■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Side L-3 "ONLY WARRIOR"

 馬車を呼んだ、と言うから、表に出てみたのだが。
「……馬車……?」
 家の前にいたのは、馬とは似ても似つかない、ピンク色の丸い生物。二頭並んで、つぶらな瞳でこちらを見ている。
「これが、馬車?」
「バしゃですよ。バーニィの車だから、バ車」
 どうやら「バ」違いだったらしい。
 巨大な毛玉のような胴体に、長い垂れ耳と短い手足がついたこの動物は、確かエクスペルやネーデにも存在していた。理由は判らないが、全宇宙共通の生物なのかもしれない。
 バーニィの胴体には綱がつけられ、背後の幌つきの車に繋がっている。馬力は申し分なさそうだが、乗り心地がいささか不安だった。
「アリシア、早く乗れよ!」
 既に車に乗り込んでいたクレスが、小窓から頭だけ出して妹を呼んだ。
「待ってよお兄ちゃん。バーニィさん、よろしくね」
 アリシアはバーニィに手を振ってから、ふさふさの尻尾を揺らして車の後部にある扉へと向かう。
「タトローイまでお願いします」
 兄妹の母親は、ハンチング帽を被った小柄な男に代金を手渡している。どうやらこの男が御者らしい。
「レオンさん」
 御者台へと上る男を見送ってから、母親はレオンの前に来た。
「今晩の宿代と、あと、御礼も少しだけつけておきました」
 そう言って布袋をレオンに渡す。中には銀貨が数枚入っていた。この星でそれがどのくらいの価値なのかレオンは知らなかったが、ひとまず神妙な顔をして礼を言った。
「うちの子をよろしくお願いします」
 母親はそう言って、丁寧に頭を下げた。
「……明日には帰ります」
 レオンも少しだけ頭を下げて、それから車に乗り込む。
「それでは、しゅっぱ~つ」
 御者の掛け声で、バ車はゆるゆるとタトローイに向けて動き出した。

 意外にも乗り心地は悪くなかった。車は一定の速度を保ちつつ、ならされた街道を進み行く。
「お兄ちゃん、見て! おっきなお家があるよ」
「うわぁ、でっけぇ屋敷だなぁ。どんな金持ちが住んでんだろ」
 兄妹は小窓に身を乗り出して、流れる景色に珍しいものを見つけては、あれやこれやと声を上げている。
「アリシア、そっちの木陰に野バーニィがいるぞ。でっかいのとちっこいの」
「きゃあっ、可愛い。こどものバーニィ初めて見たよ」
 車内の隅に座っていたレオンは、忙しない二つの背中を見るともなく見ていた。
 久々の旅に浮かれる彼らとは裏腹に、レオンは暗澹あんたんたる気分だった。
(……帰れない)
 昨晩、明け方まで帰る方法を考えた。けれど結局何も思いつかなかった。
 かつてのクロードのように、どこか別の場所に飛ばされただけなら、まだ可能性はあった。現に彼は無事に帰還を果たしている。
 だが、今回は。
 ──時間という絶対的な壁が、レオンの前に立ちはだかっている。
 助けを求めようにも、この時代に彼を知っている人間は一人とて存在していないのだ。
 元の時間に帰る手段も見つからない。自力で惑星ストリームに行けば何とかなるかもしれないが、この星の科学レベルではまず不可能だろう。
 どうしようもない。
 クロードたちが巻き込まれていないのなら、今頃何か方策を講じてくれているはずだ。もはやそれに期待するしかなかった。
 今のレオンにできるのは──ただ、待つことだけだった。
 仲間たちに、一縷いちるの望みを託して。
 クロードの顔が脳裏に浮かぶ。続いてプリシスも。普段は小にくらしい少女の顔も、今では少しだけ愛おしい。
「ねえ、レオン?」
 レオンは顔を上げた。ポニーテールの少女の残像が消え、代わりに青色の髪を振り乱した少女になった。
 兄妹は景色を見るのに飽きたのか、レオンの向かいに並んで腰かけていた。
「レオンは今までどういうところに行ったの?」
「え、と……ううん」
 レオンは返答に窮した。
 旅、と呼べるかは微妙なところだが、彼もつい数ヶ月前まで様々な場所に行き、色々な経験をしてきた。だがそれは別の星での話だ。さすがにそのまま披露してしまう訳にはいかない。
「……悪いことしてる奴らがいて、そいつと闘ったりしていた、かな。少し前の話だけど……」
 慎重に言葉を選んだら妙な具合になってしまった。そもそも「どこへ行ったのか」という質問の答えになっていない。
 子供たちは少し不思議な顔をして、それからさらに尋ねる。
「悪い奴らって、盗賊とか海賊とか、そういうの?」
「いや、そんなのじゃなくて……世界を滅ぼす、っていうか……」
「世界を? それって魔王じゃん!」
 クレスが叫んだ。
「魔王みたいな悪い奴と闘ったの? すげぇ。まるで『暁の勇士』みたいだ!」
「暁の……なに?」
 訝しげに聞くと、クレスは目を丸くして。
「知らねぇの? 二十年くらい前に魔王アスモデウスをやっつけた勇士様のこと」
「え、うん、話くらいは……」
 また適当に茶を濁す。クレスが勝手に話を進めてくれるので、その点では救われているが。
「全部で十なん人いてさ、どいつもすっげぇ強いんだぜ。伝記もたくさん出てるし」
「お兄ちゃんは『暁の勇士さま』のお話大好きだもんね」
 アリシアが横でニコニコしながら言う。
「ああ! オレ、大きくなったら勇士様みたいな立派な剣士になるんだ。それで悪い奴をやっつける!」
 腰掛けの上に直立して、青い髪の少年は高らかに宣言した。
「でも、魔王は倒されちゃったんでしょ。悪い人も今はそんなにいないかもね」
「そうなんだよなぁ」
 一転してその場に座り込んで、がっくりと項垂れる。
「な、レオンは強いんだろ。オレに剣技とか教えてくれよ」
「いや、ボクは剣士じゃなくて……」
 そのとき、車が止まった。身体が横に揺られて腰掛けに手をつく。
「もう着いたのかな?」
 クレスが小窓から外を窺う。
「なんだよ。まだ街の外じゃん。なんで中に入らないんだ?」
 レオンも首を動かして窓の向こうを覗いた。
 石造りの壁のようなものが見える。おそらくあの向こうに街があるのだろう。だが、その手前で車は停まっている。
「誰か来るよ」
 反対側の窓を見ていたアリシアが声を上げる。レオンは少女に退いてもらって、そこから頭を出した。
 車の脇に黒いローブを纏った人間が二人立っていた。どちらも目深まぶかにフードを被っていて、顔は判らない。
 一人が御者台に歩み寄り、御者の男に何かを手渡した。そしてもう一人を伴って車の後部へと向かう。
 レオンは首を引っ込めて、後部の扉を睨んだ。
 ──来るか。
 果たして扉は開けられた。白昼の光に眩んでいるうちに、ふたつの黒い影がのそりと乗り込んでくる。
「な、なんだよ。これはオレたちの車……」
「金は払ったよ。失礼する」
 野太い声で言うと、扉の手前に腰を下ろす。もう一人が乱雑に扉を閉めた。
 再び車が動き出した。しかし街へと通じる門は素通りして、そのまま街道を進んで行く。
「おい、ちょっと、なんでタトローイ行かねぇんだよ!」
 クレスが御者台に向かって叫んだが、応えはない。代わりに扉を閉めた方の黒ずくめが。
「ピーピー煩いね、ガキンチョが。黙って乗ってりゃいいんだよ」
 こちらは女の声だった。ローブの裾から艶めかしい脚がチラリと見えた。
「くそっ、もう降りようぜ……って、わあ!?」
 立ち上がりかけたクレスが尻餅をついた。
 ローブの男が、こちらに向けて蛮刀を突きつけている。
 アリシアがレオンの背中に隠れる。
「大人しくしろ、というのが判らんのか」
 濁った三白眼がフードの陰から覗いている。眼光は鋭く、剣を握る腕も太い。虚仮威こけおどしではない、とレオンは悟った。
 アリシアがレオンの服をギュッと掴む。クレスも壁に背中を張りつけたまま怯えている。
 レオンも恐怖は感じていた。だが──。
「何なんだ、あんたたち」
 上目遣いで軽く睨み返しながら、聞いた。
「ボクたちを誘拐でもするつもり? それとも人攫い?」
「まあ、そのようなもの、かな」
 男は薄笑いを浮かべる。けもののような黄色い八重歯が僅かに見えた。
 ──目的を隠している。ただの誘拐や人攫いではなさそうだ。
「どこへ連れていくつもり?」
「知る必要はない」
「どのくらいかかるのか、くらいは知りたいんだけど。明日までには帰らないといけないし」
「小賢しいガキンチョだね」
 女の方も短剣を抜き放って、レオンの鼻先に突きつけた。
「必要なのはそっちのチビ二匹だけなんだから、あんたはここで殺してやってもいいんだよ」
 ──狙いはクレスとアリシアか。
 レオンは肩を竦めて、白衣のポケットに入れていたものを抜き出す。
「おい、それは」
「ただの本だよ。読書くらいは構わないだろ」
 古びた本を広げて、視線を落とす。
 ローブの女が男に目配せをする。三白眼の男は僅かに口許を歪めたが、何も言わなかった。
 しばらくすると、わだちの音に混じってぶつぶつと小声で呟く声が聞こえてきた。
「おい」
 男が咎める。声の主はレオンだった。広げた本を音読するように、小刻みに口を動かしている。
「声に出すんじゃない。黙って読め」
 だが、レオンは止めなかった。蛮刀の切っ先がレオンに向けられる。
「このクソガキ、いい加減に……!」
 業を煮やした女が短剣を振り上げた。
 ──今だ。
「ブラックセイバー」
 左手で手刀を作り、それを斜めに振り上げた。指先が触れたあたりの空気が瞬時に凝結し、漆黒の刃となって放たれる。
「なっ!?」
 刃は蛮刀と短剣をまとめて弾き飛ばし、その先の扉をもぶち破った。
 レオンは本を閉じて立ち上がる。
「飛び降りるんだ、早く!」
「え? えっ?」
 戸惑うクレスの背中を押して、破れた扉から飛び降りるよう促した。クレスは少し逡巡しゅんじゅんしたが、思い切って跳んだ。
「貴様……っ!」
 襲いかかってきた男の顎を本の背表紙で殴ってから、レオンもアリシアを抱えて車から飛び降りる。
 慌てて跳んだので着地は上手くいかなかった。腕の中の少女を庇いつつ、乾いた土の地面に肩から倒れ込む。
 砂埃に軽くせながら、レオンは地面に手を突いて起き上がった。そして背後に目を遣る。
 バしゃは街道を逸れて、荒れた灌木帯を猛然と突っ走っていた。車内の音と衝撃に驚いたバーニィが暴走しているのだろう。
 もうもうと舞い上がる砂煙に紛れて、車の姿は見えなくなった。黒ずくめの連中が追いかけてこないことを確認してから、レオンはようやく息をつく。
「大丈夫だった?」
 アリシアを立たせて、服についた砂埃を払う。見たところ特に怪我はなさそうだった。
「クレスは?」
 自分の白衣の埃を払いつつ、先に跳んだ少年の方を見た。
「あ、ああ……だいじょうぶ」
 地面に両膝をついたまま、クレスは譫言うわごとのような返事をした。
 そちらに向かおうとしたとき、アリシアがレオンの腕を抱えるようにして掴んできた。絶対に離れまいとするように。
 ──怖かったのか。
 見ると、クレスもまだ立ち直れないでいた。呆けた顔であらぬ一点を眺めている。
(無理もない、か)
 これが普通の子供の反応なんだろう。レオンの方が特殊なのだ。幾度も危機に直面し、何度も死にかけた。そうしていつしか恐怖を制御する術が身についていた。
(考えてみたら、年下と旅するのって初めてだっけ)
 そう思うと、我知らず笑みが零れた。
「レオンって、紋章術師だったんだな」
 ようやく落ち着いたらしいクレスが、こちらに歩いてきて言った。
「ああ……うん。紋章術、知ってるの?」
ったり前じゃん。オタニムにも術師いたし、呪紋も見せてもらったことあるし」
 どうやらこの星にも紋章術は存在するようだ。隠す必要がないと知って、ひとまず安堵する。
「とりあえず、タトローイに行こうか」
 レオンは言った。
「この道を行けばいいんでしょ?」
「ああ。だいぶ離れちまったけど……」
 歩けない距離ではないだろう。
「街に入れば安全だから、ほら、歩こう。それまではボクが守るよ」
 アリシアは怯えた顔を上げる。
 レオンが笑みを返すと、少女も顔を綻ばせた。

 こういうのも悪くないかな、とレオンは思った。

 夜の帳が降りきる前に、どうにか街の入口まで辿り着くことができた。
「やーっと着いたぁ」
 石のアーチの真下に立って、クレスは大袈裟に叫んでみせた。歩いている間にすっかり調子を取り戻したようだ。
「二人は先に入ってて」
 レオンはそう言うと、横にいたアリシアをクレスに預ける。
「は? 一緒に入らねぇのか」
「後で行くから中で待ってて。なるべく人目につくところでね」
 クレスは首を捻っていたが、何か思い当たったのかポンと手を打って。
「わかった、ションベンだな」
「はぁ?」
「ずっと我慢してたけど、そろそろ限界なんだろ。それとも漏らしちゃった? その歳でお漏らしは恥ずかしいもんなぁ」
「いいから行ってろ、バカ」
 げらげら笑いながら、クレスはアリシアを連れて門を潜っていった。
 レオンは仏頂面でその姿を見送る。
 そして。
「何か用でもあるの?」
 振り返って、声をかけた。
 街道から街の門へと続く小径。その傍らにあった岩陰から──。
「まさか気づかれるとはな。大したもんだ」
 大きな体躯たいくを伸ばして、男が顔を出した。
 褐色の肌。逆立った短髪。そして、油断なくこちらを見据える鋭い双眸そうぼう。額には布を巻き、頬には傷とも刺青とも異なる模様が刻まれている。
「さっきからずっと、ボクたちの後をつけていただろ。あの黒ずくめの仲間?」
「違う、とだけは言っておくかな。信用してもらえるかは知らねぇが」
 言いながら岩陰から出てきて、レオンと向き合った。
 毛皮の腰巻きを穿き、上半身は襷のように掛けた布切れのみ。剥きだしの肩や脇腹にも頬と同様の縞模様がある。背には自分の背丈と同じほどの大剣を担いでいた。
 歳は──よく判らなかった。一見すると若そうだったが、声の具合から察するに、さほど若くない気もする。
「あいつらの仲間じゃないなら、何の用なの? 答えによっては」
 と、レオンはポケットの本に手を忍ばせる。
「危害を加える気はねぇよ。少なくとも、あっちの二人にはな」
 男は視線で門の向こうを示した。クレスとアリシアには、という意味だろう。
「……何者なんだ、あんた」
「そりゃお互い様だろう」
 口許だけで笑う。気配は少しも笑っていない。
「あの黒い連中のことは知らん。むしろ俺が聞きたいくらいだ。けど、今一番知りたいのは──お前の素性の方かな」
「どうして?」
「あの二人と行動を共にしているからだ。チビたちにとって有害か無害か、それを見極める必要がある」
 身構えながら、レオンは考えた。しかし。
 ──わからない。
 この男の目的が、さっぱり読めない。
「……ボクはただの同伴者だよ」
「……そうか」
 互いに互いを探り合っている。そんな具合なのだろう。
 男は背中を向けた。腰のあたりで尻尾が揺れている。
「お前が無害だってんなら、俺も何もする気はねぇよ。ただし、そうじゃない場合は」
 首を回してこちらを見る。レオンは息を呑んだ。
 それはまさしく、獲物を威嚇する猛獣の眼だった。
「──覚悟しといた方がいいぜ」
 そう言い残して、男は街道へと歩いていった。

 夕暮れの静寂が、異界の少年を包み込んだ。