■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Episode 12 決戦のとき

 ここが自分の死に場所なのだと、そのときブラッドは覚悟したという。

 魔物の生命力を利用したエネルギープラント。オデッサが投棄したこの施設の中を、彼は未だ彷徨さまよっていた。
 ──大袈裟おおげさな墓標だ。
 心の中でごちながら、魔物の目をい潜って闇に覆われた通路を進む。
 出入口へと通じるフロアは、既に怪物どもの巣窟と化していた。意を決して強行突破を試みたものの、やはり数の多さはどうにもならず、退却を余儀なくされた。魔獣の鋭い牙に利き腕をやられ、さらに足の速い魔物に追い立てられて。
 結局──この暗い地下の通路に。
 四方から、荒々しい息遣いと何かがうごめく雑音が聞こえる。夜目よめの利く魔物がいないことがせめてもの幸いか。足音を忍ばせ、気配を殺しつつ、奥へ奥へと進みゆく。
 この先は、確か。
 制御室で見た施設の全体図を脳内で辿たどる。両側に小部屋のある廊下、折り返しの下り階段、そして。
 ──実験室か。
 アシュレーたちが閉じ込められた場所。彼らは脱出できただろうか。バイツァダストで壁を壊して、そこから──。
 自分も。
 ──いや。
 不意にもたげた希望の芽を、頭を振って打ち消す。
 あの扉を開けるパスワードを、自分は知らない。このまま行っても手詰まりだ。
 やはり、ここが俺の死に場所か。
 まだ動く左腕で首筋に触れる。冷たく硬い、異質な感触。自分に残された最後の武器。
 どうせ散るなら、せめて一匹残らず、確実に仕留めてやる。
 英雄として、最期のときまで──英雄らしく。
(これで死んだら、俺達、なんて言われるだろうな)
 あいつの言葉が脳裏を過ぎる。二人きりで大隊に奇襲を仕掛ける、その直前だったか。あのときも最後は自爆する腹積もりだった。
(英雄とたたえられるか、それとも無謀な愚か者とけなされるかな)
 ──どっちも御免ごめんだな。
(どうしてだ? 愚か者はともかく、英雄だぜ)
 そんな肩書、俺たちには不釣り合いだ。重くてかなわない。
(違いないな。でも)
 その重さが、今は必要なのかもしれないぜ──。
 あの頃はその言葉を理解できなかった。だが、実際に背負ってみた今なら実感できる。
 英雄とは、存在そのものに意味があるのではない。そう呼ばれることに意味があるのだ。
 極端な話、それを背負うのは誰でも構わないのだ。英雄などというものは、そうした存在が渇望される状況があり、その上で何らかの契機──例えば戦況を一変させた男の出現など──によって、蓋然がいぜん的に発生するものに過ぎない。それが実は無鉄砲なだけの冴えない男であったとしても、関係ないのだ。
 現に自分もこの五年間、不釣り合いな重い肩書を背負い続けてきた。俺の存在こそが、それを何より証明している。
 一度たりとも、自分で名乗ったことはないというのに。
 周囲が俺に『ブラッド・エヴァンス』であることを求めた。だから俺はその役割を演じてみせた。あいつに返す、そのときまでの代役として。
 俺は『英雄』の名を背負ってさえいれば良かった。そして。
 その役割も、どうやら──しまいのようだ。
 ARMSは強くなった。もはや自分が手を貸さずともやっていけるだろう。彼らの中から、いつしか本物の英雄が生まれるに違いない。
 思い残すことはない。元より五年前、あいつの無茶につき合うと決めたときから腹はくくっている。その時が少しだけ先延ばしになった──それだけのことだ。
 左手をズボンの隠しに差し入れる。小さな金属片の感触。そこに刻まれた文字の凹凸おうとつを指で撫でる。
 結局、返せなかった。それでも。いや──だからこそ。
 この『ブラッド・エヴァンス』の名に恥じない──最期を。
 扉が見えた。
 近づいて、その前に立ち──目をみはる。
 巨大な金属扉、その右側が大きくひしげていた。大型の魔物が破ろうとでもしたのか。右の扉が奥に押し込まれ、左の扉との間に隙間が生じている。
 さらに近づき、隙間の具合を確かめる。くぐれるかとにわかに期待したが、やはり幅が足りない。頭は通れても身体は無理だろう。幅を広げようと体当たりも試みたが、分厚い金属板は人間ごときの力ではびくともしなかった。
 万策尽きて、扉を背に息を吐く。忍び寄る死を悟って振り仰いだ、そのとき。
 背後から、微かに物音が。扉を隔てた向こう側で何かが動いている。
 まさか。
 彼らが、まだ残っている──?
 気配を察し、隙間を凝視して身構える。間違いない。中に誰かがいる。だが、この感じは。
 歪んだ金属板のふちに、指がかかる。次に頭が見え──。
「──ッ!」
 さしものブラッドも、肝を潰した。
 白く染めた前髪に、額の鉢金はちがねけた頬に眼光鋭い三白眼さんぱくがん
 自分の頭が──隙間の向こうから、こちらを覗いていた。
 果たしてこれは現実なのかと、一瞬疑ったが。
「ガ……ギィ……」
 それは耳障りなうめきをらしながら、首を隙間に突っ込んでじたばた藻掻もがき出す。外に出たいが肩がつかえて出られないようだ。よく見るとブラッドの姿をしているのは上半身のみで、腰から下は黒い木偶でくを接ぎ合わせたような形をしている。
 それを認めて、ようやく我に返った。
 ──偽者か。
 別の姿に偽装する、異界の魔物。恐らくこいつを使ってアシュレーたちをここにおびき寄せたのだろう。
「ギ……ギ……」
 偽のブラッドは、なおも扉に挟まったまま暴れていた。改めて見ると、声以外は気持ち悪いほど完璧に自分の姿をコピーしている。体格はもちろん、髪も肌も、頬のよぎり傷まで──。
 ──もしや。
 それを確認するため、隙間越しに偽者の髪をつかんで引き寄せた。そして首筋を覗き込むと。
 ある。
 くびの付け根にめられた、犬の首輪が。
 ──小型爆弾ギアス。
 果たして機能まで本物オリジナルと同じなのか。確証はないが──試す価値はあるだろう。これが唯一の突破口だ。
「アシュレー!」
 偽の自分を掴んだまま、実験室の奥に向けて叫んだ。返事はない。やはり彼らは既に脱出したようだ。
 ならば。
「こちらも、離脱する」
 脱出してみせる。
 やはり自分は英雄ではない。この名を抱いたまま死ぬ訳にはいかない。
 必ず返すと──約束したのだから。
 偽者を隙間の向こうに突き飛ばすと、ブラッドは駆け出した。
 あれが完全に壊れてしまっては水の泡だ。急がなければ。
 階段を上がり、地下の通路を猛然と突っ切る。魔物の目を気にする余裕はない。暗がりから襲いかかってきた魔獣どもを振り払い、どうにか梯子はしごに到達する。
 上の通路も無数の魔物がひしめいていた。こちらの姿を見つけると一斉に威嚇いかくを始める。
 制御室は、この通路の先。──突破するしかない。
「邪魔だッ」
 動かない右腕を左手で持ち上げて、マイトグローブの撃鉄うちがねを弾いた。放たれた弾が前方の魔物を一掃し、道が開ける。
 周りからの反撃が来る前に通路を一気に駆け抜け、目の前の制御室に転がり込んだ。すぐさま閉めた扉を近くの装置で塞ぎ、侵入がないことを確認すると、ようやく人心地ひとごこちついて緊張を解く。
 これで──後は。
 肩から外れそうな右腕をかばいつつ、画面のついた装置の横──通信設備の方に移動する。
 先程、ここからアシュレーたちに向けて指示を流した。その指示通りに脱出したということは、実験室に音声は届いていたはずだ。
 録音のスイッチを入れ、マイクに口許を近づける。そしてギアス発動のコマンドワードを──一音ごと、たっぷり間を空けて唱える。
 そのまま言えば自分の爆弾ギアスまで発動してしまう。だから、まずはこれを録音させて。
 スイッチを切り替え、今度は外部のスピーカーのみに出力するようにしてから、録音した音声を早回しで再生させた。
 上手くいけば、これで。
 足許から、突き上げるような振動がとどろいた。
 成功した。偽者のギアスが──発動した。
 扉の小窓を覗くと、フロアの一帯で火柱が上がっているのが見えた。爆発で装置が壊れ、漏出ろうしゅつしたエネルギーに引火したのか。床が割れ、辺りを闊歩かっぽしていた怪物どもが次々と真下の実験室に落ちていく。
 ここもじきに、奈落に呑み込まれる。その前に。
 塞いでいた装置を蹴り倒し、扉を開けて、ブラッドは炎の海に飛び込んだ。
 まるで戦場のようだと、自ら呟いた皮肉に顔を歪めながら。
 炎の先にわずかに見える出入口に向けて──駆け出した。


 そうして、俺は。

 ブラッド・エヴァンスは。

 再びここに──帰ってきた。

「ブラッド……」
 覚束おぼつかない足取りで、アシュレーは砂漠にたたずむ大きな影に近づく。変身はいつの間にか解けていた。
「ブラッド」
 譫言うわごとのようにその名を呼び続けながら、後ろに立つ。
 影は抱えていたARMの砲身を下ろすと、こちらを振り向く。隆々りゅうりゅうとした体躯たいくに、凄みのある独特の目つき。あの出来事から一月ひとつきと経っていないのに、何だかやけに懐かしく感じた。
「生きて……いたんだな」
「ああ」
 まだ死ぬ訳にはいかないからなと、彼はいつもの重い声で言った。プラントで聞いたのと同じ言葉に、思わず瞳が潤む。
 だが。
「ブラッド……すまない」
 アシュレーは砂地に膝をうずめて、項垂うなだれた。
「僕は、あのとき貴方を……」
「違うよアシュレー」
 リルカが横から顔を覗き込む。
「ブラッドは何とも思ってないんだから、謝るのはヘンだよ。だよね、ブラッド?」
「ああ」
 彼も応じて、アシュレーの前に片膝をつく。
「俺も、どこか……お前たちを信頼しきれていなかったのかもしれない。お互い様だ」
 差し伸べられたたくましい手を、おずおずと掴む。引き上げられるようにしてアシュレーは立ち上がった。
「こういうときは、こう言わないと」
 おかえり、とリルカは澄ました笑顔で言った。
「ほら返事は」
「……ただいま」
 すかさず催促され、ブラッドも照れ臭そうに小声で返した。珍しい反応にアシュレーは軽く吹き出す。
 おかげで気持ちも軽くなった気がした。
「でも……一体どうやって、プラントから出られたんですか?」
 カノンの隣でティムが尋ねる。
「あのときの爆発って、ブラッドさんの首の爆弾によるものだったんですよね。それで、その……無事でいられるとは」
「発動したのは偽者の爆弾ギアスだ」
 疑問にブラッドは一言で答えた。
「え……あ」
 偽者──ドッペルゲンガー。ブラッドに成りすましてアシュレーを誘導ミスリードした、あの魔物か。
「でも、あれってアンテノーラが壊したんじゃ」
「俺が行ったときは、壊れかけだが動いていた。何かの拍子に再起動したのだろう」
 あつらえ向きに、偽者にもギアスが取りつけられていた。それを制御室から遠隔起動させ、爆発の混乱に乗じて脱出したという。
 そこまでは良かったが、とブラッドは続ける。
「離脱の際に深手を負ってしまってな。思いの外、復帰に時間がかかってしまった」
 聞けば、脱出後はずっとクアトリーに滞在していたらしい。アシュレーたちが先日訪れたウラルトゥステーションからも遠くない場所だ。
 あのとき立ち寄っていれば──と少し悔やんだが、それは今だから思えることだろう。ブラッドが生きていて、しかもクアトリーで休養しているなど、その頃には想像だにしなかった。
「せめて、連絡でもしてくれれば……」
 思わずついて出た言葉に、リルカもそうだよと言いつのる。
「怪我してたって連絡よこすくらいはできたでしょ。てっきり死んだものと思って、アシュレーなんて見てられないくらいヘコんでたんだから」
 今更いまさら蒸し返されて、アシュレーは渋い顔をする。言わなくていいのに。
「……すまない」
 迷ってしまった、とブラッドは心中を吐露とろする。
「迷った?」
「俺が再び加わることが、果たしてARMSにとって良いことなのか……それをずっと考えていた。だから」
「はぁ? なにそれ」
 リルカが呆れて口をひん曲げる。
「そんな考えるまでもないこと考えてたの? ホントにもう……アシュレーといいブラッドといい、いい歳こいた大人がなにウダウダ悩んでんだか」
「大人になると、そう単純に割り切れなくなるんだよ」
 これ以上の飛び火を避けるため、アシュレーはやんわりとたしなめた。
「それならわたしは子供のままでいい」
 結局リルカは子供らしくねて、そっぽを向いた。遠巻きに見ていたティムが眉をひそめる。
「……そうだな」
 ブラッドは僅かに頬を緩ませて、言った。
「本当は、単に……このまま表舞台から消えて、楽になりたかっただけなのかもしれない。戦いからも、『英雄』の重責からも解放されて、穏やかに過ごしたいと……甘えてしまったのかもしれないな」
 スレイハイムでの闘争の日々。終戦後の逃亡生活。五年にも及ぶ投獄。そしてARMSへの参加。
 平穏とは無縁の、壮絶な半生を送ってきた彼だからこそ──それを望むのは、無理もないことなのかもしれない。
「だが、どうやら俺の『業』は相当に深いようでな」
 再びブラッドが口を開く。
「ある噂がクアトリーに流れ、俺の耳にも入ってきた。動けるまで回復した俺は、噂の真偽を確かめるため調査を始めた」
 彼を再び──いや、三度みたび表舞台に駆り立てた、その噂とは。
「南の砂漠の地中から、何かが出てきて飛び去った──と」
「それは……」
 ヘイムダル・ガッツォー──先程までこの上空を覆っていた、空中要塞。
「噂の出所は砂漠をあさっていた渡り鳥だった。姿こそ見えなかったが、地面に大穴が開いて、そこから何かが浮上するような音が聞こえたらしい」
 上空からの監視はあざむけても、たまたま近くにいた者の目(と耳)までは誤魔化ごまかせなかった、ということか。
「その渡り鳥から目撃地点を聞き出し、実際に現場へ行った。そして」
「まさか、ここのアジトを……探り当てたのか?」
 ARMS本隊が特定するよりも、ずっと前に。
「すぐにしらせるべき──と思ったんだがな」
 ブラッドは幾分いくぶん申し訳なさそうに、顔を背ける。
「だが、連中がプラントのときと同様、放棄したアジトを餌にしてお前たちを誘い込むのは目に見えていた。だから今度は、それを利用してやろうと考えた」
「えっと……つまり?」
 リルカが首をひねる。アシュレーが口を開く前に、ずっと黙っていたカノンが答えた。
「餌につられたARMSをおとりにして、敵の切り札の正体を見極め、ついでに一撃ぶち込んでやろう──そんなところか」
「え、じゃあ、わたしたちもエサにされたの? ひどいなぁ」
 頬を膨らませる少女に、ブラッドは素直に悪かったと謝った。
「戦場では当然の判断だ。敵を出し抜くため味方をも欺く──お前たちの指揮官もよくやる手だろう」
 涼しい顔でカノンが言う。身に覚えがあるのでぐうの音も出ない。
「そのおかげでボクたちも助かったんですしね。凄かったです、さっきの」
 ティムがやや興奮気味に言う。
 ──そうだ。
「このARMは……どうしたんだ? これって」
 ブラッドの足許に横たわる大型ARM。アシュレーの記憶が確かならば、これは。
「リニアレールキャノンだ」
 やはり。
 最新式の電磁加速砲。実戦投入されているARMの中では恐らく最強だろう。現在の技術では大量生産は難しく、シャトーに搭載してある一基とギルドグラードが保有する数基を除いては、ほとんど存在が確認されていないはずだ。
「これはスレイハイム軍が保有していたものだ。解放軍が接収した際、この砂漠に隠しておいたのを思い出してな」
 掘り出して使った、と当然のようにブラッドは言うが。
「艦載砲だろう、これ……」
 呆れ半分に、アシュレーはその兵器を眺める。一抱え以上ある砲身に、そこから伸びた数メートルもの軌道。こんな金属のかたまりを人ひとりで動かせるとは到底思えないが──。
 実際、彼らの目の前でブラッドはこれを操り、上空の空中要塞に向けて発射してみせたのだった。相変わらず常人離れした怪力だ。
 エルゥ族が手がけた究極の飛空機械も、近距離からの不意の砲撃は回避できなかったらしい。主砲を損壊し、放出寸前だったエネルギーも消失して、ヘイムダル・ガッツォーは再び姿をくらました。
 紛れもなく、全滅の危機だっただろう。それを彼が──救ってくれた。
「やっぱり、貴方は──」
 英雄だ、と言いかけたアシュレーを、ブラッドは制する。
「俺はもう英雄ではない」
 彼は一度目を伏せ、それからこちらを再び見据えて、言った。
「『英雄』ブラッド・エヴァンスは、あのプラントで死んだ。今の俺は──」
「ARMSのブラッド、だよね」
 横からリルカが言う。ブラッドは少し逡巡しゅんじゅんするように視線を泳がせてから、ああ、と応じた。
「また──よろしく頼む」
「頼りにしてるよ」
 二人が固く握手を交わした、そのとき。
 砂漠に機影が差した。まさか、また──と全員が息を呑んで振り仰いだが。
 上空には、日射しを受けてひときわ輝く白亜の館──ヴァレリアシャトー。
 ビックリさせんなッ、とリルカが空に向けて文句を吐いた。

 館の三階。ARMS作戦本部。
 犬の頭と首輪を抽象化した徽章きしょうの前で、指揮官アーヴィングがいつものように険しい顔で立っている。
 彼と机を隔てた手前に並ぶのは、アシュレー、リルカ、ティム、そして復帰を果たしたブラッド。少し離れた壁際にカノン。入口付近には着ぐるみのマリアベルに、指揮官の妹アルテイシアの姿もある。扉の向こう側ではトニーとスコットが聞き耳を立てていることだろう。誰も何も言わないのをいいことに、最近は彼らもすっかり居着いてしまったらしい。
 発足したとき、この場にいたのは四人のみだった。すっかり大所帯になったものだと、アシュレーは密かに目を細める。
「敵の飛空機械──ヘイムダル・ガッツォーは」
 全員を鋭く見据えながら、アーヴィングは切り出した。
「ブラッド君の働きにより主砲の一部を損壊し、撤退した。被害の程度にもよるが、少なくとも数日は主砲『アークスマッシャー』は使用不能になったと考えられる」
 この猶予ゆうよを稼ぐことができたのは非常に大きい、と指揮官は言葉を継ぐ。
「しかもオデッサは、先刻せんこくのアジト跡にてこちらを一気に殲滅せんめつする算段だったようだ。それが失敗に終わった今、彼らには大きな隙が生じている」
「この機を逃す手はない──ということだな」
 いよいよ、決着のときか。
「でも、あっちの飛空機械って見えないんでしょ。どうやって見つけるの?」
 リルカが聞くと、アーヴィングはひとつ頷き。
「それについては──」
「わらわが説明してやろう」
 マリアベルが進み出て、アーヴィングの横に立った。
「あんな大飯おおめし食らいの失敗作は、ファルガイアの為にもさっさと墜とさねばならんからの。わらわの助言も大盤振る舞いじゃ」
「失敗作……ですか。ヘイムダル・ガッツォーが?」
 あの規模と性能を見る限り、そうは思えないが。
「あれはエルゥ族の中でも急進的な一派が勝手に作った代物しろものじゃ。結局は一度も使用されずに封印された」
「何が問題だったんですか?」
 ティムが尋ねると、マリアベルは傾いたお化けの頭を直しながら答える。
「最初に言うたじゃろう。大飯食らい──あれを維持させるにはべらぼうな量のエネルギーが必要なのじゃ。天然の資源ごときではまかないきれぬほどの、な」
「だから、あんな……魔物を利用したプラントを構築したのか」
 召喚した魔物からエネルギーを抽出して供給する。そんなおぞまましいことをしてまで──動かしたかったのか。
 プラントのエネルギーも大半は起動時に使い切っているじゃろうな、とマリアベルは言う。
「じゃあ、今はどうやって動かしてるんですか?」
「そのカラクリが──これじゃ」
 と、彼女がいきなり回れ右をして、着ぐるみの背中についたファスナーを内側から開けた。
 何が起きるのかと見守っていると、開け口から突然紙束かみたばを持った生身の腕が出てきた。中の彼女が身体をひねって腕だけ出したらしい。紙束を机に放り投げるとすぐさま腕は引っ込み、ファスナーも元通りに閉められた。
 イリュージョンだ、とリルカがよくわからないことを口走る。アシュレーは気を取り直し、机上にぶちまけられた紙束に目を落とす。
「これは?」
「カノン君から提供された『魔界柱』の設計図と研究資料だ」
 アーヴィングが言う。
「魔界……柱?」
 奇怪な名称にアシュレーは眉根を寄せる。確かに設計図らしき紙片には柱のようなものが描かれてあるが。
 この柱が──一体。
「彼女はある男を訪ねた際、偶然その資料を見つけたそうだ」
 実物も見た、とカノンは顔を背けたまま小声でつけ加える。
「オデッサの依頼で作っていたようだ」
「オデッサの……」
 まだ要領を得ないアシュレーに、指揮官が説明する。
端的たんてきに言えば、その魔界柱はファルガイアのエネルギーを抽出する装置だ。アンテナの役割も果たしており、吸い出したエネルギーを無線で別の個体に転送することもできる」
「この装置を用いれば、飛行中のヘイムダル・ガッツォーに随時ずいじエネルギーを補充し、着陸することなく半永久的に空中に留まることができる、という訳じゃな」
 しかも姿は隠れたまま、レーダーにも捕捉されない。エネルギーが続く限りはほぼ無敵だ。
 ならば、まず狙うべきは──それか。
「ファルガイアのエネルギーって、『マナ』のこと?」
 横のリルカが尋ねる。ファルガイアの血脈『マナ』と、マナの通る道『レイライン』──エネルギー結晶体を取りに行く際に聞いた話を、アシュレーも思い出した。
 左様じゃ、とマリアベルが応じる。
「シャトーの動力源にもマナが凝結した結晶体が使われておるが、この魔界柱は直接マナを吸い取ってエネルギーに転換するという、不埒ふらち極まりない装置じゃ。これも先走った馬鹿なエルゥが開発したのだったか」
 馬鹿な機械と馬鹿な装置を馬鹿者どもが組み合わせたのじゃッ、とノーブルレッドの生き残りは憤慨しながら馬鹿馬鹿と連発する。
「マナが潤沢じゅんたくにあった頃ならまだしも、『焔の災厄』によってマナがいちじるしく減少した現在でこんなものを使えば、瞬く間にファルガイアはカラッカラのスッカラカンじゃ。まったくオデッサめ、一体何を考えておるのやら」
「何も考えていないのだろうな」
 ブラッドが短い言葉で断じる。鋭く睨んだ先に浮かんでいるのは、かつての上官──ヴィンスフェルトか。
「あれは、そういう男だ」
「ならば早々に退治すべきじゃな。ファルガイアの害悪じゃ」
 そこまで吐き捨てるとようやく腹の虫が治まったのか、マリアベルは後ろに退いた。
「この戦いは、ファルガイアそのものを守る戦いでも──あるわけだな」
 アシュレーが呟くと、その通りとアーヴィングが言葉をけた。
「こうしている間にも大地から貴重なマナが奪われ、あの巨大な飛空機械に送り込まれている。このような暴虐ぼうぎゃくは一刻も早く止めなくてはならない。ゆえに──」
 明日、オデッサ壊滅作戦を決行する、と指揮官は宣告した。
 アシュレーはつばを呑み込む。遂に、彼らと雌雄を決する日が来た。
「……作戦の内容は」
 胸の高鳴りを抑えつつ問う。やはり最初に叩くべきは魔界柱か。
「まずはエネルギーの供給を断つ」
 予想通り指揮官はそう言って、詳細を説明する。
「エネルギーの供給が失われれば『ウィザードリィステルス』は解除され、特定も可能になる。魔界柱については未だ不明の部分も多いが、少なくともアンテナ──地表に出ている柱の部分は破壊可能であるようだ。バイツァダストを用いて柱を壊し、エネルギーの転送を止める。ただし──それにはいくつか問題もある」
「守りをガッチガチに固められてるとか?」
 リルカが言う。確かに彼らにとっての生命線だけに、その可能性は高そうだが。
「警備は手薄だ。ほぼ無防備と言ってもいい」
 カノンがそう答えた。彼女は魔界柱を実際に見ているのだったか。
「それじゃあ、問題って?」
 考えあぐねた末にリルカが答えを求めると、アーヴィングは口許くちもとだけで笑みを作り。
「実は、魔界柱は四体ある」
 そう言い放った。
「は?」
 虚を突かれ、思わず変な声を出してしまった。
「そんな、てっきり一本だけかと……」
「恐らく世界中どこからでも安定してエネルギーを供給できるよう、各地に配置させたのだろうね」
 こちらの困惑をよそに、指揮官は綽々しゃくしゃくと説明を続ける。
「カノン君が見つけたのはパレス地方の東部だが、他にもギルドグラード南西の台地、バスカー南東の森、それからシエルジェ東の海域でも発見されている。いずれも人が通わぬ僻地へきちだが、研究資料の情報を元にして各国に確認してもらった」
 聞きながら、アシュレーたちも横の壁に貼られた世界地図で位置をめいめい確認する。
「てんでバラバラだなぁ……一個ずつ順番に壊していくしかないか。面倒だなぁ」
 ぼやくリルカに、背後のマリアベルが更に指摘する。
「順番では駄目じゃ。四体の魔界柱は相互に接続リンクしており、修復機能も備えておる。一体のみ壊しても他の個体によって自動修復され、三十分もすれば元通りじゃ」
「え……それじゃあ」
「四体同時に破壊しなくてはならない──ということだな」
 ブラッドの言葉に、リルカがうへえと弱音を洩らす。
「そういうことだ。君たちには手分けして四体の魔界柱へ行き、同時刻に破壊してもらう。分担はこちらで振らせてもらった」
 ギルドグラード南西の魔界柱は、リルカとティム。
 バスカー南東の魔界柱は、カノン。
 シエルジェ東海域の魔界柱は、ブラッド。
 そしてパレス地方東部の魔界柱は、アシュレー。
「アーミティッジ女史には不測の事態が起きた際のバックアップとして待機してもらう。もちろんシャトーこちらからも全力でサポートする」
「ち、ちょっと待った」
 リルカが口を挟む。
「作戦って明日なんですよね。うちの班はテレポートで行けるからいいけど……他の人はどうするんですか? バスカーとかパレス地方とか、今から出発しても間に合わないと思うけど」
「その点は抜かりないよ。シエルジェのマクレガー教授に連絡してテレポートを頼んである。快く引き受けてくださったよ。既に教授と、テレポートに自信のある学生に来てもらっている」
「自信のある学生って……すっごい、やな予感」
 リルカが顔をしかめる。例の級友という男子生徒を思い浮かべているのだろう。
「ただし、シエルジェ東の魔界柱だけは海上に存在しているため、船で向かってもらうことになる。帆船を手配してあるので、ブラッド君は早朝にタウンメリアの港へ行ってほしい」
 了解した、とブラッドが応じた。
「ボクと、リルカさんだけで……」
 ティムが呟く。見ると表情は強張こわばり、いくらか青ざめてもいた。
「危ないことは、ないんですよね。警備してないなら戦ったりすることも……」
「奴らもこちらの動きは読んでいる」
 怯える少年に、カノンは容赦なく言う。
「連中にとっても魔界柱は命綱だ。こちらが狙うのであれば、至急防御を固めてくることは充分あり得る」
 アシュレーも、それは間違いないと思っている。オデッサは必ず何らかの対策を講ずるはずだ。
 だが、魔界柱があるのはいずれも僻地。一日足らずで大勢の兵士や兵器を配備することは不可能だ。この短時間でできることがあるとすれば。
 ARMSこちらと同じように、人員を配置する。しかも──精鋭の。
「コキュートス──か」
 彼らに守らせるつもりか。あの超人的な能力を備えた幹部たちと、正面から激突することになるかもしれない。
 そうなると不安なのは、やはり。
「リルカの班に、マリアベルさんも入れた方が……」
「へいきだってば」
 進言しかけたところを、本人に止められた。
「わたしだって──もちろんティムだって、ずっとARMSでそれなりにやってきたんだから。頼りないのは認めるけど……いい加減、信用してくれてもいいんじゃない」
 大丈夫だよね、とリルカは後ろのティムにも確認する。線の細い少年は精一杯に背筋を伸ばし、緊張したままはいッと返事した。
「……わかった」
 二人の表情を見極めてから、アシュレーは言った。
「でも、危なくなったら」
「わかってるって。ヘルプ出すから。やっぱり信用してないじゃない」
 むくれるリルカに知らずと笑みがこぼれる。ARMSでは一番長いつき合いになるが、一番成長したのも彼女だろうとアシュレーは思う。
「魔界柱を失えばヘイムダル・ガッツォーは丸裸も同然。すなわち、この攻防こそが事実上の最終決戦である。心して掛かってほしい」
 ──最終、決戦。
 その言葉に、いやが応にも気持ちがたかぶる。武者震いを奥歯で噛み殺す。
「破壊後の段取りは? 飛空機械のエネルギー切れを待つのか」
 ブラッドが尋ねた。
「いや、当該機の位置を確認し次第、すぐに乗り込んでヴィンスフェルトを抑える。彼は『核』を持っているからね。スレイハイムのてつを踏まないためにも、ここは先んじて動かねばならないだろう」
 スレイハイムの轍──自暴自棄になった国王が超兵器を使用したように、ヴィンスフェルトも『核』を使うかもしれないということか。
「もし、抵抗したら」
「殺害もやむなし──だろうね」
 感情を伴わない声で、指揮官は言った。
「良識の通じる相手でないことは、これまでの言動からも明らかだ。躊躇ちゅうちょすればそれだけ世界を危険にさらすことになる。ここは」
 冷徹に判断を下すとき──なのだろう。
「……了解した」
 ブラッドはそう返して、沈黙した。顔を反対側に背けていたので表情はわからなかった。
「作戦は明日の十時に開始とする。それまで短い間だが、しっかり休息を取ってほしい。アシュレー君」
「何だ?」
 唐突に呼ばれて、面食らいつつ返事する。
「もしタウンメリアに戻るつもりなら、マクレガー教授にテレポートしてもらうといい。先方せんぽうにも言伝ことづてはしてある」
「え、いいよそんな。歩きでも一時間あれば着くのだし」
 ゆっくり休んでほしいという配慮なのだろうが、変に気を遣われているようで気恥ずかしい。
「だったらティムが送ってもらえば?」
 それを受けて、リルカが隣の少年に言う。
「な、なんでボクが? 別にタウンメリアに戻るつもりは」
「違うって。前から気にしてたじゃない、バスカーの女の子のコト。せっかくだから会いに行ってきなよ」
「ええッ!? そんな気にしては……ていうか、こんなときに」
「よっしゃ! 行くぞティム!」
 ここぞとばかりに扉が開いてトニーとスコットがなだれ込んできた。やはり盗み聞きしていたらしい。
「ち、ちょっと、ボクはまだ行くなんて……」
 トニーはまごつくティムを有無を言わせず確保し、そのまま部屋の外へと連れ出す。スコットが言うところの『おもしろスイッチ』が入った状態なのだろう。
「心配すんな、オレに任せろ。さっき見かけた偉そうなおっさんに頼めばいいんだろ。おっさんは客室だ」
「な、なんでそんな……あぁ……」
 気弱な少年は、引きずられるようにして扉の向こうに消えていく。入口で例のごとく傍観ぼうかんに徹していたスコットが失礼しましたとお辞儀をして、その後を追った。
 バカだなぁ、とリルカが呆れて呟く。扉の近くではお姫様然としたアルテイシアが、ころころ笑いながら廊下に向けて手を振っていた。
 そんな騒ぎも意に介さず。
「それでは本日は解散とする」
 指揮官は平然と終了を告げ、妹とマリアベルを伴って退室した。
 締まりのない終わり方にアシュレーは苦笑したが、これもまたARMSらしいかと思い直す。
 どちらにしても、今から緊張していては身が保たない。明日は明日として、今日のうちは羽を伸ばしておくべきなのは確かだろう。
「リルカはどうするんだ?」
 部屋を出るブラッドとカノンを所在しょざいなげに見ていたリルカに聞くと、彼女はいくらか難しい顔をして。
「んー……わたしもシエルジェに戻ろうかな。テレポートの練習ついでに。部屋も片づけなきゃだし」
 意外な返事に、アシュレーは少し驚いた。
「珍しいな。前は帰るのあんなに嫌がってたのに」
 そう言うとリルカは一瞬ムッとして、それからすぐに悪戯いたずらっぽく笑ってみせた。
「女心は変わるもの、だよ。覚えておきなさいアシュレーくん」
「……勉強します」
 一番苦手な分野を突かれて、アシュレーは首をすくめた。

 花畑の真ん中で、ティムはコレットと肩を並べて座った。
 秋の終わりということもあって、花はまばらにしか咲いていない。それでも見渡す限り一面を草花が埋め尽くす様は壮観だった。
「バスカーに、こんな場所があったんだ」
 岩の上から風に揺らめく緑を眺めながら、ティムは言った。
「森しかないのかと思ってた。凄いね」
「うん……」
 コレットは風に紛れそうなくらいの小声で返事をした。耳の横で三つ編みが振り子のように揺れている。
「ここは、特別な場所。わたしにとって。……でも」
「でも?」
「もっと、お花が咲いてるところを……見てほしかった」
 恥じらうようにうつむく少女に、ティムは慌てて取り繕う。
「そんなこと……こ、これはこれでいいと思うよ。その……風情があって」
「フゼイ?」
 意味がわからなかったらしく、不思議そうに見られてしまった。今度はティムが何でもないと下を向き、後ろで覗いているだろう二人を気にする。
 コレットが正面に向き直った隙に盗み見ると、案の定トニーは背後の木陰でみきを叩いて大笑いしていた。友達だからあまり言いたくないが、本気で鬱陶うっとうしい。
「春や夏なら、もっときれい……だったけど」
 少年の苛立いらだちをよそに、コレットは辿々たどたどしく言葉をつむぐ。
「緑だけじゃなくて、白や黄色や紫で……このあたり、いっぱいに」
「じゃあ、春にまた来るよ」
 残念そうな彼女を励ましたくて、ティムは言った。
「ボクも花でいっぱいのところを見てみたい。またここに来よう。もちろんコレットも一緒に」
「え……う、うん」
 バスカーの少女はにわかに頬を染めて、再び俯いた。
 しばらく二人で、やや寂しい花畑を眺めた。
 後ろではトニーがつまらなそうに両手を頭の後ろで組んで、横のスコットと話をしている。もう飽きたらしい。だったら帰ればいいのに。
「でも、元気そうでよかった」
 沈黙が苦しくなって、ティムが再び話しかけた。
「あんなことがあった後だから、心配してたんだ。その……たくさん人も亡くなってしまったし」
「心配……」
 コレットはそう言ったきり、視線を泳がせたままひとしきり黙った。
 最初はわからなかったが、どうやら彼女は頭の中でたっぷり考えてから物を言う癖があるらしい。ティムも似たような傾向があるから、その気持ちはよく理解できた。
 いつも、不安なのだ。どう見られているか。どう思われているか。何を言うべきか。言っていいものなのか。そうした過剰な配慮が積み重なって、結局言葉や態度を外に出すのをやめてしまう。トニーのように自分の気持ちをそのまま出すようなことは、絶対にできない。
 だから、ときどき……うらやましくもなる。彼みたいに素直に生きることができたら、どんなに楽か、どんなに楽しいことか。そんなのは自分次第なのだとわかってはいるのだけど。
「わたしも……心配してた。ティムくんのこと」
 ようやく次の言葉が出てきた。
「そっか。やっぱり……心配になるよね」
 同い年の女の子から見ても、頼りなく映るのだろう。
「ご、ごめんなさい……」
「いいよ。自分でもそう思うし」
 意気地いくじなしの、弱虫の自分。それが嫌で、一度は変わろうと背伸びしてみたけれど──やっぱりダメだった。
 無理をしないで、自分らしくいればいい。挫折したティムにギルドグラードの王子はそう言った。自分らしさというのが何なのか、まだよくわかってはいないけれど。
 少なくとも、今の自分を否定することだけは──やめようと思った。
 だから。
「弱虫なりに、なんとか頑張ってるよ」
 照れ笑いを浮かべつつ、そう返した。
 コレットはきょとんとして、それから少しだけ笑ってくれた。
 どちらともなく手が伸びて、二人の間で繋がれた。
 来てよかった、と思った。
 明日のことを考えると不安で仕方ないけれど、こうして二人で並んでいると、暗い気持ちもいくらか明るくなった気がする。
 頑張らないと。また、ここに戻ってくるために──。
「ティムくん」
 手を繋いだまま、コレットが言った。
「その……聞いてほしいことが」
「なに?」
 見ると、やけに表情が硬かった。視線を彷徨さまよわせ、何度も躊躇してから、彼女が口にしたのは。
「空が……」
 ──空?
 息を呑んで続く言葉を待ったが、それはなく。
「……なんでも、ない」
 そう打ち消して、黙ってしまった。
 その態度がやけに気になって、聞き返そうとしたが。
「あーもう、かったりぃ! まどろっこしい!」
 背後から怒鳴り声がした。驚いて振り向くと、トニーが肩を怒らせ、大股でこちらに詰め寄ってきていた。
「なんなんだお前ら、その甘々な展開はッ。オレはなぁ、こんな生ぬるいラブコメ見たくて覗いてんじゃねぇっての。さっさと抱き合え。チューしちまえ。何なら押し倒して」
「おっと。それ以上はご法度はっとです」
 遅れてやって来たスコットがすかさず口を塞ぐ。
「わたくしなりの結論といたしましては、トニー君は冷やかすつもりが、見ているうちに嫉妬がまさってしまったようです」
「そんなんじゃねぇッ」
 冷静に解説するスコットを振り払って、トニーは叫んだ。
「オレはただ、好きならもっとハッキリしろっていう……」
「おや、それならトニー君も言えた口ではないのでは」
 友人の指摘に、素直な少年はあからさまに狼狽ろうばいした。
「な、なにがだよ」
「常にそばで見ているわたくしが気づかないとでも? トニー君、近頃はマリアベルさんに懸想けそうして」
「バッ……違ぇよッ!」
 否定しながらも顔は真っ赤だった。つくづく嘘がつけない性格だ。そういえば最近はボフールよりも彼女と一緒にいるのを見かけることが多かった気もする。
「あの人は、ただ……技術者の先輩として、その……尊敬をだな」
「それだけとは思えませんがねぇ。近頃は進んで身の回りの世話までしているではありませんか。ノーブルレッドに恋だなんて、何とも高嶺たかねの花に手をつけたもので」
「うるせぇ! その減らず口、今すぐ黙らせてやるッ」
 トニーが食ってかかり、スコットはすかさず逃げ出す。当人たちを差し置いて、野次馬ふたりの追いかけっこが始まってしまった。
 次は絶対に一人で来ようと、ティムは固く思った。

「……こんなもんか」
 二時間がかりの成果を見渡してから、リルカは呟いた。
 シエルジェ魔法学校に隣接する学生寮の、自分の部屋。散らかしっ放しだったのがずっと気になっていたけれど、前に帰ったときは任務中だったので、ろくに手をつける暇がなかった。
 すっかり片づいた室内にひとしきり満足すると、心地いい疲労を感じながら部屋を後にする。抱えた箱には、要らないものや見られたら恥ずかしいものが詰め込んである。
 これから街の外で箱の中身を焼却処分すれば、すべて完了。心置きなく明日の作戦に臨むことができる。
 そう思って上機嫌で歩いていた──のだけど。
「……何してんの」
 廊下で待ち構えるテリィを見つけて、一気にテンションが下がる。
「女の子の部屋の前で待ち伏せって、なに考えてんの。通報されたいわけ?」
「あのなぁ」
 いちいち突っかかってくるなよと、テリィは口を尖らせた。
「荷物でも持ってやろうかと来たってのに」
「いいってば。見ないでよ変態」
 抱えた箱に近づかせまいと、リルカは身体を背けて拒否を示す。こいつにだけは絶対、中身を見られたくない。
「だいたい、なんであんたまで戻ってきたの。シャトーむこうでアルテイシアさんのおやつでも食べてればよかったのに」
 そう。テレポート要員としてシャトーに派遣された学生は、やっぱりこのテリィだった。まさか学校以外でこの憎たらしいつらを見る羽目になるとは。
「い、いいだろ別に。忘れ物したんだよ」
「忘れ物ねぇ」
 見え見えの言い訳に、リルカは冷めた目で見返す。
「……何だよ」
 張り合いつつも、素っ気ない態度。こいつは半年前からちっとも変わっていない。
 だけど。
「いい加減さ、はっきりさせた方がいいよ」
 こっちは、いろんなことを経験して──たぶん、変わった。
 たくさん失敗して、たまには上手くできて、怒って泣いて死にそうになって、恋をしたりされたりして。
 その結果。
「あんた、わたしのこと好きなんでしょ」
 こいつの気持ちに──気づいてしまった。
 気づきたくもなかったのに。
「はあぁ!? な、なんでオレが、お前なんかに……」
 動揺を隠したいのか、言いながらそっぽを向く。案外わかりやすい奴だった。
「ま、いいけどさ。でも」
 残念だけど。
 今、わたしの心にあるのは──。
「その気があるなら早いとこ言わないと、先越されちゃうよ。こう見えて結構モテるんだから、わたし」
 王子様にだってプロポーズされたんだから。
 そう自慢しかけたけれど、さすがにそれは当てつけがましいと思ってやめた。
 それなのに。
「えっと……それ、冗談のつもりか?」
 真顔で聞かれてしまった。
「もういい。プリンの角に頭ぶつけて死ね」
 こんなチビに遠慮した自分がバカだった。リルカは悪態をついて早足になる。
「おい、リルカッ」
 寮を出たところで、性懲しょうこりなくまた声をかけてきた。無視しようかと迷ったけれど、いちおう立ち止まって振り返る。
「お前、明日……大丈夫なのか?」
 作戦のことを知っているらしい。生意気な顔もいつになく不安そうだ。
 半年前なら、大丈夫だと強がっていただろうけど。
「わかんないよ、そんなの。やってみないと」
 正直に、そう言った。
「わからないって……お前、もし失敗したら」
 失敗したら。
 アシュレーたちと一緒ならフォローしてくれる。現に今までは、それで何度も助けてくれた。
 でも、今回は──ティムと二人だけ。逆に自分がフォローする立場になる。わたしがミスしたら、もう後はない。
「死んじゃう、かもね」
 言うつもりはなかったのに、思わず口からついて出てしまった。
「しょうがないよ。本気の戦いなんだもの。覚悟はしとかないと」
「リルカ……」
 意外にもテリィが黙った。本当に心配してくれているらしい。
「へいきだって。きっと、なんとかなる」
 結局リルカはそう言った。でもそれは強がりではなくて。
 こいつに暗い顔は似合わないと、思ったから。
「わたしが本番に強いって、知ってるでしょ。あんたとの決闘だっていつも勝ってたし」
「嘘つけ。全部お前の反則負けだったろ」
「そうだっけ?」
 とぼけてみせると、テリィもいつもの調子に戻って笑った。
 ──反則、か。
「そういう手も……あるか」
「どうした?」
「なんでもない」
 思わぬところから、ヒントが見つかったかもしれない。
「いちおう、お礼言っとく。ありがと」
「だから何がだよッ」
 わめくテリィを今度は完全に無視して、リルカは雪の降りしきる街並みを歩いていく。
 明日がどうなるか、それは全くわからないけれど。
 それでもわたしは生き抜いてみせる。何が何でも、ぜったいにぜったい。
 わたしにしかできない『魔法』を使って──。

 もう良いぞ、という女の声が耳の鼓膜を震わせて、カノンは微睡まどろみかけた目を見開き、身体を起こした。
「珍しくウトウトしておったぞ。泣く子も黙る凶祓まがばらいと言えど、寝顔は年頃としごろ女子おなごよのう」
 寝台の横からマリアベルが揶揄からかってきた。作業のため着ぐるみは一時的に脱いでいる。
 睨み返すと、彼女はくわばらくわばらと冗談めかして衝立ついたての向こうに退いた。カノンは鼻でひとつ息を吐いてから、調整メンテナンスを終えたばかりの身体をつぶさに確認する。
 問題ない。むしろこれまでにないほど調子も良さそうだ。
 アーヴィングに雇われ、この館で調整を行うようになって以来、あれほど自身をさいなんだ痛みは嘘のように消えていた。専門外などと言っていたが、あのノーブルレッドの技術者の腕は相当なもののようだ。
 転寝うたたねなど、この数年したことがなかったかもしれない。
 彼女に限らず、館の者たちは客分の身である自分にも分け隔てなく接してくる。他者との関わりを避け、一所ひとところに留まることなく生きてきたカノンには、わずらわしくも──どこか新鮮な感覚だった。
 居場所があるというのも、悪くないのかもしれない。
 そう思って目を細めたとき、衝立の向こうで会話が始まった。
「俺が留守のときに、えらい目に遭ったみたいだな」
 がなり立てるような、荒々しい声。ARMSの専属マイスター──確かボフールと言ったか。この工房の主でもあるという。
 そして、話の相手は。
「俺がこのグローブのメンテしてやってりゃ、あんなことにはならなかったろうになぁ。すまなかったな」
「もう過ぎたことだ」
 重々しくもよく通る声。カノンは立ち上がり、衝立の上から覗き込む。向こうも気配を察したか、その三白眼をこちらに向けた。
 ブラッド・エヴァンス──。
「何だ、まだおったのか」
 ボフールも気づいて声をかけた。
「マリアベルのお嬢が出ていったから、てっきりお前さんも出たもンかと。ああ、構わん。ゆっくりしていけ」
 髭まみれの親爺は短い腕を突き出して、立ち去ろうとしたカノンを留める。
折角せっかくだから茶でも入れるか。火薬臭ェ出涸でがらしだけどな」
 笑いながら暖炉の方に引っ込んでいく。退出し損ねたカノンは扉の前で突っ立ったまま、眉間みけんしわを寄せた。
 ブラッドは部屋の隅に積まれた木箱をいくつか持ち出してひっくり返し、一つをカノンに勧めた。座れということか。こうした展開は慣れているのかもしれない。
 仕方なくカノンは即席の椅子に腰を下ろす。ブラッドも同じように木箱に座り、それからこちらを目を向けた。
 考えてみれば、この男とこうして顔を合わせるのは初めてだった。後ろめたさを感じて彼女は視線をらす。
 彼を危機におとしいれた、アンテノーラの罠。カノンはその一部に加担していた。雇われて行ったことではあるし、当人も気にしてはいないのだろうが──。
 どう切り出していいものか考えあぐねていると、向こうが先に口を開いた。
「ベルナデット家、か」
 思わぬ言葉が出てきて、カノンは再び眉根を寄せる。
 自分の出自しゅつじを知っている。アーヴィングあたりから聞いたのか。
「まだ洟垂はなたれのガキの頃に、その名はよく耳にした。メリアブールでも指折りの名家で、一時は本家のヴァレリアよりも権勢を誇っていたと」
「俺も聞いたことあるぜ」
 ボフールが戻ってきた。湯気の立つカップを机代わりの木箱に置く。館の備品と思しき白磁の茶器は、工具と銃器の部品パーツだらけの部屋でやたら浮いていた。
「メリアブール王家からの信頼もあつく、他国との交易を一手に引き受けていたとか。あくどい話も聞いたけどな。賄賂わいろだの何だの、まぁあらゆる手を使ってのし上がっていったんだろう。それで」
 恩恵にあずかれなかった他の分家に、目をつけられた。
 やり過ぎたんだな、とボフールは木箱にどっかり座り込んでから続ける。
「そっからは、もう足の引っ張り合いだ。分家同士で潰し合いが始まり、中でも目のかたきにされたベルナデットはコテンパンに叩かれ、散り散りになっちまった。他の分家も軒並のきなみ没落し、結局、我関われかんせずを通したヴァレリア本家だけが無傷で残った──と」
「聞いたことある、というレベルではないな。よく知っている」
 ブラッドが苦笑すると、昔のことは憶えてるンだとボフールも髭に隠れた口を曲げる。
 そんな話は──。
「私には関係ない」
 冷たく吐き捨て、カップを取って口をつける。本当に火薬の臭いがした。
 自分が憶えているのは。
 鉛のような空。鉄屑の山。寒さと飢えと、裸足で歩く冷たさと。
 そして。
 怖い顔の母親──。
「切りたくとも切れない縁というのはある」
 ブラッドが言った。
「自分に関係がなくとも、そうした厄介な因縁というものは嫌でもついて回ってしまうものでな」
「何が言いたい」
「お前も相当な『業』を背負って生きてきたのだろうと、思っただけだ」
 視線を切って茶をすする彼を、カノンは見つめる。武骨な手に握られた小ぶりのカップがいかにも似合わない。
 自分と──重ね合わせているのか。
 英雄という肩書を背負った男。
 英雄という呪縛に囚われた娘。
 確かに、似ているのかもしれない。だが。
「お前は自らの意思で背負っているのだろう」
 自分とは違う。
 捨てたくとも捨てられない、聖女の血。それに翻弄ほんろうされて生きてきた私とは──。
「……どうだろうな」
 手の中の器をもてあそびながら、ブラッドは曖昧な返事をする。まるで他人事のような言い草だ。
 そうとがめると、彼は暖炉の炎に目を移してから、訥々とつとつと言葉を継いだ。
「自分の意思がどこにあるのか……時々判らなくなることがある」
 本当に自分のしたいことなのか。
 望んでしていることなのか。
 実はどこかでなにがしかの意思が干渉して、動かされているだけなのではないか──。
 それも勘違いだろうがな、とブラッドは口のを吊り上げる。
「大いなる意思だの天啓てんけいだの、そんなまやかしを信じてしまえば、ヴィンスフェルトのような馬鹿になる。だが、それでも自分が自分の意思で動いているのかは──」
 確証が持てない。
 カノンは黙った。口を挟めるわけがない。
 彼はヴィンスフェルトを引き合いに出したが──恐らく自分もそちら側の人間だ。聖女の血というまやかしを信じ、それに抗おうと何もかも捨ててしまった。
 お前はそもそも意思を放棄して生きてきたではないか。そう婉曲えんきょく的に責められた気がして──彼女は歯軋はぎしりした。
 どっちでもええ、とボフールが口を開く。
「自分でどうにもできんことは、考えても仕方ねェ。どうにかできる範囲のことだけ考えろ。そう割り切らねェと、いつか立ち行かなくなるぜ」
「そうだな」
 ブラッドは同意して、こちらを向いた。精悍せいかんな顔が暖炉の炎に揺らめいている。
「俺も一度は行き詰まりを感じて、表舞台を降りた。だが──ARMSここに来て、彼らと行動を共にするうちに、そんな下らない悩みは消えていた。俺は上ばかり見て、空でも飛べると勘違いして勝手に幻滅げんめつしていただけだったんだな。彼らの真っ直ぐな生き様を目の当たりにして、そのことを痛感してからは、自分の意思などどうでも良くなったよ」
 意思があろうと、なかろうと──生きていける。
 そう、生きてきた。
 だから、私は──。
 お前もじきに毒される、と彼は唐突に言った。
「毒される?」
 聞き返すと、スレイハイムの英雄は珍しく相好そうごうを崩して、言った。
「ここの連中とつき合うなら、覚悟しておくんだな。さっき転寝していたそうじゃないか。いい傾向だ」
 聞いていたのか。カノンは閉口して目を逸らす。
「そのうちイビキもかくようになるぜ」
うるさい」
 締まりのない髭面ひげづらに言い返してから、カノンは茶を一気に飲み干した。
 火薬の臭いは気にならなくなっていた。

 晩秋ばんしゅうのタウンメリアは、北寄りに変わった西風に吹かれ、もの寂しげに佇んでいた。
 街の中央にある噴水広場は宿屋の屋根に差しかかる西陽を受けて、徐々に陰影を濃くする。行き交う人々から伸びた長い影を、アシュレーは何ともなしに見つめていた。
「そっか……明日が」
 いよいよなんだねと、マリナが隣で呟く。
 広場のベンチで、二人並んで座っていた。昔はよくこうして陽が落ちるまで語り合ったものだが、アシュレーが銃士隊に入ってからは久しくなっていた。
 最後にここに座ったのは、いつのことだったか。ありふれたあの頃の日常が、もう随分ずいぶん遠い昔のように感じた。
「ああ」
 アシュレーは横を向く。風に揺れる赤毛は少し伸び、瞳は西陽を受けてどことなくうれいをたたえている。
 また少し──大人っぽくなった。
 幼馴染みの変化にどぎまぎしつつも、アシュレーは平静を装って言葉を続ける。
「オデッサとの戦いも、これで最後だ。ヴィンスフェルトを倒して、ヘイムダル・ガッツォーを墜とせば」
 世界に平穏が戻る。僕らARMSの手によって──。
「また、たくさん会えるようになるかな」
「え?」
 聞き返すと、マリナはいくらか嬉しそうに言う。
「オデッサがいなくなれば、しばらくは暇になるんでしょ。この半年ずっと働きづめだったんだから、長期休暇くらい取ってもバチは当たらないと思うけど」
「はは……そうだな。考えておくよ」
 正直、オデッサを倒した後のことなど考えてもいなかった。
 けれど、待っている側にしてみれば……大事なことなのだろう。帰宅の度に心配させたし、迷惑もかけた。
 だから。
「帰ってくるよ。また店も手伝うし、毎朝マリナに起こしてもらう」
「うん」
 幼馴染みはいくらか照れながらも、笑ってくれた。
 西陽は屋根の向こうに隠れ、広場も薄暗くなっていた。
「そうだ、アシュレー」
 マリナは何かを思い出したように、スカートの隠しを探る。
「これのこと、覚えてる?」
 取り出して見せたのは、翡翠ひすい色の小石。ポンポコ山の入口で拾って彼女にあげた、感応石の原石だ。
「ちっとも通じないんだけど」
「え? ……ああ」
 思い出した。
 この石を渡したとき、通信ができるか試してみようと──約束していたのだった。
「やっぱり、忘れてた」
 毎晩念じてたんだけどなぁ、とマリナは溜息をつく。
「ご、ごめん」
 アシュレーは慌てて頭を下げ、上目遣いでうかがいながら取り繕う。
「忘れてたっていうか、その、色々忙しくて」
「そうだよね。ずっと忙しかったから仕方ないよね。寝る前のちょっとの時間も惜しかったんだよね」
 幼馴染みは口を突き出し、遠回しに責め立ててくる。まずい展開だ。
「その……すみません。すっかり忘れてた。ごめん」
 へそを曲げると厄介だというのは痛いほど知っていたので、アシュレーはとにかく平身低頭、謝罪を繰り返した。
 すると。
「……ぷっ、ふふ」
 彼女は突然吹き出し、肩を揺らして笑い始めた。
「そんなオロオロしなくても。もう子供じゃないんだから、こんなことで拗ねたりしないよ」
「そ、そうか」
 今度はアシュレーが安堵あんどの溜息をついた。
 そして、どこか──懐かしい気分になる。
 昔から二人で、こんなことばかりしていた。些細ささいなことで怒ったり笑ったり、何となく喧嘩して、何となく仲直りして。
 思い返せば、自分の傍にはいつも彼女がいた。もちろん、今もそれは──変わらない。
「通じなくても。届かなくたって」
 私はアシュレーに、送り続けるから。
 彼女はそう言って、優しく微笑んだ。
「それが私の役目だって、信じてる。だから」
 想いの糸を、手繰たぐり寄せて。
「帰ってくるよ。必ず」
 石を握った手に手を重ねて、アシュレーはもう一度誓った。

 午前九時。ヴァレリアシャトー最上階。
 死神のごとき面相めんそうで、指揮官アーヴィングが艦橋ブリッジに現れた。
 病的ながらも美しい顔立ち。左眼の下の泣き黒子ぼくろ。赤の上着チュニック浅葱あさぎ色のコート。銀髪を振り乱し、松葉杖を突いて、おもむろに中央の指令台に立つ。
「我らARMSは発足以来、オデッサと刃を交えてきた」
 機関士も含めた全クルーを前にして、若き指揮官は声を張る。
のテロリストは欺瞞ぎまんに満ちた大義を掲げ、三大国家に反旗をひるがえし、各地で人々にあだした。あまつさえ大地から貴重なマナまで奪い取り、禁断の兵器のかてとしている。このまま看過すればファルガイアが死の星と化すのは時間の問題である」
 もはやオデッサは、ファルガイアに生きるもの全ての敵に成り下がった。
 そう断ずると、アーヴィングはさらに語気を強める。
「今日この時をもって、我々は世界の敵に引導を渡す。この作戦は」
 全人類の総意である──。
 指揮官はそこで言葉を切り、横を向く。
 シエルジェから招聘しょうへいされたマクレガー教授。そのかたわらに、円形の台座が三台並んでいる。教授が研究室から持ち込んだ映像通信用の魔導器だ。
 台座には、世界をべる三大国家の首脳がそれぞれ立体投影されていた。アーヴィングが臣下の礼を示すと、彼らもそれに応える。
吉報きっぽうを待っておるぞ」
 メリアブール王が大儀たいぎそうに。
「ご武運を祈っています」
 シルヴァラント女王がつややかな声色で。
精々せいぜい頑張るんだな」
 ギルドグラードマスターが仏頂面ぶっちょうづらで、それぞれ述べた。
 元首たちの激励に独立部隊の長は今一度いまいちど礼を返し、それから向き直る。
「我々は全人類の名代みょうだいとして、世界の命運をした戦いに臨む。諸君らは、この大地をまもる──まさしくファルガイアの守護者ガーディアンとなるのである」
 人間が、ファルガイアの──守護者ガーディアン
「我々人間が個人で為せることは、高が知れている。その力は彼の守護獣に遠く及ばないかもしれない。だが、人類が力を結集し、意志を束ねることができれば──必ず世界を護ることができる。私はそう確信している」
 そこまで言い切るとアーヴィングは僅かに俯き、瞑目めいもくした。黙祷もくとうのような所作しょさにも見えた。
 数秒の後、彼は再びおもてを上げて、目を見開く。
「諸君らの働きに期待している。これより」
 オデッサ掃討作戦を開始する──。
 ARMS指揮官は、そう宣言した。

 視界が戻ると、アシュレーは切り立った断崖だんがいに立っていた。
 崖肌がけはだに沿って、灰色の細い道が蛇のようにうねりながら続いている。右手の崖下では白波が激しく岩礁がんしょうに打ちつけている。耳を澄ますと海鳴りのような音も聞こえた。
「凄い……場所だな」
 アシュレーは呟き、それから背後を向く。
 詰襟つめえりを着た少年が、緊張した面持おももちで辺りを見回している。ここまでテレポートで運んでくれたリルカの級友──テリィ。ふさふさした金髪が吹きすさぶ風にさらわれ、乱れている。
「君は──ひとまずシャトーに戻った方がいいかもしれないな。これでは隠れる場所もなさそうだし」
 オデッサに襲われる危険も否定できない。
「わ、わかりましたッ。あの……頑張ってください」
 甲高い声で言う彼に笑みで返してから、アシュレーは一人で崖路がけみちを歩き始める。
 少しして、巨大な魔物の角のような柱が前方に見えた。
「あれが……」
 魔界柱。形は設計図で見た通りだったが、青く輝く管が巻きつく漆黒の柱は想像以上に禍々まがまがしい。
 接近するにつれその大きさが実感でき、アシュレーは息を呑んだ。二十メートルはゆうに超えるか。硬い岩盤を突き破り、やや傾きながらも天に向かって屹立きつりつしている。
 柱に張り巡らされた管は、さながら青い血脈のように脈打ち、明滅を繰り返す。この光こそが作動している証なのだろう。地中からエネルギーを抽出し、この管を通って──。
 アシュレーは柱の先端を仰ぐ。
 ──ヘイムダル・ガッツォーに送っている。
 壊さなければ。
 だが、所定の時刻までまだ間がある。仲間と示し合わせて四体同時に破壊するのが今回の任務なのだ。
 みんなも柱に辿り着いただろうか。
 はやる気持ちを紛らわそうと、時計の入ったズボンのポケットに手を伸ばしたとき。
「待ってたよ」
 声がして、咄嗟とっさに身構えて振り向く。
 柱のさらに奥、断崖の間際に半ば朽ちた小屋が建っている。カノンが訪ねたという男の住処すみかか。
 その小屋の屋根の上で、足を投げ出して座っていたのは。
「まさか本当に生き延びちゃうとはねぇ。でも、これでやっと、気兼きがねなく楽しめる」
 銃士風の軍服。切れ長の眼と神経質そうな顔立ち。そして──銀縁ぎんぶちの丸眼鏡。
 オデッサ幹部、コキュートス──第四界円ジュデッカ
「さて。それじゃあ」
 ジュデッカは屋根から飛び降り、ホルダーから銃を抜く。そして。
「約束通り──決着をつけようか」
 ずり落ちた眼鏡を、銃口で直した。