■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Mission 2 プリズナー666

 監獄は、海の底のように静まり返っていた。
 岸壁を叩く波の音も海鳴りも、今は聞こえない。虫の羽音のような電灯の唸りばかりが耳をくすぐる。
 闇というのは音すら呑み込んでしまうものかと、男は思った。
 目玉を動かし周囲を窺う。自分がいる牢は漆黒の箱だ。黒い縦縞となった鉄格子の向こうに、吹き抜けの回廊が朦朧と浮かび上がっている。
 役に立たない視覚を諦め、瞑目めいもくした。代わりに全神経を耳の奥の鼓膜に集中させる。
 足音が、聞こえた。
 昼間であれば間違いなく聞き逃していただろう。湖に落ち葉がひとひら落ちた程度の波紋も、鏡のように静謐せいひつな水面であれば──対岸まで届く。
 薄く目を開け、闇に視線を這わせて音の出所を探る。
 吹き抜けを挟んだ向かいの廊下に、ひとつの影が蠢いていた。
 容姿は見て取れないが、影の形で大きさと体格は判った。自分と同じくらいか……それ以上か。
 少なくとも、看守にあのような体格の者はいない。
 影は男のいる牢より二階上の廊下を歩いている。幾度か立ち止まり、屈み込んだのかしばらく視界から消え、再び現れた。
 あの階の牢には誰も入っていない。つまり。
 何かを仕掛けるには好都合──ということか。
 影は来た道を引き返し、程なくして完全に消えた。手際がいい。それに不審な様子は微塵も見せていない。あれでは他の囚人に目撃されても、ただの見回りとしか思われないだろう。
 あの影の素性が少し気になったが、今はそれよりも。
「……まさか、本気とはな」
 どうやって乗り込む気か。何を仕出かすのか。
 そして、どうしてあの男は、俺などを──。
 ──まあいい。
 そんなことは後で直接訊けば判ることだ。ひとまず、今は。
 嵐に備えて眠るとするか──。

 唸るような機械音が腹の底に響く。動力源が近いのか、背後にもたれた壁から振動も伝わってきた。
 ここは船底に設けられた部屋。──いや、ただの部屋ではない。
 目の前には、縦にずらりと並んだ金属の棒。鉄格子。
 囚人を運ぶ護送船に、アシュレーは乗せられていた。
 ──どうして。
 どうしてこんなことになった。
 あの出来事から半日あまり。まだ気持ちの整理がついていない。
 そもそもが濡れ衣なのだ。訳もわからず、弁解の猶予も与えられぬまま拘束され……船に乗せられた。
 たばかられたのか。あの貴族に。
 最初から自分をおとしいれるために──。
 ……けれど。
 そんなことをする意味がどこにある?
 自分はただの兵士だ。誰かに恨みを買う謂われもないし、重大な秘密を握っているわけでもない。そんな人間を罠にかけて捕らえて、一体どうしようというのだろう。
 ──何か。
 何かが違う。
 具体的にはわからないが……どこかが違っていると感じた。
 もしかして、あの男の真意は別のところにあるのか。
 僕を捕らえること自体が目的ではなく、その先に別の目的が──。
 ……わからない。わからないけれども。
 アシュレーは膝を抱え、無機質な床を見つめながら、半日前に起きたことを思い返す。
 もし本当に、別の意図があるとするならば。
 手がかりは、あの出来事の中に隠されているはずだ──。

「どういうことですかッ」
 腹に突きつけられた銃を牽制しつつ、アシュレーは目の前の男を睨んだ。
「先程、城の方から通達があった」
 ヴァレリア公が言う。
「至急アシュレー・ウインチェスターを捕らえよ──と」
「馬鹿なッ。いったい僕が何を……」
「テロに加担した容疑、とのことだ」
 蒼白な面相をした貴族が凄む。
「『剣の大聖堂』の現場検証で、44口径の薬莢やっきょうが発見された」
「なん……だって」
 アシュレーは肩に担いでいる銃剣を気にした。
 その弾は──まさか。
「調査の結果、現場でその弾を使用したARMを所持していたのは……君だけだった」
「僕は撃ってませんッ。それに、あの事件はみんな魔物に……」
「隊長は人間のまま死んでいたのだよ。銃弾を腹に受けてね」
「なッ……!」
 衝撃が走った。頭の中と、背中に。
 ライフルを構えていた男が回り込み、背後から銃床で殴ったらしい。アシュレーはその場に膝をつき、銃剣を取り上げられる。
「調査班は、君が隊長を殺害して指示系統を混乱させた後にテロリストを招き入れ、あの儀式を実行したのだと……考えているようだ」
「僕は、そんなこと……ッ」
 両腕を掴まれたまま、床に向かって言葉を吐く。
「私も信じたいところではあるのだけれどね」
 銀髪の貴族は冷徹に彼を見下ろす。
「あの聖堂で何が起きたのか、知っているのは君だけだ。裏を返せば、君が嘘の証言をしても誰にも判らない──ということだ。そもそも君だけが生き残ったこと自体が不自然ではあるからね」
 疑われても仕方がない──ということか。
「まあ、まだ君がテロリストの一味であると断定されたわけではない。本当に無実であるなら、臆することなくそれを主張すればいい。ただし、それまではこちらで拘束させてもらう」
「ここで取り調べ……ですか」
「いや。取り調べは別の場所で行う」
 銃を収めてから、ヴァレリア公は告げた。
「君がテロリストと関わりがあるならば、連中の妨害も予想される。口止めとして君に危害が及ぶかもしれないからね。取り調べは──イルズベイルで行う」
「イルズ……ベイル」
 それは。その場所は。
「北東の外海に位置する孤島イルズベイル。そこの監獄に行ってもらう」

「ここがイルズベイルであぁるッ」
 頭の寂しい小男が、ふんぞり返りながら言い放った。
 島に到着した護送船は巨大な箱のような建物の中に直接入り、内部の桟橋に横付けされた。アシュレーは船から降ろされ、すぐに獄長室と称される部屋に連れ込まれた。
「社会が持て余すクズどもが放り込まれる場所、それがこの監獄だッ。入ったが最後、二度と娑婆しゃばは拝めんと思えッ」
 口から泡を飛ばしてがなり立てる獄長を、アシュレーは上目遣いで覗き込む。寄り目に団子鼻、そして枯れかけの草原のように禿げ散らかした頭。美醜で判別するなら間違いなく醜の部類に属する外見だろう。
「新しいクズは貴様であるかッ」
「いえ、僕はまだ囚人では……」
「クズがいっぱしの口を利くでなぁいッ!」
 獄長は前にある机を叩いて激昂した。
「子細は聞いておる。テロリストの一味だそうじゃないか。立派なクズだ」
「だからそれは……」
 無実なのだと説明しようとしたが、またも机を叩いて遮られた。
「黙れクズがッ。俺様につまらん嘘は通用せんぞ。たっぷり絞って吐かせてやるから覚悟しておけッ」
「え、まさか……取り調べは、あなたが?」
 おずおずと聞くと、獄長は血走った両眼をこちらに向けた。
「当然だッ。ここは監獄であると同時に俺様の自治領である。領内のクズの処遇は俺様が決めるのだッ」
「そんな」
 話が違う。
「言っておくが、お仲間の助けを期待しても無駄だからな。建物の四方は断崖絶壁、加えて世界一のセキュリティを誇っておる。アリンコ一匹見逃さぬわッ」
 獄長はそう言うと、脂で黒ずんだ歯を剥き出しにして笑う。
「久し振りのお仕置きだからな。すぐに音を上げてくれるなよ」
 けひゃひゃ……と鳥が鳴くような笑い声が部屋に響いた。
 アシュレーは──青ざめた。

 獄長室に隣接する、狭い部屋に閉じ込められた。
 部屋に電灯はなく、ドアの小窓から洩れてくる獄長室の明かりが唯一の光源だった。隅の方に机か椅子か、木製の道具のようなものが積まれていたが、暗くてよくわからない。
 アシュレーは固く冷たい床に膝をつけて座らされていた。両腕は背中に回され拘束されている。獄長は少し待っていろと言い置いてから、どこかへ行ってしまった。
 一体これから何をされるのか。不安は募ったが──希望もないわけではなかった。
 護送船の中で、あの出来事を何度も振り返った。そして考えた。
 その結果──疑念は、さらに強くなった。
 ヴァレリア公の自室に入ってからの一連の流れは、やはり不自然だ。あのときは突然のことで訳もわからないまま流されてしまったが、改めて思い返せば──違和感だらけだ。
 そもそも、ヴァレリア公が語った現場の調査結果自体が出鱈目でたらめなのだ。自分はARMを使ってなどいない。事件の後で自分の荷物を確かめたが、ボフールから受け取ったカートリッジは全部未使用のままケースに収まっていた。
 誰かが事実をじ曲げている。国軍か、それともヴァレリア公自身か……。だが、どちらの仕業にしてもアシュレーを陥れて得をするとは思えない。むしろARMSの隊員がテロリストと通じていたのだとすれば、これは国にとってもARMSにとっても失態だろう。損をするだけだ。
 だとすれば……何か別の意図がある。その点についてはまず間違いないと、アシュレーは思っている。
 そして、もう一つ。
 取り調べの場所が、なぜこの監獄なのか。
 テロリストによる口封じを避けるため、とヴァレリア公は説明していた。確かにこんな僻地へきちであれば襲撃も難しいに違いない。監獄だけにセキュリティも万全のようだ。
 だが、それならば何もこんな孤島まで行かずとも、メリアブール城内で充分ではなかったか。城ならば兵士はごまんといる。人員を配置して厳重に警備すれば、テロリストもわざわざ襲撃するような無謀は犯さないだろう。
 取り調べがここでなければならないという、根拠が薄弱なのだ。つまり、ここにも──。
 別の理由がある。
 アシュレーに濡れ衣を着せて、この監獄に送り込む。そのこと自体に何か意味があるのだとすれば。
 考えられることは──。
 耳障りな音を立てて、ドアが開いた。小柄な獄長が老人のように背中を丸めて入ってくる。
 その背後に、ぬっと大きな影が伸びた。
「さあ、入れ。こいつだ」
 中から獄長が招き入れたのは。
「な……ッ」
 禿頭とくとうの、巨漢だった。上半身は裸で、隆々とした筋肉を見せつけるようにアシュレーの前に立ち塞がる。
「殺さなければ好きにしていいぞ。存分に楽しめ」
 後ろから獄長が言う。巨漢はこちらを見下ろして……舌舐めずりした。
「あらァ、久し振りの上玉じゃなァい」
「はあッ!?」
 外見からは想像もつかない女言葉に、思わず裏返った声を上げてしまった。
「怯えた顔も可愛いわァ。うふふふふふ、遊んであげるからこっちおいで」
「ち、ちょっと、これは一体ッ!? 取り調べするんじゃないんですかッ」
「これが俺様のやり方だ」
 獄長は部屋の隅でニヤニヤしながら眺めている。
「まず最初に恐怖を植えつける。その後で取り調べをした方が効率的だからな。また同じ目に遭いたくないだろ、と前置きすれば素直に洗いざらい白状してくれる」
 それは取り調べではない。脅迫だ。
「まあ、死にはしないから安心しろ。死にたくなる思いはするかもしれんがな」
 けひゃひゃ、と獄長は汚い歯を剥き出しにして笑った。
「ほらァ、こっち来なさいよ。可愛がってあげるから」
「い、イヤですッ。来るなッ」
 にじり寄る筋肉達磨から逃げようとしたが、腕を縛られていて立ち上がれず、その場で転んでしまった。
「逃がさない。うふふ」
 足首を掴まれ、そのままずるずると引き寄せられる。膝の上に全体重をかけられて、関節が軋んだ。
 そして、いよいよ図太い腕がズボンに伸びようかというとき──。
 爆発音がした。
「なぁッ!?」
 獄長が頭を抱えてうずくまる。びりびりと振動が壁や床に伝わり、一瞬明かりが消えて再び点灯した。
「な、なんだ、何事だ、何があった!」
 わめき散らしながら、獄長は部屋を飛び出していった。
 爆発の出所は──上の階か。かなり離れているような感じもあった。
 もしかしたら、これが……。
「……え」
 身体を起こしたアシュレーの、鼻先に。
 そそり立つ……巨大なモノが。
「さ、始めましょうかァ」
 見上げると、頬を赤らめて微笑む巨漢の顔があった。下半身も裸だ。いつの間に脱いだのか。
「い、いやいや、ちょっと待ってッ。今どこかで爆発が……」
「そんなのどうでもいいじゃなァい。アタシ、もう辛抱たまらないッ」
 這いつくばって逃げようとしたところを飛びかかられた。首筋に息を吹きかけられ、下腹部をまさぐられる。
「ひいッ。や、やめてください。ダメです、ごめんなさい、勘弁してッ」
「活きがいいわねェ。ほら、こっちもそろそろ……ん?」
 部屋が暗くなった。
 開け放たれたドアの前に、誰かが立って明かりを遮っている。獄長ではない。影が大きい。
「なによ、アンタ」
 巨漢が起き上がって、ドアの方へ歩み寄る。
「確かここの囚人よね。666号……だったかしら」
 ドアの前の影と向き合って、しげしげと眺める。体格は影の方がやや小さい。
「どうやって抜けてきたのよ。もしかしてさっきの爆発、アンタの仕業?」
「そこを退け」
 影が言った。とても重い声だとアシュレーは思った。
「用があるのはそいつだけだ。貴様はさっさと失せろ」
「はァ?」
 巨漢はいきり立った。
「アンタこそ邪魔しないでよ。さっさと出ていかないと」
 図太い腕が影の顔面めがけて突き出された──が。
 拳は手前でぴたりと止まった。影が素早く手首を掴んで止めたらしい。
 そして影が消える──いや、腰を屈めて沈み込んだ。相手に身構える隙も与えず──。
 巨漢の腹に、一撃。
「ぐ……ぅ、ッ」
 うめきを洩らして、巨体がごろりと倒れる。痙攣けいれんしたように小刻みに震えていたが、やがてそれも止まり、動かなくなった。
 影は部屋に入り、アシュレーの前に立つ。
 薄明かりに浮かんだ姿は──屈強そうな男だ。精悍せいかんな顔をこちらに向け、猛獣めいた眼でこちらをぎろりと睨んでくる。
「アシュレー・ウインチェスターだな」
「そ、そうだけど……あなたは」
「俺は……」
 そこで言葉を切る。視線を逸らし、何か考えている。
 ──何者だ、一体。
 囚人だとあの巨漢は言っていた。伸び放題の黒髪ややつれた顔つきは長い獄中生活のせいか。薄汚れた袖無しのシャツから突き出た肩や腕は、相当に鍛えられているのが一目でわかった。巨漢を一撃で昏倒こんとうさせたのだから、その筋肉は虚仮威こけおどしではないだろう。
 男は軽く嘆息して、再びこちらを睨んだ。
「ただの囚人だ」
 アシュレーは怪訝な顔をして男を見つめる。そして口を開きかけたところに。
「あ、アシュレーッ」
 獄長室の方から聞き覚えのある声と騒がしい足音が聞こえた。
「大丈夫だった? 無事? 平気?」
「リルカ?」
 男の後ろから亜麻色の髪を揺らして少女が駆けつけてきた。
「よかった、なんとか間に合っ……!」
 言葉の途中で悲鳴を上げて、すぐに背中を向けた。
「そ、そのッ、とりあえずズボンはいてくれないかな……」
「え……あ」
 自分の下半身を見ると、巨漢に脱がされたままになっていた。男に拘束を解いてもらい、慌ててズボンを引き上げる。
「それで……どうしてリルカがここに?」
 起き上がってから尋ねると、リルカは再びこちらを向いて、ばつの悪そうに俯いた。
「実はね、その……アーヴィングさんが」
「ヴァレリア公が?」
 うん……と少し間を置いてから、リルカはここまでの経緯を話した。
 アシュレーは──ようやく合点がいった。
 やはり自分は囮だったのだ。

「リルカ君、君に最初の任務を通達する」
 ヴァレリア公はリルカを自室に通すと、いきなりそんなことを言い出したという。
「え? 任務って……魔法の話じゃなかったんですか?」
「それは口実だよ。今回の任務はアシュレー君に聞かれる訳にはいかないからね」
「どうしてですか?」
 不思議な顔をするリルカに、ヴァレリア公は真顔で言った。
「今から彼を逮捕する」
「へ!?」
 驚いて、一歩後ろに下がる。書き物机に腰が当たった。
「テロリストの一味であるという容疑をかけて拘束する。そして孤島にある監獄へと送り込む」
「そ、その……言っているイミが」
 当惑するリルカを後目しりめに若き貴族は机に近づき、引き出しから何かを取り出す。
 手にしたのは──拳銃だった。
「任務の内容は、ある男を脱獄させることなのだが……その男が収容されている監獄というのが厄介でね」
 白銀に輝く銃の具合を確かめながら、説明する。
「絶海の孤島イルズベイルに作られた監獄は、戦争犯罪人や大量殺戮さつりく者など、所謂いわゆる凶悪犯を収容することを目的とした施設だ。それゆえ警備も厳重であり、容易に侵入はできない」
 リルカはぽかんと口を開けて聞いている。話の筋が見えないから反応しようがない。
「施設に入ることができるのは月に一度の補給船か、新たな囚人を運ぶ護送船のみ。私が調べた限りでは、補給船の方は逐一チェックが入るが、護送船の方は──比較的緩いようだ。だから、これを利用して侵入を試みる」
「え、えッ……それじゃ、アシュレーを」
 リルカにも少しずつ概要が掴めてきた。
「テロリストの一味という容疑をでっち上げて、イルズベイル送りにする。その護送船に乗って私たちも監獄に侵入しようという寸法だね」
「そんなうまく……いくんですか?」
「乗組員は買収済みだ。君は証拠品の荷物に紛れて乗船すればいい。私は適当に理由をつけて同行する。これでも上の人間だからね、その程度のことはできる」
 既に下準備は整っている……のか。
「で、でも、これがぜんぶ作戦なら、アシュレーにも説明したほうが」
「私の見立てでは、彼は嘘を吐くのが不得手ふえてのようだ」
 ヴァレリア公は言う。
「この作戦におけるポイントは、護送から収容まで──つまり我々が侵入を試みる間に、いかに怪しまれず事を進められるか、ということにある。彼に事前に説明した場合は演技をしてもらうことになるが……彼の性格では、ボロが出てしまう危険性は否めない」
「だから、ホントに捕まったんだと思わせておく、ってコトですか……」
 リルカは下を向く。理屈はわかるが、納得はできない。
 アシュレーを騙して拘束する。それはつまり……たとえ一時的だとしても、彼に酷い思いをさせてしまうことになる。話を聞いた以上、自分も共犯者だ。言い訳なんてできない。
「これが我々にとっても、勿論彼にとっても最善の策なのだよ。全員無事に作戦を遂行することが何より肝要だ」
 彼にとっても、と言われると、リルカも拒否はできなくなる。しぶしぶ頷いた。
「それで、いったい誰を牢屋から助けるんですか」
 リルカが聞く。
「そもそもどうして凶悪犯なんか助けるのか、そこんところがわかんないんですけど」
「不満そうだね、リルカ君」
 口許だけで笑いながら、美形の貴族が言う。
「そんなことはない、ですけど……」
 いつの間にか拗ねた子供のように唇を突き出していたことに気づいて、慌てて引っ込める。
「助けるのは凶悪犯ではない。まあ……多くの人を死に至らしめたという点では同義なのかもしれないが」
 僅かに眼を細めて、ヴァレリア公は言った。
「彼の名はブラッド・エヴァンス。現在は囚人だが──5年前は『英雄』と呼ばれた男だ」
「英雄……?」
 首を捻るリルカの前で、横を向いた貴族は告げた。
「そして、我らARMSの一員となる男でもある」

「ホントに大変だったんだから」
 説明が終わってから、リルカは大袈裟おおげさにため息をついた。
「さっきの爆発が行動開始の合図だったんだけどさ、それまでは狭っ苦しいところにずっとジッとしてなきゃならなかったし。で、やっと外に出られたと思ったら、囚人がみんな脱走してて、てんやわんやの大騒ぎ。おっかない人たちの中をなんとか抜けて、牢屋に残ってたこのヒトを連れ出したんだ」
 そう言って、リルカが目の前の男を示した。
 この男が──。
「ブラッド・エヴァンス……」
 感嘆混じりに、アシュレーはその名を呼んだ。
「アシュレーも知ってるの?」
「知ってるの、って……スレイハイムの英雄といえば誰だって知ってるさ。リルカだって授業で習ってるだろ」
「あう……わたし、歴史はからっきしだから……」
 落ち込むリルカをよそに、英雄と呼ばれた男は既に行動していた。
「これはお前のだろう」
 獄長室から取ってきた荷物をアシュレーに手渡す。自分の荷袋と、銃剣。
「支度をしたらさっさと脱出するぞ。もっとも、獄長がただで逃がしてくれるとは思えないがな」
 ブラッドは既に獄長室から廊下に出ていた。
「そういえば、あの獄長はどこに行ったんだ?」
 アシュレーは急いで銃剣と荷袋を担ぎ、後を追いかける。
「脱獄した囚人の鎮圧にかかっているのだろう。だが施設のシステムは全てダウンしている。セキュリティは働かない」
「それじゃあ、どうやって……」
 先を歩いていたブラッドが、止まった。
 唯一の脱出口である、船着き場。その入口で立ちつくしている。
「……こういうことだ」
 押し殺した声で、彼は言う。
 アシュレーは横から船着き場を覗き込んだ。
「────ッ!」
 磯の匂いに混じって──死臭がした。
 半ばほど海水が入り込んだ、広い空間。その地面の其処此処そこここに──囚人らしき男たちが倒れている。ある者は血塗れで、ある者は身体の一部が欠けて。千切れた腕や脚や臓物なども散乱して、石畳を汚している。
 背後でリルカが引きつったような悲鳴を上げた。見てしまったらしい。
「けひゃひゃひゃひゃ……」
 甲高い笑い声が、響いた。
 木製の桟橋の手前、そこに禿げた小男が佇んでいる。獄長だ。
 そして、その隣には──。
「なんだ……あれは?」
 鉄屑でできた巨大な人形が、立っていた。
 横の獄長の三倍以上はあるだろうか。鉄骨の脚で地面に立ち、鉄の箱が胴体の部分に填め込まれてある。箱には断頭台の刃のようなものが取りつけられ、生々しい血糊が付着している。
 そして、太い鉄骨で組まれた腕の先には──鋭い金属の鉤爪を持つ、大きな手が。
「ダツゴクシャ……ハッケン……」
 首許にある大きな歯車が回転し、鉄の頭がこちらを向く。目玉の部分からは黄色の光が怪しげに放たれている。
「おや、666号ではないか。それに横のそいつは、新入りか」
 獄長もこちらを見つけて、声を上げた。
「貴様らも逃げ出すつもりか。残念だが、この監獄からは生きて出られないぞ。どうしても出たいなら……死体になってからだッ」
 獄長は持っていた何かの装置に目を落とし、操作をする。機械の人形の両眼が黄色から赤に変わった。
「セキュリティなどなくても、俺様にはこれがあるッ。この囚人捕縛ロボット『ガオニム』がッ」
 口の部分のスピーカーから、耳障りな音が放たれた。威嚇か、それとも警告音か。
「ロウニ……モドレ……サモナクバ……コロス」
 鉄骨の脚が動き出し、ロボットがゆっくりとこちらに歩き始めた。鋭利な爪を持った腕と、胴体に据えつけられた刃。周囲の囚人たちもこれにやられたのだろう。近づくのは危険だ。
「破壊するしかないな」
 ブラッドが呟いた。
「距離を置いたところから、確実に仕留めろ。長引けばこちらが不利だ」
「距離を置くって……」
 戸惑うアシュレーに、彼は視線で肩口の方を示しながら言う。
「その肩に担いでいるモノは、飾りか?」
「あ……」
 そうだ。今こそ──使い時だ。
 あの弾を──。
「見ての通り俺は丸腰なんでね。囮は引き受けてやるから、任せた」
 そう言うと、ブラッドは鉄人形に向かって歩いていった。
 アシュレーは荷袋を降ろし、中からカートリッジのケースを取り出した。
「リルカ、君は……」
 弾倉に装填してからリルカの方を振り返ったが……彼女は地面に座り込んで青ざめていた。初めて見る凄惨な光景にショックを受けてしまったか。
「ここで待ってて。動けるならそのへんに隠れていてくれ」
 辛うじて頷く少女を見届けてから、アシュレーも行動を開始した。
 ブラッドは既にロボットと対峙している。振り下ろされた腕を巧みに躱し、足払いをかけた。盛大な音を立ててロボットが転倒する。
「ムッキィーッ! 何やってんだガオニム! 早く立て! 八つ裂きにしてしまえ!」
 獄長はしきりに叫んで地団駄を踏んでいる。こちらの動きを気取けどられないよう、アシュレーは隅の方に積まれていた荷箱に身を隠して、そこから銃を構える。
 射程は……若干遠いものの届かない距離ではない。がしゃがしゃと鉄骨を動かして起き上がる鉄人形に、狙いを定めた。
 立ち上がったロボットは、再び足許のブラッドに向けて腕を振り上げた。
 ──今だ。
 ひといきに、引金トリガーを引いた。
 ボフール特製の弾丸は、振り下ろされた鉄の掌に命中し──。
 爆発が起きた。
 炸裂した銃弾が掌を粉砕し、右腕もろとも吹き飛ばした。
「ガ……ギ……」
 肩から下を失ったロボットは、衝撃で後ろに蹌踉よろめいている。口のスピーカーからは異常を知らせるブザーが鳴り響く。
 ──凄い。
 一撃で鉄の腕を砕いたその威力に、放ったアシュレー自身が驚いていた。
 あのもぐりのマイスター……ボフールの腕は本物だった。いや、むしろ潜りであればこそ作れるものなのだろう。正規のマイスターでは、こんな危険なものは作れない。
 道を外れた力に微かな不安を覚えた。だが、それでも。
 僕が求めた力なんだ──。
「続けろ!」
 不意に声が飛び込んできた。顔を上げると、ブラッドは桟橋で獄長を足止めしつつ、こちらを向いていた。
「このまま落とすんだ!」
 言われた意図がわからず茫然としていると、彼は顎でロボットの後方を示した。
 背後には……海が。
 ──理解した。
 ARMのレバーを引いて次の弾を装填する。そして素早く構え直して、撃った。
 今度は腹部に当たった。刃が割れて周辺に飛散する。ロボットはさらに一歩後ろに下がった。
 続けざまにレバーを引き、一発。また一発。命中する度にじりじりと背後に後退し……。
 岸壁まで、追い詰めた。
「最後だッ」
 引金を引いて止めを放つ。弾を食らったロボットが背後に下がる。だがそこに地面はなく──脚は岸の向こうに投げ出され──。
 そのままぐらりと倒れ込み、飛沫を上げて海へと落ちた。
「あ、あ、あああああッ!?」
 獄長が岸壁に駆け寄る。アシュレーも荷箱の陰から出て、歩いて行く。
「そ、そんな……俺様のガオニムが……」
 岸の縁に両手をついて、獄長は海を覗き込んでいる。海中に目を遣ると鉄骨と頭の一部が見えた。水に浸かれば……もう動くことはないだろう。
「あぁ……俺様の、俺様の、国が……」
 獄長がふらふらと立ち上がった。譫言うわごとを口走りながら、覚束おぼつかない足取りで出入口へと向かう。
「止めなくて……いいかな」
「捨てておけ。もう何もできない」
 ブラッドが言う。二人の視線の先で、小男は足を引きずり監獄の中へと消えていった。
「アシュレー」
 隠れていたリルカが出てきた。気持ち顎が上向きなのは、周りの死体をなるべく見ないようにしているためか。
「その、ごめん……」
「気にしなくていいよ。最初はそんなものだ」
 そう励ましてから、続けて尋ねる。
「それで、脱出はどうやって?」
「もうすぐアーヴィングさんが……あ、ほら」
 モーター音を響かせて、小型艇が船着き場に入ってきた。近くの桟橋に停泊させ、松葉杖をついて慎重に降りてきたのは、果たして。
「上手くいったようだね」
 銀髪を靡かせたメリアブールの貴族──ヴァレリア公。三人の姿を一瞥いちべつすると、満足そうにほくそ笑んだ。
 その表情が、
 アシュレーには、妙に──癇に障った。
「はい。なんとか……って、アシュレー?」
 リルカの横を抜けて、彼の前に進み出る。
「全て、あなたの作戦通り──ですか」
 手を伸ばせば届くほどの距離で、アシュレーはヴァレリア公と向き合った。
「概ね成功と言っていいだろう。何よりこうして無事に任務を果たして合流できたのだからね」
 指揮官は淡々と述べる。アシュレーの刺すような視線にも、平然と見返して。
「隊員それぞれの特性と実力を考慮し、勘案した上で作戦を立てた。君に内容を知らせなかったのは、不確定要素をできる限り排除するためだ。済まなかったとは思うが……成功率を上げるためには必要な措置だった」
「間違ってなかった、と思っているんですね」
「ああ。この結果が何よりの証明だ」
 そう言い放った、涼しげな顔を。
 アシュレーは──殴った。
 松葉杖が地面を滑る。銀髪を振り乱して男は倒れ込んだ。
「あなたはひとつ忘れている」
 殴った拳を固めたまま、アシュレーは言った。
「人には感情があるんだッ」
 ないがしろにされた。信頼されなかった。その思いは、決して消えない。
 人間は盤上の駒ではない。意思があり感情があり、心があるんだ。
 それらを無視して思い通りに動くと思ったら──大間違いだ。
「人の上に立とうというのなら、まずは人を──僕たちを、信頼してくれ」
 拳を緩めて、最後は力なく言葉を吐いた。
 ヴァレリア公は片手をつき、徐に頭を上げる。殴られた左の頬が腫れ、さらに病的な容貌になっていた。
「そう……だな。肝に銘じておくよ」
 松葉杖を取って起き上がりながら、そう言った。アシュレーは肩を貸す。
「俺からも、聞いていいか」
 それまで岩のように黙っていたブラッドが、口を開いた。
「あの爆発は……お前が仕掛けたものなのか」
「ああ。別働隊にやってもらった」
 簡潔に答えると、ヴァレリア公は背を向け船へと戻っていった。
「ブラッド?」
 アシュレーが振り向くと、彼は貴族の背中を凝視していた。
 何か──釈然としないように。
「…………」
 こちらの視線に気づくとブラッドは顔を背け、無言で船へと乗り込む。
「アシュレー、行くよー」
 リルカは既に船上にいた。返事をして、アシュレーも船に向かう。

 各々が微かなしこりを抱いたまま──小型艇は孤島を離れていった。

 海原の向こうに消えていく船を見送ってから、男は呟いた。
「なんだか釈然としねぇな」
 逆立った短髪を掻き回しながら首を振った。そして右眼を動かして横を見る。
 左眼は、潰れていた。剥き出しの濁った眼球は何も映じていない。眉から瞼にかけては傷痕も残っている。
「別にいいじゃないか。お互い干渉なしというルールなんだろ。とても判りやすい」
 隣で言葉を返したのは、丸眼鏡を掛けた男。眼鏡の奥の切れ長の眼は、常に微かな笑みをたたえている。
「人間、余計なことはしないのが賢明だよ。早死にの元だ。こいつのようにね」
 言いながら、足許に倒れている男の頭を靴先で小突く。禿げ散らかした頭の小男だった。額の中央を撃ち抜かれ、絶命している。
「けッ……まあいい。ここの仕切りは手前ェなんだ。これからどうする」
「どうするも何もない。速やかに帰還だよ。ちょうどお迎えも来たようだしねえ」
 丸眼鏡が空を仰ぐ。隻眼せきがんの男も同じようにする。
 黄昏たそがれの空に──巨大な機械の鳥が飛来していた。
「よおし。手前てめェら、俺について来い!」
 隻眼が崖下につどっていた囚人たちに叫ぶ。二人は断崖の上に立っていた。
「どうせ娑婆に出たところで、ろくなことしねぇんだろ。だったら俺がまとめて面倒見てやる。三食昼寝つき、成果を上げりゃ特別報酬ボーナスも弾むぜ!」
 囚人たちから怒号のような歓声が上がった。隻眼は満足そうに頷き、腕を掲げて歓声に応える。
「……ま、仕方ないか。何しろパーティには人手が要る」
 丸眼鏡はそれに背を向け、降下してくる機械の鳥を仰いだ。
 そして。
「せいぜい楽しませてもらいたいものだね」
 人差し指で眼鏡をずり上げて──ニタリとわらった。