■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Prologue

 その男は、屋敷の窓辺に立っていた。

 風の音が、魔女の息吹さながらに闇空を切り裂く。眼下の森は激しい風雨に曝されてにわかに波立った。
 男は窓から外を見詰める。目許には皺が浮き、頬はやや痩けていた。かつては女性も羨む容姿であっただろう彼も、畢竟ひっきょう老いには抗えない。
 男は腰の後ろで手を組み、身じろぎもせず荒れ狂う森を俯瞰している。独特の紋様が刺繍された上着。頭の後ろで留めた金髪。そして、背中には。
 ──一対の翼。
 がたがたと窓枠が鳴った。雨粒が硝子板に叩きつけられる。
 首をもたげて、空を仰ぐ。途端に目が眩んだ。
 稲光。そして、足許から轟く雷鳴。
 男は顔をしかめた。
 ──何も、こんな時に。
「旦那様」
 背後から声が掛かり、振り返る。
 薄暗い廊下に執事が立っていた。齢七十はとうに超えているが、未だ衰える様子もなく矍鑠かくしゃくとしている。
「様子はどうだ?」
 男が尋ねた。
「お変わりは……御座いません」
 老執事は丸い頭を下げて畏まる。
「奥方様は初産で御座いますから、つろう御座いましょう。しかし、こればかりは」
「どうしようもない──な。こういう時、男は無力なものだな」
 窓に向き直ってから、肺に溜まった息を吐き出す。目の前の硝子が白く曇った。
 昨晩に陣痛が始まり、夜が明け……今はもう日が暮れなんとしている。
 出産に時間を要することは聞いていたし、覚悟もしていた。だが、それでもやはり。
 ──耐え難い。
 妻は生来より丈夫な方ではなかった。半日も続く激痛に果たして耐えられるだろうか。心配はやがて良からぬ想像へと変わり……。
 雷鳴。
 我に返り、頭を振る。そして再び窓の外に目を遣る。
 しきりに胸の内がざわめくのは。
 不吉な予感が脳裏から離れないのは。
 ──この嵐の所為せいだろうか。
 風雨に紛れて。
 雷光に眩んだ隙に。
 おぞましき悪魔は、這入はいり込み。
 狙うのは──。

 屋敷が激しく揺れた。
 はらわたまで響くほどの轟音と衝撃に、男は頭を抱えて蹲る。執事も同様に身を屈めた。
 地鳴りのような余韻を残して、振動は収まった。
「今のは……?」
 執事が嗄れた声を出す。
 男は立ち上がる。
「雷……で御座いましょうか」
「いや……」
 雷の音とは思えなかった。
 もっと重々しい何かが、屋敷に落ちてきたような。
 それとも。
 空からではなく──。

 ──地の底から。

 はっとして、男は駆け出した。
 階段を降り、一階の廊下を走り。
 寝室の扉を、ひといきに開けた。
 そこには、妻が──。

 絶命していた。

 ベッドに横たわった身体は弛緩して。
 豊かな蜜色の髪は乱れ、枕に落ちて。
 双眸そうぼうは驚愕の色に、見開かれたまま。

 自らの翼に埋もれるようにして──。
 事切れていた。

 ベッドの横では、産婆が腰を抜かしていた。
 女中達は魂を抜かれたように立ちつくしていた。

 悪魔の唸りの如き雷鳴の合間に。
 彼は。
 有翼種族フェザーフォルクの男は。

 赤子の産声を、聞いた──。