■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Episode 9 疑心

 コレット・メイプルリーフは、畑仕事の帰りに北の岩場に立ち寄ってみた。
 岩から岩へと飛び移り、小屋ほどもある大岩をよじ登る。いつもの場所まで辿り着くと、そこから頭をもたげて空を仰いだ。
 昼下がりの空は澄み渡り、雲ひとつ見当たらなかった。春や秋であれば清々しい気分にもなれただろうが。
 ──雨が降らない。
 今は雨期の真っ只中。それなのに、もう一週間もろくに雨が降っていない。
 彼女が世話をしている畑も水が足りなくて、わざわざ井戸から水を汲んで撒いている。それでも半日もすればすぐにしおれてしまうから、気が抜けない。
 頭を下ろし、視線を地上に戻す。
 鬱蒼うっそうと繁る、バスカーの森。悠久の時を生きてきた聖なる森の木々たちも、心なし元気がない気がする。
 この程度の日照りでは、森は枯れない。
 でも、これが毎年続いたら。
 じわじわと、真綿で首を絞めるがごとく活力を奪い、生命力を衰えさせて。
 緩やかに木々は枯れていき──森は不毛の荒野へと姿を変える。
 外の世界で、実際に起きていることだという。
 守護獣の加護あつきこの地さえも、もはや例外ではないのだろうか。
 ──このままでは。
 コレットは岩の上に腰を下ろし、膝を抱えた。
 里長たちが『柱』を捧げることに躍起になっていた理由が、今更ながら理解できた。
 もう、時間がないのだ。
 でも、それでも、やっぱり──。
「ティムくん……」
 不意に彼の名を口にして、それからハッとして赤面する。
 なななんでティムくんの名前呼んじゃったんだろこれじゃまるで恋する女の子みたいじゃないそんなんじゃなくてただティムくんのことが心配になっただけで今どうしてるのかなって思っただけででももしかしたらこういうのが恋なのかな初めてだからわからないけどそうだったらわたし──
「コレット」
 足許から呼ばれて、思考の暴走は不意に途切れた。
 大岩のふもとに里長が立っている。
ばばがお前を呼んでいる。来なさい」
「え……?」
 困惑する少女にも構わず、長は曲がった背を向けて歩き始めた。
 コレットは慌てて岩から降りて、老人の後につく。
 長の歩みは、遅かった。
 酔いが回っているかのように左右にふらつき、時折何もないところでつまづいて、前につんのめる。
 もちろん老人は酒など飲んでいない。足腰が──衰えているのだ。
 あの日を境に、里長はめっきり老け込んでしまった。つい一月ひとつき前までは憎らしいほど矍鑠かくしゃくとしていたというのに。
 ──いや、長だけではない。
 老人に合わせてのろのろ歩きながら、振り返って集落を眺める。
 天気のいい昼間にもかかわらず、外に人の気配はなかった。
 このバスカーの里そのものが……活力を失っている。
 あの恐ろしい眼鏡のテロリストが、里の男たちの命を奪った。だが、それ以上に里を揺るがしたのは。
 松葉杖をつき、銀髪をなびかせた、顔色の悪い貴族──。
 コレットも一度だけ遠巻きにその姿を見た。痩せぎすで目つきが鋭くて……まるで死神のようだ、と思った。
 特殊部隊ARMSの指揮官だというその男が、ティムを『柱』に仕立て上げようとしていた里長たちを説き伏せた。それによってティムは生け贄となる宿命をまぬがれたのだが。
 同時に里はその使命を剥奪され──聖なる森を継ぐ者としての役割を失った。
 あの男が、間接的に里を壊したのだ。
 やっぱり死神だった、とコレットは思った。
 けれど、恨んではいない。元々里にはそれほど愛着はなかったし、それに。
 理不尽な宿命から、ティムくんとわたしを……救ってくれた。
 壊れるべくして壊れたんだ、とコレットは思う。かたくなに『掟』を守り、それをよすがとしてきた長たちには哀れみは感じるが、同情はしない。
 彼らはこのまま、緩慢に滅びていくのだろう。
 古い木がやがて枯れ、朽ちていくように──。
 里長は自分の屋敷の裏手に回り、さらに奥の森へと分け入る。
 幹の合間から、巨大な岩が見えてきた。一枚岩が縦に裂け、地面近くで人ひとり通れるほどの穴が生じている。
 天然の岩窟だというその穴を、長は危うい足取りでくぐった。
 コレットも続いて中に踏み入る。岩に囲まれた狭い通路に、頬を撫でる冷気。何となくティムと共に入った試練場を思い出した。
 すぐに通路は途切れ、行き止まりにほのかな明かりがあった。壁を削って作ったうろには蝋燭ろうそくが立っている。
 その揺らめく炎に照らされていたのは。
「来た……か……」
 襤褸ぼろまとい、縮れた灰色の髪を振り乱した老婆。蝋燭の下の壁にもたれてうずくまっている。
 夢見の婆、と里では呼ばれている。守護獣を通して大地の流れを読み、ファルガイアの行く末を見透す能力ちからを持っているという。里長たちが『柱』の覚醒を急いだのも、この婆の予言が発端であった。
 間もなく世界は災禍に覆われる──。
 確かに、そう予言したという。
 コレットには年寄りの世迷い言にしか思えないが、里にとって夢見の予言は絶対であった。だから里長たちはあれほど必死に『柱』の確保に奔走したのだ。
 だが、今では。
 長に促され、老婆の前に立つ。
 ──なんの用なのだろう。
 婆とは初対面ではないが、頻繁に会っていた訳でもない。恐らく片手で数えられるほどしかないだろう。その数回にしても、『柱』の資質を確認するという趣旨だった。
 今のコレットは『柱』ではない。この期に及んで自分を呼び出した理由が……思い当たらない。
 婆は小刻みに震えながら、肝斑しみだらけのおもてを上げたが。
 視線が──合わない。眼窩がんかに落ち込んだ両眼は、少女の頭の斜め上あたりに向けられている。
「婆は、光を失った」
 背後から里長が言った。
最早もはやろくに見えておらぬようだ。これでは夢見は務まらぬ。ゆえに、お前が後を継ぐのだ」
「え」
 後を……継ぐ?
 誰の。何の。
 まさか。
「お前が夢見を継ぐのだ」
 繰り返し、長はそう告げた。
 どうして、と聞こうとしたが、声が出なかった。
 言葉を失って立ちつくしていると、婆は襤褸の内側から枯れ枝のような腕を出し、右側の壁を指さした。
 壁から岩が張り出して、腰丈の台のようになっていた。台の上面は擂鉢すりばち状に窪んで、溢れるぎりぎりまで水が張ってある。
 夢見──予言を行う際に用いる水鏡だと、コレットは聞いている。資質を備えた者であれば、その水面に映し出される情景を──守護獣の『夢』と言われている──ることができるという。
 見ろ、と老婆が掠れた声で命じた。
 拒否したかったが、老人たちの圧に負け、こわごわと近づく。
 覗き込んだ水鏡は、真っ暗だった。黒々とした水底ばかりが透けて見えている。
 見えないなら、夢見にはなれない。
 少し安堵あんどして息を吐いた、そのとき。
 水面に──光が灯った。
 眩いほどの光は徐々に薄れ、陰影を生じさせ、像を結ぶ。
 先程までただの水面だった、その場所に──どこかの大地と空が浮かび上がった。
 驚く間もなく、情景は変化する。
 見渡す限りの青空。その中心に──ぽとりと何かが落ちた。
 どす黒い染みのようなそれは、じわじわと広がり、空の青と混じり合う。絵の具をかき混ぜたように黒は青に絡み合い、侵食して、その領域を広げていく。
 そして遂に、空全体が──どろどろと渦巻く闇に──。
「あ、あああ」
 コレットは膝から崩れ、座り込んで頭を抱えた。
 今のが……災禍?
 そんな。あんなものが、本当に──。
「視えたか。視たな」
 老婆が喉を振り絞って叫んでいる。
「それで良い。後はそれを、あ、あの、お」
 続く言葉を詰まらせた婆は脱力し、それきり動かなくなった。里長が婆に詰め寄り肩を揺する。
 老婆は事切れていた。
 襤褸の破れ目から見える老婆の骸と、その傍らで茫然と佇む老人を、コレットは現実感の伴わぬ目で眺めた。
 ──消えない。
 水鏡に映った光景が、目の奥に焼きついたまま離れない。
 あれは。
 アレは何だ。
 あんなもの、一体どうすれば──。

 コレット・メイプルリーフは、忍び寄る災禍にひとり恐怖し、頭を抱えてうずくまった。

「そこの可愛い坊や」
 横から声がかかって、近くにいたティムが振り向いた。
 厚化粧の女が三人、通りの脇から手招きしている。
「ちょっと遊んでかない? あたしたちが筆下ろししてあげるわよォ」
「え、ふ……ふで?」
 不用意に近づこうとしたティムを、リルカが慌てて捕まえて引き戻した。訳もわからず目をしばたたかせている少年の眉間を指で弾いてから、女たちに向けてしかめっ面を返す。
 女たちは互いに見合わせて、けらけらと笑った。三人とも大きな布を羽織り、その内からは薄手の肌着が覗いている。砂埃に混じって漂ってきた甘い香りは、彼女たちのつけている香水か。
 視線に気づいた一人の女がしどけなく開いた胸許むなもとを見せつけてきたので、アシュレーはすぐさま首を前に戻して彼女たちをやり過ごした。
 日は傾いたとはいえ、まだ昼間である。こんな時間に──街娼とは。
 タウンメリアにもいわゆる色街はあったが、裏通りの寂れた一角に数軒が軒を連ねるのみで、しかも動き出すのは日が沈んでからである。真っ昼間から往来で娼婦に誘われるなど、到底考えられないことだった。
「イヤな街」
 リルカが、ぽつりと呟いた。不機嫌そうに口を尖らせている。
 アシュレーはなだめるように彼女の背中を叩いた。
 元スレイハイム領、クアトリー──。
 北部の荒野と南部の砂漠地帯を隔てる大峡谷ビッグバレー、そこに架けられた大橋を中心として栄えたのが、このクアトリーである。スレイハイムの主要都市で唯一、超兵器の惨禍をまぬがれた街でもあった。
 本国が滅びた後も、この街は生き延びたスレイハイムの民の自治によって維持されてきたという。だが、やはり国家の統治から外れた影響は──少なくないようだ。
 白昼堂々と袖を引く娼婦たち。街の入口付近では痩せ細った子供たちが物乞いをしているのも見かけた。そして、今も路地の暗がりからこちらをうかがう……胡乱うろんな視線。
 アシュレーはブラッドと目配せをして、リルカとティムを路地の方から隠すように位置を変えた。
 想像以上に治安が乱れている。表向きは活気に溢れているが、その賑わいも他の街とはどこか違った……不穏なものが混在しているように感じられた。
 昼間でこの状況ならば、夜はさらに危険に違いない。日没までに落ち着ける宿を探さなくては。
 彼らは比較的治安の良い中心部──大橋へと向かった。
 かつては小さな吊り橋だったというこの橋は、スレイハイムの発展に伴って幾度の架け替えと改修が行われ、今では幅三十メートル以上もある巨大な石橋となっている。幅広の橋の両端にはずらりと店舗が建ち並び、さながら大通りメインストリートの様相を呈していた。
 数軒あった宿のうち、最も大きな──ひいては安全そうな──宿を取ることにした。多少値は張ったが、背に腹は代えられない。
「ねー、早いとこ、この街出ようよ」
 ベッドに寝転がって足をばたつかせながら、リルカが言った。
「そうもいかないよ。ここで何か手がかりを見つけないと。闇雲に砂漠を探し回るわけにもいかないのだから」
 アシュレーがそう返すと、リルカは河豚ふぐのように頬を膨らませて突っ伏した。
 スレイハイム南部の砂漠にオデッサの拠点がある──。
 メリアブールに帰還した後、アーヴィングたちによってデータ端末タブレットの足取りの分析が行われた。セボック村から内海に出た端末は、バスカーの里がある半島に沿って西へ移動し、かの砂漠地帯に到達したところまでは確認できたという。
 しかし端末の電波はそこで途切れてしまい、詳細な地点までは掴むことができなかった。そのためアシュレーたち実働部隊は近郊の街──このクアトリーで情報収集を行うことになった。陸路にせよ海路にせよ、砂漠地帯に物資を運ぶには必ずこの大橋を通らなくてはならない。武器や資材がその拠点へと流入しているなら、まず間違いなくここを通っているはずである。
「夜までまだ時間あるから、僕とブラッドは外で聞き込みしてくるよ。二人は宿で待っていてくれ。暇だからって出歩いたりしないように」
「だってさ、ティム」
「な、なんでボクに振るんですか」
「さっきホイホイついて行きかけたじゃん。お子様が十年早いっての」
「あれは、その……違いますッ」
 真っ赤になって弁解するティムを、リルカはニヤニヤしながら眺める。ひとまず機嫌は直ったようだ。
「悪いが、俺は用事がある」
 窓際に腰掛けていたブラッドがやおら立ち上がった。
「用事?」
「マイトグローブの調子が悪くてな。店を探してくる」
「あれ、シエルジェで直したんじゃなかったっけ」
 ベッドの上で首を傾げるリルカに、スレイハイムの戦士はああと応じる。
「シエルジェでは結局判らなかった。できればボフールに見てもらいたかったんだが」
 ARMS専属技師のボフールは、新たなARMの製作に取りかかるとかでシャトーには不在だった。資料や材料の一部はまだタウンメリアの自分の工房に残してあるらしい。
 夜には戻る、と言い置いて、ブラッドは先に部屋を出ていった。
「それじゃあ、僕も行くよ」
「アシュレー、一人で危なくない? わたしも行こっか?」
「いや、大丈夫だよ」
 むしろ彼女に同行された方が危ないのだが、それを言うとまたへそを曲げかねないので黙っておいた。
 心配するリルカの申し出をやんわり断ってから、アシュレーも宿を後にした。
 再び表通りに出て、石畳で舗装された道を歩く。通りの両脇には橋と同じ石材で造られた店舗がひしめいている。店と店の合間からは時折峡谷が臨めたが、それがなければここが橋上であることを忘れてしまいそうだ。
 行き交う雑踏を縫うようにして、通りを北へと進む。南の砂漠側から街に入ったので、こちらはまだ来ていない。
 やがて人気がなくなり、石畳も途切れた。
 橋を渡りきった先に、広がっていたのは。
「……ここが」
 地平の彼方まで続く──純白の大地。
 アシュレーは足を止め、しばし見入る。
 五年前、荒野であったというこの地で『天使』の光は炸裂した。美しくもおぞましい光に晒された大地は、ことごとく崩壊し、変質し。
 この、一面の塩原に──。
 数歩ほど、踏み入ってみる。この付近は塩と砂が混じり、地面はざらざらしていた。
 腰を屈めて地面を指で撫でる。半透明の結晶が付着した指先に顔を近づけて、まじまじと眺めた。
 この塩粒も、元々は別の物質だったのだ。
 草木か、石か、動物か。あるいは金属の武器だったのかもしれない。
 それとも──もしかしたら。
 ──人間。

(──ばけもの──)

 背筋に悪寒が走り、手についた塩粒を振り払った。
 ──今のは。
 冷や汗が頬を伝う。目を見開いたまま、脳裏に浮かんだ光景を思い返す。
 この塩の原野と似たような場所。そこを彷徨さまよう自分と、それを俯瞰ふかんする──自分。
 降魔儀式の事件の直後、そんな光景を見た気がしたが──やはり判然としない。ただの夢だと思うようにはしていたが。
 ──違う。
 夢だと思いたいのだ。だってあの光景の最後には。
 彼女が──。
「寂しい景色だろう」
 背後から声がした。
 振り返ると、女が立っていた。
「私利私欲の果てに引き起こった醜い争い──その結果がこれだ」
 漆黒の髪が、乾いた風に揺れている。
 背丈はアシュレーと同じくらいだろうか。外套マントの布を頬まで上げ、左眼は眼帯に覆われているため、顔は右眼のあたりしか見えない。
「あなたは……」
 アシュレーが聞くと、長身の女は籠手グローブを填めた手で口許の布を下ろした。
凶祓まがばらいのカノン──通り名だがな」
 薄い唇を動かして、名を告げた。
「凶祓……」
 凶祓とは、魔物を退治して報奨金を得ることを生業なりわいとしている渡り鳥だ。遺跡をあさるだけの渡り鳥よりも稼ぎは良いが、当然ながら大きな危険も伴う。
 賞金が懸かるような魔物というのは、つまり他の人間では手に負えない魔物ということである。よほど腕に自信がなければ、凶祓は務まらない。
 アシュレーは改めて、カノンと名乗った女を見た。
 端正な青年のような顔立ち。身体にぴったり密着した臙脂えんじ色の上着。外套に半ば隠れたわきの革ベルトには、湾曲した短刀が収まっているのが見えた。
 旅慣れた出で立ちというのは見て取れたが、賞金首の魔物を倒せるほどの腕前かどうかは──窺い知ることができなかった。
 カノンはこちらには目もくれず、横に立って塩に覆われた大地を見遣る。
「あの地平の先に、スレイハイム城がある」
 視線で示しながら、彼女が言った。
「廃墟となった城内には、肉体が消滅してもなお彷徨さまよい続ける亡霊が、夜な夜な怨嗟えんさの声を上げているという」
「亡霊……?」
 眉をひそめるアシュレーに、彼女は微塵も表情を崩さず続ける。
死人しびとの魂が別のモノに憑いて魔物となったか、それともけがれし場所によこしまなるものが寄りついたか……いずれにしても、城内に魔物が湧いているのは確かなようだ」
 その魔物の退治を依頼された──とカノンは言った。
「奴らの声が時折この街まで聞こえて気味が悪いから何とかしてくれと、町長直々に頼まれてな。私も一度聞いた。まるで世界を呪うような、重々しい唸り声だった」
 世界を呪う──唸り声。
 それがどういうものなのか、アシュレーには想像できなかった。だが。
「本当に亡霊なら、呪いたくなるのも──無理ないか」
 民意を無視した軍備拡張。血みどろの内戦。そして──大地を呑み込んだ『天使』の光。
 理不尽な運命に翻弄され、その果てに命を落としたこの国の民ならば、死してなお世界を呪っていても……不思議ではないのかもしれない。
「他の渡り鳥にも退治を依頼したらしいが、いずれも失敗に終わっている。魔物単体は大したことないが、いかんせん数が多い──らしい」
 そう話す凶祓の女を、アシュレーはいぶかしむ。
 ──どうしてそんなことを、自分に話すのだろう。
 その疑問の答えはすぐに返ってきた。
「この依頼──受けてみる気はないか?」
「え?」
 驚くアシュレーを、カノンは右眼で見据える。向けられた眼光は冷たく、どこか無機質な感じがした。
「私一人では骨が折れそうなのでな。手伝って貰えれば助かる。報酬は──」
「ま、待った」
 勝手に話を進める凶祓を制して、アシュレーが言う。
「どうして僕にそんな話を……そもそもあなたは僕のことを」
「アシュレー・ウインチェスターだろう?」
 名前を呼ばれて、息を呑む。
「ARMS実働部隊の実質的リーダー。テロリスト『オデッサ』の壊滅に向けて目下活動中、と」
 ──なぜ知っている。
 無意識に後退あとずさりして身構える。カノンは鼻で溜息をついた。
「お前たちばかりが情報を握っているなどと──自惚うぬぼれないことだ」
 こちらにはこちらの情報網がある──と、凶祓の女は言った。
 凶祓……つまり渡り鳥の情報網ということか。それにしても、ARMS隊員の顔や素性まで漏れているとは。
「侮れないな」
 アシュレーは肩をすくめる。警戒はまだ解いていない。
「お前たちの実力も把握している。それを見込んだ上での依頼だ」
「残念だけど、ARMSは渡り鳥とは違う」
 僕らは組織なんだ、とアシュレーは言った。
「あくまで上の指令に従って活動している。個人的な依頼には応じられないよ」
「報酬がオデッサの情報──だとしても?」
 三度みたび、面食らう。
「それがこの街クアトリーに来た目的なのだろう? 砂漠を出入りする連中の話は耳にしている。ここには先週から逗留とうりゅうしているからな」
「凶祓を手伝えば教えてくれる……というのか」
 アシュレーが返事に窮しているうちに、カノンは外套を口許まで上げ、きびすを返す。
「無理にとは言わん。お前たちの手がなくとも凶祓は明日行う。その気になったら日の出の刻限までにここへ来い」
 仲間と相談して決めるんだな──と、黒髪の凶祓は街へと引き返していった。
 雑踏に消えたその姿を見送ってから、アシュレーは再び塩原を振り返る。
 先程よりも色の濃くなった青空。その下に広がる、無機質な大地。
 ──確かに、寂しいな。
 茫漠たる景色に背を向けて、彼も橋上の通りへと戻っていった。

 その後しばらく街で聞き込みを行ったが、めぼしい収穫もなく空振りに終わった。軒先の店主も酒場の酔客たちも、アシュレーの姿を見ると一様に口を閉ざし首を横に振るばかりであった。
 見ず知らずの若造に聞く口など持っていない──ということか。それにしても、ここまで風当たりが強いとは予想外だった。
「この街の人間は、どいつも少なからずすねに傷を持っているからな」
 宿に戻ってそのことを話すと、ブラッドが理由を説明した。
「そういう連中は、お前のような真っ当な人間は苦手なんだ。誠実なのは美徳かもしれんが、やましさを抱えている者にはそれが痛い」
「そう……なのか」
 疾しさを抱えている相手だからこそ、丁寧に接しようと心がけたのだが……逆効果だったか。
「ていうかさ」
 ベッドに寝転がっていたリルカが口を挟む。
「ここって解放軍だった人もたくさんいるんでしょ。だったらオデッサの……ヴィンスフェルトの味方してる人もいたりするんじゃないの?」
「けど、あいつは解放軍を裏切って──」
 言いかけて、不意に一人の男のことが脳裏をぎった。
 隻眼せきがんの巨漢──オデッサ特選隊のトロメア。
 あの男も解放軍に参加していたという。しかもヴィンスフェルトの所業を知りながら、それでも手を貸していた。
 同じようにオデッサにくみしている元解放軍が、この街に紛れているという可能性は──。
「否定できないな」
 ブラッドが重い声で言う。
「そもそも末端の兵士は奴が逃げた経緯を知らない。未だに心酔している連中も……いるかもしれないな」
 この地に拠点を築いたのも、それが理由か。
 ヴィンスフェルトの影響力が残る元スレイハイム領。もちろん反感は根強いだろうが、一方で協力者も集めやすい。
 だが、そうなると。
「下手にあちこち聞き込みを行うのは……危険かもしれないな」
 オデッサのことを嗅ぎ回っている輩がいると、協力者の耳に入ってしまえば──。
 厄介なことになるかもしれない。
「どうすんの、これから?」
 リルカが尋ねる。アシュレーは指揮官よろしく顎に手をやりながら、しばし思案した。
 あまり気は進まないが──やはり。
 ──あの話を。
「実はさっき、妙な話を持ちかけられた」
 アシュレーは街の出口で会った、凶祓の女の話をした。
 彼女がスレイハイム城の魔物退治を依頼されたこと。その手伝いをアシュレーに頼んできたこと。
 手伝いの報酬が、オデッサの拠点に関する情報だということ──。
「なんかうまい話だなぁ」
 枕に顎を載せて聞いていたリルカが、眉根を寄せた。
「そのカノンさん……だっけ。ホントに渡り鳥なの? あのトカゲみたいに実はオデッサでした、っていうのは勘弁してほしいけど」
 もちろんアシュレーもその可能性は考えた。だが。
「彼女は……少なくともオデッサではないと思う」
「なんで? 美人だから?」
 アシュレー美人に弱いからなぁ、とリルカは目を細める。不本意な言われようだったが、話が大幅にれそうなので反論は控えた。
「とにかく、街の人から聞き出すのが難しいなら、彼女の情報を当てにするというのも一つの手だと思う。罠かもしれないというリスクはあるけど──」
 現時点では、唯一の手がかりであるのも事実だ。
「わたしはいいよ、手伝っても」
 少し間を置いて、リルカが発言した。
「危ないと思ったら逃げればいいだけだし。ていうか早いトコこの街出たいし」
 どうやら後者が本音のようだが、アシュレーも長居したくないというのは同意だった。
「俺は参加できん。武器がないからな」
 ブラッドが言う。彼の武器──マイトグローブは不具合調査のためARMの店に預けてきたという。
「そうか。それじゃあ僕とリルカと……ティムはどうする?」
 ティムの方を向いて尋ねたが、少年はベッドの上にへたり込んだまま、反応しなかった。
「ティム?」
 リルカもそれに気づいて詰め寄る。顔を覗くと頬は赤く、目も虚ろだった。
「あんた、熱あるじゃない!」
 額に手を当てたリルカが声を上げる。
「なんで言わないのッ」
「その……大事な話をしてたから……」
「こっちのが大事だっての。ああもう」
 いいから寝るッ、と半ば押し倒すようにしてティムを寝かせて掛け布を被せる。
「アシュレー、宿の人に毛布もらってきて。あったら氷も」
「あ、ああ」
 彼女の手際の良さと剣幕に押されるようにして、アシュレーは部屋を出てフロントへと向かった。

 ティムの熱は一晩でひとまず引いたものの、微熱と気怠けだるさは残っているようだったので、今日一日は安静にさせた方がいいという判断となった。
「ホントに弱っちいなぁ、もう」
 早朝、起きてきたリルカは開口一番に愚痴をこぼした。
「ここのところ、あちこち移動していたからな。知らずに疲れが溜まっていたんだろう」
 先週までいた寒冷地から、いきなりの砂漠だ。旅慣れていない少年には厳しい行程だったかもしれない。
「それよりリルカは大丈夫なのか? ずっと看病してたんだろう」
「看病なんてしてないよ。熱冷まし飲ませたらコテンと寝ちゃったし」
 そう言いながらも、目の下には少し隈が浮いていた。
「無理も程々にな」
「無理してないってば。また泣かせたいの? 悪趣味」
 言い合いながら二人はロビーに向かう。フロントにティムのことを頼んでおいてから、宿を出て橋の北側へと急いだ。
 街の出口には、果たしてカノンが待っていた。
「スレイハイム城までは二時間ほどかかる。途中休みたくなったら構わず言ってくれ」
 要件だけを告げると、凶祓の女は颯爽と外套を翻して歩き出した。
「やっぱり美人だ」
 疑いの眼差しを向けるリルカを、アシュレーは横を向いてやり過ごす。弁解したところでどうせ聞かないだろう。
 城の場所を知っているカノンが先を行き、二人はその後に続いた。地面の塩はこの五年ですっかり固まり岩盤のようになっていたため、所々に走る亀裂にさえ気をつければ歩きやすかった。
「カノンさんって、いつから渡り鳥やってるんですか?」
 大きな裂け目をひょいと跳び越えてから、リルカが尋ねた。
「……憶えていない」
 カノンは振り返らずに答えた。
「憶えてない?」
「自分の歳を数えたのは十一までだ。そこからは──知らん」
「え、じゃあ自分が今いくつなのかもわからないんですか?」
「凶祓に歳など関係ないからな」
 その言葉に、リルカは少し憮然としたような顔をした。
「そもそも、どうして渡り鳥に……それも凶祓なんかに?」
 流れでアシュレーもそう尋ねると、カノンはこちらを振り向き、突き刺すような視線で睨んできた。
「アシュレー、ダメだよ。女の人の過去をほじくっちゃ」
「え、ええ?」
 年下の少女にたしなめられ、アシュレーは情けない顔をする。
「リルカだって色々聞いていたじゃないか」
「わたしのはいいんだよ。ざっくりした質問だから」
 わかんないかなぁ、そのへん、とリルカは澄まして呟きながら、小走りに追い抜いていった。
 取り残されたアシュレーはひとり、頭を掻いた。
 やはり女性は苦手だと、つくづく思う。
 それからしばらく三人とも無言で歩いた。朝日は既に地平から離れて、塩の大地を照射している。
 日が高くなるにつれて気温も上がってきた。白い地面は照り返しもきつく、じりじりと肌を灼くような暑さを感じた。
 額に浮いた汗を拭ったとき、リルカが背中をつついてきた。
「ちょっと、トイレ……行きたいんだけど」
「トイレ? それなら待ってるから、そっちで」
 してくれば、と言いかけたところで思いきりパラソルで叩かれた。
「こんな丸見えなトコでできるわけないでしょッ」
「そ、そんなこと言っても、遮るものがないんだから仕方ないだろ」
 見ないから大丈夫だよ、と言ったらまた真っ赤になって叩いてきた。
「もういいッ。向こうでするから絶対来ないでよ。近づいたら殺すから」
 物騒な言葉を残してリルカは走っていく。思いきり距離を置いたところでようやく止まり、さらに広げたパラソルを衝立ついたてがわりに地面に置いた。
「だから見ないってのに……」
 気まずい気分のままアシュレーは回れ右をして、隆起した塩の塊に腰を下ろす。
 荷袋から水筒を取り出して、口をつける。喉が潤い一息ついたところで、塩原を眺めた。
 白い大地という点では、シエルジェで見た景色と変わらない。だが。
 どうしてこんなに──寂しいのだろう。
 平坦な地面の他に何もないからか。それとも。
 この場所で失われた多くのモノ。それらの無念が、そう感じさせるのか──。
「ん?」
 アシュレーの目に、何かが映った。
 北の地平線のあたり。陽炎かげろうで揺れる大地の、その先に。
 ──半ば壊れた、建物。
 もしかしてあれが、と目を凝らした、そのとき。
「アシュレー!」
 切迫したリルカの声が飛び込んできた。何事かと振り返ると。
 目の前に、影が。
 頭上から刃を振り下ろそうとしていた。
 本能的にアシュレーは身を屈めてそれを躱し、間合いを取る。影がカノンだと気づいたのは、その後だった。
「な……何を」
 カノンは短刀を逆手に持ったまま、こちらを睨んでいる。
 その姿は殺気に──いや。
 殺意に充ちていた。
「仲間に救われたな」
 短刀を左手に持ち替えながら、凶祓は言った。その背後からリルカが駆けつける。
「このヒト、やっぱりオデッサだよッ」
 パラソルを構えるリルカを、カノンは首を動かして一瞥する。
「違うな」
 再びアシュレーを見据えて、彼女は言った。
「確かにオデッサから依頼は受けたが、関係ない。貴様を始末する理由は──単なる私怨だ」
 ──私怨?
「あなたとは昨日会ったばかりじゃないか。なのに私怨って……」
「貴様に恨みはない。あるのは──貴様の内側に巣くう、その禍々しき存在ものだ」
 刃の切っ先で示したのは、アシュレーの胸許。
 自分の内側の──禍々しい存在。それは。
「ロードブレイザー……」
 かつて世界に絶望を振りまいた、焔の災厄。今は聖剣に半ば封じられる形でアシュレーの中に宿っている。
「魔を祓う凶祓として、僕の内側の魔神を……祓うと言うのか」
「私怨と言っただろう。そんな使命感など更々さらさらない」
 右眼を剥き、短刀を突きつけたまま、カノンは言った。
「あたしが呪うは自身の運命。恨むはこの宿命をもたらした元凶。だからあたしは──貴様を狩るッ!」
 銃声のような音を立てて短刀が飛んできた。アシュレーは身をよじらせて寸毫すんごうほどの差で避ける。
 短刀はアシュレーの背後で地面に弾かれ、宙に舞った。柄の部分からは鎖が伸び、カノンの手許に繋がっている。
 ──いや、違う。
 短刀は左手に握られたままだ。鎖が繋がっているのは──。
 手首。
「ひえッ」
 リルカも気づいて悲鳴を上げた。手首の切断面は金属の枠が填め込まれ、その中心の穴から鎖が出ている。
 手そのものは籠手に覆われて見えないが──生身の人間のそれとは違うようだ。
 ──義手か。
 カノンは右手で肩に触れる。鎖が腕の内側に巻き取られ、手首は元の場所──腕の先へと収まった。
「仕損じた……か」
 口許を曲げて舌打ちする彼女の背後では、リルカが詠唱を始めていた。
一条の光輝と裂帛、驕慢なるものへの戒飭となりて降り注ぐブリーロ・カイ・タンドロフラーピ・ツァー・コンシーロ・アルアロガンタ・ペルソノイ
 呪符クレストグラフから魔法の素子を転移させたパラソルを突き出して、挑発する。
電撃スパークの魔法、試してみる?」
 カノンは少女を横目で見ると鼻で息をつき、短刀を懐に収めた。
 二対一では分が悪い。だからこの凶祓は、奇襲で一気に仕留めるつもりだったのだろう。
 殺意が消えたことを悟ったアシュレーは、肩の力を緩める。
「まさか、腕が義手に……それもARMになっているとはな」
 間一髪で回避したが、危うくやられるところだった。
「そんなもの、一体どうやって……」
「教える義理はない」
 そう言うと、カノンは高々と跳躍した。
 アシュレーの遙か頭上を舞い、身体を反転させて背後に降り立つ。
 人間離れした跳躍力。脚も──義肢か。
「クアトリーから東南東に十六キロ」
 こちらに背を向けたまま、彼女は言った。
「そこに資材や食料が頻繁に搬入されているという話だ。恐らくオデッサの施設だろう」
「なぜ……教える」
 疑念を抱くアシュレーに、勘繰るなとカノンは返す。
「私はオデッサの犬ではない。奴らごときに貴様の命をられては困るからな」
 貴様を狩るのは私だ、と凶祓は刃のごとき声で言い放った。
 アシュレーは唾を呑み込む。
「どうしてそこまで、僕の……魔神の命を」
 宿命をもたらした元凶、と彼女は言った。
 遠い昔の『災厄』と今を生きる凶祓。両者に一体どんな因縁があるというのか。
「もう一つ」
 カノンはそれには答えず、続けた。
「解放軍の幹部だった男から、面白いことを聞いた」
 首を僅かに動かし、こちらに向ける。その横顔は。
 わらっていた。
「『スレイハイムの英雄』は、左利きだそうだ」
「え……?」
 言葉を失うアシュレーに、凶祓は追い打ちをかける。
「預けた背中を刺されぬよう──用心することだな」
 そう言い残して、カノンは塩の原野を歩いていった。
 アシュレーはその間一言も発せず、追いかけることもできず。
 ただひたすら立ちつくして──当惑した。

 スレイハイムの英雄、つまりブラッド・エヴァンスが──左利き?
 でも。だけど。
 彼は──。

 宿に戻るとすぐに、アーヴィングから通信が入った。
〈拠点と思しき場所が特定できた〉
「え?」
 詳細を尋ねると、先程シエルジェのマクレガー教授から連絡が入ったのだという。
 ──データ端末タブレットから抜き出した地図の場所が、判明した──。
「あー、あったねそんなの」
 そう言ってから、リルカは首を捻る。
「あれ? でも端末は盗まれたんじゃ」
〈地図だけは盗まれる前に教授の端末に落としてあったんだよ〉
 ふうん、と彼女は引き下がったが、返事の仕方から察するに、よく判っていない。
〈そして、その場所というのが〉
 クアトリーの南に広がる砂漠地帯──。
「僕たちが探していた拠点だったわけか」
〈偶然にもね〉
 アーヴィングは拠点──地図によればプラントの座標を告げた。アシュレーはその数値を紙に書き留める。
「OK。明日この場所に行ってみるけど、プラントということは……破壊するのか?」
〈そうだ。後で破壊のための道具をアーミティッジ女史に届けてもらう。夜に再度連絡を入れるよ〉
「何で夜なんだ?」
 彼女の都合だよとアーヴィングが答えて、アシュレーも納得した。彼女──マリアベルは日中は着ぐるみなしに出歩けない。猛暑の砂漠であの格好は地獄に違いない。
 返答してから通信を切ると、アシュレーは地図を広げて教えられた座標の位置を確認した。
「クアトリーから東南東に……十六キロ」
 カノンが告げた場所と、ほぼ一致した。
 彼女の情報は正しかった。ということは。
 あの話も──正しいということなのか──?
「ブラッド、まだARMの店なのかな」
 ベッドの縁で足をばたつかせながら、リルカが言う。
「昼前くらいに起きたときは、もういませんでした」
 上半身だけ起こしたティムが言った。顔色は大分良くなっている。
 アシュレーは椅子から立って、窓から峡谷を眺めた。絶景も今はほとんど何の感慨ももたらさなかった。
 彼の脳裏はずっと、あの凶祓の言葉に囚われていた。
 ──預けた背中を刺されぬよう──。
 そんな。
 そんな訳はない。
 共に危地を乗り越えてきた、信頼できる仲間じゃないか。
 だが。
 このはらの内側を掻き乱す──不快なモノは何だ。
 抑え込もうとすればするほど、それは激しくのたうち回り。
 一点の曇りもない青空のような青年の心を──むしばもうとしていた。

 街に入りたくないという彼女の要望で、道具の受け渡しは街外れで行うことになった。
「ほれ、こいつが『バイツァダスト』じゃ」
 マリアベルから手渡されたそれは、子供の拳ほどの大きさをした球だった。
「こんなのが爆弾……なんですか」
 まじまじと見つめるアシュレーに、令嬢のような装いのノーブルレッドが説明する。
「エルゥ族の遺跡から発掘された魔導器の一種じゃな。四方百メートルを粉微塵こなみじんにするだけの威力を持っている」
「そ、そんなの使った本人も危ないじゃないですか」
「ところがこいつは起爆と同時に異空間を展開して、爆発の衝撃だけをその空間に転移させる。それゆえ周辺に危険を及ぼすことなく、爆心部分だけを確実に破壊できるのじゃ」
「はあ……よくわかりませんが、凄いですね」
 判らなくとも使い方は覚えておけと、マリアベルは爆弾についた円形の突起を指さす。
「そのスイッチを押し込んでから、対象物に投げつけるのじゃ。一定以上の衝撃が起爆の引金トリガーとなっておる。柔らかいものにぶつけても爆発せぬからな」
「わかりました。ありがとうございます」
 礼を言ってから、バイツァダストを慎重に荷袋の中に収める。簡単には爆発しないようだが、危険物には違いないので留意する必要はあるだろう。
「プラントの中枢──機関部とか制御機器とかじゃな。そのあたりを狙えば確実に機能を停止させられるじゃろう」
 精々せいぜい頑張るんじゃな──とマリアベルは額のゴーグルを下ろし、愛用の滑空機に乗り込むと、砂塵を巻き上げて飛び去っていった。
 アシュレーは荷袋を担ぎ直し、街へと戻る。
 夜のクアトリーは、案の定無法地帯と化していた。
 道端の其処此処そこここたむろする、如何いかがわしい身なりの男たち。軒先で潰れて譫言を漏らしている酔漢。奇声を上げて辺りをうろつく若者を後目しりめに、娼婦たちは煙草をくゆらせながら客を物色している。
 背後で喧嘩が始まったので、アシュレーは身を固くして早足で歩いた。肩から提げた銃剣のおかげで絡まれることはなさそうだが、余計なことに巻き込まれないためにもさっさと立ち去るのが吉だろう。
 なるべく前だけを向いて、宿への道を急いでいると。
「……ん?」
 道の先に、見慣れた背中を見つけた。無頼の男どもがうろつく中でもひときわ目立つ、屈強な後姿は──。
 アシュレーは気取けどられないよう、慎重に後をつけた。
 普段であれば、声をかけて直接問い質したに違いない。けれど疑念に凝り固まっていたそのときのアシュレーに、その考えはなく。
 まるで泳がせた敵を尾行するかのように──彼の背中を追った。
 大きな背中が暗がりに消える。路地に入ったようだ。
 アシュレーは壁に張りつき、そっと路地を覗く。
 薄闇の先に彼の姿があった。その傍らには──一回り小さな影が。
 布を羽織った、長い髪の──女。
 娼婦かと一瞬思ったが、違う。彼女のまとう布は商売女のそれより厚手で、質素だった。香水の匂いもしない。
 ──間諜スパイ──?
 胸が、知らずと高鳴る。
 違う。そんなはずはない。
 信頼と不信がせめぎ合う、その視線の先で。
 彼は何かを──女に手渡した。
 女は手慣れた所作で受け取ったものを懐に収める。そして闇に融け込むように路地の奥へと消えていった。
 アシュレーはその場から離れ、近くの軒先に身を隠してから再び様子を窺う。
 程なくして大きな影が路地から出てきた。周囲を気にする素振りもなく、大橋の方へと歩いていく。
 その右手には──いつもと同じように──鋼鉄の手甲が。
 アシュレーは壁に寄りかかり、額に手を当てて項垂うなだれた。

 ──ブラッド。お前は一体。
 いったい、誰なんだ──。