■ 小説 WILD ARMS 2nd IGNITION


Episode 3 始動

 夜も更け、千鳥足の酔客たちがこぞって店を後にすると、酒場はようやく静穏を取り戻した。
 テーブルには食べ残しの皿やゴブレットが、喧噪の名残とばかりに散乱している。頭に手拭いを巻いたマスターはカウンターの中で腰を下ろして一服し、手の空いたウェイトレスはテーブルの片付けを始める。半刻前まで店内に充満していた熱気もすっかり冷め、今は鷹揚おうようとした空気が流れている。
 それでも、店にはまだ数人の客が残っていた。カウンターに突っ伏していびきをかいている男、連れらしき女に腰を回しながら話しかける正装の紳士、隅の方で背中を丸めてちびちび酒をたしなむ陰気な老人──。昼間の太陽の下ではありふれた日常を過ごしているであろう人々も、夜更けの酒場の薄明かりの下ではどこか退廃的で──暗鬱あんうつにも映る。
 そんな酒場の中央に、ひとりでテーブルを陣取っている女がいた。
 端正な顔の両側と背中に流した黒髪。左眼を覆う金属の眼帯。頬杖をつき、机上に広げた分厚い本に目を落としている。程よく鍛えられた身体と背の高さは男と見紛うほどだが、それゆえに袖無しの服から突き出た腕や脚の白さが目についた。
「ずいぶん熱心に読んでるね」
 エプロンを着けた店員が、女の横からグラスを置いた。彼女は顔を上げる。
「……頼んでいないが」
「あたしのおごり。酒場のテーブルに酒がないなんて、サマになんないじゃん」
 無理に飲まなくていいよ、とエプロンの女は言い残してカウンターへと戻っていった。マスターの妹だったか──と後から思い出す。
 彼女は鼻で息をつくと、氷の浮いたグラスに手を伸ばした。一口つけてから再び本に視線を落とす。店内は光量に乏しいが、この席は吊りランプの真下にあるため他の場所よりは明るい。読書に最適な席ということで、彼女もここを選んだのだろう。
「んご……あ、ふぁぁ……」
 カウンターで居眠りしていた客が起きた。欠伸しながら汚れた襟に手を突っ込み背中をぼりぼり掻いていたが、背後を通りかかった給仕の娘を見つけると、目を瞬く。
「ん……あんた、どっかで……」
 酔漢の不躾ぶしつけな視線に、給仕はびくりと肩を震わせて顔を背けた。まだ少女と呼べるほど若い女だ。
「……ああ、思い出した。あんときの花売りじゃねぇか!」
 大声が店内の静穏を打ち破った。眼帯の女の眉も微かに吊り上がる。
「確か裏通りで会ったよなぁ。なかなか上等な花だったぜ」
「やめて……ください」
 娘は慌ててその場を離れようとしたが、男が腕を掴んで引き留めた。
「なんだ、今はこんなとこで働いてんのか。勿体もったいねぇなぁ、あっちの方がよほど稼げたろうに。何ならまた買ってやろうか?」
「お客さん」
 カウンター越しにマスターが咎めた。赤ら顔の男が胡乱うろんな目つきで睨み返すと、今度は背後から。
「離してやりな。女の過去をほじくり返すなんて、下衆げすのやることだよ」
 エプロンの女──マスターの妹が男の腕を払って、うつむく娘を背後に庇った。男はやおら立ち上がり、女に詰め寄る。
「にゃにおう、客に向かってその口は何だコラ」
「お客だろうと王様だろうと、下衆は下衆だよ。あのね、この子は今は真っ当にウチの店員として働いてんだ。昔の話はよしとくれ」
「けッ。何が真っ当だ。いくら取り繕ったって性根は花売りだ。好きで男の袖を引いてたんだろうが」
「事情も知らないくせによく言えたもんだね。これ以上ウチの子を悪く言うんなら承知しないよ。金は要らないから、とっとと出ていきな」
 両手を腰に当てて啖呵を切る女に、のぼせ上がった男の顔がみるみる歪む。
「この……阿婆擦あばずれがッ!」
 拳を振り上げて殴りかかった。だが。
 拳は──女の鼻先で止まった。
「な……にッ?」
 テーブル席の女が、いつの間にか両者の間に割り込んでいた。男の手首を掴んで止めている。
「何だ、てめぇは」
うるさい」
「はぁ?」
「煩いと言っている」
 言うが早いか、彼女は掴んだ手首を引き寄せて。
 男を背負い投げた。
 小太りの身体がテーブルを越えて、出入口の手前の床に腰から落ちた。
「あんた……」
 マスターの妹が口を開けて驚いている。残っていた他の客たちも一様に目を丸くしている。
 周囲の視線を後目しりめに、彼女は腰をさすってうずくまっている男に詰め寄る。
「こ、んの……アマがッ!」
 男が起き上がりざま襲いかかってきた。彼女は身構えもせず、図太い腕から繰り出された拳を左手のみで軽々と受け止めた。
「てッ、てめぇ……ぐッ……」
 拳を掴まれた男がうめき始めた。顔を歪めて……痛がっている。
「やめろ、離せ……!」
 男は腕を引こうとするが、彼女は拳を離さない。凄まじい力で締め上げているようだ。
「離せ、って……わッ」
 引いていた腕がいきなりすっぽ抜けて、男は床に尻餅をついた。顔をしかめつつ、座り込んだまま自分の右手を確かめると。
「ひぃッ!?」
 悲鳴を上げた。カウンターに逃げていた給仕の娘も声を上げた。
 右手には、千切れた彼女の腕が張りついていた。
 眼帯の女は身じろぎもせず男を見下ろしている。その左腕は肘から先がなく──金属のワイヤーのような物が垂れ下がっていて──。
 男の手を掴んだままの腕に、繋がっていた。
「なッ、な、なんだこりゃあッ!」
 取り乱した男が喚きながら拳を振り回すと、ようやく彼女の腕は外れて宙に投げ出された。何かの駆動音と共にワイヤーが巻き取られ、腕は元の場所──肘の先へと収まった。
「こ、この……バケモノがッ」
 苦し紛れに捨て台詞を吐いて、男はう這うの体で酒場を出ていった。
 眼帯の女は冷めた目でそれを見送ると自分の席に戻り、椅子の背に掛けてあった外套マントを取った。
「帰るのかい」
 身支度を調える彼女に、マスターの妹が声をかけた。
「騒がせて済まなかった」
「それは構わないよ。あの馬鹿を追い払ってくれたんだから、むしろ感謝したいくらいさ。けど……」
 女は彼女の左腕をチラッと見て。
「……聞いたところで、答えてはくれないんだろうね」
「女の過去は詮索するな、と」
「ああ。あたしが言ったんだったね」
 女が笑うと、彼女も微かに口許を緩めた。テーブルに代金を置き、本を抱えて席を離れる。
 眼帯の女が店を後にすると、酒場には再び静寂が訪れた。

「くッ……」
 人目のなくなったところで、彼女はこらえていた苦痛をあらわにする。
 ──やはり、ガタが来ている。
 この程度の動作でも痛むようになってしまった。くびの裏側と、脇腹が──。
「頸の裏と、脇腹あたりか」
「……ッ!?」
 不意の言葉に、振り返る。
 闇の中に、なお濃い影が。酒場の建物にもたれるようにしてたたずんでいる。
「痛むのじゃろう? 良くない兆しじゃ」
 影の輪郭や声で女であるのは間違いないが──それ以上は判らない。少なくとも彼女の知る人物ではなさそうだが。
 ──何故、解る。
 私の身体を──。
「ヴィクトールは死んだ」
 その影は、さらに告げた。
「それを直せる者は、もう僅かもおらぬ。精々せいぜい大事にすることじゃ」
 言葉を返すこともできず、ただ唖然と眺めているうちに──影は闇に紛れて、消えてしまった。
 ──何者だ。
 奴の……ヴィクトールの同業者だろうか。
 彼女はおもむろに空を仰ぐ。厚い雲に覆われて星は見えなかった。
 精々大事に──。
 慰みのない空を眺めながら、影が残した言葉を思い返す。歯を食い縛っていることに後から気づいた。
 ──下らない。
 どうせ、私の先には何もないのだ。大事にしたところで……何になる。
 外套を翻し、酒場の建物に背を向けて。
 女はひとり──街を去る。

 私は既に死んでいる。そう思って、ここまで生きてきた。
 今更死など怖れるはずもない。

 私は、ただの──亡霊だ。

 シャトーの応接室は、あの初訪問の日からすっかり様変わりしていた。
 接客用のソファーと小さなテーブルは撤去され、入れ替わりに重厚な長机が中央を占める。風景画の掛かっていた奥の壁には、今は何かの徽章きしょうが織り込まれたバナーが下がっていた。
 応接室改め作戦本部──といったところか。壁に掲げられているのは部隊旗だろう。同じものが館のホールにも掲揚されていたことを思い出した。
「本日より、正式に新生ARMSの活動を開始する」
 その旗の前で、銀髪の貴族は宣言した。机を挟んでアシュレーとリルカ、それにブラッドが向き合って立っている。
「実働隊員は諸君ら三名。活動を支えるサポートメンバーも数名揃えてある。そして諸君らを束ねる指揮官を私──アーヴィング・フォルド・ヴァレリアが務める」
 諸君らの前では私は貴族でなく、ただの指揮官である──と彼は続ける。
「また、指揮官と言ってもそれは機能的な役割に過ぎない。私と諸君らに上下はなく、共に戦う同志であるつもりだ。故に敬称や敬礼の類は一切不要であることを、先に通達しておく」
「え、貴族さまを呼び捨てで……いいんですか?」
「構わないよ。敬語も必要ない」
 若き指揮官はリルカにそう返し、再び一同を見据えた。
「アシュレー、リルカ両名には既に説明してあるが、我らARMSはいずれの国家にも属さない独立部隊である。国家の庇護を得られないことは不都合な面もあるが、一方でその枠組みに囚われず迅速な活動が行えるという利点もある。テロや異変に世界規模で対処する必要性が高じた今こそ、我らのような部隊は求められているのだ」
高尚こうしょうな理想を唱える者ほど、中身はスカスカだったりするがな」
 重い声色でブラッドが口を挟む。イルズベイルではいささか窶れている印象も受けたが、肩が露わになったシャツと革のズボンに着替えて身なりも整えると、やはり迫力がある。
「実際の活動方針をお聞かせ願いたいものだ」
「活動方針か」
 アーヴィングは少し身体を傾け、松葉杖をつき直してから言った。
「当面は各国の信頼を得ること、かな」
「ええ?」
 リルカが声を上げる。
「独立部隊なのに、けっきょく国に取り入るの?」
「理想を踏まえた上で現実を直視する、ということだよ」
 皮肉めいた笑みを口許に残しながら、指揮官は答える。
「この世界には領土というものが存在する。主要な場所の大部分は、どこかの国の持ち物なのだよ。無所属とはいえ軍隊が無断で他国に侵入すればどういう事態を招くかは──想像つくだろう。下手をすればこちらがテロリスト扱いだ」
「だからまずは、ARMSが信用できる組織であることを各国にアピールして、自由に活動できるための下地を作っておく、ということか」
 アシュレーが纏めると、その通り、とアーヴィングは返す。
「そのため、しばらくは国から請け負った任務をこなしていくことになるかと思われる。本義とは外れてしまうかもしれないが、その点は理解してほしい」
「了解したよ」
 アシュレーは頷いた。
「ま、仕事なんてそんなものだよね」
 リルカはそう言ってから、お役所の『すぐやる課』みたいなものかな──と妙な例えを呟く。
「ブラッド君も、それで納得できたかな」
「……いいだろう」
 屈強な戦士は顎を引いたまま、指揮官を鋭く睨んでいる。
「だが、一つ解せないことがある」
「何だね」
「何故、俺などを引き入れようとした。脱獄などという手の込んだことまで仕組んで」
 それは──アシュレーも疑問に思っていた。
 いくら『スレイハイムの英雄』とはいえ、あんな大仕掛けまでして仲間に加えようと思うだろうか。
 そこまで、この男は──。
「スレイハイム戦役における君の活躍ぶりは、資料で読ませてもらった」
「それは俺だけで為したことではない」
「まあ、そうだろう。だが、あの圧倒的不利な状況下を小部隊で切り抜けた君の能力は相当なものだと私は評価している。英雄としてではなく、君自身の力を私は買っているのだよ」
 その言葉に、ブラッドはしばらく押し黙った。不自然な沈黙がひとしきり流れる。
「……俺は体制に対する反逆者だ。その体制のために働くと思うか?」
「その点に関しては心配していない」
「何故だ」
「特に根拠はないよ。ただ……保険はかけてある」
 そう言ってからアーヴィングは、何やら呪文らしき言葉を呟いた。
 ブラッドが息を呑み、自分の首筋に手をやる。そして浅黒い顔を顰めた。
「知っていたか……」
 アシュレーが覗き込むと、指の隙間から宝石のようなものが光った。首の付け根あたりに……何かが填め込まれてある。
「小型爆弾ギアス。イルズベイルに収監される際に取りつけられたものだね」
「爆弾……だって?」
 驚くアシュレーを一瞥すると、ブラッドは諦めたように腕を下ろす。胡桃くるみほどの大きさの青い玉が、首筋に半分ほど埋没していた。
「それは特定のコマンドワードによってスイッチが入り、爆発する仕組みになっている。そのコマンドワードを……私は知っている」
「成る程。檻から出しても首輪までは外さないという訳か」
 ブラッドは指揮官の頭越しに壁の旗を見ている。
 旗に描かれた徽章は──首輪を填めた犬の頭を抽象化したものだった。
「それ……自分で取っちゃったりはできないの?」
 リルカが恐る恐る尋ねる。
「装置は頸動脈に結着する形で取りつけられている。外せば血管が破れて……一分保たずにあの世行きだな」
 その説明にリルカは、ひえッと軽く飛び上がって青ざめた。
「そんなもので彼を……仲間を縛るつもりなのか」
 アシュレーはアーヴィングに問い質した。非難めいた口調になっていたことに後から気づく。
 彼はイルズベイルの一件以来、この男のことを信用しきれないでいた。それが理屈ではなく感情から来ていることもわかっているから、極力表には出さないようにはしているのだが──。
「先程も言ったが、私自身はブラッド君を信頼している」
 青年の心中を知ってか知らずか、指揮官は青白い顔で淡々と述べる。
「爆弾のことに言及したのは、彼が反逆を犯したら、という仮定の話に対する仮定の回答に過ぎない。実際にそんなことはあり得ないと確信しているよ」
 思わぬ詭弁を弄されて、アシュレーは続く言葉を失った。その間にブラッドが口を開く。
「俺としてはむしろスッキリしたがな。評価だの信頼だのを理由にされるよりは余程いい」
 この五年で囚人根性が染みついてしまったかな、と珍しく笑って言った。
 当人が納得しているのなら仕方がない。アシュレーも憮然としつつ、その場は矛を収めた。
「ただ、戦力として期待するなら相応の武器は必要だ。見ての通り俺は裸一貫で出てきたものでね。まさかこのまま戦えという訳ではないのだろう」
勿論もちろん武器はこちらで調達する。本来ならば先に用意しておきたかったのだが……実は少々難儀していてね」
 そう言ってアーヴィングは渋い顔をした。
「難儀とは?」
「ギルドグラードにARMの調達と職人の派遣を依頼したのだが、交渉が纏まらなくてね。気難しい連中だし、何より私がメリアブールの貴族というのが気に食わないのだそうだ」
 ギルドグラードはARMの技術に関しては随一を誇る工業国だが、気風として排他的なところがあり、今も他国との関係はかんばしくない。独立部隊とはいえ、他国の貴族による軍隊に武器を提供することに抵抗があるのだろう。
「だったらメリアブールからちょろまかす……じゃなくて、お借りすることはできないの?」
 リルカが尋ねる。
「正直なところ、メリアブールの装備では心許ない。恐らくブラッド君の眼鏡に適う武器もないだろう」
 それは、アシュレーもその通りだと思う。最前まで所属していたからこそ、メリアブール軍の装備の貧弱さは実感していた。だから自分は……。
「……ああ」
 そこで思いついた。いや、思い当たった──と言うべきか。
「アーヴィング、その件だけど」
 僕に任せてもらえないか、とアシュレーは指揮官に申し出た。

「おう、いーいつら構えしてンじゃねえか! やっぱり兵隊はそのくらい迫力がねぇとなぁ」
 髭もじゃの小さな老人は、ブラッドの姿を見るなり上機嫌に声をかけた。
「そっちの若造もちったあマシな面になったが、まだまだなよっちぃからな。てめぇが使ってくれるなら、こっちも造り甲斐があるってもンだ」
 なよっちぃ、と評されたアシュレーは荷物を抱えながら首をすくめる。後ろではリルカが顔を真っ赤にして、自分の背丈よりも大きな荷袋を引きずっていた。
「師匠、声が大きいって。ここは貴族のお屋敷なんだから」
 部品パーツの入った木箱を抱えたトニーが横からいさめたが、うるせぇ師匠じゃねぇと逆にどやされる。
「おう、坊主ども、落とすンじゃねぇぞ」
 トニーの背後には、スコットとティムもついて来ていた。こちらも同じく大荷物を背負っているため足取りが心許こころもとない。
「わ、わたくしなりの結論といたしましては、これはいわゆるタダ働きというやつなのでは……」
「文句言わない男の子ッ」
 荷袋と格闘しながらリルカが自棄やけっぱち気味に叫んだ。ティムに至っては口を利く余裕もないらしく、今にも倒れそうにふらふらと廊下を進んでいる。
 二階の一室に急遽きゅうきょしつらえられた工房に入ると、中ではアーヴィングが待っていた。
「お初にお目文字致します、ボフール殿。ARMS指揮官のアーヴィングです。アシュレーより話は伺っております」
「おう、よろしく頼むぜ。……ああ、荷物はそっちに積んでおけ、野郎ども」
「わたしは野郎じゃないですうッ」
 リルカが文句を垂れながら荷袋を部屋の隅に押し込む。少年たちもめいめい荷物を下ろし、最後にブラッドが担いでいた鉄製の工具の束を荷袋の横に並べた。
「これで全部ですか?」
「おう。これでひとまず仕事はできる」
 荷物の山をひとしきり眺めてから、ボフールはそう応じた。
 アシュレーはつい先日、トニーを介してこの潜りのARM職人と知り合った。成り行きで銃剣の調整メンテナンスと火力の向上を依頼したのだが、彼が仕立てた銃剣はあの監獄で期待以上の威力を発揮してみせた。
 部隊の専属マイスターにと推挙したのも、その腕を見込んでのことだった。彼の造る武器ならば新生ARMSの大きな助けになるに違いない──アシュレーは経緯を説明した上で、そのことを提案した。彼の名を知っていたブラッドも賛成に回り、結果的にはその後押しが大きかった。
 提案は採用され、その場でボフール氏の招聘が決定した。このあたりの迅速さは国家の紐がついていない部隊の利点だろうと、アシュレーは思う。
 面白そうだから乗ってやる、とボフールは二つ返事で引き受けてくれた。こちらも制度だの組織だのを嫌う性質であるらしいので、馬が合ったのかもしれない。
 そうしてARMSの三人と、たまたま居合わせたトニーたちと総がかりで工房の引っ越しを行い、今しがた完了したところだった。思わぬ重労働に少年たちとリルカは壁にもたれて一様いちように伸びている。
「初めに言っとくが」
 アシュレーの横で荷解きを始めていたボフールが、アーヴィングに確認した。
「俺は正規の職人マイスターじゃねぇ。それでも──構わねぇンだな」
「問題ありません。マイスターでなくとも貴方の能力はここにいる二人が保証していますし、こちらでも調査済みです。私が隊員を選ぶ判断基準は──」
 実力が最優先ですので、と若き指揮官は言い切った。
「ほう。実力優先なぁ」
 こいつもか、と冷やかしの視線を向けられて、気後きおくれしたアシュレーは首を竦める。
「あんちゃんはいいよ。それより」
 一方トニーは隣のリルカを見ていた。納得いかない顔をする少年に、リルカが絡む。
「それより──なに?」
「いや、えっと……」
「何だって言ってるのッ」
 年上の少女に羽交い絞めにされて、トニーは目を白黒させた。何だか仲良くなっている。
「で、でも、師匠がARMSに参加するってことはさ」
 こちらに逃げ出してきたトニーが言う。
「弟子であるところのオレも、ARMSってことだよな」
「弟子じゃねぇ……と言いたいとこだが、こうなると人手が要るからなぁ」
 こき使われたいなら出入りは認めてやる、と仏頂面ながらもボフールは言った。
「ホントに? やった、これでオレもARMSだッ」
 歳の割に小柄な少年は腕を突き上げて喜ぶ。
「ならば、わたくしたちもARMSですね」
 我々は三人でセットですので、とちゃっかりスコットが話に乗ってくる。
「三人って、ぼ、ボクも?」
「もちろんッ」
 トニーは友人たちの間に飛び込んで、高らかに宣言した。
「今日ここにARMS少年部門の結成を宣言する! 少年ARMSの誕生だッ」
「ちょっと、なに勝手なコトを……いいんですか?」
 勝手に盛り上がる子供たちを見かねて、リルカがアーヴィングに尋ねたが。
「将来有望な隊員が増えて、頼もしいね」
「認めちゃうんですか」
 リルカは溜息をつく。思わず吹き出してしまうと、今度はこちらに矛先が向いた。
「笑ってないで、アシュレーなんとかしてよ。こいつらの保護者でしょ」
「別にそういうわけじゃ……」
 仕方なくアシュレーが子供たちに声をかけようとしたとき、部屋の入口に影が差した。
「わッ、お姫様だ」
 気づいたトニーが声を上げる。
「何やら賑やかですね」
 入口に立っていたのは、アーヴィングの妹──アルテイシアだった。相変わらず古風なドレスに身を包み、兄と同じ涼しげな目許で会釈をする。
「お食事の支度が整いました。皆様もどうぞ食堂へ」
「ああ、有り難うアルテイシア」
 アーヴィングが応じる。普段よりも朗らかな声色だった。
「それでは昼食にしようか」

 自分の前に置かれた皿を目にしたアシュレーは、何とも複雑な気分になった。
「貴族さまのご飯っていうから、ちょっと期待してたんだけど……」
 隣のリルカも肩を落として呟いている。どうやら同じ心境らしい。
 白磁の器に盛られていたのは、ごく一般的な家庭料理……カレーライス。ほかほかと湯気を上げる素朴な料理が、真っ白なテーブルクロスにまるで釣り合っていない。
「ありがとうアルテイシア。今日のカレーも旨そうだ」
「いえ、一昨日のは辛すぎましたわ。スパイスの配分を変えたので、今日は大丈夫だと思います」
 兄妹は平然と会話しながら食事を始めている。一昨日もカレーということは、かなりの頻度で作っているのか。
 そういえば初対面のとき、カレーを作っている……みたいなことを言っていたか。
 今更そんなことを思い出しながら、アシュレーはスプーンを取ってカレーを口に運ぶ。家で食べるものよりは上品な味のような気がしたが、この部屋や食器が醸す雰囲気のせいでそう感じるだけかもしれない。
「うめーッ。やっぱり貴族さまのカレーは一味違うなぁ」
 案の定、向かいに座ったトニーは雰囲気で勘違いしていた。スコットがお行儀悪いですよトニー君と隣席から窘める。反対側の隣ではティムが妙に強張った顔で食事をしている。
「なんであんたたちまで食べてんのよ」
「だって師匠が食べないって言うし。せっかく作ってくれたんだから、食べないと悪いじゃん」
「わたくしたちもブラッドさんの代理で頂いております」
 ボフールとブラッドは工房に残り、作製する武器について話し合いをしている。どちらもこういう席は苦手そうなので、遠慮したということもあるのだろう。
 ちゃっかりしてんなぁ、とリルカはスプーンをくるくる回しながらぼやく。何だかんだ言いつつカレーは綺麗に完食していた。誰よりも早い。
「ところで、ティム君……と言ったかな」
 食事の手を止めて、アーヴィングがティムに声をかけた。
「は、はい」
「君のその上着、もしやバスカーの民族衣装ではないかな」
「あ……はい。そう……みたいです」
 ティムが纏っているのは、大振りのケープのような形状をした上着。見慣れない服だとは思っていたが。
「バスカーって、ティムが生まれた村とかいう?」
 アシュレーが尋ねると、ティムは半分も食べていない自分の皿に目を落としながら、こくりと頷いた。
「お母さんの持ち物だった、らしいです。このリボンも」
 後ろ髪にピンで留めてある赤いリボン。少年がつける飾りとしてはそぐわない気がしていたが──形見の品だったか。
 アーヴィングは少し思案するように首を傾けて、それから少年に言った。
「君のお母さんは……バスカーの『柱』だったのかな?」
「え? 柱……って?」
「いや、何でもない。失礼した」
 視線だけで会釈して、彼は食事に戻った。一方的に会話を打ち切られたティムは困ってうつむいてしまう。
「ティムのお母さんは、赤ん坊だったティムを背負ってタウンメリアまで来たんだって」
 言葉少ないティムの代わりにトニーが話を繋げた。口の周りはカレーまみれだ。
「途中で魔物に襲われたらしくて、すんごい怪我してたってシスターが言ってた。孤児院にティムを預けたところで倒れちゃって、そのまま……」
 そこまで言ってから、しまったと横のティムを見る。少女のような少年は少し寂しそうな笑みを浮かべる。
「ボクはお母さんの記憶、ほとんどないから。大丈夫だよ」
「う、うん。それならいいけど」
 下を向いてしおれるトニー。一瞬気まずい空気が流れたが、カレーのおかわりを頼んだリルカによってすぐ元通りになる。
「でも、そのお母さん、なんで赤ん坊連れて村を抜け出したんだろね」
 アルテイシアから皿を受け取ったリルカが言う。
「村にいられない事情でもあったのかな?」
「ボクのお父さんは、旅の渡り鳥だった……らしいです」
 ティムが答える。相変わらず怯えたような小声だったが、話しづらいという訳ではないようだ。
「だから、そのへんが理由なのかなって……」
「許されざる恋というやつですな。周囲の反対を押し切って子を成したものの、それを理由に村を追われ、決死の逃避行の末に──悲劇ですなあ」
「あんた、ホントに十二歳?」
 リルカが訝しげに見ると、スコットはよく言われますと据わった目つきで返した。
「あ、そうだ」
 ティムはスプーンを置いて椅子から降りた。そしてズボンのポケットを探り始める。
「アシュレーさんにはもう渡してあるけど、その、他のみなさんにも」
 言いながら取り出したのは、二枚の小さな石版。そのうち一枚をリルカに手渡した。
「なにこれ?」
「バスカーに伝わる……お守りです。ガーディアンの力が宿っていると言われています」
 リルカは受け取った石版を目の前に翳して眺めた。亀の甲羅のような模様が刻まれている。
「ガーディアンの石版? それはもしや、ミーディアムか」
 横からアーヴィングが尋ねた。ティムは少し驚いてから、そうですと答える。
「そうか。ならばそれは、お守りというより……」
 アーヴィングは顎に手をあてがって考え込む。先程からやけにティムのことを気にしている様子だ。
「何か気になることでも?」
 アシュレーが聞くと、銀髪の貴族は逡巡しゅんじゅんするような素振りを見せてから。
「いや……バスカーについては一時期研究していたことがあってね。単なる興味だよ」
 そう言って、居住まいを正した。
 何か隠している? ──いや。
 たぶん気のせいだ。彼に対する不審がそうした先入観を抱かせているだけなのだろう。
 どちらにしても今は信じるしかないのだ。最初に面会したとき、アシュレーはこの男を同じ志を持つ者だと感じた。その直感が間違いでないことを願うしかない。
「ガーディアンのお守りかぁ」
 リルカはまだ石版を眺めていた。
「でもこれ、お母さんの形見なんでしょ。もらっちゃっていいの?」
「お守りだから、みなさんに持っていてもらったほうがいいかな、って……。それに、まだ一枚残ってますから」
「そっか。それじゃ、ありがと。この模様は亀だよね。シトゥルダークかな」
 リルカの言葉にティムは少しだけ笑顔になって、そうです水のガーディアンですと答える。それからアシュレーのところにも来て、もう一枚の石版を渡す。
「こっちはブラッドさんのです。渡しておいてもらえませんか」
「ああ。必ず渡すよ」
 こちらの石版は鳥の足跡のような模様が刻まれていた。横からリルカが覗き込んで、ムア・ガルドかなと呟く。意外に詳しいようだ。
「あと一枚あるんだよね。なんのガーディアン?」
「オードリュークです。生命のガーディアンの」
「あ、いいなぁ。わたしそっちがいい。交換しない?」
「だ、だめですッ。これはボクも好きだから……ッ」
 石版の取り合いを始める二人を見て、トニーが子供っぽいなぁと呆れる。一番子供っぽい外見の彼に言われたくないだろうと、アシュレーは思う。
「失礼します」
 食堂の扉を開けて、鼠色の作業着のような服の男が入ってきた。館の玄関番だ。
「メリアブールより使者がお見えです。ARMSに依頼……とのことですが」
「そうか」
 アーヴィングは松葉杖を取って席を立つ。そして一同を見据えて言った。
「実働隊の三名は三十分後に本部に集合。依頼の内容次第ではあるが、恐らく最初の任務になると思われる。各自準備の怠りなきよう」
「了解」
「は、はいッ」
 アシュレーとリルカの返事を聞くと、指揮官は玄関番を伴って食堂を退出した。
「わ、わたしブラッドに言ってくるね」
 リルカも慌ただしく部屋を出ていった。三十分後だからそんなに焦らなくてもいいのに、と思ったが。
 ──まあ、無理もないか。何しろ初めての任務だ。
 アシュレーは首を動かして、食堂の壁を見る。そこにも本部やホールと同じように部隊旗が掲げられていた。
 首輪の填められた番犬──。
 この犬が、果たして彼の言うように世界を束ねる象徴となれるか。それともただの番犬に終わるか。
 すべては──僕ら次第だ。

「メリアブール南の地下交易路アンダートラフィックスにて崩落事故が発生した」
 本部でアシュレーたちの前に立つと、指揮官はそう切り出した。
「崩落によって道路は通行不能となり、通りかかった行商も数人被害に遭った模様。救出作業はダムツェン側より進められている」
 ダムツェンはメリアブール領の南部にある街だ。鉱山の麓にあり、かつては鉱山労働者で賑わっていたらしいが、採掘量が激減した今ではすっかり寂れてしまっていると聞く。
「我々に要請された任務は二点。一つは崩落により寸断された交易路の復旧作業。もう一つは事故の原因究明だ。負傷者はダムツェンに運ばれているので、復旧作業が完了し次第、ダムツェンに向かい事故状況などの聴取を行うこと」
「道路の復旧って……力仕事ですか」
 わたし魔法使いなんだけどなぁ、とリルカが小声で呟く。初任務に張りきっていただけに、その内容に落胆しているようだ。
「任務については以上である。交易路の復旧は急を要するため、すぐに現場へ向かってもらいたい。必要な道具はボフール氏に用意してもらってある。……それと」
 アーヴィングは机上に置いてあった小さな箱のような装置を取り、アシュレーに渡した。
「これは?」
「感応石を用いた通信機だ。感応石ネットワーク内であれば、それを通して音声通信が行える」
 そう説明してから、指揮官は思わぬ発言をした。
「現場で起きたことへの対処は、基本的には実働隊のリーダーであるアシュレー君に任せるが、私の指示が必要と判断した場合はそれで連絡を──」
「ち、ちょっと待った」
 僕が──リーダー?
「その場ですぐに判断を下せる人間は必要だからね。三人の中では君が適任だろう」
「だ、だけど」
 アシュレーはブラッドを見た。
「か、彼の方が……」
 実力も実績も、断然に上だ。というか格が違いすぎる。まだ新兵も同然の自分が彼を率いるなんて──。
 だが、ブラッドは。
「異存はない」
 当然のように、そう言った。
「強さは関係ない。俺は──そういうのは向いていないからな」
 よろしく頼むとスレイハイムの英雄に言われてしまい、アシュレーは。
「わ……わかった」
 我ながら情けない声で、そう返した。
 ──大丈夫だろうか。
「それでは、これより任務を開始する」
 指揮官に解散を告げられ、アシュレーは気持ちの整理がつかないまま本部から放り出された。
 浮ついた足取りで廊下を歩きながら、後に続くブラッドとリルカをちらりと見る。
 彼らの命を、自分が預かる。その重みに──息が詰まった。
 ──駄目だ。
 もう任務は始まっている。たとえ無理でも──やらなければ。
 不安をひとまず胸底に押し込んで、アシュレーは昇降機のボタンを押した。
 ボフールの仮工房に立ち寄ると、彼は既に道具を用意していた。鶴嘴つるはしにシャベル、それに発破はっぱのための火薬。
「あと、こっちはお前さんの武器だ」
 そう言ってボフールは筒状の大型ARMをブラッドに渡した。リボルバー式のキャノン砲か。
「頼まれたマイトグローブは作るのに時間かかりそうだからな。しばらくはこいつでしのいでくれ」
「ああ。助かる」
 ブラッドは大型ARMを軽々と持ち上げ、ベルトを使って手慣れた所作で背中に固定する。その様がやけに格好良くて、アシュレーはしばらく見惚みとれた。
 やはり、彼の方が──。
「行くよ、リーダー」
「あ、ああ」
 廊下で待っているリルカに返事してから、アシュレーも急いで支度を終わらせた。
 初めてリーダーと呼ばれたということに、後になって気がついた。

 街道に出てから道なりにひたすら歩き、二時間ほどで地下交易路の入口に到着した。
「暗くなると厄介だ。日が暮れるまでに作業を終わらせよう」
「あう……ちょっと休みたいんですけど」
 ここまでの道のりで既に草臥くたびれているリルカが呟いたが、聞かなかったことにして交易路へ入る。
 堅固な岩盤の山を潜るようにして地下に築かれた通路は、全長三キロ程度。落盤が起きたのはダムツェン側の出口にほど近い場所らしい。
 二十分ほど歩くと、前方に明かりと人の気配があった。ダムツェンの作業員たちだろう。
「おお、メリアブールからの応援か。よう来てくれた」
 現場の監督らしき男が、大岩の脇から顔を出した。
「状況はどうなってますか?」
「怪我人は全員街に運んだ。道路の方も大体は済んだんだが……こいつがなぁ」
 そう言って、彼らの間に鎮座している大岩を示した。
「どうにもでかすぎて動かせない。まずは砕かないといけないんだが、あいにく火薬を切らしててなぁ」
「ああ、それなら大丈夫です。持ってきてます」
 アシュレーは荷物を下ろし、中から火薬壺を取り出して作業を始めた。
 ブラッドが鶴嘴で岩の中心に穴を穿ち、そこに紙筒に包んだ火薬を詰め込む。そして作業員に避難を促し、自分たちも距離を置いた。
「点火は……リルカ、頼めるかな」
「わたしはライターですかい……。わかりましたよ、もう」
 ぶつぶつ言いながら、肩に掛けたポーチから杖を出して、構えた。
「よっこい、しょういちッ!」
 謎の掛け声とともに杖を振ると、火の玉が放たれて岩に当たった。小気味いい爆発音の後に亀裂が走り、岩はいくつかの塊に割れた。
 手分けして砕かれた岩を壁際に運ぶと、すっかり道は開けた。
「これで一つ目の任務は完了だな」
 次は事故の原因究明だが──。
「まずは調査か。現場ここに何か痕跡が残っているかも……リルカ?」
 ふと横を見ると、通路の隅の方でリルカがへたり込んでいた。
「ごめん、ちょっと休む……」
 そう言って申し訳なさそうに目配せする。考えてみれば今日は荷物運びやら緊急任務やらで働きづめだ。十四歳の女の子には厳しい行程だったか。
 現場検証は明日でもいいか、とブラッドに意見を求めようと振り向いたが、彼は天井を見つめたまま固まっていた。
「どうした?」
「……あれを見ろ」
 持っていた懐中灯で天井を照らして、ブラッドが言った。
すすがついている」
「え?」
 アシュレーも天井を仰いで照らされた部分を見る。崩落した岩盤の手前あたりに、黒く焦げたような痕が確かに残っていた。
「爆発の……痕跡? まさか崩落の原因は」
 事故ではないというのか。
「これだけでは何とも言えないな。ただ、ここの岩盤はかなり堅い。大きな地震でもない限り自然に崩落することは考えにくい」
「人為的な事件の可能性もある……ということか」
 焦臭きなくさい話になってきた。
「それなら被害者が何か目撃しているかもしれないな。すぐにダムツェンへ行って……」
 言いながらリルカの方を振り返ると。
「……とりあえず、今日は休もうか」
 魔法使いの少女は壁に寄りかかって、船を漕いでいた。

「ああ、確かに聞きましたねぇ」
 翌朝、彼らは一泊したダムツェンの宿から診療所へと向かった。
「上の方からボンって何か爆発したような音がして、それからすぐに岩が降ってきて……このザマです」
 事情を聞いている被害者──行商の男は、落ちてきた岩で両脚を潰されたらしい。ベッドに横たわったまま、包帯の巻かれた自分の脚を指さす。
「これでほぼ間違いないな」
「ああ……」
 崩落事故は、何者かによる事件である可能性が高まった。
「何か他に、気になることはありませんでしたか? 不審な人間がいたとか」
「ううん……ああ、そういえば」
 枕に置いた頭を動かして天井を見ながら、男は言う。
「岩で脚をやられて痛がってるとき、トンネルの出口に……人の姿を見た気がします。助けに来てくれるのかと思ったのに、逆に出ていってしまったから変だなと思ったけど」
「見たのは一人ですか? 性別とか人相とかは」
「二人……だったかな。ガタイのいい男とひょろっとしたのと……そうそう、ちょうどあんたらみたいな」
 ブラッドとアシュレーを示したところで急に男が固まり、青ざめる。
「ま、まさかあんたらがあのときの? 私を口封じに来たのかッ」
「い、いえ、違います。僕らではないです」
 ベッドの隅で怯える男をなだめてから、アシュレーはブラッドに尋ねる。
「どう思う?」
「個人的にはその連中の犯行だと思うが──断定はできんな」
「そうだな……」
 青年は伸びかけの青い髪を掻き回しながら、考える。
 目撃証言はあるが、それが犯人であると断定はできない。このままその二人組の足取りを追っていいものだろうか。
「ね、アシュレー」
 後ろからリルカが顔を出した。
「アーヴィングさんに聞いてみたら? 指揮官なんだから、これからのことも決めてくれるよ、きっと」
「聞くって……ああ、そうか」
 荷袋から小箱のような形をした通信機を取り出す。指示が必要な場合は連絡を──確かに今がそのときかもしれない。
「えっと……これを押せばいいのかな」
「違うよー。そのツマミを回してから……こう」
 リルカが操作すると、上部のスピーカーから砂嵐のようなノイズが聞こえてきた。
「ええと、応答……願います。こちらアシュレー」
 おっかなびっくり下部のマイク部分に話しかけると。
〈はーい。聞こえましたよアシュレー君〉
 いきなり甲高い女の子の声が聞こえてきた。
「だッ、誰、ですか?」
〈あたし? あたしはエイミーだよー。よろしくねアシュレー君〉
「え、エイミー? あの、アーヴィングは……」
〈ほいほい。そんじゃ繋ぎまーす〉
 ザッと大きなノイズが走り、次いで聞き慣れた声がした。
〈アーヴィングだ。どうした?〉
「えッ、そ、その、報告があるのだけど……さっきの女の子は」
〈女の子? ああ、私が雇っているテレパスメイジだよ。感応石による通信は彼女たちを介して行われる仕組みになっている〉
「テレパスメイジって、誰でもなれるわけじゃないんだよね」
 感応石の電波と波長を合わせられる人じゃないと無理なんだ、とリルカが横から補足する。特異体質のようなものか、とアシュレーは思う。
〈先程はお騒がせしました、アシュレーさん〉
 また女性の声がスピーカーから聞こえた。今度は落ち着いた声色だ。
〈テレパスメイジのケイト・リンドバーグと申します。先程の騒がしいのはエイミー・フェアチャイルド。私たちが通信をサポート致しますので、以後よろしくお願いします〉
〈ミーちゃんケイちゃんでーす。覚えといてねー〉
「はあ……よろしく」
 すっかり調子を乱されたアシュレーは、気の抜けた返事をした。
〈報告を聞こうか〉
 再びアーヴィングの声になった。アシュレーは気を取り直して、昨日から現在までの状況を説明した。
〈大男と細身の二人組か……〉
 行商の証言を聞いたアーヴィングは、そう呟いてから間を置いた。
「何か心当たりでもあるのか?」
〈いや……昨日、君たちが館を出てから、再びメリアブールの使いが来てね〉
 アーヴィングが言う。心なし普段よりも歯切れが悪い。
〈メリアブールが管理しているテレパスタワーに不審者が侵入したから調査をしてくれ、という依頼だった。先の任務が終わり次第調査をすると返しておいたのだが……その不審者の特徴というのが、大男と細身の二人組なのだよ〉
「なんだって?」
 思わずアシュレーは声を上げた。
「その、テレパスタワーってのは、この近くなのか?」
〈目と鼻の先だ。街にいるのなら見えないか? 南の高台にある細い塔だ〉
 通信機を耳に当てたまま診療所を出る。南に臨める高台に──確かに塔が聳えていた。
「じゃあ、その二つの事件の犯人は……」
 ほぼ同時期に、ほど近い場所で起きた二つの事件。そして犯人の特徴も同じ。
 それはつまり──。
〈同一犯である可能性が極めて高い、ということだ〉
 指揮官の言葉に、アシュレーは武者震いをした。
〈目的は不明だが、二人組は地下交易路を爆破して崩落させ、その混乱に乗じてテレパスタワーに侵入したと思われる。これは単純な事件ではないな。一種のテロと捉えていいだろう〉
 テロリストが、近くに。もしかしてこの街に──?
「アーヴィング、付近を捜査……すべきだろうか」
〈どちらの事件も昨日のことだ。既に街にはいないだろう。それよりも塔に侵入した目的が気になるな〉
 アーヴィングはしばし黙した。考えているのだろう。
〈ARMS諸君に通達する〉
 そして、スピーカー越しに指揮官は命じた。
〈これよりテレパスタワーに向かい、テロリスト侵入の痕跡を辿れ。彼らの目的と行き先、そして正体を探ることが、君たちの新たな任務だ〉
「了解ッ」
 通信を切り、アシュレーは再び高台を見遣った。
 細い棒を組み合わせて作ったような鉄塔が、暗雲を背負ったまま佇んでいた。