■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第一章 光と闇の兆し

「転送完了しました」
 ──十五年前、第一宇宙基地
「クロード、よく来たな」
 ロニキスは、転送装置の上に現れた幼い子供に言った。
 ロニキスはほんの三十分前に深宇宙探査の任務からこの地球軌道上のステーションに帰ってきたところだった。普段なら簡単な報告書を提出したあと地表の我が家へ戻るのだが、今回は緊急の任務が入ったため、一時間後には出立しなければならなかった。戻ってくるのは、早くても一ヶ月後になる。そのため、父親に会いたくて仕方がないクロードは、初めて宇宙ステーションにやってくることになったのだ。
「う……」
 小さなクロードは、転送直後、胸元を押さえてその場にうつ伏せに倒れてしまった。
「クロード!」
 ロニキスは駆け寄ってクロードを抱きかかえた。小型通信機をオンにして叫ぶ。
「急患発生! 救急医療班、直ちに第三転送室へ! 急げ!」

「う……。うう……」
 頭が重い。……いや、軽い? とにかく頭がおかしかった。中身をかき回されたみたいだ。そういえば、前にも似たような感覚に襲われたことがあった。……十年以上前のことだ。あのときは、転送機の故障で……。
 光を感じた。優しく包み込むような光。宇宙船の中とは違って、常にその加減が変わる。
「うう……ん?」
 目を開けると、青く透き通るような空が映った。どうやら、地面に寝ているらしかった。クロードは上体を起こし、ぼんやりとした頭を覚ますため首を振り、深呼吸をした。
 はて、何をしていたのだっけ。
「僕は……そうだ。ミロキニアの探査を……。そして光に包まれて……!」
 その後のことが思い出せず、もう一度落ち着いて記憶をたどる。
「ドームの中だった……周りは岩が転がっていて……」
 しかし、今自分がいるところにはむき出しの岩は転がっていなかった。おかしい。
「どこだ、ここは!」
 立ち上がって辺りを見回す。
 大樹のひしめく森だ。青々と輝く葉の間から、光が降り注ぎ、幻想的ですらある。
 前方は開けていた。そちらに行けば森からは出られるかもしれないが、ここがどこか分からないうえに、一人だ。
「父さん? みんな!」
 倒木の後ろ、草の影、木の枝の上まで探したが、返事も無く、姿も見えないかった。さっきまで一緒にいたはずなのに。
 なんとかして連絡をとらなければ……。
「そうだ! 通信機!」
 内ポケットにしまってある通信機を取り出し、耳にあてがう。
 反応はなかった。
 クロードは通信機をよくよく調べたが、壊れてはいないようだった。それなのに反応がないということは、よほど連邦の領域から離れた所にいるということだ。
「どこかに飛ばされたのか……くそっ!」
 拳を握りしめて、クロードは土を蹴った。
 もう一度辺りを見まわす。見渡す限り、大木の海。幹は太く、ごつごつしていて苔が貼り付き、地肌が見えない。根は地中に納まりきれず、ところどころ地表に飛び出している。巨大な森らしいが、幸いにもクロードが飛ばされた場所は開けていて、先には道らしきものも見える。
「ここでじっとしていても仕方がない。とにかくここがどこか確認しなきゃ……」
 道があるということは、知的生命体が生息しているのかもしれない。しかし、森にはほとんど手が加えられていないところからみて、未開惑星の可能性が高い。もし、これが先進惑星の森林保護区域だとすれば、クロードはたちまち探知され、クロードが倒れているうちにどこか別の場所へ運ばれているはずである。
 道のほうへ向かって歩いて行くと、草が擦れ合う音がした。クロードは反射的に立ち止まり、身構える。右手はフェイズガンの銃把に触れている。
 最初に現れたのは、地球人に似たタイプの生命体で、女性。年齢はクロードと同じくらいだ。
 少女はクロードには気づかず、彼の視線を横切って行った。そして、少し間をあけてもう一体の生命体が現れた。それは地球のゴリラに似ていて、少女に付き従っているように見えたが……、突然後ろから襲いかかった!
「あぶない! うしろ!」
 声を出したのと走り出したのが同時だった。少女は、何事かという体で後ろを振り向くと、ゴリラの姿を見てしりもちを着いてしまった。
「きゃーーーー!」
 立ち上がれないらしく、そのまま足を引きずりながら後ずさりする。ゴリラは、もう少女に追い着いてしまう。
「やめろ!」
 クロードは、少女とゴリラの間に割って入ってフェイズガンを構えようとした。が、ゴリラの平手が高速で飛んできて、クロードを体ごと吹き飛ばした。
 クロードは傍の木にしたたかに背中を打ち付け、痛みでフェイズガンを手放した。苦痛に耐えながら目を開くと、ゴリラの巨体が目前に迫っていた。反射的に横へ飛び退いた半瞬後に、クロードが打ち付けられた木の幹にはゴリラの拳のあとが穿たれた。
 ゴリラは痛みを感じていない風で、クロードを発見すると胸を叩いて突進してきた。
 クロードは落ちていた丸木を拾い上げて両手で構えた。ゴリラの拳が繰り出される直前、側面に避けながら丸木をすねにたたきつける。
 ゴリラは咆吼をあげながら地面に突っ伏した。
 その隙に、クロードはフェイズガンを拾い、出力を最高レベルに引き上げた。一気に倒してしまわなければ、自分のみが危ない。
 鼻息を荒くし、目を赤くしたゴリラが再びクロードに襲いかかってきたとき、クロードの右手から青白い閃光がゴリラに向かって一直線に伸び、ゴリラの胸を貫いた。
 どう、と音を立ててゴリラは仰向けに倒れ、動かなくなると、クロードは全身を支配していた緊張感を大きな息とともに吐き出した。
「ふう。なんとか助かったな」
 安堵しながら、クロードは自分に向けられた視線を感じた。クロードが助けた少女である。
 ──あ!
 クロードは、自分の過ちに気づいた。未開惑星保護条約を思い出したのだ。
 地球連邦に所属するすべての国々が批准するこの条約は、恒星間航行ワープ技術を持たない惑星への干渉を禁じており、征服することは無論、緊急時以外は地表へ降り立つことも禁じている。緊急時であっても、住民と接触することは控えるべきで、進んだ技術を見られるようなことがあってはならないとされていた。
 だが、例え戦闘の前に条約の存在を思い出していたとしても、目の前で襲われている人間を見て見殺しにすることができるほど、クロードは冷徹な人間ではなかった。
 ──ああしなかったらこの人は救えなかった。……仕方がないよな。
「あの……私……」
 少女は恐る恐る話し掛けてきた。クロードは、なるべく平静を装って対応した。
「大丈夫だったかい? 危ない所だったね。ところで、ちょって聞きたいんだけど……あ! ちょっと待って……」
 自分から話しかけてきたのに、少女は道の奥へ走って逃げてしまった。
「行っちゃった……」
 少女には見慣れない光景であったに違いなく、逃げられても仕方のないところではあった。
 しかし、せっかく人を見つけたのだから逃がす手はない。少女はおそらく自分の仲間がいる所に行ったに違いないから、そこへ行けば何か手がかりが得られるかもしれない。
 応答の望みのない通信機と二人きりで来るあてのない救助を待つより、少しでも文明的な暮らしをしながら自力で帰る方法を見つけるほうが、生存の可能性が高いのではないか──。しかしそれは、故郷から、同胞から隔絶され、突然の孤独に陥ったクロードの、理性が紡ぎ出した言い訳だったかも知れない。

 しばらく歩いていくと、道の先に横たわる大木が見えた。いや、横たわっているのではない。数百年もの時間をかけて成長した木の根でできた、自然のアーチだった。クロードは、そこに先程の少女が立っているのを見つけた。少女を怖がらせないように、ゆっくり近づく。すると、少女のほうから近寄ってきた。
「良かった。待っていてくれたんだね」
「すみません、逃げたりして……」
 少女が恥ずかしそうに下を向くと、青黝あおぐろい髪が揺れた。
「いや、その……」
「あの……私、突然のことだったからちょっとビックリしちゃって」
 頭を上げた少女の顔には、わずかだが笑みが浮かんでいた。警戒はされていないらしい。こういう場合、大抵は侵略者とか悪魔などと恐れられてしまうことが多い、と士官アカデミーでは教わった。
「はは、怖かったかな?」
 クロードが頭をかきながら言うと、少女は正直にも頷いた。
「は、はい。少し。でも本当にすみませんでした。助けていただいたのに……」
 少女の真っ直ぐな瞳が、クロードを見据えていた。可愛いな、とクロードは思った。
「いいんだよ。別に。それにこうして待っててくれたじゃない……えっと……?」
「あ、申し遅れました。私はレナ……レナ・ランフォードといいます」
 レナはにこっと笑い、クロードをどきっとさせた。
「あ、ぼ、僕はクロード。クロード・C・ケニーです。よろしく」
 急にかしこまったクロードを見て、少女はくすりと笑った。
「よろしくお願いします。ところで……クロード、さん? さっき何か言いかけてましたけど……」
 さっきと言うのは、レナが逃げ出す直前のことだ。
「あ、そうそう。大したことじゃないんだけどさ……」
 クロードは『大したことじゃない』ことを印象付けるため、何気さを装った。
「ここって……どこなのかな?」
 少女は二、三度目を開閉させてから、言った。
「ここは、『神護の森』というところです。アーリア村のすぐそこですよ」
「そ、そうなんだ……ありがとう。はは……」
 クロードが困惑しながら笑うと、レナも少し笑った。
「あ、もうこんな時間!」
 空を見上げて、レナが叫んだ。
「どうしたの?」
「あと三時間くらいで日が沈むんですけど、ここは森ですから、そろそろ暗くなってくるんです。村に出ましょう」
「あ、うん……そうだね」

 森を抜けると、一本の小川があり、草花が生い茂っていた。その向こうにはいくつかの建物が見える。そこが、『アーリア村』なのだろう。二人は村に向かって歩いて行く。
「旅のかたなんですか?」
「え? うん……まあ、そんなところかな」
「どこからいらしたんですか?」
「地球……からなんだ」
 聞き慣れぬ地名に、レナは立ち止まって聞き返した。
「……チキュウ? どこですか、そこ?」
 ここは未開惑星だ。分かるはずがない。
「そうだね、うん。なんて言ったらいいのかな。そう……遠い場所だよ。ここからは……多分、ものすごく」
 レナは首をかしげる。
「……遠いところ、ですか。私はこの大陸から離れたことがないんですよ。すごいですね。……エル大陸のさらに向こうなんですか?」
「まぁ、ね……そうなるかな」
「大変な旅ですね……」
 レナは感心すると、再び歩き出した。クロードは、なんとか会話が成り立ったことに内心で安堵の息を漏らした。
 レナはクロードの少し先を行き、やがて小川にかかる橋の上で止まると、クロードのほうを振り向いた。
「……クロードさん。この橋の向こうがアーリアです」
「へぇ、あそこが君の住んでいる村か……。でも、いいのかい? いきなりお邪魔しちゃって……」
「かまいませんよ。助けていただいたお礼もしたいですし」
「そんな、別にいいよ……大したことはしてないんだから」
 レナは、優しく微笑んだ。
「とにかく気にしないで下さいね。大したおもてなしはできませんけど……」
 レナは村のほうへ歩き出し、クロードは頭をかきながらその後を追った。
 夕日を浴びつつ巣へと帰る鳥の群れが、頭上を抜けて行った。

「ようこそ、アーリアへ」
 レナが改めて歓迎の意を示した。アーリアの大地には、短い芝のような草が生え、その上に木造の家々が立ち並んでいた。建物の壁は白く塗装されており、草の色と相まって清潔で爽やかな感じがする。村の中央には小川が流れ、そこで水と戯れる子供の姿も見えた。
「こんなキレイな空気を吸うのは久しぶりだな」
 クロードは深呼吸してから言った。しかし、レナは不思議そうな顔をしている。
「空気にキレイも汚いもあるんですか?」
「うん。僕のいた所は、汚かった……」
 有害物質をむやみに吐き出していた化石燃料工業全盛期に比べて、現在の地球の汚染度は低くなっているが、それでも一度汚れたものを元に戻すのには、なお数世紀の歳月を必要とすると言われていた。
「……そうなんですか。大変なんですね」
「まぁ、ね。でも本当に気持ちいい……」
 クロードはもう一度息を深く吸った。体中が洗われるようだ。
「なくなりませんから、心置きなく吸ってくださいね」
「ははは。ありがとう」
 あまりにも心地よかったので、クロードは何度も深呼吸を繰り返した。その様子を珍しそうに見ながら、レナが言った。
「……クロードさん、私、一旦家に帰ってきます。すみませんけど、少しの間散歩でもしていてもらえますか?」
「うん。分かった」
 クロードは体が軽くなった気がしていた。先程までの頭痛も、もう感じない。身体の異常だけでなく、気分も晴れやかになった気がする。
「では、また後で」
 レナはそう言うと、軽やかな足取りで村の奥のほうへ向かって行ったが、何かに気づいて振り返った。
「すぐに戻ってきますから」
 レナが行ってしまい、新鮮な空気にもそろそろ飽きてくると、クロードはやることがなくなってしまった。
 今までの出来事を思い出す。
「何かとんでもないことになっちゃったな。戻る手段を探さなきゃ……」
 頭をかきながら、辺りを見まわす。木の壁、木の屋根、木の窓枠、木の階段。戻る手段、とはいっても、こんなに文明度の低い星では、この星の位置などわかるはずもないし、連絡を取れるような装置も無いだろう。ある程度のパーツがあればクロードにも作る自信はあったが、『機械』というものが無いようだから、パーツがあるとも思えなかった。
「とりあえず、この村の人にいろいろ聞いてみようかな……」
 こういうときは、警戒されないように純心な子供のほうがいいかもしれない。橋を渡ったところに、六、七歳くらいの男の子を見つけた。
「ぼく、ちょっといいかな?」
「なに? おにいちゃん」
 子供と視線を合わせるため、しゃがんで話す。
「お兄ちゃんね、いま旅をしているんだ。それで、宇宙船を探しているんだけど、知らない?」
 男の子は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「うちゅうせん? なにそれ? たべれるの? ボク、よく分かんない」
「……そう、じゃあいいんだ。ありがとう」
 そんな調子で、次第に村の奥へと進んで行ったが、予想した通り、この星には『機械』というものは無いらしい。そうなると、地球へ帰るのは難しい。
「う~ん……、どうしよう……」
 クロードは広場の真ん中の噴水の縁に腰掛けて、新しい道を考え始めた。

「ちょっと、あなた!」
 考えに夢中になっていたクロードは、びっくりしてそのまま後ろへひっくり返りそうになった。見ると、いつのまにか目の前に紫色のスカートをはいた中年の女性が険しい顔つきで立っていた。
「あの、なにか……?」
「なにか、じゃないわよ! あなた、レナちゃんに何かしたんでしょ!」
「はぁ……?」
 クロードのとぼけたような返事は、質問者のの怒りを倍増させた。女性は腰に手を当てて、クロードに迫るようにして言った
「今、レナちゃんが慌てて帰ってきたのよ! なにかあったに違いないわ!」
「で、でも、僕はなにも……。ただ、彼女に案内されて村に来て……」
 そう言いながら後ずさりするクロードの背中には、噴水の水滴がかかってきている。
「案内、ですって?」
「そうです、それで、一度家に帰るから、ちょっと散歩でもしててくれって言われたんです……」
 ふくれあがっていた女性の怒気は、急速にしぼみつつあった。
「そう……なの?」
「……はい」
 クロードは濡れた背中を手で拭きながら答えた。
「……ごめんなさいね……」
 女性は落ち込んでいた。
「いえ、……あ、ひとつ聞いてもいいですか?」
「……なに?」
「レナの家はどこですか」 
 瞬間、彼女の顔は疑惑の色に支配された。が、声に出しては何も言わず、不満そうな顔をしながら水色の屋根の家を指さした。

「それで、その人はどこにいるの?」
「うん、村の中を見てるって……」
 教えられた通りの家のドアは半分開いており、近寄ると、レナともう一人の女性の声が聞こえてきた。覗きこむと、レナはクロードに背を向けていたが、もう一人は顔が見えた。ふと、その人物の視線がクロードを捕らえた。
「レナ、ちょっと……」
「えっ?」
 発見されてしまったので、クロードは潔く中に入った。
「あの~、すみません……」
「クロードさん! どうしたんですか!」
 言いながら、レナが近寄ってきた。
「いや、村の中を散歩してたらここに着いちゃったんだ」
 本当はそうではないのだが、話すと面倒なのでやめておいた。
 この家の玄関は、入るとまず土間になっており、一段高いところにテーブルやら椅子やらが置いてあるのが見えた。とは言っても、そこで靴を脱ぐ習慣があるのではなさそうで、レナはそのまま土間に下りてきた。
「そうなんですか。ビックリしたぁ……」
「まずかったかな?」
 頭をかきながら言うクロードに、レナは首を横に振った。
「そんなことはありませんよ」
 レナは微笑んで見せ、家の奥のほうを向いて言った。
「お母さん、この人が今話したクロードさんよ」
「え、あ、そうなの! どうもどうも、クロードさん。私はレナの母親のウェスタです。娘が危ないところを助けていただいたそうで……」
「そんな……別に大したことはしてませんから」
 恐縮して答えるクロードに、ウェスタは立て続けに言葉を放った。
「いえいえ、もう少しで大変なことになるところでした。いえね、私は前から言ってたんですよ。『危ないから、神護の森には行くな』って。それなのにこの子ったら……」
 ウェスタはレナのほうを見、レナは頬を赤らめてクロードと母親を交互に見た。
「もう、お母さんたら……」
「そうは言うけど、レナ……」
 心配そうに言う母親を無視して、レナが玄関のドアを開ける。
「クロードさん、お待たせしてすみませんでした。もう私の用は済んだので村の中を案内しますね」
「あ、うん。お願いするよ」
「じゃあ、お母さん。行ってきます」
「もう……はいはい。いってらっしゃい」

 レナは、まずクロードを村長に紹介する、と言って自分の家の向かいにある村長の家に連れて行ったが、村長は隣街に出かけていて留守だった。
 次に、用があると言って、ある民家に連れて行った。
「ここのウチのお父さんは大工さんなんです。今は隣町で大きな仕事をしているらしくて家にいないことが多いんですよ」
「子供たち二人だけで留守番かい?」
「ええ。ちょっと可哀相ですよね。だからできるだけ話相手をしてあげているんです」
「やさしいんだね、レナは」
「そんなことはないですよ」
 そう言いながら、レナは顔を赤らめた。
 子供たちの母親はすでに亡くなっており、父親は二週間も家に帰っていないのだという。少し子供たちの話し相手をして、二人はその家を出た。
「ところで、ここのお父さんは隣町でなにをしているの? 家を建てるとか?」
「私も詳しくは知らないんですけど……」
「そうか……でも、よっぽと大変な仕事なんだね」
 父ロニキスも、長い間家を空けることが多かった。二週間ならいいほうで、一年近くも会わなかったことすらある。クロードはこの家の子供たちを見て、ふと自分の子供時代を見ているような気がした。

 しばらく村を見学して、二人は空色の屋根のレナの家に戻った。
「お母さん、ただいま」
「お邪魔します」
「あら、レナ、早かったのね。でもよかったわ。ちょうど今、支度が終わったところよ」
「支度……って?」
 首をかしげながらダイニングに上がると、テーブルにはあらゆる料理が所狭しと並んでいた。
「お母さん、何、この料理の山は……」
「おいしそうでしょ? 母さん、腕によりをかけて作ったんだから」
 唖然とするレナとは対照的に、ウェスタはご機嫌である。
「そうじゃなくて!」
「なに? 食べないの? あなたを助けてもらったお礼にクロードさんに食べてもらおうと思ったんだけど……」
 母親がちょっと残念そうな顔になったので、レナは口調を和らげる。
「それは分かるけど……多すぎない?」
「そう? 若いし、たくさん食べるかなと思って。クロードさん、お腹空いてますよね?」
「ええ、まあ、それなりに……」
 料理の山を前にして答えるクロードの声が弱々しかったのは、全てを平らげる自信がなかったためである。それなのに、何を勘違いしたのか、ウェスタは自身満々に言った。
「ほら、ご覧なさい。男の子はこれくらい食べるものなのよ。クロードさん、たくさん食べてくださいね」
「は、はい……」
 妙に調子のいいウェスタの声に押される感じで、二人は席に着いた。

 一時間後、夕食を終えた二人は、二階に上がっていた。
「うえっぷ……。もう入らないや。ごちそうさま」
「無理しないで残しても良かったんですよ。……大丈夫ですか?」
「平気平気。僕の胃は丈夫だから……」
 そう言って軽く叩いて見せたが、余計に苦しくなってしまった。レナは窓から暗くなった外を見ながら言った。
「もう、お母さんたら作りすぎよね」
「でもすごくおいしかったよ。僕の母さんじゃこうはいかないな……」
 レナは振り向いて、笑った。
「お世辞でもうれしいです。喜んでもらえてよかった。私は下で後片付けを手伝ってきますね。少しの間、二階でゆっくりくつろいでいて下さい」
 レナは部屋を出て行き、クロードはようやくくつろげる状態になった。
「ふう、お腹がいっぱいだ……」
 ベッドに仰向けに倒れ、張り裂けそうな腹部をさすりながら、先ほどの会話を思い出す。
「……母さんか。元気にしてるかな? 心配してなければいいけど……。何とかして帰る方法を見つけなきゃ」
 母親と父親のどちらが好きか、と質問されたらどうしようか、と考えることがクロードにはある。両親共に英雄で、連邦の中枢を支える人物である。質問する側は当然その知識を持ち合わせているから、例えば『母親だ』と答えたときに、回答を得た人がロニキスに対していらぬ詮索をしたりするのではないか。英雄とは常に畏れられ、恐れられるものであるから、ロニキスの失脚を望む人物が、クロードが彼を選ばなかった理由について根も葉もない噂を撒き散らして父の立場を悪くするのではないか。『父親だ』と答えた場合も同じである。
 ……普通の家庭に生まれていればそのような心配は無用のものであったろうが、優れた両親を持ち、両親の期待と周囲の妬みを一身に背負う彼としては深刻に考えざるを得ないのであった。
 三十分ほど経ったであろうか。
「レナ、遅いな……」
 しかし考えてみれば、あれだけの量の皿を洗うのだから、相当な時間と労力を費やすに違いない。
「自分で食べたんだし、手伝いに行こうか……」
 そろそろ膨満感も収まったので、クロードは立ち上がり、部屋を出ようとした。すると、階段を上がってくる者がいる。
「あ、おばさん……」
「クロードさん、お味はいかがでした? ちょっと量が多かったかしら?」
「そんなことはありませんよ。すごくおいしかったです。ごちそうさまでした」
「そう? どういたしまして……」
 クロードは笑顔で応じたが、ウェスタは何か疑念でも持ったのか、恐る恐る尋ねた。
「本当においしかった?」
「本当ですよ」
「本当に本当?」
 レナの言ったとおり確かに多少は無理をしたのだが、それを見抜かれているような気がする。もちろん『お味』はよかったので、堂々とおいしかったと言えるのだが。
「本当に本当ですよ」
「……ああ、よかった。勇者様のお口に合わなかったらどうしようとばかり……」
 ウェスタは安心した表情になったが、それがクロードの言葉で一変した。
「あの、勇者様って……?」
「あっ!」
 ウェスタは驚いた顔で、口に手を当てて固まってしまった。ちょうどそのとき、下から声が上がった。
「お母さん、ただいま~」
 レナだ。遅いと思ったら、どこかへ出かけていたらしい。ウェスタは口を塞いだまま、階段とクロードを交互に見た後、慌てて階段を駆け下りていった。
「どどど、どうしよう、レナ」
 ウェスタは相当に慌てていたらしく、声の調子が不安定で、二階まで充分に聞こえる声量である。
「どうしたの、お母さん?そんなに慌てて……」
「だって……」
「だってじゃなくて、どうしたのって聞いてるの」
 ウェスタは自分のしてしまったことに動揺しているらしかった。これでは、どちらが母親か分からない。
 しばらくして落ち着くと、ウェスタは話を続けた。声量が抑制されたので、クロードは階段に近づく。完全に立ち聞きである。
「言っちゃった」
「なにを……?」
「『勇者様』って……」
「えーっ! 言っちゃたのー? それでクロードさんは?」
 今度は娘のほうが大きな声を家中に響かせた。
「まだよく分かってないみたいだけど……」
 確かによく分からない。『勇者様』というのが会話のテーマのようだが、クロードには全く理解できないところで話は進んでいる。
 ──いったい、何が起こっているんだ?
 自分の話題らしいのに分からないことに苛立ちを覚え、クロードは階段を降りて会話に参加することにした。
 階段のすぐ下にはウェスタがいた。レナは土間で、もう一人初めて見る老人が家に上がっていた。その老人が言う。
「いいから、落ち着きなさい。彼もまだ事態を理解しておらんのじゃろ?」
「あ、クロードさん……」
 階段を降りて来るクロードにレナが気づき、後の二人もそちらに注目した。一階に降りきったところで、老人がクロードの前に進み出た。口を動かすごとに長い顎鬚が上下する。
「あなたがクロードさんですか。初めてお目にかかります。わたしはこの村の長をしております、レジスという者です」
「クロードです……」
 村長が自分に何の用なのか、『勇者様』とは何なのか。疑問だらけのクロードの耳に、ウェスタの声が入ってきた。
「あの、立ち話もなんですから、こちらにお座りください」
「あ、はい……」

「神護の森でレナを助けていただいたそうで。感謝しております」
 村長に頭を下げられ、クロードは恐縮する。
「いえ……」
「ところで、レナから聞いたのですが、旅をしている途中だそうですな」
「いや、そんな大袈裟なものでもないですけど……」
 クロードは、内心で『危ない』と思い始めた。
「どこへ行かれるおつもりですか? クロス城下、それともラクール大陸ですかな?」
「あの、それは……、その……」
 口ごもるクロードを、レジスは落ち着いて観察していた。一つ息を吐いてから言う。
「ここがどこかも分からぬうえに、目的もはっきりしない。妙な旅人でございますな」
 レジスの口調は丁寧だが、その言葉の一つ一つがクロードの聞かれたくない部分を的確に突いてくる。クロードは覚悟して、しかし遠回しに尋ねた。
「なにが言いたいんですか?」
「……無礼を承知で申し上げます。クロードさん、あなたは嘘をついていますな。あなたはただの旅人ではありますまい」
 見抜かれた、と思った。
「旅人じゃなかったら何なんです?」
 レジスは即答せず、ゆっくり息をしてから口を開いた。
「おそらく異世界の者……」
 ──おしまいだ。クロードは思った。
 異世界からの侵略者、人間の姿に化けた魔物……。連邦の『発展途上惑星上陸探査任務記録』には、運悪く正体を見破られた士官達が住民たちにどう扱われたかが記されている。捕らえられた仲間が悪魔の使いとして血祭りに挙げられたり、姿形が異なるとして暴力行為を受け、危機一髪のところを転送収容されたり……。ともかく、自分たちとは違う世界の者を受け容れられるだけの精神的土壌が無いため、その存在が否定的にとられてしまうのである。クロードは、死をすら覚悟した。だが、あまり恐ろしくは無かった。もしかしたら一生かかっても救出はされないかもしれないのだ。だとしたら、今死んでしまっても同じことではないだろうか……。
 レジスは、クロードの青い瞳を見据えて言った。
「伝説の勇者」
 予期していたのとはおよそ正反対のことを言われ、クロードは完全に防御体制を崩されてしまった。
「ええっ?」
 しかし、レジスはその反応に確信を深めたらしい。
「旅人というのは世を忍ぶ仮の姿。違いますか? あなたは我々を助けるべく訪れた勇者様でございましょう」
「ちょっと待ってください、なにを根拠に、そんな……」
「根拠なら我々の地方の伝承に、次のような言葉があります。『この地エクスペル、脅威に襲われ、民、苦しむとき、異国の服を纏いし勇者現れん。の者光の剣を携え、人々を救いたもう』……と」
 クロードは口を閉ざして、事態を理解しようと試みていた。
「あなたは異国の服を纏い、光の剣をお持ちじゃ。これ以上、他にどんな理由をお求めになる?」
「そんな、『光の剣』なんて僕は持っていませんよ!」
「そんな……私を助けてくれた時には眩い光を放つ武器を使っていたじゃないですか!」
 レナが悲しげな表情でクロードを見る。
「それは……」
 レナの顔を見ると、それ以上は言えなかった。理性ではなく、ただ感情が口の筋肉を硬直させたのだ。
「この人は違うのでしょうか?」
 ウェスタがレジスに問う。
「そんなことない!」
 レナはどうしてもクロードが勇者だと思いたいようだった。それが分かるから、クロードは何も言えなかった。
「うむむ……」
 レジスは考え込む。彼自信もエクスペルの住民として勇者の出現を待っていたから、当人に否定されたからと言って、すぐに『違う』とは決めたくなかった。
 眉間にしわを寄せている村長を前に、クロードは初めて自分から口を開いた。
「『光の剣』に関しては分かります。光の剣ではありませんが、確かに光を放つ武器を持っています。でも、だからといって僕が勇者であるというのは何かの間違いのような気がします」
「どうしてそんなこと言うんですか?」
 レナの震える声を耳にすると胸が痛んだが、だからと言って勇者であることを肯定するわけにはいかなかった。説得するのが、また辛かった。
「だって、本当に勇者じゃないんだ。僕にそんな力はないよ。そもそもなにが起きているのかも分からないし……。いきなり助けろって言われても……」
 レナは下を向いているが、声の調子からして、おそらく目には湖ができ始めているに違いなかった。
「……本当に知らないんですか? ソーサリーグローブのことも、異変のことも……」
「……異変?」
「この村に起きているのではありません。世界全体に異変が起きているのです」
 レジスが割って入る。クロードは視線をレナの青黝い髪からレジスの顔へ移した。
「本当にご存知ないようですな。説明いたしましょう」
 レジスは椅子から下り、杖で体を支えた。
「いまから三ヶ月前のことです……。この村から北西に位置する別の大陸に、エル王国という国があります。そのエル王国の領地の一つエルリアに巨大な隕石が落下したのです。初めはただの珍しい隕石だと騒がれていただけだったのですが……やがて異変が起こりました」
 そこまで言うと、レジスの顔は曇った。
「平和だったエル王国に突如、多くの魔物の群れが出現し、暴れ始めたのです。今までそのようなことは全くありまりせんでした。その隕石が落ちる前までは。……関連付けて考えるほうがおかしいとお思いにになりますかな」
 クロードは黙って聞いていた。
「我々は墜落した隕石を、魔の石、ソーサリーグローブと呼ぶようになりました。どう考えてもあの石がすべての厄災の元としか考えられないのですから」
 レジスは下を向き、背を向けた。
「ソーサリーグローブが突然降って来たように、あなたも突然現れた。あの石が全ての厄災の元なら、それを断ち切ることができるのは、あなたしかいない、そう思ったのです……」
「でも、僕は……」
 レジスは振り返り、クロードを見つめた。
「今、世界に異変が起きつつあります。今までになかったような群発地震……動物達の魔物化。いずれはこの村にも厄災が降りかかるでしょう」
 遠回しだが、つまり、自分にその隕石をどうにかしろ、と言いたいのだろう。
「でも……、僕は……、僕にはそんな力はないんです。厄災を引き起こすような隕石を相手にできるわけがない」
「それではあなたは、どこからやって来て、どこへ行こうというのです?」
 レジスは依然としてそこを突いてくる。そこが最大の弱点だと初めから知っているようでもある。
「……それは……、うまく説明できません。説明しても分かっていただけるかどうか……。ただ言えるのは、僕は、自分の意志ではなく、事故によってここに来たということです。そして、なんとかして本来いた場所に戻りたい……。それだけなんです」
 レジスはクロードを見つめたままである。
「漠然としていて分かりにくいですな」
「でも……、そうとしか言えません」
 クロードはうつむき、しばらく沈黙が続いた。
「そうですか……。そこまで強硬に否定しなさる以上、あなたのおっしゃることはきっと真実なのでしょう」
 その言葉に、レナが顔を上げた。
「本当に、……あなたは勇者様ではないのですな……」
「そんな……」
 レナの声は、もう声とは言えないほど小さかった。レナの思いが、クロードには感じられた。しかし、はっきりと言わなければ、自分は伝説の勇者とやらに祭り上げられ、謎の隕石のもとへ送り込まれてしまうだろう。
「すみません、結果的に期待を裏切る形になってしまって……」
 思えば、他人の期待に直接背いたのはこれが初めてかもしれなかった。
「いや、こちらが勝手に勘違いしただけです。あなたが気に病むことはありません」
「ごめんなさいね……」
 レジスとウェスタは残念そうながらもクロードの話を信じてくれたようだ。
 しかし、
「レナ!」
 ウェスタが呼び止めた時、すでにレナは立ち上がり、玄関に向かって駆け出していた。ドアが音を立てて開き、閉じた。
「しばらくそっとしておいてやってください。あなたを本当に勇者だと信じていたのでしょう……。なに、そのうち落ち着くと思います」
「レナ……」
 クロードはドアをじっと見ていた。
「クロードさん、一つお願いがあるのです。できればこの先、あまり勘違いを受けるような行動は慎んでいただきたい」
「……というと?」
「その……『光の剣』などのことです。先程ご説明した通り、ソーサリーグローブのせいで今、人々の心は不安に満ちています。そんな時、伝説と符合する人物が現れたら……。少なからず希望をいだいたとしても不思議はありません。レナのように……」
 クロードは服の上からフェイズガンを触った。
「どうせ叶わぬ望みなら、初めから持たぬ方がいい。どうか、お願いします」
「分かりました。気を付けるようにします」
 レジスは頷き、席に戻った。
「ところでクロードさん、これからどうなさるおつもりです?」
 クロードに尋ねたその口調は、最初のときとは違っていた。光りの勇者のの正体を明かそうとするのではなく、一人の旅人を思いやるものだった。
「それは……正直困っています。色々と調べて、なんとか手がかりだけでも分かれば、とは思っているんですが……」
「……それならば、この村にしばらく滞在なさってはいかがですかな? ここでも何か分かるかもしれません。なに、その間は私の家に泊まればいい」
「そんな、ご迷惑では……」
「いやいや、構いません。こちらも色々と迷惑をおかけしましたからな」
 正直なところ、今夜泊まるところはない。この家の一階はリビングとキッチンだけで、二階はレナの部屋と父母の部屋があるだけである。どうやら父親はいないようだが、ウェスタとベッドを並べるわけにはいかないし、レナとウェスタが一緒に寝るにしてもクロードがレナの部屋で寝るわけにはいかなかった。
「それでは……お言葉に甘えさせていただきます」

 翌朝、クロードは鳥のさえずりで目を覚ますという、生まれて初めての経験をした。もちろん不快なものではなく、いろいろとあった昨日の疲れも吹き飛んでいる。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 着替えて廊下へ出ると、お手伝いさんが挨拶をしてきた。
「はい。おかげさまで」
「それはようございました。村長様は下にいらっしゃいますよ」
 お手伝いさんは、立てかけてあったモップとバケツを持って、奥のバルコニーのほうへ去って行った。それを見届けてから、クロードは一階へ下りる。
「おはようございます」
「おや、ようやく起きられましたか」
 そんなに遅いのだろうか、と思いつつも、それは口に出さないでおく。
「はい。ぐっすりと眠れました」
「それは良かった」
 村長は満足そうに頷いた。
「少々遅いですが、朝食をどうぞ」
 レジスの示す先には、グランドピアノ型のテーブルがあって、そこには、パンの入ったバスケット、サラダを盛った大皿と各種飲み物が並んでいた。昨日のウェスタの料理もそうだったが、食生活が地球とほとんど同じなので助かる。連邦には昆虫を主食にする種族やミミズのような動物を生で食べる種族などもいて、気まぐれに口にしてみたこともあるのだが、とても喉を通る物ではなかった。
 パンは適度に固くて歯ごたえがよく、味も申し分無い。サラダは自家栽培の野菜を中心に作るのだという。飲み物は冷えているが、もちろん冷蔵設備などはなく、家の中を流れる小川で冷やしたものらしい。この家は小川にまたがって建っていて、川にはボートを浮かべて非常時に備えている。レナの家も同様だが、すべての家がそうなのではないという。
「ところでクロードさん」
 食事も終わり、フルーツ牛乳を飲むクロードに、村長は話し始めた。
「この村で良い話が聞けなければ、アーリアの北にあるサルバの町へ行ってみるのもよろしいでしょう。あそこは鉱山の町で、大陸中から色々な人が集まっております。何か役に立つ話が聞けるかもしれません」
 クロードがカップを置くと、心地よい衝突音がかすかに響いた。
「分かりました。色々とありがとうございます」
 ナプキンで口の周りを拭き、立ち上がって忘れ物がないか調べる。
「なに、礼には及びません。あ、そうそう。どうぞこの剣をお持ち下さい。『光の剣』は何かと目立ちますからな。……それと、疲れた時には二階のベッドで自由に休まれるといい」
 レジスが差し出した剣はどう見てもただの剣で、別段威力があるようではなかったが、贅沢は言えない。
「はい。本当にありがとうございます」
 礼を述べながら、クロードは剣を腰にくくりつける。本物の剣は持ったことがないが、ホロデッキで何度か中世欧州の物語の主人公になりきったりして遊んだことがあるから、ある程度扱い慣れていると言ってもよい。
「気を付けて行きなされ」
「はい。では」
 クロードは軽く会釈して、村長の家を出た。外はかなり明るく、太陽は思ったよりも昇っていた。雲もない。
 ふと、クロードは昨日の事を思い出した。結局、あの後レナには会わなかった。クロードのことを勇者だと信じていたのに、それを否定され、(おそらくは)泣きながら飛び出して行った少女。
「あら、クロードさん。レナはいないわよ」
 ウェスタの顔は元気だ。娘のほうはどうだろうか。レナの家を出て、とりあえず彼女を探すことにした。この先、顔を合わせる機会は二度と訪れないかもしれない。クロードには責任のないことだが、それでも、クロードはレナを傷つけてしまったことに負い目を感じていた。
「……痛っ」
 クロードは突然転んだ。歩きながら考え事をしていたからだ。なにかにつまづいたらしい。
「あなたは……。この間レナと一緒にいた……」
 その声は、教会のマーシャル神父だった。昨日レナに案内してもらって、一度会っている。人のよさそうな人物だ。村人にも頼りにされているらしい。見ると、手には箒を持っていた。
「ええ、クロードです」
 立ち上がり、軽く埃を払いながら答える。
「申し訳ない、掃除をしていまして……私も気がつかず。……大丈夫ですか?」
「ええ。気にしないでください。僕も悪いんですから……」
「そうですか。……今日はレナと一緒ではないのですね」
「あ、はい」
「あの娘も色々と不憫な娘なのです……」
 クロードを心配していた目が、さらに曇った。
「数年前に父親を亡くしてからというもの、めっきり元気がなくなってしまいました。母親が悲しむので、人前では努めて明るく振る舞ってはいますが、寂しくないはずはありません」
 クロードが思ったとおり、やはり父親はいないようだ。
「そうなんですか……。あ、レナを見ませんでしたか?」
「え? ああ、今日も神護の森へ行ったようですよ。……しかし、今日は少し元気がありませんでしたな……」
「そうですか……。ありがとうございました」
 クロードは会釈して走り出した。やはり、レナは立ち直ってはいない。クロードはレナに何かしてあげたいと思うのだが、どうすればいいのかは分からなかった。しかし、会うだけ会ってみようと思う。
 村を出て小川を越える橋のところに、若い夫婦が立っていた。昨日のレナによれば、『見ているほうが恥ずかしくなる』ほどの熱愛ぶりで、結婚してからしばらく経つのに、未だに新婚気分なのだという。
 夫婦は、橋のそばの水車を眺めている。散歩だろうか。夫のほうが走ってくるクロードに気づき、声をかけた。
「おはよう、今日は一人なんだね」
「ボヤボヤしてると、アレン君にとられちゃうわよ」
 そう言う妻のほうは、夫の腕をしっかりと抱きしめている。
「アレン君はもう何年もアタックし通しだからね。情熱的な男だよ」
 アレン君、という名前は気に留まった。昨日の案内では紹介されていない。隠していたんだろうか。
「アレン君……ですか?」
「アレン君だよ? 知らない?」
「いえ……」
 頭をかきながら答える。
「アレン君は、隣町サルバの鉱山主の息子なんだ」
「レナちゃんとは幼なじみなの。私たちみたいに、ね」
 妻は夫の体に擦り寄って腕をさらにしっかりと抱きしめる。
「で、アレン君はレナちゃんのことが好きなんだ。いっつもアプローチしてるんだけど……」
「でもレナちゃんには全然その気がないのよね。可哀想なくらい『ごめんなさい』連発なの」
「ま、いずれ諦めるかもしれないけど。君はどう思う?」
 突然話を振られたのでびっくりしたが、知らない人について『どう思う?』などと聞かれても困る。
「はぁ……」
「でも最近見ないわよね、アレン君。前は毎日といっていいほどアーリアに来てたのに……」
 クロードの反応など全く気にも留めず、妻は夫の顔を見上げながら言った。夫もその視線に合わせる。
「そういえばそうだなぁ。二週間ぐらい前から見てないなぁ。どうしたんだろう……?」
「あなたはどう思う?」
 またまた話を振られてしまったが、そろそろこの会話から抜け出さないときりがなさそうだ。
「え……さあ、そう言われても……。あ、あの、レナは森のほうへ行きましたか?」
「ええ、さっき通って行ったわ」
「でも、何か疲れているみたいだったよね」
「そうですか。どうも」
 クロードは橋を渡り、神護の森へと向かった。

 森はひんやりとしていた。すこし空気が湿っていて、植物独特の青い匂いがする。
 クロードは、昨日通った道を逆行していった。狭い道はやがてひらけ、昨日レナと出会った場所へ出る。辺りを見まわすと、ちょうどクロードが倒れていた所に、背を向けたレナが立っていた。
 ──レナは僕が倒れていた場所を知らないはずなのに、なんであそこにいるんだろう……?
 疑問に思いながら、ゆっくりと近づいていく。
「レナ……」
 足音がしたから、気づいてはいたのだろう。レナはゆっくりと振り向いた。表情は、沈んでいる。声も頼りなく思えた。
「あ……クロードさん」
「おはよう」
「おはようございます」
 懸命に明るく振る舞おうとしているようだが、昨日の爽やかで活発な少女の姿からは程遠い。クロードは、何と言ってあげればいいのか分からなかった。
「昨日はすみませんでした。勝手に大騒ぎしてしまって……」
「いいよ。自分でも『あやしい奴』だと思うし。話を聞くと勘違いされても仕方がないかなと思った」
 彼女を励ます意味もあってクロードは明るく話そうとしたが、明るくなり過ぎないように注意しないと逆効果だ。そんなことを考えた結果、発せられた声の調子は不安定になってしまった。
 レナは、黙って森のほうに向き直った。少し上を見上げている。
「……私、勇者様の話を子供の頃から聞いて育ったんです。みんなが困った時には勇者様が現れて助けてくれるって。今、いろんな所でみんなが困ってるじゃないですか。そんな時に伝承とそっくりなクロードさんを見てこの人だ! って思ったんです」
「……そうだったんだ」
 そうとしか言いようのない、これは場合だった。レナは多少明るさを取り戻した顔をクロードに向けた。
「なんとなく、ですけどね」
「ごめんね。勇者じゃなくて……」
 レナの『勇者様』に対する想いを改めて聞くと、自然と肩が落ちた。
「そんな……クロードさんは何も悪くありません。私が勝手に勘違いしただけなんですから」
「本当にごめん。僕に何かできるといいんだけど……」
 顔を上げてレナの様子をうかがう。彼女は首を横に振った。
「本当に気にしないでください。……早く元の場所に帰れるといいですね」
 レナは下を向いてしまった。クロードには、昨日の様子が思い出された。『勇者様』を連れて村を案内していた時の彼女は、本当に嬉しそうで、楽しそうだった。それが、今は……。
「すみません、少し一人にしておいてもらえますか?」
 やや震えた声で言うと、レナは顔を上げることなくクロードに背を向けた。
 クロードは、結局何もできず、それどころか自分が慰められただけに終わってしまったことに、自分自信に怒りを感じながら、静かにその場を去った。

 森を出て、新鮮な空気を吸う。本当は森の中のほうが綺麗なのだろうが、湿り気があって、クロードはあまり馴染めなかった。
 村に戻ろうと目をやると、橋のところに人が立っていた。先ほどの夫婦ではない。男で、年齢はクロードと同じくらいだろう。黙って水車を見つめている。クロードが奇妙に思ったのは、着ている服だ。クロード自身が着ているものとは違った意味で、地元の者ではない雰囲気を漂わせている。着こなしは立派なものだ。
 しかし、服装などとはまた別に、この男からは異様な気が発せられているように感じられた。
「あの……」
 いつのまにかクロードは若者に話しかけていたが、相手からは何の返事もないし、微動だにしない。あまりしつこくすると怒られそうな気がして、クロードは首を傾げながらも村に入った。

 昨日も今日も、この村では地球へ帰るのに有力な手がかりは得られなかった。しかし、まだ今日は終わっていない。今朝村長が言っていた隣町へ行けば、何かあるかもしれない。隣町サルバは鉱山の町だという。もし鉱工業が発達していれば、なんらかの機械もあるかもしれない。
 クロードはとりあえず隣町へ行ってみることにした。
「ねぇ、お兄ちゃん!」
 村を出ようとした時、男の子が声をかけてきた。紫っぽい髪の子で、たしかルシオという名前だ。
「なんだい?」
「村の外に出たらね、なるべく道の近くを歩いた方がいいよ。森はキケンなんだって」
「そうだな、ありがとう」
 狂暴化した動物が歩き回っている、という事実をクロードは思い出す。腰の剣とポケットの中のフェイズガンを確認し、村を出た。

 初めて訪れる土地で情報収集するには、人が多いところから当たるのが常套手段である。その代表的な場所といえば、酒場であろう。これは地球連邦の士官もよくやる手段だ。とくに、酒場は裏の世界に通じている者も多くやって来る。正体を隠して接近し、闇情報を手に入れるという任務もある。

 鉱山の町サルバの酒場『べらんめぇ』──
「あんた、ここいらじゃ珍しい格好をしてるよな。そんな服は初めて見たぜ」
 昼間だというのに酒場は坑夫たちでごった返している。話によると、坑道は落盤のために閉鎖されているという。
「え……ああ、はい。よく言われます」
 暇な坑夫たちは余所者のクロードに興味を示し、寄って来ては何やかやと話しかけてくる。
「うぃ~っ。……へへへ、アンタ知ってるか? 鉱山が閉鎖されてるのは落盤のせいって話になってるけどよ。実は違うんだぜ……ヒック。ホントはアレンがよ……うぃ~。あれぇ? どこまで話したっけかな?」
 中には絡んでくるものもいるのだが。
「アレン?」
 またもや登場した名前をクロードは無意識に繰り返した。しかし、絡んできた男はすでにテーブルに突っ伏して眠っている。
「鉱山主で町長のバーンズさんの一人息子さ」
 他の男が答えた。別の男が続ける。
「そう言えば、なんだか知らねえが、ガラの悪いのが町長の家に集まっていたぜ。町長の息子が雇ったらしいが……。ま、俺には全く関係のない話だがな」
 それ以上アレンの話も、他のクロードにとって有益な話も進展せず、クロードは坑夫たちが引き留めるのを振り払って酒場を出た。
「やれやれ……」
 酒くさい空気から開放され、クロードは深呼吸した。ふと横を見ると、すぐそこに岩壁があって、大きな穴が開いている。多分、鉱山の入り口だろう。少し視線をずらすと、山のふもとに立派な家が立っている。この町でおそらく一番大きな家だろう。ここが町長の家に違いない。
「……町長に話してみればなんとかなるかも」
 あまり望みはないが、有力者ならいろいろな情報に通じているかもしれない。見ると、門の前に一人の若い男が立っている。この家の者だろうか。
「あの~……ここは町長さんの家ですか?」
 家を見上げていた男は、クロードに気づいて頷いた。
「そうだよ。町長の家にはアーリアから大工が来てるんだ。改装らしいんだが、外見は何も変わってないし。一体どこを改装してるんだろうな」
 クロードは、アーリアに大工仕事で二週間も父親のいない家があったのを思い出す。しかし、家は男の言うとおり、とくに作業をしているようには見えないし、中から音がするわけでもない。首を傾げながらも、クロードは門をくぐり、短い階段を上がって扉をノックする。
 しばらくすると、禿げた男が顔を出した。この家の執事だという。
「突然で申し訳ありませんが、町長様にお会いしたいのです……取り次いでいただませんか」
 執事は片側だけ開いた扉から、クロードの全身に視線を這わせた。
「今、旦那様はご旅行中です。旦那様の留守中はアレン様が鉱山の責任者になっていますが、ご多忙のため、誰ともお会いになりません。お引き取り下さい」
 無表情のまま、執事は扉を閉めてしまった。

 結局何の手がかりもないまま、クロードはアーリアへ戻ることにした。それにしても今日はアレンという名をよく耳にする。まあ、町長の息子なら有名人にもなるだろう。しかし、その一人息子がレナに求愛しているとは……。
「あ、クロードさん!」
 気がつくと、村の入り口にウェスタと村長レジス、神父マーシャルがいた。三人とも不安げな顔をしており、とくにウェスタは居ても立ってもいられないという感じで、歩き回っている。他の村人たちも、その後ろで何やら話している。明るい話題ではなさそうだ。
「どうしたんですか、みなさん集まって……?」
「レナが……!」
「レナ……って、レナに何かあったんですか?」
「クロードさん、隣街の町長の息子のことは知っていますか?」
 レジスが尋ね、クロードは頷いた。
「はい。まぁ……少しは」
「それなら話は早い。実は……レナがアレンに無理矢理連れて行かれてしまったのです」
「連れて行かれた? どこに?」
 これは驚かずにはいられないことであった。まさか、無理矢理にでも自分のものにしようというのか。
「恐らく……自分の屋敷でしょう。ヤツはレナのことを好いておった。それにしてもこんな強引なことをする男では……」
「アレンは悪魔に魅入られたのでしょう……。恐ろしい事です」
 神父も村長も、顔には不安や苛立ちを混在させているが、半ば諦めているようにも見えた。
「何をじっとしているんです! 早く助けに行かなきゃ……!」
「話はそう簡単にいかないのです。アレンは隣町の有力者である町長の息子ですし……」
 レジスは俯き、神父が話を継いだ。
「仕返しをされる可能性もあります。まぁ、町長はそのようなことをなさる人ではありませんが……。可能性としてはゼロではありませんから」
「それにアレンは大勢の屈強な手下を連れてやってきました。恐らくそこらのゴロツキを金で雇ったのでしょう」
 レジスはため息をつく。
「皆、かなりの手練のようでした。そのような人間に我々が正面から立ち向かっても勝ち目はありません」
「だからって……!」
「ですから我々も途方に暮れていたのです。どうしたら良いものか……」
「ああ、レナ……」
 ウェスタは両手で顔を覆い、悲痛な声を漏らす。クロードは、どうにかして救う手がないか考えた……。
 ──問題は村に仕返しされる危険なんだ。その可能性は低いらしいけど……。……、でも、村に関係のない人間ならいいんじゃないだろうか。となると、そういう人物は自分しかいない。あとは屈強な男たちだが、いざとなればフェイズガンで……。
「……僕が助けに行きます」
 三人は驚いてクロードを見つめた。
「僕は村の人間ではありません。僕が乗り込んだとしても村に迷惑はかからないでしょう。なぁに、ちょっと行ってレナを助けてきますよ」
 安心させるため、少し笑って見せる。
「クロードさん……しかし、一人では……」
「大丈夫です……僕には『光の剣』がありますから」
 一人だけその事を知らない神父は少し驚いたようだが、説明をしている暇はない。
「心配しないで待っていてください」
「クロードさん……」
「レナを、レナをお願いします」
 希望を込めて言い、ウェスタは涙を拭った。
「分かっています。……必ずレナを連れ戻してきますよ」

 クロードは一目散に、サルバへ、そしてアレンの家へ向かった。家の前にできた人だかりをかき分け、クロードは扉の取っ手に手をやった。
「くそっ! 鍵がかけられている! ……こうなったら!」
 クロードは一メートルほど後ろに飛び、フェイズガンを取り出して放った。青白い光が一瞬にして取っ手を吹き飛ばした。押さえる物のなくなった扉は勝手に開く。
「よし!」
 左手で拳を握りつつ、ふとフェイズガンに目を落とすと、エネルギー残量がほとんどないことに気がついた。
 ……しまった。もうあまり使えないか。でも、やるしかないんだ!
 クロードはフェイズガンをしまい、敢然と館に突入した。
 しかし、この光景を黙って見ている者がいるはずがない。
「い、今のはなに!」
「まさか……『光の剣』なのか?」
 館の前に集まっていた人々は、突然現れた少年の行動に驚き、恐怖し、緊張とざわめきの声を高めた。

 館の中は静かだった。床は輝かんばかりに磨かれており、白い壁はよく吟味された調度品で飾られていたが、そんなものを鑑賞している余裕はない。
 奥の部屋から何事かと出てきた執事を、クロードは捕まえた。襟首をつかんで引き寄せる。もう一方の手にはレジスにもらった剣がある。
「レナをどこへつれて行った!」
 先刻屋敷から追い出した時とはうって変わって怯えた顔を懸命に横に振りながら、執事は答えた。
「わ、分かりません。このお屋敷から出られていないのだけは確かなのですが……」
 クロードはなにも言わず、手を離して手近な部屋へ入り込んだ。
 そこは、棚と机があるだけの部屋で、窓からは光が射し込んでいる。床には落ち着いた色調の絨毯が敷かれ……、その上でなにかが光った。
「あ、あれは……」
 見覚えのあるものを発見して、クロードはそれを拾い上げた。丁度手にすっぽりと収まる程度の大きさ。厚さは数ミリ程度。色は金色に近い黄色で、三日月のような形をしている。
 レナの髪飾りだ。
「なんでこんなところに……」
 言いさして、愚かな疑問だと思った。理由は一つしかないはずだ。
 もしやと思い、すばやく室内に視線を走らせたが、人影はない。が、窓のそばの妙にごてごてとした像が太陽光を反射して、クロードの気をひいた。金色に光った何かの胸像だが、周囲の質素な品々とは異なり場違いな雰囲気をかもし出している。
「レナはこの部屋に連れてこられたんだ。そして、消えた……でも」
 この家には、アーリアの大工が来ている。二週間前からだ。アレンは、二週間前から姿を見せていない、とアーリアの『新婚』夫婦が言っていた。なにか関係があるに違いない。
 確信があったわけではないが、クロードは像の前に立ち、頭の部分を両手でつかんで思い切りひねった。
 後ろで物音がし、振りかえると、棚の一つが横にスライドして背後から通路が現れた。
「やっぱり……」
 クロードは覚悟を決めて、暗い階段を降りた。

 その先は壁に石のブロックが敷き詰められた通路だった。壁には配管が走り、ランプも据え付けられていて通路を照らしている。さし当たって、目の届く範囲には作業用の一輪車が隅に一つ置いてあるだけのようだ。
「う……」
 声がしてクロードは剣を構え、もう一度辺りを見回した。一輪車の向こう側に、人影が見える。壁に寄りかかって座っているので、一輪車で隠れてしまっているのだ。
「大丈夫ですか!」
 剣をしまいながら駆け寄ったクロードが大声で呼びかけると、うつむいていた男が見上げた。べっとりとした血が額の上から流れていて、他にも体のあちこちに傷を負って服に血がにじんでいる。出血自体は止まっていて、致命傷ではないようだが、苦しそうな声でうめいた。
「……き、君は? 奥に、早く……レナちゃんが……」
「僕はレナの友達です! レナは奥にいるんですか?」
「レナちゃんは……サルバ坑道の奥に連れて行かれた。私はアレンに依頼されて、妙な祭壇を作らされていたんだ。恐らくそこに連れて行かれたのだろう……。私も助けようとしたんだが……逆にやられてしまった」
 男は咳き込み、自分の胸をさすった。しゃべることもつらいのだろう。
「この、奥なんですね?」
「そうだ。気をつけろ……アレンは、彼は何かがおかしい」
 たしかに、狂気に支配された人間にしかこのような真似はできないに違いない。
「分かりました。……ここで待っていてください。レナを助けたら迎えに来ます」
「……すまない」
 クロードに託し安心したのか、大工はまた顔を落とした。クロードは軽く体に触れて安心させ、剣を引き抜いて坑道の奥へと走り出した。
 大工のいた通路を抜けると、今度は明らかに洞窟になった。ランプは灯っているが、黒い岩肌はあまりそれを反射しない。クロードは何度か袋小路に入り込んだものの、なんとか大工の言う祭壇にたどり着いた。
 そこはひときわ明るかったが、照明には相当数の蝋燭を使用しており、絶えず明るさが変わり、影が揺れる。ここだけは壁も床も丁寧に磨かれており、オレンジ色の光をよく反射していた。部屋の入り口から奥にかけては緻密な刺繍を施した赤い絨毯が敷いてあり、その両側には教会にありそうな横に長い椅子が並べられている。絨毯の先は一段高くなっていて、大きな台が置かれていた。そして、その上にはレナが、手足に枷をはめられて横たわっていた。
「レナ!」
 クロードは駆け寄った。すると、台の向こうの影から低い男の声が放たれた。
「それ以上近づかないでもらおうか!」
 姿を現したのは、今朝方、神護の森の帰りに見かけた男だ。もしや、あのあと森に入ってレナをさらったのか。
「お前がアレンか? 自分が何をしてるのか分かってるのか? 早くレナを放すんだ!」
 クロードは必死に叫んだが、アレンは口元に不適な文を浮かべ、クロードを見下ろした。
「嫌だね。今は神聖な婚儀の最中なんだ。これから僕らは一つになる……。邪魔をしないでもらおう。さ、レナ……」
 アレンは視線を目の前に横たわるレナに移し、悪魔のような笑みを浮かべてレナの耳から首筋にかけて指を這わせた。
「イヤ! クロードさん、助けて!」
 手足を固定されたレナは、首をぶんぶん振って抵抗する。クロードは何とか助け出そうと近寄った。
「やめろ! 一方だけが望む婚儀などありえない!」
「一方だけ……? それは間違いだ。僕らは愛し合っている。愛し合ってるんだ……アイシテ……」
 アレンの声の調子が変わった。手の動きが止まる。
「アレン……!」
 レナが一層怯えた声で叫ぶ。
「アイ、シテ……!」
 この世のものとは思えぬ激痛に耐えるような表情で、アレンは首を押さえ、うめき声をあげた。その声は、人間のものではなかった。
「まず!!」
「クロードさん!」
 本能的に危険を察知して、クロードはレナの枷についた鎖を剣でたたき割った。レナを解放した瞬間、アレンの身体が赤く光り、クロードとレナはアレンから生じる何かに吹き飛ばされた。
「ウオォォッ!!」
「うわああっ!」
「いやぁっ!」
 風、と呼べるものではなかった。一種の衝撃波のようなもので二人は床に叩きつけられたのだ。
「くそぉっ!」
 クロードが床に剣を突いて立ち上がろうとした時、アレンの懐から緑色に光る石が出てきた。自ら意志を持つかのように、アレンの頭上に漂っている。緑色の光は、より強さを増した。
「うおぉぉっ!!」
 アレンは光りに包まれた。そして、次の瞬間光は消え、アレンの代わりに額に緑色の石を埋め込んだ怪物が立っていた。ぎらぎらと輝く目で、舐めるように辺りを見まわす。怪物はレナを発見すると、両手を振りまわしながら、雄たけびを上げて走り寄った。
「危ない!」
 クロードは、レナと怪物の間に入り、怪物の両手攻撃を剣で受け止めた。怪物の皮膚は驚くほど硬く、刃が当たっているはずなのに、まるで剣と剣で鍔迫り合いをしているように思えた。
「レナ! 逃げろ!」
 背後でまだ倒れているレナに叫んだ。同時に怪物の腹を蹴りつけて、レナとは反対の方向に回り込んで怪物を挑発する。
「こっちだ!」
 怪物は飢えた獣のようにクロードに襲いかかった。両手の先に生えた鋭い爪を交互に繰り出し、クロードを後退させていく。クロードは側面の壁に追いつめられた。その皮膚の硬い両手で剣を奪い取ろうとする怪物の力に対抗しながら、クロードは切り抜ける方法を考えた。おそらく、この怪物はアレンだ。どういう原理かは知らないが、たぶん額に埋め込まれた石の力で豹変したのだ。ならば、まずは石を砕いてみることだ。
 作戦を決定したクロードは、力を振り絞って怪物の腕を押し返し、祭壇のほうへ逃げた。レナは椅子の陰に隠れている。クロードはそのまま、レナが横たわっていた高さ七、八十センチの台に飛び乗り、怪物のほうを向いて剣を構えた。
「来い!」
 怪物は腕に多少の傷を負い、クロードに復讐しようと祭壇に突進してきた。そして、ちょうどクロードの足元に着く直前、クロードは自分を見上げる怪物の額に、思い切り剣を振り下ろした。それと同時に飛びあがり、怪物の攻撃をかわしつつ緑色の石を支点にして怪物の後背へ飛び降りた。
 すぐに振りかえって見ると、怪物は情けない顔とか細いうめきを上げながらクロードのほうを見ていたが、やがてうつ伏せに倒れた。それと同時に怪物は光に包まれ、人間のアレンに姿を変えた。
 クロードは肩を上下させながら、アレンを見下ろした。怪物は倒したが、アレンはどうか。しかし、その前に重要な事を思い出し、慌てて視線を椅子の一つに移す。レナは既に椅子の陰から出てきていた。遠くからアレンを見つめている。
「レナ……大丈夫かい?」
「は、はい」
 答えながら、クロードの元へやってきた。
「レナ、彼は一体?」
「……分かりません。アーリアに来た時から、なにかに取りかれているみたいでした……」
 レナは、哀れむような、悲しむような、複雑な表情でアレンを見下ろしていた。
「しかし、人間があんな姿になるなんて……。どういうことなんだ?」
「アレン……優しい人だったんです……」
 語尾が不明瞭になったのに気づき、クロードはレナの顔を覗きこんだ。鼻の辺りに手をやって、必死に衝動に耐えている様子だった。
「……レナ」
「一体、どうして……」
 やむをえない事情とは言え、レナの幼なじみを傷つけて(恐らくは殺して)しまったことに、クロードは罪悪感を感じ始めていた。もっと他に手はなかっただろうか……。
「う……うう……」
 それはレナの泣き声ではなく、足元のアレンから発せられたうめきだった。
「アレン?」
「まだ息がある……」
 クロードは立て膝ついて、軽くアレンの背中に触れた。肺は動いている。続いてレナも床に膝をつき、両の手の平をアレンのほうに向け、目を閉じた。すると、手の平より少し先の空間にかすかな光が生じ、アレンを包んだ。
 ──紋章術だ。
 クロードは、わずかな驚きとともにその様子を見守った。彼は母親から聞いた僅かな知識とホログラムによるシュミレーション映像でしか知らなかったが、レナが使ったのは確かに紋章術だった。連邦軍科学本部の調査によると、一部の文明に見られるもので、この術のおかげで住民は科学というものに頼る必要がなく、よって数千年以上の歴史を持つにもかかわらず、地球のような工業社会までには発達しないことが多いらしい。
 アレンは、目を開けた。やがてゆっくりと起きあがる。
「……ここは……ん? レナ……どうして君が?」
 首をかしげながらも、アレンは何事もなかったかのように立ちあがった。
「アレン! 元に戻ったのね!」
 アレンはきょとんとして、喜ぶレナを見つめ、辺りに視線を走らせた。
「……何のことだい? なんだか頭が痛いんだ……ボーっとする。それに、何だか長い夢を見ていたみたいだ……」
「どうやらあの石がすべての元凶だったみたいだね。石が無くなったせいで、元に戻ったんだ」
 クロードが砕け散った欠片に目を向けながら言い、アレンは不思議そうな顔で見知らぬ金髪男を見つめた。
「でも、良かった」
「とりあえず屋敷に戻ろう。話はそれからだ」

 途中でアーリアの大工ボスマンを拾い、レナの紋章術で加療してから、クロードたちは屋敷へ戻った。

「僕が、そんな事を……」
「そうよ、大変だったんだから」
 髪飾りの落ちていた部屋で椅子に腰掛けたアレンは、眉間にしわを寄せながら懸命に思い出そうとしている。
「ダメだ……思い出せないよ。僕があんな祭壇をボスマンさんに作らせていたんですよね?」
「そうなんだ。二週間ぐらい前かな? 依頼を受けたのは。今考えてみると、その時から、もうアレン君は変だった。なんだか上の空というか……」
 レナのおかげですっかり元気になった大工は、快くアレンの質問に答えている。
「おそらくあの石のせいでしょう。あの石から発せられる何らかの力によっておかしくなったんだ」
 クロードが言うと、アレンは肩を落としてため息をついた。
「確かに……そうなのかも知れない。あの石を初めて見たとき、なんだか妙に気がたかぶる気がした。『自分のすることに間違いがあるはずがない』そんな感じで心が満たされて……。そのあとのことはよく覚えていないけど、その瞬間だけははっきりと覚えてる」
「アレン……」
 遠くを見つめるようなアレンの目を、レナは悲しげに見やった。
「……レナ、すまなかった。いくら意識が無かったとはいえ、君には酷いことをしてしまった」
 レナは首を横に振った。
「ううん。いいの。元のアレンに戻ったんだし、あんまり気にしないで」
「……ありがとう」
 アレンは初めて笑顔を見せた。が、若干のかげりをクロードは見た。
「レナ、そろそろアーリアに帰ろう。お母さんも心配しているよ」
「はい」
「僕はサルバのみんなに説明をしなきゃな。分かってもらえるかは分からないけど……」

 外に出ると既に日は沈みかけていて、雲がオレンジ色に染められていた。
 道中、クロードはある事を思い出して然ポケットを探りはじめた。
「どうしたんですか……?」
「えっと……あった」
 クロードは顔をほころばせ、ポケットから手を出してレナの前に差し出した。
「これって……、私の髪飾り……?」
 レナは慌てて左手で青い髪をなで、赤面した。
「気付きませんでした」
「坑道に入る前に、あの部屋に落ちているのを見つけたんだ。だからそこに連れて行かれたのは分かったけど、他に通路はなかったし、それじゃあと思って、まあ、ほとんど勘なんだけどあの通路を見つけたんだ」
「じゃあ、コレは私の命の恩人ですね」
 レナは笑い、小さな三日月を受け取って頭に付けた。レナの髪は深い青で、髪飾りはさながら夜空に浮かぶ月を思わせた。
「……よく似合うよ」
「えっ……?」
 うっかり口に出してしまい、クロードはある種の誤解を招かないように誤魔化そうとした。頭をかきながら。
「あ、いや、その……、深い意味は無いんだ」 
 クロードは動揺していたが、レナは今までで一番嬉しそうな笑顔を閃かせて言った。
「ありがとうございます」
「……あ、うん……」
 レナはスキップして村のほうへ向かい、クロードは頭に手をやったまま、しばらくそこに立ち尽くしていた。頬が赤く染まるのを夕日のせいにして。

 村人たちの見守る中、レナとウェスタは再開を果たした。どちらかというと、ぼろぼろと泣いていたのはウェスタのほうで、レナは人前で大声で泣く母をやや恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに抱きしめていた。

 透き通った夜空に星の光が瞬いている。クロードとレナは村長の家に、報告を兼ねた夕食に招かれた。レナ救出劇──それはほとんどレナが熱狂的に語り、たぶんに尾ひれの付いたものだったが──と昨晩に匹敵する量の食事が終わると、レジスは口調を改めた。
「改めてお礼を申し上げなければなりませんな。一度ならず二度までもレナを助けていただいて……」
 レジスは深々とこうべを垂れた。
「いえ、そんな……」
 クロードは恐縮し、どうしてよいのか戸惑って、レナのほうを見た。すると、レナも黙って頭を下げていた。
「いや、そんな、二人とも、頭を上げてください……。なんだか……、恥ずかしいや」
 クロードが赤面してそう言うと、レナはくすりと笑って顔を上げた。クロードはほっとして笑い、レジスに視線を戻した。
「それにしても、結局、今回の事件は何だったのでしょうな。本当にサルバ坑道の奥で発見された石のせいなのか……」
「そうとしか考えられません。石が壊れてなくなった途端、アレン君が元に戻ったんですから。もちろん、どういう理屈で、と言われると困りますけど……」
「ううむ……」
 村長は、信じがたい、という顔で唸った。確かに科学文明の中で育ったクロードにも、石のせいでおかしくなる、というおとぎばなしみたいなことは容易に信じられるものではなかったが、逆に論理的に推理すれば、石が原因であることに間違いはないように思えるのだった。
 レジスは腕を組みながらなおも考えていたが、クロードの隣でレナが独り言のように言った。
「おかしくなって魔物になる……。まるでソーサリーグローブみたいな石ですね」
 レジスははっとした顔で、クロードはソーサリーグローブという言葉の意味を思い出しながらレナを見た。レナの視線はテーブルを射抜いていて特に誰に向かって言ったものでもないようだったが、二人に注目されたレナは自分の発言内容が重いものであったことに気づいた。
「確かに……、そうじゃな。もしかしたら何らかの関係があるやも知れん」
「ソーサリーグローブ……か」
 二人はなおもレナの顔から目を離さない。
「え、あの……ちょっとそんな気がしただけです。あまり気にしないで下さい」
 確かに、ソーサリーグローブの出現時期とあの石の発見時期には二ヶ月半の差がある。関連性は低いかもしれない。
 レジスは話題を変えた。
「しかし……、あのあとサルバでは大騒ぎだったようです。アレンのこともそうですが、勇者のことも……」
「すみません、注意されていたのに……」
 それは、『光の剣』のことだった。アレンの家の鍵をそれで吹き飛ばしたのだ。
「いや、責めているのではありません。あなたはレナを助けるために一生懸命だったのでしょう。ただ……隠すにはあまりにも広まってしまった」
「そう……ですか」
 レジスはテーブルの上を見つめながらしばらく考えたあと、驚くべきことを言った。
「クロードさん、ソーサリーグローブを調べに行ってはいただけませんか?」
「……村長様?」
 クロードもレナも目を見開いている。
「非常に身勝手な願いであることは分かっています。……ただ、やはり、あなたしかいないと思うのです。アレンのこととも無関係ではない気がします。アレンを救えたあなたならば……」
「……クロードさん」
 抑制されてはいるが明らかに期待の込められたレナの声。自分は勇者ではない。しかし、村長の言う事も一理ある。
 ──今までの話からソーサリーグローブがただの隕石とは考えにくい。……調べてみる価値はあるかもしれないな。
 それに、ひょっとするとクロードがここへ飛ばされたのも一連の事件と何か関係があるのかもしれない。
「分かりました……やってみましょう」
「それでは……!」
 村長は驚いた顔で言った。こんなにあっさり承諾してもらえるとは思っていなかったのだろう。
「あ、勘違いしないでください。前にも言いましたが、僕は勇者ではありません。世界を救えるなんて大それたことは考えていませんよ。ただ……ソーサリーグローブを調べることで僕に有益な情報が手に入るかもしれない。自分の利益とみんなの利益が一致するなら……やってみてもいいかな、そう思っただけです」
 村長は大きく頷いた。
「……ありがとうございます。クロードさん。我々もできる限りお手伝いいたします」
「はい。どこまでできるかは分かりませんが……」
 照れて頭をかくクロードのその横で、レナが改まった声で言った。
「クロードさん、私を連れていってくれませんか?」
「レナ!」
 クロードとレジスは同時に異なる色と調子を持つ声を発した。レナは一生懸命な顔色を変えずに続ける。
「今、村長様が言いましたよね。私もお手伝いしたいんです」
「でもレナ、危険だよ」
「それは分かっているつもりです。でも、私も全く役に立たない事はないと思うんです。クロードさんはこの大陸のことをよく知りませんよね? 案内役は必要だと思います。それに、私の力……、役に立ちませんか?」
「そんなことはないけど……、でも」
 レナの目は真剣で、クロードにはとても説得できそうになかった。助けを求める。
「村長様もなにか言って下さい」
 レジスはクロードとレナの顔を交互に見つめてからまぶたを下ろした。そして、しばらくしてからクロードの目を見て言った。
「いや、クロードさん。レナの望みどおり、連れて行ってやってはもらえませんか?」
「村長様……」
 レナの声には、驚きと感激が込められていた。
「レナはきっとあなたの旅のお役に立つでしょう。どうかお願いします……」
 クロードは困った。確かにレナの紋章術は役に立つ。まるで皮膚再生装置のように傷を塞いでしまうその力があれば、一人で旅をするよりもずっと安心だ。案内人としても心強い。しかしフェイズガンが使えない今、女の子を連れて危険の中に飛びこむのはためらわれた。剣一本で自分とレナを守る自信はあまり無い。だがレナの意志は固い。レジスも万が一のことは承知の上で言ったのだろう。
「分かりました」
 レジスに頷いてみせ、次に体ごとレナのほうを向いて言った。
「でも、お母さんの了解を得てからだよ、レナ。そうじゃなければ連れて行かないからね」
「はい……分かっています」
 クロードの了承を得て安心したようだったが、最後の関門をクリアする自信はうかがえなかった。
「さて……、そうと決まったら、早く寝たほうがいいじゃろう」
「はい」
 三人は席を立ち、玄関へ向かった。レジスがドアを開けると、少し冷たい風が入ってきた。
「最近はずいぶん冷え込むようになったわい。レナ、気を付けて帰るんじゃぞ」
「大丈夫ですよ。私の家はすぐそこなんだから」
 レナは軽く笑って見せ、レジスも笑顔で軽く頷くと、家の中へ入っていった。外にはクロードとレナが残った。
「迷惑でしたか? 一緒に行くって言って……」
 レナがおとなしい声で言った。固い決意を述べた先ほどの声とは異なっている。
「いや、そんなことはないよ……」
「あの、私……」
 その後にも言葉が続いたように聞こえたが、小さ過ぎてクロードの耳には届かなかった。
「え?」
 クロードが聞き返すのと同時にドアが開く音がした。レジスが出てくる。
「なんじゃ、まだ帰っておらんかったのか、レナ」
「おやすみなさい」
 そう言った時にはもう走り出していて、クロードは言葉を返す間を与えられなかった。
「どうしたんじゃ、あいつは?」
 レジスは首を傾げたが、あまり深く考えず、クロードに声をかけた。
「さあ、風邪をひくといけません。部屋に戻るとしましょう」
「はい」
 レジスが先に入り、クロードがドアを閉める直前、遠くで別のドアが閉まる音がした。

 レジスは再びテーブルに着いていて、クロードを待っているようだった。クロードはやや深刻味を帯びた声で呼ばれた。
「眠る前に、少し話をしませんか……」
「はい……」
 クロードは静かに席に座り、テーブルの上で指を組んで村長の言葉を待った。しかし、レジスはしばらく黙ったままだった。話すことが整理されていないのか、ためらっているのか、クロードには分からなかった。ようやく発せられた第一声を聞いても、解答は得られなかった。
「実は、あの子が自分から『行く』と言ったとき、正直な話、私は『ああ、やはり』と思ったのです……」
「どうしてです?」
 レジスはすぐに答えを与えない。
「レナに傷を治してもらいましたか?」
「ええ」
 クロードは頷く。化け物になったアレンに多少ながらも傷を受けた。
「あの治癒力ですが……。あれは、我々にはない力なのです」
「どういうことですか?」
 レジスの言いたいことが、よく飲み込めなかった。
「正直に言いましょう。レナはウェスタの本当の子供ではないのです」
 クロードの驚きは、表情にしか出なかった。口は開いたものの、声にはならなかったのだ。
「レナは二歳ぐらいのころ、神護の森でウェスタに拾われたのです……」
 レジスは席を立ち、窓の外を見ながら当時のことを話し始めた。

 動物の魔物化など思いもよらなかったある日、ウェスタは自分と夫の二人分の食事を作るため、森にキノコを採りに行った。しばらく行くと、どこからか聞き慣れない声がしてくる。不思議に思いながらさらに奥へ進むと、声も大きくなっていった。赤ん坊の泣き声だ。こんな森の中に、なぜ? 辺りを見まわすと、森の中でも比較的大きな木の根元で一人の青黝あおぐろい髪の女の子がわんわんと泣いていた。ウェスタは慌てて駆け寄り、涙を拭いてやり、なんとか泣きやませて名前を尋ねた。どうしてここに居るのかも……。

「ウェスタがあの子を連れてきた時には、私もずいぶん驚きました」
 レジスは腰をさすりながら席に戻った。
「子供に恵まれない夫婦だったせいかも知れません。ウェスタがあの子を自分の家で育てると言ったとき、誰も止めるものはおりませんでした……」
 なぜとはなく、クロードは唾を飲み込んだ。
「レナは……、知っているんですか?」
「いえ、教えてはいません。知らせるには、まだ早いと思いましてな……。当時、あの子は既に言葉を話せましたから『レナ』という名前だけは分かったのですが……。一体どこから来たのか……なぜ回復の力を持っているのか? そのようなことはなにも分からずじまいでした」
「手がかりはなにもないんですか?」
 レジスは一瞬ためらったように見えた。
「付けていたペンダントが唯一の品ではあるのですが、それも決定的な手がかりでは……。他には何も……」
「そうなんですか……」
 しばらく沈黙が続いた。それを破ったのは、この家のお手伝いさんだった。
「村長様、今日はこれで失礼します」
「ああ、ご苦労さんじゃった」
「おやすみなさいませ」
 お手伝いさんを見送って、レジスは掛時計を見た。
「もうこんな時間ですか……長々とつき合わせてしまい、申し訳ありませんでした。二階に床を用意してありますので……」
 クロードとレジスは階段を上がった。
「レナのこと、よろしくお願いします」
「分かりました」
 昨晩と同じ二階の部屋だが、シーツなどは取り替えられていた。レジスが去ったあと、弾力の効いたベッドの上に寝転がり、クロードはレナについて考え始めた。
「まさか、なぁ……」
 レナとウェスタの関係を見る限り、とても信じがたいことだった。だが、考えてみると思い当たる節がないでもない。レナの髪もウェスタの髪も程度に差こそあれ、青系統であることに違いはない。だが、レナの耳は先が尖っていて童話かなにかに出てくる妖精のようだ。ウェスタやレジスたちの耳の先は地球人と同じく総じて丸い。サルバでも耳の尖った人には会わなかった。
「宇宙人……てことは無いよな……」
 可能性は皆無ではなくても、かなりゼロに近い。いったいどこの親が未開惑星に子供を置いて行くだろう。
「それとも……捨てられたのかな……」
 最も可能性の高い話だが、そうだとすればレナにとってはつらい話になるだろう。しかし、大昔の地球でも行われたように、身体に異常のある子供は捨てられたり、世間から隠されたりすることがある。レナも、耳が尖っているのが理由で捨てられたのかもしれない。
 ──でも、ウェスタさんはそんなレナを自分の子供にしようとしたんじゃないか。
 ばかばかしい。クロードは考えるのをやめ、一旦ベッドから降りて上着を脱ごうとした。
 そのとき、どこかから物音がした。ガラスに何かが当たったような音だった。
 自分の居る部屋ではない。廊下に出てみる。
「バルコニーのほうかな?」
 廊下の奥にバルコニーはある。反対側には窓はない。
 バルコニーには月明かりが射していてほのかに明るかった。クロードは扉を開け、床面を見渡す。丸くて小さな石が一つ落ちていた。それを拾い上げ、どこから飛んで来たものかと下を見下ろした。
「レナ? どうしたの?」
 川のほとりにレナが立っていた。クロードを見上げている。
「少し、お話しがしたいんです。ちょっと降りてきていただけませんか?」
 明日のことだろうか。わざわざ話しに来たということは行けなくなったのかもしれない。が、とにかく話を聞いてみなければ分からない。
「今、行くよ」
「すみません」
 クロードは石をポケットにしまい、一階へ降り、村長に一言断りを入れようとしたが、レジスの姿は見えなかった。首をかしげつつ、ドアを押し開く。冷たい風が入ってくる。
「……レナ?」
 さっき立っていた場所には居なかった。辺りを見まわしても見当たらない。
 ──家……かな?
 クロードは川伝いにレナの家の方へ歩いて行った。家の向こうには、石橋がかかっている。
 橋の上に人影があった。その人物の頭上で何かがきらめいた。
「レナ……」
 きらめいたのは髪飾りに違いない。クロードはレナの家を迂回して、橋のほうへと向かった。

10

「こんな所にいたのか……」
橋の上から川を見下ろしていたレナは、ゆっくりとこちらを向いた。クロードだと確認して少し笑みを浮かべる。
「どうしたんだい? こんな夜更けに……」
 言いながら、クロードはレナの横に並んだ。
「私が『行く』って言ったら、お母さんすごく驚いてました……」
「そうだろうね。……ダメだって?」
 レナは即答せず、また小さな流れを見た。
「何も言いませんでした。でも、しばらくしたら、村長様が来て……」
「そう……」
 レナはどうしてもこちらを向いてくれないので、クロードも川を見下ろしてみた。よく透き通っていて、月と星の明かりだけでも底の様子がよくわかる。
「クロードさん、私……、あなたと一緒に行きたいのには、理由があるんです」
「理由……? どういうことだい?」
 考えていたよりも深い理由があるらしかった。とはいえ、クロードに初めから思い当たる節があったわけではない。
「私のお母さん、本当のお母さんじゃないんです」
 レナは声の調子を変えずに、ごくさりげなく言った。もしクロードが事前にそのことを知らなかったらどう反応しただろう。いま比較的平静にしていられるのは好ましいことかもしれなかった。
 しかし、村長の話によればレナは知らないはずではなかったのか。
「お母さんも村長様も、私が知らないと思ってるみたいですけど、前に二人が話しているのを聞いたことがあるから……」
 表情も声の色も全く変えないまま、彼女は話している。
「あれは、父が亡くなった日でした」
 レナは語り始めた。

 葬儀が行われたその日の夕方、レナはベッドから起き上がった。眠る前のことはよく覚えていない。たぶん、ずっと泣いていたんだろう。シーツが少し湿っていた。
「お父さん……」
 机の上に置かれた、一枚の写真。それは、つい先日、神護の森の前で撮ってもらったものだ。森を背に、レナと、母と、父が笑っている。強くて、優しくて、逞しくて、思いやりがあって……。村のみんなに頼られていた父を、彼女は誇りに思っていた。
 『レナが神護の森で怪我をした』という村の子供の話を聞いた父は、ただ転んでかすり傷を負っただけなのに、仕事を放り出して駆け付けてくれた。そういえば、あんなことも……。
「では、私はどうすればいいと言うんですか!?」
 突然、大きな声が下から響いてきた。母の声だ。慌てて部屋を飛び出す。廊下へ出、階段の手すりを握ったとき。
「そんな大声を出して、レナに聞かれたらどうするんじゃ?」
 ──え?
 下を覗くと、ウェスタとレジスがテーブルについていた。ウェスタは背を向けていて顔までは見えないが、多分泣いていた。
「あの子なら父親の死にショックを受けて、泣き疲れて寝ています!」
「ショックを受けているのはお前さんも同じじゃ。母親のお前が落ちつかんでどうする」
「落ち着いてなんかいられません! だってあの人が死んでしまったんですよ!」
「ウェスタ!」
 レジスは立ちあがり、自分を落ち着けようと視線を逸らし、階段のほうを見た。レナは慌てて身を隠した。
「……あの人がいなければ、私は、私は……一人で言わなければならないんですよ!」
 ウェスタは涙声で、一言一言、途切れ途切れに言う。
「あの子に、……『あなたは本当の子供じゃない』って!」
 多分、村長がこちらを覗いたときに退いていなかったら、そのまま前めりに倒れていたかもしれない。レナは危ういところで自分の体を支えた。窓から射しこむ月の光が、レナの胸のペンダントを光らせていた……。

「本当のお母さんを探したいのかい?」
 レナの横顔を見ながら言う。尖った耳がよく見えた。
「分かりません……。手がかりは、このペンダントだけですし……」
 服の中から取り出されたペンダントが月の光を反射した。レナはそれをそっと握っている。
「でも、このペンダントを持たせてくれたということは……、私を産んでくれた人は、少なくとも私を愛してくれていたと思うんです」
「今のお母さんはどうなるんだい? 君を愛して慈しみ、育ててくれた、ウェスタお母さんの気持ちは……」
 クロードは言ったことを後悔した。聞いてはいけない事だと思った。ただウェスタのことが頭に浮かんで、そのまま口から出てしまった。レナがそのことを考えていないはずはないのに。
 レナは、クロードの蒼い目に向かって言った。
「私……お母さんのこと、大好き。私のお母さんはたった一人、ウェスタお母さんだけです……」
「だったら、なぜ……?」
「私が何者なのか……それが知りたいんです。どこで生まれ、どうして神護の森にいたのか。なぜ不思議な力を持っているのか……」
 レナは視線を逸らし、また川へと向けた。二十センチほどの魚が泳ぎながら眠っている。
「そして、私を産んでくれた人はどうしているのか。それを知りたいんです……」
 ペンダントは、服の中に戻された。レナはクロードのほうを向く。
「私はあなたと行きます。ここを離れるためではなく……再び戻ってくるために」
 空を見上げたレナは、クロードが返事をする前にそれまでよりも明るい調子で言った。
「もう夜も遅いですね。変な話をしてすみませんでした」
「いや……」
「おやすみなさい」
 ぺこん、とお辞儀をして、レナは家の方へ走って行った。それを見届けると、クロードは橋の手すりに頬杖をついて眠っている魚を見下ろした。
「ふぅ……」
 レナの旅の理由は分かった。父親の死と拾い子の事実、二つの壁を打ち破り、しかし常にその破片を抱えながら、レナは生きてきた。逃げることなく……。この先、どんなにつらいことがあっても、彼女は乗り越えていけるだろう。だが、自分はどうだろうか。偉大なる父、ロニキス・J・ケニーから逃げてばかりだった。無論、初めからではない。いつしか、彼は父を避けるようになっていた。同じ船に乗ることになり、しかも副官に任命されたとき、彼はイヤでイヤでたまらなかった。
 また周りから何か言われるんだ、と。
 ──『知ってるか?』『なにを?』『今度のロニキス提督の副官』『いいや』『……提督の息子だってよ』『何だって?』『何だってもくそもあるかよ』『こいつは驚いたな』『しかも、提督直々のご沙汰だ』『本当か……?』『間違いないね。何しろ、副官候補者リストを作ったのは俺だぜ。その中にクロード・C・ケニーなんて名はなかったはずだがな』『そうか……あの人が息子に甘いっていう噂は聞いていたが……これは、もう、親ばかどころの話じゃないな』『まったくだ。全く、輝かしい英雄も息子のこととなると……』『しかし、その息子はこの艦に乗るんだろう? 言葉に気をつけないとな……階級は? 中佐か? 少佐か?』『……ばーか。まだ19だぞ。ついこの間少尉になったばかりだ』『少尉だって? 俺たちより下か!』『ああ。だが、それはあくまでも客観的な見方だ。見ようによっちゃ提督の腹心。ナンバー2だからな……』『ああ……肝に銘じておくよ……』
 ──やめてくれ!
 ──なんで、みんな僕のことを『提督の息子』としか見てくれないんだ!
 ──僕はクロードだ!父さんとは違うんだ!
 ──『じゃあ、お前は何ができるんだ?』
 ──え?
 ──『ロニキス提督には無い何かを持っているのか?』
 ──それは……
 ──『無いのか?』
 ──それは……
 ──『無いんだな?』
 ──違う!
 ──『じゃあ、見せてみろ』
 ──違う……それは……。それは、これから作るんだ! これから、いろいろ経験を積んで、それでうんと立派な士官になるんだ!
 ──『父親と同じになりたいのか?』
 ──違う!
 ──『じゃあ、お前の父親は立派な士官ではないのか?』
 ──違う……父さんは、父さんは、立派な士官だ……宇宙一……
 ──『お前が目指すものとは違うのか?』
 ──……違わない。でも、僕は、僕はそんなんじゃない! 立派な士官にはなるけど、父さんみたいにはなりたくないんだ!
 ──『父さん、とはなんだ?』

「うわっ」
 突然、目の前を大きな鳥がかすめていった。夜行性の鳥だろう。脚には魚を捕らえている。驚いたはずみで、クロードは橋の上にしりもちを着いた。そのときポケットから何かが落ちて、クロードは無意識に手を伸ばした。
「通信機か……」
 拾い上げて耳に当ててみるが、何の反応も無い。通信不可能領域にいることを示す赤いランプが点滅している。クロードはそれを内ポケットにしまった。連邦の通信機はその大きさによらず、かなり長い間パワーが持つようになっている。そのおかげで、百年前に墜落した宇宙船が発見され、乗員クルーが調査した惑星の貴重なデータが得られたこともあった。もちろん、クルーは一人残らず死んでいたが。
 しっかりとポケットを閉め、クロードは空を見上げた。大きく円い月が、夜空を照らしていた。

11

 翌朝、レナの家のドアをノックすると、まもなくウェスタが現れた。
「あら、おはようございます、クロードさん」
 にっこりと微笑む。
「おはようございます。レナは居ますか?」
「ええ。あの子ったら、自分で行くって言ったくせになかなか出てこないんですよ。ご飯も食べたし、着替えもしたのにねぇ」
 ウェスタは大きく頷いてからそう言い、後ろを振りかえって叫んだ。
「レナ! クロードさん、来てるわよ!」
 クロードも玄関から階段のほうを覗いてみるが、返事も無いし、出ても来ない。
「おかしいわね。ま、とりあえず上がってくださいな。二人で一緒に出て行ってもらわないと、こっちが困りますから」
「は?」
「え!? いえ、こっちの話です……。では、ごゆっくり~」
 あからさまに慌てた顔をして、ウェスタは出ていってしまった。
「レナ……?」
 どうしても返事が無いので、クロードはやむをえず二階へ上がった。部屋の前まで行くとドアは開いていて、レナは机に座って何かを見つめていた。
 そっと覗くとそれは写真で、やや色褪せてはいたが写っているのはまだ幼いレナとウェスタ、そして……?
「やだ、クロードさん。いつからいたんですか?」
「ついさっきだけど……」
 そっと入ったつもりなのに気づかれて、クロードは何だか焦った。
「そうですか……」
 レナは椅子に座ったまま、左手に写真立てを持ってクロードのほうをを向いている。クロードは写真立ての裏を見つめながら尋ねた。
「何してたんだい?」
 その視線に気づいたレナは、少しだけ寂しげな表情になってから言った。
「いえ、ちょっと、お父さんのことを思い出していたんです」
「あ、じゃあ、その人はレナのお父さんなんだ……」
「ええ……」
 おおかた、父親に別れを告げていたのだろう。それでなかなか出てこなかったのだ。
「優しい父でした。ある時なんか、私が転んですりむいただけなのに仕事を放り出して駆け付けてくれたんですよ。『いい』って言うのに、どうしても『おぶってやるから』って言って聞きませんでした……」
 レナは少し笑って見せた。あまり無理をしているようには見えなかった。もう、克服したのだろう。
「クロードさんは……、クロードさんのお父さんはどんな人なんですか?」
「親父……? 親父は立派な人さ。周りの人からも認められて……」
「へぇ、うらやましいな。そんな素敵なお父さんがいて。クロードさんの自慢ですね」
「そう……偉大な父だよ……。偉大すぎるくらいに……」
 憂鬱そうに言ったクロードを、レナは不思議そうに見ていた。

 ──二日前、戦艦カルナスブリッジ
「提督、ミロキニアの周回軌道に入りました」
 ブリッジ前方部に座る操舵員パイロットが告げた。ミロニキアは今回の調査目標で、本格的な調査が行われるのは初めてのことである。
「よし、惑星上をスキャンしてみてくれ」
 中央の、格調高い椅子に腰を下ろしたロニキスが指示を下すと、オペレーターたちがコンピューターコンソールをいじり始める。クロードはロニキスの右前方に立って、目の前に映った赤茶けた星を見つめていた。
「惑星の大きさはMサイズ。大気はEタイプで呼吸可能です。クロムを中心とした鉱物資源に恵まれているようですね。生命反応はありますが、知的生命体が存在する形跡はありません」
「異状なしということだな。データは宇宙地図に追加しておいてくれ」
 組んだ手を足の上に乗せ、大きく頷きながらロニキスは言った。彼の後ろには、カーツマンというロニキスの相談役のような人物が立っている。単なる相談役ではなく、ロニキスの戦友でもある。クロードも幼い頃から知っていて、この艦の中で数少ない心から信頼できる人物だ。
「パイロット、コースを次の惑星へセットしろ。速度は……」
「お待ち下さい、提督。惑星のある地点に、スキャンを受け付けない場所があります」
 オペレーターの一人が叫んだ。そのそばにいた白い制服の士官が、ディスプレイを覗きこむ。
「どういうことだ?」
 興味を惹かれたのか、ロニキスは席を離れ、そのオペレーターのほうへ向かった。オペレーターは自然と場所を空け、白い士官も首を引っ込める。
「エネルギーフィールド……だと。なぜ、こんな所に?」
 そんなことは誰にも分からないので、誰も答えない。ロニキスはもう一人のオペレーターに向かって言った。
「このフィールドの正体は分かるか?」
「では、データベースにアクセスして照合してみます」
 オペレーターは手際良くコンピューターを操作した。コンピュータの音声が回答する。
『入力されたデータに該当する記録はありません』
「ノーデーターか……」
 全員の視線が、ロニキスに集中した。指示を仰ぐためだ。ロニキスはしばらく考えて、『いい事を思いついた』と言わんばかりの表情で言った。
「よし。ミロキニアに降下し、直接フィールドを調べてみる。降下のための準備を急げ!」
「了解」
 適当な降下地点の算定、降下メンバーの呼び出し、などに各員が取りかかろうとしたとき、ロニキスはクロードのほうを向いていた。
「クロード少尉、君も降下隊のメンバーに任命する」
 クルーたちの手が一瞬止まる。クロードだけがその空気を意識しながら、丁重に言った。
「お言葉ですが、提督。私の任務は提督の補佐であり、惑星調査ではありません」
「私もミロキニアに降りるつもりだ。だから、貴官にも同行してもらう」
 全員が作業の手を止め、再びロニキスに注目した。彼らの声の一部をクロードが代弁する。
「そんな! 提督の身にもしものことがあったら、どうするのです?」
「未知のものを発見し、その謎を解明する。とても素晴らしいことではないか。貴官は、戦場に出られなくなった老人の、最後の楽しみまで奪い取ろうというのか?」
「ですが……、いえ、了解しました」
 これ以上、この環境の中で論議を続けたくはなかった。第一、ロニキスは未知の惑星や文明を前にして、調査班を送りこんでのんびりと待っていられるようなタイプの人間ではない。それはクロードが一番よく知っていた。
 ロニキスは軽く頷き、カーツマンに向かって言った。
「あとは、まかせたぞ」
「くれぐれも気をつけてな」
「よし、準備を急げよ」
 ロニキスはクルーの何人かに声をかけ、ブリッジを後にした。クロードは軽くため息をついてから、その後を追った。
 転送室へ向かう通路では、何人かのクルーとすれ違った。三名ほどの士官の集団が通りすぎた後、クロードは後ろのほうで交わされる会話を耳にした。
「何でクロードの奴まで、行く必要があるんだ?」
「さあな。おおかた、手柄を全部息子の物にでもするつもりなんじゃねぇか?」
「チッ! さすがに、提督の息子は違うね……」
「最近は、レゾニア軍との戦争もあまり起こらないからな。手柄を立てることすらできやしない。それだってのに……」
「仕方ないさ。あのロニキス提督も、息子には甘いってことだろ?」

「どうかしたんですか?」
 不意にレナの声が耳に入った。つい回想にふけってしまったらしい。クロードは慌てて答えた。
「い、いや……、なんでもない」
「クロードさん、なんか変ですよ。大丈夫?」
 レナは心配そうにクロードの顔を覗きこんだ。他人にはあまり知られたくないので、クロードはなんとか誤魔化そうとする。
「大丈夫だって。あ、それにしても、レナは偉いな~」
「は?」
「お父さんが亡くなって大変なのに、そんな素振りを全然見せないし……」
「そんなことないです。あの時はずいぶん泣きましたけど」
 かなり強引な話題の転換だったが、レナはあまり気にしていないようだった。クロードはほっとする。
「私、すごいショックで、神護の森に行っては一人でこっそり泣いていたんです。そしたら、ある日幼なじみの男の子がやって来て、私にアメを差し出しながらこう言ってくれたんです」
 レナは左手に持った写真を覗きこんだ。
「泣くなよ、泣いたら涙がもったいないだろ。だから、僕と一緒に笑おうよって……」
「へ~」
 なかなかマセた子供がいたもんだ、とクロードは思った。
「私、すごく嬉しかった……」
「それで……その人は今どうしてるの?」
「……分からないんです……」
 レナは視線を窓の外へ移した。クロードからは後頭部しか見えない。
「それから何年かして、ある事件がきっかけになって、村を出て行ってしまったんです」
「そうなんだ……」
「今度は、私が彼を元気付けてあげなきゃいけなかったのに……」
 レナは下を向いたが、すぐに椅子を降りて、写真を机の上に立てながら言った。
「ごめんなさい。おかしなことを言って……」
「いや、僕の方こそ。あまり聞いて欲しくはなかったんじゃない?」
「いいえ。そんなことありませんよ」
 レナは笑った。
「さぁ、そろそろ行きましょう。ソーサリーグローブを調べに」
「うん。……写真は置いて行くのかい?」
「……ええ。お父さんにはお母さんを守ってもらわないといけませんから」

 外に出ると、辺りは静かだった。不思議に思いながらも、二人は村の門へと歩いて行った。すると、そこには村人全員が集まって、二人の登場を待ち構えていた。二人を見つけて、村人は一斉に騒ぎ出す。拍手をする者、鍋ややかんを叩き鳴らす者、口笛を吹く者……。二人はそろって赤面した。
 クロードは思った。ウェスタさんが言っていたのはこういうことだったのか。
「レナ! これ、持って行って!」
 一人の女の子が、袋を差し出した。
「これは?」
 言いながら開けてみると、中にはバラの花びらがいっぱい詰まっていた。
「ローズヒップよ。大した物じゃないけど、ね」
「ありがとう」
 レナはキュッと紐を締めて、腰にくくりつけた。
「レナお姉ちゃん!」
 高くて可愛らしい声が響き、大工ボスマンの息子と娘がレナの元へやって来た。
「これ」
 妹のほうが、先ほどと同じような袋を差し出した。中身は、イチゴジャムのビンだった。
「私が作ったの」
「ぼ、僕も手伝ったんだよ!」
 兄のほうも一生懸命宣伝する。
「うん。ありがとう」
 レナはにっこりと微笑んで、それを荷物用の袋の中に入れた。その横では、ボスマン自身がクロードの手を握り締めている。
「改めてお礼を言うよ。そして、レナちゃんをよろしくな」
「はい」
 クロードたちは、ゆっくりと村人たちが作る通路を歩いて行った。一歩歩くごとに、様々な餞別の品を受け取って。
「彼氏」
 そう声をかけたのは、『新婚』夫婦の妻だった。
「レナちゃんを幸せにしてあげるのよ」
「えっ? ……それって何か勘違いじゃ……」
「あら、何言ってるのよ。狂暴な魔物に襲われた少女を身を挺して助ける少年。二人の間にはやがて恋が芽生え……ね?」
 妻は片目をつぶって見せた。
「え、いや、僕はそんなつもりじゃ……」
 クロードはどうして良いのか分からず、顔を真っ赤にして何か言おうとした。それを見て、妻はくすくすと笑った。
「いやね。しっかりしなさいよ」
「で、でも……」
「クロードさん」
 助け舟が現れた。ウェスタである。その声にレナも気づいて寄って来た。人間通路の一番端である。
「レナのこと、よろしくお願いします」
 ウェスタは深々と頭を下げた。クロードは力強く答える。
「はい」
 頭を上げたウェスタは、レナのほうに視線を移した。
「レナ……」
「お母さん、心配しないで。私は必ず戻ってくるから。『ただいま』を言うために、『いってきます』を言うの」
「ええ、そうね……」
 ウェスタはその目に涙を溢れさせた。
「レナおねぇちゃん、早く帰ってきてね」
 ウェスタの後ろから、紫の髪の男の子が飛び出した。両手をお腹の前ですり合わせながら恥ずかしそうにしている。何も持ってこなかったので出てきにくかったのだろう。レナは左手に餞別を抱え、笑顔で右手を差し出した。
「ありがとう、ルシオ。いい子にしてるのよ」
「うん」
 ルシオは嬉しそうにレナの手をとった。
「ほら、クロードさんが、待ちくたびれておるぞ。早めにクロスに着いておきたいんじゃろ? もう行かないとな」
 ウェスタと並んでいた村長レジスが言った。
「クロス城のクロス王に会えばいいんですよね」
 クロードが確認する。
「そうです。私の紹介状を見せれば信用してもらえるでしょう。最新の情報も手に入ると思います」
 レジスは懐から紹介状を取り出してクロードに渡した。その様子を見ながらレナが言う。
「大丈夫。クロスの王様なら私も知ってますから」
「行こう、レナ」
 クロードは紹介状を通信機とは反対側の内ポケットにしまいながら言った。レナは頷いて、もう一度母親の顔を見た。
「いってきます、お母さん」
「いってらっしゃい、レナ……」
「クロードさん、よろしくお願いします」
「はい」
 クロードは体ごと頷き、レナと笑顔を交わして旅立った。村人たちの声援を背に聞きながら。