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小説 WILD ARMS 2nd IGNITION
第三章
Mission 5 タウンメリア空中戦

 後ろから呼びつけられて、コレットは畑仕事の手を止め振り返った。
「長様がお呼びだ」
 腰を曲げた老人が仏頂面をして立っている。
 北にある岩場の傍に住む老人だったろうか、それとも東の山小屋の樵か。人の顔を憶えるのが苦手な彼女は、誰なのか判然としないまま小声で返事をした。
 老人はそんじゃあなと無愛想に言ってから、東の森へと歩いていく。どうやら後者だったようだ。
 コレットは作業を中断して、桶に汲んでおいた水で手を洗った。乾いた布で手を拭きながら、水面に映る自分の顔を眺める。
 桶の中の少女は、不安そうにこちらを見つめ返していた。束ねた金髪が顔の両脇から垂れて、不安定な振り子のように揺れている。
 ──いよいよ、か。
 胸の内で鼓動が高鳴る。締めつけられるような苦しさを感じて、その場に蹲った。
 どうして。
 どうして、わたしだけ。
 どうしてわたしだけこんな思いをしなきゃいけないの?誰に聞いても答えてくれないイヤだと言うことも許されないこんな酷いことをわたしひとりに押しつけて──ううんやっぱりこれはわたしのワガママなのかもしれないでもやっぱり恐いしイヤだわたしは──
 わたしは。
 まだ──生きていたいのに。
 思考の波が引いてから、彼女は徐に立ち上がる。
 そして目尻に浮いた涙を拭うと、村長むらおさの屋敷へと向かった。
 
 彼女は幼い頃からずっと、口数の少ない子供だと思われてきた。
 実際、表に出る言葉はごく短い返事や相槌ばかりで、自分の意見を主張することは滅多になかった。あれがしたい、これが欲しい、どこへ行きたい──多くの子供が口にするそうした言葉を、ほとんど言った記憶がなかった。
 彼女に子供らしい欲求がなかった訳では決してない。それを誰にぶつければいいのかが──わからなかっただけである。
 彼女には親がいなかった。物心ついた頃から、彼女は村人全員に世話をされてきた。親代わりというような人もおらず、全ての村人が等しく距離を置いて彼女と接していた。
 我儘を言えるような大人が近くにいない。だから彼女は、あらゆる欲求を自らの内側に閉じ込めるしかなかったのである。
 そして、内側に無理やり押し込め、袋にめいっぱい詰め込んだ荷物のようになった感情は──しばしばはち切れて思考の混乱を引き起こした。
 きっかけは些細なことである。決断を躊躇したり、状況に少しでも戸惑ったりしたとき、それは不意に起きる。突如として頭の中をとりとめない思考が駆け巡る。怒濤となって押し寄せる。
 ──そう、いつも。
 いつもこんなことばかりで。
 どうしていつもこんな余計なことばかり考えているんだろうだから返事も遅れるし鈍くさい子だって思われてしまうのにでも考えなきゃ言葉も出てこないんだから一生懸命考えて言葉を選んでちょっと違うかなって思い直してまた考えてこれで行こうと思いかけたけどそもそもこんなコト言って大丈夫なんだろうかって心配になって──。
 のべつ、この調子である。
 自分では無口だとも大人しいとも思っていない。言いたいことは山ほどあるし、大人に反発したいときだってある。けれども感情をぶつける相手がいなかったことで内側に溜め込む癖がついてしまい、その溜め込んだ思考に自分自身が翻弄されて、結局ろくに主張できずに終わってしまう。
 コレット・メイプルリーフは、そうした少女であった。
 誰からも愛情を受けられず。それゆえ自分から何かを求めることもできなくなり。
 ただ周囲に流されるまま──彼女はこの村で十二年間、生きてきた。
 ──まるで、家畜のように。
 そう。
 ほんとうに、家畜だったのだ。
 村人が必要以上に彼女の世話を焼かなかった理由。それを知ったのは、つい最近のこと。
 深く関われば情が湧く。情が湧けば──別れが辛くなる。だから彼らは、そうならないよう距離を置いて接してきたのだ。
 理不尽な話だった。けれども、既に飼い慣らされた彼女に抗うことはできなかった。
 
 わたしは。
 死ぬためだけに──生まれてきたんだ。
 
「覚悟は──できたか」
 机の向こうで、嗄れた声が訊ねる。
 村長の屋敷である。
 太い丸太を伐り出して作った机を挟んで、コレットは長である老人と向き合っていた。
 彼女は膝に置いた自分の手を見つめながら押し黙る。痺れを切らした長が続けて言った。
「辛いだろうが……決心してもらわねばならぬのだ。もう幾許も時間はない。我らのため、そして世界の為に──」
 その先は口にしなかった。卑怯だとコレットは思う。
 そんなに言うなら、無理矢理仕立て上げてしまえばいいのに。
 自分は家畜なのだ。強制されれば従うより他ない。彼女としても、その方がずっと楽だった。
 だが、それでは駄目──なのだそうだ。
「生半な意志では『柱』たり得ぬ。ガーディアンは認めてくださらぬ。強き意志を以て臨まねば、全てが──無駄になってしまうのだ」
 強い意志。
 そんなもの……持てるわけがない。
 世界のためだと長は言う。けれど彼女はこの村から出たことがない。彼女にとって世界とは、この狭苦しい集落のことなのだ。
 わたしの世界には──何もない。
 冷たくされたことはないけれど、その代わり温もりも感じたことはない。柵で囲われた世界は苦しみや哀しみとは無縁だったけど、同時に嬉しかったり楽しかったりすることもなかった。
 無味無臭。渇ききった、わたしの世界。
 こんなもののために、自分の命を捧げたくない。だけど。
 逃げ出すことも──できない。
 家畜には、自由に生きる権利なんてないんだ。
 ──もう、嫌だ。
 こんな世界なんて。
 絶望が。
 ひたひたと彼女の胸を満たしていき。
 あらゆる思考が澱となって沈み込む。
 彼女は、顔を上げた。
 こんな世界──ぜんぶ、どうでもいい。
 涙で滲んだ長を真っ直ぐ見据えて、コレットはその言葉を吐き出そうした。
 しかし。
「長様ッ」
 屋敷の扉が開け放たれて、村の男どもがなだれ込んできた。
「見つけましたッ。や、やっと」
「何だと?」
 長は腰を浮かせる。
「見つけたんです。サブリナの、子を」
 ──サブリナ。
 それは、その名前は。
「ま、間違いないのか?」
 長が動揺しつつ問うた。男の一人がコレットの横で机に手をつき、息を切らせながら答える。
「はい。タウンメリアの孤児の中に、サブリナの杖を持っていた子供が。面差しもまるで生き写しのようで」
 間違いありませんッ、と男は唾を呑み込んでから断言した。
「そうか……」
 蓄えた髭を撫でながら長は思案した。
「これもガーディアンのお導きと考えるべきか……。ならば」
 何としても連れ戻せッ、と老人は泡を飛ばして命じた。男どもは大慌てで屋敷を飛び出していく。
「やはり守護獣様は我らを見放してはおらなかった。これで……全てが……」
 目を細めて、長は譫言のように呟いている。
 騒ぎの中で取り残されたコレットは、ひとり茫然としていた。
 サブリナ。確かそれは、前の『柱』だったという人だ。その子供が戻ってくるということは──。
 わたしは……助かったの?
 でも、代わりにその子が。
 少女は胸を押さえて蹲る。
 希望と罪悪感。ふたつの気持ちが交錯して、彼女はいつものように激しい思考の渦に囚われていた。
 タウンメリアの上空に、その機影は迫っていた。
 翅を広げた昆虫を思わせる巨大な機体。下部には砲身と思しき筒も取りつけられていた。速度を緩め、青空を滑るように街へと近づいてゆく。
 飛空機械バルキサス。スレイハイム戦役では無益な争いに利用され、そして今またテロリストによって望まぬ復活を遂げた、古代の遺産である。
 と、不意に左翼の付近で爆発が起きた。衝撃で機体がぐらつく。
 中型ARMの一撃。放ったのは、飛空機械と並ぶように飛んでいた鳥──いや。
 鳥のような機械仕掛けの乗り物だった。広げた両翼の上に立ち、煙の立ち上る筒を構えているのは。
「ふむ……やはりこの程度のARMでは歯が立たんか」
 お化けの着ぐるみ──否、ノーブルレッドの少女マリアベル。武器を肩から下ろし、人形のつぶらな瞳でバルキサスの様子を窺う。
 衝撃は与えたものの、左翼には傷ひとつついていなかった。あちらはロストテクノロジーの粋を集めた飛空機械。一方こちらは簡易的な動力のついた滑空機に、人間の作ったARM。格の違いは歴然としている。
「せめて機関部分にダメージを与えられれば……おっと」
 機首がこちらを向いた。気づかれたか。
 すぐさまマリアベルはハンドルを握って機械の鳥を旋回させる。
「まったく、ファルガイアの支配者たるわらわが何故このようなことをッ」
 悪態をつきながら、巧みに鳥型の乗り物を操作して追尾する飛空機械から逃げ回る。時折ARMで反撃も試みたが、やはり牽制以上の効果はなかった。
「おのれ、この鬱陶しい被り物さえなければ、あんな機械のひとつやふたつ──」
 お化けの内側で歯軋りしつつ、滑空機を横に傾けて制止をかけた。すると。
 正面に──機首の先端が。下部の砲身が鋭く煌めく。
「拙いッ」
 放たれた光の砲撃は、身体を捻って寸前で躱した。だがそのせいでバランスを崩し、滑空機から転落しそうになる。
 マリアベルはハンドルにしがみついてどうにか体勢を立て直した。そして再び飛空機械を見据えて、鼻を鳴らす。
「ふん、物騒なモノをぶら下げおって。じゃが──」
 ハンドルを回して急発進させる。そして空中で大きく弧を描いて転回すると、バルキサスの真下に潜り込んだ。
「所詮、人間の浅知恵じゃッ!」
 ハンドルを手放し、鳥の背中で足を踏ん張りARMを頭上に構える。狙うは、あの砲身。
 彼女の知っているバルキサスは武器など搭載していなかった。つまり、あの部分は人間どもが戦争に使うため後から取りつけたものだ。
 人間の作ったものなら──攻撃も通じる。
 ノーブルレッドの放った一撃は見事に命中し、飛空機械の砲身を粉砕した。
「見たか、古の技術を冒涜する輩めッ」
 マリアベルは再びハンドルを取り、その場から離脱した。距離を置いたところで速度を落とし、飛空機械を見遣る。
 バルキサスは停止していたが、高度を落とす様子もなかった。やはり破壊されたのは砲身のみで、機体そのものにダメージは行かなかったようだ。
「……まあ良い。ひとまず攻撃手段は潰したからの」
 後はこのまま時間を稼げば──。
「む?」
 飛空機械に動きがあった。
 後部の尾翼付近の一部がゆっくりと開かれ、内部が露わになる。どうやら格納庫のような場所らしいが。
 何かが──いる。
 眩いばかりの光を放つそれが、のそりと這い出て、機体の中から飛び出してきた。
「ぬおッ!?」
 それは光の翼を持った──怪鳥だった。高々と舞い上がり、マリアベルの頭上で静止する。
 鳥というより翼竜に近いか。長い首は鱗に覆われ、脚の鉤爪は鎌のように鋭利な曲面を描いている。獰猛な口を開け、獲物を捉えた獣の目でこちらを見下ろす。
 襲撃を予感してマリアベルがその場を離れようとした、そのとき。
 悲鳴のような音が耳を劈いた。
 鳥が啼いたのか。いや、音は──翼から出ている。
 目視できないほど高速で、翼を震わせている。
 それに気づいた、次の瞬間。
 衝撃波がマリアベルを襲った。突風に巻かれた紙切れのように吹き飛ばされる。
 乗っていた滑空機も一瞬で翼を折られて砕かれた。マリアベルは上空に投げ出される。
 真っ逆さまに落下しながら、彼女は悔しげに舌打ちをした。それから背負っていた布袋から出ていた紐を引く。
 展開した布袋が傘のように広がり落下速度を緩ませる。どうやらパラシュートだったようだ。
「おのれオデッサめ、また卦体けったいなモノを召喚しおって」
 傘の下で、脱げかかった着ぐるみの頭を直しながら、憎々しげに呟いた。
 そして──背後の上空を仰ぐ。
「ふん。ようやく来おったか」
 別の機影が見えた。バルキサスよりも遙かに大きい。
 いや、大きいどころか──。
「わらわがここまで膳立てしてやったんじゃ。仕挫しくじったら承知せぬぞ」
 青空を悠然と滑空してくる、それは。
 
 白亜の館──ヴァレリアシャトー。
 アシュレーは唖然としていた。
 文字通り、開いた口が塞がらなかった。
「あ、アーヴィング。これは、一体……」
 指揮官はそんな彼を見て、したり顔で笑う。
「言っただろう。飛空機械に対抗する手段を用意していると。これが──答えだよ」
 彼らは、ヴァレリアの館の最上階にいた。
 元はダンスホールのような場所だったのだろう。広々とした大部屋は数十人が一堂に会しても余りあるほどだが。
 今はアシュレーたちを含めても数人のみ。その代わり何かの装置や計器の類が所狭しと立ち並んでいた。
 アーヴィングはホールの中央、演台のように高くなったところに立ち、下で計器を見張っている女性に指示を出している。アシュレーたち三人はその背後に固まって立ちつくしていた。
「な、なんか足元がふわふわして……気持ち悪いぃ……」
 リルカがアシュレーにしがみついて言う。
 無理もない。
 彼らは。いや、この館は、今──。
 空を飛んでいるのだ。
 
 バルキサス襲来の報を受け、大至急ヴァレリアシャトーに帰還したアシュレーたちは、すぐに地下へ行くよう指示を受けた。
 言われるまま昇降機で地下へと降りると、そこは広大な空洞になっていた。天井は電灯の光が届かぬほどに高く、いくつもの太い金属の柱で支えられている。昇降機の出入口は空洞の中程にあり、吹き曝しの通路が反対側の壁まで延びていた。
 館の地下にこんな場所があったとは、と面食らう彼らを、壮年の男と栗頭の少年が出迎える。男は機関長のガバチョだと名乗り、下の方で唸りを上げる機械の塊を指さした。
 巨大な電動機──男によれば、エマ・モーターという名の動力源だという。
 機関長に息子だと紹介された少年に持ち帰った鉱石を渡すと、彼は階段を降りて底部へ行き、電動機とパイプで繋がれた箱の中に鉱石を放り込んだ。
 一方、機関長は壁際に聳える大きな装置の前に立ち、操作を始める。モーターの唸りがさらに大きくなり、そして。
 地面が激しく揺れた。
 あまりの振動に腰を屈めて身を固くしていると、今度は重力を感じた。昇降機で上に昇ったときのような──。
 浮上しているのだと、そこでようやく気づいた。
 つまり、この──ヴァレリアの館そのものが。
 飛空機械だったのだ。
 
「まったく……とんでもないことを考えるんだな、貴方は」
 アシュレーは頭を振りつつ、呆れ半分に感服する。
 自分の屋敷を飛空機械にするなどということ……到底思いつくものではない。
「一から機械を作るよりも、この方が早いと考えたまでだよ。それにしてもアーミティッジ女史のサポートなくしては実現できなかった」
 ロストテクノロジーに精通しているという、古の種族ノーブルレッド。彼女と手紙を交わし招聘したのも、このためだったということか。
「そういやマリアベルさん、見かけないね。どこにいるんだろ」
 リルカがアシュレーから離れて言う。少しは揺れに慣れたようだ。
「彼女にはバルキサスの足止めを頼んでおいた。こちらが来るまでの時間稼ぎだね」
「け、けっこう危ないコトさせてるんですね、大事な技術者なのに……」
 目を丸くする少女に、信頼している証だよと指揮官は尤もらしく言う。
指揮官サー、バルキサスの位置を確認しました」
 装置の前にいた女性がアーヴィングに報告する。
「ポイント326-452を三ノットで北北西に移動中。タウンメリア到達まで残り五キロ余りですが、ほぼ停止しているものと思われます」
 声に聞き覚えがあったので、アシュレーは首を伸ばしてそちらを覗き込む。
 涼しい目許をした若い女性だった。水色の長髪に青のワンピーススーツ。こちらの視線に気づくと軽く会釈してみせた。
「先程は失礼しました、アシュレーさん」
 それは通信機の向こうで取り乱していた──テレパスメイジのケイトだった。
「実際にお目にかかるのは初めてでしたね。改めてよろしくお願いします」
「あ、ああ、よろしく」
 少し上ずった声で返事をする。やはり妙齢の女性に見つめられると緊張してしまう。
「あー、ケイちゃんだけずるいッ」
 奥の方から、これまた馴染みのある声が聞こえた。計器の上に身を乗り出し、ぶんぶん手を振ってアピールを始める。
「ミーちゃんもいるよー。よろしくねアシュレー君」
 こちらは薄桃色の髪を肩で切り揃え、色違いの橙のスーツを着込んでいる。鼻梁のあたりにはそばかすも浮いており、ケイトよりもずっと幼い印象を受けた。
「言っとくけどね、あたしの方がケイちゃんより年上だよ。ケイちゃん老け顔だから困っちゃうよね」
 思ったことが顔に出ていたのか、エイミーはそうつけ加えた。ケイトが慌てて駆け寄って彼女の脳天に拳をねじ込む。
「老け顔言うなッ。あんたが子供っぽいんでしょうが。……あ、そ、それでは失礼しました」
 指揮官とアシュレーにぺこりと謝ってから、ケイトは持ち場へと戻っていった。
「あのヒトたちって、通信のサポート役なんじゃなかったっけ?」
 この場にいることを不思議に思ったのか、リルカが聞く。
「航行の際にはこちらのサポートも兼務してもらっている。レーダーにはテレパスメイジの能力が欠かせないからね」
 そう答えてから、アーヴィングは引き続き各員に指示を送る。
「当艦はこれより敵艦へと接近する。エルウィン、バルキサスの左舷横一キロ付近で静止──できるか?」
 指揮官は指令台の下を覗き込み、そこに控えていた若い男に尋ねた。
「んー、こんなデカい乗り物操ったことないっすからねぇ。やってはみるけど保証はないっすよ」
 レバーやスイッチが並ぶ操作盤の前で、エルウィンと呼ばれた操縦士が軽い口調で答えた。その声に今度はブラッドが反応する。
「お前は……」
 優男のような彼の姿を見て目を見開き、それからフッと頬を緩ませた。
「林檎、受け取ってくれて助かったよ。おかげでこっちも大出世だ」
 エルウィンも笑いながらブラッドに言う。どうやら面識があるらしい。
「見えました! バルキサス、正面です!」
 ケイトの言葉で、全員が前方に注目する。
 大きな硝子板が張られた窓越しに青空が広がっている。その中心付近に、鋼鉄の昆虫──バルキサスの後部が見えた。
「よっしゃ、左舷に回り込むっすよ!」
 エルウィンが操作盤のレバーを一気に押し込んだ。窓から機影が消え、身体が右側に揺さぶられる。アシュレーは腰を低くして踏ん張った。
「うひゃあッ」
 一方リルカは体勢を崩して尻餅をつき、そのまま壁まで転がっていった。
「も、もう、急に動かさないで……って、ひえぇッ!」
 今度は左側に大きく揺さぶられた。ひとり遠心力に翻弄されるリルカは、アシュレーの目の前を通過して反対側の壁にぶつかった。
「当該機を再視認。約一.五キロです」
 再び正面に機影を捉えた。櫛の歯のように突起物のついた左翼が陽の光を受けて煌めいている。
「よおっし、ここでブレーキ!」
「い、いい加減に……うへぇッ」
 荒っぽい操縦をする若者にリルカが抗議したが、急停止をかけられて敢えなく前方へと転がっていく。
「アーミティッジ女史の姿がないが……無事か?」
 アーヴィングがケイトに尋ねる。片足が不自由なはずの彼だが、不思議なことに少しもバランスを崩すことなく直立している。何か魔法でも使っているのか。
「先程通信で連絡がありました。足止めには成功したが鳥の魔物にやられて離脱した──とのことです」
「鳥の、魔物?」
 アシュレーが呟いた、そのとき。
 前方の窓に何かが衝突した。
 硝子が砕け散り、館が大きく揺らぐ。
「なッ──!?」
 アシュレーは床に膝をついて前方を見る。割れた窓に何かが覆い被さっている。鱗に覆われた胴体。そして、眩いほどに輝く翼。
「まさか……こいつが」
 ──鳥の魔物か。オデッサが召喚したのだろうか。
「総員退避! クルーはブリッジより離脱しろ!」
 アーヴィングが指示を飛ばす。ケイトとエイミー、そしてエルウィンが彼らの横を通って部屋から退去する。
「わッ、わわッ」
 窓の近くにいたリルカが遅れてこちらへ逃げてくる。光の翼を持つ怪鳥はのそりと侵入して、長い首を彼女の方に曲げた。
 ──まずい。
 アシュレーは咄嗟に駆け出した。走りながら銃剣を肩から外し、レバーを引く。
 魔物がこちらに気づいて動きを止めた。アシュレーも足を止め、銃を構えて──引金を引く。
 銃弾は怪鳥の首の付け根に命中し炸裂した。耳障りな啼き声を上げて後退する。
「そのまま押し出せ!」
 背後でアーヴィングが叫んだ。呼応したブラッドが魔物の許に走る。
 マイトグローブを嵌めた拳を固め、翼をばたつかせる怪鳥の腹部に叩き込む。
 突き飛ばされた魔物は再び悲鳴を上げながら、窓から転落する。
「やった……か?」
 アシュレーは硝子の破片を踏みしだいて窓に歩み寄り、下を覗き込んだ。
「急所を突いたが手応えはなかった。思った以上に頑丈なようだ」
 横で同じように下を見ていたブラッドが言う。彼らの視線の先──館の外庭では、怪鳥がじたばたと地面を這って藻掻いていた。攻撃のダメージで今は一時的に飛べなくなっているようだが。
「放っておけば、またこちらを襲うかもしれないな。……アーヴィング」
「ああ。魔物の始末は君達に任せる」
 我々はここを立て直さなくては、と松葉杖をついて扉へと向かう。避難したクルーを呼び戻しに行くのだろう。
 アシュレーたちもブリッジを後にして、急いで外庭へと向かった。
 途中で会った玄関番に通用口を案内されて、外に出る。上空を飛行しているため風が強い。気温も地上よりかなり低いらしく、肌が粟立った。
 怪鳥は既に起き上がっていた。人間たちを見つけると威嚇の声を上げ、光翼を羽撃かせて飛び上がる。そして三階ほどの高さのところで静止して、鋭い眼でこちらを見下ろした。
 撃ち落とそうとアシュレーが銃を翳した、そのとき。
 頭が締めつけられるような高音が響いた。思わず身を竦めて耳を塞いだ、次の瞬間。
 怪鳥の翼から衝撃波が発せられ、人間たちを吹き飛ばした。
 三人はそれぞれ館の外壁に叩きつけられ、地面に倒れる。
「ぐ……みんな大丈夫か」
 軽く打ちつけた後頭部を撫でながら、アシュレーは起き上がる。
「も~……さっきから壁にぶつかってばっか……」
 リルカも頭を抱えて愚痴っている。
 反撃とばかりにアシュレーは上空の魔物を銃撃した。命中はしたが、やはり決定的なダメージは与えられない。
「くそッ、なんて堅いんだ」
 ボフール特製の弾が通用しないことに、アシュレーは苛立つ。
「頭を狙うしかないな。だが──」
 ブラッドが口籠もる。この距離であの小さな頭を狙うのは至難の業だ。当てられるとは思えない。
「リルカ、魔法は?」
 ARMでは無理でも魔法ならば、あるいは──。
 だがリルカの返事は芳しくなかった。
「う~ん……ここからだとちょっと遠いんだよね。それに、呪文唱えてる間にさっきのアレが来るかもしれないし」
 衝撃波が気になって集中できないということか。
 ならば──。
「……そうだ」
 怪鳥を見上げ、その周囲を見回して──思いついた。
「魔法って、窓越しでも使えるか?」
「え? ……あ」
 彼の視線に気づき、意図を察したリルカは大きく頷いた。そして通用口へと駆け出していく。
「ブラッド、僕らは」
「ああ」
 できるだけ、館の近くへ──。
 魔物が奇声を上げて急降下してきた。彼らは鉤爪に用心しながら応戦する。
 やはり空を自在に飛べる分だけ向こうが有利だった。銃剣を振り回し、拳を繰り出し、苦し紛れにARMを放つが、のらりくらりと躱されてしまう。
 アシュレーの最後の一発も、ひらりと体躯を翻して避けられる。そして再び上昇して、静止する。
 ──来るか。
 身構えながら、魔物の背後の壁に目を向ける。
 リルカの姿があった。館の三階の、窓越しに立ってこちらを見ている。
 手にしている傘は仄かに光を帯びていた。既に詠唱は終わったか。
 アシュレーが頷き返すと、彼女は窓から二、三歩離れて。
 硝子板の向こうの魔物に向けて──傘を突き出した。
 上空に無数の岩が出現し、魔物の背中に降り注ぐ。岩石の驟雨に翼を傷つけられた怪鳥は錐揉みに降下して墜落した。
 そこをすかさずブラッドが飛びかかった。長い首を抱えて捻り上げ、頭を地面に押しつける。
「今だ!」
 獣のような牙を剥き出しにして暴れる怪鳥を制しながら、ブラッドが叫んだ。
 アシュレーが駆け寄る。銃剣を振り上げ、その鶏冠の生えた脳天めがけて──突き下ろした。
 頭から顎を貫かれた魔物は絶叫して、がくりと事切れた。翼もみるみる輝きを失い、ただの薄汚れた羽根となって地面に横たわる。
「倒した、か……」
 大きく息をついてから、魔物の頭から銃剣を抜く。それから館を見上げた。
 三階の窓で、リルカは得意気にピースサインを作っている。彼女にそのままブリッジに戻るよう指示してから、再び足許に目を向ける。
 魔物の大きな骸が地面に横たわっている。どうにか倒すことはできたが。
「手強かった……」
 ARMがほとんど通用しなかった。かなり強化されていたはずのARMでさえ──。
「オデッサと相対するからには、このクラスとの戦闘は常に想定しなければならないな」
 ブラッドが言う。恐らく同じことを考えているのだろう。
 降魔の術式によって召喚される魔物。それに、あの特選隊……『コキュートス』もかなりの手練れのようだった。
 もっと、強くならなければ。
 武器ARMも。そして、自分自身も──。
「攻撃するようだな」
「え?」
 振り向くと、ブラッドは館の上方を見ていた。
 窓の割れた最上階のひとつ下。壁に穿たれた穴から二本の金属棒が突き出ている。
「リニアレールキャノンだ」
「あ……あれが?」
 最新式の電磁加速砲。メリアブール軍にも一基のみ導入されており、戦車に搭載されていたのを一度だけ見たことがあったが。
 金属の先端から火花が散り、爆発と共に砲弾が射出された。あまりの速さに弾道はほとんど目視できなかったが。
 遠くで衝撃音が轟いている。命中……したのだろうか。
 外庭からではバルキサスの姿を確認できなかったので、アシュレーたちもブリッジに向かった。
「おっつかれ~」
 中に入ると、リルカと、なぜかエイミーが出迎えた。
「ねぇねぇ。今のモンスター、どんなだった? 詳しく聞かせてほしいな~」
「は、はぁ?」
 目を爛々と輝かせながら詰め寄るエイミーに、アシュレーは面食らう。そこへ再びケイトがやってきて、ポカリと彼女の頭を叩いた。
「こらッ、仕事サボって何してんの! ……すみません。この子、怪獣とかモンスターに目がなくって」
 ぺこぺこ謝ると、まだ未練がましそうなエイミーの襟を掴んで連行していく。まるきり保護者である。
「怪獣マニアなんだってさ、あのヒト」
 リルカが言う。
「すごいよ、わたしたちが今まで戦ったモンスターの名前やら生息地やら、ぜんぶ知ってるの。昔の魔物の本とかも読んで、自分で図鑑まで作ってて」
 変わったヒトだよねぇ、と呟くが、そういう彼女も世間一般的には変わっているとアシュレーは思う。
「アーヴィング、状況は?」
 指令台の指揮官を見つけて、アシュレーは尋ねる。
「こちらの攻撃は命中したが、やはりダメージは軽微だな」
 アーヴィングは正面を見据えたまま答える。アシュレーもその横に立って、割れた窓の向こうを見る。
 バルキサスは依然として同じ場所で滞空していた。左翼からは白煙も上がっているが、飛行不能になるほどの打撃ではなかったようだ。
「だが、牽制にはなった」
 背後でブラッドが言った。
「その通り。我々が飛空機械で登場したことで、少なからず動揺は広がったはずだ。その上で魔物を退け、艦への反撃も試みた。実際のダメージ以上に衝撃は大きい」
 後は──と言いかけたところで、飛空機械が動いた。
 大きく向きを変え、こちらに後部を向けて。
 海の方へと──飛び去っていった。
「当該機、撤退しました」
 ケイトの言葉で、ブリッジの緊張が解けた。
 タウンメリアを……守れたのだ。
 アシュレーは安堵する。一歩間違えれば、大事な街を、大事な人たちを失うところだったのだ。
「こんなに急に襲撃してくるなんて……」
 飛空機械の脅威を、まざまざと見せつけられた思いだった。
 だが、今はこちらにも飛空機械がある。少なくとも今までのような勝手はできなくなるはずだ。
指揮官サー、機関部のエネルギーが低下してます」
 ケイトが報告する。アーヴィングはそうか、と応じた。
「こちらも帰還することにしよう。現状では飛行可能時間は限られているのでね」
 指示を出すと、エルウィンは了解ッ、と小気味よくレバーを押して旋回させる。
 例によってリルカが転がっていった。
 タウンメリアの防衛を果たした彼らは、帰還後にメリアブールへと赴き、王に今回の件について報告を行った。
 メリアブール王は襲撃に備えて戒厳令を敷き、城内に一部の住民も避難させていたようだが、バルキサス撤退が伝えられると大層喜んで令を解いた。
「其方らがいなければどうなっておったことか……重ねて礼を言うぞ」
 国の主というより豪商のような出で立ちのメリアブール王は、顎髭を弄りながら溜息混じりにそう言った。
「こちらもご助力感謝致します。貴重な兵器を我々に貸借するという陛下のご英断がなければ、この度の勝利もなかったかと」
 アーヴィングが畏まる。アシュレーたち三人はその背後で膝を折って控えている。
「リニアレールキャノンの件か。役に立ったのか」
「大いに」
 二人の会話を聞きながら、アシュレーは内心で納得する。
 あの大型ARMはメリアブールから借り受けたものだったのか。世界でも数基しか作られていないという貴重な最新兵器だけに、どうやって調達したのだろうと疑問に思っていたのだが。
「ならばあれは褒美として其方に授けよう。どうせ我らが持っていても宝の持ち腐れだ」
 剛胆な発言にアシュレーは少し驚いたが、アーヴィングは痛み入ります、とそのまま受け容れた。
「一国の王としては情けない限りだが、現状ではオデッサへの対処は其方らだけが頼みの綱だ。今後も期待しておるぞ」
「はッ」
 ARMSの指揮官は腰を曲げて敬礼する。
 アシュレーも倣って頭を下げたが──心中は複雑だった。
 オデッサの脅威を退けたことで、メリアブールも、そしてシルヴァラントも、ARMSに篤い信頼を寄せるようになっている。
 そのこと自体は嬉しかった。自分たちのやってきたことが認められているのだ。嬉しくないはずがない。
 だが、同時に。
 ひとつの独立部隊に国家が丸ごと頼り切っているという、この状況に──危うさも感じていた。
 彼は僅かに顔を上げて、前を見る。
 銀髪の流れる貴族の背中があった。松葉杖をついて直立し、頭を垂れて臣下の礼を顕している。
 ──この、背中に。
 三大国家のうち二つが──。
 
 悪寒を覚えて、アシュレーは軽く肩を震わせた。
 果たしてそれは武者震いだったのか。
 それとも──。
 王への報告を終えると、今日は各自解散ということになった。
 せっかくメリアブールまで来たのだから下宿の方にも顔を出そうと、アシュレーはとっぷりと日の暮れたタウンメリアの広場を歩いていた。
 そこへ、人影が三つ、こちらへ駆けてきた。
「あんちゃーん!」
 影の一つはトニーだった。となれば後ろはスコットとティムだろうか。
「や、やっと見つけた……」
 大慌てで走ってきた小さな少年は、アシュレーの前で止まるとぜいぜいと息をついた。
「どうしたんだ?」
「どうしたって、その、大変なんだって!」
 取り乱すトニーに怪訝な顔をしていると、後ろの影に気づいた。一つは予想通りスコットだったのだが。
「マリナ?」
 最後の影はマリナだった。赤毛の幼馴染みは不安そうにアシュレーを見る。
「どうしてこいつらと一緒にいるんだ?」
「それが、この子たちが店に来て……」
「アシュレーさんを捜すのを手伝って頂いたのです」
 スコットが言う。心なし早口になっている。
「僕を捜してた?」
 再びトニーを見ると、いつになく少年は必死の形相だった。その様子にアシュレーも真顔になって尋ねる。
「何か、あったのか?」
「て、ティムが」
「ティム?」
 そういえば、彼だけがこの場にいなかった。
「攫われたらしいのです」
 動転してなかなか言葉が出てこないトニーに代わって、スコットが言った。
「攫われた……って」
 ──あの少年が?
「知らない男の人たちに連れられて、街を出ていくのを見たって。だから……」
 マリナが言う。彼女も普段より落ち着きがなかった。
「ゆ、誘拐だよ」
 アシュレーの腕に縋りついて、トニーが告げた。
「ティムが、誘拐されたんだ」
 
 夕闇の広場で、新たな事件が静かに幕を開けた。