note 4. 忍び寄る影 [解決編]
「犯人は、キミだね」
レオンは帽子の清掃員を指さして、言った。
「おっ、俺は何もしてへんで! ここでずっと掃除してただけや!」
彼の必死の反論にも、レオンは意地悪そうに眉をそびやかして。
「じゃあ、実際にやってみせてよ」
「へ?」
清掃員はきょとんと目を丸くする。
「どんなふうに部屋を掃除してたのか、実際にやってみせてって言ってるんだ。そうしたらボクも信用するからさ」
「……よ、よし」
レオンの意図がさっぱりわからなかった清掃員だったが、手にしたモップを足許のバケツに差し入れようとしたところで、そのことに気づいて硬直する。まんまと罠にはめられたことを知って、顔が青くなる。
「どうしたの? さあ、仕事してみせてよ。いつもやってるんでしょ」
レオンがからかうように催促する。そこで他の者も彼がそれ以上動けない理由がわかった。
「そうか。この部屋は絨毯なのに、なんでバケツとモップなんて持ってるんだ?」
「そんなもので、どこを掃除するつもりだったの?」
クロードとレナが追及すると、もはや万策尽きた清掃員はモップを手放して、がくりと膝をついた。
「くそっ、ヤバい仕事とは思ったが……報酬に目がくらんだのが運のつきやったか」
「報酬? どういうことだ?」
クロードが訊くと、清掃員姿の犯人はリコを見ながら力なく答える。
「俺はあんたのマネージャーに依頼されただけや。弟を誘拐して、そいつをダシにレオン博士を殺させるっつう手順も、すべてあいつが持ちかけたんや」
「そんな……!」
リコは絶句した。
「何者なんだろう」
クロードが呟いた。
「レオンを標的にするなんて……それもこんなに手の込んだ方法で」
「誰だか知らないけど、相手が悪かったね」
当のレオンは飄々としたものである。
「今度会ったらきっちり仕返ししてやらないと。氷づけか悪魔に八つ裂きさせるか……洪水で溺死ってのもなかなかオツかもしれないな」
「……また恨みの種が増えるのか……」
呪紋書を開いて熱心に呪紋を選んでいるレオンの横で、クロードはそっと嘆息した。
「そうだ、弟はどこ!?」
リコが犯人に詰め寄った。
「劇場の地下倉庫や。鍵はこれ……あ」
懐から鍵を取り出すやいなや、リコはそれをひったくって部屋を飛びだしていった。
「リコさん、ひとりじゃ危ないですよ! まだ犯人が残ってるかもしれないんだから!」
レナが慌てて後を追った。クロードに犯人を任せてレオンも地下倉庫へと駆け出す。
「……なあ、氷づけとか悪魔とかって、どういうこと?」
部屋に残された犯人が、こわごわとクロードに訊いた。
「えーと……たしかディープフリーズっていう呪紋だったかな、氷づけは。悪魔を呼び出すのがグレムリンレアーで、洪水がノア……」
「それを、あのぼっちゃんが使えると?」
「ああ。あいつの気分次第でお前もそういう目に遭うかもしれないから、今のうちにどれがいいか選んでおいたほうがいいぞ」
泣きそうな顔をする犯人に、クロードは平然と言い放った。
暗くじめじめして、陰気な場所だった。昔読んだ本におぞましい顔をした怪人の話があった。彼はその醜い容貌を隠すために仮面をつけ、人知れず劇場の地下に棲んでいる。この場所は知らずとその地下室を思い起こさせた。あれはどんな話だっけな。そう、怪人はひとりの美しい女優に恋をするんだ。その女優に主役を演じさせるために、彼はひそかに画策する。そして奇怪な事件が起こる。結末は……忘れた。怪人は死んだのか? それとも生き延びたのか? 別の劇場に移り住んだのかもしれない。そう、たとえばこの劇場とか……。
今にも背後から怪人が襲いかかってきそうな通路を抜けて、突き当たりの扉を潜った。倉庫は思ったよりも広く、劇場の客席ぐらいの空間はあった。埃っぽい布にかぶせられた舞台道具らしき塊が隅のほうに固まって置いてある。地下室といっても上半分は地上に突きだしているらしく、やけに高い場所にある硝子窓からは月明かりが洩れていた。
奥の方から物音と声がする。先に行ったリコたちだろう。近づいてみると案の定、見覚えのある青い髪と翠の髪が月明かりを受けてぼうと浮かび上がった。レナの三日月の髪飾りはほんものに負けないぐらい暗闇の中で輝いていた。
そのふたりの中心に、少年が後ろ手に縛られた恰好で座っていた。憔悴して頬の肉もいくらか痩けてはいたが、大きな瞳にはしっかりと光が宿っており、特に危険な状態というわけでもなさそうだ。
リコは必死に弟を拘束するロープを解いている。レオンも手伝ってやろうと歩み寄ったが、少年の顔を間近で見ると、そこから目が離せなくなった。
「驚いたでしょ」
横からレナが言う。レオンはあんぐり口を開けたまま動けない。
「ほんとうにレオンにそっくりなんだから」
瞳の色。拗ねたようにわずかに突きだした口許。髪は水色というよりむしろ姉の翠に近い色をしていたが、長めの前髪を額の中央で分けているのも同じだった。決定的に違うのは、レオンの耳が頭の上についているのに対して、少年の耳が普通に顔の両側についていることのみ。
「……知らないよっ。自分の顔なんてよく見たことないもの」
そう突っぱねてみたものの、動揺は隠しきれなかった。もう一度よく見てみると、少年はひどく弱っちく見えた。一週間も拘束されていたせいもあるのだろうが、それを差し引いても、同じぐらいの歳かと疑うほど線が細い。ボクだったら誘拐犯ごときはねつけて逃げ出してやるのに。いや、いっそのことこてんぱんにのしてやる。他人のことなのに、なすすべもなく誘拐された少年にもどかしさすら感じた。
ロープが解かれると、少年は真っ先に姉に抱きついて、泣きじゃくった。リコもその背中を優しく撫でて、よかった、ほんとによかったと繰り返し呟いた。
レオンはその状況に大きくため息をついたが、それだけでは収まらなかった。声をあげて赤ん坊のように泣きじゃくる少年に、なぜだかひどく苛立った。じぶんには関係ないことだと必死に言い聞かせたが、ついにこらえきれなくなった。
「あのなっ、そんなメソメソすんなよっ! 男ならしゃんとしろ!」
リコと少年が泣き顔のままこちらを振り向く。言ったあとでレオンは顔を赤くした。なにをむきになってるんだ、ボクは?
そのとき、予期せぬことが起こった。
「ほう。威勢のいいことですねぇ」
倉庫に声が響いた。よく透った、男の声。ほんとうに怪人が現れたのかと一瞬錯覚したが、違う。この声は聞き覚えがある。
「お前だな、ボクを殺そうとしてたのは!」
レオンは天井に向かって叫んだ。相手の声は幾重に反響していたので、位置が特定できないのだ。
「今回はデモンストレーションに過ぎないのですよ。まあでも、それなりには楽しめました。十点評価なら七点といったところでしょうか」
「ふざけるな! どうしてボクを狙うんだ!?」
「どうして?」
と声は繰り返した。
「つまらないことを聞きますね。貴方らしくもない。いま必要なのは、私が貴方を狙っているという事実だけでしょう。ゲームはシンプルにいきましょう。複雑にしたら面白くない」
「理由もわからないのに殺されてたまるか! どこにいる、出てこい!」
「だから今回はただのデモンストレーションなのですよ。私が出る幕はありません。なあに、じきに会えますよ。時が来れば、ね」
「あなた、いったい何者なの?」
頭に血がのぼってるレオンのかわりに、レナが慎重に訊ねた。
「犯罪請負人……その手の輩にはそう呼ばれていますな。強盗、詐欺、殺人……頼まれれば何でもやります。今回のようにこちらから犯罪を依頼することもありますが。そうそう、別の連中からはシックな通り名ももらっていましたね。確か『怪人』でしたか。まったく、陰惨な呼び名でたまりませんよ」
怪人。レオンはぞくっとした。だが相手は本物の怪人ではない。話に出てきたやつとは違う。
「顔は割れてるんだ。すぐに捜しだして、捕まえてやるよ」
やや冷静になって言うと、怪人はけたたましく嘲笑う。
「顔? あなたのいう『顔』とは、こいつのことですか?」
なにかがレオンの鼻先を通過して、足許の地面に落ちた。布の袋のようなもの。拾ってみると、そこには人の顔がついていた。びっくりしてレオンは思わずそれを放り出したが、よくよく見るとそれは本物ではない。弾力のある風船のような袋に、あのマネージャーの顔がそのまま貼りついていた。
「仮面……!」
「それでは、今夜はこれにて。私はいつでも貴方を狙っています。たとえ夢の中でも、宇宙の果てでも。ゆめゆめお忘れなきよう」
声はそこで長い余韻を残して、消えた。あとには重い静寂と暗闇が垂れこめているばかりだった。
夢の中でも、宇宙の果てでも。レオンの頭の中でその言葉が反響して、壊れた回転木馬みたいにいつまでもぐるぐると回っていた。