Side L-2 "SEPARATION"
状況を整理する暇もなかった。
「はい。たくさん食べてくださいね」
「……ども」
テーブルに料理を並べる女性に、レオンはぎこちなく礼を述べた。
「いっただきまぁーす!」
斜向かいの席に着いた少年が、皿まで食らいそうな勢いでがっつき始める。
「行儀悪いよ、お兄ちゃん。お客さんがいるのに」
少年の向かい側に座る少女が澄ました顔で注意する。
二人のやり取りを上目遣いで窺いながら、レオンもおずおずと食事を始めた。
──遡ること数刻前。
レオンは港に立っていた。
どうしてこんなところにいるのか。ここがどこなのか。自分は今まで何をしていたのか。
判然としない思考を巡らせつつ、ほとんど無意識に振り返ると──。
見知らぬ少年と少女が、並んでこちらを見ていた。
少年は目を輝かせ、何やら興奮しながら駆け寄ってくる。少女もはにかみながら近づいてくる。
歳はレオンよりも少し下くらいだろうか。少年の方は青い短髪に簡素な服と半ズボン。少女も同じ色の髪で、臑までを覆うドレスを着ていた。
そして、何よりレオンの目を惹いたのは。
腰の後ろから突き出た──猫のような尻尾。
子供たちは兄妹だった。兄はクレス、妹はアリシアという名だと後から聞いた。
レオンは彼らの母親のいる家へと招かれた。まだ自失していたレオンを二人が強引に引っ張っていった、という方が正しいかもしれないが。
「ごめんなさいね。うちの子のわがままにつき合わせてしまって」
食事の終わった皿を片づけながら、兄妹の母親が言う。化粧っ気もなく着飾ってもいなかったが、見た目はとても若い。母というより歳の離れた姉のようだ。
「あ、いや……」
レオンは生返事をする。腹が満たされて人心地はついたが、やはり尻の据わりは悪い。
「だってさ、レッサーフェルプールだぜ! しかも子供の。オレ見たの初めてなんだもん!」
「あんたの方が子供でしょうが」
テーブルに身を乗り出してはしゃぐクレスの頭を、母親が掌でパシンと叩いた。
どうやらここでは猫の耳を持つフェルプールは珍しいらしい。レオンにしてみれば、むしろ尻尾の生えている彼らの方が珍しいのだが。
「でもさー、尻尾はないんだよな。もしかして中にしまってんの?」
「ちょっ……ないってば!」
後ろに回り込んで尻をまさぐる少年の手を、レオンは慌てて払いのける。
ちぇっと舌打ちしてから、クレスは椅子に座り直した。
「尻尾ないなんて珍しいフェルプールだなぁ。じゃあさ、猫に化けたりは?」
「はぁ? 猫に?」
「そうそう。どかーんって急にちっこくなって猫になるんだよな。やってみせてよ」
「で、できないよっ、そんなの」
レオンが否定すると、少年は不平そうに口を尖らせた。
「えぇ~。でも、婆っちゃの友達のレッサーフェルプールはできたって」
「お兄ちゃん、やめなよ。お客さん困ってるでしょ」
妹が諫めると兄は、なんだよ、いい子ぶりやがってと頬を膨らませる。
「うちは、レッサーフェルプールとちょっとした縁があるんです」
食後の茶をレオンの前に置いてから、母親が言った。
「何でもお義母さんの古いお友達がレッサーフェルプールだったそうで。その方の面白い話をお義母さんから聞いて以来、この子たちもすっかり興味津々で」
悪気はないんですよ、と笑顔で返されてしまったので、レオンは不承不承頷くしかなかった。
「それにしても、その歳でひとり旅なんて凄いですねえ」
母親は楕円形の盆を抱えたまま感心した。レオンは肩をすぼめて茶を啜る。
港にいた理由を問われたとき、レオンは旅をしていると答えていた。クロードがエクスペルに飛ばされた際に旅人と称していた──という話を咄嗟に思い出して、それに倣ったのだ。
「アストラル大陸は初めてですか? これからどちらへ行かれるつもりで?」
「えと……それは、まだ……」
口から出任せなのだから決めているはずがない。この街がオタニムという名だということは、それとなく聞き出していたが。
「だったらさ、タトローイ行こうぜ!」
「タトローイ?」
聞き返すと、クレスは片方の眉をつり上げた。
「なんだ、旅人のくせしてタトローイも知らないのかよ。アストラルで一番でっかい街なんだぞ」
「あ……ああ、その街のことね」
不自然な相槌だったが、幸い気にかける者はいなかった。
「闘技場なんかもあったりしてさ、きっと楽しいぜ! な、な、行くだろ?」
「う、うん。行くなら……そこかな」
顔に顔を近づけて迫る少年に気圧されて、レオンは思わず首を縦に振ってしまった。
クレスはその返事ににんまり笑って、それから母親の方を向く。
「母さん、オレも一緒に行っていいかな?」
「え、ちょっと……」
「そうねぇ」
客人を差し置いて、母子は話を進める。
「最近ずっと行ってなかったものね。旅慣れた方と一緒なら安心だし。でも迷惑はかけちゃ駄目ですよ」
「もっちろん!」
やったぁ、と椅子から飛び降りて拳を突き上げるクレス。
「お兄ちゃんずるい! アリシアも行く!」
「ああ。一緒に闘技場行こうな」
妹はたちまち破顔して、とーぎじょーと叫びながら兄に抱きついた。
「ちょっと、ボクは何も……」
抗議しようとレオンは椅子から腰を浮かしかけたが。
「連れていってやってくれませんか」
横から母親がそっと囁く。
「え、でも……」
「あの子たちもね、昔は父親に連れられてよくタトローイに行っていたんです」
レオンは振り向く。母親は目を細めて子供たちを眺めている。
「けれど二年前にあの人が亡くなってからは、そういうこともなくなってしまって。父親との想い出が残っているあの街に、もう一度連れていってやりたかったのだけど……家を空けるわけにもいかないでしょう。誰か信頼できる人にお願いできればと思っていたところだったんです」
「信頼できる……って、ボクが?」
「こう見えて私、人を見る目はあるんですよ。お義母さんほどではないけれど」
そう言うと、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
レオンは少し赤くなって、顔を逸らす。
なぜだか、自分の母親のことを思い出していた。
結局断りきれずに、子供たちとタトローイへ行くことになってしまった。
出立は明朝。今夜は泊めてくれるというので、それに甘えることにした。そもそも宿賃を持っていないので選択肢などないのだが。
父親が使っていたという部屋に通されたレオンは、扉を閉め、木材で組んだだけの簡素なベッドに乗ると、胡座をかいた。ついでに腕も組む。
ようやく一人になれたので、状況を整理してみる。
まず、最初に確認しなければいけないことは。
──どうして自分がここにいるのか。
半日前まで、自分は惑星ストリームにいた。それは間違いない。ここに来てしばらくは記憶が混乱して上手く思い出せずにいたが、今はちゃんと思い出すことができる。
かの地で何が起きたのか──。
目を閉じ、順を追って記憶を掘り起こしていく。
あの場にいたのは自分と、クロードと、プリシス。タイムゲートを一通り調査して、クロードが休憩しようと言い出して、それから……。
ゲートの方から──声がした。
そして振り返ったら──目の前が歪んで──黒いもの──が──。
──……。
「……っ、ダメだ」
目を開けて、首を何度も振る。
どうやって自分があの港に来たのか、そこのところはどうしても思い出せない。記憶がすっぽり欠落している。
ただ、考えられるのは──。
「あのときボクは、タイムゲートの前に立っていた」
そして、あの声。あれがゲートの『番人』だとすれば。
レオンの身に起きた瞬間移動は、何かの拍子に作動したタイムゲートによるもの、ということか。
ならば、これは単なる空間転移ではなくて──。
「過去に──飛ばされた──?」
どこかの時代の、見知らぬ惑星に。
たった、ひとりきりで。
「う、そ、だろ……?」
腕を解いて、ベッドに両手をつく。
信じられなかった。
だが、可能性としてはそれが一番高い。
いや、それしか考えられない。
──だとすれば。
深呼吸して、もう一度気持ちを落ち着かせる。
今、自分がすべきことは──。
ここがいつの時代で、どの惑星なのか把握すること。
難しいが、やるしかないだろう。調べる方法を探して、それから……。
それ、から──?
「……ちょっと、待て、よ……」
全身から血の気が引いた。
──今がいつなのか。
それを調べたところで。
──ここがどこなのか。
それを知ったところで。
「どうやって……帰ればいいんだよ……」
更けていく夜の闇の中で、未来から来た少年は途方に暮れた。