■ 小説 STAR OCEAN THE SECOND STORY [クロード編]


第三章 惑う旅路

「クロード・C・ケニー? 君、もしかして、あのロニキス提督の子供?」
「そうだけど……」
 遅い反抗期に突入していたクロードは父親の名前を出されるのを好まなかったが、憎むほどに嫌っているわけでもなかった。
「へぇ~。そうなんだ……」
 地球連邦宇宙艦隊士官アカデミーの入学式で隣の席になった少年は何か珍しいもの──悪い意味で──でも見るような目で言うと、クロードとは反対側の席の少年に話しかけ、そのまま式典が始まるまでクロードのほうには見向きもしなかった。
 翌日、入学以前からの友人と登校すると、周囲の人間の視線が自分に集中しているのを感じた。目が合った幾人かの生徒は、何事も無かったかのように視線を逸らして、教室へ向かったり、友人との会話を再開した。
「クロード、何かあったのか?」
 不審に思った友人が訊ねたが、
「いいや……、別に無いと思うけど……」
 そうは答えたものの、なんとなく分かってはいた。今までもこういうことがなかったわけではないのだ。だが、今までの学校では提督の息子だろうが議員の娘だろうが関係なかった。しかし、ここは士官アカデミーである。艦隊の英雄を父に持つクロードに敬遠の目が向けられたのは、ある意味ではやむを得ないところであった。これでクロードが父の名声を盾に威張り散らしたら、さすがに周囲の者も黙ってはいなかっただろうが、幸運にも彼はそういう気質を持ち合わせていなかった。ロニキス自身がそういう人物でなかったことも影響しているだろう。だが、おとなしくしていればしていたで、『すました態度が気に入らない』という声もあるのだった。

「ヒール!」 
 レナの指先から淡い緑色の光が放たれ、老婆の体を包んだ。右腕と左足の切り傷がみるみる治っていく。同時に、苦しげだった表情が和らいでいき、老婆はもともとしわの多い顔をさらにしわくちゃにして喜んで礼を述べた。レナは笑顔でそれを受けると、次の怪我人のもとへ駆けて行った。
 クロードは、仰向けになった青年の足の裏を拳で叩いた。
「痛いっ!」
 クロードよりもやや年上のその男は、悲痛な叫び声を上げた。クロードは納得したように頷き、持ち上げていた青年の左足をゆっくりと芝の上に下ろした。
「どのへんですか?」
 尋ねると、青年はすねの辺りを指した。クロードはもう一度頷き、傍らに立つ青い髪の少年に声をかけた。
「ケティル」
「何? お兄ちゃん」
 期待で一杯のその顔は、砂で汚れていた。
「また、板を持って来てくれないか。それと布もな」
「うん、わかった」
 少年は頷くと、人ごみの中へ消えて行った。青年は、不安そうにクロードを見ている。
「その……どうなんだい?」
「ええ、たぶん、脛骨が折れているか、ヒビが入っていますね」
 クロードはさらりと言ったが、言われたほうはショックを受けないわけにはゆかず、手にしていた袋をぎゅっと抱きしめた。何か本が入っているらしいが、クロードには中身を透視する能力はない。
「大丈夫です。レナの治療を受けて固定しておけば、数日で治りますよ」
 やや離れたところで緑色の光を放っている少女を指して言った。青年が信じがたい、と目で語ったとき、ケティルが戻ってきた。自分の背丈ほどもある細長い木の板と何枚かの布切れを抱えている。クロードは礼を言ってそれを受け取ると、手際よく青年の足に巻きつけ、副木とした。それらは津波によって流されてきたもので、かつては家具の一部であったり、誰かが身に着けていたものである。
 クロードは士官アカデミーで応急処置のしかたを習ったのだが、こぶし大の医療器具ひとつで傷が完治してしまうような今の時代には必要ないのではないかと思っていた。
 ──意外なところで役に立ったな。
 何だかんだと言いながらもアカデミーに通い続けてよかった、とこのとき初めて思えた。
 クロードたちは、その後しばらく怪我人の手当てに当たった。クロードは勉強したことを思い出しながら、セリーヌはこれまでの経験を活かして、応急手当をし、そのあとをレナが回って回復呪紋をかけていった。
 その一方で、生存者をまとめて今後の計画を練っている男がいた。紫色の服に、すばらしい髭を蓄えた、海の男。クロードたちが乗る予定だった船の船長、ネルソーである。船員は一人を除いて全員が行方不明だが、集団のリーダーに相応しいとして推されたのである。
 とりあえずの医療活動を終えたクロードたちが船長のもとへ戻ると、船長は数人の男たちと輪を作って話をしているところだった。船長はクロードたちの姿を確認すると、輪に加わるように言った。
「とりあえず、マーズ、ハーリー、ラクールへの移住希望者は、彼が率いてくれることになった」
 ネルソーが言うと、紋章術師の『彼』は軽く頭を下げた。
「私も当面先延ばしになるでしょうがエル大陸へ渡るつもりですからね。それに、マーズは故郷でもありますし」
 『彼』は一旦言葉を切ると、クロードの後ろに座っている派手な服装の紋章術師を見た。セリーヌがすぐにきっと睨み返すと、『彼』は嫌な顔をして視線を逸らし、話を続けた。
「マーズの長老様に、ハーリーの町長らへの紹介状を書いていただくつもりです」
「クロス城下、サルバ、アーリアへの希望者は俺が率いる。ただし、クロス城までだ。そのあとは、誰か別の者に譲らなければならないが……」
 船長はそこで顔をしかめた。
「困ったことに、誰もサルバやアーリアに繋がりのある人間がいないんだ」
 他の男たちも腕を組んだりして、それぞれに悩んだ。
 そろそろ日が暮れるということで輪の中央に薪がくべられ、男たちの顔が赤い炎に照らされた。
「あの……」
 静寂を破ったのはレナだった。全員が一斉に青黝あおぐろい髪の少女に注目する。
「私、アーリアまで行きます」
「……本当かね?」
「はい……。生まれ故郷ですから」
 男たちは安堵の表情を浮かべ、気の早い者は酒を取りに行こうとした。流れ着いた食糧はすべて一箇所に集められている。
「それはいいが……」
 船長の口調は猜疑の微粒子を含んでいた。それを感じたクロードは、心の中で身構えた。しかし、船長は「いや、いい」と言って首を振り、会議を終了した。
 別の場所で女性たちが即席の食卓を作り上げており、男たちはそちらへ去って行った。小さな焚き火の前には三人だけが残された。レナの顔は炎に照らされながらも、明るいとは言えなかった。
 『アーリアに繋がる者』として、レナはすぐさま名乗り出るべきであったのだが、それはためらわれた。クロードも本来なら推挙すべき身であったが、やはりためらわれた。セリーヌは関わりたくない、といった態でどこかに行ってしまった。ケティルは、家政婦に手を引かれ、男たちと共に去っていた。何も言わずに行ったのは、彼なりに何か感じるところがあったからかもしれない。
 レナは、故郷に帰るのが嫌なわけでは決してないはずだった。むしろ、これまで経験したことのなかった長旅をここまで続けてきたことを思えば、そろそろ帰りたくなってもよいはずだった。だが、彼女は積極的に帰ろうとはしなかった。旅に出る前の晩の会話から、クロードにはその理由が分かっていた。レナは、帰るのを恐がっているのだ。
 ここ数日間魔物たちと戦いながら、洞窟に潜ったり、野宿をしたりして、あと一歩で目的地であるエル大陸へ足を運ぶことができたのに、突然の大地震と大津波で希望は絶たれた。船長から教わった通りにラクール大陸から渡る方法もあるが、その前に住み慣れた故郷へ帰ってしまったら。母親に会ってしまったら。
 きっと動揺するだろう。最悪の場合は、もう二度と旅には出られなくなるかもしれない。そのとき、『本当の母親を探す』という彼女の最大の目的は忘れ去られてしまっているに違いなかった。それは、レナ自身にとってあってはならない状況であった。
 だが、目の前で苦痛を訴える多くの人々を見ていると、どうしても名乗り出ないわけにはいかなかったのだ。
 船長が猜疑の目を向けたのは、本当は帰りたくない、という彼女の心を見抜いたからであろう。そしてクロードは、レナを守るために身構えたのである。

 杜撰ずさんな字で『オジャガ亭』と書かれた大きな釜を中心にして大小様々なテーブルが円形に並べられ、人々は不安を抱えながらの食事を始めていた。幸いにも食事ができないほどに心に傷を負った者はいないようだった。むしろ、食欲と活気に溢れているようにも感じられた。生き残ったことへの喜びをこそ今は噛み締めるべきであろう。
 クロードたちも、小さなテーブルを囲んでいた。
「お兄ちゃん」
 『とにかくいろいろ煮込んだもの』──オジャガ亭コック談──を飲み干した時、ケティルが何かを取り出して言った。
「なんだい?」
「これ、食べてみる?」
 ケティルがテーブルに出したものは、何かを藁のような物で包んだ物だった。中身は分からない。
「これ、食べ物か?」
「たぶん……。コックさんがくれたものだから大丈夫だと思うんだけど」
 クロードは眉を寄せたが、とりあえず食べてみることにした。包みを開くと、何か得体の知れないネトネトした茶色の粒が大量に現れた。おまけに変な匂いがする。
「本当に大丈夫なの?」
 レナが心配そうな目をして言った。クロードは不安になる気持ちを抑えながら、それをスプーンですくい、一気に頬張った。
「うにゃっ!」
 どこから出しているのか自分でも分からないような声を上げると、クロードは驚きのあまりそれを飲みこんでしまった。顔面を蒼白にしながら、水の入ったコップに手を伸ばし、がぶ飲みした。
「ねばってぬめってなまぐさいぞっ?!」
 すごく言いにくそうな言葉を早口で吐き出すと、ふたたび水を口に流し込んだ。その様子を見ながら、レナが独自の見解を述べた。
「……海水に浸かって溶けたのかしら?」
「う~ん……もっと別のものをもらってこようか?」
 ケティルは言ったが、クロードは首を激しく横に振った。なにしろ、『とにかくいろいろ煮込んだもの』という見た目そのままの名前の料理も、美味いわけではないのだ。不味くもないが、レストランで出すような料理ではない。誰も不平を言わないのは、緊急時であることと、他に料理がなかっただけに過ぎない。そんな料理を作った人物と、この得体の知れない粒をよこした人物は同一なのだ。まともな食べ物は期待できそうになかった。それに、とりあえず腹は一杯になっている。
「そう言えば……」
 レナが、急に辺りを見まわし始めた。一同が何事かと見つめるのに気づくと、彼女は言った。
「どこで寝るのかしら?」
 クロードは、そんなことよりも口の中に漂うぬるぬるした感触をどうにかしてほしいと思った。

 霧が、人のいない街を覆っていた。海は穏やかで、新しい海岸線に静かに打ち寄せている。普段と何ら変わることなく、太陽が昇り始めた。
 目が覚めたとき、すでに作業は始まっていた。荷物をまとめる女たち。それを荷車に積みこむ男たち。彼らを手伝う子供たち。
 クロードの隣では、レナがまだ幸せそうに眠っていた。視線を更に先へと移動させたが、セリーヌの姿はなかった。首を傾げつつ起きあがり、自分の毛布をレナにかけてやると、クロードは船長を探し始めた。
「きゃっ」
 すぐ近くで声がして何事かと思うと、大きな荷物を抱えた女性が立っていた。邪魔をしてしまったらしい。
「すみません」
「いえ、いいんですよ」
 女性は、にっこり微笑んで、別の方向へ歩き去った。その方向をたどると、ネルソー船長が立っていた。
 船長は高く積み上げられた荷物の山の前で、メモを見ながら指示を出しているところだった。クロードが声をかけると、片手を上げて応じた。人の流れを横断しながら、船長の方へ歩いて行く。
「おはようございます。すみません、遅くなってしまって」
「あんたらには昨日みんな世話になったからな。いいってことよ」
「いえ……」
 頭をかきながらクロードは尋ねた。
「そうだ、セリーヌさんを見かけませんでしたか?」
「いや、見てないな。まだ寝てるんじゃないのか」
「それが、いないんですよ。おかしいなぁ……」
 言いながら辺りを見まわしたが、あの目立つ格好の紋章術師は見当たらない。もっとも、濃い霧と、人の移動で舞い上がる砂埃でそう遠くまでは見えないのだが。
 一旦レナのところへ戻ろうとすると、船長が朝食だと言って、荷物の中からパンをいくつか渡してくれた。
 寝場所は大きめの焚き火の回りに、それを取り巻くように作られている。そういう場所がいくつか設けられたが、大方は既に片付けられていた。クロードたちが寝ていた場所も、幾人かの少年たちによって片付けが始まっていた。
「おはよう、クロード」
 レナが後ろから声をかけてきた。まだ寝ているものだと思っていたクロードは、驚いて振り返った。
「おはよう」
「もう、始まっているみたいね」
「うん。今日中にクロス城かマーズまでに着かないといけないからね」
 生存者は千人程度いることが分かっている。もとの人口の十分の一にも満たない。しかし、よその町へ移住するのには、この人数は多すぎた。クロス城やマーズへ行くのには十五時間程度かかるが、途中で野宿するとなると、寝場所を確保したり、夜間の見張りも必要だ。ましてや最近は魔物が横行するようになったから、女子供を連れ歩くのはかなり危険になる。そこで、朝早く出発し、その日のうちに目的地にたどり着くようにしよう、ということに決まったのだった。
「そうだ。これ、朝食。船長さんがくれたんだ」
 クロードはパンをひとつ渡し、自分も食べ始めた。
「ありがと」
「ところで、セリーヌさんを見なかったかい?」
 パンを口に入れたまま、レナは首を横に振った。
「おかしいなぁ。船長さんも見なかったって言うし」
 二人で首を傾げつつ口をもぐもぐさせていると、何かが砂埃を上げて彼らのほうへやってきた。荷造りをしていた人々全員が、一斉に注目する。
「お兄ちゃ~ん!」
 体に響くような音に紛れて聞こえたのは、ケティルの声だった。砂埃が近づいてくると、声だけでなく青い頭も見えてくる。やがて、やってきた何かの全貌もはっきりした。三十頭ほどはいるかと思われる馬の群れだ。車を引いているのもいる。
 ケティルの乗っている馬車が、クロードたちの前に止まった。他の馬たちは、そのまま、荷物の山のほうへと走り抜ける。
「ケティル!」
 クロードたちが駆け寄り、ケティルは馬車から飛び降りた。美しい飾りのついた、なかなか立派な馬車だ。
「これ、どうしたの?」
 レナが食べかけのパンを片手に言った。
「全部、ボクんちの馬なんだ」
 少年はあっさりと言った。クロードとレナが目を丸くしていると、馬車に残っていたお手伝いさんが降りてきた。
「郊外に、お屋敷専用の馬場があるんです。昨晩、坊っちゃんがこの馬のことを思い出されまして、旦那様も奥様もいらっしゃらないのにどうしようかと思いましたが、今朝早く街の方々と一緒に馬場へ行きまして」
「これで、えらく旅が楽になるな」
 いつの間にか、船長が来ていた。
「ありがとうよ、ボウズ」
「うん」
 お手伝いさんは『ボウズ』という言葉に眉をひそめたが、ケティルの顔は誇らしげだった。
 やがて、ケティルたちの乗ってきた馬車も荷物置き場の方へ回されると、同じ方角からセリーヌが姿を現した。
「セリーヌお姉ちゃん!」
「セリーヌさん、どこに行っていたんですか?」
 その質問に、美しい紋章術師はある意味で恐ろしいセリフを清ました顔で吐き出した。
「トレジャーハント、ですわ」
 クロードとレナは顔を見合わせ、これ以上の質問をしないほうが精神上安全であるという意見で一致した。

 クロス城方面とマーズ方面へのグループの出立は同時であった。魔物の襲撃に備えて、小出しにしたほうがよいのではないか、という案もあったが、大勢で動けばそれだけで抑止力になるだろうという意見にまとまった。
 さすがに全員が馬車や荷台には乗れないので、移動速度は歩くのとほとんど一緒だが、子供や年寄り、怪我人などを歩かせる必要がないのは非常にありがたいことだった。若い者も全く疲れないということはありえないので、交代で乗り降りして、馬を引いたり、周囲の警戒に当たったりした。
 クロードたちは先頭の方を歩いていたが、そこに青い髪の少年の姿はなかった。他の子供たちをまとめ、大人たちの邪魔にならないように遊んでいた。案外、リーダーの素質があるのかもしれない。
 やがてクロス大陸中央部に差しかかると、いよいよ二つの集団が分かれる時が来た。分かれても相手の姿が見えるうちは、互いに無事や健康を願う声が山々に響いていた。
 そして、夕日がほとんど姿を隠したころ、クロードたちはクロス城下へたどり着いた。十五時間の長旅であった。

 およそ五百人の旅人たちに城壁の外で待機してもらうと、クロードはレナと船長とともに『王国ホテル』へと向かった。すっかりエル大陸へ渡ったものだと思っていたレイチェルは驚いたが、事情を聞くと団体客の受け入れを承知してくれた。
 まず、年寄りや怪我人などの体の弱い者を客室へ入れ、続いて子供たち、最後にできるだけ多くの人々を客室へと詰め込むと、残った者たちは廊下やロビーの壁に寄りかかって眠った。もちろん、五百人分の毛布や食事はなく、報せを聞いた周囲の住人やクロス大聖堂が善意で提供してくれたのだった。レナは急に忙しくなったホテルを手伝い、クロードは外の荷が崩れていないかチェックしたり、馬の世話もやった。世話とはいっても、これも貰ってきた餌をやるだけだったが。その作業の中、不審な人物が荷物を漁っているのをクロードは発見した。暗闇に息を潜めながら近づくと、頭が尖がっていることが判明した。
「セリーヌさん、何やってるんですか」
「あら、クロード」
 真っ暗いところで突然呼ばれたのにもかかわらず、その声には少しの驚きも含まれていなかった。
「自分の荷物を点検していたんですのよ」
「荷物……?」
「ええ、今朝クリクで。明日にでもオークションにかけようかと思っていますの」
 言いながら作業する彼女のわきから、クロードは荷物の入った箱を覗いた。赤、青、緑……そのほか美しく輝く宝石類、金銀の装飾品、どうやって運んだのか、全高一メートルほどの銅像……。もちろん、昨日の夕方まではクリク市民の誰かの持ち物であった物だ。『こういうのって、火事場泥棒って言いませんか?』と言いかけて、さすがにやめると、クロードは別のことを口にした。
「これ、中に運んでおいたほうがいいんじゃないですか?」
 すると、紋章術師は呆れた顔で言った。
「そんなことできるわけないでしょう。ここにいる誰かの持ち物だったのかも知れないんですのよ。『火事場泥棒』なんて言われたくありませんもの」
 ──そんなことなら、始めからやらなければいいのに。
 そう思ったが、やはり声に出すのは避け、クロードは自分の作業を再開した。

 さすがに疲れていたのだろう。起きたのは十時近くだった。遅めの朝食を摂って外へ出ると、セリーヌが自分の荷物が入った箱を抱えてやって来るところだった。見かけの割に重そうなのは、中が貴金属ばかりだからだろう。
「それ、どうするんです?」
「アーリアへ行くのでしょう? その間に、わたくしの村に届けておこうと思ってますの」
「オークションに出すんじゃなかったんですか?」
「出す物は出しましたわよ。これは、手入れが必要な分ですの。今は道具もありませんから。それに、ハーリー経由でラクールへ行くのでしたら、途中でわたくしの村も通りますし」
「そうですか。じゃ、くれぐれも見つからないように」
「分かってますわよ」
 そう言って、セリーヌはフロントのほうへと向かって行った。
 外では、荷物の積み下ろし作業が行われていた。とりあえずここに住むことにした者の分を下ろし、先へ行く者の分を積み直す。その中に、紫の服を来た髭男や青黝い髪の少女の姿はなかった。クロードが首を捻っていると、代わりに青い髪の少年が現れた。
「ケティル、レナや船長さんを見なかったかい?」
「二人ともお城へ行ったみたい。王様に会うんだって」
 おそらく、事情説明と今後の保障についてだろう。本来ならクロードも行ったほうがよかったのかもしれないが、今から行っても仕方がない。荷物の仕事を手伝ったほうがよっぽど役に立ちそうだ。
 そう思って仕事に取りかかろうとしたとき、豪華な馬車が城下に進入して来るのが見えた。それは、ケティルの馬車よりも何倍も輝かしい金銀の装飾品で飾られ、二頭の逞しい白馬に引かれていた。街の人々の視線が集中し、ケティルも唖然としてその様子を見ている。
 馬車が『王国ホテル』の横、城門の前に止まると、中から一人の男性が姿を現した。若い女性たちが、一斉に声を上げる。
「アレンさま!」
「こっち向いて~!」
 アレンとは、あのアレン・タックスか、とクロードは目を細めた。たしかに、あのアレン・タックスだった。やや緑色がかった黒の長髪。黒を基調とした貴族的な服。美しい装飾の施された短剣を帯び、赤いマントまで纏っている。城門の前に止まったことから考えて、おそらく正装だろう。
 ひっきりなしに続く女性たちの声に軽く手を上げて応えると、貴公子はまっすぐクロードの方へと向かってきた。
「やあ、クロード」
「やあ」
 クロードはややぎこちなく応じた。こんなところで、こんな状況で、こんな格好の彼に会うとは思いも寄らず、少々動揺していた。
「一体どうしたんだい? 一昨日の地震と何か関係が?」
 アレンは周囲を見まわしながら尋ねた。
「サルバも揺れたのかい?」
 クロードは驚いた。クリクはクロス大陸の北端、サルバは南部の街だ。大陸が丸ごと揺れたというのか。そういえば、ここはクリクとサルバの中間地点だから、当然揺れたはずだ。レイチェルが何も言わなかったのは、さほどの被害ではなかったからだろうか。
「ああ。まあ、少しね。で、彼らは?」
 クロードは彼だけに聞こえるよう、事情を説明した。説明を聞き終えたアレンは、目を丸くしてしばし沈黙していた。その間にある考えが閃き、クロードは言ってみた。
「頼みがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
 その言葉にアレンは気を取りなおして、慎重に頷いた。
「サルバとアーリアまでの移住希望者だけど、君が連れて行ってくれないかな」
「……それは構わないけど。どうしてだい?」
 少しためらってから、クロードはレナのことを話した。今故郷へ帰ってしまうことの重大さを。アレンは、深く頷いた。
「君の言うことは分かったよ。君にならレナを任せられる。僕が言うのもおかしいかもしれないけど、その代わりに君はレナを守って、そして、その旅の目的が果たせるように彼女を導いてやってくれ」
「アレン……」
 彼の表情に寂しさが見え隠れしているのを感じたクロードは、複雑な心境になった。レナの出生の秘密は彼にも明かしておらず、そのことが、さらに後ろめたさをも感じさせた。
 しばしの沈黙の後、クロードは言った。
「わかった。約束するよ」
「よかった」
 アレンは微笑んだ。
「ところで、今日は何をしにここへ?」
「うん。この間の騒ぎのことを報告しにね」
 アレンは照れくさそうに言った。その姿を遠くから見ていた若い女性たちの間から、なにやら妙な噂が立ちはじめたが、彼らには聞こえなかった。
「そうか……町長代理も大変だな」
「まあね。でも、将来のための経験にもなるからね」
 などという会話をしているところへ、二人の男女が現れた。
「アレン!」
「やあ、レナ」
 端麗な貴公子が可憐な少女と親しげに声を交わすのを見た女性たちの間にまた別の噂が起こったが、やはり当人たちには聞こえなかった。
「どうしたの?」
「大したことじゃないけど、王様にお会いしにね」
「そうなの? 私たちも今、謁見してきたところなの。クリクへ派遣隊を送るそうよ」
 そう言うと、レナは『私たち』の片割れであるネルソー船長を紹介した。
「クロードから話は聞いたよ」
「そのことなんだけど、彼がサルバとアーリアまでの希望者を率いてくれることになったんだ」
 クロードは発表する。
「アレンが?」
「うん。僕の家の馬車も使えばもっと楽になるだろうし。それに、君たちの役に立てるなら喜んで」
「アレン……もし、あのことを気にしているなら……」
 レナが心配そうに言ったが、アレンは笑って首を横に振った。
「そんなんじゃないよ。ただ、君たちの役に立ちたいんだ。やれることはやりたいんだよ。僕は町を離れるわけなはいかないから」
「……ありがとう、アレン」
 レナは笑顔で頷いた。

 一時間ほどしてアレンが謁見を済ませて来ると、サルバ・アーリア方面への移住者は全員が馬車や荷車に乗って出発した。おそらく、夕方前にはアーリアまでたどり着けるだろう。クロス城下に身を置くことにした旧クリク市民も、仲間たちを大声援で見送った。
 クロードたちと親しくなった少年ケティルは、彼自身の希望もあって、レナの手紙を携えてアーリアへ向かうことになった。母に無事を知らせ、ケティルたちのことを村長に頼む手紙だった。
「さて、わたくしたちも出かけましょうか」
 いつまでも精神的な見送りを続ける少年少女の背中に向かって、セリーヌは言った。少年少女は同時に振り返り、同じ表情で頷いた。

 クロス城下を出て、平原を東へ進む。左右を山脈に挟まれながらしばらく行くと、北側の山脈が途切れる。そこを曲がれば、失われた港街クリクへ通じる。そのまま西へ突き進めばマーズ村があり、さらにその先にはもう一つの港街ハーリーがあるのだ。
「あれが、マーズですわ」
 白い手袋が指した先には大きな森があって、それの付属物であるかのように、小さな村が存在していた。小さな、とは言ってもアーリアよりは幾分大きい。背後にある森はあたかも神護の森を思わせ、クロードもレナも未知の村に対して親近感を覚えた。
「セリーヌさんは、やっぱり何度か来たことがあるんですか?」
 村の入り口に差しかかった時、木洩れ日を浴びながら、レナが尋ねた。わずかな間を置いてからセリーヌは答えたが、どことなくぎこちなさを感じさせた。
「えっ? ……ええ、そりゃあ、まあ、ありますわよ……」
「へえ~。どんなところなんです?」
「そうですわね……」
 何か答えようと辺りを見回した時、気になるものが視界に入ってきた。
「あら?」
「なんだろう?」
 クロードも発見したそれは、人の輪だった。何人かの大人たちが集まって、深刻そうな顔つきで何やら話し合っている。藤色の髪の紋章術師は、優雅な足取りでそれに近づいていった。
「一体、どうしたんですの?」
 男女十人ほどの目が一斉にぎょろっと動き、口がそれに続いた。
「セリーヌ!」
「セリーヌさん!」
「もしかして、どこかで話を聞いたのかい?」
 セリーヌは首を傾げた。
「話って、何ですの?」
「知らないのか?」
 村人はすこし驚いた様子だった。
「セリーヌさんて、有名なのね」
 まだ村の入り口に立ったままのレナが言った。
「そうみたいだね……。でも、なんで有名なんだろう?」
「……さあ?」
「とにかく、セリーヌさんの所へ行こう」
 レナは頷き、二人は静かにセリーヌの後ろに並んだ。それを気にも留めずに、村の若い男は話を続けた。
「山賊の一味が子供たちを人質に、紋章の森に立て籠ったんです」
「山賊ですって?」
 セリーヌは周囲に視線を走らせた。その意味を悟った別の男が言った。
「ああ。だが、村を荒らし回った末のことじゃない。誰も、さらわれた現場を目撃していないんだ」
「山賊のボスは、多額の身代金を要求しているのよ」
「多額って、いくらくらいなんですの?」
 セリーヌが問うと、村人たちは互いに顔を見合わせた。輪の中で最も年の多い男性が重みのある口調で答える。
「詳しいことはよく分からんのじゃが、先ほどこの村を一人の剣士が通りかかってな。応援を頼もうと思って、長老の家に連れていったんじゃが……」
 老人は、人の輪の外へと視線を移した。他の家々にくらべて幾分か大きい白い家が建っている。
「じゃあ、長老様のところへ行けば何か分かるのかしら?」
「そういうことじゃな。エグラスやラベも交えて、話し合いが行われとるはずじゃ」
 セリーヌは二、三度瞬きしてから、ゆっくりと頷いた。
「わかりましたわ」
 体を反転させると、宙に浮く白いマントがはためいた。
「行きますわよ、二人とも」

 古い木の扉を開けると、その擦れ合う音が室内に響いた。
「セリーヌ!」
 室内には、幾人かの大人が長テーブルを囲んでおり、入り口と対面した席についていた女性が声を上げた。
「お母様、これは一体どういうことですの?」
 そのセリフを聞いたクロードは、ギョッとなった。恐る恐る口を開く。
「お母様って、セリーヌさんのですか?」
「ええ、ここはわたくしの故郷ですのよ」
 振り向かないまま、セリーヌは点頭した。
「セリーヌさん、マーズの出身だったんだ」
 レナの声には、羨望の成分が含まれていた。マーズは、紋章術師の村として有名なのである。別にセリーヌが特別な有名人だったわけではなかったのだ。
「こちらは旅の仲間で、クロードとレナですわ」
 セリーヌが紹介すると、紹介された二人は軽く頭を下げた。セリーヌの母親も会釈を返すと、『ラベ』と名乗り、三人に席を勧めた。
 長テーブルの上座の位置にはいかにも『長老』という感じの白髪、白髭の老人。セリーヌの母の左にはセリーヌ自身が、右にはセリーヌの父親と思われる男性が座り、一つ席を空けてフードつきのマントを被った若い紋章術師が座っている。これは、『長老』に最も近い席で、彼が話の中心であるようだ。やや緊張した面持ちを示している。クロードはセリーヌの真正面に座り、その右にレナが、左側は一つ席を空けて、剣士風の人物が静かに腰を下ろしていた。深い青色の長髪で、顔を覗いてみると非常に美しい顔立ちだったが、表情は冷たかった。
「これは、マーズ始まって以来の大事件じゃ……」
 長老が口を開いた。
「長老様、わたくしたちは、まだ事件のあらましを知らないんですの。詳しく教えてくださらないかしら」
「私が代わりに話そう」
 ラベの隣に座る男が言った。
「お父様」
 『お父様』はクロードたちに名乗り、『エグラス』という名が判明した。
「ことの始まりは昨日の夕方だ。村にいたはずの子供たちが全員、かき消えるようにいなくなってしまったのだ。私たちが慌てて捜索を始めるのと同時に、彼が紋章の森から大変な伝言を持って帰って来た」
 言い終えると、エグラスは長老の横に座る紋章術師に視線を転じ、他の者も一斉に注目した。若い紋章術師は、息を呑んでから少し興奮した面持ちで話し始めた。
「私はその時、紋章の森で修行をしていました。すると突然、私の目の前に山賊が現れたのです。私は身構えましたが、相手はこう告げただけで消えてしまいました」
 そこで一旦切ると、山賊の言葉を思い出すような仕草を見せた。
「俺たちのボスが、お前たちの村の子供を預かっている。返して欲しくば、五十万フォルと、『密印の書』を用意しろ、と……」
 クロードは首を傾げると、疑問を提示した。
「『密印の書』とは何ですか?」
「全てを話すことはできぬが、我が村に伝わる門外不出の紋章術書の一冊じゃよ」
 長老は答えた。それにエグラスが続ける。
「私たちはそれを聞いて酷いショックを受けました。子供たちがさらわれた事実だけではなく、紋章の森に山賊が侵入したこともショックだったのです」
「紋章の森にはよこしまな者が入れないように、聖なる紋章が隠されて刻まれているのです。その結界を破られたとなると、相手は相当の使い手だと考えなければなりません」
 紋章術師の言葉に一同は沈黙した。柱時計の音だけが彼らの聴覚を支配する。
「それで、子供たちは無事なんですの?」
 セリーヌの質問によって、議論は再び活性化した。エグラスが娘の質問に答える。
「第二の使いによれば、山賊たちは紋章の森の奥地に子供たちと共に留まり、こちらが要求を呑むまでは動く気がないという。それ以上のことは分からないのだ」
「紋章の森は紋章術師の修行場です。使いようによっては、天然の要塞ともなります」
「それでも山賊程度の相手ならば、私たちが数人いればなんとか倒せるとは思うが……」
「じゃが、子供たちの命の危険を考えると、必要以上に手出しができんのじゃ。相手はたかが山賊とはいえ紋章の森の結界を破った強者。わしらが勝利したとて、子供たちが無事でなければ意味がない」
「それじゃあ、手も足も出ないじゃないですの」
 いらいらしている様子のセリーヌに、父は小さからぬ抵抗を試みた。
「しかし、私たちもいたずらに手をこまねいていたわけではない。調査の結果、山賊どものアジトは突き止めた。あとは何とか子供たちを救出するだけなのだが」
 話は一気に出口へと向かい始めた。クロードが口を開く。
「それでは……」
「うむ。しかし先ほども言ったように我々だけでは、いささか心もとない。そこで、偶然この村を通りかかった剣豪の方に、一緒に力を貸してはもらえないかとお願いしているのだが……」
 エグラスは自分の真正面に座る男に視線を移し、一同もそれに倣った。
「ディアス……?」
 驚きを含んだ声を発したのは、クロードの右側の人物であった。それに気付いたエグラスも、軽く驚いてから言った。
「ほう、レナさんはディアス殿のことを知っていらっしゃるのですか」
「はい。同じ村の出身なんです」
 クロードは、王国ホテルに最初に泊まったときのことを思い出した。確か、何か事件があって村を出ていったという。レイチェルが彼の名を出した時のレナの様子は、彼に対する何か特別な思いを窺わせていた。今も、レナの視線はクロードを飛び越えて、彼、ディアス・フラックのみを捉えているように思えた。
「ディアスに頼むんですか?」
「ええ、ディアス殿は、剣士の間ではその名を知らぬ者がいないほどの剣豪ですからな」
 エグラスは頷いた。
「それなら絶対そんな人たち倒せますよ! ディアスは誰よりも強い剣士なんだから!」
 レナは、ディアスが選ばれたことを喜んでいるようだった。まるで自分のことのように。クロードは、同じ村の出身者の出現と、レナの様子とに戸惑いを覚えた。
「それでお父様、ディアスさんはOKしてくれたのかしら?」
 それまでディアスを値踏みするような目つきで見ていたセリーヌが言った。判定の結果は顔にも声にも表れていない。
「うむ。ラクール武具大会の腕慣らしに丁度いいと言って、引き受けてくださったのだが……」
 エグラスは表情を曇らせながら、再び若い紋章術師の方へ視線を転じた。
「私は反対しているんです。こんな素性の知れぬ相手に頼むのならば、私たちで森に踏み込めばいいのですから」
「そんなことありません! ディアスの身元も剣の腕も、私が保証します!」
 レナは反論したが、紋章術師は動じなかった。
「お嬢さんに保証されても……ね」
 レナ自身ですら、この村に訪れるのは今日が初めてなのである。信用しろと言われても無理なことであった。
「まあ、確かにこれは我々の村の問題でもある。通りすがりの剣士殿に頼むのも無責任かも知れぬが……」
 エグラスの言葉には、できるならディアスの助力を得たい、という気持ちが十二分に感じられた。
「まあ、でしたらお父様、その悩みを解決する一番の方法がありましてよ。山賊を倒す役目を、わたくしたちに任せてはいただけないかしら?」
 一同は、驚きの目をセリーヌに向けたが、とくに、両親であるエグラスとラベの驚きようは激しかった。それでも、なんとか気持ちを落ち着けると、エグラスは恐る恐る訊ねた。
「セリーヌ、本気か?」
「もちろんですわ。わたくしたちの修行の成果を、はっきりと証明できる時ですもの」
 セリーヌは自信満々と言った風で頷いて見せた。クロードは、『わたくしたち』はよいとしても、『修行』とは何のことだろう、と思った。自分にはソーサリーグローブの調査という目的があるのだが、彼女にとっては単なる修行の一環なのだろうか。
「どうでもいいが、お払い箱だというのなら俺はこの村を去るぞ。しかしその傲慢な女のせいで失敗しても、俺は知らんからな」
 セリーヌの『すばらしい提案』を侮辱したのは、今まで一言も口を聞かなかった、ディアス・フラックであった。クロードは初めて彼の声を聞いた。
「何ですの、この失礼な男は!」
 セリーヌは、怒りを抑えるという面倒な努力をする必要を認めず、顔を紅潮させて『失礼な男』を怒鳴りつけた。それに対し『失礼な男』は顔の筋肉一つ動かすのすらもったいない、というような口調で言い放った。
「あんたのほうが失礼だよ。途中から入ってきて、勝手に作戦自体をかき乱しているんだからな」
「なんですって!」
 セリーヌはますます顔を赤くしたが、ディアスは意に介さず、悠然と立ち上がった。
「俺はもう失礼する。宿屋のほうに戻っている」
 深い青色の髪をなびかせながら部屋を出て行く彼に何か言おうとしてか、レナは席を立ったが、結局何もしないまま同郷者の背中を見送った。
「お父様、本当にあんな怪しげな剣士に頼むつもりですの? ちっぽけな山賊一味なんて、わたくしたちで捻り潰してやりますわ!」
「いや、そうは言うけどね、セリーヌ……」
 セリーヌとエグラスは口論を始めたがが、レナはディアスが去った後も古い木の扉を見つめ続けており、クロードはその様子をずっと見ていた。

「レナ、ディアスさんのところに行ったきり、帰ってきませんわね……」
 かれこれ三十分ほど経っただろうか。クロードとセリーヌは村長の家の前のベンチに腰掛けて、レナの帰りを待っていた。父娘の議論が終着点を迎えると、レナはディアスのところへ行く、と言って、一人で宿へ行ってしまったのだ。
「あの人本当に、一人で行くつもりなんですかしら……」
「多分、本当だよ。よっぽど自分の腕に自信があるんだろうね」
 クロードの口調には皮肉が含まれていた。なぜだかよくわからないのだが、クロードはディアス・フラックという男が気に食わなかった。それはセリーヌも同じであった。
「まったく長老様ったら! それでもあの男に頼もうだなんて!」
 セリーヌは、ぶらぶらさせていた足を勢いよく前に振ると、そのまま立ち上がり、拳を握り締めて振り返った。
「クロード、わたくしたちも見せつけてやりましょうね!」
 が、クロードはなにか別のことを考えていて、彼女の勢いには乗ってこなかった。
「まあ……ね」
 頼りない返事にセリーヌはまたもや憤慨した。
「やる気がないんですの? せっかく、わたくしがお父様を説得したっていうのに」
 長老はディアスに頼むことに決めたのだが、セリーヌは無理矢理な論法を用いて、自分たちの参加も認めさせたのであった。
 クロードが何か答えようとしたとき、レナが宿屋のほうから走ってきた。クロードも気付いて、ベンチから立ち上がった。
「遅かったですわね、あの男に何かされませんでした?」
 セリーヌの声にはあからさまな嫌味が含まれていたが、レナは完璧にそれを無視した。
「突然だけど、お願いがあるの。ディアスを仲間に入れてほしいの」
 セリーヌは眉をひそめて首を傾げた。
「それって、どういうことですの? もしかして、怖じ気づいて助けを求めてきたのかしら?」
 レナは、嫌味の部分を再び無視した。
「ディアスに頼んだの。そうしたら、一緒に戦ってくれるって約束してくれたの」
「そりゃあね、カワイイ彼女の頼みなら、聞かないこともないでしょうけど……」
 レナは首を激しく横に振った。表情は必至である。これまでの話しかたも、まくし立てるようだ。
 ──なんでそんなに必死になるんだろう?
 クロードは思った。
「そんなんじゃないの。剣の腕も本当に一流なのよ! 私たちの大きな力になってくれるわ」
「どうしましょう、クロード?」
 レナの真摯な訴えに感ずるところがあったのか、セリーヌはクロードに決断を任せた。クロードは少し考えていたが、やがて顔を上げると、やや引き締まった、というよりは、むしろ無表情に近い感じで言った。
「彼は一人でやれるって言った。だったら一緒に行く必要なんてないよ」
「ひどい! どうしてそんなこと言うの?!」
 ──ほんとだ、なんでだろう。
「僕は嘘は言っていないよ。それに僕たちだって、あの人がいる必要はないよ」
 ──そうだよ。あんなヤツいなくたって、やれるはずだ。今までだって三人で……。
「そう。じゃあ、私がディアスと一緒にに行くわ」
 ──え?
「レナ?」
 セリーヌは驚いてレナの肩に手をかけようとした。しかし、レナはそれを拒絶するように後ろを向いた。微妙に震えた声が聞こえる。
「クロードには必要ないかもしれないけど、私にはディアスが必要だもの」
 言い残して、レナは宿の方へ走り去った。
「しょうがないですわね」
 レナの後ろ姿を見ながら、セリーヌは腕を組んでため息をついた。素早く気持ちを切り替えると、クロードのほうを見て、
「決行日は明日だから、早めに装備を整えて寝ましょう」
 クロードはベンチに座り直すと、こくりと頷いた。

 ──僕は必要ないのかよ……。


 クロードの剣は、まだ買ったばかりではあるが、クロス大陸をあちこちと駆け巡り、また、安物であったこともあって、思っていたよりも損傷が激しかった。セリーヌがオークションで手に入れた金を提供してくれたので、思いきって新しい剣を買うことにした。セリーヌが資金を提供してくれた理由の大部分は、ディアスへの対抗意識という項目が占めているように、クロードには思われた。
 ルーフおばあさん、として村人に親しまれている老婆の店へ向かい、クロードは品物を選び始めた。
 大部分は凡庸な剣であったが一つだけ風変わりのものがあり、それを手にとってみた。不思議な感じがする、というのは何かの錯覚だろうか。しかし、炎のように赤い刀身からは、言葉では表現できない何かを感じた。
「おまえさん、目が利くのう」
 ルーフおばあさんが言った。
「え?」
「そいつの柄の部分を見てごらん。火の紋章が刻まれておるじゃろう」
 確かに、なにか紋章のようなものが刻まれている。
「その剣はな、フレイムブレードと言って、火の属性を備えているんじゃ」
「そうなんですか?」
 ルーフおばあさんはゆっくり頷いた。
「ああ。じゃから、切りつけられた相手は、傷だけでなく、火傷も負うことになるんじゃ」
「すごいですね」
「じゃが、最近はどうしてか売れなくてのう。紋章の力に頼らず、己の腕力だけで立ち向かおうとする者が多いんじゃ。悪いとは言わんが、紋章には持ち主の力を高めてくれる効果もある。きっと、助けになるじゃろうて」
 ルーフに同情したのではないが、クロードはこの剣を買うことにした。最近はセリーヌの紋章術に頼りがちであったし、今回はレナを抜いた二人で山賊たちと戦わなければならない。実力の足りない分を装備で補ったとしても、バチは当たらないだろう。
 店を後にすると、クロードはセリーヌの家に向かった。彼女の両親の好意もあって、今日はそこに泊めてもらうことになったのである。セリーヌの家に入る前に、その真正面に立っている宿屋を見上げた。すると、二階の窓に青黝い髪の毛が、一瞬だけ見えた。おそらく、クロードを発見して慌てて姿を隠したのだろう。姿を隠したレナと、思わず見上げてしまった自分とに複雑な怒りを感じながら、クロードはセリーヌの家の扉を押した。

「よいか、子供たちの安全が第一じゃ。そのことを考えて進むのじゃぞ」
 翌朝、昨日の一同は長老の家の前に会した。ただし、ある二名が欠落している。
「村の方は我々にまかせておいてください」
「お前たちも十分気を付けるんだぞ」
「もちろんですわ。ね、クロード」
 妙に愛想よくセリーヌは言ったが、クロードはまた考え事をしていて、返答は一呼吸遅れた。
「ああ、うん、そうだね」
 頼りなげな言葉にさすがに心配になったのか、エグラスは言った。
「やっぱり一緒に行ったほうがよかったんじゃないのか?」
「だったらどうして待っていてくれなかったのかしら?」
 セリーヌは反論した。レナとディアスは、早朝、霧が立ち込めるなか出発したのだという。今も、霧は完全には晴れていない。
「いや、彼らには彼らのやり方があるんだろう」
「先に山賊を倒して、自慢したいんじゃないかしら?」
 嫌味たっぷりに言うと、長老がたしなめた。
「セリーヌや、これは競争ではない。出会うことがあれば、協力して進むんじゃぞ」
「分かってますわ。長老様。必ず吉報を持ってまいりますわ」
「うむ」
 一同に見送られながら、二人は紋章の森へ向かった。セリーヌの母親ラベは、始終心配そうな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
 いよいよ森へ突入しようというとき、セリーヌが言った。
「さあ、いよいよですわ。レナたちに負けてられなくてよ」
 クロードは頷いた。
「分かってる」
 その口調は、やや突き放すようで、怒りに似た成分が内在しているように、セリーヌには感じられた。
「レナが言ったこと、ずっと考えてらっしゃるの?」
「えっ?」
 クロードは驚いてセリーヌを見つめた。セリーヌは何も言わなかったが、腕を組み、鋭い視線でクロードを射抜いていた。
 二人はしばらくそのまま立っていたが、やがてセリーヌが先に森の中へ入っていった。クロードは彼女が横を通り過ぎるまでじっと立ち尽くしていた。
 小鳥が一羽、寂しげに鳴き始めた。

 森の中は、湿った感じがした。まだ村の中よりも濃い霧が漂い、木肌を濡らしている。アーリアの神護の森は、名前の通り神秘性を感じさせる何かがあったように思うが、この紋章の森は、今にも木々の間から何かが飛び出してきそうで、大変に恐怖感を煽ぐ。視界を不透明にする霧のせいもあるかもしれない。森の主役である木だけではなく、地面もじめじめしていて、ところどころに水溜まりがあるし、一部は沼と化して浮き草の類が繁殖している。紋章術師たちはこの怪しげな森を修行場にしているようだが、滑って転んだりすることはないのだろうか、とクロードは思った。大体、こんな陰気なところで修行したくはない。
 足元に気を付けながら森の奥へと進んでいくと、前から人影がやってきた。一瞬、レナかと思ったが、容姿も声も違った。
「何だてめえら? 金を持ってきたのか?」
 三人組みの山賊が現れ、なかで一番悪そうな顔の山賊が言った。別の山賊がクロードたちを観察しながら言う。
「それにしちゃ、何も持ってねえな」
「手ぶらってわけじゃないよ」
 クロードは言った。なかなか落ち着いている自分が不思議であった。
「どういうことだ?」
「こういうことだ!」
 クロードは、新品の剣を抜いて見せた。赤い刀身が、わずかな太陽光を反射する。山賊たちは一瞬たじろいだが、すぐに気をとり直し、自分たちも腰の短剣を抜いた。
「そんなことをして、子供たちの命がどうなるか分かってるんだろうな。小僧」
「子供たちの命の前に自分の命のことを心配したらどうだ?」
 クロードには、完全な自信があったわけではない。相手の力量も分からないし、なにしろ人数が多い。勝てたとしても、無傷でいられるかどうか。だが、心の中でくすぶっている何かが、クロードに虚勢を張らせていた。
「やっちまえ!」
 顔にいくつかの傷跡を持つ山賊が言うと、残りの二人が襲いかかってきた。最も近い山賊と剣を交える。金属同士がぶつかり合う音が森の中に響いた。山賊は軽い短剣のせいもあって、攻撃を繰り出すスピードが速く、クロードは完全に力を出せない体勢のまま相手と対峙することになってしまった。すぐ目の前にある山賊の顔は、勝負あった、という表情でクロードに精神的圧力を加えていた。次第にクロードは押されていき、その度に金属の擦れる音が聞こえる。
 そして、ついにクロードの腕が限界に達したとき、突然、山賊が絶叫を上げた。持っていた短剣を弾くように手放し、地面の上を転がりながら大声で苦痛を訴える。クロードも、他の山賊も、何が起きたのか理解し得ないまま、転がる悲鳴を見つめていた。そのなかで、一人だけ冷静さを失わなかった者が声を発した。
「エナジーアロー!」
 はっとしてセリーヌのほうを振りかえると、もう一人の山賊を不気味な紫色のエネルギーの矢が四方八方から襲っていた。その山賊は、さらなる混乱に陥ったまま串刺しになり、やはり絶叫を上げて地面に倒れた。血は一適も出ていないが、代わりに白い煙が立ち昇っていた。
「セリーヌさん、あれは、一体……」
 クロードは、自分が剣を交えていた山賊を指しながら尋ねた。大声さえ上げていないが、まだ精神が混乱しているらしい。顎が噛みあわずに震えて音を立てている。最初に号令を出した山賊が、正気に戻そうと頬をはたいたりしている。
「その剣のせいですわ」
「え?」
 クロードは自分の剣を見つめた。炎のように赤い刀身。
「……そうか、火の紋章力が込められているんだっけ」
 剣自体が発する熱が山賊の短剣を伝わり、手が焼けるほどに熱くなったのだ。
「そういうことですわ」
 セリーヌは頷いた。そして、残る一人の敵を見る。火傷を負った仲間のことは諦めたらしく既に立ち上がっているが、こちらを憎悪の目で射抜いていた。
 クロードは剣を構え、セリーヌは呪紋を詠唱し始めた。山賊は、両手に布を巻きつけている。クロードの剣の力のことを推察したのだろう。そして、短剣をぎゅっと握り締め、憎悪は突進してきた。
「エナジーアロー!」
 クロードが攻撃するよりも早く、セリーヌが呪紋を唱えた。先刻と同様に、無数の闇のエネルギーの矢が山賊に襲いかかる。しかし山賊は怯む様子も見せず、逆に、にやりと笑いながら懐から『何か』を取り出して、上空に放り投げた。
 その瞬間、山賊めがけて空中から放たれた暗黒の矢は、標的をその『何か』に変えて突撃した。瞬間、『何か』が爆散し、鳥たちが一斉に飛び立ち、クロードとセリーヌは呆気にとられていた。
 その間にも、動く憎悪は突進を止めない。
 最初に我に帰ったのは、攻撃の対象ではないほうだった。
「クロード!」
 セリーヌが気付いた時、山賊はクロードの目と鼻の先に達していて、正確に心臓を狙っていた。その声にクロードが気付き目の前の現象を理解するのがあと半秒でも遅れていたら、彼は絶命していたに違いない。
 無意識の反射運動の後、背後で鈍い音と声がした。はっとして振る返ると、そこには山賊が倒れていた。苔だらけの木と抱き合いながら。短剣は地面に転がっている。
 セリーヌは胸を撫で下ろすと、クロードのほうへ歩み寄り、倒れている山賊を覗き込んだ。
「気を失っていますわね」
「うわっ!」
 セリーヌの言葉とは関係なく、クロードは突然大声を発し、しりもちをついた。肩を大きく上下させている。やっとのことで事態を把握し、頭の中でゆっくりとスリルを味わったのである。
「あら、もう息が上がったのかしら?」
 クロードは首を横に振った。声など出せる状態ではない。まったく、自分でも助かったのが不思議なくらいだ。もし、セリーヌの声に気付かなかったら。もしも、反対側に身を翻していたら。そんなことばかりが頭に浮かんで、息は収まらない。
 セリーヌも本気で言ったのではないようで、自分の用事を始めている。しゃがみ込んで、爆散した『何か』の名残を手に取り、何処から出したのか純白の布で拭いてみたり、石を拾ってそれで叩いたりしている。『トレジャーハンター』の顔と『考古学者』的な顔が懸命に自分の領土を奪い合っていた。
 クロードはやっとのことで立ちあがり、セリーヌの作業を覗き込んだ。
「何だったんですか? それ。呪紋を吸収しちゃったみたいですけど……」
「オリハルコンですわ」
「オリハルコン?」
 セリーヌは頷き、ひときわ大きい破片を布に包んだ。
「その昔、伝説の大陸アトランティスで使われていたという飛行金属ですわ」
「アトランティス……ですか?」
 どこかで聞いたことのある名前に、クロードは首を傾げた。セリーヌは頷いただけで立ちあがると、布に包まれたオリハルコンの欠片を、腰の後ろの方にしまった。宙に浮くマントで隠れているので、正確にどうしまわれたのかクロードには分からなかった。
 とりあえず二人は前進することにし、三人の山賊の死体──正確には死んではいない、とクロードは思っている──を残してその場を去った。歩きながらセリーヌが話してくれたところによると、オリハルコンは現在では比較的どこにでもあるが、それでも高価なため山賊たちの標的になりやすいらしい。また、『エナジーアロー』などの闇の属性を持つ紋章術から身を守ってくれる効果もあるらしい。クロードが買った『フレイムブレード』とは反対の役目をするわけだ。
「なかなかいい作戦でしたけれど……」
 セリーヌが、先程の山賊の評価をし始めたとき、森の奥のほうから声が聞こえてきた。オリハルコンの爆音が山賊の仲間をおびき寄せてしまったのかもしれない、と思い、二人は木の影に身を隠した。やがて山賊の集団が、どたどた、びちゃびちゃ、とやって来た。
「ちくしょう! 散々ナメた真似しやがって! タダじゃおかねぇぞ!」
 リーダー格の山賊が言うと、子分の一人が疑問を提示した。
「でも、実際、どこで暴れ回ってるんスか?」
「知るか! とにかく、探せ!」
「はぁ……」
 子分は、つきあいきれない、という表情をつい表に出してしまい、リーダーの不機嫌さをおおいに買ってしまった。
「なんだ? 不満でもあるのか!?」
「いえっ! ありませんっス!」
「よし。いいか、例え誰もいなくても、村へ出れば金持ち紋章術師たちのお宝が待っているんだ。身代金を直にぶん取って来てやれ!」
「オー! ……っス」
 山賊たちは、どたどた、びちゃびちゃ、とクロードたちがやって来た方向へ去って行った。
 その勇姿を見送りながら、セリーヌが言った。
「暴れ回ってるのって、レナたちかしら?」
「多分、そうじゃないかな……」
 クロードの目は、どことなく遠くを見ているように見えた。
「気になる? 二人のこと」
「何言ってるんだよ」
 クロードはムキになって言った。気になってたまるか、と青い目は語っていた。セリーヌは心の中で苦笑しながら、次の疑問を取り上げた。
「一体、レナとディアスさんはどんなナメた真似をしたのかしら?」
「そんなの知らないよ」
 突き放すように言うと、クロードは木の陰から正規の道へ戻り、森の奥の方へ早足で進んでいった。セリーヌは、首を傾げつつ心の中で苦笑し、クロードの後を追った。
 しばらく山賊とは出くわさなかったが、何度か森の魔物に遭遇した。普段なら、セリーヌの紋章術で一掃出きるのだが、ここは狭い森の中なので、『レイ』などのような広範囲に影響を与える呪紋や、『ファイアボルト』などの火の属性の呪紋は使えず、専ら、さっきの山賊にも使用した『エナジーアロー』とクロードの剣術を対等に用いて戦った。
 クロードは次々と魔物を退治していったが、その姿を見ていたセリーヌには、僅かながら不安の芽が吹き出し始めていた。血に飢えているというのは過剰すぎる表現だが、そう見えなくもない一面が、たしかにクロードにはあったのだ。まるで、戦いによって何かを忘れようとしているかのよう。その原因が何なのか、セリーヌには分かっていたが当の本人は認めたくないのだった。

 かなり進んだところで、山賊たちは再び現れた。背後から不意打ちにしようとしたらしいのだが、生憎とセリーヌに気付かれてしまった。
「てめえらか、森の中で暴れ回ってるヤツらは!」
 いささか強そうな体格の山賊が言うと、セリーヌが間髪入れずに言い返した。
「わたくしたちは別に大したことはしてませんわよ」
「だったらてめえらの仲間だな! もう容赦しねえ!」
 強面だが格下らしい山賊が叫ぶ。すると、一瞬にして、クロードの不機嫌な顔が怒りに発展した。
「僕たちに仲間はいない!」
 そして、相手の言葉を待つまでもなく、剣を握って突進した。山賊たちも身構えた。
 そのとき、山賊たちの背後、すなわちクロードたちがやって来た方向から、数条の光が放たれて山賊たちに命中した。山賊たちはうめき声を上げながらばたばたと倒れ、二度と動かなかった。
 呆然としてその光景を見ていたクロードたちに、知っている声が話しかけてきた。
「こんな所にいたんですか」
「あなたは……」
 霧と煙の向こうから、フードを被った青年が姿を表した。山賊たちから伝言を預かったという紋章術師。今朝も見送りに来ていた。彼やセリーヌの父エグラスなどは、村を守ることになっているはずだった。
「長老様の家にいなくていいんですの?」
 紋章術師はにっこりと笑って、セリーヌの問いに答えた。
「問題は片付きましたからね。それで森のほうにやって来たんですよ」
 セリーヌの表情が、ぱっと明るくなる。
「子供たちが見つかったんですの?」
「レナたちに先を越されたんだ」
 クロードは憮然として言った。それには、怒りの成分は含まれていなかった。ただ驚いて、がっかりした。できれば、彼女たちよりも先に問題を解決したかった。そうすれば、きっと彼女は……。
「じゃあ、山賊一味も全滅させられたんですのね?」
 セリーヌは期待に胸を膨らませたが、次の一言で膨張は止まった。
「そんなことはありませんよ」
 紋章術師はにこにこしていた。全滅させることが出来なかったのに、なぜこの男はのこのこと出てきたのか? 全滅はさせなかったが捕らえた、ということだろうか?
 しかし次の言葉で予想は否定され、不穏な空気が漂い始めた。
「それどころか、今でもピンピンしてますよ」
「それって、どういうことですの?」
 セリーヌは、恐る恐る尋ねた。答えは半分ほど分かっていた。あるいは、そのつもりだった。だが、紋章術師の口は彼女の予測をはるかに越える回答を吐き出した。
「やられたのは、お前の父親のほうだ」
「お父様が……?」
 セリーヌの目は焦点を失っていた。言葉を受け止めたくない気持ちが、懸命に彼女の精神を支えている。一連の会話から推理を進めたクロードは、ある結論に達した。
「お前……まさか!」
 それまで穏やかだった紋章術師の顔は、うって代わって、欲望と血に飢えた表情がむき出しになった。声も、低くてしゃがれたものに変わっている。
「お前らは仲間を信用しすぎるからな。お前らの仲間に変装すれば、密印の書をいただくのも簡単なことだ」
「あなたが山賊のボスだったのね! お父様をよくも!」
 我に返ったセリーヌが叫んだ。頬に流れる涙を隠そうとはしない。
 そのまま杖で殴りかかりそうなセリーヌを抑え、クロードは一歩前に出た。
「僕は仲間を信じる。マーズの人達、そして……レナのことを信じる」
「ほう。だが、信じてどうなる? 信じる心など何の力にもならん。信じるなどという言葉は人間の作ったまやかしに過ぎん。せいぜいだまされ続けたまま、あの世へ行くがいい!」
 そう言うと、紋章術師はローブの中に右手を突っ込んだ。
「お前なんかに負けるわけにはいかない! 人の心を利用するような奴には……絶対に!」
「馬鹿め! このヴァーミリオン様の本当の姿を見るがいい!」
 紋章術師は、ローブに突っ込んだ右手を外に出した。そこには、緑色に輝く怪しげな石が握られていた。
「あれは……」
 クロードが口走ったのと同時に、ニセ紋章術師は右手を高く掲げた。すると石は宙に浮いたまま回転し、強い光を放った。クロードたちは反射的に目を覆った。そして、視界が回復したとき、目の前には怪物が現れていた。
 ──アレンのときと同じだ。
 クロードは、つい数日前のことを脳裏に思い浮かべた。石に発する光に包まれたアレンは、狂暴な魔物に変身してしまった。目の前の怪物は、アレンのときとほとんど同じ魔物だ。ならば、額にあるはずの石を叩き割れば良い。
 一瞬のうちにそう判断し、クロードは剣を引き抜いた。このとき、傷を負わせても人間に戻れば跡形もなく消えているだろうことを、クロードは先例から予測している。
 両手を振り回して接近するヴァーミリオンに、第一刀を浴びせる。右の二の腕に、傷を作ることに成功した。剣が発する熱のせいで傷は瞬時に硬化し、血は出なかったが激しい痛みが怪物の体を襲った。傷口を抑え咆哮を上げるヴァーミリオンに、セリーヌのエナジーアローが襲いかかり、ヴァーミリオンはさらに大きな声を張り上げた。苦しんでいる隙にクロードが背後から敵を一突きする。全体重をかけたその一撃は怪物の身体を貫通し、引き抜くと沸騰した血液や体液が傷口から噴き出した。
 新たな激痛に襲われながらも、ヴァーミリオンは自らの胸から立ち上る湯気に邪魔されながら、クロードに渾身の一撃を浴びせようと腕を振り上げた。しかし動きは鈍く、簡単にかわされた上にエナジーアローの第二撃が身体に降り注いだ。
「……!」
 声にならない声を上げながら、ヴァーミリオンは仰向けに倒れた。クロードは、額の緑色に輝く石を叩き割った。その瞬間、石は再び強く輝いたが、すぐにただの石になってしまった。ヴァーミリオンは、魔物の姿のままだった。
「これは……?」
 姿が変わらないのに驚くと同時に、死体の傍らになにかが落ちているのを発見した。古い巻き物だ。これが、『密印の書』というものだろう。一体、ヴァーミリオンはこれを手に入れて何をするつもりだったのだろう……と考えて、しかし、それどころではないことに気付いた。密印の書を内ポケットにしまう。
「セリーヌさん、今すぐ村に戻りましょう。エグラスさんが心配だ」
 だが、セリーヌは同意しなかった。重い決意の色が看てとれた。
「いいえ、子供たちを探すほうが先ですわ」
「セリーヌさん!」
 セリーヌはゆっくりと首を振った。父の変を知らされたときとは違って、落ち着いているようにも見える。
「これ以上死者を増やしてはならないの。子供たちの安全を確認してから戻るのが正しいのではなくて?」
「それは……」
 正論だった。だが、吹っ切れないところがある。実の娘は冷静なのに。
 そのとき、森のさらに奥のほうから足音がしてきた。新手かと二人は身構えたが、杞憂だった。
「クロード!」
「レナ!」
 二人とも、昨日のいさかいなど忘れていた。レナなどは、そのまま駆け寄ろうとしたほどだ。その足が途中で止まったのは、途中に異様な物体が倒れていたからである。
「これは何?」
 驚くレナの後ろで、高い叫び声が上がった。その方向に目をやると、ディアス……ではなく、彼に連れられた子供たちだった。捕まっていた所から助け出したのだろう。
「長老様の家にいた紋章術師の本当の姿さ」
 クロードは、やや得意そうに言った。それを見たセリーヌは心の中で笑った。
「あの人が山賊のボスだったのね」
「そういうことみたいだ」
 セリーヌ、ディアスを含めた四人は、しばらくニセ紋章術師のなれの果てを見ていた。沈黙を破ったのは、最も寡黙な男だった。
「こいつは、お前が倒したのか?」
 ディアスは、ヴァーミリオンの身体を丹念に調べていた。セリーヌがそうするときと違い、宝物を探しているのではない。
「ああ、そうだ。セリーヌさんと一緒にだけどな」
 ディアスの声を聞いて、自分がさっきまで不機嫌だったこととその理由を思い出し、クロードは無愛想な声で答えた。
「なるほど。レナの言っていたこともあながち嘘ではないようだな」
 ディアスは立ち上がり、クロードたちに背を向けた。
「どういうことだ?」
「近いうち、お前と剣を交える日が来るかもしれない。楽しみにしていよう」
 感情を一切含ませない口調で言うと、深い青色の髪の青年は数歩足を進めたところで急に立ち止まり、首だけを振り向かせた。
「この前の無礼を詫びよう。お前はおそらく足手まといにはなるまい」
 そう言い残し、ディアスは一人で森を出て行ってしまった。
「レナ、あいつは何を言ってるんだ?」
 話の内容が上手くつかめず、クロードは訊ねた。だが、レナは森の出口の方を見ていて、クロードの声は聞いていないようだった。

 セリーヌの家の一階。居間の窓から、クロードは村の様子を見ていた。子供たちが元気に遊びまわっている。
 村は平穏無事であった。最悪の場合、焼き払われているということもあり得たが、ヴァーミリオンは目的を果たすことを重視するタイプだったようだ。
 森の入り口で今か今かと待ちうける村人たちに子供たちを返すと、三人は急いでセリーヌの家へ向かった。村人の一人が、エグラスが自宅で床に伏している、と教えてくれたのだ。
 現在、奥の寝室でレナが治療をしている。自分は行っても役に立たないので、クロードは居間のほうで待機することにした。同様に、長老もクロードの近くのソファーに腰掛けている。
「……そうだ」
 クロードは内ポケットにしまわれた物に気付いて、それを取り出して長老に見せた。
「『密印の書』ってこれですよね」
 長老は目を丸くした。
「おお……。まさしく。感謝する」
「いえ……」
 長老は巻き物を受け取ったが、表情は沈んでいた。受け取ったものを懐にしまうと、心配そうに寝室のほうを見やった。
「目覚めれば奇跡じゃが……」
「レナの呪紋があれば、絶対大丈夫です」
 クロードが言うと、長老の関心は別のことに移ってしまった。
「回復の呪紋か……。わしらの村にさえ伝わらぬ。ううむ……」
 長老は首を捻った。そういえば、アーリアの村長レジスもセリーヌも、同じようなことを言っていた。回復の呪紋というのは、非常に珍しいようだ。
 しばらくすると、寝室からレナがやって来た。疲れはあるものの達成感に満ちた、一仕事終えた、という顔をしている。
「エグラスさんの意識は戻りました」
「おお、そうか!」
 長老は急に元気になって、立ち上がった。レナは笑顔で頷く。
「あとはよく眠れば大丈夫だと思います」
「うむ。どれ、わしも様子を見てくるか……」
 言うなり、長老は寝室のほうへと歩いて行き、後にはクロードとレナの二人が残された。長老を見送ってから、レナが言った。
「あの紋章術師の人が本当の犯人だったなんてね」
「被害者に化けていられちゃ、こっちも分かるわけないよな」
「でもすごいよねクロード、一人で山賊のボスを倒しちゃったんだから」
 レナは汗を拭うように額に手をやりながら、長老の座っていたソファーに腰掛けた。素直に褒められて、クロードは嬉しかった。少し照れくさい。
「一人じゃないよ。セリーヌさんがいたから、倒せたんだよ」
「それでもディアスは褒めていたわ」
 レナがそう言うと、クロードは表情を少し変化させた。視線を窓の外に移す。
「あの人の剣の腕は、きっとすごいんだろうな。そんな気がするよ」
「クロード?」
「反発することは簡単だけど、認めることは難しいんだ。僕の腕を少しでも褒めたのなら、あの人の剣の腕はそれ以上なんだよ」
 レナは黙っていた。最初はディアスを嫌っているようだったクロードがその彼に賞賛の念を抱いているらしいことは彼女を喜ばせたが、クロードの言葉にはそれ以外の意味も含まれているように思われた。
 目で追っていた茶色い髪の子供が見えなくなってしまうと、クロードは振り向いて言った。少しはにかみながら。
「レナが好きになる理由も、分かるような気がするよ」
「どうしてそうなるのよ?」
 レナは即座に否定した。
「あの人は私にとって、『お兄さん』みたいな人よ。勘違いしないでよね!」
「そ、そうなんだ……」
 クロードは頭をかいた。今まで自分の心にあった不快な物体が、すうっと消えていくのを感じ、そんなものを勝手に創造して一人でむしゃくしゃしていた自分が恥ずかしくなった。
「私たちはソーサリーグローブを調査するっていう目的があるでしょう? そのことを忘れないでよね!」
「そうだね……。うん、わかった」
 レナはほっと息をついた。
「もう……。みんな勝手なんだから……」
「でも、これまでに一回ぐらいは、そう思ったこともあるんじゃない?」
「そりゃあね、もう、何年も前だけど……」
 誤解が解けたと思って安心していたレナは油断してしまい、連続攻撃の前にもろくも崩れ去った。
「ちょっと! クロード!」
 レナは顔を真っ赤にして言い、クロードはその様子をおおいに楽しんだ。
「悪かったよ」
 笑いながら言う。
「それよりも、そろそろ出かけよう。エグラスさんも治ったことだし、せっかくの涙のご対面を邪魔することもないだろうしね」
 言いながら、クロードは剣を腰に括り付け、玄関のほうへ歩いて行った。
「ちょ、ちょっと……」
 レナは慌ててその後を追った。

 村を出るとき、宿屋の前を通って、クロードはあることを思い出した。
「ディアスって、この宿だよね」
「ええ」
「寄って行かなくてもいい? またいつ会えるか分からないし」
「え?」
 レナは驚いたようだった。
「その……僕も、なんていうか、その、ちゃんと挨拶しようかと……」
 レナは目を輝かせた。
「じゃあ、行きましょう」
 しかし、目的の人物は既に旅立っていた。
「もう出発したんですか!?」
「はい。森から戻られると、すぐに出て行かれました」
 宿屋の女主人は答えた。
「そんな……。何か、言ってませんでしたか?」
「いいえ、とくに何も」
「そうですか……」
 レナは肩を落とした。クロードも残念だった。彼を好きになるにはまだいろいろな問題があるように思えたが、嫌いではなくなったし、剣術のことについても話をしてみたかった。
 二人が宿屋を出ようとすると、入り口の扉が勝手に開いた。
「こんな所にいましたのね!」
「セリーヌさん」
「水臭いですわよ! わざわざ宿屋に泊まらなくても、わたくしたちがもてなして差し上げますのに」
 セリーヌは興奮しているようだった。あちこち探し回ったのかもしれない。
「あ、いや、これは違うんですけど……」
 クロードの声などセリーヌには届かない。
「とにかく、うちにいらっしゃいな」
「ディアスはどこに行くか言ってなかったんですか?」
 レナが聞いた。
「分からないけど、たぶん、また会えますわよ。あの人ぶっきらぼうのくせに目立つから」
「そうですね……」
「さあ二人とも、今日は帰しませんわよ」
 セリーヌは二人の手を引いて、自分の家へ向かった。
 どうでもよいが、宿の主人の目の前でそんなことを言わなくてもいいのに、とクロードは思った。

 父エグラス、母ラベ、セリーヌらとの夕食を終え、クロードたちは居間へと移った。エグラスは暖炉の前の長椅子に座り、クロードとレナは昼間のソファーに並んで腰掛けた。セリーヌは一旦自分の部屋に戻って、ラベは後片付けをしている。
「君たちは、ハーリーに行くということだったが……」
 エグラスが口を開いた。身体はすっかり良いようで、話しかたは明晰だ。
「はい。ラクール大陸に渡って、そして最終的にはエル大陸を目指すつもりなんです」
「エル大陸か……」
 エグラスが軽く眉をひそめたのを見て、クロードは首を傾げた。
「何か、問題でも?」
「うむ。まあ、順を追って話そう。大体の目的は食事をしながら分かった。ソーサリーグローブの調査ということだが……」
「はい。エグラスさんはソーサリーグローブをどのように見ていますか?」
 エグラスは少し考える様子を見せてから、思うところを述べた。
「個人的な推測にすぎないが、私は、一種のエネルギー物質ではないかと考えている」
「エネルギー物質……ですか」
「うむ。それが放出する特殊なエネルギーが、周囲の生命に影響を及ぼし、魔物化させたのではないかと考えているのだ」
「魔物化させる……エネルギー」
 レナがつぶやくように言った。
「まあ、それも一つの可能性として考えられるだろうということだ」
「他にも何か考えられるんですか?」
「単純に隕石と考えるのが、一番納得しやすい考え方ではあるな」
「しかし、それでは……」
 クロードが控えめに反論すると、エグラスは苦笑してみせた。
「もちろんそれでは説明のつかない現象はたくさん起きているがね」
「しかし、ラクールからすぐにエル大陸に向かうつもりかね? 私は賛成できないが……」
 どういうことか、とクロードが訊ねるよりも早く、別の声が上がった。
「お父様?」
 セリーヌが二階から降りてきた。父の前に立って、不満を露にする。
「どうしてですの?」
「あまりにも情報が不足している。まずラクールで十分な情報を集め、それからエル大陸に渡った方がいいと思う。……勇気と無謀は別物なのだよ」
 はやる娘をたしなめるように言うと、エグラスは視線をクロードに移した。
「違うかね?」
「いえ、そうですね。ぜひ、そうします」
 エグラスは頷いた。
「明日は早いのだろう? そろそろ休むとしようか」

 クロードは、エグラスと同じ寝室で、普段ラベが使っているベッドに寝ることになった。やや緊張しながら上着を脱ぐと、エグラスは言った。
「君は、不思議な匂いがするね……」
 クロードは二、三度瞬きをしてから、その意味を正しく捉えようとした。
「あ、そういえば風呂に入ってないや」
「いやいや、そういう意味じゃなくて……」
 エグラスは苦笑した。
「私の紋章術師としての勘だが、君が伝説の勇者と間違われたのも分かるような気がするよ」
「いえ、そんな。僕はみんなが思っているほど立派な男じゃない。ただ、レナやセリーヌさんが一生懸命だったから、僕も頑張らなきゃいけないっていう気持ちになっただけです」
「レナちゃんや、セリーヌか……。それって、レナちゃんだけじゃないのかな?」
「えっ、いや……、ははは」
 『はい、そうです』とは言えないし、『いえ、違います』と言ってもあまり信じてもらえそうになかった。
 エグラスは窓の方に目をやった。いつもと変わらない森が広がっている。
「君はやはり立派な男だと思うよ。不思議な力を持つ彼女に、その力をまるで気にすることなく接している……」
 エグラスは言ったが、クロードとしてはむしろレナやアーリアの人たちに感謝したいと思っていた。突然現れた異星人──むろん、彼らはそのことは知らないが──を、勘違いによる過剰な期待はあったものの、警戒することなく受け容れてくれた。
 エグラスは振り向いた。
「さて、明日からの旅に差し支えるといけないから、寝るとしようか」
「はい」

 翌朝、朝食をご馳走になると、クロードたちはセリーヌの家を後にした。村の入り口まで、エグラスらも見送りに来てくれた。
「すみません、わざわざ送っていただいて……」
「いろいろお世話になったのだ。せめて見送りぐらいはしなければな。なにしろ、君たちは村の英雄なのだから」
「英雄……ですか」
 クロードは複雑な気持ちになった。これまで、彼にとって『英雄』といえば、父ロニキスの代名詞でもあった。自分がそう呼ばれるというのは奇妙な体験だった。
「それじゃあ、そろそろ行きます」
 エグラスは頷いた。
「道中、十分に気をつけるようにな」
 ラベも言った。
「危険そうだったら、エル大陸には近付かないでね」
「大丈夫ですわよ。レナも、クロードもいるんですから」
「そうだな。まあ、信用するとしようか」
「ラクール大陸に着いたら、どこに向かうのがいいでしょうか?」
 クロードは訊ねた。危うく忘れるところだった。
「手始めにラクール城下だろう。ラクール大陸の中心地だ。情報も最新のものが届いているだろうし、武器も充実したものが揃っているだろう」
 エグラスが言い終えると、セリーヌが付け足した。
「それから、長老様でも解読できなかった本をリンガに行って見てもらおうと思っていますの」
「リンガ?」
 クロードが首を傾げると、セリーヌは頷いた。
「ラクール大陸にある学者の町で有名な所ですわ」
「リンガはラクール大陸の南端にある。先にラクール城に行くのがいいだろう」
「わかりました」
「いろいろと、ありがとうございました」
 レナが頭を下げた。
「さあ、急ぎますわよ。日が暮れてしまいますわ」
「よし、ラクール大陸を目指して出発するぞ!」

 剣には自信がある。彼の家に代々伝わる双刀紋章剣術は、他の流派をはるかに凌ぐ攻撃力を誇る。単なる二刀流ではない。剣術に紋章力を込めることで、その殺傷能力を上げるのだ。
 彼は真面目なので、父の指導のもとに一生懸命稽古し、かなり早いうちにそれを体得した。しかし、実戦となると問題があった。相手が狂暴そうな顔つきの魔物なら大丈夫なのだが、狂暴そうでも人間だったり、魔物でも可愛らしいと、生来の気の弱さが表に現れて相手を傷つけることにためらいを感じてしまう。それでも負けたことはまず無いのだが、おどおどしながら戦う様は人々に良い印象を与えず、驚くほどの短期間で剣豪の名を手に入れた『ディアス・フラック』ほどには有名ではない。むしろ無名の部類に入る。
 一応、エクスペル中を回って仕事を探していたのだが、人に話を持ち掛けるのは得意でなかったし、いざ勇気を出して話してみても剣士というよりは紋章術師を思わせるその格好を見て一笑されるだけだった。
 実家が裕福なので金銭にはさほど不自由せず、そのために報酬は安く設定していたのだが、ごく小さな村の村長が値段だけを聞いて、『とにかくお願いします』と魔物の巣窟に放り込まれたことが幾度かあった。魔物のボスはかなり強かったし、一度など全治二週間の怪我を負ったこともある。村人たちはおおいに感謝してくれ、報酬も上乗せしてくれたが、なにぶん小さな村なので名は知れ渡らなかったようだ。そもそも、名乗ったかどうかも覚えていない。始終、『剣士様』と呼ばれていたような気もする。
 今日は久しぶりにクロス大陸に戻ってきた。どこへ行こうという当てもないが、どうしても剣が仕事に出来なければ、家に帰るしかない。家族はさぞがっかりするだろうと思う。小さい頃から期待してくれていたし、自分も立派な剣士になりたいと思っていた。それなのに剣で稼げないとなると、一体何をすればいいのか。父は残念なことに腕を傷めて早いうちに引退してしまったが、それなりに有名な剣士だった。祖父も、剣士として名高かった。曽祖父も、曽々祖父も……。
「僕の代で終わるのかなあ……」
 このまま稼げる剣士になれなければ、そうなるしかない。
 いっそのこと、母が始めた工場こうばを継ぐのもいいかもしれない。大勢の人を集めて、流れ作業で衣服や装飾品を作るのだ。エクスペルで初の試みだったが成功し、父が現役の時に稼いだ財産は何倍にも膨れ上がった。彼も人並み以上の裁縫技術を持ち、いま着ている服も自分で作ったものだ。戦闘で破けたりしても、自分で直してきた。
 だが、工場は無理なように思えた。母のように大勢の人に指示を出すなんて出来そうにない。
「どうしよう……」
 ぶつぶつと独り言を言いながら、彼アシュトン・アンカースは船を降り、港街ハーリーの土を踏んだ。
 そのとき、潮風に乗って、街の人の会話が彼の耳に入ってきた。
「聞きました? サルバの話」
「ええ。双頭の竜ですってね。鉱山は閉鎖に追い込まれたとか」
「それで剣士を募集しているらしいんですよ」
「剣士ですって? でも、クロス中の剣士のほとんどがソーサリーグローブの調査に行ってしまったんでしょう? 集まるのかしら」
「でも、あのディアス・フラックさんは調査には行っていないそうよ。あの人なら何とかなるんじゃないかしら」
「ダメよ。昨日、船でラクールに渡るのを見ましたもの」
「あら、そうなの? じゃあ、どうするのかしらねえ……」
 そこまで聞くや否や、アシュトンは辺りに視線を走らせ、人ごみの向こうに馬車乗り場を見つけると一目散に駆け出した。
「きゃっ」
 藤色の髪の紋章術師にぶつかったが、全く気がつかないまま彼はサルバ行きの馬車をつかまえて飛び乗り、懐から闇雲に取り出した大金──馬車の代金にしては──を見せて大急ぎで出発させた。
「大丈夫ですか?」
 金髪の少年が倒れた仲間に声をかけ、同時に手を差し伸べた。その手を取りながら、紋章術師は藤色の眉を吊り上げる。
「まったく、なんなんですの! あの人は!」
「すごく急いでるみたいだったわ……」
 青い髪の仲間の声に金髪の少年は頷くと、はっと何かに気付いて紋章術師に尋ねた。
「セリーヌさん、なにか盗まれていませんか!」

 港街ハーリーはクロス大陸の西端にあり、ラクール大陸の港街ヒルトンと船で結ばれている。ラクール大陸はその広大さにおいてクロス大陸に及ばないが、エクスペル唯一の大学があるなど科学技術が最も発展しており、そうした技術を駆使した最新の商品がここハーリーで売られている。品揃えはクロス大陸一である。
 荷物を積み下ろしする人、再会する人、別れる人、色々な人たちでごった返している。
「すごいね」
 クロードが感想を述べた。
「本当……。私もここには来たことなかったけど……」
 レナも辺りをきょろきょろと見回して、興味津々である。その様子を見てセリーヌが言った。
「ちょっと、二人とも、そんなにきょろきょろしていると……」
 セリーヌが言い終わらないうちに、何者かが彼女に体当たりしてきた。
「きゃっ」
 セリーヌはしりもちをつき、周りの人もその声に気づいて立ち止まったが、ぶつかってきた人物はそのまま馬車に乗って街の外へ出て行ってしまった。それを見届けると、人の流れは再開した。
「大丈夫ですか?」
 クロードは手を差し伸べた。セリーヌはその手を取ったが、視線は馬車の走っていったほうを向いていた。
「まったく、なんなんですの! あの人は!」
 眉を吊り上げながら埃を払う。
「すごく急いでるみたいだったわ……」
 レナが観察を述べると、クロードは頷いた。が、急に何かが気になり始めた。
「セリーヌさん、なにか盗まれていませんか!」
 三人ともクリクでのことを思い出し、セリーヌはすかさず身の回りを調べたが、砂埃が多少ついた他は変化なかった。
「そうですか……。それにしても、あんなに何を急いでいたんだろう?」
「そんなこと、どうだってよろしくてよ! あの人、わたくしに謝りもせずに……!」
「ええ、まあ、気持ちは分かりますが……」
 クロードは何とか年長の女性の怒りを鎮めようと思ったが、下手をすると自分に火の粉が降りかかりかねない。よほど矜持が傷ついたのだろう。
「でも、あの人の格好、紋章術師みたいでしたよ? だったら、マーズに行ったんじゃないかしら?」
 レナが言ったが、
「マーズの人間にあんなのはいませんわ!」
「じゃ、じゃあ、紋章の森に修行に……」
「修行に行くのに、どうして急がなければなりませんの!」
「そ、それは……」
「それよりも、ここをどいたほうがいいんじゃないかな。邪魔になっているみたいだし……」
 クロードが控えめに提案した。

 ホテル『オーシャン・ビュー』内のカフェレストランで軽い食事を取り終える頃には、セリーヌの怒気は収まっていた。いつものように上品にデザートを食している。
 クロードは窓から外を眺めたが、どこも人、人、人で面白くない。『オーシャン・ビュー』というくらいだから海が見えるのかと思ったが、裏は切り立った崖になっているし、正面は海とは正反対の方を向いている。何を考えて命名したのだろうか。
 視線をホテル内部に移してふと近くの壁を見ると、大きなポスターが貼られていた。赤と青の龍が紙いっぱいに描かれていて、『戦士募集!』と書いてある。
「何だろう、あれ」
 クロードがつぶやくと、コーヒーをすすっていた他の二人もポスターに目をやった。
「何かしら?」
「双頭龍を倒せる戦士求む……詳細はサルバ町長まで。……サルバですって?」
 思わず声が大きくなってしまったレナとクロードが顔を見合わせると、隣のテーブルに座っていた男が割り込んできた。
「ついに双頭の龍の姿が確認されたんですよ。いま、大陸中がこの話で持ち切りですよ。知りませんでした?」
「いいえ、全然……」
 今朝までいたマーズはサルバとハーリーの間だから、話が伝わっていないはずはないが、なにしろ他の村のことを気にしている余裕などなかったので、知らされないままだったのかもしれない。
「それでね、戦士を募集してるんですよ。クロスの戦士たちは殆どがエル大陸に渡っちゃいましたが、結構な数の戦士たちがラクールからもやってきましたから、もう解決しているかもしれませんがね」
 そこまで言うと、男は立ちあがった。ロビーの方に誰かがやって来ている。待ち合わせていたのだろう。
「とにかく、しばらくはサルバに近づかないほうがいいですな。では、私はこれで」
 男は会計を済ませて出ていった。
 クロードとレナは再び顔を見合わせた。
「アレンの次は何なの?」
「また、石が関係しているのかな……?」
「アレンってこの間クロスの街で会った馬車の人?」
 セリーヌが質問した。
「馬車……。 ええ、まあ、そうですけど……」
 大抵の若い女性なら、アレンを見たら、まずその風貌に着目するものだが、そうではない人もいるらしい、とレナは思った。とはいえ、彼女自身、村の誰よりもアレンに熱中していなかったのだが。
「どうしよう。サルバに行ってみようか?」
 クロードが言った。
「そうね……。アレンも困っているかもしれないし……」
「よし、サルバ行きの馬車を捕まえよう」
 クロードが言うと他の二人は頷いたが、なにか引っかかることがあった。
「待てよ? さっきセリーヌさんにぶつかった人、もしかして戦士?」

10

 馬車を急がせてサルバに到着すると、クロードたちは、まずアレンの屋敷へ向かった。
「おや、これはレナさん……」
 老執事が出迎えてくれたが、生憎とアレンはクロス城へ龍の件について報告に行っていて留守だという。クロードたちは落胆したが、執事から龍についていくらか聞くことはできた。
「以前から、龍を見たという人はいたんです」
 四人分の紅茶を注ぎながら、執事は話し始めた。
「ところが、他の者が確認に行っても姿はない。とくに人が襲われたなどということもありませんでしたから放っておいたのですが、最近になって常に姿を現すようになりましてな」
 各人にカップが配られ、執事も腰を下ろした。
「アレン様もわざわざ足をお運びになり、ご覧になられました」
「アレンもですか?」
 レナが軽く驚く。
「ええ。それで、これは一大事、ということになり戦士を募集することになったのです」
「でも、危険はないのでしょう?なら、何も倒す必要はないんじゃないですか?」
「それが、そうでもないのです。確かに、以前は無害でしたが、最近はなぜか暴れ回っておりましてな。人を襲うのが目的ではないようですが、とにかく坑道の壁に体当たりしたり、火を吹いて溶かしてしまったり……」
「火を吹くんですか!?」
 クロードが声を上げた。そんなことは聞いていない。
「ええ。あれは『双頭の龍』という魔物龍の一種でして、頭が二つあるのです。一方は炎のように赤く、まさに灼熱の炎を吐き出します。もう一方は対照的に真っ青で、吹雪を吐くのです」
 クロードは息を飲んだ。この惑星に飛ばされてから多くの魔物たちと戦ってきたが、火を吹くとか吹雪を吐くとか、そんな魔物はいなかった。初めのうちは、いるのではないかと疑っていたが、結局地球人の空想の産物に過ぎなかったと思っていたのだ。
 クロードとレナは黙ってしまったが、一人セリーヌだけは悠々とお茶をすすっていた。この人は自分たちにくっついて行動しているのに、何もかも他人ごとのように考えているように見えるのは気のせいだろうか? それとも幾多の苦難を乗り越えてきたトレジャーハンターなら、誰もこんなことで怖じ気づいたりはしないものなのだろうか。
「で、成果はどうなんですの? 多くの戦士が挑戦したのでしょう?」
 カップを戻しながら、セリーヌは尋ねた。
「挑戦とは言っても、実際に戦った人は多くありません。大抵は炎や吹雪の前に成す術もなく、諦めて引き返しています。なんとか一撃を浴びせた人も傷つけることはできず、やはり諦めて引き返してしまいました」
「そんなに強いんですか……。私たちじゃ無理かしら……」
 レナが残念そうに言うと、執事は驚いて声を上げた。
「まさか、龍を倒しにいらしたんですか?」
 三人は一斉に頷き、執事は軽いめまいを覚えた。紅茶を一口飲んで、気持ちを落ち着ける。
「お気持ちはありがたいのですが、お話しした通り相当に手強いですぞ」
「ええ……」
 クロードは迷った。なにしろ炎や吹雪を相手に戦ったことはなかったから。実際にどんな戦いになるのか、想像もつかない。
「まあ、一度見に行ってみませんこと? それで無理なようでしたら引き返せばよろしいのですし。引き返しても、多くの戦士が諦めているのでしたら恥にはなりませんわ」
「……はあ、まあ、そうですね」 
 クロードはセリーヌの言葉の意味を考えるように頷きながら言った。
「わかりました。行きましょう」
 レナもこくんと頷いた。

 クロードたちは坑道の入り口へと案内された。屋敷の裏手にある岸壁に大きな穴が空けられている。以前レナを救出に向かったときは屋敷の書斎にある隠し通路から入ったが、既に塞がれているという。
「中に見張りの兵士がいます。話をして、地図を受け取ってください」
「わかりました」
 クロードは既に意欲を高めているが、執事のほうは気が進まないようである。だが、今更引き止めることはしなかった。
「では、お気をつけて」
「ありがとうございます」
 執事は一礼して、屋敷へ戻っていった。
 坑道に入ると、まずはやや広めの空間だった。採掘の道具が転がっている。その中に、一人兵士がたたずんでいた。
「お前たち、坑道内は立ち入り禁止だぞ」
「僕たちは龍を倒しに来たんですけど、それでも入れてもらえないんですか?」
 クロード言葉を聞いて、兵士は目を丸くした。
「お前たちがか? 冗談だろう?」
 三人はムッとなり、レナが感情を露にした。
「冗談じゃありません。私たちは本気で言ってるんです」
「まあ、誰でもチャレンジする権利はあるんだけどな。ヤバイと思ったら帰って来るんだぞ」
 しかたない、という風に許可を出すと兵士は地図を渡した。そうして、穴の奥のほうに目をやる。
「今坑道に入っている戦士が一人いるんだが……」
「もしかしたら、ディアスかしら……?」
 レナは首を傾げたが、兵士は否定した。
「いや、そんな有名なヤツじゃない。しかも戦士かどうかも怪しいもんだ。どっちかと言うと紋章術師だと思うんだが、ちゃんと剣は持っていたな」
「そうですか……」
「協力するのはいいが、邪魔はしないようにな」
「わかりました」
 レナが頷き、三人は坑道の奥へと進んで行った。

11

「う~ん……」
 アシュトンは辺りを見回した。どこもかしこも似たような岩肌ばかりで、どっちに進んでいいのか分からない。今ごろになって、入り口の兵士が叫んでいたことを思い出した。『お~い! 地図はいらないのか~?』
 サルバについた途端、坑道に直行し、見張りの兵士になどわき目もくれずに突入したのだ。
 ちょっと焦り過ぎたように思う。このまま虚しく家に帰るわけにはいかない、という思いばかりが先行して、他のことを考える余裕がなかった。とりあえず『この先龍の巣』と書かれた立て札の前は通過できたからもうすぐだと思うのだが、その立て札を過ぎた辺りから急に道が複雑になってわけがわからなくなってしまった。
「どうしよう……」
 とぼとぼと、アシュトンは歩き始めた。

「あ、この立て札か」
 クロードは地図に書かれたしるしの位置を確認した。
「『この先龍の巣』……。この先って、どのくらいかしら?」
「ええと……。この先は道がごちゃごちゃしてるけど、寄り道しなければここまで歩いてきた道のりと同じくらいだな」
 地図を見ながら、クロードは答えた。
 少し進むと、壁の様子が変わってきた。これまでは、土壁という感じが強かったが、奥の方は岩壁である。灯されたランプに照らされて、濡れたように輝く。
「ねえ、何か聞こえない?」
 歩きながら、レナが言った。
「そう?」
 足を止めて、クロードは耳を澄ました。セリーヌも、耳に手を当てている。
 初めは何も聞こえなかったが、だんだんと音がしてきた。風が吹き荒れる音だ。
「風?」
「そんな感じですわね」
「どこから聞こえてくるんだろう」
 クロードは辺りを見回した。
「きっと、龍の音よ。吹雪を吐いているのかも」
「ってことは、先に入った人が戦っているのかな」
「とにかく行ってみましょう」
 三人は耳に意識を集中しながら、音の聞こえてくる方へ進んだ。音はだんだんと大きくなってきて、炎の吹き出される音や吹雪の音がはっきりと分かってくる。そうなると、緊張しないわけにはいかず、クロードは何度も躓いて転びそうになった。
「見て、あれ!」
 レナの指差した方では、真っ赤な炎が狭い坑道内を照らしていた。その奥に、確かに龍のような姿も見える。そして、灼熱の炎に耐え、立ち向かおうとする一人の剣士がいた。
「どうやら、一足遅かったようだな」
 三人は、側まで駆け寄った。そこは、これまでの道よりも狭くなっている。剣士は、二本の剣を同時に操っていた。だが、格好は剣士というよりは紋章術師だ。
「あら?」
「どうしたんだい、レナ?」
「あの人って、セリーヌさんにぶつかった人じゃない?」
「え?」
 クロードは剣士の方をよく見てみた。確かに黒い長衣を纏ったあの後ろ姿は、ハーリーで見たものと一致する。
「そうか、やっぱり龍を倒しにきたんだ……」
 そこまで言うとクロードははっとして、セリーヌの顔を覗いた。衝突された直後の形相が甦っていた。
 炎がかき消えると、次は青い頭が伸びてきて吹雪を吐き出したが、剣士は既に跳び上がって、隙のできた赤い頭のほうに斬りかかっていた。
「ノーザンクロス!!」
 剣士が両の剣の先端を合わせてそう叫ぶと、その先から巨大な氷塊が現れ、赤い頭めがけて飛んで行った。赤い頭はしたたかにダメージを受けて、苦しそうに悶えた。
「紋章術!」
 セリーヌは驚いた。あの剣士は詠唱をしないままに紋章術を発動させたのか。
 赤い頭には傷を負わせたが、無傷な青い頭が剣士の後ろから襲いかかった。背中に体当たりする。
「うわぁっ!」
 剣士は吹っ飛び、壁にぶち当たった。
「なんとか、助けられないかしら?」
「でも、みんなで戦うには狭すぎるな……」
 その通路は、大人が3~4人ほど並べる程度の幅しかない。並んだだけでは戦えないから、参戦しても無意味だ。
「じゃあ、黙って見ていましょう」
 セリーヌはそっけなく言った。レナはその理由を表情から察知していたが、それでも強敵を相手に目の前で果敢に立ち向かう者を放ってはおけない。
「でも……、せめて応援くらいしてあげましょうよ」
 冗談で言っているのかと思ったが、顔が真剣なのでクロードは内心でよろめいた。
「……そうだな」

「がんばってくださーい」
 ──なんだ!?
 突然、女の子の声が聞こえてきた。命がけで戦っているというのに、なんと緊張感のないセリフなんだろう。だが、発声者の姿など確認する余裕もなく、アシュトンは上から降りかかってくる青い首をジャンプして避け、目の前に落ちてきたところをすかさず攻撃した。
「ツインスタッブ!!」
 二本の剣で同時に連続攻撃を加える。これまでで最も深い傷を負わせることができ、傷口から青黒い血が吹き出した。青い頭は大きなうめき声を上げ、気が狂ったように暴れた。
「ほら、もっと腰を落として!」
 せっかく会心の一撃を食らわせたのに、変な指図が入った。龍がもがいているのを確認して、声のするほうに顔を向ける。
「悪いんだけど、もうちょっと静かに……」
 金髪の、たぶん自分と同じくらいの年齢の少年と、青い髪に三日月型の髪飾りをつけた女の子は、愛想笑いを浮かべて悪気があったのではないことを主張していたが、もう一人は憎悪の眼差しでこちらを見ていた。その気迫に押されて一歩下がると、他の二人が突然叫んだ。
「後ろ!」
「え?」
 反射的に振り返ろうとする。
「危ない!」
「うわぁー!」
 突然白い閃光が視界を占領し、アシュトンは意識を失った。その瞬間、なにか暖かいものに包まれる感触がした。

「すご……わね。目が……そうよ」
 少し離れたところから声が聞こえてくる。聞き覚えはあるが、よく思い出せない。
 視界がだんだんとはっきりしてくる。目の前に砂や小石が散らばっている。
 ──そうか、倒れているのか。
 ゆっくりと立ちあがる。頭が痛い。
「あれ? あの人はどこ?」
 さっきよりも明瞭な声が響いてきた。頭を押さえながら、なぜとはなくその方向へ足を向けた。
 ──僕は何をしていたんだっけ……?
「それに、龍もいないわ」
 ──龍? ……龍! そうだ、龍と戦っていたんだった!
 ぼやけていた記憶がくっきりと甦り、アシュトンは駆け出した。
「龍はどこだ!」
 辺りを見回したが、あの巨体は見つからない。その代わりに三人の人間が立っていた。一瞬、誰かわからなかったが、すぐに思い出す。
「ねえ、君たち龍はどこに行ったか知らない?」
 そう尋ねてみたが、相手は何か得体の知れない物を見るかのような目つきでこちらを見ている。当然、返答はない。
「ねえ」
 アシュトンが一歩近寄ると、男女三人は一歩後退した。
「ねえってば!」
 三人はなおも返事をしなかったが、やがて、金髪男が指を差しながら恐る恐る言った。
「せ、背中に……」
「えっ?」
 首を回して背中に視線を向けようとした。すると、頭上から奇妙な声が聞こえてきた。
「ギャフフーン」
「フギャフギャ」
 視線を頭上に向けると、赤と青の二匹の龍がこちらを覗き込んでいた。
「うわあああ!」
 背後をとられたと思って走って逃げ出したが、どちらの方向に走っても追いかけて来る。しかも、どこを見ても胴体がない。もしかして、『背中に』って、背中に取り憑いていることだったのか!
 顔面が蒼白になる。龍を倒すことで剣士として名を挙げようと思ったのに、よりにもよって取り憑かれるとは……。

「よ、良かったですね。命が助かって」
 レナが慰めようとして言ったが、無論それで慰められるはずもない。
「全然良くないよ。この背中の龍は何なの?」
「さあ、なんでしょうか……」
 クロードは愛想笑いを浮かべながら適当に言った。
「どう考えたって、さっきまで僕が戦っていた龍じゃないか! 何で背中に取り憑いているんだよ」
「と、僕に言われても……」
「君たちが後ろで騒いでいたからこんなことになっちゃったんじゃないか! もう少しで倒せるところだったんだぞ!」
 言いながら、アシュトンはいい口実ができた、と思った。
「すみません」
「責任は取ってくれるんだろうね?」
「え?」
 クロードはきょとんとして、アシュトンを見た。凄い剣幕で、二刀流の剣士が迫ってくる。
「僕をキズモノにした責任は取ってくれるんだろうね?」
 クロードは悩んだがここで断ると後が怖そうなので、とりあえず論点を微妙にずらした。
「どうすればいいんですか?」
 そう言うと、アシュトンは急に温和な表情になってクロードの肩に手を置いた。
「当然、この龍を祓い落とす方法を一緒に探してもらうんだよ」
「えええっ、本当に?」
「当たり前だよ。こんな龍を背負っていたら、僕の人生が台無しになっちゃうじゃないか!」
 アシュトンは愛想を浮かべながら言ったが、クロードはその仮面の下にある鬼の顔を想像した。
「わかりました。責任は取ります」
 クロードは観念した。
「本当かい?」
「だって、僕たちにも少しは責任があるわけですから……」
 あなたの奇妙な笑いが怖いから、とは言えない。
「うんうん、そこの所を分かってくれているなら問題はないんだ。さっそく祓い落とす方法を探しに行こう!」
 クロードの肩を叩きながら言うとアシュトンは早速一歩を踏み出したが、何かを思い出して振りかえった。
「そういえば、まだ名前を言ってなかったね。僕はアシュトン。アシュトン・アンカースだよ。よろしく」
「よ、よろしく」
 強引によろしくされてしまったクロードたちは、何かはっきりしないものを胸に残しつつ、新しい仲間の後を追った。
 その道中、自己紹介などしながら歩いていると、坑道に巣食う魔物たちが襲ってきた。背後からの奇襲でクロードは反射的にレナをかばったが、魔物はセリーヌのほうを狙っていた。狼の姿をしたウェアウルフが、彼女に飛びかかる。
「きゃあぁぁっ!」
 なにぶん突然だったので、この冷静な紋章術師も悲鳴を上げてしりもちをついてしまった。完全な無防備状態である。
「セリーヌさん!」
 クロードは慌てて駆け寄ろうとしたが、間に合わない。セリーヌが一撃を食らうのは必至だと思われた。が、先頭を歩いていたアシュトンがまさに疾風のごとく駆け付け、両の手に持った剣でウェアウルフを瞬時に八つ裂きにした。
 目にもとまらぬ早業に恐れをなした残りの魔物たちは、一目散に逃げて行った。
「大丈夫だったかい?」
 アシュトンは振り向いて、にこやかに手を差し伸べた。とある理由により、セリーヌがその手を取るまで数秒の時を要した。

 サルバの町へもどると、人々はクロードたちをを恐怖の叫びをもって迎えた。なにしろ双頭の龍を背負った人間が歩いているのだ。坑道入り口の兵士が泡を吹いていたことは言うまでもない。
 それを聞きつけた執事がクロードたちから事情を聞いて人々に公表すると、ひとまず騒ぎは収まったが、恐怖の視線だけは否応無しにアシュトンに注ぎ込まれた。
「とりあえず、町を出たほうがよさそうね……」
 レナが言うと、さすがに自分でも気づいていたのかアシュトンも賛成した。
「でも、まずはどこに行けばいいんだ? 龍の祓い落とし方は分かっているの?」
 クロードか訊ねると、アシュトンは首を傾げた。
「うーん……。僕にも分からないんだけど……」
「何だよ、お手上げじゃないか」
 坑道内とは打って変わって、クロードは大きく出る。なんと言っても、町の人全員を味方につけているのだから。
「ギャギャッフフーン」
 龍が何か得意そうに言ったが、もちろん意味は分からない。
「何だって?」
「ギャギャッフフーン」
「お前たちに分かるもんかーいって」
 なぜかアシュトンが通訳して答えた。
「ムカツクなー、こいつら」
「でも可愛げがあるじゃない?」
 レナが意外な感想を漏らした。クロードはもうレナの感覚に干渉するのを諦めているので何も言わなかったが、何も知らないアシュトンは反撃せずにはいられない。
「えー、そうかなー?」
「こっちの子は瞳がギョロッとしていて可愛いし、こっちの子は瞳がウルウルしていて可愛いわよ」
「そういう問題ではないように思うけど……」
 クロードはボソッと言ったが、レナには聞こえない。一人で盛りあがっている。
「ねぇ、名前を付けてもいいかしら?」
「こいつらにー?」
 取り憑かれて迷惑しているアシュトンとしてはペットのように名前をつけるなど言語道断であったが、
「だって、旅の仲間じゃないの」
 有無を言わさぬ明快さでレナは説明すると、二色の頭を眺めて考え始めた。
「そうだなぁ……そうだわ。瞳のウルウルしている方が『ウルルン』で、ギョロッとしてる方が『ギョロ』ね」
 人間のほうは黙りこくってしまったが、命名されたほうは喜んでアシュトンの頭上で踊りはじめた。
「安易だな……」
 またしてもクロードはボソッと言ったが、今度は聞こえてしまった。
「なんか言った?」
 険しい目つきでレナが振りかえった。
「いえ、何も……」
 結局最後はレナのペースで話が進んだか、とクロードは思った。
「それで、僕はどうしたらいいと思う? 何も方法を知らないんだよ」
 どうせ祓い落とすのだから名前はどうでもいいと思い、アシュトンはもっと大事なことを口にした。
「さあ……?」
 仕方なく請け負ったことだが、考えてみたところで分かるはずがない。
「それでしたら、本で調べるのがよろしいんじゃありませんこと?」
「本?」
 クロードとアシュトンが同時に言った。
「マーズの長老様の家なら、お祓いの仕方を書いた本もあると思いますわ」
「そうか、あそこなら何か分かるかもしれないな」
 クロードは頷くと、
「よし、マーズに行こう」
 こうして、四人と二匹は、マーズへと向かった。

12

 今朝、マーズを出て、ハーリーへ向かい、サルバまで戻って、今再び、マーズにやってきた。丁寧に送り出してくれたエグラスやラベのことを思うと、せめて明日にしたいところだったが、アシュトンは承知しなかったし、意外なことにセリーヌがアシュトンに味方したので、クロードとレナはそろって首を傾げることになった。
「へえ、ここがセリーヌの生まれ故郷か」
 アシュトンが、村のあちこちを見回しながら言うと、セリーヌはにっこりと微笑んだ。その光景をすぐには信じられず、クロードは何度も目を擦った。
「ええ、ゆっくりなさってね」
「うん。でも、その前に本を探さなきゃ」
「そうですわね。長老様の家はあっちですわ」
 しなやかな動作で、左手の方向を指差す。
「じゃあ、さっそく行こう」
「ええ」
 セリーヌは頷き、アシュトンと共に長老の家へと歩いて行ってしまった。介入の余地を与えられなかった残りの二人は、仲間の意外な行動に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「レナ、アシュトンって、ハーリーでセリーヌさんに衝突した人だよな?」
「ええ……、多分」
「すごく怒ってたよな」
「ええ、ものすごく」
「……じゃあ、あのセリーヌさんの態度は何なんだ?」
「さあ……」
 辺りは、いつの間にか夕日で赤く染められ始めていた。

 クロードたちは、長老に許可をとり、彼の蔵書を調べていた。書庫は大きくはないが、古そうな本がぎっしりと並んでいる。四人で分担して探し始めてから、二十分ほど経った頃。
「みんな、調べた本はちゃんと別にしてある?」
 ふと気がついて、クロードは言った。こういうときは、大抵一人くらい、ごっちゃにしているヤツがいるものである。
「ええ、大丈夫よ」
「もちろん、分けてありますわよ」
 女性二人からは即答が得られたが、残る一人は返答せず、本を持ったまま凍り付いていた。彼に取り憑いた双頭の龍が、頭上でバカにしたような踊りを披露する。部屋全体が冷たい空気に包まれた。
「アシュトン、もしかして……」
 クロードが恐る恐る尋ねると、取り憑かれた青年はこくりと首を振った。 
「ごめん……」
「ギャフフー」
「ギャギャギャ」
 龍は笑い転げ、アシュトンはさらに冷え固まった。だが、暖かい声が彼に本来の目的を思い出させる。
「気にしなくてもいいんですのよ。わたくしも以前、ここで調べものをしていたときにやってしったことがありますもの」
 他人に無関心な風に見えていたセリーヌが自分の失敗談まで持ち出して相手を慰めようとする光景を、クロードは再び疑ったが、現実だった。
 元気を取り戻したアシュトンは再び本を探す作業に戻ったが、それからしばらくして目的の本を見つけたのは、彼以外の人物だった。
 それは、棚の一番すみにあって、ほかの本に押し潰されるような感じでしまわれていた。相当古い本らしく、紙は黄ばんでいるし、ヨレヨレになっていたので、クロードは手に取るのにいくらかの勇気を必要とした。
 『祓い落としの書』と、いかにもそれらしい題名の本だったが、この書庫にはそういった名前の本が山のように眠っていたので、あまり期待していなかった。しかし、表紙を開き、そこに書かれた文字を読んだ時、クロードは声を上げた。
「あった! これだ!」
 一旦閉じて、埃を払い、再び開く。その間に、アシュトンらはクロードの周りに集まった。はやる気持ちを抑えながら、一文目を読む。
「異形のものに取り憑かれし者、この書物を紐解かん。取り憑かれし魔物の種によりて、慎重に選ぶべし」
「種類?」
 レナが首を傾げた。
「人の霊とか、馬の霊とか……そういうことじゃないかな」
「僕は龍だよ!」
 アシュトンが急かすように言うと、クロードは頷いて目次に目を走らせ、目的のページを開いた。
「『魔物龍』に取り憑かれし者、空を舞う王者の涙を聖なる『銀の杯』に受けよ。『銀の杯』が眠るは静かなる水面に抱かれし母なる体内。『王者の涙』を持ちし者は険しき山頂に立ち、誇らかに勝負を挑む。空の王者より勝利を得し時、汝は涙を受けん。魔物龍が生まれし場所に戻りて、『銀の杯』に注がれし『王者の涙』を口に含み、我が書物の示す誓いの言葉を唱えよ……だって」
 顔を上げ、一同の表情をうかがう。
「まずは、『銀の杯』ですわね」
「『水面』……って、海かしら?」
 レナが言うと、アシュトンは首を横に振った。
「それはないよ。『静かなる水面』なんだから。海はあんまり静かとは言えないだろう?」
「そうね……。じゃあ、川もダメよね。となるなと、……湖?」
「この辺りで湖と言えば、大陸北西部のコル湖じゃありませんこと?」
「う~ん、でも、この『母なる体内』っていうのは何だろう?」
 アシュトンは首をひねった。ギョロとウルルンは面白くなさそうにその様子を見ている。
「きっと、山岳宮殿のことよ。ね、セリーヌさん」
「そうですわね」
 現地の人々によって勝手に話が進み、やや困惑していたが、クロードは発言すべき時をえた。
「山岳宮殿?」
「ええ。要するに洞窟なんですけれども、切り出した岩を磨いて壁や床に敷き詰めてありますの。内部が凄く綺麗になっていて、洞窟と言うよりは宮殿、という感じなのでそう呼ばれているんですのよ」
 セリーヌは、目を輝かせながら我が事のように解説した。
「へえ~。セリーヌさんは行ったことがあるんですか?」
「それが……」
 急に表情が逆転する。
「あそこは入るのに王様の許しが必要なんですの。わたくしみたいなトレジャーハンターは入れてもらえないんですのよ……」
「僕も、入れてもらえないのかな?」
 大切な課題を発見し、アシュトンは不安そうに眉を寄せた。こいうとき、彼がギョロとウルルンと互角に戦っていた人物とはとても信じられなくなる。
「命が危ないとか言えば入れてくれるんじゃないかなぁ」
 クロードが軽い口調で言うと、他の三人はギョッとした顔つきになった。
「王様にウソをつくの? そりゃ、僕の人生台無しなんだけど……」
「あ、いや、その、ウソも方便って……」
 王様にウソをつくなんて信じられない、という顔で三人に見つめられ、クロードは焦った。レナが助け舟を出す。
「大丈夫よ。私がちゃんとお話しするから」
「そうですわね」
 セリーヌは大きく頷くと、急に人の悪い顔を作った。
「『私にはクロードさんがついてますから』ですものね」
 クロス王にソーサリーグローブの話しをしに行った時のことを思い出し、レナは赤面した。あのとき、セリーヌは後ろからこっそり覗いていたのだ。
「セリーヌさん!」
「はいはい。で、『銀の杯』の次は何でしたっけ?」
 レナの抗議を無視して、クロードに尋ねる。クロードは該当箇所を読み返して聞かせ、自分の考えを述べた。
「どこかの山頂に棲む、鳥か何かのことだと思うんだけど……」
「それでしたら、大陸の西に、魔鳥が棲み付くと言われるラスガス山脈がありますわ」
 以外にあっさりと答えが返ってきたのでクロードは拍子抜けしたが、魔鳥だとか魔物龍だとかが身近に存在する世界にいるのだ、ということを改めて実感すると、なんとなく面白くなってきた。
「『魔物龍』に『魔鳥の涙』か。本格的だな……」
「それで、次は、もとの場所に戻るんだっけ?」
 アシュトンが希望に満ちた声で尋ねる。
「うん」
 と返事はしたものの、忘れてしまったので、もう一度読み返す。
「魔物龍が生まれし場所に戻りて、『銀の杯』に注がれし『王者の涙』を口に含み、我が書物の示す誓いの言葉を唱えよ。激しき苦しみの咆哮と共に、魔物龍はこの世より消滅せん……とあるよ」
 一同は大きく頷いて納得したかに見えたが、一名、青黝い髪に金の髪飾りをした少女が何かに気付いた。
「ちょっと待って」
「何?」
「ギョロとウルルン……、死んじゃうの?」
 はっとして、クロードはもう一度本に目を落とす。
「『この世より消滅せん』ってことはそうだと思うけど……」
 新たな仲間の死が予告されると、これまでアシュトンに協力的に見えたセリーヌも、眉をしかめた。
「そこまでする必要がありますの?」
「それじゃあ、僕はどうなってもいいっていうの?」
 女性陣の突然の変心に驚き、思わず声を張り上げる。
「そういうわけじゃないんだけど……」
「それじゃあ、あまりにも残酷すぎるのじゃないですかしら」
「えええーっ?」
 アシュトンが事態の急変に困惑していると、背中の龍たちが寂しそうな声を上げ始めた。
「ギャフフフー」
「ギャフーン」
「何だか、胸が切なくなってきましたわ」
 レナも、右に同じとばかりの顔で紋章剣の使い手を見つめる。その光景に、クロードは滑稽さを感じずにはいられなかった。
「結局は可愛い方の味方なんだなあ」
 そして、ついには、ギョロッとした目とウルウルした目からそれぞれ水滴が落ち、アシュトンの黒い服に染みた。
「何てヤツだっ、泣き落とし作戦に出ている……!」
「いや、しょうがないんじゃないのかな?この際」
 とくに害になるわけでもないんだし、と続けようとしたが、それよりも早く、龍を背にした青年は主張した。
「そんなことない! せっかく見つけた祓い落としの方法なんだ。僕は絶対にやりぬくぞ!」
 我が侭な子供のような言いかたにクロードは呆れたが、龍を落とすことは請け負ってしまっているので、アシュトンの意見を尊重しないわけにはいかない。
「わかったよ。でも、何にしても明日にしよう。今日はもうお城も閉まってしまうし……」

 その晩は再びセリーヌの家に泊まることになり、彼女の両親にアシュトンを紹介して、龍の話などしながら夕食を摂って、早めに就寝した。一日で大陸を往復したり、龍と戦ったりして、疲労は充分に溜まっていたのだ。
 アシュトンは、服を脱ごうとした時、はじめてギョロとウルルンが背中からどのように生えているのかを疑問に思ったが、残念ながら服と一緒に落ちたりはしてくれなかった。服をすり抜けて、背中にしっかりとくっ付いている。手で取ろうとすると、まるで自分の体の一部を引き抜くような感触がするのに、服とかベッドとかはすり抜けてしまうのだ。とりあえず睡眠について問題がないことは判明したが、それで彼の気が済むわけではなかった。

 翌朝、昨日と全く同じように見送ってもらって、クロードたちはマーズを出発した。途中、ハーリーから来た馬車を捕まえて一気にクロス城を目指す。その間、ギョロとウルルンはひたすら目に涙を湛えて女性陣の同情を誘い、アシュトンは凍て付く視線で串刺しにされた。
 クロス城に着くと早速謁見手続きをしたが、アシュトンは、はじめ、魔物が化けているものと間違われて、危うく兵士たちの槍で串刺しにされるところだった。
「おお、レナか。今日はクロードもいるのだな。それにしても、最近、よく来るのう」
 クロス王は、相変わらず豊かな白髭を蓄えながら口を動かした。クロードは今日で二回目だが、レナはクリクの崩壊について、数日前にも謁見している。
「王様にお願いの儀があって、参上いたしました」
 今日は、クロードが話を始めた。この世界にも慣れてきたので、余裕が出来てきたのだ。
「なんだね、その願いとは?」
「実は、山岳宮殿に入ることを許可していただきたいのです」
 クロス王は目を細めた。
「どういうことかね?」
 クロードがアシュトンに目配せし、前に進み出るように言うと、龍を背負った青年は恥ずかしそうに指示に従った。それを見て、王だけでなく、側近の者たちも目を丸くした。驚かれている対象である二色の龍は、背筋をピンと伸ばして微動だにせず、赤面しているアシュトンとは対照的な態度だった。
 相手方の驚きを無視して、クロードが説明する。
「この背中の龍を祓い落とすため、山岳宮殿に『銀の杯』を取りに行かなければならないのです。僕たちにも責任があることなので、是非許可をお願いいたします」
 クロス王はアシュトンを見つめながらしばらく考えていたが、やがて側近を呼び寄せて何やら耳打をした。
「わかった。ただし、条件がある」
「……何でしょうか」
「その『銀の杯』だが、必ず持ち帰って来て欲しい」
「どういうことですか?」
 クロードたちは首を傾げた。クロス王は、少しためらってから口を開いた。
「……うむ。実は、以前に山岳宮殿からこの城に移されたことがあるのだが、その後、こともあろうに山岳宮殿をアジトにした盗賊に盗まれてしまってな。賊は捕えたが、『銀の杯』だけは見つからなかったのだ」
「はあ」
「それに、今はソーサリーグローブの影響で、かなりの数の魔物が徘徊している。魔物たちに傷つけられる前に、杯を保護したい」
「……わかりました」
 何にしても許可が貰えるのならよい、とクロードは了承した。クロス王が満足げに頷くと、側近が銀の盆に許可証と路銀を載せて進み出た。許可証はただの紙切れだが、路銀のほうは以前よりもはるかに重い。その金額の大きさに、クロードが驚いた表情を示すと、王が言った。
「よい。今回は国の宝を持ち帰ってもらうのだからな」
「王様、ありがとうございます」
 一同は丁寧に頭を下げ、退出しすると、早々に山岳宮殿へと足を運んだ。

13

「まだ見つからないんですの?」
 セリーヌの声は、口元をハンカチで覆っているためにこもり気味だった。
「そう言われても……。地図は貰ったけど、杯のありかが示されてるわけじゃありませんから……」
 答えるクロードの声も、鼻を使わないように話しているので、間抜けな感じがする。
「ごめんね、みんな……」
 アシュトンも口元を抑えながら、現在おかれている情況について謝罪した。
 確かに、セリーヌが説明した通りに中は綺麗に磨かれた石が敷き詰められていて、多少コケが生えているものの、見た目はちっとも見苦しくない。壁面には明かりを置く窪みが定間隔で彫られていて、ゆらゆらと通路を照らしていた。山岳宮殿と呼ばれる理由も分かる。問題は、ニオイだった。カビ臭くて、何かが腐ったようなニオイがして、しかもジメジメしているのだ。
「なんで、こんなに、……臭うのかしら」
 レナが途切れ途切れに当然の疑問を述べた。
「場所が場所だからね……。コル湖から水が染み出てきているんだよ。それでカビたり腐ったり……」
 クロス大陸、いやエクスペル最大の湖であるコル湖は、クロス城とクリクの間の山の頂にあって、シスコ川とケルラ川の水源となっている。そのほとりに、この山岳宮殿への入り口があるのだが、何しろ山の頂上なので、あとは下へと進むばかり。湖からの水が染みてきてもおかしくはないのだ。
「こんな時に魔物に遭ったりしたら……」
 アシュトンが不吉な予言をすると、それはたちまち現実のものとなった。
「ギャフギャフ」
「ギャフフフー」
 突然、ギョロとウルルンが暴れ始めた。
「わっ。何だよ。どうしたんだよ!」
 アシュトンは、このとき、自分が二匹の言葉を解することを忘れている。 
「ギャフフフフー」
「アシュトン!なんて言ってるんだい?」
 なにか重大事かもしれないと思い、クロードは唯一の通訳に尋ね、それによってアシュトンは魔物龍語スピーカーの能力を取り戻した。
「え? あ、そうか。……えっと、後ろに魔物がいるって」
「えええっ!?」
 慌てて振り向くと、先ほど曲がった角のところで何かが動いた。と思うと、突然何かが飛んできた。
 矢である。隠れていたのはアーチャーという弓矢を持った人型の魔物だったのだ。放たれた矢は、真っ直ぐにセリーヌめがけて飛んでゆく。
 矢があたる直前、彼女のファイヤーボルトが炸裂してそれを炭と化し、魔物が驚いている隙にアシュトンがクロスラッシュをお見舞いした。
「ふう……」
 終わった、と思ったアシュトンだったが、ギョロとウルルンはまだ騒いでいた。
「アシュトン! 後ろ!」
「え?」
 レナに言われて振り向こうとした時、彼は何かに背中を押されて前につんのめった。したたかに顎を打ち付ける。
「うわっ」
 スライムプールが、その平たい体を利用して彼の背後に気付かれぬように周りこんでいたのだ。だが、次の瞬間、クロードが卑劣な敵手に剣を突き刺していた。しかし、それだけでは仕留められず、一旦、剣を引き抜こうとする。
「あれっ? 抜けない!」
 スライムプールは、体の内部で、自分に突き刺さった剣をがっちりとくわえ込んでいた。引き抜こうとしても、柔らかい体ごとくっ付いてくるので意味をなさない。
「クロード、そのまま離れて!」
「え?」
「いいから!」
 セリーヌが真剣な表情で言うので、クロードは仕方なく剣をくわえさせたままその場を離れた。すると、天井と床の間に細いがまばゆい光の流れが出来あがった。
「サンダーボルト!」
 光はクロードの剣を目指して伸びて行き、そのままスライムプールを丸焼きにしてしまった。
 倒れていたアシュトンが急に咳き込んだ。ギョロとウルルンは平気なのか、魔物を倒すとおとなしくなった。
「凄いニオイだ……」
 スライムプールが彼の目の前で丸焼きになっていた。煙と一緒に悪臭が漂う。
「うわっ本当だ……。これは……、カビ臭さなんかとは比べ物に……」
 クロードたちも慌てて鼻を抑え、とりあえず全力ダッシュでその場を立ち去った。すこし広い部屋に出る。
「凄いニオイだったな……。あれを嗅いだ後だと、もう山岳宮殿自体のニオイなんて感じなくなっちゃうね」
「本当に……。もしスライムプールを料理なんかにされても、絶対に食べたくありませんわ」
 そう苦しそうに言ったセリーヌの言葉に、クロードは、クリクの『オジャガ亭』というレストランを思い出した。そこのシェフがよこした茶色い粒々の味も。
 レナが、それとは別の感想を口にする。
「……セリーヌさん、野宿する時、いつも何を食べてたんですか……?」
 まさか倒した魔物を……、と続けるつもりだったが、激しい咳のほうが先に出てきて、返事をしてもらったのかどうかも分からなくなってしまった。

 豪華ながらも狭い通路での戦闘を何度も繰り返した後、これまでの石造りの部屋や通路とはやや異なった感じの部屋に出た。入り口の辺りは石が整然と敷き詰められているが、一番奥は、岩盤がむき出しになっている。山の斜面のすぐ裏側に位置するのか、光までも射し込んでいた。
「きれいね……」
 その光は剥き出しになった岩を照らし、様々な色の光が反射して、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「あれが、『銀の杯』……?」
 無造作に並べられているように見えた岩のうち、ひとつだけ、光の真下に位置するものがあった。その上に、ひときわ強く光を反射する物が置かれている。
「きっとそうだよ!」
 汗を拭いながら、アシュトンが駆け寄る。二本の剣を鞘に収め、白く輝く杯を手に取った。高く掲げて歓喜の声を上げる。
「やった! これで僕の背中が軽くなる日も一歩近付いたわけだ」
「ギャフフー……」
「フギャー……」
 赤と青の首はうなだれた。それを見て、紫の紋章術師が眉をしかめる。
「ギョロとウルルンの前で、それはないんじゃないですの?」
「うー、何だよ、じゃあ、僕の悲しみは分かってくれないっていうのかい?」
 アシュトンはいじけるような顔で言った。
「まあまあ、これでアシュトンが幸せになる日が近付いたんだから……」
 クロードが、そう慰めたとき、背後で物音がした。振り返ると、魔物の群れがじりじりとクロードたちのいる部屋に入って来ていた。
「ギャフギャフ」
「ギャフーン」
 途端にギョロとウルルンが暴れ出す。これまでと同様に魔物の接近を知らせているのだ。
「もうわかってるよ! 遅いじゃないか!」
 アシュトンが叱りつけると、二匹は騒ぐのをやめた。
「せっかく見つけたんだ。絶対に持ち帰るぞ。……ノーザンクロス!」
 叫びながら前進し、二本の剣を前方にかざす。剣と剣の間に氷塊が発生し、魔物の群れめがけて飛んで行った。一部の魔物は倒したようだが、無事だった者は次々に襲いかってくる。
「レイ!」
 セリーヌが唱えた瞬間、天井付近に光点が生じて、まばゆい光線を全方位に放つ。直撃を被らなかった者も、眩しさに一瞬立ち止まって目を覆う。
「衝裂破!」
 クロードが剣を地面に向け、自分の周囲に素早く半月形を描く。すると、床が半月形に裂けて衝撃波が魔物たちを吹き飛ばした。
「ふう……終わりましたわね」
「ええ」
 セリーヌもクロードも、出てもいない汗を拭いながら辺りを見まわした。すると、
「ギャフギャフーン」
「ギャフーン」
「アシュトン!」
 アシュトンは、左肩を押さえてうずくまっていた。すかさずレナが駆け付けて、治療を施す。
「キュアライト!」
 傷口の近くに白い光の玉が現れ、それが傷を癒した。破けた服はどうしようもないが、傷口は完全に元通りになった。
「ううう……」
「大丈夫ですの?」
「ううう……」
 アシュトンは答えず、肩を押さえて震えている。回復してもらったことに気付かないらしい。
「アシュトン、もう大丈夫よ。傷は治ったわよ」
「え?」
 はっと我に返って、肩を見る。
「本当だ!」
「レナに感謝なさいよ」
「うん。そうだね。ありがとう」
 アシュトンは謝礼もそこそこに立ち上がると、再び『銀の杯』を手に取った。
「さあ、戻ろう」
 レナとセリーヌは頷いたが、クロードはアシュトンのほうを見ていなかった。倒れた魔物たちを見つめている。
「クロード?」
 心配そうにレナが声をかけた。首は動かさず、声だけをクロードは発した。
「考えたら、こうやってモンスターを倒してきたんだったな、僕たち……」
「え?」
 抽象的な発言に、三人は首を傾げる。
「今のモンスターから見れば、僕たちのほうが『侵入者』で、悪者だったんじゃないのかな」
「クロード……」
 クロードはため息をつくと、アシュトンを見た。視線は、その背中から生えているものに向けられている。
「なあ、ギョロ、ウルルン、お前たちはこんな僕たちを恨んでいるかい?」
「フギャギャ」
「ギャフフーン」
 二匹は首をくねらせながら答えた。即座にアシュトンが通訳する。
「よく分からないって。取り憑いたやつは、なんだか同情したくなるほど不幸なやつだしって」
 それを聞くと、それまで難しい顔をしていたクロードは破願した。
「何だ、アシュトンのことを一番分かっているのはギョロとウルルンなんだ」
「ええーっ、何でそうなるわけー?」
 まことに不本意な指摘に、アシュトンはむくれた。レナが笑いながら言う。
「まあまあアシュトン。次は『王者の涙』を探さないとね」
「……そうだね」
 気を落ち着けると、アシュトンはちらっと背中のほうを見てから言った。
「不幸とサヨナラして幸運を手に入れるんだ。さあ行こう」

 来た道を戻って地上に出ると、既に空はオレンジ色に染まっており、クロス城下に戻る頃には、すっかり夜になっていた。クロードたちは、レナのおばであるレイチェルがいる王国ホテルに宿泊し、翌日に備えることになった。ツインの部屋を二つとり、男女に分かれて泊まる。
 クロードはとっとと寝てしまったのだが、アシュトンは寝付けないでいた。いよいよ明日は『王者の涙』を取りに行く。うまくいけば、その足でサルバ坑道へ行き、祓い落としの儀式をすることになるだろう。しかし、それが終わったら、自分はどうしたらいいのか? 当初の予定通りに、家に帰る? それしかないのだろうか。
 そもそも、双頭の龍に取り憑かれたとき、彼がクロードたちに責任を取れ、と言ったのは、もちろん純粋に祓い落としたいという気持ちもあったが、家に帰るのを先延ばしにする、という理由もあった。家に帰れば、旅の目的を果たせなかったことになり、伝統あるアンカース家の家名に泥を塗ることになってしまう。アシュトン自身も責められるに違いない。
 クロードたちと行動する間に何かよい方策を考えるつもりだったが、結局、何も思いつかなかった。アシュトンとしては、このまま彼らと共に行動するのも良い考えだと思う。クロードの剣は未熟ながらなかなかの腕前だし、本場マーズ出身のセリーヌの攻撃呪紋もある。そして何より、回復呪紋という稀有な能力を持ったレナの存在は大きい。チームワークも良いし、このままならソーサリーグローブの調査から帰ってくることが出来るかもしれない。そうすれば、王様にも認めてもらえるし、名が売れる。彼の旅の目的はおおよそ果たされることになる。
 だが、問題があった。はたして、自分はどういう理由をもって彼らに同行するのか? 自分としては、名を売るという理由がある。しかし、クロードたちにアシュトンを同行させる理由がない。今は、共に行動しているが、それはアシュトンが無理矢理に押し付けた責任を取るためであって、責任が果たされれば、もう自分と一緒にいる理由はなくなってしまう。それに、女性陣はギョロとウルルンを祓い落とすことに反対しているから、もし本当に祓い落としてしまったら、きっと嫌われてしまう。どうして自分を仲間にしてくれるはずがないではないか。
 ……両の耳から、寝息が聞こえてくる。ギョロとウルルンは、彼の背中からベッドの中をすり抜けて、頭の両側にそれぞれ顔を出していた。この二匹も、『魔物龍』などと呼ばれながら、悪いヤツではないし、魔物が近付いてくれば知らせてくれるし、害になるどころか有益であった。しかし、祓い落とされるのを防ぐために点数を稼ごうとしているのではないか、との疑念もややある。だが、どういうわけか、アシュトンはこの二匹を気に入り始めていた。ちょっとしたペットという感じがする。普通のペットと違って餌は要らないし、無闇に吼えたり噛み付いたり物を壊したりしない。しかも、言葉で意思の疎通が出来る。それを考えると、この珍妙なペットを飼いつづけるのも悪いことではないように思えてきたのだった。自分は、なぜこの二匹を不幸などと考えたのだろう?
 夜は更け、朝がやってきた。

14

 クロス大陸の西は、一帯が砂漠になっている。クロス城から砂漠へ向かうには、途中にある山脈を越えるか、迂回する必要がある。その山脈というのが、次の目的地、ラスガス山脈である。
「ほんとうに、これ、登るんですか?」
 地図を持つセリーヌに、クロードは尋ねた。
 ラスガス山脈はほとんどが岩山である。所々に雑草やコケが生えているが、あまり多くはない。足場がしっかりしているので、途中では順調に登ってくることができたが、今、目の前には岩の塔と言うべき物がそびえ立っていた。
「ええ。もちろんですわ。ラスガス山脈の頂上と言えば、これを登った所のことですもの」
 セリーヌはすまして答えた。だが、他の三名は呆然と岩の塔を眺めている。
「本当に登れるのかしら……」
 細い上に傾斜の急な道を見て、レナが言った。彼女は『銀の杯』に紐をつけ、それを肩にかけているので、余計に不安である。レナを咎めるようにセリーヌが言う。
「大丈夫ですわよ。これまで多くの人たちが登っているんですから。だいたい、そうでなければ道なんかあるはずないでしょう?」
「それはそうだけど……」
 アシュトンが弱々しく言うと、セリーヌの顔はさらに険しくなった。
「アシュトン、『王者の涙』が欲しくはありませんの!」
「欲しいけど……」
「じゃあ、お登りなさい!」
 びしっと塔の方を指差す。それは、もう命令に近く、アシュトンは従うしかなかった。
 最低でも五十度はありそうな岩の道に両手両足をつき、アシュトンは登り始めた。過去の登頂者が作ったのか、あちこちに足場が設けられていて、意外に登りやすかった。
「さあ、次はクロードですわよ」
 アシュトンが結構すいすいと登って行くのでクロードは安心したらしく、不平もこぼさずに登り始めた。続いて、レナ、セリーヌが登って行く。
 そして、アシュトンが一番急な所を貼り付くようにして登っていたとき、突然魔物が襲いかかってきた。鳥の魔物、コカトリスである。しかも二匹。バサバサと羽ばたきながら空中で静止し、狙いをつけている。だが、アシュトンは文字通り手も足も出せない状態にある。
「アシュトン!!」
「うわあぁぁぁ!」
 コカトリスたちが攻撃体勢に入り、もうダメだと思ったとき、
「ギャフフーン」
「ギャフーン」
 唯一自由に動けるギョロとウルルンが、それぞれ炎と吹雪を吐き出して、空飛ぶ魔物を撃退した。コカトリスの一方は丸焼きになって、もう一方は氷付けになって、重力に引かれて落ちていった。
「ギョロ、ウルルン……」
 アシュトンは命の恩人の名を口にした。
「ギャフー」
「ギャフギャフー」
 ギョロとウルルンは得意そうに踊り始めた。たちまち、アシュトンはバランスを崩す。
「うわっ! やめろ! おとなしくしするんだ!」
 言われて、二匹はピタリと止まった。ほっと息をついて、アシュトンは再び登り始めたが、二匹が踊ったままの姿で停止していることには気付いていなかった。唯一その姿を見ることが出来るクロードは、そのおかしな姿に力が抜けそうになってしまった。
 そうしてしばらく登って行くと、ようやく平たい場所に辿り着いた。もう登るようなところはないから、ここが山頂だろう。アシュトンは辺りを見まわしたが、岩と木の枝の山があるだけだった。
 続いて、クロードたちも登ってくる。
「本当にここでいいのか? 誰もいないぞ」
 『祓い落としの書』には、「『王者の涙』を持ちし者は険しき山頂に立ち、誇らかに勝負を挑む」と書かれていた。人か鳥かは知らないが、何者かがいるはずなのだが。
「手分けして探しましょう」
 探しのプロ、トレジャーハンター・セリーヌが提案し、四人は辺りを探し始めた。しかし、たいして広くもないので、すぐに終わってしまう。
「う~ん、王者の涙を持ってる人がいるはずなんだけどなぁ……」
 四人がそろって首を傾げると、不意に辺りが暗くなった。見上げると、太陽を背に、なにか巨大なものが宙に浮いていた。
「なに? この鳥は!」
 巨大な鳥。鋭いくちばしに、豪奢な尾。翼の裏は金色に輝き、表は対照的に重い灰色。まさに魔鳥と呼ぶに相応しい姿だった。大きな音を立てて空中に静止している。
 クロードが剣を抜き、構えた時、アシュトンが一歩進み出て口を開いた。
「久しぶりだな、ジーネ……」
 意味不明な発言に、三人の人間たちはきょとんとした。
「アシュトン?」
 だが、返事はない。聞こえてきたのは、大気を震わせるかのように太くて大きな声。魔鳥の声だ。
「いつの間に人間の若者なんぞに取り憑くほど落ちぶれたのだ? かつての勇姿はどこへいった?」
「時は変わった。生きるためには手段を選ばないときもある」
 アシュトンが言うには違和感のありすぎるセリフだった。それに、ジーネと呼ばれた魔鳥の言葉からすれば、しゃべっているのはアシュトンではないようだ。
「アシュトンじゃない! ギョロとウルルンがしゃべっているんだ!」
 よく見れば、アシュトンの目の色は緑色から灰色へと変わっていて、表情というものがない。
「そんな若者と一緒では本来の力は出せまい……。まあ、本来の力を全て出せても私には勝てんがな……」
 ジーネが笑ったように、クロードには見えた。鳥が笑うのを見るのは始めてだったが、話す鳥なら笑いも怒りもするのだろう。
 相変わらず、人間を無視して、魔物同士の話が続いた。
「それはどうかな。試してみるか?」
「フフフ……取り憑いたことで頭までおかしくなったのか? まあ、いいだろう。そこまで言うなら決着をつけるまで!」
 ジーネは両の翼を思いきり広げ、アシュトンはギョロとウルルンの意思によって両の剣を引き抜く。次の瞬間、ジーネは広げた翼を勢いよく閉じて、強烈な風を起こした。
「うわあぁぁっ」
 クロードたちは、吹き飛ばされないように姿勢を低くし、アシュトン(の体)も重心を低くして猛風に耐えた。
「ピアシングソーズ!」
 アシュトンの声が響くと、両の剣が手から離れ、隙のできたジーネの腹に突き刺さった。鳥とは思えぬ重低音で咆哮が上がる。
 その間に、アシュトンは突き立てた二本の剣に飛び乗った。
「何のつもりだ!」
 狼狽するジーネの問いかけに、ギョロとウルルンは行動で答えた。
「ギャフー」
「ギャフー」
 アシュトンの体ではなく、彼ら自身が、あの炎と吹雪を吹き出し、ジーネの顔面に叩きつけた。
「グオォォォォ!」
 異なる性質の攻撃を同時に受けて、ジーネは激しくもがいた。当然、アシュトンはその場に立っていられるわけもない。落ちる寸前に剣をつかみ、反動をつけて引き抜いた。傷口から鮮血が吹き出す。ジーネは痛みに耐えかねて、ついに地に足を着けた。そのまま、轟音を立てて巨体が崩れる。腹からは、二本の血の滝が流れていた。
「魔物龍が人間と共にあるとはな……」
 焦げ付いた嘴を動かして、ジーネは言った。
「われわれはいつも一人だった。仲間を感じたのは初めてだ……」
 その言葉に、クロードたちははっとした。
 ジーネはしばらく無言だったが、やがて起き上がった。血流は細くなってはいたが、止まってはいない。クロード、レナ、セリーヌ、そしてアシュトンをそれぞれ見やって、
「私もお前のようにありたいと願うが、不可能だろうな……。私は恐れられている存在だ」
 傷ついているとは思えないほどの勢いで、大きな翼を広げる。顔には決意の表情がうかがえた。
「さらばだ……」
 言うや否や、ジーネは大きく羽ばたき、大空へゆっくりと舞い戻って行った。そのとき、大粒の水滴が落ちてくるのを、セリーヌは見逃さなかった。レナから『銀の杯』をひったくり、それを受けとめる。ギョロとウルルンはその様子を見ていたが、別に邪魔しようともしなかった。
「……これが、『王者の涙』ですわね」
 ギョロとウルルンの命を奪うことになると分かっているのに、ついぞ宝を手に入れてしまった自分が何だか情けなくなったが、決して顔には出さなかった。
 クロードとレナが、セリーヌの傍に寄って、『銀の杯』を覗きこんだ。
「ジーネの涙……か」
 ジーネの言葉を思い出しながら感傷に浸っていると、突然、場違いな声が上がった。
「行くぞ二人とも! あのでっかい鳥をやっつけ……る……んだぁ?」
 アシュトンの意思によるアシュトンの声だ。そのセリフからすると、ジーネと戦っていたときの記憶はないらしい。巨鳥がいなくなっていることに戸惑い、辺りを見まわす。
「あれ? さっきの鳥はどこに行っちゃったの?」
 その言葉を無視して、レナが言う。
「ジーネって、本当はギョロとウルルンが羨ましかったんじゃないかしら?」
「そうだな。この涙はジーネが流した本当の涙かもな……」
 クロードは頷き、セリーヌもそれに倣った。神妙な雰囲気についていけないアシュトンは、困惑していた。
「え? えっ? 何のこと? よく分からないよ……」
 それを説明することはせずに、クロードは別の質問を突き付けた。
「なあ、アシュトン、本当にギョロとウルルンを祓い落とすつもりなのかい?」
 聞かれて、アシュトンはがっくりと肩を落とした。昨日までなら、きっぱりと肯定したに違いないのだが。
「そうだよ……。そのためにここまで来たんじゃないか……」
 ギョロとウルルンは、背筋を伸ばして黙っていた。

15

 山を降りてサルバへ向かうと、昼をやや過ぎた頃であった。夕方頃には坑道内から戻ってこられるだろう。軽く食事をとって、四人と二匹はサルバ坑道最奥部へと向かった。その間、アシュトンは暗い顔で地面を見つめながら歩いており、他の三人も口を開こうとはしなかった。ギョロとウルルンは、緊張しているのか何かなのか、直立(?)不動の体勢を崩さない。
「さあ、着いたぞ、アシュトン」
 クロードの声には気づかず、アシュトンは下を向いたまま直進した。寸手のところで気付いて、壁との衝突を免れる。
「アシュトン?」
「あ、うん、大丈夫……」
 落ち着かない声で言うと、アシュトンはレナから『銀の杯』を受け取った。中にはジーネの涙が入っている。ごくりと唾を飲んでから、それを口に含んだ。何の味もなかったが、それもかえって気持ち悪い。このまま誓いの言葉を言わなければならないので、舌の下に液体を移す。
 クロードが『祓い落としの書』を開いて、アシュトンに手渡した。
「わ、われ、今ここに呪われし我が身を前にして、浄化の儀式を執り行なう……」
「ギャフッ」
 突然、これまで微動だにしなかったウルルンが暴れた。
「ウルルン!」
 セリーヌが複雑な思いに駆られながら、制止する。アシュトンは、軽い深呼吸をして続けた。唇が少し震えているのが分かった。
「我が身に受けし、悪しき呪いを清浄な光の中にさらさん……」
「ギャフフッ」
 今度はギョロが暴れて、アシュトンの髪を引っ張った。
「いてててっ」
「ギョロ!」
 レナが言うと、ギョロはおとなしくなった。アシュトンは、不安な気持ちで一杯になりながら、次の言葉を読み上げた。
「浄化の神に誓わん、呪われし我が身を、清き聖水で改めることを……」
「ギャフフッ」
「ギャフッ」
 今度は二匹同時に暴れ出した。髪の毛は引っ張る、服も引っ張る、『祓い落としの書』には噛み付く。だが、アシュトンはそれに耐えていた。少しでも長く、彼らと共にあるために。
「ギョロ!」
「ウルルン!」
 クロードたちが口々に名前を呼ぶと、二匹はようやく落ち着いた。そして、アシュトンは膝をついて、震え出した。それまで心に秘めていた想いが一気に吹き出す。
「僕にだってできないよ! そんなこといやってほど分かってたさ!」
 言葉に含まれる怒りは、他の誰でもない、自分自身の弱さに向けられたものだった。
「でも、みんなと一緒にいるにはそれしかなかった。僕がみんなと一緒にいる理由はそれしかなかったんだ。ギョロとウルルンとだって、離れたくなんかなかったさ!」
 これまでの経験から、アシュトンに、勇敢な剣士と弱気な青年という二つの面があることは、クローたち達も承知していた。だが、これほどまでに脆弱な部分があろうとは思いもしなかった。自分たちに責任をとれと言ったときのように、何が何でも龍を祓い落とすと言ったときのように、強引な部分も結構ある人なのだと思っていた。しかし、その強引さも、結局は弱さを隠すためのものでしかなかったのである。
「アシュトン……」
「不安だったんだよ。一緒にいる理由を改めて聞くのが怖かったんだ。もしかしたら、いやいや仲間になっているんじゃないかって……」
 アシュトンは鼻をすすった。
「そんなことないさ。今は、アシュトンも、ギョロも、ウルルンも、みんな僕たちの仲間だと思っているよ」
「そうよ。アシュトンだって、私たちと一緒にいたいんでしょう? なら、何にも気にすることないわ」
 アシュトンは顔を上げ、彼の仲間たちの顔を見た。
「みんな……」
「ギャフフッ」
「ギャフッ」
 いたわるような声で、二匹が鳴く。
「ギョロ……、ウルルン……、僕、僕……」
 アシュトンは、覗きこむ二匹にひたすら頷いた。
「さあ……、これからもみんなで仲良くやっていきましょう」
 セリーヌが近寄り、姿勢を低くして声をかけた。アシュトンは、顔を上げ、水滴を払う。そこへ、白い布で包まれた手が差し伸べられる。
「ほら、アシュトン……」
「う、うん……」
 その手をとって、照れながら立ちあがり、
「これからもギョロ、ウルルン共々よろしくお願いします……」
「ああ、こっちこそよろしくな、アシュトン」

 新たな仲間を迎え入れ、一行は次なる目的地、ラクール大陸を目指した。