となった。
 自分を孤独から救ってくれた、この人のもとで。
 腐った世界に仕返ししてやる──。
「当面は泳がせておくべきか……いや」
 同志であり師である彼が長考ちょうこうの末にそう呟いたとき、背後の扉が開いた。
 カイーナは振り返って──頬を引きつらせる。
 暗がりから靴音を立てて歩いてきたのはアンテノーラ。彼の隣で足を止め、ヴィンスフェルトに一礼する。
「至急、お伝えしたき儀が」
「聞こう。続けよ」
 は、とアンテノーラは抱えていた資料に目を落とし、それから一度こちらに視線を流してきた。
 カイーナは顔を背けた。
 この女は、苦手だった。
 同じ特選隊に属してはいるものの、他のメンバーと接する機会は多くない。その反面、ヴィンスフェルトとはこうして頻繁に報告を行い、連携している。
 それは彼女が諜報役として単独行動が多いためなのだろうが……それだけではないことも、カイーナは知っていた。
 同性である自分では決して踏み入ることのできないところで、彼らは繋がっている。そのことが彼に嫉妬と軽蔑けいべつと……軽い嫌悪の感情をもたらしていた。
 そして、そうした気持ちを知ってか知らずか、この女はいつも冷めきった眼でこちらに目配せしてくる。まるでお前なんて相手ではないと言われているみたいで──。
 苛立いらだちを悟られる前に、カイーナは立ち上がって横に退いた。アンテノーラは既に視線を資料に戻している。
「バルキサスの残存データですが、どうやら解析前に奪取に成功したようです。機密は保持されました」
「そうか」
「ですが、あの中にはプラントの地図も入っていました。見られた可能性は高いかと」
「プラントの役割はほぼ完了している。問題なかろう」
「はい。ですから……これをえさとして利用しようかと」
「ほう」
 ヴィンスフェルトが興味を持った。カイーナは近くの壁に視線を固定したまま聞き耳を立てる。
「下準備として、奴らの庭に──種をきました」
 事務的な口調で、アンテノーラは言葉を継ぐ。
「この種がどのように育つかはまだ判りません。ですが、首尾しゅびよく事が運べば」
「奴らを内側から食い破る芽となる──か」
 自分の理解の埒外らちがいで交わされる会話に、カイーナの心中は再び乱れた。
 謀略。姦計かんけい権謀術数けんぼうじゅっすうに長けたこの女の得意とするところである。ヴィンスフェルトもその能力を高く買っている。
 だが、カイーナは嫌いだった。
 卑怯だなどと言うつもりはない。正々堂々というのも、それはそれで虫酸むしずが走る。トロメアあたりは好きな言葉なのだろうが。
 大願のためには障害となる敵をあざむき、出し抜くことも必要な手段ではあるのだろう。そのくらいのことは理解している。けれども。
 我らの……いや、自分の主が、こうしてはかりごと腐心ふしんしている姿を見るのは──嫌だった。
 策を巡らすというのは劣った人間のすることだと、カイーナは思う。真に力のある者には策など無用である。偉大なるヴィンスフェルトには相応しくない。
 それを、この女が──。
 カイーナは肩で息をついた。知らずと奥歯を噛みしめていたことに気づき、力を抜く。
「ならば、ARMSは今一度、お前に預けよう」
 主の言葉に、アンテノーラは臣下の礼で応じる。
「前回のてつを踏むことないよう、留意して臨みます」
「なに、『ガーディアン計画』の失敗はジュデッカの油断が招いたことだ。お前に落ち度はなかった」
 吉報を待っているぞ、とヴィンスフェルトは笑みをたたえたまま言った。
「必ずや」
 アンテノーラは赤髪を翻して、足早に暗がりへと消えていった。
「閣下、それで……ギルドグラードの件は」
 邪魔者が退場し、ようやくカイーナは視線を戻すことができた。
「ああ」
 ヴィンスフェルトは顎に手を宛て、再び思案する。
「ジュデッカは未だ復帰できず、トロメアもプラントの後始末でしばらくは動けぬ。ならば……」
僭越せんえつながら、自分が」
 自重しきれずに、申し出た。
「自分にお任せ頂けないでしょうか」
 この人の役に立ちたい。いや、それ以上に。
 あの女に負けたくない──。
 真摯しんしな眼差しを向けるカイーナに、ヴィンスフェルトは口許を緩めた。
「目的は判っているな」
「はっ」
 再び膝を折って、衷心ちゅうしんを表す。
「閣下に相応しき手土産を持ち帰ってみせます」
 よかろう、と主は彼の前に歩み寄り、右手を差し出す。
「あの傲慢ごうまんな男に一泡吹かせてやれ」
御心みこころのままに──」
 カイーナはうやうやしくその手を取り、甲に口づけした。
 もう、孤独じゃない。
 この人がいれば、自分は──。

 雪原を南に進んで山の裏側に回ると、途端に雪の量が少なくなった。
 相変わらずの雪景色ではあったものの、道は所々に地肌が覗くようになり、随分と歩きやすくなった。寒さもいくらか緩んだ気がする。
 そして、街道の南側には。
「海だあッ」
 道を外れて駆け出しながら、リルカが叫んだ。そして背後を振り返って。
「ほらティム、海だよ海。見て見て」
 ティムははあ、と生返事をして彼女を追いかける。
「あの……ボクは港町に住んでたから、海はそんなに珍しくは……」
「わたしだって別に珍しくないよ。でも久しぶりに白くない景色が拝めたんだからさ、ありがたみが違うじゃない」
「あり……がたみ……?」
 独特の言い回しに少年は困惑したが、リルカはお構いなしに続ける。
「それに、こっちの海ってタウンメリアとかと違って、色が濃くない? 黒っぽいっていうか」
「ああ、そういえば……そうかも」
 深さのせいかな、とティムもまじまじと眼下に広がる海面を眺める。結局彼女のペースに巻き込まれてしまっている。
「そろそろいいかな、お二人さん」
 道草が長引きそうな気配がしたので、アシュレーは後ろから声をかけた。
「自然に興味を持つのは良いことだけど、一応緊急任務の途中だから先を急がないと」
「す、すみません」
 顔を赤くしたティムが慌てて戻ってくる。
「ティムはいいんだ。緊張感ないのはそっち」
 アシュレーが視線を向けると、リルカは不平そうに口を尖らせた。
「またそうやってエコヒイキする」
 なんなのあんたら、できてんの? と悪態をつきながら彼女も戻ってきた。
「だいたい、緊急って言ってもそこまで緊急じゃないんでしょ。『捕まえちゃいけない鬼ごっこ』みたいなものなんだから」
 的確な例えに、アシュレーは思わず苦笑した。
 彼女の言う通り、今回は急ぎの任務ではあるものの、さほど切羽せっぱ詰まった様相はていしていない。
 急ぐ必要のない緊急任務──いや、むしろ急いではいけないのだ。
 昨夜、マクレガーの研究室からデータ端末タブレットが盗まれた。教授やテリィたちが夕食のため部屋を空けた、その間の犯行であったという。犯人の姿は確認できていないが、恐らく情報漏洩を恐れたオデッサの仕業だろう。
 端末内のデータは解析の途中であったため、まだほとんど情報を抜き出せていなかった。すぐにでも犯人を追跡しなければとアシュレーは申し出たのだが。
 研究室の投影機プロジェクターに映された指揮官は、思いもよらないことを言い出した。
 ──少し泳がせておこう──。
 どうやら端末の行方はすぐに探索サーチ可能であるらしい。端末には無線通信を行うための感応石が組み込まれており、その電波を辿れば発信源──すなわち端末の位置を特定できるのだという。
 通信電波は微弱なため、それを受信するテレパスメイジの腕が問われるところではあるのだが。
「とびきり優秀なあたしとケイちゃんがいるから、だいじょーぶッ」
 いきなり映像にそばかす顔の女の子が割り込んできて、そう宣言した。そして例のごとくケイトに小突かれて引っ込む。
 一抹の不安は残ったが、アーヴィングも問題ないと言うのでその件は不問とした。
「端末が奪われてしまったことは痛手ではあるが、この際それを逆手にとって、奴らの現在の拠点を突き止めてやろうではないか」
 指揮官は不敵な笑みを浮かべてそう言い放った。
 相変わらずしたたかな男である。
「えっと……じゃあ、こちらで追跡する必要はないってことなのかな」
 アシュレーが尋ねると、追跡はしてもらうとアーヴィングが答えた。
「何もアクションがないというのは流石さすがに不自然だからね。こちらの真意を気取けどられない程度に追跡を行う」
「俺たちは陽動役という訳か」
 ブラッドが背後から重い声で言う。マイトグローブの調整を終えて少し前に合流していた。
「無論、追跡の結果端末を取り返すことができれば、それに越したことはないが。ただし、ある程度のところまでは一定の距離を置いて追跡してもらうことになる」
「なんか、逆にやりづらそうだなぁ」
 リルカが首を捻る。
「ま、でも、それなら今すぐ出発しなくてもいいんですよね」
「そうだね。君達も疲れているだろうから出発は明朝にしよう。それまでには端末のトレースも完了しているだろう」
 ──という訳で。
 彼らは朝にシエルジェを出発し、現在は端末奪取という名目の陽動任務を行っている最中であった。シャトーから随時伝えられる情報によれば、端末(と、それを奪った犯人)は山を挟んだ南側に回り込み、そこから西に向かっているという。
 その先にあるのは──。
「……あれが」
 道の先に、見えてきた。
 岬の突端とったんに立つ細長い建物。そして。
「ゲートブリッジか」
 シエルジェのある大島とシルヴァラント大陸を結ぶ、巨大な橋。
 だが。
「橋、上がってるね」
 橋桁はしげたが跳ね上がり、高々とした壁となっているのが見えた。
 この橋はシルヴァラントとシエルジェが共同で管理しており、通常は管理者以外動かすことができないと聞いていたが──。
「連中ならば管理棟に入り込んで操作するくらいは可能だろう」
 こちらの追跡を妨害するために──か。
「勝手に上げられたんなら勝手に下ろしちゃえば?」
「いや、だから僕らは」
 無法者ではないのだ。
 奴らがどうあれ、こちらはあくまで法を遵守じゅんしゅし、規則の範囲内で動かなければならない。
 歯痒はがゆさは否めないが、正義を標榜ひょうぼうするからには、その原則は曲げてはいけない。たがを外せば自分たちもテロリストと同類──なのである。
「とにかく、一度アーヴィングに連絡して対処を聞こう」
 いつものように、アシュレーは通信機のスイッチを入れた。
 すると。
「……ん?」
「どうしたの?」
 リルカが近づいてくる。アシュレーは眉間に皺を寄せたまま、通信機に耳を寄せる。
「何か、声が……」
 まだシャトーに繋ぐ前なので、アーヴィングやエイミーたちではない。
 どこか……この付近の電波を拾っている──?
〈…………トカ〉
「トカ?」
 横で聞いていたリルカが声を上げた。同時にアシュレーは凍りつく。
〈…………げー〉
「げー?」
 反対側から耳を澄ませていたティムがスピーカーの声を聞き取った。リルカも察したらしく、露骨に嫌な顔をする。
 このまま切った方が精神衛生上は好ましいのだろうが……そうもいかない。彼らも一応オデッサの一味である。近くにいるのなら、聞かなければならない。
 それでも気が進まず躊躇ちゅうちょしていると、横からリルカが通信機のツマミを捻って調節した。
 ノイズが薄れ、うんざりするほど軽快な音楽をバックにして、彼らの声がスピーカーを震わせ始めた。

〈ファルガイアに住まう津々浦々の紳士淑女の皆々様、御機嫌いかがでしょうか。午後の優雅なひとときを皆様に提供するカリスマ科学者、トカでございます〉
〈げ?〉
〈本日はこの、ゲートブリッジ西管理棟の通信室からリスナーの皆様にお届けしておりますが、窓から臨める景色は、やあ絶景。見事なファルガイア晴れで、山も海も世界が丸見えでございます。澄んだ青空を眺めておりますと、あの遙か彼方に我らが帰るべき母星があるのだなあとノスタルジィかつメランコリィな気分にもなろうものですが、我々は負けませんぞ。だって男の子ですもの。宇宙一の科学者としての地位と名誉を引っさげて凱旋するその日まで、重いコンダラ試練の道を〉
〈げー? げ、げーッ〉
〈どうしたのですかゲーくん。……ああ、いや失敬。ここの通信設備を見ていたら、スペースDJとして名をせていた若き頃を思い出してしまいまして、つい〉
〈げ……げげー? げー〉
〈ふ、若気の至りではあったとは言え、朋友ほうゆうたる君に隠しておくべきことではありませんでしたな。我輩のようにあらゆる才知にあふれるトカゲは何をやっても成功してしまうので、周囲からのねたそねみも少なくないトカ。それゆえに我輩も能あるホークが爪を隠すが如く、自らのことはあまり語らぬようになったのでありますよ。男は背中でモノを語る、そんな時代も今は昔。現代情報化社会は積極的に己の情報も公開するのがスタンダードなのですなぁ〉
〈げー〉
〈ということで、もののついでと言ってはアレですが、このゲートブリッジの管理情報もこの場を借りて公開してしまいましょう。我輩のほんのささやかな出来心が世界を恐怖のズンドコに陥れる。痛快ではございませんか。この情報が流れた次の日からは、ゲートブリッジは上げ放題下げ放題。やんちゃな盛りのお子様たちがこの管理棟につどってギッコンバッタン、巨大なシーソーに戯れる姿が目に浮かびますなぁ〉
〈げーッ。げー〉
〈ゲーくんも遊んでみたいトカ。いやしかし、まだブリッジを下ろす訳にはいかぬのです。今回の目的は憎きARMSどもをここで足止めすること、それを忘れてはなりませんぞ〉
〈げー、げー〉
〈まあ、彼らが退散してからたっぷり遊びなさい。さて、この管理棟ですが、まず入口には当然ロックがかかっておりましたが、パネルにパスワードを入力すれば解除できますぞ。パスワードは『2949』でありました。しかし肉欲2949とは、ここの管理者は肉好きの食いしん坊なのかそれともタダの助平すけべいなのか、いささか気になるところではありますな〉
〈げげ、げー〉
〈ロックを解除し速やかに階段を上れば、そこは制御室。何やら機器が並んでおりますが、橋の上げ下げに関わるのは中央にある三本のレバーのみであるので他は無視してよろしい。番号の割り振られているレバーを2→3→1の順番で上げれば、たちまち橋は天に突きつける刃のごとく屹然きつぜんとせり上がるのであります。百聞は一見に如かず、皆様もこの雄大な様を是非ご覧あれ。汗水流して築き上げた男達のプロジェクトXに感銘を受けること請け合いトカ〉
〈げーげーげーげーげーげ、げーげげー♪〉
〈ゲーくんが何やら熱唱しておりますがJASナントカさん的にNGなので歌詞は割愛させていただきますぞ。ちなみに橋を下ろす場合は逆に1→3→2の順番でレバーを下ろせばOK。木登りしたけど下りられない子猫のような事態にならないためにも、こちらも念頭に置いておくのが紳士のたしなみであるトカ〉
〈げーげげー、げーげげー♪〉
〈さて、ゲーくんの歌もエンディングに差しかかったようなので、名残惜しいですが我輩の小粋な特別放送もお開きといたしましょうか。お相手は宇宙一の科学者にしてカリスマDJのトカでございました。それでは皆様、素敵な午後をお過ごしくだ……おぉッ!?〉
〈げッ!?〉
〈な、何故橋が動いて……下り始めているのですかッ。この管理棟には我輩たち以外には誰も……〉
〈げー、げげー〉
〈え? 反対側の管理棟からでも橋の操作はできるのではないか? そういえば東側にも同じような建物がありましたが……〉
〈げげー、げー〉
〈ふむ、今の放送を聞いたARMSが、東の管理棟に侵入して橋を下ろしたのではないかと……なるほど。そういうことか、はかったなARMSめッ〉
〈げー〉
〈しかぁし、これで先に進めると思ったら大間違いであるぞ。こんなこともあろうかと、ブリッジの西側出口には我輩の手がけた傑作モンスターを配置しておいたのだッ〉
〈げーッ〉
〈その名も『改造タラスク』! そう、かつてARMSによって撃破されたモンスターを回収して改修、もとい改造を施した、環境にも優しいリサイクルモンスターであるッ。しかも性能は改造前の三倍(当社調べ)。よりパワフルに、よりスタイリッシュに、コケティッシュかつペシミシュテッ……(舌噛んだ)〉
〈げー……〉
〈と、とにかく強力になったタラスクが最後の門番として待ち構えておるのだッ。いくらARMSとはいえ、そう易々やすやすとは……え?〉
〈げ?〉
〈な、何ですかな今の爆発は。ま、まさか、あの煙を上げているのは……タラスク? 馬鹿な、こんな短時間で……そんな〉
〈げー、げー……〉
〈……ふ、ふふ。予定より少しだけ、ほんの少しだけ早かったが、ひとまずARMSを一時的に足止めすることには成功したのだ。ミッションコンプリートであるッ。我輩たちのワンポイントリリーフっぷりに監督の評価も目下もっかうなぎ登りであるトカ〉
〈げ、げー〉
〈ARMSよ、今回は見逃してやるが、次に会ったときが年貢の納め時だと知るがよいッ。我輩の最高傑作『ブルコギドン』が貴様らを完膚かんぷなきまでに叩きのめしてくれようぞ。その日まで……さらばッ〉
〈げ? げ、げげ~〉

「つ、疲れた……」
 急激な脱力感に襲われて、アシュレーは腰から砕けるようにへたり込んだ。
「アシュレー、無茶しすぎだよ。いくらアレと会いたくないからって」
 大の字になって寝そべるアシュレーを、リルカが覗き込む。
 ゲートブリッジの西側に広がる平原である。魔物の気配もないので休憩を取ることにした。
「凄かったですね、さっきのアシュレーさん……」
 ティムは少し離れたところにある岩に腰を下ろしてから、こちらを遠慮がちに窺う。まだ呆気にとられた顔をしている。
 無理もない……かもしれない。
 通信機から彼らの声が聞こえたその瞬間から、挙動が一変したのだから。
 とにかく遭遇するのだけは避けたかった。我慢してトカ博士の能天気な話に耳を傾け、ブリッジの管理情報を聞き出すと真っ先に東側の管理棟に駆け込み、独断で橋を下ろした。
 法の遵守なんて知ったことではない。糞食らえである。
 橋桁が下りても二匹はまだ上で暢気に漫談していた。今のうちに突破しようと先を急いだが、西側の出口には彼らが手がけたと思しきモンスターが待ち構えていた。
「あの魔物、かなり強そう……でしたよね」
「普通に戦えば苦戦は必至だったろうな」
 地図を片手に方角を確認しながら、ブラッドが言う。
「忘れもしないよ。あいつ、処刑場でジュデッカがけしかけてきたヤツだよ。なんか改造もしてあったし、絶対とんでもなく強かったと思う」
 そんな強力なモンスターを、アシュレーは。
 一撃で──倒してしまった。
 自分でも実は記憶が曖昧なのだが、立ち塞がる魔物を目にした瞬間、名状しがたい感情が駆け巡り、気がついたら──。
 あの巨大な魔物を、吹き飛ばしていた。
 自分が黒騎士の姿に変身していることに気づいたのは、全てが終わってからのことだった。
「ナイトブレイザーって確か、強い絶望と欲望を感じないと変身できないんですよね」
「アレがすぐ近くにいるという『絶望』に、アレから逃げたいという『欲望』……そんなところかなぁ」
 よっぽどイヤだったんだねと、リルカに同情するような眼差しを向けられてしまい、今更ながら恥ずかしくなって顔を背ける。
「その、トカとゲーでしたっけ。そんなに嫌な人たちなんですか」
「うーん、憎めないヤツらだとは思うんだけど。でも、一緒にいると色々吸い取られるんだよね」
「吸い取られる?」
「うん。大事なモノをね、色々と。アシュレーは波長が合ってるみたいだから余計に」
「なんだよ波長って……」
 これ以上連中の話を聞きたくなかったので、身体を起こして止めさせた。横になったおかげで体力も戻ってきたようだ。
「大丈夫? 今日はここで休んでもいいんじゃない」
「平気だよ」
 変身したのはこれで三度目だが、以前ほどには消耗しなくなっていた。
 ──この『災厄』の力に、慣れてきている。
 疲れなくなるのは助かるが……反面、そら恐ろしさも感じた。
「日没までまだ時間はある。追跡を続行しよう」
 そう言って通信機を取り、シャトーに繋ぐ。
 すぐにアーヴィングが応答した。
〈問題なくブリッジを通過できたようだな〉
「ああ、うん……問題なく通れたよ」
 経緯を説明するのも面倒だったので、適当にはぐらかしてから端末タブレットの現在地を尋ねる。
〈端末はそこから北西にある森を抜けたところだ。現在はさらに北に向かっている〉
「森?」
 通信機片手にその方角を見たが、荒涼こうりょうとした大地がひたすら続いている。
〈ああ。もしかしたら既に森は消失してしまったのかもしれないな。十年ほど前から急激な気候変動で荒廃が始まったとは聞いていたが〉
「森が消失……それって、やっぱり」
 ──ファルガイアの荒野化。
「ガーディアンの力が失われた影響……ですね」
 守護獣の『柱』である少年が、少し思い詰めたように呟いた。
「別にティムが気にすることじゃないでしょ」
 見かねたリルカが声をかける。
「でも……」
「でもじゃない。気にすんな。命令」
「え、ええ?」
 頭ごなしに言いつけられて、気弱な少年は涙目になる。
「それより今できることをやろうよ。今は鬼ごっこやってんでしょ」
「そうだな」
 アシュレーは再び通信機越しに尋ねる。
「『鬼』は森を抜けて北に向かっているんだな」
〈ああ〉
「その先には何が?」
〈村がある。セボック村という、百人程度の集落だ〉
「セボック村……」
 珍しくブラッドが反応した。口許に手をて、何かを考えている。
「知ってるのか?」
「……いや」
 ブラッドは一度視線を返したが、すぐに大きな身体を背けて沈黙してしまった。
 その態度が少し引っかかったが、ひとまずアーヴィングとの通信に戻る。
「犯人はその村に向かっている、ということか」
〈そうだな。目的は不明だが〉
「もしかして、そこがアジトとか?」
 リルカの発言にアシュレーは驚いたが、即座に指揮官が否定した。
〈流石にそれはないだろう。ただ、このままだと連中が村人と接触する可能性は高い。不測の事態も想定されるので、君達もできるだけ早く村へ行ってもらいたい〉
「了解。これよりセボック村へ急行する」
 通信を切ってから、再びブラッドを見る。
 かつての英雄はこちらに背中を向け、かつては森だった場所を眺めている。
「……五年、か」
 そう言葉を洩らす彼を、アシュレーは憮然ぶぜんと見つめた。

 日没はやや過ぎてしまったものの、空に闇のとばりが落ちきるまでにはセボック村に着くことができた。
 丸太を組んで作られた門を潜ると、いくつかの人家が見えた。村を囲う柵には所々さおくくりつけてあり、その先には街灯代わりの角灯ランタンが掲げられてあった。
 取り立てて特徴もない、ごく普通の村のようであったが。
「やはり……ここか」
 炎に浮かび上がる家並みを認めたブラッドが、そう呟いた。彼自身の顔も頭上の角灯に照らされ、燃え立つように揺らめいている。
 アシュレーは問い質そうと口を開きかけたが、思い止まる。
 聞かれたくないこと──なのだろうか。
 先程の拒絶するような沈黙が、気になった。
「ねえ、ブラッド」
 迷っているうちにリルカの方から口火が切られた。ブラッドは鉛のような視線で見下ろす。
「さっきからずっと様子がヘンだよ。あの枯れちゃった森でもやたらキョロキョロしてたし」
 みんな気づいてるんだよ、とリルカは説教するような口調で続ける。
「言いたくないこと、隠したいことがあるのはわかるよ。わたしだって隠しごとくらいあるし。でもさ、そんなミエミエの素振りされちゃったら気になるじゃない。隠しきれないんなら、もう隠さないで出しなさい」
 少しも怯まずに言い切るリルカに、アシュレーは感心した。相手がティムだろうとブラッドだろうと一切態度を変えない。誰に対しても同じように接することができるというのは、彼女のひとつの長所だろう。
「そう……だな」
 ブラッドはわずかに頬を緩め、続けて言葉を発しかけたが。
 何かに気づいて、横を向いた。アシュレーもその視線を辿る。
 人影がふたつ、村の中から近づいてきていた。
「何者だ。ここで何をしている」
 影は二つとも男だった。セボック村の住民か。
「特殊部隊ARMSです。任務により窃盗犯を追っています」
「窃盗犯?」
 男たちは目配せする。
「もしかして、さっきの連中が……」
「誰か来たんですか?」
 そう問うと、彼らは困惑の表情を浮かべつつ答える。
「ああ。がらの悪そうな奴らが昼間に来て、無理やり漁船を奪っていって」
 今頃は西の沖かなぁ、と男の一人が背後を見遣みやりながら言った。
「海に逃げられたか……」
 どうやら追跡はここまでのようだ。
「どうするの?」
「そうだな。とりあえず報告して」
 指揮官の指示を仰ごうとアシュレーが通信機を取ったとき、村人たちから声が上がった。
「あ、あんたッ」
 男はブラッドを指さして目を丸くしていた。もう一人も同じように驚いて声を発する。
「まさか……あんたは」
 そのとき。
 村の小径こみちを、小さな影が猛然と駆けてきた。
 一頭の──栗色の犬。鞭のような長い尻尾をピンと立てて、こちらに走ってくる。
 犬は男たちの間をすり抜けて、急停止して。
 ブラッドの前に座った。
 ブラッドは眼を細め、腰を屈めて犬の頭を撫でた。
 どこか──懐かしそうに──。
「ご、ごめんなさーい」
 続けて村の奥から人影が走ってきた。今度は少女か。ワンピースのすそをたくし上げ、耳の横の三つ編みを揺らしながらこちらに来る。
「ナバスさん、ごめんなさい。ラッシュがまた……え?」
 少女は男たちの脇からこちらを認め、それからブラッドの姿を見つけると。
「おじさん……!」
 両手で口を覆って、ブラッドに近づく。
「メリル、だったかな」
 ブラッドが言うと、少女──メリルはぱあっと大きな瞳を輝かせて。
「憶えててくれたんだ」
 満面の笑顔を返した。
「ねえねえアシュレー。これって」
 訳ありかな、とリルカがアシュレーのそでをつまんで半笑いでささやく。何やら下世話げせわ勘繰かんぐりをしているらしい。
「五年前に、会ったんです」
 そんな耳年増の視線に気づいたのか、メリルがこちらに向けて説明する。
「南の森からラッシュが連れてきてくれて、ひどい怪我だったからわたしの家で手当てをして」
「五年前というと、スレイハイム戦役せんえきのときか」
 終戦後に追跡部隊により逮捕されたとは聞いていたが。
「この村で……捕まったのか」
「ああ」
 スレイハイムの英雄は無表情で返す。
「その捕まえに来た部隊が、荒っぽい連中でね」
 男の一人──メリルがナバスと呼んでいた方──が、苦々しげに述懐じゅっかいする。
「捜索に協力しないと村に危害を加えると脅してきてね。俺たちの命の恩人でもあったから、村としては何としてもかくまうつもりだったんだが」
「うちに隠れてたおじさんが、出てきて」
 投降した──という訳か。
「なんだ……そんなことかぁ」
 リルカは腰に手を当てて嘆息する。
「隠すようなことじゃないじゃない」
「話すようなことでもないからな」
 そういうの良くない、と珍しく食い下がる。
「ちゃんと話してくれないと誤解の元だよ。仲間だからって何でも通じ合うと思ったら大間違いなんだから」
「……そうだな」
 ブラッドは素直に聞き入れた。リルカはまだ不満そうだったが、諦めて矛を収めた。
「ここに来てるってことは、牢屋から出てこられたんだよね」
 メリルが尋ねる。
「まあ、一応は自由の身だな。首輪はついたままだが」
 首筋を指で撫でながら、ブラッドが答える。
 そこには青色の玉──小型爆弾ギアスが填め込まれてある。
「よかった……わたし、ずっと気になってて」
 涙ぐむ三つ編みの少女に、ブラッドは気恥ずかしいのかそっぽを向いた。再び色めき立つリルカをアシュレーは軽く小突く。
「なあ、メリルちゃん」
 ナバスが声をかけた。
「『彼』のこと、この人に……」
 その言葉にメリルはあッと声を上げる。
「そうだ。すぐに村長さまのところに」
 案内します、と少女は慌ただしく村の奥へと先導を始めた。
 まだ日が落ちて間もないが、村はひっそりと佇んでいた。
 素朴な丸太の家並みを抜けて、その先にある屋敷の前で止まった。他の家と造りは変わりないが、少しだけ大きく頑丈そうには見えた。
 先にメリルと男たちだけが屋敷に入った。犬のラッシュとともに家の前で待っていると、再び扉が開かれてメリルが顔を出す。
「どうぞ、中へ」
 うながされて彼らも扉を潜る。
 中は意外に広かった。毛足の短い絨毯が敷かれ、奥には暖炉もある。そして中央の机の手前には。
「そのせつは……どうも」
 机上きじょうのランプを背にして、白髭を蓄えた老人が立っていた。この村の村長か。
「五年前、我らのために名乗り出てくださったこと、誠に感謝しております」
 村長はブラッドに対して、深々と頭を下げた。ブラッドは無言のまま小さな老人を見下ろす。
 村長はたっぷり時間を置いてから頭を上げ、それから本題を切り出した。
「実は……貴方様が捕らえられた後、別の解放軍の方を介抱しましてな」
「解放軍?」
 アシュレーはブラッドを見る。
「ということは……」
「貴方様のお仲間ではないかと思うのですが……」
「思う、って、どういうこと? 本人に聞いてないの?」
「怪我の方はほぼ治ったのですが、その……何と言いましょうか」
 皺面しわづらにさらに皺を刻みながら、村長は言葉を選んでいる。
「理性を……失っておるのです」
 ──理性を?
「こちらの言葉に反応せず、毎日譫言うわごとばかり申しておるような状態でして、話が全く通じないのです」
「それじゃあ、どうして解放軍だと?」
認識票ドッグタグを持っておりました。確かにスレイハイム解放軍のものでした。名前は──」
 暖炉の横の、扉が開かれた。
 奥の部屋からナバスが出てきた。木製の車椅子を押している。
 車椅子には──枯れ木のような男が座っていた。
 腕も脚も異様に細い。はだけたシャツから覗く胸板は肋骨あばらぼねがくっきりと浮いている。項垂うなだれた頭には包帯が巻かれ、自分の膝に向けられた顔からはよだれが糸を引いていた。
 その姿に、アシュレーたちが言葉を失っていると。
 ブラッドが、ふらりと一歩前に出て──男に近づいた。
「う……」
 男が、おもむろに顔を上げた。
 頬はけ、所々に焼けただれた痕が残っていた。しどけなく口を開けたまま、焦点の合わない瞳をあちこちに彷徨さまよわせている。
 視線が止まった。ブラッドを見ている。
 彼も三白眼さんぱくがんいて、男を見る。
 その横顔を覗いて──アシュレーは驚いた。
 あのブラッドが、動揺している。
 肩を上下させ、薄く開けた唇を戦慄わななかせて、驚愕の色をあらわにしている。
 男の表情に変化はない。理性の伴わぬ双眸そうぼうで、彼を見つめている。
 亡霊に行き遭い、射竦いすくめられたかのようなブラッドに対し、男は老人のようなしわがれた声で、その名を呼んだ。
「……ブラッ、ド……」
 ──知っている。
 この男はブラッドを知っている。そしてブラッドも。
「知って……いるんだな」
 アシュレーが聞くと、彼は顔を背けて視線をもぎ離し。
「ああ」
 微かに震える声で、答えた。
「こいつは、俺の戦友だ」
 メリルがブラッドに寄り添い、何かを手渡す。
 楕円形の金属板──軍隊で用いられる認識票。刻まれた、その名は。

『ビリー・パイルダー』

「ビリーさんは、南の森に倒れていたんです」
 メリルが言う。
「すぐに村に運んで手当てしたのだけど、怪我がひどくて、なかなか目を覚まさなくて」
「一ヶ月後に意識は取り戻したが……この状態でね。時間が経てば回復するかと思ったんだが、結局五年間、変わらずだ」
 再びうつむいてしまったビリーの背後で、ナバスが言った。
「『天使』に呑まれたんだ。生き残っただけでも奇跡だろう」
 ブラッドの言葉に、村長は落ち窪んだ目を剥く。
「なんと、スレイハイムを一瞬にして消し去ったという、あの……」
 そういうことでしたか、と村長は顎髭あごひげを撫でながら何度もうなずく。
「まさか、生きて再会できるとはな。……だが、これでは」
 返せないじゃないか。
 そう彼が呟くのを、アシュレーは聞いた。
 その言葉の意味は、結局わからなかった。

 その後、アーヴィングに報告を行い、追跡任務は正式に打ち切りとなった。データ端末は取り返せず、オデッサの本拠地も特定するには至らなかったものの、指揮官によればある程度の収穫はあったという。
 すっかり日も暮れてしまったので、シャトーへの帰還は翌日にして今夜は村で一泊することになった。宿はなかったが、村長の好意でそのまま屋敷に厄介になることにした。
 夕食は話を聞きつけた村の婦人たちによって振る舞われた。メリルやナバスたちも加わり、酒も開けられた。最終的には宴会のような形となって、大いに盛り上がった。
 久しぶりの酒に心地よく酔ったアシュレーは、今は皿の片づけられた机に一人腰かけ、酔い醒ましの氷水が入ったグラスを傾けている。向かい側の壁際では寝床を敷いたリルカが足を投げ出してくつろぎ、ティムはその彼女に寄りかかって船を漕いでいた。
「すっかりお姉さんらしくなったじゃないか」
 アシュレーが言うと、リルカは少し迷惑そうな顔をしたが。
「まあ、面倒の見がいはあるかな。これがトニーとかだったら願い下げだったけど」
『柱』がトニーじゃなくてよかったよ、とリルカは微睡まどろむティムを寝かせて毛布を掛ける。
「さて、お子様は寝たことだし」
 リルカは床に座り直して言った。
「さっきの続き、やろうか」
「続き?」
 この際ぜんぶ話してほしい、とリルカはブラッドに視線を投げた。
 暖炉の脇で胡座あぐらをかいていたブラッドが、ゆっくりと振り向く。その肩越しには車椅子のビリーが暖炉にあたっているのが見えた。
「前から思ってたけど、ブラッドは色々と一人でしょい込み過ぎてる気がする。仲間なんだから、こっちにも少しくらい分けてくれてもいいんじゃないかな」
 仲間だから。
 自然にそう言いきれるリルカが羨ましかった。
 もちろんアシュレーにとっても、彼は大事な仲間である。だが。
 スレイハイムの英雄──。
 その肩書が、どうにも邪魔をする。一目置いているゆえに、自分などが仲間と呼んでいいのだろうかという引け目を感じて、遠慮してしまう。
 村の入口でも、そして今も、本当ならリルカではなく自分が切り出すべきだった。それができなかったのは、やはり──。
 自信が……ないのだろう。彼を率いるリーダーとしての確信が持てない。
 もう三ヶ月にもなるというのに。
 リルカはなおもブラッドを追及する。
「それに、ブラッドは知ってるんでしょ。あのオデッサのリーダー……えっと」
 ──ヴィンスフェルト・ラダマンテュス。
「これからやっつける相手なんだから、あの人のコトはわたしたちも知っておかないと。だから」
 リルカはそこで切って、相手の言葉を待った。アシュレーもグラスを片手に注視する。
「……楽しい話じゃないぞ」
「わかってるよ」
 そうか、とブラッドは返し、それから後ろのビリーを見た。
 痩せさらばえた彼の戦友は、全身を弛緩させて眠っている。
 しばらくの沈黙の後、彼はこちらに向き直り。
「俺の故郷、スレイハイムは」
 重い口から、ようやく。
「あの頃、急激な軍備拡張を進めていた──」
『英雄』の物語が語られた──。

 それは、あの悲劇からさらに数年ほど前。
 四大国家の一角を占めていたスレイハイムは、王の独断の下、着々と軍備拡張を推し進めていたという。
 世界中からロストテクノロジーと技術者をかき集め、強力な兵器や武器を開発させ。
 国民を女子供に至るまで武器造りに駆り出して、のみならず、その武器の扱い方……人の殺し方を叩き込んだ。
 それはまさしく戦争のための準備だった。スレイハイム王は、他国への侵略を企てていたのである。
「どうしてそんな……侵略だなんて」
 王は野心家だったのだろうか。
 アシュレーの疑問に、ブラッドは少し笑いながら否定する。
「俺の知っているスレイハイム王は、いつも何かに怯えているような、気の小さな男だったよ。野心など毛程にもない」
「気の小さな王様が、なんで戦争なんて」
 リルカが言う。
「気が小さいからこそ──なんだろうな」
 ブラッドは暖炉に向けた目を細める。炎に縁取られた横顔の輪郭が、ちらちらと揺らめいている。
「かつてのスレイハイムは、工業国家として確固たる地位を占めていた。商業のメリアブール、農業のシルヴァラントと比肩ひけんするだけの国力を保持し、それによって世界のパワーバランスも保たれていた。だが」
 そこに、同じ工業を得意とする新興国……ギルドグラードが加わった。
 新たに隆盛した国によって、世界のパワーバランスは次第に崩れ──。
「それに危機感を募らせたスレイハイムは、工業以外の産業を模索し始めた。だが国土の大半が荒野と砂漠の国に農業は不可能。貿易ルートとしても末端にあるため商業の拠点となることも望めなかった」
「それで軍需産業に目をつけた、というわけか……」
 アシュレーが唸る。
「だが、これは言わば禁じ手……麻薬のようなものだ」
 スレイハイムが武器を大量生産しているという事実は他国に知れ渡り、情勢はにわかに不安定となる。
 これに対し、スレイハイムは大量殺戮さつりくを目的とする兵器の開発を制限する『イスカリオテ条約』を自ら提唱したのだが──。
「条約の締結も結局は焼け石に水だった。それにスレイハイムは秘密裏に超兵器の開発を進めていた。守る気など最初からなかったんだな」
 条約の提唱者であるイスカリオテ卿は、スレイハイムの中でも珍しい穏健派で良識ある貴族だったと聞くが──結局は他国を出し抜くための時間稼ぎに利用されただけだったか。
 その卿も、内戦勃発の直前に非業の死を遂げている。
「武器をたくさん作った理由はわかったよ。でも、どうしてそっから一気に戦争まで突き進んじゃうわけ?」
 まだ納得できないリルカが尋ねる。
「武器は作りっぱなしという訳にはいかないんだ。消費しなければ……使わなければ、新たな武器は作れない」
 そして、大量に武器を消費する手段こそが。
 ──戦争。
「そんな……そんなの、ダメじゃない」
「だから『麻薬』なんだ。手を出したのが間違いだった」
 一度手をつけたら、後は。
 破滅の道に突き進むのみ──。
「軍事国家と化したスレイハイムが最初に標的としたのは、ギルドグラードだった」
 ブラッドが続ける。
「ギルドグラードは元々スレイハイムから独立した国家だからな。戦争をけしかけるにはあつらえ向きと考えたんだろう。だが国内にはギルドグラードに縁のある者も多く、反発は少なくなかった」
 まだ工業国だった頃、スレイハイムは大量の職人をギルドグラードから招聘しょうへいしていた。その多くはそのままスレイハイムに居着いたという。
「俺の父親も、ギルドグラード出身の職人だ」
「そう……だったのか」
 そうしたギルドグラード出身者を中心に、国内各地で戦争反対運動が巻き起こった。一部では暴動も発生したが、いずれも散発に終わりすぐに鎮圧されたという。
「だが、そこに反対運動を束ね上げ、一大勢力へと発展させた男が現れた」
 その男こそが。
 ──ヴィンスフェルト・ラダマンテュス──。
 アシュレーの手の中で、氷がコトリと音を立てる。
「やはりギルドグラード出身者だったんだろうか」
「さあな。奴の出自しゅつじはよく知らん」
 知りたくもない、というふうにブラッドは顔を背ける。
「どういう経緯で反対運動に加わったのかは知らんが、奴はその中でたちまち頭角とうかくを現した。剣も魔法も相当なものだったが、それ以上に奴は人心掌握しょうあくけていた。ヴィンスフェルトの周りには自然と共鳴する人間が集まり、同志となっていった」
「カリスマ性、っていうやつか」
 アシュレーが言うと、ブラッドは鼻で笑った。
「ただのペテン師だよ。夢を見させるのがうまいだけだ」
 そう腐してから、暖炉の前で眠るビリーに視線を向ける。
「それでも、強引な軍事政策に疲弊しきったスレイハイムの民には救世主に思えた。俺もこいつも心地いい夢にすっかり酔って、奴の広げた大風呂敷に乗ってしまった」
 馬鹿だったな、と戦友に話しかけるように彼は呟いた。もちろんビリーに反応はない。
「ヴィンスフェルトは反対運動を組織化させ、圧政からの解放を新たな旗印に掲げた『解放軍』を結成した。それに対し政府も弾圧を強め……そして、あの泥沼の内戦が始まった」
 ──スレイハイム戦役──。
 それは、まさしく国を二分した苛烈かれつな内戦であったという。
「何しろ武器も弾薬も、あり余るほど溜め込んでいたからな。しかも全国民がその扱い方を心得ている。たちまち各地で衝突が起き、敵も味方も多くの血が流れた」
 他国との戦争のために準備した武器によって、同じ国の人間同士が争い。
 皮肉にも──自国を傷つける結果となってしまった。
「あの数年間だけで、数え切れないほどの死体を見た。頭を吹っ飛ばされた死体、両手両足が千切れた死体、胸から上だけになりながらも泣き叫んで藻掻いている奴、若い女も、まだ幼い子供も、壊れた人形みたいにそこら中に転がっていた」
 アシュレーはつばを呑み込む。リルカは口許に手を当てて涙目になっている。
 ──そう。
 戦争とは結局、生身の人間の殺し合いなのだ。
 勝者も敗者もない。戦争は起きた時点で、人間の敗北なのである。
「このままでは駄目だ──と、俺たちは思った」
 ブラッドは再びビリーに目を向ける。
「このまま膠着こうちゃく状態が続けば、国はボロボロになってしまう。一刻も早く決着をつけなければ……そう考えた俺たちは、上層部を無視して決死の奇襲を仕掛けた」
「それは……二人だけで一個大隊を撃破したという」
 アシュレーが言うと、ブラッドは苦笑した。
「下らないことを知っているな」
「軍隊に属したことのある人間なら、誰でも知ってるよ」
 メリアブールの銃士隊でも、それはある種の伝説として語り草になっていた。
「実際のところは単なる破れかぶれの玉砕だ。俺もこいつも、あの場所で死ぬつもりだった。それが偶々たまたま生き延びてしまったというだけのことだ」
 前線の要であった大隊の壊滅により政府軍は甚大じんだいな打撃を受け、戦況は解放軍側の有利となった。それと同時に、立役者であるブラッド・エヴァンスの名も一躍世界にとどろくこととなる。
「勢いを増した解放軍は各地で政府軍を撃破し、国土の大半を制圧することに成功した。……だが」
 そんな折に、突然。
「ヴィンスフェルトが……行方をくらませた」
「え? な、なんで?」
 急展開にリルカが混乱する。ブラッドは鼻梁びりょうに皺を刻ませながら続ける。
「奴は、王が超兵器の使用準備を進めているという情報を掴んだんだ」
「それで、逃げたのか?」
「逃げただけなら、まだマシだったんだがな」
 明確な怒りを伴った声で、彼は言った。
「奴は赦免しゃめんのための手土産として、解放軍の機密情報を政府側に売り渡していた」
「うわあ」
 リルカが露骨に嫌な顔をした。
 超兵器に恐れをなして、自分が引き起こした戦いを自ら放棄して逃亡し。
 あまつさえ政府の訴追から逃れるために同志の情報を売り渡した──。
「そんなコトしておいて、よくもあんな堂々と人前に出られたもんだね」
 テレパスタワーの設備を利用した、オデッサの決起表明。あのときブラッドが激怒していた理由を、アシュレーはようやく思い知った。
「超兵器の存在をまだ知らなかった俺たちは、戦いを継続した」
 機密情報の漏洩も、さほど戦況に影響はなかったという。既に政府軍にその情報を利用して反攻するだけの力は残っていなかった。
「僕が聞いたところでは、ブラッド・エヴァンスの八面六臂はちめんろっぴの活躍がリーダー不在の穴を埋め、解放軍を勝利に導いた──らしいけど」
 横槍を入れたアシュレーに、ブラッドは尾鰭おひれがついてるなと肩をすくめる。
「指揮を引き継いだのは確かだがな。大したことはしていない。とっくに大勢たいせいは決していたんだ」
 そして、遂に解放軍はスレイハイム城に攻め込んだが──。
「そこでようやく俺たちは、超兵器のことを知った」
 自暴自棄となった国王が、超兵器を起動させようとしている──。
「俺たちはすぐに王を止めに向かおうとした」
 だが。

 ──お前は逃げろ。
 ──制止に失敗したら、スレイハイムは焦土と化すだろう。そのとき先頭に立って国を復興させる人間が必要となる。
 ──そう。『ブラッド・エヴァンス』が必要なんだ。
 ──傷ついた国が立ち直るための希望。そうした存在になり得るのは、英雄……ブラッド・エヴァンスしかいない。
 ──スレイハイムの希望として、生き延びてくれ。お前に……託した。

 ──頼んだぞ、『ブラッド・エヴァンス』──。

「解放軍は制止に失敗し、王は『天使』を動かした」
 天使兵器『エンゼルハイロゥ』──現在発見されているロストテクノロジーにおいて、核兵器に次ぐ破壊力を持つ超兵器である。
 スレイハイム北部の荒野で炸裂したエンゼルハイロゥは北部全域を光爆で覆い尽くし、人も動植物も建物も大地も──あらゆるものを『塩化』させたという。五年の歳月が経った今もなお、旧スレイハイム領の北半分は大量の塩に覆われた不毛の地となっている。
「超兵器を動かしたとき、ビリーさん城の中にいたんだよね。よく生きてた……あ」
 失言だと思ったリルカが途中で自分の口を塞ぐ。
「城にあったのは起動装置だけだった。本体は別の場所に設置されていたんだろう。だが、それでも」
 爆心の近くであったことには変わりない。生き残ったのは──やはり奇跡だ。
「こいつは俺にスレイハイム復興を託したが……このザマだ。俺は何もできず、祖国も滅んでしまった」
 無念を滲ませながら、ブラッドはビリーに向けて呟く。
「ブラッドのせいじゃないよ。気にしたってしょうがない」
 昼間ティムにしたのと同じような言葉を、リルカはブラッドにかけた。
 超兵器の破壊力は、想定を遙かに超えるものであった。
 解放軍はほぼ壊滅、政府軍もシェルターに避難していた僅かな幹部が残ったのみ。そして彼らが守るべき国民は──その七割以上が犠牲となってしまった。
 数百年続いたスレイハイム王家も滅亡し、内戦は勝者のないまま終結を迎えた。
 終戦後、生き残った政府軍幹部は内戦の責任を解放軍側に押しつけ、解放軍の残党狩りを行った。その標的の筆頭となったのが──ブラッド・エヴァンスであった。
 救国の英雄は一転して戦犯となり、求心力を失った。傷ついた国が求めたのは希望ではなく──憎悪のけ口だった。
「なんか……悲しいね」
 リルカが膝を抱えて、鼻をすすった。
「うまく言えないけど……とにかく、悲しい」
 やりきれない思いに全員が沈黙していると。
「しろい……ひかり……」
 車椅子のビリーが、下を向いたまま寝言を洩らす。
「まっしろに……みんな、みんなみんなみんな、しろい、しろいひかりで……さら、さらの……すなに」
 最後は言葉にならないうめきとなって、再び沈黙した。
 アシュレーは手許のグラスに視線を落とす。氷は溶け、酔いもすっかり醒めていた。
「結局、誰が悪かったんだろうな……」
 グラスをもてあそびながら、考える。
 隣国の隆盛に怯え、禁断の産業に手を出してしまったスレイハイム王。
 解放軍を組織し、内戦を展開させながらも途中で投げ出したヴィンスフェルト。
 そして。
「俺も……俺たちも、奴らと同罪だ」
 超兵器の発動を止められず、国を救えなかった『英雄』ブラッド・エヴァンス──。
 誰もが自国の民のために行動していた……はずなのに。
 その結果は──。
「みんながみんな、同じくらい悪いんだったらさ」
 えて声を張って、リルカが言う。
「卑怯なぶんだけ、ヴィンスフェルトが一番悪いんだよ」
 理屈はまるで通っていないが、気持ちは理解できた。
 誰かのせいにでもしなければ──自分の中で収まりがつかないのだろう。
 スレイハイムの民も──同じ気持ちだったのだろうか。
 荒廃した大地に取り残され、絶望するしかなかった人々は、誰かのせいにすることで──ようやく自我を保つことができたのかもしれない。
 そして、彼らの憎しみを一身に背負った、この男は。
「俺たちは、このあがなえない大罪を抱えたまま……生きなければならない」
 祖国を滅ぼした者の一人として──。
 だが。
「だからこそ、ヴィンスフェルトは許しておけない」
 あの男は、罪を負ってはいない。
 それどころか、今また同じ罪を犯そうとしている。
「奴の下らない野心によって、既に多くの者たちが振り回されている。同じように振り回された人間として、これ以上見過ごす訳にはいかない」
「そうだな」
 止めなければ。
 五年前の悲劇を繰り返させないためにも──。
「さて、ARMSの結束も固まったところで」
 そろそろ限界、とリルカは寝床に頭から突っ伏した。
「ありがとね、ブラッド。ぜんぶ話してくれて……ふあぁ」
 ごろりと仰向けになって、目を閉じる。すぐに隣のティムと競い合うような寝息が聞こえてきた。
 その寝つきの良さにアシュレーが苦笑していると。
「全部話して……か」
 不意にブラッドが呟いた。
 振り向くと、目が合う。暖炉の炎に照らされた彼の表情は、ほとんど変化なかったが。
 微かな眼球の動きに──迷いを感じた。
 ──まだ、隠している──?
 アシュレーの不審を察したか、ブラッドは視線をビリーに戻し、床に置いてあった自分のグラスをあおった。
 アシュレーも水差しから水を継ぎ足して、それをひといきに飲み干す。
 すぐに聞けば良かったのかもしれない。
 だが、そのときもアシュレーは──何も聞けなかった。

 リーダー失格だなと自嘲して、目を閉じた。