Side C-6 "Tangency"
土煙を上げて馬車が疾駆する。
御者台の兵士は手綱を固く握り、二頭の馬を必死に制御する。
車内にはクロードとプリシス。向かい合って座っていた。
街道はそれなりに整備されているものの、この速度ではさすがに振動も激しい。がたがたと揺さぶられ、左右に曲がるたびに身体が大きく傾いだ。
「うえぇ……ぎぼぢわるぅ……」
プリシスが前屈みになって口を押さえる。酔ってしまったらしい。
「あとどのくらいなの~?」
「もうすぐです! 十分もかかりません!」
十分かぁ~、とプリシスは腰掛けに横たわって、息を吐いた。
クロードは膝上に載せたレナの人形を撫でながら、窓の外に目を遣る。
流れる景色は陰影が濃くなっていた。空の色も青から藍へと遷移しようとしている。
あと十分で、オタニムに着く。
そこにレオンがいるのだと、あの不思議な老婆は告げた。
本来ならば、それで目的は果たされるはずだった。少年と合流し次第、ゲートを呼んで三百年後に帰ればいい。
だが──。
「世界が壊れるかもしれない?」
老婆の言葉にクロードは耳を疑った。
「生憎私はちゃんとした言葉を知らないものでね。何て言うのかな、時間を遡って過去を変えたときに起きる……」
「パラドックス、ですか?」
「そう、それだ。ハビエルはそれを引き起こそうとしている」
老婆が断言した。クロードもフィアも絶句している。
「今回の場合は、時を遡った者の先祖を抹殺することで、その者の存在を消そうという魂胆だね」
「ラティの存在を消すつもりなのですか? どうしてそのような事を」
「目的は魔王の復活だろう」
淡々と口だけを動かして、岩のような老婆は語る。
「ラティクス・ファーレンスがいなければ、勇士たちはこの地に集うこともなく、魔王も倒されることはなかった。だから正確には『復活』ではなく『討伐された過去の改竄』なのだろうけど」
「わ、我々の闘いを」
無かったことにする気ですかッ──とフィアは静かに激昂した。
「何故ハビエル・ジェランドは、魔王などを……」
「どうやら彼奴は魔王に魅入られてしまったようだね。あるいは彼奴そのものが──魔王の傀儡なのかな」
「か、傀儡って、魔王は確かに」
我々が倒した──と言いたかったのだろうが、その先を続ける前に老婆が語を継ぐ。
「アスモデウスは異世界の王だ。私たちの常識が通用する存在じゃあないんだよ。たとえ肉体は滅んでも──何らかの形で」
魂は継続しているのかもしれない──。
その言葉に、クロードはぞっとした。
異世界。魔王。魂だけの存在。
まるで御伽話の世界に迷い込んだような気分だった。
しかし現に、父や母はそんな存在と闘ったのだ。目の前にいる女性騎士と共に魔界に乗り込み──。
現実と空想が錯綜している。
──いや。
クロードは頭を振る。そして前を向き、眦に力を込める。
いま起きていることだけが、現実なんだ。
自分の居場所を、目的を見失ってはならない。
「それで」
今度はクロードから切り出した。
「レオンは、そのラティ……さんの先祖と一緒にいるんですね」
ラティというのは昔飼っていた犬の名でもあったので、どうにも呼びづらかった。
「そうだよ。私の孫たちだ」
「え?」
「言ってなかったかい。私はイレーネ・ファーレンスだよ」
どう反応していいか迷っているうちに、イレーネが話を続ける。
「孫たちは昨日、黒いローブの連中に襲われたらしい。そのときはあんたらの猫が助けてくれて事無きを得たらしいけど」
「黒いローブ、ですか。それはハビエルの屋敷に出入りしている……ああ、それで」
フィアが合点のいった様子で頷いている。
「黒いローブはシュドネイ教の信者に与えられる法衣だ。魔王を崇め、その復活こそを悲願とする邪教だね。私が若い頃に滅んだはずなんだけど、密かに残っていたのかねぇ。それとも只の真似事か」
そこでようやく老婆が動いた。杖の先をクロードたちに突きつけ、鋭い眼差しを向ける。
「あんたらは今すぐオタニムに行って、迷い猫の坊やと合流するんだ。元々それが目的だったんだろ?」
「え、ええ」
「そして、ここからは頼み事になるんだがね──」
杖を下ろして、深々と息を吐いてから、言った。
「私の孫たちを守ってやってくれ」
「イレーネさん……」
「連中はこの数日でカタをつける気なのかもしれない。こうしている間にも狙われている可能性がある。猫の坊やだけでは心許ないだろう。できるだけ急いでやってくれ」
──ラティクスの先祖を守る。
そして、魔王の復活を阻止する。
世界の危機を救うんだ。
あんたたちが、もう一度──。
(もう一度──か)
クロードは口許に笑みを洩らす。
「僕の両親も、暁の勇士です」
因縁めいたものを感じつつ、彼は言った。
「二人はあの旅で絆を深め、結ばれたと聞いています。だからラティさんの存在が否定されれば」
「クロードも消えちゃうってコト!?」
プリシスが慌てて声を上げる。
「かもしれない……だけどね。未来はあくまでも無限の可能性があるんだ。結局は確率の問題でしかない」
それでも、とクロードは屹然と前を見据えて。
「僕にとって無関係の話でないのは確かです。お孫さんは僕らが責任を持って守ってみせます。銀河連邦軍中尉クロード・C・ケニーの名において」
「頼んだよ」
老婆の言葉に軍隊式の敬礼で応じるクロード。
「せっかく決まってるのになぁ……」
横からプリシスが残念そうな視線を投げかける。
敬礼をしながらも、クロードは脇にしっかり『嫁』を抱えていた。
数刻前のことを思い返してから、クロードはジャケットの隠しに手を差し入れた。
指先に硬いものが当たる。掌にすっぽり収まる程度の、筒状の人工物。
フィアから借り受けた武器だった。『刃無き剣』と彼女は呼んでいたが──要するに光の刃を出力するビームサーベルだ。未開惑星にこんなものが出回っていることにクロードは甚だ驚いた。
父さんはこういうことも上に報告したんだろうか。
──してないだろうな。
クロードはフッと笑った。
彼は最近まで、父のことを融通のきかない堅物だと思っていた。それ故に反発することも少なくなかったが──どうやらそれは思い違いだったらしい。実際はかなりの横紙破りで、上司もほとほと手を焼いていたという。厳格な父親に見えたのは、本人が敢えてそう演じていたからなのだろう。
考えてみれば、独断でタイムゲートを使うような人間が堅物のはずがない。自分も少し前にはかなりの無茶をやらかしたものだが──それも結局は親譲りだった、ということか。
「な~にニヤニヤしてんのさ」
腰掛けに横たわっていたプリシスが顔をしかめる。
「ただでさえ気持ち悪くて吐きそうなんだから、いかがわしい顔見せないでよ」
「いかがわしい顔って……」
何気に酷い言い種だが、本人に自覚はないらしい。寝返りを打ってクロードに背中を向ける。
「そういや、プリシスは武器持ってるのか? 場合によっては闘いになるかもしれないぞ」
「ん~、武器っていうか~」
と、プリシスは腰掛けに置いてあったリュックに手を伸ばす。
留め具を外して開けると、中にはお馴染みの青い球体が入っていた。
「無人くん……か。まだ持ってたんだな」
「当たり前じゃん。あたしの相棒だよ。そっちの『レナちゃん』よりキャリア長いし高性能だし」
「ぼ、僕の嫁を愚弄するかッ」
「してないっての。どっちも作ったのあたしだし」
相手にするのも億劫らしく、リュックを閉めるとプリシスは再び背中を向けて横になった。
「クロードさん!」
そのとき、御者台の兵士が叫んだ。
「前方から何か来ます!」
「え?」
クロードは窓から頭を出して前方を見た。プリシスも跳ね起きて横から身を乗り出してくる。
薄暗がりの中に街並みが臨める。あれがオタニムだろう。
その手前から──何かが来る。
物凄い速さで街道を滑るように移動している。
それはものの数秒で目前まで迫り、一瞬にして馬車の脇を通過していった。巻き起こった突風に煽られて、車が斜めに傾く。
「うわっ、あ、あぶな……っ!」
横倒しになるかと肝を冷やしたが、どうにか踏み止まって車輪から着地した。
窓から入り込んだ砂埃に軽く噎せながら、クロードはプリシスを見た。
「どうした、プリシス?」
少女は座席の下に座り込んでいた。視線は窓の向こうに固定したまま。
「……ねえ、クロード」
「ん?」
「今の……レオン、だったよね?」
「……ああ」
クロードは頷く。
彼女も見たのなら、見間違いではないのだろう。
目の前を横切っていった、その一瞬。
確かに──見た。
毛むくじゃらの塊と、それにしがみつく水色の髪の少年を──。
「追っかけないと!」
プリシスが御者台に詰め寄る。
「ま、待ったプリシス」
クロードは慌ててそれを制した。
「この速度差じゃ追いつけない。見失うだけだ。このままオタニムに行って、どこへ向かったか確認した方がいい」
「で……でも!」
珍しくプリシスが焦れている。
「やっと見つけたのに……!」
「急がば回れ、だよ」
唇を噛むプリシスの肩を叩いてから、御者台の兵士にこのまま行ってくれと頼んだ。
そして、再び窓に目を向ける。
ようやく砂埃が治まってきた。
あの急ぎようは──何かあったのかもしれない。
焦る気持ちはクロードも同様だった。けれども……だからこそ、冷静に判断を下す必要がある。
まだ、間に合うはずだ。
間に合わせてみせる。
「とにかく、レオンは無事だったんだ」
自分に言い聞かせるように、クロードは呟いた。
街に着いた頃には既に闇の帳が降りていた。
人気も少なくて苦労したが、どうにか住人からファーレンスの家を聞き出して、そちらへと向かう。
目的の家はすぐに見つかった。扉をノックすると、中から恰幅のいい女性が出てきて応対した。母親かと思ったが違うらしい。
アストラル騎士団の使いだと告げると女性は畏まって、自分は近所の者だと明かした。
「何か恐ろしい悪党に襲われて怪我をしたらしくって。命に関わるほどではないんだけど……動けないみたいだから、あたしがお世話を」
女性はクロードたちを寝室へと案内した。
「どちら……様……?」
母親はベッドに横たわっていた。机の上の小さなランプが、朦朧とシルエットを浮き上がらせる。
「僕たちは……」
少し躊躇したが、クロードは言った。
「レオンの友人です」
母親がいきなり身体を起こした。しかしすぐに呻いてベッドに突っ伏し、脇腹のあたりを押さえる。
「ほら、じっとしてないと傷口が開いてしまうよ」
女性が母親を再び横たえさせる。彼女は枕に沈み込み、苦しそうに息を吐く。
しばらくして落ち着くと、弱々しくクロードたちに告げた。
「娘が……攫われました」
クロードは眉根を寄せる。母親は小声ながらもしっかりした口調で続ける。
「殺されたくなければ、息子を……クレスを連れて夜明けまでにパージ神殿に来い、と」
「パージ神殿?」
プリシスが聞くと隣にいた兵士が、アストラルの北方にある遺跡ですっ、と鯱張って答えた。
「そこが奴らの根城なのかもしれないな」
「じゃあ、レオンもそこに行ったの?」
プリシスはやはりレオンの行方が気になるらしい。
「はい……。レオンさんは、アリシアは絶対助ける、クレスも守るから心配するなって言ってくれて……」
「へ~。意外と言うじゃん、あのチビ」
感心しつつも、どこか不満そうではあった。
「けど、相手は……」
──ハビエル・ジェランド。
魔王の息のかかった者。
「レオンだけでは危ないな」
急がねばなるまい。
クロードはベッドに近づき、母親に向けて言った。
「僕たちもパージ神殿に向かいます。必ず、みんなを連れて戻ってきます」
「お願い……します」
そこで、初めて気づいた。
母親の目許から涙が流れていたことに。
悲嘆に暮れることなく気丈に振る舞ってはいたが、やはり──辛いのだろう。
クロードは口許を引き締める。
そして、踵を返した。
「夜明けまで時間がない。神殿に急ごう」
破れた窓から、満天の星空が覗いていた。