■ 小説スターオーシャン2外伝 ~Repeat the "PAST DAYS"~


Side L-4 "THE STRONG"

 入口から真っ直ぐ通りを進むと、広場らしき場所に出た。兄妹はその中心に立つ石像の前にいた。
「おっせーよ。どんだけ長いションベンなんだよ」
「あのねぇ……」
 レオンは頬を引きつらせたが、すぐに体面を取り繕う。子供と張り合っても仕様がない。
「とにかく、今日はもう宿に行こう」
 既に空はとっぷり暮れていた。
「宿はどっち?」
「ああ。いつも使ってるトコなら向こう……ん?」
 クレスが指さした先に、何やら人集ひとだかりができていた。
「何かあったのかな」
「あそこって、確か風呂屋じゃなかったっけ」
「風呂屋?」
 公衆浴場のようなものか、とレオンは思う。珍しい施設だがエクスペルにも無いことはない。
 しばらく注視していると、人垣が割れて甲冑を纏った兵士が数人出てきた。中心にいる誰かを囲むようにして、歩いてくる。
「ははあ。覗き魔でも捕まったかな」
「覗き魔?」
 クレスはニヤニヤしながら言う。
「時々いるんだよな、女風呂を覗きたがる変態がさ。んでそれがバレて、こうして兵士に引っ立てられるんだ」
 女の子のお風呂見て楽しいの?とアリシアが不思議そうに聞く。そんなの知らねぇよとクレスは少し顔を赤くして答えた。
「ふうん……」
 レオンは前を通りかかるその一群を眺める。いかつい甲冑に囲まれて、お縄になった出歯亀でばかめの姿はほとんど見えない。別段興味がある訳でもないので、あえて確かめることもしなかった。
 兵士たちは大通りを横切って、宿とは反対側の方へと消えていく。
「レオン、行こうぜ」
「……うん」
 まだたむろしている人の群をかき分けて、レオンたちはその先の宿に入った。

 翌日、宿を出た足で闘技場へと向かった。
「でっけーだろ! こんなすげぇ建物はアストラルのここにしかないんだぜ!」
 よほど楽しみだったのか、クレスはいつにも増してはしゃいでいた。アリシアも満面の笑顔でそれを見ている。
「そう……だね」
 レオンは生返事をしながら、入口の門を潜った。
 立派な建造物には違いないが、ラクールの武具大会会場を知っているレオンにとっては、さして驚くほどのものでもなかった。規模としては同程度か、もしくはラクールの会場の方が大きい。
 入口でチケットを購入して、通路から観客席へと上がる。
 さすがに壮観だった。中央で一段低くなった円形の闘技場を、ぐるりと石造りのスタンドが囲んである。スタンドには老若男女がひしめき合い、立ち見も含めて立錐りっすいの余地もなかった。
 三人座れるような場所はなさそうなので、最前列の隅のスペースに立って観戦することにした。
 人心地ついたところで、レオンは中央の闘技場に目をやった。
 鎧姿の剣士と、大きな犬のような獣が対峙している。──いや、あれは。
「魔物……?」
 レオンが呟くと、クレスが隣で頷いた。
「わざわざ捕まえてきてるんだぜ。最近は数が減ってきてるから、探してくるのが大変みたいだけど」
 人と魔物を闘わせているのか。人間同士よりも参加者の危険リスクは増すが、そうであればあるほど……観る側は興奮するのだろう。
 レオンには理解できない世界だが、否定はしなかった。人というのは本質的に残酷なのだろうと、少年は思う。
 牙を剥いて威嚇していた魔物が剣士に襲いかかった。剣士は鋭い爪の生えた前脚を盾で防ぎ、剣を横に薙ぎ払った。腹を斬りつけられた犬型の魔物は悲鳴を上げながら剣士から遠ざかる。
「オレの父さんはさ」
 闘いを眺めながら、クレスが言った。
「ここで闘わせる魔物の捕獲隊だったんだ」
 レオンは青い髪の少年を見た。
「だから、この闘技場にも何度も連れてってもらった。父さんが捕まえた魔物を、父さんと一緒にこうして見るのが好きだった」
「アイス食べながら、いつも見てたよね」
 アリシアが言うと、クレスは少し寂しそうに笑ってみせた。
「お父さんは……」
「死んだよ」
 クレスは淡々と答えた。わざと感情を殺しているようにも見える。
「魔物を探して、森の奥深くに入り込んだんだ。でもそこは魔物の巣になっていて……」
 何も返せず、レオンは黙ってその顔を見た。視線に気づいたクレスが相好そうごうを崩す。
「そんな顔すんなよー。もう昔のことだから、悲しいとかそういうんじゃねぇよ」
 いつもの調子でそう言うと、アリシアの頭を撫でる。
「でも、父さんがいないぶん、オレが頑張らないといけないんだよな」
「頑張る?」
 レオンが尋ねると、兄は妹に視線を落としながら。
「……昨日、悔しかったんだ」
 躊躇いつつも、話した。
「変な奴らが車に乗り込んできたとき、すげぇ恐かったんだ。恐くて何も考えられなかった。ホントならオレが妹を守らないといけなかったのに、ぜんぜん動けなくて……。レオンがアリシアを守ってくれて助かったけど、何もできなかった自分が情けなくて、悔しくて……」
 クレスは目に涙を溜めて、唇を噛んでいる。本当に悔しかったのだろう。その気持ちはレオンにも理解できた。
 だから。
「……悔しいと思ったんなら、次は動けるようになるよ」
 闘技場を見遣ってから、レオンは言った。
「そう、かな」
「そうだよ。ボクがそうだったから」
「……そっか」
 クレスも正面に目を向けた。
 円形の舞台では、剣士が魔物に止めを刺そうとしていた。
「強くなりたいな」
「そうだね」
 剣に貫かれて、魔物は息の根を止めた。歓声が闘技場を包み込む。
「観衆の皆様」
 スタンドの正面から声が聞こえた。風にはためく国旗の真下に演壇が設えてあり、そこに男が立っている。
「ここまで勝ち抜いたシモン選手に今一度盛大な拍手を」
 ひとしきり拍手が沸き起こる。闘技場の剣士が剣を掲げてそれに応えた。
「さて、次なる闘いは、いかな強者でも苦戦は必至。この闘技場の長き歴史においても屈指の強さと凶暴さを誇る魔物が相手となります」
 流暢に男は語る。遠目で顔はよく判らなかったが、かなり若いように感じた。長い金髪と模様のついた服。そして背中には。
「……あの人、羽根がついてる」
 レオンの呟きを聞き止めて、クレスが言う。
「フェザーフォルクだよ。オレも見るのは初めてだけど。あんまり人前には出ない種族みたいだから」
「へえ……」
 この星の種族はかなり多彩のようだ。もしかしたら狼男なんかもいたりして、とレオンは無邪気な想像をする。
 早くしろ、という客の野次にも構わずに、壇上の男は続ける。
「この魔物は、シルヴァラントの秘されし地にて発見した逸品。あまりの凶暴さゆえ捕獲隊の手には負えず、この支配人ハビエル・ジェランド自ら出向いて捕獲して参りました」
「あの人、闘技場の支配人なのかぁ」
「そんな強そうには見えないよね」
 クレスとアリシアが口々に言う。確かに男は線の細そうな、どちらかと言えば優男のような風体だった。猛者が集う闘技場の支配人にも、凶暴な魔物を捕獲できるほどの戦士にも見えない。
「それでは皆様、この闘いをとくとお楽しみください。シモン選手の御武運を」
 そう言って、ニタリと怪しげな笑みを浮かべた──気がした。この距離で表情を読み取れるはずがないから、たぶん思い違いだろう。
 闘技場の入口の鉄柵が上げられた。観客の視線が注がれる中、そこからのそりと出てきたのは。
「で、でけぇ!」
 巨人だった。
 身の丈は剣士の三倍はあろうか。禿げ上がった頭に尖った耳。眼窩がんかは窪んで、黒い穴の中心に目玉だけがぎらぎら光っている。半裸の肌は死人のように浅黒いが、はちきれんばかりの胸板と大木のような腕は、捕獲隊すら手に負えなかったという凶暴さを如実に物語っていた。
 鉄球のついた足枷をずるずると引きずりながら、巨人は闘技場の中央に進み出る。背後では係員が数人がかりで金属製の棍棒を運んでいる。
「こんなの……倒せるのかよ」
 唖然としたようにクレスが言う。剣士は剣を構えたまま微動だにしないが、果たして勝算はあるのだろうか。
 金棒を巨人の足許に置いた係員は、携えていた斧で足枷の鎖を叩き切った。そして一目散に入口へと避難する。
 緩慢な動作で巨人が金棒を拾った。動きは鈍いのか。それなら勝機はあるかもしれない。
 剣士も同じことを思ったのか、気合いを発していきなり打ちかかった。振り下ろされた金棒を掻い潜り、巨人の膝のあたりを斬りつける。だが巨人は微動だにしない。切り口からは青黒い血が僅かに滲んでいる。
 捉まえようとする巨人から剣士は慌てて離れ、再び身構える。奴の皮膚は堅い。致命傷を与えるには、柔らかい腹か首を狙うしかなさそうだ。
 じりじりと間合いを詰め、敵が動くのを待った。だが巨人は動かない。痺れを切らした剣士が懐めがけて跳躍した。
「バカ! 真正面から行ったら……」
 レオンは思わず叫んだ。
 案の定、巨人が見逃すはずがなかった。金棒を横一線に振り抜き、蠅でも叩くようにして剣士を打ち払った。
 剣士は闘技場の壁まで吹っ飛ばされた。壁が崩れ、礫塊れきかいが倒れた剣士に降り注ぐ。
「い、一撃かよ」
 クレスが呻いた。剣士は地面を這って瓦礫から抜け出したが、もはや闘える状態ではないのは一目瞭然だった。鎧は砕かれ、剣は折れ、おそらく全身の骨が粉砕されている。
 壁際で血反吐へどを吐いている剣士の許に、巨人がゆっくりと歩み寄る。止めを刺すつもりなのか。
「ちょっと。もう勝負はついてるじゃないか。なんで止めないのさ!?」
 レオンが言うと、クレスは鼻に皺を寄せて。
「入口まで逃げれば、ギブアップと見なされて終わるんだけど……」
「え? でも、あれじゃ……」
 剣士は右腕だけで地面を這って入口に向かうが、巨人は目前まで来ている。間に合わない。このままでは、あの剣士は──。
 レオンは正面を見た。壇上の支配人は全く動く気配がない。平然と闘技場を眺めている。係員も、観客も、誰ひとりとして止めようとする者はいなかった。
 レオンは歯軋りした。
 いくらルールでも、こんなのは──。
「……ヘイスト」
「え?」
 クレスがこちらを向くより早く、レオンは飛び出した。
 地面を蹴って柵を乗り越え、闘技場へと降りる。巨人は既に金棒を振り上げていた。詠唱を続けながら、走る。
「プロテクション!」
 剣士と巨人の間に滑り込んで、広げた手を前に突き出した。光に縁取られた丸い盾が生じて、振り下ろされた金棒を受け止める。
 思わぬ反撃に巨人がたじろいだ。光に目が眩んだのかもしれない。
「動けるなら、入口まで逃げて」
 その隙にレオンは剣士に声をかける。
「あ……あんたは」
「いいから早く逃げてよ。時間を稼ぐから」
 背後で金棒が振り下ろされる。レオンは横に跳んで躱した。金棒は空を切って地面を砕き、土塊つちくれが飛散する。
 巨人が振り返った。レオンは舌を出して挑発しながら、足許に散らばった土塊をひとつ拾う。そして再び繰り出された一撃を跳躍して避けると、巨人の顔めがけてそれを投げつけた。
「ウガァッ!」
 巨人は背中を丸めて呻いた。額に当たった土塊が砕けて目に入ったのだろう。
 レオンは背後の入口を振り返る。ちょうど剣士が辿り着いたところだった。それを見届けてから、スタンドに向かって叫ぶ。
「これでギブアップ成立だよね。さあ、試合は終わったんだから、さっさとこいつを引っ込めてよ!」
 支配人は壇上からこちらを見下ろしている。スタンドからでは姿しか見て取れなかったが、ここからならば表情まで判る。
「……素晴らしい」
 端正な顔を歪めて、彼は笑った。
「本来であれば試合妨害は御法度ですが、貴方の勇気に敬意を表して不問としましょう」
「そう。それじゃあ……」
「ところで」
 レオンの言葉を遮って、男が続けた。
「見たところ貴方もかなりの力をお持ちのようだ。折角その舞台に立ったのですから、一勝負、如何いかがですか?」
「はぁ?」
 レオンの声はスタンドの歓声にかき消された。
「その魔物を倒すことができれば、シモン選手が得る筈だった賞金を差し上げましょう」
 歓声はいよいよ増して、闘技場に渦巻く怒号となった。
 レオンは視線を正面に向ける。巨人はようやく視界が戻ったらしく、牙を剥いてレオンを威嚇している。
 倒せ、倒せと客が囃し立てる。
 巨人も、支配人の男も、スタンドにいる誰も彼もが、闘いを求めていた。
 だが──レオンは。
「ふざけるなッ!!」
 客席が水を打ったように静まり返る。
 レオンは拳を握りしめて、吐き捨てるように言った。
「殺し合いは、見せ物なんかじゃない。そんなのは……願い下げだ」
 ──そう。
 闘いなんて望まれてするものじゃない。
 それはもっと孤独で──もっと虚しいものなんだ。
 支配人はしばらくレオンを冷ややかに眺めていたが、やがて諦めたように顔を背けると、何やら手を翳して口を動かした。
「グ……?」
 巨人の周囲に球形の膜が生じて、巨体を丸々包み込む。支配人が指を鳴らすと膜は破裂し、魔物は白目を剥いて地面に倒れた。
 死んだ──わけではなさそうだ。鼾をかいている。係員がやって来て金棒を取り上げ、足枷を嵌め直す。
 レオンは肩で息をついて、それから再び壇上を仰いだ。
「え……?」
 そこで、思わぬものを見た。
 若き支配人の横で、大柄な男が何やら耳打ちをしている。
 その男に、レオンは見憶えがあった。
 ──どうして、あいつが。
 男は支配人から離れ、去り際にこちらを窺う。
 視線が合った。
 間違いない。
 あの濁った三白眼は──。

「……どういう、ことだよ」

 クレスとアリシアを連れて、闘技場を後にした。
 先程からクレスが話しかけてくるが、レオンの耳にはほとんど届いていない。
 ──三白眼の男。
 そして、翼をつけた闘技場の若き支配人──。
 レオンは考える。
 あの男は、昨日クレスたちを攫おうとした黒ローブの男に違いない。単なる破落戸ごろつきだろうと思って、さほど気にしてはいなかったけれど……。
 男は支配人の傍にいた。ならば闘技場の関係者か、支配人の用心棒か……少なくともただの悪党ではなかったわけだ。
 それなら。
 クレスたちの誘拐にも裏があるのか。
 あの冷たい目をした支配人も一枚噛んでいるのだろうか。
 だが──。
 闘技場の主に子供を攫う理由が、どこにある?
 クレスもアリシアも、見たところ普通の少年と少女だ。狙われる理由などあるはずもない。
 狙われる──理由など──。
『覚悟しといた方がいいぜ』
 不意に、その言葉を思い出した。
 タトローイへと向かうレオンたちの後をつけていた男。ローブの連中とは関係ないと否定していたが……あの無骨な男の目的も判然としない。
 ──もしかしたら。
 レオンは前を行く少年と少女の背中を見た。
 この二人に何か秘密が──?
「あっ」
 クレスが声を上げて走っていった。アリシアも後から追いかける。
 視線で追うと、道の先に杖をついた老婆が立っているのが見えた。クレスが駆け寄り、嬉しそうに声をかける。
っちゃ、いつ来たんだよ」
「つい先刻だよ。年寄りに長旅は堪えるねぇ。やれやれ」
 皺だらけの顔を綻ばせ、遅れてやって来たアリシアを抱きしめる。
 ──クレスたちの祖母か。
 そう思いながら見ていると、老婆はこちらに目を向けて。
「お前さんだね。時の流れを遡ってきた迷い猫は」
「な……どうして、そんなこと……」
 狼狽するレオンに、老婆は不敵に笑った。
「久々に神託が下りてきたんだよ。の地に再び時の使者来たる、とね」
 少年は言葉を失った。
 老婆は言葉を紡ぐ。
 まるで、総てが必然であったように。
「私はイレーネ・ファーレンス。神の言葉を預かり、告げるもの」