■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Episode 10 英雄が託したもの

「マリナちゃん」
 カウンターの奥で帳簿をつけていると、店の入口から声がかかった。筆立て代わりのコップにペンを差してから、振り返る。
 声の主は馴染みの若い船員だった。先程買ったばかりのパンの入った紙袋を抱えて、決まりの悪そうに近づいてくる。
「その……確かカレーパンとサンドイッチを三つずつ頼んだと思うのだけど」
 船員はカウンターに紙袋を置いて袋の口を開ける。覗き込むと中には──大量の焼きそばパンが。
「え……あ、ご、ごめんなさいッ」
 マリナは慌てて棚からカレーパンとサンドイッチを取り、新しい袋に詰め込んだ。
「いやぁ、焼きそばパンでも別に良かったんだけど、こんなに沢山だと店にも悪いかなって」
 取り繕うように笑いながら紙袋を受け取る常連客に、マリナは何度も頭を下げた。気にしないで、と帰り際に手を振る客を見送ると、脱力して腰掛けに沈み込み、大きな溜息をつく。
「三回目」
 いつの間にか作業場の扉が開いており、そこにセレナが立っていた。ふくよかなロールパンのような手を丸めて腰に当て、眉間にしわを寄せている。
「朝は陳列でバゲットをケースごとひっくり返したし、さっきは勘定かんじょうでミスしたらしいじゃないか。今ので三度目だ。らしくないねぇ」
「ごめん……なさい」
 肩を落としてうつむき、か細い声で謝った。セレナは恰幅かっぷくのいい身体を揺らして歩み寄り、開いたままの帳簿を確認する。
「今日はもう上がっていいよ。アシュレーのそばにいてやりな」
「でも……」
「店なら大丈夫。もう少ししたら閉めるから。それよりも今は」
 あの子を。
 言いながら、セレナは天井に目を向ける。その先は二階の──アシュレーの部屋。
「……うん」
 うながされて立ち上がったものの、階段の手前で躊躇ちゅうちょする。それを見かねたセレナに背中を思いきり引っぱたかれ、前につんのめった。
「あんたまで景気悪い顔してどうすんだよ。励ましてやるんだろ。何なら女のやり方で慰めてやったらどうだい?」
「何言ってんの、もう……」
 片目を瞑るセレナにしかめっ面を返してから、マリナは階段を上がっていった。
 二階の短い廊下を経て、ドアの前に立つ。意を決しノックしようと一度は拳を上げたが、そのまま力なく下ろす。
 ──励ますと言ったって。
 今のアシュレーに、そんなものは──。
 彼が帰ってきたのは、昨晩のこと。遅い時間だったこともあり、二週間前のような賑やかな歓待はなかったのだが──そのことを差し引いても、今回の帰宅はいつもと様子が違っていた。
 アシュレーが、尋常でないほどやつれていたのだ。
 くまの浮いた目は虚ろで、顔色も悪い。出迎えた二人とろくに顔を合わさず、会話もほとんどなかった。鉛でも履いているような重々しい足取りで二階へ上がり、そのまま自室にもってしまった。
 怪我は特にしていないようだった。ならば任務による疲労としか考えられないが、銃士隊の訓練でもここまで疲れているのは見たことがなかった。
 初めての事態に不安になったマリナは今朝、ヴァレリアの館に出入りしているトニーとスコットを捕まえて、何か知っていないかと尋ねてみた。少年たちは少し困った顔をしながらも、先日ARMSで起きたことを打ち明けた。
 ブラッド・エヴァンスが死んだ──。
 アシュレーと共にARMSに参加していた、スレイハイムの英雄。その彼が直近の任務で命を落としたのだという。
 そして、その死の原因を作ってしまったのが。
 部隊のリーダーである──アシュレー。
 張り巡らされた敵の罠にかかった彼は仲間を──当のブラッドに不審を抱いてしまったのだという。その結果部隊は窮地に陥り、犠牲を出してしまった。
 話を聞いて、マリナは幼馴染みの心中を案じ──胸が苦しくなった。
 判断の誤りによって仲間を失う。しかもそれが自身の猜疑心さいぎしんがもたらしたものとあれば……責任感の強いアシュレーにはえがたいに違いない。後悔と煩悶はんもんさいなまれ、憔悴しょうすいしきってしまったのだろう。
 原因がわかり納得もしたが、同時にそれに対して何もできないことにも気づかされ、憮然とした。
 ──アシュレーのせいじゃない。
 話を聞く限り、彼を責めている者は誰もいない。全ては敵の奸計かんけいによるものなのだ。アシュレーは悪くない。
 ──だけど。
 そんな言葉も、今の彼には届かないのだろう。彼を許せないのは彼自身なのだ。自分で自分を責め立てて、自らを傷つけている。
 そんなアシュレーに、私は。
 どうすればいい。
 どう声をかけたら──通じるのだろう。
 考えるほどに、無理だという思いばかりがって。
 ドアの前から……動けなくなる。
 ──どうして。
 膝の横に垂らした拳を握りしめ、肩を震わせる。
 どうしてアシュレーばかり、こんな目に。
 いつもいつも、傷だらけで帰ってくる。身体も心もボロボロで、こんなに疲れ切っている。
 ついこの前、彼が帰ってきたときの喧噪けんそうを思い出す。
 何も知らない人たちが、彼を『英雄』と呼び、はやし立てた。
 そうやってみんなに期待され、だからアシュレーは頑張って、無理をして。
 こんなに──傷ついた。
 ──なにが。
 何が英雄だ。
 これじゃあ、まるで。
 生け贄じゃないか──!
「あ……」
 鼻先でドアが開いた。
 目の前に赤いスカーフ。視線を上げるといつもの顔があった。不思議そうにこちらを見返している。
「その……ご飯、どうするのかなと思って」
 咄嗟とっさについて出た言葉に、アシュレーはああ、と頬を緩める。昨晩よりも顔色は良くなったように見えた。昼と夜の違いでそう見えただけかもしれないけれど。
「さっき招集がかかった。シャトーに戻るよ」
「……そう」
 マリナは小声で返事をして、扉から退いた。その前をアシュレーが通り、廊下を歩いていく。
 行ってしまう。
 銃剣を担いだ背中を見つめながら、握った掌に爪を立てる。
 呼び止めたかった。招集なんて無視してもう少し休めばいいじゃない。何ならもうARMSなんて辞めて。
 また──昔みたいに一緒に。
 ──言えない。
 それは、アシュレーの望むことではないから。単なる私の……我儘わがままだ。
 だけど。
 だから──せめて。
「焼きそばパン」
 廊下の手摺てすりに身を乗り出して、階段を下りる彼に声をかけた。
「カウンターの紙袋に入ってるやつ、持って行っていいよ。ARMSのみんなで食べて」
 アシュレーは一度目を丸くして、それから──笑った。
「ありがとう。リルカが喜びそうだ」
 その笑顔に胸が締めつけられながらも、どうにか喉を振り絞って続ける。
「また──帰ってきてね」
 やくそくだよ。
「ああ」
 短い返事と上げた右手を残して、彼は階下へと消えていった。
 マリナは手摺に寄りかかったまま、力なく崩れる。
 行ってしまった。
 また傷ついてしまう。いや──それだけなら、まだいい。
 もしかしたら、次は彼自身が──。
「帰って……きて……」
 願いという名の、明かりを灯して。
 マリナは再び、船の帰りを待ち続けた──。

 ティムはいつもと同じように、テーブルの一番はしについてミーティングの開始を待った。
 隣では既にリルカが正面を向いて待機している。彼女の前にはなぜか中身の詰まった紙袋が置いてあった。見憶えのある袋だと思ってすぐ、アシュレーの下宿のパン屋──『Bakery Portoベーカリー ポルト』のものだと思い出す。
 おやつでも買ってきたのだろうか。こんなときに呑気のんきなものだとティムは呆れた。
 ……こんな、とき。
 気づかれないようにさりげなく首を伸ばして、リルカのさらに隣を覗く。
 アシュレーが立っていた。いつもと同じ──いや、やはりいつもより表情は硬い。それでも昨日に比べれば随分戻ったものだと思う。
 昨日のアシュレーの有様ありさまは、ティムにとっても衝撃だった。
 プラントを脱出しシャトーへ帰還すると、彼はこれまで見たことないくらい取り乱した。声を荒らげて自らをののしり、譫言うわごとのように誰かに謝り続けた。
 憧れであったアシュレー。それはARMSに入ってからも変わることなく、頼もしいリーダーとしてずっと慕ってきた。そんな彼が分別ふんべつなく狼狽ろうばいするのを見たとき、ティムは今までと違う感情が湧き上がるのを感じた。
 幻滅、とでも言うのだろうか。自分の中で築き上げた「アシュレー」の像が音もなく崩れ去って──。
 今、リルカの横に立っているのは……ただの十九歳の若者。何だかいつもより小さく見えた。
 ティムはにわかに不安になる。
 これからARMSは──どうなるのだろう。
 背後の扉が開き、アーヴィングが入ってきた。いつものように松葉杖を動かして歩を進め、三人の向かい側に回り込む。
 この人だけは、本当に何が起きても微塵みじんも動じない。それはそれで凄いと思うが、アシュレーに対するそれとは違い、憧れはしない。
 指揮官に対してティムは、羨望というより畏怖いふに似た感情を抱いていた。言動が冷たい──いや、まるで温度を感じないのだ。あまりにも人間離れしていて、自分はここまではなれないという気持ちの方が強かった。
 我を捨て、感情を抑え、ただひたすら理想を果たすため任務遂行に努める。異質な部隊を束ねるためには、こうまで徹しなければならないのだろうか。
「プラント爆発に関して、現場検証の結果が出た」
 このときも指揮官は、温度を伴わない声で淡々と報告を始めた。
「爆発地点と規模から推定して、小型爆弾『ギアス』の発動によるものとみて間違いないそうだ」
 小型爆弾ギアス。ブラッドの頸部けいぶに埋め込まれていたものだという。
「恐らく彼は、プラント内のモンスターの拡散を食い止めるため自ら起動させ……自爆を図ったのだろう」
 ──自爆。
 アシュレーが硬い表情のまま俯く。
「他の……可能性はないのかな」
 リルカがおずおずと発言する。
「たとえば、首の爆弾をどうにか外して、モンスターだけやっつけた……とか」
「ギアスは頸動脈に結着している。外せたとしても即死はまぬがれないだろう」
「あ……」
 そうだった、というふうにリルカも肩を落とす。
 ブラッドの死が、これでほぼ確実となった。アシュレーもリルカも落胆し、悲しんでいる。
 ティムももちろん悲しかったが──二人ほどの衝撃は受けなかったのかもしれない。ブラッドとのつき合いはアシュレーたちよりも短いし、それに。
 ARMSの一員として共に行動するようになってからも、ブラッド・エヴァンスは近づきがたい存在だった。『スレイハイムの英雄』という肩書きのせいもあったが、それ以上に──。
 熊のような巨躯きょくに隆々とした筋肉。視線が合っただけで足が竦みそうになる鋭い三白眼さんぱくがん。いつも寡黙かもくで無表情で……内気な少年には会話はおろか近寄ることさえはばかられた。
 ちゃんと話をしたことは、結局一度もなかったかもしれない。
 だから、たぶん、そんなに──悲しくない。そう思うのは落ち込むアシュレーやリルカの姿を見て、つられているだけなんだろう。
「プラントで生産されたエネルギーの用途については現在調査を進めている。判明し次第報告するが──君達には別件で依頼が入った」
「別件?」
 リルカが顔を上げて聞き返す。
「依頼主はギルドグラードマスター。ご子息のノエル殿下を護衛してもらいたい──とのことだ」
「なにそれ、オデッサ関係ないじゃない」
 あのヒゲオヤジ、わたしたちを便利屋みたいにッ、とリルカはしきりに立腹する。
「断ろうよ、そんな依頼。ここのところバタバタしてたし」
 言いながら彼女は横目でアシュレーを見る。
 休ませてあげたい、ということなのだろう。
「我々の当面の目的を忘れたのかな」
 だが指揮官はそれをたしなめた。
「各国の信頼を取りつけること──とりわけギルドグラードについては未だ領土内の通行許可も下りていないからね。無碍むげに断って先方の機嫌を損ねるのは得策とは言えない」
 でも、と反論しようとしたリルカをアシュレーが止めた。
「やるよ。詳細を頼む」
「アシュレー……」
 口許だけで笑みを返すアシュレーに、リルカも渋々言葉を呑み込んだ。
「ノエル殿下は現在、旧スレイハイム領西部のウラルトゥステーションに滞在している」
 アーヴィングが続ける。
「そこから地下鉄道でギルドグラード領に入り、頭領マスターのいる首都へと帰る予定らしいが、君達にはその道中の警護を頼みたいそうだ」
「なんでわたしたちが? 王子なんだから護衛くらいつけてるんじゃないの?」
「『護衛はいるがいささ心許こころもとない。貴様らは名前だけは通っているから悪党除けくらいにはなるだろう』とのことだ」
「いちいちムカつくなぁ、あのオヤジ」
 あの偉そうなヒゲ引っこ抜いたら大人しくなるかな、とリルカは不穏当な発言をする。
「でも、なんか……怪しくないですか?」
 ティムは思い切って発言した。依頼内容を聞きながら、どことなく不自然さを感じていた。
「そのステーションからギルドグラードまでって、遠いんですか?」
「地下鉄道の始発駅であるウラルトゥステーションは国境沿いの山岳地帯の麓にある。かつてはスレイハイムとギルドグラードを結ぶ陸上交通の要衝だったが、スレイハイム滅亡以降は民間人の行き来は途絶え、現在は主に物資運搬用の貨物駅として運用されている」
「貨物駅ねぇ……なんでそんなトコに王子がいるんだろ」
 リルカが首を捻る。確かにそれも気になる点の一つだ。
 だが、それ以上に気になるのは。
「国境沿いってことは、ギルドグラードのすぐ近くにいるんですよね」
 全員に注目されていることに気恥ずかしさを感じつつも、懸命に声を張る。
「すぐに自分の国に入れるのに、そこまで護衛を強化する必要があるのかなって、思ったんですけど……」
「あれじゃない、実は国内の方が危険だとか。反乱分子とかさ」
 リルカの当てずっぽうな推理をアーヴィングは即座に否定する。
「残念ながらギルドグラードの体制は盤石ばんじゃくだよ。反乱の兆候など微塵もない」
 そりゃ残念、と軽口を叩くリルカにティムは鼻白む。
「ティム君の疑問はもっともだが、こればかりは先方の事情だからね。考えられることは幾つかあるが、いずれも邪推の域を出ない」
 留意しながら臨むしかないだろう──と指揮官は締めた。
 やはり今回も一筋縄ではいかない、という予感だけが残った。
 ブラッドなら──どう考えただろう。
 ふいに、そんなことを思った。
 彼はアーヴィングに負けず劣らず、各国の事情に精通していた。こうした話では唯一指揮官に切り返し、意見を述べることのできる存在だった。
 彼の不在の大きさを改めて実感し、そしてやはり──不安になった。
 ブラッドのいないARMS。果たして今までと同じようにやっていけるだろうか。
 ミーティングの終了が告げられてから、ティムはもう一度、退出するアシュレーを見た。
 背は高いけれど──腰は細い。重いものを背負えばポキリと折れてしまいそうだ。
 ──この背中に、預けるしかないのか。
 ──いや。それなら。
 ボクが──。
 ティムはひとつの決心を秘めながら、本部を後にした。

「ようこそお出でくださいました」
 駅のホームで出迎えた工業国の王子は、そう言って丁寧に頭を下げた。
「ノエル・アナハイム・ギルドグラードです。この度は急な申し出にも関わらず快諾していただき、感謝いたします」
「はあ……」
 気さくに手を差し伸べる王子に、アシュレーは首を竦めながら握手をする。
「ARMSの活躍はかねがね聞き及んでおります。貴方がたに護衛していただけるなら、これほど心強いことはありません。こちらとしても光栄です」
 ノエル王子は温和な顔でこちらにも視線をくれて、よろしくお願いしますと会釈をした。口調はスコットを思わせたが、彼のような慇懃いんぎんさは感じられない。
「なんかイメージ違うなぁ」
 ティムの横でリルカが呟く。ティムも同じ印象を抱いた。想像していたギルドグラードの王子とは、ずいぶん違う。
 偏屈で頑迷を絵に描いたようなギルドグラードマスター。その息子とあらばどんな癖者くせものかと身構えたものだったが──。
 溌剌はつらつとした容姿に、物腰の柔らかい言動。ティムと一つしか違わないと聞いていたが、背の高さもあって歳以上に大人びて見えた。実直なたたずまいといい、理性的な言葉遣いといい、かの頭領とは全くの真反対である。山高帽やまたかぼうなめし革の上着というで立ちだけが、唯一両者の共通項だった。
 親子でこうも違うものなのか、とティムは内心とても驚いた。
「タネが違うんだよ、きっと」
 リルカがわけ知り顔で囁いてくる。意味はわからなかったが品のない発言というのは察しがついたので、ティムは無視した。
「今回はドラゴンの化石の発掘現場を視察して、これから帰るところなのですが……全く父上にも困ったものです。これだけ護衛をつけておきながら、その上皆さんにまで依頼するとは」
 ノエル王子は自分の背後を振り返り、申し訳なさそうに肩を竦めた。彼の後ろにはいかつい顔に揃いの制服を着た男どもがずらりと整列している。数えてみると八人もいた。
 ──やっぱり、変だ。
 こんなに護衛がいるのに、さらに追加するなんて。しかもギルドグラードは目と鼻の先だ。大きな危険があるとはとても思えない。
 頭領は一体、何をそんなに──。
「まあ、わたくしの初めての公務ということで父上なりに心配されているのでしょうが……おや、来たようです」
 王子が身体の向きを変え、線路の先を覗き込む。ティムも首を伸ばして同じように見た。
 トンネルの暗闇、その中ほどに二つの光が点っていた。重々しい駆動音を響かせながら、その目玉のような光がゆっくりと近づいてくる。
 明るいホームに差しかかったところで、ようやくその全貌が浮かび上がった。
「うはぁ~……」
 リルカが感嘆の声を洩らす。ティムも我を忘れて、しばらくその姿に見蕩みとれた。
 見上げるほどに大きな──黒鉄くろがねの列車。彼らの目の前で緩々ゆるゆると停止するその姿は、少年が召喚する守護獣にも似た力強さと威容を備えていた。停車の直後に発した空気の排出音も、まるで巨大な獣の息吹のようであった。
「貨物列車『田伯光でんぱくこう』です。我が国の列車の中でも最大と聞いております」
 王子はそう説明してから、わたくしのお気に入りです、と少し照れながらつけ加えた。このあたりの仕草は年相応だった。
 これが……ギルドグラードの列車。機関部はロストテクノロジーが利用されているらしいが、それ以外は全て自国の技師によって造られたという。人間の手でこんなものが作れるんだ、とティムはただただ感心した。
「あのヒゲオヤジが威張ってる理由が、ちょっとわかったかも」
 口をへの字に曲げたまま、リルカが言う。こんなものを目の当たりにすれば認めざるを得ない、といったところか。
 オデッサをも退けるギルドグラードの技術力と国力──しかもこれはまだ片鱗に過ぎないのだろう。自国で対処できると豪語した頭領の言葉もハッタリではなかったのかもしれない。
 先頭の機関車両の扉が開いて、背の低い男が出てきた。
「車掌のカルピンでございます。お目にかかれて光栄です、殿下」
 つばの短い制帽を取って、王子の前で恭順の意を示す。卵型の頭は綺麗に禿げ上がっていたが、その代わりと言わんばかりに豊かな髭を蓄えている。ずんぐりとした体型といい、その髭の生やし方といい、同じギルドグラード出身のボフールによく似ていた。
「よろしくお願いします、カルピン車掌。乗車はもうできますか?」
「はい。貨物の積み込みも完了し、いつでも発車可能でございます」
「そうですか。それでは皆さん参りましょう」
 一行は機関車両に連結されている客車へと移動を始めた。護衛の一人が扉を開け、中を確認してから王子を入れる。
 王子と護衛全員が乗ってから、ティムたちも客車に足を踏み入れた。
 内部は思ったよりは質素で、それでいてよく整っていた。木材を張り合わせた座席が両側の窓際に整然と並び、中央の通路には赤い絨毯が敷いてある。座席の腰掛けにも緋毛氈ひもうせんが張られ、大きな窓は下半分のみが開けられるようになっていた。
「客車など、ここ何年も使っておりませんでしたからな。手入れはしましたが何分なにぶん古いもので、心苦しい限りですが……」
「充分です。というか、わたくしとしてはむしろ機関車両に乗りたかったのですが」
「そ、それはご勘弁ください。そんなことしたら頭領マスターに」
 怒られてしまう──と言いかけた車掌を王子は手を上げて制した。
「わかっています。わたくしの我儘で皆さんが父上に叱られるのは本意ではありません。その代わり、ここから機関室を覗くくらいはさせてください」
「そ、それでしたら、いくらでも」
 頭に浮いた汗をハンカチで拭ってから、五分後に発車しますと言い残し、車掌は先頭車両へと戻っていった。
 護衛たちは一通り車内をあらためてから、四人が中ほどの座席に陣取り、残りの四人がそれぞれ四隅の扉付近を固めた。ARMSの三人は、護衛たちがいる席と通路を挟んだ反対側に腰を下ろす。
 彼らが護るべき当の王子は、まだ前方の扉から興味津々に機関車両の後部を眺めていた。よほど好きなのだろう。この様子だと自分からこの列車に乗ることを切望したのかもしれない。
 結局近くの護衛に窘められて、照れ笑いを浮かべながら戻ってきた。護衛たちの側に座るのかと思ったら、なぜかこちらに来てリルカの隣に腰を下ろす。
「あの……殿下?」
 目を丸くするアシュレーに、ノエル王子は視線だけで会釈をした。
「皆さんと話がしたいのです。ちまたで噂のARMSにお会いできる機会など、そうそうないですから」
 はあ、とアシュレーは当惑したまま返事をし、それから横を気にした。通路の向こうでは強面こわもてたちが無言の圧力をかけてきている。
 どうにも居心地が悪い中、列車は振動と共にゆっくり動き出し、ホームを離れた。
 駅を出発してからもトンネルは続き、窓の外は真っ暗だった。鉄道での移動と聞き、車窓の景色を楽しみにしていたティムとしては少し残念だった。
 小気味いい揺れを尻に感じながら、視線を車内に戻す。こちらも出発時と変わらず微妙な空気が漂っていた。通路越しに睨みをきかせる護衛たち。気まずそうに俯いたままのアシュレー。がらにもなく緊張して身を固くしているリルカ。王子だけがひとり、妙に楽しそうだった。
「あの、ギルドグラードって……どんなところですか」
 何とか雰囲気を変えようと、ティムはおずおずと王子に尋ねた。なに勝手に口を利いてるんだとリルカが視線で抗議する。
「良い国ですよ。民は勤勉で、それでいて熱意と活気に溢れている。国としての歴史は浅く資源も乏しいですが、彼ら技術者こそが誇れる宝であると自負しております」
 王子は唐突な質問にも顔色ひとつ変えず、すらすらと答えた。真っ直ぐ向けられた視線に気後きおくれして、ティムは顔を背ける。
「恵まれた地勢ではないギルドグラードがここまで発展を遂げることができたのは、ひとえに技師たちの活躍の賜物たまものです。わたくしも彼らには心より敬意を払っていますし、同時に憧れも抱いています」
「憧れ……ですか?」
 上目遣いで聞き返すと、王子ははにかむように目を細めて答えた。
「わたくしも技師になりたかったのです。このような立場でなければ真剣に志していたでしょうね。ARMマイスターか、それとも……やっぱり乗り物の技師かなぁ。鉄道も船も飛空機械も全部好きです。幼い頃はそうした本ばかり耽読たんどくしたものでした」
 そう語る王子は──本当に楽しそうだった。出発前に垣間見せた機関車両への興味といい、純粋に憧れているようだ。
 ──憧れ、か。
 ティムは隣を盗み見る。
 自分にとっての憧れだったアシュレーが、座っている。一点を見つめたまま、心ここにあらずといった様子だった。王子の話にも一切反応していない。
 まだ──引きずっている。立ち直っていない。
 仕方ないこととは思う。あれだけのことがあったのだ。部隊を率いる立場として、責任を感じ落ち込むのは当然だろう。
 ……だけど。
 顔を向けて、今度はしっかりと見つめる。それでも彼は気づかない。
 その、愁いを帯びた横顔に。
 ティムは初めて……アシュレーに苛立いらだちを感じた。
「失礼ですが、お名前は」
 向かいの席では王子がリルカに声をかけていた。
「はうッ」
 リルカは飛び上がり、席に座り直し、機械仕掛けの人形みたいにぎこちなく首を動かして王子の方を向いた。
「りッ、リルカです。リルカ・エレニアッ……てて」
 自分の名前で舌を噛んで、口を押さえる。いくらなんでも動揺しすぎだとティムは思う。
「リルカさんですか。その若さでARMSに選ばれるとは素晴らしいですね。見た目はとてもチャーミングなのに」
「ちゃ、チャーミング!?」
 おそらく彼女の語彙にない言葉で褒められて、リルカは目を白黒させた。
「そちらの方といい、ARMSはお若い方が多いのですね。まさかわたくしと同年代がいるとは思いもしませんでした」
 ティムは目を伏せる。
 王子の言葉には嫌味も悪意も感じられない。率直な感想を述べただけなのだろう。けれど。
「やっぱり頼りなく……見えますよね」
 つい半年前まで新米の兵士だった若者。
 姉の代わりに参加している未熟な魔法使い。
 まだ広い世界をほとんど知らない、守護獣使いの子供。
 ──足りない。彼が。
 百戦錬磨のスレイハイムの英雄──ブラッド・エヴァンスが。
 彼ひとりが欠けただけで、こんなにも……頼りなく感じるのか。
「そんなことありませんよ」
 ティムの心の中とは裏腹に、ノエル王子はやんわりと否定した。
「ARMSが実力主義ということは存じています。その若さにも関わらず実力で選ばれているのなら、よほどの力をお持ちなのでしょう。頼もしい限りです」
 本心なのか取り繕っているのかは、計りかねた。全くの嘘ではなさそうだけれど。
「若いから頼りないと思うのは、先入観によるものでしょう。先入観というのは厄介なものです。わたくしの父上もしばしば誤解されるので、よく解ります」
「誤解……ですか?」
 ここに来て初めてアシュレーが会話に入ってきた。一応聞いてはいたようだ。
 王子はアシュレーに視軸を移して、尋ねる。
「父上──頭領について、どう思われましたか?」
「ええと……それは……」
 アシュレーは口籠くちごもる。一国の長、しかも息子の前である。軽々しく印象を述べるわけにはいかないだろう。
 ギルドグラードマスターとは、あのシャトーで開催されたサミットの際に一度だけ対面している。アーヴィングに促され、会議の前にARMS全員で各国首脳に目通りしたのだった。メリアブール王やシルヴァラント女王は歓待してくれたが、かの頭領はこちらを一瞥いちべつしただけで──。
 野良犬を手懐けても忠犬にはならんぞ──。
 不機嫌な顔でアーヴィングに吐き捨てて、立ち去ったのだ。
 野良犬呼ばわりされて印象がいいはずがない。リルカがやたら毛嫌いしているのも、このときの態度が原因だろう。
 口を中途半端に開いたまま窮している青年を見て、王子はくすくすと笑った。女の人みたいな笑い方だとティムは思う。
「よく解りました。その反応で」
「あ、いや……すみません」
 謝るアシュレーに構いませんと王子は返す。
「父上はああした性分ですから、皆さんがそう感じるのは無理もありません。ですが──これは身内の贔屓ひいき目かもしれませんが──決してそれだけではないのです」
 父上は常にギルドグラードのことを考えています、と王子は続けた。
「父上の言動は全て、民の安寧あんねいと国の繁栄をおもんばかってのこと。エゴや保身からでは断じてありません。誤解を受けやすいのはそれ以外のことに無頓着だからです。このあたりは施政者と言うより──職人気質なのでしょうね。幾らかでも周りに気を遣って愛想を覚えれば印象も変わると、わたくしは常々思っているのですが」
 ティムは愛想を振りまく頭領を想像しようとしたが……うまくいかなかった。あの顔つきでニコニコ笑われても、たぶん余計に怖い。
「ARMSに対しても、ただ頭ごなしに拒んでいるわけではないのです。利害が一致すれば──ARMSへの協力がギルドグラードの安定に繋がると解れば、父上もきっと皆さんを受け容れてくれます」
 言い終えてから、長々と失礼しましたと会釈した。彼の隣ではリルカが耳から湯気でも噴きそうなくらい真っ赤になっている。慣れない言葉をかけられたのがまだ効いているらしい。
 ティムは闇の流れる車窓を眺めながら、考えた。
 利害が合えば、本当に協力してくれるのだろうか。
 もし王子の言う通りなら、この任務はとても重要だ。息子をきちんと送り届けることができれば、頭領のARMSに対する印象も変わるに違いない。先入観だけで判断されることはなくなるのだ。
 頑張らないと、とティムは心の中で気合いを入れ、それから再びアシュレーに目を向けた。
 ぼんやりと車内のどこかを見ている横顔には、覇気がない。話をして少しは気が晴れたかと思ったが、相変わらずだった。
 こんなことで、大丈夫だろうか。
 ──いや。
 ティムはまなじりに力を込めた。
 そう、決めたんだ。
 アシュレーさんの分まで、ボクが──。
「で、殿下ッ」
 客車前方の扉が開き、血相を変えた車掌が駆け込んできた。
「どうしました?」
 王子が腰を上げる。車掌はその手前で立ち止まり、座席の背凭せもたれにしがみつく。
「と、と、トンネルが、列車が」
 帽子を取るのも忘れてあたふたする車掌に、王子は怪訝な顔をする。
「何か──あったのですか」
「は、はい。その」
 車掌は一度唾を呑み込んでから、ひといきに言った。
「トンネルを抜けられませんッ」
 事態は、急展開を迎えた。

「あり得ないのです。こんなこと、あり得ないんですが、でも実際に……」
「落ち着いて。ゆっくりでいいので起きたことを話してください」
 ノエル王子の穏やかな声色に車掌も我に返り、ようやく帽子も脱いだ。
「本来ならば、十分ほど前にトンネルを抜けているはずなのです。なのに」
「トンネルを抜けられない──ですか」
「はい。奇妙なことに、どこまで行っても出口すら見えなくて……」
「速度を落としたりは?」
「してません。所定の速度で運行しております。車両にも異常はございませんでした」
 報告する車掌の頭は汗まみれだった。冷や汗なのかもしれない。
「どういう……ことなのでしょう」
 王子は周囲の人間たちを見回した。護衛たちもアシュレーも、困惑した様相で立ちつくしている。
 が。
「あ……」
 リルカが声を上げた。座ったまま、夢から醒めたばかりというような顔をしている。
「わかった……かも」
「何がですか?」
 尋ねたティムには応じず、立ち上がって王子に向き直る。
「たぶん、これ……魔法です」
「魔法──ですか」
「はい。空間のひずみを感じました」
 王子に進言するリルカは普段と打って変わって凜々しくて、ティムは少しどきりとした。
「トンネルの中の空間をねじ曲げて、無限ループさせてるんだと思います。でもやっつけ仕事で無理やり繋げたから、繋ぎ目の部分で歪みができてる」
 さっき、それを感じたんです、とリルカは言った。同じ魔法使いだけが感じられる魔法の痕跡──といったところか。
「空間を曲げる……そんなことが可能なのですか」
「空間の操作はシエルジェでもよく研究されてます。でも使うにはロストテクノロジー……魔導器がないといけないはずなんだけど」
「運転士によれば、トンネル内に不審物はございませんでした」
 車掌が汗を拭いながら発言する。
「じゃあ、どうやったんだろうなぁ。魔導器の代わりになるようなアイテムでも使ったのか……そんなの聞いたことないけど……あ」
 腕を組んで首を傾げてから、再び声を上げた。
「降魔儀式……あれができるヤツなら」
 アシュレーの顔色が変わる。
「オデッサの──仕業か」
 ティムも話には聞いていた。特選隊の一人が禁術魔法の使い手だという。
「それっぽいね。でも狙いは何なんだろう。やっぱり」
「わたくし、ですか」
 王子は少しだけ不安な表情を見せた。
「人質にでも取るつもり……なのかな」
 ティムが言う。要人を誘拐すれば身代金もかなり見込めるだろう。もしくは頭領を脅迫して協力させるつもりなのかもしれない。
「んー、そのへんはわかんないけど」
 どっちにしても、かなりヤバい状況だよねとリルカはうなじの辺りを掻く。
「このままループにハマってたら、ヤツらの思うツボだよ。三日もすればみんなヘロヘロで戦うどころじゃなくなるし」
 そうなれば護衛など無力に等しい。王子を誘拐することも訳ないだろう。
「外部との連絡は?」
 王子は護衛たちを振り返る。強面の一人が慌てて通信機を取り出して交信を試みるが。
「駄目です。通じません」
 元々トンネル内や地下は電波が届きにくい。アシュレーも自分の通信機で試したが、やはり無理だったようで、首を横に振る。
「どうすれば……いいんだ」
 通信機を手にしたまま、アシュレーは茫然と呟いた。
 いつもの彼なら、非常時にこんな腑抜ふぬけた顔はしないのに。
 ──頼れない。
 それなら──。
「どうにかして空間のループを解除できないんですか」
 ティムはリルカに尋ねた。いま考えてると文句を返してから、リルカは指で顳顬こめかみを押さえて難しい顔をする。
 この場で魔法のことがわかるのは彼女だけだ。王子も護衛たちも固唾かたずを呑んで、若い魔法使いを見守る。
「……歪みがあるってコトは」
 少しして、リルカが口を開いた。
「繋ぎ目にほころびもできてるかもしれない。そこからこじ開けて制御空間に入れば──」
「解除できますか」
「たッ、たぶん」
 王子に期待の眼差しを向けられ、リルカの頬がまた赤くなる。
「制御空間に入るのは、そんなに難しくないです。そこからは入ってみないとわからないけど……」
「ならば、お願いします。──いや」
 わたくしも参りましょう、とノエル王子は意外なことを申し出た。その場の全員が面食らう。
「ど、どうしてッ。危ないですよ」
「この罠を仕掛けたのは手練れの魔法使いなのでしょう。ならば魔法の知識を持たない護衛たちの手には余る。魔法使いの貴女と共に行動することが、自身を守るための最善であると考えます」
 確かにリルカが制御空間に入っている間に襲われたら、対処のしようがない。魔法を使われればいくら精鋭の護衛でも守り切るのは困難だろう。
「殿下、それならば我々も」
 同行しますと言いかけた護衛をリルカが慌てて制した。
「待った。いくらなんでも定員オーバーだって。わたしの魔力じゃそんなたくさん入れませんッ」
「心配は無用です。わたくしの身はARMSが護ってくださいます」
 詰め寄る護衛たちにそう断ってから、こちらに向き直り。
「信頼していますよ」
「……わかりました」
 結局、王子に押し切られる形でアシュレーも了承した。
「いち、に……わたし入れて四人かぁ。それでもいっぱいいっぱいなんだけど……あうぅ、しかも王子様だし失敗できないし……」
 リルカは壁に立てかけてあったパラソルを取ると、ぶつぶつ弱気な台詞を呟きながら座席を出る。アシュレーと王子が続き、ティムも急いで身支度してから後を追った。
 車両後部の扉の近くに全員が集まった。輪の中心に立ったリルカは、まず車掌を呼んだ。
「列車を同じ速さで走らせてください。ちょっとでも速度が変わるとタイミングずれちゃうから、頼みます」
「しょ、承知しましたッ」
 車掌は帽子を被り直すと先頭車両へすっ飛んでいった。リルカはそれを見てから、今度は侵入する三人に向けて言う。
ゲートが開いたらすぐに入って。たぶんそんなに長くキープできないから。先に順番決めといた方がいいかな」
 入る順番はリルカの独断でアシュレー、ノエル王子、そしてティムとなった。リルカは最後に飛び込むという。
「やるよ」
 覚悟を決めたように宣言してから、リルカはポーチから懐中時計を取り出し、左手に携えた。胸の前に持ち上げた時計に目を落とすと、その体勢のまましばらく動きが止まる。ループの繋ぎ目が来る間隔を計っているのか。
 再び動いたのは数分後。いったん時計盤から目を離して、おもむろに右手のパラソルを前に突き出す。それからホクスポクスフィジポスと呪文のような言葉を口にしたが──何も起きない。ティムは疑問に思ったが、引き続き彼女が時計を見ながら集中を始めたので、すぐに忘れて注視する。
 そして、さらに数分後──その瞬間は突然訪れた。
開けマルファーム!」
 リルカが唱えると、パラソルの先端近くの空間がぐにゃりと歪んだ。それと同時に周囲の景色から色が失われる。列車の走行音も途切れた。
 時間が──停止した?
「行って!」
 リルカが叫ぶ。振り向くと、先程歪んだ空間に人ひとり通れるくらいの穴が生じていた。これがゲートか。
 予定通りアシュレーが最初に飛び込み、王子も躊躇することなく黒々とした穴を潜った。ティムは一瞬怯んだが、思い切って目を瞑りながら突入した。
 特に感触のようなものはなかった。恐る恐る目を開けると──一面の闇が広がっていた。アシュレーと王子の姿だけが見えている。
「わッ」
 背中を押されてティムは前につんのめった。最後に飛び込んだリルカが勢い余ってぶつかったらしい。
「ふう……ここまでは成功、かな」
 ティムの背中越しに全員の無事を確認して、リルカは胸を撫で下ろす。通ってきた門は既に消失していた。
「成功なんですか? 真っ暗ですけど」
「そうかさないでよ。いま作るから」
 ──作る?
 リルカはその場に屈み込み、足許に手を当てて見えない地面の感触を確かめる。そして瞑目して再び集中する。
パズル展開イクスパンシゥ・ラ・エニグモン
 唱えた瞬間、彼女が触れていた地面を中心に光が放射状に拡散した。光は床の輪郭を描き出し、彩りを与え、彼方の闇まで届くとそこで混じり合って七色の空となった。
「わぁ……」
 不可思議な光で満ちた世界に、ティムは目を奪われた。足許の床は全て、同じ大きさをした立方体のブロックだった。半透明で、切り出した氷か水晶のようにも見えたが、杖の先で突いてみると樫の木材のような音がした。七色に輝いて見えるのは空の色が透けているせいか。
「ここが制御空間ですか」
 王子が空を仰ぎながら言う。非常時なのだが相変わらず楽しそうだ。
「はい。でも、空間と言っても決まった形があるわけじゃないから、そのへんは自分の魔力で構成しないといけないんです」
 つまりここは、リルカによって構成された空間ということか。彼女の作った世界にいる──と考えると複雑な気分だけれど。
「素晴らしい。このようなものまで作れるとは、魔法とは何て素晴らしいのか」
 一方で王子は少年の顔に戻ってあちこち歩き回り、驚いたり感心したりしている。興味は乗り物だけに限らないようだ。何事にも好奇心が強い人なのかもしれない。
「リルカさん」
「え? わ、わッ」
 ひとしきり辺りを観察すると、彼はいきなりリルカに詰め寄って、その手を取る。
「わたくしは貴女を尊敬します。貴女は素晴らしい魔法使いだ」
「へえッ!? あ、いやその、え、えっと……」
 リルカは裏返った声を出して硬直した。後ろ姿で見えなかったが、きっとまた茹で蛸みたいになっているのだろう。
 そう思うと。
 少しだけ──嫌な気分になった。
「ティムがヤキモチ焼いてるのダ。珍しいのダ」
 腰に提げた鞄の中から、プーカが不意に頭を出した。ティムは慌てて鞄に押し込んでから、周囲を窺う。幸い誰にも聞かれなかったようだが。
 なんで、ボクが……ヤキモチなんて。
 でも。
 耳が──熱い。
 それを気取られないよう無愛想を装いながら、ティムはリルカに歩み寄る。
「リルカさん、ボーッとしてないで。ここからどうすればいいんですか」
 声をかけるとリルカは一度ムッとして、それから額に手をかざして遠くの何かを探し始めた。
「あった。あれだよ」
 彼女の示す先にティムも目を向けた。七色の空の只中ただなかに、菱形の大きな石が浮遊している。
「たぶん、あれがジェネレイター。あれをどうにかすればループは解除されるはず」
「どうにかする?」
「手っ取り早く言うと、ぶっ壊すの。物理的な力も通じるから、普通にARMとかでいいんじゃないかな」
 そんなことでいいのかと少し釈然としなかったが、この場を作った人間が言うのだから、従うより他ないだろう。
「だけど、この距離では……」
 同じように石を見遣っていたアシュレーが言う。石の大きさがわからないので距離感が今ひとつ把握できないが、少なくともARMの砲撃が届く範囲ではなさそうだ。
 彼らの立っている床は四方数十メートルで途切れており、そこから先は空と同じ七色の奈落が広がっている。隅まで行ったとしても──果たして届くかどうか。
「今のわたしの魔力じゃ、これ以上床を広くするのは無理。それでも前やったときに比べたら、かなり広くなったんだよ」
 前は畳一枚ぶんしか作れなかったんだから、とリルカは言い訳めいたことを言う。どうやら床の広さは作った人間の魔力に比例するらしい。
 ──そうだ。
 ARMでは届かなくても、自分には。
 守護獣ガーディアンがあるじゃないか。
「とにかく、行けるところまで近づいてみましょう」
 思いついたティムは、そう言うと。
 先頭を切って──歩き出した。
 自分の前に、誰もいない。新鮮な感覚だった。
 怖さも不安もあったが、それより嬉しさが勝った。心地よく胸が高鳴る。
 これでいい。
 これからは、ボクが──。
 が。
「ちょっと」
 いきなり腕を掴まれ、引き戻された。
 後ろに蹌踉よろけるティムの前に、ぬっと顔を出したのは──リルカ。なぜかこちらを睨んでいる。
 目を逸らして文句を言おうとしたが、その前に両手で左右の頬をつままれ、思いきり引っ張られた。
「ひ、ひひゃい、ひひゃいへふっへ!」
 悲鳴を上げて藻掻もがくとすぐに解放された。理不尽な仕打ちと頬の痛みとで、じわりと目が潤む。
「何するんですかッ」
 涙声で抗議すると、リルカはふんと鼻を鳴らす。
「こんなのでベソかいてるヤツに、リーダーづらされたくない」
「え?」
 ボクが──リーダーに?
「なろうとしてたじゃん、さっきから。ガラにもなく前歩いたりして」
「ぼ、ボクはただ、アシュレーさんの代わりに」
「それが勘違いだって言うのッ」
 鼻先に指を突きつけられて、ティムは思わず怯む。動揺と混乱で頭がくらくらした。
「この際ハッキリさせとくよ」
 リルカはやたら偉そうにふんぞり返ったまま、言い放った。
「ARMSのリーダーはアシュレーなのッ。誰がなんと言おうと、ぜったいにぜったいッ。たとえヘコんでしょぼくれてウジウジしてたって、それは変わらないんだから」
 あんたが出しゃばる幕じゃないッ、と独特の言い回しで一喝され、ティムは腰を抜かしてへたり込んだ。
 情けない。これでは──昔と同じじゃないか。
 バスカーの里で怯えきっていた弱虫の自分。あれから強くなって、変わったと思っていたのに。
 何ひとつ……変わってなかった。
 悔しさと恥ずかしさで、涙がこみ上げる。我慢したけど堪えきれず、下を向いた。
「それからアシュレーもッ」
 リルカの怒りの矛先は、当のリーダーにも向けられた。
「こんなヘナチョコにナメられて何とも思わないの? いつまでも金魚のフンみたいにズルズル引きずってッ。アシュレーにとってブラッドは金魚のフンだったの?」
 よくわからないたとえだったが、アシュレーは神妙にしている。
「ブラッドが大事だったんなら、先に進もうよ。じゃないと、ブラッドはなんのために……」
 ──彼は、命をして。
 仲間を送り出したんだから──。
「リルカ……」
 言うだけ言ってしおれてしまったリルカの肩を、アシュレーは抱き留めた。
「ごめん」
「謝るくらいなら、さっさと立ち直れ」
「……そうだな」
 アシュレーは頬を緩め、苦笑いを浮かべた。久しぶりに見た自然な笑顔だった。
「何か辛いことが……あったのですね」
 ずっと静観していたノエル王子が口を開いた。アシュレーはリルカから離れ、そちらを向く。
「仲間を──うしないました」
「そうですか」
 心中お察しします、と王子はこうべを垂れた。
「責任を感じていらっしゃる」
「はい。僕は彼を信じ切れなかった。それで」
 死なせてしまった──とアシュレーは吐露する。もう取り乱すことはなかった。
「人は常に死と隣り合わせ。皆さんのように危険な仕事をされているなら、尚更なおさらでしょう」
 七色の空を見上げながら、王子は言う。
「大切なのは、死とどう向き合うかだと──わたくしは思います」
「どう、向き合うか……」
 アシュレーが呟く。すっかり気が抜けてしまったティムは、座り込んだまま彼らのやり取りを傍観する。
「『死』とはすなわち『生きた』ことの結果。生がなければ死も起こり得ないのです。生という過程を経て、やがて死という結果に至る」
 結果にばかりこだわっていると、人は往々にして見失います──。
 王子はそう言うと、並んで立つアシュレーとリルカを見据えた。
「過程と結果は常にセットです。『どうして死んだのか』ばかりではなく『どうやって生きたのか』ということも同じように顧みる。それが、死と向き合う上で大切なことではないかとわたくしは思います」
 どうして死んだのか。
 どうやって生きたのか。
 似ているようで──全然違う。
「あなたの心の中にいる方は、どう生きていましたか」
 アシュレーが俯き、唇を噛む。
「何を望み、何を言っていましたか」
 リルカが項垂うなだれ、肩を震わせる。
「あなたたちに、何を──託しましたか」
 彼が託したもの。
 それは──。
「結果はどこまで行っても結果でしかありません。そこに至る過程こそが、先に進むための糧となる。わたくしはそう思っています」
 若輩者が生意気な口を利きました、と王子は最後に一礼して締めくくった。
 アシュレーは一度背を向けて顔を拭い、それから振り返って全員を見回した。
 悲しみも後悔も愁いも、まだ消えていない。それらを背負ったまま、それでも──。
 彼はしっかり、前を向こうとしている。
「……進もう。先に」
 ARMSのリーダーが、そう告げたとき。
「進ませないよ」
 ティムのすぐ背後から、声が。
 驚いて、弾かれるように飛び退いた。そして自分のいた方を振り向くと。
「悪いが貴様たちはここで足止めだ。永久にな」
 軍服をまとった若い男が──立っていた。