■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Episode 5 未知との遭遇

「起動しろッ!」
 巨大な鉄樽のような電動機が唸りを上げた。合図を発した壮年の男は鉄柵から身を乗り出し、側面の小窓を覗き込んで動作を確認する。
 頭上に渡された通路では、銀髪の貴族がその様子を眺めていた。機関から発生した振動が鉄の床板にも伝わり、かたかたと震えている。
「エベチョチョ、どうだ?」
 男は柵から離れ、壁の制御盤を見張っていた少年に尋ねる。彼らはいずれも栗色の髪をしており、面差おもざしもどことなく似ていた。
「異常ありませんです、父さん。ちゃんと制御できてます」
 エベチョチョと呼ばれた少年が甲高かんだかい声で返す。どうやら親子らしい。
「試運転は上々だな」
 男は満足そうに顎をさすると、貴族の方を向いた。
「どうです、ヴァレリアの旦那」
 銀髪の貴族──アーヴィングは松葉杖をついて制御盤に歩み寄り、少年の背後から計器を眺めている。
「やはり出力が足りていないね」
「へい。ですから後は」
「エネルギー結晶体じゃッ」
 出入口の方から声が響いた。
 振り向くと、磁器人形ビスクドールのような少女が立っていた。ひらひらのドレスを振り乱し、靴音高く歩み寄る。
「え、あ、あんたは」
 男は目を白黒させた。突然の登場に驚いた……というより、見蕩みとれている。
 磁器人形は男を一瞥いちべつしただけで横を通過し、アーヴィングの前に立った。
「まったく、合流するなりあちこちに遣わせおって。ノーブルレッド使いの荒い奴じゃ」
「いかんせん人手不足でしてね。ゆるりと愛を語らう時間もないのは残念ですが」
 貴族が軽口を叩くと、うぬのようなヒョロいのは好みでないわッと少女は真顔で返した。
「手紙の文面では気骨きこつがありそうだったのだがな。それとも──あちらが本性か?」
「さて、何のことやら」
 アーヴィングは口許だけで笑ってうそぶいた。少女は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「まあ良い。言われた通り、取ってきてやったぞ」
 彼女が出入口を振り返る。赤と青の浮遊する球体が、一抱えほどある布袋を下げてこちらに向かってきていた。
「な、なんだ、ありゃ」
 いっそう困惑する男をよそに、二つの球体は布袋を少女の足許に下ろす。よく見ると球体にはそれぞれ目と口がついていた。
 少女は袋の口を開け、中から半透明の岩を取り出した。
「純度の高いものがなかなか見つからなくてな。結局坑道の最奥さいおうまで潜る羽目になってしまったわ」
「それは大変でしたね」
 ねぎらいつつ、アーヴィングも岩を覗き込む。
「見事な結晶だ。これならほぼ加工なしで使用できそうだ」
 わらわが見繕みつくろったのだから当然じゃッ、と少女は言いながら岩を再び袋に仕舞う。
「して、もう一方は? 言っておくがわらわは嫌じゃぞ、あんな無粋な場所に行くのは」
「そちらは彼らに行ってもらいますよ」
 貴族が言うと、少女は眉を吊り上げた。
「アシュレーたちか。もう帰ってきておるのだな」
 ふむ、と思案顔になってから、再び口を開く。
「あの件について、アシュレーに説明は?」
「まだですよ。それについても後で話すことにしている」
「そうか」
 周囲をあぶのように飛び回っていた球体たちをひっ捕まえ、乱暴に腰の鞄に突っ込んでから、少女は言った。
「ならば、わらわが直々じきじきに説明してやろう。その方が早いじゃろう」
 助かります、とアーヴィングは微笑して言う。
「ほれ、そこの栗頭ども」
 突然声をかけられて、親子は同時にビクッと背中を震わせた。
「く、栗頭?」
「栗頭だから栗頭でいいじゃろう。この結晶体をどこかに保管しておけ。それから明日までに結晶体の『器』を作っておくのじゃ。ちゃんとわらわの設計図通りに作るんじゃぞ」
「設計図? あんたの……って、まさか」
 男は目を見開き、それから、ああッと声を上げた。
「もしかして、あんた……いや、あなたがここを設計した……!」
 慌てて声をかけたが、既に少女は貴族を伴って出入口へと歩き出していた。足を止める様子もない。
「待って、いや、お待ちくださいッ。私はここの機関長のガバチョと言いまして、ずっとあなたをお慕い申して……」
 懸命の自己アピールも、彼女の耳に届くことはなかった。

 ──ねぇ、マリナ。
 ──なに?
 ──この前ね、僕は『英雄』と呼ばれたんだ。
 ──英雄……?
 ──ハルメッツの人たちを街まで送ったら、みんなに言われたんだ。あんたたちは英雄だ、ってはやし立てられて。
 ──そう……。
 ──僕自身の力で助けたわけじゃないし、本当の『英雄』にしてみたら足許にも及ばないけれど……それでも悪い気はしなかったな。……いや、嬉しかった。
 ──嬉しい?
 ──憧れていた『英雄』に少しでも近づけたんだ。嬉しくないはずがないよ。
 ──でも、そのぶんアシュレーが傷ついてる。
 ──え?
 ──この前も、今回も、アシュレーはいつも傷だらけで帰ってくる。そんなアシュレーを見てたら、私は嬉しいなんて思えない。
 ──それは……。
 ──英雄って、そんな傷だらけにならなければなれないものなの?
 みんなに頼られて、みんなの代わりに戦って、ボロボロになって……そんなのが『英雄』だっていうの?
 だったら、私はアシュレーに『英雄』になんてなってほしくない。
 ──マリナ……。
 ──我儘わがままだってわかってる。それでも、誰かの代わりにアシュレーが傷つくのは……やっぱり嫌。アシュレーは、アシュレーのままでいてほしかった。
 ──僕の、ままで?
 ──私には、そう見えるの。
 アシュレーが『英雄』に近づくほど、今までの『アシュレー』がどんどん遠ざかってしまってる。
 このままだと、もう……。
 ──マリナ?
 ──ねぇ。

 今のあなたは、ほんとうにアシュレーなの?

「アーシューレーッ!」
 いきなり耳許で叫ばれて、アシュレーは思わず前につんのめった。
「な、なに?」
「なに、じゃないでしょ。ちゃんと話聞いてた?」
 隣ではリルカが、腰に手を当てて膨れっ面をしている。その向こうにはブラッドの姿もあった。
 彼らがいるのは、アーヴィングの執務室。ミーティングのためにここに集まったのだが、まだ部屋の主が到着しておらず待ちぼうけを食っているところだった。
「ああ……ごめん。何だっけ」
 頭を掻きながら言うと、だから、と少女は顔を曇らせて。
「もう身体は平気なの、って話。その様子だと……あんまり平気じゃないみたいだね」
「いや、考え事をしていただけだよ。身体はもう何ともない」
「後遺症のようなものは?」
 ブラッドも聞いてくる。アシュレーはないよ、と簡潔に答えた。
 やはり二人にとっても、ゴルゴダ刑場での出来事は衝撃だったらしい。
 あの日、あの場所で、アシュレーは──。
 別のなにかに変化した。
 剣の大聖堂のときと似ていたが、少し違う。魔物でも人間でもない、異形いぎょうのモノに──アシュレーは姿を変えたのだ。
 そして、その異形の力でモンスターを倒し、直後に力が抜け……気がつけば元の姿に戻っていた。
「一体、あれは……」
 何だったのだろう、と言う前に応じる声があった。
「ナイトブレイザーじゃッ」
 振り向くと、開け放たれた扉の前にお化けの着ぐるみが立っていた。
「え、あなたは」
 見憶えがあった。確かテレパスタワーで──。
「ポンポコ山まで僕たちを送ってくれた……」
「マリアベル・アーミティッジ女史だ」
 彼女の後ろからアーヴィングも現れた。松葉杖をついて自分の机に回り込み、腰を下ろす。
「アーミティッジ女史は、かつてファルガイアの支配種であったノーブルレッドの一族だ。悠久の時を生きる種族ゆえにいにしえの知識に長け、ロストテクノロジーにも精通している。この度はARMSの技術面でのアドバイザーを引き受けてくれることになった」
「ノーブルレッドって、あのおとぎ話に出てくる吸血鬼の?」
 リルカが言うと、着ぐるみ少女──マリアベルは彼らの前に立って地団太を踏む。
「だーれが吸血鬼じゃッ。まったく人間め、面白おかしく話を作りおってからにッ」
「え、じゃあ血は吸わないんですか?」
「吸うには吸うが、主食ではない。言わば我らのたしなみじゃ。人間どももコーヒーやら煙草やらで一服するじゃろうが。あれと同じじゃ」
 人間の血がコーヒーですかッ、とリルカが面食らう。
「そもそも、本当にノーブルレッドなのか? 確か大昔に絶滅したって……」
 アシュレーが言うと、マリアベルはお化けの頭をこちらに向ける。
「なんじゃ、うぬまでわらわを疑うのか」
「い、いや……って、僕まで?」
 意味ありげな言い草に戸惑っていると、仕方ないのう、と彼女は着ぐるみの頭に手をかけた。
「この部屋は陽光が入らぬから大丈夫じゃろう。……よっと」
 お化けの頭を取って、出てきたのは。
 青白い肌をした──人形のような少女だった。
 小さな頭から流れ落ちるは蜜色の巻毛。瞳は紅玉ルビーさながらの紅で、顔の両脇から覗く耳は細く尖り、天に向かって突き出ている。そして。
 閉じた口の端からは、鋭い牙が。
「これで信じたか?」
「え……は、はいッ」
 伝説に聞く吸血種族──確かにその特徴と一致していた。首から下は相変わらず着ぐるみだったので、いささか不格好な状態ではあったが。
「その分厚い被り物は、陽の光を避けるためのものか」
 ブラッドが言う。マリアベルは無論じゃッと叫んだ。
「別に灰になるわけではないが、アレを長時間浴びると具合が悪くなってかなわん。ゆえに昼間はこのような無様な姿を晒さねばならぬのじゃ。まったく憎々しき陽光めッ」
 悪態をつきながら、ノーブルレッドの少女は再びお化けの頭を被る。
「まぁ、わらわの話はこの辺りで良いじゃろう。今日は汝に説明をしに来たのじゃ」
 そう言って着ぐるみの腕を上げ、指さした先は──アシュレー。
「僕ですか?」
「だから最初に言うたであろう。ナイトブレイザーの件じゃ」
 ちっとも要領を得ない。困惑していると、マリアベルは勝手に続ける。
「ゴルゴダで汝は変身したであろう。わらわは直接見たわけではないが、話は聞いておる」
「変身……あれが?」
 何かに変化したとは思っていたが──変身とは。
「まぁ、本当に奇跡的な現象よな。よりによってあの両者が同居し、かつ均衡が取れておるのだからな」
「どういう……ことですか?」
 アシュレーが尋ねると、着ぐるみは愛嬌のある眼でこちらを見据えて。
「全ての始まりは、降魔儀式じゃ」
「降魔……あの『剣の大聖堂』の?」
 息を呑む。今でもあの惨劇はまぶたに焼きついている。
「あのとき汝の中には、期せずして二つの『意志』が宿ったのじゃ」

 ひとつは、ほのおの災厄──魔神ロードブレイザー。
 ひとつは、古の聖剣──アガートラーム。

「降魔儀式によって汝に宿った『災厄』は、汝を蝕み喰い尽くすはずであった。だが、その場には──かつて『災厄』を封じた聖剣があった」

『災厄』の復活を察知した聖剣は永の眠りから醒め──。
 自らも宿主の中に入り、その力を鎮めた。

「それが、あのとき汝に起きたことじゃ。汝の中には今も、世界を滅ぼすモノと世界を救うモノが拮抗した状態で存在しておる」
 自分の中に──魔神と聖剣が?
 あまりに途方もない事実に、アシュレーはただ──唖然とした。
「聖剣は盗まれた訳ではなく、君の内側に──あったのだな」
 アーヴィングが言う。瞳を細めてアシュレーを見ている。
「あの黒ずくめの姿は何だ? その現象と、どう関係する」
 ブラッドが問う。アシュレー自身はまだ現実感を取り戻せていない。
「あれこそが、聖と魔がせめぎ合ったまま同一化を果たした結果じゃ」
 本人を置き去りにしたまま、話は続く。
「二つの『意志』は、真逆の存在でありながらも本質は同じ。言わばコインの表裏のようなものじゃ。ゆえに両者は汝の中で一時的に同一の『意志』へと統合され、汝の感情が引金トリガーとなって発現した。それがあの黒騎士──ナイトブレイザーじゃ」
 わらわが命名したのじゃ、格好良いじゃろう、とやや得意になってつけ加えた。
 アシュレーは──反芻はんすうする。
 あの大聖堂の事件以来、彼は確かに自分の内部に別の存在を感じていた。何か声のようなものを聞いた憶えもあった。幻聴だ、気のせいだと、敢えて気にしないようにはしていたのだが──。
 焔の災厄。そしてアガートラーム。
 遠い昔の伝承でしかなかった、そんなモノを自分は宿し、その力の一部を行使した──。

 ──あなたは、
 ほんとうに、アシュレーなの──?

「アシュレー……だいじょぶ?」
 リルカに顔を覗き込まれて、ああと生返事をする。
 到底受け止めきれる話ではなかった。だが、それでも……受け容れなければならないのだろう。
「そう深刻な顔をするな。『災厄』の制御は聖剣に任せておれば大丈夫じゃ。汝がどうにかできる次元の問題でもないからの」
 彼の心情などお構いなしにノーブルレッドの少女は言い放つ。
「だが、やはり前代未聞の事態じゃからのう。無闇やたらにその力を使うことは避けた方が良かろう。不確定要素が多いゆえ、何が起こるかわらわにも予測がつかぬ」
「力を使う、と言っても……」
 そもそも、どうやってあの姿になったのだろうか。
 あの雨の処刑場。アシュレーはモンスターに腹を貫かれて、瀕死だった。
 僕は、あのとき……何をした?
「言うたであろう。引金は、汝の感情じゃ」
 マリアベルが言う。
「死に逝く『絶望』と、死にたくないという『欲望』。その感情が汝の中の『意志』に接触アクセスしたことで、『意志』はその力の片鱗を解放したのじゃ」
「じゃあ、変身するには、また死にかけないといけない……あ」
 途中でリルカが自分の口を塞ぐ。不謹慎だと思ったらしい。
「激しい『絶望』と『欲望』を感じる状況であれば、死にかけずとも変身することはあり得るじゃろう。例えば……死にそうなほど怖い目に遭う、とかじゃな」
 一方マリアベルは一切自重しない。アシュレーとしては変に気を遣われるよりは良かったが。
「日常的に変身することがなさそうなのは、ひとまず幸いと言えるかな」
 机の上で手を組み、鋭くこちらを見つめながら、アーヴィングが言う。
「しかし、ARMSの任務は常に危険が伴う。今回のように不意に発動してしまうケースも充分有り得るが」
「自我を保っておるうちは変身しても問題はない。むしろその力が役に立つじゃろう。だが……くれぐれも用心することじゃ。汝が行使する力は世界を滅ぼすモノから引き出されておるということを、努々ゆめゆめ忘れてはならぬぞ」
 彼女の忠告に、アシュレーは戦慄する。
 ──もし、僕が自我を保てなくなったら。
 そのときは、僕が世界を──。
「変身するような事態はなるべく避けるべき、ということだな」
 机の前の貴族が話を総括し、机上の書類に目を落としてから再び口を開いた。
「その点で言えば、次の任務はそうした心配は無さそうだ」
「次の任務、ですか?」
 リルカが聞くと、実はこちらが本題なのだよとアーヴィングは苦笑した。
「前回の任務によって、ARMSはシルヴァラント領地での自由活動権を得ることができた。この件については諸君らの働きによるものが大きく、私からもまずは感謝を表したい」
 そう言って指揮官は謝意を示した。
 ──そう。
 一国家としては決して受容できるはずもない、独立部隊の自由活動権。それを勝ち取ることができたのは、ひとえにあのハルメッツの事件を彼らが解決したからであった。
 あの事件でシルヴァラントは、『オデッサ』の脅威を自ら実感することとなった。そして同時に、一人の犠牲者も出すことなくテロリストを撃退してみせたARMSの活躍も目の当たりにした。言うなれば、あの事件が格好のデモンストレーションになったのだ。
 その結果、取りつく島もなかったシルヴァラント女王は翻意ほんいをし、ARMSに自国での活動許可を与えたのだった。条件として領内で発生したテロの優先的対処を求められはしたが、これもARMSを頼みにしている証左とも言える。
「これでギルドグラード領を除くファルガイアの大部分を自由に移動できるようになった。残るギルドグラードについても交渉は進めるつもりだが……ひとまずは直近の懸念事項から片付けようと思う」
「飛空機械──バルキサスへの対処だな」
 ブラッドの言葉に、アーヴィングはその通りと答える。
「あの飛空機械に対抗する手段が我々には必要だ。そのために、ある計画を秘密裏に進めているのだが……実は重要な『材料』が足りなくてね」
「材料?」
 アシュレーは小首を傾げる。
 何か造っているのだろうか。だとすれば、やはり──飛空機械か。
「計画にはロストテクノロジーを用いた動力が欠かせないのだが、それを動かすにはエネルギーの結晶体がいくつか必要なのだ。しかし、それらの多くはシルヴァラント領内の鉱山でしか採取できない」
「あ、だから先にシルヴァラントの許可がほしかったんですね」
 リルカがポンと手を打つ。
「その件もあった、ということだな。現時点で必要なエネルギー結晶体は二種類。一つは西部の遺跡鉱山で採取できるアグエライト鉱石。こちらは──」
「既にわらわが取ってきてやった。感謝するがよい」
 お化けがふんぞり返って言った。
「諸君らにはもう一つの、ゲルマトロン鉱石の方を取ってきてもらいたい。場所は──北部の火山帯にある観測施設」
「観測施設? 鉱山じゃなくて?」
「研究サンプルとして施設内に保管されたものがあるらしい。わざわざ発掘するよりも、そちらを拝借した方が手っ取り早いだろう」
 そもそも素人が一日二日で発掘できる代物ではないからの、とマリアベルが補足する。
「拝借って……研究用のを勝手に持ちだして大丈夫なのか?」
「施設は周辺域の魔物の増加によって数年前に閉鎖された。観測隊も解散し、現在は施設を管理する者はいない。持ち出したところで誰も文句は言わないだろう」
「なんか、することが遺跡を荒らす渡り鳥みたいなんですけど……」
 リルカが呆れ半分に言うと、美形の貴族は不敵に笑った。
「そうだな。今回は渡り鳥になった気分で行ってくるといい」
「認めるんですかッ。それでいいんですかARMSッ」
 声を荒らげるリルカを、アシュレーは肩を叩いてなだめる。
「通称『龍脈』と呼ばれる火山帯へはライブリフレクターで行くことができる。の地は魔物の巣窟そうくつになっているらしいので、単なるお使いだと油断せず、準備は怠りないように」
「はあ。わかりましたよ、もう……」
 諦めて脱力するリルカに、アシュレーは思わず失笑した。
 そして、ふと気づく。
 いつの間にか気分が軽くなっていた。先程まではあんなに動揺していたというのに。
 ──きっと、みんなのお陰だ。
 一人でその事実を知らされていたら、これほど早く立ち直ることはできなかっただろう。リルカやブラッドがいてくれたからこそ、自分を見失わずに済んだ。
 仲間という存在が、どれほどの救いとなっているか。そのことに彼は改めて気づき、噛みしめる。
 彼らがいてくれる限り、自分は──大丈夫だ。
「それじゃあ、明朝に出発だ」
 仲間にそう告げるアシュレーの表情には、いつもの笑顔が戻っていた。

 リルカは、まだ落ち込んでいた。
 おそらく彼女の気持ちの変化に気づいた者はいないだろう。そもそも彼女自身が、ばれないように普段通りを意識して振る舞っていたのだ。気づかれるはずがない。
 昔から、そういうのは得意だった。辛くても悲しくても、その感情を無理やり内に押し込めて「いつものリルカ」を演じてしまう。
 ──怖いんだ。
 自分の気持ちをさらけ出すのが。
 他の人には絶対に見せたくない、わたしのイヤな部分。それを出して、みんなに嫌われるのが──怖い。
 だから、隠すしかない。見せたくないから。嫌われたくないから。そうやって隠し続けていたら、いつしか「いつものリルカ」ができあがってしまった。
 わたしだって、それなりに悩むし、落ち込むこともある。
 でも、それは決して見せられない。表には出せない。
 だから彼女は「いつものリルカ」を演じ続ける。彼女だけが使える魔法の言葉で、気持ちに蓋をして。

 ──へいき、へっちゃら。

「大丈夫か、リルカ?」
 下の方から、アシュレーが声をかけてきた。
「う、うん。へいき……へっちゃら」
 リルカは崖のような傾斜の上で立ち往生していた。
「焦らないで少しずつ降りてくればいいから。そのへんの岩に腰かける感じで」
「わ、わかった」
 アドバイス通り、腰を落として手をつきながら、急勾配きゅうこうばいの岩肌を降り始める。
 が。
「うわッ」
 砂っぽい部分に足を滑らせ、バランスを崩す。転びそうになってさらに足を踏み出したら、重力に引かれて勢いがついてしまった。
「ひッ、ひえ~~~~ッ!」
 止まるに止まれず、そのまま必死に足を動かして傾斜を駆け降りる。また滑ったらアウトだったが、どうにか転倒することなく無事に降りきった。
 最後はアシュレーに軽く衝突するような具合で止まった。
「た、ただいま……」
 受け止めてくれたアシュレーに、照れ笑いを浮かべる。アシュレーは苦笑いでおかえり、と言った。
「観測施設まで、もう一息だ。疲れているかもしれないけど頑張って進もう」
 そう言うとアシュレーは、黒い岩の転がる荒れ道を歩き始める。
 銃剣と荷袋を背負った背中を眺めながら、リルカは思う。
 ──すっかり、立ち直ってるんだな。
 昨日の話は、部外者である彼女でさえ少なからずショックだった。アシュレー本人が衝撃を受けていないはずがない。
 実際、その事実を聞いた直後はかなりの動揺を見せていた。リルカも心配になるほどだったのだが──。
 今の彼には、そんな素振りは全く見られない。すっかり元通りのアシュレーだった。
 もしかしたら彼女と同じように「いつものアシュレー」を演じているだけなのではないか。そうも思ったが……どうやら違うようだった。
 普段から「演じる」ことに慣れている彼女は、他人の「演技」にも敏感なのだ。アシュレーの場合は演技ではない。彼女はそれを見抜いていた。
 ──やっぱり、強いな。
 あんなとんでもない話を聞いても、すぐに受け容れてしまった。
 自分だったら、ぜったいに逃げ出していた。あんなことを知ってしまったら、きっと立ち直れない。
 覚悟が──違うのだろう。
 アシュレーも、ブラッドも、アーヴィングも、覚悟をもってARMSに参加している。
 けど自分は、まだそれほどの覚悟を持てていない。だからいつまで経っても……半端なんだ。
 魔法は未だ片手で数えられるほどしか習得できていない。せっかく姉の代わりにARMSに入ったというのに、大して成長もせず、足を引っ張ってばかりいる。
 そこにきて、あのハルメッツでのこと。
 彼女はむざむざ敵に捕まるという大失態を演じてしまった。自らの不注意によって、仲間を窮地におとしいれてしまったのだ。
 けれども、結局誰も彼女をとがめなかった。むしろ心配すらしてくれた。
 そのことが逆に、彼女の胸にわだかまりを残した。
 ──しょせん、自分は荷物なんだ。
 誰にも期待されていないんだ。
 そうして、そうやって内心でいじける自分にも嫌悪して。
 ますます自分のことが嫌いになってしまう──。
 誰にも言えない、そんな思いを抱えたまま、リルカは仲間たちの背中を追って歩いていた。
「思ったほど魔物が出てこないね。助かるけどさ」
 いつものように気持ちに蓋をして、リルカは前を行く青年に声をかける。
「二年前に噴火したらしいからな。そのときに魔物も逃げ出してしまったのかもしれない」
 アシュレーは立ち塞がる黒い大岩を避ける。これも噴火のときに降ってきたのだろうか。
「見えたぞ」
 二人から少し離れた先頭を進んでいたブラッドが、立ち止まってこちらを向いた。
「あれが……観測施設か」
 遅れて到着したアシュレーが目を細める。リルカも後ろから覗いてみた。
 殺風景な山肌を背にして、煉瓦造りの建物が佇んでいた。思っていたよりも──かなり大きい。
「観測所っていうから、掘っ立て小屋みたいなのかと思ったけど」
 屋根の部分にはいくつか煙突もあり、大きな工場のようにも見えた。
「メリアブール、シルヴァラントの共同出資で作られた研究施設だからな。両国王の肝入りで作られたとも聞く」
「研究? こんなところで一体何を観測していたんだ?」
 アシュレーが聞く。そういえばリルカも知らなかった。
「レイラインだ」
「レイライン……って、地面の下を流れてる生命エネルギー……だったけ」
 大地の内部には、ファルガイアの血脈とも言われる『マナ』が流れている。その流れる道のことをレイラインという──と、授業で習ったことを辿々たどたどしく思い出す。
「ここはレイポイントからも近いため、観測には絶好の地点だったと聞いている」
 レイポイントとは、他の場所よりもマナが集中している地点のことだ。レイラインが川だとすれば、レイポイントはさしずめ湖といったところか。
「ファルガイアが荒廃した原因を探るための研究だったらしいが……魔物の増加によって最早もはや研究どころではなくなってしまったか」
 そう言うと、ブラッドは遠い目をした。
「荒廃……か。僕らは今のファルガイアしか知らないけど」
 昔は本当に緑豊かな世界だったのかなと、アシュレーも乾いた大地に目を馳せた。
『焔の災厄』の出現以降、このファルガイアは緩やかに滅びつつある、と言われている。
 生命に満ち溢れていた大地は徐々に枯れ、いつしか砂と岩の不毛の地へと姿を変えた。今はまだ緑も所々に残っているが、それも遠くない未来に消失することが予測されている。
 ファルガイアが、命の住めない世界になってしまう。
 今からすると想像すらできない話だったが、このままでは確実にそうなる、という。
 リルカは授業でそのことを知った。あのとき自分は何を思ったのだったか。たしか──。
 ──みんなで考えれば、なんとかなるよ。
 ほら、言うじゃない。三人寄れば──。
「……もんじゃ焼き」
「は?」
 アシュレーに変な顔をされたので、リルカは慌ててなんでもない、と首を振る。
「あそこに鉱石があるんでしょ。早く入ろうよ」
 二人を促してから、彼女は先頭を切って坂を下りた。
 へいき、へっちゃらと、心の中で繰り返しながら。

 施設の入口の扉は、壊されていた。
 閉鎖されて以降、誰も近づくこともなかった施設のはずだが──。
 不審に思いながら、リルカはアシュレーに続いて中へ入る。
「……ね、アシュレー」
「……ああ」
 先の部屋に、気配があった。物音と──怪しげな悲鳴が。
 彼らが部屋に踏み入ると、そこには。
「あれぇ~~~ッ。お代官様、お戯れを~」
 人間ほどの大きさをした、蜥蜴とかげ──だろうか。青色の卵に手足をつけたような魔物に足蹴にされていた。
「そ、そこはいけません、お代官様。デリケートゾーンは大事にしないとお婿に行けなくなりますゆえ。こらえてつかぁさい。ひいッ、ひいッ、ふぅ~」
 蜥蜴はわめきながら地面を這って逃げ回るが、魔物はそれを追いかけて容赦なく尻を蹴りつけている。かたわらには彼(?)よりも大きな蜥蜴が倒れているのも見えた。
 想像の範疇はんちゅうを超えた光景に、リルカは一瞬現実感を失った。
 ……なんなの?
 茫然と突っ立っていると、いつの間にかアシュレーが部屋の隅に移動していた。壁を這うようにして奥へ向かおうとしている。
「みんな、先を急ぐぞ」
「え、ちょっと……いいの、アレ」
 リルカが目の前のアレを指さす。アシュレーはそちらに見向きもしない。というより明らかに避けている。
「アレに関わってはいけない。僕の本能が、そう警告している」
 小声で言ってから抜き足差し足で通り抜けようとしたが……蜥蜴がそれに気づいた。
「ああッ、そこな行くお侍様ッ。どうか哀れでいたいけな爬虫類を助けてたもれ。お礼は我輩秘蔵のお米券一年分トカ」
 しまった、とアシュレーは肩をすぼめる。蜥蜴はさらに魔物に言いつのる。
「ほれ、ウンディーネ、あいつだ、あいつを狙いなさい。あっちの方がきっと蹴りごたえありますぞ。行けッ、キックの鬼だ~」
 あろうことか、魔物をこちらにけしかけてきた。ウンディーネと呼ばれた青い魔物が振り返る。
「くそッ、仕方ない」
 それでようやくアシュレーは銃剣を構えた。ばたばたと足音を立てて襲いかかる魔物を至近距離で撃ち抜く。
 卵型の胴体が破裂して、あっけなく魔物は倒されたが。
「助けてしまった……」
 なぜかアシュレーは無念そうだった。
「いやはや、流石は我輩が見込んだ救世主。その胸に刻まれた七つの傷はダテではないトカ」
 蜥蜴がのそりと立ち上がった。後肢だけで……立っている。
 二本足で歩行し、人の言葉を喋り、顔立ちもやたらと人間くさい蜥蜴。おまけに一丁前に赤いスカーフとマントまで身につけていた。
 魔物ではなさそうだが──いずれにしても、怪しい。頭の先から尻尾の先まで怪しすぎる。
「ほれ、ゲーくん。そろそろお目覚めの時間ですぞ」
 蜥蜴は倒れていたもう片方の蜥蜴を揺すって声をかける。
「げ……げー」
 ぱちりと目を覚まし、大きい方の蜥蜴も起き上がった。こちらは異国の文字が書かれた鎧をまとい、つののついた兜をかぶっている。
「無事でよかったな。それじゃ」
 アシュレーはさっさと立ち去ろうとする。よほど関わりたくないらしい。
「あいや、お待ちくだされ若人よ」
 そこへ、すかさず蜥蜴が立ち塞がった。
「狭いファルガイア、そんなに急いでいずこ行く」
「この先に用事があるんだよ。あんたたちには関係ない」
「そう言わず、せめて貴方のお名前をッ。その上で我輩の略歴と職務経歴書をご覧くだされ。御社にとって貴重な戦力となること請け合いですぞ」
「名乗りたくないし、トカゲの職歴なんて見たくない」
 何やらアシュレーの態度が──いつもと違う。こんなに鋭く切り返す彼は初めて見た気がする。
 指摘するのも何となくはばかられたので、リルカは黙って見守ることにした。
 まあ、そう言わずと蜥蜴は勝手に自己紹介を始める。
「我輩はトカと申します。IQ1300のスペース頭脳を持つ天才科学者。心優しき科学の子。どのように呼んでもらっても構いませんぞ」
「科学者? あんたが?」
「何を驚くことがありますか。この知性溢れる見事なフォルム。三百六十度どこから見ても科学者ではございませんか」
「三百六十度どこから見ても爬虫類にしか見えないけど……」
 リルカもそれは同意だった。
「そしてこちらが助手のゲーくん。我輩の頼れるしもべであります」
「げっげー」
 ゲーと紹介された大蜥蜴は自分の鎧を叩きながら気勢を上げる。こちらは人の言葉は話せないようだ。
「よろしく、とゲーくんは申しております」
「言ってることわかるの?」
 リルカが聞くと、トカは当然であると頷く。
「そりゃあもう、つき合いの長さは二度や三度の脱皮では済まないゆえに」
「げー」
 蜥蜴の科学者と助手は、がっちりと腕を組み交わした。
「……で、あんたたちは何でこんなところにいたんだ?」
 渋々、アシュレーが話を進める。
「なに、こちらで行われていたという研究に興味がありましてな。科学者たるものたゆまぬ研鑽けんさんを積むことが明日への活力となるのです。どうです、目のつけどころがシャープでしょう」
 彼に質問をすると、その二倍も三倍も回答が返ってくる。しかもそのほとんどが余計だった。
「研究と言ったって、今は閉鎖されているんだぞ。そんなところを見学して参考になるのか?」
「それはそれ。誰もいないからこそ好都合なこともありましょう。産業スパイも真っ青な大胆な手口で……ウッシッシ」
「それじゃああんた、泥棒に来たのかッ」
 アシュレーが慌て出す。リルカはそれより笑い方がやたら古風なことが気になった。
「ていうかさ、アシュレー、わたしたちも似たようなものなんだよ」
「え、ああ……そういえば」
 指摘すると青年は頭を掻く。こちらも目的は施設内にある鉱石なのだ。
「なんと、まさかの同業者でありましたかッ」
 会話を聞きつけたトカ博士が大袈裟に驚いてみせた。
「これはもはや、運命の赤い糸で結ばれているとしか思えませぬな。この日この時この場所で君に出会ったことが切ないラブストーリーの始まりであるトカ」
「気色悪いこと言うな」
 速攻でアシュレーは赤い糸を断ち切る。
「んまッ、いけずぅ。そう言わず、ここはひとつ共同戦線ということで手を打ってはいかがですかな」
「つまり……僕たちと一緒に施設を回りたいと、そういうことか?」
「イエース。そちらとしても、トカゲの手も借りたい状況でございましょう。悪い話ではありますまい」
「別に借りたくもないんだけどな……」
 アシュレーは困ったようにこちらを向いた。どうする、という無言の問いかけだろう。
「いいんじゃないの。ジャマしてくれるんじゃないなら」
「お邪魔どころか役に立つこと山のごとし。見た目はトカゲ頭脳は天才科学者の我輩と、気は優しくて力持ちのゲーくんが加われば、百人乗っても大丈夫ですぞッ」
 言いながら腕組みをしてどや顔をする蜥蜴と、その後ろで力瘤ちからこぶを作ってポーズを決める蜥蜴を見て、アシュレーは深々とため息をついた。
「……わかったよ。僕らは先に進むから、勝手についてくればいい」
「わーおッ。光栄感佩かんぱいこの上なくッ。この恩義、命を賭して報いる所存にございますぞ」
 そう言うと、蜥蜴の科学者は奥の扉を指さした。
「そうと決まれば、いざ往かん冒険の旅へッ。明日に向かってレツゴー五匹」
「あんたが仕切るなッ」
 やっぱりキャラが変わってると、リルカは思った。

「さて、我輩たちは現在、観測施設の中央と思しきフロアに辿り着いたところであります」
「げっげー」
「このフロアには数々の研究装置が当時のまま残存しており、一介の天才科学者としては誠に興味深く拝見することができたのですが」
「げー」
「残念ながら彼らの求める鉱石とやらはここになく、さらに奥に進むことと相成あいなりました。しかしッ」
「げげっ」
「なんと奥へと続く扉の手前には、幅にして五メートル以上はあると思われる亀裂がッ。我輩の科学的な見解によれば、おそらく火山性の地震によって地面が割れてしまったものと思われます」
「げ~」
「果たして彼らはこの危機をどう乗り越えるのか。そして我輩の命運はいかに。次回『ドキッ、トカゲだらけの床下運動会。ムカデもいるよ』、ご期待ください」
「何だその不穏なタイトルはッ。勝手に実況するなッ。次回に回すなッ」
 溜め込んだ突っ込みをまとめてぶつけてから、アシュレーはぜいぜいと息を切らす。
「アシュレー、なんだかんだで面倒見いいよね」
「……やめてくれ」
 あちらのペースに絶賛巻き込まれ中の青年は頭を抱える。何かと戦っているらしい。
「それで、どうする?」
 後ろからブラッドが重い声で言う。こちらは珍客の加入にも全く動じていない。最初から相手にする気がないというのが正しいか。
「ロープと杭なら持っているけど……どちらにしても誰かが向こうに渡らないと張れないな」
「いちかばちか、跳んでみる? この距離じゃ無理っぽいかなぁ」
 崖の縁に立って、亀裂の幅を確かめる。蜥蜴の実況通り、狭いところでも五メートルはありそうだ。
「お困りのようですな。ここはIQ1300の我輩の知恵が必要ですかな?」
 三人で策を講じていると、トカ博士がしゃしゃり出てきた。
「何か手立てでもあるのか」
 全く期待してなさそうにアシュレーが聞く。
「ピンチにただ狼狽うろたえるばかりは青二才トカ。それにひきかえ我輩の灰色の脳細胞は今この瞬間にも驚異のフル回転で稼働をして……」
「いいから手段があるなら教えてくれ」
 だんだんとあしらい方も上達している。
「なに、こんなものは物理法則を利用すれば簡単なこと」
 トカ博士は胸を張って解説をする。
「我輩の体重は約八十キロ。そしてゲーくんの昨年のソフトボール投げの記録は約五百メートル。この二つを組み合わせれば、答えは自ずと見えてきましょう」
「ええと……つまり、そっちの大きいのがあんたを向こう側に放り投げる、ってことか?」
「いかにも。何とも我輩らしい科学的な解決策ではございませんか」
 一ミリも科学関係してない、とリルカは心の中で突っ込む。
「……まあいいや。できるのなら頼む」
「頼まれましたぞッ」
 渡されたロープを自分の腹に巻きつけてから、トカ博士はゲーの前に立つ。ゲーは彼を抱えて高々と持ち上げた。
「皆様、とくとご覧あれ。先の大戦にて撃墜王の名を欲しいままにした我輩の勇姿をッ」
 頭上で宣言すると、やりなさいゲーくんと命令を発した。
「げーッ!」
 ゲーは助走をつけ、思いきり放り投げた。撃墜王は風のように空を舞い、亀裂を越え──。
 勢い余って向こう側の壁面に激突した。
 煉瓦に頭から突き刺さったまま、動かない。
「玉砕か……無茶しやがって」
 アシュレーは敬礼しながら呟く。真面目な顔を取り繕っていたが、肩が震えていた。笑いをこらえている。
「へ、ヘヴィなトリップだったぜ……ドラッグ、ダメ絶対」
 もぞもぞとトカ博士が動き出した。どうにか壁からは抜け出てきたが、頭を強打した影響か足許が覚束おぼつかない。
「お、思い出が領空侵犯しておる……」
「そりゃ走馬灯だ! しっかりしろ撃墜王ッ」
 アシュレーが声をかけるが、向こう岸の撃墜王は千鳥足でこちらに近づいて……。
 あえなく亀裂に転落した。
「わーッ! ……って、あれ?」
 ロープの端を持っていたアシュレーは慌てて綱を引いたが、手応えはなく。
 覗き込むと、撃墜王は数メートル下の亀裂にしがみついていた。
「無事だったのか」
 いかにも残念そうに、アシュレーが言う。
「ふ、ふふ……危急存亡のときに思わずトカゲの本能がうずいてしまったぜ……」
 確かに壁に張りついている姿は蜥蜴そのものだった。
「上がってこられそうか?」
「お任せあれ。意味もなく崖を登るのは主人公の特権トカ」
 意味深なことを言いながらするすると登ってくる。やはり蜥蜴だ。
「BGMは『荒野の果てへ』でお願いしますぞ」
「知らないよそんな曲。いいから早く登ってこい」
 いちいち突っ込むなぁ、とリルカは少し感心する。
 上がってきた対岸のトカ博士に、アシュレーは鉄の杭と金槌を投げる。
「その杭を地面に打ち込んでロープを渡すんだ。抜けないように、しっかりな」
「杭だけに、悔いの残らぬように、ですな」
 さすがにその駄洒落は全員が聞き流した。
 両岸でそれぞれ作業を行い、ようやく亀裂にロープが渡された。
「こ、これ伝って渡るの?」
 リルカが最初に渡ることになったが……やはり恐い。
 尻込みしていると、後ろにアシュレーが来て。
「命綱もつけるから心配ないよ。ほら」
 別のロープを取り出してリルカに装着させる。彼の手が腰に回されて、その感触にリルカは思わず反応してしまった。
「どうした?」
 腰を引いた彼女を、年上の青年が不思議そうに覗き込む。顔が──近い。
「な、なんでも……」
 ──まずい。
 どう誤魔化そうかと困りかけたとき、対岸でおおッと声が上がった。
「見たまえゲーくん、あれこそまさしく我が国伝統の特殊イベント『ラブコメ』ですぞッ。青春ですなぁ。胸キュンですなぁ」
 ──あのトカゲ。
 こちらを指さしてはしゃぎ出す爬虫類に、リルカは殺意を覚えた。
「数多の若者向けノベルや美男美女がアレコレするゲームでしかお目にかかれないと思いきや、こんなところで……わッ」
 フレアロッドの炎を足許にぶつけて口さがない蜥蜴を黙らせる。おかげで気は紛れたので、内心では助かったと思っていたが。
 アシュレーに励まされつつリルカはロープを渡りきり、その後アシュレー、ブラッドと続いた。
「よし、これで全員渡って……」
 そう言いかけてから、アシュレーは、あ、と声を洩らした。
「げ~……」
 対岸では、ゲーがぽつんと取り残されていた。彼の存在を忘れていたらしい。
「あの体じゃあ、ちょっとロープでは無理かなぁ……」
 見た感じでは軽く百キロは超えているだろう。恐らくロープを掛けた杭が保たない。
「心配には及びませんぞ。あれでゲーくんは跳躍力には定評があるのです」
「ジャンプして渡れるの?」
 だったら最初から彼に渡ってもらえばよかったと思うのだが。
「昨年のゲーくんの走り幅跳びの記録は四メートル九十五センチでありました」
「微妙に届かないじゃないか」
「何の、たかが五センチ、気合と根性でどうにかなるでしょう」
 もはや科学者の発言とは思えない。むしろ体育会系だ。
「さあ、跳びなさいゲーくん! 誰かのためではなくて、貴方自身のためにッ」
「げー!」
 ゲーは巨体を揺らして猛然と駆け出し、跳躍した。
 ──が、やはり微妙に届かなかった。亀裂のふちに頭からぶつかり、めり込んだ。
「うわッ」
 その衝撃でこちら側の床が崩れ始めた。三人と一匹は慌てて扉の向こうに逃げ込む。
「げ、げー!」
 安全な場所まで避難してから振り返ると、ゲーが瓦礫がれきに呑み込まれていくのが見えた。頭だけ出してこちらに助けを求めていたが──やがて瓦礫もろとも亀裂の下へと呑み込まれてしまった。
嗚呼ああ……これは、何たる悲劇ッ」
 真っ先に避難していたトカ博士が嘆き出した。やたら芝居じみている。
「科学に犠牲はつきものとはいえ、なんと理不尽な仕打ちであるか。この世には神も仏も存在しないのかッ」
 ひとしきり身悶えして悲しみを表したところで、すっと直立してきびすを返す。
「さて、先を急ぎますぞ」
「切り替え早ッ!」
 思わず突っ込みを入れてしまった。すぐにしまったと後悔する。
「げ……げー!」
「あ」
 ゲーの声がした。
 崩れた部屋を覗くと、瓦礫をかき分けて登ってくる大蜥蜴が見えた。どうやら周囲の地面が崩れたことで亀裂が塞がったようだ。
「おお、流石はゲーくん! 我輩は無事を信じておりましたぞ」
「げー」
 嘘ばっかり、という言葉を、リルカはどうにか喉の奥に呑み込んだ。

 ──その後。
 様々な紆余曲折を経て、七転八倒しながらも、どうにか彼らは施設の最奥に到達した。紆余曲折の原因は主にトカ博士であり、七転八倒していたのは主にアシュレーだったのだけど。
「や、やっと着いた……」
 すっかりやつれてしまったアシュレーが、ふらふらと部屋へ入る。リルカが大丈夫と声をかけたが、もはや返事をする余裕もないらしい。
「この程度でへこたれるとは、近頃の若者は軟弱ですなぁ」
 しれっと苦言を呈しながら先を行く蜥蜴を、青年は恨みがましく睨む。
「鉱石はこの辺りだ」
 先に部屋をあらためていたブラッドが奥の方で言った。彼らもそちらへ向かう。
 どうやら備品や研究道具の保管庫のようだった。ブラッドがいる奥手には木製の棚があり、円筒形の硝子ケースに収められた鉱石が所狭しと並んでいた。
 彼らは手分けして目的の鉱石を探すことにした。リルカは棚の隅から順番に、ケースに貼られたラベルを目で辿っていく。
「ゲル、マ、トロン、鉱石……あ、あった!」
 そのラベルが貼られたケースを慎重に棚から下ろし、皆のところへと運ぶ。
 部屋の中央にあった机にケースを置いて、全員で内部の鉱石を眺めた。
「これが結晶体かぁ」
 結晶は黄みがかった半透明で、細かい気泡を中に閉じ込めている。形は違うがテレポートジェムによく似ていた。
「こんなので機械を動かしたりできるんだね」
「『マナ』が結晶化したものだからな。言わば生命エネルギーの固まりだ」
 ブラッドが言う。
「ああ、だからレイラインの近くで産出されるわけか」
 アシュレーがラベルを読みながら言う。付近の火山で採取されたもののようだ。
「左様。『マナ』が発するエネルギーは他の燃料とは比較にならぬほど大きなものである。それが長い年月をかけて凝固し結晶化したエネルギー結晶体は、膨大なエネルギーを必要とするロストテクノロジーには欠かせぬ物質であり……うん?」
 いきなり解説を始めたトカ博士に、一同ポカンとする。
「何ですかな、きつねにつまみ出されたような顔をして」
「いや……初めて科学者らしい話をしたから」
「失敬なッ。最前さいぜんより何度も天才科学者と申しておりましょうが」
「……まぁいいや」
 憤慨する蜥蜴を後目しりめに、アシュレーはケースの蓋を外して鉱石に手を伸ばす。
「とにかく見つかったんだから、早いとこ回収して戻ろう」
「あいや、それは我輩がもらい受ける」
 その手をトカが止めた。
「え?」
「貴重な結晶体でありますからな。それがあれば、ビックリドッキリからくり仕掛けの怪獣が五体は作れる」
「か、怪獣?」
 アシュレーは後退あとずさりした。
「科学者って……あんた、何作ってるんだ?」
「おや、言わなかったですかな」
 貫禄のある顔を作って、蜥蜴の科学者はのたまった。
「我輩はテロリストの依頼を受けて怪獣兵器を作っておる。とある事情により我輩たちは厄介な組織に狙われていましてな。身の危険を感じていたところ、かのテロリスト一味にかくまっていただき、現在も科学班として彼らに協力しておる次第で」
「テロリスト? まさか……」
 まさか。
「オデッサ、か?」
「おや、ご存知でしたか。既に一般ピーポーにまで知れ渡っているとは、有名になったもので……ん? いかがなされましたかな?」
 アシュレーが机から離れ、トカと向かい合う。ブラッドもその後ろに回り込み、リルカもそこに加わり。
 三人揃って、睨みつけた。
「まさか、こんなのがオデッサとは……」
「ヒトは見かけによらないって言うけど、よらないにも程があるよね」
「ど、どうしたのですかな? そのような恐い顔をして。まるで追突した黒塗りの車から降りてきたヤな方々のような……」
 狼狽うろたえるトカ博士に、アシュレーは銃剣を突きつける。
「僕たちはARMSだ」
「ARMS? 何ですかなそれは。『アンキモ、レバー、モツ、セセリ』の略トカ?」
「オデッサと戦ってる特殊部隊だッ」
 アシュレーの言葉に、トカとゲーは飛び上がった。
「なんと、我輩たちの敵であったとはッ!?」
 一目散にゲーの背後に避難してから、トカ博士は言う。
「おのれ、このピュアな天才科学者を騙すとは卑怯なッ」
「それはこっちの台詞だッ。さんざん振り回しておいてッ」
 涙声で言い返すアシュレー。一番の被害者だけに恨みの根は深そうだ。
「オデッサへの恩義の手前、このまま引き下がるわけにはいくめぇ。諸君らを倒して鉱石は我輩が頂戴するッ」
 トカはそう啖呵たんかを切ると、後ろからゲーの鎧をぺちぺち叩いて命じた。
「さあゲーくん、君の出番だ。奴らを蹴散らせッ」
「げ、げー……」
 息まく博士とは裏腹に、助手は前と後ろを交互に見て戸惑っている。三対一、しかもこちらは全員飛び道具を持っている。勝ち目がないとわかっているこその態度だろう。
「何をしておるのです、行きなさい! 勝利の暁には我輩が手塩にかけたコーカサスオオカブトを進呈しますぞッ」
「げ……げーッ!」
 上司のパワハラに負けたか、それともカブトムシにつられたか、ゲーは半ば自棄やけっぱち気味に襲いかかってきた。
 そして、当然ながら。
「げげ~~」
 ARMの集中砲火を浴びた巨体は壁をぶち抜いて施設の外まで吹き飛ばされた。
「ゲーくんッ。嗚呼……何と惨いことを」
 けしかけた当人はまたオーバーに嘆き悶え、それからこちらを向いてぎくりとする。
「きょ、今日はこのくらいにしといてやる……」
「わあ、古典的」
 もはや伝統芸かもしれない。
「言っておくが、これは負けではない。戦略的撤退であるッ。我輩の最終兵器『ブルコギドン』が完成すれば、そんなチンケなARMなど恐るるに足らん。次に会ったときが諸君らの最期と知るがよいッ」
 コテコテの捨て台詞を並び立てると、トカ博士は破れた壁から外に飛び出し、気絶しているゲーの尻尾を担いですたこら逃げていった。
「なんか……すごいね、オデッサって」
 荒れ地の向こうに消えた蜥蜴たちを見送ってから、リルカは言った。
「そう、だな……」
 アシュレーも、しみじみと呟いた。
「あんなのまで引き入れてしまうなんて」
 恐ろしいまでに、懐が深い。

 ──一方。
「間違いないのだね」
 彼らが鉱石を入手して、施設を後にしたのと同じ頃。
「は、はい。この反応パターンは先日と同じ……」
 館の通信室には緊張が走っていた。
「オデッサの飛空機械──バルキサスか」
 こちらに向かっているという。
 銀髪の指揮官はレーダーに目を落としながら、顎に手をやる。
「予想よりも動きが早かったな。しかし──」
「な、何か?」
 テレパスメイジが上擦った声で尋ねた。
「私がARMSを買い取ったことは、一般には知られていないはずだが──」
 狙われるということは、敵に情報が漏れたか。それとも。
「あの~」
 ちょっといいですかと、もう一人のテレパスメイジが発言した。
「もしかして、目的はココじゃないんじゃないかなって」
「え? でも」
「ほら、よく見てよケイちゃん。このまま真っすぐ行くと」
 シャトーのある丘を掠めて──その先の。
「──タウンメリアか」
 ああッと、ケイちゃんと呼ばれたテレパスメイジが大きな声を上げた。
「す、すみませんッ。私てっきりこっちに向かっているものとばっかり思い込んで。そうですよね、狙うなら当然お城の方で……え、ええ!? それって、もしかしてもっと大変な」
「はいはい、ケイちゃん一回落ち着こうか。ほら、深呼吸~」
 動転する相方の背中を撫でながら、幼い口調のテレパスメイジは指揮官の方を向く。
「で、どうしましょか」
「もちろん連中の好きにはさせないよ。全力を挙げてタウンメリアを防衛する」
 実働隊に連絡を、と指揮官は指示を出した。
「りょ、了解ッ」
「あ、待ってよケイちゃん。そんなんだとまたトチるって」
 慌ただしく移動する二人を見送ってから、指揮官は松葉杖を突き直し、窓の外を振り仰ぐと。
「さて──」
 どう出るか、と小声で呟いた。