■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第二章 巡る災厄

 辺りには青白い閃光が飛び交っていた。ときどきビッと強い音を立て、破裂したような音が後に続く。
 閃光に照らされた男は、濃い髭を蓄えていた。絶望し蒼白になった顔に、後悔の色が混じっていた。
「提督!」
 男の背後から、幾人かが駆け足でやってきた。男の前に広がる異様な光景に、言葉を失う。
 そこは、荒涼とした無人惑星ミロキニアに文明が存在したことを示す人工的なドームの中の、小高い丘のようになった場所。ドームの外と中とに依らず、この星の大地は赤茶けた大地に覆われている。
 その丘の上には、何らかの装置が置かれていたはずだった。ほんの十秒も前には、たしかにそうであった。だが、今そこにあるのは、直径四メートルほどの穴と、装置の残骸。なくなったものは、装置の本体と、いくらかの赤土、そして、彼らの同僚たる一少年の姿だった。
「……これは、一体……?」
 駆けてきたうちの一人が言った。「提督」と呼ばれた男は身じろぎもせず、提督とともに自体の推移を見ていた女性が事情を説明した。
「提督?」
 男が急に立ち上がり、他の者たちの注意を引いた。男は何も言わなかったが、量の拳を強く握りしめたまま穴の底を見ているようであった。
「提督、ご心中はお察ししますが、ここは危険です。一旦船へ戻った方がよろしいかと思います」
 男はなおも答えず、じっと立ちつくしていた。やむを得ず部下たちは、上官の返事を待つ間、穴の周囲を探査スキャンすることにした。
「これは……時空の歪みか。一定の周期で大きさが変化しているな」
「はい。もしも歪みが亀裂へと発展すれば、大変なことになります」
「そうだな。提督、やはり一旦帰艦の許可を。少尉の事は後刻、調査チームを派遣して調べさせましょう」
 提督は、押し殺した声で「わかった」といい、一人でドームの出入り口へと歩き始めた。

 サルバという町は切り立った岩壁に東西を挟まれており、たまたまそこに鉱山が発見されたので人が集まってきたところである。歴史はアーリアよりも短い。しかし広くもない谷を埋め尽くすほどには発展しているので、この町を通らなければアーリアからクロス城へは行けない。
「……下を向いちゃダメだよ。怪しまれる」
「でも……」
 クロードとレナは、サルバの人たちに見つからぬようにこっそり歩いていた。クロードはフェイズガンを使ったところを目撃されているし、レナもアレンに連れ去られるところを見られている。見つかると面倒だ。
 アレンの事件が解決して鉱山も採掘が再開され、町に活気が戻ってきていた。一輪車を転がして坑道を出入りする坑夫、鉱石の交易商、露店売り。様々な声、音が交じり合って、独特の雰囲気を作り上げている。
「サルバ特産の美しい宝石はいかがですか~!」
「サルバ名物『光の勇者まんじゅう』はどうだい!」
 つい昨日の出来事が、なぜか名物になっていることにクロードは呆れた。しかし、既に勇者の話は広まってしまったらしい。
 ──でも、人通りも多いからあまり目立たないかもしれないな。
 そう思ったときだった。
「やあ、レナ」
 聞き覚えのある声に二人は立ち止まった。埃っぽい空気の中で、ひとり優雅な雰囲気を発している。アレンである。まさか逃げるわけにもいかないので、二人はしかたなく顔を向けた。ぎこちない笑顔を見せる。アレンは商人と立ち話をしていたらしい。
「では、また後日伺います」
「よろしく」
 アレンは商人と別れ、こちらに歩いてきた。
「昨日は本当にすまなかった」
「いいのよ。それにしても、もう町が元どおりになったみたいね」
「そうなんだ。ウワサが拡まるのは早いね。鉱山が再開されたと知ってあちこちから商人が集まってきたんだ」
「ウワサ……か」
「どうかしたのかい? クロード」
「あ、いや、こっちの話」
 アレンはあまり気に留めず、話を続けた。勇者の話を耳にしていないのだろうか。
「ところで、これからどこへ? やっぱりクロス城?」
「そうよ」
「そうか。じゃあ、ウチへおいでよ。お昼をご馳走しよう。もうすぐ一時だしね。それとも、もう何か食べた?」
 自分の家の壁に埋め込まれた、大きな時計を見上げてアレンは言った。クロードにとってありがたいことに、この星の時間は地球とほとんど一緒で、二十四時間で計る。
「まだだけど……」
 できることなら早くこの町を出たいのだが……。
「じゃあ、きまりだ!」
 アレンは嬉々として、古い友人と新しい友人を館に連れて行った。

 館内の豪華な食堂で比較的普通の昼食をとって、雑談のあとにデザートも貰い、およそ三時間後に二人はサルバを後にした。午後四時である。
「すっかり遅くなっちゃったね」
 クロードはオレンジ色の夕焼けを見上げている。なんだか久しぶりに見るような気がした。
「そうですね。でも、まだなんとか間に合いますよ。あと……五時間ぐらいです」
「……そんなにかかるの?」
 地表をひたすら五時間も歩くというのは、想像を絶する行為だった。
「ええ。でも、ほら、アレンの家でお弁当を貰いましたから、夕食も大丈夫です」
 レナはバッグから包みを取り出して見せた。しかし、クロードとしては論点がずれているような気がした。

 だが、クロス城への到着は予定よりもかなり遅れてしまった。なにより、狂暴化した魔物があちこちから襲ってくるので、それを退治するのに時間を取られてしまったのだ。さらに、戦闘で体力を消耗するから、自然と足取りも鈍くなる。
 クロス城下へたどり着いたとき、あたりは闇に包まれ、中央広場の時計は零時を少し回っていた。所々から人工の灯かりが漏れてくる。
「思ったより、遅くなっちゃったな……」
 二人は辺りを見回した。
「誰もいませんね」
「お城も閉まっているようだし」
 広場の奥に大きな木の扉が見えた。その奥の闇の中に、城らしき建物がかすかに見える。
「今日は宿屋に泊まって、明日行ってみましょう」
「そうしよう」
 レナは知っている宿があると言って、クロードを先導した。
 それはなかなか立派な外観を有する建物で、真っ白な壁と赤い屋根を持っていた。ほとんどの部屋から灯かりが覗いている。二人は、中央の入口から足を踏み入れた。
「あらま、レナちゃんじゃないの。久しぶり」
 奥のカウンターの赤い髪の女性が言った。レナは笑顔をつくってカウンターのほうへ行き、クロードもそれに従った。
「お久しぶりです。おばさんは元気ですか?」
「ええ。おかげさまで」
 『おばさん』と呼ばれた人物は、ゆっくりと頷いてから、クロードを見てにやついた。
「あらら。ウェスタも大変ね。彼氏?」
「ちっ、違います!」
 レナは耳の先まで真っ赤にしながらも、断固として言った。
「そんなに力強く否定しなくてもなあ……」
「えっ?」
 ぽつりと言ったクロードの声に、レナは驚いたように振り向いた。
「いや、別に……」
 大した意味があったわけではない。今しがた出会ったばかりというわけでもないのに、と思っただけである。
「ちょうどよかったわ」
 二人はおばさんの顔を見た。何やら嬉しそうににやにやしている。
「いい部屋が一つ空いてるのよ。特別に今日だけ、タダで泊めてあげるわ」
「いいんですか?」
 レナはカウンターに身を乗り出す。
「可愛い姪の、素敵な一夜のためだものね」
 おばさんはクロードを見ながら、右目でウィンクして見せた。レナはさっきよりもいっそう強く否定した。
「だから全然関係ないんですってば!」
 おばさんは何も言わず、にたにたしながら後ろを向いてキーを探し始めた。
「本当に、全然なんでもないんですからねっ!」
「はいはい」
「全然、ね……」
 クロードはなんとなく悲しくなった。
 おばさんはキーを取り上げてカウンターを出ると、クロードに向かって言った。
「じゃ、ご案内します。えっと……?」
「クロードです」
「クロードさん、ね。私はウェスタの姉のレイチェル。こちらへどうぞ」
「はぁ、どうも……」
 レイチェルは赤く膨れたレナを無視して、部屋のほうへ歩いて行った。
「もうっ!」
 レナは後を追い、クロードは最後についていった。
 『王国ホテル』という名に恥じない高級な内装で、ロビーに置かれた椅子やテーブルには細かな植物の模様が彫刻されていて、よく磨かれている。地球の由緒正しいホテルのものと比べても見劣りしない……ような気がした。『宿屋』と聞いて、クロードは単に泊まるだけの施設を想像したが、これは立派なホテルだった。
「そういえば、」
 レイチェルは鍵を開けながら言った。一番奥の部屋だ。
「二週間くらい前だったかしら、この町にフラックさんが来たわよ」
「ディアスが?」
 レナは驚いたようだったが、後ろについているクロードには顔が見えない。
「まあ、行き先も決めないまま、すぐに出て行っちゃったんだけどね」
「そうなんだ……」
 さっきまでの赤い顔もどこへやら。クロードには寂しそうな声に聞こえた。何か特別な人なのだろうか。
 レイチェルがドアを開けた。
「では、ごゆっくりと」
「おばさん、ありがとうございます」
 レナは先に入り、クロードもレイチェルに礼を述べた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。レナを頼むわね」
「はっ、はい……」
 レイチェルの顔はどう見ても何かを期待しているようだった。

 部屋は思ったより広く、ベッドが二つ並んでいた。その他に、テーブルと椅子のセットが二つ、十人分くらいの衣服が入りそうな大きなチェスト。そして何よりも、ランプの柔らかな光が醸し出す雰囲気が暖かい。
 レナは奥の方のベッドに腰掛け、目を伏せて何か考えている。表情が一変したのは、フラックという名が出てからである。クロードは気になって、聞いてみることにした。
「……フラックさんて誰だい?」
 レナはゆっくりと目を開けた。
「ディアスのことですか?」
「さっきその名前を聞いたからさ……」
 クロードは頭をかきながら、レナが一旦目を伏せるのを見た。
「ディアス・フラックっていって、アーリアに住んでいた人なんです。でも昔、悲しい事件があって、村を出て行ってしまって……」
 ──なるほど、そうか。
「じゃあ、それ以上は聞かないようにするよ」
「ありがとうございます……」
 レナはうつむいてしまった。悲しい事件というのは、なにかレナにも関係のあることだったのかもしれない。気にはなるが、今聞くべきことではないし、聞く必要もないように思われた。
 もう午前一時に近い。明日のために寝るべきだが、その前にひとつだけすることがあった。これからの旅にあたって、二人の関係について、とても大切なことだ。
「……ひとつ僕からのお願いを聞いてくれないかな?」
 レナは顔を上げ、軽く首を傾げた。
「何ですか?」
「僕のことを『さん』付けしないで呼んでほしいんだ」
 途中でなんとなく恥ずかしくなってクロードは目を逸らしたが、懸命に戻そうとする。
「僕も君のことを『レナ』って呼びたいから」
「はい、わかりました」
 レナはゆっくりと頷いて微笑んだ。クロードはほっとして、自然に顔がほころんだ。
「じゃ、もう寝ようか。夜も遅いから」
「そうですね。おやすみなさい、……クロード」
「おやすみ、レナ」
 レナがベッドに入ったのを確認してクロードは明かりを消し、月の灯かりを頼りに自分のベッドへ戻った。
 今日は、この星へ来て初めて何事も無い日だった。

 翌朝、朝食を終えチェックアウトする二人に、レイチェルはさりげなく言った。
「どうだったかしら、ウチの宿での一夜は?」
「よく眠れました。ありがとう、おばさん」
 レイチェルは黙って交互に二人の顔を見たが、なにも見出せなかった。
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」

 外は賑やかだった。老若男女、様々な人が、買い物をしたり中央の円形芝生広場でくつろいだりしている。しかし、心なしか戦士風の格好をした人が多いように思われた。兵士というわけではないらしく、傭兵か冒険者のようだ。清潔感の溢れるこの町には似つかわしくない。
「お城はこっちよ、クロード」
 レナが、昨晩は閉まっていた門の辺りに立って手招きをした。昨日、『クロード』と呼んで欲しいと言ってから、彼女は忠実にそれを実行している。レナの立つそばには、『オークション[古代クロスの神秘]開催! 本日クロス東部にて』という看板が立っていた。
 その門の向こうはおそらく王国創立時の町並みなのだろう、広場の辺りのような華やかさはない。商店もなく、民家が並んでいるだけだった。城のほうに向かって緩やかな階段になっている。
 ──するとこの門は、以前は城下全体の入口だったのかな。
 そんなことを考えながらふと空を見上げると、目の前に巨大な城が見えた。曲線を多用したデザインで、クロードが思っていたような地球の中世の城とはやや異なっていた。城の前には立派な石橋が架かっていて、その脇をコウモリのような翼を持つ像が護っていた。
 ──ここの宗教はこういうのを崇めるのかな。
 これは誤りである。のちに彼も知るところとなるが、エクスペルの人たちはトライアという神を祭っている。トライアは一人ではなく何人かいて、その中の一人の女神が町を護る神とされ、巨大な像を造って祭られる事も多い。
 クロードは城の中に一歩踏み入れた途端、驚きで声が出なくなってしまった。鎧を着て矛を持った衛兵たちを除けば、そこはクロードにさえ未来的な印象を与えた。床は城と黒の市松模様で、ピカピカに磨き上げられている。中央には金の杯のようなオブジェ。そこから五方向に階段が伸びており、正面の一つには兵士が立っている。そのほかは二つずつ、二階へ上がるものと地下へ降りるものだ。その手すりは金で、海を切り取って持ってきたかのような美しい色の絨毯が敷かれている。しかし派手ではなく、全体的には落ち着いていて、王国の威厳を感じさせた。
「クロードさん?」
 前方で声がした。高い天井がよく声を反射する。レナは、受付カウンターの前に立ってこちらを見ている。
「ああ、ごめん」
 適当に誤魔化して、クロードは駆け寄った。
「すみません、王様に謁見したいんですが」
 レナが丁寧に言う。受付の青年兵士は快く頷いた。
「では、こちらの申込書に必要事項を記入してください。太枠の中は絶対に書いてくださいね」
「はい」
 レナは備え付けのペンを取り、書き始めた。クロードは暇なので、それを覗いてみる。
『紹介状・特別身分証明証の有無: 有』
「ほう、アーリアの村長、レジス殿のご紹介ですか」
 『発行者』という欄を見ながら、受付係が言った。
「はい。クロード、紹介状をお願い」
「あ、うん」
 クロードは懐から紹介状を取り出して兵士に見せた。
「できるだけ早くお願いしたいのですが」
 レナはペンを置いた。青年兵士は紹介状を読み終えると、頷いた。
「そうですね、しばらくお待ちいただけますか」
「はい、ありがとうございます」
「それと、この紹介状は先に取り次いでおきます。その間、城の中でも見学なさっていてください」
「分かりました」
 レナは丁寧にお辞儀をして振り向くと、
「クロード、やったね♪」
 こんな場所でそんな風に振る舞ってよいものかクロードには判断つきかねたが、とりあえず笑って頷いた。
 しかし、レナの口調は昨日までとは全く違っている。クロードが頼んだせいもあるだろうが、不自然さがない。もしかしたら彼女もこうすることを望んでいたのかもしれない、とクロードは思った。
「すっげー、ウチもこれぐらい広かったらなー……」
 横のほうで声がした。その若者は、天井を見上げながら口を開けて立っており、片手には『光の勇者まんじゅう』という袋を持っている。辺りをよく見ると、兵士よりも民間人のほうが数が多いような気がした。クロードにも城を見学した経験はあるが、いずれも数百年以上前に建築され、現在では博物館や美術館になっているものばかりだった。現役の城の中を歩き回るというのは、不思議な感じがした。
 場内はほとんどの場所に立ち入ることができた。どこもかしこも濁りのない白い壁、白と黒の床、青い絨毯だったが、ところどころ無骨な石造りの部分が顔を出している。
「このお城は五十年ごとに改装されているの。ほら、この辺の壁はもう二百年前のものなのよ」
 時々レナは解説を加える。クロス王国の創設はおよそ五百年前。その後クロス三世の時代、およそ四百年前に現在のクロス城の原型が完成したのだという。
「いまの王様は、クロス十七世。優しくてとてもいい方よ」
「ふうん……」
 いろいろと見ているうちに、また受付の前に戻ってきていた。
「すみません」
「ああ、アーリアのかたですね。そろそろ順番のようです。これを持って正面階段へお進みください」
「ありがとうございます」
 二人は番号札を受け取り、それを正面階段にいる兵士に手渡した。
 兵士は階段の脇によって道を開けた。
 階段を昇るにつれて、クロードはだんだん緊張してきた。王様の前に出たらどうすればいいのか、全く見当がつかない。そっとレナのほうを見ると、クロードほどではないにしろやはり緊張しているようだった。
 階段を登り終えるとそこは謁見の間で、二人の若い男女が玉座の前に並んでいた。
「王様、ありがとうございました」
「うむ、気をつけてな」
 男女は一礼してこちらへ歩いてきた。すれ違う時、「失礼」と軽く会釈をしてきたので、クロードたちも返した。
 今度はクロードたちが背筋を正して、玉座へ向かう。金の縁取りに色とりどりに輝く宝石が埋め込まれた、至高の座。腰掛けている人物が、クロス全土を支配する人間である。豊かな白髪と長い顎鬚には高貴さと威厳が感じられるが、粉を振り掛けたように白く温厚そうな顔が、対面する者を安心させる。一段低いところに、側近らしき人物が立っていた。若くて逞しい体つきだが、王の柔和な表情とは対照的に、まったく無表情である。これでローブを着ていなかったら、護衛の兵士と間違えるところだ。
 玉座の前で立ち止まると、レナは両手でスカートを軽く持って左右に広げ、左足を曲げてその後ろに右足を置いた。
 ──なんだ、ここでもそういう挨拶をするのか。
 クロードはやや遅れて、あまりしたことのない形の挨拶を、記憶する範囲でしてみた。軽く広げた右手を心臓の前に当て、握った左手を腰の後ろに回して頭を下げる。誰も咎めなかったので、多分正しいのだろう。
「王様、お目にかかれて光栄です」
「レナか。久しぶりではないか。見違えたぞ。レジスから聞いていた以上ではないか」
 白髪の老人は、肘掛の端に手をついて軽く身を乗り出した。どうやら二人は面識があるらしい。レナは微笑んだ。
「王様も、ご壮健のようで何よりです」
「まあ、かた苦しい挨拶は抜きにしよう。して、今日は何用かな?」
「はい、実は、私たちはソーサリーグローブについて調査を始めたのです。そこで、王様がご存知の情報を教えていただきたいと思い、参りました」
 クロス十七世は軽く目を見張った。
「なんと、そなたたちがか?」
「はい、もちろん、冗談や遊びで始めたのではありません」
 レナの目は真剣で、クロス王は顎に手を当ててしばらく考えた。
「……そうか、そういうことならば、私も助けないわけにはいかないな。何が聞きたいのだ?」
「まずこの世界に起きている異変について。動物たちの魔物化以外にも、地震などの噂を耳にしますが」
「確かに各地で異常な地震、火山の噴火などが発生しておるが、その原因など詳しいことは分かっておらんのだ」
「ソーサリーグローブのせいだということは、考えられないのですか?」
「はっきりとした証拠がないうちは、何とも言えん」
「そうですか……。他の大陸でも同じことが?」
「うむ。とくに現在エル王国では、軍が魔物たちと交戦中ということだが、その規模や被害の状況など、詳しい情報が伝わってこないのが実態なのだ」
 詳しい情報がない、というのはどういうことだろう。
「エル王国に渡る船は出ていないんですか?」
「無いことはないが、制限されておる。それに、戦時下では混乱した情報が流れやすい。正しい情報を見抜くのには難しい状況だ」
「では、ソーサリーグローブに関する情報もないんですか?」
「そういうことだ。ソーサリーグローブについては、我々もよくは分からない。いや、何も知らないと言ったほうが正解だろう」
「調査隊を送ったんじゃないんですか?」
 クロス王の顔は曇った。長い顎髭をさすり、渋い表情で口を開く。
「そうだ。しかし戻って来ないのだ。……要するに、我々が手を尽くしても、ソーサリーグローブに関する手掛かりは一パーセントも分からないということだ」
「そうだったんですか……」
「だから我々は、むしろ冒険者たちにこそ調査を依頼することにしたのだ。各地を回っている彼らの方がより多くの情報を持っているし、新たな情報を手に入れる手段も心得ている。それに、魔物のいるエル大陸に行くにはそれなりの腕がないとな。我々が調査隊を送るとなると、学者の周りに沢山の衛兵が必要だ。しかし、そうすればクロス本土の守りが手薄になってしまう」
 ──町に冒険者が目立つのは、そのためか。
 クロードは納得した。
「しかしレナ、ソーサリーグローブの調査は危険だぞ。できることならば、やめたほうがいいと思うが」
 心配する国王に、レナは首を振った。
「いいえ、大丈夫です」
 クロードのほうを見る。誇らしげな目に、クロードは思わずドキッとした。
「私には、クロードさんがいますから」
「……ほう、彼はそれほどの強者なのか」
 国王は目を細めてクロードを観察した。瞬間、国王の目の奥で何かが閃いたように感じたのは気のせいだろうか。
「しかし、もう少し装備を整えたほうがよいのではないか」
 言われてクロードは、自分のなりを確認してみる。レジスから貰った剣が一本。それだけだった。確かに、魔物がうようよしているエル大陸に行くには軽装に過ぎるだろう。フェイズガンが使えれば悩むこともないが、ここにはエネルギーを補充する装置がない。
「うむ」
 国王は側近を近くに呼び寄せ、クロードたちには聞こえない声で指示した。側近は頷いて、隅に置かれた机の上から盆を取り上げてレナの前に差し出した。無表情な顔から、無感情な声が流れ出す。
「通行証と餞別です。どうぞ」
 通行証にはクロス王家の十字の紋章と、国王のサインが入っている。それとは別に袋が二つ渡された。『三〇〇』と書いてある。開けてみると、フォル硬貨だった。
「王様!」
 レナは驚いた顔で叫んだ。クロス王はその反応を楽しむかのように、笑顔でうなずいて言った。
「異変の調査をしているのだから、当然の報酬だ。受け取ってくれ」
「……ありがとうございます、王様」
 袋と通行証を片手に、レナは先ほどと同じお辞儀をして、クロードもそれに倣った。
「エル王国に行くのならば、クリクから出ている臨時便に乗るといい」
「はい。王様、本当にありがとうございます」
 最後にクロードが言って、二人は下がった。ゆっくりと階段を降り、警護の兵士の前を通りすぎると、緊張の糸が解けて二人は同時にため息を吐いた。
「僕は全然、話をしていなかったな」
「気にすることはないわよ。私もけっこう緊張していたし」
 レナは胸に手を当てて、もう一度息を吐いた。その様子を見て、クロードはなぜかほっとた。
「うん……。これからどうしようか?」
「とりあえずここを出ましょう」
「そうだな。それから、装備を整えて……クリクに行ってみよう」

 広場へ出ると、円形芝生広場に人だかりができていた。何やら口論が行われているらしく、中から大きな声が聞こえる。クロードたちは、空いているスペースを見つけて人の輪に加わった。
「何言ってやがる! ありゃあ半分、サギもいい所のやり方だったじゃねえか!」
 一人は紋章術士の男で、もう一人は同じく紋章術士の女だ。二人とも若くて、宝石のついた短い杖を持っている。
「まあ、いつ私がサギを働いたというんですの!」
 女の口調は丁寧過ぎるほどだったが、内心で怒っていることは燃えさかるような眼光が物語っていた。腰に手を当てて、相手を鋭く睨む。
「うるせえ、殺すぞ! このクソアマが! さあ、さっさと渡しやがれ!」
 男のほうも怒っているが、女に比べて弱腰のようにクロードは思えた。それを隠そうとして暴言を吐いているようだ。
「ちょっと、許せないな」
 クロードはそう言うと、芝生の中へ入っていった。
「クロード?」
 レナが声をかけるのも気にせず、クロードは広場へ出て行った。
「あら?」
「何だ、このガキは?」
 二人の紋章術士ばかりでなく、観客全員がクロードに注目した。
「女性に対してそういう態度はないんじゃないかな」
 クロードが落ち着いた口調で言うと、男はさらに怒りを露わにした。
「何だと?」
 クロードは落ち着こうと努力していた。ここで自分が暴発したりパニックに陥ったりしてはいけない。
「もう少し紳士的にいこうよ」
「あん? キサマ。この俺をバカにしてるのか?」
 男は顔を歪ませながらクロードに近づいた。クロードは身構えたが、
「あなたのお相手は、そのボウヤではありませんわ」
 女が住ました口調ですました口調で言った。それが、逆に男の神経を魚でしたようだ。
「んだと? 本当に、殺すぞ、こら?!」
 男は女を睨み付け、少し退くと杖を両手で握り、何かぶつぶつと唱え始めた。クロードは初め何なのか分からなかったが、すぐに男の前に火球が現れ、それが次第に大きくなっていった。紋章術だ。女も気付いいていたが、逃げるでもなく、男と同じように呪紋を唱えた。するとたちまち男のものより大きな炎が現れ、男目掛けて飛んで行って男を取り囲む炎の壁をつくった。
 観衆がどよめいた。中には悲鳴を上げる者もいたが、男が焼かれたわけではないことはすぐに知れた。炎が収まり、火照った顔の男が現れたのだ。髪が少し縮れていて、服もところどころが焦げていた。その滑稽な容姿に一斉に笑いの渦が巻き起こり、男は顔を更に赤くした。
「ケンカを売るなら、相手を選ぶことですわ……。もっとも、身に覚えのないケンカは迷惑ですけど」
「覚えてやがれ!」
 男は一目散に逃げて行き、やがて野次馬たちも各々の目的地へと散っていった。
「これで懲りたかしら」
 ふうっ、とため息を吐いて、女紋章術士はクロードのほうを向いた。よく見ると、女は凄い格好をしていた。クロードがよく知る地球の魔法使いにはおなじみの三角帽子を被ってはいるが、胴体の方は厚手の布を一枚巻きつけただけという感じだ。全体的に紫を基調としており、他にも金の装飾品が耳から首から手首から、あちこちについている。加えて、左足の内腿には薄紅色の変わった刺青がしてあった。
「ありがとう、勇敢なボウヤ」
「ボウヤ……」
 クロードはがっかりした。
「あなたの勇気には、わたくしちょっと感動しましたわ」
 クロードは首を振った。
「いや、それほどでも……」
「鼻の下、伸びてますよ」
 いつの間にか、芝生の外で見ていたレナがそばにきていた。クロードが戸惑っていると、二人を見た紋章術士は藤色の眉をぴくりと動かした。
「そういえばあなたたち、さっき王様に謁見していた人たちかしら?」
 話題が提起され、クロードはそちらに飛び付いた。
「どうしてそれを?」
「わたくしもお城を見学していたのですけれど、順番を早めてもらっている特例の二人がいると兵士たちが話していたので……」
「それだけで分かったんですか?」
「ちょっと気になったので、こっそり後ろから見ていたんですの」
「いい趣味ですね」
 レナはどことなく反抗的だ。
「そう言わないで。実は、お二人に耳寄りな情報があるんですから」
 首を傾げつつ、二人は不思議そうな顔を見合わせた。
「実はわたくし、先ほど開かれていたオークションでこんなものを手に入れましたの」
 そう言いながら長い手袋をはめた手を腰の後ろへ回し、古びた紙切れを取り出す。それは、あちこち破れていて、やたらにしわがついていた。
「これは、とある洞窟に隠された古代の宝の場所を記した地図なんですの。よかったら、一緒にこの宝の場所を探索しませんこと?」
 古代の宝を探すのが、どうして『お二人に耳寄りな情報』なのか。
「私たちは、宝探しに付き合っているほど暇じゃないんです」
 レナは遠回しに断ったが、相手は澄まして言う。
「あら、あなたたちの目的に関するヒントだって見つかるかもしれませんわよ。わたくしと一緒に行きません?」
 古代の秘宝に、ソーサリーグローブに繋がるヒントなどがあるだろうか? クロードは考えた。
 ソーサリーグローブの調査は何もクロードたちだけが行っているわけではなく、一刻も早く現地にたどり着かなければならないというわけではなかった。少しでも情報なり手掛かりなりを持っていたほうがのちのち有利になるかもしれなかった。『光の勇者』の伝承があり、それに酷似した状況が実際に起こったように、古代の宝とやらにも何か関係があってもおかしくはない。
 クロードは申し出を断ったレナの顔を見た。口先を尖らせてはいるが、顔にはイエスともノーとも書かれていない。クロードは決めた。
「面白そうですね。是非ご一緒させてください」
「さすが、話が分かりますわね♪」
 紋章術帥は弾んだ声で言い、筒状に丸められた地図で自分を指した。
「わたくしはセリーヌ・ジュレス。趣味はトレジャーハントですわ。それじゃあ改めて、地図を見せますわね」
 セリーヌは地図をクロードたちによく見えるように広げた。紙一杯に描かれた地図とは別に、もう一つ小さな地図が描き添えられており、セリーヌは小さな地図の中央部分を指した。
「まず、わたくしたちは、クロスの東にあるクロス洞穴を目指すことになりますの」
 言いながら、高級な手袋で保護された指を移動させていく。すると、レナが小さな驚きを含んだ声で言った。
「クロス洞穴? それって、あの有名な天然洞穴のことですか?」
「ええ」
「とっくに調べ尽くされていると思ってました」
「最近になって新たに発見された地図だという話ですわ」
 セリーヌは地図を丸め、また腰に括り付けた。レナは納得していない表情だ。 
「ふうん……」
 疑わしそうなレナをよそに、クロードはセリーヌに話す。
「ひとまず、装備などを整えてから出発しましょう」
「そうですわね」
「あ、そうだ。自己紹介はまだでしたよね。僕はクロード・C・ケニーです。で、彼女はレナ・ランフォード……、レナ?」
 クロードが顔を向けると、自分の手の指していた先はレナの背中だった。ぼそぼそと呟いている。
「何かアヤシイ気がするんだけどな……」
「えっ、なにか言ったかしら?」
 セリーヌの声にレナは不意を突かれたように驚き、こちらに向き直る。独り言のつもりだったらしい。
「あっ、何でもありません。さあ、行きましょう」
 愛想の良い顔を作って、レナは商店の方へ歩き出した。『宝探し』を心から認めてくれたのかどうか、クロードには分からなかった。

「これなんかどうかな?」
 城下の武器屋『ロイヤルハント』で、クロードたちは装備を整えていた。クロードは、陳列されている剣を一本手にとってみた。
「ダメよ。高すぎるわ。それに、そんな二本一組の剣なんて使えるの?」
 値札には『二〇〇〇フォル』と書いてある。クロス王から貰った六百フォルと予め持っていたお金──レジス村長やウェスタたちからの餞別──を合わせても、買えない値段だ。
「え? 二本?」
 クロードは驚いて武器が置いてあった棚のほうを見た。確かにもう一本同じ形の剣がある。
「そいつはスモーラーって言うんだ。二本一組で、二刀流の剣士が使うのさ。それなりの訓練を積まないと使えないよ」
 店の主人が説明した。クロードは、「じゃあ、一本で千フォルってことで」と掛け合ったが、相手にされなかった。だいたい、千フォルは全財産に匹敵する。主人が承知してもレナが承知してくれないだろう。
「セリーヌさんは、なにか要りませんか?」
 レナは、とくに何を見ているでもない紋章術士に尋ねた。
「いいえ。わたくしは、この格好が気に入っていますから」
 そう言うと、セリーヌは宙に浮かぶマント状のものをくるっと回転させた。微かにラベンダーの香りが舞う。それは、金の輪っかに紫の裏地を持つ白い布が取り付けてあるもので、なぜか宙に浮かんでいるのだ。輪っかだけのものが、とがった帽子の周りにも漂っている。
「おじさん、これは?」
 クロードは、別の剣を指した。今持っているレジス村長から貰った剣は、重量の割には威力がない。これでは疲れてしまうし、スピードも落ちる。実は、剣を貰った時から異様に重たいと思ってはいたのだが、村長に悪いので黙っていたのだ。
「ブロードソードかい? 四百フォルだ」
「それくらいならいいか……」
 言いながらレナのほうをちらりと見ると、青い髪の所有者は軽く頷いて同意した。
「じゃ、これください。えっと…」
 クロードは懐から財布を取り出して、代金を支払った。

 一時間後。
「結局、全財産使っちゃったわね」
 大きめの布袋を抱えたレナが言った。武器屋の後、道具屋に立ち寄ったのだが、さっきは何も欲しがらなかったセリーヌが、『トレジャーハンターとしての勘』と称してブルーベリーやブラックベリーなどを買い漁ったのだ。
「お宝を見つければ、お金なんていくらでも手に入りますわ」
「それもそうですね♪」
 レナは何だか楽しそうにしている。買い物を始めた時はそうでもなかったのだが、次第に気分が高揚してきたのか、今は宝捜しを楽しみにしているようだった。クロードはほっと胸を撫で下ろした。
 街路を歩いているうちに、三人は町の入り口にたどり着いた。
「さて、では参りましょうか」
 やや改まったセリーヌの声に、クロードとレナは神妙に頷いた。いよいよこれから、魔物たち巣窟へと乗り込むのだ。

 クロス洞穴は天然の洞窟で、クロス城を出て東へ一時間ほど行った岩山の麓にあった。その入口は岩壁と岩壁の間にできた隙間のような感じだ。
「ちょっと寒気がしますね」
「そうかしら?」
 レナの声に、とても寒そうな格好をしているセリーヌはそっけなく答えた。クロードも寒気は感じなかった。レナは、きっと緊張していて寒いような感じがするのだろう。
「ここに入るんですね」
 クロードは縦長の亀裂を指す。
「ええ。わたくしも初めてですから、ここからは地図を見ませんと……」
 言いながら、セリーヌは地図を取り出す。
「入り組んでいますけれど、今回はこの新しい部屋だけを目指しますわよ。どうせ、この洞穴は調べ尽くされていますから」
「……そこに、何があるんですか?」
「古代クロスの神秘、ですわ」
 どこかで目にした文句だな、とクロードが考えているうちにセリーヌは穴の中へ入っていってしまった。クロードとレナは、互いに不安そうな顔を見合わせつつ、大胆な紋章術士の後を追った。

 洞窟内は、薄明るかった。セリーヌによると、ヒカリゴケという発光性のあるコケが生えているらしい。そのおかげで照明が要らないのは大いに助かった。壁は青緑色に光っているが、それはコケの色なのか岩の色なのか、近づいてみないと分からない。
「もっとも、自然のものとはいえ、かなり昔には人間が住んでいたということですわ」
 セリーヌは、白い布に包まれた指で地面を指した。明らかに自然のものとは思えない、奇妙な模様がいくつも彫られている。
「これは……?」
「……花みたいだけど」
「多分、かつてここに住んでいた人たちのものでしょう。何人もの考古学者たちが調べたそうですけれど、結局、意味は分からなかったそうですわ」
 そう言うセリーヌの目は、ひたすら宝を追う『トレジャーハンター』というよりは、むしろ古代の謎を探求する『考古学者』的な印象を持っている。
「さて、地図によりますと、この先に吊り橋があるようですわね」
 セリーヌは、地図を見ながら右手で方角を示した。そのとき、
「きゃっ!」
 レナは何かに驚いて、無意識のうちにクロードの蔭に隠れた。
「どうしたの?」
「あれ……」
 おそるおそる指差したその先には、何かが壁に寄りかかっているのが見えた。鎧兜を身に着けていて、剣も持っているが、人間のようにも見えなかった。
「魔物か……?」
 クロードも緊張した声で言い、レナをかばいながら右手はすでに新品のブロードソードに手をかけている。一方で、セリーヌはすたすたと魔物らしき者の前へ歩いていき、何かごそごそとし始めた。
「セリーヌさん?」
「大丈夫なんですか?」
 クロードとレナは、ゆっくりと近づいてみた。よくよく見ると、魔物らしきものは『白骨』だった。おそらく、昔の冒険者だろう。セリーヌは、彼の身に着けている物をまさぐっている。
「なにしてるんですか……」
 なおも返事をしないセリーヌは、冒険者の兜を取り上げると、頭蓋骨の上にあった物をすかさず手にした。
「やりましたわ!」
 得意げな顔でクロードたちに示したものは、宝石だった。カットされたダイヤモンドのような形をしているが、全体から七色の光を放っている。単なる回折現象とは違うようだ。
「それって……」
 クロードの後ろから顔を出したレナは、宝石に釘付けになっている。その目を見て、セリーヌは胸を張って言った。
「レインボーダイヤですわ」
「やっぱり!」
「レ、レインボー?」
 そんなダイヤは聞いたことがない。疑わしげなクロードに、レナが興奮した口調で説明した。
「知らないの? ダイヤの中でもものすごく綺麗な虹色に光るダイヤのことよ! ものすごく珍しいんだから!」
「この大きさなら、一万フォルはしますわね……。でも、兜の中に隠すなんて変な趣味ですこと……」
 そんなことを言いながらも、セリーヌはもと冒険者の服装を正してやり、目を閉じて祈りを捧げてやった。レナもそれに倣い、クロードもなんとなくやらなければいけないような気がして、並んで手を合わせた。

 その後、幾度か魔物と遭遇した。これまでは──とは言っても、アーリアからクロス城までだが──、クロードが剣で戦い、レナは回復や補助の呪紋でそれを助ける、という形だったが、今回は攻撃呪紋の使えるセリーヌが加わり、クロードの負担はかなり減った。とくに、『レイ』などの広範囲に攻撃可能な呪紋は、一対一でしか戦えないクロードには至極ありがたい。今後も、より強力な魔物と戦うことになるかもしれないこと考えれば、セリーヌの存在は大きな意味を持ってくるだろう。
 地図の通りに吊り橋を渡り、やや進むと、天井の高い部屋に出た。部屋自体も広い。他の部屋に比べて明るいが、それはヒカリゴケのせいではなかった。大きな光源が、部屋全体を照らしている。
「この岩は何かしら?」
「さぁ……」
 その岩は床から天井に向かって生えていて、十メートルくらいはありそうだった。岩自体は赤銅色のくせに、緑色の光を放っている。部屋が明るいのはこのためだ。レナとセリーヌがその岩を眺めている間、クロードは部屋の奥のほうを調べてみた。
「……行き止まりだ。場所が違うのかな……?」
「おかしいですわね。地図だとこの先に宝の部屋があることになってますわ」
「もしかして……、ニセモノ?」
 クロードが言うと、セリーヌは寝耳に水を打たれたように驚いた。自分の地図が偽物だなどということにはまったく考えが及ばなかったようだ。
「そ、そんなはずは……」
 冷ややかな二つの視線に、退くに退けない性格のセリーヌは別の問題を取り上げた。極めて強引に。
「と、ところで、レナさん?」
「はい?」
「レナさんて回復の呪紋が使えますわよね。それは、どうすればできるのかしら?」
 直面している事態とはまったく関係のなさそうな質問に、レナは二、三度瞬きしてから答えた。
「さあ……。私もよく分からないんです。いつの間にか使えるようになっていたから……」
「紋章術には、回復の紋章なんてないですし……」
「へぇ、そうなんだ」
 クロードは、レナが回復呪紋を使っていたときのセリーヌを思い出す。物珍しそうな目をしていたのはそのためだったのか。しかし、クロードの知っている連邦の紋章科学では、自然治癒能力を促進させる、いわゆる回復呪紋もあった。おそらく、エクスペルではまだ発見されていないのだろう。
「はぁ……高い地図でしたのに……」
 目の前に立ちはだかる問題も、急ごしらえの質問も解決せず、セリーヌは肩をがっくりと落とした。古い紙切れが左手から垂れ下がっている。
「他の道を探してみます?」
 レナが辺りを見回しながら言った。セリーヌは頷いて大きくため息をつく。
「ふう……そうですわね」
「……セリーヌさん。その前に、ちょっと僕にも地図を見せてくれませんか?」
「いいですわよ……?」
 希望を〇・一パーセントほど含んだ表情で、セリーヌは地図を手渡した。クロードは、それを岩の光りに透かしてみたり、逆に暗くしてみたりして、何かないか探した。すると、今いる部屋の所に何かを発見した。
「セリーヌさん! ここに……小さく何か書いてありませんか? 呪紋がどうだとか……」
 指で示された部分を注意深く見つめると、セリーヌの希望は一気に百パーセントになった。
「ホントですわ! 擦れて読みづらいですけど、確かに何か書いてありますわ!」
「その通りやればいいのかしら?」
 レナが地図を覗きながら言った。
「とりあえず……やってみますわね」
 セリーヌは光る岩のほうに向かい、地図に書かれた呪紋を確認すると、それを読み上げた。すると、突然の轟音とともに地面が揺れ始めた。レナは驚いてクロードにつかまり、クロードは反射的にレナを支えた。一人離れた所にいるセリーヌは、冒険者の目で天井を見上げている。クロードもそれに倣うと、天井から小さな石がボロボロと落ちてくるのが分かった。レナの頭を自分の上着で覆ってやり、大きな石が落ちてきた時のために見張りを続ける。
 瞬間、揺れが大きくなった。そして、部屋の奥のほうから、振動とは別の音が響いてきて、それが止まると、振動もやんだ。
「大丈夫かい?」
「……うん」
 レナの安全を確認すると、次にセリーヌに目を向ける。セリーヌは無事だったが、背後の岩は輝きを失っていた。暗い褐色の塊になっている。
「セリーヌさん、コレは?」
「わかりませんわ……でも、」
 セリーヌは黙って部屋の奥のほうに顔を向けた。
「通路が……!」
 部屋の奥から光が漏れていた。揺れている時に聞こえたのは、通路が開いた音だったに違いない。
「やったわね!」
「行きますわよ!」

 その部屋も明るかった。今度は、緑色ではない。部屋の中央には星の形をした水晶か何かでできた半透明の台があって、光はそこから出ているらしい。そして、台の周りには埃を被った宝箱が点在している。
「……誰かの宝が隠してあった場所のようですわね。とにかく、開けてみましょう!」
 クロードとレナは頷き、分担して開けていった。しかし、見つけたのは、あまり価値のなさそうな本や、ちょっとした宝石、クロス王から貰ったのと同じくらいのお金、であった。加えて、
「あれっ? この宝箱は、からっぽだ」
 空ということは、誰かが以前に入った事があるのだろうか?しかし、それならば他の者も盗まれていてよいはずだ。では、本来の持ち主がそれだけを取り出して行ったか……。
 空の箱など見ていても仕方がないのでクロードは別の箱を探したが、他の二人が調べているもの以外は、もう明けてしまっていた。クロードは箱の前にしゃがんだまま、なんとなく星形の台ののほうに目をやった。それは、やや深い皿のように、足元の方は面積が小さくなっているのだが、その影になった部分に何か転がっていた。
「セリーヌさん!」
 大きな声で呼び、彼女が来るまでに、それをよく確かめてみる。巻き物だ。
「見つけましたわね……!」
 駆け寄ってきたセリーヌが、紫色の厚い手袋を外しながら言った。普段つけている白い手袋が汚れないためだろうが、どういうわけか、この女性は紫と白と金しか身に着けないらしい。
 しかし、これが宝なのだろうか?
「なんなの? 一体?」
 レナの声に、クロードは巻き物を広げてみる。月日が経っている感じはするが、宝箱の中に眠っていた本よりは遥かに綺麗だ。それに、紙の質も違うような気がする。
「これ古文書だよね、うーん、全然読めないや! セリーヌさんは分かります?」
「ダメですわ……。わたくしにも、まったく読めない……。私が生まれた村に戻って、長老にでも聞くしかなさそうですわ」
「あるいは言語学者に頼むか、ですね」
「そうですわね」
 宝石の山も金貨の詰まった壺もなかったが、セリーヌは満足そうだった。

 入ってきたときと同じ道を通って、入口にたどり着いた。外へ出ると、中とは空気の質が違うのが分かった。乾いていて、気持ちがいい。三人はそれぞれの方法で深呼吸した。
「何時間くらい経ったのかしら?」
「……四時間くらいじゃないかな」
 本当は三時間四七分であることを、クロードは知っていた。通信機には時計機能があって、この星に来てからも癖で見るようになっている。どうやっても通信には使えないから、いまはただの時計だ。一応、救難信号は出し続けているが。
 一足先に洞窟を出たセリーヌが、クロードとレナを振り返って微笑んだ。
「あなたたちのおかげで、助かりましたわ。お礼を申し上げますわね」
「そんな、いいですよ」
 レナは首を振った。その仕草を見ながら、クロードは言った。
「結局、ソーサリーグローブに関する手掛かりは見つからなかったけどな」
「あら、ソーサリーグローブのことを調べていたんですの?」
 軽く驚いた様子のセリーヌに、クロードは頷いた。
「ええ、そのつもりで、エル大陸に渡ろうと思っていたんです」
 紋章術士は感心したように二人を見つめた。その表情に、クロードは何となく別れがたさを感じた。
「そうだ! セリーヌさんも僕たちと一緒に行きませんか?」
「クロード?」
 異口同音に、女性二人が声を発した。一方の声にある種の誤解を感じとって、クロードは慌てて弁明した。ただし、セリーヌのほうを見て。
「いや、セリーヌさんの紋章術があると、心強いなって思っただけで……」
 言いながら、右手は後頭部をかいていた。
「……そうね、考えてもいいですわよ」
「本当に?」
「ええ、彼女さえ、よければ……ね」
 セリーヌはゆっくりと、レナのほうを見た。クロードは気づいた、というよりは分かっていた。しかし、セリーヌがいれば旅が楽になるのは確実であるし、安全度も増す。
「いいよね、レナ?」
 押しつけにならないように気を使いながら、クロードは確認した。
「……うん」
「じゃあ、しばらくお供させていただこうかしら」
 しばらく、というのは、彼女なりに気を遣った結果であったろう。
「よし、最初の予定通り、クリクに向かって出発しよう。レナ! 早くおいでよ」
「あ……うん!」
 少年に追いつこうとする少女の姿を、彼女は安堵といくらかのほろ苦さをもって見つめていた。

 クロス城下、『王国ホテル』に到着したのは、そろそろ日も暮れ始めようという頃だった。レイチェルに新しい仲間を紹介し、食事と部屋を用意してもらう。かなりの体力を使ったため、三人は黙って、しかし迅速に食事を摂り、用意された部屋へ棒のようになった足を運んだ。クロードは昨日泊まった一番奥の部屋。レナとセリーヌにはその隣の部屋があてがわれた。
「はあぁぁぁぁ~」
 部屋に入った途端、セリーヌはベッドに倒れこんだ。
「大丈夫ですか!?」
 後から入ったクロードとレナは慌てて駆け寄った。
「なんてことありませんわ……。でも、ちょっと疲れたかしら」
「そんなに疲れていたんだったら早く言ってくれればよかったのに」
「……」
 黙って突っ伏しているセリーヌに、レナは近づいていった。
「ヒール!」
 レナの掌から、セリーヌの背中に向けて白く淡い光りが放たれ、全身を優しく包んだ。レナの得意とする治癒の力だ。この力は、傷だけでなく体力も回復させる。
「どうですか?」
「……助かりましたわ。ありがと、レナさん」
 セリーヌはベッドに右手をつき、起きあがって腰掛けた。
「その……レナ『さん』っていうのはやめてくれませんか?」
「そう……?」
「だって、私、セリーヌさんより年下だし」
「あら、そんなこと関係ありませんわよ。でも、」
 セリーヌは優雅な動作で立ち上がって微笑んだ。
「あなたがそうおっしゃるのなら、よろこんで」
「……はいっ!」
 レナはぱっと笑顔を閃かせた。
 そうして親睦を深めたところで、二人は同時にあることをしようと思い立ったのだが、視界の中にあるモノを見つけた。
 クロードが、ドアのところに所在なげに立っている。レナが不審そうな目で見ると、クロードは曖昧に笑った。セリーヌは、レナの目つきが刻々と険しくなっていくのを見た。
「あ、えっと……、何か……?」
 表情の変化に気づいたのか、クロードはやや引きつった顔で、尋ねた。レナが感情を露わにする。
「クロード!」
「あっ、はい……?」
 レナはものすごい剣幕で睨んでいたが、クロードには理由が分からないようだった。
「もうっ、気が利かないんだから!」
「は?」
 レナの気迫に押されるようにして、クロードは一歩下がった。
「まぁまぁ」
 実力行使に出ようとするレナを抑え、セリーヌがクロードの前に立った。
「いいですかしら?」
 クロードは激しく首を縦に振った。
「わたくしたちは、とっても激しい戦闘で、疲れてますの。真夏に全力疾走したみたいに汗ダクダクですの」
「はぁ」
 さすがにこの鈍感さにはセリーヌも頭に来た。眉間がヒクヒクと動いている。背後のレナはもう爆発寸前だ。
「ですから、わたくしたちはサッパリしたいんですの。おわかりかしら?」
 クロードはなおも不思議そうな顔をしていたが、やがて「あっ」と叫ぶと、全力で走り出して行った。
「ふうっ、困ったのもですわね。先が思いやられますわ」
 ドアを閉めながら、セリーヌが言った。よほど慌てていたのか、クロードはドアも開けっぱなしで出ていったのだ。
「クロードは、いつもあんな調子ですの?」
「え……?」
 レナは戸惑った。いつも、などと言われても出会ったのは三日前。旅を始めたのがつい昨日だ。たしかに、土地や慣習に慣れていないような点はあったが、クロードの本来の姿がどんなものなのか、彼女は知らない。
「そんなこと言われても……分かりません」
 二人はかなり親しい間柄だと思っていたのに、そうではなかったのか。セリーヌは不思議に思った。それに、レナの顔は深刻そうだ。
「……どういうことですの?」
 セリーヌはベッドに並んで腰掛けるよう促し、レナはゆっくりと座った。そして、神護の森でクロードに出会ってからクロス城に来るまでの間の出来事を話して聞かせた。
「そうでしたの……」
「……」
「いいですわね」
「え?」
 レナは驚いたように顔を向ける。セリーヌはどこか遠くを見つめているようだった。
「わたくしなんか、そんな思い出ありませんもの」
「……?」
「わたくしね、小さい頃から冒険が好きでしたの。よく家の裏の森に入りこんではお父様に叱られたものですわ」
「森、ですか」
「ええ。あなたにとっての神護の森、というところかしら。とにかく、毎日のように森に行ってはお父様に叱られていましたわ。なかなか帰って来ないときなど、村のみんなが総出で探してくれたこともありましたわね。でも、不思議と迷ったことがないんですの。いつも自分でちゃんと戻ってこられた」
「すごいんですね」
 レナが感心して頷くと、セリーヌは少し笑った。
「で、ある時気づきましたの。これは天性の才能に違いない、と」
「は?」
「ちょうどあなたぐらいの頃からですわ。この世界に入ったのは」
「この世界って……トレジャーハントのことですか?」
 セリーヌは大きく頷く。
「そう。もう五年以上経ちますわ……。結構貴重なお宝を探し当てたこともありますのよ。今日のレインボーダイヤなんか比べ物にならないほどの。でもね……」
 セリーヌは急に黙ってしまった。レナが顔を覗き込むと、慌てて笑って見せた。
「たまに村に帰ると、お見合い写真が山のように待っているんですの。分かりますかしら? 私の言いたいこと……」
「……いえ」
 レナが首を傾げると、セリーヌは神妙な表情になった。
「今を大事になさい、レナ。ソーサリーグローブもいいですし、お母様を探すのも大切ですわ。でもね、それだけで今を終えてしまったら、きっと後で後悔しますわよ……」
 セリーヌは大きくため息をついた。夕日に照らされた藤色の髪が揺れる。
「さて、わたくしは先に汗を流させていただきますわ……」
 力ない声を残して、セリーヌは浴室へ入っていった。レナはセリーヌの真意を掴むことができずにいたが、とりあえず人生の先輩の話を心に留めて、ベッドの準備を整え始めた。

 ──まずかった……!
 ああ、後悔先に立たず。昔の人はなんと素晴らしい格言を残したのだろう。しかし、思い出されるのはいつも後悔している最中だ。なんと役に立たないことか。
 しかし、あれはまずかった。なぜ、そんなことに気がつかなかったのか。自分だってとっととシャワーを浴びて横になりたい、と思っていたのに、あのときは何とかして二人の会話に入ることばかりを考えていたのだ。
「……シャワーでも浴びるか」
 レナのあの怒りよう。関係の修復が不可能ということはなかろうが、明日の朝は覚悟しなければならない。
「……これをひねるのかな?」
 明日の朝は、どうしようか。とりあえずドアをノックして声をかけて、それから食堂に行き、コーヒーでも飲みながら二人が来るのを待つ。二人が現れたら立ちあがってテーブルに招き、なんとか同じテーブルにつかせる。もちろん、一人ずつ椅子を引いてあげる。
「タオルは……ここか」
 次はちょっと奮発して一番いいセットを注文し、食事が来る前に、……勇気を出して謝ろう。
「よしっ。寝よう」

 少年が明日への決意を新たにし、気合いを入れて眠ろうとしていたころ。
「えっ! じゃあ、今まで誰とも付き合ったことないんですか?」
 窓側のベッドの中で、レナの声量は突然大きくなった。
「ないことはありませんわよ。……でもね、相手の男は誰でも、わたくしのこの美貌か、さもなくばお宝やお金が目当てなんですの。わたくしが心から想いを寄せた人でさえ……ね」
「……」
 外見からは全く感じられないが、この人も心の中の影を追い払うために、意識して明るく振る舞っている面もあるのだろうか。そう考えると、レナは妙に親近感を覚えた。彼女もまた、ひとり本当の母親のことで悩みながら、周りに笑顔を振り撒いてきたのだ。
 セリーヌは枕元の灯かりを消し、ベッドにもぐりこんだ。部屋には淡い月の光。
「ところでレナ?」
「はい?」
「あなた、クロードのことどう思ってらっしゃるの?」
「えっ……そんな、どうって」
 月明かりだけでも、尖った耳の先まで赤くなっていることが、セリーヌには分かった。
「……まだ会ったばっかりだし……、そんな……」
「何とも思ってないのかしら?」
 セリーヌの声はだんだん意地悪くなってくる。
「いえ……。そういうわけじゃなくて……」
「じゃあ、どうなんですの?」
「その……、その……」
 うまくは言えない。好意を持ってはいるが、その程度を聞かれると自分でもよく分からないのだ。迷っているうちに、質問者はとてつもないことを言った──ようにレナには聞こえた。
「わたくしは好きですわよ」
「えっ……?」
 レナの声は固まっていた。
「ふふっ……。勘違いなさらないで。同じ冒険者としての話。まだまだ荒削りですけれど、かなりの素質を持っていると見ましたわ。でも、男としては未熟者もいいところ。まあ、まずはどこぞの田舎娘さんと旅のついでに恋愛ごっこでもして、せいぜいお勉強することですわね」
「セリーヌさん!」
「はぁい、おやすみなさい、レナ『さん』……!」
 語尾にあくびが重なった。
「もうっ……!」

 色々と考えた計画は初っ端から崩壊してしまった。初めは緊張して眠れなかったのだが、やがて疲労感が押し寄せてくるとその後は爆睡してしまって、何とか目覚めたのはレナがドアの外から起こしてくれたからだった。
「もう、だめか……」
 いささか大げさなことを考えながら、悲鳴を上げ続けるドアを開けた。険しい顔の少女が立っている。
「おっそーい! もう、何してたの?」
「あ……、いや……、その……ゴメン」
 頭をかきながらクロードが謝ると、レナは大きく息を吐いてから言った。表情は幾分穏やかになっていた。
「もう朝食ができてるわ。早く来てよね」
 言い終えると、レナはその場を去って行った。
 初め、レナが怒っている理由は昨日の件と今寝坊したことの両方だと思っていたが、どうやら後者だけであるらしかった。クロードはほっと息を吐き、素早く身支度を整えて食堂へ向かった。
 ここ『王国ホテル』は、玄関から入ると正面にフロントがあって、そこを右に曲がると、ホール兼食堂があり、その奥に客室が並んでいる。そう広いものではないが、四百年の伝統を感じさせる、趣のある調度品で彩られている。機械と違って、木や皮といったものは使うほどにその味わいが増すものだ。
 他の宿泊客が食事をしているなか、ひとり手紙を書いている人物がいた。テーブルの上には、宙に浮く金の輪を伴なった紫色の三角帽子が置かれている。
「おはようございます、セリーヌさん」
 藤色の頭がゆっくりと動き、美しい顔が現れる。
「あら、おはよう、クロード。遅かったですわね」
「ええ、ちょっと眠れなくて……」
「気が昂ぶっていたのかしら? まあ、それなりの冒険でしたからね、昨日は」
「はい……」
 眠れなかった理由を聞かれたらどうしようかと思っていたのだが、自分で勝手に納得してくれたので、クロードは安堵した。しかし、今日は朝からいちいち安心してばかりだ。
「ところで、何を書いているんですか?」
 テーブルの上の紙片に目をやる。
「ああ、これをわたくしの村の長老様のところへ送ろうと思いましたの」
 セリーヌはテーブルの上に転がっている『これ』を指し示した。質のいい紙でできた巻き物だ。
「昨日の古文書ですか。でも、わざわざ送らなくても届けに行けば……」
 クロードの提案にセリーヌは首を振った。
「わたくしたちは、これからクリクへ行くんですのよ。それに、そのあとはエル大陸へ渡るのでしょう? わたくしの村に寄ったら遠回りになってしまいますわ」
 クリクは、クロス城からほぼ真北の地点にある。
「セリーヌさんの村って遠いんですか?」
「そんなことありませんけど……いえ、そうですわ」
 無理矢理訂正したことを、クロードは不審に思った。
「はあ?」
「とにかく、もう決めたんですから、口出しなさらないで」
 突き放すように言うと、セリーヌは黙って手紙の続きを書き始めた。クロードは首を傾げつつも席につき、目の前の籠からパンを取りあげた。しばらくすると、若い女性が飲み物を運んできた。
「どちらになさいますか?」
 どこかで聞いた声だった。ふと顔を上げると、青黝い髪と、尖った耳が見えた。
「レナ?」
 クロードが驚いた顔を見せると、レナは笑った。
「おばさんの手伝いをしてるの。この前はタダにしてもらっちゃったし、今日だって安くしてもらってるんだから」
「そ……そっか。じゃ、僕も何かしなくちゃいけないな……」
 クロードが立ち上がりかけると、レナは生真面目な声で言った。
「まことに残念ながら、当ホテルでは経験者のみを採用いたしておりますので」
 深くお辞儀をして再び顔を上げると、いたずらっぽく笑って、
「それよりも、早くどっちにするか決めてよ。結構重たいんだから」
「あ、ゴメン……」
 クロードは頭をかきつつ、この緑色の液体は何だろう、と考え始めた。

 旅の支度を整え、世話になったレイチェルに礼を言い、クロード、レナ、セリーヌの三人はクロス城下を後にした。目的地であるクリクはクロス城の真北だが、山脈や川があって、道のりは結構長くなるらしい。出発前、セリーヌの指示に従って二日分の食糧を買い込んだ。三人の内で地上での旅に豊かな経験があるのは彼女だけなのだ。
「まずは東ですわ。しばらく行くと、北の山脈が切れますの」
 道中、幾度となく魔物の襲撃を受けたが、ほとんどはセリーヌの紋章術で一薙ぎにされていった。
「時間と体力のロスは避けませんと」
 セリーヌは得意気に言いながら、紋章力を回復するブラックベリィを頬張った。確かにセリーヌの言う通りだし、怪我も負わなくてすむのはありがたいが、クロードとしては何となく面白みがなかった。『セリーヌさんの紋章術があると心強い』と言って彼女を誘ったのは自分なので不平は言えないのだが、彼女一人に任せて後ろからついていくのは、やはりつまらなかった。
 不意に、右手ではたくような音がした。続いて、隣にあったはずの月型の髪飾りが視界から消えた。
「きゃっ!」
 レナが突然転んだのだ。驚いて振り向くと、右足になにかネバネバした緑色の物体が絡み付いていた。地中に潜んでいた魔物だ。
「スライムですわ!」
 セリーヌが叫んだ。何時間も前から彼女が一人で葬ってきた魔物だが、今回はレナにひっついているので呪紋が唱えられない。
 しかし、そんな理屈とは関係なく、クロードは即座に剣をひき抜いて地中から生える手を切り裂こうとした。柔らかく、骨もないので、切断するのは簡単だった。スライムはレナから離れたが、ところが、レナの足にまとわりついていた部分が二つに分裂したのだ。しかも、本来の大きさと同じ大きさまで急激に膨張した。さらに、地中に潜んでいた本体も登場し、魔物は三匹になってしまった。
「お二人とも、伏せて!」
 セリーヌの意図するところは明確だったので、二人は躊躇することなく地に伏せた。
「スターライト!」
 セリーヌが声を発すると同時に、七色に輝く星が現れ、素早く空へと舞い昇って、凝縮された光線を放った。光線はスライム三体の体を正確に貫き、スライムたちの体は蒸発した。
「大丈夫かい? レナ」
「ええ……痛っ」
 レナは反射的に膝をおさえた。クロードが心配して手を差し伸べると、
「大丈夫。自分で治すから……」
 ほどなくレナの手の先から白く淡い光が現れ、ひざの擦り傷は完治した。 
 結局魔物を退治したのはセリーヌで、レナは自分で傷を治してしまった。クロードはどこか寂しいものを感じる。
「……何か、音がしない?」
 立ち上がったレナが言った。たしかに、何か音がする。辺りを見まわすと、それに気付いたセリーヌが言った。
「川の音ですわ」
「川?」
 クロードは首を傾げた。
「シスコ川ですわ。コル湖から注いでますの。クリクが近い証拠ですわ」
「もうすぐなんですか?」
「ええ、あと六時間ほどですかしら」
 セリーヌはすまして言ったが、もう夕方と言うにも遅い時間だ。
「じゃあ、この辺で休みます?」
 レナが言った。休む、とはもちろん眠ることである。
「そうですわね……では、あの岩場の辺りにしましょう」
 そこには巨大な岩の板が立っていて、これを背にして交代で見張りをしよう、というのがセリーヌの提案だった。クロードにもレナにも野宿の経験はなかったから、異論を唱えようにも不可能だった。
 荷物を下ろし、燃料になりそうなものを集めて、セリーヌが紋章術で火を起こした。買っておいた食糧を食べる。もちろん豪勢な料理などではなく、もっぱら木の実が主体だった。クロードは肉や魚を焼いて食べるのを想像していたのだが、それは別の世界の話らしい。
「三時間交代にしましょう」
 実も皮も濃い橙色をした果物を食べながら、セリーヌが言った。
「寝たらダメですわよ」
 二人は頷き、クロードが質問した。
「順番はどうします?」
「そうですわね……。クロード、わたくし、レナ、の順でいかがですかしら?」
「別にいいですけど……」
 レナは不要になった果物店の袋を火の中に入れた。薄いので、すぐに火が点く。
「なんでその順番なんですか?」
「べつに、ただ名前順に並べただけですわ」
 言い終えると、橙色の果物の残りを口に放り込む。
「それでいきましょう」
 クロードが言った。
「決まりですわね。じゃ、寝るとしましょうか、レナ?」
「もうですか!? 食べたばっかりなのに……」
「当たり前ですわ。見張りもありますし、明日のためにもなるべく長く体を休めておかないと」
 それにしても早すぎないか、とクロードは思ったが、セリーヌが真面目なので黙っておくことにした。
 セリーヌは丸めてあった寝袋を取り出して広げると、三角帽子を脱いですぐに潜ってしまった。
 月が、東の方向に見える。月そのものが大きいのか、惑星に近いところを周っているのか、地球の月に比べて見かけが大きい。ただ、表面の様子は似ていて、平坦なところは黒っぽく、起伏の激しいところは太陽の光を反射して輝いている。大気が澄んでいるため、月の近くの星もよく見えるし、色も鮮明だ。
 いかに月が大きくても、月明かりだけでは大した明るさは得られず、周囲の様子はよく分からない。魔物も眠っているのか、先ほどから一体も見かけない。しかし、動物の多くが夜行性であることを考えると、むしろこれからが活動の時間なのかもしれない。
 炎の中で、小さな破裂音が起こった。我に帰って右を見る。
「レナも寝たら?」
「……ええ、そうね……」
 何か別のことを考えていたらしく、返事は曖昧だった。しばらく焚き火を見つめたあと、レナは寝袋を取り出した。
「クロード、」
 振り向くと、レナは寝袋に潜るところだった。
「なんだい?」
「さっきは、助けてくれてありがと」
 さっき、とはいつのことか、思い出すのにやや時間がかかった。
「あ……うん」
 答えるクロードの顔を見ると、レナは微笑んだ。
「おやすみなさい」
「おやすみ……」
 レナはクロードに背を向けて眠りについた。その動作を見届けると、クロードは火をいじり始めた。他にすることもない。そういえば、三時間というのはどうやって測るのだろうか、と思いながら、内ポケットの通信機を覗いてみた。時計機能があるから、クロードはこれを見ればよい。赤いランプが点滅している。これは、通信範囲外にいることを示している。その隣の緑のランプが、赤いランプより遅い周期で点滅している。これは、救難信号を繰り返し送信していることを示している。
 ソーサリーグローブを調べれば、何か分かるだろうか。地球へ帰る方法を見つけられるだろうか? 不意に、これは現実の世界ではないのではないか、という考えが浮かんだ。実は、あの惑星ミロキニアの装置は一種のホロデッキのようなもので、自分はその装置の中に取り込まれてしまったのではないか。だとすれば、父ロニキスや他のカルナスの乗組員たちが、彼を救い出そうと試行錯誤してくれているのに違いない。
「……そんなわけないよな」
 ホロデッキでは、何もかもが本物のように見えるし、触れるし、動くが、所詮は偽物だから、食べ物を食べても養分にはならない。もうここに来て五日になるから、さすがに腹が減ってしまうはずだ。もっとも、これは未知の技術で、偽の食べ物でもちゃんと養分になるのだ、と考えられなくもないが、ここは現実のこととして受け止めるべきだろう。
 火が弱くなってきたので、クロードは新しい焚き木をくべた。レナのほうに目を向ける。
 レナ・ランフォード。この可憐で快活な少女が自分に好意を持ってくれていることは、素直に嬉しかった。ごく幼い頃を除いては、彼は常にロニキス提督の息子であり、とくに士官学校へ入学して以後は心から語り合えるような友人はできなかった。だが、レナは自分が英雄の息子だということは知らないし、この世界では誰もロニキス・J・ケニーなどという人物を知らない。クロードは、初めて父親の影から自由になったのだ。そして、レナはここに来て初めてできた友人だった。お互いにそう宣言したのではないが、そう言ってもレナは許してくれるだろう。
 いっそ、このままこの惑星に住み着いてしまおうか。そうも考えたが、両親や幾人かの友人の顔を思い浮かべると、やはり帰らなければ、と思う。それに、まだ数日しか経っていないのに諦めてしまっては、逃げ出したようで気分が悪い。レナやセリーヌと別れるのは多少寂しい気もするが、見も知らぬ未開惑星で一生を送りたいとは思わなかった。

10

 クリクは、クロス大陸の北端の港街である。エル大陸南東部の港街テヌーとの間に船が行き来している。エル大陸は、クロス大陸の北西に位置する大陸だ。ただし、ソーサリーグローブの落下後は観光客の数はめっきり減ってしまっている。代わりにクロス王から許可を受けた冒険者たちが次々とエル大陸へ渡っていったが、帰って来た者はごく少数で、無傷の者は皆無だった。
 同じクロス大陸でも、その東端に位置するハーリーは長い伝統を有する港街だが、クリクは最近になって発展し始めたで街である。とはいえ、セリーヌが生まれるよりもずっと前のことではある。
 街の建物はほぼ統一されたデザインで、白い壁に赤と黄色の屋根を被っている。計画的な街づくりがなされ、ごく短い間に急成長を遂げた街だ。町のすぐ西には、シスコ川と同様にコル湖から流れるケルラ川が通っているため、今後は東、あるいは南の方角へ拡大されていくだろう。
 街の中心地は港湾施設に隣接した噴水広場で、そこを取り囲むようにたくさんの商店、屋台が軒を並べている。噴水の真ん中には白く輝く巨大な女神像が立っており、その足元から吹き上げる水が霧のようになって幻想的な雰囲気を造りだしている。
 クロード、レナ、セリーヌの三人は、屋台のチョコクレープを片手に、噴水の前に立って演説をしている女性の話を聞いていた。三人のほかにも、大勢の聴衆が、その好奇心で集まっている。
「みなさん、どうか聞いてください。この街は、大いなる脅威によって、滅びる運命にあります」
 女性は、大勢の人間を前にしても臆することなく、透き通った、美しい声を放つ。濡れたように輝く紫色のローブを頭から被り、くすんだ空色の髪をのぞかせている。顔立ちはこの世のものとは思えないほどに繊細で、端麗で、ただそこに立っているだけで誰もが目を留めるであろう存在感を備えていた。しかし、一方でクロードは、やや肌の色が白すぎないか、とも思った。
「みなさん、今すぐこの街から立ち去って下さい。まもなく、この街を破滅の嵐が吹き荒れます」
「ばかばかしい。そんなこと、ある訳がありませんのにね」
 セリーヌが耳打ちしたが、クロードは何も答えなかった。背後のギャラリーからも同様の声が聞こえてきていた。
「今ならまだ間に合います。急いで避難をしてください。もう、時間がないんです。信じてください、お願いします」
 女性は真摯な瞳で聴衆を見つめたが、それ以上何も語らなかったので、観客はつまらなそうに散っていった。
「そんなこと、あるわけねえだろ」
「可哀相に、頭のほうがどうにかなってしまったのかしら」
 離れて行く人々を、女性は困惑した表情で見まわし、込み上げて来る感情に押しつぶされそうな声を吐き出した。
「お願い……、信じてください……」
 語尾は、もはや声になっていなかった。クロードとレナはさすがに同情したが、 
「どうせ、酔っ払ってるんでしょうね。街が滅びるなんてことが、起こるわけありませんのに」
 セリーヌが言った。彼女は決して冷徹な人間ではないということをクロードは知っていたが、それでもこの言葉には反感を誘うものがあった。
「さて、そんなことより、装備や持ち物を揃えて船に乗りませんと」
「そうですね……」
 うなだれる女性を横目に見ながら、レナは言った。しかし、クロードは黙って女性のほうを見ていた。彼女の外見を見つめていたのではなく、存在そのものを透視しようとするかのような目だった。
「クロード?」
「……え?」
 覗きこんだレナに気づくまでに、やや時間がかかった。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。出発の準備をしよう」
 クロードの提案に、二人の若い女性は首を傾げたままの顔を見あわせ、クロードを不思議がらせた。

 街は広かったが、武器を置いている店はあまりなく、品揃えもよくなかった。おそろくは、エル大陸へ旅立った冒険者たちが買っていってしまったのだろう。それでも、『国際通商』という、名前の割に店構えの小さな武器屋には、ある程度強力な武器が揃っていた。しかし、先日クロスで買った剣もまだ十分に使えるため、武器の購入はやめて、今後のために履き物を買い換えることにした。ここでも、セリーヌは装備を変えることを拒否した。
「わたくしはこの服装が気に入っていますの」
 クロードは、まあ、人それぞれだからな、とも思ったが、よくもあんなヒールの高いブーツで激しく運動できるものだ、と不思議に思った。

 港には大きめの船が二隻、そのほかにいくつかの小船が繋がれていた。幾人もの船乗りたちが、せわしなく荷物を運んでいる。船から運び出す係、それを倉庫まで持っていく係、それを整理して収納する係……。皆が皆、相当量の汗で背中を濡らしていた。
 エル大陸に渡れそうな船は大きめの二隻だけのようだが、一方の船には人の流れがないため、もう一方の船のほうに向かった。波が波止場に打ちつける音、船の木材が擦れ合う音が聞こえてくる。船は木材と金属を併用して造られていて、甲板には三本のマストが立っているが、まだ帆は張られていない。懸命に荷物を積みこむ船員を横目に、紋章術師らしき男と話をする風格漂う服を着た男がいた。連邦艦隊の提督服の色違いではないかと思われるほどそっくりなデザインで、クロードは少したじろいだ。
「すみません、この船はエル大陸まで行きますか?」
 紫色の服を着た男は、クロードたちのほうを向いた。顔は浅黒く、頬はやや赤みを帯びている。
「ああ、行くとも。あんたら、行きたいのかい?」
「はい」
 男は三人のなりを見て、やや眉をしかめた。
「ならば通行証を持って来い」
「通行証?」
 クロードは首を傾げた。レナもセリーヌも思い当たらないらしく、なんの助言もない。男は呆れた顔で言った。
「知らんのか? 魔物が現れてからというもの、エル大陸に行くのには王様の許可が必要なんだぜ。観光目的は禁止。エルに渡るのはもっぱら王様の募集した冒険者たちばかりだ」
「……ああ、そうか」
 男の話を聞いて、クロードは大きく頷いた。クロス王からもらった通行証のことを思い出したのだ。つい二日前のことだが、もらった直後にセリーヌと宝探しに出かけたので、すっかり忘れていた。内ポケットに手を突っ込み、通行証を取り出した。
 男は通行証を受け取ると、不審そうな目でそれを見た。が、一瞬で目が丸くなった。
「ほう、驚いた。立派に本物じゃねえか」
「当然ですよ。王様からもらってきたんだから」
「へぇ、あんたら見た目によらず、スゴイんだなあ」
 見なれた物であるはずなのに、男は何回も文面を読み返しているように見えた。やがて顔を上げると、自分が船長のネルソーであると名乗り、三人の名前を尋ね、乗客名簿に書き加えた。
「ところで、いつ出発するんですか?」
 マストの先を見つめていたレナが言った。ネルソーは、先ほどまでとはやや違った表情で答えた。
「ああ、荷が積み終わり次第出発できるぜ」
「じゃあ、すぐですね」
 さっきから、目の前を何回も船乗りが往復している。これ以上続けたら貨物室が一杯になってしまうのではないか。
「んー? よく分かんねえなあ」
 ネルソーは、曖昧に言った。
「でも、あなた、船長じゃありませんの?」
「そうだが……。まあ、待っていてやるから、もう少しゆっくりしてきたらどうだ?」
「はあ……じゃ、お願いします」
 三人ははっきりしないものを心に抱きつつ、とりあえず街に戻ることにした。

11

「あの船に乗るの、不安じゃない?」
 噴水を囲むように置かれたベンチに座りながら、レナが言った。
「う~ん……。でも、他に船は無いみたいだし」
「それはそうだけど……。セリーヌさんは?」
 体を前に倒して、クロードの向こうに座っている紋章術師の顔をのぞいた。
「何事もプロに任せるのが一番ですわ。わたくしの見たところでは、あの方は本番に強いタイプですわね。海に出ればきっと大丈夫ですわよ」
 そう言うと、セリーヌは藤色の髪をかきあげ、足の組み方を変えた。
「あら?」
「どうしたんです?」 
 クロードが問う。
「アイスクリーム屋さんですわ」
 白い指でセリーヌが指した先には、アイスクリームの屋台が出ていた。水色と白のカラーリングが涼しさを醸し出す。若い女の子が元気な声で客引きをしていた。
「ほんとうだ」
「ねえ、買おうよ」
 レナがにこにこしながら言うと、クロードは立ちあがった。
「そうだね。僕が買ってくるよ。何がいい?」
「う~ん、私はストロベリーかな」
「セリーヌさんは?」
「わたくしは……」
 その時、誰かが猛烈なスピードでクロードに体当たりしてきた。
「うわっ」
 クロードは前につんのめり、ベンチに倒れこんだ。とっさに手で体を支えたため、顔面をぶつける難は避けられた。
「って~っ!」
 したたかに打ちつけた腕をさすりながら起きあがると、クロードは辺りを見回した。
「ビックリしましたわ……。クロード、大丈夫ですの?」
「ああ……平気」
 セリーヌは黙って頷き、レナは安心した顔で胸をおさえた。周りを見ても、相手の姿はもう見えなかった。幼い子供のように見えたのだが……。
「何だったのかしら?」
「さあね……まったく、最近の子供は謝りもせずに行っちゃうんだなあ」
「そうかしら?」
「クロードの言うとおりですわ。とくに都会の子供は」
 セリーヌは腕を組んで、怒っているように見えた。
「ところで、セリーヌさんは、何にします?」
「何がですの?」
「アイスクリームですよ。忘れたんですか?」
「ああ、そうでしたわね。でも、お金はありますの? 船に乗るにもお金は要りますわよ」
 ベテラン冒険者のアドバイスを受けて、クロードはズボンの後ろのポケットに手を突っ込んだ。そこにサイフをしまったのだ。
「あれっ?」
 そう言うと、クロードはあちこちのポケットに手を突っ込み始めた。レナとセリーヌは不思議そうな顔をする。
「どうしたの? クロード」
「サイフが無いんだ!」
「ええーっ!」
「本当ですの?」
 驚く二人を前に、クロードはもう一度初めからポケットを探った。が、見つからない。
「きっと、さっきの子供の仕業だ」
 クロードはそう結論付けた。大体、猛スピードでぶつかってきて振り向きもしないのは不審だ。初めから体当たりするつもりで走って来たのに違いない。そしてサイフが無いとなれば、故意に追突した理由は明らかだ。
 セリーヌは頷いて賛意を表明したが、レナはすぐに決め付けることに抵抗があるようだった。
「……どこかで落としたかもしれないわ」
「でも、本当に今のボウヤが盗んだのなら、お仕置きしないといけませんわね」
 今度はクロードが頷いた。
「探して確かめないと……どんな子だったかな?」
 レナは気が進まないようだったが、一応思い出し始めた。しかし、一瞬のことだったし、次の瞬間にはクロードがベンチに倒れて来て、周りを見ている余裕はなかった。それでも、レナは何とか記憶の断片を引きずり出した。
「小柄の男の子で……、髪は青かった気がする」
「確かに、そんな感じでしたわね」
 セリーヌは頷いた。確信があってのことなのかどうかは分からないが、クロード自身は見ていないのでどうしようもない。
「よし、じゃあ街の中を探してみよう」
 そう言って、クロードは街の入り口のほうへ歩き出した。セリーヌもそれに従ったが、レナは何か考えごとをしていた。それに気づいたクロードが振り返って尋ねた。
「どうしたんだい?」
「子供のことは子供に聞いたほうがいいと思うんだけど」
 クロードはその案を一・五秒ほど検討し、採用することにした。
「そうだね。……でも、子供なんていたっけ?」
 クリクは大きな街だが、さしあたって今日のところは子供を見かけていない。散歩しているか、港や店で働いている大人しか見ていない。
「そういえば……見なかったわね」
 レナは自分の提案に欠点があったことを知って落胆したが、セリーヌがフォローした。
「あら、わたくしは見ましたわよ」
 レナは目を輝かせた。
「どこですか!」
「み、港ですけど……」
 聞くが早いか、レナは港のほうへ走っていった。
「そんなに急がなくても……」
 言いながらクロードは走って追いかけ、セリーヌもやや面倒くさそうに追いかけた。

「えー? それってさー、いっつも一人で遊んでるケティルじゃないのー?」
 クロードたちが乗る予定の船とは別の船の前で、男の子と女の子が二人で遊んでいた。クロードたちが曖昧な記憶を話して聞かせると、男の子のほうが答えたくれた。
「ケティル?」
 男の子は頷いた。
「うん。青い髪の子はあんまりいないから、たぶん」
「で、その子は今どこにいるの?」
 レナが尋ねると、子供たちは首をかしげた。
「わかんない。おうちは街の入り口のほうにあるけど」
「一緒に遊ばないのかい?」
「ケティルは一人で酒蔵のところで遊んでいることが多いのよ」
 女の子が言った。
「酒蔵?」
「噴水広場のはずれの武器屋さんの隣にあるのよ。樽がいっぱい積んであるの」
「『国際通商』のことかしら?」
 レナがクロードに言った。クロードは頷き、
「たぶんね。あの店が一番広場に近い武器屋だから」
 レナは頷くと子供たちのほうに振りかえった。
「ありがとう。助かったわ」
「うん。バイバイ」
「バイバイ」
 レナが手を振ると、子供たちはにこっと笑ってから遊びに戻り、クロードたちも広場のほうへ戻った。広場を抜け、武器屋の前を通り、樽がたくさん積んである倉庫の前にたどり着いた。
「クロード、見て!」
 酒蔵の前で、青い髪を後ろで縛った子供が遊んでいる。こちらに背を向けて、なにか樽をいじっているようだ。クロードは気付かれないように近づき、子供の肩に手を置いた。
「さーて、やっと捕まえたぞ……」
 子供はビクッとなって振り向き、クロードたちを見ると、動揺した顔と声で言った。
「何するんだよ! はなせよ!」
 この言葉でクロードは確信を持った。
「その前に、僕から盗んだサイフを返してくれるかな」
「な、何のことだよ? 知らないよ、サイフなんて」
 子供は目を逸らしながらも大きな声で否定したが、声は震えていて、すこし怯えているように見えた。しかし、この男の子が盗んだのには間違いない。素直に言えば許してやったものを、と思うクロードの口調は、やや尋問風になった。
「本当か? 嘘はついていないだろうな」
 クロードの顔は険しくなり、男の子はもっと怯えた。よく見ると冷や汗がこめかみの辺りを伝っている。それを見かねたレナが間に入った。
「クロード」
 レナがクロードの前に手を出して彼を抑えると、男の子は蔵の前から離れた。数歩行ったところで立ち止まったが、後ろを向いたまま振り返ろうとしない。レナはクロードから離れると、男の子の背中に声をかけた。
「別にあなたが知らないのならいいの。でも、知っているなら教えて欲しいんだ」
 少しすると男の子はレナのほうを向いたが、顔は下を向いていて表情を読み取ることはできなかった。レナはしゃがんで男の子と視線の高さを合わせた。すると、男の子はようやく顔を上げた。眉間にしわを寄せ、やや上目づかい。下唇を軽く噛んでいる。
「私たちはね、お金がないと旅が続けられないの。どこかでおサイフが落ちているの、見なかったかな?」
 そう言うと、男の子は驚いた顔を見せた。
「えっ、たったのあれっぽっちで旅してんの?」
 男の子がすぐに自分の過失に気づいてクロードをチラッと見ると、険しい顔のお兄さんが怒気を露に大またで寄って来るところだった。
「やっぱりお前……!」
「あ……。あう……」
 男の子は口をパクパクさせながら、優しいお姉さんのほうに助けを求めた。レナはクロードを見上げて、
「ダメよ、クロード。そんなに恐い顔しちゃ……」
 クロードは不満そうながらも態度を鎮めた。レナはそれを見て再び男の子を見ると、男の子はまた下を向いていた。
「怒らないから教えて。お金を盗んでどうするつもりだったの?」
 男の子は何も言わず、手を握り締めている。
「欲しいものでもなにかあった?」
 男の子は首を横に振った。相変わらず下を向いたままではある。
「……欲しいものがあれば、なんでも買ってもらえるよ」
 レナは首を傾げた。クロードも不思議そうな顔をする。理由がつかめない。
「じゃあ、どうして?」
「……みんなをビックリさせてやろうと思ったんだ」
「えっ?」
 男の子は急に顔を上げると、一気にしゃべり出した。
「ボクはなにもできない金持ちの子供なんかじゃない、なんだってできる海の男なんだって、分かって欲しかったんだ!」
 男の子の頬は高潮していて今にも泣き出しそうだったが、なんとか踏みとどまった。しばしの沈黙の後、クロードが口を開いた。
「それで僕からサイフをとったのかい?」
「みんながボクのことを、『お高くとまった金持ちの息子』って、遊んでくれないから……」
「そういうことだったの……」
「……まいったね」
 二人ともなんとなく子のこの気持ちが分かるので、何とも言えなくなってしまった。すると、これまで一言も発しなかったセリーヌが言った。
「それで……この子は、どうします?」
 男の子の心情には全く無関心な発言だったが、それでクロードは現実に引き戻された。
「とりあえず、サイフは返してもらおうかな」
 男の子はポケットからサイフを取り出し、クロードに手渡した。
「はい……ごめんなさい」
 中身を確認すると、クロードはズボンのポケットにそれを閉まった。
「さて、どうしようか……」
 男の子は精一杯笑顔を作って穏やかな判決が下るように祈ったが、むしろその顔は引きつっていて不気味だった。が、彼の祈りは通じた。
「そうだ、このことは許してやるから、代わりに船が出るまでの間、僕たちにクリクの街を案内してくれないかな」
「えっ?」
 意外な言葉に男の子は驚いた。
「知らない街は、その街をよく知っている人に案内してもらうのが一番だろ?」
 そう言うと、クロードは初めて子の男の子に笑って見せた。
「そうだわ! クロード!」
 レナも喜んで賛成したが、もう一人は、呆れた顔になった。
「もう……甘いんですから」
 男の子は呆気に取られながら三人を見上げると、
「ボクが、お兄ちゃんたちを案内するの?」
「頼めないかな?」
 レナが両手を膝について言うと、男の子は首を横に振って、笑顔を閃かせながら言った。
「ううん、やらせてよ。やってみたい」
「よかった。私はレナっていうんだけど、君の名前は?」
「ケティルっていうんだ」
「わたくしはセリーヌですわ」
「僕はクロードだ。……よろしくな、ケティル」
「うん、お兄ちゃん」
「じゃ、ケティル君、街を案内してくれるかな」
 レナが言うと、ケティルは自身たっぷりの声で言った。
「うん。任せてよ」

12

 ケティルを先頭に噴水広場へ向かう途中、買い物袋を抱えた若い女性とすれ違った。女性は、ケティルに話しかけてきた。
「あら、お坊ちゃま。何してらっしゃるんですの?」
「この人たちにクリクを、案内してあげてるんだ」
「どうも」
 『この人たち』は女性に会釈した。女性も軽く会釈を返すと、やや心配そうにケティルを見た。
「まあ……大丈夫ですか、坊っちゃん……」
「大丈夫だよ。ここは僕の街なんだから」
「それもそうですね……。では、坊っちゃん、お気をつけて……」
 そう言うと、女性はクロードたちがやって来た方向へ歩き去った。
「今の、誰だい?」
「ボクのうちのお手伝いさん」
 クロードは軽く驚き、
「お手伝いさんがいるのかい?」
「うん、そうだよ」
「すごいんだな、ケティルの家は」
「うん……」
 ケティルは少し寂しげな顔になった。さっきの話からしても、彼は『お金持ち』ということに触れてもらいたくないのかもしれない。
「続きを案内してくれる?」
 レナが促すと、ケティルはまた明るい顔に戻った。
「うん、じゃ、行くよ」
 そう言ってケティルが歩き始めたとき、
「……?」
 ふと、地面が揺れたような気がした。レナも、セリーヌも、少し不安げな表情をしている。
 ケティルが振り向き、首を傾げて、
「どうしたの……?」
「揺れた……?」
 ケティルは辺りを見回し、腕を組んだ。
「うーん、わからなかったけど」
「気のせいかな……?」
  考える間もなく、ケティルが声をかけた。
「そうだ、お兄ちゃん」
「なんだい」
「ここは噴水広場っていうんだよ。知っていた?」
「ああ、知ってるけど……?」
 揺れのせいで動揺していなければ、知らないふりをしていたかもしれないが、この時はそんな気は回らなかった。
「あっ、そうなの。でも、ちょっと聞いて。噴水広場はみんなの広場で、レストラン、洋服屋さん、いろいろなお店があるんだよ」
「へえ、そうなんだ。ケティルが友達と遊んでいる広場なんだ?」
 クロードが言うと、ケティルは言葉を濁した。
「えっ、あのぅ……」
 その理由にクロードは気付かなかったが、レナのほうは気付いたらしい。ケティルの前にしゃがんで、手を握った。
「ケティル、みんなと遊びたくはないの?」
 ケティルは黙って下を向いてしまった。
「これからもずうっと一人で遊んでいるままでいいの?」
 ケティルは青い頭を振った。
「みんなと遊びたいのね?」
 しばらく黙っていたが、ケティルは口を開いた。少し振るえているように、クロードには聞こえた。
「……うん、でも……」
「大丈夫よ。私たちがみんなに話してあげるから。ね、クロード?」
 ケティルが他の子供達と遊んでもらえなかったことをクロードは思い出し、頷いて見せた。
「ああ、安心しろ、ケティル」
 ケティルは顔を上げた。目が少し潤んで、太陽光を反射して輝いていた。
「ほんとう?」
「ええ」
 レナは大きく頷いて請け負った。
「じゃ、行きましょ」
「うん」
 ケティルは鼻をすすると、再び笑顔を見せた。

 波止場の船の前で、男の子と女の子が遊んでいた。クロードたちを見つけると微笑んだが、その後ろにケティルの姿を見出すと、無表情になった。子供たちは立ったまま、四人が近づいてくるのを見ていた。
 子供たちの手前で立ち止まると、ケティルは勇気を出して前に進み出たが、すぐにクロードの後ろに隠れてしまった。
「ケティル!」
「う、うん……」
 レナが励ますと、ケティルはクロードの影から顔を出した。それ以上は無理そうなので、クロードが話を進めてやることにした。
「ねえ君たち、ケティルと一緒に遊んでくれないかな?」
「えー、ケティルとー?」
「お金持ちのうちの子とは遊びたくないなー」
 そう言われて、ケティルはクロードに引っ付いた。その気持ちを感じ取るると、子供たちに対して怒りが沸いた。子供というのは、ときに残酷で理不尽なことを平気で言うものである。
「そんなの、理由になってないじゃないか」
「だって、うちのかあちゃんが言ってたぜ、『お金持ちの家の子と遊ぶんじゃない』って」
「そう、うちのママも言ってたよ」
 子供たちはなにやら威張っているように見えた。母親が言ったから正しいのだ、と言わんばかりだ。
「そんなの、遊んでいる時に関係あるの?」
 今度はレナが腰に手を当てて、怒りを露にした。
 ケティルはクロードの後ろでうつむいてしまった。面と向かって言われたのが堪えたのだろう。
「ケティルは、ずっとみんなと遊びたいと思っていたんだ。その気持ちのほうが大切じゃないかな」
 落ち着きを取り戻したクロードがそう言うと、子供たちは顔を見合わせた。しばらく黙っていたが、男の子の方が口を開いた。
「ケティル……、本当にボクたちと遊びたいの?」
「……うん」
 心配そうな顔でケティルは頷いた。すると、子供たちは喜ばしい驚きを発見した。
「じゃあ、遊びましょうよ。本当はわたし、一緒に遊んでみたかったんだもん」
「ボクもケティルがどんなヤツか気になってたんだ」
「よし決まり! ケティル、遊んでこい!」
 クロードはケティルの背中に手を回して子供たちの前に押し出した。すると、ケティルは振り向いて、
「でも、お兄ちゃんたち……」
「いいのよ。私たちは船に乗らなきゃいけないし」
「……、ありがとう」
 ケティルは頬を赤く染めて笑った。
「ケティル、こっち、こっち」
 男の子が呼ぶと、ケティルは子供たちの中に加わり、わいわいと騒ぎ始めた。
「やっぱり子供は、みんなで遊んでるのが一番だもんな」
 頷くクロード見て、レナは笑顔で言った。
「クロードって、優しいのね」
「本当ね。見直しましたわ」
 クロードは二、三度瞬きをしてから、頭をかいた。
「そうかな。それより、僕たちのほうはどうなったのかな?」
 三人は一斉に船のほうを見たが、荷物の積みこみ作業はまだ続いているようだった。その視線にネルソー船長が気付き、手を振って、まだダメだと合図をした。その隣に立つ紋章術師が苛立っているのが分かった。
「何をあんなに積んでいるのかな?」
「さぁ……でも、魔物が現れてから船の数が減りましたから、その分、一度に運ぶのかもしれませんわね」
「なるほど」
 クロードは頷いた。
「じゃあ、また街に戻りましょうか」
 レナが言い、三人は噴水広場へ戻った。港から広場へ抜ける際、潮風とはまた違った、なにか生暖かい風が吹き抜けていくのを感じた。
「そうだ!」
 突然クロードが大声を出したので、レナとセリーヌは何事かと心配した。
「アイスクリームだよ!」
 意味不明のことを言われて、二人は困惑した。それに気づくと、クロードは心を落ち着かせて、もう一度言った。
「つまり、アイスクリームを買おうとして、ケティルにサイフを盗まれたんだ」
 ものすごい声を上げたわりには大したことではなかったので、二人の顔は驚きから呆れ顔になった。クロードは何とか名誉を回復しようとする。
「あ……今から買おうか?」
「わたくしは結構」
 セリーヌがそっけなく言うと、レナも、
「私も今はいらないわね」
 気の乗らない返事を受けて、クロードはむくれた。
「ちぇっ。じゃ、一人で買ってくるよ」
 そう言って歩き出したとき。
 まずは、縦に揺れた。何が起きたのか分からないまま、次に横に揺れ始めた。
「なに……?」
「また……?」
 先ほど感じた揺れは気のせいではなかったのだ。だが、この時はそんなことを考えている暇はなかった。揺れは激しくなり、立っているのがやっとになる。地面を響いてくる低い音が、不安と恐怖を駆り立てた。
「きゃ~っ!」
 悲鳴と同時に建物が崩れる音が聞こえる。人々が一斉に建物から出てきて、広場は騒然となった。揺れはどんどん激しくなり、中に多くの人を収容したまま、建物は倒れ、沈んでいった。せっかく外に出た者も、それに巻き込まれて瓦礫の下敷きになっていく。粉塵が巻き上がり、たちまち視界が遮られていく。
「とにかく、逃げよう」
 クロードがようやく声を出し、人々が向かうのと同じ方向へ進んでいった。『クリク展望台』という看板が立った階段が、人々の行く先だった。押し寄せる人の波に揉まれがら、三人は階段を上って行った。

13

 揺れは収まった。
 展望台から街を見下ろすと、一面の砂埃の中で、およそ半数の建物が完全に倒壊しているのが分かった。残りの建物もほとんどが屋根や壁の一部がはがれ落ちている。港にはたくさんの荷が散乱し、揺れの激しさを物語っていた。また、波止場はほとんどが海に沈んでおり、繋がれていた船は風に乗って沖のほうへ航海を始めていた。
「ひどいな……」
「ええ……」
 クロードたちは比較的高いところにいた。町の全員が一斉に展望台の頂上へ至ることは出来ず、階段の途中に腰を下ろしている者も多かった。
「クロード、あれをご覧なさい」
 セリーヌが指差した。クロードもレナも埃だらけなのに、なぜかこの紋章術師だけは下ろしたての服を着ているようである。髪にも砂一つ付いていない。
「あれは……船長!」
 紫の服を着た、浅黒い男。隣に紋章術師も立っているから、間違いなくネルソー船長だろう。クロードたちは動揺する人と人の間をかいくぐって、船長の元へ向かった。
「船長さん!」
 声をかけられて、ネルソーは振り向いた。クロードたちを確認すると、目を丸くした。
「おお! あんたらか」
「船長さん、無事だったんですね」
「ああ、奇跡もいいところだぜ。だが、他の乗組員は全滅だ。あいつを除いてな」
 船長が顎で示した先には、積みこみ作業をしていた船乗りが、絶望的な顔で立っていた。
「私も驚きましたよ。奇妙な風と、地面の鳴動が聞こえたものですから」
 紋章術師が言った。
「風……?」
「ええ。突然、生暖かい風が。私も紋章術師の端くれですから、なんとなくいやな感じがしたんです。それで、船長にお話ししたんです」
「俺も半信半疑だったが、確かに、あの風は奇妙だった。それで、乗組員を連れて広場に向かっている途中で、あの地震だ」
「私と船長、それとあのかたはなんとかここまでたどり着きましたが、他のかたは途中で建物の下敷きになってしまったようです……」
 重い空気が漂い、しばらく沈黙が続いた。
「あの、これからどうするつもりですか?」
 クロードが尋ねると、船長は首を横に振った。
「船がなくなっちまったからな。何もできねえよ。船員も一人しかいない」
 クロードたちは顔を見合わせた。これから、どうやってエル大陸に渡ればいいのだろう。船長は少し考えてから言った。
「あんたらに関して言わせてもらえるのならば、エル大陸に渡る手はないでもないがな」
「本当ですか?」
 船長は頷きながら、懐に手を突っ込んだ。
「とりあえず、クロス王の通行証をお返ししておこう」
 クロードはそれを受け取ると、なぜとはなく文面を眺めた。
「あんたらは、そのクロス王の通行証を持ってラクール大陸を目指せ。そして、ラクール王の許可をとれば、エル大陸行きの船も出してもらえるだろう」
「ラクール大陸……」
 この星エクスペルのことにはまだ詳しくないが、とにかく遠回りになるということには違いない。クロードは顔を暗くした。
「ちょっと遠回りだが、焦らずに行ってもらいたい。ラクール大陸に渡るには、クロス大陸の東端にあるハーリーという港街に行けばいい」
「ハーリーですね」
 眺めていた通行証を内ポケットにしまう。
「だが、ハーリーに行くまでに、マーズという村がある。クリクではもう休めないから、マーズでもう一度、旅支度を整えるのがよかろう」
「マーズですか。わかりました」
 クロードの顔に活気が満ち始めた。船長は一瞬ためらった後、口を開いた。
「しかし、こんなことになっても、まだエルに行こうってのかい? 物好きだね、あんたらも」
 それに対してクロードが口を開きかけた時、二つ目の災厄が訪れた。
 物凄い轟音に驚いた船長が振り返ると、沖合いから巨大な津波が押し寄せてきていた。高さ二十メートル以上あるだろう、幅に至っては見渡す限りの水平線をすべて埋め尽くしていた。大津波である。
 束縛を解かれ、勝手に出航していた船長の船が巻き込まれて、今にもひっくり返りそうになっている。
「な、なんてこった」
 新たな悲鳴が起き、階段の下から人の波も押し寄せた。低いところにいた人たちが殺到してきているのだ。だが、上のほうも空いてはいない。あまりにも下からの押し上げが強く、ついに立っていられなくなった人々が倒れ始めた。その後ろに立っていた人が倒れ、その後ろに立っていた人も倒れ、芋づる式に階段から落ちていった。上から落ちてきた人に巻き込まれて落ちていく人もあった。そして、空いたスペースに上でぎゅうぎゅう詰めになっていた人々がコルク栓のように押し出されたが、あまりに急のことだったので、足を踏み外して階段をころころと転がって行った。
 そして、そこへ大津波が押し寄せた。陸に上がって高さが倍増した巨大な破壊者は、猛烈な勢いで家々を飲み込み、吹き飛ばし、やがて展望台にも到達し、下の方にいた人たちをさらって行った。
「きゃあああ~!」
「誰か、助けてくれ!」
「じいさんや、じいさんや……!」
 人々の悲痛な叫びに、レナは顔を伏せた。知らず知らずのうちに、クロードに身を寄せている。
 津波は街の外にまで達すると、ゆっくりと引いていった。あとには、崩れた街と、展望台の上の方で呆然と立ち尽くす人々だけが残った。一体の亡骸なきがらも残らなかった。
「なんてことだ……」
 無意識のうちに声に出しながら、クロードは噴水広場にいた美しい女性のことを思い出していた。
『この街を破滅の嵐が吹き荒れます』
 嵐を巨大な津波に置きかえれば、まさにあの女性の言った通りのことが起こった。セリーヌは町が崩壊することなどありえない、と言ってバカにしたが、考えてみれば、エル大陸の街エルリアは、ソーサリーグローブの落下によって壊滅したのではなかったか。
 では、この地震と津波もソーサリーグローブの影響なんだろうか?
「クロード!」
 突然、レナが声を上げた。振り向くと、人の群れの中を指差している。その先に目をやると、青い髪の子供が若い女性に抱かれている姿があった。
「ケティル!」
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
 ケティルはお手伝いさんに抱かれたまま、クロードたちのほうへやって来た。
「無事だったか、ケティル」
「うん」
 クロードは、首を傾げた。
「他の友達は?」
 ケティルは顔を伏せた。
「……一人は見つかった。でも、あとの一人は分かんない……」
「そうか……」
「よく逃げられましたわね」
 セリーヌが言うと、ケティルはネルソー船長を指差した。
「船乗りの人たちが大勢で歩いていたから、なんだろうって、追いかけてみたんだ。そうしたら、突然揺れて……」
「私は、とにかく坊っちゃんのことが心配で店の外に飛び出したところで運良く見つけることができて……」
 お手伝いさんが、涙ぐんで言った。
「家族は、どうした?」
「奥様は地震が来る前にクリクを出ているので、おそらく平気かと思われますが……」
「ならよかった」
 クロードは安心した。ひとまず、親しくなった人々の多くが無事なことは心を落ち着かせた。海を見ると、先ほどの津波が夢だったかのように平静としていた。いつの間にこんなに時間がたったのか、夕日が海面に反射して輝いている。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
 クロードは振り返った。
「お兄ちゃんも、助かってよかった」
「ありがとな」
 クロードは微笑んだ。