Side L-9 "PAST DAYS"
目覚めると、そこはベッドの上だった。
何やら不愉快な夢を見ていたような気もするが、よく憶えていない。ただ、夢で良かったという意識だけは漠然と残っていた。
重い頭を動かして辺りを見回す。見憶えのある部屋だった。
タトローイの──宿屋か。
目を擦りつつベッドの隅に座り直したとき、ドアが開いた。
入ってきたのは。
「レオン!」
「アリ、シア……」
少女はレオンを見るなり目を輝かせ、青い髪を振り乱して飛び込んできた。
「え、ちょっ……」
どうにか受け止めたが、勢い余って背中からベッドに倒れ込む。
「レオン大丈夫? ずっと起きないから、アリシアとっても心配したんだよ」
「そ、そう……。わかったから、降りて、くれないかな……」
レオンはベッドに沈んだまま、ぎこちなく言う。
「どうして?」
少女はレオンに跨がって丸い目をぱちくりさせている。膝のあたりの温もりを意識してしまい、知らずと頬が赤くなる。
誰かに見られる前に退いてほしかったのだが──。
「ちょっと、そこの猫耳チビ助!」
ぎくりとして、レオンは声のした方を見る。
ドアの所でプリシスが仁王立ちしていた。
「起きたなり、なーにヘンなことしようとしてんのよ。あんたって幼女が趣味だったわけ?」
「しゅ、趣味って何言って……これはアリシアが」
慌ててアリシアを押し退けて起き上がる。プリシスはまだ如何わしげな視線を向けてくる。
「モテる少年は辛いねぇ」
そこへクロードが顔を出した。
「ちょっとオクテなくらいが女の子は惹かれるらしいからな。十年後には女の子泣かせまくってるぞ、きっと」
「お兄ちゃん……」
レオンが睨みつけても、金髪の青年は悪びれもせず笑っている。
「まあ何にせよ、みんな無事に戻ってこられて良かった」
クロードが言う。
みんな──ということは、シウスも無事だということか。
その事実に知らずと安堵の息が洩れる。そして次に浮かんだ疑問を口にした。
「ハビエルは……どうなったの?」
「部屋が崩落してしまったから生死は確認してない。けど、あの状況じゃあ……」
「……そう」
すべて──終わったのだ。
レオンはベッドから降りた。着ていたのは寝間着のようなゆったりした服。クロードが着せてくれたのだろうか。
それとも。
「あ? なんか用?」
レオンはすぐに彼女から目を逸らす。まだ機嫌は直っていないらしい。
「あの……」
少年の声がした。
「ああ、クレス」
クロードの横から現れて、遠慮がちにレオンの前へ来る。
「アリシアが助かって良かったね」
レオンが声をかけても、クレスは浮かない表情で目を伏せている。
「うん。でも……オレ、また何にもできなくて……」
「できなかったら、次頑張ればいいさ」
少年の頭を撫でて、レオンは言う。
「でも、クレスはじゅうぶん頑張っていたと思うよ。次は必ず……アリシアを守れるよ」
「レオン……」
クレスはレオンの胸にしがみついた。
震える肩を、レオンは優しく叩いてやる。
弟がいればこんな感じなのかな、と思いながら。
「くっ……まさかそっちの趣味まで……」
一方プリシスは抱き合う少年たちを歯痒そうに見つめていた。
「……何でもそういう方向に結びつけるのは良くないと思うぞ」
クロードは呆れつつ、そう窘めた。
支度を済ませて、宿を出た。
強い日射しに白む道を、クロードの後について歩く。隣でプリシスが暑そうに掌で顔を仰いでいる。
噴水の水飛沫のお陰か、中央広場は幾分涼しく感じた。中心に聳える石像を目印に、賑わう露店と人混みを掻き分ける。
石像の前には見慣れた顔が並んでいた。
「三人ともご苦労だったね」
嗄れた声で老婆──イレーネが言った。背後のベンチにはシウスがどっかりと座り込んでいる。
老婆の隣にはクレスとアリシア、それに彼らの母親の姿もあった。母親は子供たちの後ろで会釈する。
「傷、大丈夫なんですか?」
クロードが尋ねると、彼女は脇腹に手をやり片目を瞑ってみせる。
「まだ痛いけど、兵士の人に無理言って連れてきてもらったんです」
子供が危ない目に遭ってるのに寝てなんていられないし、と兄妹の母親は気丈に言った。
「母は剣よりも強し、だねぇ」
「なんか違うような……」
クロードが小首を傾げたが、プリシスはあたしが作ったの、と強弁する。
「レオン殿」
母親の背後に控えていた女性が進み出て、レオンに声を掛けた。
「私はアストラル騎士団長フィア・メル。この度はファーレンスの子を守って頂き感謝する」
褐色の肌に白銀の鎧。彼女が、クロードたちが世話になったという騎士団長のようだ。
「あ……ども」
堂々とした立ち振る舞いに気後れして、レオンは少し俯いた。それを見たフィアは悪戯っぽく笑って。
「凄腕の紋章術師と聞いてどんな男かと思ったが、随分と可愛らしい少年だな」
「は!?」
「いや、失敬」
笑いを噛み殺してから、フィアは続ける。
「レオン殿。それにお二方も。魔王の復活を阻止してくれたこと、真に感謝する。本来であれば何か礼でも致すところだが……」
「礼なんて無駄になるだけだぜ。どうせ未来には持ち帰れねぇんだ」
ぞんざいな口調でシウスが口を挟む。フィアは眉間に皺を寄せて。
「お前に言われずとも、そのくらい判っているわ」
「なら言うなよ。さっきから聞いてりゃ堅苦しくて肩が凝って仕方ねぇぜ」
「私はアストラルの騎士団長として、礼を失さないように申しているのだ。お前のような瘋癲に言われる筋合いはないっ」
にわかに諍いを始める二人。聞いたところによれば、かつて共に闘った仲間とのことだが……。
「……もしかして、犬猿の仲ってヤツ?」
「むしろ痴話喧嘩っぽいけどなぁ」
横でプリシスとクロードが囁き合っている。
「ああ……済まない。見苦しいところを」
ひとつ咳払いをして、フィアが仕切り直す。
「この度の件は我々としても迂闊であった。今後はこのような大事に至らぬよう、胡乱な輩の監視を強化せねばなるまいな」
「ま、ハビエルがいなくなったのなら、もう大丈夫だと思うけどね」
イレーネが言う。
「それでも用心に越したことはありません。ファーレンスの子供たちには騎士団から警護をつけることにします。あんないい加減な奴に任せておくわけにはいかないので」
「誰がいい加減だこら」
シウスが抗議したが、フィアは無視を決め込む。
「あの、騎士団長さま」
フィアの横から母親が言う。
「警護は結構ですわ。皆さまのお手を煩わせるわけにはいきません」
「ですが……」
「私たちはムーア大陸に渡ろうと思います」
フィアは目を丸くする。
「ムーアに?」
「ええ。旧い知り合いがクラート村に住んでいるのです。夫を亡くしたときにも村で暮らさないかと誘ってくれたのですが、夫との想い出の残る家を捨てることには抵抗があって……。でも、今回の件で決心がつきましたわ」
「クラート村……か。あそこなら静かに暮らすには良さそうだな」
空を眺めながら、シウスが言う。
「身を隠す場所としても最適か……」
フィアも腕を組んで呟く。
「あの、オレたちは大丈夫です」
クレスが言った。大人たちの視線にも負けず、凜々しい瞳でしっかり前を見て。
「自分の身は自分で守れるし、母さんやアリシアも……オレがちゃんと守ってみせます」
「うむ。それでこそ私の孫だ」
老婆が目を細める。
「この子たちには強き者の血がちゃんと受け継がれている。何も心配はないよ」
「そう──ですね」
フィアも同意して、口許を緩めた。
「オタニムまでは同行するぜ」
シウスが立ち上がり、母親の前に立った。
「色々と支度もあるんだろ。何なら引っ越しも手伝うぜ。力仕事できる奴がいた方が便利だろ」
「ああ、それはいい。お前の馬鹿力が初めて役に立つ」
いちいち五月蠅ぇよ阿婆擦が、とシウスが毒づいたが、フィアは涼しい顔で受け流した。
母親はくすくす笑いながら言う。
「それではよろしくお願いします、シウスさん」
「先に馬車着き場に行ってるよ」
そう告げて、そのまま街の入口へと歩き出す。
「おじさん」
レオンが声を掛ける。シウスは足を止めた。
「おじさんじゃねぇよ」
「シウス。その……色々とありがとう」
礼を言うと、彼は頭の横でヒラヒラと右手を振った。
「挨拶とか礼とか、そういうのはどうも駄目なんだよな。背中が痒くなってくる」
「じゃあ、これだけ言っとく」
レオンは言った。
「強かったよ」
「お前もな」
そう言い残して、虎のような戦士は立ち去った。
大きな背中が人混みに紛れて見えなくなる。
「それでは私たちも失礼します。皆さん本当にお世話になりました」
母親は深々と一礼して、それから子供たちを促す。
「レオン」
クレスがレオンの前に来て、言った。
「もう、会えないのか?」
「そう……だね。たぶん、会えない」
レオンは正直に答えた。
「そっか」
クレスは一度下を向き、それから勢いよく面を上げて。
「オレ、強くなるからっ。レオンに負けないくらい強くなる」
「うん。頑張れ」
少年たちは互いに向き合い、顔の前で手を組み交わした。
その手に強く、想いを込めて。
──いつの日か。
この少年が成長し、幾度も命が受け継がれ──。
遥か彼方の未来から、彼らの想いを受け継いだ若者が時を駆けてやって来る。
そうして過ぎ去りし日々は繰り返されるのだ。
絶えることなく──永劫に──。
馬車の影が、陽炎の向こうに消えていく。
レオンは振っていた腕を、そっと下ろす。
視線はまだ街道の先。車の小窓から顔を出して手を振る兄妹の残像を、そこに見て。
これが──別れというものか。
締めつけられるような胸の疼きを、レオンは堪える。
出会ったのは僅か数日前。でも、重要なのは時間じゃない。
たった数日間ではあったけれど、そこにはたくさんの想い出が詰まっている。
一緒に過ごして、話をして。
旅をして、危ない目にも遭って。
そして──共に闘った。
──そう。彼らも。
ボクにとって大切な仲間だったんだ──。
「レオン、泣いていいよ?」
プリシスが横から覗き込んできて、言った。
「内緒にしといてあげるからさ、思いっきり泣きなよ」
珍しく茶化してこなかった。それが余計にレオンの瞳を潤ませる。
「泣か……ないよっ」
それでもひと粒だけ零してしまった。プリシスは何も言わずに背を向けた。見なかったことにしてくれたらしい。
「それじゃあ、帰ろうか」
クロードが言った。
「僕らの時代へ──」
そして、空を見上げる。レオンも同じように仰ぎ見た。
一面に広がる、青い空。
その向こうには。
──どこまでも続く、星の海が──。