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小説 WILD ARMS 2nd IGNITION
第三章
Episode 6 守護獣の巫子

「失敗したそうだな」
 窓辺の椅子に腰を下ろし、机上のグラスに酒を注ぎながら、銀髪の威丈夫は言った。
「は……」
 天蓋から下ろされたカーテンの向こうで、女は寝床から身体を起こして目を伏せた。乱れた赤い髪が千々に流れて豊かな乳房を覆い隠す。
「こちらの被害は?」
「バルキサスの主砲と左翼に被弾。左翼に関しては軽微で飛行に影響はありませんが、主砲は当面使い物にならないかと。それに……カイーナが召喚したアルファエルも撃破されました」
 グラスに口をつけてから、ほう、と男は感心する。
「あの魔物を倒すとは、ARMSとやらも侮れぬな。飛空機械まで出現したそうではないか」
「はい。恐らくロストテクノロジーに相当精通した人物が協力しているものと思われます」
 答えながら、物憂げな視線を男に投げる。
 半裸の威丈夫は、グラス片手に窓の外の暗闇を眺めていた。
「スレイハイムの英雄、謎の黒騎士、そしてロストテクノロジーの技術者か。ふふ……向こうも役者が揃ってきたではないか」
 外連味けれんみを利かせたその笑みに、女は眉を顰める。
「『ガーディアン計画』の件はどうなった?」
 グラスを呷ってから、男が問う。女は返事をして答えた。
「調査により『柱』である人物は特定しました。偶然にもタウンメリアにいたため、今回の侵攻の際に確保を試みたのですが……先を越されました」
「先を越された? ARMSにか?」
「いえ、恐らくは」
 その言葉で男も呑み込んだ。そうか、と一言呟いてからグラスを机に置く。
「ならば暫く泳がせておくべきか。手間が省けそうだ」
「ですが、もしこの件がARMSに察知されたら」
「構わぬ。いや──むしろその方が好都合ではないか」
 男は腰を上げ、天蓋の幕を引く。そして女の上に覆い被さる。
「引き続き彼奴きゃつらの動向を監視しろ。もし『柱』に気づいて動くようであれば」
「承知しております」
 絹の掛け布を捲られ、白い裸身が露わになる。燃え立つような髪を振り乱し、男の吐息を感じながら、女は言葉を返す。
「貴方様に徒為す輩、このアンテノーラが必ず──」
 引導を渡しましょう──。
 そう言って、男の頸に腕を回した。
 
 虚ろな瞳を、天井に彷徨わせたまま。
 揺らめきを背中に感じながら、ティムは目を覚ました。
 
 目の前には満天の星空。どうやら仰向けに横たわっているようだ。
 まだ意識ははっきりしない。眠気とはまた違った気怠さが残っていた。
 ゆらゆらと、身体は緩慢に揺さぶられ続けている。なんだか懐かしい感覚だった。
 ──遠い遠い、記憶のずっと向こうの方で。
 こうして揺れていたような気がする。
 あれは母の腕の中か。それとも。
 生まれる前の──。
「う……」
 不意に発した自分の声で、急激に意識が遡上する。
 ここは──どこ?
 いつもと違う状況。違う場所。そのことにようやく気づいて飛び起きる。
 傍らに、男が座っていた。大きな身体を丸めてこちらを見ている。
 振り返ると別の男の姿もあった。棒のようなものを抱えてたたずんでいる者。座り込んだまま腕を組んで眠っている者。どちらも布地の帽子を被り、同じような上着を着ている。
 この場にはティムも含めて四人だけ。周囲はひたすら黒い地面が広がっていた。
 ──いや。
 地面じゃない。水だ。海だ。
 自分は──船に乗っている。
 そこでようやく、目を覚ます直前のことを思い出した。
 孤児院の近くの、いつもの丘。そこで──この男たちに襲われたのだ。
 口にひどい臭いのする布を押し当てられ、急に頭が痺れてきて、眠たくなって。
 起きたら──ここに。
「怯えることはない」
 近くにいた男が口を開いた。舳先に吊されたランプの明かりが照らし出すその顔は無骨で、表情に乏しい。
「騒がれたくなかったから、やむを得ずああいうやり方になってしまった。……すまなかった」
 目を逸らし、短く刈り込んだ頭を掻きながら、男は謝った。この男だけは帽子を被っていない。
 ティムは返事ができなかった。恐怖と混乱で一時的に言葉を失っている。
 この男たちは何者なのか。どうして自分などを攫ったのか。ここはどこで、どこに向かっているのか──疑問は山ほどあったはずだが、生来人見知りで内気な少年にそんなことを考える余裕などなかった。
 ただ、ひたすら……不安になった。
 トニーもスコットも、シスターも、ARMSの人たちも、ここにはいない。
 訳もわからず船に乗せられ、知らない大人たちに囲まれて、ひとりきりで──。
 怖い。
 怖いよ。
 誰か……助けて。
 自分の肩を抱いて震えていると、背中に毛布のようなものが被せられた。
 男が掛けてくれたようだ。相変わらず無愛想でこちらに目をくれることもなかったが、悪意は感じられない。
 少なくとも、危害を加えられることはなさそうだ。
 そう思うと、ほんの少しだけ落ち着くことができた。布に包まり、自分の温もりを確かめるうちに震えも収まってくる。
 そして、ふと気づく。
 薄手の毛布だと思っていた、この布。
 ──同じだ。
 自分が纏っている上着によく似ていた。生地の織り方も、独特の柔らかな肌触りも。
 母親の形見であった、この上着。それと同じということは──。
「あ、あの……」
 勇気を振り絞って、疑問を口に出した。
「あなたたちは……もしかして」
 お母さんの。
 結局最後まで言葉は出なかったが、相手が察してくれた。
「サブリナは、よく知っている」
 男が言った。
 サブリナ──母の名前を。
「お母さんを……知ってるんですか」
 ティムが聞くと、幼馴染みだからなと男は遠い目をして答えた。
 少年が茫然としている間に、男は布袋から何かを取り出して手渡してきた。
「食えるなら食っておけ。まだ先は長い」
 干し芋のようだった。薄く切った芋を乾燥させただけの保存食か。
「おい、何してる」
 ティムが恐る恐る口に運ぼうとすると、背後の男が咎めた。抱えている長尺の棒──船を漕ぐ櫂らしい──を海に突き立てたまま、芋を渡した男を睨みつける。
「それは我らの食糧だ。勝手なことをするな」
「この子は余所者ではない。我らと同じ民である」
 男が言い返す。
「我らのものは、この子のものでもある。分け合うのは当然だ」
 櫂を持った男はまだ何か言いたげだったが、諦めて背中を向けた。
 同じ民。
 自分が、この人たちと──。
「我らは、この十年捜してきたのだ」
 男が独り言のように呟く。ティムは半ば現実感を失ったまま聞いている。
「十年前、里を出奔したサブリナを。そして……『柱』を継ぐべき、その子供を」
 それは、彼がまだ生を受ける前の出来事。
 遠い遠い、記憶のずっと向こうの話。
 
 波間を漂う大きな揺籃ゆりかごの中で。
 少年は亡き母の物語を聞いた──。
「では、ティム君はバルキサス襲撃の前に誘拐されたのですね」
 壁に掲げられたARMSの徽章を背にして、アーヴィングが言った。
「ええ。お城の方から戒厳令が出される前のことでしたので」
 机を挟んだ向かいに立って答えたのは、タウンメリアの教会のシスター。孤児院で子供の世話をしているという。
 彼女の横には小さな少女の姿もある。アシュレーたち三人は両者の間の壁際に控えて話を聞いている。
 ティムが誘拐された──。
 トニーたちからそのことを聞いたアシュレーは、すぐさまアーヴィングに報せ、自分たちで捜査を行いたいと申し出た。それはトニーの希望であり、またアシュレーとしても望むところだった。
 私的な理由だけに却下されることも覚悟したが、意外にも指揮官は即座にメリアブールと連絡を取り、ARMSで事件の捜査を行うことを取りつけてきた。彼が何を考えてアシュレーたちの要望を受け容れたのかは定かではないが──いずれにせよ、これで正式にティムの救出が新たな任務となった。
 今はこうして作戦本部に集まり、事件の目撃者である二人から事情を聞いている。シスターはともかく少女の方は不慣れな場所にひどく戸惑っているらしく、シスターの腕にしがみついたまま不安そうに周囲を見回している。
 この子が──ケーシィ。ティムに例の手紙を託したという少女だ。
 アシュレーの視線に気づくと、ケーシィは怯えたように顔を強張らせて俯いた。
「ケーシィ君に再度確認しますが、ティム君とは昼頃、孤児院の近くの丘で一緒だったんだね」
 銀髪の貴族の問いかけに、内気そうな少女はこくりと首を縦に振る。
 恐らくティムは手紙の件をケーシィに報告していたのだろう。彼女が送った手紙は父親には届いていなかったらしい。大量発生して街道を塞いでいたあの食人植物どもによって流通が滞り、郵便も先月から未達になっていたということを、失踪事件を解決した後に住民たちから聞いた。
 ケーシィの父親にも直接会って話をした。元気でいるから安心しなさい、と言伝を頼まれ、帰還後にティムにも伝えておいたので、一緒にいたのはそのことを話すためだったと思われる。
「そこへ三人組の男がやって来て、ティム君だけを捕らえ、薬のようなものを嗅がせて連れ去っていった。……間違いないですね、シスター」
 今度は黒いヴェールを被ったシスターが頷く。彼女は昼食の時間を告げるため二人を呼びに行って、事件を目撃したらしい。
「三人組が立ち去ったのはどちらの方角ですか?」
「街とは反対の……西の方でしたわ。街道からも大きく外れておりました」
「そうですか……」
 アーヴィングは右手で顎を摩る。深く思案するときに決まってこの仕草をするということに、アシュレーは最近気がついた。
「ケーシィ君ではなく、敢えてティム君だけを攫ったということは、やはりそこに何らかの意図があったと考えるべきか」
「ティムだけを狙ったって……まさか、そのヒトたち……うわ」
 アシュレーの横で、リルカが口を押さえて顔を赤くする。その反応だけで何を想像しているかは察しがついた。
「……まぁ、確かにあの外見なら、そういう目的で狙われてもおかしくはないけど」
 アーヴィングが何も応じないところを見ると、彼女の胡乱な想像は的外れだったようだ。
「三人組の特徴は? いずれも大柄の男だと仰っていましたが」
 指揮官は再びシスターに尋ねる。
「ええ。ですが、盗賊や渡り鳥の方々には見えませんでした。布の帽子を被って、素朴な感じの上着を着て……何と言いますか、山の樵みたいな……」
「ティム君の母親と似たような出で立ちだったのでは?」
 貴族の指摘に、シスターがああ、と目を丸くする。
「そうですわ。確かにサブリナさんと同じような服でした」
 サブリナ──ティムの母親の名か。確かティムが物心つく前に亡くなったのだったか。
 その母親と服が似ているということは──。
「バスカーの民の仕業か」
 ブラッドが言う。
「バスカー……それはティムの出身とかいう?」
 西方の森の隠れ里に住むというバスカーの民。詳しくは知らないが、ガーディアンを信奉し、自然と共に生きている人々らしい。
「そうだな。その可能性が高そうだ」
 アーヴィングも肯定した。
「少なくとも今回はオデッサとは無関係だろう」
「え、ち、ちょっと待って」
 人差し指をこめかみに突き立てながら、リルカが話を整理する。
「ティムのお母さんって、ずっと昔にティムを連れて、そのバスカーから逃げてきたんだよね。だったら誘拐したのは、村に連れ戻すためってコト? それってつまり……お家騒動みたいな話なのかな?」
 妙な喩えだったが、言わんとすることは理解できた。
「家族や里の問題から起きた事件ということか。それなら……思ったほど深刻な話じゃないのかな」
 ここのところ立て続けに起きた物騒な出来事に比べれば、急を要するような事件ではないのかもしれない。
 そう思って安堵しかけたアシュレーだったが。
「そうとも……言い切れないかもしれないな」
 顎に手を当てたまま、アーヴィングが呟いた。
「どういうことだ?」
 尋ねると、貴族は険悪な面相をして答える。
「バスカーというのは、君たちが思うような単なる田舎の集落ではないのだよ。非常に特殊で、ファルガイアの中でも重要な意味を持つ地域だ。場合によっては……少々厄介なことになるかもしれない」
 その言葉を聞いて──アシュレーは思い出した。
 あれは初任務の前の昼食の席だったか。あのときも、この男はしきりにティムの出自について気にかけていた。バスカーについては研究していたことがあった、とも発言していた。
「アーヴィング、貴方は……」
 ──何か知っているのか。
「確証がないからね。今のところは何とも言えない」
 こちらが追及する前に、アーヴィングはそう言って躱した。
「ただ、アシュレー君の言う通り、緊急的な事態でないことは確かだろう。バスカーは狭い集落で、そこに暮らす人々は全員が家族のようなものだ。離れていたとは言えティム君も同じ家族。危害を加えるような真似はしないだろう」
「え、それじゃ、このまま何もしないで放っておくんですか?」
 リルカが聞くと、指揮官はひとつ嘆息する。
「家族の問題というのはね、難しいのだよリルカ君」
「難しい?」
 首を傾げる彼女に、アーヴィングは少し意地の悪そうな笑みを浮かべて。
「君だって、身内の話に部外者が踏み込んでくるのは嫌だろう?」
「え……あ」
 少女は急に萎れて、下を向く。
「家族というのは閉じられた箱だ。外部と接しながらも内部には独自の世界が形成され、内部でしか通用しない独自の規則ルールが作られる。そして内部の規則は、箱の中に限っては外部の規則よりも優先される。たとえ外から見れば奇異としか映らないような規則であっても、閉じられた世界──家族間では当然のことで、絶対的なものであるのだ」
 家族の問題とは、多くの場合そうした奇異な規則が根底にある──と貴族は続ける。
「第三者が家族の問題を解こうとするならば、必ずその規則に触れなければならない。だが箱の外の人間には、その規則は理解できない。理解できなければ解決など望むべくもない」
「じゃあ、家族の問題は家族以外には解決できないってことか?」
 アシュレーの言葉に、そうだねと彼は応じる。
「できることがあるとすれば、規則自体を無効化することだけだ。その規則がいかに外部と乖離して奇妙なものであるかを説いて、家族から規則を引き剥がす。ただし、その場合は……家族そのものが壊れてしまうがね」
「え……」
 リルカが顔を上げる。
「規則というのは家族を縛る鎖であると同時に、家族を結びつける鎖でもある。それを断ち切ってしまえば、後はもう……バラバラになるだけだ。つまり、外部から家族の問題を解決しようとするなら──家族を壊すしかないのだよ。果たしてそれが本当の解決と言えるかどうかは」
 難しいところだね──と、貴族は締めた。
 後味の悪い沈黙だけが残った。
 今まで率先して話を回していたリルカも、すっかり消沈して黙っている。自分にも思うところがあったのだろう。
 アシュレーは考える。
 ティムの母親と故郷の人々の間に、何らかのトラブルが生じていたことは間違いないだろう。幼い子供と二人きりの逃避行だ。魔物に何度も襲われて、街に辿り着いたときは息も絶え絶えだったと聞く。よほどの事情がなければそんな危険は犯さない。
 だが、それは全て箱の中の──閉じられた集落せかいでの話だ。下手に外の人間が首を突っ込めば──。
 壊れるか。
「僕らができることは……ないのかな」
 アシュレーが呟いた、そのとき。
「そんなわけあるかッ!」
 扉が開いた。
 小柄な少年が、顔を真っ赤にして立っていた。
「トニー?」
 後ろにはスコットの姿もあった。少し困ったようにこちらを見て、首を竦める。
「客室で待っていろと言っただろ」
「こんなときに待ってられるかよッ」
 トニーは鼻息荒く部屋に踏み入り、シスターたちを押し退けて机の前に立つ。
 ARMS指揮官を睨むその目は……本気で怒っていた。
「友達が攫われたんだぞ。だからこうして助けてくれって頼んでんじゃないかッ。なのに動けないってどういうことだよ!」
「トニー、だけど」
「話ならずっと聞いてたよッ」
 アシュレーが口を挟む間もなく、捲し立てる。
「家族だの規則だのってワケわかんねぇ小理屈垂れてたけどな、そんなの知ったこっちゃねぇよ。糞食らえだ。あのな、向こうが家族だってんなら」
 こっちだって家族なんだよッ──と、少年は机を叩いた。
「チビの頃からずっと一緒に飯食って、一緒に遊んで、一緒に馬鹿やってきたんだ。血の繋がりはねぇけどな、ティムは俺たちの家族だッ。だから、頼むから、助けてくれよ……」
 最後は机に両手を突いて、項垂れた。
 ──そうか。
 ティムの母親は、確かに里の人間だったのかもしれない。けれど、ティム自身は。
 既にトニーたちかれらの家族なんだ──。
「アーヴィング」
 無言で振り向くアーヴィングに、アシュレーは言った。
「ティムを助けに行こう」
「いいのだね」
 念を押す指揮官に、深々と頷く。
「これは箱の中の問題じゃない。外の人間がトニーたちの家族を奪った……歴とした誘拐事件だ」
 トニーが頭を上げてこちらを見る。リルカも、うん、そうだよねと何度も首を振る。
「どんな事情があったにしても、無理やり連れ去るのはダメだよ。まずは取り返さなきゃ」
 たまにはカッコいいじゃん、とリルカが後ろからトニーを冷やかした。少年は気恥ずかしそうにそっぽを向いて鼻を掻く。
「少年ARMSのリーダーは、頼もしいな」
 アシュレーが目を細めて呟くと。
「わたくしの結論といたしましては、同感です」
 いつの間にか横に立っていたスコットが、しみじみと返した。自分は最後まで傍観に徹していたようだが。
「では、改めて犯人の足取りを検証するとしよう」
 アーヴィングが仕切り直す。
「ティム君を誘拐した彼らは、速やかにバスカーの里に帰還するものと考えられる。タウンメリアから西に逃げたということは……海岸から船で内海に出て、今頃は西方の沖合か。海路ならば、里があるとされるシルヴァラント北部へは翌日中に着く」
 言いながら、指揮官は壁に貼られた世界地図を指で辿る。
「翌日? 見た感じじゃ結構距離がありそうだけど」
「内海は外界に比べ気候も安定していて、風雨による影響も少ない。動力のない小船でも潮の流れに乗ればかなりの距離を移動できるだろう」
 アシュレーの疑問にはブラッドが答えた。
「すぐ追っかけようよ。こっちには飛空機械があるんだから、あっという間に追いつけるでしょ」
 元気を取り戻したリルカが机に身を乗り出してそう提案したが、アーヴィングは険のある表情のまま、それがね、と返す。
「実は現在、ヴァレリアシャトーは整備中で飛行できない」
「え……ああ、そういやエネルギーが切れたって言ってたっけ」
 一度に充填するエネルギーの量によって飛行可能時間は左右されるらしい。長時間飛行するならば、充填にもそれなりの時間を要するのかもしれない。
「それもあるが、先の魔物の襲撃によってブリッジにも多少の被害が出たからね。機器の総点検と窓の張り替えで……使用可能になるのは三日後か」
「そんなにかかんのかよッ」
 トニーが声を上げた。
「地上から行くことはできないのか? 犯人と同じように船を使って」
「バスカーの里は正確な位置が知られていない。シルヴァラント北部の森のどこかということは判っているが、道を知らない人間があの広大な森に入っても迷うだけだ。まずは空から集落の位置を確認しなければ」
「けっきょくシャトーで行くしかないってことかぁ」
 リルカが嘆息混じりに言う。その横でトニーが再び机を叩いた。
「なんとかなんねぇのかよッ。三日も待ってられないって」
「こればかりはどうしようもないね。ただ……シャトーの整備士は目下のところ人手不足だ。もう少し人員がいれば二日くらいには短縮できるかもしれないが」
 含みを持たせた言い回しと視線に、トニーは一瞬押し黙り、それから爆発した。
「わかったよ、手伝えばいいんだろッ。行くぞスコット!」
「え、わ、わたくしもですか? わたくしはその、頭脳労働担当で」
「だったら頭で釘でも打ってろッ」
「そ、そういう意味では……そんなぁ……」
 喚き合いながら、少年二人は部屋を出ていった。
「……またそうやって、子供をそそのかす……」
「何のことかな」
 素知らぬ風に髪をかき上げる美形の貴族に、アシュレーは鼻白んだ。
「けど、本当に大丈夫なんだろうな。僕らが行くまでの間、ティムに危険なことがあったりしたら……」
 いくら同族の結びつきが強い集落とはいえ、強引に攫ってまで連れ戻すような連中だ。何かの拍子に……ということはないだろうか。
「私の見立てが正しければ、大丈夫だよ。むしろ丁重に扱ってくれているだろう。ただ……」
「ただ?」
 聞き返すと、アーヴィングは僅かに眉を顰めた。
「──いや」
 こちらの視線を避けるように背を向けて、彼は呟いた。
「結局は、彼の能力ちから次第──かな」
 コレット・メイプルリーフはその日、生まれて初めて里の者以外の人間を見た。
 
 聞いた話では、そのひとも里の出身ではあるらしい。けれども、ずっと里の外で暮らしてきたのであれば、それはやっぱり、よそものだ。
 わたしの知らない、外の世界を見てきたひと。
 それは思っていたよりも、ずっと普通で……ひ弱に見えた。
 見知らぬ地に突然連れて来られたせいもあったのかもしれない。そのひとにとっては、この里が外の世界なのだ。不安で、怖ろしくて、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
 トウモロコシ畑の陰から、コレットはそっと様子を眺める。
 自分と同じくらいの歳の少女……いや、少年か。腕も脚も細く、子鹿のように華奢だ。収穫前の麦の色をした髪を垂らして俯いたまま、長の世話役の男に従って歩いている。
 長の屋敷に行くのだろうか。
 もっとよく見ようと、コレットは畑から一歩離れた。
 少年が気づいて、顔を上げる。
 目が──合った。
 しまった、と思う間もなく、少女の中で思考が暴走する。
 何やってるの気づかれちゃったじゃないのわたしのバカああもうこっち見てるよどうすればいいの挨拶した方がいいのかなでもいきなりそんなことして馴れ馴れしいと思われないかなほら早くしないとあの子不思議な顔してるじゃないそれにしてもキレイな子だな肌もわたしより白いしホントに男の子なのかなってそんなこといいから早く挨拶しないと──
 棒立ちになったまま躊躇しているうちに、少年は再び下を向いて歩いていってしまった。
 ……ああ、また。
 急速に思考が萎み、それからいつものように後悔がやってくる。
 どうしていつも、こうなんだろう。
 コレットは肩を落とし、その場に屈み込む。
 きっと変な子だと思われてしまった。次に会ったとき、どんな顔をしたらいいのだろう。
 ──それにしても。
 膝を抱えたまま顔を上げ、少年が入っていった長の屋敷を見つめる。
 きれいな……だったな。
 線の細い、いかにも頼りなさそうな少年だけど、その瞳だけは力強い輝きで充ちていた。まるで磨かれる前の宝石が見せる一筋の煌めきのような──。
「あの……ひと、が……」
 わたしと、同じ。
 胸が高鳴る。
 どうして。
 どうしてだろう。
 どうしてこんなに、ドキドキするの。
 
 コレット・メイプルリーフは、トウモロコシ畑の傍で蹲りながら、その理由をずっと考えていた。
「お前がティムか。よう帰ってきた。よう帰った」
 里長だと自らを紹介したその老人は、皺の奥に窪んだ目を細めて、そう言った。
 ティムは丸太を伐り出しただけの腰掛けに座らされ、老人と向き合っている。背後には彼を連れてきた三人の男が控える。
「どれ、よう顔を見せておくれ。おお……話には聞いておったが、ほんにサブリナの生き写しのようじゃ。何と、まあ……」
 机越しにまじまじと見つめられて、少年は目を逸らす。
 見知らぬ場所の、見知らぬ人からの視線。
 ──怖い。
「長様、彼は疲れております。簡潔に説明を」
 帽子を被っていない男がくぐもった声で窘めた。船に乗っている間、ティムの世話をしてくれた男だ。
「おお、そうじゃな。長旅であったろうからの」
 老人は土器かわらけに入った水を一口啜ってから、再びこちらを見据えた。ティムの前にも同じような器が置かれてある。
「我らはバスカー。世界を創りし守護獣様を奉り、その恩恵に与りながら生きる民である」
 里長が言う。
「そして、ここはお前の母……サブリナの故郷じゃ。その話は既に聞いておるかの」
「……はい」
 海の上で、男から聞いた話。それはティムの母親であるサブリナの物語だった。
 彼女は、里の中でも特別な存在だったという。
 幼い頃から守護獣の声なき声を聴き、託宣をし、時には自然そのものを操り、奇蹟めいたことも起こした。バスカーでは、そうした能力を宿した子がごく稀に生まれるという。
 だが一方で、特別な子の誕生は、里では凶兆であるとされていた。
 世界に異変が生じなんとするとき、その歪みを正すために守護獣が特別な子──巫子を遣わすのだと、バスカーでは信じられていた。そうした存在を彼らは『柱』と呼び、来たるべき日のために大事に育てる習わしとなっていた。
 例に漏れず、彼女もそうした『柱』として育てられた。自らの意思など顧みられることもなく、ただ宿命のためだけに、彼女は里の中で過ごしてきた。
 そんな彼女が、ある日──恋に落ちた。
 森に迷い込み、里の近くで倒れていた渡り鳥の青年を彼女が助けたのだ。そして手篤く介抱し看病するうちに……二人はいつしか恋仲となってしまった。
 厳格な掟のもとで生きるバスカーにとって、外部の者と通じるのは言うまでもなく禁忌だった。ましてや彼女は里にとって大事な『柱』である。里長は激怒し、ただちに渡り鳥の青年を里から追放した。抵抗する青年に留まれば命の保証はないと一方的に告げ、里の者を挙げて追い出したのだ。
 やむなく青年は村を去り、彼女は村に残った。余所者によって乱された里の平穏も、これで保たれたかに思われた。
 だが青年は、里にとって大きな火種を残していった。
 青年が去ったその日を境に、彼女は『柱』としての能力を失ってしまったのだ。守護獣の声を聴き取ることも、奇蹟を起こすこともできなくなった。
 原因は、すぐに判明した。
 彼女は──子を宿していた。
 里の者は皆、頭を抱えた。
 間違いなくその子の父親は、あの渡り鳥だろう。余所者の血の混じった禁忌の子ではあるが、バスカーにとって子は守護獣からの授かりものである。堕ろすという選択肢はあり得なかった。
 しかも、子を宿したそのときから能力が失われたということは、『柱』の能力が彼女から子に受け継がれたということを意味する。『柱』を絶やさぬためにも──産ませない訳にはいかなかった。
 望まれし子であり。望まれぬ子であり。
 そうした二律背反を抱えながら、子は彼女の腹で育ち。
 この里で──生を受けた。
「儂が……産湯を使わせたのだ」
 眩しいようにティムを眺めながら、里長は言った。
「サブリナが里を出てから十年余り。お前のことを思わぬ日はなかった。ほんに、よう帰ってきてくれた……」
 感慨深げな視線に、ティムは下を向いて唇を噛む。
 帰ってきた、と言われても。
 こんなところ──ボクは知らない。
 自分の帰る場所は、ここじゃない。無理やり連れてこられて、ここが故郷だなんて言われても……。
 言い返したかったが、言葉には出なかった。怖かったし、そもそも他人に反論する勇気など彼は持ち合わせていなかった。
 だから、別のことを尋ねた。
「お母さんは、どうしてここを……出ていったんですか」
 里長は一瞬目を見開き、それからまた窄めた。
「あの娘は、自分の子に『柱』を継がせることを拒んだのだ」
 老人は語る。嗄れてなお声色には威厳を感じた。
「『柱』である者には、大いなる宿命が課せられる。サブリナはそれを我が子に課すことを認めなかった。里の掟で決められたことだというのに、あの娘は頑なに拒みおって……」
 ──宿命?
「しかも、夢見の婆が世界の異変を予知したのだ。新たな『柱』を仕立て上げねば、程なく世界は災禍に覆い尽くされてしまう。だのに、それでもあの娘は決して子を手放すことなく……挙げ句に里を出奔した」
 掟を破った、と背後の男が言った。
 宿命を放棄した、と別の男も言った。
 自分が責められているような気がして、ティムは身を竦める。
「まあ、今更サブリナのことを咎め立てする気はない。あの娘も今は大地に還り世界の礎となった。これもまた……宿命であったのかもしれぬな」
 そう言って、老人は再び土器の水を飲む。
 水が喉を通る音を聞きながら、ティムは母のことを考える。
 どうして彼女は、子供が『柱』になることをそこまで拒んだのだろう。
 かつては自身が『柱』であったという。それなのに子供に継がせたくないというのは──。
『柱』とは、いったい──。
「あの……」
 小声で尋ねようとしたが、背後の扉が開く音でかき消された。
「おお、来たか。こちらに来なさい」
 入ってきたのは少女だった。屋敷に入る前に、ティムを興味深そうに見つめていた子だ。
 里長が隣に立たせて挨拶を促すと、少女は両耳の脇の三つ編みを揺らして俯きながら、消え入りそうな声でコレットです、と名乗った。
 自分と似ている、とティムは思った。歳も背丈も同じくらいだろう。何より、相手に見られるのを恐がるような仕草がまるで鏡の中の自分のようで。
 少しだけ、親近感が湧いた。
「この娘も、お前と同じ『柱』の資質を有する子だ」
「……え?」
 この子も──『柱』?
「前例のないことであるが、恐らく『柱』の不在によって守護獣様が新たに遣わしてくださったのだろう。だが、やはり急拵えであった所為か、サブリナやお前程の能力は持っておらぬ」
 里長が説明する間、コレットは一度も顔を上げなかった。
「それでも『柱』としての知識と作法は学んでおる。この度の試練における案内役としても適任であろう」
「試練……?」
 その言葉に、不穏なものを感じた。
 里長はティムを見据えて言う。
「『柱』となり、守護獣様の力──『世界力』を行使するには、この地にある祭壇で試練を受けねばならぬ。守護獣様の加護が残りしこの地で洗礼を受けることにより、お前は真に世界の『柱』となれるであろう」
 世界の柱となれるだろう──。
 どこかで同じ言葉を聞いた気がしたが、思い出せなかった。
「早ければ明日にでも試練を受けてもらうが……どうじゃ? 受けてくれるか?」
 老人の期待を込めた問いかけに、ティムは目を背ける。
「よく……わかりません」
 場に慣れて、ようやく少しずつ言葉が出てきた。
「いきなり連れてこられて、試練とか言われても……ボクは今までずっと街で普通に暮らしてきただけなのに、そんなこと……」
『柱』とは。
『柱』とは何なのか。
 肝心なことはどうしても聞けなかった。聞いてはいけないような気がしてしまう。
「難しく考えることはない。これは宿命なのだ」
 里長は言う。
「世界を支え、歪みを正す。お前はそうした宿命を負って生を受けたのだ。守護獣様の導きのまま、ただ従えばよい」
 世界を正す宿命を負った者。
 それは、つまり──。
「……ボクが、剣の聖女みたいな英雄になれるということですか?」
 こんな、ひとつも取り柄のない自分が。
 ……英雄に?
「剣の聖女か」
 老人は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「あれも所詮はただの人間に過ぎぬが……まあ、そのようなものかもしれぬな」
 その返答は、少なからずティムに高揚をもたらした。
 ボクが英雄になれる。世界を救う力を持てる。
 だけど──。
 やっぱり……怖い。
「あの……試練って、その、危ないこととかないんですか」
 ティムが尋ねると、里長は少し考えてから答えた。
「試練の場では守護獣様が資質を持つ者をお試しになるというが、委細は本人にしか知り得ぬ。だが……中には心を食い破られた者もいるそうだ」
「え?」
 ティムはにわかに動揺する。
「守護獣様がお試しになるのは人の心である。それゆえ生半な気持ちで試練に臨めば、心の隙を突かれて食い尽くされ──心を喪う」
 心を喪えば、人は。
 ──死ぬ。
 ああ、やっぱり。
 怖い。
「お前はサブリナの子だ。資質に関しては申し分ない。後は『柱』となる意思さえあれば問題なかろう」
 激しい不安に襲われている少年に、里長は言葉を投げる。
「疲れておるだろうから、今日は休むがよい。一晩よく考えて、自らの意思で決めるのだ。お前が決断すれば」
 総てが、救われる。
 その言葉を聞いても、もう高揚はしなかった。
 ただ、ひたすら、死ぬかもしれないということで頭がいっぱいで。
 ──怖かった。
 コレット・メイプルリーフは、一晩中ずっと考えていた。
 初めて出会った里の外の人間……ティムという名の少年のことを。
 自分が彼の試練の案内役を任されたことを。
 そして──。
 一晩経ってもまだ治まらない、この胸の高鳴りの理由を。
「ここが、試練場?」
 ティムが尋ねる。コレットは例によってたっぷり余計なことを考えた後、はいと返事した。
 二人の目の前には、巨岩を組んで造られた建物が朝靄の中で鎮座している。
 村の外れにある試練場──『柱』の資質を試すための祭壇だと、バスカーの間では伝わっている。
「祭壇へは、資質を持っている人だけが入れる……そうです」
「え?」
 ティムは建物に続く石段の先を見て、首を傾げる。
「あそこから誰でも入れそうな感じたけど……」
「普通の人には入口が見えないそうです。わたしたちが見ているあの入口は、他の人にはただの岩にしか見えなくて、通れないと……聞いてます」
 そう説明したコレットにも、岩に穿たれた入口はぼんやりとしか見えていない。
 少年は不思議そうに岩の中心を眺めている。
 ──はっきり、見えているのか。
 やっぱりこのひとが、本物の──『柱』なんだ。
 羨望も悔しさも少しはあったけれど、それ以上に。
 後ろめたい。
 コレットは唇を噛んで俯く。
 昨晩、彼女は『柱』の意味と役割を一通りティムに説明した。少年はそれを聞いた上で、試練を受けることを一応は承諾したのだった。
 ……だけど。
 彼女は一番大事なことを話していなかった。
 話せばたぶん拒否される。そう思ったから、敢えて触れなかったのだ。
 嘘を吐いたわけではない。けれど、それでも騙しているような気がして、彼女は今もずっと少年に対して後ろ暗い思いを抱えていた。
 だから──。
 コレットは、まだ顔が強張っているティムに声をかける。
「一緒に……行きますか?」
「え?」
 ティムが振り向く。緊張のせいか顔は蒼白で、人形のようだった。
「わたしも入口は見えてるから、中に入ることはできます。試練を受けるのは無理だけど……」
 密かに抱える罪悪感を取り繕うために、彼女は試練に付き添うことを申し出た。
 それに、迷いは心の隙に繋がるという。気の利いたことは何もできないけれども、少なくともひとりで行くよりは気持ちも落ち着くだろう。
 ……そう。ひとりぼっちよりは。
 コレットはまだ不安げな彼の手を取って、そっと握りしめた。
「え、あの……」
「ご、ごめんなさ……」
 慌てて手を引っ込める。少年の頬に赤みが差した。自分の顔もにわかに火照り出す。
 ──どどどうしよう手を握っちゃったなんでこんなコトしたんだろわたし手のひらベトついてなかったかな気持ち悪いって思われちゃったかもってよく考えたら男の子と手を繋ぐのってシチュエーション的には恋人みたいに思われちゃうのかなそんなつもりじゃなくてただ励ましたかっただけで別に意識してるとかそういうコトじゃないし──
 誰にするでもない言い訳を脳内で展開していると、今度はティムの方から手を握ってきた。
 思考が一気に吹き飛んで、心臓が跳ねる。
「行こう……か」
 そう言う彼の顔をそっと覗くと。
 ほのかに、笑っていた。
 初めて見た少年の笑顔に──。
「うん……」
 少女は照れながらも、頷いた。
 
 コレット・メイプルリーフは、何となく、胸の高鳴りの理由に気づきつつあった。
 資質を持つ者だけに見えるという入口を潜って、ティムは試練場へと足を踏み入れた。
 隣ではコレットが同じように緊張している。繋いだ手を通して互いに互いを励ますようにしながら、二人は狭い通廊を奥へと進んでいく。
 突き当たりには部屋があった。飾り気のない、薄暗い石室。明かり取りの小窓から流れ込む靄が冷気となって首筋を撫でる。
「祭壇には……見えないね」
「うん……」
 何かを祀っている形跡も見当たらない。唯一、正面の岩壁に模様の刻まれた小さなレリーフがいくつも填め込まれてあるのが目についた。
 ──いや。
 ティムは壁に近づいて、レリーフを刮目する。
「これって……」
 見憶えがあった。模様は違うが、これは──。
「ミーディアム……?」
 守護獣を象った模様が刻まれた石版。母親の形見としてティムに受け継がれた、あのお守りと同じものが……岩壁にずらりと並んでいた。
 石版の数は七つ。やはり守護獣の特徴を模した絵柄がそれぞれ刻印されてある。
 
 風の守護獣──白虎フェンガロン。
 雷の守護獣──獅子ヌァ・シャックス。
 雪の守護獣──巨人アルスレート。
 光の守護獣──甲虫ステア・ロウ。
 闇の守護獣──魔人レイテア・ソーク。
 死の守護獣──妖魔ギィ・ラムトス。
 星の守護獣──星人リグドブライト。
 
 石版は横一列に並んでいたが、所々に石版の大きさと同じ空白があった。
 そのことに気づいたティムは、ズボンのポケットの中から生命の守護獣──オードリュークのミーディアムを取り出す。他のミーディアムはアシュレーたちに渡してしまったが、これだけは自分用に残してあった。
 手にした石版を、徐に空白の部分に当て嵌めてみる。
 ぴったり、一致した。
 ……やっぱり。
 このミーディアムは、ここから──。
「キミのお母さんが、持ち去ったのダ」
 背後から声がした。
 振り返ると、先程まで二人が立っていたあたりに──何かがいる。
 小さな子猫のような毛むくじゃらの、何か。
「『柱』の資質を持った人間なら、ミーディアムからガーディアンの能力ちからを引き出して使用することが可能なのダ。魔物に襲われたときのために、お母さんはここから持っていったのダ」
 声は明らかにその生物から出ていたが、口許は綿のような髭に埋もれて見えない。そもそも口があるのかも定かではなかった。
「君は……だれ?」
 ティムが尋ねる。
 つぶらな瞳、頭の上にピンと立った耳。短い手足に、ふさふさした毛玉のついた尻尾。子猫とも子犬ともつかない、不思議な生き物。
 そもそも、言葉を話している。動物では──ない。
「知っているのダ」
 それは、ふわりと宙に浮き上がりながら、言った。
「キミは既に答えを知っているのダ。キミのココロに足りないモノ。キミのココロが求めていたモノ。それが、答えなのダ」
 謎かけのような言い回しに、ティムは当惑したが。
「……あ」
 何かが、頭の中で。
 いや、ココロの中で。
 さっきの石版みたいに、ぴったりと──嵌まり込んだ。
 そうだ。ボクはずっと。
 君を求めていたんだった。
 君は。君の、名前は。
「プーカ……!」
 その名を口にした瞬間、それは光り輝き。
 光に溶け込むようにして姿を消して。
 次の瞬間には──ティムの肩にちょこんと座っていた。
 コレットが軽く悲鳴を上げて、少年から離れた。
「どうしたの?」
「ティムくん、そ、それ……なに?」
 少女は肩に乗っている生物を見て、目を丸くしている。
「プーカなのダ」
 それが返事をすると、コレットはさらに驚いて。
「しゃべれる……の?」
「え?」
 先程から、ずっと喋っていたはずだが。
 そういえば、最初にこの生物を見つけたとき、コレットはほとんど無反応だった。むしろ話しかけるティムの方を不思議そうに見つめていたような気がする。
 ──もしかして。
 今まで見えていなかった?
「プーカは今、プーカとしてここに生まれたのダ」
 肩から降りて、二人の間でふわふわ浮かびながら、プーカは言った。
「プーカはプーカという名前がついたことで、この世界に認識されるようになったのダ」
 意味がわからなかった。
 けれど、なぜか納得もしていた。
 言葉ではなく──実感として。
「きみは、ずっと……ボクの中にいたんだね」
 そして、ずっとボクの中からいなかった。
 ティムが言うと、プーカは、そうなのダ、その通りなのダと喜んだ。
「プーカは意識レベルが極めて低い特殊な亜精霊なのダ。だから、誰かの意識に『寄生』することで存在を保つことができるのダ」
「寄生……?」
 コレットはまだ困惑している。プーカは短い腕(前肢?)を器用に組んで、首を傾げる。
「言葉で言うのは難しいのダ。つまり、ティムとプーカは一心同体なのダ」
 少し違うような気もしたが、ティムは頷いてみせた。
「でも、どうしてプーカはボクの中にいたの?」
「決まってるのダ。キミが『柱』だからなのダ」
 亜精霊は守護獣の石版が並ぶ岩壁の前で、言った。
「『柱』となる人間は、ガーディアンの力を行使できなければならないのダ。そのための手伝いをするのが、プーカなのダ」
「手伝い?」
 ティムが聞き返すと、プーカは再び考えるような仕種をして。
「説明よりもやってみる方が早いのダ」
 そう言うと岩壁を振り返り、先程ティムが嵌め込んだオードリュークのミーディアムを外した。
「ミーディアムは、ガーディアンの生体情報が記された記録媒体なのダ。プーカはここから情報データを読み取って、一時的にガーディアンに変身することができるのダ」
「ガーディアンに、変身?」
 驚くティムに、プーカはミーディアムを押しつける。
「まずはティムの能力ちからでミーディアムを覚醒ブートさせるのダ」
「え、そ、そんなこと、どうすれば……」
「頭で考えてはダメなのダ。キミは既にやり方を知っているのダ。ココロの中にある『それ』の通りにやればいいのダ」
 亜精霊の言葉に、ティムは石版を抱えたまま戸惑う。苦し紛れにコレットを見たりもしたが、もちろん彼女が助けてくれるわけもなく。
 結局、何も思いつかずに手許の石版に目を落とした。
 すると。
 どことなく──違和感があった。
 ほんの微かだけれども……ミーディアムが、震えている。
 堅い石版のはずが、まるで水のように表面が波立っている。
 その様子をじっと眺めているうちに、意識が引き込まれていき。
 気がつくと、自分でも知らない言葉を発していた。
「────」
 それは人間の聴覚には、およそ言葉とは感じられない音だった。
 空気の振動としか表せないような声に、石版が激しく反応する。守護獣の刻印が光を放ち、頭上に弾け飛んだ。
「それでいいのダ」
 プーカはそう言うと、自らも飛び上がって浮遊する石版を受け止める。両者が接触した瞬間、中心から光が迸り──。
 毛むくじゃらの亜精霊は、一本角を生やした子馬へと──姿を変えていた。
「……オードリューク……」
 幼い頃より話に聞いて想像していた、その通りの守護獣が、そこにいた。
 ただし、思ったよりも──ずっと小さい。
〈仕方ないのダ。まだ覚醒率が低いのダ〉
 頭の中に直接、プーカの声が響いてきた。
〈覚醒率は『柱』の能力に比例するのダ。キミの能力が向上すればガーディアンも大きくなって、もっと強大な力を行使できるようになるのダ〉
「強大な、力……」
 ボクが。
 臆病で、弱虫で、ひとりじゃ何ひとつできない自分が、世界を支えるガーディアンの力を──。
 胸が熱くなる。
 不安も緊張も吹き飛んで、大きな高揚感が少年を包み込んだ。
 ──が。
「あ、れ……?」
 視界がぐるぐる回り出す。立っていられないほどの目眩によろめいて、尻餅をつく。
「ティムくん?」
 コレットの声がするが、どこから聞こえるのかもわからない。地面に手をつこうとしたがそこに地面はなく、ごろりと横たわる。
 ──この感じ、確か……前にも。
 ああ、そうだ。トニーたちと一緒にライブリフレクターまで行ったとき。
 夢中で魔物に立ち向かって、それから……こんなふうに。
「ミーディアムの覚醒は、人体にかなりの負荷がかかるのダ」
 元の姿に戻ったプーカが目の前で言う。その姿もうまく捉えられない。
「『柱』として未熟なうちは、負荷に耐えられずに気絶することがあるかもしれないのダ。特にキミは体が弱いみたいだから、大変なのダ」
 まずは体を鍛えるのダ──という亜精霊の声を最後に、ティムはあえなく気を失った。
 コレット・メイプルリーフは、珍しく何も考えることができなかった。
 
 気絶したティムを背負い、試練場の出口に向かっていたところだった。農作業で力仕事も慣れている少女には、華奢な少年はちっとも重くはなかったけれども。
 寝息が──首筋に。
 小刻みな呼吸を感じるたびに、心臓が早鐘を打つ。頭はすっかりのぼせ上がって、思考もいつものように回らない。
 どうしてだろう。
 どうしてこの子は、わたしの心をこんなにかき乱すのだろう。
 初めて会ったよそものだから?
 わたしと同じくらいの男の子だから?
 わたしの代わりに試練を受けてくれたから?
 どれも合っているように思えて、どれも間違っているようにも思えた。
 ただ──確かなことは。
 目が合ったとき。
 手を握られたとき。
 こうして背負っているとき。
 少年の存在を自分の五感で感じたときに、決まって心が乱れるということ。
 ──やっぱり。
 わたしは、このひとが──。
「コレット」
 名前を呼ばれて、はっとする。
 いつの間にか試練場の外に出ていた。石段の下に、里長と世話役の男が立っている。
 ──ああ。
 頭から血の気が引いていく。現実に引き戻されて、コレットは俯いて唇を噛んだ。
「洗礼は……つつが無く済んだようだな」
 彼女の背中で眠るティムと、その頭上でふわふわ漂っている亜精霊を順繰りに見ると、里長は言った。
「……はい」
 遠くの鳥の囀りよりも小さな声で、コレットは返事をした。世話役の男が無言で歩み寄り、背後から少年を奪い取る。
 背中は軽くなったが、代わりに心が重くなった。
「これでようやく支度が調った。守護獣様のお導きの下、世界はあるべき姿に正される。目出度いことじゃ」
 よくやったコレット、と、初めて彼女は長に褒められた。
 ちっとも嬉しくなかった。
「さて、これから忙しくなる。すぐに準備に取りかからねばなるまい」
 里長は踵を返し、屋敷へと戻っていく。ティムを抱えた世話役が後に従う。
 その姿を見送りながら、コレットは。
 その場に──膝をついた。
 じわじわと後悔が、頭の中を満たしていく。一方で、助かったという安堵も心のどこかで感じていて、そう感じる自分に激しく嫌悪して。
「ごめん、なさい……」
 
 コレット・メイプルリーフは、朝靄の晴れた森の中で、背中を震わせながら謝り続けた。
 薄暗い部屋の中で、ティムは目を覚ました。
 
 硬いベッドから身体を起こし、辺りを見回す。昨晩も過ごした里長の屋敷のようだった。
 窓から見える空には月が出ていた。すっかり日が暮れてしまったようだが……どのくらい眠っていたのだろう。
 掛け布を退けようと下を向くと、枕元に気がついた。
 枕の横で、プーカが体を丸めて眠っている。
 ──夢じゃない。
 あの出来事は、本当にあったことなんだ。自分は守護獣の力を得て。
 世界を守る──。
 知らずと鼓動が早くなる。こんな気分になるのは生まれて初めてだった。
 剣の聖女に憧れたのも、アシュレーに憧れたのも、自分とは程遠い存在だと思ったから。困難に立ち向かう勇気、正義を貫く意志、敵を打ち破る力──どれも自分にはないものだった。
 でも、少なくとも、今の自分には……力がある。
 他の誰も持っていない、唯一にして絶大な力。それを使えば。
 ボクも、英雄に──。
「……ん?」
 声が聞こえた。隣の部屋で誰かが話している。
 寝室の扉は建て付けが悪いらしく、常に半開きになっている。ティムはベッドを降り、その隙間からそっと隣を覗いてみた。
 数人が机を囲んで座っている。里長と……ティムを連れてきた三人の男たち。机上に置かれたランプが壁面に人影を映して、黒いお化けのように揺らめいている。
「ですから、焦りは禁物かと」
 耳を澄ませて、会話を盗み聞く。
「彼はまだ未熟です。力を行使する度に気を失うような状態では、使命は務まりません。守護獣様の力に馴染むまで猶予を与えるべきです」
 ティムに母親の話を伝えた男が言っている。彼はどうやら里長の側近のような立場であるらしい。
「その猶予が、今はないのだ」
 隣の男が反論する。
「夢見の婆の話では、予言で示された日がいつ来てもおかしくないというではないか。すぐにでも支度をして『柱』を捧げるべきだ」
 ──捧げる?
「捧げたところで、今のままでは──仕挫しくじるぞ」
 里長を気にしながら、男が再び発言する。
「守護獣様の力に耐えられねば、ガイアの解放など果たせるはずがない。無為に『柱』を失うだけだ。それこそ……取り返しがつかないだろう」
 ──失う?
 何の話をしているのだろう。
『柱』を捧げるという。『柱』を失うという。『柱』とは何だ。『柱』とは──
 自分の……ことだ。
「ならば、無理をさせればいい」
 男が言う。
「肉体が枷となっているのであれば、枷を外せばいい。それで多少壊れたところで……どうせ死ぬのだ」
 どうせ死ぬ。
 死ぬ。
 しぬ。
 扉の前で、ティムはへなへなと座り込んだ。
「どうしたのダ?」
 耳許で、プーカの声がした。
「ボクは……死ぬの?」
 震える声で、少年は尋ねる。
「当たり前なのダ」
 亜精霊は、平然と答えた。
「『柱』は、ガーディアンたちの『核』となるために生み出された存在なのダ。『核』に肉体は、必要ないのダ」
 守護獣たちの力を結集させるための核。それが──『柱』。
 あの朝の試練場で、自分は守護獣の力を受け容れた。
 そう思っていたけど……本当は。
 ボクの方が、守護獣に取り込まれていた──?
 目の前で、扉が軋んで開け放たれる。
 見上げると、黒いお化けが。
 人影が、いくつもこちらを見下ろしていた。
「あ、ああ、あ……」
 床に尻をつけたまま、後退る。
 怖い。
「お前は『柱』の宿命を受け容れた」
 お化けの声に、首を横に振る。
 怖い。
「お前は既に、人ではない」
 耳を塞いで、何度も首を振る。
 怖い。
「お前は守護獣様への、生け贄である」
 目を瞑って、何度も何度も首を振る。
 怖いこわいこわいこわい。
「これも──守護獣様のお導きだ」
 靴音を立てて、里長が歩み寄る。
「これよりお前は、守護獣様の許に捧げられる。お前の命によって歪みは正され、世界は救われるのだ。そう、剣の聖女のように──」
 剣の聖女のように、英雄と呼ばれ。
 そして──。
「死ぬのダ」
 
 薄暗い部屋の中で、ティムは全てを閉ざして蹲った。