■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Mission 7 バルキサス攻防戦

 アルテイシアがワゴンを押しながら入室すると、首脳会談の場は既に混乱のそうていしていた。
「これは一体、何のつもりだッ」
 きつね狩りでも行ってきたような身なりの男が、席を立って地団駄じだんだを踏んでいる。頭領マスターと呼ばれているギルドグラードのおさだ。毛虫のような太い眉の下についた両眼は、会議室の壁際でたたずむ兄に向けられていた。
「百聞は一見にかず、ということですよ」
 兄──アーヴィングはいつものようにけんのある顔で頭領を見返した。彼の背後の壁に据えつけられた矩形さしがたの大鏡は、この部屋ではなくどこか別の場所の情景を映している。
 感応石通信による──映像。
「オデッサが如何いかほどの脅威なのか、そしてARMSがそれにどのように対処しているのか、皆様の目で実際に確かめて頂こうという趣向です」
「なッ……!」
 絶句する頭領を後目しりめに、アルテイシアはワゴンから白磁の茶器を取って支度をする。
 緊急出動スクランブルが起きたら会議室に来て茶を用意してくれ──彼女はあらかじめ兄からそう申しつけられていた。一体どういうことかといぶかしんだものだったが、実際にこの状況を見るにつけ、彼女にも兄の魂胆こんたんが呑み込めてきた。
 三大国家のうち、唯一ARMSに不信を抱いているギルドグラード。恐らく今回のサミットは、この偏屈な頭領を籠絡ろうらくするために用意した舞台なのだろう。
 だから──この茶も演出の一部だ。非常事態にも関わらず悠長に茶をたしなんで高みの見物をさせ、ARMSの庇護下にあることの安心感を覚えさせる。
 全て兄の……ARMS指揮官の図面通りに、事は進んでいるのだ。
「あら、それではアシュレー君の活躍をじかに見られるのですね。嬉しいわ」
 はす向かいの席ではシルヴァラント女王が、絹の手袋をめた手を合わせて少女のようにはしゃいでいる。
「女王陛下はあの隊員がお気に入りか」
 若い男に懸想けそうとは其方そなたも若いのう、とメリアブール王が冷やかすと、女盛りはこれからですのよと女王もうそぶいてみせた。
 歯軋りの音がこちらまで聞こえてきそうなギルドグラードマスターとは裏腹に、向こうの首脳たちは和気藹々わきあいあいと会話を交わしている。
 これも──演出だ。メリアブール王もシルヴァラント女王も、知らないうちに兄の計略に加担させられている。何の疑問も持たないままに──。
 ──恐ろしい。
 茶壺で蒸らした茶をカップに注ぎ入れながら、アルテイシアは兄に対して微かな畏怖いふを覚えた。
「ご覧頂いているのは艦底の機関部奥にある射出機カタパルトです」
 映像の横でアーヴィングが説明を始める。
「これより隊員を乗せたアンカーを敵機に撃ち込み、機内に潜入して動力を停止させる手筈てはずとなっております」
「ふん、七面倒くさいことを」
 頭領は不機嫌な顔のまま、どかりと席に座り直した。アルテイシアは頃合いを見計らって横からカップを置く。
「我が軍のARMならば、飛空機械など一撃で粉砕してみせるわ」
「バルキサスの装甲は、リニアレールキャノンの砲撃をも防ぐほど強固なものです」
 すかさずアーヴィングが反論する。
「それ以上の兵器となれば、イスカリオテ条約に抵触する恐れが生じますが……貴国の軍にはそのようなものが?」
「な、ないッ。無いと言っておろうがッ」
 やはり怪しいのう、と取り乱す頭領に視線をくれるメリアブール王。アルテイシアはその前に湯気を立てたカップを差し入れる。
指揮官サー、当該機がアンカーの射程距離に入りました〉
「了解。予定通り決行だ」
 アーヴィングの指示を受けて、映像の作業員たちが動き始めた。操作盤の前に立つ二人を残して全員が退避する。
「アシュレー君はあの中かしらねえ」
 画面に映る円錐えんすいの錨を見ながら女王が言う。アルテイシアがその手許にカップを置くと、彼女はこちらに会釈を返してきた。ひとつひとつの動作がとても優雅だ。
 本物の気品とは──こういうものか。
 少し気後れしつつ、アルテイシアはワゴンを押して退き、部屋の隅に控える。
 改めて、室内を見渡した。
 仏頂面で落ち着きなく口髭を弄るギルドグラードマスター。
 椅子に深々と座り込み、悠然と佇むメリアブール王。
 紅茶を手に取り香りを愉しんでいるシルヴァラント女王。
 兄の仕組んだ茶番劇。その舞台が──ここに整った。

 施政者たちが見守る中、射出機に載せられた錨はひといきに上空へと放たれた。

「あいたたた……」
 アシュレーに続いてアンカーから出てきたリルカが、首の後ろをさすりながら顔をしかめた。
「なーにが『確実に君達を送り届けるようにする』よ。荒っぽいんだからホントに……」
「まあ、実際無事なんだから、良しとすべきだろうね」
 そう返したアシュレーは、次に出てきたティムに手を貸す。
「ここは……どこなんでしょう」
 降り立ったティムは、不安そうに辺りを見回している。
「恐らく艦の後部の、格納庫だ」
 最後にブラッドが狭いハッチを潜るようにして降りてきた。
「ほぼ狙い通りの地点みたいだな」
 アシュレーも周辺を見渡す。ブラッドの言う通り格納庫のようだが、武器も弾薬も積み込まれておらず、四角四面の空洞がひたすら広がっていた。
 彼らが乗ってきた錨は、壁を突き破った状態で壁面に引っかかっている。バルキサスの動力を落とした後、速やかにここに戻ってくるのが彼らの任務である。
「コックピットは通路の奥にある階段を上がった先だ。そこの昇降機を使えば近道だが」
 ブラッドが示した先に昇降台はなかった。今は上で停止しているのだろう。
「それじゃあ、まずは階段でコックピットだな。けど──」
 アシュレーが視線を向けた通路から、いくつもの足音が近づいてきていた。
 オデッサの──兵。
「……ま、来るよね」
 リルカが片目をつむって肩をすくめた。アシュレーは背後の少年を振り向いて声を掛ける。
「ティム、予定通りに頼む」
「は、はいッ」
 ティムはあたふたと腰の鞄をまさぐり、中から一枚の石版を取り出す。亀の甲羅が刻まれた──シトゥルダークのミーディアム。
「返してあげたんだからねー。大事に使いなさいよ」
「これは元々ティムのものなのダ。恩着せがましいのダ」
 鞄を開けた際についでに出てきたプーカが早速憎まれ口を叩く。ムッとするリルカの横で、ティムは石版を抱えて深呼吸し、目を閉じる。
 聞き取れない不思議な言葉を念じ、それから石版を真上に投げた。
「プーカ!」
合体コンバインなのダッ!」
 飛び上がったプーカが石版に触れ、閃光が炸裂する。その中から出現し、彼らの前に降り立ったのは──。
 青い鱗をまといし、亀の化身──。

「な、何だあの怪物はッ。モンスターか?」
 突如出現した巨大な亀に、ギルドグラードマスターは泡を食ってった。
「ガーディアンですよ」
 事も無げにアーヴィングが答える。彼の横にある大鏡は、バルキサスに潜入した隊員たちを逐一ちくいち映し続けている。
「はぁ? ガーディアンだと? 何を馬鹿な……」
「あの少年は『柱』と呼ばれる、ガーディアンの力を引き出して行使できる唯一の存在です」
 頭領を半ば無視するような形で、ARMS指揮官は施政者たちに説明を始めた。
「彼が行使できるのはガーディアンの力の片鱗に過ぎませんが、それでもあのように一時的に具現化させることも可能です。ファルガイアの守護獣と呼ばれ、かつて世界に君臨した彼らを、我らARMSは味方につけたのです」
「ガーディアンとは、また妙なものに目をつけたのう。実に其方らしい」
 髭をいじりながら感心するメリアブール王に、頭領が食ってかかる。
「な、何を悠長なことを。守護獣だかウナ重だか知らんが、あんな化物を戦いに利用するなど危険極まりないではないかッ」
「しかし、兵器ではないから条約で取り締まることもできませんわねえ」
 シルヴァラント女王はカップを受け皿に置いてから、やおら口を開く。
「それに、伝説通りならばガーディアンとはファルガイアを守護する聖なる存在。そのようなものが私たちにあだすとは思えませんが」
 よこしまな野心を持っている方には危険に感じるのでしょうねえ、と皮肉で返されてしまい、ギルドグラードマスターは言葉を詰まらせた。
「オデッサも魔術によって様々なモンスターを召喚して利用しています」
 アーヴィングはあくまで淡々と説明を続ける。
「それらに対抗するためにも、ガーディアンの力は必要であると考えた次第です。もし皆様が余剰戦力であると判断するならば封印も致し方ありませんが──」
 問題ない、とメリアブール王が言い、それには及びませんとシルヴァラント女王も追認した。
 ひとり孤立する工業国の主は押し黙り、顔をたこのように赤くしたまま腕を組む。
 ご理解感謝します、と兄はことさら慇懃いんぎんに礼を述べた。露骨な態度にアルテイシアは部屋の片隅で眉をひそめる。
「さて、ガーディアンの力、見せて貰おうか」
 王たちが注視する中、水の守護獣たる大亀は泡のような球体を発生させ、周囲を包み込もうとしていた。

 シトゥルダークによって展開された水の防御壁は、彼らを丸ごと包み込むように張り巡らされた。
「だ、大丈夫なの、こんなんで」
 リルカは透明な膜のような防御壁を見回し、それから通路の方を目を向けた。既にオデッサ兵たちが通路を塞ぐようにして整列し、銃を構えている。
 隊長と思しき兵の合図で一斉射撃が始まった。数十もの兵が放つ銃声に思わず身が竦んだが、銃弾はことごとく弾力のある薄膜に遮られ、外へと排出された。
「これがガーディアンの力か……」
 銃撃を完璧に防いだ守護獣の能力にアシュレーは感心し、それからティムの様子を確認する。
「まだ持ちこたえられるか?」
「は、はい。でも、今のボクではそんなに長くは……」
 岩のような大亀のそばで、小さなガーディアン使いは杖に寄りかかり、額に玉の汗を浮かべている。やはり守護獣の具現化は維持するだけでも消耗が激しいようだ。
「もう少し頑張ってくれ。なるべく早くカタをつける」
 攻撃が通じず動揺する兵たちに向けて、アシュレーは銃を構えたが。
「わ、ちょっと待ったアシュレー」
 慌ててリルカが制止し、それから水の膜を指さした。
「コレのこと忘れてない? こっちの攻撃だってはね返されちゃうんだよ」
「ああ……そうか。けど、それじゃあ」
 反撃ができない。
 思わぬ欠点にアシュレーは困惑したが。
「だからね、ここは」
 任せなさいッとリルカが自分の胸を叩いた。そして呪符を取り出して詠唱を始める。魔法ならば防御壁も関係ないということか。
 呪符から発動体である傘に魔法の素子そしを転移させ、それから思いきり傘を振り抜いた。膜の向こうに空気の渦が生じ、みるみるうちに膨れ上がって巨大な竜巻となった。
 五日前、シャトーの庭で披露したものよりも二回りは大きい。荒れ狂う空気の渦はオデッサの尖兵たちを巻き上げ、壁や天井に叩きつけて次々と昏倒こんとうさせていく。
「見たか特訓の成果をッ」
 リルカは腰に手を当ててふんぞり返り、ふんと鼻を鳴らした。

「あの娘は魔法使いだったのか。何やら場違いな女子おなごがおるなと前々から気になっていたが」
 オデッサ兵を薙ぎ倒し得意気に小鼻を膨らませている少女に、メリアブール王が好奇の目を向けた。
「彼女はリルカ・エレニアック。シエルジェ魔法学校の生徒で、私の要請を受けARMSに加わっております」
「シエルジェのエレニアックといえば……百年に一人の才媛さいえんと噂された、あの?」
 シルヴァラント女王の問いに、それは姉の方ですねとアーヴィングは答える。
「姉に比べれば未熟さは否めませんが、それでも貴重な魔法戦力として隊に貢献してくれています」
「だが、才能があるのは姉の方なのだろう」
 不味まずそうに茶を啜っていたギルドグラードマスターが難癖をつける。
大方おおかた姉に断られたから代わりに妹を取ったのだろうが、所詮は出涸でがらしだ。名前だけで採用したあんたの浅薄せんぱくさが露呈したな」
「そんなことはありませんよ」
 アーヴィングは穏やかに抗弁する。
「彼女も姉に引けを取らない才能を持っています。いや……私の見立てでは、潜在能力はむしろ姉以上かと」
「百年に一人のそれ以上とは、大きく出たものだな。先が楽しみだ」
 痛快そうにメリアブール王は大笑した。その隣で頭領がハッタリだろうと悪態をつき、また茶を啜る。
「あら、誰か来たようですわね」
 映像を見ていた女王の言葉で、彼らは再びバルキサスの中継に戻る。
 格納庫の隅にあった昇降台が動き出し、一人の大男が彼らの前へと降り立とうとしていた。

「乗り込むつもりが乗り込まれ、ってか。まったく、やってくれるじゃねぇか、こら」
 昇降機の扉を乱雑に開けて、その男は彼らの前にゆらりと立ち塞がった。
 逆立つ短髪。刃を束ねたような武器。そして──潰れて濁った左眼。袖の破れた軍服を着込み、背中には小さな背嚢はいのうのようなものを負っている。
「お前は、特選隊の……」
「おうよ、『コキュートス』のトロメア。憶えててくれたかい」
 そういや名前は言ってなかったかな、と隻眼せきがんの男はとぼけ、それから通路の手前で倒れているオデッサ兵を一瞥いちべつした。
「派手にやってくれたじゃねぇか。部下を可愛がってくれた礼は、たっぷりさせてもらうぜ」
 啖呵たんかを切って、水の壁越しにARMSを見据える。アシュレーが身構え、リルカはブラッドの背後に隠れた。
「まずは、その亀の甲羅から引きずり出さねぇとな」
 言うが早いか右手に携えていた刃の束が外側に開き、プロペラのように回転を始める。トロメアはその武器を掲げつつ跳躍し、防御壁めがけて振り下ろした。高速で回転する刃が水の膜に食い込み、大きな窪みを作る。
 男がさらに力を込めると、窪みに裂け目が生じ、そこから破裂するようにして膜は消滅した。
「くッ」
 防御壁を破られた反動か、ティムが後ろによろめく。それでも足を踏ん張り、懸命に杖を掲げて守護獣に命じる。
「シトゥルダーク!」
 大亀が動いた。地面に着地したばかりのトロメアに襲いかかる。
「しゃらくせぇ!」
 トロメアは刃を閉じ、棍棒のような形状に戻った武器で亀の前肢を受け止め、逆に押し返した。そして隙をついて腹部に滑り込むと、仰向けのまま武器を振るって下から甲羅を叩いた。
 守護獣の巨体が高々と宙に舞い上がり、天井に衝突して──弾けた。
「案外、軽いな」
 トロメアがほくそ笑む。具現化が解除されたプーカと石版が天井から落下する。
「そん……な」
 それを見たティムはふっと気を失い、地面に倒れた。

「何だ……あいつは」
 常人離れしたわざでガーディアンを退けた大男に、会議室は騒然となった。
「あの男はヴィンスフェルト直属の精鋭部隊『コキュートス』のトロメアと名乗っている者です」
 部隊の危機にも動じることなく、アーヴィングが解説する。
「『コキュートス』と我々ARMSは、これまでも度々衝突してきました。現時点で確認できている構成員は四名。いずれも一騎当千の超人的な能力を有している強者です」
「あんな化物が四人もいるのかッ」
 ギルドグラードマスターは声を荒らげた。
「それにしても、あのガーディアンを容易く倒してしまうなど……人間とは到底思えませんわ」
 女王の言葉に、推測に過ぎませんがと前置きしてからアーヴィングが答える。
「恐らく彼には禁術による身体能力の強化が施されています」
 おののく施政者たちを脅かすかのように、兄は物々しい顔をする。常態からして不機嫌な面相ではあるのだが、これは明らかに意図して作っている。
「降魔儀式や魔物の召喚など、オデッサは封印されたはずの禁術を駆使してテロに利用しています。見方によっては超兵器をもしのぐ脅威と言えるかもしれません。そのようなものに対し、果たして現状の国軍でどれほど太刀打ちできるか──」
 最後の言葉はギルドグラードマスターに向けられているようだった。頭領は苦虫を噛み潰したような顔で閉口する。
「では、其方らはどのように太刀打ちするのかな」
 メリアブール王が珍しく真顔になって尋ねた。アーヴィングは屹然きつぜんと王を見返すと。
「それを彼らがお見せしますよ」
 そう言ってから、映像を振り仰いだ。
 防御壁を破られたARMSが、懸命に体勢を立て直そうとしていた。

 気絶したティムをリルカに預け、アシュレーとブラッドはトロメアと対峙した。
 まともに戦って──勝てるか。
 圧倒的な力量を見せつけられて怯むアシュレーの前に、ブラッドが進み出る。
「援護を頼む」
 一人で戦うつもりか。いや。
 お前は邪魔だ──ということか。
 悔しさを噛み殺すように歯を食い縛ってから、わかったと了解して後ろに退いた。
「まさか、こんな形でスレイハイムの英雄とやり合うことになるとはなぁ」
 拳を固めて構えるブラッドを前にして、トロメアは感慨深げに目を細める。
「解放軍の中じゃ、ブラッド・エヴァンスなんて雲の上のお人だったからなぁ。はみ出しモンの雑兵ぞうひょうだったあの頃には思いもしなかったぜ」
「解放軍にいたのなら、ヴィンスフェルトの悪行あくぎょうは知っているだろう」
 何故あんな男に協力する、とブラッドは三白眼さんぱくがんで睨みながら問う。
「けッ。どうでもいいね」
「どうでもいい?」
 眉根を寄せるブラッドに、あんたにゃわからないだろうがよ、とトロメアは返す。
「この世にはな、どうにも枠にまれねぇ人間ってのがいるんだよ」
 武器を担ぎ、遠い目をしながら語る。
「何をしても裏目に出ちまう奴、居るだけで顰蹙ひんしゅくを買うような奴、上手く立ち回れなくて敵ばかり作っちまう奴。やれ厄介者だの鼻抓はなつまみだのと嫌われて、気がつけば世間の枠から弾き出されてる。自業自得なのはわかってるが、結局は性分だからな。こればっかりはどうしようもねぇ」
 俺もそうした屑の一人だったわけよ、と隻眼の男はけた頬を吊り上げて笑みを作る。
「けどな、そうやって枠からはみ出た連中だって居場所は必要なんだよ。居場所がねぇから暴れるんだ。枠ン中荒らして、自分の居場所を作ろうとしてるんだ。それでますます世間からうとまれる。悪循環だわな」
 同じはみ出しモンとして、どうにかしてぇじゃねぇか──トロメアはそう言って再び遠い目をした。
「ヴィンスのおっさんは、そういうはみ出しモンに居場所をくれてんだ。オデッサの中なら俺たちみたいな屑だって、胸を張って歩ける。奴の過去なんざどうでもいい。俺たちを利用してるだけかもしれねぇが、それでも構わねぇ。はみ出しモンが白い目で見られず堂々と生きていける、そういう場所を作ってくれたんだ。それだけで充分、働き甲斐があるじゃねぇかよッ」
 こちらに武器を突きつけて、はみ出し者の巨漢は気勢を上げた。
「ようやくできた俺たちの居場所なんだ。ARMSだろうが英雄だろうが潰させはしねぇ。この俺が──」
 刃が開き、空気を切り裂く音を立てて回転を始める。
微塵みじんにしてやるぜッ!」
 跳躍で一気に距離を詰め、刃のプロペラを振り下ろした。
 回転する刃をブラッドは身体を反らせて躱し、相手の右側に跳んで再度間合いを取る。そしてグローブの手首付近の撃鉄を指で弾き、手甲に仕込んであるARMを連発した。
 トロメアめがけて放たれた銃弾は、突き出された武器にことごとく弾かれた。高速回転する刃は盾にもなるようだ。
「厄介な武器だな」
 ブラッドは舌打ちしたが、直後に刃の回転が止まり、また棍棒の形状へと戻る。
 ──時間制限があるのか。
 ブラッドもそのことに気づいたか、ここぞとばかりに攻めに転じる。
 間合いを詰めるブラッドにトロメアは武器を振り下ろす。ガーディアンをも吹き飛ばした一撃をブラッドはマイトグローブを嵌めた腕一本で受け止めた。衝撃で足許の地面に亀裂が走り、鋼鉄の床板がめり込む。
 ブラッドはそのまま体躯たいくを沈ませて相手の懐に潜り、当て身を食らわせた。その場で足を踏ん張り堪えるトロメア、押し切ろうとするブラッド。筋肉と筋肉が激しく衝突し、せめぎ合う。
 不意にブラッドが力を抜いて均衡を崩した。つんのめるように前に倒れるトロメアの身体を肩に載せ、腕を引いて背負い投げる。
「今だ!」
 ブラッドが振り返る。銃を構えたまま待機していたアシュレーが、空中に放り出された巨体に狙いを定め──引金を引く。
 放たれた銃弾はトロメアに命中し、炸裂した。吹き飛ばされた巨体が通路の入口付近の壁に激突し、地面に滑り落ちる。
「やった……か?」
 アシュレーが銃を下ろす。ブラッドも構えを解き、倒れたトロメアを刮目する。横たわる背中にはすすが付着し、軍服も一部が焼け焦げていた。
 だが──。
「致命傷ではない。生きている」
 ブラッドが言う。アシュレーも同意して、それから次の行動を躊躇ためらう。
 本来ならば、とどめを刺さなくてはならないだろう。だが。
 敵とは言え──彼は人間だ。魔物の息の根を止めるのとは訳が違う。
「少なくとも当分は身動きできないはずだ。今のうちにコックピットへ」
 判断を先送りして、アシュレーは通路へと足を向けたが──。

「流石はブラッド・エヴァンス、聞きしに勝る戦闘力よな」
 巨漢同士の大立ち回りを見届けたメリアブール王が、上機嫌で発言した。
「其方が落ち着いていた理由が良う判ったわ。あの『英雄』がいれば、確かにどのような敵が現れようとも安泰だ」
「お、おい、待て。今……ブラッド・エヴァンスと言ったか?」
 その名を聞き咎めたギルドグラードマスターが狼狽ろうばいする。
「ブラッド・エヴァンスと言えば、先のスレイハイム戦役の重大戦犯ではないか。確か終身刑でイルズベイルに収監されていると……」
「脱獄させました」
「だ、脱獄ぅ!?」
 平然と言い放つ貴族に、頭領は頓狂とんきょうな声を上げた。
「そもそもブラッド・エヴァンスの逮捕及び処刑は、既に国家の体を為していなかったスレイハイムの残党軍によって行われた、言わば『私刑』だったのです。国際的な観点からすれば、彼の逮捕は明らかに不当であったはず」
「だ、だからと言って既に収監された者を脱獄させてまで隊に加えるとは……あ、あんたらは知ってたのか?」
「無論、存じていましたよ」
「なッ、ならばどうして咎め立てしないのだ。あいつは囚人だぞ? そもそも脱獄だってれっきとした犯罪ではないかッ」
 頭領はわめき立てるが、動じているのは彼のみだった。
「わかっとらんのう、ギの字よ」
 億劫おっくうそうにメリアブール王が言った。
「ブラッド・エヴァンスに刑を課したのは、スレイハイムなのだ。しかし彼の国は既に無い。彼奴あやつを縛る鎖はとうの昔に消失していたのだ」
「イルズベイルという無法化した監獄にいたため手出しができませんでしたが、本来であればスレイハイムが滅びた時点で釈放されて然るべきだったのです。ですからヴァレリア公が行ったのは、脱獄の手助けではなく不当に拘束されていた彼の救出であったと、私たちは諒解しています」
 王と女王に立て続けに諭された頭領は、腹でも壊したような顔をして机に視線を落とした。会議冒頭の威勢はどこへやら、明らかに覇気が落ちている。
 ──あと一息、といったところか。
 複雑な思いを抱きつつ、アルテイシアは頭を動かして映像に目を遣る。ARMSの隊員たちが、倒れた大男の横を抜けて通路へと向かっていた。
 ──が。
「あ……」
 思わず声を発してしまった。王たちもそれに気づき、大鏡を振り向く。
 映像の端で、横たわっていた大男が。
 のそりと──起き上がった。

「そんな……」
 ARMの一撃をまともに食らっても、なお。
 その男は──涼しい顔をして再度彼らの前に立ち塞がった。
「お前は……モンスターなのか」
「人間だよ。手前ェらと同じな」
 トロメアは笑いながら凄んでみせた。服が破れ半裸となったその身体には、致命傷どころか血の一滴すら流れていない。
「言っとくけど結構痛かったぜ。あと服も弁償してもらわねえとなぁ」
 首を左右に傾け関節を鳴らしながら、前に進み出る。リルカがあたふたとティムを背負い、ブラッドの陰に身を隠す。
 ──勝てない。
 身構えながらアシュレーは煩悶はんもんする。
 絶対的に火力が足りない。この鋼のような男を倒せるとすれば。
 ──ブラッドの小型ミサイルユニット。
 だが、あれは設置に時間が必要だ。知能を持たないモンスターならともかく、人間相手ではそんな猶予など与えてくれるはずもない。
 蛇に睨まれた蛙たちは、為す術もなくじりじりと後退りする。
 退却か──。
 その考えが頭を過ぎったとき、艦内に爆音が轟いて大きく揺れた。
「わわッ」
 リルカが尻餅をつく。背中のティムも目を覚ました。
「どうやら時間切れだな」
 トロメアが通路の方を見ながら呟いた。
「時間切れ?」
「お遊びはおしまい、ってことだよ」
 そう言うときびすを返して背中を向ける。そして。
「部下を離脱させ、動力も落とした。後は」
 言葉を切り、格納庫の奥へ猛然と駆けていく。
 その先には──彼らが乗ってきたアンカーが。
「これで仕上げだッ」
 武器を振り上げ、錨に振り下ろす。鋼鉄の円錐が大きくひしげ、壁面に突き立っていた錨腕びょうわんも衝撃で根元から折れた。
 支えを失った錨は壁から外れ、ずるりと鎖に引きずられるように外側へと抜け落ちた。
「な……!」
 唖然とするアシュレーたちを後目しりめに、トロメアは先程まで錨があった場所に立つ。そして。
「じゃあな。快適な空の旅を──なんてな」
 余裕の笑みを残して、壁の穴からひといきに飛び降りた。
「くそッ」
 アシュレーたちが駆けつけたときには既に、錨も男の姿も雲の彼方に消えていた。
「奴が背負っていたのはパラシュートだったか」
 穴の縁から下を覗きながら、ブラッドが言う。
「ということは……」
「最初から俺たちを残して脱出するつもりだった、ということだな。ここでの戦闘も、部下が離脱するまでの時間稼ぎだ」
「ど、どーすんの? あの乗り物がないと帰れない……っていうか、なんか……スピード落ちてない?」
 リルカは壁に張りつきながら、不安そうに周囲を見回している。確かに先程から前方に引かれる感覚がある。速度が落ちている。
「動力が……停止している。発動機モーターをやられたか」
 あの爆発が動力源を破壊する音だったことに、今になって気がついた。
「そんなッ。それじゃあ、この飛空機械は」
「墜落するな」
 顔色を変えずにブラッドが即答する。一方リルカはへなへなと座り込んだ。
「すまない。僕の」
 判断ミスだ。
 あのとき、躊躇せずに止めを刺していれば──。
「後悔は後回しだ。今はこの場を乗り切ることを考えろ」
「……そうだな」
 ブラッドに重い声で諭され、アシュレーは辛うじてリーダーとしての体を取り戻す。
 支えられているな、と思う。
「とにかくコックピットに行こう。何か手立てがあるかもしれない」
 仲間を促して昇降機へと向かう。まだ具合の悪そうなティムはアシュレーが背負った。
 昇降機で上階に行くと、短い廊下の突きあたりに扉が見えた。自動で開く扉を潜り、コックピットに入る。
 巨大な飛空機械を司る場所にしては手狭な部屋だった。搭乗経験があるというブラッドが操縦席に座り、計器を確認する。
「やはりメインの動力は消失ロストしているな。このままだと数分後には揚力を失い、墜落する」
「下は……海か」
 アシュレーは前方の窓から下を覗き込んでいる。先程までは雲に遮られて見えなかったが、高度が下がったことで地上の状況が確認できるようになっていた。
「このまま着水できないか?」
「油圧系統は生きているから着水操作は可能だ。だが……やはり速度が足りない。この進入角では海面に突っ込んでしまう」
「あうう……みんな海のモズクかぁ……」
 リルカが頭を抱えて呟いたが、間違いを指摘する者はいなかった。
「どうにかして減速を止めなければ……」
 ──何か。
 何か方法はないか。
 ARMでは無理だ。ならば魔法か、それともアシュレーの……『あの力』か。
 ──いや。
 アシュレーは振り返る。
 杖を支えにしながら、少年が憔悴しょうすいした様子で立っていた。
「ティム、術はまだ使えるか?」
「え?」
 守護獣使いの少年は青ざめた顔を上げ、目を丸くする。
「機体の後ろから進行方向に向かって風を起こせば、追い風になって速度を維持できるかもしれない。君がこの前使っていた──」
 五日前、シャトーの庭で使った風の術。あの威力があれば──。
 だが。
「な、なに言ってんのアシュレー」
 リルカが慌てて割り込んだ。
「言っとくけど魔法ってね、みんなが思うよりずっと、すんごい疲れるんだよ。ティムのは魔法じゃないかもだけど、それでも同じようなものだし、こんなヘロヘロで使えるハズが」
「やります」
 今度はティムがリルカの言葉を遮った。
「ボクがやらないと、みんな死んでしまうんですよね」
 血の気が引いて首まで蒼白だったが、それでもしっかりとアシュレーを見て、言った。
「ああ」
 それに応えるように、アシュレーも見つめ返した。
「僕らの命運を──君に託す」
 ティムは大きく頷くと、ふらふらと蹌踉よろめきつつコックピットを出ていった。
「リルカ、ティムの補助サポートを頼む」
「わ、わかったッ」
 すぐさまリルカも足音を立てて少年を追いかけた。扉が閉まるのを見送ってから、アシュレーは前方に向き直る。
「命運を託す、か」
 操縦席のブラッドが、窓の先を見遣りながら言った。
「お前も段々アーヴィングに似てきたな」
 アシュレーは苦笑する。
「最近、彼の気持ちがわかるようになってきたよ」
 そう呟いてから、青年は同じように空を眺め、目を細めた。

「お、おい、あんた指揮官だろ。指示はせんのか?」
 差し迫った機内の状況に、痺れを切らしたギルドグラードマスターが声を上げた。
「現場で起きたことについては、全て現場の判断に任せております」
 画面の横のアーヴィングは、微動だにせず答える。
「はぁ? 現場に任せっきりだと。あんたそれでも指揮官か」
「現場を信頼して見守るのも、指揮官の役目なのですよ」
 けんのある視線を向けられ、頭領は僅かに怯む。
「私の仕事は、彼らが着実に任務を遂行し、無事に帰還できるまでの道筋をつけること。すなわち彼らが任務を開始した時点で私の仕事は完了しているのです。歩き出しているのに道筋を変えたりしたら、それこそ現場が混乱してしまう」
「だ、だからと言って、こんなときに指揮官が何もせず突っ立っているだけというのは……」
「現場には現場の指揮官がいますのでね」
 そう言って、アーヴィングは映像を見遣る。
 画面に映し出されたのは、操縦席の隣で窓を眺める、凜々しい青年の横顔。
「彼の──アシュレー・ウインチェスターの判断に、私は全幅の信頼を置いております。だからこそ私はこうして平然と突っ立っていられるのですよ」
「素敵な関係ですわねぇ。美しいわ」
 シルヴァラント女王が両手を合わせて瞳を輝かせる。妙に嬉しそうなのは気のせいか。
「こ、こんな若造に……」
 一方ギルドグラードマスターは苦渋の表情で映像を睨む。
「しかし、本当に大丈夫なのか? 一歩間違えば全滅しかねない事態ではないか」
 メリアブール王は珍しく前のめりになって推移を見守っている。
「ご心配なく。彼らなら──」
 全員の視線が、正面の大鏡に注がれた。
 アルテイシアも固唾かたずを呑んで見守る。

 飛空機械バルキサスは、高度を下げていよいよ海面近くまで迫ろうとしていた。

 リルカが格納庫に入ると、ティムは既に錨の抜けた壁穴の近くにいた。
「ちょっと、そっちは危ないって」
 呼びかけるが、ティムは止まらない。足許が覚束おぼつかなくて危なっかしい。
「なるべく……後ろの方から風を」
「そりゃ、そうだろうけど……もう」
 仕方なくリルカも横まで行き、少年に肩を貸した。大きく空いた穴からは海面がはっきり見えるようになっていた。
「この、あたりで……」
 穴へと吹き込む風に巻き込まれない、ぎりぎりの場所まで近づくと、少年はリルカに杖を預け、床に両膝をついた。
「ねえ、ティムの術って起こす場所とか方向もコントロールできるの?」
「できると……思います」
 両手も床につけて、一息ついてからティムは答える。
「流れ込んでくるガーディアンの力に自分のイメージを乗せて放つのが、ボクの術のやり方です。だから、そういうイメージを思い描けば……」
「イメージ……」
 それだけで──いいのか。
 魔法との違いに驚くリルカをよそに、ティムはおもむろに目を閉じた。
 腰の鞄から光が生じ、少年を包み込む。
 五日前と同じ──いや、それ以上に。
 止めどなく湧く泉のように光が鞄の内側から溢れ、少年の小さな身体に流れ込み、満たしていく。
 あまりの眩しさにリルカは腕で顔を覆う。凄まじい力の気配を感じて肌が粟立あわだった。
 これが。
 世界を支える存在ものの力──。
 ティムは目を見開き、床に向かって唱えた。
「テンペストエッジ!」
 ごうという風の唸りが轟き、直後に飛空機械は底から突き上げられた。機体はたちまち不安定になり、激しく揺れる。
「ティム!」
 傾いた床に踏ん張り堪えていたリルカが頭を上げると、突っ伏したままのティムが壁の穴へと滑っていくのが見えた。
 また気絶してる──!
「ああもう、世話の焼けるッ!」
 リルカは体勢の悪いなか懸命に手を伸ばし、転落する寸前で脚を掴んで少年をこちらに引き寄せた。
 突風は止んだが振動は止まらない。穴の向こうの海面は目前に迫っていた。機体が起こす風によって白波が立ち、尾を引いている。
 着水する。それとも──墜落か。
 リルカはティムを抱えたままうずくまって、衝撃に備える。
 再び突き上げられ、二人は宙に放り出された。
 壁か、床か、天井か。身体のあちこちをしこたまぶつけたが、ティムと自分の頭だけは必死にかばって、何とかしのいだ。
 やがて揺れは収まって──機体も緩々ゆるゆると停止した。
 リルカは目を開けて、身体を起こした。
 そこは薄暗い通路だった。知らないうちに格納庫からここまで転がってきたようだ。思ったほど身体が痛まないのも、早いうちに狭い場所に入ったお陰か。
 とは言え。
「あいたたた……」
 全身打撲の痛みに呻きながら、リルカは床に座り直し、それからティムを見た。
 少年は身体を丸めて横たわり、寝息を立てている。
「くそ~、ヒトの苦労も知らないで……」
 内心ホッとしながらも、ついて出たのは愚痴だった。
「リルカ、ティム、無事か?」
 通路の奥からアシュレーの声が響いた。暗くて見えないが、恐らく階段の上からこちらを覗いている。
「こっちは大丈夫。へいき、へっちゃ……ひぁッ!?」
 返事の途中でリルカは飛び上がった。
 足が冷たい。床が──濡れている。
 振り返ると、格納庫は既に半ばほど海水に浸かり、足許まで水が流れ込んできていた。
 リルカは大慌てでティムを担ぎ、痛みも忘れて一目散に階段へと駆け出した。
「アシュレー、水、みずッ! 沈む~!」

〈ダムツェン西岸沖にて当該機を確認。着水成功したようです〉
 スピーカーからの報告が流れると、会議室の緊張はようやく解け、安堵の空気が流れた。
 アルテイシアも密かに胸を撫で下ろす。ARMSの隊員たちとは深いつき合いがあるわけではないが、それでも日頃から顔を合わせてはいる。見知った人たちが命を落とすのは──やはり嫌だった。
「これより着水地点に急行。隊員の救助を行う」
 アーヴィングがブリッジに指令を出す。彼の横の大鏡は従来通り部屋の中を映している。バルキサスがシャトーから離れたことで中継電波が届かなくなったらしく、映像は着水直前に途切れていた。
「やれやれ、だな。冷や冷やさせおって」
 懐から取り出した扇子で顔を煽ぎながら、メリアブール王が言った。
「だが、これでは勝ったのか負けたのかいまいち判らぬな。痛み分けと言ったところか」
「敵がバルキサスをあれほど容易たやすく放棄したのは、想定外でした」
 松葉杖をついて自分の席に戻りながら、アーヴィングは言う。
「あの飛空機械がオデッサの『虎の子』であると見込んだからこそ、今回の撃墜作戦を立案したのですが……どうやら違ったようです」
「つまり、彼らはバルキサス以上の兵器を保有していると?」
 シルヴァラント女王の問いに、兄は頷く。
「その可能性は高いですね。別の飛空機械か、それとも超兵器か……いずれにせよ、改めて敵の戦力を洗い直す必要がありそうです」
「どうするのだ?」
「バルキサスを調査します」
 席に着き、一同を見据えてから答える。
「飛空機械に残された端末を回収して調べます。恐らく重要なデータは消されているのでしょうが……それでも端緒たんしょは掴めるかもしれない」
「成る程な。良い首尾しゅびを期待しておるぞ」
 必ずや、とアーヴィングはこうべを垂れた。
「何か私たちに手伝えることはありますか?」
 女王の申し出にも彼は礼を述べ、それから続ける。
「調査には多額の費用と人員を要します。それに船舶も」
「ならば費用は我が国が持ちましょう」
「メリアブールからは船と人を提供しよう」
 それぞれ言いつのってから、王たちは隣を向いた。
「な、なんだ」
 頬杖をついてすっかり不貞腐れていたキルドグラードマスターは、両者の視線に気づいて慌て出す。
「どうして儂まで協力せねばならんのだッ。こ、こんな不逞ふていな連中などに」
「この期に及んでまだ言うか、ギの字よ」
 辟易へきえきしたようにメリアブール王が言う。
「今の戦いを見たであろう。其方の軍にあの怪物のような男が倒せたか? 飛空機械を撃ち落とせたか? 強情もいい加減にせぬと身を滅ぼすぞ」
「貴方のその矜持きょうじが、ギルドグラードの民を危険に晒していることが判りませんか」
 シルヴァラント女王も厳しい声色でただす。
「これ以上我を張ったところで民を不幸にするだけです。貴方の背後には数十万の民衆がいることを、努々ゆめゆめ忘れてはなりませんよ」
 頭領は顔じゅうに皺を作って苦悩を顕現けんげんさせる。文字通り、ぐうの音も出ない状況である。
「……わかった」
 一人の男の計略により窮地に追い込まれたギルドグラードの長は──遂に屈した。
「今回の調査に関しては協力する。だが、それきりだ。領土も領空も無断で侵すことはまかりならぬッ」
「結構です。ご協力感謝致します」
 彼としての精一杯の譲歩を、アーヴィングは素直に受け容れた。一方メリアブール王は頭を振って嘆息する。
「それでは、貴国の軍が保有するホバークラフトをお借りしたい」
「あの浮揚艇を?」
 アーヴィングの要請に、頭領は仏頂面のまま眉をそびやかした。
「バルキサスの調査は沖合で行わねばなりませんからね。拠点は帆船でいいとして、それとは別に海上を行き来する小型船が必要です。速さと小回りの良さを兼ね備えたホバークラフトは最適だ」
「ふん、あんなモノで良いならくれてやる」
 頭領はそう言うと席を立ち、扉へと向かう。
「どこへ行く、ギの字よ」
「部屋に戻る。会議は終いだッ」
 これ以上いたら尻の毛までむしられてしまう──と吐き捨てながら、工業国の長は部屋を出ていった。
 他の王たちもそれぞれに退出し、茶番劇は締まりのないまま幕となった。
 アルテイシアは机に残された茶器の片づけを始める。ワゴンを引いてカップを回収しながら、ふと大鏡の前に佇む兄に視線を遣った。
 彼はこちらに背を向け、耳に当てた通信機に小声で話しかけている。隊員の救助についてブリッジに指示を送っているのだろう。
 見慣れた兄の姿。いつもと変わりない。けれど。
 ──このひとが。
 死と紙一重の任務を見世物にし、三大国家の王たちを手玉に取り。
 口先ひとつで──世界を動かそうとしている。
 ──恐ろしい。

 にいさま。あなたは。
 いったい何を考えておられるのですか──。

 彼女は、兄を──たったひとりの肉親である男の背中を──慄然りつぜんと見つめ続けていた。